思っていたよりも小さな家屋だった。住宅街の中にある、目立たない感じのこぢんまりとした一軒家で、庭があって、椿の花が咲いている。大学の近くにあるから、通勤に楽、という理由で購入したんだそうよ、と蓮子が言っていた。
玄関の呼び鈴を鳴らす。木の枠に打ち付けられた大きな鐘の内側に、複数の金属片が吊り下げられていて、紐を引っ張るとそれが鳴る仕掛けで、アナログなだけのものに見えたから、ちゃりんちゃりんと音がした後、横にあったインターホンから声が聞こえてきたのにびっくりしてしまった。
挨拶をする。
はーい、ちょっと待ってて、と声が返ってきて、すぐに内側からドアが開けられた。
「ようこそ! 宇佐見はもう来てるわ。さ、入って」
「おじゃまします」
メリーは少し、緊張していた。岡崎夢美教授は大学でいちばんの有名人物で、その天才性もさることながら、ガチレズの少女好きとして定評を得ている。へんなことされないかな、と警戒していたが、出迎えてくれた教授のあけすけな笑顔や、いつも学内で見かけている赤い服とはちがう、リラックスした感じのもこもこした部屋着なんかを見ると、変態だけど悪い人じゃないんだという気もした。
耳につけたイヤリングを、片手でいじった。今日にかぎって、メリーは気合を入れて化粧をし、ふだんしないアクセサリーもつけていた。
なめられてはたまらない。
廊下をぺたぺた歩いて、教授の部屋まで案内された。昔ながらの板張りの廊下で、冷え性のメリーは少し、足が冷えてしまった。
部屋に入ると蓮子がいたので、メリーはまず、文句を言った。
「電話一本で私を呼び出すなんて、蓮子も偉くなったものね」
「ごめん、ごめん。でも、今日は絶対にメリーが必要なのよ。大変重要なミッションなのよ」
「蓮子がそう言って、ほんとに大事だったためしがないけど。でも、しかし」
教授がお茶を淹れに行って、近くにいないのをじゅうぶん確認すると、メリーは声をひそめて言った。
「岡崎教授って、思ったよりもちっちゃいわね」
「でしょう? メリーも教授の講義、受けるといいよ。難しいけど、引き込まれるし、密度がすごい。それであんな容姿だから、うちの学部ではアイドルみたいになってるのよ」
メリーもさほど背の高いほうではないが、教授はそれより何センチも低くて、目の前で見ると中学生くらいに見えた。
教授は18歳だ。メリーや蓮子と同い年で、本来であれば中学校を卒業してから何年も経っていないのだから、べつだん不思議ではないのかもしれない。が、数々の伝説的な逸話を知るものからすると、やっぱり驚いてしまう。
少しすると、お盆の上に紅茶をのせて、教授がもどってきた。テーブルにつく。いちご模様の白いカップをに口をつけて、ひとすすりすると、教授だけが不満そうな顔をした。
ちゆりほど、上手くは淹れられないわね、と言う。
今日はその、教授の助手さんの件――北白河ちゆり、という、これも学内で有名な人物だ――で、ふたりはここに呼び出された。メリーはまだ、詳しい内容を聞いていない。
「端的に言うわ」
身を乗り出して、教授はメリーにぐぐっと顔を近づけた。ストロベリーティーの甘い匂いのする息がかかって、メリーはちょっと気まずくなった。真剣な目をして、教授はつづける。
「今日一日で、この家の中から、ちゆりの日記帳を探しだしてほしいの」
メリーはぽかんとした顔で、蓮子を見た。蓮子は重々しくうなずいたが、そっぽを向いて、メリーと目を合わせようとしなかった。
◆
数週間前、岡崎教授と助手のちゆり、そして蓮子は三人で、とある学会に出かけた。
大学に入ったばかりの蓮子が、教授に見出されて、助手の助手、という立場につけたのは、本人曰くとんでもない幸運だったし、じっさい、勉強熱心な学生で蓮子をうらやまないものはいなかった。比較物理学の分野で教授が打ち立ててきた業績はすでにして比類なきもので、そのうえ専門分野にとどまらず、理学系の他分野についても旺盛に研究をしては、それまでの定説に新しい方向を示唆するような、画期的な論文をいくつも発表していた。
