Coolier - 新生・東方創想話

ノイジィ・エレジィ・エンブリオ

2005/06/28 10:02:45
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けだるい昼下がりの一時。


文字通り狂った様にトランペットを吹きまくり暴れまわる躁病患者の姿も
事あるごとに私を謀略にかけてひとりゲラゲラ笑っている腹黒の姿も無く、
窓から優しく吹き込んでカーテンを揺らす春風を心地よく感じながら、
お気に入りのダージリンティーを傾けながら穏やかなティータイムを楽しんでいた。


……ああ、自己紹介が遅れた。
私の名はルナサ・プリズムリバー。
長くて呼びづらいというのならとりあえずペルドモとでも略してくれて構わない。
姿形は普通の人間だが実はこれでも騒霊、加えてヴァイオリニストで
得意技はバイオリンの弦で敵の頚動脈を掻っ切る「ストリングス転蓮華」と
これまた弦を引っこ抜いて目にも止まらぬラッシュを仕掛ける「ヴァイオレンスベートーベン」だ。
そしてめったに使わないが「コントラバスター」という奥義も身に付けている。
コンゴトモヨロシク…………すまない、日頃のストレスでちょっと取り乱した。


しかし月にむら雲花に風、好事魔多しとはよく言ったもので、
私が珍しく穏やかな時間を楽しんでいると何がしかの邪魔が入ることが多い。
そしてそれは今日この時も例外ではなかった。


「姉さん! 糸目の素敵なイノッチ姉さーん! 間違えた! ルナサ姉さぁぁぁぁぁぁん!!」


いや、間違えるにしたって限度があるだろ。
どたばたがっしゃんがりがりべっしあぁぁ、と地割れの様な音とともに
リリカのけたたましい叫びが私の鼓膜に突き刺さる。
あの足音はいつものアレだ。どうせまたろくでもない企画を思いついて
自分は一切手を汚す事無く私とメルランをからかって遊ぼうとしているのだろう。
しかし伊達に長年姉妹をやっていない。
このルナサ・プリズムリバー、もはやリリカが何を言おうが何をしようが
ちょっとやそっとの事では露ほども動じない鋼の精神を手に入れたのだ。
どれだけ私が素直だと言っても、それこそ毎日の様にリリカに付き合っていれば
自然と非常事態や驚かしに対する耐性がついてくるというものだ。
今ちらりと脳裏に浮かんだ「焼け石に水」と言う諺は華麗にスルーしておく事にする。
って言うかそもそもイノッチって誰だ。そいつも糸目か? 糸目なのか? 糸目仲間なのか?


「大変よ! 大変なのよ! 幻想郷を揺るがす衝撃の大事件が勃発したのよぉぉぉぉぉぉ!!」


何が大変だ、このハラワタイカスミまみれの腹黒娘が。
爆音にも似たけたたましい足音が更に近付いて来る。
よし、ここは一つ長女らしく、紅茶でも傾けながら窓際で囀る小鳥とキッスして
大人の余裕を所狭しと振り撒きつつ、洒脱にリリカを迎えてやろう。
突然の事態にも慌てる事無く至極冷静にアダルティな微笑を浮かべる私を見て、
ルナサ姉さんが驚かないなんて明日はエルニーニョが降って来るわね等と
驚愕しつつ負け惜しみを言うリリカの顔がありありと目に浮かぶ。
それでは早速、テーブルの上の程よく冷めたダージリンティーを取って可憐に口をつけ……


「惨劇よルナサ姉さん! メルラン姉さんに子供が生まれちゃったみたいなのよぉ!!」


……全部噴き出した。






■  ノイジィ・エレジィ・エンブリオ  ■






「げほっ……なっ……何が……ま、待て……ちょっ……え、え……?!」


噴き出したダージリンティーの勢いで椅子ごとひっくり返ってしまった。
のどかな昼下がりに突如吹き荒れた爆風の如き衝撃。
私は今日この瞬間ようやく「衝撃的」という言葉の真の意味を理解した。
白玉楼から地面めがけて飛び降りるのにも匹敵する、文字通りの衝撃。
そもそもそんなスプラッターな経験はないというのはこの際気にしない。
この場合の本題はそこじゃないのだ。


「ちょ、ちょっと待て、いや、ちょっとじゃなくて物凄く待て……リリカ、こ、子供って……何?」


そう、本題と言うか問題はこっちだ。
一抹の不安を何とか押し殺しながらリリカに尋ねてみる。
体の震えが止まらない。流れる汗が止まらない。
メルランに子供が出来るなんてそんなバカな話があるか。
そんなものどうせリリカの見間違いもしくは勘違いに決まってる。
って言うか兆に一でも真実だった場合に正気を保っていられる自信が無い。


「姉さん、いい年かっぱらってそんな事も知らないの?
子供っていうのはね、愛し合う二人が夜の帳の中でせ」


すると何をどう勘違いしたのか、リリカが唐突に子作りのメカニズムをつらつらと語り始めた。
誰がこんな日も高い内から性教育おっ始めろって言ったよこのスカタン。
我ながらウブだとは思うが顔が赤くなるのを自覚しながら、必死でリリカの言葉を遮る。


「そ、そうじゃなくて! ……な、何でメルランに子供が……
いや、って言うか大体からして騒霊って子供出来るのか?」

「出来るのかったって仕方ないでしょ、実際このつぶらな瞳で
メルラン姉さんが赤ちゃん抱いてるところをパッチュリ見たんだから!」

「いや、リリカの見間違いじゃないのかって言うかパッチュリ!?
何そのどことなく形容動詞的謎単語相撲の技風味!?」

「誰がこんな緊急事態において見てもいないものを見たって言うのよ!
それと最近はバッチリとかムッツリとかたっぷりとかをパッチュリって言い換えるのが
ナウなヤングの間で山田かつてないほどにダブルハットでオー・ミステークなのよ!
そんな事よりまずはメルラン姉さん妊娠出産轢き逃げ爆破事件の真相究明が先でしょ!」

「む……ま、まあ……それは……」


……確かにその通りだ。
ここでリリカに騒霊の妊娠可不可を聞いた所でどうしようもない。
そして見間違いとか見たとかそんな水掛け論をしていても意味がない。
重要なのは現実を冷静に処理する事、そして冷静に行動する事だ。
何はともあれ、今は真相を突き止めることがすべてに優先される。
そうと決まったらこんな所でもたもたしてはいられない。
頭がおかしいとは言え己の妹の一大事に黙っている馬鹿がいるか。
カップに僅かに残っていたダージリンティーを飲み干して心を落ち着け、立ち上がる。


「と、とにかくだ……まずは本人に聞いてみない事には始まらない。
そしてその、万が一にも……の、のっぴきならない事態だったとすれば
私達も姉妹としてそれなりの対応を取る必要があるだろうな。
よしリリカ、メルランとその子供(仮)が居るところまで案内してくれ」

