作品集159<博麗福袋は皆さんの応援で成り立っています>の外伝になっていますが、『はたてちゃんが文と霊夢に携帯の周辺機器をパクられたぶっ殺して差し上げろ』ということを踏まえて頂ければ問題なく読めます。
取材――それは体当たりが一番! とは文から学んだことの1つだが、『空き巣@家主在宅』もその一環であるとは斜め上の発想であった。
おかげ様で私は『善意の福袋提供品』の名の下、イヤホンと充電コードさらには代えの携帯バッテリーまで提供。なるほど、確かにこの方法なら泣き寝入りへ持ち込める可能性も高い。お正月の陽気な心もそれを後押しして、博麗福袋は豊作安泰――
いや。
いやいやいや。
「あの」
文と霊夢さんにパクられたのは『イヤホン』『充電コード』『代えバッテリー』の3つ。
うち、イヤホンはいい。まだいい。にしても充電コードと代えのバッテリーまで略奪されて、どうやって携帯を使えというのだろうか。
蘇るのは若かりし頃の記憶。電源の落ちた携帯をバットに野球をしていたら、アウトローばかり攻められて4打席4三振だったっけ。
そ ん な こ と は ど う で も い い。
「あぁぁぁっぁああああああやぁあぁぁああああああああ!!」
奇声を上げてボロ家を飛び出し、妖怪の山を遥か眼下に見捨てる。
高速で飛行し向かうのは博麗神社。今宵は年越しの夜、二年参りの付合せに博麗福袋を売りつけるとか言っていたから絶対そこにいるはず。
幻想郷最速とまでは言わないまでも、一応私は鴉天狗だ。数分もしないうちに博麗神社の敷地が視界に入り、そして――
――いた。文ではない、むしろ主犯の博麗巫女が。
「ちょっと待てええ―――――ッッ!!」
賽銭箱の近くに立つ巫女が福袋を片づけようという時、私は大声でそれを阻止する。
巫女も私に気が付いたようで、一瞬お札を取り出したもののすぐにしまった。ずざざと月並みな音を立て、私は石畳に荒い着地を決める。
「あら、えーと……文の知り合いA」
私の名前を忘れているうえ、全く悪びれた様子も見せないこいつが、くだんの博麗空き巣巫女だ。
先程文と共に我が家へ来訪し――というか押しかけてきて、文を囮に使いつつ家探しを強行したゴリ押し系の頭脳派である。
「あー……ヒモ2本はまだ福袋から出てなかったような、出てたような」
夜も遅いのでさっさと本題に入ると、巫女はとぼけた様子で頬を掻く。
何はともあれ、私の大切な周辺機器たんは無事でいるらしい。再会を早まってラリアットを喰らったことは反省だが、というか普通に理不尽だが、ひとまずは安心した。
「1口500円からね」
「うぐぐ……ほら早く3つ寄越しなさい」
「はいはい。毎度あり」
紆余曲折あって、何とか売れ残りの福袋3つを奪取することに成功する。
何故かお金を支払う羽目になったが、元々1人暮らしの妖怪にとって金など有り余るものだし、まあいい。
なにより『携帯が使えない』のは余りにも大きすぎる苦痛だ。
朝起きた時も朝食の時も取材の時も昼食の時も、おやつもトイレも夕食もお風呂も携帯が無ければ絶対生きてけないっ! 冗談ですスイマセン。
「イヤホン。……充電ケーブル」
次々と福袋を引き裂いていき、その内の2つからコード系2種を発見する。どちらも間違いなく私のものだ
そして、残る福袋は1つだけ。待ち望んでいたこの瞬間、そこから出るのは勿論携帯の代えバッテリー。――何故ならそれもまた、元々私のものだからです。
「よかったわね、守矢神社で売ってる良いお守りらしいわよそれ」
そして――そう、私のバッテリーはこんな形だった。
美しい曲線が織りなす滑らかなボディ、しかし表面は固いウロコでがっちりとコーティング。牙をむく笑顔はマスコットのように愛らしく、しかし威圧感がある。そう、これが私の求める――『守矢神社で売ってる蛇のお守り』!!
えっ。
「あれ!? バッテリーは!? てかバッテリー入ってるんじゃないの!?」
「『ヒモ2本』はまだ出てなかったようなって言ったじゃないの」
「はああ!? え、じゃあバッテリーは……」
そこで何故か、博麗の巫女は遠い目をした。
視線の先には神社の境内、その境内では妖怪たちが好き勝手に宴会を開いている。
そして群衆の真ん中には、大きな鍋の蒸気が寒空にもくもくと上がっていて。
「……多分食われた」
い、いや……
そ……そんな、馬鹿なことが、ねえ……
◇
ありました。
食べられました。
白の玉楼のお嬢様の西の行寺の幽々子さんに食べられました。
「食べました」
目の前でニコニコ笑って、これまた悪びれた様子も無く自白するのが幽々子さんである。
その横では、白っぽい従者が額に手を当て天を仰いでいる。
なんというか、さあ……
真面目な話ですか。これ。
「……え。本当に食べたの?」
「まさかぁ。生のままじゃアクが強くて食べられないわー」
予想はしていた。でも会話が成り立っていない。
それはアクとかじゃなくて、結構やばめの化学薬品か何かじゃないんですか。そんな野暮を口にすることさえないものの、まさか……そんな馬鹿な。
「ほら幽々子様……やっぱり食用じゃなかったじゃないですか」
「でも何と言うか、うま味成分って言うのかしら? それを感じたけどねえ」
「がはっ、ごほっ」
白っぽい従者が心労で咳き込む。こんな人、もとい亡霊が主人では色々大変だろうなあとか思う。
それよりも、今は自分のことを考えなくてはいけない。私の目的と言えば、現在行方不明中の代えバッテリーたんを取り返しに来たのだ。「胃酸で溶けてるなう^^」とか、私は絶対に信じない! ネバーネバーネバーネバーギブアップ!
「あら、歯にリチウムイオンが引っかかってたわ」
「投了します」
破天荒というか何というか、少なくとも私が理解できる範疇にはいない人だということがよく分かった。私は泣きそうになった。リチウムイオンを知ってるなら食べないで下さいとかとても言えなかった。白っぽい従者は既に泣いていた。
夜は更けて、年も変わった。神社の境内、寒空の下で妖怪たちは依然鍋やら酒やらの宴会を繰り広げている。
その輪に加わりつつしかし端っこの方で、私と亡霊、白っぽい従者は互いに自己紹介を交わしていた。幽々子さんの名は何と言うか有名だから知っていたが、従者の方は初めて聞く名前で魂魄妖夢というらしい。
「一応神霊異変の解決には関わっているのですが……」
「あー……ごめん、知らなかった」
バツを悪くしながら答えると、横で幽々子さんがニコニコと満面の笑みを浮かべていた。
「うふふ、妖夢もまだまだねえ。マダマ団だわ」
「激寒ですね」
「時には真冬の寒空でジェラートを食べたくもなるでしょう?」
多少はね?
「まあともかく……貴方は姫海棠はたてさん、鴉天狗で新聞記者。ということですか」
「あ、うん。そうだね」
妖夢さんの質問に肯定すると、彼女は少しだけ思いつめたような表情を見せる。
私にはそれが意味するものが分からなかったが、それも一瞬のことだ。この幻想郷における鴉天狗の新聞記者の代表格――アレの存在を思い出して、私はすぐ手のひらを垂直に振る。
「い、いやいやいや。私はあんな妄想パパラッチ記者とは違うわよ」
「申し訳ないですが、妄想パパラッチfu**記者に限らず取材はお断りですので」これは重症だ。「てかそもそも取材に来たわけじゃ無くて、私はバッテリーたんを――」
……ん?
……『取材』?
「……取材。ねえ」
「……? すいません、『パチュリーたんはあはあ』の後からよく聞こえませんでした」
「言ってないです」
妖夢さんの妄言に突っ込みを入れつつ、私は『取材』について考える。
なるほど……確かに私は今、取材目的で2人に会っている訳では無い。が、コミュ障のきらいがある私にとって、目の前に立つ幻想郷のドンと腹を割って話し合えるチャンスなどそうそうある物ではないだろう。
私の目的が少しずつ、しかし着々と変化していく。というか、ぶっちゃけバッテリーなんてどうでもいいのだ。どうせ代えだし、いざとなったらヤマダ電機で買えばいいだけのお話。
本当に重要なものは、今目の前に転がっている。逃す手は無い。
「白玉楼単独潜入取材……スクープの香りがするわ……っ!」
「いやそんな『キリッ』って顔で言い放たれても無理です」
「無駄に行間を空けるといつの間にか章が変わっていて、自然と取材交渉も成功しているというパターンを実践したのだけど」
「何のパターンですか」
「そういうパターンよ」そういうパターンなんです。
小細工は通じない様子なので、ここからは正攻法で取材交渉を行っていくことにした。
しかしこの魂魄妖夢という従者――相当なパパラッチアレルギーなのか、私の話を耳に入れようとすらしない。それもこれも全ては射命丸なんたらとかいう天狗のお陰であり、呪詛の言葉を心中呟きながらもなお説得にあたる。
「ほんとお願い! いやお願いします! 今回だけでいいんだってば!」
「ですからー……ごほっ」
少し咳き込んで、妖夢さんは精神的に疲れているときの表情を隠さない。
心労を増やしてしまっているのは大変心苦しいが、私とてこのチャンスを逃す訳にはいかないのだ。まだ脈ありに思えるこの状況、諦めるにはまだ早い――
「まあ、いいじゃないの妖夢?」
――ほらきた。
きました。
全く予想外、というかほぼ間違いなく気まぐれであろう、幽々子お嬢様の『鶴の一声』。粘ればこういうこともあるのかと、感心した私は白い息を吐く。
対して妖夢さん、こちらはもう予想のど真ん中といった様子で顔を歪めた。Wow……これは物凄く嫌そうだ。今にもその綺麗な頬へ一筋の川が伝っていかんばかりの嫌そうな顔だ。
「はあ……幽々子様までもう……」
ただ、その表情の中に見え隠れする諦観の色も私は見逃さない。
少々妖夢さんには申し訳なかったが、これは――きただろう。勝利が。
「それじゃあ、もう寒いし、年も越してしまったし。私達は帰りましょうか」
妖夢さんの言葉を最後まで聞かずに、幽々子さんはそう声を上げた。
妖夢さんは今一度天を仰いで、もうそれきり何も言わなくなる。動き出す2人に着いていこうかいかまいか悩んでいると、幽々子さんがこちらへ振り向き、穏やかな笑顔を私に見せた。
「さあ、貴方も行きましょう? お客人ですもの、丁重に扱わなきゃね」
◇
風を切って幻想郷の空を飛び、私達は冥界の大屋敷白玉楼へ向かう。
家を飛び出したときはアドレナリンやら何やらで寒さを殆ど感じなかったものの、たった今全身にぶつかる風は刺されるように冷たい。文字通り身を切るような寒さ、薄着であったことも致命的で、年明けた睦月の幻想郷が地獄に感じられた。
「これはやばいわー……死ぬわー……」
「はたてさん顔真っ青ですよ」
「死ぬ死ぬ詐欺がうまくできそうな顔ねえ」
ヒュオヒュオと音を立てる風を受けながらも、気付けば現世と冥界の結界――幽明結界というらしい――を過ぎていたようだった。
こんな簡単に越えてしまって大丈夫なのかと感じたが、幽々子さん曰く既に結界として機能していないらしく、概念的な問題も無いとのこと。
それはそれで呑気な話だなあとか考えていると、いよいよ前方へ横に長い巨大な屋敷が見える。闇にまぎれハッキリと確認できないが、それでも幻影のように浮かぶ輪郭を見ただけで、それが何なのか理解できた。
これが話に聞く――白玉楼か。
「……すごい」
意識の外で、呟いていた。圧巻という一言では足りない、それぐらいそれ以上の衝撃。説明するまでもなく、本来ならば私と関わりを持つはずの無い貴族華族の聖域。
呆気にとられその場で立ち竦んだ私に、幽々子さんはご機嫌そうな笑顔を向ける。
「ふふ。このお屋敷、誰がどうやって造ったのか知ってる?」
「あ……いや」
「実はねえ、妖夢が四角い箱をいっぱい積み重ねて造ったのよー」
「信じないで下さいね」
信じるも何も無い、というかこの人の言葉を安易に信じたらいけないことは既に承知してます。
どうでもいい会話をするうちに、玄関から白玉楼へお邪魔する。古風な上品さを感じさせる長廊下を通り抜け、私は客間へ招かれる。客など滅多に来なそうなものだが、客間はしっかりあるようだ。
「うひゃー……客間だけで私の家の2倍はあるわー」
「それは随分小さい家に住んでるんですね……」
「なんなら切り分けて持ち帰ってもいいのよー?」
白玉楼入刀いっちゃいますか?
「無理言わないで下さいよ……それでは、私ははたてさんの部屋を用意しなければなりませんので、これにて失礼致します」
何度目か分からない溜め息をついて、妖夢は1つお辞儀をする。
「ご丁寧に悪いわね」と返すと「本当ですよ……ごほっ」とまたもや咳を1つ。……ごめんなさい。
「……というか、普段からあんなになるくらい従者をこき使ってるの?」
妖夢さんが去ってから、私は幽々子さんにそう問いかける。
彼女は相変わらず笑って、口元を着物の袖で隠しながら答えた。
「こき使ってるのはまあ言わずもがなだけど」
「言わずもがななんだね」
「でも、それとは関係なしに。妖夢は自分の身体くらいちゃんと管理できる子よー」
それならどうして妖夢さんは未亡人みたくなってるんでしょうね。
と、茶化しながら口にしようとした言葉は、いつの間にか笑顔の消えた幽々子さんを見て急ブレーキがかかる。そして、そのまま喉の奥へ引っ込んでいく。
自然と生まれる沈黙。その中で、幽々子さんは妖夢さんの消えた襖を流し目に眺めて――
「……さ、今日はもう遅いし、歯磨きしてから寝ましょうか」
「……亡霊が歯磨きっていうのも変な感じね」
「歯磨かざる者、食うべからず。でしょう?」
それから、いつも通りの幽々子さんに戻る。
◇
翌朝8時――
妖怪の山にある住処は、ボロ屋なせいあって冬の寒さが笑えないレベルになる。いくら妖怪とはいえ心地の良いものでは無く、それゆえ白玉楼で用意された部屋を見た時は思わず涙を流してしまった。
適当な布団に適当な毛布が睡眠のお供である私が、ふかふかの敷布団にふかふかの掛布団など使ったものなら……正午近くまで寝てしまうのではないか。
とか、そういう呑気な危機感を心に抱いていたのだが。
「――ん……」
白玉楼において、目覚まし代わりになってくれる鳥の鳴き声は勿論存在しない。
しかしその静けさが、逆に私の意識へ違和感を与えたようだった。
「……」
寝起きはお世辞にも強いと言えない私が、眠い目を擦りながら布団を出る。
ほぼ無意識のままに布団を畳み、おぼつかない足取りで寝室を出た時、冷たい外気を受けようやく頭が働いてきた。
「……やけに静かね」
夜も静まり返っていた冥界だが、朝もまた人気を感じられない。
長い廊下を歩くうち、ふよふよ浮く幽霊何匹(単位が分かりません)かとすれ違ったが、やはり生気を感じないと違和感を覚える。
大きな障子の前まで来て、ようやく人の気配を感じた。恐らく居間だろうか、すう――と音を立て、ゆっくりと障子を開く。
「……あれ?」
そこには、幽々子さんと――何故か兎、そして竹林の宇宙人が並んで座っていて。
その中心に、顔を赤くして布団に横たわる妖夢さんの姿があった。
「……インフルエンザですね。しばらくは貴方も離れて暮らすように、ってまあ亡霊は病気にならないでしょうけど」
竹林の宇宙人――こと八意永琳さんは、淡々と妖夢さんの診断結果を告げた。
この季節、幻想郷でのインフルエンザ流行は毎年のことだが――妖夢さんも罹るものなのだなと少し驚く。
「まあ、妖夢は半人前だからねえ」
口元に袖を当て、クスクスと幽々子さんが笑う。永琳さんとその助手曰く、半人である以上妖怪と同じようにインフルエンザを回避はできないらしい。それでも人間に比べればマシなもので、丸1日ゆっくりと休養を取れば完治できるとのことだった。
だから幽々子さんもかなり楽観的で、妖夢さん自身も顔こそ赤いが――
「うう……申し訳ありません、幽々子様」
「まあ、流行に乗れたからいいじゃないの。うふふ」
「……それは何と返事をすればいいのやら」
――そこまで具合が悪い訳ではなさそうだ。
「でも、ちゃんと休まないと身体に毒よ。しっかり休むように」
「おだいじにどうぞ」
永琳さんがきっぱりと、助手の兎は笑顔で言い残し、白玉楼を去って行った。
残ったのは私、幽々子さん、妖夢さん。妖夢さんが布団で寝ているということは、ここは居間でなく妖夢さんの寝室らしい。
「それにしても……ごほごほ言ってたのは心労のせいじゃなかったのね」
「あら、私が妖夢に心労をかけるようなことしたかしら?」
「昨日自分で言ってたじゃないの」
「……ていうかいっぱいされてます」
「ま、ともかく」
幽々子さんはゆっくりと腰を上げ、扇子を顔の前に広げながら口を開く。
「妖夢、貴方は今日1日中寝ていなさいな」
「え……、でもそうしたら幽々子様は」
「私だって何もできない訳じゃないわ。貴方は安心してレム睡眠を取ること」
行きましょう、と幽々子さんは言って、それから寝室に背を向ける。
妖夢さんはなお心配そうな表情だったが、私も視線を逸らして、幽々子さんの後に着いていった。
「っていうのは嘘なんだけどね」
白玉楼、長廊下――
妖夢さんの寝室から少し離れて、それから幽々子さんの口にした言葉。結構唐突なタイミングに、私の思考は一瞬停止する。
「……え。何が」
「もうずっと料理とかしてないのよー。目玉焼きって何だっけっていう状態で」
「それは料理以前の問題だと思うんだけど」
なんというか、よく話が見えないのだが……ええと。
私が首を捻っていると、幽々子さんはいったん足を止めて私に振り向く。
「私って、こう見えてもお嬢様じゃない?」
「どうみてもお嬢様ね」
「だから家事育児は全部妖夢に任せてたんだけど、まさか肝心の妖夢がいんふる何たらになっちゃうとはねえ。うふふ」
いちいち突っ込まない……!
