―1―
ハッキリ言わせてもらうと、度し難い程疲れている。
おびただしい数の閻魔裁判と関係書類の山、その全てを川が流れるように片付けていくのは楽ではない。
幻想郷の全てをこの私四季映姫が一任されている。
とはいえ他の管轄に比べれば幻想郷地区は随分数が少なかった。
理由は妖怪が長寿で全然死なないし、寿命80年前後が平均の人間達もまっとうに生き死んでいく事が多いからだ。
しかし今年度は例年の比ではない、異常なまでの霊魂の発生があった。
それも、ことごとく我霊だったり欲霊であったり、今年度は特に達が悪い。
聖徳太子とやらには、説教の必要がある。
異変が起こるたびに考えるが、人口比率に対して霊の割合が多すぎやしませんか?
それら霊の分配にようやく目処をつけた所で、総決算でもう一度見直しが必要というのが恐ろしい。
異変解決の巫女は、報告書をあげたりしないから楽そうね。
ぼんやり思うあいだに次々と書類に目を通す。
私の作業台には、ファイリングされた個人情報だけでなく、印字されて間もない用紙も丁寧に山積みされている。
今日中に全てに目を通しておかなければ、裁判でまともにジャッジできやしない。
黒、黒、黒、黒、白、黒、黒、黒、し……違うな黒、黒、黒、これも黒?
シマウマのようにきっちり分けて欲しい。
もしくはいっそ、全部黒でもいい事の方が多い。
オールブラック、地獄へまとめてレッツゴー。奈落へと駆け抜けろ。
まったく、皆どうしてこう悪行を続けるのか!
反省も足りない!!
夜も10時をまわり、他の者はとっくに帰ってしまっていた。
特に、小野塚小町にいたっては、6時にはまるで存在しなかったかのように姿を消している。
いくつも机が置かれた事務室に私ひとりというのは、凄く肩身が狭い。空間自体は広くなっているというのに。
ブラックコーヒーを何度注ぎなおしたことだろう。
手元灯の光がまばゆくて、目が痒くなる。
頭もかきむしりたい衝動。けれど、毎日お風呂にしっかり30分入っているとはいえ、何となく躊躇われる。
ああ、シャワーだけでも浴びれたらスッキリするのに。
誰も彼もが平常運行――小町にいたっては快速特急ですね――する結果が、私の残業にふりかかっているかと思うと、いよいよ我慢ならなくなる。
かぶっていた帽子を壁に向かって投げつけるバシィッ!
「あらあら、物にあたるだなんて。映姫様、器物損壊罪ね」
「んあ?」
よくよく目を凝らすと、冥界に住まう亡霊嬢、西行寺幽々子がそこに浮いていた。
桜柄の綺麗な扇子で口元を隠している。ゆっくり片手で閉じると、涼やかに笑いかけてくる。
扇子を帯の中にしまうと、スッと紙の束を取り出した。ピンク色のクリップでまとめてある。書類。
また、書類が増えたか。
西行寺幽々子は人魂の整理を行い、正しくこちらの管轄に霊を送るのが役目だ。
時折勝手な事を行うが、仕事自体はきっちりしている。
意外と物事をしっかり見ており、厄介ごとに真っ先に気づいてほんのり手を出す。
そして何事もほんのり解決してしまうのだろう、気まぐれで。
どうやら今月分の人魂の帳票と経過表を持ってきたようだが、これもきっと気まぐれでしょう。
こっそり、左手を後ろに隠している辺り怪しい。
彼女につきあってたら、終わるものも終わらないからちょっとうんざりする。
「はい、いつものね。先月よりもおとなしいけれど、お餅を嫌う霊がこの頃は増えるわねー」
「そうですね、お餅ですか」
「そう、お餅。うっかりつまらせちゃうと大変ね。映姫様はどうやって食べるのかしら?」
「ふむ、そういえば最近食べてませんね……」
うっかり話にのってしまった。注意力散漫かもしれない。
食べ物なんて、一番長引きそうな話題だわ。
「やっぱり、映姫様、今年まだお餅食べてないのね。そー思って、ほら!」
うわ、七輪と餅が出てきた!
