それは咲夜が持ってきた、一つの物から始まった。
「咲夜、これは一体何なの?」
紅魔館の門前には、レミリア、パチュリー、咲夜、美鈴の四人が集まり、その「物」を囲んでいた。
そして最初に疑問を投げかけたのは、レミリアであった。
「レミィ、これは多分だけれど自転車という乗り物よ。前に何かの本でこんな絵を見たような気がするわ」
「お嬢様、これはパチュリー様の言う通り乗り物です。たまたま今日、買出しのついでに香霖堂へ行ったら
これがあったので、少し無理を言って拝借しちゃいました」
咲夜はそう言って笑ってみせた。
「これ、どうやって乗ったりするんですか?」
乗り物だとわかったが、それにどう乗るのかわからなかったので、次は美鈴が質問をした。
咲夜は聞き流そうとしたが、主のレミリアも、やはり乗り方がわからないらしく
乗り方を目で訴えていたので答えた。
「えっと、この自転車はこうやって……」
咲夜は、自転車に近づき、自ら自転車に乗って見せた。
自転車に乗り、ペダルに足を乗せ、漕ぎ始める。自転車はゆっくりと前方へ向かって進み始めた。
咲夜以外の見ている三人は、自転車に乗っている咲夜を、じーっと見つめていた。
ある程度、咲夜は自転車を漕いだら、ぐるっと回って三人の所に戻ってきた。
「と、こんな感じの乗り物です」
自転車を降りて、三人に説明を終える。
「これは地を進むだけで、飛んだりはしないのかしら?」
レミリアは自転車に近づき、自転車をきょろきょろと見回しながら咲夜に質問する。
「はい。残念ながらこれは空を飛びません。足で漕いで、その力で前へ進む乗り物です」
「ふーん。じゃあ、普通に飛んだりした方が早いのね。実用性ないじゃない」
レミリアは自転車を馬鹿にはしているものの、それとは裏腹に、目はとても興味深そうに自転車を見ていた。
「あの、咲夜さん! 私乗ってみたいんですけど、いいですか?」
美鈴はレミリアと違い、口も表情も正直に興味津々なようだ。
「あなたね…これはお嬢様のために」
「いいわ。乗ってみなさい、美鈴」
拒否をしようとした咲夜を止め、レミリアは美鈴に自転車に乗ることを許可した。
「ありがとうございます!」
美鈴はレミリアに一礼すると、自転車にまたがりハンドルを握る。そしてゆっくりと
漕ぎ始めた。最初は少し、ふらふらしたものの、すぐ安定し真っ直ぐ進みはじめた。
「わ! わ!? これ、楽しいですよー!」
美鈴はペダルを強く漕ぎ、スピードを上げる。咲夜と同じく、ある程度走ると
折り返して、少し速いスピードで戻ってきた。
「走ったり飛んだりする感覚とはまた違いますね。楽しかったですよ!」
美鈴は、はしゃぎながら自転車を降りた。少し興奮気味なのか手をばたばたさせて
楽しさを表現しようとしていた。
「そう。じゃあ、私も乗ってみようかしら」
レミリアが次は自転車に乗ろうとする。
しかし、乗って動きが止まる。
「…これ、少し大きいわ」
スタンドで固定された自転車に乗ってはみたが、足が、ぷらんぷらんと
宙に浮いていて、ペダルに足が届かなかった。
「これはこれで私的には…っと、えっと、お嬢様、一旦降りていただけますか?
大丈夫です。高さを調節できますから」
レミリアが椅子を降りると、咲夜が椅子の高さを調節し始める。
「これでどうでしょう?」
「ええ、これなら悪くないわ」
今度は足がペダルについた。地面には、足が着くか着かないかだが
漕いだりする分には何の問題もなさそうだ。
「じゃあ、いくわよ!」
レミリアは自転車のペダルを漕ぎ始める。
ふらふらと進み始め……すぐ自転車は傾き片足が地に降り止まる。
そして、もう一度、レミリアは漕ぎ始める。また同じく、すぐに自転車は傾きペタンと
片足が地面に着く。そして止まる。
何か気まずい雰囲気が流れ、レミリア含め、その場にいるみんなが沈黙する。
そして、レミリアが沈黙を破った。
「これは……どういうことかしら? 咲夜」
レミリアは自転車を降り、ゆっくりと振り向く。その表情は、目は笑っているように見えるが
口元はしっかり引きつっていた。
「お、お嬢様! 落ち着いてください。自転車というのは乗る前に練習が必要なんです!」
「美鈴はすぐ乗れたみたいだけど?」
再び沈黙。咲夜は美鈴を睨む。美鈴は熱くは無いが、睨まれて汗をだらだらと流していた。
パチュリーは本を突然読み始め、我関せずの姿勢をとった。
「えっと、お嬢様! そんなことはありません! 実は、お嬢様に自転車を公開する前に
美鈴はお嬢様に、自分が自転車に乗る姿を是非見てもらいたいということで、ひっそりと
練習していたんです。私も練習をして乗れるようになりましたし。そうよね? 美鈴」
微笑みながら咲夜は美鈴に確認を取る。
美鈴は練習などしていない。だけどこの状況でそんなことを言えば、きっと自分は消される。
そう思った美鈴は咲夜に話を合わせた。
「そ、そうなんですよ! お嬢様に、私が自転車に乗っている姿をどうしても見て欲しくて
こっそり練習したんです。本当は練習していた事は内緒にしようと思ってたんですけど。
ばれちゃいましたね、あはははは」
「そうなの。美鈴も咲夜も練習をしていたなんて、ずるいわね」
苦笑しながらペコペコと頭を下げる咲夜と美鈴。レミリアは、とりあえず気を良くしたようだった。
しかし、そんな三人の前で、パチュリーは「よいしょ」と声を出して自転車に乗り
ペダルを漕ぎ始める。ふらふらと不安定な進み方だが、そのまま真っ直ぐ進む。
そして、そのまま最後まで、ふらふらしながら戻ってきて、三人の前に自転車を止め、降りる。
「咲夜、練習しなくても乗れるのね? 自転車って。言っていることが違うわね?」
「…咲夜、どういうことかしら?」
再び口元を引きつらせ、レミリアは咲夜に先ほどと同じ質問をした。
パチュリーはレミリアの後ろ側に立っていて、にやりと嫌な笑みを浮かべ、咲夜を見る。
(こ、この魔女!?)
咲夜は、ぷるぷると震える。
しかし、すぐに震えがぴたっと止むと、次の瞬間、咲夜はレミリアの前から突然姿を消した。
「クポッ!?」
消えたと思った瞬間、レミリアの後ろから聞いたことの無い、不思議な言語が聞こえた。
振り向くと、パチュリーのみぞあたりに、咲夜の拳が綺麗にはいっていて、パチュリーは
体をくの字に曲げていた。
「パチュリー様は照れ屋みたいです。あんなに美鈴と練習していたのに隠そうとするなんて。ね、美鈴?」
咲夜がまた美鈴に振る。美鈴は涙を浮かべながら一生懸命、咲夜の言う事に頷いていた。
「パチェ……本当?」
レミリアがパチュリーに確認を取ろうとするが、パチュリーはくの字から、地面に倒れていた。
「本当ですよ。地面に倒れて顔隠しちゃって。穴があったら入りたい気分なんでしょうね」
咲夜は倒れているパチュリーを見下ろしながら、くすくすと笑う。
「そうなの? まったく。あなたたちは練習していた事を私に隠すなんて、ずるいのね」
「申し訳ありませんでした!」
咲夜と美鈴はまたペコペコと頭を下げ謝った。
「まぁ、いいわ。とりあえず自転車に乗る練習というのはどうやってするのかしら?」
「えっと、自転車に乗るにはバランスが一番大切ですので、そのバランスを身につける
練習をするのですけど………お嬢様、実は裏技がありまして、練習しなくても乗れる方法があります」
咲夜が、パッと小さい車輪を二つ出した。
「これは補助輪といいます。これを自転車の後ろ側につければ……はい、完成です。
これでもう誰でも乗れます!」
自転車は補助輪が付いて四輪になった。
レミリアは補助輪の付いた自転車に乗り、走り出した。
確かにふらふらせず真っ直ぐ走る……走るのだが、なんとなく気に食わなかったらしく
レミリアは補助輪を掴み、メキっと音を立て外した。
「却下よ! 私だって二輪で走ってみせるわ」
四輪で走っているレミリアの姿を、愛でる様に見ていた咲夜は、少し気落ちしたようだったが、すぐ回復する。
「そうですか。少し残念ですが、それでこそお嬢様です!」
「ありがとう、咲夜。で、練習をしたいのだけど?」
「はい。美鈴、あなたがお嬢様の練習相手よ」
また突然振られ美鈴は固まる。今日はやたら話を振られるな、と思っていたがこれは今日一番の驚きの話だ。
「わ、私がですか!? 咲夜さんが教えて差し上げるのではないのですか?」
「だめよ、私は色々忙しいもの。あなたはいつも暇そうじゃない」
メイド長と門番。どちらが忙しいと言われれば、悔しいが今現在はどう考えてもメイド長だった。
なんとなくわかってしまった。練習は結構大変なのだと。
理由はお嬢様大好きな咲夜が、自分がやりますと言わず、美鈴に練習相手になれというのだ。
これはきっといろいろ面倒なのだろう。そう思うと美鈴は頭を抱え、うな垂れるしかなかった。
「そういうことなので、美鈴がお嬢様の練習相手をします。
お嬢様、乗れるようになったら私を後ろに乗せてくださいね」
「後ろって、これは二人で乗れるの?」
微笑みながらお願いしてきた咲夜に、レミリアが首をかしげる。
「はい。この自転車の後ろの部分は荷物を置いたり、人を乗せられるようにできてるんです」
咲夜が、その後ろの部分を指す。確かに、自転車を漕ぐ人が座る椅子とは形状が違うが
座ろうとすれば座れる部分が後ろにはあった。
「ふふ。わかったわ。あなたがこれを持ってきてくれたのだし。約束するわ」
「ありがとうございます!」
そんな二人の会話の中、地面に突っ伏した状態のパチュリーが手だけを動かし
地面に文字を書いていた。
わ た し を 一 番 に 乗 せ て
その文字をレミリアは一瞬目にするが、すぐに咲夜が、ぐりぐりと足で文字を消してしまった。
その後、追加攻撃でパチュリーの手をぐりぐりと踏みつける。
パチュリーの手は打ち上げられた魚のように、びちびちと咲夜の足の下で激しく動いていた。
「じゃあ、明日から練習を始めるわ。美鈴、よろしく頼むわね」
「はい…」
やる気満々のレミリアに対し、美鈴は脱力した状態で、答える事しかできなかったのだった。
次の日の夜。
レミリアと美鈴は昨日と同じく門の前辺りに集まった。
とりあえず、気持ちを切り替えたのか、美鈴は昨日よりは元気になっていた。
「では、お嬢様。自転車の練習を始めましょう」
「ええ」
レミリアは準備万全のようだった。
「えっと、咲夜さんに聞いた練習方法によると、お嬢様、まずは漕がなくてもよいので
自転車に乗ってください」
「わかったわ」
美鈴に言われたとおり、レミリアは自転車にちょこんと座る。
それを確認して美鈴が次の指示を出す。
「えっと、それで私は自転車の後ろを掴んでいますので、お嬢様はとりあえず
自転車を漕いでください。あ、心配しなくても大丈夫です。お嬢様が走り出したら
私も自転車を掴んだまま走り始めるので。最初はゆっくり走ってくださいね」
「ええ。じゃあ、自転車を漕ぐわよ」
自転車を立たせていたスタンドが上がり、レミリアはゆっくりと自転車を漕ぐ。
そのスピードにあわせて、美鈴も自転車を掴んだまま一緒に走り出した。
自転車は美鈴がしっかりと掴んでいるため、安定して進んでいく。
「美鈴、この後はどうするのかしら?」
顔を後ろに向け、美鈴に指示を仰ぐ。
「えっと、しばらくはこうして真っ直ぐ進んでください。あと、後ろは振り返らず
しっかり前を見て漕いでくださいね。しっかりとですよ!」
「わかったわ。前を見て、このまま走ればいいのね?」
確認して、美鈴に言われたとおり、視線を前に戻し、真っ直ぐと進み続ける。
後ろでは、美鈴が、次にする事を頭の中で確認していた。
(最初の方はこうして一緒に走り続けて、しばらくしたら、手を離したりする…だったかな)
そして、自転車は門が見えなくなる所まで来たので、そろそろ良いかと思い、美鈴は思い切って手を離す。
がしゃん!
