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―― さようなら お姉ちゃん ――
『第三の目』を瞑り、泣きながら呟く妹の姿。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
あの子の痛々しい姿に耐え切れず、目を覚ました。
人も獣も寄り付かぬ、鬱蒼とした山奥にある、浅い横穴で私は寝ていた。
うなされていたのだろう、体中が汗ばみ、暖の為に被った草藁があちらこちらで散乱している。
――ああ、またこの夢だ。
耳に焼きつく妹の声。
瞼に焼きつく妹の姿。
私の大切な、古明地こいし。
この夢を見た日から、あの子は私の前から姿を消した。
数年もの間、世界を巡り探し続けているというのに、手掛かりすら掴めない。
閉鎖的な暮らしを好むさとり妖怪とは違い、すぐ郷から出て行きたがる好奇心旺盛な子だった。
帰ってくるなり、仲良くなった人間や妖怪の話を延々聞かされたものだ。
「…どうしたの、さとり?怖い夢でも見たのかしら。」
クスクスと、小馬鹿にした笑い声。
すぐ横に居る声の主を睨み付けると、おお怖いと言いながら私を自分の体に引き寄せた。
汗で冷えた私の体が、彼女の体温で暖かさを取り戻していく。
「そういう顔も可愛くて妬ましいわねぇ。」
「……また、こいしの夢を見たんです。」
「…そうなの。」
優しく私の頭を撫でてくれる。
「……本当は、妹を探すのなんて、只の未練だと思うんです。こいしはもうこの世界にはいなくて。私は、在りもしない希望を見ているだけなんだって……。」
「さとり。」
体が震える。寒さからではない。失望からきている心からの震えだ。
「あの子はどんな時でも笑顔を絶やさない明るい子なんです。それが、あの夢を見てからこいしの居なくなって、その途端にあんな事になって……!」
「さとり、落ち着きなさい?」
不安が止まらない。何度も何度も繰り返している事なのに、認められない。
あれが、本当はこいしの状況を表しているのだとしたら…。
「目を閉じているんです!第三の目を!在り得ない、そんな事!
だって、これは悟り妖怪の象徴なんですよ!?目を閉じてるって事は心が読めなくって、悟り妖怪として機能していないってことで、それって……ッ!」
喚いている途中で彼女は私の顔を自分の胸に埋めさせた。
「……生きてるわよ、彼女は。」
反論したいけど、ぎゅうっと私を抱きしめたまま。胸の中でムームーと唸る事しかできない。
「これでも橋姫だから、縁とか絆とか、そういうものには敏感なのよ。」
縁切りが専門らしいけどね、と、彼女は付け加えた。
「こいしちゃんは、さとりお姉ちゃんが闇の底から救い上げてくれる事を願ってる。その想いを貴方の第三の目が受信しているのよ。
感じるわよ、私には。心底妬ましい位に想い合う、姉妹の絆が。」
「……ムー。」
「だけど、今はお休みなさいな?焦れば早く見つけられるものではないわ。
怖いなら、一緒に寝てあげる。」
「ムー。」
――抱き合う様な形で私は緩やかに来る睡魔を受け入れる。
目蓋の重さに耐え切れず閉じてしまうまで、彼女とずっと見つめ合っていた。
あの優しい輝きを帯びた緑の瞳が、私の心の弱さを包んでくれている様に思えたから。
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
さとり妖怪の郷。
京の街から離れた大江山連峰の奥に私の村はあった。
秘境と言ってもいい程に交流が無く、私達自身も挙って外に行こうとはしなかった。
心を読む。
腕力も妖力も無いが、只、其れだけの能力を有していた所為に、さとりの先祖は世界に翻弄され続けたと言い伝えられている。
片や神族の権力争い。
片や戦争の諜報部員。
様々な事象に巻き込まれた挙句、『知り過ぎた為』に消されていく、使い捨ての駒。
だから、さとり妖怪は姿を消した。生き長らえたい為に、臆病にひっそりと。
けれど、それに当てはまらない者がいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ごちそうさまでした! それじゃ、いってきまーす!」
食べた食器も片付けずに、一目散に玄関に向かおうとする不躾な妹の首根っこを捕まえる。
「コラ、こいし!食べたら食器を片付ける!」
「えー、堪忍してよォお姉ちゃん!早く行かないとお昼廻っちゃうよぉ!」
「ダーメーでーす!こんな礼儀知らずでは、他所様に迷惑を掛けてしまいます!」
「うー!」
「唸ってもダメ!」
ガチャガチャと食器を鳴らしながら、こいしは急いで洗い場に向かう。
「ふぇー!早く行かないと、姫ちゃんに怒られるよー!」
「あなたがお寝坊さんだからじゃない……。」
「起こしてくれてもいいじゃない!」
「私は日の出と一緒に起きて、グータラな妹の分まで畑仕事をしてるの。少しは手伝ってくれてもいいじゃない?」
「う…ぐぅ……。」
おとなしくなったこいしは、ガシガシと食器を磨く。全く困った子…。
「それじゃ、改めて行ってきまーす!」
第三の目の様にパッチリと目を見開きながら、こいしは元気良く家を飛び出して行った。
「暗くなる前に帰ってくるのよ!」
「分かってまーす!!」
妹を見送って、私は畑仕事の続きに掛かる。
村から出る事はならない。暗黙の了解で通ってきた理だが、こいしだけは例外だった。
やはり、波の激しい今のご時勢で外界の情報は生命線。
偵察員として村を出る事を許されるさとり妖怪を一人決められる。こいしがソレなのだ。
あの子のさとりとしての能力は村随一。
まして読み取るだけでなく、その思考を想起・具現するという従来のさとり妖怪にはない能力もあり、危機回避能力は村で群を抜いている。
昔に一度、いたずらで村中に大量の狼を映像化させ、大混乱させた時もあった。
……あの後、トラウマ植え付ける程、こいしをこっぴどく叱ったが。
しかし、私はとても不安だった。
今の人間と妖怪の仲は最悪。
鬼の四天王、緑眼を持つ不可視の妖、瘴気と病気を撒く土蜘蛛など。
それを許さぬ人間が妖怪を駆逐していると聞く。
巻き込まれるのではないか?
