平坦手記
○
事の始まりと、そこから紡がれる物語と、その一応の終結の関係は、ともすればまったく繋がりがないように思える。
それほど人と人が織り成し、延いてはまるで世界が手引きしているような出来事の連なりは面白くて。
私は好きなのだ。
これは、私が体験した事を書き綴っていく手記の一ページ。
過去という言葉を記し、「がらんどう」という自分を埋める為の、一ページ。
○
そういうことなら、まあ仕方ない、と。私は、買い物予定の品物の一つを諦めて、商店を後にした。
「まったく…売り切れにするくらいの品揃えしかないなんて」
ぶつくさ言っても、それはそれ。ここはそれに変わる案を立てることが大切だ、と考える頭が自分にはある。
だから、コツコツとうるさくしていた足音を、ゆっくりと静かにしていく。瀟洒であることが、私のポリシーなのだ。
一度落ち着いてみれば、秋空の下、少し冷たい風が人里の賑やかさを乗せて耳に届けていることを思い出せた。
久しぶりに人の集うところに私は居る。今日は買出しの日だから、人の輪の中にいることに風の冷たさとは違う何かを感じていても、そこは我慢。
仕方ない。流石にお屋敷の中で事足りるほどの自給はないのだ。
それは、そう。殊に食材に関しては。
そういえば、パチュリー様が「食材を生み出す魔法は、世界しか使えない」とか何とか言っていた気がする。だから調理も食事も大切にしろとか。
「くす」
人中だというのに、不覚にも思い出し笑い。だって何だか年寄りくさい。そりゃ人間にしてみたら、彼女はずいぶんな年寄りだけど。
パチュリー様、すいません。くすくす。
「―――ん」
本当に不覚だ。
ちら、と妙な視線を感じたのだ。
口元を緩ませて歩いていた私は、他人からすればちょっと奇異に映ったのだろうか。
視線の主は、当然だが、それ以上のことはせず、私の横を通り過ぎた。当然それだけだ。
私は―――私も、ちょっと気を取り直して、口元に気をつけて、変わらず歩を進める。冷静に。
―――こんな時、昔の私はどうしていたかしら? ねえ?
そんな自問も、よく考えたら、ちょっと不快で、下らない。
一度目を閉じて、開いた時には、ほらもう消えた。
そうだ、今はそれよりも重要なことがあるんだ。
「…さてと。買って帰るはずだったアレがなかったから、代わりのものを……あ」
突然頭に浮かび上がる映像。
さっきの、すれ違った、あの少女。見た目多分年齢は十代前半、髪は黒くて長く、肌はとても白かった。
「丁度良かったわ。やっぱり日頃の行いかしら」
あの少女なら、きっとお嬢様も喜ぶだろう。買い逃しの失態も帳消しだ。
―――いやいやいや。違う違う。仕返しとか微塵も思ってない。うん。思ってない。
私は背に受けていた日の光を、正面に見据えた。
○
「こんにちは、少しいいかしら?」
「え…?」
密集した家屋が作り出す、大きな道への小さな道。少女が向かいの通りに抜けるために選んだこの道は、私にとって接触の機会と捉えるべき判断を与えた。
私の能力からすれば、一見この行動は蛇足だ。会話を糸口に接近する必要などなく、時間を止めてしまえばそれで十分。
けれど、必要だからこその接触。例えるなら…そう、買う野菜を選ぶ、みたいなこと。
「違ってたらごめんなさい。あなた、少し顔色が悪いみたいだけど…」
だから、色合いを見たり、軽く叩いてみたり、香りを確かめてみたり。どうせなら拘らなければ損だと思うのだ。
「え、あ。だ、大丈夫です。元々病気がちなもので…あは、お気遣いありがとうございます」
微笑んで礼を言う少女には、どこか清らかさがあった。初対面の他人にも不信と鬱陶しがる様子もなく、人の好意を無下にしない笑顔。
良い子、には違いないだろうが…私の目的からは遠退いてるかもしれない。身体が良くないのは、正直困る。
「元々病気がちなら、普段から安静にしていなきゃだめなんじゃない? 出歩いたりしてていいのかしら?」
「はい、実はダメです。えへへ。でも、私一人で暮らしてるんで、買い物とか自分でしなきゃですから」
