時間が止まった草原に、死んだ物が流れ着く。
そんな幻想郷の端、無縁塚で僕は目の前の状況に怪訝な顔をしていた。
正確には死んだ物、というよりは忘れ去られた物が流れ着くのだが、物にとって使用されず忘れ去られることは死に似たものだろう。
物には思念が宿り、その思念は道具としてどう扱われたかによって大きく変化する。
綺麗に使われた物は人のように天寿を全うし道具としてその命を終えるか、物によっては九十九神の1つにでもなり使用者に恩を返すだろう。
だが、使われずもしくは使われても悪い扱いを受けた物の思念は悪霊となって人々に害を成すことがある。
時の流れなど様々な理由によって不必要となった物が流れ着くこの無縁塚には後者の物が流れ着くことも少なくない。
それ故に僕は流れ着く死体を供養し、『死んでしまって』流れ着いた物を商品として『生まれ変わらせて』いるのである。
しかし前述のことを考えても目の前に広がる奇妙な光景は形容しがたい物だった。
無縁塚に大量に並ぶそれは僕が思う限り忘れられることのないもの。
人の人生を形作るそれは。
時間だった。
無縁塚から持ち帰ったものを店に並べ終わると待っていたかのように現れた魔理沙が店の状況を見て、
「うわぁ……」
と、あからさまに嫌な顔をした。
確かに奇怪な……いや、目を引くような店内にはなったがそこまで引くことはないだろうに。
「なんなんだよ香霖。いまさら心機一転リニューアルなのか?」
「とんでもない。香霖堂はいつまでも古道具屋だよ」
「これを見てそう思うやつはいないと思うぜ?」
「まぁ否定はしないが……」
無縁塚で見つけた物。
それはあまり大量の時計だった。
その数は十、二十ではない。
柱時計に壁掛け時計。懐中時計に鳩時計。
気づけば壁という壁、棚という棚に大量の時計が並んでいた。
パッと見れば時計屋にでも転職したのかと思われるような店内だ。
その大量の時計のおかげで香霖堂にはカチコチと音が響き続けている。
本来ならば持ち帰るべき数というものがあるためそれに合わせた数の物を入荷するべきだ。それが商人の基本である。
だが、時計と言う物は時間を司り、人間の人生を刻み続ける物であり。
それ故に持ち主の思いによって思念が乗り移りやすい物である。
そのため何かを爪弾きにして無縁塚に置いていけばその思念は悪霊と化す可能性がある。
だから仕方なく僕は供養を済ませわざわざ台車に時計を積んで持ってきたのだった。
「まぁ幸い全部動いているんだ。商品価値は高いと思うよ」
「そうか? 確かに古い時計でアンティークっぽい感じはあるからレミリア辺りは欲しがりそうだけど」
「ただ古いだけじゃないさ。外から来た時計であるだけでこの時計は特別な物だよ」
「それにそんな古くなさそうなやつまであるしな。これなんてそうだろ?」
魔理沙は棚に置かれている時計、銀色に光る丸い卓上時計を持ってグルグルと回す。
事実魔理沙の持つ時計はまだ新しく見え、壊れたような様子は見られない。
「それにこれ全部……時間が滅茶苦茶じゃないか。これは3時だし、こいつは11時だ」
「そう、いい所に気がついたね魔理沙。そこなんだよ」
「そこ? どういうことだ。壊れてるだけだろ?」
ここにある時計は古いから持ってきたわけではない。
それ以上にこの時計達には重要な意味が存在するのである。
魔理沙にはそれがわからないようだ。
別々の時間、別々の時計。それが表すのは1つしかないだろう。
「その時計は壊れてなんかいないんだよ魔理沙」
「じゃあなんだ? 私の腹時計が間違ってるってのか?」
「惜しいとこだけど違うね。それじゃ他の時計同士の時間が違う理由にならないじゃないか。よく考えてみるんだね」
僕がそういうと魔理沙は持っていた銀色の時計を戻し、他の時計を見回す。
だがその行動にもすぐ飽きたようで僕の顔を見ると
「こんな時計ばっか見てたら頭が変になりそうだ。答えを教えてくれよ」
「もう少し考えた方がいいんだけどね。まぁ長引かせるのも悪いし答えを発表しよう」
答えを聞こうと椅子にちょこんと座った魔理沙の方を向き、僕は時計を持ってこう言った。
「この時計は外の世界の時間を指しているんだよ。それゆえにバラバラなのさ」
「外の世界の?」
「いや、正確にはその世界にいたであろうこの時計の持ち主達の時間だね」
そう、この時計達は外の世界で一つ一つが持ち主と共に時間を刻んできた時計なのだ。
それがあらわすのはどういうことか。
「時間ってのは同じだろ? 誰かが昼って言えば昼になるわけじゃあるまいし」
「確かに太陽の動きによる朝、昼、夜という時間流れは不可逆かつ一定であるとされている。しかし実際はその人にとっての時間の流れというものは決して一定ではないんだよ」
どういうことだ?、と頭を抱える魔理沙。
僕はその姿を見ながら一つの柱時計を見る。
僕が香霖堂を始めた時から存在する。香霖堂の時計。
これが僕の時間である。
「……あぁもう、あちこちからカチコチ聞こえてくるから集中できないぜ」
「これもまたいいと思うけどね。ゆったりとできて」
「むしろ急かされてるように感じるな。急げ急げって周りからどやされてるような気分だ」
「僕にはもう少しゆっくりしろと宥められている気分になるね」
一つの時計の音に耳を傾けているからなのか他の時計の音がその時計の後の音に感じる。
一つの時計を元に時間の流れに区切りがあるからこそ、周りの音に影響されず、自分の時間を保ち、安息した気持ちで落ち着けるのだ。
魔理沙の場合、全ての時計を自分の時間として考えてしまっているために断続的に続く音が急かされているように感じるのだろう。
「勝手に語るのはいいけど自分の時間ってのはなんだよ。時間ってのは誰の物でもないだろ? さっきも話してた時間の流れってのは何なんだ?」
「そこまで深く考えることじゃないよ。単純なモノさ」
人が感じる時間の流れとはその全てが自身の感覚によって左右される。
楽しい時間はすぐ過ぎる、つらい時間は終わらない。
その言葉に尽きると言ってもいい。
気づけば太陽が昇っていたり、仕事を終えても日は落ちていなかったりと、その行動、感情、状況によって自身の感覚は大きく変化する。
その変化は間違いなく自分の世界の時間を変化させ、人生の流れとも言えるものを形成するのである。