「認知料どの位ふんだくろっか」

「やめろよ!」


リリカが表情一つ変えずあまりにも空恐ろしい事を言うので震えが止まらなくなった。
いや待てよ、そうかと思えば見る見るうちに顔つきが変わっていくではないか。
ああ良かった、いくら何でも姉の出産に際してそんな腹黒な思考出来る筈が無いって
よく見たらまるで獲物を見つけたピューマみたいなイヤラしい笑顔じゃないか。


「姉さんったら人の言う事いちいち真に受けないの。冗談に決まってるでしょ」

「(冗談に聞こえないんだよ……普段が普段だから……)」


半ば呆れた様にそう言うリリカに心の中でツッコみつつ、
何はともあれ私達は屋敷から飛び立った。
一抹の不安と多大なる希望を胸に抱きながら……。


・ ・ ・


リリカの話によると、メルランは赤ちゃんらしき物体を抱いたまま
白玉楼のある方角へと向かったらしい。
と言う訳で庭師と門番を兼任している風情の妖夢に事情を話し、
メルランが通されたという部屋の前まで案内してもらった。
どうやら幽々子も一緒に居るようで、部屋の中からふたつの声が聞こえてくる。


「(しかし、何でまたメルランは白玉楼なんかに……)」

「(そりゃいきなり私達の前に赤ちゃん連れて来る訳にもいかないし……
その点幽々子は姉さんと違ってあんまりこういう事に頓着しなさそうだから
色々相談とかしてるんじゃないの、例えば母親としての心構えとか)」

「(勘違いしてるかも知れないけど妖夢は幽々子の娘じゃないからな)」

「(…………………………いやねぇ姉さん、またそんな分かりきった事を)」

「(……)」


さりげなく衝撃的なリリカの返答にちょっぴり愕然としつつ、
襖の向こう側から聞こえるメルランと幽々子の声に集中する。
様子を探るのと心の準備をするのも兼ねて、まずは襖にへばりついて
二人の会話についての情報を収集し然るべき措置を取る事にしたのだ。
早い話が盗み聞きの真っ最中ということになる。
メルランが連れていたのが赤ん坊だと言うのは既に妖夢に確認を取ってあるが
この目と耳でそれがメルランの実の子供であるかどうかを確かめるまでは引き下がれない。


「(それはそれとして……とりあえずは居るようだな。
まあ、メルランの子供と決定した訳じゃないから何とも言えないが……。
いや、別にお腹が大きくなってるとかは無かったから大丈夫とは思うがな……)」

「(……でも姉さん……万が一に備えて覚悟だけはしといた方がいいかもよ……)」

『……ぁ……ふぇ……ぇ……』

「「(っ…………)」」


中から赤ん坊がむずがる様な声が聞こえてくるに至って
思わず二人揃って神妙になってしまう。無理も無いが。
しかし果てし無く荒唐無稽で事実無根とも言えるメルラン出産説だが、
今になってよくよく考えてみれば思い当たるフシはいくつかあった。
最近のメルランはどこか様子がおかしかったのだ。
様子がおかしいと言ってもそれは通常の場合と違い、
狂わなくなったとか躁病の発作が減ったとかそっちの話だ。
客観的な視点から見ればそっちの方がマトモな筈なのに
それが異常事態になってしまう自分の妹がちょっぴり不憫だ。
更に私達はあくまでも人間ではなく騒霊、子供を身篭った際に
すべからくお腹が大きくなると決まった訳ではない。
さらに極端な話をすれば、そもそも私達のような騒霊は『子供を身ごもる』のに
人間やその他の動物と同じ行為なり手続きなりを踏む必要は無いかも知れないのだ。
……やはりリリカの言うとおり、心構えだけはきちんとしておくべきだろうか。


『ぁ~……ふええ……え……』

「……ら……の子……おな……空いて……ゃない……?」

「あ……ント……う~……どうし……あ、そうだ……」


……おっと、いけない。
脳内で色々と鬩ぎあって葛藤していた所為か
メルラン達の会話を半分以上聞き逃してしまった。
赤ん坊がぐずる泣き声で現実に引き戻されると同時に
素早く襖に耳を当て、部屋の中から聞こえる声に意識を集中する。





…………今になって思えば、それが悲劇の引き金だったのだが。





「はーい、今お母さんがお乳あげますからね~?」







…………え?








「(……お乳って言ってたわね)」

「(……お乳って言ってたな)」

「(……ねえ姉さん、一つ確認しておきたい事があるんだけど)」

「(……何だ?)」

「(いや、今になってこんな事聞くのもアレなんだけど……その、お乳って具体的にどんなものだっけ?)」

「(ああアレか、なに、乳というのはだな、基本的には女性が子供を出産した場合にのみ分泌し
しかる後我が子に対して…………ち、ち、ち、ち、ち、ち、乳ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!?)」


……襖の向うにメルラン達が居るのに思わず全力で叫んでしまった。
あらやだ私ったら大声で乳だなんてはしたない……とか言ってる場合か!


(ちょ、る、ルナサ姉さん! こ、声が大きいわよ!)

「こ、こ、こ、こ、これが黙っていられるか! じゃあ何だ! メルランがあの子にお乳をあげるって事は
つまりあの子はメルランの実の子供にして私の姪もしくは甥にしてリリカの伯母もしくは伯父にして
ああもう子供部屋の準備もしてないし新婚夫婦を迎え入れる心構えも出来てないし名前も考えてないし
つまり結果的に黒い地平線が闇の中で更に黒く染まって万華鏡はすべからくひび割れた視界の先にて
そして凶悪な白昼夢をモデルとした六番目の悪夢を見せ付けられた私の心はもうビャババァァァァァァァァァァァ!!
う、うわああああああ! メルランが! 私の大事な大事なメルランがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


……後悔、驚愕、怒り、悲しみ、興味、絶望、衝撃。
圧倒的質量を以って襲い掛かる種々の感情に突き動かされるまま
もはや言葉にならない叫びを発しつつ襖を破って部屋の中に吶喊ブチかます。
しかしそれは至極当然、この気持ちをどうして言葉などに表せようか。
大事な妹の一大事に立ち会うどころか気付きもしなかった愚かな自分、
今の今まで内心で現実を認めようとしていなかった弱い自分。
私が何より許せないのは自分の心!と言った感じでもう何が何だか、
って言うかちょっと待てメルラン授乳ってそんなのまだ早いし破廉恥だし
メルランの一番絞りは私のものだし相変わらず幽々子は乳デカくてむかつくし
いくら私が真っ向勝負が好きだといったって何事にも限度という物はあり
何だかんだ言っても理解しがたい事象に遭った時の最終手段は逃避であり
現実逃避とは至高にして甘美なるエデンの果実にして天使の奏でる究極の調べにして
もはや脳のキャパシティ臨界突破のK点越えにつきアハハメルランってば
そんな大迫力の下乳なんぞ出して何してるんだアハハハアハアハあばばばばばばば。