事実、前任者は妖怪と人間の抗争に巻き込まれ、命を落とした。
能力は高いといえ、こいしは村で一番幼いし、まだ子どもだ。それに、親を早くに亡くした私にとって最後の肉親。親代わりをして大切に育てた妹を、そんな危険な仕事に就かせたくは無かった。
しかし、いざこいしが任されると、帰ってくる度に美味しいお菓子や畑仕事が捗る道具、冬でも育つ珍しい種もみまで持って帰ってくる。偵察員としては非常に優秀だった。
最近、村が潤っているのはこいしのおかげだ。とはいえ、当の本人はとても好奇心旺盛。外に出る事を遊びに行っている感覚でいるのだが。
(全く、お姉ちゃんなのになぁ、私。)
少なからず、嫉妬を覚える。妹を守るのは姉の責務だ。
しかし、今ではこいしの方が危険な役割を担っている。
私がこいしくらいに能力があれば、すぐにでも代わるのに。
とはいえ、現実は願うだけでは変わりはしない。誰しも、役割があるのだ。こいしはたまたま、そういう役割で、私の役割はあの子に美味しいご飯を振舞ってやる事だと考えは固まっている。せっせと畑仕事に精を出す事にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……遅い。
もう日は落ち、世界は闇と静寂に支配されているというのに、こいしは一向に帰ってこない。
囲炉裏の火がパチパチと狭い居間に響き、それを挟む様に二組の食事が配膳されている。
火をボーッと眺める私。
(また、お泊りかしらねぇ。。。)
最近、よくある事。
『姫ちゃん』という人間の家に泊まっているのだろう。
こいしの話によると、姫ちゃんは京に住む偉い人間の娘らしいが、何故やら常に一人で居るらしい。寂しそうだった為、声を掛けると美味しいお菓子をくれて仲良くなったとか。
まぁ、妾の娘か何かだろうと私は思う。人間の世界では良くある事だと、近所のおじさんが言ってた。
(でも、今度帰ってきたら言ってやらなくちゃ。お泊り厳禁だって!)
しかし、あとちょっとしたら帰ってくるんじゃないかなぁ…。
もう少し待ってみよう。やはり、ご飯は一人より二人で食べるほうが美味しいし……。
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―― さようなら お姉ちゃん ――
『第三の目』を瞑り、泣きながら呟く妹の姿。
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「…………ッ!???」
寝てしまっていた。
焚き木に使っている炭の消耗具合から、さほど寝こけていた訳では無いらしいけど。
けれど、今のは何なのだ?
正夢ではなかろうか。本当に目の前で言われた位の実感があった。
不安が拭えない。こいしの身に何が――。
村長に相談しようと、玄関を出る。空が数多の赤い星が輝いているのが目に入った。
――――違う!あれは炎だ!!
慌てて身を伏せる。
ドスドスと、地面や家の壁に何かが突き刺さる音。
火矢だ。木や藁で構成された家は、悲鳴を上げたかの様に燃えあがる。
住居を失った仲間達が次々と出てきた。そこに、森から黒尽くめの集団が襲い掛かってきた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
逃げようにも、火が住居から森へと燃え移り、焼かれてしまっている。
そして響く、絶叫の数々。
殺されているのだ。突然の侵略者に、目の前で仲間達が。
「…あ……。」
命が消えていくのが分かる。幾秒の内に、一つ一つ、心の声が消えていく。
「う……あぁぁぁぁ……!!!」
炎に焼かれた森に飛び込み、生き延びようとする者。
家族が目の前で死に、発狂する者。
家の隅で縮こまり、死を待つ者。
聞きなれた声が、親しかった心が。消えていく。
「…こ……!」
私は駆け出した。あの夢がもし本当ならば……いるのではないのか!?
「こいしぃぃぃぃぃぃ!!!」
私は、妹の名を叫びながら、焼けた村を駆け廻っていた。
地面には見知った死体と、踏み潰され、ほとんど原型の留めていない第三の目が無数に転がっていた。
自分の精神がガリガリと削れていくのが判る。むせ返る血の臭いと村を覆う熱波の炎。
全てが赤に染まった地獄の世界。私は発狂寸前だった。
けれど、妹の姿は一向に見当たらない。私は妹が生きていることだけを願い、気持ちをそこだけに集約し、なんとか正気を保っていた。
侵略者が振るう殺意の太刀筋が幾度と無く襲ったが、心を読み、かわして私は駆けた。
「こいしぃぃ、こいしぃぃぃぃ!!どこに……どこにいるの!!?」
煙と熱で喉が焼け付くような痛みに苛まれているが、それでも叫ぶことをやめるわけにはいかなかった。叫ぶのをやめたら、全てが終わってしまう気がしたから。
しかし、辺りを見渡すと、侵略者達が私を囲おうとしている。心を読めても、かわせなければ意味が無い!
「うあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
私はその囲いが出来上がる前に意を決し、侵略者達に突っ込んだ。
――だが、失敗した。
足を斬られ、転んでしまう。慌てて侵略者の方へ振り返る。
もう、すでに、刀を振り下ろす体勢に入っていた。
だが、その刀は途中で止まっていた。
侵略者が藻掻いている。しかし、押しても引いても空中で固定されたかのように刀は動かない。
「欲に塗れた人間が……。」
……私の前に何かいる!?
ズズゥと、羽音の様な音を鳴らし、私と侵略者の間から、姿を現す。
肩にかかる金色の髪と長い耳。刀を受け止めている左手は蒼白く、右手は紅く輝いている。
「弱きを淘汰し、贅沢を貪る下賤の輩共!今、死んでいった者達の無念と怨念を知れ!」
目の前の侵略者に両腕で掌底を撃ち込む。
瞬間、蒼と紅の光が炸裂し、侵略者は跡形も無く消滅した。
残りの侵略者達は、今の状況を見た途端、恐怖で心が染まり、急いで森へ逃げ出す。
「逃がしはしない!」
今度は翠の閃光が爆発しながら高速で襲い掛かる。
その光はまるで獣の様に、次々に侵略者達を喰らって行った。
私以外の命が屠られた後、目の前の妖怪は睨む様に私を見た。
「あ……。」
一見すると、角の無い女の鬼。しかし、この吸い込まれるような、緑色の瞳。
『緑眼を持つ不可視の妖』
間違いない、京で恐れられている妖怪の一人だ。
偉い武家や公家ばかり狙うと聞いているが、その詳細は知られていない。
どれだけ強固に護られている者であっても、簡単に掻い潜られ、標的だけ殺されるのだ。
しかも狙われた者の全てが、突然気が狂いだし、その果ての自殺ないし病死である為、犯行の手順も分からないので情報もほとんど無い。まさに不可視の妖だ。
しかし、何人かの権力者は死ぬ間際まで、『緑の目の怪物』とうなされていることからそう呼ばれている。
力の差は圧倒的だ。敵う筈も無い。逃げられる訳も無い。
私はただ、呆然と彼女の行動を見ている事しかできない。
――すると、彼女は笑顔で手を差し伸べた。私に向かって。
「立てるかしら?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私は眺めた。
村の惨状を。
一刻前までは、みんながいて、畑があって、村があった。
触れ合える心があった。触れ合える命があった。
けれど、今は全てが瓦礫になっている。
もうここには心も命も、消し炭になっている。
この後は何をすればいいのだったか?
