私と、貴方。
貴方と、私。
同じ目。同じ色。
同じ景色。同じ心。
見ていたものはきっと同じ。
貴方と、私。
私と、貴方。
それが違う。
私が閉じて。
貴方は開いて。
私は消えて。
貴方は残る。
ちぐはぐ。
対比で。
背中合わせ。
触れあっても、目線が同じになる事はない。
前に進んでも、すれ違う事はない。
目を閉じてふらりと消えた私。
目を開いて私を見る貴方。
消えたものは見られない。
だから、貴方は私を見ない。
見たくなくなったのが先だったのか。
見せなくなったのが先なのか。
それが、至極重要な問題だ。
* * *
この手紙を読んでいる貴方は今、何を思っていますか。
この手紙を見ている貴方は今、何をしているのでしょうか。そしてこれを見られている時の私は一体何をしているのでしょうか。
気まぐれにこんな手紙を書いてみたのですが、果たしてこれを書き終えている時、私はどんな気持ちなんでしょうか。
今日のあった事を、これを読んでいる貴方は覚えているでしょうか。今日の出来事から一体どれだけの時が経ったのでしょうか。私はこの手紙の事も、その出来事も覚えているでしょうか。
今日、貴方と私は喧嘩をしました。
覚えていますか? 理由は些細な事です。私が仕事をしていて、珍しく貴方が私と遊ぼう、と私を誘ってくれたんです。
この頃は貴方は良く外に遊びに行っていましたね。私はそれを少し羨ましく思っていたんですよ。
だから、という訳ではないのですが、その時は仕事が忙しくて貴方にそっけない態度を取ってしまいましたね。それが貴方の気に障ってしまったのでしょう。貴方は珍しく私に怒鳴りましたね。
私も急に怒鳴られて驚いたのもあります。貴方を諫める良い言葉が無かったのも事実です。貴方は私になんて言ったか覚えていますか。
こいし。
覚えていますか、こいし。
覚えてくれていますか、こいし。
私は貴方に誘われたのです。その意味を貴方が出て行った後、今、この時、それを考えていたのです。
気まぐれ、と書きましたが、えぇ、何となく書いてみようと思ったのです。貴方に伝える言葉は貴方がいないから届かなくて、だからこうして手紙にして残しておきたかったのです。
私は貴方に誘われて嬉しかったんです。でも、同時に逃げていたんです。
私は悟り妖怪。貴方も嫌でも知っている通り人の心を読む妖怪です。そんな私たちが妬まれ、疎まれている事はもしかしたら私よりも貴方が知っているのかもしれませんね。
私はそれが溜まらなく嫌で、見たくなくて、忌み嫌っているといっても過言ではないでしょう。でも、貴方のように心閉ざすまでは絶望はしていません。
どうして私が第三の眼を閉ざさずに、貴方はその眼を閉ざしてしまったのか。
考えたことはあるんです。理由もいっぱい並べ立てました。それでも答えは出ませんでした。でも、それは当然なんですよね。
私、古明寺さとりは貴方ではありません。私はさとりで、あなたはこいし。私は私で、貴方は貴方。
同じ力を持っていたけれど心は同じじゃないんです。
だから、こいし。
教えてください、こいし。
どうして貴方は怒鳴ったんですか? 私の何が気に入らなかったのですか? 私はあんなに貴方を怒らせるような事をしたことがなかったから怖いんです。貴方の心は覗けないから。
だから、教えてください。こいし。私は貴方の心を知りたい。貴方が何を思っているのか、何故傷ついているのか。
こんな手紙で、こんな言葉では、貴方には遅すぎたのかもしれません。私は貴方が怖かったのですから。
心が読めない貴方が恐ろしくて仕様がありませんでした。その心を知るのも怖かったんです。自分と違うから。貴方の事が全然見えないから。
どこにいるのかもわからなくて、いつの間にか居て、でもまた居なくなって、気づいたら居る。
いつからでしょう。こいし。私たちがそんな風に互いに居ても、互いを気にせずに、まるで空気のように一緒にいるのに触れあわなかったのは。
どうしてなんでしょう、こいし。教えてください。こいし。私が臆病だったんです。貴方がいなくなって、帰ってこなくなって不安になっているんです。
私は貴方の家族です。貴方が心配です。貴方が好きです。怖いのは貴方に嫌われる事、疎まれること。考えれば考えるほど私は動けませんでした。
ごめんなさい。ごめんなさいこいし。筆が止まりません。気まぐれで書き始めているのですが貴方にはこんなにも伝えたい言葉があります。今更ですが貴方に伝えたいんです。こいし。
こいし、これを読んでいる貴方はどんな気持ちですか。
こいし、それを読んでいる時、私は何をしていますか。
こいし、私は貴方に謝れましたか。
こいし、私は貴方と一緒に居る事が出来ていますか?