このお嬢様、職場でお餅焼く気だ! 天衣無縫にも程があるでしょう!
いや、臼とか杵が出てこなかっただけ、幸いだと思うべきなのだろうか。
もっと言えば、良く左手だけで持ってこれましたね。
私の引きつった反応を無視して、妙に手際よく用意を始める西行寺。
かと言って、止めたら意味も無く弾幕ごっこをしたがるので、手に負えない。
こうなった時の彼女は、かの八雲紫よりも遥かに凶悪だ。
「さてさて、お餅のっけちゃうわよー。えーきちゃん、海苔でしょう?白いのと黒いの、大好きですものね」
「ええ、まぁ」
「今日のお餅はね、永遠亭からのお歳暮なの。ウサギさん達って、餅をつくのだけは上手よね」
「ええ、まぁ」
「えーきちゃん、話聞いてる?」
「ええ、まぁ」
「眠そうなえーきちゃん、写真とって烏天狗に売っちゃおうかしら」
「即座に訴えます」
訴えると言うのに、余計にニコニコしながら、扇子で炭火を煽っている。
いつの間にかヤマザナドゥである私が、「ちゃん」呼ばわりだ。
頭痛がする。いろんな意味で頭痛がする。
お餅はまるで瓢箪のように膨れあがり、優雅に箸でとりわけられた。
醤油を一滴かけて海苔で巻いてある。食欲をそそるわね。
……まてまて、私は仕事中だぞ。そそられるなどと、あってはならない。
我に返ると、目の前に箸と餅と西行寺の左手。
「はい、えーきちゃん、あーん」
「あーん、じゃありません! 職場でこんな真似をして、いったいどういう了見ですか!!」
「あら、こうしたら食べてくれるのかしら?」
私の発言をやんわりかわして、西行寺は自分の口に餅を咥えて顔を近づけてきた。
えーと、これポッキーゲームなどという奴でしたっけ?
この場合、モッチーゲーム?
手首に彼女の手が添えられて、亡霊特有の寒気が伝わってくる。
どんどん近づいてくるお餅と顔。
私がうろたえているのを解っている目。
彼女の桜のような淡い匂いも色濃く感じられるようになってくる。
誘われるような、桃色の髪は見ているだけで艶やかで耽美だ。
肩に手をまわされたのまでわかっているけれども、吸い込まれるようで、動くことが出来ない。
唇にお餅が触れた。
私、どんな顔をしているんだろう。
口の中にお餅の弾力が広がる。口の中は米と醤油と海苔のにおい。
でも鼻先は彼女の鼻に触れていて、桜のにおいがあって……
すると、西行寺は左手でお餅をつかんでとってしまう。私の口から少し伸びてお餅は千切れる。
彼女の口に挟んでいた部分はうっすらピンク色をしていた。私が触れていた部分はお餅そのままで、少し恥ずかしい。
終わったのか、と息をつこうとすると、目の前に微笑――
あっという間だった。本当に、「あ」も言えなかった。
お餅で空いた距離を、唇がうめた。
キスしてるんだと思った。目の前が桃色で覆われる。
春を感じさせる甘い香りと、少しの海苔のにおい。
判決を下すまでもない、華やかで冷ややかな感触。
桜、桜、桜、桜、桜……え? あれ!? うわっ! キスしているんだ!! 私としたことがキスしてる!?