……ああ、そうだ。供養だ。
心は無くても、体はまだ残っている。
畑仕事を教わったおばさんや、昔話をしてくれた物知りなおじさん、一緒に遊んだ元気なおにいちゃん、親代わりに面倒を見てくれた村長のおじいちゃん。
野ざらしでは寒いから。散り散りに寝そべっては寂しいから。
一つに集めてあげないと。
村長の体を触る。まるで石を触っているように冷たくて、硬い。
……でも、供養ってどうやればいいのだろう?
私は供養という『単語』しか知らなかった。
村の中で骸を供養するという事を私はしたことも見たことも無い。
さとり妖怪は長命。且つ危険を避ける生き方をしている。私が物心ついた時には親は既にいなかったし、前任の偵察員が死んだ事は偶然、動物の便りで聞いたものだった。だから、死というものを目の前で見たことが無かった。
分からない事があれば、いつも村の人達に聞いていた。
けれど今は、聞ける人がいない。
一つに集めた後、どうしたらいいのだろう?
「ダメよ。今はそんな事をしている暇が無いわ。」
後ろから声が掛かる。
「感じないの?この山にはまだ無数の殺意が潜んでいる。――心が読めるんでしょう?」
言われて、第三の目でしきりに周囲を見渡す。
――何かが聞こえる――
「殺すだの、金だの、泥の様な声が……聞こえます。」
あれは、只の先発隊。まだ、他にも潜んでいるというのか……。
「目的は貴方達、さとり妖怪よ。」
「……どうして?」
「欲から転じた逆恨み。だから私はここに来た。……いい餌があると思ってね。」
彼女は気分がいいのか、笑顔を絶やさない。
空腹の妖怪が、食料に在りつけた様な笑顔を。
「……貴女は私を、どうしたいのです?」
「付いて来てくれるだけでいいわ。目標を食らうまでは貴女を守ってあげる。それに――」
先ほどとは違う。徐々に彼女は歪な笑顔になった。
「結果的に貴女の復讐を完遂する事にもなるわよ?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「貴女、名前は?」
「……古明地さとりです。」
山を飛翔する彼女に背負われて、私は答えた。
「さとり妖怪に『さとり』と名付けるなんて。貴女、親にとても祝福されて生まれたのね。」
「……顔も声も、覚えていませんけど。」
あらまぁ、名前聞いただけで地雷踏んじゃったわ、と、焦っているようだ。
沈黙。
しかし、この妖怪、この状態を何とか打破したいと考えている様で。
趣味とか聞いたほうがいいのかしら、とか、普段何をしているのとか聞けば話が膨らむかしら、とか。
……全て地雷です。
自分の暮らしが壊されたばかりの者にそれを聞いてどうしたいのか。
しかも、考えは筒抜け。私がさとり妖怪である事は完全に思考の外にある様だ。
恐れられている妖怪の割には、間抜けなのかもしれない。
「……はぁ。」
「え?何その溜息?」
「付きたくもなります……。」
「ん?……あ! …あぁ、そうね!あんな事になったんだものね!仕方ないもの…ね……。ウン……。」
次第に彼女の心は、情けない・恥ずかしいという感情でいっぱいになっていった。
暫く飛び続けると、遠くで大地が光り輝いていくのが見えた。
「あの光は、京の街ですか?」
村から出たことの無い私にとって、それはとても不思議な光景に見えた。
こいしがいつも行っていた、輝く京の街。まるで、あそこだけ朝のようだ。
「そう。そこに、貴女達の村を潰した輩がいる。」
心が疼く。恐怖と怒りが混ざった、胃がもたれる感覚。
あれは人間の欲の光だ。夜という自然の理に反し、己の世界に朝を作る傲慢な光。
前のめりになってあの光を見つめた。
すると突然、ガクンと体が前に押し出される力を受ける。彼女が急停止したためだ。
前のめりになっていたので、踏ん張る為の距離が足りなかった。やむを得ず私はその力に身を委ね、彼女の後頭部に頭突きを入れた。
…彼女は頭を振りながら悶絶している。相当痛かったらしい。
私はおでこの部分だった為、さほど痛くなかった。
「急に止まるからいけないんです。」
「そ、そうかもしれないけど!!」
声が震えて泣きそうになっている。強い妖怪だと思っていたが、案外打たれ弱いらしい。
「何か小さい物が目の前を横切ったのよ、凄い速さで!でも暗くて見えないし!」
オロオロしている。……本当に京で恐れられている妖怪なんだろうか?
