Coolier - 新生・東方創想話

自動人形の見る夢 前編

2005/06/19 14:41:59
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*この作品は前作『自動人形』の続編です。
*作品内に若干のグロ表現を含みますのでご注意下さい。
*この作品はアリスが幻想郷に来る前の想像です。そのため舞台は幻想郷ではなく中世ヨーロッパとしております。
 オリキャラを多数含みますので、ご注意下さい。



~プロローグ~


 私は一人、夜の森を歩いていた。

 森を包む楡の枝葉の間から僅かに覗く銀盆の月、静寂を損なう事なく辺りに響く蟋蟀達の合唱、
夕方に降った雨が露となり、腐葉土の、様々な小さき命の糧となるその濃密な土の薫りが辺りに立ち込める。

良い夜だ。草葉の影の虫も、楡の木の枝で羽を休める鳥も、木々の間を彷徨う獣も、全てがこの森を成す構成要素。
私は一人夜の森を歩きながら、全身でその静寂の中で息づく生命達を感じていた。
 
 このまま夜の闇に己を全て委ねてしまおうか。
 
 そう思わせる、良い夜だった。
 
 だというのに、

「こんな良い夜なのに。無粋ね」

 私は夜の森の深い闇に向かって語りかける。
 返事はない。
 辺りの虫の声に変化はない。だが私の耳は、私以外の心臓の鼓動音を捉えていた。
 目の前の木の影に二つ。後ろの藪の中に二つ。そして木の上にも二つ。
 普通の人間であれば、決して捉える事の出来ない筈のその音。
 だが私は人間ではない。
 視覚、聴覚、嗅覚等の感覚器官は、私自身の任意で設定変更が可能だ。聴覚だけでなく周囲の温度変化を視覚化する事
により、夜の闇でも相手の姿を正確に捉える事すら出来る。
 この鼓動の主が人間、しかも成人男性である事もすでに把握している。

「そこの木の影に二人、後ろの藪に一人、隠れてないで出て来なさい」

 相手に、こちらが把握している情報をそのまま伝える程、私はお人好しではない。

 そして木の影からゆらり、と一人の男が姿を現した。全身を黒い衣服で包み、顔は目元以外を同じく黒い布で覆っている。
 その布のせいで表情は窺えないが、その目からは剣呑な気配が漂っている。あまり夜道で会いたくないタイプだ。
 姿を現したのはその男一人。他は気配も姿も隠したままだ。
 男は無言で私を見ている。

「こんな良い夜に、うら若き乙女をコソコソと付けまわして。何の用かしら? 変質者さん」

 私は微笑みを浮かべて男に問いかける。以前、鏡を見ながら練習した極上の微笑みで。
 私の容姿は造られたものだが、私は私自身の容姿に満足している。我ながら自分の微笑みは天使にすら勝ると自負していた。

「我々に従ってもらう。大人しくしていれば危害は加えない」

 男は私の微笑みに対して何の反応も示さず淡々と告げる。私の自意識(プライド)はひどく傷付いた。あんなに練習したのに。

「……残念ね。知らない男の人に付いて行ってはいけないと教育されているの。特に風情も解さない無粋な殿方には、ね」

 私の言葉に男が頷く。木の影から一人、後ろの藪からも一人黒い影が姿を現す。私を逃がさぬよう前後を固め、ジリジリと間合い
を詰めていく。

「せめて、理由くらいは教えてくれない?」

 私は平然としたまま、目の前の男から目を離さないで問う。

 答えは無いだろうと思っていた。大方、盗賊か人攫いの類だろうと。私としては手段を実行するための時間稼ぎのつもりの質問。
 だが、その問いに答えがあった。

「『オルレアンの心臓』 返して貰う」

 男の言葉に、私は愕然とした。
 私は、ある男が造り出した人間を模した自動人形。
 自立稼動、自己判断、自己防衛を可能とした錬金術の奇跡。
 だが、私を生み出した者はすでにいない。私の存在を知る者は私以外誰もいない筈だ。
 なのに、何故?
 内心の動揺を隠しながら改めて男を観察する。黒尽くめの容姿からは判断が付かないが、先程までの穏形術、私の聴覚が特別で
なければ知覚出来なかっただろう。
 姿を現した現在も、自然体を保ちながら、どのような事態にも即座に対応出来るよう踵を浮かしている。
 
 私が家を出てから半年。若い女の一人旅であれば、それなりに危険な目に遭う事もあったが目の前の男はそこらの盗賊とはレベル
が違う。専門の訓練を受けた動きだ。自身の慢心を僅かに反省する。