嫌な音が聞こえ、嫌な光景が目の前に映った。
「え………? ふぉぉぉあああ!?」
美鈴は奇声を上げる。
(倒れちゃった! 倒れちゃいましたよ!? 咲夜さん!!)
最初のうちは、手を離せば倒れたりしてしまうというのは咲夜から聞いていた。
だがしかし、咲夜に話を聞いていてわかっていたとはいえ、ここまで見事に、車輪を回し
ながら倒れる自転車と、地面に突っ伏してしまったレミリアを見ると、美鈴はその場で
だらだらと汗を流し、固まるしかできなかった。
車輪が止まり、レミリアがゆっくりと起き上がる。静かにポンポンと服をはたく。
「あ、あの、お嬢様! これは練習に必要な事で……」
「大丈夫よ。わかっているわ、美鈴」
服をはたき終え、美鈴にニッコリと笑う。わかってくれたらしかったので
美鈴もレミリアにニッコリと笑う。
「殺しあいたいのね?」
否、わかってくれてなかった。
「……ひ、ひぃぃいい!?」
美鈴が悲鳴をあげ、すぐにまた説明しようとするが、それより早くレミリアが美鈴をボコボコする。
そのせいで、この日の練習は中断になってしまった。
「というわけで、昨日のあれは練習の一環なんです。わかっていただけましたでしょうか? お嬢様」
また次の日の夜。場所は門の前。
美鈴はとりあえず、あちらこちら怪我をしていたが命に別状は無かったらしい。
「それならそうと早く言いなさい。まったく」
レミリアは腕組をして美鈴に注意する。
(言おうとしたら、あなた様が私に乗りかかって殴ってきたんでしょうが!?)
と、言えればいいのだが言ったら次は無いので、心の中で叫び、表では苦笑しながら
謝っていた。何かとても泣けてきた。
「とりあえずはわかっていただけたのは幸いです。では練習を始めましょうか?」
「そうね。でも、その前に私から一つ提案があるの?」
「なんでしょうか?」
「これから私は恐らく何度も転ぶわ。擦り傷などもきっとできる」
「えっと、そうですね~」
レミリアが目を閉じて語り始め、美鈴はとりあえずそれに答える。
「でね、私、一生懸命考えたのよ。どうすれば、この辛い練習を乗り切れるか。そして出た答えは…」
とても嫌な予感がする。美鈴の第六感が警報を鳴らしている。
「私が倒れるごとに、私はあなたにワンパンチしようと思うの! お互いが痛みを分かち合えばきっと成長は早いと思うのよ!」
それはもう、満面の笑顔で言うレミリア。
(絶対ただのストレス解消だ! というか前々から思ってたけど、この娘絶対おかしい!)
そんな失礼なことを、心の中で強く思い、美鈴は流れを変えようとレミリアの意見に反対する。
「異議ありです! その提案は激しく命の危険性があります! それに痛みを分かち合ったと
しても成長スピードは変わらないと思います!!」
「その異議却下するわ! あなたは、あなたの主である私が傷ついていく姿を見て平然としてられるの?
あなたも一緒に私と傷つき、そして困難を乗り越えようとは思わないの?」
力強く異議を却下するだけではなく、変な言葉を付け加えるレミリア。
ここで「思いません!」なんて言うものなら、この場でレミリアに殺られるだろう。
結局は何を言っても逃げられないのだ。美鈴は諦めの涙を流し、了承した。
「わかってくれて嬉しいわ。美鈴がんばりましょう!」
「はい、本当に…」
そして、提案が可決された所で、昨日と同じような練習が始まったのだった。
「で? 練習の成果は今の所どうなってるの?」
練習を始めて、既に四日目。
その昼時に、咲夜は練習状況を聞くため、紅魔館の門番をしている美鈴の所に足を伸ばしていた。
「まぁ、なんとかちょろちょろっと、真っ直ぐには走れるようになったかなと。
でも、やっぱり手を離すとまだ倒れますけどね」
ため息を吐き、美鈴は地面に座りながら、ぼそぼそと答える。
美鈴の姿は誰が見てもボロボロで、哀愁のようなものも漂っていた。
「……あなたは何でそんなにボロボロなの?」
「まぁ、色々ありまして。今こうして生きているのが不思議なくらいですよ、あっはっは」
片手で両目を隠し、顔を空に向けて笑い始める。隠している部分から一筋の涙が流れ落ちた。
その姿を見ると、苦労しているのがすごく伝わるが、咲夜は触れないことにした。
「でも……」
美鈴は笑うのをやめ、すっと立ち上がり、服についた土を、パンパンと払う。
「もしかしたらですけど、これ以上練習しても上達するか、わかりません」
「どういうこと?」
急に真面目に話し始める美鈴に咲夜は聞き返す。
「日に日になんですけど、お嬢様の自転車に対する意欲が無くなってるんです。
最初のやる気のまま今日まで練習していれば、もっと自転車を漕げるようになっている
はずなんです。でも今は練習時間が短くなったり、真面目に練習してくれなくて」
そして、またため息を吐く。咲夜は美鈴の話を聞いて、片手をあごの辺りに持ってきて
考えるような仕草をした。
「予想してなかったわけじゃないけどね。お嬢様は練習のような地味な作業すぐ飽きる
だろうし。というより、練習するなんて、プライドが許さないのかもしれない」
咲夜もため息を吐く。少しここで間ができた。
「咲夜さん、練習まだ続けた方がいいんでしょうか?」
「美鈴、あなたはどう思う?」
質問したのに、それを咲夜に質問で返された美鈴は少し考えはじめた。
「私は、続けた方がいいと思います」
「あら、意外な答えね。練習をやめたいって、言うと思ってたのに」
本当に意外だったのか、きょとんとした顔で美鈴を見る咲夜。
「あはは、本当は少しやめたいと思っているんですよ? 何故か私痛い目にあってますし。
だけど、その気持ちより、強く、お嬢様には自転車に乗れるようになってほしいですし
何かを一からはじめて、ちゃんとやり切る喜びを感じて欲しいと思ってます」
苦笑して、特に乱れてはいなかったのだが、帽子を被りなおしながら美鈴は言った。
美鈴の気持ちを聞いて、咲夜も自分の考えを喋りだす。
「そうね。私もあなたと同じ気持ちよ。お嬢様には何かを一からはじめて、やり切った充実感を
知って欲しいと思ってるわ。それに…私を自転車の後ろに乗せてほしいし」
「結局そこですか!」
「当たり前じゃない。お嬢様が乗っている姿を見たかったというのもあるけれど、お嬢様が
漕ぐ自転車に乗りたいというのが一番の目的よ? そのために自転車を拝借してきたのだし」
咲夜がニッコリと笑った。
「じゃあ、私はそろそろ仕事に戻るわね。……あ!」
咲夜が紅魔館に戻ろうとしたが、何かを思い出したらしく、また美鈴の方を向く。
「美鈴、一応言っておくけど、お嬢様が乗れるようになったら私にまず教えなさい。
パチュリー様に教えては駄目よ。わかってるわね?」
「……はい」
実は少し前にパチュリーもここにきて、今と同じようなことを話し、そして今と同じような
約束させられたのだが、咲夜にそれを言ったら、きっと怖いことが起こるので何も言わずに承諾した。
咲夜はその答えを聞くと、手をひらひらさせ紅魔館に戻っていくのだった。
(がんばれ、私。負けるな私)
心の中で自分を励まし、また美鈴は今日という日を乗り越えるのだった。
そんな美鈴の事はお構い無しに、次の日の夜に問題は起きた。
「もういいわ」
「え?」
練習5日目の夜。
練習の途中でレミリアは突然そう言った。
美鈴はその言葉の意味がよくわからなく、あっけに取られたような顔をして聞き返した。
「だから練習はもういいのよ。自転車に乗るのは諦めるわ。全然乗れるようにならないし」
レミリアは目の前にある自転車を睨み、蹴り飛ばす。自転車は、少し浮き上がり
ワンバウンドして地面に倒れた。
「ちょっ!? お嬢様、何をするんですか!?」
美鈴は倒れた自転車に駆け寄り、自転車を立たせる。自転車は少し車輪が曲がり
前に付いていた籠もへこんでいた。
「そもそも自転車で走る意味なんてないじゃない? 走ったり空を飛んだりする方が早いし。
それなのに、こんな無駄な事のために、ここ数日練習してまで乗ろうとするなんてね。
私どうかしていたわ。美鈴、その自転車は処分しておきなさい」
美鈴にそう言い残して、レミリアは紅魔館に飛んで行ってしまった。
「………」
美鈴はレミリアを追わず、ただその場で紅魔館へ戻っていくレミリアを見ていた。
紅魔館へ戻ったレミリアは、今日はもう休もうと自室へと足を動かす。
その途中、パチュリーが両手で何冊か本を持って、こちらの方へ向かって歩いてくるのが見えた。
「あら、レミィ。練習はどうしたの?」
レミリアを見て、なぜ今、紅魔館にいるのか不思議そうにパチュリーは聞いてきた。
「ああ、パチェ。練習はもう必要なくなったのよ」
「レミィ! それじゃあ、自転車に乗れるようになったのね? おめでとう!」
パチュリーは微笑み、拍手をしようとしたが、両手がふさがっていたので、なんとか拍手
のような事をしようと、本を胴上げするように少し浮かる。浮かせた本はまたパチュリーの
持っている本のところに落ちポンと音をたてる。その音を拍手のように、連続で音が続くように繰り返す。
一生懸命、「おめでとう」という気持ちをレミリアに伝えようとしていた。
「パチェ、違うわよ。自転車を乗れるようになったわけではないわ。あんなの練習する
意味なんてないと思ったから、もうやめにして戻ってきたのよ」
「え?」
その言葉を聞いて、パチュリーの動きが止まる。そして胴上げした本は、上手くパチュリーの持っている
本に落下せず床に落ちてしまった。
「だってそうだと思わない? あんなのに乗るより飛んだりした方が早いのよ?