「宴会してて気づいたら朝になってたみたいなことでいいのか?」
「その通り、その時確実に魔理沙にとっての時間はとても早くなっているはずだ。魔理沙のことが家で研究をしていてまだ宵時だろうと思いながら朝を迎えることも多いんだろう?」
「そのまま寝ちまって夜が朝になったりな。そういうことなら理解できるぜ」
人に関していえば人生において時間とは有限且つ短時間である。妖怪においても時間とは決して無限ではない。
だからこそ如何にうまく時間を使うかと言うことが人生において重要である。
ならば時間の流れを遅くするためにつらく悲しく生きればいいのかと言えばそれは違う。
逆に楽しさだけで生きまさに矢の如く時間を消費するのも正しくない。
全てはバランス良く時間を動かさなければならない。
そのために使われるのが時計なのだ。
この言葉は一見矛盾しているように見える。
しかし自身の行動によって大きく変化し狂ってしまった時間の流れを直すことは難しい。
そのための目印として自身と共に時間の流れを動く時計を見るのである。
それによって自身の正しい時間を思い出し、調整し、安定させる。
その後にまた起こるであろう事態や行動で適度に時間を変化させるのである。
「それはわかった。けどこんなに時間にズレるなんてないだろ。朝昼間違えたって話じゃないぞ?」
「確かにそうだ。だけどこの時計達はそこらの時計は少し違うだろう?」
「幻想郷に流れ着いたってことか? まぁそれは特別だけど、時間があってこその時計じゃないか?」
「さっきも言ったろう? 時間とは個人の行動や感情で左右される。幻想郷にも外の世界にも大元となる大きな時間はあるだろう。でもこの時計は違う」
「まぁこっちに来るくらいだしな。早い話が壊れたから、ってことだろ」
「僕の話を聞いていたのかい?」
この時計は恐らく幻想入りするような、もしくは幻想入りした人間の時計なのだ。
幻想入りをするような人間、存在は周囲との関係や社会性から外れたものであることが多い。
つまり自己的にしろ強制的にしろ社会の流れに追従する必要性を放棄した者達だ。
社会の流れ、つまり世界の大元の時間の流れにも。
それが意味することはその人間は完全なる自分の時間を得るということだ。
他者に干渉されず、自身の意思で自らの人生を操作できるということだ。
それゆえにこの時計達は持ち主の、持ち主だけの時間を指し続けている。
「それって格好良くいってるけど、『周りは働いてるけど私にとってはまだ夜だから寝るぜ』って言ってるのと同じじゃないか?」
「まぁその表現はともかく間違ってはいないね。個人の世界で、個人の裁量ならば太陽だって月になるし夜だって朝になるからね」
「自分が黒なら白も黒ってか……馬鹿みたいだな。急にこれ全部がしょぼく見えてきたな」
何を言うか。
まぁ種がわかれば、言うやつなのだろうが僕にとってはこの時計の自体も興味は尽きないがそれよりも興味が別にある。
それは単純なこと。
何故急にこんな大量の時計が幻想入りしたのか、ということだ。
こちらに物が流れ着いて来る中で時計は決して珍しくない。
だがここまで大量に、それも一度に同種類のものが流れ着くとはどういうことなのか。
「で、なんでまた増えてるんだ?」
「そこに時計があったからさ」
「……格好良くなんかないぞ?」
本来なら二日続けて無縁塚に行くことは珍しいのだが、昨日の時計の件が気になり早朝から行ってみれば案の定また時計が流れ着いていた。
今回は小型の時計が多かったのでよかったが、柱時計が大量に来ようものならさすがに持ち帰ることは出来そうもない。
しかし時間を象徴する時計を無縁塚に放置するのは前述のように色々とまずい。
破壊することで時計としての能力は失われるが、それは僕の商人としての誇りが許さない。
売れる商品を破壊するなど許せるものか。
それに幻想入りするような物には、いや全ての物には何かしらの思念が宿っている。
もしそれが破壊したことで悪霊化しようものなら僕に手は負えないものだ。
「いや、だからっていちいち全部持ってくるなよ。店に入りきってないぞ」
「それもそれで……この店らしいじゃないか」
「汚い店だって自覚あったんだな。少しは片付けろよ」
魔理沙が言えた事ではない気がするが。
そう思いながら店を見渡す。
もう時計屋と言っても過言ではないほどの時計の量だ。
入りきらなかった柱時計などは店の外に仁王立ちしている。
今日が雨でなくて本当によかった。
「しっかしどうしてこんなに時計ばっかあるんだ?」
「その件は僕も考えたのだけどね……」
結局あの後僕は幾多の時計を確認し、何故幻想入りしたのかを考察していた。
その結果浮かんだ結論は2つあった。
その1つは外の世界の時間が統一されたということ。
この時の時間とは無論魔理沙に話した人間の時間だ。
朝は朝であり、昼は昼であり、夜は夜であるという社会的規律が確定してしまったのではないかという考えだ。
それ故に自身の時間で動く人間の時計が排他され流れ着いた。
人間が流れ着かないのはその人間も統一された時間に飲み込まれたからではないか、というものだ。
だが社会的に排他された存在であるはずのこの時計達の持ち主がまた社会の時間に入るのは考えづらい。
だとすれば外の世界ではありとあらゆる物が1つの時間によって支配される世界になっているのではなかろうか。
しかしその結論は有り得ないと思われる。
何故ならそれはもはや人間の世界ではない。時間の支配する世界だ。
自分が何時だと叫び時計の針を動かそうと、ある時をもって勝手に針が動く時計があるのなら。
それはもはや時計ではない。
「別にいいんじゃないか。私は嫌だけど」
「良くないさ。昨日話しただろう? 時計とは自身の人生を時間という物差で記録する物だ。それが他者の決めた時間で動かれちゃたまったものじゃない」
そんなことができるならば時計を操る人間は神にも等しい。
何故なら時間を決められるものは全ての人間の時そのものを操れるからだ。
時間は不可逆且つ一定である定説を平然と打ち破ることができる。
無限に続く労働を強いることもできれば、永遠の休息を与えることもできる。
そんな時計を自分のものとするような人間は人間ではない。
それはただの奴隷でしかないだろう。
