Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷の黄金週:終話(1)

2005/06/24 07:41:03
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連作です。一つ前の話とは少し間が空いてます。
作品集でいうと16あたりからちらほらあるので時間があれば見てやってください。では、


















----------    ----------    ----------    ----------    ----------    ----------








 月は、まるで昇ることしか知らないように、ただひたすらに。



「……森、抜けたわね。感じる?」
「感じるね。空気が煮えて、炙られて、ぐらっぐらに滾る感じ。うーん、祭の予感」
「結界はとっくに決壊寸前。どこかの馬鹿がやらかしたんだわ。びっくりするほど破壊が早い」
「そりゃ願ったり。てか、今の洒落?」
「叶わないけどね。いや、なんとなく」
「して、どうする?」
「ん……とりあえず、レミリアに会いましょう。結構予想外な展開だわ。もっとも」
「もっとも?」

「最後の最後まで、私は手出ししないけど」
「うわお外道」



――思い出す。
――波間にぷかぷか漂うわたし。上を見上げていたわたし。上はまっくらで、下はまっかで、

――――――――――どこかさみしくて、懐かしかった。



「おい、こんな調子で間に合うのか?」
「あら、だったらもっと急ぐけど」
「上等。なんならその荷物、ちょっとは背負ってやろうか?」
「助かるわね。どのくらいあるか判らないけど、とりあえず三割ばかり任せるわ」
「ぐわっ。重い、重いぜ。なにが入ってるんだ?」
「あなたさっきから質問ばかりね」
「お前の対話法が悪いぜ」
「とりあえず答えると、六段シャンデリアが四つほどと、あとはクローゼットが幾つかね。大丈夫よ。梱包してあるし」
「気が遠くなるぜ。いや、文字通りの意味で」
「ほら、急ぐわよ。あなたも急いでくれるんでしょう?」
「分かっちゃいるが、重い、重いぜ」
「そういえば、人形遣いの子は?」
「重いから置いてきたぜ」

「まあ、酷い話」
「後日談が酷いぜ。きっと」



 っきしゅ! ………………………あれ。………………………………………………あれ?



「窓からちょっと」
「失礼するわよ」
「あら、霊夢じゃない。……その足元の大きなの、なに?」
「私だよ」
「ああ、頭ね」
「頭じゃない。伊吹萃香」
「知ってるわよ。あなた、いつかの鬼ね?」
「的中!」
「今回は物見で来たから、こいつの頭に乗せてもらってたのよ」
「暢気なものね。こちらはこれから忙しくなるっていうのに」
「あらパチェ。忙しいのは私ひとりよ。あなたは図書館で、良く効く傷薬の作り方でも調べておいてもらうわ」
「そう? レミィがいうならそれでいいけど……本当に大丈夫?」
「圧倒的に。ねえ、霊夢」
「どうでもいいけど。そうね……いざとなったら落っことしちゃえば?」
「落とす? 知らないわね」
「しらばっくれない。地下のあいつよ。名前は確か」
「ああ、それは禁忌。そこでやめといてもらえる?」
「じゃあやめるわ。とにかく、あれを開くなら今よ。私たちの結界、もう保たないようだから。とっとと移し変えなさい」
「あら。急な話ね。おまけに情けない」
「言い訳はしないわ。面倒だし。それに、急なときには急に話が進むものよ。メラメラ燃えて、まさに火急の事態だもの」
「あらうまい。じゃあ、協力してくれるの?」
「それは断る」
「……じゃ何しに来たのよ」

「決まってるでしょ。物見に見物、」
「お祭り騒ぎ!」



……思い出す。
……燃える世界に身を投げた私。落ちていく『それ』を見つめていた私。下は真っ赤で、上は真っ暗で、

…………………………どこか優しく、懐かしかった。



「藍」
「はい」
「藍」
「……はい?」
「藍……むにゃ」
「……また寝言か。今日の紫様は一段と夢見がちだな……」
「失礼な式ね。あなた」
「うわぁ!」
「おはよう藍。三日と二時間五十三分六秒ぶりね。適当に言ったわごめんなさい」
「…………」
「らーん? お返事は?」
「お、おはようございます紫様……起きてらっしゃったんですか?」
「夢を見ていたわ。愛しい式兼使用人が、夢見がちな私を小馬鹿にした表情で見下ろす夢。例によって悪夢ね」
「……せめて呼ぶときは、目を開けてからにしてください」
「訂正はしないのね。いい度胸だけどまあいいわ。すぐに出るわよ。橙も呼んできなさい」
「橙も?」
「ええ、大事だもの。あなたたちには、こういうときこそ働いてもらわないといけないわ」
「『こういうときこそ』……ですか?」
「不安? 藍、さっきから訊いてばかりね。あなた」
「紫様の話し方に問題があるんです」
「そろそろ限界、と言ってるのよ。私の我慢も、幻想郷も」
「げん――なんですって?」
「また霊夢かしら。それとも、もっと昔からの……いつかの『あれ』かしら。いずれにしろ詮無いわね。見敵必殺。見界必滅。とにもかくにも、こんな主犯は見つけ次第、」
「ちょっと、紫様?」
「地獄でも……うん、そうね。そうしましょう。思いっきり見せましょう」