どこか恥ずかしそうに、少女はくすんだ白いワンピースの裾を摘みながら答えた。笑顔を絶やさない目の前の少女の境遇は、あまり良いとは言えないようだ。
幼い子供が一人で生活しなければならない、なんて不遇、世の人は同情やら周囲の人間に憤りを感じたりもするが、それは厳然とそこにある事実で、確かにあるケース。
私は同情したりなんかしないし、手を差し伸べない誰かに勝手な怒りも抱かない。どちらも無責任で、少女の助けになることはないのだから。
でも、
「そう…頑張ってるのね」
私は、左腕に抱えていた袋から一つ、ちょっと貴重な一品を手に取る。
「これは、私の知り合いの知識人によれば、滋養強壮の効があるらしいわ。プレゼントよ」
え、と少女は丸い瞳をさらに丸くして、私と差し出されたものとを交互に見やる。
それはそうか、ついさっき会ったばかりの人間からいきなりプレゼントを差し出されて、驚かない人はいない。
私は、自分の顔が熱くなるのを感じた。何をやってるんだ、私は。
そんな不可思議な私を見て、少女はにこりと笑った。
「ありがとうございますっ。優しいんですね、お姉さん」
そう言って、私の手から両手で包み込むように、私のプレゼントは少女に受け取られた。少女の丸く澄んだ蒼い瞳が、とてもキレイだった。
そうだ、私はこの子に同情したわけでも、食材扱いしてたことへの償いでもない。この子が可愛かったから。純然たる心からのプレゼントだ。…それもどうかと思うけど。
「だけど、これって結構高価そうですね…何だか申し訳ないです」
「あら、その分調理方法とかも特殊よ。それを教えない意地悪もセットなんだから、気に病むことはないの」
私は意地悪く少女に笑った。実際コレの調理をするには知識が必要だが、私は自分がそうしたように、少女が学んで獲得していくことを、どこか期待していた。
「えー、そうなんですか? ふふ、それじゃあこれを高値で売って、生活資金にさせていただきますね」
と、少女も負けじと意地悪く笑い返してきた。その様子がとても可笑しくて、お互い小さく吹き出した。
ああ、やっぱり。この子は魅力的だ。強く、生きている。
どこか不思議な感覚にとらわれながら、私はこの子にプレゼントをあげたことがいかに自然なことだったのかを知った。
この少女はこれからも明るく生きていくだろう。それほどの光を感じた。
「それじゃあ、手間取らせて悪かったわね」
にこにこと微笑む少女に、私は背を向ける。
「はい。これ、本当にありがとうございました」
私は、明るい声を背に受け、気持ちよくその場を去る。
―――ことが出来たら、良かったのだけれど。
「お前か? この違和感は」
靴が砂を擦る音と、静かな圧力。伸びる影が、先ほどの少女の影を覆っていた。
足を止め、振り向くと、少女の背後にはいつかの永い夜に出会った半獣がいた。陽光を背に立ち、その色素の薄い髪を美しく流している。
だが、彼女はどこか刺すような気配を漂わせ、影に霞むことなくその表情は堅く強い。
その姿を、雰囲気を目の当たりにしてか、少女は恐々と口を開いた。
「あの…何か…?」
「あら、お久しぶりね」
そんな少女の姿を見て、私は相手が答える前に言葉をかける。体は、いつの間にか少女を庇う様に前に出ていた。
人里は私が守る、なんて言ってるこの半獣のことだ、きっとここにいる私を異分子として感知して、ここに来たのだろう。
「お前は…あの時の悪魔の従者か。こんなところで何をしている。主人の世話はいいのか?」
「今日は特別。生活必需品はここらで仕入れるからね」
「なるほど―――」
上白沢慧音は、ぴくりと眉根を吊り上げた。
「ここの人間たちから、血液を掠め取りに来たのか。そうはさせん」
「いえいえ、ここへは買出しに来てるだけよ。ついでに、ほんのちょっとだけ、掠め取るけどね」
空気が、更に圧力を増す。
あえて逆上させるようなセリフを、私は選んでいた。いい気分を害されたのだから、当然私の気分は悪い。
「帰れ。二度とここへ来るな」
腹が立つ。こういう奴を黙らせるいい方法って、何かないかしら?
