夜の王様が私に微笑みかけた。
真っ黒な翼に包まれて、辿り着いたのは、真っ赤なお館。
大きな門の前に立っていた女の人は、「ようこそ、紅魔館へ」と微笑んで迎え入れてくれた。
高い天井、長い廊下、地下に続く階段。
手を引かれて下った先の、大きな扉。
開けば、屹立する本の山脈。
その中心で咳き込む、紫色。
「……っ」
アメジストの瞳が、私の中心を捉えて。
「……誰?」
砂音のような声が、捉えて捕らえたそれを深いところに沈めていった。
「……さくや。いざよい、さくや、です」
貰ったばかりの名を、つっかえながら口にすれば。
紫色のその人は、わずかに目を細めた。
――これが不器用な笑顔だったのだと知るのは、ずいぶんと経ってからのことなのだけど。
「そう。私はパチュリー。パチュリー、ノーレッジ。魔女よ。……こんばんは、人間のお嬢さん」
++++++++++
――……恋とは落ちるものだと聞いたことがあったのに。
私の初恋は、どうしようもなく暗い場所へと沈んで、澱んでいく。
これは、最低な生き物についてのお話。
++++++++++
目の前で交わされる会話。
「それでレミィ、どうしたの? この子。非常食って感じではなさそうだし」
「気に入ったから拾った。可愛いでしょう?」
「……それには、同意するけれど。どうするつもり?」
「任せた」
「は?」
「後は任せたっ!」
「はああああ!?」
丸投げしようとする王様に、魔女は大きく非難の声を上げた。
でも王様はそんなのちっとも気にしない。
私の背を押して、魔女の方へと突き出した。
「見て。パチェ」
「なによ。……可愛いと思うのと、世話をするのは別だわ」
「そうじゃなくて」
「?」
「細いでしょう?」
私の身体。
痩せ細った、今にも折れそうな。
情けない、小さな身体。
「私が世話したんじゃ、気を抜いた瞬間に壊してしまいそうじゃない?」
王様の言葉に、小さく息を呑む魔女。
「お願い。……貴女だから、任せるの」
追撃のように放たれたその言葉に。
観念した魔女は、溜息と一緒に言葉を吐いた。
「……拾った者がキッチリ世話をする。出来ないのなら、もと居た場所に返してくる。それが道理だわ。……犬猫なら、そう言って突き放せたのだけど」
魔女は。
私の頭に、そっと手を置いて。
「仕方ないわね」
そう言いながら、優しく撫でてくれた。
その手付きは、壊れ物を扱うように繊細で。
そんな触れられ方など、一度もしたことがなかったから。
なんだか、泣きそうになった。
そんな私を見て、魔女が眉を下げる。
困ってる、のかな。
「ごめんなさい」
謝れば。
下がっていた眉は寄せられて、眉間に皺が生まれた。
どうしよう。
怒ってしまったのかな。
「ごめんなさ、」
唇にあてられた、人差し指。
「約束をしましょう」
静かな声で、魔女は言った。
「ごめんなさい、は、禁止」
すみませんも、失礼しましたも、一緒よ、なんて。
貰った言葉に、息がうまく出来なくなって。
ただ。
よろしくおねがいします、パチュリーさま、と、それだけ、震える声で。
++++++++++
――時間が積み重なるごとに思い知った。
パチュリー様は、優しい。
初日。
ばっちぃからと、お風呂に入れられた。
あったかいお湯なんて触れる機会はなかったから、馬鹿みたいだけど怖かった。
でも、洗ってくれる手付きが本当に気遣わしげで、固まっていた身体からも次第に力が抜けた。
用意された食事は、私にとって夢にさえ視たことのないご馳走だった。
湯気がたっているだけでも、ありえないくらいの出来事。
しかし、はやる気持ちとは裏腹に、口へはなかなか運べない。
手掴みで食べることが当たり前だった私にとって、ナイフとフォークは強敵だった。
