*これは八雲紫の命により外界で暮らす事になった、「式神橙、上野へ行く」等の続きです。どうぞご了承ください。
ある日の夕暮れ時。
「じゃあ、行って来まーす」
鈴の様なコロコロとした声を上げ、出かけようとする少女を呼び止める男の声が聞こえた。
「おーい、出かける前の四か条。忘れてる」
アパートの入り口で三十代前半位の男が、目の前の買い物かごをぶら下げた、白いシャツに赤いブレザーとスカートを着た茶色い髪の少女をニヤニヤ眺めている。
「えへへ、御免なさい」
少女はTシャツにジーパン姿の男に向き直る。そして一呼吸おいて喋り出した。
「一つ、人前で変身しない」
「二つ、知らない人に付いて行かない」
「三つ、人間に危害を加えない」
そして、少女は少々顔を赤らめながら、続きを思い出そうとする。
「四つ、マタタビを食うな、だろ。じゃ、行ってらっしゃい」
男は助け舟を出し、少女を送り出すとアパートの入り口を閉めた。ふと、玄関口に下げられたB2サイズのコルクボードに目を流す。
そこに張られた沢山の写真の中には、先程の少女の姿を映した物も多数あったが、男はその中の古びかけた写真に視線を移す。
どこかの戦場だろうか、背後に軍人達の姿が見える場所で、今より若い男自身と金髪で髭を生やした男が肩を組んだ写真。
そして、さらに視線を下ろす。
そこにはレンズが割れ、もはや道具として死んでいるカメラが、スチールテーブルの上に載っている。
ときどき手入れをしているのだろう、埃一つ無いそれに男は手を触れ、一人呟く。
「俺ももうすぐ、そっちに行くかもな」
男が呟き終えた瞬間、眉間に強烈な痛みが走った。男は思わず涙目になる。そして、男の心に怒号が聞こえる。
『何をふぬけた事をぬかすか、お前は』
額を押さえつつ、男は同じスチールテーブルの上に摩利支天の宝輪と共に祀られている、長さ六十㎝程度の桃の木剣を見る。
先日、マタタビで酔っ払って歩けない橙を背負い、上野から帰ってきた夜、それは自分のアパートの部屋の中で宙に浮いていた。
そして、男の頭の中に語りかける者がいた。
『摩利支天の加護を受けたか。ならば我、鹿島のタケミカヅチもお前にこれを授けよう。我に願った誓いを忘れぬ様にな。我が剣の一つ、『蒼雷』だ。無下に扱うなよ』
上野からの帰り道、男は橙から断片的に徳大寺での話を聞いていた。
その話に出てきた女性が、もし摩利支天だというならば、目の前の怪意も納得できる。
それ以来、剣に宿った霊だか知らないが、男が弱気になりそうになると、すかさず手痛い渇を入れてくる様になった。ちなみに宝輪の方は我関せずと無言である。
「ああ、悪い。つい、感傷に浸っちまった。でも頼むから今度はなるべく手加減してくれると有難い」
『何を言う、十分手加減している。でなければ、お前の頭など木っ端微塵だ、試してみるか』
剣の霊が恐ろしい事を言う。男は首を振り神具である剣の前の杯を取り上げる。
「勘弁してくれ、八雲様との約束を果たせなくなっちまう」
そして棚から『大魔王』と書かれた一升瓶を取り出し、杯の中身を取り替え置き直した。
『好い匂いだ、日々精進怠る事なかれよ。ところで、式の式はどこへ行ったのだ』
男は、自分も酒を小さな器に注ぎ、呑みながら答える。
「あの子も日々精進さ、材料を調達に買い物だよ。今回はどんな物が出来上がる事やら、と。」
『そうか、むぅ旨いぞこの酒。注ぎ足してくれ』
飲み手もいないのに、勝手に減っていく杯の酒を見ながら、男は何時から俺の部屋は不思議空間になっちまったんだろうと思いつつ、その杯に酒を注ぎ足した。
その頃、夕餉の買い物客で賑わう商店通りを、ポテクリポテクリと歩きながら赤い服を着た少女は店先を眺める。
「こんにちは、橙ちゃん。今日もお使いかい? 」
八百屋『八万亭』の女主人が少女に声をかける。
「うん、今日はねー、これを買いに来たの」
男の所に居候している八雲藍の式、橙は服のポケットからメモ用紙を取り出す。
「ふむふむ。じゃあ、おばさん、橙ちゃんの為に特別良いもの選んであげるよ。ちょっと待っといで」