 だが、やるべき事に変わりは無い。

「……何の事かしら? 人違いじゃない?」

 私の言葉に男は耳を貸さない。無言で懐から黒塗りの刃を取り出した。いきなり殺される事はないだろうが、抵抗すれば無傷では
済まさないと男の目が語っている。

 私は一つ、溜息をつく。

「ホント……無粋」

 私の溜息が終わる前に、木の上から二人が地面に落ちた。もはやピクリとも動かない。

「?!」

 男達の間に緊張が走る。そして後ろの藪の中からも、

「ぐ、ぐぅ……」

 呻き声と倒れ付す音。

 私を取り囲む三人はさすがに私から目を離す事は無かったものの、周囲の変動に動揺を隠し切れずにいた。

「貴様……何をした?」

「た、隊長!」

 背後の男の声に、目の前の隊長と呼ばれた男も振り返る。そこには首元にナイフを突きつけられて青冷める部下の姿。
 しかし背後には誰の姿もない。ナイフを持つ手は子供よりも小さい。

 動揺して私から視線を逸らした目の前の二人の首元にも、同様に銀の光が煌いた。

「動かないで。動けば首を斬り落とすわよ」

 背後の男が、私に無言で飛び掛かりナイフを振るう。私は振り返らずにヒラリと舞うように身体を回転させ、男の後頭部
に肘を落とす。男は呻き声も出さず地面に倒れ付した。

「さて、では質問。貴方達は何処の誰?」

 私は足元に倒れ付した男から一歩離れると、隊長と呼ばれた男に問い掛ける。

「……」

 男は無言だ。まぁそれは予想通りだけど。

「言わないと、殺すわよ?」

「殺せ」

 男は私を睨みながら怯える素振りも見せない。私は目に殺意を込めて男を睨む。

「できないと、思ってる?」

「やれ」

 私は人を殺した経験がある。それは確かに苦い感触であったが、自衛の為ならば躊躇う余地はない。この男に聞きたい事は
あったが、それも今となっては無意味。

「……それじゃ、お別れね。何か言い残す事は?」

 男は無言で目を閉じる。

 私は……



 私は、目を閉じている男に背を向け 森の夜の闇の中へ足を向けた。

「三十分後、その人形達から開放してあげる。それまでは動かない事ね。あ、倒れている人も気絶しているだけよ」

「? 殺さないのか?」

 私は振り返らないまま、男に告げる。

「こんな良い夜を血で汚すなんて。それこそ無粋でしょ?」



 私は一人、夜の森を歩く。

 森を包む楡の枝葉の間から僅かに覗く銀盆の月、静寂を損なう事なく辺りに響く蟋蟀達の合唱、夕方に降った雨が露となり、
腐葉土の、様々な小さき命の糧となるその濃密な土の薫りが辺りに立ち込める。

 良い夜だ。草葉の影の虫も、楡の木の枝で羽を休める鳥も、木々の間を彷徨う獣も、全てがこの森を成す構成要素。
 私は一人夜の森を歩きながら、全身でその静寂の中で息づく生命達を感じていた。

 このまま夜の闇に己を全て委ねてしまおうか、そう思わせる、良い夜だった。








第一章 『日常』


「ティル! 邪魔しないで!」

 足元に纏わり付く子供に、ちょっと強い口調で注意する。

「あー いいじゃん。往診終わったんだろ? なら暇だろ? 俺と遊べ!」

 相変わらずおかしな口調で、偉そうな事を言うヤツだ。
 少しウェーブが懸かった金髪に、猫のように表情を変える生意気そうな瞳、良く日に焼けた健康的な肌。
 袖のないダボダボのシャツに半ズボン。絵に描いたような健康優良児だ。
 
 私がこの村に着いたばかりの頃、ちょっと遊んでやって以来、妙に懐かれている。
 
 コイツの遊びは子供のレベルを超えている。牛の尻尾に火を点けてロデオごっこをしたり、村一番の高さを誇る楠の木
からバンジージャンプをしたり、診療所から薬品をちょろまかして怪しげな爆弾もどきを作り村の外れの廃屋を吹き飛ば
したり。
 それに付き合わされる私は、村人達にペコペコ頭を下げるのが日課となっていた。

 まぁ、そのおかげで、私も村に馴染む事が出来たのかもしれないが。

 私がこの村に着いたのは二ヶ月前。当初は生活物資を購入するために立ち寄るだけのつもりだった。
 人間の生活に興味はあったが、人間というものを植え付けられた知識でしか知らない私は、正直……人間が怖かった。
 