「ん~、やっぱり出ないよねってきゃああああああ!? ね、姉さんにリリカ!?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!! メェェルゥゥラァァァァァァンンンンンン!!
何故!何故こんな事になる前に一言相談してくれなかったんだ!
そんなに私は頼りない姉なのか!? ダメなねーさんなのか!? 甲斐性無しなのか!?
憎い!この細い目が憎い! 細さのあまり現実が見えなかったこの目が憎い!
そ、それより相手は誰だ! 幻想郷じゃ相手は男と限らないから父とは言わないけど
とにかく相手は誰だ! 誰なんだ! 動くな! 撃つ! 動くと撃つ! 私が撃つ! そして鬱!
愛する妹の身に降りかかる火の粉を未然に払えなかった私は鬱ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!
メルラァァァァァァン! ごめんね! ダメなおねぇちゃんでごめんねぇぇ! うわ────ん!!
でも安心して! 私がこの身に変えてもメルランを助けてみせる! 腹に宿ったエイリアンを摘出してみせる!
うおおおおおお! 喰らえ必殺! ヴァイオレンスベートーベェェェェェェェェェェェェン!!」

「きゃああああああ! る、ルナサ姉さん! 私だって! リリカだって! メルラン姉さんじゃないって!
だから止めてって! そ、そこは赤ちゃんって言うかむしろそれが出てくるところだってば!
め、メルラン姉さんも幽々子もそんな呆気に取られて見てないで助けてってばぁぁぁぁぁぁ!!」

「ね、だから私がルナサにはまだ教えない方がいいって言ったでしょ?
いきなり貴方がこの子連れてルナサの前に出たら取り乱すに決まってるもの」

「そ、そんな悠長な事言ってないでって今度はこっち来たぁぁぁぁぁぁ!
る、ルナサ姉さん落ち着いて! クールダウンして! 取り乱す気持ちは分かるけど
とりあえず私の話を聞いてって言うか幽々子ちょっとこの子の事お願はにゃああああああ!!」

「うわ──────────────ん!! メェェルゥゥラァァァァァァンンンンンン!!」


……そこで私の記憶と意識はぶっつりと途切れた。
正直、その前後自分が何を言って何をしたのかさっぱり覚えていない。
おぼろげに覚えている事といえばいつまでたっても錯乱状態が納まらず暴れまくる私を
幽々子が己の体重を消し去る程の究極のリラックスから繰り出される打拳を放って
あざやかかつ豪快に気絶させて止めてくれたと言う事だけだ。
七本くらい持ってかれてたけど。


・ ・ ・


「もう……姉さんらしくも無い、こんな事で取り乱すなんて……」

「いや……事実は小説より奇なりと言うし……その、万が一にも……えーと……」


そしてあの乱痴気騒ぎから約半刻。
部屋の中はまさに煉獄と呼ぶのが相応しい風情で、
私とメルランにリリカの三人は髪もくしゃくしゃ服もズタボロ。
無事なのは幽々子と幽々子が抱いていた赤ん坊だけという惨状だ。
おまけに結局私の思い込みというか思い違いだったらしく、
今メルランの手の中でふにふにと動いている赤ん坊は
別にメルランの実の子供ではない、との事だった。
幽々子も証明してくれたので恐らく間違いないだろう。
まあ問題は未だ何一つ解決していないのだが、とりあえずこれで頭が冷えた。
……ううむ、流石にあの様な緊急事態で冷静な判断力を保つ事は出来なかったか。


「まったく早とちりもいいとこね、ルナサ姉さん」

「……こ、この……大体リリカがろくに確かめもしないで……」

「あら、そんな言ってる割にすごくホッとしたような顔してるのはどこの誰かしらね~」

「う!」


くすくすと笑う幽々子にツッコまれてリリカが珍しく言葉を詰まらせる。
表面上は冷静を装っていたとは言え流石のリリカも今回は慌てていたのだろうか。
でも何かこれだと幽々子が私達三人の姉みたいで、ちょっと実の長女としては何だな……。


「それに大体からして私が子供生むわけないじゃない。
何でまたこの子が私の実の赤ちゃんって言う発想に至ったの?」

「そ、それは……メルラン最近元気が無いって言うか大人しかったから……
もしかして、その……つわりとか陣痛とか……マタニティブルーじゃないかって……」

「ああ、それは単に躁病が落ち着いてる時期にあるだけよ。
また暫くすれば元に戻るわ。ウフフ、それどころか反動で更に凄くなるかも」


幽々子から赤ん坊を受け取りながらくすりと笑ってメルランが言う。
って言うか反動で凄くなるって何だか死に近づく度に強くなるどこかの民族みたいだ。
それ以前にそもそもどこかの民族って何だよ、大体何で私こんな事知ってるんだ?
……いや、今はそんな事はどうでもいいか。
まずもって確かめねばならない事は完了したが、問題が解決した訳ではない。


「ところでメルラン……お前の子供じゃない、って言うならその子は一体……」


これははっきりさせておかなければならないだろう。
まさかとは思うがどっかの家から勝手にかっぱらって来たとなれば
姉としてしかるべき措置を取らなければならない。


「昨日ちょっと空飛んでる時に森に帽子落っことしちゃってね。
それを探してる時に偶然この子を見つけたのよ。
捨て子だったのかしら?木の窪みの中にぶち込まれてたわ」

「……もしくはどこぞの妖怪が攫ってきて後で食べようとしてた、とか」


……木の窪み……まったく、酷い事をする親が居るものだ。
まあ、裏にどんな事情があるのかは分からないので一概には断ぜられないが。
それにリリカの言った通り妖怪にでも攫われたのかも知れない。
どちらにしてもこの子にとってはあまり喜ばしい事態ではなさそうだ。


「あ……ちょっと待って、この子眠たそうだからみんな少しだけ静かにしててね」

「(あ……わ、分かった)」


うーむ、何だかホントに母親に窘められてるみたいだ。
……騒霊である私達が年齢を論じるのも微妙な所だが、
私より年下の癖にメルランはいつも余裕たっぷりでいる。
たまにカオスの風情醸し出す狂乱の痴態を晒すのはこの際置いておこう。
そしてその余裕が形を変え、包み込む様な優しさとなり溢れ出している。
頑是無い赤ん坊を抱いて柔らかく微笑む様子も中々様になっているし、
何よりあの全くもって原因不明の膨張を果たした二つのふくらみが
まるでメルランが醸し出す内なる母性の象徴の様にも見える。
実に嫉まし、いや、羨ま、いや、いやら、いや、ムカつ、いや、美しい光景だ。


