Coolier - 新生・東方創想話

反転考察

2005/06/23 12:47:17
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「神霊『夢想封印』!」

「恋符『マスタースパーク』!」

 さわやかなボムの響きが、澄みきった青空にこだまする。
 吸血姫の館に集う少女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門を飛び越えていく。
 汚れを知らない心身を包むのは、狂いに狂いきった弾幕(スペルカード)。
 無駄なボムは使わないように、青い得点アイテムは落とさないように、ゆっくりとカスるのがここでのたしなみ。

 紅魔館、ここは、少女たちの園……



「ろくに仕事もしないで、なに下らないモノローグをほざいているのかしらね、ウチの門番は……!」

「わひゃあ!?」

 突然の声に驚いて振り向く。其処に居るのは、何処ぞの酔っ払い幼女の万倍は、『鬼』という言葉の似合う獄長…
もとい、メイド長。この人にはナイフがよく似合うが、鞭なんかもきっと似合うに違いない。極太のヤツが二本ほど。
 それを手にしてでーんと椅子に座り、
「わたしのブーツに口づけをするのだ… そして死ぬがよい!!」とか最高に名誉なお言葉をくれるに違いない。
 その様を想像してみる………

 ―――うわ、すごいよ!!サクヤさん。 蝶ピッタリ! 違和感まるでナッシング!!

 そんな、『鬼』という言葉が似合うどころか、鬼だって哭いて許しを乞いそうな素敵メイドが目前に居る。
 ヤバい! 殺される! 『奥義熊胴断波』とかでバラされる………!!

「ちょ、ちょっと待って下さい! アレですよ、今日は、お嬢様と妹様から正式に招待があって、それであの二人を
通したんですよ!? だから、門番としての役目を果たしてないとかどーとか、そーいうンじゃないんですよッ!?」

 そうなのだ。今日のあの二人は、お嬢様と妹様の客人として来たのだ。いくら門番とはいえ、客人を門前で追っ
払ったりなんて失礼な真似、出来よう筈もない。
 ……のワリにはあの二人、まるで挨拶でもするかの様にスペカぶっ放してくれやがったけど。

「咲夜さんだって、それは知ってるでしょう!?」

「そうね」

「でしょでしょ!」

 ああ、良かった。これで、今日は折檻なしで済みそう……

「でもね」

 ……だ?

「それでも貴方は、あの侵入者どもを通してはいけなかったのよ。特に、紅白の無重力尻軽女の方は……!!」

 淡々と語るその中に、微かに、けれども確実に、怨念だとか嫉妬だとか、そんなものが感じられる。

「イヤでも、もしそんな事したら、私がお嬢様に殺されそうなものなんですけど……」

「そうね」

 うわっ、アッサリ肯定しやがった!

「確かに、そんな事をしたならば、貴方はお嬢様の逆鱗に触れて、間違い無く殺されるでしょうね。
 それはもう、血も凍る方法でジワジワと。皮をみんな剥がれて、顔も身体も表も裏も区別がつかない様にされて、
塩水の中でタコ踊りをさせられる事でしょうね。そして……」

「イヤいいです! それ以上はもう、言わなくて結構ッス! 聞いてるだけで痛くなります!!」

 学校の理科室に在る人体模型の様な姿にされた自分が、バラエティ番組でよく出てくる巨大水槽の中で一人死ンクロ
ナイズドなスイミングをさせられるという、東方的にNGな光景が脳裏に浮かぶ。そんな私を見て、楽しげにトークする
お嬢様や咲夜さんの姿も。
 このご時世、いくらバラエティだからってあんまり無茶すると、NPOだかICPOだかが黙ってませんよ?

「愚かな門番の暴走行為により、似非巫女との逢瀬を果たせなかったお嬢様は、その小さな身体を悲しみに震わせ、暗い
部屋で一人、枕を涙で濡らしていくの……」

 私の存在を完璧に無視して、明後日の方向に向かって喋り続けるメイド長。

「そんなお嬢様を、私は後ろからそっと抱きしめ、そして、耳元でこう囁くわ…

 『一億と二千年あとも、私は貴方様と供に在りますわ、お嬢様』と……」

 左手をその小さな胸に添え、右手を天に向かって伸ばしながら、何だか面白げな殺し文句を呟く少女。感覚の目で
よーく見てみれば、彼女の周りには今、スポットライトが当てられてたり、拍手が喝采だったりしているに違いない。
お芝居には五月蝿い仏蘭西人も、甲冑をぬぎ捨てながら大喜び間違い無し。ブラボー! おお… ブラボー!!

「お嬢様の目に涙が溢れる。けれど、それは最早、悲しみの涙ではない…

 『ああ、ご免なさい、咲夜…
  私、あの紅白の服装があまりにも慶事っぽくておめでたそうなのに惑わされて、大切な事を見失っていたわ…!
  私の“幸せ”は、私があれ程までに必死になって追い求めた“幸せ”は、何の事は無い、私のすぐ傍に在ったのね!
  ただ、私が気付かなかっただけで……
  ああ咲夜、どうか許して頂戴、この愚かなチルチルミチルを……』

 『許すも何もありませんわ。私はお嬢様の事を、一万年と二千年前から愛していたのですから……』」

 恍惚とした表情で愉快な科白を繋げながら、延々と続く一人芝居。
 芝居小屋の舞台上ならば、こういうのももしかしたらアリだったのかも知れないが、残念ながら此処は真昼間の
お屋敷の門前だ。今の咲夜さんは、頭の可哀想な子か、ヤバげな薬がイー感じにキマッた人にしか見えない。

「お嬢様が、私の豊かな胸に飛び込んで来る。その姿には、紅い月として畏れられた悪魔の影など微塵も無い。
 其処に居るのは、愛に飢えた、唯の幼い一人の少女……

 『咲夜ッ、咲夜ぁ~~!』

 『どうか涙をお拭き下さい。お嬢様に、泣き顔なんて似合いませんわ』

 『っふ……、ぅぐ……』

 『笑って、笑って、笑ってお嬢様。泣きべそなんてサヨナラですよ、ね? レミリアお嬢様』

 お嬢様の潤んだ瞳が、私を見つめる、その幼い頬は、心なしか紅潮している様に思えて……

 『……あのね、咲夜。お願いが有るの……』

 『何ですか、お嬢様?』

 『その“お嬢様”っていうの、やめて欲しいの』

 『…え?』

 『だって、おかしいじゃない。私達、これから一緒になるんだから……』

 『それって…』

 『大丈夫。皆もきっと祝福してくれるわ……』

 お互いの距離が、少しずつ零へと近付いていって……

 『判りました……いえ、判ったわ、“レミリア”』

 『咲夜……』

 『レミリア……』

 そしてその夜、二人はついに身体をかさn
「あのぉ~、スンマセ~ン」

 このままだといつまで経っても話が終わりそうにない(それ以前に、話が桃で春な事になってきた)ので、勇気を
出して茶々を入れてみる。

「何よ?」

 先程までは夢見る少女のものであった瞳が、一転して捕食者のソレとなり、私を捉える。手には、いつの間に取り
出したのやら、鈍い光を放つ一本のナイフ。

「うひぃッ!?」

 その銀の輝きを見ただけで、ベルの音に反応して涎をたらす犬の如く、私の体は恐怖と緊張に支配される。我ながら
情けないとも思うが、毎日毎日、やれチャンと仕事しろだの、やれ顔が気に喰わないだの、やれムカついてるから
殴らせろだの、剛田チックな因縁をつけられては頭を針山の様にさせられているのだ。それが余りにも日常的に続くもの
だから、最近では『紅魔館の門番って、実は足尾出身のヤマアラシ妖怪らしい』なんて噂が流れているくらいだ。
 トラウマになるのも、そりゃ仕方ないッスよ……

「まったく、これからが良い所だというのに……」

「あのぉ~… 一応仕事中なモンで、お話はなるたけ簡潔にお願いしたいんですが…」

「そうね… ま、一言で言うなら……



 中国! おまえの命をくれい!!
 わが内に哀しみとなって生きよ!!」

 いつの間にやら空を覆い尽くした雷雲を背景に、天に帰るに人の手は借りぬくらい漢前なセリフを言われる。今の
咲夜さんになら、核戦争後の世界を覇道を以て制する事も容易であるに違いない。

「……って、イヤ、いきなり何なんスか、それ!? 全然意味が理解できませんって!!」

「私と(お嬢様)の愛を守る為、貴方は(死出の途へ)旅立ち、明日(からの人生)を見失って欲しいと、そういう事」

「Youはshock!?」

「貴方が命懸けで淫乱巫女を追っ払ってくれれば、その間隙を縫って、私はお嬢様GETだぜィエィエィエィエィエィ
エィ……
 と、そういう事」

「あのコのスカートの中!?」

 いつもいつでも、こんな事ばっか考えてるんだろうか、この人は。うまくゆくなんて保証はどこにもないのに。

「咲夜さんがお嬢様をどんな風に想うかは、そりゃ、私の口出しする事じゃありませんが、その為に私の命を出しに
しないで下さいよ!」

「あら、でも、昔から『貴方のものは私のもの、私のものも私のもの』って言うじゃない?
 という事はつまり、貴方の命は私の物。私の物なら、それをどう使おうが私の自由。ね、判り易いでしょ?」

「ジャイアニズムッ!?」

「と言う訳で、早速死んで頂戴、中国(はぁと)」

「ハイィ!?」

 明るい笑いを振り撒きながら、まるで、お料理片手にお洗濯の主婦が子供に『ちょっとそれ取って』とか、母親に
『この味どうかしら』とか言うかの如く、気軽に楽しげに死刑宣告が告げられる。

「貴方はさっき、私の計画を聞いてしまった。その口封じ、よ」

「計画って…」

 先程垂れ流していた、あの下手なエロ漫画みたいな妄想の事ですか。
 そりゃ確かに、あんな愉快なんだか不愉快なんだかも判らない様な妄言を、想い人には知られたくはないでしょーが…

「イヤでも、あれは、咲夜さんが勝手に…………い!?」

 瞬間、何の前触れも無く眼前に出現するナイフ。避ける間も無く、私の頭に銀のオブジェが追加された。

「でっでっ… DEATHる~~っ!」

「妖怪のクセに、ナイフ一本で大袈裟な…
 ま、でも、これに懲りたら、お嬢様に告げ口なんて馬鹿な真似は慎む事ね」

「始めっから、そんなつもりなんてない…」

 二本目追加。

「ふぃぎゅあぁぁああ~~~!?」

「門番如きが口答えしない!」
























 薄れゆく意識の中、私は神様に祈りました。





 どうかあの、剛田さんトコの息子さんも裸足で逃げ出す様な悪魔に、しかるべき報いを与えてやって下さい……!!
