幻想郷とは違うとはいえ、そういった時間の奴隷が生まれるほど外の世界は荒んでいないはずだ。
だからのこの考えは正しいとは言えない。
2つ目の結論は外の世界が遂に技術による時間の移動に成功したのでは、ということだ。
この考えは飛躍し過ぎではないだろうかと思われるが可能性は高い。
何故なら時間の移動ができるならば時計というものは必要がなくなる。
過去を指す道も無く、未来を指す道も無い、現在を指す時計では時間の跳躍には不十分である。
だが、それは社会としての時間を指す時計であり、自身の人生を表す時計は変わらず必要だ。
何故なら時間跳躍によって変わる時間軸の中で自分の時間を保つにはただ人生を生きるよりも問題が多い。
何故なら太陽も月も木々の育ちも自分の人生の物差にならなくなるからだ。
だからこそ、自分の人生を刻む時計が必要である。
「ならなんでこっちに来たんだよ。その話じゃむしろ必要なんだろ?」
「言っただろう? 社会としての時計が不要になる。つまりこの考えが正しいならばこの時計達は僕が昨日言っていた物とは全く別のものになるのさ」
「ふぅん」
「反応が鈍いね。もし正しいならこの時計達は幻想郷に来るような排他された人間の物じゃない、むしろ社会の歯車そのもののような人間の時計ということになるのさ」
そう、もし社会の歯車のような人間が時間の移動のできる社会にいるのなら。
彼らに自身の人生の時計は必要ない。
その時の時間のその時の流れを沿い続ける歯車ならば、自分の時間など必要ない。
統一された組織の統一された人員が自己の意思の必要性を失うのと同じことだ。
それはとても寂しいことだとは思うがそういった人間がいないとも限らない。
幻想郷で例を挙げるならば妖怪の山の天狗達などはそれに当たるだろうか。
「それはないな。あいつら結局個人個人で自由に動いてるから」
「その顔で言うなら間違いはなさそうだね。まぁ元々幻想郷じゃ有り得ないことだ。だからこそ想像の余地があるというものだけど」
「だけど両方とも信用ならない内容すぎるぜ。というかぶっちゃけ香霖も曖昧だろ」
「……否定はしない」
ニヤニヤと笑う魔理沙に俯きながら数ある時計の中から真正面の柱時計を見る。
時計が指すのは12時、そろそろ昼飯時だな。
この柱時計はこの店を開いて以来、場所も変わることなく僕の人生の時間を刻み続けている。
もう何回転したかわからない秒針を見つめながら僕は小さくため息を吐く。
「どうしたんだよため息なんてついて」
「別に大したことじゃないよ。もし時間を操るなんてことができるのなら……」
それは神の御業だ。人の為せる業ではない。
古来においてより時間とは一年を区切として動かされるものである。
神においてもそれは例外ではなく、その時間の「区切り」と呼ばれるものは森羅万象の指標ともなっている。
その時間をあらゆる方向へ、あらゆる時間へ操れるのだとしたらそれは神の御業と言って間違いは無いだろう。
春から冬へ、秋から春へと時間を飛び回るのならその人生は神の管轄すらも飛び越える。
さもなくば神によって与えられる『歳』と言う時間の区切によって即座に老いるか生まれる前の羊水の中へと消えることになってしまうからだ。
「時間を操るのは神様なのか?」
「一概にそうとは言えないさ。八百万の神全員が時間を操れるわけじゃない。神にもその役割があることくらい君にもわかるだろう?」
「いや、そうじゃない。時間を操れると言えば……いるだろ? この幻想郷に」
魔理沙のしたり気な顔を見て僕は思い出す。
幻想郷の里より離れた湖の先、そこにいる真っ赤な屋敷。
そう、紅魔館には時間を操る程度の能力を持つメイドがいる。
屋敷の仕事のほとんどをこなす敏腕であると聞いているがその仕事ぶりを拝見したことはない。
彼女は彼女の主を含め、うちの数少ないお金を落としていく常連客だ。
「咲夜のやつは神様だってのか? あいつはただの人間だった気がするぜ?」
ニヤリ、という音が聞こえてきそうな顔で笑う魔理沙を横目に見ながら僕はその言葉に異を返した。
「いやいや、彼女は人間で間違いないよ。僕の発言に間違いは無い」
「でも時間を操るのは神様なんだろ?」
「程度と言うものがあるだろう? そうじゃなきゃ霊夢だって神様の類に扱われてしまう。僕が指す神の御業というのはあくまで『自在に操れる』ことなんだよ」
「咲夜は時間を戻すことも進めることもできたはずだぜ? 何が問題あるんだよ」
僕の返球に疑問を覚えながらも少し苛立つ魔理沙。仕方が無いだろう。
彼女は昨日まで時間とは何かすらも曖昧であったのだから。
「うるさい。聞いてやるから説明しろよ。じゃないと帰るぞ」
「僕としては何も買わないなら帰ってくれて構わないんだが……」
単純に言ってしまえばその能力の限界というものである。
彼女のことは主の話や自身との会話、それに霊夢と魔理沙の愚痴から聞いている。
彼女の能力は時間を止め、遅くし、進めることだ。
それ一つにおいても彼女の力と言うものが凄まじく強いことがわかるのだが、そんな彼女にもできないことがある。
一つに事実の消去、つまり過去改変の類である。
終わったこと。壊れた物を修復することができないということはその行為が神の域であることを示している。
つまり、神の域に届かなければ過去の改竄を行うことはできないということだ。
とはいえその神も過去改変という所業は行うことなどない、と考えられる。
もし改変が行われたとしても自分たちには知覚することすらできないだろう。
その点、彼女の時間操作は彼女の存在や周囲の変化からその操作を知覚することができる。
それは彼女がまだ人間として進む時間の流れに逆らえないという証拠でもある。
「何でもやり直せたらつまらないけどな」
「それはそうだろうね。切磋琢磨する必要性が無くなるからね。魔理沙は努力家だ」
自在に書換え、やり直すという行為は一見その言葉に沿うと思われる。
だがそれは人間の尺度、つまり『失敗した』という結論が残る場合である。
もしその事実その物をなかったこととし成功を収めた場合、それは努力とは違うものとなる。
失敗を行った上での結果と、失敗を押しつぶした上での結果は当人にとって大きく変わるはずだ。
「それで? やり直せないってのはわかったけど、咲夜は時間移動してることには変わりないだろ?」