「……何よ姉さん、私の胸なんか見つめて」

「いや、ちょっと癒しようの無い悲しみに打ちひしがれてな」

「変なの」


隣にいるリリカと自分の胸元をちらと見遣り、内心溜息を付く。
同じ血を引く姉妹と言うのにこの差は一体何なのだろうか。
いや、基本は霊体だから血なんて一滴も流れて無いけど。


「あら、大きければいいってものでもないわよ~」


幽々子うるさい。
所詮持ってるものには持たざる者の気持ちなんて分からないんだよ。
だからそのたわわに揺れる楽器で言うとパイプオルガンみたいな胸は隠してくれ。
いや、隠せとまでは言わないからせめてこれ見よがしにたぷたぷさせるのは勘弁してくれ。
この可動式ならぬ可揺式二連装チョモランマ装備型天然大食亡霊娘。
泣いていいか。


「……ねえ、姉さん……この子、どうしたらいいと思う?」


……そうだ、今は胸の話をしてたんじゃない。
変えようの無い現実を嘆くのはこの辺りで止めておこう。
まずはこれからのこの子の処遇を考えなければ。


「……親を探すか、それとも私達が何とかするか、だろうな……。
とは言えもしもこの子が捨て子だったとしたら親を探す意味はほぼ無いし……
そもそも万が一にも外の世界から迷い込んだ、という話だったらどうしようもないぞ」

「うーん、外の世界の気配はあんまり感じないんだけど……」


メルランの言うとおり、外の世界のものにはこちらには無い独特の気配がある。
それがこの子からは殆ど、いや、まったく感じ取れない。
如何せん気配という不確定な概念ではあるから
もう少し妖力や霊力の強い奴なら感じ取れるのかもしれないが。


「あら、わざわざそんな事しなくたって私に任せてくれれば一発で解決よ?」

「……幽々子……いや、また随分簡単に言ってるが……いいのか?」

「大事な友達の頼みを無碍に断るわけが無いでしょう?」

「どうせ妖夢に面倒見させるんじゃないのか」

「……」


いや、あからさまに目を背けるなよ。

しかしこれは何ともありがたい申し出だ。
几帳面で真面目な妖夢なら安心して任せられるし、いざとなったら幽々子が何とか出来るだろう。
如何せん私達はこの手の経験が絶無なので、とてもじゃないが面倒を見切れる自信がない。
それより何より、私達の家に連れて行くよりも白玉楼の方が明らかに安全だ。
まさかここに見境無く人を食うような畜生じみた妖怪が入り込む様な事はあるまい。
いやあ、やはり持つべき者は友達だ。
普段は好き勝手な事ばかりやって妖夢を困らせている道楽当主でも
いざという時にはこんなにも頼りに……


「それより何よりこんないい食材は見逃したくないもの(はぁと)」

「食ざ……」


……訂正。
友達はある程度選ぶべきだ。
じゃないと自分のみならず、自分に関わった他の人まで不幸にしかねない。
例えば妹の拾ってきた何の罪も無い赤子が人食いの危機にさらされるとか。
何だこの全然ちっともこれっぽっちも普遍性の感じられないカッ狂った例えは。


「「「きゃああああああああああああ! 人食いよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!
傍若無人で野蛮極まりない凶悪な人食い人種よぉぉぉぉぉぉ!」」」


とてつもない衝撃と恐怖に襲われ、私達は弾かれた小石の様に部屋を飛び出した。
それにしても何と言うことだ。
確かに外部から人食い妖怪が入り込む事はなかったが
まさか内部に既に人食い亡霊が居るとは予想外だった。
って言うかこんな馬鹿げた展開を予想できる方がどうかしてるとは思うが。


「ッ……ああもう、やっぱりこういう事態になったか!
ルナサ! 私が何とかして幽々子様を抑える!
貴方達はその隙に一刻も早く一里でも遠くへ!」

「す、すまない! 恩に着る! メルラン! リリカ! 全速力でこの空域から離脱するぞ!」


私達の声を聞いて走ってきたのか、すれ違い様に刀を抜きつつ妖夢が叫んだ。
それにしても流石は妖夢、主の異常な性癖をよく理解している。
そう言えばさっき私「こんな馬鹿げた展開を予想できる方がどうかしてる」って思ってしまった。
心から詫びる、軽々しい事を考えてすまなかった妖夢。
こんな展開を予想できるようになったお前が一番哀しいという事に気付けなかった私を許してくれ。
そうこうしてる内にも幽々子が私たちを追いかけようと部屋から飛び出し、
その前に颯爽と妖夢が立ちはだかった。


「ふふ……こうして妖夢と私が向かい合って立ち会うなんて、何ヶ月ぶりかしら」

「……いつかの宴会騒ぎの時以来です、幽々子様。まあ、私からしてみれば
いきなり幽々子様が訳の分からない事を言って襲い掛かってきただけなんですけど」

「そんなとうに過ぎ去った過去はともかくいい機会だわ。私直々の手で妖夢の成長を確かめてあげる。
もしあの時からあんまり変わってなかったら罰として性徴も確かめるからその心算でね(はぁと)」

「(ま、まずいッ!? 犯されるッ! 十中八九犯されるッ!
でもそれはちょっと魅力的かも知れないと感じる己は否定できないッ!)」

「スキありぃッ」

「……へ? チャボォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」


背後から聞こえる妖夢の断末魔を背に受けつつ、私達は必死で走った。
このかよわく儚い赤ん坊の輝けるはずの明日を守る為、そして自分達の身の安全の為に。
すまん妖夢、今度お前の欲しがってたこんにゃく以外何でも切れるっていう外界の刀を買ってやるからなと
何の免罪符にもならないと分かっている戯言を胸に抱きながら……。


・ ・ ・


「……で、ここにその子を預けにきたって訳ね」

「ああ、色々と考えたが消去法で行くとここになるんだ。
白玉楼は言わずもがなでまず第一に除外されるし、
魔法の森は薄暗くて鬱屈としていて非常に健康に悪そうだし、
竹林には満月の夜になると凶悪なケダモノが出没するって言うし、
紅魔館には『女の子は小さいほどいい』とかほざく変態刃物依存者が居るし、
永遠亭には隅から隅まで完膚無きまでの引き篭もりしか居ないって言うじゃないか。
命とか貞操とか人格形成の過程に与える影響とかの危険が危なすぎるだろう?
それに流石の幽々子とてあんたの前ではこの子を食するという暴挙には出られない筈だ」