 ……あ、神様って言っても、祟り神様とか、アホ毛神様とかはお呼びでないですから。
















































「はぁ……」

 シャワーのノズルから流れる出る熱いお湯に打たれながら、私は、身体の中に溜まった疲労感の全てを吐き出さんと
ばかりに深く息をついた。メイド長としての一日の激務を終えた後に残された、僅かばかりの心安らぐ時間。
 紅魔館には従業員用の大浴場が在るが、私は無理を言って、自室に専用のシャワールームを備え付けてもらっている。
 その訳は、大勢との触れ合いをあまり好まない性格、というのも在るのだが、それよりも何よりも、今の様な疲れ
きった自分の姿を部下達の目には晒したくない、というのが一番の理由である。

 ノズルから吹き出るお湯は、私の表面を止まる事なく流れ落ちてゆき、そして、床に辿り着くや否や、すぐさま
排水口に向かって消えて行く。それを見ながら私は、時の流れというものの無常さに思いを馳せる。こんな事、私の
能力を知る者に話せば、不思議な顔をされるに違いない。
「貴方なら、幾らでも自由に時を操れるだろうに」と。確かにその通りだ。だが……

 シャワーを止め、タオルを手に取る。其処には、少しばかり歪んだ懐中時計の刺繍が為されていた。
 私が使うタオルには全て、部下のメイド達がこうした、何かしらのワンポイントを付けてくれている。可愛い娘達だ。
 彼女等は、心から私の事を信頼し、慕ってくれている。彼女らが私に向ける視線には、時折、憧れというものすら
感じる。
 ……ああ本当、そんな彼女等に、今のくたびれた私を見せたくはない。

 紅魔館は基本的に日光の入らない、ないしは入りづらい構造をしている。私の部屋にしても、西側に小さな窓が一つ
在るだけだ。その為、館内の空気は常に僅かな冷気を孕んでいる。それが、シャワーで火照った今の身体にはとても
心地良い。
 大きめのYシャツを一枚だけ羽織り、そのままベッドへと倒れ込んだ。仰向けになり、真っ暗な天井を見詰める。

 ……時を止める、という能力は、自身で言うのもおこがましいかも知らぬが、確かに『ほぼ』無敵の能力とさえ
思える。
 時を止める能力とは、言うなれば『世界を支配』する能力と言っても過言ではない。止まった時の中では、大地を裂く
程の力を持った一撃も、音をも超えるほどの超速も、まるで意味を為さない。埃をたてずに掃除をする事も容易である。
更には、入浴中のお嬢様に気付かれる事なく、その無垢なる神秘を間近で堪能したり、脱衣所に遺された神々の遺産を、
スーハーしたり、くっちゃにちゃしたりも思いのままだ。

 だが、世の中には、『完全』だとか『絶対』などというものは、そうそう存在するものではない。
 私のこの能力にしても、その発動には膨大な体力・精神力を消費する為、あまり頻繁に時干渉を行えば、一日を終えて
床に就く頃には、今の状態の様に常人では決して味わえない程の疲労感を楽しめてしまう。
 ならば能力の使用を控えれば良い、と思われるかも知れない。だが、ここ紅魔館に於けるメイド長の業務という
ものは、シベリア抑留者の労働を三倍にしても、なお及ばぬくらいの激務なのである。掃除一つをとっても、空間
操作によって外観以上の広さを持つ邸内を、毎日毎日隅から隅まで綺麗にせねばならない(無論、私一人で邸内全てを
掃除するわけではないが)。他にも、料理や洗濯、侵入者の排除、(呼んでもないのにやって来る)客人への応対、
居候が行う怪しげな魔導実験の後始末etc…
 普通に考えれば、絶対に一日では終わらない様な量の仕事を、それでも一日中で処理する事を求められる。それが、
紅魔館のメイド長というものなのである。
 時を止めねば、とてもではないがやっていけない。かと言って時を止めれば、精神的にも肉体的にも大きく疲労する。
 それでも私がこうして仕事を続けられているのは、ひとえに『お嬢様への愛ゆえに』という崇高で美しい想いが
原動力となっているからであるが、そのお嬢様も、最近ではあの紅白とばかりイチャイチャネチョネチョしてらして
いる。
 霊夢がお嬢様と二人きりで一体何をしているのかは、残念ながら判らない。だがもし、彼女の持つ汚らしい棒やら
何やらでお嬢様の禁断の聖地を破る様な事があれば、あの毒婦め、脳ミソをナイフで掻き回して、ストローでちゅ~
ちゅ~吸ってやる………!!

 ……イヤ、だが待て。お嬢様の体は強力な再生能力を持っている。ならば、例え破られたとしても、暫くすれば
元通りになる、という事ではないのか? よし、私にもまだ、望みは有る様だ。

 閑話休題。

 兎も角、私のストレスは溜まっていく一方だ。

 ……長々と愚痴ばかりを連ねて、結局、何が言いたいのかと言われれば、それはつまり、『だから中国を虐めるのも
仕方ないじゃない』と言う事である。

 人間に限らず、あらゆる生物(幽霊もか?)にとって、ストレスを溜める事は好ましい事ではない。
 ストレスを抱えたまま生活する、という事は、ボムを九個も持ったままで憤死するのと同じくらいに、愚かしい事で
ある。溜められたものは、何処かで発散させねばならない。
 その『何処か』というのが、私にとっては中国なのである。
 何故に彼女なのか、と問われれば、それは、『外見』と『反応』という言葉に集約される。

 彼女は美しい。その名の示す通り、紅く美しく流れる長髪。スリットから覗く、白く長く伸びる脚。日頃の鍛錬の
成果か、鋭く引き締められた肉体。その中に在って、腹立たしささえ覚える程に豊かに実る二つのコブ状の物体。
 彼女を『美しくない』と評する事は、おてんば恋娘の内に燦爛たる智性を見出す事と同じくらいに、困難を極める事
である。

 そんな美しい少女が、私の一挙一動に対して、一々面白い反応を返してくれる。
 気付かれぬ様に背後に回ってから話しかければ、大声を上げて後ずさり、唐突に訳の判らない弁明を始める。
 懐からナイフを取り出せば、たったそれだけの事に対して、まるでこの世の終わりとでも言わんばかりの表情になって
頭を抱えて小さくうずくまり、小動物の様に震えだす。
 頭にナイフの一本でも刺してやれば、そんな物、妖怪である彼女にとっては擦り傷と同然である筈なのに、大袈裟に
痛がって、泣き喚きながら地面をのたうち回る。
 その様は、舞台に上がって日も浅く、大声や派手なリアクションでしか笑いを取る方策を知らない、若い芸人の姿を
思い起こさせる。

 美しい少女と、出たての若手芸人。そのギャップが、私の嗜虐心を刺激して止まない。
 彼女を虐げる度に、体の奥底から背徳的な悦びが、ジワジワと全身に広がっていくのを感じる。

 ……ああ、冷めた筈の身体が、何だかまた火照ってきた。この熱はシャワーのせいだけではあるまい。
 動悸が激しくなってきた。手足の先に、微かに痺れに似た様なものを感じる。唇がヤケに乾いている。胸の奥に湧いて
来る、手の届かないむず痒い何か。

 先程まで、あれほど重くのしかかっていた疲労感を、今では殆ど感じない。ただ、中国の事を想い出しただけだという
のに……!
 ……素晴らしいわ、中国。貴方、最高よ。

 明日はどの様にして、彼女を可愛がってあげようか。
 少女の泣き叫ぶ姿を目蓋の裏に描きながら、私は眠りに就く。

 ああ、今宵は、良い夢が見られそうだ………
























                        “反転考察”
























 兎が走っていた。ブレザーを来た兎だ。何を焦っているのか、しきりに手元の時計に目を落とす。その様は何となく
滑稽で、けれども、どことなく愛らしさの様なものも覚える。
 その兎の後ろを、本を抱え人形を従えた、一人の人妖の少女が、息を切らせて追いかけて行く。彼女は………





 ……なんという名だったろう。思い出せない。

 彼女等はきっと、この後、穴に落ちるのだろう。どうしてなのか、私にはそれが判った。





                       ……何故だろう。

 ………そうだ、これは、子供の頃に本で読んだ話と似ているのだ。題名は…………





                                         …桃太郎…じゃ…なくて……





 ……駄目だ、思考が…纏ま…ら……ない………







 ………暗い穴へと落ち込んでいくかの様な感覚と共に、私の意識は、少しづつ闇の中に拡散していって…………
















































「―――――! ――ィヤナ!」

 遠くから声が聞こえる。誰かが誰かを呼んでいる、そんな声。

 ゆっくりと目を開く。
 …何だろう、ヤケに眩しいな……
 そう思って窓から外を見やれば、雲一つ無い空に太陽が昇っているのが見て取れた。耳をくすぐる、小鳥達の
さえずり。

 ……ああ、もう朝か………
 起き上がろうと試みるが、身体はなかなか言う事を聞いてくれない。頭が重くて仕方が無い。昨日の疲れが残って
いる、という訳ではない。昔から毎朝こうなのだ。あぁ、血が足りない……

「…ディヤナ! ダディヤナッ!」

 ダディヤナ…? 誰だろう。メイドの中に、その様な名前の娘は居ない。
 ……と言うよりも、この声、これは中国の声だ。彼女が呼んでいる、という事は、ダディヤナとは警備部の者か。
 それにしても、朝っぱらから喧しい事この上ない。そうだ、今日はこれをネタに彼女を弄ろう。
 そう思うと、身体が少し軽くなった気がした。

「ダディヤナ! ダディヤナッ!」

 声が段々と近付いて来る。中国が部下を探しているのだとしたら、これはちょっとおかしい気もする。湖外から侵入
してくる外敵の積極的排除を仕事とする警備部の者が、こんな朝早くに私の部屋の近辺をうろつく事も無い筈だからだ。
館内まで入って来た招かざるお客様をもてなすのは、基本的に我等が紅魔館メイド隊の仕事。門番は、門の番をするから
こそ門番なのだ。それなのに、中国がこんな所まで部下を呼びに来ている。
 何だろう、新人の娘が迷子にでもなったのだろうか。

 未だハッキリしない頭で、そんな事を考える。と、

「さっさと起きんか、ダディヤナ―――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」

 轟音と共に、扉が目の前を吹っ飛んで行った。同時に、眠気とか身体のダルさといったものも、一緒になって吹っ
飛んで行く。
 扉が元居た場所に目をやれば、其処には蹴り脚を高く掲げる少女の姿。

「ちょっと中国! アンタ、何してくれるのよ!?」

「…ハ?」

 一瞬、何が起きたのか判らない、といった様子を見せた中国の表情は、しかし、すぐに険しいものへと変化した。

「…中国…ですって……?」

 そう言ったかと思うと、彼女の身体が霞の様に消え失せた。

「な!?」

 次の瞬間、後頭部に鈍い痛みが走る。

「ダディヤナのクセに、私を中国呼ばわりだなんて、いーい度胸してるじゃない?
 それとも何? まだ夢と現実がゴッチャになってるとか、そういう事でも言いたいのかしら?」

 背後から声が聞こえる。

 ……もしかして私、今、中国に殴られたの……?

 中国如きが…
 私を…………!?



 ………許せない…………!!