そんなもののために練習なんて、馬鹿げてるわ。あなたもそう思うでしょ?」
パチュリーは先ほど喜んでいた時と違った表情を見せるが、表情を変えても気にせず
レミリアはパチュリーに同意を求めた。
パチュリーは同意を求めてくるレミリアを少し見つめ、微かに微笑んだ。
「そうね。あなたがそう思うのだし。私もそう思うわ」
「そうでしょ? まったく、私も気づくのが遅すぎたわ」
「…レミィ、私、図書館に用があるの。だからそろそろ行くわね」
パチュリーはそう言って、向かい合っていたレミリアの横を通り抜けていく。
「あ、パチェ。私も図書館へ行くわ。部屋に戻ろうとしたけど休む程まだ疲れてないし」
横を通り過ぎていったパチュリーの方へ向き、レミリアもついて行こうとする。
「レミィ、今日はちょっと遠慮してもらえないかしら? どうしても一人でやりたいことがあるの」
付いてこようとしたレミリアに、パチュリーは振り向いて言った。
振り向いたパチュリーの顔は、少し残念そうで、少し悲しそうだった。
そんな顔を見たレミリアは「そう」としか言えなかった。
そしてパチュリーは図書館の方へ向き直って、スタスタと行ってしまった。
「何よ、急にあんな顔して…」
レミリアもパチュリーの姿が見えなくなると、自室の方へ向き直り、歩き出す。
すると先ほどパチュリーが落とした本が足にぶつかった。
「パチェが本を落としたままいくなんて珍しいわね。仕方がないわね、届けて…」
本のタイトルを見てレミリアの口が止まる。
レミリアが拾った本は「いろいろな乗り物の乗り方」というタイトルだった。
そして、その本にはしおりが刺さっていた。そのページを開いてみると自転車らしき図が
描いてあり、他には説明の文字がずらずらと書かれていた。
「…本当に、なんなのよ」
レミリアはその本を閉じると、そのまま本を手に持ち自室へと戻っていった。
六日目の夜、レミリアは自室を出ないで、ベッドに倒れこみ、ただ天上を見つめていた。
昨日までなら自転車の練習のため、今頃は自転車に乗っているのだが、その日々は自分から放棄した。
昨日放棄したときは本当にスッキリした気分になった。
しかし、その後パチュリーに会い、自分が練習をやめたと言ったときに見せた、パチュリーの
悲しそうな表情。そして落としていった本。
それだけではない。今日の朝、咲夜にも自転車の練習をやめたということを話したら
咲夜もパチュリーと一緒の反応をしてみせた。
だからと言って、レミリアとその二人の仲が悪くなったわけではない。
二人とも、いつもと同じように自分に接してくれている。
それがレミリアの気分をモヤモヤさせていた。
(いいじゃない、私は練習なんてしたくないんだから…)
ごろんと転がり、顔を枕にうずめた。
トントン
そんな時誰かが部屋のドアをノックする。
ノックした音は静かな部屋に響いた。
「誰かしら?」
枕にうずめていた顔を上げ、ベッドの上で上半身だけ起こし、ドアの方を向いて尋ねる。
「美鈴です。お嬢様を練習に誘いに来ました」
ドアを叩いたのは美鈴らしい。そして美鈴は自転車の練習に誘いに来たようだ。
レミリアは一度ため息を吐いて美鈴に言葉を返す。
「美鈴、昨日あなたに言ったはずよね? 練習はやめるって。
それに自転車だって私が蹴り飛ばしたんだし、壊れたわよね?」
美鈴はドアを開けず、そのままレミリアと会話を続ける。
「自転車は今日咲夜さんと何とか直しました。時間はかかっちゃいましたけど。
確かに練習はやめると聞いたのですが…お嬢様は本当にそれでいいのですか?」
「どういうことかしら?」
「失礼な事を言いますが、お嬢様は、ただ逃げてるだけじゃないですか?
ただ思い通りにならないから、だから自転車から逃げるんですよね?」
「…美鈴、あなた何を言っているの?」
レミリアの声に怒気が含まれているのがわかる。しかし美鈴は言葉を続けた。
「結局お嬢様は腕っ節だけしか取りえが無くて、その他は全然駄目なんですよね?
私や咲夜さんやパチュリー様は漕げたのに、まだお嬢様はまともに漕げないまま。
自分の思ったとおりにならないから、まだやり切ってないのに投げ出す。
背格好だけじゃなくて、精神も本当に幼いみたいですね」
「美鈴……あなた………覚悟はできているわね?」
レミリアはベッドから降りて、ゆっくりとドアに向かって歩みだす。
姿は見えないが、レミリアがドアに近づいてくるのはわかっていた。
レミリアがドアの前に立ち、ドアノブに手を置こうとすると美鈴は大きな声を出した。
「お嬢様! 咲夜さんやパチュリー様はお嬢様の漕ぐ自転車の後ろに乗るのを楽しみに待っていたんですよ?
お嬢様は、後ろに乗せるって約束しましたよね? だけど、お嬢様はただ練習が面倒臭くなっただけでやめて…
自転車の後ろに乗せるっていう約束はそれほどの簡単な約束だったのですか? お嬢様は……負け犬です!」
そこまで言い終わると、美鈴は廊下を駆け出した。
レミリアはドアを開けずに、ドアの前でそのまま立ち尽くしていた。
美鈴は廊下を走り、レミリアの部屋から少し離れた位置までくると、ピタッと足を止めた。
興奮していたのか、それとも走ったからか、息が少し荒い。汗も顔を流れる。
その状態を落ち着かせようと何度か深呼吸をする。
そうして落ち着くと、その場で膝を崩し、両手を廊下の床につき、廊下の紅い絨毯を
見つめながら美鈴は呟いた。
「う、うわ……私、何を言ってるんだろう。やばい…こ、殺される!?」
紅い絨毯を涙で濡らす。
「こ、こんなところで倒れてなんかいられない! 荷物をまとめないと!!」
ガバっと勢いよく立ち上がり、美鈴はまた勢いよく走り始めるのだった。
紅魔館の門の近くには掘っ立て小屋みたいなものが建っていて、そこで美鈴は生活していた。
美鈴はその掘っ立て小屋に戻ると、大急ぎで、まず大きい適当なバックを手に取ると
とりあえず自分が大切にしているものからバックへと素早く入れていく。
「荷物を詰め込んだ後どこへ逃げれば……霊夢さんのところはお嬢様がよく行く場所だから無理だし
魔理沙さんもパチュリー様とよく会うし……」
頭では逃げる場所を検索している。検索している間もしっかりと体は動かす。
そして、バックがパンパンになると、それを担ぎ、外へ出ようと駆け出す。
勢いよく扉を開け、その場で固まった。
掘っ立て小屋の前にレミリアが立っていた。勢いよく扉を開けた美鈴をジッと見つめている。
「美鈴……」
レミリアが名を呼び、歩み寄ってくる。
「は、はい!」
名を呼ばれ、無意識に体が反応し、バックを地面に落とし、ピシッと姿勢を正す。
(って、姿勢を正してる場合じゃないでしょ!)
心の中で自分に突っ込むが、体は言う事を聞かずそのままだった。
レミリアは美鈴の目の前まで来ると足を止めた。
美鈴は覚悟を決めた。次にレミリアが何か行動した瞬間、無意味かもしれないが全力で
拳を打ち込もうと。もしかしたら逃げる隙ができるかもと思ったのだ。紅魔館の主に
何てことをと思うが、やっぱり命は惜しい。美鈴は、気づかれぬよう右手にゆっくりと気をためていく。
そして、レミリアの口がゆっくりと動くのが見えた。
(今だ! このタイミングで!!)
「美鈴、色々考え直してね、練習を続け……」
「チェストーーーーって、ええーーー!?」
意外なことを言ってきたと思った瞬間、同時にゴスっと美鈴の拳はレミリアのお腹を貫くように打ち込んでいた。
レミリアは不意打ちかつ、美鈴に全力で拳を打ち込まれ、その場にうずくまりプルプルと震える。
「は・・・はぁぁぁぁぁぁ!?」
奇声を上げながら、打ち込んだ拳と、うずくまっているレミリアを交互に見る。
もう本当に訳がわからなくなり、終いには自分の手を、自分の手で叱りつける様にペチペチと叩く。
そうしている間にレミリアの震えは止まり、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がったレミリアの顔は、それはもう吸血鬼の顔とは思えないくらい清清しく、さわやかな笑顔だった。
「ということで、その状態じゃ無理そうだから明日からまたお願いするわね」
「…………」
レミリアが紅魔館に戻っていく。美鈴はそのまま地面に倒れていた。
そんなことはあったが、ちゃんと次の日からまた練習が始まった。
レミリアは、前の練習の時とは違って、倒れたりしても諦めたり飽きたりせず
みっちり太陽が出るギリギリまで練習を続けた。美鈴もレミリアのその熱意に答えようと
一生懸命レミリアのサポートをする。
そんな前とは違う、力が入った練習は二日続いた。
そして、自転車の練習9日目の夜。
「お嬢様、本当にバランス上手くとれていますよ」
「そう?」
「はい、私が後ろから支えている時間が、もうほとんどないですし」
レミリアは自転車を漕ぐ状態になり、美鈴は自転車の後ろを掴んで、そんな会話をしていた。
「じゃあ、お嬢様。もう一本行きましょうか」
「ええ」
レミリアは自転車を漕ぎ出す。美鈴も後ろで支えながら走り出す。
美鈴はある程度、自転車が加速したのを確認してゆっくりと手を離す。
(お嬢様!)