女主人はメモに書かれた食材を選別し、橙の前に並べる。
「こんな物でいいかい。あと、このトマトおまけだよ。取れたてで新鮮、栄養万点さ。お勘定はこれだけでいいからね」
「ありがとー」
橙はもらったトマトにかぶりつきながら、目的の店を一軒一軒まわる。すでに各店の顔馴染みになっている彼女は、持ち前の愛嬌の恩恵の為、色々とおまけをもらう。普段は気難しい『魚政』の親父さんも、橙に「秘密だぜ」と、朝の市場で手に入れた鰯を数匹くれた。
目的の物とおまけで一杯になった買い物かごを抱え、橙は家路に付いた。
橙がアパートに戻ると、玄関先でほろ酔い加減で座っている、彼女が居候している部屋の主がいた。
「おかえひ」
ろれつのおかしい男に橙は答える。
「こんな時間からお酒のんでると、ろくな大人にならないって藍様が言ってたよー」
うーん、と男は背を伸ばし返事を返す。
「面目ない、しばらくしたら酔いも醒めるから、橙の邪魔はしないよ。道具は揃えてあるからできたら呼んでくれ」
橙は男をまたぎ越し、台所のテーブルの上に買ってきた材料を並べる。
おまけの鰯は、最近顔を出す様になった猫集会に持って行く事にした。
そして、白いエプロンと三角巾を手馴れた手付きで付け、早速料理を始める。
作る物は五目稲荷寿司。
以前、男から藍様のお土産のリクエストを聞いた時、外界のお稲荷さんが良いと聞いて、なら自分が作ると言ったものの現在まで失敗の連続だった。
試食は男がいつもしてくれて必ず完食してくれるが、苦い表情をしながら「辛い」とか「味が濃い」とか「オムライスか」などと耳の痛いコメントをもらっていた。
今日こそ絶対に成功させてやる。
男に「これは旨い!! 」と言わせて、そして藍様に喜んでもらうんだ。
橙は額に玉の汗を浮かべながら、食材と格闘する。
美味しくなーれ、美味しくなーれ。
以前、マヨヒガで藍様が食事を作っていた時に、必ず歌っていた鼻歌を口ずさみながら少女は調理を続ける。
そして。
「出来たー!! 」
今までの中で渾身の作が出来上がった。試しに一つ食べてみる。
美味しかった。
「ねえ、見て見て。大成こう・・・・・・ 」
玄関先で男は酔いつぶれて寝ていた。
ためしに頬をぎゅっとつねってみた。反応がまるで無い。
橙は男を起こすのを諦め、男の分の稲荷寿司を皿に残しラップで包む。
外にはもう月が出ていた。
おまけで貰った鰯を冷蔵庫から出し、橙は寝ている男に「行って来ます」と伝えると外に飛び出し走りだす。
周りに人間がいないのを確認した上で黒い猫又の姿に転じ、猫集会の場所を目指す。
橙が出かけ、しばらくして男は目が覚めた。
時計の針が十時を過ぎている。試しに橙を呼んでみたが返事は無い。
男が台所に入ると、テーブルの上に稲荷寿司が置いてあった。ラップを取り、恐る恐る一口ほおばる。
今までとは比べ物にならない位旨かった。
少々むせながら完食する。
「不覚だったなあ」
橙に今の気持ちを伝えたかったが、彼女は今頃、猫集会に顔を出しているだろう。
後で謝る事にしようと決め、男は小皿と『野うさぎの走り』とラベルの張られた酒瓶を取り出し紙袋に入れ、黒いジャケットを着て外に出た。
藍との定時連絡の為、男もまたある場所を目指し歩き出す。
男のアパートの近所にある八幡稲荷神社。
男は人気の無い社で小皿に酒を注ぎ、拝殿に供えると鐘を鳴らし呼びかける。
「藍様ー!! 橙が悪い雄猫とどっかにいっちまいますよー」
返事はすぐさま返ってきた。
「冗談も程々にしろー!! 」
少々調子に乗りすぎた様だ。社に現れた妖狐の幻影は目が血走っていた。
「なんだか今日は怒られてばかりだな。悪かった、敬愛する主に対して橙がそんな事する訳無いだろう」
そして男は、橙が藍の為に料理の特訓をしている事を伝える。
「今日はとても頑張っていたよ。俺は不覚ながら酔いつぶれて見られなかったんだが、失敗しても諦めないし、腕も確実に上がっている。きっと主の教育が良いせいだな。間違いない」