「まずは労働地獄から」
「勘弁してください……」



 ひくしっ! ……やあね、夜風にあてられたかしら。



「なあ、門番」
「何ですか」
「フランドールを哀れに思うか?」
「いいえ」
「なら訊き方を変える。フランドールを、哀れに思ったことがあるか?」
「いいえ」
「ふむ。なるほど、大したものだ」
「では私からも訊きますけど――あなた、今は『どちら』なんですか?」
「今は『そちら』、白沢の慧音だ。故に今夜は特例でな、あの娘を救おうと思う」
「救う。傲慢って思いません?」
「それは後の世が決めることだ。まあ、単なる逃げ口上だがな」
「ですね」
「ああ。だから今、全てを決めるのは――――この拳と弾幕だ」
「それには心から同意しますよ。でも、なら――――まずはそこから、どうやって抜け出すのかしら?」
「……囲まれたな。では、」
「遅い。これで詰みです。華符、」

「来い」
「『芳華絢爛』」



 大きい。それも、とてつもなく大きい。
 首を傾け見上げるような、圧倒的な存在感。
 溢れ出した気配が熱と光と破壊を以って、部屋というよりは広間に近い空間を縦横無尽に暴れ回り、床を、天井を、舐め取るように砕いていく。
 裂かれ、散らされた種々の破片が、熱波に乗って吹き荒れる。
 これが『外』で起こったならば、いったいどうなるのか。想像してみるまでもない。
 笑ってしまう。
 弾幕以前の前座でこれだ。殺意などは感じない。無邪気で無色の、ただの気配。それが、吸血鬼たる彼女は既に自分とは格が違う。
 自分が、蓬莱人である以前に単なる人なのだと、再認識を迫られる。
 彼女が、フランドールが言う永生きの小鳥とやらに自身を例えてみるならば、彼女はまさに富士の山だ。
 なるほど。あの紅い悪魔が、親しみを込めればレミリアが、手を焼くだけのことはある。
 でも。
 でも、だ。
 それはただ、それだけのことでしかないじゃない。
 そう思う。
「――つっ」
 指先に、ぴちりという手応え。床に突き立てていた爪が一枚二枚、荷重に耐えかね割れたのが判った。それなりに痛く、目尻が一度跳ねた。
――さあて、
 狼のように身を屈め、前を見据える。激しい向かい風が頬を撫ぜ、首を抜けて背を叩く。
 不可視で不可避の破壊の波が、目の前に迫っていた。
――来るか、第一関門。
「いくよ?」
「どうぞ。どっからでも」
 波の向こう、白く輝く彼方に、その少女は立っている。黒い輪郭だけが、白く明るい闇の中で浮き出て見える。
 脳の奥が焦げ付き焼け付いていく感覚。じりじりとした焦燥。悪くない。
 さあ、来い。
 そして、
「せぇ――――、っの!」
 太鼓を叩くかのごとく、大気を打ち鳴らす衝撃。
 空気が一斉に爆発する。一斉に、四方に広がり視界を埋め尽くす、円環状に放たれた光の槍が。十重二十重の囲みに死角はない。すでに規律を脱線している。作る気もないのだろう。
 全身の産毛が総毛立つ。鳥肌が立つ。怖気が走る。鬼気が迫る。それ以上の歓喜もまた。
 太陽に透かして初めてみえる血流の黒色。死地に面して初めてまみえる命脈の灰色。
 久しぶりだ。この感覚。
 ぞっとしないくらい、ぞっとする。
 魂まで痺れる、毛穴に針を差し込まれるような感覚。身をさらに屈め、踵を浮かす。空気を裂き、空間を割き、殺到してくる波が伝わる。迫る。襲い来る。
……よ――――――い、
 床に押し付けた手の平に、念を込める。じわじわと、熱が入る。全身のバネを引き絞る。獣のように。
 肌をざわつかせる破壊の余波。ぴしり。またひとつ爪が砕けた。柄にもない。力の加減がずれている。緊張? 何に?
 何に、この私が怖気づく?
 知るかよ。
 今だ。
 正面、行け。
 引き絞る。
「どんっ」
 世界が動き出す。
 躊躇いはなく、全速力で走り出す。
 瞳に数多差し込んでくる、肌に幾多刺し込んで来る光。その中のひとつ。右の肩に吸い込まれるように消えると、反対側から肉を、血泥を巻き添えに弾けて抜けた。
――痛。
 痛い。数値化すればあらゆる計器をぶち抜く痛みが、不随な脳を駆け抜ける。滅茶苦茶に痛い。
 でも。
『でも』、だ。
 それはただ、それだけのことに過ぎない。と、また思う。痛み、伴う辛み、全てを無視して駆け続ける。
 大丈夫。
 大丈夫。私は、絶対に大丈夫。