 戦争、宗教裁判、魔女狩り、差別、貧困、罪と罰。人間の歴史は負の記録だ。もちろん人間というものがそんなマイナス
だけの存在でない事は知っている。
 だが、私のように『世界』を実感する前に『世界』を知った者にとっては、マイナスを理解できてもプラスを実感する事が
出来なかった。

 製作者(ちちおや)の歪んだ顔が脳裏を掠め、私は慌てて頭を振る。

 だから、これは実験だ。
 私という人間を模して生み出されたものが、人間という集団の中でどれだけ擬態を続けられるか、ただ、それだけのつもり
だった。

 ティルの顔を眺める。
 この子は良い子だ。悪戯が過ぎる時もあるが、それでも人を傷付けないようきちんと配慮した上での行動だ。 村人達もそれ
を知っているから、ティルを叱る事はあっても憎む事はない。
 この子を通して村人達と関わりながら、私は自身の変化を自覚していた。これは『成長』か『堕落』か。私にはまだ判断でき
なかった……

「どうした? 人の顔を見てぼーっとして……惚れたか?」

「惚れるかっ!」

 判断を保留したまま日々を過ごす。
 完璧を目指して造られた自動人形には許されない矛盾の容認。
 だがそれすらも、私は『心地よい』と感じていた。



「ただいま帰りました」

 そう言って村の外れにある小さな診療所の扉を開ける。

「おう。お疲れさん」

 お茶を啜りながら初老の医師が迎えてくれる。私がやっとの思いでティルを振り切って(といっても結局ティルの魚捕りに
付き合わされたが)診療所に辿りついたのは夕刻を回っていた。

「遅くなってすいませんでした。すぐ食事の用意をしますね」

 すまんね、という医師の言葉を背中に台所へ向かう。
 今日の夕飯はティルと捕ったニジマスのバター焼だ。
 私は脳内に納められたレシピの中から、バター焼についての作り方をピックアップする。ついでにジャガイモのスープとホウ
レン草のサラダ。パンは朝に焼いた分がまだあったはず。
 食事の支度をしている最中、ふと視線を感じて振り向くと、初老の医師がニコニコしながら私を見ていた。

「え、と、先生? どうかしました?」

「いや、良い尻だな、と」

「……殴りますよ?」

 冗談、冗談じゃよ と医師は大口を開けて笑う。ホントに殴ろうかしら? 

「いや、手際良いなぁと思っての。その若さで炊事も洗濯も完璧にこなすし、医学の心得もある。正直、ワシなんかなーんもせん
でも良い。おまけにそんだけの器量良しじゃ。いつでも嫁にいけるのぅ」

「その予定はありません」

 私はそっぽを向いて答える。愛想ないのーという医師のぼやきが聞こえるが無視だ。

「本当に感謝しとるんよ。なんせこの村には医者はワシしかおらんしの。お前さんがいてくれて本当に助かっとる。もし、お前さん
が良ければこの診療所を継いで貰えたらと思っておるんじゃ。婿でも貰って、な」

「お気持ちはありがたいんですが……」

と、お茶を濁す。
 私の脳内には錬金術、魔術、医学、化学、自然科学に料理の知識まで、ありとあらゆる知識が焼き付けられている。
 その知識を活かせば医者の真似事だって出来る。だが、良いのか? 私はただ人間の振りをしているだけ。そんなものが一時的なら
ともかく、ずっとこの村にいても良いのか? 私が人間じゃないと知られたら私を排除しようとするのではないか? 頭の中に刻まれ
た魔女狩りの歴史が浮かんでくる。やはり私は人間が怖い。だけど……

「そんな難しい顔しなさんな。お前さんにもやりたい事もあろうし、無理強いはせんよ。ただ最近のお前さん、楽しそうに見えたので
な。ただのじじいのお節介じゃよ」

「……そうですね。楽しい、多分そうだと思います。でも」

「あーあー そんな顔するなというに。ワシはな、嬉しいんじゃよ。最初、この診療所で働かせて欲しいとやってきた時の事、憶え
ちょるか? ガッチガチに固まって、親の仇でも見るように睨んで、『医学の心得があるから、ここで働かせて欲しい』って声が裏返り
ながら言って、とりあえず中へ入れと言ったら右手と右足を一緒に出して素っ転んで患者の皆さんにパンツを……」