天才の名をほしいままにし、その若さと、いつも赤い服を着ていることから、敬意をこめて「三倍の人」と呼ばれているのだ。
その名声が、先の学会で地に落ちてしまった。教授はそこで、また新しく、ひとつの論文を発表した。
込み入った、理論の真髄に触れるような部分は、メリーではわからないが、大まかにいうと、この世界に「魔力」の存在を認める論文だった。
私たちが住むこの世界には、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力の4つの基本的な力があって、それぞれが気の遠くなるような多彩な方法で働きあい、すべての運動を支配している。と、いうのが現在の物理学の立場だ。この百何十年間か、物理学はその認識をもとに発展をつづけてきた。
教授が提案したのは、そこに新しい、5つめの力の概念を付け加えることだった。
魔力の存在を前提にすることによって、既存の物理学は基礎的にも、部分的にも覆される。これまでに教授がなしてきた数々の成果と比較しても、じゅうぶんに飛躍的で、挑戦的な理論だった。当然、すんなり飲み込んでもらえるとは思わなかったから、可能なかぎりのあらゆる実験をし、データをそろえ、考えつくすべての準備をしてから発表した。
資料をデータで配布し、壇上で教授が話しだして、十分も経つと、会場のそこかしこから忍び笑いが聞こえはじめた。陰険なくすくす笑いが、圧力となって席上をおおい、「魔力」と言葉に出した瞬間に爆発した。
「まあ、それはもういいんだけど」
「いいんですか」
「よくないですよ! 私悔しくて、しばらく酒浸りでしたよ」
「いいのよ。あんな馬鹿どもに、理解を求めたのがまちがいだったのよ。……宇佐見」
「はい。また実験やりましょう。今度は私、お役に立ちますから」
「酒飲んでるの? 未成年が」
「……メリーが、飲め、飲め、飲まないと今夜、痛くしちゃうわよ、って言うから」
「あなたたち……そんなプレイを」
「誤解です!」
メリーはちょっと、興奮してしまった。しかし言葉こそ飛ばしているものの、教授と蓮子は表情を変えず静かに紅茶を飲んでいるだけだった。どうやらこういう会話が日常らしい。
どこまでこの人に、自分たちのことを知られているんだろう。メリーはなんだかうすら寒くなった。
「まあ、ともかくね。実はたしかに、私も、当日はちょっとばかり荒れちゃったりなんかしちゃったりして」
「ホテルで浴びるように飲んでましたもんね。未成年が」
「社会人だからいいのよ。それで、ちゆりにも迷惑かけちゃった」
「最終的には、椅子でぶん殴られてましたね。教授、ぜんぜんおさまらないから」
「ひさしぶりだったわ。出会ったころに戻ったみたいで、軽くときめいたな。それで冷静になって、帰ってきたのはいいんだけど……」
今度はちゆりのほうが、元気がなくなってしまった、と言う。
ふだん、ちゆりはひよわな学究の徒とは思えないほどの元気娘で、スポーツもするし、暴力もふるう。体を動かすことが心底嫌いだった教授も、ちゆりに影響されて護身術を習いはじめ、今ではジェノサイドカッターとかができるようになった。それでも、もともとがちがうので、ちゆりにはてんでかなわないが。
身体面だけではなく、精神的にもちゆりは教授のカンフル剤みたいなもので、落ち込んだときや、なんだかやるせないとき、アンニュイなとき、理由はないけどなぜだか切なくて、日々の細々なことがとてもめんどうになってしまうとき、いつもちゆりが、前向きな言葉と笑顔で引っ張ってきてくれたのだ。
そのちゆりが、学会から帰って以来、ときどき考えこむようになった。ふと目を離すと、物憂げな顔をして、天井を見つめていたりする。声をかけても、心ここにあらずといった態度で、上の空の返答をする。心配になってしまった。
「そこで私は考えました。まがりなりにも、私はちゆりの年長者で、彼女を監督するものです。ちゆりの悩み事を、きっちりと知っていなければなりません」