彼女に対する評価がグングン下がっていく。
とりあえず、自分の目と第三の目で周囲を見渡す。
「……何か、いますね。確かに。」
私達を囲う様に、飛んでいる。心の声も速さの所為か、ノイズが多く聞き取りづらい。
けれど、言葉を伝えようとしている意思がある。――それも私に。
「すみません。そのままジッとしてもらえますか?」
「え゙っ!?」
「…何ですか、その返事は?」
「だって、凄いスピードで飛んでるのよ!怖いじゃない!」
だめだ、この妖怪。とんだヘタレだ。
「貴女、本当に京で恐れられている、『緑眼を持つ不可視の妖』ですか?」
「あいつらが勝手に持ち上げてるだけよ!私は日陰でひっそりと恨み抱えて生きていたいだけなの!」
「……いいから言うとおりにしてください。――止まり処に悩んでいるのですよ。」
私は右腕を水平にして上へ突き出す。
高速の物体は警戒しながらも、徐々に速度を落とし、私の腕に着地した。
「……隼?」
「ええ、私の村の近くに住んでいます。」
こういう鳥を使うのって、タ、タカジョーっていうのかしら?カッコイイわね妬ましいわね。
……彼女の心の声は無視して、隼の心の声を聞く事に専念する。
「……!そうですか!ありがとうございます。」
そう私が言うと、用事が終わったと言わんばかりに、山の方へ飛び去っていった。
「え?なにがそうなの?」
「妹は、死んでいないと言っていました!森の中でこいしの捜索隊がまだ動いているからって!」
彼女は感嘆の声を上げる。
「……さとり妖怪って、動物の声まで聞こえるんだ。」
「いえ。村の中では私だけでしたけど。」
こいしとは違う、私特有の能力。言葉を持たない動物達の思考を読み取る力。
といっても、主な使い道は天候や気候に敏感な動物達から天気予報を聞く事。
お陰で村一番、作物を育てるのが上手だった。
その上、村の外から情報を拾ってくれる鳥達もいる。
前任の偵察員が亡くなったのも、あの隼が教えてくれた事なので信頼できる情報源だ。
「……考えている事を具現できる妹と比べたら、話になりませんけどね。」
だが、私の能力は只の延長だ。それに、京の街に行っても動物は殆どいないので役に立たない。
こいしの代わりに偵察員になると言った事もあるが、結局のところ、普通のさとり妖怪と能力は変わらない為、認められなかった。
「こんな力じゃなく、もっと他の力が欲しかった…。」
もっと、強い力があれば、こいしを守れたのに…。
「そうかしら?その能力はとても妬ましいわよ。」
彼女は、先ほどとはうって変わる程、強い口調で語りかける。
「そんな事無いです。」
「あるわよ。貴女の能力は、言葉にできない者たちの想いを汲み取れる力。
動物たちに必要とされる様な唯一無二の能力を持ちながら、必要無いと言える贅沢な貴女が妬ましい。」
本心から言っている。この能力は、本当に素晴らしい力だと。
「……けど。この能力では誰も助けられません。」
「能力の価値は見てくれの強さじゃない。使い道よ?適切に使えばそれが大きな力となる。
さっきでも、貴女が妹ちゃんの生存が確認できたのは、それは貴女自身が持つ能力を理解し、貴女自身が適切に力を行使してきた結果でしょ?そうでなければ、妹ちゃんの安否がこんなに早く分かるわけが無い。自信持ちなさいな?」
「ですけど…。」
「私も巷で騒がれてるけど、強い妖怪じゃない。人間より多少頑丈で、負の感情を糧にして妖力を蓄える木っ端妖怪よ。出来ることと言ったら、嫉妬心を操る事ぐらいだし。」
「嫉妬……ということは、貴女は橋姫?」
そういえば先ほどから妬ましいとつぶやいている。
成る程、見えない妖怪の正体は嫉妬の化身・橋姫だった。心は目に見えないものだから人間には見え辛い。しかも嫉妬は人間が最も嫌う感情の一つ。心に抱えていても、それを自身には無いと思う者が殆どだ。その感情を見ぬ振りをする事は、彼女がいても見えない事になる。
「ご明察。とはいっても、元々嫉妬心を抱えた奴じゃないと使えないから、不便極まりないけど――ね?」
クスクスと、笑い出した。
「だから、貴女に来てもらったの。愚かな富者に特上の嫉妬心を引き出してもらうために。」
次第に彼女の心は暗く、淀んでいった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
上から眺める京の街は、凄いとしか言いようが無かった。
大きな家が無数に並び、更に点々と、親玉の様な大きな屋敷。
中には私の村がすっぽり入るのではないかと思う位、広い豪邸もある。
「この屋敷ね。」
目的地に到着し、屋敷の屋根に飛び降りる。
「それで、どうして私を連れてきたんですか?」
結局、飛んできた間でも説明も無く、只付いて来いとしか言われていないので、何をする以前に、理由すら分からない。どうして『さとり妖怪』なのか?
「早い話がここの主はね、助平でスケコマシで自分勝手なのよ。ホント許せない。」
…………。
鼻息荒く言う彼女。
「い、意味が分かりません。。。」
「女の敵って事よ!」
確かに私も女ですけど…。
「いやそういう意味じゃなくて、私という『さとり妖怪』を連れてきた理由を聞いてるんです。。。もぉ、頭悪いんですか!?貴女!!」
「え!わ、悪かったわね!!」
「認めないでください!」
「うぇ!?み、認めてないわよ!??」
ホントダメだ、この人…。
「り、理由、理由ね!そうそう、言う!今から言う!!」
ゴホゴホと咳払いして、キリッとした顔で言い始める。……若干、顔は紅かったが。
「この京には今、日ノ本一美しい姫がいるわ。
名前は輝夜姫。
何でも宵闇でも光が放っている様に神々しいお方だとか。」《クッ、ネタマシイ
ウロウロ歩きながら落ち着かない様子で話を続ける。
「美貌、知性、品性共に素晴らしく、全国津々浦々の武家や公家からから結婚を求められているわ。
だけど、どれだけ好条件を出しても、全てを袖に振る位、身持ちが堅いのよ。」《オトコドモ、ザマァ
「話の後に変なセリフ入れないでください。」
「ぬ…ぅ…。我慢する…。
まぁ、例に漏れず、この主も結婚を求めたわけ。それで、あまりにしつこい様だから、輝夜姫は問題を出した。
『私と結ばれたいのであれば、貴方の誠意を見せて欲しい。世に聞く『蓬莱の玉の枝』を手に入れる事』
主は大変困ったそうよ?
何せ伝説の蓬莱山に生えてる木の枝を取ってこいと言われるんだもの。
そもそもそんな山が今、実在しているのかも分からないんだし。
それで、考えた末に自分でそれを作ることにした訳。」
「自分で作る…?」
「そう。伝承によれば、様々な金属で構成された枝らしいけど、それを職人に作らせたとか。
結果、本物の様な出来だったらしく、良い所まで行ったそうなんだけど……。
謝礼をすっぽかされた職人が怒って、輝夜姫にばらしちゃったのよ。
その主は散々、あたかも自分が取って来たかのように武勇伝を語った直後だったものだから、再起出来ない位の恥をかかされて、今ではもう隠居状態になっているわ。
――嘘を雄弁に語る奴なんて、ろくな存在じゃないわね。」
「それで、ロクデナシに裁きを降すという事ですか?」
言った私に、手を振って否定する。
「裁きを降すだなんて、偉いもんじゃないわよ。
私はただ、こいつが勝手に世界を逆恨みしているから標的にした。
権力者は欲が深い分、黒い感情も並の人間とは質も量も違う。だから私は嫉妬心を煽り、『食事』をしようとしているだけ。」
「はぁ……。」
それと私が何の関係があるのか……。
「……この話には続きがあるの。
『蓬莱の玉の枝』の作成に協力した者達は主の逆恨みで、全てがメチャクチャにされているわ。
礼を請求した職人は勿論、材料を調達したもの、運んだもの、形を設計したもの。
全てが主の憂さ晴らしで根絶やしにされている。」
「……。」
「……私はその跡地を全て見て廻った。アレが自分の欲でどれだけの者を巻き込み、潰していったか知っておきたかったの。
……どの現場も、被害者のやるせない悔恨と怨念が渦巻いていた。怨みも私の糧の一部だけど、さすがに食あたりしそうな位に気分の悪いものだったわ。
その暴虐の中で唯一生き残っているのは……貴女だけよ。」
……私?