キス。
けれども、押したり後ろに退こうなんて出来なくて、甘い色で頭の中がいっぱいで、柔らかくて嬉しくて切なくなる。
ちゅぱっという音がした後、ふっと唇が離れた。甘い香りも一緒に。
西行寺は扇子で口元を隠すと、ごちそうさま、とつぶやく。
「ど、どどどどど」
「どういう了見かって? あんまり固いこと言うのは、雰囲気崩れちゃうわよ?」
「どうして、その、こんな……」
「私がしたかったの。お餅美味しかったわねー」
「お餅なんかより……」
「もしかして、『その後』のほうがおいしかった?」
また微笑み。
だめだ、完全にペースをもっていかれているし、何だか不思議な気持ちでいっぱいだ。
心臓の動きが早いってわかる。
親指が良くわからない速さでせわしなく動いちゃっている。
顔が赤かったりするんでしょうかね。
西行寺は七輪にむきなおって、また餅を焼き始めた。
まるでさっきの事が夢だったかのような。
いや、夢ですませて良い訳がない。
地獄の最高裁判官をなめてもらっては困る。冷静になるのよ私。
「まさか貴方能力を使ったんじゃないでしょうね」
「閻魔様を殺す理由、思いつかないわ」
「納得がいきません。答えなさい、何故今のような事をしたのです」
「あらあら、今のような事って何かしら?」
「ちゅぅーした理由を言いなさい!」
「さっき言ったでしょー? 私がしたかったんだって」
「納得がいかないというのです!!」
「納得出来なくても、それが真実という事もあるわ。グレーを許せないのは悪い癖ね」
「しかし!!!」
「うーん、それじゃ、こんなのはどうかしら」
今宵何度目かの微笑みと共に、彼女はハッキリと答えた。
「私と貴方は、同罪よ」
―2―
眠れなかった。
クマがとれない。このまま裁判を続けたら、霊魂達から居眠り裁判の罪とか問われかねない。
裁判所にある休憩スペースで、私は背筋を伸ばして座っていた。
休憩中とはいえ、恥ずかしい格好は見せられない。
細かいところから、威厳や誠意は見えてくるものだ。
それは、たとえ誰もいなくても。私はヤマザナドゥなのだから。
紙コップで出てくる自動販売機が、幻想郷でも珍しくなくなった機械音をたてている。
喫煙用の灰皿が2つ置いてあるけれど、キセルを使っている裁判官を私は知らない。
ふと、手にしたホットコーヒーが早くも紙の底をうっすら見せていて驚いてしまう。
勿論、ブラックコーヒー。
透き通った黒い色を一気に飲み干す。
それでも頭はモヤがかかったようで、しかも頭痛は酷くなっていく。
もともと頭痛の種は腐るほど蒔いているのに、今日は特大な種まで植わっていて、グングン成長していた。
あの後、西行寺はお餅を自分だけ食べて帰っていった。
正確には、一緒に食べるよう誘われていたのだが、黙って書類を全て片付けきったのだ。
ひたすらに書類と彼女の唇ばかり見ていた気がする。
あんなに薄くみえるのに、どうして触れるとやわらかいのだろう。
……これは重症だわ、唇星人か私は。
思い出しただけで恥ずかしい。仕事をしていた方が忘れられていいのかも知れない。
深呼吸の真似事をしていると、ドタドタ走る音が聞こえて、それもこっちに近づいている。
下駄の音で誰だか察しがついたところで、
「えーき様! 昼飯いっしょに食いませんかーッ!」
と、小野塚小町に満面の笑みで誘われてしまう。
私は首を少し大げさに横にふり、この不出来な部下の誘いをお断る。
絶対にNO。
天地がひっくり返ろうとも判決は覆らない。
小町ときたら、自分は図体がでかいからって、食堂にいくと勝手に大盛りを注文してしまうのだ!
