僕は、ひたすら体に養分を取り込み、大空に飛翔する日を待ち望んでいた。
危険な変態時の動けない時期を耐え、ようやく羽ばたこうとしたその時、
自分の羽が、いつまでたっても伸びきらないのを知る。
仲間が次々と飛び立っていく中、僕は絶望し、その場で泣き崩れた。
初夏の幻想郷、リグル・ナイトバグは、蛍たちの成育を見に行ったあと、たまには他の虫たちにも声をかけてみようと思い、あちこちを飛んでいるうちに、ある一本の木のもとにたどり着いた。木には蝶の幼虫達が何匹か葉を食べ、成虫になる準備をしているのが見えた。もちろん彼女は虫を気持ち悪いとは思わない。こんにちは、と声をかけると、幼虫達はわれわれには不可知のシグナルで挨拶を返す。
「この木に産み付けられたうちで、生き残りは君たちだけか・・・。君達が蛹になるのはもうすぐなの?」
「えっ、鳥に食われそうになったところを助けてもらったんだって?」
虫たちはたくさんの子を成すが、生存率は極めて低い。これも自然のバランスをとるためには仕方のないことではある。でもそれは、リグルにはいつ聞いても悲しい話でしかなかった。そんな虫たちを、誰かがわずかながら守ってくれたらしい。
「なあに、やつらの分まで生きるまでよ、か。そうだね、君たちは強いなあ。」
われわれには彼女が独り言を言っているようにしか聞こえない。しかし彼女に言わせれば、虫たちは確かに語りかけてくるのだという。
「じゃあ、感謝しなきゃね。先に旅立っていった仲間が良い輪廻を迎えられますように、さようなら。」
すると、前方から気配が近づいてくる、彼女は別にその気配が人間であっても、襲おうなどとは考えていない、蛍の美しさを一番理解してくれるのが人間なのだ。まだ夜には早いが、挨拶ぐらいはさせてもらおうか、と思った。しかし、気配からしてどうやら同族のようだ。彼女と同じで、人間型に近い姿をしている。
「おっ、リグルさんじゃないか。」 先に気配の主が言った。
「あれ、君はアゲハチョウの・・・、」 といったところで言葉が詰まる。
「えと、なんていったっけ?」
「なり損ない、だよ。そうだね、ジャンク・バタフライ、とでも呼んでくれ。」 その虫妖怪は自嘲気味な笑みを浮かべながら木の幼虫達を見上げた。リグルはなんと声をかけたらよいか分からない。
「もうこいつらは蛹になる。ここまで成長した以上、立派な蝶になってほしいもんだ。」
彼の背中には羽があるが、羽化してからずっと縮んだままで、時々弱々しげにふるふると動くのみだった。
「そっか、幼虫達を守っていたのは君だったんだね。」
「いや、できるのはせいぜい天敵を追い払ってやるぐらいしかできないよ。それにしても、みんな過酷な条件でもたくましく生きている。たいしたもんだ。」
「でも、君だって、言いにくいんだけど、その羽・・・、結構大変じゃないかしら。」
「ああ、この羽ね、僕も飛べないことが分かった時、まさに、『目の前が真っ暗になった』ってこういう感覚を言うんだな・・・って思った。」
彼女はどんな言葉を返そうか迷っている、彼は続けた。
「自由に空を飛んでいる仲間への嫉妬と、取り残されたという孤独感、これではメスの蝶とランデブーすることも出来やしない、いったい僕は何のために生まれてきたんだ、と嘆く毎日だった。全てを呪ったよ。」
この成り損ないの蝶の妖怪は、きっとさまざまな感情が高まって妖怪化したのだろう、人間も強い恨みや未練を持って死ぬと幽霊となってこの世にとどまるというし、そうリグルは考えた。
「ところが、ある日、仲間の幼虫が鳥に食われていったり、病気で死んでいくのをみて、ひょっとして、ここまで生きてこれただけでも、自分は相当な幸運を持っていたんじゃないかと思えてきたんだ。もし、僕も羽化に成功して飛び回っていたら、この有り難さが分からなかっただろう。」