命からがら白玉楼から逃げ出したが、まだ問題が解決したわけではない。
別に幽々子に限った話ではなく、美味そうな人間の匂いを嗅ぎ付けた
妖怪や獣がこの子を襲わないとは言い切れない。
そして単なる妖怪だけが相手なら私達でも何とか出来ないことは無いが
そこに幽々子が加わるとなるともうどうしようもなくなる。
出来る事ならなるべく強い奴に預けた方が安全だ、と言う事で
私達は博麗神社を尋ねてみる事にした。


「私はこの子をうまく使えばルナサ姉さんをからかうネタがまた増え……じゃなくて、
いろいろと退屈しなさそうだから私達で引き取っちゃおうって提案したんだけどね。
まったくルナサ姉さんったら心配性でやんなっちゃうわー」

「でもここが一番安全なのは確かなのよ? で、どうかしら? なんとか預かってくれない?
貴方なら分かると思うけど、この子みたいな汚れてない人間は妖怪の格好の的だし……」

「それはまあ、そうだけど……うーん……赤ちゃんの世話、ねぇ……」


私の言葉に続いてメルランとリリカが頼み込むが、霊夢の反応は芳しくない。
あまり物事に拘らない……というか、よっぽどの事でもなければ
適当に引き受けてくれそうな霊夢も、流石にこれは返答に困るようだ。
まあ、いきなり何処の誰とも知らぬ子供引き取ってくれと言われてるんだから無理もないか。
だからと言って、ある意味一番頼りになるはずの幽々子つまり白玉楼の線が消えた以上は
ここしか頼るところが無い訳で……厄介事を押し付ける様で実に心苦しいが、何とか了承してもらわねばならない。


「完全に預かってくれとは言わない。この子の里親が見つかる間だけでも保護していてくれれば……」

「いや……って言うか……むしろアンタの言う所の『その子に与える影響上』非常に宜しくないわよ、ここ」

「え?」


なんでどうしてその訳は、と言いかけたその瞬間、
まるでバンビの如くに弱った霊夢の目を見て私は何もかもを理解した。
確かにここはまずい。子供どころか十分に自我の確立した大人でもまずい。
考えてもみろ、この神社は年がら年中休む間もなく変態傲慢アル中幼女やら
変態我侭吸血幼女やら変態モノクロ魔砲少女やら変態孤独人形師やら、
挙句の果てには変態年増スキマ妖怪までもが入り浸って乱痴気騒ぎを繰り広げているのだ。
そんな黒血煮え滾る血の池地獄に純白の絹布の如き無垢な赤子を放り込んだらどうなる。
死ぬ。絶対死ぬ。どうやっても死ぬ。何が何でも死ぬ。下手すると死後の世界でもう一回死ぬ。
万が一生きていたとしても今度はその子供の方が奴らと同レヴェルの変態に堕す。
わざわざ洗い立てのコタツ布団の上にクリーム白玉ぜんざいをぶちまける馬鹿がいるか。
朱に交われば赤くなるとはよく言ったものだ。赤というよりどどめ色って感じだが。

そしてそんな事を考えている間に、当の変態軍団の一員が姿を現した。


「あら、珍しいお客さんだこと」

「あんたは……」


よくよく見れば見覚えのある顔だった。
雨どころか大して日差しも強くないのに傘をさし、印象的な長い金髪をそよぐ風に遊ばせている。
そしてその身に纏った胡散臭くつかみ所の無い独特の雰囲気と強烈な妖気。
こんなある意味衝撃的な存在感を持つような奴は幻想郷でもそれほど多くないし、忘れようにも忘れられない。
かと言って特別親しい訳でもないが、宴会に招かれて演奏しに行ったりする時には大体会うから
とりあえず顔と名前くらいは知っている。確か八雲コアラ、いや、八雲ナマケモノ、じゃなくて八雲紫だ。
以前どこかで「八雲紫はスキマ妖怪」だと言うこともちらっと聞いたが、正直よく分からなかった。
今も一体いつ何処からこの神社に入ってきたのか、気が付いたらそこに居たという感じだ。
そしてこの間見たときは大人だった気もするが、今はどう見ても年齢一桁の可憐な幼女。
まったくもって謎の多い人、いや、妖怪だ。


「……って、美味しそうな匂いがすると思ったら……これまた随分珍しいお客さんね」

「こないだメルラン姉さんがどこからともなく拾ってきたのよ」

「ふふ、かわいいでしょ」


目ざといというかなんと言うか、スキマ妖怪がメルランの抱いた赤ん坊に素早く気付いた。
やれやれ、スキマ妖怪相手じゃ分が悪すぎるか。今降りていくからこの子を食わないでくれよと言おうとしたが
流石にそれはあまりにも失礼だと思うので内心はらはらしながらも黙っている事にした。
いや、まさかいきなり取って食うことは無いと思うが……そのまさかを起こしそうなオーラが漂ってるんだよな。


「ああ、一応言っとくけど食ったら刺すわよ。アンタの場合次何するか分からないからねぇ」


……人が気を遣って黙ってるというのに、何のためらいも無く言い放ったよ。
霊夢の頭の中には失礼とか無礼とかそういう単語は無いのだろうか。
まあ、あったら最初からこんな事言わないか。


「やあねえ霊夢ったら、流石の私も人前でそんな大スペクタクルを披露する程善人じゃないわよ。
あらホント、とっても美味しそ……じゃなくて味わい深そ……じゃなくて、とってもかわい…………!」


あいにく背が小さいので、どこからともなく現れた謎の異次元にぴょこんと飛び乗って
メルランに抱かれた赤ん坊の顔を覗き込んだ次の瞬間、スキマ妖怪の表情が一変した。
そこにある筈の無いものを目の当たりにしたような「信じられない」といった気持ちがありありと見て取れる。
俗っぽく言えば「やばいぜやばいぜやばくて死ぬぜ」って感じだろうか。


「……どうした? 何だかいきなり顔色が悪くなったように見えるが……」

「え? も、もしかしてこの子に何か変な妖怪が付いてるとか?」

「い、いえ……べ、別にそんなんじゃないけど……
……あ、あらいけない、そろそろ昼寝のお時間だわ。
それじゃ霊夢、来たばっかりだけど私はこれでおいとま」

「……待ちなさいこのディミニッシュパープル号」

「は、はふん!」


いきなり脱兎の風情で帰ろうと……いや、逃げ出そうしたスキマ妖怪を
霊夢が首根っこ押さえてふん掴まえた。
手足をじたばたとさせて逃げ出そうとしてはいるものの、
その体格差は如何ともしがたく、成す術も無く押さえ込まれている。


「ちょ、ちょっとなんで私がそんな風に呼ばれなきゃ……」

「名前が紫だから」

「じゃあ最後の号って何なのよ!」

「ディミニッシュパープルだけだとインパクト性に欠けるからよ。
そんな事より紫、あんたこの赤ちゃん一体どっから連れて来たの?
一切合切洗いざらい話してもらうわ。疚しい所が無いなら話せる筈よね」