 そう思えば何ということはなかった。事実、何ということもない。
 そういうようにできている。
 本来人の身。巫女や魔法使い、悪魔の従者ならいざ知らず、死なないだけが取り柄の自分が出来ることなど知れている。
 適材適所。適性適法。空飛ぶ巫女は空を飛ぶ。魔法使いは魔法を使い、人形遣いは人形を遣う。
 なら、『死なないこと』こそ本分である自分の、蓬莱人たる藤原妹紅の最善の策はただひとつ。
 死んで、死んで、ひたすら死んで――それでも生きて、最後その場に立っている。
 それだけのこと。
 つまらない。
 そんな自信がつまらない。そんな自負がくだらない。
 なんて安易で、なんて気楽で、なんて――――『冴えない』戦い方で、生き方だ。
 走るズタ袋になった。
 皮膚が焼かれた。肉が爆ぜた。螺旋に骨を刳り貫かれた。絡んだ神経が捻じ切られた。
 痛くて、痛くて、狂いそう。でも嘘だ。
 こんなもの、ただの前座に過ぎないのだから。
 この体に、致命の傷はありえても、致魂の疵はありえない。
 悲しいかな、嬉しいかな。ぎち、と肉が捩れた。
 たちまち、サカ回しに消える痕。散る血も次には消えている。
 笑わせる。
 長い、永い目で見てみれば、確かにこれは呪いそのもの。
 それでも、
 血が散る。飛び散る。湧き出す。満ちる。
 現実、現在、今この瞬間で見れば、これは紛れもない救いだ。死んでない。
 紛れもなく、動いている。ありがた迷惑にも、生きている。
 今と昔が違うように、須臾と永遠は違う。
 だから自分は、生きている。
 最近覚えた言い訳だった。
 走る。
 結論なんてとうに出ている。なにより、教えてやらなければいけないことがある。言葉では伝わらない。伝えられない。もとより不器用な頭だとは自認している。
 これから、見せてやる。
 あの子に。
 あのマセガキに、見せて、叩き込んでやる。
 走る。
 光の雨は止まない。腕を突き出し地を蹴った。走る。伸ばした手の平に孔が開く。ひとつ、ふたつ。走る。穿ち抜かれた、その向こう側に広がる景色。広がる炎。その只中に少女が見えた。
 笑っていた。
 顔に、三日月を貼り付けたようだった。血色に濡れた下弦の月が、けらけらと揺れる。
 嗤っていた。
 けらけらと、けらけらと、けらけらけらと、けらけらけらけらけらけらけらと、
 笑っていた。
 走る。
 接近。踏みしめ、さらに一歩。腕を振り上げ、その顔に、空けた張り手を叩き込む。
 ぶわっ、と、
 舞い上がる、熱と光と破壊の嵐。その中心、その源泉、小さな身体は子揺るぎもしない。
 とてつもなく、重い。
 肉体面での格差、格の差は、此方と彼方ほどにも開いている。
 すぐ目の前で、対の瞳が揺れている。
「あは」
 そこには何も映らない。深い虚が見えるだけ。身を焼く炎も、なにもかも。
「……………」
「あは?」
生まれ生まれ生まれ、
「あはは?」
「…………っ」
生まれて生の始めに暗く
「あはははははははははははははは?」
死に死に死に、
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは?」
死んで死の終わりに冥し
「…………は」
 すぐ目の前で、対の瞳が揺れている。
 そこには何も映らない。深い虚が見えるだけ。身を焼く炎も、なにもかも。
 見えない。
 知るか。
「あはっ」
「食らいな」
 突き出した手に意識を注ぐ。掌に熱を感じた。消し飛ばす、瞬間、
 ごぼ、と異音。
 足元から全てが消えた。
 不可視の虚が、全てを丸ごと包み込み、一欠け残さず飲み込んだ。
 暗転。
 内臓が氷と入れ替わったような喪失感。
 急転。
 足から順に喰われて行くような滅亡感。
 逆転。
 表れ、現れ、顕れた。
 重力が消える。落下が始まる。拳を振った。感触がない。空を切る。
 気がつけば、鷲掴みにしていたはずの手応えが、肩から丸ごと消えていた。軽い痛み。軽い驚き。
 そして、見た。
……ねえ、『小鳥さん』。
 これはお願いだよ。
 溶暗していく笑顔。深い虚に沈む寸前、真っ赤な月が言った気がした。
 わたしに、逢いに来てくれる?
 溶暗していく笑顔。深い虚に沈む寸前、真っ赤な月が言った気がした。
 そう、言ったような気がした。