「それで、みんなを守ろうと?」
「そう、もし、自由に飛べて、それがどんなに奇跡的なことかも知らないで過ごす生涯と、飛べない代わりに、何かを知ることが出来る生涯、どちらかを選べるとしたら、正直大いに迷う。でも、僕がこうなった以上、何かしらの意義があったと信じたい。でも、こんなことは虫全般を統べるリグルさんにしか言えないけどね。つまらないことを話しちゃったな。」
しばらく考えてから
「ううん、全然つまらない話なんかじゃない。私には、何が君にとって正しい生き方なのか断言することは出来ない。とても気の利いたことはいえないけれど、でも、決して出来損ないなんかじゃない。だって、君に救われた虫たちもいるんでしょ。それに、せっかくこの世に生まれついたんだよ、奇跡的な確立で。だから時にはこの生涯を楽しまなけりゃ損だと思う。」
「そうかもな。」
「そうだよ、もう蛍の季節だし、君もおいでよ、すごくきれいなんだから。」
すると、木の上に何かが飛んできた、見上げるとと夜雀の妖怪、ミスティア・ローレライが幼虫達を見つめている。
「あー丸々太った芋虫だー、おなかすいたし、でも人間は食べちゃ駄目って言われているし、まあいいや、みんないただきま~す。」
「ちょっと、ミスティア、それは・・・。」 リグルが止めようとする。
「待ちやがれー。」 言うが早いが、成り損ないの蝶の妖怪、ジャンク・バタフライが木に向かって駆け出していく。 ミスティアは木の上に浮かんでいる。だが彼は飛べないはずだ。
「貴方は飛べないんじゃ・・・。」
「大丈夫、僕にはこの脚がある。てえぃ。」
ジャンク・バタフライは木の幹をすさまじい勢いで駆け上り、ミスティアに立ち向かおうとする。その姿勢は地上を走っている姿となんら変わらない。リグルはわが目を疑った、まるで彼の足元だけ重力の向きが90度変わったかのようだ。彼女と同じ高度の枝に達すると、威嚇するように触覚と羽を動かし、叫んだ。
「そいつらを食べるのは許さないぞ。」
「あ、あんた何よ、私のなけなしの食事を邪魔する気?」
「そいつは食事じゃねえ。」
「う~ん、じゃ実力行使ね。」
彼女は弾幕を放つ、しかし、ジャンク・バタフライは周りの木々の枝を飛び交い、ことごとく交わしてしまう。空を飛べないだけ彼が圧倒的に不利なはずだが、彼の目には自信に満ちている。リグルは仲裁に入ろうとしたが、戦いの場所が目まぐるしく変動してゆくので、入るタイミングを逃してしまう。しょうがないので見守ることにする。結構アバウトな蛍であった。
「あ、あんた、ノミかバッタの妖怪?」
「てめー今気にしてること言ったな。僕は蝶だ。」
「えーん、いいかげん当たりなさいよう。」
「あいにく、しぶとい方なんでね。」
「こうなったら、人間をからかうためにしか使わないんだけど。」
ミスティアは弾幕をいったん止め、よくわからん歌を歌いだす。
出来損ないののちょうちょさん~、標本にさえ成れりゃしない。一生地の底這いつくばる~♪
(セリフ)ところで、チューバッカって、自分の名前どうやって発音するのかしら。
太った芋虫、蛋白源~。蝶になれずにご苦労さん♪ ホイ。
(セリフ)どうして、劇場版ジャイアンはいいやつなのかしら。
ららら~、みすちあ~、私は亡霊の食料~♪ だから今度は~、貴方の番~♪
「セ、センス最悪。」
バタフライの視界が急に暗くなる。
「げっ、いきなり夜になった。」 彼は動きを止める
「あはははは、どう? 私の能力は?」 彼女は両腕を腰につけ、勝ち誇ったように見下ろして言った。
「畜生。何も見えん。」
「じゃあ、スペルカード行くね。鷹符 イルスタードダイブ!」
視界を奪われ、さらに無数の弾幕がバタフライに降り注ぐ。