「はあ。まずは話しあってみてはいかがでしょうか」
「生返事しか返ってこないんだもの。思春期の子ってむずかしいのよ」
「あの、体調が悪いだけ、とかじゃないんですか」
「学会から帰ってから、ずっとそうなの。えっと、マエリベリーさん」
「メリーでいいです」
「メリーさん。今日はあなたの、その目に期待しているわ」
紅茶が気管に入って、むせてしまった。蓮子を見る。蓮子は素早く腰を上げて、部屋から出て逃げようとした。足首をつかんで引き倒した。蓮子は前のめりにこけて、顔面を打った。
「あたた」
「蓮子!」
「ち、ちがうのよ。しゃべったんじゃないの。教授は最初から知ってたんだって」
ごほんごほん、と教授が咳をした。そちらを向く。今までと変わらず、利発そうな中学生にしか見えない顔つきだった。
メリーにはそれが、おそろしさを通り越して、気味悪く思えてしまった。
わずかに眉根にしわを寄せて、教授が口を開く。
「ま、いろいろとね、調べたのよ。だから、宇佐見を責めないでやって。そういうプレイなら止めないけど」
「誤解です」
「そう。ともあれ、あなたの目は特別なものを見ることができる……それは私の理論と、根本的なところでリンクしていると、私は考えています。どうでしょ、宇佐見といっしょに研究室に来ない? バイト代も出すわよ。宇佐見には出さないけど」
「酷い!」
「あなたは私のそばにいることで、百年分くらいは未来を見てるのよ。で、ちゆりなんだけどね」
教授ははじめて、気弱そうな表情になった。すると、おそろしさが消えて、年相応の女の子に変身してしまった。
「ちゆりの日記を読みたい。あいつはずっと前から、毎日くわしく日記をつけてるわ。何を考えてるのか、そこに全部書いてあるはず。この家のどこかにある。必死で探したけど、見つけられなかった。あなたたちなら、何かに気づけるかもしれない。変わった目をしてるからだけじゃなく、私では、近すぎて見落としてしまうようなことを、指摘できるかもしれない」
長くつづけた言葉の、最後のほうは、搾り出すような声だった。メリーは目をぱちくりさせた。さっきまで天才だった教授が、壁際でうずくまって泣いている、かわいそうな子どものように見えた。でも、と思い直して、ぶんぶんと首を振る。きちんと言ってやらねばいけなかった。
「ちゆりさんは、日記を読まれたら怒ると思います。蓮子が言ったように、ちゃんと話し合ったほうがいいです」
「話してくれないわ。こんなことってはじめてで……ねえ、お願い、助けてほしいの」
「教授。やっぱり、趣味が悪いですよ。どうしてもって言うから、無理を言ってメリーを呼んだけど。私も同意見です。恋人の日記なんて、読むもんじゃない」
「もしもちゆりがいなくなったら、私は世界を滅ぼしてしまうかもしれない」
「うぉい!」
メリーと蓮子は同時につっこんだ。何をアホな、と思ったが、もしかするとこの人ならけっこういいところまでいけてしまうんじゃないかと思えるところが怖かった。
教授はすっかり意気消沈して、下を向いてぼそぼそつぶやいている。しかたなく、二人はそばに寄って、顔を近づけて耳を傾けた。
消え入りそうな声で、今にも泣きそうになっていた。
「浮気だったらどうしよう……」
二人は顔を見合わせて、やれやれ、とため息をついた。
◆
教授とちゆりの寝室と(当たり前のようにいっしょに寝ていた)、たんすや机などの個人スペース、それと研究室に使っている部屋はすでに殺人事件の鑑識なみに調べたおしたので、他のところを探してちょうだい、とのことだった。
日記帳は乙女らしく、アナログなもので、A5サイズの分厚い帳面である。表紙に、『ちゆりのだぜだぜ日記』と書いてあるからすぐわかるという。
手分けして、メリーはまず、台所を探した。古い家だから、今風のシステムキッチンではなく、壁のどんづまり部分にコンロ、換気扇、冷蔵庫、電子レンジとオーブントースターなど、熱を出すものが集中して配置されている。たぶん、料理をするときは蒸し暑く、油も飛びやすいだろうし、照明と窓の位置の関係で、電気を消すと、昼でもそこだけ薄暗くなってしまった。