「あぁその通りだ。彼女が行うのは時間退行と時間進行。だが彼女は時間跳躍はできないだろう?」
そう、それが彼女が神とは、いや時間を自在に操るという御業に届かぬもう一つの理由だ。
跳躍とは文字の如く飛び越える、つまりその時間と別の時間の間を無視して移動することだ。
前述したように時間とは1年、及び四季よって分けられる。
その区分を無視し、春から秋へ等と時間を飛び越えることは恐らく彼女には出来ないだろう。
「まぁわからないけどな。聞いたことないし」
「もしその区切りをも超えられるのであれば彼女は先ほどの過去の改竄を行えることになる。恐らくは無理だろうね」
何かが起った時間を飛び越えて、その前の時間へ行けばいとも容易くその運命は変わる。
歩いていた道を一歩真逆の足を踏み出すだけでも世界は変わるのだから。
「でもさ、香霖?」
魔理沙は思いついたように首をかしげて時計を持った。
「外の世界で時間移動ができるんならさ、外の世界は滅茶苦茶になってるんじゃないか?」
「どういうことだい魔理沙?」
魔理沙は動かない時計の分針をクルクル回しながら笑う。
「だって昔に戻れるんだろ? だったら時間移動の技術を大昔に持っていけばいい。それだけで人生木っ端微塵だ。自分達の世界に戻ってみろ、『タイムマシン完成何百周年』なんてことになってるぜ? それだけじゃない、自分が行きてるかどうかも不安だぜ」
魔理沙の言葉に僕は外の本で読んだある話を思い出した。
過去に戻って自分の母を殺したら自分はどうなるか、というパラドックスだ。
確かに時間移動が外の世界で完成されたのなら必要なくなるのは時計どころではない。
人間関係を含む全ての社会的立場もその意味を無くすだろう。
失敗したのなら過去の自分にその失敗を教えればいい。
人間関係すら人を知る必要は無くなる。
そう考えていく内に僕の背が冷たくなった。
そんな世界など想像もしたくない。
「どうしたんだ?」
「いや、自分の考えを撤回したくなるような考えだっただけだよ。魔理沙の意見がね」
「そうか、なら私の意見が勝ったんだな! 早苗が言ってた『完全論破!』ってやつだ」
えっへん、と胸を張り見事な大輪の笑顔を見せる魔理沙に僕は顔色の悪いままため息を吐く。
魔理沙の意見は最もで、それを考えると僕の意見は両方とも信憑性を失う。
時間の統合なんてこと有り得るはずもないし、後者は今話した通り。
だとすれば時計が流れ着く真の理由とはなんなのだろうか?
自身の時計を失う理由とはなんなのか。
僕は目の前の時計を見ながら考える。
すると、魔理沙の腹からキュゥと可愛らしい音が鳴りその腹を魔理沙が押えた。
「香霖。私の腹時計が昼飯だって言ってるぜ。用意してくれよ」
「いきなり図々しいな。まぁ話をしていたのは確かだしね。用意しよう」
カチコチと音が響き渡る店内の奥へ。水気のある台所にはさすがに時計が無い。
台所の窓から入り込む強い日差しが太陽の位置を告げる。
部屋の温度は温かく、今日一番の陽気で、昼の時間を示していて。
台所に置いてあった野菜を取り出せば自分の腹も小さくなって昼飯時を告げていた。
時計の音が全く聞こえない何でもない台所で。
逆に時間を感じていた。
時計がなかったころから続く五感で感じる時間の流れ。
今しがた時間を考えていたが故に一層それを強く感じた。
店の方に目を向ければ魔理沙がまだかまだかと椅子に座って足をばたつかせている。
足は地面を掠り掠り、小さく音を立てていることだろう。
ふとその光景に思い出す、同じ構図の過去の時間。
あの時魔理沙は小さくて、椅子から足は浮いていて。
パタパタ動かすその足もとてもとても小さかった。
「おーい、香霖。早くしろよ!」
小さい彼女と今の彼女が同じ構図で手を振って。
僕の小さく理解する。
時間の経過とはこういうことだ。
過去にしても、今にしても。
時間の流れとは変わらずに流れているもの。
時計は自分の時間を決め、人生の流れを作るものだ。
だが時間と言うものは、他者を交えたその時間は変わらずに流れ続けている。
時計が無くとも僕が陽光から、温度からそして他者から時間を感じたように。
自分が考える変化する時間の流れはそれを含めたことだった。
だとすれば、真実は簡単なことだったのかもしれないな。
僕は簡単な昼食を2つ分もって店内へ戻る。
変わらず鳴り響くカチコチとした音に包まれながら、僕は握り飯を一つ取る。
魔理沙が確認も無く食べ始めたのを見ながら、
「わかったよ、魔理沙。時計が来た理由が」
「どうしたんだよ。妙にしおらしいじゃないか」
「いや、これが正しいのかは相変わらずだけどね。一番納得できるんだよ」
時計がいらなくなるというのはどういうことか。
それは簡単なことだった。
僕は昨日、『自分の時間』が大きく狂った時に時計を用いると言った。
時計を自分の時間の指標にし、その調整を行う物だと。
だがその調整を行う方法はもう1つある。
他者との交流だ。
他者との交流による時間の『共有』によって時間は調整されそのズレを正す。
自らが出会う人々や、社会とのつながりによってその調整はなされるだろう。
だとすれば、自分の時間の流れを否定する必要はない。
自身の流れと他者の流れを繋げ、離し、その時間を共有する。
それによって時間は変化を続けていくのだ。
「つまりはあれか? 宴会やってる最中は朝になろうが宴会は宴会だってことか?」
「まぁそういうことだね。その宴会の後、朝か昼かと思うのは個人の自由というやつだ」
その考えが正しいのなら、外の世界は時計が必要無くなるほどに人々の交流が凄まじい世界になっているのだろう。
何時如何なる時でも望めば人との交流が望め、人と会話や出会いを行える世界。
例えそれが秘境の山や絶海の孤島であろうとも。
店にもある『携帯電話』がそのための道具なのかもしれない。
「なるほどな。まぁさっきまでの突飛な考えよりよっぽど納得できる」
魔理沙が笑いながらお茶を啜る。
目の前の少女はニコニコと笑いながら片手間に時計を弄っている。
彼女にとっての時計はどこなのか。自室の時計か、どれなのか。
腹時計には具体的な時間はない。
だが僕はカチカチと時計の音が響く中真正面の柱時計を見ながら思う。
今日は時間の進みが早い。まるで急かされてるみたいだ。
そんな幻想郷の端、無縁塚で僕は目の前の状況に怪訝な顔をしていた。