「中ぅ国ぅぅッ!!」

 振り返って掴みかかろうとする。と、

 ……腰の下に在った筈のベッドの感覚が、一瞬にして消失する。頭上には、何故だか絨毯の張られた天井が見えて
……??
 て言うか、これって私が…

「がはぁっ!」

 私が投げられたの!?
 何て事、背中に痛みを感じるその瞬間まで、投げられた事に気付きさえしなかったなんて……

「…っひゅは、ひはーっ……」

 背中を強打したせいで、まともに呼吸が出来ない。

「また言ったし。何よダディヤナ、今日は随分と反抗的じゃない?
 もしかして、パチュリー様に怪しげな魔法でもかけられて、頭ン中が楽しい事にでもなってるとか?」

 それはコチラの科白だ。て言うか…

「……さっ…ぎか……ぁはぁっ、かぁっ………」

「何ー? 聞こえないわよー?」

 耳に手を当てながら、大袈裟な素振りで聞き返してくる。ちょっと見ない内に、随分と人の気を逆撫でするのが上手く
なったものだ…!

 ……落ち着け、まずは呼吸を整えろ。

「ほらほら、もっと大きな声で!」

「っはぁっ、はぁ… さっき……から……」

「聞ーこーえーまーせぇ――ん。」

「…さっきから、『ダディヤナダディヤナ』って、何なのよそれ……!」

「…へ?」

 こちらを馬鹿にしている風ではなく、本気で驚いている、そんな顔。

「……何って、アンタの名前じゃない。そんな事も忘れたの、ダディヤナ?」

 ……何ですって?

「アイヤー、今、背中から落としたつもりだったんだけど、もしかして頭の方とかイッちゃってた?
 あ、それとも、最初にドツいた時かな? 手加減はしたつもりだったんだけど……」

 心配そうな顔で見下される。あからさまな嘲笑よりも、こちらの方が遙かに気に障る。

「私の名前は『十六夜 咲夜』よ!」

「ああ。それ、誤爆だから」

「はぁっ!?」

「て言うかさー、『私はダディヤナじゃない!』だとか、『名前で呼んで下さい!』だとか、そんな使い古された
ネタを今更やられてもねぇ…」

 何だ? こいつは一体、何を言っている……?

「そもそも、何で『ダディヤナ』なのよ! あだ名にしたって訳が判らないわ!」

「イヤまぁ、強いて言うなら『サクヤ』だから? ま、別にいいじゃない、そんな事」

「良くないわよ!」

「格好良くていいじゃない、『ダディヤナ』って。何かこう、似非マトリックス孔雀とか、試験体Bとか、白ゴキブリ
とか、色んなのに騙されまくりの人生で俺の体はボロボロだぁ!、みたいな?」

 ……何を言っているのか、全く理解出来ない…

「テーマソングなんかも有ったりしてさ。
 『生ーまれっ変っわるっほど 強っくなっれる 辛味噌! 辛味噌ッ♪』ってね。題して『rebirth』!
 変身! ここは俺に任せろ!
 うわっ、格好良過ぎよダディヤナ! でもアンタ、キングにエボリューションは出来ませんから。残念ッ!」

 …理解できないが、一つだけ、判った事がある……

「……中国、貴方、死にたい様ね……?」

 Yシャツの胸ポケットから、静かにカードを取り出す。

「……ダディヤナ、アンタこそ、『仏の顔も三度まで』って諺、知ってるかしら……?」

「黙りなさい中国。貴方なんて所詮、中国が中国らない中国ります中国る中国る時中国れば中国れッ!」

「…………オーケー、覚悟して。私に看取ってほしいってコトよね、今の?」

 腰を落とし、中国が構えをとる。先程までの動きを見る限り、今の彼女はかなりの難敵と思える。だが…

「時符『プライベートスクウェア』!」

 …如何に強大な力を得ていようとも、私の『世界』の中では、只の標的(マト)以外の何物でもありはしない。

 何かしらの技でも出そうとしていたのだろうか。上半身を大きく後方に捻った、異様な体勢のままで固まる少女。
 彼女だけではない。森羅万象一切が、その動きを止めている。ただ一人、この私を除いて。
 ここは、『私だけの』世界。私が全てを支配する、『完全な』世界なのだ

 今や木偶同然の物体と化した中国の周囲360度に、身動きも取れぬ程の量のナイフを配置する。
 中国如き、普段の折檻なら一本のナイフで充分なのだが、今日は特別サービスだ。
 出来れば『百万のナイフ』とでも洒落込みたかったが、流石にそこ迄のナイフは用意できないので、まあ、
『針千本』で我慢しておいてあげる事にする。

「今日の貴方、少しは楽しめたわよ?」

 だが、それももう終わり。

「……そして、時は動き出す………」

 時の枷を解かれた白銀の殺人者が、一斉に、哀れな犠牲者へと襲い掛かる。

 当然の様に約束されていた、『私の勝利』という決末が形になる……












 ……筈だった。












「回天ッ!!」

 まるで独楽の様に高速で回転する身体。

「なっ!?」

 私の放った無数のナイフが、一本も残らずに弾き返される。
 全くの無傷で立つ中国。何だ、一体、何が起こった……!?

「無駄無駄無駄ァッ!! アンタのへなちょんナイフなんぞ、私の『回天』の前では木の葉も同然って、いつも言ってる
でしょうが!」

 ……全身を気で覆いながらの高速回転技か…? 漫画か何かじゃあるまいし、何ていう無茶苦茶で力任せな防御術。
 だが実際に、私の攻撃は彼女に全く届いてはいない。
 私のナイフは正確さと変則的な動きを旨としている分、威力については、やや劣る点が有るのは否めない。
 正直、今の様な力技とは余り相性は良くないな……

「アンタの『世界』って、止まってる最中にはナイフを刺せないんでしょ?
 だったら、技の予備動作に反応して構えておけば、余裕でガード可能よ」

 確かにその通りだ。
 停止した時間の中では、私以外の何者も動く事は出来ない。だが、それは同時に、私以外のモノの状態を大きく変化
させる事が出来ない、という事でもあるのだ。『ナイフが刺さっていない状態』の相手を、停止時間中に『ナイフが
刺さっている状態』に変化させる事は出来ない。相手の目前に設置するのが関の山なのだ。
 とは言え、突然に目の前に現れたナイフを(いくら此方の予備動作に気を配っていたとは言え)反応して防ぐなんて
芸当、お嬢様や紅白レベルの相手なら兎も角、中国如きが出来る筈も無いのだが……

 まぁ良い。それなら、此方にもまだ手段は有る。

「貴方如きに、ラストワード迄は使いたくなかったんだけどね…」

 切り札を使う、という戦い方は、正直あまりスマートとは思えず、好きではない。
 切り札や伝家の宝刀という物は、存在はしていても決して抜かないからこそ、その意味が在ると考える。だが、今の
中国が相手であるなら仕方があるまい。

「見せてあげるわ、私の本気を…!」

 停止時間中にはナイフは刺せない。だが、それには例外が在る。

 極意『デフレーションワールド』。
 この術はナイフそのものを投げる訳ではなく、過去~未来の『ナイフの軌道の可能性』を停止時間内に圧縮し、具現化
させる。これならば、動けない相手に直接ダメージを与える事が出来る(正確には、停止中に標的に重なるのは『軌道の
可能性の一部』であり、時が動き出したと同時に、その『軌道の可能性』がタイムラグ0で実物のナイフへと具現化し、
相手に突き刺さるのだが)。

 具現化可能なナイフの軌道に大きく制限がかかるのが難点だが、それでも、初見の相手の撃墜率はほぼ100%……!

「いいわね? いくわよッ!
 『デフレーションワールド』!」

 時が止まる。同時に、私が『投げた』、もしくは『投げる筈』のナイフの軌道が現れてゆく。
 空間そのものが狭められていく様な、形容し難い息苦しさ。この感覚にはどうしても慣れる事が出来ない。だから、
この技は余り使いたくないのだ。

 次々に増えていた『ナイフの軌道の可能性』の出現が止まる。時間の圧縮が終わったのだ。そして、時が動き出す……
























「何よ、アンタの本気って、『デフレーションワールド』の事なの?」

 耳元で囁く声が聞こえる………!?

「ちょっと期待してたのに。なぁ~んだかガッカリ」

 両肩の脇から突然現れた二本の白い腕が、蛇の様に私の身体に絡みつく。背中に感じる、二つの柔らかな感触。

「これってさぁ、詳しい理屈は判んないけど、一度に出現させられるナイフの軌道に、かなり制限がかかってんのよ
ねぇ? 術の発動時に相手が居た位置が基本で、あとはその周辺をカバーする程度。ぶっちゃけ、一方向に動き
続けてれば当たりゃしない。初めてならまだしも、一度見せた事のある相手に二度も三度も通じるモンじゃぁない
でしょうが。」

 私の耳に口を寄せながら、背後から抱きしめる形で中国が囁く。いつの間に後ろを取られた……? いや、それ
よりも……

「貴方、『デフレーションワールド』は初見の筈じゃあ……」

「何言ってんのよ。この前見せてくれたじゃない。ホラ、この間の異変の時。私達が輝夜をとっちめて、で、その後、
肝試しに行く前だったか後だったか、あの時よ」

 …『私達が輝夜をとっちめて』……?

「あの時は結構本気で驚いたけど、ネタさえ判ればミスのしようも無いわ」

 私の身体に巻きついた腕に、少しずつ力が込められる。

「――さて、このまま絞め殺しちゃってもいいんだけど……」

 マズい……! 何とかして中国の腕を振り解こうと身をよじる。瞬間、

「きゃっ!」

 唐突に、中国が私の身体を解放した。支えを失った身体は、為す術も無くその場に倒れ込んだ。

「今日のダディヤナは、何だかヤル気満々みたいだから、もうちょっと楽しませてもらおうかしら♪」

 お気に入りの玩具を前にした子供の様に、コロコロと楽しそうに笑う少女。
 ………一体、コレは何なの? この私が、中国に手も足も出ないという現実。

「次はどんな『手品』をみせてくれるのかナ? 奇術師のおじょーちゃん(はぁと)」

 安い挑発だが、そんなものに踊らされはしない。ただそれは、私の頭が冷静だからと言うよりも、何だろう、違和感の
様なものがまとわりついて離れないせいなのだが…… 中国の異常な強さもそうだが、それ以前に、もっと基本的な
何かを見逃している気がしてならない。

「時間停止中に背後に回って、手にしたナイフでブスリかしら?
 それとも、緩急つけたり変化球を投げたりで、こっちのタイミングを外させてくるのかな♪」

 戯言ね。そんな小細工、今の彼女の反応速度と身のこなしの前には、何の役にも立ちはすまい。

 とは言え、時間停止も通用しない。
 中国周辺の時間を遅らせる、というのはどうか。彼女の様なパワー&スピード型相手には、かなりの効果があるのでは
ないか。
 ……まあ、それ以前に、術の発動自体が難しそうだが。ここ迄の彼女の動きをかんがみれば、予備動作中にツブされる
のは火を見るより明らか。それに、仮に成功したとして、今の中国のスピードは、スロウをかけて私とほぼ同等だろう。
他のスペルを同時には発動できない事を考慮に入れれば、結局のところ、無駄な消耗で終わる可能性が高い。リスクに
リターンが見合わない。取り敢えずは没。

 ……四の五の考えていても仕方ない。まずは、相手の能力を把握するのが先決。具体的な攻略法を組み立てるのは
それからだ。

 「ふぅ――――っ………」

 大きく息を吐き、精神の静寂を取り戻す。次第にクリアになる思考回路。

 さて、二度も私の背後をとった中国の移動術だが……
 小悪魔の様に空間転移を使った……とは考えづらい。目の前の相手が、そんな器用な真似が出来るとは思えない。
なら…