―――――ああ、そうか。
「五月蝿いわね。この世界には、ちゃんと需要と供給のシステムが構築されてるの。だから、あなたは世界の敵。敵は排除するものだわ」
結局、私の中で方法を検索してみても、辿り着く答えはこれしかなかった。仕方ない。
と、その前に。
さっきから私たちのやりとりをどうすることも出来ず、ただ経緯を見守っていた少女に、顔だけ振り向く。
「ごめんなさいね。ここは危ないから、居なくなった方が身のためよ」
恐らく巻き込む形になってしまった少女を、私は離れさせたかった。
少女はびくりと驚いて肩を上げると、
「あ、はいっ」
小さく返事をして、後ろに駆けて行った。
これでよし、と。
「―――! 貴様っ!」
と同時に、慧音の左手が私に伸びるのが横目で見えた。
私は、
(The world kills me.)
内に唱え、世界から離脱、
そして、駆けて、
(I kill the world.)
内に唱え、灰色の世界を離脱する。
「いきなりは横暴でしてよ、人里のヒーローさん?」
慧音の左手が、ただ前に伸びていた。
私はそれを、慧音の背から覗く。右手に握ったナイフを、彼女の首に押し当てながら。
「……時を止めたか。そしてこの対応。どうやら痛い目を見なければいけないらしいな、貴様」
首筋に与えられた冷たい感触をものともせず、慧音は私に怒りと、そこから昇華した敵意を向ける。
す、と慧音は息を吸うと、
「那個歴史、刪掉」
小さく、その口は奇妙な音を紡いだ。
唐突にぐにゃり、と私の視界が歪む。そして、気が付けばいつの間にか私の目の前には慧音が立っていた。
…いや、「私が元の場所に戻っていた」のだ。
「へぇ、改めて見たけど、便利ね。これなら、後悔なんて生まれずにいれるでしょう?」
彼女は私の歴史を、先ほどの行動を改ざんし、無かったことにしたらしい。それ故、私は彼女を目の前にし、その表情を見ることが出来た。
「後悔は歴史にはない、心に秘めるものだよ」
もう、そこには余分なものは見て取れなかった。
「そしてそれは、自分の手でしか拭えない。だから私は拭おう」
慧音の瞳が、一瞬細められ、そして大きく見開く。視線はまるで刃のように、色の深い瞳は吸い込み押しつぶす闇のように、私を殺そうとしている。
だけど、私はその殺意よりも。彼女の言葉に大きく波立つ。黒い何かが、私を内から支配していく。
そのことに私自身は気づくことなく、くす、と小さく笑って。
その時間を受け入れた。
○
二人の違いは明確だった。
私は「現在」、彼女は「過去」に干渉する。
しかし、その二つの違いには大差はない。「現在」は一瞬で「過去」になり、改ざんした「過去」はその時「現在」になる。
だから堂々巡り。イタチごっこ。
戦闘を始めて、感覚的に数分が経過してることが分る。始め居たあの細い道から離れ、今は大通りで二人は立ち回っていた。
人はいない。みな早々に退避したようだ。
それにしても、いい加減疲れてきた、飽きてきた。
「やはりお前一人では辛いようだな!」
正面から飛来したナイフを手刀で柄に当て弾き、彼女の背後から同時に畳み掛けようとしたナイフも、過去を改ざんし消失させる。慧音も戦況が容易に変わらないことを分ってか、声を上げ、力を込め直しているようだ。
「そうね。でも、」
青と赤の二条の光が、私の両脇を焦がす。と、上空から決め手の青い一条。チェスで言うディストラクション、そしてチェック。
「お嬢様がいなくても、何とかなるわ。あなたにはね」
