幻想郷の奥地、マヨヒガにある八雲さん家のちょっとした日常。
ちゃぶ台を挟んで向かい合うように座っている二人。
「紫様、もう一度聞きます。ここにあった饅頭を知りませんか?」
真剣な顔つきで主に質問をするのは八雲藍。
「知らないわよ」
幻想郷最強の妖怪が出来心でつまみ食いをしたとは言えず、嘘をついているのは八雲紫。
「おかしいですねぇ。洗濯物を干しに行く前には置いてあったんですが……」
わざとらしく首を傾げるも、決して紫からは視線を外さない。
このスキマババァ、口に餡子がついてるのよ。
この時彼女は内心で随分と恐ろしい事を思っていた様だった。
「最近の饅頭はアクティブね?藍の目を盗んでいなくなるだなんて」
紫は面倒くさそうに机の上に両肘を突き、綺麗な髪を人差し指でくるくると弄ぶ。
あぁ、面倒ね。そうだわ!
何かを思い付いたらしく彼女は妖しい表情を作った。
紫は口を開く。
「外の世界で幻想になったものは幻想郷に引き寄せられる」
藍は無言で主を見つめる。
「逆も考えられないかしら?」
「逆ですか?」
怪しむ視線を送る藍。
そんな視線などお構いなしの紫は話を続ける。
「外の世界で現実として認知されたものは幻想郷から外の世界へ吸い寄せられる。外の世界で幻想と思われていたものが現実のものとして広く認知されるようになったのよ。」
「はい、それで?」
「つまり、外の世界で饅頭という食べ物を作り出した偉人がいるのよ。饅頭はもう幻想の食べ物じゃないって――」
「紫様が結界を貼る前から外の世界に饅頭はありましたけど?」
納得ができず、紫の言葉を遮った藍の表情は怒りに満ち溢れていた。
「最近人里にできた和菓子屋で一番人気の饅頭だったんですよ。橙がどうしても食べたいって言うので買うのに一時間も並んで……」
大きなため息をつく藍。
「そう、残念だったわね」
あぁまた始まったわ。この子、橙の事になると夢中になり過ぎるのよね。
このままここにいても面倒ね。
紫の背後に音もなくスキマが現れる。
「ちょっと急用を思い出したので出かけるわ」
その言葉と同時に紫はスキマに吸い込まれ姿を消した。
「うぅぅ」
悲痛な呻き声をあげる藍だった。
数時間後。
外で遊び終えた橙が元気な声と共に玄関を開ける。
「紫様、藍様、ただ今帰りましたー」
「あら、橙お帰りなさい。もう少しでお夕飯できるから手洗いとうがいしてきなさい」
藍の言葉に素直に従い、橙は手洗いうがいを済ませ食卓に着く。
「藍様、紫様は?」
「紫様なら、ふらっと何処かへ行っちゃったよ。だから今日のお夕飯は二人で済ませちゃいましょ」
「はーい」
主不在だが八雲家の夕飯は今日も団欒。
楽しい夕飯を終え、自室に戻った橙が慌てて藍の元に駆け寄る。
「藍様!無くなっちゃいました!」
「あらあら、そんなに慌ててどうしたのかしら?」
「昨日、紫様の似顔絵を描いたんです。今日遊びに行く前はあったのに……」
慌てている橙も可愛いなぁ。
今にも泣きだしそうな橙を見ながら呑気にそんな事を思う。
そしてその瞬間、今朝方橙の部屋を掃除したのを思い出す。
あ、なんか不細工な似顔絵があったから捨てちゃったよ。
「紫様の似顔絵かぁ、ちょっとわからないわ」
血の気が引く藍は正直になれず、つい嘘をついてしまった。
「せっかく一生懸命描いたのに」
笑顔で橙の頭を優しくなでながら藍は話を始める。
「橙、幻想郷を囲う結界の事は知っているね?」
「はい、藍様。幻想と現実を別ける結界ですね」
「紫様はすごく偉いから外の世界でも認知されるようになったのよ。だから橙の書いた紫様の似顔絵は現実世界に引き寄せられたのよ」
二人の間に沈黙が流れる。
何言ってるのこの狐?