正確には死んだ物、というよりは忘れ去られた物が流れ着くのだが、物にとって使用されず忘れ去られることは死に似たものだろう。
物には思念が宿り、その思念は道具としてどう扱われたかによって大きく変化する。
綺麗に使われた物は人のように天寿を全うし道具としてその命を終えるか、物によっては九十九神の1つにでもなり使用者に恩を返すだろう。
だが、使われずもしくは使われても悪い扱いを受けた物の思念は悪霊となって人々に害を成すことがある。
時の流れなど様々な理由によって不必要となった物が流れ着くこの無縁塚には後者の物が流れ着くことも少なくない。
それ故に僕は流れ着く死体を供養し、『死んでしまって』流れ着いた物を商品として『生まれ変わらせて』いるのである。
しかし前述のことを考えても目の前に広がる奇妙な光景は形容しがたい物だった。
無縁塚に大量に並ぶそれは僕が思う限り忘れられることのないもの。
人の人生を形作るそれは。
時間だった。
無縁塚から持ち帰ったものを店に並べ終わると待っていたかのように現れた魔理沙が店の状況を見て、
「うわぁ……」
と、あからさまに嫌な顔をした。
確かに奇怪な……いや、目を引くような店内にはなったがそこまで引くことはないだろうに。
「なんなんだよ香霖。いまさら心機一転リニューアルなのか?」
「とんでもない。香霖堂はいつまでも古道具屋だよ」
「これを見てそう思うやつはいないと思うぜ?」
「まぁ否定はしないが……」
無縁塚で見つけた物。
それはあまり大量の時計だった。
その数は十、二十ではない。
柱時計に壁掛け時計。懐中時計に鳩時計。
気づけば壁という壁、棚という棚に大量の時計が並んでいた。
パッと見れば時計屋にでも転職したのかと思われるような店内だ。
その大量の時計のおかげで香霖堂にはカチコチと音が響き続けている。
本来ならば持ち帰るべき数というものがあるためそれに合わせた数の物を入荷するべきだ。それが商人の基本である。
だが、時計と言う物は時間を司り、人間の人生を刻み続ける物であり。
それ故に持ち主の思いによって思念が乗り移りやすい物である。
そのため何かを爪弾きにして無縁塚に置いていけばその思念は悪霊と化す可能性がある。
だから仕方なく僕は供養を済ませわざわざ台車に時計を積んで持ってきたのだった。
「まぁ幸い全部動いているんだ。商品価値は高いと思うよ」
「そうか? 確かに古い時計でアンティークっぽい感じはあるからレミリア辺りは欲しがりそうだけど」
「ただ古いだけじゃないさ。外から来た時計であるだけでこの時計は特別な物だよ」
「それにそんな古くなさそうなやつまであるしな。これなんてそうだろ?」
魔理沙は棚に置かれている時計、銀色に光る丸い卓上時計を持ってグルグルと回す。
事実魔理沙の持つ時計はまだ新しく見え、壊れたような様子は見られない。
「それにこれ全部……時間が滅茶苦茶じゃないか。これは3時だし、こいつは11時だ」
「そう、いい所に気がついたね魔理沙。そこなんだよ」
「そこ? どういうことだ。壊れてるだけだろ?」
ここにある時計は古いから持ってきたわけではない。
それ以上にこの時計達には重要な意味が存在するのである。
魔理沙にはそれがわからないようだ。
別々の時間、別々の時計。それが表すのは1つしかないだろう。
「その時計は壊れてなんかいないんだよ魔理沙」
「じゃあなんだ? 私の腹時計が間違ってるってのか?」
「惜しいとこだけど違うね。それじゃ他の時計同士の時間が違う理由にならないじゃないか。よく考えてみるんだね」
僕がそういうと魔理沙は持っていた銀色の時計を戻し、他の時計を見回す。
だがその行動にもすぐ飽きたようで僕の顔を見ると
「こんな時計ばっか見てたら頭が変になりそうだ。答えを教えてくれよ」
「もう少し考えた方がいいんだけどね。まぁ長引かせるのも悪いし答えを発表しよう」
答えを聞こうと椅子にちょこんと座った魔理沙の方を向き、僕は時計を持ってこう言った。
「この時計は外の世界の時間を指しているんだよ。それゆえにバラバラなのさ」
「外の世界の?」
「いや、正確にはその世界にいたであろうこの時計の持ち主達の時間だね」
そう、この時計達は外の世界で一つ一つが持ち主と共に時間を刻んできた時計なのだ。
それがあらわすのはどういうことか。
「時間ってのは同じだろ? 誰かが昼って言えば昼になるわけじゃあるまいし」
「確かに太陽の動きによる朝、昼、夜という時間流れは不可逆かつ一定であるとされている。しかし実際はその人にとっての時間の流れというものは決して一定ではないんだよ」
どういうことだ?、と頭を抱える魔理沙。
僕はその姿を見ながら一つの柱時計を見る。
僕が香霖堂を始めた時から存在する。香霖堂の時計。
これが僕の時間である。
「……あぁもう、あちこちからカチコチ聞こえてくるから集中できないぜ」
「これもまたいいと思うけどね。ゆったりとできて」
「むしろ急かされてるように感じるな。急げ急げって周りからどやされてるような気分だ」
「僕にはもう少しゆっくりしろと宥められている気分になるね」
一つの時計の音に耳を傾けているからなのか他の時計の音がその時計の後の音に感じる。
一つの時計を元に時間の流れに区切りがあるからこそ、周りの音に影響されず、自分の時間を保ち、安息した気持ちで落ち着けるのだ。
魔理沙の場合、全ての時計を自分の時間として考えてしまっているために断続的に続く音が急かされているように感じるのだろう。
「勝手に語るのはいいけど自分の時間ってのはなんだよ。時間ってのは誰の物でもないだろ? さっきも話してた時間の流れってのは何なんだ?」
「そこまで深く考えることじゃないよ。単純なモノさ」
人が感じる時間の流れとはその全てが自身の感覚によって左右される。
楽しい時間はすぐ過ぎる、つらい時間は終わらない。
その言葉に尽きると言ってもいい。
気づけば太陽が昇っていたり、仕事を終えても日は落ちていなかったりと、その行動、感情、状況によって自身の感覚は大きく変化する。
その変化は間違いなく自分の世界の時間を変化させ、人生の流れとも言えるものを形成するのである。
「宴会してて気づいたら朝になってたみたいなことでいいのか?」