「あー! もう思い出させないでくださいっ! あの時は緊張してただけですよ!」

「いや、しかし色気のないパンツじゃったのー もうちっとこう食い込みというか、エロスに溢れた……」

「忘れろ」

「良いではないか。老い先短いじじいの冥土の土産に。そーじゃ! 今度『ひもぱん』というのをぷれぜんとしよう! 男なんか一発
じゃぞ?」

「要らないっての!」

 あー もう、このエロ親父は。人を慰めるにしても方法ってもんがあるだろうに。

 バン! と勢い良く診療所の扉が開く。

「おー アリスー晩飯できたか?」

 全身泥だらけのティルがズカズカ入り込んでくる。別に約束も何もしてないが、人の家の晩飯をティルがたかりに来るのはいつもの
事だ。

「こら! ティル! 汚れた靴で診療所に入って来ない! 外で泥を落として来なさ……きゃっ! お尻に触んな! エロ親父!」


 賑やかな日常、賑やかな食卓、あぁこれが『幸せ』というものか。
 
 私は人間ではない自動人形。
 『幸せ』というものを、知識ではなく実感として『学習』した。




第二章 『太陽』


「おい! アリス! 網投げろ。ボヤボヤすんな!」

 はい、はいと言いながら、木の上のティルに向かって網を投げる。
 今日は虫取りだ。ティルは猿のように器用に木に登り、わしゃわしゃと喧しい蝉を狙っている。
 あんな喧しいモノ 捕まえてどうしようというのだろう? 子供のやる事は理解できない。私の腰にぶらさげた籠の中には、すでに
十匹以上の蝉が押し込まれ、わしゃわしゃじーじー五月蝿くて敵わない。
 確か蝉を天ぷらにして食べる国もあったはずだが、食べれるのだろうか? こんなもん。籠の中でわさわさ動く虫を覗き込みながら
顔を顰めた。

「おりゃ!」

 ティルが器用に網を振り回し、さっと蝉を網で掬う。見事なものだ。往診の帰りにティルに捕まってから三十分程しか付き合ってな
いが、ティルが狙った獲物を逃したところを見た事がない。さすが野生児だ。

「よっ と」

 ティルが猫のような身のこなしで木から飛び降りる。片手に網、片手に蝉を持った状態で膝のバネだけで重力を殺す。
 コイツ本当に猫じゃないか?

「アリス、籠貸して」

 籠を渡すと、ティルは今捕った蝉を籠の中に放り込む。籠の中を覗き込んでニンマリと笑う。私はその三日月のような口の形を見て
チェシャ猫を連想した。

「そんなに蝉ばっか捕って、何にすんのよ?」

 私の疑問に対し、ティルはチェシャ猫の笑顔を私に向ける。

「意味などない! そこに信念があるか、だ!」

「信念……あるの?」

「いや、別にない!」

 相変わらず意味不明だ。子供ってみんなこうなんだろうか? 蝉を沢山捕まえたせいかティルはご満悦だ。猫のような瞳をキラキラ
させて籠の中を覗き込んでいる。

 ちょっと休もうか、と言って木陰に二人並んで腰を下ろす。
 日差しは強いが時折気持ちの良い風が吹き抜け、私とティルの金の髪を揺らす。木漏れ日に目を細めながら、二人は風に身を任せていた。

「そういえば……アレクさん帰ってくるの、明日だっけ?」

「応!」

 なるほど、ティルがご機嫌なのはそのせいか。
 アレクさんは、ティルの父親で猟師をしている。アレクさんは腕の良い猟師で、私も何度かアレクさんと捕った猪や兎のご相伴に
預からせて貰っている。
 ティルの父親とは思えない程無口な人で、まだ私はアレクさんの声を聞いた事がない。初めて会った時も猪一頭を肩に担いでやって
きて、ドスンと診療所の前に置くと無言で帰っていった。
 ティルが歓迎の証しだぜ、と解説してくれなかったら嫌がらせとしか思えなかっただろう。
 その後も猟から帰るたびに獲物を分けてくれている。
 ティルに母親はいない。小さい頃に病気で亡くなったそうだ。父親は家を空ける事が多いため、寂しい思いをする事も多かっただろう。