ひとつひとつ棚をあけて、中を探していった。まさかこんなところに、と思わないでもなかったが、教授によると、家事はいっさいをちゆりが取り仕切っていて、私は手を触れることもないから、そのあたりに隠すことはじゅうぶんに考えられる、とのことだった。しかたないので、メリーは冷蔵庫の中や、ガスコンロと壁の隙間、米びつの中までくまなく探した。
米びつの中から、変なものが出てきた。
「教授」
「何? 何か見つかったの!?」
「このお米粒、見てください」
「……砂利かと思ったわ。真っ黒なお米ね」
「電子顕微鏡、ありますか?」
電子顕微鏡でそのお米を拡大して見ると、思った通り、米粒の表面にびっしりと極小の文字でなにかが書かれていた。
「ちゆりさん、器用なんですね」
「どうやって書いたのかも、どうやって見つけたのかもわからないわ……」
「えっと、たくさん書いてありますけど、たぶんこれとこれはダミーだから……抜き出すと……うん」
こんな感じだった。
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たかたたたれたたんただたーたたたたた
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「『た』ばっかりね」
「これに、イラストで、たぬきの絵が添えてあります。何だか擬人化されていて、眼鏡をかけていて、巨乳で、一人称が『わし』でやたらと高性能おばあちゃんっぽい雰囲気がありますけど、まちがいありません。これはたぬきです」
「成る程」
「教授ー!」
お風呂場のほうから、蓮子の声が聞こえた。あっちでも何か見つけたらしい。
すぐに向かうと、蓮子が白いパンツを手に持って得意そうな顔をしていた。
「これ、教授のパンツですよね。『ゆめみ』って名前が書いてあります」
「そうよ。ちゆりのに触ったら殺すわよ。で、何かわかった?」
「ええ、よく見ると、白い綿のクロッチ部分に、白い糸で縫い取りがしてあって、それが文字になってます」
このようだった。
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じてんしゃで
しゅうまつに
よりみちをした
のはらにいって
ながめた
かんがるーを
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「カンガルー……?」
「オーストラリアにいますね」
「知ってるわよ。暗号よね、これ……」
「蓮子」
「さて、他の手がかりはないかなあ」
「蓮子、なぜ真っ先にパンツを」
「メリーも何か見つけたのね。さすが、私の相棒。愛してるわ」
「やんっ」
教授はふたつの手がかりを、紙に書きだしてじっくりとながめた。さすがちゆりだけあって、これまでにない斬新な、まったく新しいきわめてユニークでオリジナルな暗号だった。人類史上最高の天才的頭脳をもつ夢美でも、解くのにてこずるだろう。どっちかというと、暗号の隠し場所と、そもそも暗号で手がかりを残す意味がどこにあるのかということが気になったが。
考え込んでいるうちに、風呂場の中でメリーと蓮子が同時に声をあげた。
「教授、ありました! ありましたよー!」
「今度はけっこうわかりやすかったです」
「ありがと。でもなんかテンション下がってきた……」
三つ目の手がかりは、お風呂場の鏡にあった。鏡のすみっこに、透明なニスで文字が書かれていた。シャワーを流してみて、気づいたのだという。
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まみむねも
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「今度は短いわね……」
「暗号というか、なぞなぞですね、これ」