「その通り、その時確実に魔理沙にとっての時間はとても早くなっているはずだ。魔理沙のことが家で研究をしていてまだ宵時だろうと思いながら朝を迎えることも多いんだろう?」
「そのまま寝ちまって夜が朝になったりな。そういうことなら理解できるぜ」
人に関していえば人生において時間とは有限且つ短時間である。妖怪においても時間とは決して無限ではない。
だからこそ如何にうまく時間を使うかと言うことが人生において重要である。
ならば時間の流れを遅くするためにつらく悲しく生きればいいのかと言えばそれは違う。
逆に楽しさだけで生きまさに矢の如く時間を消費するのも正しくない。
全てはバランス良く時間を動かさなければならない。
そのために使われるのが時計なのだ。
この言葉は一見矛盾しているように見える。
しかし自身の行動によって大きく変化し狂ってしまった時間の流れを直すことは難しい。
そのための目印として自身と共に時間の流れを動く時計を見るのである。
それによって自身の正しい時間を思い出し、調整し、安定させる。
その後にまた起こるであろう事態や行動で適度に時間を変化させるのである。
「それはわかった。けどこんなに時間にズレるなんてないだろ。朝昼間違えたって話じゃないぞ?」
「確かにそうだ。だけどこの時計達はそこらの時計は少し違うだろう?」
「幻想郷に流れ着いたってことか? まぁそれは特別だけど、時間があってこその時計じゃないか?」
「さっきも言ったろう? 時間とは個人の行動や感情で左右される。幻想郷にも外の世界にも大元となる大きな時間はあるだろう。でもこの時計は違う」
「まぁこっちに来るくらいだしな。早い話が壊れたから、ってことだろ」
「僕の話を聞いていたのかい?」
この時計は恐らく幻想入りするような、もしくは幻想入りした人間の時計なのだ。
幻想入りをするような人間、存在は周囲との関係や社会性から外れたものであることが多い。
つまり自己的にしろ強制的にしろ社会の流れに追従する必要性を放棄した者達だ。
社会の流れ、つまり世界の大元の時間の流れにも。
それが意味することはその人間は完全なる自分の時間を得るということだ。
他者に干渉されず、自身の意思で自らの人生を操作できるということだ。
それゆえにこの時計達は持ち主の、持ち主だけの時間を指し続けている。
「それって格好良くいってるけど、『周りは働いてるけど私にとってはまだ夜だから寝るぜ』って言ってるのと同じじゃないか?」
「まぁその表現はともかく間違ってはいないね。個人の世界で、個人の裁量ならば太陽だって月になるし夜だって朝になるからね」
「自分が黒なら白も黒ってか……馬鹿みたいだな。急にこれ全部がしょぼく見えてきたな」
何を言うか。
まぁ種がわかれば、言うやつなのだろうが僕にとってはこの時計の自体も興味は尽きないがそれよりも興味が別にある。
それは単純なこと。
何故急にこんな大量の時計が幻想入りしたのか、ということだ。
こちらに物が流れ着いて来る中で時計は決して珍しくない。
だがここまで大量に、それも一度に同種類のものが流れ着くとはどういうことなのか。
「で、なんでまた増えてるんだ?」
「そこに時計があったからさ」
「……格好良くなんかないぞ?」
本来なら二日続けて無縁塚に行くことは珍しいのだが、昨日の時計の件が気になり早朝から行ってみれば案の定また時計が流れ着いていた。
今回は小型の時計が多かったのでよかったが、柱時計が大量に来ようものならさすがに持ち帰ることは出来そうもない。
しかし時間を象徴する時計を無縁塚に放置するのは前述のように色々とまずい。
破壊することで時計としての能力は失われるが、それは僕の商人としての誇りが許さない。
売れる商品を破壊するなど許せるものか。
それに幻想入りするような物には、いや全ての物には何かしらの思念が宿っている。
もしそれが破壊したことで悪霊化しようものなら僕に手は負えないものだ。
「いや、だからっていちいち全部持ってくるなよ。店に入りきってないぞ」
「それもそれで……この店らしいじゃないか」
「汚い店だって自覚あったんだな。少しは片付けろよ」
魔理沙が言えた事ではない気がするが。
そう思いながら店を見渡す。
もう時計屋と言っても過言ではないほどの時計の量だ。
入りきらなかった柱時計などは店の外に仁王立ちしている。
今日が雨でなくて本当によかった。
「しっかしどうしてこんなに時計ばっかあるんだ?」
「その件は僕も考えたのだけどね……」
結局あの後僕は幾多の時計を確認し、何故幻想入りしたのかを考察していた。
その結果浮かんだ結論は2つあった。
その1つは外の世界の時間が統一されたということ。
この時の時間とは無論魔理沙に話した人間の時間だ。
朝は朝であり、昼は昼であり、夜は夜であるという社会的規律が確定してしまったのではないかという考えだ。
それ故に自身の時間で動く人間の時計が排他され流れ着いた。
人間が流れ着かないのはその人間も統一された時間に飲み込まれたからではないか、というものだ。
だが社会的に排他された存在であるはずのこの時計達の持ち主がまた社会の時間に入るのは考えづらい。
だとすれば外の世界ではありとあらゆる物が1つの時間によって支配される世界になっているのではなかろうか。
しかしその結論は有り得ないと思われる。
何故ならそれはもはや人間の世界ではない。時間の支配する世界だ。
自分が何時だと叫び時計の針を動かそうと、ある時をもって勝手に針が動く時計があるのなら。
それはもはや時計ではない。
「別にいいんじゃないか。私は嫌だけど」
「良くないさ。昨日話しただろう? 時計とは自身の人生を時間という物差で記録する物だ。それが他者の決めた時間で動かれちゃたまったものじゃない」
そんなことができるならば時計を操る人間は神にも等しい。
何故なら時間を決められるものは全ての人間の時そのものを操れるからだ。
時間は不可逆且つ一定である定説を平然と打ち破ることができる。
無限に続く労働を強いることもできれば、永遠の休息を与えることもできる。
そんな時計を自分のものとするような人間は人間ではない。
それはただの奴隷でしかないだろう。
幻想郷とは違うとはいえ、そういった時間の奴隷が生まれるほど外の世界は荒んでいないはずだ。
だからのこの考えは正しいとは言えない。