心の中でレミリアを応援し、そのまま自転車の後ろを走る。
自転車は少しふらふらと揺れるが、その揺れは止まり、そのまま安定して真っ直ぐ走っていた。
レミリアは美鈴が手を離したことに気がついていない。
美鈴は両手でガッツポーズを取った。
「やりましたよ! お嬢様、おめでとうございます!」
「なにがよ?」
「お嬢様後ろを少し振り向いてください」
「?」
美鈴に言われ、レミリアは漕ぎながら後ろをチラッと見る。後ろには美鈴がニコニコしながらついてきている。
一体何なのだと思ったが、その後すぐに美鈴がガッツポーズをとっていることに気がついた。
「美鈴! あなた、手…」
「あ、お嬢様、慌てないで!」
レミリアがバランスを崩し自転車と共に地面に転がった。
うわ、怒られる……と思いながらも、美鈴は転がったレミリアを起こしにいこうとする。
だが駆け寄る前に、レミリアはすぐに立ち上がり美鈴に尋ねる。
「美鈴! あなた手を離してたわよね!? いつからなの!?」
レミリアはすごい剣幕で聞いてくる。
「走り始めてからすぐにですよ。お嬢様は一人でしっかり自転車を漕いでいたんです」
そんなレミリアに美鈴はニッコリと微笑みながら喋る。
それを聞いて、レミリアの表情が少しずつ微笑みに変わっていく。
「お嬢様、おめでとうございます」
「ありがとう! 美鈴!!」
レミリアは満面の笑顔で美鈴に飛びつき、美鈴も笑いながら、飛びついてきたレミリアを受け止めた。
少し落ち着いて、興奮していたレミリアは美鈴から離れると、倒したままにしていた自転車に
駆け寄り自転車をゆっくりと起こす。
「美鈴、本当に感謝してるわ。あなたのおかげで自転車に乗れるようになったし
咲夜とパチェとの約束を破らずにすみそう。でも、私が一番喜んでいるのは練習して
乗れるようになったということ」
起こした自転車をスタンドで倒れないように立たせる。
そしてまた美鈴の近くまでレミリアは歩いてきた。
「私は今まで練習なんてしたことはなかった。できないようなことは
咲夜やメイドに任せればいいし、紅魔館の主が練習なんて格好悪いと思ってた。
でも今回、練習というのをしてみてわかったわ。ゼロから何かを始めて、達成するのが
どれだけ大変か、そして嬉しいか。本当に初めて感じる気持だわ」
ぐっと背伸びをして笑う。
「お嬢様のお役に立てて、私は幸せです。いろいろありましたけど、お嬢様が乗れるようになって嬉しいです」
美鈴も、ぐっと拳を胸の前で固めて、ニッコリ笑う。そうして二人は心の底から笑った。
「お嬢様。こうして乗れるようになったんです。早く咲夜さんとパチュリー様の所へ。
お二人をお乗せするのでしょ?」
「ええ、そうね。じゃあ、自転車で紅魔館まで行ってくるわ」
レミリアは自転車にまたがり、紅魔館に向かって漕ぎはじめる。最初はやはり揺れるが
すぐに安定し、そのまま真っ直ぐと紅魔館に向かって行った。
自転車で帰って行くレミリアに美鈴は「お気をつけて」と言って手を振った。
そして、見えなくなると、美鈴は大きく腕を伸ばし背伸びをする。
「最初はどうなるかと思ったけど、無事任務完了。いろいろ痛いことあったけど……
でもお嬢様のあんな嬉しそうな笑顔が見れたし、それで十分!」
背筋を伸ばしたまま、空を見上げ、美鈴はそんな独り言をぼやく。
「さて、仕事に戻りますか!」
腕を下ろし、紅魔館の方向から門の方向へくるりと方向転換し歩き出す。
そうして歩き出した美鈴だったが、後ろから何か音が聞こえたような気がして振り返る。
すると、先ほど紅魔館に戻っていったレミリアが自転車を漕いで、こちらに戻ってくる姿が目に映った。
戻ってきたレミリアは、美鈴の前辺りまで来るとブレーキをかけ止まる。
「お嬢様? どうしたんですか? 何か忘れ物でも?」
美鈴は首をかしげながらレミリアに尋ねる。
「いろいろ考えたのだけど……美鈴、あなた私の後ろに乗りたくないかしら?」
レミリアは頬を人差し指で掻きながら、少し照れくさそうに聞いてくる。
「え? 私がですか? それは、一度は乗ってはみたいですけど。でも咲夜さんやパチュリー様に
乗せる約束してるじゃないですか。だから私はその後でも…」
「乗りたいのね? なら乗っていいわよ」
そう言って、レミリアは笑顔で後ろの座る所をバシバシと叩いた。
今すぐ乗れということらしい。ここで断れば機嫌が悪くなるのは目に見えていた。
「……えっと、じゃあ、お言葉に甘えまして」
笑顔で乗せてくれようとしているレミリアに戸惑いながら、美鈴はちょこんと両足を外に
投げ出すような形で座る。
「……じゃあ、行くわよ」
レミリアがペダルを漕ぎはじめる。が、一人乗りとは違ってなかなか上手く安定しない。
「まだ乗れる様になったばかりですし、バランスを取るのが難しいですよね。
お嬢様、最初私は降りていますからお嬢様はお一人で漕いでください。スピードが出たら
私がゆっくりと後ろに乗るようにします。きっとその方が上手くいくと思うんですよ」
「私の、自転車の先生の美鈴が言うのならそうね。それでいきましょう」
そして、今度は、レミリアは美鈴を乗せていない一人乗りの状態で走り出す。
それを美鈴は飛んで追いかけていく。そして良い感じでスピードがのった所で、ゆっくりと自転車の後ろに座る。
最初は少し揺れたが、スピードが上がっていたことと、美鈴が上手く、レミリアに同調させるようにバランスを
あわせたため、ちゃんと安定して自転車は走り続けた。
「お嬢様! 二人乗りしてますよ!」
「ええ、わかるわ。美鈴、スピードを上げるから私にしっかり捕まって!」
捕まれといわれて、恐れ多く、美鈴はどこに捕まればいいかと迷ったが、最終的に
両手を腰に回す形で捕まる事にした。それを確認するとレミリアは、ニッと笑って
スピードを上げる。自転車はぐんぐんと加速していく。
「お嬢様!? 大丈夫ですか、こんなにスピードを出して!?」
「大丈夫よ、速い方が楽しいじゃない!」
レミリアは漕ぐ足を止めない。美鈴も何だかんだで今のスピードを楽しんでいた。
しかし、車輪が、地面に転がっていた大きな石を踏みつけバランスを失う。
速い速度で走っていた自転車は、ガランガランと音をたてながら転がる。
それに乗っていたレミリアと美鈴も地面に投げ出されるが、美鈴は投げ出される瞬間
レミリアを衝撃から守るように抱きながら、ごろごろと転がった。
「お嬢様! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫よ、私が注意せずにスピードを上げていたのだもの。自業自得よ」
美鈴の腕の中でレミリアが微笑む。それを見て美鈴はほっとする。
自転車は笑っているかのように、車輪がカラカラと回していた。
そして二人も、そのまま倒れたまま、一緒に空を見上げ、笑った。
「ねえ、美鈴」
「はい? なんでしょう、お嬢様?」
「あなたは特別に、今日だけじゃなくて、いつでも私の後ろに乗せてあげるわ」
「……へ?」
驚きと戸惑いの混ざったような表情をしているそんな美鈴に、レミリアは悪戯っぽく
笑いながら、顔を美鈴の方へ向けた。少しの間、美鈴は混乱していたが
頭の中を整理し終わると、美鈴は表情をやわらかくし、優しく微笑んだ。
「約束ですよ、絶対に、また私を乗せてくださいね!」
「ええ、ちゃんと約束するわ」
そしてまた二人は空を見上げるのだった。
余談
二人空を見上げ、レミリアは「あら」と声をだした。
「は…はぅあぅああああ…」
美鈴は変な声を出し、一瞬硬直し、次は震え始めた。
空には咲夜とパチュリーが浮いていて、二人はこちらを静かに見ていた。
「咲夜、パチェ。私、自転車に乗れるようになったわ! 美鈴と二人乗りをしたしもう完璧よ!」
空に浮いている二人に向かってレミリアは声を出す。
「はい、わかっていますよ。ずっと、見ていましたから」
空を浮いている咲夜がレミリアに返事をして、笑顔で手を振って見せた。
パチュリーも笑顔で手を振ってみせている。
「さ・・・咲夜さん、パチュリー様・・・」
美鈴も空に浮く二人の名を呼んでみる。
「ご苦労様、美鈴。よくやってくれたわね。でも何であなたが・・・一番最初にお嬢様の
後ろに乗っているのかしら?」
咲夜は、ニッコリ笑いながら腕を組む。
「レミィ、あのね、もう一度レミィが一人で漕いでいる所を見てみたいの。ちょっと少し遠くまで
漕いでみてくれないかしら?」
「わかったわ!」
レミリアは倒れている自転車に駆け寄り、起き上げると自転車に乗り、漕ぎはじめる。
「お、お嬢様! 待ってください、これは罠です! 部隊をバラバラにさせる巧妙な……」
しかし、レミリアは自転車を漕いでスピードを上げてこの場から遠ざかっていく。
レミリアを追いかけようとすると、空に浮いていた二人が素早く降りてきて、美鈴の前に立ちはだかる。
「さて美鈴。十分楽しんだから、もう思い残す事無いわよね? 覚悟は……いいわね?」
咲夜は笑顔でナイフを手に取り、美鈴の頬をペチペチと叩く。
「レミィの腰に手を回して……楽しそうだったわね。でもね、世の中楽しいことだらけじゃないのよ?」
パチュリーはいつもの表情で、手に持っていた本で、美鈴のボディをゴスゴスと本の角を使って刺す。
「あ、あは、あは、あはははは……」
美鈴は笑うしかなかった。
そうして、ここからまた、美鈴のスリリングな夜は続くのだった。
「咲夜、これは一体何なの?」
紅魔館の門前には、レミリア、パチュリー、咲夜、美鈴の四人が集まり、その「物」を囲んでいた。
そして最初に疑問を投げかけたのは、レミリアであった。
「レミィ、これは多分だけれど自転車という乗り物よ。前に何かの本でこんな絵を見たような気がするわ」
「お嬢様、これはパチュリー様の言う通り乗り物です。たまたま今日、買出しのついでに香霖堂へ行ったら
これがあったので、少し無理を言って拝借しちゃいました」
咲夜はそう言って笑ってみせた。
「これ、どうやって乗ったりするんですか?」
乗り物だとわかったが、それにどう乗るのかわからなかったので、次は美鈴が質問をした。
咲夜は聞き流そうとしたが、主のレミリアも、やはり乗り方がわからないらしく
乗り方を目で訴えていたので答えた。
「えっと、この自転車はこうやって……」
咲夜は、自転車に近づき、自ら自転車に乗って見せた。
自転車に乗り、ペダルに足を乗せ、漕ぎ始める。自転車はゆっくりと前方へ向かって進み始めた。
咲夜以外の見ている三人は、自転車に乗っている咲夜を、じーっと見つめていた。