「貴女の妹ちゃん、加担していたのよ。『蓬莱の玉の枝』の制作に。」
「…そ、そんな事、ありえません!」
私は否定した。
「だって、さとり妖怪は考えを読むだけの妖怪です。
物を作るなんて器用な妖怪ではないし、あの子、村の中でズバ抜けて不器用なんですよ!!
あの子がいったい何が出来るというんです!?」
職人はいる。材料もある。ただ、木の枝の形に装飾を施すだけの金細工に、どうしてこいしが絡んでくるのか……。
「貴女、来る前に妹ちゃんの能力を言ってたわね。考えたものを具現できるって。」
「言いました!けど、それは幻です!見えはすれど、触れられないものです!」
「私も、どうしてさとり妖怪が制作に絡んでいたのか分からなかったけど、それを聞いて納得したわ。見えるだけで良かったのよ。『蓬莱の玉の枝』が。」
伝承ものの絵巻には漠然とした絵や図が描いてある。
だが、その絵巻は一つとは限らないし、地方によって言い伝えは様々である。描いた者が違えば、細部も色々違うのだ。
もし輝夜姫が本当に、『蓬莱の玉の枝』を見た事があるなら、適当なものは作れない。
「それは、木や葉の形が分からなかったという事ですか…?」
「ええ、柳のような枝なのか、松なのか、梅なのか…。もしかすると、この国に存在していないような木ではないか?そこが難点だったんでしょう。相手は本物を取ってくることを前提で言っている。ミスは許されない一発勝負。」
「…一番確実な形は、輝夜姫が『蓬莱の玉の枝』を記憶している形。それを引き出し、形にすれば……。」
「ハズレは絶対に無いって事よ。」
…………でも、それじゃあ。
「……それじゃあ、あの子が私達の村を滅ぼす原因を作ったんですか?」
こいしは泣いていた。第三の目を閉じて泣いていた。
あれが正夢であるのなら、合点がいくのだ。
自分の行動に後悔して泣いていた。逃げたのだ。自分の責任から。
自分の能力を嫌って第三の目を閉じていた。逃げたのだ。自分の能力から。
自分も村も仲間も私も、詫びても許される事ではないと分かったから。
全てを捨てて逃げたから、別れの言葉を告げたのだ。
吐きそうな程に気分が悪い。震えが止まらない。
「さとり…?」
認めたくない。そんな現実。
「あの子は、あの子なりに一生懸命自分の役割を担ってきたんです…。」
認められない。そんな残酷。
「良かれと思ってやった事なんです…。」
「さ、さとり…!?」
「あの子は誰かを傷つけたくてやったわけじゃない!そんな子じゃない!良い子なんです!
私が一番知っているんです!!きっと、お願いされてやっただけなんです!!
……それなのに、どうしてこいしがあんな思いをしなければならないんですか!!」
こいしは自分が知らないまま、罪人にされた。他人がやった勝手な行いで、私達の村を滅ぼしたという罪の片棒を担がされてしまったのだ。
「取り返しの付かない事をしたと、あの子は理解してしまった!だから、あの子は『さようなら』って言ったんです!!」
こいしの本当の罪は、口が滑らせた事だ。
さとりの郷の場所を人間は知らない筈。けれど、あの侵略者の数を見れば、郷の場所を知っているのは確実。もし、探索をしていたとしても、その行動を動物達が知らせてくれるはずだ。
知っているという事は、こいしは誰かに言ったのは確実だろう。
けれど、きっと相手は信頼できる者だった。世間話でポロリと言った位の感覚で言っただけだ。
あの子が悪意を持って、私達の村を潰した訳じゃない!
体から何かが湧き上がる感覚。目の前が暗く、紫色に歪んでいる。
私の妖力が、視覚化しているのだ。
「さとり、どうしたの――!!?」
彼女が私の体を揺する。
直後、彼女の体中から紅い煙が吹き出て行く。私の妖力に作用しているようだ。
「な、何なのこれ!?」
勢いよく出てきた煙は時間をかけ、次第に止まりだす。しかし、煙自体は私達の頭上で停滞している。
彼女はその煙から庇う様に、私を抱きしめる。
何かが、聞こえる。
私と、こいしの名前を呼んでいる。
「こ、声が聞こえます……。」
「こ、声…!?」
「どうしてでしょうか…。村のみんなの声が聞こえるんです。」
発信源は、橋姫の身体から出た煙だ。
私達を取り巻くそれは、緩やかに、時計回りに動いている。
(こいしちゃんはどこだ…?)
(無事に逃げおおせたのか……?)
(さとりちゃんは無事だったか……。)
(怪我はないかい、さとりちゃん……?)
聞こえるはずの無い声が聞こえる。
果ててしまった筈の仲間の声が。
「みんな…生きているんですか…?」
「……違うわ。これは残留思念よ。」
彼女は首を振りながら言う。
「あの村で私が妖力の糧にした彼等の思念が、貴女の能力に作用した。
けど……私にも聞こえる。これって、妹ちゃんと同じ、具現化する能力…?」
「分かりません…初めての事ですし。」
私達が戸惑っていると、煙の一部が形を作っていく。
あれは、あの形は…。
「……そ、村長。」
村長のおじいちゃんだ…。ずっと私とこいしの世話をしてくれたおじいちゃん……。
(さとり。よく、生きていてくれたね……。)
「……。」
言葉が出ない。
出したくでも、しゃっくりに掛かったように、上手く呼吸が、出来ない。
もう、会話なんて、永遠に、出来ないと、思っていたのに、話したいことが、いっぱい、あるのに、喜しくて、言葉が、出ない。
「お……お、じい、ぢゃん……。」
目が、熱くって、霞んで、見えない。
(…悲しいのは分かる。だが、さとり。くじけてはならんぞ。
生き延びてくれたお前こそが、私達の最後の幸福だ。)
「……や゙だ。ぞんなごど。いわ、ないで…。」
さようならなんて、聞きたくない。
(こいしに伝えて欲しい。皆、お前を責めていないと。
子どもながら良く働いてくれたと。
偵察員は本来、我々大人の仕事だった。だが、こいしの能力に甘えてしまったのだ。
辛い思いをさせてしまって、許して欲しいと。)
「み゙んなで、いおうよ゙……。わだしひどりなんで。。。や゙だよ…。」
(私達はもう、おらんのだ。今を生きる、お前の役割なのだ。)
「ひ……ふぐぅ…ぅ。。。」
いやだ、いやだ。
(……橋姫様。最後にさとりと会話をする機会を頂き、ありがとうございました。)
「……私は何もしていない、すべてさとりの能力の仕業よ。……それに、私に話す時間があるなら、さとりの方に時間を割きなさい。大事な子なんでしょう…?」
(すみませんな…。)
「……謝らないで。当然の行為よ。」
(さとり。こいしを頼むよ。お前はお姉ちゃんだからね。)
「いわれ、なくても…わかって、ます…。」
鼻を啜りながら答える。
(そうじゃな、お前はおりこうさんだったものな。)
段々と、姿が薄くなっていく。消えてしまう。みんな。
「…只の思念だから。未練がなくなれば消えてしまうわ……。」
「そ、んな……行かないで。。。みんな……。」
(さようならじゃ、さとり。お前もこいしも、逞しく立派に育ったと、お父さんとお母さんに伝えておくよ…。)
(さとりちゃん、負けるなよ!)
