紫の来訪はアリスを驚かせるには十分だった。
外には出さないものの、内面では疑問符が郡を成し、軍になってひしめき合っている。
「そんなに構えないでもいいじゃない。危害を加えに来たんじゃないわ」
警戒を解かないアリスを心底不思議に思ったのか、けらけらと紫は笑う。
そういう態度だから信用されないんじゃないか、とアリスは思った。八雲紫の言動を警戒するに越したことはない。
いつもは家の主が座る椅子を当然のように占拠し、お茶まで飲んでいるではないか。これでは胡散臭い、怪しいと皆に言われるのも仕方ない。
「……まあいいわ。で、改めて訊くけど、何の用かしら」
このままでいても話は進展しないだろう。アリスは一旦思考を切り替えて、目の前の珍客の目的を訊ねる。対面に座り、探る。
「私はスキマに潜み、境界を操る妖怪。スキマあるところに、私はいつでも現れるわ」
そう。紫の目が細く、鋭くなる。
「あなたみたいな奴のところにもね」
その視線に射抜かれた感覚を覚え、アリスは固まった。
「スキマと言っても、物理的なものから精神的なものまで、ピンキリ。でもそこにあるのならば、私はどこにでも行けるわ。それが心と心の間だとしてもね」
紫の物言いは外から内へとじわじわ迫っていく、いやらしいやり方だった。境界を操り、境界を思いのままにする彼女にとって、これは得意な方法である。
「そうね、たとえば貴方と……魔理沙にしましょうか。貴方と魔理沙は一見して仲が悪く見えるわね。まあ、悪いんでしょうけど。でも悪いにも「良い悪さ」と「悪い悪さ」があるわ。貴方たちは前者ね。良好な関係を築いているし、崩れることはまず考えられないわ」
「……それは、どうも」
アリスはそっぽを向く。心なしか顔が赤く見えるが、人に惹かれている彼女ならそうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。そんなアリスの様子が新鮮だったらしく、紫は微笑んだ。
「まあ、それは前提」
しかし紫は自らそれを遮った。
「崩れることはありえないけど、『崩される』危険はあるわ。特に今はその傾向があるのよね」
「崩される……?」
崩れると崩されるの間に違いはあるのか、アリスは少し考えた。
「そう、崩される。ここ最近、あなたは香霖堂に出入りしてるわよね? 茶葉を届けるのと、雑貨を物色するために」
「ええ、まあね」
「茶葉は一ヶ月置きで、ただの来客としては一週間に一回か二回程度。魔理沙と居合わせることもあって、それは彼女と弾幕ごっこをする回数とほぼ同じ」
「あっちが絡んでくるからね。仕方なくよ」
「そう、あなたは仕方なくやってる。面倒くさそうにしながらもちゃんと付き合ってるのが、あなたの素敵なところ。面倒見がいいのね」
どことなく的外れにも見える紫の言葉。しかし一つ一つに破片が散りばめられていて、それらは繋ぎ合わせれば、綺麗な幾何学模様になることだろう。ただ、綺麗なのは形であり、色ではない。紫は、蜘蛛のごとく糸を絡みつけていく。
「―――魔理沙はどうかしらね?」
静かに、確実に。その糸はアリスに絡みつく。
「確かにあなた達は仲が悪いから弾幕ごっこをやるのも頷けるわ。あなたは『魔理沙が絡んでくるから』って言ったけど、なぜそうなるのかを考えたことはあって?」
束縛が始まった。アリスに絡んだ糸はどんどん太くなっていく。
「そう、見当がつくでしょう。あなたにそんなつもりはなくても、魔理沙にとってはそう見えてしまう。もちろん、霖之助にも自覚は無いでしょうね。二人とも盲目なのよ、心が」
こいつは、すべてを見抜いているんじゃないか―――?