チェックといっても、それは盤上でのこと。私のターンはいくらでもある。
ストップ、そして前にステップ。世界は灰色から色を取り戻し、私の背に地を抉る轟音が響く。
土煙に乗せて、ナイフを投げる。加速して、左右から8本。
迫るそれを、慧音は右手で横一線に払う。帯状の光がナイフを悉く消滅させる。
土煙という死角から正確に軌道を読んだそれは、瞬時に見えたナイフの動きを瞬時に書物から参照したかのようだった。
現在から殺そうとするナイフと、過去から殺そうとする光の帯が、二人の間を際限なく交差していく。
衝突、拮抗。双方からかけられる力は、ほぼ同等。
―――不毛だ。そう感じ始めてきた。
その時。
「――――――――――?!」
ぴり、と私の頭に痺れる、小さな感覚。
それはとても微弱で、でも確かな、言いようのない気持ち悪さ。
「っ!! しまった!」
叫んだのは、慧音。その顔が見るからに青ざめていく。
二人の手はいつの間にか止まっていた。私は先ほどの感覚に戸惑い、慧音は何らかの衝撃にうろたえている。
少しの静寂を切ったのは、慧音の意外な行動だった。
「くっ!」
地を蹴り、彼女は走り出す。私に背を向けて。
突然の敵前逃亡と、苦渋の声。
私は、私の足は、考える前に何故か慧音を追っていた。
私が感じた感覚と、彼女の行動の理由は、きっと繋がっていると、私の勘は言うのだ。
私は確かめたかった。
ぴりぴり。
慧音の背を追い、彼女が向かう方向へ走る度、私の頭は痺れを訴えてくる。
そしてそれは、次第に大きくなっていった。
この感覚は一体何なのか。嫌な予感がした。
○
ゾワゾワと、私の背中に、何かが這ったような感覚に襲われる。
『お前か? この違和感は』
思い出せ。どうして慧音は私の前に姿を現した?
思い出せ。彼女の目的が、私だったという確証がどこにあった?
「あれ? あなた達は、さっきの…」
慧音は、誰を睨んでいた?
「―――貴様っ! 何故こんなことを!」
ああ、またやってしまった。失敗だ。
いつも肝心なところを見逃してしまうんだ、私は。
イヤになる。
ゾワゾワ、と。
慧音が駆け込んだ家に入った時、私の背は粟立った。
でもそれは、決して恐怖からじゃない。
室内一杯に広がる鉄の臭いとか、部屋のカラーリングが悪趣味にも真っ赤に染められているからとか、目を見開いて倒れる初老男性とか。
そんなもの、恐怖の対象になるはずがない。
もちろんそれが、
白いワンピースと白い肌と、
整った白い顔を血に濡らし、
長く黒い髪を揺らしながら微笑む、
あの少女だったとしても。
「何故…? そうですね、理由としては―――生活に困ってやった…って、ところです。強盗ですね」
少女は、まったく悪びれた様子もなく、赤く染まったぺティナイフを右手で弄びながら、そう答えた。
くすくす、と笑いながら、言葉を続ける。
「だってね、酷いんですよ、この人。家人に暴力を振るうんです。自分が辛いのを、人に当たるんですよ? お酒の力を借りたりして」
視線は、傍らに転がる今や生物ではなくなったモノに向けながら、
「ふ…ちょうど一週間前には、奥さんを殴りつけてますね。職場での人間関係が上手くいかないからって、むしゃくしゃして。…酷いですよね?」
本当につまらなそうに、語った。
「この人は、死んでもいいですよね? この人は、故意に人に害を与えた。私がその気もないのに、人に害を与える、と皆から殺されそうになるんですから」
語った。私を見ながら。