(元気でね、さとりちゃん!)
(こいしちゃんによろしくね!)
(バイバイ、さとりちゃん!)
「うわああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「落ち着いたかしら…?」
私が泣き止むまで、彼女はずっと私を護る様に抱きしめてくれていた。
きっと、一人で泣いていたら最後に心が潰れてしまっていたと思う。
「……ありがとうございます。」
「礼を言われる事はしていないわ。」
……彼女はとても機嫌が悪くなっていた。
来る前までの彼女は、ここの屋敷の主は食料であるかの様に言っていた。
けれど、今は明らかに殺意を抱いている。まるで、長年探していた仇敵を見つけたかの様な殺意を。
「……私はね、誰かを犠牲にして自分が幸せになりたいって考えてる奴が大嫌いなのよ。そいつが腕力であれ権力であれ、力を持っている奴が特にね…。」
「橋姫さん…。」
「こんなもん見せ付けられてさ…普通でいられる訳ないじゃない…。」
自分の事の様に、彼女は怒っている。
一日も一緒に付き合っていないのに、どうしてここまで怒っているのか。
でも、奇妙だと思うけれど、なぜかその姿に私は安らぎを覚えていた。
「……行くわよ、さとり。復讐の時間の始まりよ。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ええい、まだあの妖怪の居場所が分からんとは!!!」
怒号が聞こえる。
「どいつもこいつも儂を馬鹿にしおって!!腹立たしい!!!」
枕を蹴飛ばす。壁に当たる。
(……相当ご立腹の様ね。まだ警備がいるわ。そのまま待ってて。)
私は庭の岩陰から、声を拾い続ける。
対する彼女は不可視の状態になり、主の部屋にいる。目標に対し、徐々に嫉妬心を煽っているのだ。合図をしたら、正面の襖障子から入って、自分が言いたい事を言うだけでいいらしいが……。
「なぜ大人しく死なぬ!?儂を陥れたというのに!!」
……苛立ってくる。勝手に堕ちておいてなんという言い草だ。
(だめよ、さとり。まだ堪えなさい。恨みの感情がダダ漏れよ。)
思われて、耐える。
今は彼女が指揮官だ。心しか読めないさとり妖怪に力を貸してくれているのだから、従わなければならない。
(いい子ね、さとり。そろそろ、こいつの心が操れるわ。)
「……貴様ら、何をしているか!!さっさと捜索に加わってこい!!」
勢い良く、襖障子から兵士達が飛び出していく。
(いいわよ、入ってきなさい。)
合図が来た。私は立ち上がり、部屋へ向かう。
許さない。
私の世界を奪っておきながら、まだ私の妹を追おうというだなんて。
私は、力の限り、襖障子を開いた。
バァンと、壁に衝突した音が鳴り響き、屋敷の主は驚く。
「…何だ貴様は…。」
私の全身を見渡し……第三の目で視線が止まる。
「さとり妖怪だとぉ…?」
部屋に置いてある刀を抜き、切っ先を私に向ける。
「全員死んだはずではなかったのかぁ!!?」
「……はず、とはどういう意味でしょうか?」
妙な事を言う。
「情報がおざなりすぎますね。部下の錬度が低いのではないですか?
山には無数に待機している部下がいたはず。それに聞けば、さとり妖怪達は死に絶えたというでしょうが、同時に『先発隊も全滅した』と報告するはずです。奇妙な事が起こっていると考えるのが妥当です。」
「先発隊?そんなもの分けた覚えがないなぁぁぁぁ。」
「?」
「さとり妖怪は生存していないという報告だけが重要だったからなぁ、それ以外はどうでも良い。それにもう聞きようがないわ。大江山連峰に入った者は皆、処分したからなあぁ。」
「ッ!!」
――嘘ではない。本音で言っている。
「どうして殺したのですか!?」
「どうしてだと?馬鹿だな貴様は!生かしておいては、其れをネタにして儂をせびる能無しが現れるからではないか!もう儂は過ちは犯さぬ。全て使い捨てよぉぉ!!」
こんな事、本音で言えるものなのか?
偽りもなく、しかも正しいと信じて込んでいる。
こんな奴に翻弄され、こいしはいなくなり、皆は死んでいったのか?
こんな考えが許されるというのか?
……けれど、さとり妖怪の伝承にもあった。
使い捨てられたから、逃げたのだと。
昔話だけだと思っていた。けれど、存在していた。伝承の悪意が、現実に私の目の前にあった。
「あなたは、許さない。」
私の周囲から、薄紫の陽炎があらわれる。
右腕にありったけの妖力を込める。
「許さぬだとぉ!!心を読むしか出来ぬ能無しがぁぁぁ!!」
私と、憎き相手が同時に前へ踏み出す。
右手を前に突き出し、顔を掴む為に突進する。
「遅いわぁぁぁぁぁ!!」
相手は私の右腕を斬り落とそうと、刀を振るった。
ガシリと、私は相手の顔を掴む。
「おおぅ、なんじゃと、刀が宙で止まっているだと!?何故、振り下ろせぬ!???」
「それは、貴方の心が砕けてから考えなさい。」
『恐怖催眠術』
彼の中に、映像が現れる。
輝夜姫から嘲笑われ、同僚から後ろ指を指され、朝廷から追い出された、憐れな過去。
「ああああああやめろぉぉぉぉぉ!!!」
封じていたかった過去を目いっぱい、何度も何度も見せ付ける。
こいしのように、現実に具現化することは難しいかもしれない。
だけど、直接心に映像を叩き込むなら難度は下がる。
いつもと逆、入力と出力を切り替えるだけだ。
「心は、記憶の結晶です。大事な過去や経験が記憶に残り、それが行動の原本となる心に反映されます。」
「おおおおぉぉぉぉ!!!!」
「今と目先しか考えない輩に何が出来るんです!?失敗に蓋をし、反省せず開き直り、同じ迷惑を周りに掛けて、貴方は何がしたいのですか!!!」
「黙れぇぇぇ!!!!!!」
「だから貴方は世間から蔑ろにされた!その様な心持ちだから、後ろ指を指された!」
「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「……そんなに自分の失敗を否定したいのなら、捨ててしまいなさい、記憶も!心も!!」
記憶が灰色になり、黒く塗りつぶされていく。
彼が否定しているのだ。自分の過去を。
塗りつぶして塗りつぶして、全ての過去を捨て、全ての記憶を捨て。
最後に彼は、自らの心を砕いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
生きていない様で生きている。呼吸することすら困難らしい。
憎むべき相手はもう、言葉すら理解できない状態になっている。
「お疲れ様、さとり。」
右手に刀を持った橋姫が労いの言葉を掛けてくれる。
「その刀、貸してくれませんか…?」
「放っておけば、直にお亡くなりになるわ。直接手を下す必要なんてない。」
「ですけど……!」
「止めておけって言ってるのよ。刺し殺した方が楽なの。今のまま、苦しませて死なせなさい。」
「……。」
ヒューヒューと、目を剥きながら肩で呼吸している。
汚らわしい…。
「行くわよ?さとり。」
「嫌です。死ぬのを見届けてから行きたいんです。」
「だめよ。長居すれば見つかってしまう。」
「……お願いです。」
まだ、足りないのだ。この悪の心の残骸が朽ち果てるのを見届けなければ。
「満たされないんです。私の心が。」
生まれて初めて抱いた、私の中の殺意。記憶にして、心に仕舞っておきたいのだ。
「焼き付けたいんです。私の心に。」
やれやれといった風に橋姫は座り込んだ。
「お、お父様……!?」
――急いで振り向く。
子どもだ。豪華な着物を着ているところを見るとこの屋敷の姫…!