ある程度、咲夜は自転車を漕いだら、ぐるっと回って三人の所に戻ってきた。
「と、こんな感じの乗り物です」
自転車を降りて、三人に説明を終える。
「これは地を進むだけで、飛んだりはしないのかしら?」
レミリアは自転車に近づき、自転車をきょろきょろと見回しながら咲夜に質問する。
「はい。残念ながらこれは空を飛びません。足で漕いで、その力で前へ進む乗り物です」
「ふーん。じゃあ、普通に飛んだりした方が早いのね。実用性ないじゃない」
レミリアは自転車を馬鹿にはしているものの、それとは裏腹に、目はとても興味深そうに自転車を見ていた。
「あの、咲夜さん! 私乗ってみたいんですけど、いいですか?」
美鈴はレミリアと違い、口も表情も正直に興味津々なようだ。
「あなたね…これはお嬢様のために」
「いいわ。乗ってみなさい、美鈴」
拒否をしようとした咲夜を止め、レミリアは美鈴に自転車に乗ることを許可した。
「ありがとうございます!」
美鈴はレミリアに一礼すると、自転車にまたがりハンドルを握る。そしてゆっくりと
漕ぎ始めた。最初は少し、ふらふらしたものの、すぐ安定し真っ直ぐ進みはじめた。
「わ! わ!? これ、楽しいですよー!」
美鈴はペダルを強く漕ぎ、スピードを上げる。咲夜と同じく、ある程度走ると
折り返して、少し速いスピードで戻ってきた。
「走ったり飛んだりする感覚とはまた違いますね。楽しかったですよ!」
美鈴は、はしゃぎながら自転車を降りた。少し興奮気味なのか手をばたばたさせて
楽しさを表現しようとしていた。
「そう。じゃあ、私も乗ってみようかしら」
レミリアが次は自転車に乗ろうとする。
しかし、乗って動きが止まる。
「…これ、少し大きいわ」
スタンドで固定された自転車に乗ってはみたが、足が、ぷらんぷらんと
宙に浮いていて、ペダルに足が届かなかった。
「これはこれで私的には…っと、えっと、お嬢様、一旦降りていただけますか?
大丈夫です。高さを調節できますから」
レミリアが椅子を降りると、咲夜が椅子の高さを調節し始める。
「これでどうでしょう?」
「ええ、これなら悪くないわ」
今度は足がペダルについた。地面には、足が着くか着かないかだが
漕いだりする分には何の問題もなさそうだ。
「じゃあ、いくわよ!」
レミリアは自転車のペダルを漕ぎ始める。
ふらふらと進み始め……すぐ自転車は傾き片足が地に降り止まる。
そして、もう一度、レミリアは漕ぎ始める。また同じく、すぐに自転車は傾きペタンと
片足が地面に着く。そして止まる。
何か気まずい雰囲気が流れ、レミリア含め、その場にいるみんなが沈黙する。
そして、レミリアが沈黙を破った。
「これは……どういうことかしら? 咲夜」
レミリアは自転車を降り、ゆっくりと振り向く。その表情は、目は笑っているように見えるが
口元はしっかり引きつっていた。
「お、お嬢様! 落ち着いてください。自転車というのは乗る前に練習が必要なんです!」
「美鈴はすぐ乗れたみたいだけど?」
再び沈黙。咲夜は美鈴を睨む。美鈴は熱くは無いが、睨まれて汗をだらだらと流していた。
パチュリーは本を突然読み始め、我関せずの姿勢をとった。
「えっと、お嬢様! そんなことはありません! 実は、お嬢様に自転車を公開する前に
美鈴はお嬢様に、自分が自転車に乗る姿を是非見てもらいたいということで、ひっそりと
練習していたんです。私も練習をして乗れるようになりましたし。そうよね? 美鈴」
微笑みながら咲夜は美鈴に確認を取る。
美鈴は練習などしていない。だけどこの状況でそんなことを言えば、きっと自分は消される。
そう思った美鈴は咲夜に話を合わせた。
「そ、そうなんですよ! お嬢様に、私が自転車に乗っている姿をどうしても見て欲しくて
こっそり練習したんです。本当は練習していた事は内緒にしようと思ってたんですけど。
ばれちゃいましたね、あはははは」
「そうなの。美鈴も咲夜も練習をしていたなんて、ずるいわね」
苦笑しながらペコペコと頭を下げる咲夜と美鈴。レミリアは、とりあえず気を良くしたようだった。
しかし、そんな三人の前で、パチュリーは「よいしょ」と声を出して自転車に乗り
ペダルを漕ぎ始める。ふらふらと不安定な進み方だが、そのまま真っ直ぐ進む。
そして、そのまま最後まで、ふらふらしながら戻ってきて、三人の前に自転車を止め、降りる。
「咲夜、練習しなくても乗れるのね? 自転車って。言っていることが違うわね?」
「…咲夜、どういうことかしら?」
再び口元を引きつらせ、レミリアは咲夜に先ほどと同じ質問をした。
パチュリーはレミリアの後ろ側に立っていて、にやりと嫌な笑みを浮かべ、咲夜を見る。
(こ、この魔女!?)
咲夜は、ぷるぷると震える。
しかし、すぐに震えがぴたっと止むと、次の瞬間、咲夜はレミリアの前から突然姿を消した。
「クポッ!?」
消えたと思った瞬間、レミリアの後ろから聞いたことの無い、不思議な言語が聞こえた。
振り向くと、パチュリーのみぞあたりに、咲夜の拳が綺麗にはいっていて、パチュリーは
体をくの字に曲げていた。
「パチュリー様は照れ屋みたいです。あんなに美鈴と練習していたのに隠そうとするなんて。ね、美鈴?」
咲夜がまた美鈴に振る。美鈴は涙を浮かべながら一生懸命、咲夜の言う事に頷いていた。
「パチェ……本当?」
レミリアがパチュリーに確認を取ろうとするが、パチュリーはくの字から、地面に倒れていた。
「本当ですよ。地面に倒れて顔隠しちゃって。穴があったら入りたい気分なんでしょうね」
咲夜は倒れているパチュリーを見下ろしながら、くすくすと笑う。
「そうなの? まったく。あなたたちは練習していた事を私に隠すなんて、ずるいのね」
「申し訳ありませんでした!」
咲夜と美鈴はまたペコペコと頭を下げ謝った。
「まぁ、いいわ。とりあえず自転車に乗る練習というのはどうやってするのかしら?」
「えっと、自転車に乗るにはバランスが一番大切ですので、そのバランスを身につける
練習をするのですけど………お嬢様、実は裏技がありまして、練習しなくても乗れる方法があります」
咲夜が、パッと小さい車輪を二つ出した。
「これは補助輪といいます。これを自転車の後ろ側につければ……はい、完成です。
これでもう誰でも乗れます!」
自転車は補助輪が付いて四輪になった。
レミリアは補助輪の付いた自転車に乗り、走り出した。
確かにふらふらせず真っ直ぐ走る……走るのだが、なんとなく気に食わなかったらしく
レミリアは補助輪を掴み、メキっと音を立て外した。
「却下よ! 私だって二輪で走ってみせるわ」
四輪で走っているレミリアの姿を、愛でる様に見ていた咲夜は、少し気落ちしたようだったが、すぐ回復する。
「そうですか。少し残念ですが、それでこそお嬢様です!」
「ありがとう、咲夜。で、練習をしたいのだけど?」
「はい。美鈴、あなたがお嬢様の練習相手よ」
また突然振られ美鈴は固まる。今日はやたら話を振られるな、と思っていたがこれは今日一番の驚きの話だ。
「わ、私がですか!? 咲夜さんが教えて差し上げるのではないのですか?」
「だめよ、私は色々忙しいもの。あなたはいつも暇そうじゃない」
メイド長と門番。どちらが忙しいと言われれば、悔しいが今現在はどう考えてもメイド長だった。
なんとなくわかってしまった。練習は結構大変なのだと。
理由はお嬢様大好きな咲夜が、自分がやりますと言わず、美鈴に練習相手になれというのだ。
これはきっといろいろ面倒なのだろう。そう思うと美鈴は頭を抱え、うな垂れるしかなかった。
「そういうことなので、美鈴がお嬢様の練習相手をします。
お嬢様、乗れるようになったら私を後ろに乗せてくださいね」
「後ろって、これは二人で乗れるの?」
微笑みながらお願いしてきた咲夜に、レミリアが首をかしげる。
「はい。この自転車の後ろの部分は荷物を置いたり、人を乗せられるようにできてるんです」
咲夜が、その後ろの部分を指す。確かに、自転車を漕ぐ人が座る椅子とは形状が違うが
座ろうとすれば座れる部分が後ろにはあった。
「ふふ。わかったわ。あなたがこれを持ってきてくれたのだし。約束するわ」
「ありがとうございます!」
そんな二人の会話の中、地面に突っ伏した状態のパチュリーが手だけを動かし
地面に文字を書いていた。
わ た し を 一 番 に 乗 せ て
その文字をレミリアは一瞬目にするが、すぐに咲夜が、ぐりぐりと足で文字を消してしまった。
その後、追加攻撃でパチュリーの手をぐりぐりと踏みつける。
パチュリーの手は打ち上げられた魚のように、びちびちと咲夜の足の下で激しく動いていた。
「じゃあ、明日から練習を始めるわ。美鈴、よろしく頼むわね」
「はい…」
やる気満々のレミリアに対し、美鈴は脱力した状態で、答える事しかできなかったのだった。
次の日の夜。
レミリアと美鈴は昨日と同じく門の前辺りに集まった。
とりあえず、気持ちを切り替えたのか、美鈴は昨日よりは元気になっていた。
「では、お嬢様。自転車の練習を始めましょう」
「ええ」
レミリアは準備万全のようだった。
「えっと、咲夜さんに聞いた練習方法によると、お嬢様、まずは漕がなくてもよいので
自転車に乗ってください」
「わかったわ」
美鈴に言われたとおり、レミリアは自転車にちょこんと座る。
それを確認して美鈴が次の指示を出す。
「えっと、それで私は自転車の後ろを掴んでいますので、お嬢様はとりあえず
自転車を漕いでください。あ、心配しなくても大丈夫です。お嬢様が走り出したら
私も自転車を掴んだまま走り始めるので。最初はゆっくり走ってくださいね」
「ええ。じゃあ、自転車を漕ぐわよ」
自転車を立たせていたスタンドが上がり、レミリアはゆっくりと自転車を漕ぐ。
そのスピードにあわせて、美鈴も自転車を掴んだまま一緒に走り出した。
自転車は美鈴がしっかりと掴んでいるため、安定して進んでいく。
「美鈴、この後はどうするのかしら?」
顔を後ろに向け、美鈴に指示を仰ぐ。
「えっと、しばらくはこうして真っ直ぐ進んでください。あと、後ろは振り返らず
しっかり前を見て漕いでくださいね。しっかりとですよ!」
「わかったわ。前を見て、このまま走ればいいのね?」
確認して、美鈴に言われたとおり、視線を前に戻し、真っ直ぐと進み続ける。
後ろでは、美鈴が、次にする事を頭の中で確認していた。
(最初の方はこうして一緒に走り続けて、しばらくしたら、手を離したりする…だったかな)
そして、自転車は門が見えなくなる所まで来たので、そろそろ良いかと思い、美鈴は思い切って手を離す。
がしゃん!