そうか……きっと、この少女も。
だから、私は。
そこで、あまり大きいとは言えない、シンプルな造りの一軒家に彼女の声が響いていた。
「そんなこと、許されるはずはない! 人の命を…人の歴史を人が途切れさせることは、傲慢以外の何者でも、ない!」
慧音はどうやら、そこに倒れる男の急な歴史の終わりを感じて、ここに来たのだろう。
怒り、詰め寄ろうとする慧音。けれど、私はそれを制していた。
少女に、微笑みかける自分がいた。
「そう…頑張って、生きてるのね」
倫理も道徳も、かけ離れた人生をこの子は歩んでいるのだ。慧音の言葉を理解できるはずがない。
もともと、この幻想の郷はそれらが希薄だ。それ故、この子はここにいるのだろう。ここでは、論理も、理念も、それら心のあり方も、尊重されているような気がした。
「はいっ。『咲夜さん』なら、私のこと分かってくれると思ってましたっ」
花が咲くようだ、という笑顔に対する形容は、いい例えだと私は思った。
…ぴり。
私は、さっきの感覚の意味を理解する。
「―――――でもね、」
この子を前にして、背が粟立つ理由も。
「人の過去を覗くのは、私にとってルール違反なの。それ以前に、マナーの問題でもあるわ」
その異能。それ故、この子はここにいるのだろう。人格も異能も、ここでは受け入れられる。
けれど、この幻想郷にもルールはある。そいつの人格も異能も関係ないところがある。
「だからね。お仕置きよ」
私は投げかける。微笑みと、ナイフを。
そう、ここでのルールは、個々人が持っているのだ。自由が為の厳しい掟だ。
腕と刃が、風を切る音。
それに続いたのは、金属同士がぶつかる甲高い音と、床に刺さるナイフの音。
少女は高速で迫るナイフを右手のナイフで撃ち落していた。
「…くす。酷い、ですね。咲夜さんから、果物の皮を剥く以外のナイフの使い方を『教えて』もらわなかったら、怪我してました」
「なるほどね。でも、もう覗くのやめてくれない? ぴりぴりして気持ち悪いから」
少女は、まるで癖のように微笑むと、足元に突き刺さるナイフを抜いた。
「これ、貰ってもいいですか?」
「貰ってばっかりね、あなた」
「いろいろと貧しいのでー」
そう言って、彼女は左肩に布製のトートバッグをかけなおす。
「それじゃあ、そろそろお暇しますね。―――ああ、そうそう」
何か言い残したと、少女は私に改めて顔を向けると、
「私―――街中での咲夜さんの笑顔、好きでしたよ」
なんて戯言を残して、近くの空いていた窓から外へ飛び出す。どこが病気がちだ、と私は内心毒づいた。
「なっ! 待てっ!」
慧音が少し遅れた反応を見せる。けれど、少女は意外な素早さを見せて、その背はあっという間に消えてしまった。
私はそれを見届けると、入ってきたドアへ向く。ここにいる意味はもうないから。
「………すまない」
後ろから慧音の呟きが聞こえた。もちろんそれは私に対してではなく、殺された男に対してのものだろう。
ギシリ、という床を踏んだ音が、その時だけ大きく聞こえた。
○
今日のディナーは、格別好評だった。
「とても美味しかったわ。いいものが手に入ったのね」
「ええ。とても貴重な一品です」
お嬢様の満足そうな笑顔は、私を満たすのに十分だった。
―――――思えば、私はなんて恵まれた境遇にあるのだろう。
私が昔と変わったのは、きっとこの屋敷に雇われてからだ。
今日出会ったあの少女は、これからどういう出会いをして、どう変わっていくだろう?