2つ目の結論は外の世界が遂に技術による時間の移動に成功したのでは、ということだ。
この考えは飛躍し過ぎではないだろうかと思われるが可能性は高い。
何故なら時間の移動ができるならば時計というものは必要がなくなる。
過去を指す道も無く、未来を指す道も無い、現在を指す時計では時間の跳躍には不十分である。
だが、それは社会としての時間を指す時計であり、自身の人生を表す時計は変わらず必要だ。
何故なら時間跳躍によって変わる時間軸の中で自分の時間を保つにはただ人生を生きるよりも問題が多い。
何故なら太陽も月も木々の育ちも自分の人生の物差にならなくなるからだ。
だからこそ、自分の人生を刻む時計が必要である。
「ならなんでこっちに来たんだよ。その話じゃむしろ必要なんだろ?」
「言っただろう? 社会としての時計が不要になる。つまりこの考えが正しいならばこの時計達は僕が昨日言っていた物とは全く別のものになるのさ」
「ふぅん」
「反応が鈍いね。もし正しいならこの時計達は幻想郷に来るような排他された人間の物じゃない、むしろ社会の歯車そのもののような人間の時計ということになるのさ」
そう、もし社会の歯車のような人間が時間の移動のできる社会にいるのなら。
彼らに自身の人生の時計は必要ない。
その時の時間のその時の流れを沿い続ける歯車ならば、自分の時間など必要ない。
統一された組織の統一された人員が自己の意思の必要性を失うのと同じことだ。
それはとても寂しいことだとは思うがそういった人間がいないとも限らない。
幻想郷で例を挙げるならば妖怪の山の天狗達などはそれに当たるだろうか。
「それはないな。あいつら結局個人個人で自由に動いてるから」
「その顔で言うなら間違いはなさそうだね。まぁ元々幻想郷じゃ有り得ないことだ。だからこそ想像の余地があるというものだけど」
「だけど両方とも信用ならない内容すぎるぜ。というかぶっちゃけ香霖も曖昧だろ」
「……否定はしない」
ニヤニヤと笑う魔理沙に俯きながら数ある時計の中から真正面の柱時計を見る。
時計が指すのは12時、そろそろ昼飯時だな。
この柱時計はこの店を開いて以来、場所も変わることなく僕の人生の時間を刻み続けている。
もう何回転したかわからない秒針を見つめながら僕は小さくため息を吐く。
「どうしたんだよため息なんてついて」
「別に大したことじゃないよ。もし時間を操るなんてことができるのなら……」
それは神の御業だ。人の為せる業ではない。
古来においてより時間とは一年を区切として動かされるものである。
神においてもそれは例外ではなく、その時間の「区切り」と呼ばれるものは森羅万象の指標ともなっている。
その時間をあらゆる方向へ、あらゆる時間へ操れるのだとしたらそれは神の御業と言って間違いは無いだろう。
春から冬へ、秋から春へと時間を飛び回るのならその人生は神の管轄すらも飛び越える。
さもなくば神によって与えられる『歳』と言う時間の区切によって即座に老いるか生まれる前の羊水の中へと消えることになってしまうからだ。
「時間を操るのは神様なのか?」
「一概にそうとは言えないさ。八百万の神全員が時間を操れるわけじゃない。神にもその役割があることくらい君にもわかるだろう?」
「いや、そうじゃない。時間を操れると言えば……いるだろ? この幻想郷に」
魔理沙のしたり気な顔を見て僕は思い出す。
幻想郷の里より離れた湖の先、そこにいる真っ赤な屋敷。
そう、紅魔館には時間を操る程度の能力を持つメイドがいる。
屋敷の仕事のほとんどをこなす敏腕であると聞いているがその仕事ぶりを拝見したことはない。
彼女は彼女の主を含め、うちの数少ないお金を落としていく常連客だ。
「咲夜のやつは神様だってのか? あいつはただの人間だった気がするぜ?」
ニヤリ、という音が聞こえてきそうな顔で笑う魔理沙を横目に見ながら僕はその言葉に異を返した。
「いやいや、彼女は人間で間違いないよ。僕の発言に間違いは無い」
「でも時間を操るのは神様なんだろ?」
「程度と言うものがあるだろう? そうじゃなきゃ霊夢だって神様の類に扱われてしまう。僕が指す神の御業というのはあくまで『自在に操れる』ことなんだよ」
「咲夜は時間を戻すことも進めることもできたはずだぜ? 何が問題あるんだよ」
僕の返球に疑問を覚えながらも少し苛立つ魔理沙。仕方が無いだろう。
彼女は昨日まで時間とは何かすらも曖昧であったのだから。
「うるさい。聞いてやるから説明しろよ。じゃないと帰るぞ」
「僕としては何も買わないなら帰ってくれて構わないんだが……」
単純に言ってしまえばその能力の限界というものである。
彼女のことは主の話や自身との会話、それに霊夢と魔理沙の愚痴から聞いている。
彼女の能力は時間を止め、遅くし、進めることだ。
それ一つにおいても彼女の力と言うものが凄まじく強いことがわかるのだが、そんな彼女にもできないことがある。
一つに事実の消去、つまり過去改変の類である。
終わったこと。壊れた物を修復することができないということはその行為が神の域であることを示している。
つまり、神の域に届かなければ過去の改竄を行うことはできないということだ。
とはいえその神も過去改変という所業は行うことなどない、と考えられる。
もし改変が行われたとしても自分たちには知覚することすらできないだろう。
その点、彼女の時間操作は彼女の存在や周囲の変化からその操作を知覚することができる。
それは彼女がまだ人間として進む時間の流れに逆らえないという証拠でもある。
「何でもやり直せたらつまらないけどな」
「それはそうだろうね。切磋琢磨する必要性が無くなるからね。魔理沙は努力家だ」
自在に書換え、やり直すという行為は一見その言葉に沿うと思われる。
だがそれは人間の尺度、つまり『失敗した』という結論が残る場合である。
もしその事実その物をなかったこととし成功を収めた場合、それは努力とは違うものとなる。
失敗を行った上での結果と、失敗を押しつぶした上での結果は当人にとって大きく変わるはずだ。
「それで? やり直せないってのはわかったけど、咲夜は時間移動してることには変わりないだろ?」
「あぁその通りだ。彼女が行うのは時間退行と時間進行。だが彼女は時間跳躍はできないだろう?」