妖狐はほっと胸を撫で下ろす。その目元には、かすかに光る物が見えた様に男は感じた。
妖狐、八雲藍は男を見据える。
「そうか、ならば良い。それよりも、お前が持っている酒瓶を拝殿の上に置け。面白い物が見られるぞ」
男は藍の指示に従い酒瓶を置き、数歩後退する。
その瞬間、目の前の空間が鋭い刃物で袈裟懸けに斬られた様に裂けた。
切り裂かれたその隙間から、白い手が酒瓶を掴み引っ張り込んだ。そして裂けた空間が消滅する。
驚き身動きできない男に、妖狐とは違う声がかけられる。
「外界のお酒も良いわねぇ、月風。いや、小角景一」
男が返答するより先に、その声の主。紫色の服を着た金髪の女性の幻影が現れ笑い声を上げる。
「冬眠していてもね、あらゆる境界を操る私に小細工は無意味なの。貴方の本名も、今まで何をしてきたかも、橙に対してどんな風に接していたかもね」
男は、女性に答える。
「なら、俺が貴女に見せる為の悪あがきもご存知なのでしょうか? 八雲紫様」
「タケミカヅチ、摩利支天。この二柱から加護を受ける者も珍しいわ。だから、お土産の準備が終ったらマヨヒガにいらっしゃい。急がなくても良いわ。最後に伝えるけど、私にとって一番のお土産はあ・な・ただから。よーく、意味を考えてね。じゃ、またね」
そして、幻影は掻き消えた。
男は、八雲紫の残した言葉を噛み締めながら、一人立ち尽くしていた。
月の光の下。
猫集会の場で、春先に産まれたばかりの子猫達に囲まれながら、橙は一瞬懐かしい気配を感じた。
時が来た。
一匹の子猫が、不思議そうに自分を見ている。
その仔の毛づくろいをしながら橙は感じていた。
マヨヒガへ戻る日が近いという事を。
「終」
>タケミカヅチ、摩利支天の加護
いくら八雲様と関わり合いがあるとは言え、現実世界でんなあさっり加護を受けると「なんだかなー」と言う気分になったり。
>ポテクリポテクリと歩きながら~
ウホッ、いい(以下略
>「冗談も程々にしろー!!」
式コン(ぇ)の藍様は良い。橙共々、「幻想郷で一番可愛いで賞~式編~」でワンツーフィニッシュ狙えます。他の式は見たことありませんが。
今、自分でもオリジナル設定を組み込んだSSに挑戦中ですが、恐らくこの作品には敵わないでしょう。
次回も楽しみにしております。
>男(名前忘れた^^)
主人公は名前が「男」でデフォなのでぜんぜんOKです。
>現実世界でんなあさっり加護を受けると「なんだかなー」と言う気分になったり。
私も俺オリキャラ最強にならない様に注意してるんですが。現在の主人公のステータスは「バイクに乗れて人間相手のケンカなら強い方」位なので今後のバランスを崩さない様に心がけます。あと、主人公がタケミカズチが奉られている鹿島神宮を参拝する話がプチの方にありまして、ぶっちゃけ桃の木剣は座禅でひっぱたかれる棒みたいな物です。
>ウホッ、いい(以下略
ほかに「ホニャホニャ」とか「ピッコピッコ」など候補がありましたが靴履いてるのであのようになりました。
>式コン(ぇ)の藍様は良い。
私の中では藍様は橙大好きまっしぐらな式様なので、出番があると何時もこんな感じです。
>今、自分でもオリジナル設定を組み込んだSSに挑戦中ですが、恐らくこの作品には敵わないでしょう。
感想とお褒めの言葉有難うございます。個人的な意見を少々。自分は過去の掲示板等を読んで頂ければお分かりになると思いますが、問題児です。無知と思い込みで行動していた困ったちゃんです。今は少しはましになったかなというところです。ですから、鬼瓦嵐氏の新作には、私の作品を地平線の彼方までぶっ飛ばす様な作品を期待します。最後にある特撮番組の好きな台詞を一つ
「諦めるなー!! 」でわでわ。
このシリーズはたびたび読ませていただいてますが、いつもほのぼのしていて実にいいですね。
時にひとつ気になったところを。
藍様との会話序盤のせりふの中の。
>「安心しなさんな」
ですが、これは「安心」でなく「心配」のような気がするのですが…?