こいし、貴方の声が聞きたくてこの手紙を残してます。私も忘れないように刻みつける為にこれを残します。
これを見て、どうか私たちが仲の良い姉妹で居られる事を願って。
* * *
ぽたぽた、おとがする。
くしゃり、おとがする。
ぽたぽた、くしゃり。
ぽたぽた、くしゃり。
なんのおと。
なんのおと。
ぽたぽた。
くしゃり。
ぽたぽた。
くしゃり。
まえがみえない。
ぐにゃぐにゃだ。
ゆがんで。
めのおくがあつい。
じわじわ、じわじわ。
あぁ、ぽたぽたというおと。
これは、なみだだ。
だからまえがみえない。
だから、ぐしぐし。
てでひとみをこする。
ぐしぐし、ぐしぐし。
なんども、なんども。
でも、まえがみえない。
ぐしぐし、ぐしぐし。
ごしごし、ごしごし。
じくじくと、じわじわと。
ひとみのおくがいたくてあつい。
なんども、なんどもぬぐってみた。
なみだは、とまらない。
それでもさっきよりは、みえる。
くしゃりとつぶしたのは、かみ。
わたしのてのなかでつぶれたかみ。
わたしのてのなかでつぶれた、てがみ。
てのなかでつぶれたかみをひろげる。
なみだでにじんで、くしゃりとゆがんで。
もう、よめない。
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
じゃあ、おしえてください。
ねぇ、ねぇ、ねぇ。
じゃあ、きかせてください。
ねぇ、ねぇ……。
* * *
からん、と。グラスの中の氷が揺れる音がした。
「不安定になってたんだ。日に日に」
語る声は湿っぽかった。
「笑顔が少なくなった。ヒスが多くなった。誰彼構わず当たり散らすようになって、でも、それに気づいて懺悔するように泣いてた。自分の心を自分で制御出来なくなっちまったんだ」
からん、と。また、グラスの中の氷が揺れる音がする。
珍しい、と思う。そもそも彼女がグラスで酒を飲むのも。
冷えた、きんきんに冷えた、熱を冷ますような冷たい酒。
「心が読めちまうから慰めの言葉もあいつを思う行動も全てが枷になってしまった。自分がどれだけ皆に心配されてるのか、それなのにその悩みを解消出来ない自分がアイツにはどうしようもなく許し難い存在になっていたんだと思う」
すまない。そんな言葉が零れた。
「…どうもしてやれなかった」
首を振る。貴方が謝る事じゃない。
「…後は…」
もう、いいよ。
「……お前さん、大丈夫かい?」
…うん。大丈夫。
「…そうかい。ただ、なんかあったら言ってくれ。出来る事がしたい」
…ありがとう。
本当にありがとう。
「…あぁ、その礼、受け取っておくよ」
…にへら、と笑う彼女はどこか悲しげだった。
それを背に、私は逃げるようにその場を後にした。
* * *
苦しいです。
貴方はどこにいますか。
貴方は何を思っていますか。
貴方の声が聞きたいです。
貴方に触れたくて、抱きしめたいです。
もう、逃げませんから。
どうか、どうか。
* * *
立派な墓がある。
綺麗な花で彩られた石造りの墓。
眠るのは、今でも鮮明に思い出せるあの人の…。
指を伸ばす。墓石に刻まれた名をなぞるように。
――古明地さとり。
石は冷たく、熱なんて感じる事のない。
もう、遠い温もり。これが、今、あの人の名を冠するもの。
それをぼんやりと眺めながら、ポケットに手を入れた。
それは震えて歪んだ、朱いナニカで綴られていた手紙。
―――ごめんなさい、こいし。
「は、はは」
涙が、落ちた。
「はは、あははは、はは、ひ、ひひ、はは」
声が、震える。
「ひ、ぅ、は、はは、ひぅ、ひぅ、はは、ははっ、ははっ」
膝が、崩れ落ちる。
「ひぐ、ひぅ、ひっ、ひっ、ひ、ひ、ひ、ぅ、ぅぅぅ、ぅぅうううっ!!」
残された、最期の紙。
「ぅぅぅぅぅぁあああああああああああああああああ嗚呼ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」
涙に濡れて、潰れて、もう、見えなくなる。