しまった!意識が屋敷の主の方に集中してしまって、感知できなかった!
「く、曲者ぉぉぉ!!」
叫びながら廊下を駆けていく。
慌てて後を追いかける。
「止めなさい。」
すぐさま、彼女に呼び止められる。
「追いかけなくていい。貴方はそこのロクデナシを睨んでなさい。」
「ですが、このままでは!」
「いいから。待っていれば私があの姫様を連れてくるわ。」
…意味が分からない。胡坐をかいて座っているのに、どうやって連れ帰るのか…。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「姫様、何事ですか!!」
「何でもないわぁぁぁ!全く、儂を曲者呼ばわりして!」
「お、御舘様!??」
「ん~~貴様ぁ、何をしておるか!捜索はどうした!!早く妖怪の首を持ってこぬかぁ!!」
「す、すみませんでしたぁぁぁ!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
……何が起こってるのだろうか?
兵士の声が遠ざかっていく。……それに今の声は。
入り口から、姫を捕らえた屋敷の主が入ってくる。
けれど、主の方には心を感じない。空っぽだ。
「それは私の分身よ。変身させてるけどね。
万一のために外に見張りを立ててたのよ。私のやり方は隠密が第一だから、対策は二重や三重にしとかないと。」
偽の主はこちらに姫を放りなげた後、足元から煙が噴出し、晴れた煙の中から橋姫の姿が現れる。
そして、襖障子を閉め、部屋から遠ざかっていった。
確かに都で恐れられる妖怪の一つに挙げられるだけはある。
姿を消せる上に分身・変身までこなすとなれば、見つけようがない。
正しく『緑眼を持つ不可視の妖』だ。
私は、先ほど放り投げられた姫を見つめる。
「……。」
見覚えがある。この顔。
たしか、こいしが良く家で話をしていた人間の娘。
「そうですか、あなたが『姫ちゃん』ですね。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「こいしが、あなたにお世話になったと聞きます。
姉としてお礼を言わせていただきますね。」
頭を深く下げた。
しかし、彼女の震えは止まらない。
「理解しているようですね。わたしがどうしてここにいるのかを。」
恐怖で体が動かないようだ。
しかし、思考の回転は速いようで、聞いてもいないのに欲しい情報を沢山提供してくれる。
今、彼女の心は『懺悔』で支配されている。
自分の、どの行いが悪かったのか巡っているのだ。
「……なるほど。望まれずに生まれたから、望まれる存在になりたかった。
認められたかったのですね。貴女は。」
姫ちゃんは、生まれた時から無かったかの様な扱いをされていた様だ。
けれど、扱いというだけで、彼女は生きている存在だ。誰かに望まれたいと思うのは、全ての生物の欲求に当てはまる。
なら、望まれる為には何をすればいいのか?
答えは簡単だ。相手の望む答えを提供すればいい。
「だから貴女はこいしを受け入れた。」
こいしは望んだのだろう。偵察員としての仕事の成果を。
彼女はこいしに与えた。村に持ち帰る価値のある物を。
こいしを繋ぎ止める為のエサを与え続けたのだ。
「そして、父親が輝夜姫に問題を突き付けられ、悩んでいる時にこいしの存在を伝えた。」
あの子の能力が、今、一番望まれたい相手である、父親が求めている力だと思ったからだ。
「けれど、最後で全てがひっくり返った。父親は怒り狂い、こいしを殺そうとした。
だが、上手く逃げられてしまった。
父親はどうしてもこいしを殺したかった。その気迫に圧され……貴女は洩らした。」
彼女がばらしたのだ。さとりの郷の場所を。父親に聞かれて。
「こいしが言ってしまったのですね。あなたに、場所を。」
下を向いたまま動かない。覚悟しているのだ。自分の結末を。
「言ってしまったのはこいしの罪。
ですが、こうなる事を知って洩らしたのは貴女の罪。
正直、殺したい位、憎らしいです。」
この子は親の暴力を優先し、友情を捨てた。
まして、こいしを間接的に殺そうとしたのだ。許せるはずが無い。死んで当然の相手だ。
……けれど、彼女は後悔している。自分の行動に。
だから言い訳もしない。只、裁きの時をじっと待っている。
「……ですが。
きっと私が貴女を許すことを、こいしは望んでいると思うのです。」
家にいる時、こいしはこの子の話をずっとしていた。
本当に楽しそうで、毎日行くのを楽しみにしているみたいで、嫉妬を覚えたこともあった。
物が欲しくて行った訳じゃない。楽しい思い出が欲しかったのだ、こいしは。
きっと、彼女も同じだろう。望まれたという思いで満たされたかっただけではないはずだ。
純粋にこいしの事が好きだったのだ。
最愛の父と、最良の親友。辛い選択肢を、強いられたのだ。
私は、頭を撫でながら言った。
「だから、わたしは貴女を許そうと思います。
貴女は、親を殺した私を許してくれますか?」
姫ちゃんは、初めて顔を上げて、訴えた。
「……さとりお姉ちゃんが憎いわけじゃないんです。
私は……私が本当に憎いのは輝夜です。
アイツが私の世界を壊したんです。お父様と、こいしちゃんがいるこの場所を……。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
手を合わせ、祈る。
もう二度と会う事の無い仲間達の墓標に向かって。
私は捨て置かれた仲間の供養の為、村へ戻った。
肝心の供養の仕方は、橋姫さんが一緒になって教えてくれた。
仲間の骸を土に埋め、上に枝を立てる。
枝が木へと育ち、やがては蓬莱山の木の様に、美しく永遠に咲き続けてほしいものだ。
「終わりましたよ。」
「あら、ご苦労様。」
橋姫さんの方へ向かう私。
「姫ちゃん、どうしてるのかしらね?」
「私には分かりません。あの子はこいしの友達だから……。」