少し疲れてしまったところで、気付く。
パチュリー様の皿には、私と同じ量の食べ物が乗っていた。
私が遅々とした手付きで食べるのにあわせて、パチュリー様も食べてくれているのだ、と。
その事実が頭に沁みこんだ瞬間、ご馳走の味がわからなくなった。
二日目。
読み書きが出来ないのだと告げると、パチュリー様は私を膝の上に乗せた。
そして、童話を朗読してくれた。
語り終えた後に、少し得意げな顔で言う。
「どう? 文字が読めなくては、こんなにも素敵な物語にも出会えないのよ」
正直な話。
心臓の鼓動がうるさくて、お話はちっとも耳に入ってこなかったのだけど。
その顔は、聞けなかったお話以上に素敵な物だろうと、そう思ったから。
私は大きく頷いた。
翌日から、パチュリー様は読み書きだけでなく、色々な知識を私に授けてくれるようになった。
――時間が積み重なるごとに思い知った。
パチュリー様は、優しい。
私とは、違って。
++++++++++
最低な生き物とはなんだろう、と考えれば。
私にとって、それは人間以外にありえなかった。
人間は、冷たい。
飢えて凍える隣人を、簡単に捨て置ける。
人間は、汚い。
持たない人から、さらに毟り取ろうとする。
そして。
人間は、欲深い。
温かい寝床と、腹を満たせる食料を手に入れても。
さらに、新たな物を求めて。
手を、伸ばす。
++++++++++
袖を引けば。
足を止めて、振り返ってくれることを憶えたから。
「どうしたの? 咲夜」
貴女が私に背を向けて去ろうとするたびに、繰り返す。
「もっと、いっしょにいたいです」
眉を下げて。
溜息と一緒におりてくる、やわらかな手。
温もりに、頭を擦り付けて。
「もう、寝る時間でしょう?」
なんて。
そんな言葉にも。
「なら、いっしょにねたいです」
仕方ない子ね、って言いながら、受け入れてくれるの。
優しいから。
――……その優しさにつけこむことにも、すぐに慣れて。
「しかたなくて、いいです」
醜い自分にも、慣れていった。
++++++++++
私の背が伸びるほどに。
不器用な笑みさえ、浮べなくなった貴女に。
気付いていた、のに。
離れることが、正解なのだと。
それを悟れる賢さも、貴女が与えてくれたのに。
私は。
醜い、私、は。
++++++++++
「パチュリー様」
私の頭を撫でようと伸ばされた手は、頭の上まで届かなくて。
額にぺちり、と軽い音をたててぶつかった。
パチュリー様の眉が下がる。
口が小さく引き結ばれて、ああ。
泣きそうなのだな、と。
そう思ったから。
「パチュリー様」
名前を呼んで。
抱き締めた。
「……ッ」
声にならない声で喉をひくつかせたパチュリー様は腕を伸ばして私と距離をとろうとする。
それに従うべきなのだ。
離れる、べきなのだ。
わかっているのに。
「パチュリー様」
また、名前を呼んだ。
パチュリー様は動きを止めて、力を抜いていく。
もたれかかってきた身体をさらに深く抱き寄せると、乾いた笑い声が漏れた。
「……咲夜」
「はい」
「貴女、言ったわね。一緒にいたい、って」
「はい」
「私も、一緒にいたいの」
でも、と。
声は、発されるごとに、震えて、掠れて。
「私を置いて逝くのは、貴女でしょう?」
最低の生き物とは、なんだろう。
「ずっと、一緒にいては、くれないのでしょう?」
「……」
「なら、今、この手を離して」
「いや、です」
「なんで……っ」
「今。私は貴女と一緒にいたいから」
人間は、冷たくて、汚くて、欲深い。
だけど。
「パチュリー様」
優しい魔女の頬を掴んで、視線をあわせる。
濡れて光ったその瞳を、美しいと思いながら。
「私が死ぬまで、一緒にいてください」
醜くて利己的な感情をぶつけているのは、誰だ?