アリスは改めて八雲紫の恐ろしさを知る。しかし逃れようにも、すでに糸はくまなく全身を縛りつけている。紫の言葉は糾弾するでもなく、ただ淡々と事実のみを抜粋しているのだ。
内面をも見抜いてしまうこの妖怪を目の前に置き、アリスは冷や汗を流した。
「救いは、あなたも魔理沙も、全力で戦っていないことね。本当に本気の勝負になれば、『アト』には何も無いわ。崩されるって言うのはこのこと。人と人の繋がり、心と心のスキマ。一切合切、消えてしまうもの。あなた達の今は、自然に崩れることは無い。けど、自分達で崩してしまう危険性が常に付きまとっているわ」
もう、アリスは何も言えなかった。
「時間の問題かもしれないし、時間が解決する問題かもしれないし、決定付けられない。まだ境界は不安定だわ」
「……それで?」
紫が一息つくと、アリスはやっと動いた。
次々と繰り出されたものの、紫はまだ理由を言っていない。『わざわざこんなことを言いに来た理由』である。
「あなたは、わざわざそんなことを言うためだけに来たの?」
「ええ、そうね。暇じゃあないけど、見ていられなくてね」
紫は微笑むが、そこにはやはり胡散臭さがあった。
「本心は?」
すっかり調子を取り戻したらしく、アリスは紫に訊ねた。構図は逆転する形になる。
「私は遠くから傍観して、ばれないように引っ掻き回すのが好きなの。あなたと魔理沙がこのままだと、せっかくの今の構図も面白くなくなっちゃうわ」
あっさりと吐露され、でもアリスは納得した。やっぱりこいつは警戒するに値する、と。
「まあ今日のことを魔理沙に言ってしまえばおしまい。きっとマヨヒガに飛んできて破壊活動を始めるわね」
でもあなたは。
「言わないでしょうけど」
すべてを見抜かれているのなら、アリスが取る行動も、やらないことも見通しているに違いなかった。
アリスも、紫よろしく微笑んだ。
「面白いことはできるだけ長続きさせたいのが人情ってものでしょう?」
「ええ、そうね。でもあなたは人間じゃないから、その言葉は当てはまらないけど」
「あら、手厳しいですわ」
「そっちこそ」
緊迫した空気の中に、やんわりとした空間が象られる。糸はいつのまにか解けていて、雲散霧消していた。
「さて、お茶のおかわりはいる?」
「ええ、おねがい」
しばらく対面しお茶を飲んでいた二人だったが、やがて紫が席を立った。
「さてと、そろそろ失礼するわね。最近式がうるさいのよ。まあ、気が向いたらまた来るわ」
紫が音も無く指を弾くと、彼女の背後にスキマが現れる。便利だなあ、とアリスはぼんやり考えた。
「それじゃあ、息災と友愛をこめて」
「ええ、私からも。塩を撒いておくのを忘れないわ」
まるで魔理沙とのやり取りみたいな雰囲気になる。互いに笑って、
「ふふ、あなたらしいわ。―――さようなら」
「さようなら」
そして紫はスキマの中に消えた。完全にその気配が消えた後で、アリスは呟いた。
「―――ありがとう、八雲紫」
それは紫に届かなかっただろうが、これがアリスにできる彼女なりの感謝の顕れだった。
「まったく、出かけるなら出かけると一言でもいいから言ってくださいよ。こっちにだって色々とあるんですからね」
「だからごめんなさいって言ってるじゃない。まったく、藍は頑固なんだから」
マヨヒガでは藍と紫がああだこうだと、夕飯をつつきながら言い合っていた。主従関係とは言うものの、こういったやり取りは珍しくない。特殊すぎる主従である。橙はあたふた、どうしようどうしようと慌てていた。
「……で、今日はどこまで行っていたんですか?」
藍は言いたいことを全部言ったらしく、しかし紫はのらりくらりとしている。仕方ないので、別の切り口を探すことにした。
「ちょっと森の方で料理の手伝いをね」
「料理、ですか。珍しいですね、紫様がそんなことをするなんて」
藍が目を白黒させて、珍獣に遭遇したかのように紫を見た。
「あら、料理は大切なことよ。やらなきゃ食べれないんだもの。ちなみに、今日使った材料は九種。調味料は一つだけ」
「本格的と思いきや、調味料は一つだけなんですね。味が薄くならないですか?」
「そうならないように、私が出張ってきたわけ。出来上がりがどんな物になるのか楽しみだわ。もしかしたら、材料と調味料は増えるかもしれないし、まだまだこれからね」
「はあ。で、それは誰が作ってるんです?」
すると紫はほくそ笑んで、
「秘密よ」
と言うのだった。
続く
それで合ってるかどうか解りませんが_| ̄|○ 今後も期待!
キャラクターの使い方、と言うか動かし方が大好きです。
毎回、私のツボを的確に突いてくださる!
大変だと思いますが、無理をなさらない程度に頑張って下さい。
続編をお待ちしております。
この物語と流れる様な会話に、凄く魅力を感じました。
続編、期待してます。