「あ、が、あ、がぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!! うああ、ああ、あああああああ!! あああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!! 嗚呼アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!」
喉よ、潰れろ、潰れてしまえ。
瞳よ、枯れろ、枯れてしまえ。
手よ、折れろ、折れてしまえ。
息よ、尽きろ、尽きてしまえ。
心よ、砕けろ、砕けてしまえ。
「おね、え、ちゃ、おねえ、ちゃ、おねえちゃ、っ、っぁ―――――!!!!!!!!」
ごめんなさいとも言えない、私なんて死ねば良いのに。
「――――――――――――ッッッッッッ!!!!!!!!!!!!」
叫び、吠え。
向けるべく場所もない力を、己に向け。
身を抱きしめるように、押しつぶすように。
ただ、ただ、その身を縮めて泣きじゃくる。
ゆらゆら、ふらふら。
ふらふら、ふわふわ。
ふわふわ、ゆらゆら。
くりかえすむいしきのなか。
わたしはなんどもといかえす。
はたして、にげたのは、どっち?
そのこたえはない。
わたしか、あなたか。
でも、わかるのは。
はなれつづけるものは、もうにどとすれちがうことはない。
ゆらゆら。
ふらふら。
ふわふわ。
どこへいくあてもなくさまようわたしはどこにもいない。
どこにもいないものをみることはできない。
「…消してよいなかったことにしてよこいしでいさせてよ誰にも気にしないものでいさせてよ同じものなんて見分けの付かないなんでもないものにしてください誰にも気づかなくていい私は世界を捨てたから世界も私を捨ててください今からでもいいからお願いしますもう望まないなにも望まない逃げた私にそんな資格はないからでもどうかどうかお姉ちゃんは返してくださいお姉ちゃんを返してくださいおねがいおねがいおねがいもういやなのこんなのくるしいよつらいよたすけて死にたいお姉ちゃんお姉ちゃん助けてよお姉ちゃん…ねぇ…!!」
もう、逃げないから。
「お姉…ちゃん…」
また、貴方を呼ばせて。
そうして、呼んで。
――なぁに? こいし。
望む声は、響かない。
響くのは、己の声から出る摩り切れた声だけだった。
* * *
お姉ちゃん。
私は外に出るようになりました。
色んな人を遊びにいきました。
楽しかったんです。
楽しくて、楽しくて。
忘れていたんです。
私はうらぎりものです。
私はお姉ちゃんを裏切ったのに。
私はお姉ちゃんと一緒に見る世界から目を逸らしました。
私は新しい世界で楽しく生きました。
それが楽しくて、楽しくて。
それをお姉ちゃんを望みました。
残酷。非道。鬼畜。私の見る世界はさとり妖怪には酷なのに。
お姉ちゃんは私を理解してくれている。
私はお姉ちゃんに見せないのに。
私が望むだけをしました。
応えてくれないのは、当然です。
私が、貴方を殺す事は必然だったんです。
だって、さとり妖怪は弱いから。
私は、弱いから。
お姉ちゃんは、強いから。
私は、卑怯で。
お姉ちゃんは、優しいから。
だから、わかろうとしてくれていた。
でも、この手紙で知りました。それは私の勘違いでした。
ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい。
もう何も望みません。もう何も思いません。
だから、お願いします。もしも、貴方にこの声を届けられる事が出来るのならば。
――私を全て、忘却(ころ)してください。
古明寺 → 古明地
さとりやこいしの悲痛な思いが痛いほど伝わってくるSSでした。
しかし反面、何が起こったのかいまいち伝わってこなかった。そこらへんをもっとはっきり描写するシーンがあってもよかったのでは。もちろん、読者に想像の余地を残すことも大事だとは思いますけど。
手紙を綴っている時のさとりの心は想像を絶しますね・・・
二人の心とすれ違いが悲痛でした。
結末に至るまでの長い間、それぞれが何を想って過ごしていたのかなどを考えると・・・。