「……で。嘘ついたっていうのは、何の話よ」
「鈍いわねえ。ライトノベルの主人公かっ!」
「何そのキャラ」
「暇だとイメチェンをしたくなるものでしょう? ま、訊いてばかりじゃなくて自分で考えてみなさいな」
自分で考えろ、ねえ。
取りあえず、幽々子さんがついた嘘っていうのは『私だって何もできない訳じゃないわ』で。
適当に考えれば、私は何もできませんってことですか? 冗談気味に答える。
「何もできません」
ニッコリ。
……。
……正解って。
「というのも嘘だとしても」
「嘘かよ」
「全部1人でやるのも大変だし、だからといって幽霊達にやってもらうのも効率が悪いし。どこかに有能な代行庭師はいないかしらねえ」
そんなことを言われても、いないものはいないのだからしょうがない。それこそ、普段から従者をこき使っていたバチが当たったと思って諦めるしかない。と思う。
……。
……うん。諦めろ、西行寺幽々子。やめろ、何で私を見る。
「幽霊は効率が悪いし、『人型』にやってもらいたいのよねえ」
「あ、そ、そっかー。あはははー」
「『人型』、いないかしらー?」
「そ、そうだねー」
だから見るな、私を見るな西行寺幽々子……っ!
そんなガン見したところで、まさか私が代行の庭師なんてやる訳ないでしょ……っ!
◇
なりました。
私が代行の庭師になりました。
「おめでとう」
おめでとうじゃねーよ。……おめでとうじゃねーよ。
え、ていうか、これは明らかにおかしい。恐ろしい眼力に負け、気付いたら「私がやりますから殺さないで下さい」と叫んでしまったのは事実だが、そういう観点以外においても庭師なんて無理だ。
「いやいやちょっと待って。私、庭の手入れとかやったことないんだけど」
「ビギナーズラックに期待してるわー」
駄目だ、日本語が通じない。でも諦めたらそこで試合終了だ。
「料理とか美味しいもの作れないし!」
「美味しいものが必ずしも美味しいとは限らないでしょう?」なんでだよ限るよ!
「ほら、剣とか使えないから貴方を守れないわ!」
「『ペンは剣より強し』、っていうじゃない」
「ぶっちゃけると私Sっ気があるから従者とか向いてないんだよね!」
「あら、なら私はSSだから大丈夫そうねえ」
……。
なんというか、もう……
→あきらめる
「SSSっ気があるの間違いだったわ!」
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――――――――
――――
そんなこんなで人生初……白玉楼従者、姫海棠はたて。その1日がスタートした。
……してしまった。
午前8時30分――
のちのち考えてみれば、この元日は何とも散々であったように思える。
前哨戦である大晦日にはバッテリーを胃袋に収められ、年が明けると妖夢さんがインフルエンザに罹患。挙句、その埋め合わせに私が庭師をやらされると来たものだ。
元々取材をしに来た身である以上、これは大変おいしいイベントなのかもしれないが……いやでも、なんかなあ……
という訳で、現在私は代行庭師初の仕事――『朝食作り』に勤しんでいる。この時点で庭師じゃないですよねとか言っちゃいけない。
台所でお釜の蓋を開けると、むわりと塊になった水蒸気が私の顔を包む。妖夢さんが熱を出す前に炊いておいてくれたようだ。
また、二段式になっている木製の箱――その下段を開けると、そこには多くの卵が貯蔵されていた。勿論鶏の卵、形も滑らかな曲線系で美しい。
卵が悪くならないのには秘密があり、食料品を貯蔵する下段に対し、上段には氷が敷き詰められている。いわゆる木製冷蔵庫で、氷の冷気で卵を良い状態に保っているのだ。
「ほかほかご飯と新鮮な卵……」
この条件下、私は朝食の献立を思案する。――否、思案する必要も無い!
この2つが揃った時、あの朝食以外を選択する訳には行くまいに……っ!
「できたわっ!」
2つのお盆を両手に持ち、意気揚々と居間へ入る。
幽々子さんは湯気の立つ湯呑をゆっくりちゃぶ台に置き、笑顔で私に声をかけた。
「早かったわねえ」
「それでも、今日は正月だからね。かなり奮発したわよ!」
あらあらと苦笑交じりの表情を浮かべる幽々子さん、そんな彼女に見せつけるように――
私はお盆をちゃぶ台の上へ置いた。
お盆に乗った―― 一杯の白米と、美しい卵を置いた!
「お正月なので、卵かけご飯ですっ!」
そう、その正体は卵かけご飯!
正月と言えば? と訊かれた日本人が満場一致で答えるであろう『卵かけご飯』が今日の朝食だ!
一見シンプルなこの料理も、裏を返せば食材の味を楽しめる最高の料理! ご飯にかけてさえ来ないんですか、と批判されるかもしれないが、かけ方にも個々のこだわりがあると私が配慮した結果なのだ!
「……」
だからはいすいませんでした私が悪かったです正月っぽさなんてチャンチャラ無いですからその謝ったのでこのいけない沈黙を何とかして頂けませんか幽々子様。
彼女の視線はお盆の上に釘づけになっていた。ああもう、これ絶対怒ってる……
「……ごい」
「へっ?」
しかし、そんな彼女が発した第一声は。
「っ……すごい! すごいわ貴方!」
「え、ええ、えええ?」
「卵かけご飯なんて……っ、やだ、すごい感動」
謎の賞賛の言葉、それも物凄く取り乱した様子で震えを隠せずにいる。
この反応は私の予想の軽く3マイル先は行っており、珍しいものを見たという記者としての快感よりも奇異の感情が強かった。
要は結構引いた。
「ち、ちょ、これ……た、た……?」
「え、な、なに……?」
「た、たべ、食べても……?」
「いやあの……と、とりあえず落ち着こう」
「あ――――、こほん」
咳払いを1つ。口に袖を当て双眸を閉じ、時間をかけて心を落ち着かせる。
そして数秒後、そこに本来の西行寺幽々子が帰ってくる。いつも通りの穏やかな微笑を浮かべ、彼女の唇はゆっくりと動いた。
「……こ、これ、たたた食べても……?」
まだ帰ってきてませんでした。
◇
その後卵かけご飯を文字通りかき込んだ幽々子さんは、3杯くらいおかわりしたところでようやく口を動かすのを止めた。
顔いっぱいに幸せそうな表情を浮かべる彼女だが、それにしてもどうして卵かけご飯なんかでこんなに喜ぶのだろう。
そのまま幽々子さんに疑問をぶつけると、相変わらず充足感に満ちた笑顔で答えてくれる。
「私、卵かけご飯食べるの凄く久しぶりだったのよー」
「はあ」
「当たり前だけど、妖夢はこんな適当ずさん極まりない朝食を主に作らないでしょう?」
「喧嘩売ってるんですか」
「だから逆に、こういうやる気の無い朝食も食べてみたかったのだけれど。まさか今日食べられるなんて、流石はお正月ねえ」
なんか褒められてるようで煽られてるのは気のせいだろうか。
とはいえ、幽々子さんの浮かべる表情は満足たっぷりといった様子で。私は手抜き朝食を作っただけだが、それでも少しだけ嬉しく感じる。
「じゃあ、もう片付けるけどいい?」
「ええ。朝からいっぱい食べたら、胃がもたれちゃうものねえ」
「それ冗談で言ってるんだよね」
お盆を持ってすっくと立ち上がり、いっぱい食べた幽々子さんに背を向け台所へ向かう。
そのまま流し台で洗い物を始めたが、卵かけご飯で汚れた食器は茶碗と深皿くらいのもので、手早く10分ほどで終わらせる。
水道を止めて手を拭きながら戻ると、居間の時計は9時を指していた。
「お疲れさま」
「ん、ありがと……」
ちゃぶ台のそばに座る幽々子さんが、笑顔でお茶の注がれた湯呑を渡してくれる。
それを口にしつつ、私と幽々子さんは穏やかな時間を静かに過ごしていく――
「いやいやいやいや」
ちょっと待った。
「あら、何が嫌なのかしら。私の存在?」
「じ、自虐ネタ……じゃなくて。次の仕事とかは、無いの?」
「仕事が無いなら就活をすればいいのよ。ね?」
「……」
まともな質問にはまともな答えが返ってこない。知ってましたけど。
溜め息を押し殺しつつ、すこし違う角度から質問をしてみる。
「じゃあ……妖夢さんなら、いつもこの時間は何をしてるの?」
「妖夢なら、そうねえ。私に剣のお稽古をつけてくれるわ」
……。
早速、困った。
「まあ、いつも私は縁側でお茶飲んでるだけなんだけどね~」
何故か満面の笑顔を幽々子さんは浮かべるが、そんなことはどうでもいいのだ。
庭師『兼、剣の指南役』――そういえばそんなお勤めもあったっけ、とか楽観的に考えている場合では無い。庭師ですら全う出来るか怪しいというのに、剣の指南など言うまでもなく無理だ。
私が困った顔をしていると、幽々子さんが相変わらずの笑顔で口を開いた。
「まあ、鳥が剣の稽古をしても滑稽なだけだし」
「……ぐうの音も出ないわ」
「あいでんてぃてぃ? は個々にあるものだからしょうがないわー。そこでこの言葉の出番よ――『ペンは剣より強し』」
はい。
出ました。
無茶ぶりの象徴『ペンは剣より強し』出ました。
ククク……ペンソード、発動ッ! とか邪気眼なことやらせたいんでしょそうなんでしょ。
「やりたいならそれでもいいのよ」
「すいませんでした」
「そんなに深読みしないで、そのままの意味で取ってくれればいいのにねえ」
そのままの意味というと――それはつまり、そのままの意味ということだろうか。
“(ブルワー=リットンの作品により知られる)言論が人々の心に訴える力は武力よりも強い――広辞苑より引用――”ということだろうか。
……まさか。
……そんなことは無いとは思うけども、これはもしや私の新聞執筆時間にでも当ててくれるのか。
そんな私の心理を読み取ったか幽々子さんは不意に立ち上がり、くるりと一回転して私に背を向ける。
襖の前まで歩みを進めてから首だけを捻り、肩越しに私を覗き見て、言った。
「『ペンは剣より強し』……とはよく言ったものだから」
「……だから?」
「一緒にテレビゲームをやりましょう?」
にっこり。
この人は何を言っているのだろうか。
◇
午前11時――
「あら……また負けたわ」
居間の横に位置する、おそらくは多目的部屋にて。
『ペンは剣より強し』――これをそのままの意味で捉えた結果私達はテレビゲームをすることになったのだが、というか意味不明なのだが、なんやかんや2時間もテレビゲームをやり続けることとなり――しかし私は、一度の敗北をも喫すること無く現在に至る。
ゲーム名は『マリ○カート(意味深)』なるレースゲーム、ハード名は『スーパーワンダーコンピュータ(SWCとかスワコとかいうらしい)』。河童の技術によりこの部屋だけ電気を引き、テレビゲームが出来るようになっているとか何とか。どうしてまたそんなことを、……って、そりゃ暇つぶし以外の何物でも無いだろうけど。
「それにしても……下手糞ね」
「あら、言ってくれるじゃないの」
「っていうか、幽々子さんはいつもこのゲームやってるんじゃないの?」
「50cc以上になると敵が強すぎて勝てないのよー」
全部じゃないの。
「まあ、私もこのまま終わらせるつもりは無いけどねえ……ふふ」
「ほー、言うね。でも幽々子さんの実力じゃ一厘も勝つ可能性は無いんじゃない?」
お互い結構ノリノリに言葉を交わして、再び勝負の世界へ浸っていく。
テレビゲームのお誘いに初めは眉をひそめたものだが――なるほど、幽々子さんがハマる理由も少し分かる気がする。まあ、幽々子さんは私程度では想像できないくらい長く生きているのだから……暇を潰せれば何でもいいのかもしれないけれど。
あ、因みに。余ったコンセントで私の携帯を充電するのも忘れない。とうでん? え、何の話? 東京電力?
午後0時――
更に1時間追加でゲームをしていた私達だったが、結局私の全勝で終わる。
今日初めてゲームに触った私に3時間ぶっ続けで負け続けたのだから、相当なゲーム音痴さんなのだろう。
「ああ、流石に疲れた。こんなにゲームをしたのは初めてねえ」
「そりゃあ、3時間もやれば疲れるわ」
「いつもは妖夢が『1日15分だけ!』って言ってやらせてくれないのよ。過保護ね過保護」
「……自由を謳歌してるわねー」
これはまさに、しっかり者のお母さんと不満を抱える子供の構図である。子供との会話が殆ど成り立たなくてさぞ大変であろう。
「さて……もう12時か。お昼ご飯の時間だね」
「あら、いいわねえ。スポーツに汗を流してからのご飯だなんて、風流だわ~」
という訳で私達は居間へ戻り、幽々子さんがお茶を入れているうちに台所へ向かう。
朝に炊かれていたお米は幽々子さんが平らげてしまったので、何かそれ以外にお腹に貯まるようなものは――
「あら、お餅ね」
数分後。
台所で切り餅を発掘した私は、それを簡単に焼いて台所に持ってくる。
うん、まあ。なんと言いますか手抜きだけど、今回はお正月っぽいし。許して下さい。
「幽々子さんのは3つ、私のは2つ。足りなかったら言ってね」
「ふふ、3つもあれば十分よ。ま、腹八分ってところかしらねえ」結局どっちなのだろう。
箸で拾って醤油に付けて、それからゆっくりと口へと運ぶ。
――うん、普通においしい。幽々子さんはどうか分からないが、少なくとも朝食抜きが日常茶飯事の私には十分過ぎる食事だ。
私はチラと幽々子さんを盗み見る。何やかんや腹八分らしいし、そもそも美味しく焼けているだろうか。
「……」
……ん?
……幽々子さんの様子が、なにかおかしい?
「……幽々子さん?」
私が呼びかける幽々子さんは、しかしピタリと動きを止めたまま返事も寄越さない。
これはまさか……やらかしたか。手抜き昼食なうえに味も不味いなんて、もはや従者としては駄目駄目である。いる意味なんて限りなく存在しない。
「……」
しかし、奇跡でも起きたか――その憶測は外れであったようで。幽々子さんは俯き気味だった顔を上げると、その表情に笑顔を作り上げる。
それから手近のメモ帳を取ると、美しい筆さばきで文字を書いていく。むう、こんなでも流石はお嬢様……記す文字は滅茶苦茶達筆だ。
見とれているうちに、やはり彼女は黙ったまま筆を置いた。それからメモ帳を両手で掴み、これまたにこやかに――書いた内容を私へ見せた。
お餅が喉に詰まりました
「おい」ガタッ
何だこの亡霊は、餅が喉に詰まっててどうしてそんなに笑顔なんだ。いや、確かに死にはしないだろうけど、それでもお餅が喉に詰まるのはやばい。
というか、そんな突然喉に詰まった旨を報告されても、私は一体何をすればいいんでしょうか……
1.背後から鳩尾へ両腕を回す
2.両指を交互に組む
3.思いっきり鳩尾を叩きつける
どうしようもなくおろおろしていた私に、幽々子さんは極めて事務的にメモを見せてきた。……この対応、絶対今回が初めてじゃないな……
しょうがないので幽々子さんの指示に従い、鳩尾付近を強く叩きつける。幸い力のコントロールは完璧で、叩きつけてからすぐ幽々子さんの喉で嚥下の音が鳴る。
「……」
「……だ、大丈夫?」
「――んん。ぷはあ、生き返ったわー」
渇いた喉に冷たい水を注ぎこんだときのようなテンションである。
「……というか、詰まったときの対応がやたら冷静だったけど」
「まあ、初めてのときは少し焦ったけど。息しなくてもなんともないしねえ」
「お餅詰まらせ熟練者……」
「あら、でも今年は初めてよ? 初詰まらせ――縁起でもいいのかしら」
ああもうおかしいこの人は絶対におかしい。聞いてる私もおかしくなりそうだ。
しかもその後、幽々子さんはおかわりにおかわりを重ね――実にお餅10個を平らげた。
圧倒的……食欲……っ!