…まあ、いいか。考えても私の知る得る範囲ではないのだから。仕方ない。
―――あ。
また、私は「仕方ない」なんて言葉を使ってる。
もしかしたら、気付いてない内に何回か使ってたかもしれない。
でも、それはきっと。
「咲夜、今日もご苦労様」
「いえ」
きっと、諦観なんかじゃなくて。
この自分の境遇に満足して、ある程度のことなどどうでもいいと、そう思える「自分になってしまった」から。
私は、自分の緩んでいた口元を慌てて引き締めた。
あの少女も、こんな出会いと変化があればいいな。と、思うのは少々惚気が過ぎるかもしれない。
私は、また笑っていた。
○
闇の帳が下りた森の中。そこは夜闇よりも深い、深淵たる黒の世界。
日が落ちれば、そこにある全ては闇に吸い込まれるのを受け入れるように消え去ったかのようだ。
けれど、その理を乱す、光と音。
殺気を纏った刃の一閃と、異形の断末魔。
そこに、どさりと倒れた異形の傍らに、少女は立っていた。
右手には、「あの時」のナイフ。反す光さえ存在しないはずなのに、不思議とそれは闇の中に映えた。
くす、と虚ろに少女は微笑み、ナイフにこびり付いた液体を振り落とす。
そして、それを抱きかかえるように両手で握り直した。
少女は、そのナイフの元の持ち主に思いを馳せていた。
少女は、そのナイフの元の持ち主の過去を、思い返していた。次に、街中で見たあの笑顔を思い出していた。
少女は、また、くすり、と小さく微笑んだ。
それは嫉妬か憧れか、それとも嘲笑か賛美か。
いずれにせよ、その答えは少女にしか知り得ない。だから、推測だけでいい。
ただ、少女はその日、知ることができたのだ。
「誰の時間も止まることなどないのだ」、と。
少女は、自分の「がらんどう」の笑顔が、いずれ変わるのだろうと確信した。それがどのような形になるかは、分からないが。
だから、今はそれを楽しみに生きていくことに決めたのだった。
静寂を破られた闇は、静かにざわめき出す。水面を乱す波紋の中心を、探し始める。
それでも、少女は歩を止めようとはしなかった。
○
「ふぅ…」
息を吐き、ペンを置く。椅子に座りながら、うん、と伸びをして、机の上のノートを閉じた。
私には、日記をつける習慣があった。いつ始めたのかは、分からない。
私にとって時間というのは酷く曖昧で、日記なんて、と思っていた過去がある。
でも、曖昧な時間に生きる私にとって、過去を記してみれば、それは鮮明な「思い出」となって残ることを発見したのだ。
過去はその人の中身を作る。だから、それを曖昧にしていた私は、そのことに気づくまでひどくつまらない造りをしていたんじゃないかと思うのだ。
後悔は決して拭えない、とも思うけど、それは仕方ないこと。
私は過去を明確に覚えていこうと、そう出来るようになってしまったのだ。
『今日、人里に買出しに行った。』
『ちょっと変わった女の子と、いつかの半獣に出会った。』
『いろいろあって、半獣とケンカした。』
『ちょっと変わった女の子は、やっぱりちょっと変わっていた。可愛かったけど。』
『もう一度、会ってみてもいいかもしれない。』
『あと、ちょっと変わった女の子の血は、お嬢様がいたく気に入っていた。あの時、掠め取っておいて良かった。』
It is beautiful in the past though doesn't disappear.
でも中々良かったです。
次も気になりますので、これからも頑張ってください。
いつまでも平坦で成長しない肉体の一部分についての観察日記……
ってなんでナイf(サクッ
なんと魅惑的なまとめ方かー。
本文のほうも楽しませていただきました。咲夜さんと黒髪ロリが素敵。