「……ティル、お父さんの事、好き?」

「あぁ 大好きだぜ!」

 照れもなく、真っ直ぐに答えるティル。その笑顔は、私には眩し過ぎた。

「アリスは、さ。あんまり自分の事、話さないよな」

「ん、そうね……」

「親父は、人の過去を詮索するのは良くないって言うんだけどさ。やっぱり聞いちゃダメか?」

 ティルが思いの他、真面目な顔で私の顔を覗き込んでいる。その真剣な眼差しに、私は一瞬、全て話してしまおうかという衝動に駆ら
れた。

「レディの過去を詮索しては駄目よ」

 私は内心の葛藤を抑え、できるだけおどけて言ってみせた。
 ティルは真剣な眼差しを崩さない。

「友達でも、か?」

「友達だから、よ」

ティル。私の初めての友達。だからこそ話したくない。自分が人間ではない事。自分が人形だという事……自分の父親に、手を掛けた事。
この太陽のような笑顔を失いたくなかった。

「わかった。じゃあ聞かない」

 そう言ってティルは立ち上がる。

「そのかわり……晩飯奢れよな」

 私に向けて笑顔を向ける。私の大好きな太陽のような笑顔を。

「いつも、勝手に食べてるでしょ?」

 私もティルに向けて笑顔を返す。鏡に向けて練習した人形の、擬態としての笑顔ではなく、
 
 心からの笑顔を。






 アレクさんが、猪にお腹を突き破られて診療所に運び込まれたのは、その日の夜の事だった。







第三章 『生命』


「親父! 親父ぃー!」

 半狂乱でアレクさんの横たえられた担架に縋りつくティルを無理矢理引き剥がす。

 狩りの最中に、手負いの猪が仲間に突進するのを庇ってアレクさんはその牙を腹に受けた。出血が酷い。おそらく内臓にも
損傷を受けている。
 先生は治療の準備をしているが、この傷を治療できる程の設備はこの診療所にはない。

「街の医療施設まで、どれくらい掛かります?」

 担架の傍らに心配そうに立っている猟師の一人に問いかける。

「馬車を飛ばしても一時間以上は……」

 それでは間に合わない。
 この出血で、振動の多い馬車で運んでは一時間も持たない。
 すでに山で事故に遭って診療所に運び込まれるまでに二時間は経過している。いかにアレクさんに体力があるといっても限界だ。

「親父……大丈夫だよな? 死なないよな?」

 ティルが私のスカートの裾を摑んで問い掛ける。いつもの生意気そうな表情は欠片もない。その大きな瞳に涙を溜めて、捨てられた
子犬のような目で私を見ている。

「……死なせないわよ。約束する」

 担架を猟師達に運ばせて診療室に入る。あぁティルにこれ以上あんな顔させるもんか。

 嫌だ、ここにいる、と叫ぶティルを、他の猟師に頼んで診療室の外に連れて行って貰い、医師と二人で治療を開始した。
 
 血に染まった服を鋏で切り、患部を露出させる。

「うっ! こりゃ酷い」

 先生が呻く。確かにこれは酷い。猪の牙が二箇所、アレクさんの腹を抉っている。猪の突進の直撃であれば、牙による刺し傷だけで
なく圧迫による内臓損壊の危険もある。

「これは……手術が必要じゃな。しかし、それだけの設備は、ここには……」

「やりましょう、先生。街までは……持ちません」

「しかし、ワシには手術なんぞ出来んぞ! 骨折や簡単な怪我ならともかく、ここまで重傷では……ワシには無理じゃ」

 先生は、自分の力の無さを嘆いて唇を噛む。

「私がやります」

「何?」

「私には……できます。先生、私を信用して貰えますか?」

 もちろん、私に手術の経験はない。だが脳内に刻み込まれた知識があれば出来る筈だ。
 それくらい出来なくて何が『完璧なる自動人形』か。私は私の存在に賭けて、アレクさんを、ティルの父親を死なせはしない。
 
 先生は私の目をじっと見る。
 
 私は真っ直ぐに先生の目を見る。

「判った。任せよう」


 手術を開始する。
 先生に頼んで湯を沸かし、治療室を湯気で包む。
 完璧な殺菌は望めないが、この状況では四の五の言っていられない。

 すでにアレクさんの意識はないが、術式中に暴れられては堪らない。
 コカの葉を煎じて作った鎮痛剤を投じ、両手両足をベッドに括りつける。 
 この出血では長時間の手術には耐えられない。スピードが重視。とりあえずこの出血を止める。

 患部の位置を見定め、腹部の中線上を臍の上から恥骨に掛けてメスを走らせる。
 皮下脂肪、腹直筋と切開し、腹膜にメスを掛けると腹腔内に溜まっていた大量の血が噴水のように吹き出た。
 吹き出た血は天井にまで届き、天井に不吉な絵を描き出した。