◇
昼食を終え、穏やかな午後はゆっくりと通り過ぎていく。
午後1時――
幽々子さんから「次はお庭の手入れねえ」という言葉を受け、いよいよ庭師としての仕事が始まる。なんというか緊張する仕事だ、間違えて切り過ぎたなんてことになったら取り返しがつかない。
幽々子さんからは中庭に来るよう言われていたので、洗い物を済ませてからそちらへ向かう。白玉楼庭園の中でも唯一公開されていないという中庭――私のような初心者界の初心者が立ち入っていいのかすら分からない場所だ。
本当、こういうリアルなところまで無茶ぶりしてくるなあ……
「あら、こっちよ」
長廊下を暫く歩いた辺りで、幽々子さんが私に声をかけてくる。それに従って彼女に近づくと、彼女の背後に見える中庭が――私に荘厳な威圧感を与える。
「うわあ……」
なんというか……ぶっちゃけ全然分かんねえ……
こういう抽象的な感じの芸術は、私に「?????」以外の印象を与えてくれないので反応に困る。強いて言うとしても『岩と植木と時々カコン』としか言葉に出来ない。というかあの竹でできたカコン、なんていう名前でしたっけ。
「ふふ、このお庭すごいでしょう? 貴方はどこが好き?」
そんな心中を見透かしてこの亡霊は……っ!
適当なことを言って誤魔化そうかと思えど、その適当なことすら思い浮かばないのだからオワタの顔文字だ。仕方ない、時間稼ぎのオウム返し作戦を発動しよう……
「逆に、幽々子さんはどこら辺が好きなの?」
「私? 私はそうねえ、あの岩を見て欲しいのだけど」
「えーっと……池の近くにあるあのでっかいやつ?」
「そうそう。あの岩の形……なんだかお饅頭みたいで美味しそうよね~」
なんだー! この人も理解してないじゃないですかー!
回答の方針が決まった。食べ物で攻めれば問題ないっぽい。
「それで、貴方の好きなところはどこかしら?」
「ええと、あの植木かなあ。なんかブロッコリーみたいで美味しそうじゃない?」
「それはちょっと目のお医者さん行った方がいいかもねえ」何でだよ!
と、不毛な会話はこれぐらいにして……早速、幽々子さんの説明を受けることとなる。
幽々子さんはまずじょうろを取り出して、近くの水道から水を汲んだ。たぷんと重そうに音を鳴らせて、ハスロを上向きにしながら私に手渡してくる。
「わっ……と。重いー……」
「ふふ、まずはお水をあげましょうか。植物にとっての命綱よー」
「盆栽ってなんかこう、水をあげなくても生きてそうなイメージあったけど違うのね」
「何かカサカサしてるものねえ。実際、土以外に水をかけちゃいけないの。お花が傷んだり、凍りついて駄目になっちゃうから」
「へえ」
珍しく幽々子さんからいい話を聞いている。
「って妖夢が言ってたわー」
ですよねー!
取りあえず、盆栽にお水をくれる作業を始める。白く乾燥した土にたっぷりと水を注いでいき、これを何度も繰り返す。大体20分ほどで、全ての盆栽植木に水をくれることが出来た。
「お疲れさまー。失敗は無かったみたいねえ」
「ふう、まあ水くれくらいは出来なきゃ。それで、次は?」
「これで、おしまい」
……。
おしまい?
「え、……え?」
「さあ、居間へ戻りましょうか。外は寒くて居心地が良くないわー」
「ちょ、ま、庭師って、えっこれだけ?」
「妖夢はいつも、ちゃんとお手入れしているけれど。まあ今日くらい放置しても問題ないでしょう」
「じゃあ私は……」
「初心者がお手入れしたら盆栽がモヒカンに成りかねないものねえ」
ですよねー! ……ですよねー。
午後1時30分――
「さて、暇になっちゃったわねえ」
「いつもこの時間は暇な時間なの?」
「妖夢がお庭のお手入れをして、私はそれを見てるわ」
「……はい、すいません」
いや、うん。しょうがないよね。私は魂魄妖夢じゃないからね。
とはいえ、普段は3時まで庭の手入れをしているということで、1時間半程やることが無くなってしまった。まさかテレビゲームばかりやる訳にもいかないし、ううむ。
……いやいや、何を悩んでるんだ私は。
私が白玉楼に来た理由は庭師じゃないだろうに。
「んん。それでは……幽々子さんにお聞きしますが」
そう――私は『取材』に来たのだ。コミュ障の心を意地で奮わせ、記者の立場で白玉楼にお邪魔したのである。
しかし幽々子さんは『・・・。』という顔をする。
「……会話の主語が無い人ってよくいるわよねえ」
「これから主語を作るんだってば」
「『明日から本気出す』ってやつね」
「違います」
「ま、訊きたいこととやらを聞かせてもらいましょうか」
会話の軌道に乗せるのも一苦労だ。それはさておき、さて何の話から聞いていこうか。
初めはやっぱり……あの話だろう。
「幽々子さんは……言葉遊びというか、人をからかうのが好きなみたいだけど」
「はい」
「そういうの、えーっと……やっぱり、好きなの?」私は何を言ってるのだろうか。
意味不明かつ支離滅裂なゴミクズ質問だったが、幽々子さんは笑顔で言葉を返してくれる。
「どうしてアルツハイマーみたいな発言ばかりするのかって訊きたいのね?」
「そこまで攻撃的な質問じゃないんだけど……」
「そうねえ……どうしてって言ったら、暇だからかしらね」
暇だから――ね。なるほど。
やはり、長い人生において『暇つぶし』ほど重要なことは無いのだろう。人間に比べれば長い命を持つ私も、妖怪の中ではまだまだ赤子レベルであり、未だそういう感覚には至ってはいない。
ただ、妖怪の中でも老練した者というのは決まってこう言うものだ。なにか面白いことは無いものか、と。
……もう少し、この話題を掘り進められる気がした。
「じゃあ。幽々子さんにとっての『暇』は、どんな基準?」
「行動の方向性が定まっていないとき。東西南北どの方向へ行けば良いのか、行ってそれからどうするのか。これが分からなければ何もすることが出来ないし、そもそも何をすれば良いのかも分からないわ」
ふうむ。暇とはする事が無いさまを表現する言葉だが、言い換えればベクトルが定まらないという意味にも成り得るということか。
おそらく幽々子さんの場合は、日常の1コマ1コマのような細かい事象を言っているのでは無いのだと思う。もっと長期に、気の遠くなる程の長期に渡って、自分が何を目指していくのか――……
更に私は問う。
「暇になることは、辛いこと?」
「辛いことだけれど、それは自分次第でもあるはず。方向性を自分で作れない者が暇という言葉を使ったところで、それはお笑い草よねえ」
「じゃあ幽々子さんは自分で方向性を作ってるの? ……って、それは訊くまでも無いね。じゃあ、今その方向性に幽々子さんは満足してる?」
「もちろん」
「ずばりその方向性とは?」
「『魂魄妖夢』」
……!?
それは……どういうことだろう? 余りにも予想外。心の片隅にさえ、その答えが返ってくることを予想していなかった。私は幽々子さんの顔を見る。いつも通りの穏やかな笑顔を浮かべている。
「……妖夢さん? それは、どういう?」
「そのままの意味なのだけれど……難しいかしらね。ゆっくり話していく事にしましょうか」
幽々子さんは正座していた足を崩す。私も――とは思ったが、それよりもこの後に続くであろう幽々子さんの言葉に意識を奪われ過ぎていて。結局、正座のまま彼女の言葉を待つ。すぐに幽々子さんも言葉を紡ぎ始める。
「あの子は、まだまだ未熟よ。庭師としても剣士としてもまだまだ先代に遠く及ばない。まあ、妖夢もそれ自覚しているみたいだけどね。だからこそ苛めると面白いの、ふふ」
「ああ、悪い顔悪い顔」
「最近は結構口を利くようになったけどねえ。それはそれで面白いわ」
あれだけ意味の分からないことを言われて、なお口を利かない人なんて聖者くらいなものだと思う。まあ、それは脇に置いておいて。
今幽々子さんの口から『面白い』という言葉が2度出てきた。それはすなわち暇つぶしにおける必要条件の1つだが――彼女が言う方向性の全てを表すものではない。そう思う。
実際、幽々子さんの語り口もこれで終わりでは無かった。
「未熟な者には確かな方向性があるわ。特に妖夢は、一人前になることに対してのひたむきさと貪欲さを持っている」
「……確かに、努力家ってイメージはあるけどね」
「先代は全ての物事をそつなくこなせたけれど、そういう意味では退屈な奴だったわねえ。だから妖夢を見ていると面白い。失敗は多いけれど、その失敗からさらに多くのことを吸収しようとする姿勢は方向性そのもの。だから妖夢といると暇しないわ」
確かな目標を、目的地を持って妖夢さんは前に進んでいる。その方向性はたった1点だけを向いて、幽々子さんが持つ当面の方向性にさえ影響を与えている。
それならば、妖夢さんが思い描く目的地とはなんだろう。彼女の持つ確かな目標とはなんだろう。
私には、答えが見える気がする。
「……その方向性は、幽々子さんに向いているんじゃないの?」
妖夢さんが――魂魄妖夢という存在が進む方向性に、主である幽々子さんが要因の1つとして関わっている。彼女のひたむきな心が向く方向には、果たして幽々子さん以外の存在があるだろうか。
私が発した最後の問いに、幽々子さんは答えなかった。ただ静かに笑って、うやむやな昼下がりの空気にその全てを溶け込ませていく。
◇
午後6時――
取材を重ねておやつを食べて、その後夕飯の買い出しを命じられた私は、外は既に真っ暗闇のこの時間にようやく帰還する。
買い出し内容は「お夕飯に合わせて買ってきてね」と幽々子さんに言われたので、鍋の具材を多く購入してきた。つまり今日の夕食は鍋である。サボリジャナイヨ!!
「……」
それにしても。私は数時間前に交わした、幽々子さんへの取材を未だに忘れられない。
最後は流れるままに誤魔化されてしまったけど、しかしあの笑顔が意味するものは――なんなのだろう。それは難しいことではなく、幽々子さんは妖夢さんの気持ちに気付いているということなのか。
「手伝いますよ」
思考に浸りこむ中で――不意に、背後からそんな声が聞こえる。振り向くと、寝間着の上から肩かけを着た妖夢さんが立っていた。
その顔色は大分良くなっていて、流石は半分人間じゃないだけあるということか。……っていやいや。
「手伝いますよって……まだ寝てた方がいいんじゃないの?」
「もう大丈夫ですよ。熱も平熱近くまで下がりましたし、何よりじっとしている方が落ち着けないです」
「働き者の陥る職業病だね……」
しみじみと語る。恐らく私が未来永劫罹らないであろう職業病は、いわゆる成功者だけが持つ特権とも言える。類似例には『ぽけるす』とかいうものもあるらしい。
どちらにせよ、人手が増えるのは好ましいことだ。これで夕食の準備も迅速になる……いやまあ、鍋の具材を食べやすく切るだけなんだけど。
妖夢さんが私の横に立ち、確かな手つきで包丁を取る。構えたところで一旦手を止め、私の顔へ視線を動かした。
「ところで……今日1日、私の代わりに庭師をやって頂いたと聞きました」
「やらせて頂きました」
やらされて頂きました。
そう言葉を返すと、妖夢さんは1つ謝罪とお礼をして、それから心配そうに表情を変える。
「それで……剣の稽古とか、何とかなりましたか?」
「いや、ええと、うん。テレビゲームやってたし」
「えっ」
えっ、と言われましても。……私は悪くないですよ?
私の顔で視線が硬直してしまった妖夢さん。何度か瞬きを繰り返して、もう一度唇を動かす。
「じ、じゃあお昼ご飯は」
「喉に詰まらせながらの切り餅10個」
「えっ」
「お庭の手入れとか水くれただけだし」
「えっ」
度重なる私の追撃を受けて、瞳を見開いたまま閉じなくなってしまう妖夢さん。……何だか申し訳ない気分になってきた。
罪悪感のままに、ことの詳細を説明していく。驚愕は次第に呆れへ変わっていき、妖夢さんの視線が私の顔面にぶすぶす刺さる。
「それでも……幽々子様のお相手は大変でしょう?」
丸みのある妖夢さんの口調。見え隠れするのは同情の色か……いや、従者は自分以外に勤まらないという自尊心の表れか。
「まあ、私なんて相手にすらしてもらえないタイプの人だよね、幽々子さんは。妖夢さんにしか勤まらないことがよく判ったわ」
実際その通りな話で、妖夢さん以外にあの幽々子さんの相手が勤まる者はいないだろう。何だか相思相愛なみたいだしね。
私の意味深な笑顔に、妖夢さんは首を傾げつつも頬を少しだけ掻きながら言葉を返す。
「私だって勤まっているか不安ですよ。いつだって幽々子様を退屈にしないよう頑張らないといけませんから」
「んー、まあ大丈夫なんじゃないの」
「だいじょばないです。今だって、幽々子様にはご迷惑をかけていますし……はたてさんにだってそうでしょう?」
……んー?