「~しなさんな」は、たとえば「アホな事いいなさんな」のような感じで、
「~するな」という意味合いの言葉だったと思うので
思い違いかもしれませんが一応。違ってたらすみません。
すばらしい作品、ありがとうございました。私は貴方の作品を応援しています。
しっかし、どうすれば貴方のような作品を書けるのでしょうかね。自分が情けなくなりますよ。
>思い違いかもしれませんが一応。違ってたらすみません。
有難うございます。私の誤りでした。それと読み直してみると色々と書き足したい所が出てきて、ちょっと話が増えました。もし、読み比べていただけると幸いです。紫様もお目覚めしたので、ほのぼのから例えるなら魔理沙が弾を撃たずにグレイズする様な話になります。
>しっかし、どうすれば貴方のような作品を書けるのでしょうかね。
お褒めの言葉、有難うございます。私も人より余計に年くってるだけの新参者なので、(響鬼さんと同い年)試行錯誤中ですが、以前助言いただいた方に「誰にも負けない物を作れ」と背中を押してもらいまして、自分の好きなバイクや、昆虫から魚まで色々育てているものとかを絡めてみたり、後、幻想郷の住人を外に出してみたりとか。とにかく今は、読んで下さる方がいる事を念頭に置き、自分の書きたい話を作ってます。野暮な様ですが、お互い頑張りましょう。
>美味しくなーれ、美味しくなーれ。
いいなあ、これ(^^
このシリーズもそろそろ大詰めですね、初期から読ませてもらってる身
としては少し名残惜しい気がします。謝々
目が血走っちゃつたりして いい藍様w
これに吹きました。
この男、いい性格してる……
物語は終盤なのか、それとも舞台は幻想の里に移るのか。
活目して待ちたいと思います。
>台所で一人格闘している橙を想像してほのぼのとした気持ちになりました。
>美味しくなーれ、美味しくなーれ。
いいなあ、これ(^^
今回の話はここがメインだったので作者としてとても嬉しいです。
>このシリーズもそろそろ大詰めですね、初期から読ませてもらってる身
としては少し名残惜しい気がします。謝々
あと一回、街中の話をした後、舞台は変わります。作品にきちんと決着をつけられる様、頑張ります。
>冗談も程々にしろー!!
目が血走っちゃつたりして いい藍様w
藍様は私の中ではこんな感じなので。橙がいない間の藍様の話、また作成中です。完成するのはいつになるか分かりませんが、全力を尽くします。
>この男、いい性格してる……
主人公は藍様を酒飲み友達位に思っているので、こんなふざけた事も言います。ちなみに主人公の苗字は、藍様の「前鬼後鬼の護り」から思いつきました。
>物語は終盤なのか、それとも舞台は幻想の里に移るのか。
活目して待ちたいと思います。
ただいま第3コーナーを回った所です。幻想の里を、外界から来た鋼の馬が疾走します。私も結末に至るまで精進続けます。