 月は、まるで昇ることしか知らないように、ただひたすらに。

 そして少女たちは、まるで争うことしか知らないように、ただひたすらに。










幻想郷の黄金週:終話










「――なんだ。つまらん」
 眩い、
「――――――?」
 眩しい、
「お前だよ。遅いのは」
 光の中の、
「ほら」
 声。同時に闇が戻る。放ったはずの光源は既に無く、
「――な」
「こんなに鈍い」
 身体を衝撃が打った。突き抜ける。足の裏が床からわずかに浮き上がる。体重を打ち消すほどの打撃。肘打。迅い。とてつもなく。今頃。強打された鳩尾が、半秒遅れて『ぐりい』と捻れた。
「~~~~~っ!!」
 思考が停止。身体が停滞。逃れられるはずもなく、
「さらに続けて、」
 連撃。今度は顎が跳ね上がった。衝撃に引きずられ体が高く宙を舞う。身を反らす。足が天井に着いた。重力が戻る。持ち直す。目眩を払う。と同時、
 目の前に、拳。
 がつん
 吹き飛ばされて、どこかと酷くぶつかった。
 殴られるという次元とは、明らかに違う。打ち付けられるものとも違う。不動のイメージ。底冷えのする重圧感。
 首から下の感覚が、意識が折れ曲がって途絶える。視界が一瞬で切り替わり、逆転した天地と、床を跳ねる自分の身体が次に見えた。
 爪で床を掻き、強引に勢いを止める。腕力を全力で行使。半ばから、床に張り付く真紅の絨毯を引き剥がす。投げた。
 花火が間近で炸裂した、かに思える程の打撃音がひとつ。腰を落として下げていた頭の上を、瞬く間に吹き飛んでいく絨毯。
「―――あああああああああああああああああっ!」
 気を放つ。纏う。握る手の平。極彩の閃光が生まれ、光り、輝き、
 一瞬で消える。
「無駄だ」
 真上から声がした。反射的に前へ飛び込む。
 爆音。波に巻かれ、激しく身を転がす。堅い地面を平手で打ち、三転半で跳ね起きた。そのままに身体を振り向ける。符を差し挟んだ指を伸ばす。
「華符――『セラギネラ9』ッ!」
 符が発光する。内に宿した力が溢れ出す。
 光は花弁に変わり。舞い上がり、散り広がり、ひび割れ砕け噴煙を上げる一面を、煙の中で見えない影ごと飲み込んで――
 またも消える。
「やめておけ」
 その影から、聞こえてくる声。
「歴史を、全ての経緯を創り生み出し、喰らい消し去る。それが私の、白沢の知であり、血の力だ」
「……なんてインチキ」
「悪いな」
 瓦礫と化した回廊を、無色無音の衝撃が襲う。壁が吹き飛び天井が砕け、床はひび割れ階下に消える。
 現れる。
 沸き立つ煙さえ避けて通る。二対の角が覗く、輝く銀と翠の髪。割れた壁面から直に見える月、その輝きに彩られた真紅の目。
 突き刺さり、そのまま背中へ抜けていきそうな視線。ちりちりと、空気がその気配に焼かれていく。
――まったく、私はなんて、赤眼の相手に縁がない。
 立ち上がり、再度構えを取り直す。
 見ずに診る。各所の怪我。支障はない。予想外に強い。過重で迅速。だが、所詮は打撃。それに、こちらも矜持が、プライドがある。致命の一撃は打たせない。それに、あの半獣――わずかな、違和感を感じる。
 上下左右が吹き抜けになり、夜の帳が降りた長い廊下を、風が流れる。
 ようやく生まれた静寂だった。