「そんな固くなることじゃないと思うけどなあ。私だって迷惑とは思ってないし、幽々子さんなら尚更でしょ」
「はたてさんはまあいいにしても、幽々子様はいけません」
「おい」
「普段から、私が未熟なせいで迷惑をかけてるんです。幽々子様は優しいから見守っていてくれるだけで、先代に比べれば……って思っていらっしゃると思います。だから私は、一刻も早く一人前にならなければいけない」
え……ええと。この際私の扱いが粗雑なのはよしとして、少し状況を整理しよう。
幽々子さんは、少しずつ成長していく妖夢さんのひたむきな心、それが作る方向性に注目している。妖夢さんは成長の遅い未熟な自分に不満を持っている。
幽々子さんは、固い人物だったという先代よりも、妖夢さんの方が優れている部分があると認めている。妖夢さんは、幽々子さんが先代と自分を対比していて、不満を持っていると思っている。
……。
これは……。
「幽々子様の望まれるような庭師になる為、私は精進を重ねなければいけないのに……このようないんふる何たら如きで倒れるとは、情けなくて顔向けができません」
「いや、ちょ、妖夢さんちょっと待って」
「自分の管理すら出来ない者が、果たして主人を守ることなど出来ましょうか?」
「話聞けよ」
「いいや出来ない!」
「反語……!」
……確定的だ。妖夢さんは幽々子さんのことを勘違いしている。
幽々子さんが妖夢さんを想う気持ち、それを間違った受け取り方で妖夢さんは取っている。従者として過信しない心がけは良いことなのかもしれないが……ここまで逆のことを考えていると、寧ろムズムズしてくるのは私だ。
「と、取りあえず私の話を聞こうよ」
「はい」
少々暴走気味な妖夢さんを制して、今度は私が口を開く。
「こうなんというか……未熟なのが嫌なら、私なんかを代理の庭師に指名したりしないと思うんだ」
「それは……私が未だに一般人と同じレベルということでしょう」
「どうしてそうなるのよ」
「仮にそうであったとしても……今日は確実にご迷惑をかけてしまった。はたてさんが起きたとき、竹林の薬師が診察に来ていたでしょう? あれは幽々子様が、自らの足で呼んできてくれたんです」
「あー……それは確かに驚きね」
「病気になるだけでは飽き足らず、主人の手間をかけさせるような従者はこの世にいません。たとい幽々子様が悪く思っていなくても、私がその優しさに甘えていては――いけないんです」
それも……違うだろう。妖夢さんの急病で、幽々子さんが医者を呼ぶことに手間を覚えなどするだろうか。しないはずだ。妖夢さんが言う『優しさ』も、妖夢さんの考える『優しさ』では無いと私は思う。
どちらにせよ、私がなんと言って変わることでは無いのかもしれない。妖夢が向かう方向性の先には幽々子さんがいて、そのひたむきさ故の勘違いなのだから、それを変えられるのは――幽々子さんだけだ。
切り終えた鍋の具材を、妖夢さんは丁寧にまとめている。その瞳には寂しさは無い、ただ自分を不甲斐なく思う自嘲的な色と、どこか諦観的な色も見えた。
◇
午後7時――
ぐつぐつと音を立てて煮える鍋を持った私と、その横にいる妖夢さんを見た幽々子さんは―― 一瞬驚いてから、にわかに苦笑した。
「あら、妖夢。いんふる何とかはもう時代遅れ?」
「ええ、あれはバブルの遺物です」
「バブルってなに、泡か何か?」
妖夢さんがもう起きていることに、幽々子さんが叱責しようという様子は無かった。元々自由奔放な亡霊だから、従者にも放任主義で通しているのだろう。
私は鍋を鍋おきの上へ置いて、3人分の深皿をそれぞれの前に渡す。早速と幽々子さんが自分の皿へ取り分けようとしたとき、「あら」とこれまた驚いた様子で呟いた。
「これは……みぞれ鍋じゃない。洒落てるわねえ」
「でしょー? 私もサボってばっかじゃないのよこれが」
「私が手伝うまでは普通の鍋を作ろうとしてましたよね」
こんなにも美味しそうなのに、細かいことを気にしてはいけないのである。
という訳で、私も今は細かいことを気にしないで――この冬らしい鍋を頂くことにしよう。
「さあ、貴方達も食べましょう? いただきます」
「いただきます」
「いただきますっ」
すっかりと空になった鍋をひっ提げ、私は単身台所へ向かう。食器を全て流し台に落とし、洗剤を含ませたスポンジをもしゅもしゅと泡立たせる。
妖夢さんは自分も手伝おうと申し出てきたが、私が『病み上がりにこれ以上は悪い』と丁重にお断りしたのと、幽々子さんが『妖夢は今無職だからいいのよー』と援護したことで不満ながらも居間に待機してもらった。
私としては、初めて幽々子さんと意図が一致したことに大層驚いたわけだが……まあ、そんなことはどうでもいい。
「……どうしたものかなあ」
泡立てたスポンジで食器を擦りながら、頭を悩ませるのは2人のことだ。私には関係ないこと、と言ってしまえばそうなのだが、しかしどうにもムズムズしていけない。
どうすれば妖夢さんが幽々子さんの想いに気付くか――といえば、やっぱり幽々子さんが行動を起こさなければならないのだろう。しかし、彼女が行動を起こすつもりがあるかといえば、それは多分ないと思う。
あくまで恋愛感情からは外れた想いであること、故に発展という概念が無い以上、それは当たり前のことかもしれない。ただ、幽々子さんの優しさを妖夢さんが取り違えていること――私の性質では、どうしてもこれが見逃せないのだ。
「はあ……」
食器洗いを終わらせ、溜め息をつきながら居間へ戻る。悩みの種は、『どうすれば幽々子さんが行動を起こしてくれるか』に変わっていた。
行動と言っても、たった一言で構わないのだ。妖夢さんの誤解を解けるような、たった一言で――
「……あれ、いないし」
思案しながら居間に入ると、そこはすっからかんになっていた。2人ともどこかへ行ってしまったのか、どこにも姿は見えない。
まさか、とは思いつつも午前中にゲームをした部屋を覗く。灯りは無い。まあ、そうですよねー……
――と。暗闇の中に点滅を繰り返す何かが、わたしの視界に入ってきた。怪訝に思った私が、その何かに近づく。しゃがみ込んで、床に落ちているそれを拾い上げる。
私の携帯だった。すっかり忘れていたが、午前中にさり気なく充電しておいたんだっけ。点滅を繰り返しているのは、放置している迷惑メールの受信を伝えているのだろう。……そろそろアドレス変えようかな。
「……携帯無くても、割と暇しないのね」
そういえば、今日起きてから今に至るまで一度も携帯を開いていない。忙しすぎて開く暇が無かった、という訳でもない。存在を忘れていたという方が正しいだろうか。
あまり文化的な生活だった記憶は無いが、でも、そういうことなのだろう。案外、私も携帯を不必要に思えてくる日が来るのかもしれない――
「……いや、これだ」
違う。不必要なはずは無い。
この携帯は何に使うものか、それは暇つぶしなどではないはずだ。
私はこの携帯で『取材』をするのではないのか。
「……これしかない」
私は結局『取材』しかすることが出来ない。でも、『取材』だけならすることが出来る。
私が今、この状況を変えようというのなら、手段はたった1つ。それ以外に道は無い。私は『取材』で――幽々子さんの気持ちを引き出す。
午後7時――
障子を開けて長廊下へ出ると、空の遠い闇から雪が降っていた。正面にある塀の屋根には既に積もっていて、随分と前から降り始めていたことが分かる。
これだけの雪なら、あの場所は大層美しい雪化粧を纏っているのだろう。2人も今頃はそれを楽しんでいるのかもしれない、そう思って中庭へ向かうと、やはり2人の姿がそこにはあった。
「あら、遅かったじゃないの」
「何も言われてないんだけど」
「私がお伝えしようかと思ったのですが、幽々子様が『まあ来なくてもいいんじゃない?』と仰られましたので」
「おい」
「American jokeってやつを試してみたの、ふふ」謎のネイティブである。
2人は中庭を臨む縁側に座っていた。その間には、ずんと存在感を見せる1本の酒瓶。なるほど、雪見酒とは洒落ている。だからハブらないでね。
私も並んで腰かけると、妖夢さんがおちょこにお酒を注いで、私に手渡してくれた。「ありがとう」と受け取って、舌を潤わせるように一口。
「くう……身体が温まるわ」
「まあ、お酒は一時的な気休めにしかならないみたいだけれどねえ」
「へえ」
「雪山とかで遭難したとき、お酒は逆に寿命を縮めるらしいわー。だから遭難したときは辛い物を食べた方がいいんですって」
「ほお」
「だから妖夢、ちょっと唐辛子を一気食いしてみましょうか」
「何でですか」
雪と無駄知識と無茶ぶりを肴に、私達はちびちびと飲み続ける。会話と共にお酒も弾んでいく。
思わず『取材』のことを忘れそうになっていた私だったが、少しだけ紅潮した妖夢さんの顔を見てそれを思い出す。程よい酩酊は本音を引き出してくれる、まあ本音を引き出すのは幽々子さんだから関係無いのだけども。
「んん。それでは……幽々子さんにお聞きしますが」
先程のインタビューを模倣して、私は言葉を上げた。妖夢さんは「突然何を」という顔で呆然としていたが、2度目の幽々子さんは小さく笑顔を見せた。
「またまた、唐突ねえ」
「インタビュアーはいつだって唐突だよ」
「おふたりとも、一体何の話をしていらっしゃるのでしょう」
首を傾げて問いかける妖夢さんはこの際横に置いて、私は最初の質問へ移っていく。どのようにして幽々子さんを誘導していくか、その入り口は重要だ。
少しだけ考えて、それから私は口を開く。
「今日1日、私が庭師をした感想は?」
……まあ、答えは分かりきっているけど。妖夢さんと対比されるべき私の話題をまずは持ち出してみようと考える。案の定、幽々子さんは即答だった。
「それはもう、ひどいものだったわねえ。特に、立場をわきまえずゲームに連勝してしまうところとか」
「根に持ってたんだね」
「ていうか剣のお稽古をしてくださいよ……」
妖夢さんの溜め息が1つ落ちた。まあ、私が剣の稽古なんてしたら両腕切断とかなりそうだし……ねえ?
と、少々話題が逸れそうだ。しっかりと軌道修正をしていく。
「それじゃあ次の質問。妖夢さんと比べて私はどうだった?」
またもや分かりきった質問だけれど、今度はハッキリと妖夢さんの存在を絡めていく。妖夢さんの呆れた顔も少しだけ緊張感を帯びて、幽々子さんの答えを待つ。
幽々子さんは「そうねえ」と1つ呼吸を置いてから、やはり同じような回答をした。
「貴方と妖夢を比べたら、99:1くらいで妖夢の勝ちかしらね」
妖夢さんがほうと息をついて、少し表情も柔らかくなる。
「それはそれは……でもまだ比べ物にはなるのね」
「まあ、妖夢は半人前だからねえ」
「私が庭師として妖夢さんに代わる日も……?」
「代わりたいならどうぞ」
「やっぱいいです」
今日何度目か分からない茶番に、みんなで笑いあう。妖夢さんも笑顔でおちょこを傾けて、頬の赤みもだんだんと増していた。
そろそろかなと、思う。……いいや、今しかない。私の3つ目の質問は、直球で攻める。
「なら……白玉楼の庭師は妖夢さん以外に居ない?」
和やかな流れに乗せて、自然な調子に言葉を紡いだ――つもりだったが。
幽々子さんは一瞬、きょとんとした表情で私を見つめた。妖夢さんも少しだけ呆けたような表情になる。
……露骨すぎた、だろうか。流れていた雰囲気も滞留して、それが代わりに沈黙を生み出す。
しかし、幽々子さんが次に浮かべたのは――笑顔。いつもと何も変わらない、私が今日何度も見てきた、そんな笑顔で――口を開いた。
「もちろん」
妖夢さんの表情が、驚きのそれに変わっていた。口は開いたまま塞がらず、視線は幽々子さんの笑顔に釘付けとなっている。
ほんの小さな前進だけど、私には突破口の光に見える。まだ足りない、もう一歩――あと一押し。
「妖夢さんと一緒に過ごす生活は……どう思う?」
私自身、緊張でまともに言葉を選べていないかもしれない。でも、もともと会話における語彙能力なんて貧困の貧困だ。どうせ変わらないなら、このまま直球を貫いてみせる。
私の言葉に妖夢さんは、一瞬何かを言おうと身を乗り出して、止めた。幽々子さんが同じタイミングで、その唇を動かしたからだ。
「私と、妖夢?」
「うん」
「そうねえ……」
一度口を閉じて、横に置いたおちょこを手に取った。ゆっくりとお酒を口に含んで、ゆっくりとお酒を口で泳がせて。こくんと飲み込む音が聞こえると同時に、縁側の木板におちょこを置く音が鳴って――
「妖夢といると、楽しいわ」
ハッキリと、でも囁くような声で――幽々子さんは言った。
不意に、冷たい風が音を立てて吹き荒れる。壁に囲まれた中庭に、その風は吹き込みさえしないものの。冬の冷え込みが浸透するかのように、私達の間へ再び沈黙が訪れた。
取り繕う妖夢さんが、落ち着かない両手でおちょこを傾ける。私も、ことが上手く運んだ達成感など微塵も存在しない。ただ、幽々子さんが次に発する言葉を待つだけ。
「妖夢は、どうしようもなく、未熟よねえ」
しかし、幽々子さんが口を開いて出てきた言葉は――そんな言葉。
「……え?」
思わず声の出てしまった私を尻目に、幽々子さんは尚も続ける。
「妖夢はもう、駄目駄目の未熟未熟ね」
「未熟未熟って」
「剣の腕は未熟、ゲームの腕も未熟、盆栽の腕も未熟。未熟未熟の玉手箱状態」
「いや、え、ちょ、幽々子さん?」
な、何だこの展開。あの空気だったら、幽々子さんが妖夢さんをべた褒めして妖夢さんが幽々子さんの想いに気付いてハッピーエンドのアルバムが出てくるパターンじゃないのか。
幽々子さんの饒舌かつ辛辣な批評に、妖夢さんも説教される子供のように縮こまってしまっている。どうしてこんなことに……
「『カワイイは、罪!』と同じで『未熟は、罪!』よ、それは妖夢も分かっているでしょう?」
「……はい、分かっています幽々子様」
「でもここで、こんな公式も成り立つわ。『カワイイ=罪――① 未熟=罪――② ①②より、未熟=カワイイ』」
「幽々子さんは一体何を言ってるんですかね」
緊張感は既に吹き飛んでいた。私も頭上に『?』を浮かべていれば、妖夢さんも頭上に『?』を浮かべている。そんな中で、幽々子さんだけは笑っていて、
「そんな妖夢が、私は好きよ」
そんなことを、言うのだ。
「……え?」
膝に手を当て俯いていた妖夢さんが、変な声を出しながら顔を上げた。
幽々子さんは口元に袖を当てて、妖夢さんを真っ直ぐに見つめる。
「未熟ゆえに努力しようという心がけ。一人前になって、一刻も早く主人へ尽くそうという、ひたむきな忠義心。完璧な従者から、その美しさを覗くことは出来ない」
「……幽々子様」
「私は今の貴方が好きよ。今の貴方といるからこそ、私の生きる今が成り立っている。だから貴方といると、楽しいの」
穏やかに言い切った幽々子さんは、ゆっくりと双眸を閉じて――自分の左肩を、妖夢さんの右肩へ預ける。妖夢さんはおちょこを両手で持ちながら、少しだけ頬を赤らめていた。
それはお酒のせいなのか、病み上がりなせいなのか。それとも――
カシャリ
「……?」
「あ……」
シャッターを切る音が、不意に鳴り響いた。幽々子さんも妖夢さんも、その音に反応して怪訝な表情を浮かべる。
私も一瞬、何の音なのか分からなかった。ただ、その音が自分の手元から鳴った音だということは分かった。
ゆっくり視線を落として、私は自分の手元を見る。そこには握られた携帯電話、そして――画面には『保存しました』という一言の表示。
カメラ機能を閉じて、データBOXを開く。フォルダからたった今の写真を探して、それを開く。
「……あら、良い写真じゃないの~」
「こ、これ新聞に載るんですか……?」
「え、あ、うん……多分」
いつの間にか覗き込んでいた2人が、そう言葉をかけてくる。
でも、そんなつもりで撮った写真では無い。気付いたときには、私は既にシャッターを押していた。ただただ、私の手は自然に動いていた。
妖夢さんはしばらく困った顔で写真を見ていた、しかし私の耳の横で小さく笑ったと思うと。
「でも……いい写真です」
幽々子さんは文句なく、妖夢さんは少し苦笑して、そう評するような。
花果子念報、次号で一面写真になるであろうそれが――そこには写っていた。
◇
雪が止んで、風も穏やかに収まった。冥界の夜に静かな闇がうごめいている。
白玉楼の玄関で、私はゆっくりと靴を履いた。立ち上がって、玄関の戸を開けて、それから一度2人へ振り向く。
「それじゃあ……ここらでお暇させてもらおうかな」
「ふふ、もう帰るの? あと30年は修業しないとまともな庭師にはなれないわよ~?」
「なりません」
「今日は、お手間をかけさせて申し訳ありませんでした」
「んー。まあいい体験になったわ」
謝罪する妖夢さんからは、夕食前のような自嘲の色は感じられない。幼稚で拙くて、恐らく幽々子さんも付き合ってくれただけなのだろう――そんな駆け引きでも、もしかしたら思うところがあったのかもしれない。どちらにせよ、私が立ち入れるのはここまで。あとはおふたりの幸せを祈るばかりだ。
外に出て、私は1人空へ飛び上がる。中空で振り返ると、手を振る幽々子さんと微笑する妖夢さんがいる。
「改めて、お世話になりました」
「また暇だったら来て頂戴な、元気な妖夢が超魔術を見せてくれるらしいわ~」
「できません」
「じゃあ、次までの楽しみにしておくかなー」
「できませんよ」
最後まで白玉楼らしい会話に、私も気付かないうちに笑顔になる。あまりだらしない笑いを見せていてもいけないなと思って、私はくるりと背を向けた。
曇天で月の無い暗闇へ、私は上昇していく。少しずつ遠ざかって、もう2人が見えなくなりそうになった――
「あ、卵かけご飯――また作ってね~っ」
――その声が、幽々子さんが大きく張り上げた声が、夜の空気に乗って聞こえたのはその時だ。
私はまた、だらしなく笑った。誰にも見られていないから、遠慮なくそれをさらけ出した。幽々子さんが、卵かけご飯の為に声を張り上げたなど、私と妖夢さん以外で誰が知っていようか?