「蓮子はこういうの、得意なんじゃない?」
「私、頭が数学よりだからなあ。メリーのほうが、好きそうじゃない」
「私は外人なので、ワカリマセーン」
「あ、ずっるい。プリンをストローで食べるくせに」
教授はあごに指を当てて、目を何回もしばたたかせた。スーパーグレートコンピューターにも例えられる、常軌を逸した超一流の頭脳が、いまや最高速でフル回転していた。たとえれば、すごい風が強い日のT.M.Revolutionのように輝いていた。やがて、教授は背筋を伸ばすと、少し体を緊張させて、ゆっくりと口を開いた。
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~読者への挑戦状~
すべての情報は開示された。
灰色の脳細胞を駆使し、真相を推理すべし。
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「まさか、居間のカレンダーの後ろに壁を繰り抜いて辞書が隠されていて、その辞書の箱の中に入っていた日記を私が偶然持っていた特殊偏光めがねで見ることにより読めるようになるなんてね……」
「ちゆりさん、ほんとにこれに書いてたんですかぁ?」
「まちがいないわ。ほら、ここに彼女のオリジナル魔法少女が描いてあるでしょう」
「見えません」
「会ったことないけど、変な人なんですね」
「あなたたちに言われたくないと思うわ。でも、ほんと、ありがとう」
教授は分厚い日記帳を抱きしめて、そわそわしていた。早く読みたいんだろうな、とメリーは思った。
用事は済んだし、帰るべきだ。相棒をうながして、メリーはさっさと引き上げた。駅へ向かう途中、雨が降ってきたから、雨宿りで一回だけ喫茶店に寄った。
最近は雨が多い。梅雨が近づいているんだろうか。窓ガラスをつたう雨粒を見ていると、重力に従って水が流れつたうさまが、なんだかとても大事な、自然界の秘密のように思えた。
同じ時間に降ったいくつもの雨粒が、偶然、ただひとつのこのガラスにぶち当たって、下へ向かうその途中で、合流して大きな水になる。晴れれば、すぐに蒸発してしまうだろう。
乾いて気体になるとき、合わさった水は、またばらばらになってしまうんだろうか?
なんだかよくわからなかった。なんだかんだいって緊張していたせいか、蓮子とふたりきりになると、メリーは眠たくなってしまった。
寝てもいいわよ。と、蓮子。
「まったく、気合入れて化粧なんかしちゃってさ。必要ないのに」
「あ、わかった?」
「そりゃわかるわよ。だてに毎日いっしょにいるんじゃないのよ。……どう、教授、魅力的でしょう。仲良くなれそうじゃない?」
「うん」
反射的に言ってしまって、しまった、と思ったものの、訂正することはしなかった。蓮子はにやにやした。
どうも、メリーは嫉妬深くてかなわない。
恋人に近づく人間を、男も女もかまわず、ひとしく警戒しているふしがある。先ほど言ったとおり、そんなことはまったく必要がないのだ。
教授については、輪をかけてそうだ。すごい人だから、気持ちはわからないでもないけども、今日でわかったように、あの子は――頭の中でだけ、蓮子は教授をそういうふうに呼んだ――他のお相手に心底ぞっこんなのだ。
心底なのは、自分もそうだ。窓のほうを向いているメリーを、蓮子は改めて注意深く観察した。色が白くて、金髪がまぶしい。横顔も、メリーは美人だった。いつも見ているけれど、まだ発見があるようだった。今日は化粧もしてるし、それに――
「あれ?」
「ん?」
「いや、今日、メリー、イヤリングしてたよね。耳見せて。あれ、やっぱり、ないよ」
「ん」
正面を向くと、右耳にはきちんとイヤリングがしてあった。メリーはそれを外すと、「ポッケないない」と言いながらポケットにしまった。
まあ、これくらいは、ちょっとした悪戯であるし、罰ゲームだ。メリーはちょっと含み笑いをした。蓮子がその意味に気づいたのは、次の日になってからだった。
◆