「うッ……や、疚しい所も何も……べ、別に私が攫ってきたって訳じゃ……」

「あっそ……じゃあ……別にいいわよッ」

「ッッ!?」


刹那、ひゅん、という風切音。これは恐らくソの♯だな。
いや、別に音程がどうだろうとこの際関係ないけど。
って言うか今何が起こったのか皆目見当がつかない。
何故かスキマ妖怪の顔が引きつっているようにも見えるが……


「あ、危ッ!? ちょ、あ、頭を掠ったわよ!」

「今度はマトをもうすこしさげる……この子は何処の里の子? それとも『外』の子?」


……今の会話で何となく分かった。
物凄いスピードだったのでその瞬間は良く見えなかったが、
よく見れば奥の木に髪の毛が数本巻きついた針が突き刺さっている。
あの針には見覚えがある……って言うか以前私も投げ付けられたアレだ。
スキマ妖怪本人が言っている通りにギリギリ頭を掠めていったのだろう。
って言うかよくこんないたいけな幼女の顔目掛けて針投げられるな。
普段はどうあれ今は紛れも無く幼女なんだから。


「だ、だから私は知らないって……ひっ!?」


とすん、と、少なく見積もっても先程の三倍ほどの量の針が木に突き刺さり
ふたたびスキマ妖怪の悲鳴が境内に木霊する。
……それにしてもしかし、白玉楼でたまに会う時や
演奏に呼ばれた宴会などで見るあの妖艶な姿からは
とても想像が付かない怯えっぷりというか、なんと言うか。


「マトをもうすこしさげる……この子、何処の子?」

「うーん、この光景を事細かに記録する手段が無いのが悔やまれるわねぇ」


リリカが残念そうに、そして感慨深げに呟く。
いや、こんな光景見て感慨深いってどんな性格だよ。
メルランは楽しそうねぇとか言って呑気に笑ってるし
やっぱりこの二人完全にどこかおかしいな。
躁病とか腹黒とかそういう末端の部分じゃなくて、もっと根源的な問題で。
どちらにしろ、これ以上ここに居ても事態の進展は望めそうに無い。
赤ん坊どころか妹達の教育上も良くないし、一刻も早く退避すべきだろうな。


「なあ霊夢……どうやらお取り込み中のようだが……邪魔になりそうだから帰った方がいいか?」

「ああ、別にいいわ。もうちょっとでこっちの話終わるから」


……なにやら妙に気を遣われてしまった。
いや、むしろ私個人の意見としては今すぐにでも帰りたいんだけど。


「さあ、次はその鼻の穴にメカブ突っ込むわよ。
その後は昆布、もずく、心太、アオサ、そしてヒジキと
どんどん難易度をあげていくから、それが厭ならとっとと吐きなさい」

「え!? い、いや! ヒジキは厭ぁ! わ、分かったわ、話すから許してぇ!」


かくしてスキマ妖怪の告白が始まったわけだが、いかんせん尺が長かった。
ヒジキへの恐怖により狼狽していることに加えて
少しでも自分にとって不利な情報を回りくどくぼかして
誤魔化そうとしているからだろうか、何とも分かりづらい話だったが。

……とりあえず今メルランが抱いているのは幻想郷の外の人間だという。
しかし事情は知らないがあまり望まれて生まれた子ではない様で、
半ば厄介払い的に、生まれてすぐ養子に出す事になったらしい。
そこにあのスキマ妖怪が現れて人間のフリをしてこの子を貰い受け、
そのままこちら側に連れて来た。無論、食料として。

ともかく、話の大筋としてはこんな感じだろうか。


「へー、この子、外の世界の人間だったんだー」

「あ、そっか……生まれたばっかりだったからあんまり向うの気配がしなかったんだ」

「って事はつまり……人間を装って養子を取るフリして後で喰おうとしてた、と……」

「うッ!」


霊夢がまた何の容赦も遠慮も無く、現実をそのまま口にする。
そして必死の虚飾と誤魔化しをあっさりと反古にされたスキマ妖怪が言葉に詰まる。
……しかし何とも気の毒と言うか、霊夢にああいう風にして詰め寄られたら
並みの妖怪とか霊だったら胃に穴が開くだろうな。モノによっては胃なんかないけど。


「……ゆ、ゆかりんちっちゃいからむずかしいことわかんにゃ~い(はぁと)」

「こンの不埒者がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「はぶしゅん!!」


てへ♪と、スキマ妖怪が見目相応の可愛らしい笑みを浮かべるが
霊夢の渾身の右ストレートがその虚飾の仮面をあっさりと剥ぎ取ってしまった。
しかし何だ、中身はどうあれとりあえず外面だけはいたいけで可憐な幼女なんだから
普通の神経を持った者ならとてもじゃないが殴る事など出来ないのだろうが……
やはり無重力の名は伊達じゃないという事だろうか。


「冬眠する時期でもないのに三時のおやつ感覚で
まだ未来のある赤ちゃんを喰おうとするとはどういう了見よ!
人喰うなとまでは言わないけど天然物のしかも赤子は止めときなさい!」

「な、何よぉ! いいじゃないのたまには人間の一人くらい獲って来たって!
一歩間違ったらこの子は雪の降る師走の夜に捨てられて死んでたかも知れないのよ!
私はこの子を凍死の憂き目から救ったんだから褒められはすれ怒られる言われは無いわ!
産んだ子に対する責任を半ば放棄したこの子の親を無責任と罵る事は簡単だけど
だとしたら一体そのうち何人がその子に『無責任ではない優しさ』の手を差し伸べる事が出来るの!?
たとえ出来たとしても果たしてその内の何人が口だけではなく実際にその手を差し出せるの!?
それに比べれば私はこの子に幻想郷で生きるという新たな選択肢を示した分だけマシでしょ!?
って言うか霊夢は人食べた事ないから分からないでしょうけど天然物のしかも赤子だなんて最高級食材よ!
私だってそんな大それたものあんまり食べられないんだからたまには羽目外したっていいじゃない!
家に持って帰ると藍にばれて霊夢に告げ口されるかもしれないからこっそり森の中に隠しておいたのにぃ!」

「屁理屈ばっかり並べるんじゃないわよ! そもそもの目的は自分の腹を満たす事でしょうがッ!!」

「そ、そんな実も蓋も無い事言われたら言い逃れ出来ないじゃない! ルール違反よ!」

「存在自体がルール違反みたいなあんたが言えた事じゃないでしょ!」


ダメだこりゃ、もう完全に二人の世界に入ってしまった。
メルランの抱いてる赤ん坊のキャッキャと笑う可愛い顔が
何だかあの二人を馬鹿にして嘲ってる様に見えるのは目の錯覚だろうか。


「ああもう、四の五の理屈をこねるのはもうおしまい。
これだけ言っても分からない困ったちゃんなアンタには
私直々の手でルール違反の制裁を加えてあげるしかないわね。
という訳でちょっとこっちに来なさいハァハァアハハ」

「ちょッ! よ、よだれが! め、目に! 目に入ったわよ! 」


……そう言えば聞いた事がある。
何ものにも縛られない無重力たる博麗霊夢は
もしも相手が迫ってくるならそれ相応の「受け」を、
そして相手が引いているならまたそれ相応の「攻め」の
両方の属性を完璧に使いこなす事が出来ると。
って言うか無重力って言っておきながらヨダレや鼻血どころか
あまつさえ耳汁すら出すほど興奮している様に見えるのは
やっぱり私の目が異常(おか)しいからなのだろうか?