残してしまっては私の為に死してしまった全ての生き物に悪いと思い、きっちり食べてお腹がポッコリしてしまう。
今日の体調で腹を膨らませていたら、爆発四散して閻魔裁判に自ら並んでしまうでしょう。
小町は物凄い不服そうに肩をすくめた。
「あたいと食べるの、そんなに嫌かい?」
「いやです。滅茶苦茶嫌。地獄に行くのと二択であれば、即刻地獄に赴きましょう」
「そんなにイヤがることないじゃないですかー」
「貴方の日頃の行いを正せば、ご飯にもいってあげられるでしょう」
そう、サボってばかりで誰かの負担になっている分、私は食事も喉を通らない。
日常はそうそう変えられないなぁ、と言いながら私の横に小町が座った。
このベンチは少し狭いのに、足を組んで座る。二つ結びにしている髪の毛もうっとうしい。
江戸っ子風は結構ですけどね、距離感を考えて欲しい。
「それじゃ、コーヒーぐらい奢りますよ」
「気前いいのは結構ですけど、今月も貴方の給料カットしてますから。生活大丈夫なんですか?」
「またですかぁ! 世知辛いなぁ」
言いながら、小町は小銭を自販機の方に投げ込む。
値段分のコインが見事に投入され、ボタンも小銭で押して見せた。ガッツポーズ。
ブラックコーヒーのランプが点滅する。しっかり覚えてくれているのは少し嬉しいが、二杯目なのよね。
コーヒーカップが出てくると、小町が右手をかざす。
すると、カップと落ちた小銭が手元に集まってくる。
小町の特殊技能、「距離をあやつる程度の能力」の無駄遣いだ。
歯を見せてニコニコと笑っている。
ムカつく。
同じ要領で小町はカフェオーレを選んだ。
やたらとクリームの量が多くて、軸のないボケた味わい。
しかもとことん甘ったるくてミルクの濃度が嘘まみれで、許し難い飲み物だった。
渡されたブラックコーヒーを舐めるようにして飲む。苦い。
舌が痺れるような感覚。手が少し震える。
ふと小町からの視線を感じて、ついつい睨みつけてしまう。
……どうしてそんなに心配そうにしているの?
「えーき様、体調悪いよね」
「どこも、まったく悪くないですよ」
「いいや、コンディション最悪だね。ほら、肌だってカサカサだよ」
頬を撫でる手を払いのける。少しコーヒーがこぼれた。
「私の事を案ずる間に、自分の仕事を少しはしたらどうですか」
「休み時間は思いっきり羽伸ばさないと。逆にえーき様、働きすぎなんじゃない?」
「私はそれだけ多忙なのです」
「多忙ったって、死亡しちゃ仕方ないんだ。今日さ、仕事終わったら久しぶりにぱぁーっと、やりましょうよ」
何をぐーたらな事を!
私が忙しいのはどうしてだか、全くわかっていない。
どうしてそうぬけぬけと笑っていられるのかサッパリ理解できない。
貴方達が、貴方達が!!
「貴方達がちっとも働かないから、私ばっかり作業して作業して、繰り返して繰り返して!」
「え、ちょいと、あの……ごめんよ、気にさわっちまったかね」
「ごめん? それですめば裁判なんかいらないんですよ! 毎日魂を地獄に叩き込んで、説教したって馬の耳に念仏で! 馬鹿ばかりだ!」
「落ち着きなって」
「私に説教するつもりですか!? 貴方が!? ふざけるにも程がある!!」
なんですか、何かがおかしい。
私がまるで罪人のようじゃないか。
罪状は何?
誰か答えてよ。
コーヒーを置いて、休憩所から出る。廊下が酷く長く感じられる。
後ろからきゃんきゃん喚かれているようだが無視する。
構ってなどいられるか。今日の裁判はまだ20件以上あるのだから。
それにしても廊下が長い。歩いても歩いてもたどり着かない。
さては小町の奴め、私に八つ当たりしているの!?
もう許せない。
振り向いた私は、天井を見ていた。
天井がゆっくりと遠ざかって、それから小町の顔が見えて、全てが黒くなった。
黒い。
声が聞こえる。すぐ連れて行くから。
……どこへ?