「どんなことを書こうかなあ……ふふ」
完全に白玉楼も見えなくなって、私は1人思いを巡らせる。今日1日で知った――幽々子さんの、妖夢さんの、今まで見えなかった部分。それを記事に、私が自分で書いた記事に。
考えるだけで胸が高鳴る。これまで書いてきた新聞とはまったく違う、念写ではない本当の取材で書かれた新聞。あんな妄想新聞しか書けない文の言葉でも、今は少しだけ分かるところがある。
「『取材――それは体当たりが一番!』。……だよね、射命丸文さん?」
やっぱり、笑いが止まらない。
取材――それは体当たりが一番! とは文から学んだことの1つだが、『空き巣@家主在宅』もその一環であるとは斜め上の発想であった。
おかげ様で私は『善意の福袋提供品』の名の下、イヤホンと充電コードさらには代えの携帯バッテリーまで提供。なるほど、確かにこの方法なら泣き寝入りへ持ち込める可能性も高い。お正月の陽気な心もそれを後押しして、博麗福袋は豊作安泰――
いや。
いやいやいや。
「あの」
文と霊夢さんにパクられたのは『イヤホン』『充電コード』『代えバッテリー』の3つ。
うち、イヤホンはいい。まだいい。にしても充電コードと代えのバッテリーまで略奪されて、どうやって携帯を使えというのだろうか。
蘇るのは若かりし頃の記憶。電源の落ちた携帯をバットに野球をしていたら、アウトローばかり攻められて4打席4三振だったっけ。
そ ん な こ と は ど う で も い い。
「あぁぁぁっぁああああああやぁあぁぁああああああああ!!」
奇声を上げてボロ家を飛び出し、妖怪の山を遥か眼下に見捨てる。
高速で飛行し向かうのは博麗神社。今宵は年越しの夜、二年参りの付合せに博麗福袋を売りつけるとか言っていたから絶対そこにいるはず。
幻想郷最速とまでは言わないまでも、一応私は鴉天狗だ。数分もしないうちに博麗神社の敷地が視界に入り、そして――
――いた。文ではない、むしろ主犯の博麗巫女が。
「ちょっと待てええ―――――ッッ!!」
賽銭箱の近くに立つ巫女が福袋を片づけようという時、私は大声でそれを阻止する。
巫女も私に気が付いたようで、一瞬お札を取り出したもののすぐにしまった。ずざざと月並みな音を立て、私は石畳に荒い着地を決める。
「あら、えーと……文の知り合いA」
私の名前を忘れているうえ、全く悪びれた様子も見せないこいつが、くだんの博麗空き巣巫女だ。
先程文と共に我が家へ来訪し――というか押しかけてきて、文を囮に使いつつ家探しを強行したゴリ押し系の頭脳派である。
「あー……ヒモ2本はまだ福袋から出てなかったような、出てたような」
夜も遅いのでさっさと本題に入ると、巫女はとぼけた様子で頬を掻く。
何はともあれ、私の大切な周辺機器たんは無事でいるらしい。再会を早まってラリアットを喰らったことは反省だが、というか普通に理不尽だが、ひとまずは安心した。
「1口500円からね」
「うぐぐ……ほら早く3つ寄越しなさい」
「はいはい。毎度あり」
紆余曲折あって、何とか売れ残りの福袋3つを奪取することに成功する。
何故かお金を支払う羽目になったが、元々1人暮らしの妖怪にとって金など有り余るものだし、まあいい。
なにより『携帯が使えない』のは余りにも大きすぎる苦痛だ。
朝起きた時も朝食の時も取材の時も昼食の時も、おやつもトイレも夕食もお風呂も携帯が無ければ絶対生きてけないっ! 冗談ですスイマセン。
「イヤホン。……充電ケーブル」
次々と福袋を引き裂いていき、その内の2つからコード系2種を発見する。どちらも間違いなく私のものだ
そして、残る福袋は1つだけ。待ち望んでいたこの瞬間、そこから出るのは勿論携帯の代えバッテリー。――何故ならそれもまた、元々私のものだからです。
「よかったわね、守矢神社で売ってる良いお守りらしいわよそれ」
そして――そう、私のバッテリーはこんな形だった。
美しい曲線が織りなす滑らかなボディ、しかし表面は固いウロコでがっちりとコーティング。牙をむく笑顔はマスコットのように愛らしく、しかし威圧感がある。そう、これが私の求める――『守矢神社で売ってる蛇のお守り』!!
えっ。
「あれ!? バッテリーは!? てかバッテリー入ってるんじゃないの!?」
「『ヒモ2本』はまだ出てなかったようなって言ったじゃないの」
「はああ!? え、じゃあバッテリーは……」
そこで何故か、博麗の巫女は遠い目をした。
視線の先には神社の境内、その境内では妖怪たちが好き勝手に宴会を開いている。
そして群衆の真ん中には、大きな鍋の蒸気が寒空にもくもくと上がっていて。
「……多分食われた」
い、いや……
そ……そんな、馬鹿なことが、ねえ……
◇
ありました。
食べられました。
白の玉楼のお嬢様の西の行寺の幽々子さんに食べられました。
「食べました」
目の前でニコニコ笑って、これまた悪びれた様子も無く自白するのが幽々子さんである。
その横では、白っぽい従者が額に手を当て天を仰いでいる。
なんというか、さあ……
真面目な話ですか。これ。
「……え。本当に食べたの?」
「まさかぁ。生のままじゃアクが強くて食べられないわー」
予想はしていた。でも会話が成り立っていない。
それはアクとかじゃなくて、結構やばめの化学薬品か何かじゃないんですか。そんな野暮を口にすることさえないものの、まさか……そんな馬鹿な。
「ほら幽々子様……やっぱり食用じゃなかったじゃないですか」
「でも何と言うか、うま味成分って言うのかしら? それを感じたけどねえ」
「がはっ、ごほっ」
白っぽい従者が心労で咳き込む。こんな人、もとい亡霊が主人では色々大変だろうなあとか思う。
それよりも、今は自分のことを考えなくてはいけない。私の目的と言えば、現在行方不明中の代えバッテリーたんを取り返しに来たのだ。「胃酸で溶けてるなう^^」とか、私は絶対に信じない! ネバーネバーネバーネバーギブアップ!
「あら、歯にリチウムイオンが引っかかってたわ」
「投了します」
破天荒というか何というか、少なくとも私が理解できる範疇にはいない人だということがよく分かった。私は泣きそうになった。リチウムイオンを知ってるなら食べないで下さいとかとても言えなかった。白っぽい従者は既に泣いていた。
夜は更けて、年も変わった。神社の境内、寒空の下で妖怪たちは依然鍋やら酒やらの宴会を繰り広げている。
その輪に加わりつつしかし端っこの方で、私と亡霊、白っぽい従者は互いに自己紹介を交わしていた。幽々子さんの名は何と言うか有名だから知っていたが、従者の方は初めて聞く名前で魂魄妖夢というらしい。
「一応神霊異変の解決には関わっているのですが……」
「あー……ごめん、知らなかった」
バツを悪くしながら答えると、横で幽々子さんがニコニコと満面の笑みを浮かべていた。
「うふふ、妖夢もまだまだねえ。マダマ団だわ」
「激寒ですね」
「時には真冬の寒空でジェラートを食べたくもなるでしょう?」
多少はね?
「まあともかく……貴方は姫海棠はたてさん、鴉天狗で新聞記者。ということですか」
「あ、うん。そうだね」
妖夢さんの質問に肯定すると、彼女は少しだけ思いつめたような表情を見せる。
私にはそれが意味するものが分からなかったが、それも一瞬のことだ。この幻想郷における鴉天狗の新聞記者の代表格――アレの存在を思い出して、私はすぐ手のひらを垂直に振る。
「い、いやいやいや。私はあんな妄想パパラッチ記者とは違うわよ」
「申し訳ないですが、妄想パパラッチfu**記者に限らず取材はお断りですので」これは重症だ。「てかそもそも取材に来たわけじゃ無くて、私はバッテリーたんを――」
……ん?
……『取材』?
「……取材。ねえ」
「……? すいません、『パチュリーたんはあはあ』の後からよく聞こえませんでした」
「言ってないです」
妖夢さんの妄言に突っ込みを入れつつ、私は『取材』について考える。
なるほど……確かに私は今、取材目的で2人に会っている訳では無い。が、コミュ障のきらいがある私にとって、目の前に立つ幻想郷のドンと腹を割って話し合えるチャンスなどそうそうある物ではないだろう。
私の目的が少しずつ、しかし着々と変化していく。というか、ぶっちゃけバッテリーなんてどうでもいいのだ。どうせ代えだし、いざとなったらヤマダ電機で買えばいいだけのお話。
本当に重要なものは、今目の前に転がっている。逃す手は無い。
「白玉楼単独潜入取材……スクープの香りがするわ……っ!」
「いやそんな『キリッ』って顔で言い放たれても無理です」
「無駄に行間を空けるといつの間にか章が変わっていて、自然と取材交渉も成功しているというパターンを実践したのだけど」
「何のパターンですか」
「そういうパターンよ」そういうパターンなんです。
小細工は通じない様子なので、ここからは正攻法で取材交渉を行っていくことにした。
しかしこの魂魄妖夢という従者――相当なパパラッチアレルギーなのか、私の話を耳に入れようとすらしない。それもこれも全ては射命丸なんたらとかいう天狗のお陰であり、呪詛の言葉を心中呟きながらもなお説得にあたる。
「ほんとお願い! いやお願いします! 今回だけでいいんだってば!」
「ですからー……ごほっ」
少し咳き込んで、妖夢さんは精神的に疲れているときの表情を隠さない。
心労を増やしてしまっているのは大変心苦しいが、私とてこのチャンスを逃す訳にはいかないのだ。まだ脈ありに思えるこの状況、諦めるにはまだ早い――
「まあ、いいじゃないの妖夢?」
――ほらきた。
きました。
全く予想外、というかほぼ間違いなく気まぐれであろう、幽々子お嬢様の『鶴の一声』。粘ればこういうこともあるのかと、感心した私は白い息を吐く。
対して妖夢さん、こちらはもう予想のど真ん中といった様子で顔を歪めた。Wow……これは物凄く嫌そうだ。今にもその綺麗な頬へ一筋の川が伝っていかんばかりの嫌そうな顔だ。
「はあ……幽々子様までもう……」
ただ、その表情の中に見え隠れする諦観の色も私は見逃さない。
少々妖夢さんには申し訳なかったが、これは――きただろう。勝利が。
「それじゃあ、もう寒いし、年も越してしまったし。私達は帰りましょうか」
妖夢さんの言葉を最後まで聞かずに、幽々子さんはそう声を上げた。
妖夢さんは今一度天を仰いで、もうそれきり何も言わなくなる。動き出す2人に着いていこうかいかまいか悩んでいると、幽々子さんがこちらへ振り向き、穏やかな笑顔を私に見せた。
「さあ、貴方も行きましょう? お客人ですもの、丁重に扱わなきゃね」
◇
風を切って幻想郷の空を飛び、私達は冥界の大屋敷白玉楼へ向かう。
家を飛び出したときはアドレナリンやら何やらで寒さを殆ど感じなかったものの、たった今全身にぶつかる風は刺されるように冷たい。文字通り身を切るような寒さ、薄着であったことも致命的で、年明けた睦月の幻想郷が地獄に感じられた。
「これはやばいわー……死ぬわー……」
「はたてさん顔真っ青ですよ」
「死ぬ死ぬ詐欺がうまくできそうな顔ねえ」
ヒュオヒュオと音を立てる風を受けながらも、気付けば現世と冥界の結界――幽明結界というらしい――を過ぎていたようだった。
こんな簡単に越えてしまって大丈夫なのかと感じたが、幽々子さん曰く既に結界として機能していないらしく、概念的な問題も無いとのこと。
それはそれで呑気な話だなあとか考えていると、いよいよ前方へ横に長い巨大な屋敷が見える。闇にまぎれハッキリと確認できないが、それでも幻影のように浮かぶ輪郭を見ただけで、それが何なのか理解できた。
これが話に聞く――白玉楼か。
「……すごい」
意識の外で、呟いていた。圧巻という一言では足りない、それぐらいそれ以上の衝撃。説明するまでもなく、本来ならば私と関わりを持つはずの無い貴族華族の聖域。
呆気にとられその場で立ち竦んだ私に、幽々子さんはご機嫌そうな笑顔を向ける。
「ふふ。このお屋敷、誰がどうやって造ったのか知ってる?」
「あ……いや」
「実はねえ、妖夢が四角い箱をいっぱい積み重ねて造ったのよー」
「信じないで下さいね」
信じるも何も無い、というかこの人の言葉を安易に信じたらいけないことは既に承知してます。
どうでもいい会話をするうちに、玄関から白玉楼へお邪魔する。古風な上品さを感じさせる長廊下を通り抜け、私は客間へ招かれる。客など滅多に来なそうなものだが、客間はしっかりあるようだ。
「うひゃー……客間だけで私の家の2倍はあるわー」
「それは随分小さい家に住んでるんですね……」
「なんなら切り分けて持ち帰ってもいいのよー?」
白玉楼入刀いっちゃいますか?
「無理言わないで下さいよ……それでは、私ははたてさんの部屋を用意しなければなりませんので、これにて失礼致します」
何度目か分からない溜め息をついて、妖夢は1つお辞儀をする。
「ご丁寧に悪いわね」と返すと「本当ですよ……ごほっ」とまたもや咳を1つ。……ごめんなさい。
「……というか、普段からあんなになるくらい従者をこき使ってるの?」
妖夢さんが去ってから、私は幽々子さんにそう問いかける。
彼女は相変わらず笑って、口元を着物の袖で隠しながら答えた。
「こき使ってるのはまあ言わずもがなだけど」
「言わずもがななんだね」
「でも、それとは関係なしに。妖夢は自分の身体くらいちゃんと管理できる子よー」
それならどうして妖夢さんは未亡人みたくなってるんでしょうね。
と、茶化しながら口にしようとした言葉は、いつの間にか笑顔の消えた幽々子さんを見て急ブレーキがかかる。そして、そのまま喉の奥へ引っ込んでいく。
自然と生まれる沈黙。その中で、幽々子さんは妖夢さんの消えた襖を流し目に眺めて――
「……さ、今日はもう遅いし、歯磨きしてから寝ましょうか」
「……亡霊が歯磨きっていうのも変な感じね」
「歯磨かざる者、食うべからず。でしょう?」
それから、いつも通りの幽々子さんに戻る。
◇
翌朝8時――
妖怪の山にある住処は、ボロ屋なせいあって冬の寒さが笑えないレベルになる。いくら妖怪とはいえ心地の良いものでは無く、それゆえ白玉楼で用意された部屋を見た時は思わず涙を流してしまった。
適当な布団に適当な毛布が睡眠のお供である私が、ふかふかの敷布団にふかふかの掛布団など使ったものなら……正午近くまで寝てしまうのではないか。
とか、そういう呑気な危機感を心に抱いていたのだが。
「――ん……」
白玉楼において、目覚まし代わりになってくれる鳥の鳴き声は勿論存在しない。
しかしその静けさが、逆に私の意識へ違和感を与えたようだった。
「……」
寝起きはお世辞にも強いと言えない私が、眠い目を擦りながら布団を出る。
ほぼ無意識のままに布団を畳み、おぼつかない足取りで寝室を出た時、冷たい外気を受けようやく頭が働いてきた。
「……やけに静かね」
夜も静まり返っていた冥界だが、朝もまた人気を感じられない。
長い廊下を歩くうち、ふよふよ浮く幽霊何匹(単位が分かりません)かとすれ違ったが、やはり生気を感じないと違和感を覚える。
大きな障子の前まで来て、ようやく人の気配を感じた。恐らく居間だろうか、すう――と音を立て、ゆっくりと障子を開く。
「……あれ?」
そこには、幽々子さんと――何故か兎、そして竹林の宇宙人が並んで座っていて。
その中心に、顔を赤くして布団に横たわる妖夢さんの姿があった。
「……インフルエンザですね。しばらくは貴方も離れて暮らすように、ってまあ亡霊は病気にならないでしょうけど」
竹林の宇宙人――こと八意永琳さんは、淡々と妖夢さんの診断結果を告げた。
この季節、幻想郷でのインフルエンザ流行は毎年のことだが――妖夢さんも罹るものなのだなと少し驚く。
「まあ、妖夢は半人前だからねえ」
口元に袖を当て、クスクスと幽々子さんが笑う。永琳さんとその助手曰く、半人である以上妖怪と同じようにインフルエンザを回避はできないらしい。それでも人間に比べればマシなもので、丸1日ゆっくりと休養を取れば完治できるとのことだった。
だから幽々子さんもかなり楽観的で、妖夢さん自身も顔こそ赤いが――
「うう……申し訳ありません、幽々子様」
「まあ、流行に乗れたからいいじゃないの。うふふ」
「……それは何と返事をすればいいのやら」
――そこまで具合が悪い訳ではなさそうだ。
「でも、ちゃんと休まないと身体に毒よ。しっかり休むように」
「おだいじにどうぞ」
永琳さんがきっぱりと、助手の兎は笑顔で言い残し、白玉楼を去って行った。
残ったのは私、幽々子さん、妖夢さん。妖夢さんが布団で寝ているということは、ここは居間でなく妖夢さんの寝室らしい。
「それにしても……ごほごほ言ってたのは心労のせいじゃなかったのね」
「あら、私が妖夢に心労をかけるようなことしたかしら?」
「昨日自分で言ってたじゃないの」
「……ていうかいっぱいされてます」
「ま、ともかく」
幽々子さんはゆっくりと腰を上げ、扇子を顔の前に広げながら口を開く。
「妖夢、貴方は今日1日中寝ていなさいな」
「え……、でもそうしたら幽々子様は」
「私だって何もできない訳じゃないわ。貴方は安心してレム睡眠を取ること」
行きましょう、と幽々子さんは言って、それから寝室に背を向ける。
妖夢さんはなお心配そうな表情だったが、私も視線を逸らして、幽々子さんの後に着いていった。
「っていうのは嘘なんだけどね」
白玉楼、長廊下――
妖夢さんの寝室から少し離れて、それから幽々子さんの口にした言葉。結構唐突なタイミングに、私の思考は一瞬停止する。
「……え。何が」
「もうずっと料理とかしてないのよー。目玉焼きって何だっけっていう状態で」
「それは料理以前の問題だと思うんだけど」
なんというか、よく話が見えないのだが……ええと。
私が首を捻っていると、幽々子さんはいったん足を止めて私に振り向く。
「私って、こう見えてもお嬢様じゃない?」
「どうみてもお嬢様ね」
「だから家事育児は全部妖夢に任せてたんだけど、まさか肝心の妖夢がいんふる何たらになっちゃうとはねえ。うふふ」
いちいち突っ込まない……!