 周囲の床を見回すと、すぐにソレは見付かった。私の部屋の絨毯に穴を開けてくれた、いや、それどころか、その下の
床にまではっきりと型を残す程に、強く踏み込まれた足跡。やはり中国は、ただ単に高速で動いているだけで、空間転移
術等は使っていない。それならば、牽制に弾幕を張っていれば容易には接近されない筈。

 前方放射状に無数のナイフを放つ。

「『ジャック・ザ・ルドビレ』か。また懐かしい技を……」

 言いながら、一歩も動かない。それどころか、身動き一つしない。それなのに、掠り傷一つ負わない。
 彼女を目指して進む刃は、その身体に届く寸前で叩き落される。障壁でも張っているのか……

 ……いや、違う。
 ナイフの回転を上げ、同時に目を凝らす。

 それで何とか視認できた。文字通り、目にも止まらぬ手刀によって落とされていくナイフが。
 回避せずに叩き落すのは、軌道変化を警戒している為か。それなら……

 連射を止める。一瞬の間を置いた後、中国に向けて一直線にナイフ、そして、それとほぼ同時に『タネ』を放つ。

 中国を目指して進むナイフは、彼女の手前一メートル程で、急にその動きを止める。中国は、瞬き一つせずに静止して
いる。





 次の瞬間、彼女の後方から、先程仕掛けていた『タネ』、相手の死角を撃つもう一つの刃、『アナザーマーダー』が
襲う。







 ……だが、完全に死角を突いたはずのそれを、中国は振り向きもせずに叩き落した。『アナザーマーダー』の襲来と
同時に動きを再開した正面のナイフも、それが当然であるかの様に弾かれる。『離剣の見』と『アナザーマーダー』に
よる挟撃に、全く動じず、視線すらも動かさずに対処する。

「……やれやれね」

 敵の行動パターンが判ってきた。これは、想像していた以上に厄介なものを相手にしているのかも知れない。何に
せよ、次の攻撃で完全に動きを把握する。

 中国の周囲を回りながら、極端に速度を落としたナイフを連続で投げつける。前後左右から迫る白刃を、やはり視線
一つ動かさずに防ぐ少女。次第に速度を上げつつ、天井に向けて一本の刃を放る。
 そこで私は動きを止めた。相手の動きは、今ので大体把握できた。

「何? もう終わり?」

つまらなそうにつぶやくその頭上に、一本のナイフが落ちてくる。












「……もう少し気合入れてくれないと、面白くないんだけどなぁ」

 話しながら、右手一本で頭上のナイフを受け止める。やはり、視線は動かない。

 ここまで攻撃を仕掛ける中で判った事。

 中国は、『此方の動きを全く見ていない』。

 こちらの攻撃が自身の制空圏に入るまで、彼女は微動だにしない。そして、制空圏に入った瞬間に、超高速の手刀で
撃墜する。此方の動きなど見てはいないのだから、いくらフェイントをかけようとまるで意味が無い。更には、彼女の
制空圏は、前方だけでなく、後方、上空までもカバーしている様だ。どういった方法で、此方の攻撃が間合いに入った
のを察知しているかは判らない(少なくとも、視認によるものではない)が、今のところ、死角は見当たらない。

 そこまで考えて、頭が痛くなってきた。何と言うか、相性が悪い。お嬢様や白黒なら力押しで通せるだろうが、私の
様なタイプには、正直、今の中国の相手は容易でない。だからと言って、中国如きに負てやるつもりもさらさら無い。 

 ならば……

「幻葬…」

 何も、大掛かりな仕掛けを用意したり、小手先の技を駆使する事が手品の全てではない。
 奇術師の基本とは、相手の心理の裏にタネを隠す事……!

「夜霧の幻影殺人鬼!」

 歪んだ鏡に写し出されたかの如く、奇妙に長く伸びた影を従える無数のナイフ。その数は、先程仕掛けた攻撃の時とは
まるで比較にならない。

「貧弱! 貧弱ゥ!
 そんな、ねむっちまいそうなのろい攻撃で、この美鈴が倒せるかァ――――――!?」

 叫びながら、上半身を捻る。予想通りだ。流石にこれ程の量を、手刀のみでは防ぎ切れないらしい。

「回天!」

 気を纏った高速回転。次々に襲い来る白刃を、ことごとく弾き落としていく。

「…さあ中国、私が次に何をするのか、判るかしら……?」

 ナイフの雨は、まだ止まない。回転も、まだ止まらない。

「どんな小賢しい策を考えているか、判るかしら?」

 私が狙うのは、ただ一点。

「背後を狙うのかしら? 変化球を投げるのかしら?」

 落ち着いて、その一瞬を見極めろ……!

「時を止めて、何かしらの罠を仕掛けているのかもね………」



 白銀の雨が止む。





 回転が弱まる。












「――そこだッ!!」

 ナイフを手に、身体を前方に傾け、猛然と駆け出す。
 私の策は只一つ、『大技の隙を狙った正面突破』……!
 何の捻りも無い正攻法だが、私の様な『曲者』にとっては、正攻法こそが最高の奇襲になる。

 回転が止まると同時に、中国の懐に入り込む。
 まさか、真正面から突っ込んでくるとは思ってなかったのだろう。彼女の目が、驚愕に開かれる。

 殺った………―――!
























 一瞬で真っ白に染まる視界。







 聞こえなくなる音。





 激しい衝撃。



 逆流する胃液。

 …………………!??





「あっぶない、危ない。アンタの事だから、一体どんな小細工をしてくるかと警戒してたら、いきなり真正面から突進
だもん。正直、裏かかれて焦ったわ……」

 ……中国が何か言っている………

「服が少し切れて……って、アイヤー、血も出てるわ。
 掠り傷とは言え、ダディヤナ相手に手傷を負わされるなんて、私も歳かしらね~?」

 ……かわされ…たの……?

「ま、擦れ違い際に、カウンターで膝くれてやったからいいけどね。
 モロに鳩尾入ったけど、どう、ダディヤナ? 生きてる?」

 ……あのタイミング、あの間合いで、不意まで突いたというのに……… 更には、カウンターまで……!!

「慣れない事はするモンじゃぁないみたいね、ダディヤナ?」

 …意識が薄れていくのが実感できる… 

「なんつーかさ、アンタって、基本的にはテクニック&トリッキー型じゃない?
 そーいった輩が正面から中央突破って、不意打ちにはなるかも知んないけど、あまり良策じゃぁないでしょう。」

 ………駄目、まだ気を失うわけにはいかない。あと少し、あと少しで『ソレ』が拝めるのだ―――!

「………き………だ…はっ………」

「何? なんか言った?」

 息が苦しい…呼吸がままならない… けれど、懸命に声を絞り出す。

「切り……札は……」

「だから何? 聞こえないわよ!」

 重くて仕方の無い目蓋を、必死になってこじ開ける。『その瞬間』を見逃さない様に……

「―――切り札は、最後まで取って置いてこそ意味があるのよ………!!」

「え?」

 瞬間、彼女の身体が硬直する。何が起きたのか、まるで理解できていない顔。そう、その表情が見たかったのだ……!

「そ…んな……」

「油断したわね、中国……」

 先程発動した『夜霧の幻影殺人鬼』の内、背後から襲う一本だけに極端なディレイをかけておいたのだ。捨て身の
突進はこの為の布石。勝利を確信した者は、必ずそこに隙が生じる。その隙を突いて、頂点から一気にどん底まで叩き
落す。中国相手にここ迄の事をしなくてはならないとは思いもしなかったが、兎に角、これでやっと……
























「……なぁ~んちゃって」

 ―――人を小馬鹿にした声。まさか……

「ダディヤナってば、意識が朦朧としてて、ちゃんと見てなかったのかな? 私の右手が、今何処に在るか」

 そ…んな……

「さて問題です。私の右手は、ダディヤナが気付かぬ内にいつの間にやら背中に回っていました。何故でしょう?」

 自身の背後に回されていた中国の右手が、ゆっくりと姿を現す、そこに握られているのは……

「正解はコレでしたー♪」

 私の、最後の切り札……!

「小細工を弄すると見せかけて正面突破、と思わせて、更にその裏に罠を仕掛ける。大したモンね。
 しかも、ディレイをかけたのが一本だけってのがまた憎い。余り大量に遅らせたなら、防御するナイフの量が減って
異変に気付かれる可能性があるわけだからね。でも、一本だけ減っていても、そんなもの判りはしない。
 その上、会話を仕掛ける事で背後への攻撃から気を逸らす様に仕向ける。
 全く、アンタの策士ップリには、本当、感心するわ。」

 片手でナイフを弄びながら、どこか嬉しそうに話をする。私には、もう立ち上がる力さえ残ってはいない……

「でも残念ね。私は、前後上下左右あらゆる方向からの攻撃に対応できる様に、常に身体の周りを『気』の結界で覆って
いる。文字通り、24時間気を張って生きてるのよ。例え睡眠中であっても、私に奇襲や不意打ちは通じない。

 …って、前々から何度も同じ様な事を言ってきた気もするけど」

 ……意識が拡散し、闇の中に吸い込まれていく…… 体中の感覚が、分厚い綿に巻かれているかの様に、現実味を
持って感じられない…
 …まるで、夢の中に居るみたいに………

「まぁでも、今日のダディヤナ、なかなか楽しかったわよ?
 流石は3ボスと言うか。アリスや慧音並には手強かったわ」



 ……アリス…?

 そう、さっきの夢… 人妖の少女……

 彼女の名はアリス………





 …思い出した、あの本の名前… 『不思議の国のアリス』……

 不思議の国の………












 ?…………!



 頭の中で何かが繋がる。まさか……
 懐に忍ばせていた懐中時計に目をやる。七時五十分。窓の外を見る。その明るさを考えれば、PMという事はあり
得まい。
 深手を負った身体に鞭を打ち、何とか身を起こす。

「ありゃ、ダディヤナ。あんだけイイ打撃が入ったのに、もーう起き上がれるんだ? すごいわねえ~~」

「……一つ、訊きたい事が有る」

「何?」

「太陽って……どちらから昇るものだったかしら?」

「……は?」

 呆気に取られた顔。そして沈黙。
 ……中国は一言も声を発さないが、「何、コイツ、大丈夫?」みたいな空気が容易に読み取れる。
 私だって、なんて馬鹿げた質問と思う。でも、その答えの如何によっては……

「……昔から言うじゃない、『西から昇ったお日様が、東っへ沈む~♪』ってね」

 歌う様な口ぶり。此方をからかっているのかも知れない。けれども。

「此処では本当に、西から陽が昇るのね…?」

「……イヤ、嘘に決まってんでしょ。信じないでよ!」

「だったら…」

「陽は東方より昇りて西方に沈む。大昔っから、それで決定で安定で確定でしょーが」

 そう……
 再び、窓の外に目を向ける。雲一つ無い空に浮かぶ太陽。












 ……私の部屋には、『西側に小さな窓が一つ在るだけ』だというのにね………!