 虚無に絶無を重ねて螺旋に伸ばし、面に闇を塗り空に黒を広げる。
 狭い空。そんなように思えた。あるいは、天井知らずの底なし井戸。
 何も見えない。けれど、何かが流れていくのが判る。
 ムラのない暗闇の中を、真っ逆さまに落ちていく。髪は上に靡くのに、服は激しく波打っているに、空気の動きを感じないのが奇妙だった。ひどく奇妙で、胡乱で、澱んだ世界。
 その中を落ちていく。
 彼方。
 ふ、と、なにかが瞬く。
「――――っば、」
 体勢を入れ替え、生え立ての腕を真下に突き出した。
 腕の先で爆発。耳障りな音を立てて、ぴしゃ。頬に、泥水のようなものが飛び散った。腕の内側が外気に触れる。未だ感じたことのない涼しさを感じる。
……あはははははは、ははははきゃははは!
 視線を無限遠に飛ばす。どこまでも暗い。けれども、どこかへひたすらに落ちていくのは判る。
 その奥。
……あーたったーあーたったー、おー当ーたり――――っ!
 見えない彼方から、喜色に満ちた声が聞こえてくる。ひとつ、ふたつ、さらにひとつ、点のような光が灯る。
 よっつ。いつつ。止まらない。次第に増加の速度は加速して、黒一色の世界を、怒涛の勢いで光が浸食していく。
 そして、星のように。少しずつ強まっていく彼方の光が、周囲をぼんやり照らし出す。
「――うわ」
 上には黒い闇があり、下には白い闇がある。
 そこは大きな竪穴だった。半径は、およそ数十メートル。一面が黒で塗りたくられた、相当の年月をうかがわせる割に、劣化の兆しすら見せない壁面。
 そして所々に紅い線が引かれ螺旋を描く紋様は、荘厳かつ陰惨で、どこか寂れた寺院、『伽藍』の類を連想させた。
 周囲に目をやる余裕はそこで尽きた。眼下に澱む白い闇。そのひとつひとつ。見る。
 眼下に、満天の、白一色の星空があった。その星々が、ひとつひとつが、全て――、
「…………っ!」
……せーの、ゴーッ!
 やがて少女に昇り迫るのは、天地を違えた、白い光の逆さ雨。
 数え切れない切っ先が、あらゆる軌道を描いて迫る。
「――っあーもう! こんなところで使うわけ!?」
 落下の速度はピークに達し、同じ景色は一秒も視界に留まることはない。
 既に眩しさすら感じさせる光量。片目を瞑り、少女は、妹紅は怒鳴り声を上げた。
「ちっくしょー、出し惜しみさせてはくれない――――っ、て!」
 来た。
 来た来た来た来た。
 第一波。
 およそ二百の光芒が、行灯に群がる天蛾よろしく殺到してくる。
 意を決し、目を開いた。その瞳に映る、見る間に膨れ上がる光の嵐。
 落ちていく。うねる、渦巻く、居大で巨大で狂大で、圧倒的な流れの中に。そしてその中、
 見つけた一点。
「そこぉ!」
 背中から、突如紅蓮が吐き出され、巨大な対羽を形作る。真っ赤な火の粉を吐き散らし、炎を取り込み更に燃え上がる。
 永遠不滅の五色鳥、鳳凰の翼が開かれる。妹紅は空中で大きく身を屈め、
 屈め、縮め、引き伸ばし、今。
「どぉおりゃああああああぁぁぁ――――――っ!!」
 爆発的な加速。
 彼方にあるだろう地面とは完全に直交。
 重力を制する。御する。流れに乗る。自然落下を通り越す、遥かに飛び越す勢いで、白い渦へと飛び込んだ。
 視界に収まりきらない数の動点、引きずる軌跡。右。斜め左と左下。上下に三十左右に二十。さらに乱れ、刻々変わる。
 構わない。被弾を無視して直滑降。迫る光が、瞬くその間に背後に消える。
 早く。早く。もっと早く。
 一陣を抜けた。一瞬の空白。さらに加速。まだ収束しきらない第二陣へ。
 突入。
 二転、三転、宙返り。加速を続ける炎の翼を翻し、踊る、跳ねる、飛び回る。
 唐突に壁が見えた。「――っとぉ!」と体勢を強引に捻じ曲げ、両足で真横に着壁。おかしな言葉だった。同時にまた羽を打つ。壁際を滑るように翔ける。点と点を繋ぐように、追いすがる光が壁面に軌跡を正確に刻んでいく。
 肌に熱気がまとわりつく。それがなにより心地いい。空気を打って、急速転身。一瞬遅れて光が過ぎる。
 早く。早く。もっと早く。
 三、四、次々と嵐を越えていく。抜けていく。光が疎らになってくる。終わりは近い。でも止まらない。まだまだ早く。
 届く声が、更なる喜色に歪んで揺れる。
「ははは、はははは! 凄い凄い! でも負けないよ!」
「やってみな!」
 裂けた笑みを浮かべさらに加速。声は先ほどより幾分か明瞭だった。少しずつ、この奈落が終わりに近づいているのが判る。
 空を打つ赤羽。澱んだ空気を切り裂いて、赤い軌跡が弧状に走る。