嫌な音が聞こえ、嫌な光景が目の前に映った。
「え………? ふぉぉぉあああ!?」
美鈴は奇声を上げる。
(倒れちゃった! 倒れちゃいましたよ!? 咲夜さん!!)
最初のうちは、手を離せば倒れたりしてしまうというのは咲夜から聞いていた。
だがしかし、咲夜に話を聞いていてわかっていたとはいえ、ここまで見事に、車輪を回し
ながら倒れる自転車と、地面に突っ伏してしまったレミリアを見ると、美鈴はその場で
だらだらと汗を流し、固まるしかできなかった。
車輪が止まり、レミリアがゆっくりと起き上がる。静かにポンポンと服をはたく。
「あ、あの、お嬢様! これは練習に必要な事で……」
「大丈夫よ。わかっているわ、美鈴」
服をはたき終え、美鈴にニッコリと笑う。わかってくれたらしかったので
美鈴もレミリアにニッコリと笑う。
「殺しあいたいのね?」
否、わかってくれてなかった。
「……ひ、ひぃぃいい!?」
美鈴が悲鳴をあげ、すぐにまた説明しようとするが、それより早くレミリアが美鈴をボコボコする。
そのせいで、この日の練習は中断になってしまった。
「というわけで、昨日のあれは練習の一環なんです。わかっていただけましたでしょうか? お嬢様」
また次の日の夜。場所は門の前。
美鈴はとりあえず、あちらこちら怪我をしていたが命に別状は無かったらしい。
「それならそうと早く言いなさい。まったく」
レミリアは腕組をして美鈴に注意する。
(言おうとしたら、あなた様が私に乗りかかって殴ってきたんでしょうが!?)
と、言えればいいのだが言ったら次は無いので、心の中で叫び、表では苦笑しながら
謝っていた。何かとても泣けてきた。
「とりあえずはわかっていただけたのは幸いです。では練習を始めましょうか?」
「そうね。でも、その前に私から一つ提案があるの?」
「なんでしょうか?」
「これから私は恐らく何度も転ぶわ。擦り傷などもきっとできる」
「えっと、そうですね~」
レミリアが目を閉じて語り始め、美鈴はとりあえずそれに答える。
「でね、私、一生懸命考えたのよ。どうすれば、この辛い練習を乗り切れるか。そして出た答えは…」
とても嫌な予感がする。美鈴の第六感が警報を鳴らしている。
「私が倒れるごとに、私はあなたにワンパンチしようと思うの! お互いが痛みを分かち合えばきっと成長は早いと思うのよ!」
それはもう、満面の笑顔で言うレミリア。
(絶対ただのストレス解消だ! というか前々から思ってたけど、この娘絶対おかしい!)
そんな失礼なことを、心の中で強く思い、美鈴は流れを変えようとレミリアの意見に反対する。
「異議ありです! その提案は激しく命の危険性があります! それに痛みを分かち合ったと
しても成長スピードは変わらないと思います!!」
「その異議却下するわ! あなたは、あなたの主である私が傷ついていく姿を見て平然としてられるの?
あなたも一緒に私と傷つき、そして困難を乗り越えようとは思わないの?」
力強く異議を却下するだけではなく、変な言葉を付け加えるレミリア。
ここで「思いません!」なんて言うものなら、この場でレミリアに殺られるだろう。
結局は何を言っても逃げられないのだ。美鈴は諦めの涙を流し、了承した。
「わかってくれて嬉しいわ。美鈴がんばりましょう!」
「はい、本当に…」
そして、提案が可決された所で、昨日と同じような練習が始まったのだった。
「で? 練習の成果は今の所どうなってるの?」
練習を始めて、既に四日目。
その昼時に、咲夜は練習状況を聞くため、紅魔館の門番をしている美鈴の所に足を伸ばしていた。
「まぁ、なんとかちょろちょろっと、真っ直ぐには走れるようになったかなと。
でも、やっぱり手を離すとまだ倒れますけどね」
ため息を吐き、美鈴は地面に座りながら、ぼそぼそと答える。
美鈴の姿は誰が見てもボロボロで、哀愁のようなものも漂っていた。
「……あなたは何でそんなにボロボロなの?」
「まぁ、色々ありまして。今こうして生きているのが不思議なくらいですよ、あっはっは」
片手で両目を隠し、顔を空に向けて笑い始める。隠している部分から一筋の涙が流れ落ちた。
その姿を見ると、苦労しているのがすごく伝わるが、咲夜は触れないことにした。
「でも……」
美鈴は笑うのをやめ、すっと立ち上がり、服についた土を、パンパンと払う。
「もしかしたらですけど、これ以上練習しても上達するか、わかりません」
「どういうこと?」
急に真面目に話し始める美鈴に咲夜は聞き返す。
「日に日になんですけど、お嬢様の自転車に対する意欲が無くなってるんです。
最初のやる気のまま今日まで練習していれば、もっと自転車を漕げるようになっている
はずなんです。でも今は練習時間が短くなったり、真面目に練習してくれなくて」
そして、またため息を吐く。咲夜は美鈴の話を聞いて、片手をあごの辺りに持ってきて
考えるような仕草をした。
「予想してなかったわけじゃないけどね。お嬢様は練習のような地味な作業すぐ飽きる
だろうし。というより、練習するなんて、プライドが許さないのかもしれない」
咲夜もため息を吐く。少しここで間ができた。
「咲夜さん、練習まだ続けた方がいいんでしょうか?」
「美鈴、あなたはどう思う?」
質問したのに、それを咲夜に質問で返された美鈴は少し考えはじめた。
「私は、続けた方がいいと思います」
「あら、意外な答えね。練習をやめたいって、言うと思ってたのに」
本当に意外だったのか、きょとんとした顔で美鈴を見る咲夜。
「あはは、本当は少しやめたいと思っているんですよ? 何故か私痛い目にあってますし。
だけど、その気持ちより、強く、お嬢様には自転車に乗れるようになってほしいですし
何かを一からはじめて、ちゃんとやり切る喜びを感じて欲しいと思ってます」
苦笑して、特に乱れてはいなかったのだが、帽子を被りなおしながら美鈴は言った。
美鈴の気持ちを聞いて、咲夜も自分の考えを喋りだす。
「そうね。私もあなたと同じ気持ちよ。お嬢様には何かを一からはじめて、やり切った充実感を
知って欲しいと思ってるわ。それに…私を自転車の後ろに乗せてほしいし」
「結局そこですか!」
「当たり前じゃない。お嬢様が乗っている姿を見たかったというのもあるけれど、お嬢様が
漕ぐ自転車に乗りたいというのが一番の目的よ? そのために自転車を拝借してきたのだし」
咲夜がニッコリと笑った。
「じゃあ、私はそろそろ仕事に戻るわね。……あ!」
咲夜が紅魔館に戻ろうとしたが、何かを思い出したらしく、また美鈴の方を向く。
「美鈴、一応言っておくけど、お嬢様が乗れるようになったら私にまず教えなさい。
パチュリー様に教えては駄目よ。わかってるわね?」
「……はい」
実は少し前にパチュリーもここにきて、今と同じようなことを話し、そして今と同じような
約束させられたのだが、咲夜にそれを言ったら、きっと怖いことが起こるので何も言わずに承諾した。
咲夜はその答えを聞くと、手をひらひらさせ紅魔館に戻っていくのだった。
(がんばれ、私。負けるな私)
心の中で自分を励まし、また美鈴は今日という日を乗り越えるのだった。
そんな美鈴の事はお構い無しに、次の日の夜に問題は起きた。
「もういいわ」
「え?」
練習5日目の夜。
練習の途中でレミリアは突然そう言った。
美鈴はその言葉の意味がよくわからなく、あっけに取られたような顔をして聞き返した。
「だから練習はもういいのよ。自転車に乗るのは諦めるわ。全然乗れるようにならないし」
レミリアは目の前にある自転車を睨み、蹴り飛ばす。自転車は、少し浮き上がり
ワンバウンドして地面に倒れた。
「ちょっ!? お嬢様、何をするんですか!?」
美鈴は倒れた自転車に駆け寄り、自転車を立たせる。自転車は少し車輪が曲がり
前に付いていた籠もへこんでいた。
「そもそも自転車で走る意味なんてないじゃない? 走ったり空を飛んだりする方が早いし。
それなのに、こんな無駄な事のために、ここ数日練習してまで乗ろうとするなんてね。
私どうかしていたわ。美鈴、その自転車は処分しておきなさい」
美鈴にそう言い残して、レミリアは紅魔館に飛んで行ってしまった。
「………」
美鈴はレミリアを追わず、ただその場で紅魔館へ戻っていくレミリアを見ていた。
紅魔館へ戻ったレミリアは、今日はもう休もうと自室へと足を動かす。
その途中、パチュリーが両手で何冊か本を持って、こちらの方へ向かって歩いてくるのが見えた。
「あら、レミィ。練習はどうしたの?」
レミリアを見て、なぜ今、紅魔館にいるのか不思議そうにパチュリーは聞いてきた。
「ああ、パチェ。練習はもう必要なくなったのよ」
「レミィ! それじゃあ、自転車に乗れるようになったのね? おめでとう!」
パチュリーは微笑み、拍手をしようとしたが、両手がふさがっていたので、なんとか拍手
のような事をしようと、本を胴上げするように少し浮かる。浮かせた本はまたパチュリーの
持っている本のところに落ちポンと音をたてる。その音を拍手のように、連続で音が続くように繰り返す。
一生懸命、「おめでとう」という気持ちをレミリアに伝えようとしていた。
「パチェ、違うわよ。自転車を乗れるようになったわけではないわ。あんなの練習する
意味なんてないと思ったから、もうやめにして戻ってきたのよ」
「え?」
その言葉を聞いて、パチュリーの動きが止まる。そして胴上げした本は、上手くパチュリーの持っている
本に落下せず床に落ちてしまった。
「だってそうだと思わない? あんなのに乗るより飛んだりした方が早いのよ?