「……で。嘘ついたっていうのは、何の話よ」
「鈍いわねえ。ライトノベルの主人公かっ!」
「何そのキャラ」
「暇だとイメチェンをしたくなるものでしょう? ま、訊いてばかりじゃなくて自分で考えてみなさいな」
自分で考えろ、ねえ。
取りあえず、幽々子さんがついた嘘っていうのは『私だって何もできない訳じゃないわ』で。
適当に考えれば、私は何もできませんってことですか? 冗談気味に答える。
「何もできません」
ニッコリ。
……。
……正解って。
「というのも嘘だとしても」
「嘘かよ」
「全部1人でやるのも大変だし、だからといって幽霊達にやってもらうのも効率が悪いし。どこかに有能な代行庭師はいないかしらねえ」
そんなことを言われても、いないものはいないのだからしょうがない。それこそ、普段から従者をこき使っていたバチが当たったと思って諦めるしかない。と思う。
……。
……うん。諦めろ、西行寺幽々子。やめろ、何で私を見る。
「幽霊は効率が悪いし、『人型』にやってもらいたいのよねえ」
「あ、そ、そっかー。あはははー」
「『人型』、いないかしらー?」
「そ、そうだねー」
だから見るな、私を見るな西行寺幽々子……っ!
そんなガン見したところで、まさか私が代行の庭師なんてやる訳ないでしょ……っ!
◇
なりました。
私が代行の庭師になりました。
「おめでとう」
おめでとうじゃねーよ。……おめでとうじゃねーよ。
え、ていうか、これは明らかにおかしい。恐ろしい眼力に負け、気付いたら「私がやりますから殺さないで下さい」と叫んでしまったのは事実だが、そういう観点以外においても庭師なんて無理だ。
「いやいやちょっと待って。私、庭の手入れとかやったことないんだけど」
「ビギナーズラックに期待してるわー」
駄目だ、日本語が通じない。でも諦めたらそこで試合終了だ。
「料理とか美味しいもの作れないし!」
「美味しいものが必ずしも美味しいとは限らないでしょう?」なんでだよ限るよ!
「ほら、剣とか使えないから貴方を守れないわ!」
「『ペンは剣より強し』、っていうじゃない」
「ぶっちゃけると私Sっ気があるから従者とか向いてないんだよね!」
「あら、なら私はSSだから大丈夫そうねえ」
……。
なんというか、もう……
→あきらめる
「SSSっ気があるの間違いだったわ!」
――――――――――――
――――――――
――――
そんなこんなで人生初……白玉楼従者、姫海棠はたて。その1日がスタートした。
……してしまった。
午前8時30分――
のちのち考えてみれば、この元日は何とも散々であったように思える。
前哨戦である大晦日にはバッテリーを胃袋に収められ、年が明けると妖夢さんがインフルエンザに罹患。挙句、その埋め合わせに私が庭師をやらされると来たものだ。
元々取材をしに来た身である以上、これは大変おいしいイベントなのかもしれないが……いやでも、なんかなあ……
という訳で、現在私は代行庭師初の仕事――『朝食作り』に勤しんでいる。この時点で庭師じゃないですよねとか言っちゃいけない。
台所でお釜の蓋を開けると、むわりと塊になった水蒸気が私の顔を包む。妖夢さんが熱を出す前に炊いておいてくれたようだ。
また、二段式になっている木製の箱――その下段を開けると、そこには多くの卵が貯蔵されていた。勿論鶏の卵、形も滑らかな曲線系で美しい。
卵が悪くならないのには秘密があり、食料品を貯蔵する下段に対し、上段には氷が敷き詰められている。いわゆる木製冷蔵庫で、氷の冷気で卵を良い状態に保っているのだ。
「ほかほかご飯と新鮮な卵……」
この条件下、私は朝食の献立を思案する。――否、思案する必要も無い!
この2つが揃った時、あの朝食以外を選択する訳には行くまいに……っ!
「できたわっ!」
2つのお盆を両手に持ち、意気揚々と居間へ入る。
幽々子さんは湯気の立つ湯呑をゆっくりちゃぶ台に置き、笑顔で私に声をかけた。
「早かったわねえ」
「それでも、今日は正月だからね。かなり奮発したわよ!」
あらあらと苦笑交じりの表情を浮かべる幽々子さん、そんな彼女に見せつけるように――
私はお盆をちゃぶ台の上へ置いた。
お盆に乗った―― 一杯の白米と、美しい卵を置いた!
「お正月なので、卵かけご飯ですっ!」
そう、その正体は卵かけご飯!
正月と言えば? と訊かれた日本人が満場一致で答えるであろう『卵かけご飯』が今日の朝食だ!
一見シンプルなこの料理も、裏を返せば食材の味を楽しめる最高の料理! ご飯にかけてさえ来ないんですか、と批判されるかもしれないが、かけ方にも個々のこだわりがあると私が配慮した結果なのだ!
「……」
だからはいすいませんでした私が悪かったです正月っぽさなんてチャンチャラ無いですからその謝ったのでこのいけない沈黙を何とかして頂けませんか幽々子様。
彼女の視線はお盆の上に釘づけになっていた。ああもう、これ絶対怒ってる……
「……ごい」
「へっ?」
しかし、そんな彼女が発した第一声は。
「っ……すごい! すごいわ貴方!」
「え、ええ、えええ?」
「卵かけご飯なんて……っ、やだ、すごい感動」
謎の賞賛の言葉、それも物凄く取り乱した様子で震えを隠せずにいる。
この反応は私の予想の軽く3マイル先は行っており、珍しいものを見たという記者としての快感よりも奇異の感情が強かった。
要は結構引いた。
「ち、ちょ、これ……た、た……?」
「え、な、なに……?」
「た、たべ、食べても……?」
「いやあの……と、とりあえず落ち着こう」
「あ――――、こほん」
咳払いを1つ。口に袖を当て双眸を閉じ、時間をかけて心を落ち着かせる。
そして数秒後、そこに本来の西行寺幽々子が帰ってくる。いつも通りの穏やかな微笑を浮かべ、彼女の唇はゆっくりと動いた。
「……こ、これ、たたた食べても……?」
まだ帰ってきてませんでした。
◇
その後卵かけご飯を文字通りかき込んだ幽々子さんは、3杯くらいおかわりしたところでようやく口を動かすのを止めた。
顔いっぱいに幸せそうな表情を浮かべる彼女だが、それにしてもどうして卵かけご飯なんかでこんなに喜ぶのだろう。
そのまま幽々子さんに疑問をぶつけると、相変わらず充足感に満ちた笑顔で答えてくれる。
「私、卵かけご飯食べるの凄く久しぶりだったのよー」
「はあ」
「当たり前だけど、妖夢はこんな適当ずさん極まりない朝食を主に作らないでしょう?」
「喧嘩売ってるんですか」
「だから逆に、こういうやる気の無い朝食も食べてみたかったのだけれど。まさか今日食べられるなんて、流石はお正月ねえ」
なんか褒められてるようで煽られてるのは気のせいだろうか。
とはいえ、幽々子さんの浮かべる表情は満足たっぷりといった様子で。私は手抜き朝食を作っただけだが、それでも少しだけ嬉しく感じる。
「じゃあ、もう片付けるけどいい?」
「ええ。朝からいっぱい食べたら、胃がもたれちゃうものねえ」
「それ冗談で言ってるんだよね」
お盆を持ってすっくと立ち上がり、いっぱい食べた幽々子さんに背を向け台所へ向かう。
そのまま流し台で洗い物を始めたが、卵かけご飯で汚れた食器は茶碗と深皿くらいのもので、手早く10分ほどで終わらせる。
水道を止めて手を拭きながら戻ると、居間の時計は9時を指していた。
「お疲れさま」
「ん、ありがと……」
ちゃぶ台のそばに座る幽々子さんが、笑顔でお茶の注がれた湯呑を渡してくれる。
それを口にしつつ、私と幽々子さんは穏やかな時間を静かに過ごしていく――
「いやいやいやいや」
ちょっと待った。
「あら、何が嫌なのかしら。私の存在?」
「じ、自虐ネタ……じゃなくて。次の仕事とかは、無いの?」
「仕事が無いなら就活をすればいいのよ。ね?」
「……」
まともな質問にはまともな答えが返ってこない。知ってましたけど。
溜め息を押し殺しつつ、すこし違う角度から質問をしてみる。
「じゃあ……妖夢さんなら、いつもこの時間は何をしてるの?」
「妖夢なら、そうねえ。私に剣のお稽古をつけてくれるわ」
……。
早速、困った。
「まあ、いつも私は縁側でお茶飲んでるだけなんだけどね~」
何故か満面の笑顔を幽々子さんは浮かべるが、そんなことはどうでもいいのだ。
庭師『兼、剣の指南役』――そういえばそんなお勤めもあったっけ、とか楽観的に考えている場合では無い。庭師ですら全う出来るか怪しいというのに、剣の指南など言うまでもなく無理だ。
私が困った顔をしていると、幽々子さんが相変わらずの笑顔で口を開いた。
「まあ、鳥が剣の稽古をしても滑稽なだけだし」
「……ぐうの音も出ないわ」
「あいでんてぃてぃ? は個々にあるものだからしょうがないわー。そこでこの言葉の出番よ――『ペンは剣より強し』」
はい。
出ました。
無茶ぶりの象徴『ペンは剣より強し』出ました。
ククク……ペンソード、発動ッ! とか邪気眼なことやらせたいんでしょそうなんでしょ。
「やりたいならそれでもいいのよ」
「すいませんでした」
「そんなに深読みしないで、そのままの意味で取ってくれればいいのにねえ」
そのままの意味というと――それはつまり、そのままの意味ということだろうか。
“(ブルワー=リットンの作品により知られる)言論が人々の心に訴える力は武力よりも強い――広辞苑より引用――”ということだろうか。
……まさか。
……そんなことは無いとは思うけども、これはもしや私の新聞執筆時間にでも当ててくれるのか。
そんな私の心理を読み取ったか幽々子さんは不意に立ち上がり、くるりと一回転して私に背を向ける。
襖の前まで歩みを進めてから首だけを捻り、肩越しに私を覗き見て、言った。
「『ペンは剣より強し』……とはよく言ったものだから」
「……だから?」
「一緒にテレビゲームをやりましょう?」
にっこり。
この人は何を言っているのだろうか。
◇
午前11時――
「あら……また負けたわ」
居間の横に位置する、おそらくは多目的部屋にて。
『ペンは剣より強し』――これをそのままの意味で捉えた結果私達はテレビゲームをすることになったのだが、というか意味不明なのだが、なんやかんや2時間もテレビゲームをやり続けることとなり――しかし私は、一度の敗北をも喫すること無く現在に至る。
ゲーム名は『マリ○カート(意味深)』なるレースゲーム、ハード名は『スーパーワンダーコンピュータ(SWCとかスワコとかいうらしい)』。河童の技術によりこの部屋だけ電気を引き、テレビゲームが出来るようになっているとか何とか。どうしてまたそんなことを、……って、そりゃ暇つぶし以外の何物でも無いだろうけど。
「それにしても……下手糞ね」
「あら、言ってくれるじゃないの」
「っていうか、幽々子さんはいつもこのゲームやってるんじゃないの?」
「50cc以上になると敵が強すぎて勝てないのよー」
全部じゃないの。
「まあ、私もこのまま終わらせるつもりは無いけどねえ……ふふ」
「ほー、言うね。でも幽々子さんの実力じゃ一厘も勝つ可能性は無いんじゃない?」
お互い結構ノリノリに言葉を交わして、再び勝負の世界へ浸っていく。
テレビゲームのお誘いに初めは眉をひそめたものだが――なるほど、幽々子さんがハマる理由も少し分かる気がする。まあ、幽々子さんは私程度では想像できないくらい長く生きているのだから……暇を潰せれば何でもいいのかもしれないけれど。
あ、因みに。余ったコンセントで私の携帯を充電するのも忘れない。とうでん? え、何の話? 東京電力?
午後0時――
更に1時間追加でゲームをしていた私達だったが、結局私の全勝で終わる。
今日初めてゲームに触った私に3時間ぶっ続けで負け続けたのだから、相当なゲーム音痴さんなのだろう。
「ああ、流石に疲れた。こんなにゲームをしたのは初めてねえ」
「そりゃあ、3時間もやれば疲れるわ」
「いつもは妖夢が『1日15分だけ!』って言ってやらせてくれないのよ。過保護ね過保護」
「……自由を謳歌してるわねー」
これはまさに、しっかり者のお母さんと不満を抱える子供の構図である。子供との会話が殆ど成り立たなくてさぞ大変であろう。
「さて……もう12時か。お昼ご飯の時間だね」
「あら、いいわねえ。スポーツに汗を流してからのご飯だなんて、風流だわ~」
という訳で私達は居間へ戻り、幽々子さんがお茶を入れているうちに台所へ向かう。
朝に炊かれていたお米は幽々子さんが平らげてしまったので、何かそれ以外にお腹に貯まるようなものは――
「あら、お餅ね」
数分後。
台所で切り餅を発掘した私は、それを簡単に焼いて台所に持ってくる。
うん、まあ。なんと言いますか手抜きだけど、今回はお正月っぽいし。許して下さい。
「幽々子さんのは3つ、私のは2つ。足りなかったら言ってね」
「ふふ、3つもあれば十分よ。ま、腹八分ってところかしらねえ」結局どっちなのだろう。
箸で拾って醤油に付けて、それからゆっくりと口へと運ぶ。
――うん、普通においしい。幽々子さんはどうか分からないが、少なくとも朝食抜きが日常茶飯事の私には十分過ぎる食事だ。
私はチラと幽々子さんを盗み見る。何やかんや腹八分らしいし、そもそも美味しく焼けているだろうか。
「……」
……ん?
……幽々子さんの様子が、なにかおかしい?
「……幽々子さん?」
私が呼びかける幽々子さんは、しかしピタリと動きを止めたまま返事も寄越さない。
これはまさか……やらかしたか。手抜き昼食なうえに味も不味いなんて、もはや従者としては駄目駄目である。いる意味なんて限りなく存在しない。
「……」
しかし、奇跡でも起きたか――その憶測は外れであったようで。幽々子さんは俯き気味だった顔を上げると、その表情に笑顔を作り上げる。
それから手近のメモ帳を取ると、美しい筆さばきで文字を書いていく。むう、こんなでも流石はお嬢様……記す文字は滅茶苦茶達筆だ。
見とれているうちに、やはり彼女は黙ったまま筆を置いた。それからメモ帳を両手で掴み、これまたにこやかに――書いた内容を私へ見せた。
お餅が喉に詰まりました
「おい」ガタッ
何だこの亡霊は、餅が喉に詰まっててどうしてそんなに笑顔なんだ。いや、確かに死にはしないだろうけど、それでもお餅が喉に詰まるのはやばい。
というか、そんな突然喉に詰まった旨を報告されても、私は一体何をすればいいんでしょうか……
1.背後から鳩尾へ両腕を回す
2.両指を交互に組む
3.思いっきり鳩尾を叩きつける
どうしようもなくおろおろしていた私に、幽々子さんは極めて事務的にメモを見せてきた。……この対応、絶対今回が初めてじゃないな……
しょうがないので幽々子さんの指示に従い、鳩尾付近を強く叩きつける。幸い力のコントロールは完璧で、叩きつけてからすぐ幽々子さんの喉で嚥下の音が鳴る。
「……」
「……だ、大丈夫?」
「――んん。ぷはあ、生き返ったわー」
渇いた喉に冷たい水を注ぎこんだときのようなテンションである。
「……というか、詰まったときの対応がやたら冷静だったけど」
「まあ、初めてのときは少し焦ったけど。息しなくてもなんともないしねえ」
「お餅詰まらせ熟練者……」
「あら、でも今年は初めてよ? 初詰まらせ――縁起でもいいのかしら」
ああもうおかしいこの人は絶対におかしい。聞いてる私もおかしくなりそうだ。
しかもその後、幽々子さんはおかわりにおかわりを重ね――実にお餅10個を平らげた。
圧倒的……食欲……っ!