「……姉さん達、ちょっと耳塞いだほうがいいと思うわ。
いつものパターンだとこの辺りでもうすぐアレが来るわよ」

「そうなの?じゃあルナサ姉さん、私がこの子の耳塞ぐから姉さんは私の耳をお願いね」

「よし分かった……いやちょっと待て、よく考えたらこれだと私の守りが
非常に手薄にっていうかいつものパターンって一体何の話……」

「は、はふん! 私の視線が霊夢より下にある状態でチョメチョメな事されるって言うのも
何だかとっても斬新で残酷で新鮮で深遠で新幹線でリニアモーターカーなまさに無血革命!
でもまあ今の私のロリータなフォルムから察するにある意味一筋の血が流れそうっていうか
いやちょっと待って何その黒くて太くて禍々しい円筒形の物体はってよくよく見たらそれ
ヒジキでびっしりコーティングしたリニアモーターカーの模型じゃないのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?
い、いや! それは厭! ヒジキだけは厭! そんな超絶技巧カデンツァの嵐的なヒジキ使われたら
色んな器官の色んな細胞が色んな原因で死んじゃキャワワァァァァァァアアアアアア!!」


……気付いた時には遅かった。
嬌声とも断末魔とも雄叫びとも付かぬ、もはや超音波の域に達した叫びが私の耳を劈く。
ただの音なら別に何の問題も無かった。伊達に常々バイオリンをつま弾いていない。
しかしこの場合問題なのは音の大きさとか周波数とかじゃなくて内容だった。
これはもはや超音波の域をも逸脱した精神無差別大量破壊兵器といっていいかもしれない。
って言うか何で私の知り合いは九割九分女同士で愛憎劇展開してる奴等ばっかりなんだろうか……。


「あらどうしたのルナサ姉さん、そんな世界の終わりを垣間見たような表情でうずくまっちゃって」

「……リ、リリカ……あ、あんた……ちょ、あのな……く……」

「ね、姉さん……わ、悪い事しちゃったかしら?」

「い、いや……こ、この状況では……あれしか取る道が無かったのは……重々承知……ううう……」


心配そうにメルランが私の顔を覗き込んだので、精一杯の笑顔で返す。
そうだ、メルランは何も悪くない。そしてリリカも別に今回は悪くない。
この先も、いつでも何処でも皆が幸せになれるとは限らないのだ。
そういう時には私が愛する妹達を、メルランとリリカを護るのだ。
護ろう、大切なものを。自分を、家族を、そして友を。
我ながらいい事考えてるなぁとほんのちょっぴりいい気分になったが
この思考に至った道筋を順に思い返してみたらすごく哀しくなったのですぐ止めた。


「ぱ、ぱちゅけてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! こ、こ……ころされりゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」

「…………助けて、は…………こ、こっちの台詞だよ…………うあ」


かくして、本日二度目の意識断絶。
目覚めた時にリリカが私の顔にヒゲの付いた眼鏡をかけようとしていたので
間一髪で必殺のコントラバスターを繰り出して無事事無きを得た。
って言うかこれだと全然大切なもの護ってないな。思い切り殴ってるな。


「結局人の想いなんて一過性、儚いもんよねー」


うるせぇ、腹黒。


・ ・ ・


何だかんだあったが、実に慌しく騒がしい一日がようやく終わった。
リリカの大いなる勘違いから始まってメルラン出産疑惑、人食い幽々子の襲来、
そして桃色超音波の絨毯爆撃と、まったくもって雑音まみれの一日だったが
まあ、たまにはこんな日があってもいいかも知れない。


「はぁ」


椅子の肘掛に肩肘を突いて、窓からの星空を眺めながら
メルランが小さく溜息をついた。

……結局、あの赤ん坊は私達の家から出て行くことになった。
最初は諸々の都合によって出来ない様な夫婦を探して
養子にしてもらおうかとも思ったが、結局あのスキマ妖怪が霊夢に怒られて
しぶしぶながらも外界の元々の両親の元に返してきたらしい。
境界を操るとか言う謎の能力のおかげで余計なイザコザも起こらなかった様だ。
まったく、何とも便利で都合のいい能力だな。


「ローズマリーでよかったか」

「……あぁ……うん、ありがと」


いれたての紅茶をメルランに手渡すが、やはりぼんやりとした様子で
今は人の話も右から左といった風情が漂っている。
と、リリカがぴょこんと椅子の背中側から現れてメルランの肩をぽんぽんと叩いた。


「どしたのメルラン姉さん、元気ないったらありゃしない」

「んー……あの子、向うに戻って大丈夫なのかな、って……」


……ああ、やっぱりあの赤ん坊の事か。
そう言われてみると、何処と無くつっかえ棒を外されたような、
極端に言えば燃え尽きてしまったかの様な虚脱感がメルランから感じられる。
いつもこんな風に静かだといいんだけど、まあ、それは無理な注文だろうな。
騒霊は騒いでナンボだって感もあるが、メルランの場合は……いや、別にいいんだけど。


「あー、あの話を聞いた限りじゃ何だか複雑な境遇っぽかったからねぇ」

「うん、せっかく生まれてきたんだから、どうせなら幸せになってもらいたいじゃない?」

「まあ……どちらにしろ、なる様にしかならないさ。幸か不幸かは周りが決める事じゃない」


案外冷たいのね、とリリカがからかう様に言う。
しかし一抹の真実だろう、と軽く返してから
メルランの向かいのソファに腰掛け、お気に入りのダージリンを一口。
鼻腔をくすぐる仄かな芳香と、喉を流れ落ちるほんのりとした熱が心地よい。


「……そう、そうよね。きっと大丈夫……なるようになるわよね」

「どうかしら、ルナサ姉さんの言う事だから大して当てにならないんじゃないのー?」

「ふふ、言ってな」

「あ……そうだ、ところでルナサ姉さん……お願いがあるんだけど」

「? どうした、そんな急に改まって……珍しい」


かちゃりとローズマリーティーを目の前のテーブルに置いて、
いきなり真剣な表情になったメルランが真っ直ぐに私の目を見据えた。
リリカだとこういう時にこそフェイントをかまして私を陥れようとするが
メルランの場合、真剣な時は本当に真剣になるから
恐らく中々に重大な話なのだろう。
これはこちらもそれなりの心構えで話を聞かなければならないな。
それだは早速、気持ちを落ち着ける為にダージリンティーを一口飲んで……