翌日、教授は顔をぼこぼこに腫らして、手足に何重にも包帯を巻いて講義をした。DVだった。
ちゆりはぷりぷり怒っていて、教授と目も合わせなかった。教授のほうでは、人目さえなければいつでもスタイリッシュバク転土下座をしたそうな感じだったけれど、顔はにやけていて、うれしさを隠しきれないみたいだった。
じっさい、ふたりの間にここ数週間わだかまっていた、ぎごちない雰囲気が溶けて、さらに仲が良くなったのがはた目にもわかった。お熱いことですね、と蓮子が冷やかすと、かたっぽは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、かたっぽは、もう、あんたたちのせいよ、馬鹿あ、といいつつ両手をぎゅっと握ってお礼を言ってくれた。
その日の講義は歴史に残る名講義になった。
教授の腫れたまぶたの、奥にある瞳がらんらんと輝いていて、その熱が学生にも伝染した。探求欲や好奇心、研究者としての気概をこれでもかと煽り立てるような刺激的な名調子だった。勢いに乗って法外な量のレポートが出されたが、おそるべきことにすべての学生がそれをきちんと提出した。どのレポートも、ふだんの各々のキャパシティを越えるようなすばらしい内容で、忙しいはずの他の教官たちがこぞって読みにくるほどだった。
何年か後、その講義を受けた学生たちのなかから、次代のアカデミーを背負う人材が次々と生まれることになる。
教授が「可能性空間移動船」を発明し、幻想郷に向かったのは、その講義から数ヶ月あとのことだった。
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○月×日
朝起きると、胸がむかついていた。だから朝食をとらなかった。
ご主人様には、ちゃんと食べさせてやった。
ご主人様は、もう立ち直ったみたいだ。切り替えが早いところが、やっぱり天才なんだと感心する。私には真似できない。
思い返すと今でも腸が煮えくりかえる。
あんな奴らに、私のご主人様が侮辱されたのだ。どうしてくれようか。
と考えても、私にできることはすくない。せいぜいが、うまい料理を作ってやったり、遊び相手になってやるくらいだ。
一応、私は研究助手、ということになっているけど、ご主人様は本物の天才で、ほんとうはひとりでなんでもできてしまう。
私の手伝いなんかいらないんだ。それが悔しい。悔しいったらない。
掃除をしながら窓の外を見た。夜のうちに雨が降ったみたいで、庭の樹がしっとりと濡れていた。
白い椿の花が、私が見ている前でひとつ、ぼたっと落ちた。樹の根元に転がった白い花が、丸まった子猫みたいに見えた。
少しの間、立ち止まってそれを見ていた。板張りの廊下は冷たくて、足がだんだん寒くなった。
白い椿の横に赤い椿の樹がある。
サンダルを履いて庭に出て、赤い花をまぢかでずっと見ていた。なんだか無性に悲しくなった。
あの理論が笑われたのは、私がじゅうぶんに役立てなかったからだ。頭にくる。次の機会には、今度こそ、ぐうの音もでないほどの完璧な証拠を突きつけてやろう。
そのためなら、私はなんだってやる。寝なくたって平気だ。何日も、何年だってぶっつづけでやってやる。
でも、ほんとうに大事なところは、ご主人様がひとりでやってしまう。ご主人様にしかできないことなんだ。
なんで私は、こんなに馬鹿なんだろう。
私はご主人様と、いっしょの景色を見ていたい。ご主人様と同じ塔に登りたい。地平線が見えるような塔だ。
ずっと遠くまで見える塔。そこから私たちは同じ方向を見つめる。
朝起きて、昼があって、夕日が沈み、星が見えて夢を見る。
私をそこに連れていってくれるのは、夢を見せてくれるのは、いままでも、これからも、ずっとご主人様なんだ。
あの人のすごいところは、頭が良いところでも、行動力があるところでもない。もちろんそれもすごいけど、ほんとうの才能は、人に夢を見せることだ。あの人の語る言葉は、とても生き生きとしていて、それはそれは美しいんだ!