◇
昼食を終え、穏やかな午後はゆっくりと通り過ぎていく。
午後1時――
幽々子さんから「次はお庭の手入れねえ」という言葉を受け、いよいよ庭師としての仕事が始まる。なんというか緊張する仕事だ、間違えて切り過ぎたなんてことになったら取り返しがつかない。
幽々子さんからは中庭に来るよう言われていたので、洗い物を済ませてからそちらへ向かう。白玉楼庭園の中でも唯一公開されていないという中庭――私のような初心者界の初心者が立ち入っていいのかすら分からない場所だ。
本当、こういうリアルなところまで無茶ぶりしてくるなあ……
「あら、こっちよ」
長廊下を暫く歩いた辺りで、幽々子さんが私に声をかけてくる。それに従って彼女に近づくと、彼女の背後に見える中庭が――私に荘厳な威圧感を与える。
「うわあ……」
なんというか……ぶっちゃけ全然分かんねえ……
こういう抽象的な感じの芸術は、私に「?????」以外の印象を与えてくれないので反応に困る。強いて言うとしても『岩と植木と時々カコン』としか言葉に出来ない。というかあの竹でできたカコン、なんていう名前でしたっけ。
「ふふ、このお庭すごいでしょう? 貴方はどこが好き?」
そんな心中を見透かしてこの亡霊は……っ!
適当なことを言って誤魔化そうかと思えど、その適当なことすら思い浮かばないのだからオワタの顔文字だ。仕方ない、時間稼ぎのオウム返し作戦を発動しよう……
「逆に、幽々子さんはどこら辺が好きなの?」
「私? 私はそうねえ、あの岩を見て欲しいのだけど」
「えーっと……池の近くにあるあのでっかいやつ?」
「そうそう。あの岩の形……なんだかお饅頭みたいで美味しそうよね~」
なんだー! この人も理解してないじゃないですかー!
回答の方針が決まった。食べ物で攻めれば問題ないっぽい。
「それで、貴方の好きなところはどこかしら?」
「ええと、あの植木かなあ。なんかブロッコリーみたいで美味しそうじゃない?」
「それはちょっと目のお医者さん行った方がいいかもねえ」何でだよ!
と、不毛な会話はこれぐらいにして……早速、幽々子さんの説明を受けることとなる。
幽々子さんはまずじょうろを取り出して、近くの水道から水を汲んだ。たぷんと重そうに音を鳴らせて、ハスロを上向きにしながら私に手渡してくる。
「わっ……と。重いー……」
「ふふ、まずはお水をあげましょうか。植物にとっての命綱よー」
「盆栽ってなんかこう、水をあげなくても生きてそうなイメージあったけど違うのね」
「何かカサカサしてるものねえ。実際、土以外に水をかけちゃいけないの。お花が傷んだり、凍りついて駄目になっちゃうから」
「へえ」
珍しく幽々子さんからいい話を聞いている。
「って妖夢が言ってたわー」
ですよねー!
取りあえず、盆栽にお水をくれる作業を始める。白く乾燥した土にたっぷりと水を注いでいき、これを何度も繰り返す。大体20分ほどで、全ての盆栽植木に水をくれることが出来た。
「お疲れさまー。失敗は無かったみたいねえ」
「ふう、まあ水くれくらいは出来なきゃ。それで、次は?」
「これで、おしまい」
……。
おしまい?
「え、……え?」
「さあ、居間へ戻りましょうか。外は寒くて居心地が良くないわー」
「ちょ、ま、庭師って、えっこれだけ?」
「妖夢はいつも、ちゃんとお手入れしているけれど。まあ今日くらい放置しても問題ないでしょう」
「じゃあ私は……」
「初心者がお手入れしたら盆栽がモヒカンに成りかねないものねえ」
ですよねー! ……ですよねー。
午後1時30分――
「さて、暇になっちゃったわねえ」
「いつもこの時間は暇な時間なの?」
「妖夢がお庭のお手入れをして、私はそれを見てるわ」
「……はい、すいません」
いや、うん。しょうがないよね。私は魂魄妖夢じゃないからね。
とはいえ、普段は3時まで庭の手入れをしているということで、1時間半程やることが無くなってしまった。まさかテレビゲームばかりやる訳にもいかないし、ううむ。
……いやいや、何を悩んでるんだ私は。
私が白玉楼に来た理由は庭師じゃないだろうに。
「んん。それでは……幽々子さんにお聞きしますが」
そう――私は『取材』に来たのだ。コミュ障の心を意地で奮わせ、記者の立場で白玉楼にお邪魔したのである。
しかし幽々子さんは『・・・。』という顔をする。
「……会話の主語が無い人ってよくいるわよねえ」
「これから主語を作るんだってば」
「『明日から本気出す』ってやつね」
「違います」
「ま、訊きたいこととやらを聞かせてもらいましょうか」
会話の軌道に乗せるのも一苦労だ。それはさておき、さて何の話から聞いていこうか。
初めはやっぱり……あの話だろう。
「幽々子さんは……言葉遊びというか、人をからかうのが好きなみたいだけど」
「はい」
「そういうの、えーっと……やっぱり、好きなの?」私は何を言ってるのだろうか。
意味不明かつ支離滅裂なゴミクズ質問だったが、幽々子さんは笑顔で言葉を返してくれる。
「どうしてアルツハイマーみたいな発言ばかりするのかって訊きたいのね?」
「そこまで攻撃的な質問じゃないんだけど……」
「そうねえ……どうしてって言ったら、暇だからかしらね」
暇だから――ね。なるほど。
やはり、長い人生において『暇つぶし』ほど重要なことは無いのだろう。人間に比べれば長い命を持つ私も、妖怪の中ではまだまだ赤子レベルであり、未だそういう感覚には至ってはいない。
ただ、妖怪の中でも老練した者というのは決まってこう言うものだ。なにか面白いことは無いものか、と。
……もう少し、この話題を掘り進められる気がした。
「じゃあ。幽々子さんにとっての『暇』は、どんな基準?」
「行動の方向性が定まっていないとき。東西南北どの方向へ行けば良いのか、行ってそれからどうするのか。これが分からなければ何もすることが出来ないし、そもそも何をすれば良いのかも分からないわ」
ふうむ。暇とはする事が無いさまを表現する言葉だが、言い換えればベクトルが定まらないという意味にも成り得るということか。
おそらく幽々子さんの場合は、日常の1コマ1コマのような細かい事象を言っているのでは無いのだと思う。もっと長期に、気の遠くなる程の長期に渡って、自分が何を目指していくのか――……
更に私は問う。
「暇になることは、辛いこと?」
「辛いことだけれど、それは自分次第でもあるはず。方向性を自分で作れない者が暇という言葉を使ったところで、それはお笑い草よねえ」
「じゃあ幽々子さんは自分で方向性を作ってるの? ……って、それは訊くまでも無いね。じゃあ、今その方向性に幽々子さんは満足してる?」
「もちろん」
「ずばりその方向性とは?」
「『魂魄妖夢』」
……!?
それは……どういうことだろう? 余りにも予想外。心の片隅にさえ、その答えが返ってくることを予想していなかった。私は幽々子さんの顔を見る。いつも通りの穏やかな笑顔を浮かべている。
「……妖夢さん? それは、どういう?」
「そのままの意味なのだけれど……難しいかしらね。ゆっくり話していく事にしましょうか」
幽々子さんは正座していた足を崩す。私も――とは思ったが、それよりもこの後に続くであろう幽々子さんの言葉に意識を奪われ過ぎていて。結局、正座のまま彼女の言葉を待つ。すぐに幽々子さんも言葉を紡ぎ始める。
「あの子は、まだまだ未熟よ。庭師としても剣士としてもまだまだ先代に遠く及ばない。まあ、妖夢もそれ自覚しているみたいだけどね。だからこそ苛めると面白いの、ふふ」
「ああ、悪い顔悪い顔」
「最近は結構口を利くようになったけどねえ。それはそれで面白いわ」
あれだけ意味の分からないことを言われて、なお口を利かない人なんて聖者くらいなものだと思う。まあ、それは脇に置いておいて。
今幽々子さんの口から『面白い』という言葉が2度出てきた。それはすなわち暇つぶしにおける必要条件の1つだが――彼女が言う方向性の全てを表すものではない。そう思う。
実際、幽々子さんの語り口もこれで終わりでは無かった。
「未熟な者には確かな方向性があるわ。特に妖夢は、一人前になることに対してのひたむきさと貪欲さを持っている」
「……確かに、努力家ってイメージはあるけどね」
「先代は全ての物事をそつなくこなせたけれど、そういう意味では退屈な奴だったわねえ。だから妖夢を見ていると面白い。失敗は多いけれど、その失敗からさらに多くのことを吸収しようとする姿勢は方向性そのもの。だから妖夢といると暇しないわ」
確かな目標を、目的地を持って妖夢さんは前に進んでいる。その方向性はたった1点だけを向いて、幽々子さんが持つ当面の方向性にさえ影響を与えている。
それならば、妖夢さんが思い描く目的地とはなんだろう。彼女の持つ確かな目標とはなんだろう。
私には、答えが見える気がする。
「……その方向性は、幽々子さんに向いているんじゃないの?」
妖夢さんが――魂魄妖夢という存在が進む方向性に、主である幽々子さんが要因の1つとして関わっている。彼女のひたむきな心が向く方向には、果たして幽々子さん以外の存在があるだろうか。
私が発した最後の問いに、幽々子さんは答えなかった。ただ静かに笑って、うやむやな昼下がりの空気にその全てを溶け込ませていく。
◇
午後6時――
取材を重ねておやつを食べて、その後夕飯の買い出しを命じられた私は、外は既に真っ暗闇のこの時間にようやく帰還する。
買い出し内容は「お夕飯に合わせて買ってきてね」と幽々子さんに言われたので、鍋の具材を多く購入してきた。つまり今日の夕食は鍋である。サボリジャナイヨ!!
「……」
それにしても。私は数時間前に交わした、幽々子さんへの取材を未だに忘れられない。
最後は流れるままに誤魔化されてしまったけど、しかしあの笑顔が意味するものは――なんなのだろう。それは難しいことではなく、幽々子さんは妖夢さんの気持ちに気付いているということなのか。
「手伝いますよ」
思考に浸りこむ中で――不意に、背後からそんな声が聞こえる。振り向くと、寝間着の上から肩かけを着た妖夢さんが立っていた。
その顔色は大分良くなっていて、流石は半分人間じゃないだけあるということか。……っていやいや。
「手伝いますよって……まだ寝てた方がいいんじゃないの?」
「もう大丈夫ですよ。熱も平熱近くまで下がりましたし、何よりじっとしている方が落ち着けないです」
「働き者の陥る職業病だね……」
しみじみと語る。恐らく私が未来永劫罹らないであろう職業病は、いわゆる成功者だけが持つ特権とも言える。類似例には『ぽけるす』とかいうものもあるらしい。
どちらにせよ、人手が増えるのは好ましいことだ。これで夕食の準備も迅速になる……いやまあ、鍋の具材を食べやすく切るだけなんだけど。
妖夢さんが私の横に立ち、確かな手つきで包丁を取る。構えたところで一旦手を止め、私の顔へ視線を動かした。
「ところで……今日1日、私の代わりに庭師をやって頂いたと聞きました」
「やらせて頂きました」
やらされて頂きました。
そう言葉を返すと、妖夢さんは1つ謝罪とお礼をして、それから心配そうに表情を変える。
「それで……剣の稽古とか、何とかなりましたか?」
「いや、ええと、うん。テレビゲームやってたし」
「えっ」
えっ、と言われましても。……私は悪くないですよ?
私の顔で視線が硬直してしまった妖夢さん。何度か瞬きを繰り返して、もう一度唇を動かす。
「じ、じゃあお昼ご飯は」
「喉に詰まらせながらの切り餅10個」
「えっ」
「お庭の手入れとか水くれただけだし」
「えっ」
度重なる私の追撃を受けて、瞳を見開いたまま閉じなくなってしまう妖夢さん。……何だか申し訳ない気分になってきた。
罪悪感のままに、ことの詳細を説明していく。驚愕は次第に呆れへ変わっていき、妖夢さんの視線が私の顔面にぶすぶす刺さる。
「それでも……幽々子様のお相手は大変でしょう?」
丸みのある妖夢さんの口調。見え隠れするのは同情の色か……いや、従者は自分以外に勤まらないという自尊心の表れか。
「まあ、私なんて相手にすらしてもらえないタイプの人だよね、幽々子さんは。妖夢さんにしか勤まらないことがよく判ったわ」
実際その通りな話で、妖夢さん以外にあの幽々子さんの相手が勤まる者はいないだろう。何だか相思相愛なみたいだしね。
私の意味深な笑顔に、妖夢さんは首を傾げつつも頬を少しだけ掻きながら言葉を返す。
「私だって勤まっているか不安ですよ。いつだって幽々子様を退屈にしないよう頑張らないといけませんから」
「んー、まあ大丈夫なんじゃないの」
「だいじょばないです。今だって、幽々子様にはご迷惑をかけていますし……はたてさんにだってそうでしょう?」
……んー?