「一応殺しはしないわ、虫たちは私のご飯だけどね。」
「無念。」
「なんちゃって。」
「えっ?」
バタフライは自分を襲う弾幕をぎりぎりの所でかわし、十数メートルの高さにいるミスティアに飛び掛る。一瞬状況を理解できなかった彼女の体を、人化を解き、人間の背丈ほどもある虫の姿になった彼がホールドする。
「ちょっと、離してよこのスケベ。」
「鳥類のメスには興味ないね。ここの虫たちを食うのは諦めろ! 後僕は蝶だ、ノミやバッタじゃない!」
「わーった、分かったから離しなさい。鱗粉汚っ。」
「汚いっていうなー。」
「謝るからもう止めて~。」
「しょうがないなー。」
彼は再び人間型に戻り、彼女を解放した。くるくると回転して、鮮やかに着地する。
ミスティアはスカートをぱんぱんと手で叩いて、鱗粉を落としながら、バタフライと彼のもとに駆けつけてきたリグルに向き直る。
「もうここは襲わないわ、でもひとつだけ教えて、どうして貴方、鳥目になったのに、私の位置がわかったの。」
「簡単なことさ、僕らには人間と違ってこれがある。」 そう言って、彼は自分の触覚を指差した。
「ああ、なるほどね。」
「ごめんね、ミスティア、今度、美味しい果物のなる木を教えるから。」 リグルが済まなさそうに言う。
「なんで、リグルさん、こいつの肩持つんすか?」
彼にしてみればミスティアは、彼にとっての兄弟同然である幼虫達を食べようとした敵なわけで、リグルがそいつになぜ、寛容な態度を取れるのか釈然としなかった。しかし彼自身もミスティアを絶対殺そうとしているわけでもなかった。あの夜雀も生きるために食べようとしたわけで、悪意があったわけでもない。でも自分達が食べられるのはやっぱりいやで、仲間が食べられたという話は聞いていて辛いし、でも食う側も餓死したくないわけだし・・・。思考がループする。リグルはどう思っているのだろう。自分よりも長く生き、天寿をまっとう出来なかった虫たちを無数に看取ってきたのだろう。感覚が麻痺しているのか、それとも諦観か、こういう自然のサイクルだと割り切っているのか。リグルはそんな彼の疑問を感じ取ったようだ。
「複雑な気持ちだろうけれど、バタフライ君、彼女も、その、結構いい子なのよ、なぜか憎みきれないの。好きになってくれとは言わないわ。ただ賢く住み分けられるようにしたほうがお互いにとって幸せだと思うの。」
「まあ、あいつらが無事羽化できるというならいいけれど。」
「ご免ね、バタフライ君。私が憎い?」
「とんでもない、リグルさんがそう望むなら文句はないけどよ。」
「ところで、あなた、飛べない癖してなかなかやるじゃないの。」 ミスティアは挑戦的な目で彼を見る。
「またやる気かい? 何時でも受けて立つよ。」
「そう、でもまた今度。ばいばい。」 彼女は歌いながら飛び去っていく。
「もう日が暮れるわ、私も帰ることにするわ、今晩蛍がいそうな小川にまた来てね。」
「きっと来るよ、じゃあね。」
以外にさっぱりした結末。もともと彼と彼女達は、分散した脳をもつ虫に鳥頭、だから考えることは苦手なのかもしれない。殺伐としてはいても、全面戦争は似合わない幻想郷であった。
僕は飛べない、でも辛くない。
いろいろな仲間がいるから。
この地に付いた脚があるから。
もっと、世界を好きになってみようか。
きっと、彩りに満ちているだろうから。
ちなみに、彼の種族は蛾だ。どうでもいいけど。
人間とは比べ物にならない程、過酷な世界に生きる彼ら。
でも、それでも、蝶はヒラヒラと舞い、蝉はミンミン鳴き、蛍はピカピカ
光っている。
コイツらって強ぇーなぁーと思います。
読後感、爽やかな良い話でした。ありがとうございました。
やっぱり、自分の作品にコメントがつくのはうれしいですね。それでは。