「あのさ、ダディヤナ… 今日のアンタ、本気で変よ?
 パチュリー様に診てもらう? あ、それとも、永遠亭から医者を呼んでこよっか……?」

 身をかがめ、此方の顔を覗き込んでくる。先程までに比べ、明らかに声の調子が優しい。どうやら、本気で心配をして
くれている様だ。

「……お気遣い、有難う…」

 俯いたまま、精神を集中させる。

「…そして―――」

 袖口に忍ばせていたカードをかざす。

「――――ようこそ、この素晴らしき『咲夜の世界』へ………!!」

 時が止まる。

 三度、『回天』の構えで固まる少女。今のも不意をついたつもりではあったのだが、恐るべき反射の速度。
 だが、それも今は関係ない。私の攻撃を予測しているのであろう中国を無視し、弾かれる様に廊下へ飛び出した。

 辺りを見回す。館内の廊下など、何処も大した違いの無い造りにはなっているのだが、此方は毎日掃除をしている
身だ。ざっと周囲を見渡しただけで、昨日までと、いや、『昨日まで居た館』と、明らかな内部構造の違いは無い事が
把握できた。
 という事は、あの部屋の位置も変わっていない筈……

 目標を定め、走り出す。走りながら思考を巡らせる。
 中国一人の異変なら、パチュリー様が開発した魔法で能力強化・記憶改変をされたとか、そういう見方も出来た。
だが…

 ……『東方より昇』る朝日が、『西側に』『一つ在るだけ』の私の部屋の窓から見えた。
 館の方角が、180度反転している。一晩で、しかも私の気付かぬ内に館を反転させるなど、そんな事、例えお嬢様で
あっても出来はすまい。そして、昨日までとはあまりに乖離し過ぎている、中国の言動……

 ……パラレルワールド。可能性事象の分岐から生じる、平行した異世界。

 まるで不出来なSF小説だが、そう考えるなら納得がいく。此処は恐らく、『力関係が反転している』世界。この
世界の咲夜は、多分、自分より立場が上の中国に、毎日の様に虐待を受けているのだろう。可哀想に……

 そして、ここからが重要なのだが、『力関係が反転している』という事はつまり、本来ならば紅魔館に於いて侵す事の
出来ない至高の地位に立つお嬢様が、此処では最下層の、それこそ中国以下の賤しい位まで貶められている、そういう事
なのだ……!

 中国以下の地位。それはもう、奴隷という他にふさわしい言葉が見当たらない。
 奴隷の少女。何という背徳的で、そして淫靡な響きであろうか。
 恐らく此処のお嬢様は、毎日毎日朝も夜も無く、三桁にものぼる館の住人を相手に、たった一人で、こう、所謂ご奉仕
だとか、後は、その、まあ、色々となんだ、…処理なんかをさせられているに違いない。
 しかもアレだ、お嬢様の身体は頑丈だから、常人ならば命を落とす様なHardでLunaticなプレイもオッケーなワケで…





 ………………………





「いい!! いいわよォう!!!! 無敵の未来が見えて来たってカンジだわァ――――!!!
 アハハハハハハ……!!」

 そう、此処は正に楽園! ハライソ!! 約束された幸福の地!!!
 中国に弄られるなんて、そんな事、お嬢様にアレさせてナニさせる事の代価と考えれば、安い安いぞ安過ぎる!
 ああそれに、もしかしたら、此処のお嬢様は、常時れみりゃ様状態になっているとか、そういった素敵な事態も
考えられちゃったりするかも知れない!?
 中国よ、私を弄りたければ弄るがいい、虐げたければ虐げるがいい! そうして私の悲しみが、怒りが増大すればする
程、私のれみりゃ様への愛も熱く大きく燃え上がるのだ!!



 ……まぁ、私の『愛』は硬くて鋭くて、ちょっと痛いかもしれませんがね…?
 大丈夫、れみりゃ様。私は他の畜生どもの様にスプラッターは好みません。足や手で直接どーだとか、そんな事は
いたしません。ただ、ちょぉーっとチクリとしたりプスリとしたりするだけで、なに、慣れればむしろ快感になると
思いますよ……?



 そんな事を考えている内に、目的地が、れみりゃ様の部屋が見えてきた。
 
「此処まで来れば、中国もすぐには追いついて来ないでしょう。」

 時間停止を解除する。止まったままの幼女にイタズ……もとい、止まったままのれみりゃ様を愛しても、そんなものは
唯の虚しい、自分を慰める行為でしかない。
 やっぱり、生でいただかないとね、生で。でないと、(喘ぎ)声が聞こえないし。(恥らう)動きも堪能したいしね。
ビバ=踊り食い。

 静かに、楽園の扉へと手をかける。
 ……高鳴る鼓動。自分の呼吸が、明らかなまでに異常なものとなっているのが容易に把握できる。これ程の緊張感、
久しく感じた事は無かったわね……
 落ち着け、落ち着くのよ、十六夜 咲夜。いくら極上の美幼女が目の前だからといって、我を忘れてがっつく様では、
そんなもの、野犬なぞと比しても何ら変わりは無い。私は誰だ? 私は十六夜 咲夜、完全で瀟洒な従者よ。あくまでも
エレガントにいかなくてはね。

 手に力を込める。かすかな軋み音と共に、天国への入り口が少しずつ開かれていった……












「れぇ~みりゃちゃぁーん!!」

 水泳の飛込みを思わせる、美しく無駄の無いポーズ。たった一言の内に、私の想いの全てを詰め込んだ科白。服装は、
当然の如く下着のみだ。それが世界の約束。
 ああ、何てすっきりとしてあかぬけしているのだろう……! 素晴らしいわ自分、素晴らしいわ私!!

 そんな私を、れぇ~みりゃちゃんは、

「マイハートブレイク」

 0.5秒で撃墜してくれました。
 ガードもグレイズも不可の紅い槍を前に、文字通り、マイハートはブレイクしたワケで………
























「……全く。朝っぱらから、ノックもせずに部屋に入ってきたかと思えば、いきなり奇声を上げて主人に飛び掛る
なんて……
 美鈴、貴方一体、部下にどういう教育をしているのかしら?」

「はぁ。でも、ダディヤナは門番なので、私の部下、という訳でもないのですが……」

 只今の状況説明。
 ベッドに腰掛けたカリスマ溢れるご主人様を前に、後方には、私の上司であるらしい中華な妖怪が居て、彼女ら二人に
挟まれながら、私は下着姿で正座をさせられている。こう言うと、何だか新手のプレイ、もしくは、坊ちゃん嬢ちゃんは
見てはいけない映画やビデオの一場面の様にも思われるかもしれないが、実際には単なるお説教。以上、説明終わり。

 ……後ろの余計なのさえ居なければ、こういうプレイも、むしろ望むところなのだが。

「それに、何と言いますか…… 今日のダディヤナ、ちょっと、いえ、かなりおかしいんです。
 一度パチュリー様に診てもらうなり、医者を呼ぶなりした方が良いかと………」

「必要ないわ。と言うより、ウチの門番が面白おかしいのは、何も今に始まった事でもないでしょう」

 情け容赦の無いお言葉。今、私の目の前に居るお方は、紛れも無く、“赤い悪魔”“永遠に紅い幼き月”として
畏れられるヴァンパイアクイーン、レミリア・スカーレットお嬢様そのものだ。
 館の住人の、色々と、こう、………捌け口にされているとか、デフォルトでれみりゃ様状態になっているとか、そう
いった豪華特典が付いている様子は微塵も無い。

 ……まあ、自分自身でも、何て都合のいい妄想だろう、って自覚は有ったんだけどね。
 此処の中国が『パチュリー“様”』と言っていた時点で、館内の力関係全てがそっくりそのまま反転しているワケでは
ないという事くらい、簡単に予想がついていた。それでも僅かな可能性に全てを託し、ここまで大暴走して、お嬢様に
恥ずかしい所を見せてしまうなんて…… 冷静になった今、思い返してみれば、本気で死にたくなる。

 ああ、これが若さか………

「ちょっと、そこの門番」

 若さ、若さって何だ? 振り向かないことさ……

「ちょっと! 聞こえていないの、門番!」

 愛って何だ? ためらわないことさ…………

「お嬢様を無視してグズグズするなよ、ダディヤナッ!!」

「痛ッ!?」

 怒声と共に頭に振り下ろされた鉄拳が、恥ずかしさのあまり魔空空間に逃避していた私の精神を引き戻した。
 て言うか、

「いきなり何するのよ、中ごきゃ!?」

 言い終える前に、二発目追加。

「何? 美鈴、貴方、中国だなんて呼ばれているんだ?」

「呼ばれていません。ダディヤナが今日、いきなり言い出しただけです。
 それにしても、今の『中ごきゃ』で、何を言ったかが判るんですね…」

「貴方の服装やら二つ名なんかを考えれば、誰にだって判るわよ。
 でも、いいあだ名ね。今度から私も、そう呼ばせてもらおうかしら?」

「勘弁して下さいよ、お嬢様……」

 中国をからかいながら、鈴を転がした様な可愛らしい声で微笑むお嬢様。
 ああ、なんて愛くるしい…… これをオカズにすれば、軽く三杯はイケそうな(勿論、ご飯の事だが?)程の、良い
お嬢様ップリだ。

 けれど、その笑顔の先に在るのは、私ではなくて………

「まあ、あだ名云々は置いておくとして…
 ダディヤナ! さっきからお嬢様が貴方の事を呼んでいるのに、なに返事もしないで呆けているの!」

 お嬢様が私の事を呼んで…? それって、

「もしかして、門番って私の事なの?」

「―――っはぁ…」

 やれやれといった感じで肩をすくめ、中国が大きく溜息をつく。

「ご覧の通りです、お嬢様。これが今日のダディヤナ。さっきから、ずっとこうなんですよ…」

「美鈴が毎日毎日、何かしらの因縁をつけて、殴る蹴るの暴行を加えているせいじゃないの?」

「殴る蹴るの暴行って… そんな言葉、新聞やニュース以外で初めて聞きましたよ」

 なるほど、私と中国の力関係が反転しているなら、二人の仕事が入れ替わっていてもおかしくはない。
 ……待て、と言う事は、

「貴方がメイド長?」

「その通り」

 その通りって……

「その格好で?」

 今の彼女の格好は、『私がよく知っている』中国のそれと、何ら変わりはない。カラフルで民族っぽい衣装。
「彼女の仕事は何ですか?」と問われれば、百人中百人が「共産党」と答える、そんな格好だ。とてもメイドには
見えない。
 あ、けれども、もしかしたら、チャイニーズから見てみれば、この格好こそが女僕(メイド)として正しい服装なの
かも知れない。略してメイド・イン・チャイナ。
 でも、台湾の某メイドカフェの店員は、普通にメイド服を着ていた様な気がする。

「せめて、エプロンとカチューシャくらいは……」

「料理中はエプロンも着るわよ。カチューシャなら今も着けてるしね」

「何処に?」

「帽子の下」

 ……何の意味があるの、それ?