ご主人様はいつも遠くを見ている。ときどき思い知らされるんだ。会っているあいだ、私としゃべっているときでも、ときどき私のことを見ていないような気がする。私の顔を見て、私と話をしている。視線はたしかにこっちを向いているんだが、焦点は遠くに合っている。そんな感じだ。
……ご主人様の視線を受けると、自分が裸にされて、すべてを見透かされているような気がする。
何だか怖い。とても怖くて、その怖さをはね除けられるようなものを、私は自分の中に見つけられない。
ご主人様は私を好きなんだろう。それはわかっている。でも、「好き」の何倍もの種類の、嫌なことが、外にはいっぱいあるんだ。それがわかった。どうしたらいい?
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×月○日
驚いた。あの子は私が大好きみたいだ。
へんな子だ。自分がどんなにろくでなしか、私はよおく知っている。
料理も洗濯も、家事はいっさいできないし、実は太りやすくて、(消した跡)kg以下を維持するのが大変なのだ。
ちゆりがいなければ、私は死んでしまう。
ほんとうにそうなのだ。
ちゆりに会うまで、私は死んでいた。いくつかものを書いて、褒められはしたけれど、自分じゃちっとも価値がないと思っていた。
ずっと退屈で、退屈な顔を隠さなかったから、周りからは嫌われていた。もう死んだけど、両親も私を嫌っていた。
他人が私に、何かできるなんて、思ってもいなかった。他の人間は何の役にも立たない、私を不快にさせるだけのものだった。
私が愛しているのはちゆりだけだ。
決して彼女を幻滅させないようにしよう。
あの子は私のことを魅力的だと思っている。私を見るとき、あの子の眼は輝いている。
私はまた、前のように戻ってしまうんじゃないかと恐れている。
でも、彼女はこんな私が好きなのだ。
私たちは今、旅行を計画中だ。
私たちが行くところだから、とても遠くがいい。誰も見たことがないような、いちばんの遠くだ。
行くための船から造らなくてはいけないので、ちょっと時間はかかるが、私は天才なのでなんとかなるだろう。
ちゆりのそばで、ちゆりに夢を見せてやるのが、私の生きる仕事だ。
素敵なSSをありがとうございます!
もう少し読者に愛を。
そして後書きw
お話も良かったですね。構成とか、纏まり方も。
割と真面目に考えた30秒返してくださいww
テンポの良さといい感じのオチで楽しく読めました
良かったです
つまりそういう事だ
面白かったです
何が言いたいかって言うとヒント下さい
どーしても偏光メガネが悔しい。ぷりぷり怒りたくなる。
あんな答えでどの口が言うかwwwww
レートが16.64とかありえない数字になっている訳が漸く分かった。
これは突っ込まざるを得ないwwww
とまぁ面白かったですw
とにかく、感じ入るところがあった
凄く面白かったです
100点もってけ!
一応、暗号の答えを書くと
①たぬき → 『た』抜き → 暗号文から『た』を抜いて読む
②縦読み
③まみむねも → 『め』の部分が『ね』になっている → 『め』が『ね』 → めがね
でした。
あと、①の文に添えられていたたぬきのイラストは、実はマミゾウさんです。
メガネ、カレンダー、辞書の中というワードからどんな隠し場所が導かれるのかと悩んであのオチかよ、というので10点マイナスさせてください。
生活感がよく書けている。その点は素晴らしかった。
ええ、結構ミステリーを読んでいる僕としてはですね……
……判るか、このヤロウ(笑)
とても面白かったです。
なん……だと……?
この授業受けたら俺も夢を見させてもらえるのかな。
初めて読んだけど、ゆめちゆっていいもんですね。
この二組のカップルの仲の良さにニヤニヤしっぱなしでした。
とてもおもしろかったです。
が、
あんな真相誰がわかるかちくしょう!
笑ったり感動したり忙しかったですwww
壁をくり抜く→わからんでもない
辞書の中→わかる
偏光メガネ→わからない……
秘封の二人も教授とちゆりもみんなかわいかったです!
好き