それより、助けてください。
―3―
白いブロック状の天井に、ランプが綺麗に光をあたえている。
気がついた、というのが正しいだろう。目を開けたら自分が横になっているので驚いた。
服装は薄いピンクの入った少しゴワゴワした患者服。
帽子もかぶっていない。と、思って右に向くと着ていたハズの服が一式たたんであった。
けれども、服のたたみ方が壊滅的にひどいもので、折口もメチャクチャなのが見てわかる。
すぐさま半身を起こし手にとってたたみ直す。
私は絶対にこのような制服の袖口があらぬ方向に曲ったままたたむことはないので、いよいよ私は誰かに運ばれてここに来たらしい事を認めた。
ここ、病院だわ。
室内は6畳程度の一人用で、花も添えられていない。
あるのは私が今起きたベッドと、服のおいてある荷物置き、椅子が二脚重ねられるのにバラバラにおいてある。
服と同じ薄ピンクのカーテンも、雑にまとめられていた。
ここのナースは素人なのか? やることなすことが雑。
窓から外を見ると真っ暗で、少し雨が降っている。
最後に覚えているのが、小町と休憩所で会った事で、つまり昼過ぎだから……おそらく10時間ぐらい寝ていたのか。
こんなに寝たのは久しぶりかもしれない。左手に小さく注射跡が残っていて、点滴もしていた事がわかった。
あの後の裁判はどうなったのかしら。
私服をたたみ終わるとやれることもなく、横になってただただ天井を見てみる。
ランプと壁しかない。
何もかも無くしてしまったかのような、喪失感すらありますね。
最近出来た施設のようで、天井にシミも殆ど見られない。
真っ白。
「あらあら、今、お暇かしら?」
……変な幻聴だ、と顔をしかめるとヌッと水色の帽子と三角巾が視界に入る。
ノックどころか扉を開ける音もなしに、西行寺幽々子が入ってきたのだ。
お暇かしら、じゃありませんよ。
「うん、とっても暇そう」
「お言葉、そのまま返します」
「もう、そんな堅い事いわないでよー」
見下ろされているのも嫌なので、半身を起こす。
面会時間なんてとっくに過ぎていそうな時間だ、多分勝手に入ってきたのだろう。
この亡霊がその気になったら、病院丸ごと占拠出来るわね。
しかし、西行寺が行おうとしていたのは、もっと非常識で理解出来ない事だった。
「はい、お疲れのえーきちゃんに、力をつけてもらおうと持ってきたわよ」
げげぇー! 七輪とお餅だ!!
病院でもやらかす気だ!!!
火災探知機とかついてたら、室内が雨とサイレンまみれになる!!!!
「ここで火なんて焚いたら、報知機なりますから! やめなさい!!」
「えー、つまらないわね。帰っちゃおうかしら」
「帰ってください」
「それじゃ、七輪はプレゼントって事でおいていくわね」
よいしょ、と言いながら私の制服の真横に七輪を置く。
荷物置きが一気に窮屈になってしまう。
西行寺は椅子をとってきて、ゆったりと腰掛けた。
名門のお嬢様だけあって、座っているだけで優雅だ。
「それで、どうしてココに来たのですか」
「またすぐに理由を欲しがっちゃって」
「貴方は面白い事がないと動かないでしょう、ここにはそんな貴方を満足させるモノはありませんよ」
「あるわよ。えーきちゃん自身が充分面白い」
それに私のせいで倒れちゃったとしたらどうしようと思って、などと言って笑う。
私に話しかけてくる者は、みんな笑っている。
それから、西行寺はここが山の病院であること、裁判自体は他の管轄から別の閻魔がやってきて今日の分は全て問題なく終わっている事などを私に伝えた。
多大な迷惑がかかっている、寝ている間にも。
何をしているんだ、私は。
「疲労で倒れちゃうなんて、幻想郷では貴方が初めてだと思うわよ」
「不名誉な事になりました」
「そういう時はね、ご心配をかけて申し訳ありませんーって言うものよ」
「貴方に心配かけるような事はしてませんので」
「そうよね、えーきちゃんが一番言うべきは、私じゃないわよね」
含みのある言い方をされたが、今ひとつ思い当たらない。
別所からきた閻魔には、退院後に何かしら挨拶せねばならないし、職場の面々にも謝罪せねばならないが……
西行寺が扇子を広げ、口元を隠した。黒い桜柄の扇子。
「映姫様はすぐにでも、小野塚小町に礼を言うべきなのよ」
「小町に?」
「今までの彼女の居眠りを、ちゃらにしてあげるべきだと思うわ」
クスクス。扇子ごしに笑われるのは、少し不気味だ。
「疑問に思わなかった? 服のたたみ方や、貴方なしで閻魔裁判が問題なく続いた事は世の道理だったかしら?」
全部、小町がやってくれたというのか?