「ちょっと。もういいかしら、門番? 自分の立場が思い出せた様なら、そろそろ本題に戻りたいのだけど?」

 門番って…………っあ、

「ハ、ハイ! 何でしょうか、お嬢様?」

「貴方、いつも時計を持ち歩いてるわよねぇ」

「はい」

「今、何時かしら?」

 懐中時計を取り出し、目を落とす。

「ダディヤナ、貴方それ今、何処から取り出したのよ?」

 ……下着姿の私が、一体、何処から時計を取り出したか? 『懐中』時計と言うくらいなのだから、懐から取り
出したに決まっている。懐というのが具体的に何処を指すかは、辞書か何かでも調べてくれ。

「……只今の時刻は、八時を少々回ったところです」

「そう。有難う、門番」

 ほんの僅かなやり取り。けれども今の私には、その僅かな時間が、何よりもいとおしむべきものに思えてなら
なかった。
 ただ……

「あの、お嬢様。私の名m
「あーぁもうっ! 吸血鬼である私が、何でこんな時間に起きなきゃならないんだか」

「たまには良いんじゃないですか? それに今日は、午後から霊夢達が遊びに来るのでしょう?」

「あのね美鈴、午後って言うのは、お昼の十二時以降を指す言葉なの。今はまだ八時よ? いくらなんでも早過ぎるわ」

「お客が来る直前に目を覚まして、『洋服は何処!?』だの、『寝癖が直らない!』だのと大騒ぎするよりは、良いかと
思われますが?」

「……遠回しに見えて、実は全然遠回しじゃない嫌味ね。
 そりゃまあ、美鈴にはいつも世話をかけているけど……」

 拗ねた様な顔で、可愛らしく頬を膨らませる。それを見て、冗談ですよ、お嬢様、と微笑む中国。
 目の前でなされている筈のこの会話が、何故だかやけに遠く感じられて、堪らず私は叫んだ。

「お嬢様! 私のn
「まぁいいわ。起きてしまったものはしょうがないし。とりあえず喉が渇いたわ。美鈴、紅茶を一杯お願いね」

「かしこまりました、お嬢様」

 何という事だ。この世界では、お嬢様に紅茶をお出しする役目までが、中国のものになっているのか。
 此処の中国はメイド長なのだから、当然の事と言えば、そうなのかも知れないが……
 いや、だがしかし、こんな中華な妖怪に、まともな紅茶を淹れる技術など有る筈がない。
 烏龍茶に紅生姜の絞り汁をタップリ混ぜ込んだ、名古屋の某山喫茶店のメニューにだって在りえない様な液体を、
「これが今噂の、漢方入りで健康にもバッチリな、上海紅茶館のChinese Teaアルよ~♪」とか、そんな深夜通販番組
並みの適当な御託を並べながら持って来るのがオチに決まっている。
 そんな物を飲んだりしたら、お嬢様の可愛らしいベロが食品添加物で真っ赤に染まってしまうではないか!

 ……赤くなったベロを出しながら、涙目で「何これ、変な味~~……」と仰るお嬢様の姿を想像してみた。

 ………すごく……ベリッシモ(とても)……いい光景だ。これでミルクなんかもブチ撒けていたら、もっと最高に
ディ・モールト(非常に)いいんだがなああ!

それは兎も角。

「紅茶なら、私が淹れます!」

「「…は?」」

 二人の声が重なり、二つの顔が同時に此方を向く。その見事なまでのシンクロ具合に、妬ましさを覚えずには居られ
ない。

「何でダディヤナが?」

「そうよ。紅茶は美鈴にお願いするから、貴方は早く門番の仕事に行きなさい」

「私、紅茶には自信が有るんです。だから……」

「……門番風情が、私の言う事が聞けないのかしら……?」

 静かな、けれども、はっきりとした怒気をはらんだ言葉をぶつけられる。私の全てを否定する様な、紅く冷たい魔眼。
恐怖と緊張で身体が、そして、心までが小さく縮こまっていくのが手に取る様に判る。私の反論など、一切許す気が無い
のは明白。けれど……

「……程から……」

「何? まだ何か言いたい事が有るの、門番?」

「……先程…から………」

 胸に熱いものが込み上げてくる。
 メイドたる者、主の前で取り乱す様な事があってはならない。感情のままを主人にぶつけるなど、決して許されは
しない。
 判っていた。そんな事、当然の事として理解していた。それでも、私には我慢できなかった。

「先程から門番門番って…… 何で名前で呼んで下さらないんですかッ!!
 お嬢様のお言葉であれば、どんな命令にも従います! 死ねと言われれば、いつでもこの首を差し出す覚悟は出来て
おります!
 だから… だから……」

 呆気に取られた顔が見える。
 主たる自分の目の前で、大粒の涙を拭う事も無く、大声でわめき散らす従者を目にしているのだ。驚き、呆れるのも
当然だろう。
 それでも私は、叫ばずにはいられなかった。

「だから、お願いします! 名前で呼んで下さいッ!!」

 他のどんな責め苦に耐えられようとも、こればかりは譲る事は出来ない。
 お嬢様から頂いた名前。私とお嬢様を結びつける、最初の約束。

「………名前…………」

 沈黙が場を支配する。ただ私の嗚咽のみが、薄暗い部屋の中に響いていた。












「………ねぇ、美鈴」

「ダディヤナです」

「違うッ!!!

 お嬢様、まさか、忘れてしまったんですか!?」

「…いや… それは… その……」

「お嬢様が私に下さった名前ではないですか!」

「「え?」」

 四つの瞳が同時に丸くなる。想像もしたくない事態が、静かに首をもたげてくる。まさか……

「何を言っているの? 私が名前を与えたのは、彼女、『紅 美鈴』よ」

 予想だにしなかった、いや、予想する事をさえ拒んでいた言葉。

 そこまで、私とお嬢様の絆まで、此処の中国は奪おうというのか……!
 胸の奥から沸々と湧き上がる、久しく感じた事の無かった衝動。弾幕ごっこの時などとは訳が違う、『本物の』殺人
衝動―――

「……何よダディヤナ、またヤる気かしら…?」

 殺気に気付いたのか、お嬢様の傍らに立つ少女が、嬉しそうに目を細めながら此方に笑みを送ってきた。それに触発
される様に、私のテンションが、次第に昔のそれへと変わっていくのを感じる。心に刃、冷たい殺意、確かに閉じ
こめて―――
 ……だが今は駄目だ。今、彼女にかかずらっている暇は無い。それよりも…

「――お嬢様」

 目を逸らさず、真っ直ぐに紅い瞳を見詰める。私の想いが、願いが、どうか届きます様に、と。

「私は… 私の名前は……

 …咲夜、『十六夜 咲夜』です」

 例えこの世界では違うのだとしても、私の名前が、お嬢様と私を繋ぐ証である事に変わりは無い。変わりがあって
欲しくない……!

「どうか… どうかお願いです!
 お願いですから、私の名前を呼んで下さい……!」

 たった一言。それで良い。それさえあれば、私は、どんな艱難にだって耐えて生きる事が出来る。『私』として、
生きる事が出来る。
























「…………

 長くて覚えにくい。いいじゃない、ダディヤナで」



 ―――それで充分だった。
 たったそれだけの言葉が、『私』を殺すには充分すぎた。
 千の刃に我が身を貫かれる激痛も、心までも侵さんとする如何な辱めも、この言葉の前では影すら残らない。

 ……私の中で、馬鹿らしいくらいにハッキリと、何かが折れる音が響き渡った。
















































 ……………………
 
 あれから何日が過ぎただろう。
 絶望に挫かれ、力は萎え崩れ、あの激しい情熱はもう無い。
 疲れ果て、唯重い体を引きずってかろうじて生きているだけ。想う人も失い拠るべきものも判らず、

 何と呼ばれていたのかも、もう思い出せなくなってしまった ……












 この世界は、私と中国の立場、そして紅魔館の向いている方角が逆転している以外は、基本的には元居た世界と変わら
ない様だった。ただ、住人の力が全体的に上がっている為、私の力量は以前と変わりないのに、相対的に中の上程度の
ランクとなっているらしい。紅白は勿論、黒白や七色にまで完全に雑魚扱いされている。『門番の仕事=吹っ飛ばされる
事』という式が成り立ちそうなくらいに、何度も何度も魔砲やら夢想なんたらやらを喰らった。

 中ご……イヤ、美鈴さんの虐めも酷かった。彼女は館内を取り仕切るメイド長である筈なのに、日に一度はわざわざ
門まで来て、私の門番としての不甲斐なさをネタに、いや、例え仕事上のミスが無かった時でも、何かしらの因縁を
つけては此方を弄って喜んでいた。

 最初の頃は、

「おいダディヤナ! わたしの名をいってみろ!!」

「な!? なんだあ!! てめえなんぞしるかチルノか~っ!!」

 といった問答を繰り返しては、変な拳法の様なもので、何度も生と死の境界を見させられた。

 何とか彼女を名前で呼べる様になると、今度は、

「美鈴~…」

「『さん』を付けろよ、ナイチチ女!」

 と、訳の判らない文句を言われながら、色々と揉まれたりさすられたりした。おかげで、私の身体はもうボロボロだ。












 ……けれども、そんな生活に、少しづつ順応していっている自分が居るのも、また確かだった。
























「生ーまれっ変っわるっほど 強っくなっれる……」

 門の前で膝を抱えながら、あの日と、私が此処に来た日と同じくらいに、雲一つ無く晴れ渡った空を見上げる。暖かな
日差しと肌を撫でる心地よい風の中、ふと、美鈴さんから『私のテーマ曲』として教え込まれた歌を口ずさんでみた。

 …何とも皮肉な詩ではないか、そう思う。『ダディヤナ』として生まれ変わったこの私が、一体どうして、強くなった
などと言えるのだろうか。信じ続けていた道さえ今はもう、闇に埋もれてるというのに。
 あの日美鈴さんに言われた、『キングにエボリューションは出来ませんから』という言葉の方が、今の私には余程
しっくりくる。あの言葉の意味は未だによく理解できないが、進化できない、という点に於いては、今の状況に当て
嵌まる様に思える。名前を呼ばれる事も無く、弄られキャラとして日々ぞんざいな扱いを受けながら、それに慣れて
いってしまっている自分。
 進化なんてとんでもない。私はただただ、退化していっているだけ。



 けれども、と考える。進化と言う言葉は、特に人に対して使う際には、多分に陽の意味合いが含まれる。だが、生物
全体からしてみれば、進化とは一概に歓迎すべきものだ、とも思えない。
 何故か。進化とは、そもそも『せざるをえない』ものであり、他に採るべき手段の無い者に残された、最後の賭けとも
言えるものだからだ。
 例えば、遙かな昔よりその体構造を変化させていない生物を、下等と嘲る者が居るが、彼らは『進化できなかった』訳
ではなく、ただ『進化をする必要が無かった』だけであり、過去に於いても現在に於いても、彼らは『生きる事』を問題
なく全とう出来ているのだ。
 対して、進化をした者とは、何らかの異変でその住処を追われ、新たな地に適応する事を余儀なくさせられた者なので
ある。ユーステノプテロン達だって、何も好んで生まれ育った水中を離れ、過酷な陸上に上がった訳ではあるまい。
ただ、彼等の故郷には彼等の居られる場所は無くなった、だから、生きる為に、命の危険を冒して、進化するしか
無かった。それだけの事だ。