「そんな固くなることじゃないと思うけどなあ。私だって迷惑とは思ってないし、幽々子さんなら尚更でしょ」
「はたてさんはまあいいにしても、幽々子様はいけません」
「おい」
「普段から、私が未熟なせいで迷惑をかけてるんです。幽々子様は優しいから見守っていてくれるだけで、先代に比べれば……って思っていらっしゃると思います。だから私は、一刻も早く一人前にならなければいけない」
え……ええと。この際私の扱いが粗雑なのはよしとして、少し状況を整理しよう。
幽々子さんは、少しずつ成長していく妖夢さんのひたむきな心、それが作る方向性に注目している。妖夢さんは成長の遅い未熟な自分に不満を持っている。
幽々子さんは、固い人物だったという先代よりも、妖夢さんの方が優れている部分があると認めている。妖夢さんは、幽々子さんが先代と自分を対比していて、不満を持っていると思っている。
……。
これは……。
「幽々子様の望まれるような庭師になる為、私は精進を重ねなければいけないのに……このようないんふる何たら如きで倒れるとは、情けなくて顔向けができません」
「いや、ちょ、妖夢さんちょっと待って」
「自分の管理すら出来ない者が、果たして主人を守ることなど出来ましょうか?」
「話聞けよ」
「いいや出来ない!」
「反語……!」
……確定的だ。妖夢さんは幽々子さんのことを勘違いしている。
幽々子さんが妖夢さんを想う気持ち、それを間違った受け取り方で妖夢さんは取っている。従者として過信しない心がけは良いことなのかもしれないが……ここまで逆のことを考えていると、寧ろムズムズしてくるのは私だ。
「と、取りあえず私の話を聞こうよ」
「はい」
少々暴走気味な妖夢さんを制して、今度は私が口を開く。
「こうなんというか……未熟なのが嫌なら、私なんかを代理の庭師に指名したりしないと思うんだ」
「それは……私が未だに一般人と同じレベルということでしょう」
「どうしてそうなるのよ」
「仮にそうであったとしても……今日は確実にご迷惑をかけてしまった。はたてさんが起きたとき、竹林の薬師が診察に来ていたでしょう? あれは幽々子様が、自らの足で呼んできてくれたんです」
「あー……それは確かに驚きね」
「病気になるだけでは飽き足らず、主人の手間をかけさせるような従者はこの世にいません。たとい幽々子様が悪く思っていなくても、私がその優しさに甘えていては――いけないんです」
それも……違うだろう。妖夢さんの急病で、幽々子さんが医者を呼ぶことに手間を覚えなどするだろうか。しないはずだ。妖夢さんが言う『優しさ』も、妖夢さんの考える『優しさ』では無いと私は思う。
どちらにせよ、私がなんと言って変わることでは無いのかもしれない。妖夢が向かう方向性の先には幽々子さんがいて、そのひたむきさ故の勘違いなのだから、それを変えられるのは――幽々子さんだけだ。
切り終えた鍋の具材を、妖夢さんは丁寧にまとめている。その瞳には寂しさは無い、ただ自分を不甲斐なく思う自嘲的な色と、どこか諦観的な色も見えた。
◇
午後7時――
ぐつぐつと音を立てて煮える鍋を持った私と、その横にいる妖夢さんを見た幽々子さんは―― 一瞬驚いてから、にわかに苦笑した。
「あら、妖夢。いんふる何とかはもう時代遅れ?」
「ええ、あれはバブルの遺物です」
「バブルってなに、泡か何か?」
妖夢さんがもう起きていることに、幽々子さんが叱責しようという様子は無かった。元々自由奔放な亡霊だから、従者にも放任主義で通しているのだろう。
私は鍋を鍋おきの上へ置いて、3人分の深皿をそれぞれの前に渡す。早速と幽々子さんが自分の皿へ取り分けようとしたとき、「あら」とこれまた驚いた様子で呟いた。
「これは……みぞれ鍋じゃない。洒落てるわねえ」
「でしょー? 私もサボってばっかじゃないのよこれが」
「私が手伝うまでは普通の鍋を作ろうとしてましたよね」
こんなにも美味しそうなのに、細かいことを気にしてはいけないのである。
という訳で、私も今は細かいことを気にしないで――この冬らしい鍋を頂くことにしよう。
「さあ、貴方達も食べましょう? いただきます」
「いただきます」
「いただきますっ」
すっかりと空になった鍋をひっ提げ、私は単身台所へ向かう。食器を全て流し台に落とし、洗剤を含ませたスポンジをもしゅもしゅと泡立たせる。
妖夢さんは自分も手伝おうと申し出てきたが、私が『病み上がりにこれ以上は悪い』と丁重にお断りしたのと、幽々子さんが『妖夢は今無職だからいいのよー』と援護したことで不満ながらも居間に待機してもらった。
私としては、初めて幽々子さんと意図が一致したことに大層驚いたわけだが……まあ、そんなことはどうでもいい。
「……どうしたものかなあ」
泡立てたスポンジで食器を擦りながら、頭を悩ませるのは2人のことだ。私には関係ないこと、と言ってしまえばそうなのだが、しかしどうにもムズムズしていけない。
どうすれば妖夢さんが幽々子さんの想いに気付くか――といえば、やっぱり幽々子さんが行動を起こさなければならないのだろう。しかし、彼女が行動を起こすつもりがあるかといえば、それは多分ないと思う。
あくまで恋愛感情からは外れた想いであること、故に発展という概念が無い以上、それは当たり前のことかもしれない。ただ、幽々子さんの優しさを妖夢さんが取り違えていること――私の性質では、どうしてもこれが見逃せないのだ。
「はあ……」
食器洗いを終わらせ、溜め息をつきながら居間へ戻る。悩みの種は、『どうすれば幽々子さんが行動を起こしてくれるか』に変わっていた。
行動と言っても、たった一言で構わないのだ。妖夢さんの誤解を解けるような、たった一言で――
「……あれ、いないし」
思案しながら居間に入ると、そこはすっからかんになっていた。2人ともどこかへ行ってしまったのか、どこにも姿は見えない。
まさか、とは思いつつも午前中にゲームをした部屋を覗く。灯りは無い。まあ、そうですよねー……
――と。暗闇の中に点滅を繰り返す何かが、わたしの視界に入ってきた。怪訝に思った私が、その何かに近づく。しゃがみ込んで、床に落ちているそれを拾い上げる。
私の携帯だった。すっかり忘れていたが、午前中にさり気なく充電しておいたんだっけ。点滅を繰り返しているのは、放置している迷惑メールの受信を伝えているのだろう。……そろそろアドレス変えようかな。
「……携帯無くても、割と暇しないのね」
そういえば、今日起きてから今に至るまで一度も携帯を開いていない。忙しすぎて開く暇が無かった、という訳でもない。存在を忘れていたという方が正しいだろうか。
あまり文化的な生活だった記憶は無いが、でも、そういうことなのだろう。案外、私も携帯を不必要に思えてくる日が来るのかもしれない――
「……いや、これだ」
違う。不必要なはずは無い。
この携帯は何に使うものか、それは暇つぶしなどではないはずだ。
私はこの携帯で『取材』をするのではないのか。
「……これしかない」
私は結局『取材』しかすることが出来ない。でも、『取材』だけならすることが出来る。
私が今、この状況を変えようというのなら、手段はたった1つ。それ以外に道は無い。私は『取材』で――幽々子さんの気持ちを引き出す。
午後7時――
障子を開けて長廊下へ出ると、空の遠い闇から雪が降っていた。正面にある塀の屋根には既に積もっていて、随分と前から降り始めていたことが分かる。
これだけの雪なら、あの場所は大層美しい雪化粧を纏っているのだろう。2人も今頃はそれを楽しんでいるのかもしれない、そう思って中庭へ向かうと、やはり2人の姿がそこにはあった。
「あら、遅かったじゃないの」
「何も言われてないんだけど」
「私がお伝えしようかと思ったのですが、幽々子様が『まあ来なくてもいいんじゃない?』と仰られましたので」
「おい」
「American jokeってやつを試してみたの、ふふ」謎のネイティブである。
2人は中庭を臨む縁側に座っていた。その間には、ずんと存在感を見せる1本の酒瓶。なるほど、雪見酒とは洒落ている。だからハブらないでね。
私も並んで腰かけると、妖夢さんがおちょこにお酒を注いで、私に手渡してくれた。「ありがとう」と受け取って、舌を潤わせるように一口。
「くう……身体が温まるわ」
「まあ、お酒は一時的な気休めにしかならないみたいだけれどねえ」
「へえ」
「雪山とかで遭難したとき、お酒は逆に寿命を縮めるらしいわー。だから遭難したときは辛い物を食べた方がいいんですって」
「ほお」
「だから妖夢、ちょっと唐辛子を一気食いしてみましょうか」
「何でですか」
雪と無駄知識と無茶ぶりを肴に、私達はちびちびと飲み続ける。会話と共にお酒も弾んでいく。
思わず『取材』のことを忘れそうになっていた私だったが、少しだけ紅潮した妖夢さんの顔を見てそれを思い出す。程よい酩酊は本音を引き出してくれる、まあ本音を引き出すのは幽々子さんだから関係無いのだけども。
「んん。それでは……幽々子さんにお聞きしますが」
先程のインタビューを模倣して、私は言葉を上げた。妖夢さんは「突然何を」という顔で呆然としていたが、2度目の幽々子さんは小さく笑顔を見せた。
「またまた、唐突ねえ」
「インタビュアーはいつだって唐突だよ」
「おふたりとも、一体何の話をしていらっしゃるのでしょう」
首を傾げて問いかける妖夢さんはこの際横に置いて、私は最初の質問へ移っていく。どのようにして幽々子さんを誘導していくか、その入り口は重要だ。
少しだけ考えて、それから私は口を開く。
「今日1日、私が庭師をした感想は?」
……まあ、答えは分かりきっているけど。妖夢さんと対比されるべき私の話題をまずは持ち出してみようと考える。案の定、幽々子さんは即答だった。
「それはもう、ひどいものだったわねえ。特に、立場をわきまえずゲームに連勝してしまうところとか」
「根に持ってたんだね」
「ていうか剣のお稽古をしてくださいよ……」
妖夢さんの溜め息が1つ落ちた。まあ、私が剣の稽古なんてしたら両腕切断とかなりそうだし……ねえ?
と、少々話題が逸れそうだ。しっかりと軌道修正をしていく。
「それじゃあ次の質問。妖夢さんと比べて私はどうだった?」
またもや分かりきった質問だけれど、今度はハッキリと妖夢さんの存在を絡めていく。妖夢さんの呆れた顔も少しだけ緊張感を帯びて、幽々子さんの答えを待つ。
幽々子さんは「そうねえ」と1つ呼吸を置いてから、やはり同じような回答をした。
「貴方と妖夢を比べたら、99:1くらいで妖夢の勝ちかしらね」
妖夢さんがほうと息をついて、少し表情も柔らかくなる。
「それはそれは……でもまだ比べ物にはなるのね」
「まあ、妖夢は半人前だからねえ」
「私が庭師として妖夢さんに代わる日も……?」
「代わりたいならどうぞ」
「やっぱいいです」
今日何度目か分からない茶番に、みんなで笑いあう。妖夢さんも笑顔でおちょこを傾けて、頬の赤みもだんだんと増していた。
そろそろかなと、思う。……いいや、今しかない。私の3つ目の質問は、直球で攻める。
「なら……白玉楼の庭師は妖夢さん以外に居ない?」
和やかな流れに乗せて、自然な調子に言葉を紡いだ――つもりだったが。
幽々子さんは一瞬、きょとんとした表情で私を見つめた。妖夢さんも少しだけ呆けたような表情になる。
……露骨すぎた、だろうか。流れていた雰囲気も滞留して、それが代わりに沈黙を生み出す。
しかし、幽々子さんが次に浮かべたのは――笑顔。いつもと何も変わらない、私が今日何度も見てきた、そんな笑顔で――口を開いた。
「もちろん」
妖夢さんの表情が、驚きのそれに変わっていた。口は開いたまま塞がらず、視線は幽々子さんの笑顔に釘付けとなっている。
ほんの小さな前進だけど、私には突破口の光に見える。まだ足りない、もう一歩――あと一押し。
「妖夢さんと一緒に過ごす生活は……どう思う?」
私自身、緊張でまともに言葉を選べていないかもしれない。でも、もともと会話における語彙能力なんて貧困の貧困だ。どうせ変わらないなら、このまま直球を貫いてみせる。
私の言葉に妖夢さんは、一瞬何かを言おうと身を乗り出して、止めた。幽々子さんが同じタイミングで、その唇を動かしたからだ。
「私と、妖夢?」
「うん」
「そうねえ……」
一度口を閉じて、横に置いたおちょこを手に取った。ゆっくりとお酒を口に含んで、ゆっくりとお酒を口で泳がせて。こくんと飲み込む音が聞こえると同時に、縁側の木板におちょこを置く音が鳴って――
「妖夢といると、楽しいわ」
ハッキリと、でも囁くような声で――幽々子さんは言った。
不意に、冷たい風が音を立てて吹き荒れる。壁に囲まれた中庭に、その風は吹き込みさえしないものの。冬の冷え込みが浸透するかのように、私達の間へ再び沈黙が訪れた。
取り繕う妖夢さんが、落ち着かない両手でおちょこを傾ける。私も、ことが上手く運んだ達成感など微塵も存在しない。ただ、幽々子さんが次に発する言葉を待つだけ。
「妖夢は、どうしようもなく、未熟よねえ」
しかし、幽々子さんが口を開いて出てきた言葉は――そんな言葉。
「……え?」
思わず声の出てしまった私を尻目に、幽々子さんは尚も続ける。
「妖夢はもう、駄目駄目の未熟未熟ね」
「未熟未熟って」
「剣の腕は未熟、ゲームの腕も未熟、盆栽の腕も未熟。未熟未熟の玉手箱状態」
「いや、え、ちょ、幽々子さん?」
な、何だこの展開。あの空気だったら、幽々子さんが妖夢さんをべた褒めして妖夢さんが幽々子さんの想いに気付いてハッピーエンドのアルバムが出てくるパターンじゃないのか。
幽々子さんの饒舌かつ辛辣な批評に、妖夢さんも説教される子供のように縮こまってしまっている。どうしてこんなことに……
「『カワイイは、罪!』と同じで『未熟は、罪!』よ、それは妖夢も分かっているでしょう?」
「……はい、分かっています幽々子様」
「でもここで、こんな公式も成り立つわ。『カワイイ=罪――① 未熟=罪――② ①②より、未熟=カワイイ』」
「幽々子さんは一体何を言ってるんですかね」
緊張感は既に吹き飛んでいた。私も頭上に『?』を浮かべていれば、妖夢さんも頭上に『?』を浮かべている。そんな中で、幽々子さんだけは笑っていて、
「そんな妖夢が、私は好きよ」
そんなことを、言うのだ。
「……え?」
膝に手を当て俯いていた妖夢さんが、変な声を出しながら顔を上げた。
幽々子さんは口元に袖を当てて、妖夢さんを真っ直ぐに見つめる。
「未熟ゆえに努力しようという心がけ。一人前になって、一刻も早く主人へ尽くそうという、ひたむきな忠義心。完璧な従者から、その美しさを覗くことは出来ない」
「……幽々子様」
「私は今の貴方が好きよ。今の貴方といるからこそ、私の生きる今が成り立っている。だから貴方といると、楽しいの」
穏やかに言い切った幽々子さんは、ゆっくりと双眸を閉じて――自分の左肩を、妖夢さんの右肩へ預ける。妖夢さんはおちょこを両手で持ちながら、少しだけ頬を赤らめていた。
それはお酒のせいなのか、病み上がりなせいなのか。それとも――
カシャリ
「……?」
「あ……」
シャッターを切る音が、不意に鳴り響いた。幽々子さんも妖夢さんも、その音に反応して怪訝な表情を浮かべる。
私も一瞬、何の音なのか分からなかった。ただ、その音が自分の手元から鳴った音だということは分かった。
ゆっくり視線を落として、私は自分の手元を見る。そこには握られた携帯電話、そして――画面には『保存しました』という一言の表示。
カメラ機能を閉じて、データBOXを開く。フォルダからたった今の写真を探して、それを開く。
「……あら、良い写真じゃないの~」
「こ、これ新聞に載るんですか……?」
「え、あ、うん……多分」
いつの間にか覗き込んでいた2人が、そう言葉をかけてくる。
でも、そんなつもりで撮った写真では無い。気付いたときには、私は既にシャッターを押していた。ただただ、私の手は自然に動いていた。
妖夢さんはしばらく困った顔で写真を見ていた、しかし私の耳の横で小さく笑ったと思うと。
「でも……いい写真です」
幽々子さんは文句なく、妖夢さんは少し苦笑して、そう評するような。
花果子念報、次号で一面写真になるであろうそれが――そこには写っていた。
◇
雪が止んで、風も穏やかに収まった。冥界の夜に静かな闇がうごめいている。
白玉楼の玄関で、私はゆっくりと靴を履いた。立ち上がって、玄関の戸を開けて、それから一度2人へ振り向く。
「それじゃあ……ここらでお暇させてもらおうかな」
「ふふ、もう帰るの? あと30年は修業しないとまともな庭師にはなれないわよ~?」
「なりません」
「今日は、お手間をかけさせて申し訳ありませんでした」
「んー。まあいい体験になったわ」
謝罪する妖夢さんからは、夕食前のような自嘲の色は感じられない。幼稚で拙くて、恐らく幽々子さんも付き合ってくれただけなのだろう――そんな駆け引きでも、もしかしたら思うところがあったのかもしれない。どちらにせよ、私が立ち入れるのはここまで。あとはおふたりの幸せを祈るばかりだ。
外に出て、私は1人空へ飛び上がる。中空で振り返ると、手を振る幽々子さんと微笑する妖夢さんがいる。
「改めて、お世話になりました」
「また暇だったら来て頂戴な、元気な妖夢が超魔術を見せてくれるらしいわ~」
「できません」
「じゃあ、次までの楽しみにしておくかなー」
「できませんよ」
最後まで白玉楼らしい会話に、私も気付かないうちに笑顔になる。あまりだらしない笑いを見せていてもいけないなと思って、私はくるりと背を向けた。
曇天で月の無い暗闇へ、私は上昇していく。少しずつ遠ざかって、もう2人が見えなくなりそうになった――
「あ、卵かけご飯――また作ってね~っ」
――その声が、幽々子さんが大きく張り上げた声が、夜の空気に乗って聞こえたのはその時だ。
私はまた、だらしなく笑った。誰にも見られていないから、遠慮なくそれをさらけ出した。幽々子さんが、卵かけご飯の為に声を張り上げたなど、私と妖夢さん以外で誰が知っていようか?
「どんなことを書こうかなあ……ふふ」
完全に白玉楼も見えなくなって、私は1人思いを巡らせる。今日1日で知った――幽々子さんの、妖夢さんの、今まで見えなかった部分。それを記事に、私が自分で書いた記事に。
考えるだけで胸が高鳴る。これまで書いてきた新聞とはまったく違う、念写ではない本当の取材で書かれた新聞。あんな妄想新聞しか書けない文の言葉でも、今は少しだけ分かるところがある。
「『取材――それは体当たりが一番!』。……だよね、射命丸文さん?」
やっぱり、笑いが止まらない。
「ん?今何でもするって言ったわよね?」
的な話だと思ったら全然違った(驚愕)
ピクッ
良い具合にボケが入り込んでてスムーズに読めてとても楽しめました
仲良しになれそう。