 そこに声。
「血色の沼まで真っ逆さまさま!」伽藍を廻る踊る声。
「落ちて墜ちてどんどん堕ちて!」伽藍を取り巻き謡う声。
「浮かび上がって弾けて混ざる!」伽藍を満たし響く声。呼び水の声。
 点る光。
 光。光。光光光光。いっぱいの光。赤光の嵐が迸る。
「は」
 もはや数は数えない。
 羽根を散らす。強引に反らした身体のすぐ脇を破壊が過ぎる。また羽を打つ。急減速。真横から来た。左右に十発。さらに減速。鼓膜を叩く激しい耳鳴り。足の真下を熱が焼く。寸前のところで躱してのけた。躱し切った。
 と油断していた。
 背後、後方、彼方に流れた光が動き、
 縮。散。
「っが!」 
 今度は頭上の気塊が爆ぜた。突然の槍雨。脇を肩を二の腕を、焼けた光が突き抜ける。
「ははははあはっははは、きゃははははははっははは!」
「――――ムッカ、つくなぁ!」
 宙をひと蹴り、再び加速。背中の穴が増えては消え、軌跡に沿って煙の残滓が尾を引いた。
 加速していく。存在が近く、運命が引き合い、近づいていく。落ちていく。墜ちて、堕ちていく。
 響き続ける哄笑は、喜色と狂色にまみれた紅い色。紅はすなわち狂気の標。
 ならば狂気は?
 考える。
 狂気とは何?
 何だろう。
 わからない。
 わかるわけがない。わからないことを自問自答する。それほど無意味なこともないだろう。
 わからない、狂気。
 狂気。狂気。狂気。狂気。
 狂気。
 それこそ難題。
 愛にも夢にも運命にすらも引けを取らない劣らない、紅色の真っ赤な嘘で出来た真っ赤な概念。
 滝のように降り注ぐ紅い槍。なおも続く下方からの光撃。しかし密度は先には劣る。その闇の中、走る光は隙間を作る。
 視線がそれを捉えた。
 見えた。
 見つけた。
 見慣れた深遠の先に、初めて焦点が合う。波打つ水面。浮かぶ影。
 影。人影。
「見ぃぃ――――っけた!」
 反射で念じる。同時に瞳に炎が走る。
 天に弓なり、両腕を翳す。花と広げた掌中に、石ころ大の炎が燈る。次の瞬間膨れて爆ぜた。世界が赤に潰される。
 形成していく。緋色の翼。次いで鍵爪、最後に火の尾。形成していく。抱くように。首なしの鳥。燃え上がる。それを、
「く・ら・え・やぁぁぁぁ――――――――――――っ!!」
 天を切り裂け。号砲一発。振り下ろす。より早く炎は下る。空気の焦げた軌跡を引いて、風より速く、音より速く、雷より速く、降りて下って、
 炸裂。
 発光。
 次いで、轟音。
 白と黄色の混じり合った、巨大な、凄まじく巨大な、炎の幕が持ち上がる。
 狂気染みた輝き。再び持ち上がる。瞳に記憶に脳裏にフラッシュバックする、言葉。
『三界の狂人は狂せることを知らず』。『四生の盲者は盲なることを識らず』。
 その意味は、こうだ。
「狂人、その狂気が故に己の狂えることを知らず――――其れは盲人もまた然り」
 狂気を素地に置いて生まれてくれば、狂気を『狂気』と認識できず、
 盲目を素地に置いて生まれてくれば、盲目を『盲目』と認識できない。
 そして、傷とともに生まれ、時を経て傷と重なり、合わさり、癒着する。そういうことがある。
 慣れということがある。それこそ最悪ともいうべき、人の性がある。
 天然。人工。以前交わした言葉。そのどちらも、終着は同じ点。
 本当に狂った存在は、それ自身、狂ったことすら気づかない。
 手を当てろ。自分の胸に、ココロに、魂に、
 手を当てろ。
 言えるか? 問う。
 私は正気です。
 言い切れるか? そう、問う。
 私は、狂ってなんかいません。
 どうだか。
 全く、どうだか。
 わからない。
 思考は落下する。一直線に。行き着く応えは、
――狂ってるのは、私?
「それこそどうだか」
 即時に否定。断固に否定。
――だからこうしてるんじゃない。
 それを、知るために。
 いつか聞いた言葉がある。
 Don't think,feel.
『考えるな、感じるんだ。』
 アホくさ。
 改変。
『考えるな、感じもするな、とにかく当たれ、当たって砕け。』
 これでよし。
 揺れる大気。
 波打つ空気。
 昇る、紛れもなく狂気染みた輝き。
 その渦中に、惑うことなく、迷うことなく落ちていく。
 笑って、進んで、謹んで、冗談交じりに飛び込んでいく。
 とめどなく溢れていた光の嵐は、唐突途端にピタリと止む。
 胎動を待つように静まる。そして静まり、そして鎮まり、そして、静まり返り、そして、鎮まり返り、
『そして』でゲシュタルト崩壊を起こすほどの「そして」の後、そして、