「私も赤ちゃん欲しくなっちゃった(はぁと)」


……全部噴き出した。


「それは明らかに『ところで』という接続詞の後に続く話じゃないって言うか
そもそも実の姉めがけてそんな台詞を吐くなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


かくして本日二度目のダージリンティー逆噴射。
そしてメルランの目がまるで渦潮の様にぐるぐる巻いてるのにその時初めて気付いた。
これはもしかしなくてもアレだ、毎度お馴染みのバグ……じゃなくて躁病の発作だ。
しかしこのタイミングでしかもこんなベクトルに向けての発動って私なんか悪い事したか。
ああ……そう言えばあの時白玉楼でメルランが言ってたっけ。
『最近躁病の発作が収まってるのはそういう時期にあるだけ、
また暫くすれば元に戻る、それどころか反動で更に凄くなるかも』と。
いやだからなんでよりにもよってこんな時にスイッチオンぶちかますんだっての。
あまりのショックに思わず答えの出ない堂々巡りの自問自答を繰り返してしまう。


「ダメよメルラン姉さん、こういう時はこれを駆使(つか)わなきゃ」

「この状況でオーボエとかフルートとか尺八とかリコーダーとか
よりにもよってそういう吹く系の楽器を取り出すなよぉぉぉぉぉぉ!」

「ルナサ姉さぁぁぁぁぁぁん!! 私の子を産んでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

「産みの苦しみまで私持ちなのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!? ハ、ハチャトゥリアァァァァァァァァァァァァン!!」





……今度の騒ぎで得た結論。

……強すぎるイシは身を……じゃなくて。

……やっぱり雑音は、始末するに限る……。





・一人称モノに挑戦してみよう
・この三姉妹って結構おいしいキャラ立ちしてますよね
・メルランおおきいよおおきいよメルラン

本SSは以上の三要素のみで成り立っております


やはり「一人称で書く」という事の圧倒的な経験不足により
難しいというよりはむしろやり辛かったという感があります。
一人称を使用(つか)うのはかれこれ三年ぶり、しかも二回目ですので
出来る事なら生暖かい目で見守って頂けると私としてはとても助かります(待て)


名前というかHNをちょっと間違えていたので修正。
下っぱ
http://www.geocities.jp/cnv_anthem/
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コメント



0.6150簡易評価
10.100名前が無い程度の能力削除
 c.n.もとい下っぱ様の作品という事で喜び勇んで読んでみたら、珍しい事に三姉妹メインでしかも一人称。新鮮な驚きがありましたよ、えぇ。
 相変わらずブッ壊れ系でボリュームも多く、感想を全て書くにはスペースが余りに足りなさ過ぎるので、一言、面白かったです!!
 前回の投稿から間も無いのに、コレだけの物を書き上げた事も、凄いと思います。あと、ゆゆ様の奥の手は死んだフリですか?(既に死んでる
12.80名前が無い程度の能力削除
下っぱ氏のSSに出るのにマトモ路線一直線なルナ姉ぇが哀れでならん……w
13.80名前が無い程度の能力削除
これだ、これこそがc.n.v節ですよ。
26.100七死削除
なんだか良く解らんが、この赤ん坊はこの先何があっても絶対に大丈夫だと言う確信が持てた。 それだけでこの話は良しとしようじゃないか。
28.100吟砂削除
嗚呼、やっぱ大惨事だ・・・ルナサ、妖夢、自業自得ながら紫様に合掌!
しかし・・・リニアモータカー模型とヒジキ大活躍ですね(笑
32.100凪羅削除
相変わらずのブッ飛んだ言葉が実に楽しい騒霊3姉妹ですね。
c.n.v-Anthem様基下っぱ様の作品だとまともな人程苦労したり悲惨な目にあったりと、非常に理不尽且つ不憫でなりませんつД`)

ところで紫んはなんで「霊夢の前に」幼女で出てきたんだろう。霊夢の前で何も起きないハズがないのに(笑
34.90名前が無い程度の能力削除
ヒジキリニアモーターカープレイ・・・((((゚Д゚)))ガクガクブルブル
36.90名前が無い程度の能力削除
笑った。笑った。笑った。笑いすぎた。
赤ちゃん連れていくなら慧音の所だよなあ、と思ったら虹川姉妹と接点が無いんだっけ。
43.100名前が無い程度の能力削除
笑った。しかし一番絞りは私のもの発言してもまだまとものレベルなのが恐ろしい。あぁ妖夢は内心喜びながらナニをされたんだか。
関係ないけど蒟蒻アーマーなる鎧を着込んであの刀に『刺された』馬鹿が居たなぁ
50.80おやつ削除
結構弱点持ちな幼女ゆかりん蝶萌えです。
やっぱ疲れたときは思いっきり笑うのが一番ですねぇ……
65.50匿名削除
もうこの路線で氏に敵う者はおりますまい。
徹頭徹尾のノンストップ不条理ブッチギレSS、相も変わらずお見事です。
この幻想郷はある意味一番恐ろしい世界です。
幼時体験はその後の人格形成に多大なる影響を与えるといいますが、彼の赤子の胆力逞しく育つ事だけは間違い無いでしょう。
黒い常識人と白い反転衝動に幸あらん事を。
67.100名前が無い程度の能力削除
最初から最後まで笑いっぱなし

最高でした(=゚ω゚)ノ

GJ!
73.80TAK削除
名無き赤子よ…大志を抱け!せめて間違った方向に行ってしまわない程度に!
しかし、ルナサも哀れ~…。
…って、一番搾りってどういう意味ですかルナサさ(被弾)
93.100床間たろひ削除
さっすが! 下っぱ様! 常人には及びも付かない
変体桃色幻想郷!
そこに痺れるっ! 憧れるぅぅっ!!
アンタ 最高だっ!
104.100名前が無い程度の能力削除
なんだこれ
130.70自転車で流鏑馬削除
今頃幽々子と妖夢はパッチュリ四つに組み合っているにちげーねー
136.100名前が無い程度の能力削除
ルナ姉さんが壊れた~!

そして、何故か今回一番の常識人(?)メルラン…何があった?
140.70名前が無い程度の能力削除
幻想今日の住人は全員変態なのかー
142.90名前が無い程度の能力削除
なんたるハイテンション。思わず見惚れました。
あと、ロリゆかりんが可愛くて可愛くてああもうゆかりぃぃぃぃん!