 胃や小腸を露出させると腹腔内に手を差し込み、腹膜を広げ傷口を確認する。
 胃、OK。小腸に損傷あり。腸骨大動脈も損傷。この大量出血はここからか。

 消毒したガーゼを患部に当て腹腔内を洗浄する。ガーゼが一瞬で赤に染まる。

「先生、腹腔内の洗浄をお願いします」

 返事も待たずに、私は自分の私物から私自身のメンテに使用している医療バックを取り出す。糸、OK。人工血管、OK。
 私の身体には強力な免疫機構があり、少々の雑菌に侵される事はないが相手は人間だ。殺菌に少々不安があるが、今考えていても
仕方が無い。

「代わります」

 腹腔内にガーゼを当て、血を洗い流していた先生と代わり再びメスを持つ。

 開口部に細長く切ったガーゼを当て、毛管現象で出血を吸い取るようにする。
 まずは大動脈の方からだ。
 傷口に繋がる血管を片っ端からクリップで止める。出血が治まってきた。止血を確認すると傷付いた動脈を切除する。小指程の太さ
の血管を切除し床に投げ捨てると、取り出した人工血管の接続に掛かる。術後に再度出血しては意味がない。

 慎重に、精密に、機械の如く。針と糸を奔らせる。もう少しだ。

「アリス!」

 先生の叫びに顔を上げる。

「まずい! チアノーゼを起こしているぞ!」

 見るとアレクさんの顔色が青を通り越して紫になっている。
 私は慌ててアレクさんの心臓の鼓動をスキャンする。まずい、心臓の鼓動音が限りなく小さい。今のところ術式に不備はない。出血が
多すぎたか。だが、人工心肺もないこの診療所では……

 私は迷う。救う術はある。だが、それを行うと私は……

 五秒ほど迷う。

 五秒……

 四秒……

 三秒……ティルの泣き叫ぶ顔が浮かんだ……

 二秒……

 一秒……決断した。

「先生……これから、何が起こっても驚かないで下さいね」

 私は先生に微笑みを向けた。

「な、何を……」

 先生の答えを待たず、私は白衣を引き千切り小振りな乳房を露出させると、自分の胸にメスを突き立てた。

「アリス! 何をしとるんじゃ!」

 駆け寄ろうとする先生を片手で制すと、突き立てたメスを切り下ろして心臓を守る胸骨をへし折る。
 メスを置き、自由になった右手を胸郭内に突っ込んだ。
 自分で自分の心臓を触る。
 すでに自分で痛覚を遮断しているとはいえ、やはり吐き気がする程おぞましい。
 
 だが、躊躇っている暇はない。
 私は心臓から繋がっている大動脈を手に取ると一気に引き千切った。
 ホースで水を撒くように鮮血が飛び散る。
 私は左手で引き摺りだした血管をクリップで止めて止血を行う。

「アリス……お前さん……」

 先生の目に、私に対する恐れが映っている。構わない。すでに覚悟は出来ていた。
 私は心臓を露出したままでアレクさんの胸部を切開する。
 急がないと私もアレクさんも持たない。
 アレクさんの心臓を確認。鼓動が弱々しい。
 アレクさんの心臓に繋がる無数の大動脈から脳に繋がる一本を選択しクリップで止血。即座に切断し自分の身体から引き摺り
だした動脈と接合する。

 私の心臓が二人分の活動を強いられ悲鳴を上げる。
 私の心臓のくせにこの程度で弱音を吐くな! 

 アレクさんの全身に血液の循環が始まる。だが相変わらず心臓の鼓動は弱々しい。

「この! 死なせないって言ってるでしょ」

 私は血に染まった右手を翳すと風の精霊を召喚する。
 私の右手の中で風の精霊は回転を始め雷球を創り出した。回転を落として雷球を制御。威力をギリギリまで落とす。
 それでも直接では駄目だ。威力が大きすぎて人間には耐えられない。

 そう、人間なら。

「くぁっ!」 

 私は雷球を、私の心臓に直接叩き込んだ。

 蒼い閃光が診療室内を駆け巡る。
 私と血管で繋がっているアレクさんの身体もビクンと跳ねる。
 
 一瞬アレクさんの心臓が跳ねたがまた弱々しい活動のままだ。
 それは今にも止まってしまいそうな儚さで。

「死なせるもんか、死なせるもんか、死なせるもんかっ!」

 私は再び風の精霊を召喚する。これ以上は私の身体も持たない。
 
 あぁ解っている。死神の鎌が私とアレクさんの首に掛かっているのを幻視する。
 
 だけど私は約束したんだ。私の初めての友達と。

「絶対に、死なせないっ!」









 そして、診療所内に五回の閃光が奔り、
 
 手術は終了した。





 私は診療所の屋根の上に寝転がっていた。
 すでに夜は明け、空が白み始めている。鳥が三羽、西の空を飛んでいるのが見えた。大きい鳥に従って小さな鳥が付き添っている。
 親子だろうか? 取り留めない事をつらつらと考える。思考が形にならない。
 