「貴女が好きです」
せめて。
心に刻め。
――……世界でもっとも最低な生き物は、私だ。
真っ黒な翼に包まれて、辿り着いたのは、真っ赤なお館。
大きな門の前に立っていた女の人は、「ようこそ、紅魔館へ」と微笑んで迎え入れてくれた。
高い天井、長い廊下、地下に続く階段。
手を引かれて下った先の、大きな扉。
開けば、屹立する本の山脈。
その中心で咳き込む、紫色。
「……っ」
アメジストの瞳が、私の中心を捉えて。
「……誰?」
砂音のような声が、捉えて捕らえたそれを深いところに沈めていった。
「……さくや。いざよい、さくや、です」
貰ったばかりの名を、つっかえながら口にすれば。
紫色のその人は、わずかに目を細めた。
――これが不器用な笑顔だったのだと知るのは、ずいぶんと経ってからのことなのだけど。
「そう。私はパチュリー。パチュリー、ノーレッジ。魔女よ。……こんばんは、人間のお嬢さん」
++++++++++
――……恋とは落ちるものだと聞いたことがあったのに。
私の初恋は、どうしようもなく暗い場所へと沈んで、澱んでいく。
これは、最低な生き物についてのお話。
++++++++++
目の前で交わされる会話。
「それでレミィ、どうしたの? この子。非常食って感じではなさそうだし」
「気に入ったから拾った。可愛いでしょう?」
「……それには、同意するけれど。どうするつもり?」
「任せた」
「は?」
「後は任せたっ!」
「はああああ!?」
丸投げしようとする王様に、魔女は大きく非難の声を上げた。
でも王様はそんなのちっとも気にしない。
私の背を押して、魔女の方へと突き出した。
「見て。パチェ」
「なによ。……可愛いと思うのと、世話をするのは別だわ」
「そうじゃなくて」
「?」
「細いでしょう?」
私の身体。
痩せ細った、今にも折れそうな。
情けない、小さな身体。
「私が世話したんじゃ、気を抜いた瞬間に壊してしまいそうじゃない?」
王様の言葉に、小さく息を呑む魔女。
「お願い。……貴女だから、任せるの」
追撃のように放たれたその言葉に。
観念した魔女は、溜息と一緒に言葉を吐いた。
「……拾った者がキッチリ世話をする。出来ないのなら、もと居た場所に返してくる。それが道理だわ。……犬猫なら、そう言って突き放せたのだけど」
魔女は。
私の頭に、そっと手を置いて。
「仕方ないわね」
そう言いながら、優しく撫でてくれた。
その手付きは、壊れ物を扱うように繊細で。
そんな触れられ方など、一度もしたことがなかったから。
なんだか、泣きそうになった。
そんな私を見て、魔女が眉を下げる。
困ってる、のかな。
「ごめんなさい」
謝れば。
下がっていた眉は寄せられて、眉間に皺が生まれた。
どうしよう。
怒ってしまったのかな。
「ごめんなさ、」
唇にあてられた、人差し指。
「約束をしましょう」
静かな声で、魔女は言った。
「ごめんなさい、は、禁止」
すみませんも、失礼しましたも、一緒よ、なんて。
貰った言葉に、息がうまく出来なくなって。
ただ。
よろしくおねがいします、パチュリーさま、と、それだけ、震える声で。
++++++++++
――時間が積み重なるごとに思い知った。
パチュリー様は、優しい。
初日。
ばっちぃからと、お風呂に入れられた。
あったかいお湯なんて触れる機会はなかったから、馬鹿みたいだけど怖かった。
でも、洗ってくれる手付きが本当に気遣わしげで、固まっていた身体からも次第に力が抜けた。
用意された食事は、私にとって夢にさえ視たことのないご馳走だった。
湯気がたっているだけでも、ありえないくらいの出来事。
しかし、はやる気持ちとは裏腹に、口へはなかなか運べない。
手掴みで食べることが当たり前だった私にとって、ナイフとフォークは強敵だった。
少し疲れてしまったところで、気付く。
パチュリー様の皿には、私と同じ量の食べ物が乗っていた。
私が遅々とした手付きで食べるのにあわせて、パチュリー様も食べてくれているのだ、と。
その事実が頭に沁みこんだ瞬間、ご馳走の味がわからなくなった。
二日目。