 結局のところ、進化などという言葉は、『環境への適応』という言葉を二字に纏めただけの物に過ぎない。そう
考えれば、今の私だって『進化している』とは言えないだろうか。住んでいた世界を追われ、新たな環境に適応して
いっている。そんな私とユーステノプテロン達との間に、一体どれ程の違いが在ると言うのだろう。












「―――ぷっ、あははは………」

 力の無い笑い声が漏れた。幻想郷に於いては何の意味も無い外の学問を援用してまで、今の状況を正当化しようとして
いる自分があまりに可笑しくて。何が『私とユーステノプテロンは同じ』だ。あんな地面を歩く魚なんかと一緒には
されたくない。私が此処の環境に順応できているのは、何て事は無い、これが『初めてと言う訳では無い』からだ。
 住んでいた場所を追われ、新たな世界に行く事を強いられたという経験なら、既に一度体験している。ただそれだけの
事。

「あっはっはっは………」

 私は笑い続ける。論理的という言葉からは、余りにもかけ離れた思考を巡らしながら。私自身、自分が何を考えている
か理解なんて出来てはいない。無意味に思考を重ね、無意味に笑い続ける。判り易く言えば『馬鹿』と言うヤツだ。私が
こんなにまで馬鹿になってしまったのも、きっと、この青い空のせいに違いない。
 これまた訳の判らない事を考えながら、私は空を見上げる。青い空の馬鹿ヤロー、とでも、悪態をついてやろうと。

 その視界に、突如として光が降り注いでくるのが見て取れた。それはまるで、天使が地上に降りてくる姿の様にも
思えて……












「神霊『夢想封印』!」

「恋符『マスタースパーク』!」

 ……私の身体は、激しい衝撃を受けて吹き飛ばされた。
 地面に大の字になって空を見れば、空を飛ぶ不思議な巫女と空を飛ぶ普通の魔法使いが見える。
 あの二人、今日はお嬢様と妹様からの正式な招待があったのだから、此方も端から邪魔をする気なんて無かったん
だけど……
 それともあれは、彼女等流の、一種の挨拶みたいなものなのだろうか。いやな習慣だ。挨拶で殺されては堪らない。












 優しい風が吹いた。陽の光は、どこまでも暖かい。背中に感じる、確かな大地の感触。
 ああ、世は事もなし。幻想郷は今日も平和だ。

 だけれども。それなのに。

「だけど、涙が出ちゃう。女の子だもん」

「ろくに仕事もしないで、なに意味不明な科白をほざいているのかしらね、ウチの門番は……!」

「わひゃあ!?」

 突然の声に驚いて飛び起きる。

「メ、美鈴さん!?」

 いつの間に近寄っていたのか、笑顔で見下ろす中華なメイド長。

「ちょ、ちょっと待って下さい! 今日はお嬢様と妹様から正式に招待があって、それであの二人を通したんです!
 だから、門番としての役目を果たしてないとか何だとか、そういう事じゃなくて……」

 此方の話を聞いているのかそうでないのか、ただニコニコと微笑んでいる少女。
 その右腕が、急に振り上げられた。

「ひっ!」

 身の危険を感じ、反射的にその場を離れようとする。だが、

「きゃう!」

 先程のダメージのせいか、脚に力が入らない。一メートルも歩を進ませる事も出来ず、無様に地面へ倒れ込んだ。

「何よダディヤナ。何ビビってんの?」

 右手で後頭部を掻きながら、ニヤニヤと笑いかける。

「まるで何チャラの狗みたいね、アンタ」

 全くだ。自分自身、情けないと思う。けれど、毎日毎日何かしらの因縁をつけられて、教育的指導という名の調教を
受けているのだ。トラウマになるのも当然だろう。

「安心なさい。あの二人については、お嬢様から話は聞いているわ。今日はただ様子を見に来ただけで、別に折檻しよう
だなんて思っちゃいないわよ」

 その言葉に、身体の緊張が和らぐ。けれど、まだ油断は出来ない。

「ところでダディヤナ、その脚、大丈夫?」

 私の脚を優しくさすりながら、心配そうに訊ねてくる。
 ……まだだ、まだ油断は出来ない。

「あのねぇ、ダディヤナ…」

「…何ですか?」

「私最近、新しい秘孔の開発に凝ってるんだけど。」

 ほら、きた―――――ッ!

「大丈夫です! 結構です!!」

「心配するな。
 その足を治す秘孔は、これだ」

「ああ!!」

 美鈴さんの人差し指が私の膝にめり込む。瞬間、

「うぐっ!! ぐああ!!」

 全身を襲う激痛、身体がまるで、内側から弾け飛びそうな衝撃!

「ん!? まちがったかな…」

 陸に打ち上げられた魚の様に、ガクガクと身体を痙攣させる私を見ながら、とんでもない科白をまるで悪気も無く
言い放つ。

「いやぁぁあああぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」

 今迄にも何度も生と死の境界は見てきたつもりだが、今度ばかりは本気でマズい。自分の身体なのだから、その事が
よく理解できた。
 どうする私? 考えろ私!

【 3択―ひとつだけ選びなさい
 
 答え①美少女の十六夜 咲夜は突如起死回生のアイデアがひらめく

 答え②医者がきて助けてくれる

 答え③助からない。
    現実は非常である。 】

 わたしがマルをつけたいのは答え②だが期待はできない…
 湖から遠い竹林に住む医者が、あと数秒の間にここに都合よくあらわれて、昔の漫画のキャラのようにジャジャーンと
登場して、
「もう大丈夫だ。
 だれかは知らぬが、生兵法は使わぬことだ! この少女の足は時間がかかる」と、間一髪助けてくれるってわけには
いかないだろう。



 答えは③だ…………現実は、あまくない。





 ……身体から痛みが消えてきた。痛みだけではない。五感の全てが薄くなっていくのが判る。こんな事で終わるの、
私の人生――――?







 ――――仄暗い水底へと落ち込んで行くかの如く、闇に飲み込まれていく意識。上の方を見やれば、水面に浮いた
流木の上で、ユーステノプテロンが手を振ってサヨナラしているのが見えた。









 ……いや、あれは前足か。











                                        ………て言うか、鰭?…………
















































「いやぁぁあああぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!」

「どうしたんですか!?」

 突然聞こえてきた叫び声に、私は思わず咲夜さんの部屋に突入した。
 中では、青白い顔をした少女が、ベッドの上でガタガタと震えていた。

「メ、美鈴さん……!?」

「一体何が……って、『美鈴さん』…?」

 何だか今、咲夜さんの口から物凄く新鮮な単語が聞こえた様な……??

「何で此処に……」

「何でって……」

 言われれば……

「…………

 ち、違いますよ! 昨日ワケの判んない妄想をブチ撒けられた挙句、口封じとか言う理不尽な理由でナイフ刺された
のを根に持って、この恨みはらさでおくべきか、でも正面きって挑んでも返り討ちにあうし、ここは一つ寝込みでも
襲ったれ!と思って昨夜咲夜さんの部屋の前まで来たけど、でもどうしよう、やっぱ後が怖いよな~…、なんて考えてる
内に夜が明けて、そうしたら、いきなり部屋から叫び声がしたんで、驚いて飛び込んだとか、そーいう事じゃあ全然
ないんです! ええ、そりゃもう、これっぽっちも!!

 ……って、あの、聞いてます?」

 やはりおかしい、咲夜さん。私の惚れ惚れする様な弁論術に圧倒されて……いるワケではないんだろうけど、先程から
まるで小動物の様な怯えた瞳で此方を見詰めている。何と言うか、調子が狂うなぁ……

「あの…」

「ひっ!」

 私が近寄ろうとすると、全身を強張らせて小刻みに震える。
 ベッドの上で、Yシャツ一枚の格好で怯える少女……

 ……何だろう、何かこう、今までに感じた事の無い不思議な衝動が、身体の奥底から沸々と湧いて来る様な……

 って、そうじゃなくて!

「あの、何かあったんですか、咲夜さん?」

 恐怖感を抱かせない様に、努めて優しく声をかける。

「……え?」

 何を言われたのかまるで判っていない、そんな表情。

「あの、咲夜さん?」

「咲夜って…… 私の事…?」

 一瞬驚いた様子を見せて、けれど少し、ほんの少しだけれども、安堵の色が顔に現れてきた。

「もしかして私、門番じゃぁないの……?」

「何を言ってるんです! 門番は私、紅 美鈴ですよ。
 貴方は十六夜 咲夜、泣く子ももっと泣く、紅魔館のメイド長じゃないですか!」

「十六夜… 咲夜……
 紅魔館の… メイド長……」

 忘れていた大切なものを思い出すかの様に、一つ一つ、噛み締める様に言葉を紡いでゆく。

「私… もしかして… 戻って来れ……」

「あの、大丈夫ですか…?」

 俯いたまま何事かをブツブツと呟く様子に流石に不安感を覚え、咲夜さんの肩に手を置こうとした、その瞬間、





「…え?」





 私の胸へと飛び込んで来る少女。その瞳からは、大粒の涙が次々と溢れ出していて……

「……咲夜さん」

 私は彼女の肩を、優しく抱きかかえた。

「っふ、うぐっ…… 私…わたしっ―――!」

「――大丈夫ですよ、咲夜さん。大丈夫、何も怖い事なんて在りませんから……」





 ―――ああそうだ、忘れていた。彼女の強さ、気高さの前に、私達はスッカリ忘れていた。

 彼女は、十六夜 咲夜は、人間なのだ。齢五十にも満たない、人間の少女なのだ。
 彼女の過去に何があったか、詳しい事は知らない。本人が話してくれる時まで、此方から訊こうというつもりも無い。
 けれども、こんな少女が外の世界を離れ、人外の跋扈する幻想郷に来た理由なんて、それが幸せなものでない事ぐらい
容易に察しがつく。元居た世界を追われ、たった一人で異界へと流れ着いた少女。どんなにか不安だったろう。
どんなにか心細かったろう。
 
 それでもこの娘は強かったから、とても、とても強かったから、悪魔の支配するこの館で、たった一人の人間で
あっても、決して弱さは見せなかった。『人間の少女』である前に、『お嬢様のメイド』で在り続けた。勿論それは、
敬愛する主の為に、彼女自身が選んだ道であっただのだろう。それでも、少しずつ、自身でも気付かぬ程にほんの少し
ずつではあっても、確実に、彼女の心には負担が蓄積されていたに違いない。お嬢様に対する一見行き過ぎた愛情も、
私への仕打ちも、その顕れであったのではなかろうか。
 私は、それに気付いてあげられていなかったのだ。その事が、何だかとても、悔しくて悔しくて堪らなかった。

「ふぅっ… ふぐっ……」

 小さく震える少女の肩を撫でながら、私は祈った。

「大丈夫です。
 此処にはお嬢様が居ます。
 妹様も、パチュリー様も、小悪魔も居ます。貴方を慕う、メイド達だって居ます。

 皆、みんな、貴方の事が大好きなんですよ。

 ―――勿論、私もです。

 それはずっと変わりません。これ迄も、これからも、ずうっと変わる事はありません。
 だから大丈夫。大丈夫ですよ、咲夜さん………」

 私達は妖怪。この娘は人間。その事に変わりは無い。その違いは、どうやっても埋められないものなのかも知れない。
 それでも、と思う。それでも、私は祈る。いや、信じる。
 此処が、紅魔館こそが、この少女にとって、その悲しみが終わる場所であるという事を。
 その最期の瞬間まで、私達は変わらず『咲夜さんの場所』であり続けよう。彼女の熱を全身で感じながら、私はそう
誓った。
























 …………にしても、何つーかこう、アレですね。

 ――役得という言葉が、頭から離れません。いやだって、他には誰も居ない部屋の中で、涙に濡れた美少女に抱き
つかれるなんて……





 ……………

 お…おいしい…!! これはおいしい…!
 裸Yシャツのメイド美少女とこの状況…!! いや、別にハダYでなくてもいーんだけど!!
 く―――ッ!! ときめく!! ときめくぞっ!!