 カタリ、と屋根の端から音がする。だが最早そちらに顔を向ける気力もない。

「ここにおったか? みんな探しておったぞ」

「……あわせる顔、ないもの……」

 先生はよっこらしょなんて言いながら屋根の上に上がり、私の横に腰を下ろす。

「ティルなんか大変じゃったぞ。あの悪ガキがワンワン泣いて、涙と鼻水で顔をべしょべしょにしてのぅ」

「………」





「ティルからの伝言じゃ。『ありがとう』とな」

 私は真っ赤になって顔を背ける。

「見事な、手術じゃった。ワシからも礼を言う。ありがとう、な」

「……アレクさんは?」

「今は落ち付いとる。まだまだ予断は許さぬが、まぁ大丈夫じゃろ」

「そっか……」

 私はアレクさんの心臓が活動開始したのを確認し術式を再開。
 血管の接合、患部の縫合を行い、自らの胸部とアレクさんの腹部の縫合を先生に頼むと意識を失った。
 目が覚めてアレクさんの容態を確認したが、大きな問題はないと判断。そのまま誰かと顔を合わせる事を怖れ、ここに逃げ出し
てきていた……

「先生」

「ん?」

「聞かないんですか? 私の事」

 その答えは聞きたくなかった。だからこのまま何も言わずにこの村を出て行こうと思っていた。
 でも、ひょっとしたら……

「聞かんよ」

「先生……」

「君が只者じゃないのは解る。それだけで十分じゃ。言いたくない事は言わんでいい。だから君が望むなら、いつまでもここにいれ
ば良い」

 先生は、私が望んだ答えをくれた。

「良いんですか? 私、人間じゃないんですよ?」

「それがどうした」

 私は身体を起こし膝の中に顔を埋める。胎児のように丸まりながら、

 嬉しい時も涙が出るという事を『学習』した。


 太陽が世界を照らし始める。山も、森も、湖も、そして人の営みも白く染める。
 真っ白な世界を全身に感じる。柔らかな風が、私の髪を優しく撫でる。

「先生、生きてるって良いですね……」

「そうじゃな」

 今日、私は一つの生命を救った。父親の生命を奪ったこの私が。
 もし、許されるのであれば、このままずっとここで生きていきたい。
 
 それは、自動人形として自己防衛の本能から生みだされた『衝動』ではなく、

 私自身の中に、私の心の中に生まれた『希望』だった……





「こらっティル! 待ちなさい」

「はっはー! 捕まえれるもんなら捕まえてみな!」

 ティルは私の部屋に飾っていた人形を持ち出すとダッシュで外に飛び出した。ったく。何て素早い。
 
 私はティルが持っている人形に意識をシンクロさせる。
 人形はピクリと動くと自身を抱えているティルのほっぺをギューッとつねった。

「ひ、ひでででで……っ!」

 道端で転げのたうち回るティルの首ねっこを摑み引っ張り上げる。

「こーらーティル。人のもの取っちゃダメって言ったでしょ?」

 私が出来るだけ凄んでみせるとティルの顔が引きつった。

「い、いや! アリスの部屋に余りに少女趣味な人形が飾ってあるからさ! 怪しいと思って!」

「? 何で人形が怪しいのよ? 女の子の部屋だったら人形くらいあるでしょ?」

「アリスにゃ似合わな……ひでででで……っ!」

 失礼な事を言おうとしたティルの口を再び人形がつねり上げる。

「失礼ね。こんな可憐な美少女に向かって」

「……自分で言うなよな。大体この人形なんだよ。動く人形なんて初めてみたぞ!」

「盗難防止機能付きよ」

「やっぱ 怪しいぜ」

 ティルは赤くなったほっぺをさすりながら、はい、と人形を私に差し出す。不満げではあるが、捕まった以上素直に返すという
のがティルなりの美学らしい。

「……その人形。あげようか?」

「え、いいの!」

「大事にするならね」

 ティルの顔に太陽のような笑顔が広がる。が、一瞬にして曇ってしまった。

「やっぱ、いいよ……俺には似合わないし……」

 ティルは自分の姿を眺める。袖無しのシャツに半ズボン。日に焼けた黒い手足に、泥だらけの顔。

「そんな事ないわ。ティルは素敵な女の子になれるよ。私が保証する」

「……ホントか?」

「ホントよ」

「アリスみたいに、か?」

「私みたいに、ね」

 えーアリスみたいにかよーそう言って駆け出すティルと、ちょっとそれどーゆー意味よ、と追いかける私。
 
 いつもの日常、いつもの日々。