読み書きが出来ないのだと告げると、パチュリー様は私を膝の上に乗せた。
そして、童話を朗読してくれた。
語り終えた後に、少し得意げな顔で言う。
「どう? 文字が読めなくては、こんなにも素敵な物語にも出会えないのよ」
正直な話。
心臓の鼓動がうるさくて、お話はちっとも耳に入ってこなかったのだけど。
その顔は、聞けなかったお話以上に素敵な物だろうと、そう思ったから。
私は大きく頷いた。
翌日から、パチュリー様は読み書きだけでなく、色々な知識を私に授けてくれるようになった。
――時間が積み重なるごとに思い知った。
パチュリー様は、優しい。
私とは、違って。
++++++++++
最低な生き物とはなんだろう、と考えれば。
私にとって、それは人間以外にありえなかった。
人間は、冷たい。
飢えて凍える隣人を、簡単に捨て置ける。
人間は、汚い。
持たない人から、さらに毟り取ろうとする。
そして。
人間は、欲深い。
温かい寝床と、腹を満たせる食料を手に入れても。
さらに、新たな物を求めて。
手を、伸ばす。
++++++++++
袖を引けば。
足を止めて、振り返ってくれることを憶えたから。
「どうしたの? 咲夜」
貴女が私に背を向けて去ろうとするたびに、繰り返す。
「もっと、いっしょにいたいです」
眉を下げて。
溜息と一緒におりてくる、やわらかな手。
温もりに、頭を擦り付けて。
「もう、寝る時間でしょう?」
なんて。
そんな言葉にも。
「なら、いっしょにねたいです」
仕方ない子ね、って言いながら、受け入れてくれるの。
優しいから。
――……その優しさにつけこむことにも、すぐに慣れて。
「しかたなくて、いいです」
醜い自分にも、慣れていった。
++++++++++
私の背が伸びるほどに。
不器用な笑みさえ、浮べなくなった貴女に。
気付いていた、のに。
離れることが、正解なのだと。
それを悟れる賢さも、貴女が与えてくれたのに。
私は。
醜い、私、は。
++++++++++
「パチュリー様」
私の頭を撫でようと伸ばされた手は、頭の上まで届かなくて。
額にぺちり、と軽い音をたててぶつかった。
パチュリー様の眉が下がる。
口が小さく引き結ばれて、ああ。
泣きそうなのだな、と。
そう思ったから。
「パチュリー様」
名前を呼んで。
抱き締めた。
「……ッ」
声にならない声で喉をひくつかせたパチュリー様は腕を伸ばして私と距離をとろうとする。
それに従うべきなのだ。
離れる、べきなのだ。
わかっているのに。
「パチュリー様」
また、名前を呼んだ。
パチュリー様は動きを止めて、力を抜いていく。
もたれかかってきた身体をさらに深く抱き寄せると、乾いた笑い声が漏れた。
「……咲夜」
「はい」
「貴女、言ったわね。一緒にいたい、って」
「はい」
「私も、一緒にいたいの」
でも、と。
声は、発されるごとに、震えて、掠れて。
「私を置いて逝くのは、貴女でしょう?」
最低の生き物とは、なんだろう。
「ずっと、一緒にいては、くれないのでしょう?」
「……」
「なら、今、この手を離して」
「いや、です」
「なんで……っ」
「今。私は貴女と一緒にいたいから」
人間は、冷たくて、汚くて、欲深い。
だけど。
「パチュリー様」
優しい魔女の頬を掴んで、視線をあわせる。
濡れて光ったその瞳を、美しいと思いながら。
「私が死ぬまで、一緒にいてください」
醜くて利己的な感情をぶつけているのは、誰だ?
「貴女が好きです」
せめて。
心に刻め。
――……世界でもっとも最低な生き物は、私だ。
パチュ咲もっとはやれ
切なくも、心に沁みる話でした。
パチェ咲に目覚めてしまったわ
そうじゃなければ疑問が残るんですよね、個人的に。
ま、咲夜は原作で人間のままって言っちゃってるからいいっちゃいいんだけど。
あなたのパチュ咲は相変わらず素晴らしいです
是非大ボリュームのも読ませて頂きたい
愛する人を苦しめてまで、自分の幸せが得たいだなんて。
なのに咲夜さんがとても魅力的に感じてしまうのは、私も醜い人間だからでしょうか。
なんというか、胸に突き刺さる話でした。