 ああこれで、時間が夜だったら完璧なのに……
 流石に、小鳥のさえずりが響き渡る爽やかな朝っぱらから、「ごっつぁんです!」ってがっつく気はチト起きづらい。
いやでもしかし、この国には『据え膳食わぬは何とやら』って諺が在るらしいし……

「あの… ねえ…」

「喰うべきか喰わざるべきか、それが問題か……」

「ねえ、ねえってば!」

「あ!? はい! 何ですかッ、咲夜さん!?」

 私の精神が桃色の幻想郷に飛んでる間に、咲夜さんは落ち着きを取り戻していた。けれどもその目は、赤く泣き
腫らされていて、その事が、先程の妄想に対する少々の罪悪感を生じさせた。

「……あのね、お願いが有るの……」

「え?…」

 この流れって、もしかして……






 ………『さん付けするの、やめて欲しいの』とか、そーいうノリですか!?
『私達、これから一緒になるんだから……』とか、そーいう勢いですかッ!??

 これはもー、何の疑いも無くオッケーって事で間違い無しッスね!!?

 色あせない熱い想い、身体中で伝えたいよTONIGHT!!??

「…ちょっと、聞いてる?」

「な、何? 咲夜?」

「……?」

「じゃっ、じゃなくて、何ですか、咲夜さん?」

 危ない危ない。危うく先走る所だった。目の前の相手は陥落寸前だというのに、此処でつまらないミスをやって
全て水の泡とか、そーゆー少年漫画のラブ米にありがちなオチだけは勘弁だからね。

「お願いって何ですか、咲夜さん?」

「えっと、あのね…」

 恥ずかしいのだろう。真っ赤に染まった頬がこの上もなく愛らしい。強気な彼女の意外な一面。あーもう、辛抱
堪らん!

「何ですか?」

「お願いだから……」

「はい?」

「お願いだから………
















































 ………お願いだから死んで頂戴、美鈴――――――――!!」












「…………ハイ?」
























 そう言い放った彼女の目は――――












 泣き腫らして赤いというよりは――――












 瞳自体が紅く発光していたワケで――――
























「傷魂」
























 ――――45発もの斬撃をその身に受けながら、私は神様に祈りました。





 この人に天罰とか、そういう事はもうしなくていいですから、どうか私に平穏を下さい。





 祟り神様でもアホ毛神様でもいいですから、どうか私に愛を下さい……












 “門番の祈りが通じたのかどうか、その後もメイドによる門番虐めは『変わり無く』続いたとさ。けれども唯一つ
違ったのは、メイドが門番を呼ぶ時は、必ず、『美鈴』と名前で呼ぶ様になったという事じゃ。

                    どっとはらい、どっとはらい”
「紫様、紫様ぁ~~?」

「何よ藍? 今、一仕事終えて疲れているんだから、ちょっとは静かにして頂戴」

「一仕事って、やっぱり↑のアレ、紫様の仕業だったんですね?」

「そうよ。『王様と乞食』じゃないけど、相手の立場に立って初めて判る事もあるだろうって、『門番とメイドの立場が入れ替わった世界』に送ってあげたのよ。これであの残虐メイドも、少しは改心したでしょう。私ってば偉いわねぇー」

(何言ってんだか。どうせ、思いつきの暇潰しでしょうに)

「何か言った?」

「いえ何も。て言うか、改心したんですか、あのメイド? 何か、遠慮も容赦も無く傷魂とかブチかましてましたけど」

「あれは照れ隠しでしょう。素直じゃない娘よねぇ。少しは私を見習うべきだと思わない?」

(胡散臭さが靴下履いて浮かんでる様なスキマが、どの口でそんな戯言のたまいますかね。いっつも寝てばかりいるもんだから、寝言と普通の言葉の境界が曖昧にでもなってるんじゃあないですか?)

「…何か言った?」

「いえ何も?」

「……貴方、最近ちょっと反抗的よね。そんな態度ばかり続けてると、貴方も『藍と橙の立場が入れ替わった世界』に送るわよ?」

「えっ! それは勘弁―――って、それはそれで、別に構わない様な………」

「それじゃあ、『私と藍の立場が入れ替わった世界』に……」

「いや、むしろ大歓迎ですよ?」

「………………………………」

「………………………………」

「……ウチって平和よねぇ」

(そういう結論に落ち着くか)



 誤解無き様に言っておきますが、私はダディヤナさん、大好きですよ?
 中ボス相手に、想い人の名前を叫びながら必殺技をかますとか、化け啄木鳥との戦いで、カードを詠んでから技発動までの隙をショットでカバーしたりとか、最終戦では、バリアを張った敵に対し零距離射撃で撃破するとか、もう燃え燃え。got to be strong! それなのにこの扱い。

 だが私は謝らない!(サクヤさんの上司風)

嘘ディス。色々と御免なさい。てか、訳判んないコメントっすね。あと、精進足りなさ過ぎ、自分。でも、書いてて楽しかった。

大根大蛇でした。
大根大蛇
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コメント



0.3340簡易評価
1.60名前が無い程度の能力削除
そうそう。もっとダディは扱いがいいはずなんだよ。
でもなんでだろ。なんでだろ。
4.80名前が無い程度の能力削除
>そうそう。もっとダディは扱いがいいはずなんだよ。
>でもなんでだろ。なんでだろ。

話の都合で、キングフォームもらえなかったからだと思う。
最後に残ったのが、ダディのキングであるギラファだったからな・・・。

東方に全く関係ない話ですいませんでした。
17.80名前が無い程度の能力削除
力関係が反転しているってことは、玉座に⑨とか毛玉とかが座ってるのかな、とか一瞬でも思ったオイラはきっと負け組。
と言うか、そんな姿は見たくない。
ワイン片手に命令する毛玉、もしくは⑨、「こんなにも月が紅いから」とか言う毛玉、もしくは⑨……
……ちょっと見てみたいかもという誘惑は置いといて。とても面白かったです。
23.80沙門削除
 サブタイトルは「紫さまが見てはる」といった所でしょうか。蛇足だと思いますが「橘朔耶」「十六夜咲夜」つながりで「ダディヤナさん」なんでしょうね。最終回でクウガみたいに最強形態になってブラックローチを蹴散らす場面を期待してたんですが、残念。それにしても、別世界の主の安否を案じるのかと思ったら、ペドリオン並みに本能に忠実なダディヤナさんに業の深さを覚えました。鬼のメイド長の深海並みに色々と深い愛に敬礼です。
36.-30no削除
すごく私怨で点数つけさせてもらいます、すみません。
橘さん好きの人間としては辛いのですこの話は。
38.60おやつ削除
ダディとかの元ネタは知らないんですけど、面白かったです。
咲夜の世界発動後の彼女の行動には吹きました。
40.70SETH削除
ハハハ ジャストワイルドビートコミュニケーション ナイフ打たれながらw
43.70名前が無い程度の能力削除
随所に散りばめられた小ネタに何度やられたか……
45.無評価大根大蛇削除
 no様へ。不快な思いをさせてしまって御免なさい!
 実際の所、「ダディヤナ」を使ったのは、「美鈴の『中国』に対応する様な、咲夜さんに対する理不尽なあだ名は無いもんかねぇ…」と考えてる時にふと思い浮かんで採用したのであって(進化や「rebirth」に関する件は後付け)、別に「ザヤクさん」とか「クサヤさん」でも良かったのですが、何て言うかこう、「理不尽なあだ名」で「ダディヤナ」が浮かんだ時点で、橘さん及びファンの方に失礼ッスよね… スンマセンしたっ!
 ただ、自分が橘さん好きってのは本当です。剣の後半は燃えシーンのオンパレードでしたが、橘さんの最終戦は、その中でも屈指の名場面と思います。ビバ=零距離射撃! ビバ=マスク破損!! ビバ=道連れダイブ!!! 今時ジャンプのバトル漫画でも、あれだけ熱いモンはよう見れんでしょう。ではこれが自分的橘さんベストシーンかと言われれば、う~ん、やっぱり「小夜子――!」も捨て難い。それまで手も足も出なかった相手を圧倒しながらも、その心に在るのはただ悲しみのみ。一撃ごとにフラッシュバックする想い出が切ない… そして、想い人の名を叫びながらの必殺技。幻惑系の技だったのが、ダブルダメージにパワーアップ! あれは、ビデオ撮って何度も見ましたさ…
 話が大きく逸れてしまいましたが、何にせよ、こうしてハッキリとした指摘が頂ける、ってのは有難くもあります。次回から注意できますしね。そういう意味では、no様には謝罪と共に、感謝の思いもあります。と言うワケで、もし宜しければ、今後ともよろしく… 、とお願いしたいッス!

 その他の、点数や感想を下さった方々も、ホント感謝感激雨霰で、もう、足向けて寝れません! 何処に住んでるか知らないッスけどッ!!(涙
47.80床間たろひ削除
妄想暴走大爆発! 咲夜さんのハッチャけぶりが最高に
いかし(れ)てる~! メチャメチャ面白かったっすよ!
51.70名前が無い程度の能力削除
回天使いてぇー
55.70刺し身削除
ダディの元ネタはしらないから微妙、と言いたい所だが……
……まったく紅魔館は地獄だぜ、h(以下略

咲夜さんがいびられてる! 随所に小ネタが!
ネタ抜きでも上手いお話でした。
57.20匿名削除
作中のパロディが半分程しか理解できない私には、この作品の面白さを半分も理解できてないんだろうなあ、と思うとちょっと悲しかったり。
しかしそれを差し引いてもオチの面白さには拍手喝采です。
咲夜さんひどすぎ!
紅魔館のメイドは悪魔揃いですね。
65.80名前が無い程度の能力削除
剣は見てなかったんですが元ネタは分かりました。
いやぁ、ふ○ば住人やってて良かった。最萌支援追っかける時間欲しさに行かなくなってから随分経つけどw

あと咲夜さんのスペカ描写がかなりカッコいいですねー。悉く美鈴に潰されてますがw
69.-10なろー削除
おもしろかったですがオチがベタベタ過ぎですかね・・・
もちょっとひねったオチでもよかったんじゃないかと思います。
それ以外はおもしろかったです。
73.100名前が無い程度の能力削除
ジョジョ、北斗の拳、ドラえもん、仮面ライダー剣&響鬼、創聖のアクエリオン・・・ネタオンパレードにはもう言葉も無いです

GJです

橘朔也さん、私も好きです
なんか感想が滅茶苦茶になっちゃったので一言
「俺の感想はボロボロだ!!」