 あぁ 願わくば そんな幸せな日々が ずっと続きますように……













 その村を一望できる小高い丘の上に、二人の男が立ち村を見下ろしている。
 
 男達は真夏だというのに黒装束に全身を包み、顔も目元以外は黒い布で覆っている。
 
 右側の男がもう一人の男に小さく問い掛ける。

「援軍はいつになる?」

「明後日の夜になるかと……」

「そうか」

 そう呟いた男が視線を村の一点に向けた。

「『オルレアンの心臓』、もう逃がしはしない」
 
 男は淡々と感情を殺して語る。

 だがその瞳は、暗く冷たい光を放っていた。


 
 そして

 
 惨劇の夜がくる。



                               ~続く~
 
 こんにちは 床間たろひです。

 ご感想ありがとうございました。現在後編を執筆中ですが、できるだけ東方に近づけるよう努力して
おります。

 もともとこの作品は、本気を出さないアリス、その本気を見てみたいとの思いから書き始めました。
 また、永夜抄や萃夢想を見るとアリスは結構寂しがりやに見えるし、また萃香に指摘されてたように
妖怪とじゃなく人間ばかりに話し掛けてる事から、人間に憧れてる、少なくとも人間に興味はあるよう
に思えます。
 それなのに人間の集落ではなく、森に一人で住んでいるのは何でだろう?(設定にあるように、魔法の森
は湿度が高く人形の保存には向かない)そう思って、私なりの推測で書いております。
 
 もちろんそれは私にとっての推測であり、他人に受け入れられないかもしれません。
 あくまでも推測の一つと割り切って頂ければと思います。

 レスで指摘を受けた点は非常に参考になりました。後編において「アリス」という存在を表現できるよう
努力致しますので宜しくお願い致します。

PS.改訂にあたり某スレで指摘頂いた点を修正致しました。ご指導ありがとうございました。
床間たろひ
[email protected]
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コメント



0.950簡易評価
2.-10no削除
東方?
7.無評価吟砂削除
う~ん・・・何事にも程々というものが有ると思うのですよね・・・
この手のオリジナル感が強い作品っていうのは過去にもあるのですが
話は面白いとして、東方としてどうか?ていうのがあります。
オリジナル要素っていうのは2次創作に持ち込んだ場合、
本当に劇薬なんですよね。
その世界と違和感無く溶け込めば幾重にも魅力を増しますけど、
違和感が強いと魅力を壊してしまうんですよね。
貴方のこの東方味が薄い作品では、オリジナルを解して東方と読み取る
必要が出てくるんですけど・・・人形使い/人で無いもの/口調
これらで東方のアリス・マーガトロイドと断定しなければならない・・・
私には今のところ、この創作話の中に有る為に
アリス・マーガトロイドのようなもの?としか取る事ができません。
後半が有るようなので、
そこでこれは東方であり、アリス・マーガトロイドであると言い切れる
作品になる事を期待しております。長々と偉そうに失礼しました。
14.無評価他人四日削除
……東方書こうよ
17.50名前が欲しい程度の能力削除
こういう作品も東方の世界を広げてくれますよね。頑張ってください。
18.40Hodumi削除
自分は既成の枠を超えた作品も時には必要かと思います。
つまり、懼れず突っ走った先にあるものを見せて下さい。

要するに続きが気になる。
30.無評価おやつ削除
ここまでだとオリジナルの隠し味に東方を使っている様に感じます。
ここに送る作品なら、あくまで東方がメインに来るべきかと
ただ、後編にどういう展開を考えてらっしゃるのか、
それ次第でいかようにも化けるお話だと思います。
後編、頑張ってください。
33.無評価名前が無い程度の能力削除
続きを渇望
35.60とらねこ削除
アリスがこの村で幸せになれるといいのですが、最後の方を読んで、「やっぱり現実は厳しいな」と思いました。後編で悲劇的な戦いになりそうで切ないです。
 東方のイメージとかけ離れているとの批判もありますが、私としては素直に楽しめました。不適切な発言かもしれないですが、こういう思い切った設定変更も新鮮でいいかなと思えるのです。完結編を待ってます。頑張ってください。