あの後、屋敷の主が息を引き取るのを三人で見納めた後、そのまま私と橋姫さんはこの村まで飛んできた。
一つ分かるのは、姫ちゃんは私達の事は誰にも話さないという事だけ。親殺しの相手であっても言わぬ事が、こいしへの罪滅ぼしになると考えていた。
「それじゃ、私は行くわよ?」
彼女は一度『食事』を行うと、二・三ヵ月は何もせず暮らせるらしい。
元々、この世界には嫉妬や怨恨が充満しているしているらしく、頻繁に出歩く必要が無いとか。
戦争でも起きたものなら一年程持つらしい。なんて低燃費なのかしら……。
「……すみません、お願いがあるのですが……。」
「何かしら?」
「……貴女について行ってもいいでしょうか?」
ダメで元々だが、彼女に頼んだ。
新しく力に目覚めた所なので、扱い方を教えて欲しいのだ。
幸い彼女も、『心』に関する能力。私に通じるところがいくらかあるはずだ。
「今の私には、こいしを探す力がありません。それに……。」
「いいわよ。ヒマだし。」
……あれ?あっさりだ。
「……もっとゴネるかと思ったんですけど…。」
「まぁ、私もちょっと思うとこがあるからね。」
彼女は顔を逸らし、墓標の方を見る。
「んーやっぱり、理不尽な世界に見放された者同士だからかな。同族相憐れむって奴?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
彼女が泣いている映像が過ぎった。
燃え盛る街の中、叫びながら空に何かを訴えかけている。
……両手に何か黒く丸い物体を抱えていた。
よく分からないが、血が滴り落ちていて……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……おーい、さとり。どうしたの?」
「……え!!?」
「いきなり止まっちゃって、疲れてるんじゃない?」
何なんだろうか、今のは。
突如、思考に入ってきた、あの映像は……。
……彼女の過去なのだろうか?
「ほら、背中に負ぶさりなさい。まだ空も飛べないんでしょ?」
「あ、はい!」
背中に飛び乗った私と一緒に彼女は高く飛翔する。
村がどんどん小さくなっていく。
つい、半日前までは、あそこだけが私の世界だった。
楽しい思い出も、悔しい思い出も、いっぱい詰まっていた。
きっとここに来る事はもう、殆ど無い。
その思い出は、過去になり、記憶になり、
今は、私の『心』という結晶に宿っている。
―― さようなら みんな ――
―― こいしを探すために さとりは行ってきます ――
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ところで、橋姫さんのお名前は何ていうんですか?」
「私の名前?あぁー、呼ばれたくないなぁ。」
「名前を呼ばれたくないって……。だったらどう呼べばいいんですか……。」
「んー。。。」
ひどく悩んでいるようだけど、さとりの私には筒抜けであって。。。
「水橋春日、というのですね。素敵なお名前じゃないですか。」
「グッ!!」
名前を言った途端、精神的にダメージがあるのか、フラフラしだした。
酔いそう。
「ちゃんと飛んでくださいよ。」
「ちょっとやめて!その名前で呼ばないで!若干トラウマなのよ、泣きそう!」
名前呼ばれただけでヘコむとか、どれだけメンタル弱いんですか、この嫉妬妖怪は。
「……死んだ旦那が付けてくれた名前なのよ。ソレ。
私、日ノ本の生まれじゃなくてさ、自分の名前を言っても、誰も聞き取れないのよ。」
「外来人という奴ですか?」
「そう。そこで旦那が私に名前付けてくれたの。『春の日の様に暖かく眩い女性』って。それで春日ってなって。。。うぅぅぅ、お前様ぁぁぁぁ!!!」
フラフラしていた飛び方が段々蛇行になっていく。
「ちょ、ちょっと、落ちちゃいますってば!」
「だから、貴女が名前を付けてよ!なんかいいヤツ!今の名前と当たらずとも遠からずみたいな!」
「そんな無茶苦茶な。未練タラタラじゃないですか!」
「未練と嫉妬の妖怪だもん!」
いきなりそんなこと言われても……。
「じゃあ、春日を簡単な読み方にして、ハル『大却下よ!!』」
大声でさえぎられた。
「…では、何ていう国で生まれたんです?」
「ペルシャ。」
「ぺ、ぺるしぃぁ?」
確かに発音しづらい。舌がつりそう。
「……う、うん、そうですね、さっきの読みとぺるしぃぁを掛け合わせて――。」
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
目が覚める。
昨晩と同じ状態だ。見上げれば、すぐそこに彼女の顔がある。
スゥスゥと寝息を立てながら、私を護る様に抱きしめている。
……長い、昔の夢を見ていた。
出会った頃の私と彼女。
あの時は彼女に助けられっぱなしだった。
少しの付き合いで終わると思っていたのに、もう幾年月。
こいしは一向に見つからない。
それでも、彼女は気長に付き合ってくれている。感謝しても足りないくらいに。
本当に――ありがとう。
もう少し、このままウトウトしていたかったが、残念ながら、彼女は目を覚ましてしまったようだ。
緑色の目が、私を見据える。
「おはよう、さとり。」
目覚めの挨拶。言われたら返事するのは最低限の礼儀だ。
「おはようございます、パルスィ。」
◆作品集161 『ブロークンハート』に続きます。
続き待ってます
続きを楽しみに待ってます
貴方の 頭の中の さとパル 楽しみにしてます。
では、半年くらい冬眠します。
あと、個人的に意外な人物が絡んでくる展開に弱いので輝夜姫の話のくだりで「お、おぉッ!?」ってなってました。
半年後を楽しみにしております。早ければ嬉しく、遅くとも待ちます。ええ、読みたいですから。
年相応に幼かった頃のさとりとヘタレ格好いいぱるしぃ姉さんの二人旅とか。なんかいい。
あと半年かぁ…。
面白かったです。
パルスィが少年漫画のヒロインのようでかわいいw
二人旅の続きが気になるので、早速後半戦に突入してきます。