そう、それが彼女が神とは、いや時間を自在に操るという御業に届かぬもう一つの理由だ。
跳躍とは文字の如く飛び越える、つまりその時間と別の時間の間を無視して移動することだ。
前述したように時間とは1年、及び四季よって分けられる。
その区分を無視し、春から秋へ等と時間を飛び越えることは恐らく彼女には出来ないだろう。
「まぁわからないけどな。聞いたことないし」
「もしその区切りをも超えられるのであれば彼女は先ほどの過去の改竄を行えることになる。恐らくは無理だろうね」
何かが起った時間を飛び越えて、その前の時間へ行けばいとも容易くその運命は変わる。
歩いていた道を一歩真逆の足を踏み出すだけでも世界は変わるのだから。
「でもさ、香霖?」
魔理沙は思いついたように首をかしげて時計を持った。
「外の世界で時間移動ができるんならさ、外の世界は滅茶苦茶になってるんじゃないか?」
「どういうことだい魔理沙?」
魔理沙は動かない時計の分針をクルクル回しながら笑う。
「だって昔に戻れるんだろ? だったら時間移動の技術を大昔に持っていけばいい。それだけで人生木っ端微塵だ。自分達の世界に戻ってみろ、『タイムマシン完成何百周年』なんてことになってるぜ? それだけじゃない、自分が行きてるかどうかも不安だぜ」
魔理沙の言葉に僕は外の本で読んだある話を思い出した。
過去に戻って自分の母を殺したら自分はどうなるか、というパラドックスだ。
確かに時間移動が外の世界で完成されたのなら必要なくなるのは時計どころではない。
人間関係を含む全ての社会的立場もその意味を無くすだろう。
失敗したのなら過去の自分にその失敗を教えればいい。
人間関係すら人を知る必要は無くなる。
そう考えていく内に僕の背が冷たくなった。
そんな世界など想像もしたくない。
「どうしたんだ?」
「いや、自分の考えを撤回したくなるような考えだっただけだよ。魔理沙の意見がね」
「そうか、なら私の意見が勝ったんだな! 早苗が言ってた『完全論破!』ってやつだ」
えっへん、と胸を張り見事な大輪の笑顔を見せる魔理沙に僕は顔色の悪いままため息を吐く。
魔理沙の意見は最もで、それを考えると僕の意見は両方とも信憑性を失う。
時間の統合なんてこと有り得るはずもないし、後者は今話した通り。
だとすれば時計が流れ着く真の理由とはなんなのだろうか?
自身の時計を失う理由とはなんなのか。
僕は目の前の時計を見ながら考える。
すると、魔理沙の腹からキュゥと可愛らしい音が鳴りその腹を魔理沙が押えた。
「香霖。私の腹時計が昼飯だって言ってるぜ。用意してくれよ」
「いきなり図々しいな。まぁ話をしていたのは確かだしね。用意しよう」
カチコチと音が響き渡る店内の奥へ。水気のある台所にはさすがに時計が無い。
台所の窓から入り込む強い日差しが太陽の位置を告げる。
部屋の温度は温かく、今日一番の陽気で、昼の時間を示していて。
台所に置いてあった野菜を取り出せば自分の腹も小さくなって昼飯時を告げていた。
時計の音が全く聞こえない何でもない台所で。
逆に時間を感じていた。
時計がなかったころから続く五感で感じる時間の流れ。
今しがた時間を考えていたが故に一層それを強く感じた。
店の方に目を向ければ魔理沙がまだかまだかと椅子に座って足をばたつかせている。
足は地面を掠り掠り、小さく音を立てていることだろう。
ふとその光景に思い出す、同じ構図の過去の時間。
あの時魔理沙は小さくて、椅子から足は浮いていて。
パタパタ動かすその足もとてもとても小さかった。
「おーい、香霖。早くしろよ!」
小さい彼女と今の彼女が同じ構図で手を振って。
僕の小さく理解する。
時間の経過とはこういうことだ。
過去にしても、今にしても。
時間の流れとは変わらずに流れているもの。
時計は自分の時間を決め、人生の流れを作るものだ。
だが時間と言うものは、他者を交えたその時間は変わらずに流れ続けている。
時計が無くとも僕が陽光から、温度からそして他者から時間を感じたように。
自分が考える変化する時間の流れはそれを含めたことだった。
だとすれば、真実は簡単なことだったのかもしれないな。
僕は簡単な昼食を2つ分もって店内へ戻る。
変わらず鳴り響くカチコチとした音に包まれながら、僕は握り飯を一つ取る。
魔理沙が確認も無く食べ始めたのを見ながら、
「わかったよ、魔理沙。時計が来た理由が」
「どうしたんだよ。妙にしおらしいじゃないか」
「いや、これが正しいのかは相変わらずだけどね。一番納得できるんだよ」
時計がいらなくなるというのはどういうことか。
それは簡単なことだった。
僕は昨日、『自分の時間』が大きく狂った時に時計を用いると言った。
時計を自分の時間の指標にし、その調整を行う物だと。
だがその調整を行う方法はもう1つある。
他者との交流だ。
他者との交流による時間の『共有』によって時間は調整されそのズレを正す。
自らが出会う人々や、社会とのつながりによってその調整はなされるだろう。
だとすれば、自分の時間の流れを否定する必要はない。
自身の流れと他者の流れを繋げ、離し、その時間を共有する。
それによって時間は変化を続けていくのだ。
「つまりはあれか? 宴会やってる最中は朝になろうが宴会は宴会だってことか?」
「まぁそういうことだね。その宴会の後、朝か昼かと思うのは個人の自由というやつだ」
その考えが正しいのなら、外の世界は時計が必要無くなるほどに人々の交流が凄まじい世界になっているのだろう。
何時如何なる時でも望めば人との交流が望め、人と会話や出会いを行える世界。
例えそれが秘境の山や絶海の孤島であろうとも。
店にもある『携帯電話』がそのための道具なのかもしれない。
「なるほどな。まぁさっきまでの突飛な考えよりよっぽど納得できる」
魔理沙が笑いながらお茶を啜る。
目の前の少女はニコニコと笑いながら片手間に時計を弄っている。
彼女にとっての時計はどこなのか。自室の時計か、どれなのか。
腹時計には具体的な時間はない。
だが僕はカチカチと時計の音が響く中真正面の柱時計を見ながら思う。
今日は時間の進みが早い。まるで急かされてるみたいだ。
早苗さんがブロンティストの可能性が微粒子レベルで存在している…?
面白かったです。
もう一度、香霖堂読み直してくれ