「ついでに言うと、紫にもお礼してあげてね。境界いじってくれたんだから」
「ちょっとまってください、幻想郷の結界をやぶるだなんて、どうして」
「もう1度言うわよ。閻魔が外からやってきて、裁判を滞り無く進めました。」
……あれ?
そうだ、それはおかしい!
この結界が張り巡らされた幻想郷の、しかも地獄付近という奥地にある裁判所まで他所の閻魔が急にやってこれるハズがない。
かといって、ヤマザナドゥの役目とは最高裁判の担当だ。幻想郷にいる他の裁判官が即日対応出来るものではない。
物理的に、裁判が順調に進むなど私なしでは不可能なのだ。
それを小町が可能にした……つまり、
「小町が能力を使って、閻魔を呼び寄せた」
「えーきちゃん、鈍感だわー。ようやく気がついたのね」
小町……!
西行寺は私が倒れた後の事を詳しく話してくれた。
私が裁判所の廊下で倒れた後、距離を操る能力を使ってこの病院に私を預け、結界を操る妖怪八雲紫の居場所を知っていそうな白玉楼に移動した。
西行寺が紫を呼び寄せている間に、外の世界の閻魔に連絡をとった。
紫が結界を開けている間に、小町は再び能力を使って閻魔と転移し、無事裁判が終了したところでもう一度転移したのだという。
小町は自身の能力を最大限に使って、私のフォローをやりきった。
今はどうしているのか、とたずねたら、面会時間ギリギリまで私の病室にいたのだという。
大掛かりな能力の度重なる使用や、自分の上司といえる妖怪達の重圧に耐えた小町。
更に、私が神経質だからと病院に個室を頼んだのも小町。
私が八つ当たりした小町。
「あんなに頭がキレるとは思わなかったわ、あの子、案外爪を隠すタイプなのかもね」
「全部小町がやってくれただなんて、私は……」
「それ以上言わないの」
「すいません。それに、さっきは失礼しました。八雲紫を呼んでくれたこと、感謝します」
「もう、暗くなっちゃってダメねー」
西行寺は音もなく立ち上がると、私の頬にキスをした。
桜の香り。
冷たい感触が頬に。
あまりにも突然で反応すら出来なかった。
キスされた部分を触ると、私の体温だけが感じられた。
「紫を呼んだ分って事で」
「貴方、キス魔なんですか」
「キス亡霊って所かしら? さてと、私はそろそろ晩御飯食べにいきますわ。お大事に」
ちゃんと、お礼してあげなきゃダメよ? と言いながら西行寺は浮かびあがり、まるで透明人間になったかのように消えた。
彼女がいなくなると、途端に静かになって、アルコール消毒液のニオイを感じるようになる。
それは、とても寂しいニオイ。
私はたたんであった自分の服と帽子を抱いて、泣いた。
―4―
1日休んだくらいでは、疲労感はなくならない。むしろ、色々気負ってしまっていて、心は余計に重たい。
病院を朝には退院し、私はまた裁判所の休憩スペースに座っている。
倒れた原因は完全に疲労によるものだったそうで、病気ではなかった。
職場に戻ってみれば、相変わらず混雑を極める裁判と私の説教。
昨日の杜撰さに比べれば大分良く出来た、とブラックコーヒーを飲みながら自分を励ます。
情けない顔は、裁判には禁物だから。
コーヒーカップを捨てて、午後の進行を再確認していると、ドタドタとまた騒がしい音が聞こえた。
デジャヴ。
「えーき様ぁ! 戻ってくるの早すぎませんかぁ!!」
貴方はサボリすぎませんか?