 飛ぶ彼女らは『それ』を知らず。
 舞う彼女らは『それ』に気つかず。
 語る彼女らは『それ』を間近で直視して、
 見られた『それ』が、深い虚から身を起こす。
 けらけら、けら、と。
 その瞬間。
 紅魔館は、内と外から同時に爆ぜた。

 夜は続く。
 狂気は、いつでも後に地獄を連れて、それはあたかも悟ったように、それはあたかも狂ったように、
 進む。
 夜は続く。
 祭が始まる。




 ☽




 ちょうど、身長分ほどの高さの柵から身を乗り出すような感覚。
 蹴倒せばあっさり崩れるような、あの妖怪が言うところの、夢と現の境界だった。
 ちょうどいい。蹴倒そう。がん。
――――――――――。
 眠っていたのだろうか。いつの間にやら降りていた瞼を持ち上げると、漆塗りの縁の先、薄黒い、うっすら湿った地面が見えた。視界が曇っている。まとわりつくような白い空気は霧だった。
 断続的な音が、耳から少しずつ入ってくる。屋根に触れて弾ける、地に落ちて消える、縁に毀れて揺れる。
 雨音が。
 遠く、竹の葉の揺れる、擦れ擦れ合い、打たれ揺られる。さざめき。
「……あら、」
 指先が一瞬弛緩する。すいぶんと長い間固まっていたらしい。正座のままで座布団にしていた両足を横にずらし、腰を下ろす。ついた手の平がふるりと冷えた。
 胸がどこかつかえている気がして、声にするほど大きく、息をついた。足先、指先がちくちく痺れを訴え始める。堰き止められていた血のささやかな抗議なのだろう。そう考えるだけで不快もなにも感じない。こんな体でも、一応は、十二分に生きているということなのだろうから。
「永琳、いる?」
「はい。ここに」
 きしり、と傍らに足音が生まれた。彼女がそこにいることを、彼女が立っていたことを、今の今まで忘れていて、今の今になって思い出したような足音だった。
「ずっといたの?」
「ええ。姫の寝顔は大層かわいらしいので、つい」
「あら」
 微笑した。
 雨音。点と点を繋いだような突端綴り。頭上を庭を世界を覆う、しとしとした空気。
 雨はいよいよ強くなってきていた。降り始めから本降りまでいくらもしなかったあたり、にわか仕込みの雨雲だろう。じき晴れる。
 幻想郷は広い。ここでこうして降る雨が、少し遠くで実りを呼び、も少し遠くで渇きを知らせ、ここより以前別のどこかで、洪水騒ぎの火種ならぬ水種となった。多くの人間が藻屑と散った。
 かもしれない。
 どうでもいい。知らないことなど詮無いこと。頭の中でのことならば、幾人死んでも構うまい。
 たとえ外でも、自分が構うとは思えなかったが。
「感じる?」
「ええ。藤原妹紅の熾火と灯火。ここからでもはっきりと」
「座りなさいな。此処は冷えるわよ」
「ええ。ですがその前に、茶でも点てておきましょう」
「いいわ。イナバにでも任せなさい」
「そうですか。なら鈴仙を呼びましょう」
 月の兎を呼ぶ声がして、永琳が膝を着く。腰を下ろすとき、わずかに漏れた吐息にすかさず鼻で笑ってみると、彼女は年甲斐もない難しい顔をした。しばらくしないうちに軽い足音。畳をさりさりこする音がして、どこか頼りない声がした。どこかも何も、全部丸ごと頼りない気もしたけれど、それもまた魅力。
「お呼びでしょうか?」
「呼んだから来たのでしょう? 疑問符は今度から付けないように」
「あ、はい。すいません」
「あ、も余計。煎茶をお願いするわ。茶葉は――」と、こちらに視線。戻す。
「何でもいいわ。貴方が見立てて」なかなかに不遜。
「いいんですか?」
「いいのよ。喉なんて大して渇いてないの。ただの場繋ぎ道具なんだから」ぬけぬけと不遜。
「はぁ……では、」
 しばらくお待ちください。そう言って、また始めのように遠ざかる足音。
 気が利くようになったわね。
 少ししてからそう言うと、永琳はまたずいぶんと難しい顔をした。
「そうでしょうか?」
「ええ。いえ、要領がよくなったというのかしら。私が覚えている限りの昔なら、あの子は『しばらくお待ちください』でなくて『すぐにお持ちいたします』と言っていたわ。主上従下。諸々全てを主の裁量に委ねるのは、従者たるには不可欠だもの」
「ああ、『すぐに』と『しばらく』……ですか。そういえば、そうですね。あの子はそれで、よく叱られていました。私の『すぐ』は、貴方の『すぐ』と如何ほどの、と」
 永琳は合点がいったように、表情を緩めて言った。