そんなもののために練習なんて、馬鹿げてるわ。あなたもそう思うでしょ?」
パチュリーは先ほど喜んでいた時と違った表情を見せるが、表情を変えても気にせず
レミリアはパチュリーに同意を求めた。
パチュリーは同意を求めてくるレミリアを少し見つめ、微かに微笑んだ。
「そうね。あなたがそう思うのだし。私もそう思うわ」
「そうでしょ? まったく、私も気づくのが遅すぎたわ」
「…レミィ、私、図書館に用があるの。だからそろそろ行くわね」
パチュリーはそう言って、向かい合っていたレミリアの横を通り抜けていく。
「あ、パチェ。私も図書館へ行くわ。部屋に戻ろうとしたけど休む程まだ疲れてないし」
横を通り過ぎていったパチュリーの方へ向き、レミリアもついて行こうとする。
「レミィ、今日はちょっと遠慮してもらえないかしら? どうしても一人でやりたいことがあるの」
付いてこようとしたレミリアに、パチュリーは振り向いて言った。
振り向いたパチュリーの顔は、少し残念そうで、少し悲しそうだった。
そんな顔を見たレミリアは「そう」としか言えなかった。
そしてパチュリーは図書館の方へ向き直って、スタスタと行ってしまった。
「何よ、急にあんな顔して…」
レミリアもパチュリーの姿が見えなくなると、自室の方へ向き直り、歩き出す。
すると先ほどパチュリーが落とした本が足にぶつかった。
「パチェが本を落としたままいくなんて珍しいわね。仕方がないわね、届けて…」
本のタイトルを見てレミリアの口が止まる。
レミリアが拾った本は「いろいろな乗り物の乗り方」というタイトルだった。
そして、その本にはしおりが刺さっていた。そのページを開いてみると自転車らしき図が
描いてあり、他には説明の文字がずらずらと書かれていた。
「…本当に、なんなのよ」
レミリアはその本を閉じると、そのまま本を手に持ち自室へと戻っていった。
六日目の夜、レミリアは自室を出ないで、ベッドに倒れこみ、ただ天上を見つめていた。
昨日までなら自転車の練習のため、今頃は自転車に乗っているのだが、その日々は自分から放棄した。
昨日放棄したときは本当にスッキリした気分になった。
しかし、その後パチュリーに会い、自分が練習をやめたと言ったときに見せた、パチュリーの
悲しそうな表情。そして落としていった本。
それだけではない。今日の朝、咲夜にも自転車の練習をやめたということを話したら
咲夜もパチュリーと一緒の反応をしてみせた。
だからと言って、レミリアとその二人の仲が悪くなったわけではない。
二人とも、いつもと同じように自分に接してくれている。
それがレミリアの気分をモヤモヤさせていた。
(いいじゃない、私は練習なんてしたくないんだから…)
ごろんと転がり、顔を枕にうずめた。
トントン
そんな時誰かが部屋のドアをノックする。
ノックした音は静かな部屋に響いた。
「誰かしら?」
枕にうずめていた顔を上げ、ベッドの上で上半身だけ起こし、ドアの方を向いて尋ねる。
「美鈴です。お嬢様を練習に誘いに来ました」
ドアを叩いたのは美鈴らしい。そして美鈴は自転車の練習に誘いに来たようだ。
レミリアは一度ため息を吐いて美鈴に言葉を返す。
「美鈴、昨日あなたに言ったはずよね? 練習はやめるって。
それに自転車だって私が蹴り飛ばしたんだし、壊れたわよね?」
美鈴はドアを開けず、そのままレミリアと会話を続ける。
「自転車は今日咲夜さんと何とか直しました。時間はかかっちゃいましたけど。
確かに練習はやめると聞いたのですが…お嬢様は本当にそれでいいのですか?」
「どういうことかしら?」
「失礼な事を言いますが、お嬢様は、ただ逃げてるだけじゃないですか?
ただ思い通りにならないから、だから自転車から逃げるんですよね?」
「…美鈴、あなた何を言っているの?」
レミリアの声に怒気が含まれているのがわかる。しかし美鈴は言葉を続けた。
「結局お嬢様は腕っ節だけしか取りえが無くて、その他は全然駄目なんですよね?
私や咲夜さんやパチュリー様は漕げたのに、まだお嬢様はまともに漕げないまま。
自分の思ったとおりにならないから、まだやり切ってないのに投げ出す。
背格好だけじゃなくて、精神も本当に幼いみたいですね」
「美鈴……あなた………覚悟はできているわね?」
レミリアはベッドから降りて、ゆっくりとドアに向かって歩みだす。
姿は見えないが、レミリアがドアに近づいてくるのはわかっていた。
レミリアがドアの前に立ち、ドアノブに手を置こうとすると美鈴は大きな声を出した。
「お嬢様! 咲夜さんやパチュリー様はお嬢様の漕ぐ自転車の後ろに乗るのを楽しみに待っていたんですよ?
お嬢様は、後ろに乗せるって約束しましたよね? だけど、お嬢様はただ練習が面倒臭くなっただけでやめて…
自転車の後ろに乗せるっていう約束はそれほどの簡単な約束だったのですか? お嬢様は……負け犬です!」
そこまで言い終わると、美鈴は廊下を駆け出した。
レミリアはドアを開けずに、ドアの前でそのまま立ち尽くしていた。
美鈴は廊下を走り、レミリアの部屋から少し離れた位置までくると、ピタッと足を止めた。
興奮していたのか、それとも走ったからか、息が少し荒い。汗も顔を流れる。
その状態を落ち着かせようと何度か深呼吸をする。
そうして落ち着くと、その場で膝を崩し、両手を廊下の床につき、廊下の紅い絨毯を
見つめながら美鈴は呟いた。
「う、うわ……私、何を言ってるんだろう。やばい…こ、殺される!?」
紅い絨毯を涙で濡らす。
「こ、こんなところで倒れてなんかいられない! 荷物をまとめないと!!」
ガバっと勢いよく立ち上がり、美鈴はまた勢いよく走り始めるのだった。
紅魔館の門の近くには掘っ立て小屋みたいなものが建っていて、そこで美鈴は生活していた。
美鈴はその掘っ立て小屋に戻ると、大急ぎで、まず大きい適当なバックを手に取ると
とりあえず自分が大切にしているものからバックへと素早く入れていく。
「荷物を詰め込んだ後どこへ逃げれば……霊夢さんのところはお嬢様がよく行く場所だから無理だし
魔理沙さんもパチュリー様とよく会うし……」
頭では逃げる場所を検索している。検索している間もしっかりと体は動かす。
そして、バックがパンパンになると、それを担ぎ、外へ出ようと駆け出す。
勢いよく扉を開け、その場で固まった。
掘っ立て小屋の前にレミリアが立っていた。勢いよく扉を開けた美鈴をジッと見つめている。
「美鈴……」
レミリアが名を呼び、歩み寄ってくる。
「は、はい!」
名を呼ばれ、無意識に体が反応し、バックを地面に落とし、ピシッと姿勢を正す。
(って、姿勢を正してる場合じゃないでしょ!)
心の中で自分に突っ込むが、体は言う事を聞かずそのままだった。
レミリアは美鈴の目の前まで来ると足を止めた。
美鈴は覚悟を決めた。次にレミリアが何か行動した瞬間、無意味かもしれないが全力で
拳を打ち込もうと。もしかしたら逃げる隙ができるかもと思ったのだ。紅魔館の主に
何てことをと思うが、やっぱり命は惜しい。美鈴は、気づかれぬよう右手にゆっくりと気をためていく。
そして、レミリアの口がゆっくりと動くのが見えた。
(今だ! このタイミングで!!)
「美鈴、色々考え直してね、練習を続け……」
「チェストーーーーって、ええーーー!?」
意外なことを言ってきたと思った瞬間、同時にゴスっと美鈴の拳はレミリアのお腹を貫くように打ち込んでいた。
レミリアは不意打ちかつ、美鈴に全力で拳を打ち込まれ、その場にうずくまりプルプルと震える。
「は・・・はぁぁぁぁぁぁ!?」
奇声を上げながら、打ち込んだ拳と、うずくまっているレミリアを交互に見る。
もう本当に訳がわからなくなり、終いには自分の手を、自分の手で叱りつける様にペチペチと叩く。
そうしている間にレミリアの震えは止まり、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がったレミリアの顔は、それはもう吸血鬼の顔とは思えないくらい清清しく、さわやかな笑顔だった。
「ということで、その状態じゃ無理そうだから明日からまたお願いするわね」
「…………」
レミリアが紅魔館に戻っていく。美鈴はそのまま地面に倒れていた。
そんなことはあったが、ちゃんと次の日からまた練習が始まった。
レミリアは、前の練習の時とは違って、倒れたりしても諦めたり飽きたりせず
みっちり太陽が出るギリギリまで練習を続けた。美鈴もレミリアのその熱意に答えようと
一生懸命レミリアのサポートをする。
そんな前とは違う、力が入った練習は二日続いた。
そして、自転車の練習9日目の夜。
「お嬢様、本当にバランス上手くとれていますよ」
「そう?」
「はい、私が後ろから支えている時間が、もうほとんどないですし」
レミリアは自転車を漕ぐ状態になり、美鈴は自転車の後ろを掴んで、そんな会話をしていた。
「じゃあ、お嬢様。もう一本行きましょうか」
「ええ」
レミリアは自転車を漕ぎ出す。美鈴も後ろで支えながら走り出す。
美鈴はある程度、自転車が加速したのを確認してゆっくりと手を離す。
(お嬢様!)