机の上に『お掃除しておきましたよ。お部屋は綺麗に使いましょう』って置手紙あったじゃん。
「藍様、お部屋の掃除をしてくれたんですよね?」
橙は質問を投げかける。
「え、えぇ、そうね。たしかそんな気がするわ」
藍の視線は定まらず、右へ左へ。
その視線は決して橙の目を捉えることはなかった。
「む!結界に異変がっ!橙、ちょっと出かけるから良い子に留守番していてね!」
そう残すと藍は勢いよく家を飛び出した。
翌日。
「何処に置いたかしら?」
紫は化粧台の前で探し物をしている。
「せっかく外の世界の化粧品を手に入れたというのに……」
「ご飯できましたよー」
橙の元気な声に呼ばれ化粧品を探すのを諦め、紫は食卓へ向かう。
「あら、橙。藍はいないの?」
「藍様なら昨日の夜に出かけたきりですよ」
「珍しいわね。藍が私に何も言わず家を空けるなんて」
用意された食事に手を付ける紫。
「あら、お味噌汁美味しいわ」
「えへへ、藍様直伝ですから」
ご飯へ、おかずへ手を伸ばす紫を橙はじっと見つめる。
「何かしら?」
「あ、あの、紫様に謝らないといけなくて……」
橙は声を震わせ、恐る恐る紫を見る。
「言ってみなさい」
箸を食卓に置きながらそう言うと、優しい表情で橙を見る。
「は、はい。昨日の夜、紫様がまだお戻りになる前です。お化粧をしてみたくて紫様のお化粧道具を勝手に使いました」
「あらあら、橙もお年頃なのね。そんなことくらいじゃ怒らないわよ。今度藍に言って買ってもらいなさい」
くすくすと手を口元に運び笑う紫。
「そ、その、まだ終わりじゃないんです」
両目に涙を溜め、ポッケから割れた小瓶を取り出す。
「これ、落として割っちゃいました。ごめんなさい紫様」
橙の手には紫が探していた化粧水の小瓶が握られていた。
妖怪とは人を驚かせる生き物。
その性質上、妖怪には嘘つきや話が大げさな者が多い。
また、派手に着飾ったり、恐怖を与えるような禍々しい服装を好む者が多い。
八雲紫も例外ではない。
かなり目立つ独特の服に身を包み、本当なのか冗談なのか胡散臭い話ばかりする。
とは言え、彼女にも道徳心というものがある。
橙の行動は彼女のそれに何かを訴えたのだろう。
「橙、正直に言ってくれてありがとう」
そう言うと紫は橙を抱き寄せ頭を軽く撫でる。
「紫様、怒ってないですか?」
「怒ってなんていないわ」
「でもね、妖怪たる者あまり正直でもいけないわ。人を驚かせてこそ妖怪。上手に嘘を使いこなす事も覚えなさい。」
「はい、紫様」
胸元を涙で濡らす橙を放すと紫は悪戯な笑顔を作り話しかける。
「それじゃあ、家事もしないでほっつき歩いてる藍を驚かせましょう」
「藍様をですか?」
困った表情をしつつも、似顔絵の件があったので内心では乗り気だったようだ。
「橙、筆と紙を持ってきなさい」
「えへへ、紫様なんだか楽しそうですね」
「そうね、あなたのおかげよ」
二人は楽しそうに悪戯の準備を始めたのだった。
「ただいま帰りましたー」
藍はほとぼりが冷めた頃を見計らい帰宅した。
玄関には一枚の置手紙が置いてある。
橙の文字だった。
『ランさま、わたしはユカリさまにオトナにしてもらいます』
どれ位彼女は停止していたのだろうか?
おそらく他人から見れば一秒にも満たないであろうほんの一瞬だが、彼女の中では莫大な時間が流れたはずである。
「ちぇぇぇぇん!」
涙目になりながらも彼女は紫の寝室へと向かう。
主の寝室の前に着くと中から声が聞こえてくる。
「そうよ、良いわ橙。あっまだ動いちゃダメよ」
「紫様ぁ、なんだかムズムズするよ」
「大丈夫、すぐに慣れるわ。あぁ、橙とても良い」
「えへへ、もっと良くしてください」
「何やってるんですかっ!」
勢いよく紫の部屋の襖を開ける。
藍の目の前にはちょこんと正座をして顔を突き出す橙の姿と、橙の小さな顔に化粧をする紫の姿があった。
「あら、お帰りなさい」
「藍様お帰りなさい。見てください、紫様にお化粧してもらったんですよ」
楽しそうな二人と凍りつく一人。
その凍りついている一人が口を開く。
「あ、あぁ、よ、良く似合ってるよ」
「何してるって?橙も女の子なのだからお化粧の仕方くらい教えてあげたって良いじゃない。余計な事しちゃったかしら?」
笑いを堪えながら藍を見る紫。
「い、いえ。オトナにしてもらうと書かれた手紙があったもので……」
「オトナ?」
慌てる藍を見ながら紫はニヤリと笑う。
「あー!変な意味じゃないですよ!橙は元が良いから自然な感じのお化粧の方が合うと思っていたので、紫様の使っている大人の女性向けの化粧品じゃ合わないんじゃないかと思って」
手をバタバタさせ、言い訳をする藍はもはや何が言いたいのか自分でもわからなくなっていた。
「さて、藍も帰ってきたことだし、お茶にしましょうか?ねぇ橙?」
「はい、少しお腹が空きました」
「わかりました。お茶のご用意をしますね」
「たまには私が用意するわ。あなたは私がお化粧をした可愛い可愛い橙の相手でもしてなさい」
食卓に用意されたのは人里で仕入れてきた最高級のお茶と最近人里にできた人気の和菓子屋の饅頭だった。
「紫様、この饅頭……」
「あら、藍も耳が早いわね。人里の和菓子屋で一番人気の饅頭らしいわよ。昨日、藍が食べたがっていたものと同じかは分からないけど」
人を傷つける事無く人を驚かせる。
人を喜ばせつつも人を驚かせる。
やはり私の主は幻想郷で一番の妖怪だ。
藍はそんな事を思いながら饅頭を手に取ったのだった。
とてもいい
これはよい八雲家
しっかし、藍様・・・捨てちゃダメ、ゼッタイ
こんな感じの紫様が好きです。
藍様は失態を誤魔化せてない気がするけどドッキリでチャラかw