 私は口元に手元の裾を当て、笑った。「貴方が叱っていたんじゃない」笑って、瞑った目に涙を浮かべた。
「そうでした」彼女も笑う。その仕草がたまらなく可笑しい。
 ああ、可笑しい。だから彼女が大好きだ。平然と間抜に、整然と歯抜なことを言う、そんな彼女が。
「それに、今の秤でいくと永琳貴方、私の従者失格ね。全然言うこと、聞いてくれないもの。よよよ」
「ああ。姫様どうかお泣きなさらず。今時分、『よよよ』など流行りません」
「ひどいわ。永琳が苛めるわ。助けて永琳」
「あらあら。私はどうすればいいのでしょう」
 困ったような仕草で笑い、肩をすくめる私の従者。
「いいのよ。何はさておき、其処にいてさえくれればね」
 謀ったような仕草で笑い、両手を合わせるこの私。ふすまの向こう、遠く鈴仙の声がした。
 で、
 湯呑みは脇に遣られ、茶菓子ばかりが減っていく中、
 先ほどの件ですが。
 と永琳の声。
「妹紅のこと?」
「はい。姫は、何かしら動くおつもりで?」
「ああ。あれはなんとなくよ。彼女もアクティブになったものだ、っていう話。アクティブの意味、合ってるわよね」
「寸分違わず。しかし姫は……相変わらず隠遁生活、ですか」
「相の次に『も』を入れなかったことは評価するわ。私ってば寛大ね」
「勿体なきお言葉」
「そうね。ちょっと行ってみようかしら」
「急な思考転換は大いに結構ですが。空をご覧ください」
「空とな」
 予想は見事外れていた。
 俗に言う篠突く雨。篠を束ねて突き下ろすように激しく降る雨のことらしい。
 そう遠くない竹藪は、濁った縦線の壁の向こうで、おぼろげにすら窺えない。黒い地面は穿ちに穿たれ、さながら爆撃された荒地の縮図だった。
 人間は慣れる生き物だ。
 雨音は、もうあってもなくても関係ない。あらゆる状況は、続き続ければ我が身の一部となる。でもそれは実際単なる言葉遊びで、通じる人種は、少ないけれど。
 篠突く雨。篠は篠竹。幻想郷は永遠亭風に言ってみれば、
「蓬莱突く雨、かしら」
「姫様。この近辺の竹は軒並み鳳凰竹ですので」
 鳳凰突く雨。鳳凰が突くが如き雨。
「様々な観点から気分が悪くなりそうね。永琳、晴れたら軒並み薙いで纏めてスノコにでもしてちょうだい」
「ええ。ならば鈴仙にでも任せましょう」
「そうね」
 無垢に無邪気に笑い合った。
 雨天は嫌いではないけれど、外にいると濡れてしまうのが嫌だった。
 そう言うと、永琳はいつも困ったように笑う。
 晴天も嫌いではないけれど、外にいると肌が焼けてしまうのが嫌だった。
 そう言うと、永琳はいつも困ったように笑う。そして決まってこう締めくくる。
 姫様は、姫様ですから。たぶんそれでいいのでしょう。
 酷い言い草だと思う。けれど、まあいい。
 一でも二でもない、第三の回答が私は好きだ。
 答えとは選ぶものではなく、闇雲に、闇雲の中から見つけ出し、引きずり出すものだと思っているから。
 晴れか雨かと言うのなら、曇りが一番調度いい。雨が止んだら曇ればいい。曇天万歳。
 それまでは、当分このままこうしていよう。
 そう言って私は、傍らの、従者の肩によりかかる。
 永琳は渋面と苦笑と、ほんの少しの微笑を見事に織り交ぜた表情で、膝枕を買って出た。


 終わりはとうに見えている。
 大団円か、大断焉。それもやはり言葉遊びだけれど。
――妹紅、曇ったらまた逢いましょう。















―こころから続くことを―


ついにバトル開始。でも閑話休題があったりで、ひとまずはここまでです。
リアルがちょっと忙しいですが、続きは書きます。
来月にでも出せればいいなと思ってますが、期待はそれなりに。

というか、文体が変わってますねw つくづくコメントしづらい文で、読みにくかったらすいません。
それでも書き方がやっとこなれてきたというか、過去作と別人といっても通じそうで不安です。では。
ハルカ
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コメント



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23.90no削除
叩きつけるような疾走感。地の文を極限まで削ったことによる焦燥感。
すべてが見事です。
マリアリはどうなったんだーという煩悩の悲鳴を飲み込みつつ続きを楽しみにしています。