心の中でレミリアを応援し、そのまま自転車の後ろを走る。
自転車は少しふらふらと揺れるが、その揺れは止まり、そのまま安定して真っ直ぐ走っていた。
レミリアは美鈴が手を離したことに気がついていない。
美鈴は両手でガッツポーズを取った。
「やりましたよ! お嬢様、おめでとうございます!」
「なにがよ?」
「お嬢様後ろを少し振り向いてください」
「?」
美鈴に言われ、レミリアは漕ぎながら後ろをチラッと見る。後ろには美鈴がニコニコしながらついてきている。
一体何なのだと思ったが、その後すぐに美鈴がガッツポーズをとっていることに気がついた。
「美鈴! あなた、手…」
「あ、お嬢様、慌てないで!」
レミリアがバランスを崩し自転車と共に地面に転がった。
うわ、怒られる……と思いながらも、美鈴は転がったレミリアを起こしにいこうとする。
だが駆け寄る前に、レミリアはすぐに立ち上がり美鈴に尋ねる。
「美鈴! あなた手を離してたわよね!? いつからなの!?」
レミリアはすごい剣幕で聞いてくる。
「走り始めてからすぐにですよ。お嬢様は一人でしっかり自転車を漕いでいたんです」
そんなレミリアに美鈴はニッコリと微笑みながら喋る。
それを聞いて、レミリアの表情が少しずつ微笑みに変わっていく。
「お嬢様、おめでとうございます」
「ありがとう! 美鈴!!」
レミリアは満面の笑顔で美鈴に飛びつき、美鈴も笑いながら、飛びついてきたレミリアを受け止めた。
少し落ち着いて、興奮していたレミリアは美鈴から離れると、倒したままにしていた自転車に
駆け寄り自転車をゆっくりと起こす。
「美鈴、本当に感謝してるわ。あなたのおかげで自転車に乗れるようになったし
咲夜とパチェとの約束を破らずにすみそう。でも、私が一番喜んでいるのは練習して
乗れるようになったということ」
起こした自転車をスタンドで倒れないように立たせる。
そしてまた美鈴の近くまでレミリアは歩いてきた。
「私は今まで練習なんてしたことはなかった。できないようなことは
咲夜やメイドに任せればいいし、紅魔館の主が練習なんて格好悪いと思ってた。
でも今回、練習というのをしてみてわかったわ。ゼロから何かを始めて、達成するのが
どれだけ大変か、そして嬉しいか。本当に初めて感じる気持だわ」
ぐっと背伸びをして笑う。
「お嬢様のお役に立てて、私は幸せです。いろいろありましたけど、お嬢様が乗れるようになって嬉しいです」
美鈴も、ぐっと拳を胸の前で固めて、ニッコリ笑う。そうして二人は心の底から笑った。
「お嬢様。こうして乗れるようになったんです。早く咲夜さんとパチュリー様の所へ。
お二人をお乗せするのでしょ?」
「ええ、そうね。じゃあ、自転車で紅魔館まで行ってくるわ」
レミリアは自転車にまたがり、紅魔館に向かって漕ぎはじめる。最初はやはり揺れるが
すぐに安定し、そのまま真っ直ぐと紅魔館に向かって行った。
自転車で帰って行くレミリアに美鈴は「お気をつけて」と言って手を振った。
そして、見えなくなると、美鈴は大きく腕を伸ばし背伸びをする。
「最初はどうなるかと思ったけど、無事任務完了。いろいろ痛いことあったけど……
でもお嬢様のあんな嬉しそうな笑顔が見れたし、それで十分!」
背筋を伸ばしたまま、空を見上げ、美鈴はそんな独り言をぼやく。
「さて、仕事に戻りますか!」
腕を下ろし、紅魔館の方向から門の方向へくるりと方向転換し歩き出す。
そうして歩き出した美鈴だったが、後ろから何か音が聞こえたような気がして振り返る。
すると、先ほど紅魔館に戻っていったレミリアが自転車を漕いで、こちらに戻ってくる姿が目に映った。
戻ってきたレミリアは、美鈴の前辺りまで来るとブレーキをかけ止まる。
「お嬢様? どうしたんですか? 何か忘れ物でも?」
美鈴は首をかしげながらレミリアに尋ねる。
「いろいろ考えたのだけど……美鈴、あなた私の後ろに乗りたくないかしら?」
レミリアは頬を人差し指で掻きながら、少し照れくさそうに聞いてくる。
「え? 私がですか? それは、一度は乗ってはみたいですけど。でも咲夜さんやパチュリー様に
乗せる約束してるじゃないですか。だから私はその後でも…」
「乗りたいのね? なら乗っていいわよ」
そう言って、レミリアは笑顔で後ろの座る所をバシバシと叩いた。
今すぐ乗れということらしい。ここで断れば機嫌が悪くなるのは目に見えていた。
「……えっと、じゃあ、お言葉に甘えまして」
笑顔で乗せてくれようとしているレミリアに戸惑いながら、美鈴はちょこんと両足を外に
投げ出すような形で座る。
「……じゃあ、行くわよ」
レミリアがペダルを漕ぎはじめる。が、一人乗りとは違ってなかなか上手く安定しない。
「まだ乗れる様になったばかりですし、バランスを取るのが難しいですよね。
お嬢様、最初私は降りていますからお嬢様はお一人で漕いでください。スピードが出たら
私がゆっくりと後ろに乗るようにします。きっとその方が上手くいくと思うんですよ」
「私の、自転車の先生の美鈴が言うのならそうね。それでいきましょう」
そして、今度は、レミリアは美鈴を乗せていない一人乗りの状態で走り出す。
それを美鈴は飛んで追いかけていく。そして良い感じでスピードがのった所で、ゆっくりと自転車の後ろに座る。
最初は少し揺れたが、スピードが上がっていたことと、美鈴が上手く、レミリアに同調させるようにバランスを
あわせたため、ちゃんと安定して自転車は走り続けた。
「お嬢様! 二人乗りしてますよ!」
「ええ、わかるわ。美鈴、スピードを上げるから私にしっかり捕まって!」
捕まれといわれて、恐れ多く、美鈴はどこに捕まればいいかと迷ったが、最終的に
両手を腰に回す形で捕まる事にした。それを確認するとレミリアは、ニッと笑って
スピードを上げる。自転車はぐんぐんと加速していく。
「お嬢様!? 大丈夫ですか、こんなにスピードを出して!?」
「大丈夫よ、速い方が楽しいじゃない!」
レミリアは漕ぐ足を止めない。美鈴も何だかんだで今のスピードを楽しんでいた。
しかし、車輪が、地面に転がっていた大きな石を踏みつけバランスを失う。
速い速度で走っていた自転車は、ガランガランと音をたてながら転がる。
それに乗っていたレミリアと美鈴も地面に投げ出されるが、美鈴は投げ出される瞬間
レミリアを衝撃から守るように抱きながら、ごろごろと転がった。
「お嬢様! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫よ、私が注意せずにスピードを上げていたのだもの。自業自得よ」
美鈴の腕の中でレミリアが微笑む。それを見て美鈴はほっとする。
自転車は笑っているかのように、車輪がカラカラと回していた。
そして二人も、そのまま倒れたまま、一緒に空を見上げ、笑った。
「ねえ、美鈴」
「はい? なんでしょう、お嬢様?」
「あなたは特別に、今日だけじゃなくて、いつでも私の後ろに乗せてあげるわ」
「……へ?」
驚きと戸惑いの混ざったような表情をしているそんな美鈴に、レミリアは悪戯っぽく
笑いながら、顔を美鈴の方へ向けた。少しの間、美鈴は混乱していたが
頭の中を整理し終わると、美鈴は表情をやわらかくし、優しく微笑んだ。
「約束ですよ、絶対に、また私を乗せてくださいね!」
「ええ、ちゃんと約束するわ」
そしてまた二人は空を見上げるのだった。
余談
二人空を見上げ、レミリアは「あら」と声をだした。
「は…はぅあぅああああ…」
美鈴は変な声を出し、一瞬硬直し、次は震え始めた。
空には咲夜とパチュリーが浮いていて、二人はこちらを静かに見ていた。
「咲夜、パチェ。私、自転車に乗れるようになったわ! 美鈴と二人乗りをしたしもう完璧よ!」
空に浮いている二人に向かってレミリアは声を出す。
「はい、わかっていますよ。ずっと、見ていましたから」
空を浮いている咲夜がレミリアに返事をして、笑顔で手を振って見せた。
パチュリーも笑顔で手を振ってみせている。
「さ・・・咲夜さん、パチュリー様・・・」
美鈴も空に浮く二人の名を呼んでみる。
「ご苦労様、美鈴。よくやってくれたわね。でも何であなたが・・・一番最初にお嬢様の
後ろに乗っているのかしら?」
咲夜は、ニッコリ笑いながら腕を組む。
「レミィ、あのね、もう一度レミィが一人で漕いでいる所を見てみたいの。ちょっと少し遠くまで
漕いでみてくれないかしら?」
「わかったわ!」
レミリアは倒れている自転車に駆け寄り、起き上げると自転車に乗り、漕ぎはじめる。
「お、お嬢様! 待ってください、これは罠です! 部隊をバラバラにさせる巧妙な……」
しかし、レミリアは自転車を漕いでスピードを上げてこの場から遠ざかっていく。
レミリアを追いかけようとすると、空に浮いていた二人が素早く降りてきて、美鈴の前に立ちはだかる。
「さて美鈴。十分楽しんだから、もう思い残す事無いわよね? 覚悟は……いいわね?」
咲夜は笑顔でナイフを手に取り、美鈴の頬をペチペチと叩く。
「レミィの腰に手を回して……楽しそうだったわね。でもね、世の中楽しいことだらけじゃないのよ?」
パチュリーはいつもの表情で、手に持っていた本で、美鈴のボディをゴスゴスと本の角を使って刺す。
「あ、あは、あは、あはははは……」
美鈴は笑うしかなかった。
そうして、ここからまた、美鈴のスリリングな夜は続くのだった。
私も最初はよく転んで挫折しての繰り返しでした。
乗れるまで努力したレミリア様に敬礼!!
そして美鈴には・・・アーメン。
誤字?
買出しのついでに香霧堂へ→香霖堂
楽しく読ませていただきました。
とんずらする気まんまんな美鈴 いいw
チェストー!