「いやぁ、びっくりしたね。もう戻ってきてるっていうからさ、急いできちゃったよ」
「急いでこなくてよろしい。それより、貴方のいるべき場所に急ぎなさい」
「いいや、善行はここでくつろぐ事ですよ。えーき様もまだ時間あるでしょう?」
そう言って、小町はまた小銭を投げた。
いつもどおりだ。
「えーき様はブラックだよね」
「私は別にいらないですから」
「いーっていーって!」
「それなら、私も貴方のと同じものにしてください」
「え?」
「カフェオーレがいいと言っているのです」
「おや、珍しいね。それじゃ、お言葉通りにいたしますよ」
小町はこれもまた、いつも通りの笑顔で、私にカフェオーレを手渡した。
舐めてみると、やっぱり甘くて嘘のようにまろやかで、居眠りしてしまいそうな程ゆるやかだ。
小町は、これが一番のんびりしてていいんですよ、などと言う。
笑顔で。
私は、精一杯マネして笑ってみる。
何だか久しぶりだし、ムリヤリだけれど、ニコニコする。ニコニコしているハズ。
小町は一瞬驚いたようだけれど、もう一度笑いなおして
「ヘンな顔」
と吹き出しながら、大笑い。
私がせっかく笑いかけてあげているというのに、許せない!
「小町……」
「はひ?」
私は小町に顔を近づける。
唇と唇を重ねる。
少し厚みがあって、やわらかくて、とっても温かい小町のくちびる。
カフェオーレの味が少ししたけれど、ずっと甘くて。
オレンジのような、柑橘系の香りが気持ち良い。
唇を離すと小町は茫然としている、どうだ驚いたか!
秒数にすれば、1秒ぐらいだっただろう。
けれど、裁判の時間よりもずっと長くて、そして続けていたかった。
小町は唇をペロリと舐めて、カフェオーレを一気に飲み干してそれから私に抱きつく。
私の顔は小町の胸の真ん中にあって、布ごしに小町の弾力と体温と匂いをいっぱいに感じた。
後ろにまわされた手が私の背中をゆっくり撫でる。
私も、もっと感じていたいから負けじと背中と肩に手をまわす。
そのどれもが、とっても明るい。
ちょっと泣いてしまう。
ほんの、ちょっと。
しばらくして小町は、夕飯は一緒に食べましょうねー、と言い走って持ち場に戻った。
……戻った、ハズ。
私もそろそろ、自分のやるべき事をしなければならない。
ふと、置きっぱなしにしていたカフェオーレに手を伸ばす。
すっかりぬるくなっている。
私は、深呼吸をしてからグイっと飲み干す。うわぁ。
やっぱり、カフェオーレは甘すぎた。
―fin―
俺は生クリームのせたいわ
仕事ができるんだけど、いつも何かに追われているみたいな焦燥感に突き動かされてる人。
毎日があんなので人生楽しいのかなあ、とか、もっと気軽に身構えても罰は当たらないのに、とか思うけど、なまじ仕事が出来る人なんで、自分みたいな人が「もっと気楽に」なんて口が裂けても言えなかった。
……何が言いたいのかっていうと、そんな人に対して、砕けた態度で普通に接してあげられる小町ってすごいんじゃないかしら。
小町や幽々子は明らかに映姫様とはタイプが違う人間(人間じゃないけど)だけど、こういう思いつめちゃう人にとってはこういう友人が必要なんだろうなあ。
でも、もっと働かなきゃまた映姫様が倒れるぞ、小町!
キャラクターの解釈の仕方が違和感が無い程度に斬新で各キャラクターの起用の仕方がうまいと感じました。
コンセプトをしっかりもって書かれているようなのでそれが読みやすさや目新しい印象に繋がっているように思います。
どことなく尖ったようにも感じられる作風が好きです。
素直なえーこまというだけでなくゆゆさまの味付けが加わっているのが個人的に好みでした。
後半の『なぜかサボり魔の小町が「隠していた爪を出す」無双→HAPPYEND。』という展開が前半のOLや会社がでてくる世界観には合わない、無理やりなHAPPYENDだったと思います。
サボり魔はやっぱり有事の時も役に立たない気がするのですが…。という違和感で最後はすこしつまらなかったかな・
映姫さまの部下は小町といい、幽々子といい、さとりといい、あまり真面目に仕事をするタイプではないので
映姫さまのストレスもさぞや深いのではないかと妄想