これは「始まりのバースデー」の続きです。
でも、前のを読んでいなくても、概ね大丈夫なはずです。
館外では鳥がさえずり、朝の訪れを告げていた。昇り始めた太陽は次第に陰と陽を分けていく。
湖の中心に立つ洋館は、光を受け、深紅の姿を浮かび上がらせる。極端に窓の少ないそれは静寂に包まれ、昨夜までの賑やかさはない。陽の光を浴びて影を潜めてしまっているかのようだ。
静けさを取り戻した広間では数名を残して、各自解散となっていた。
「霊夢、大丈夫か?」
「何よ裏切り者」
昨夜のお祭り騒ぎで妖怪三人から食料にされかかっていた霊夢は、魔理沙に助けを求めていた。しかし圧倒的戦力差を見て取った彼女は、関わりあいになるのを避け悲鳴にも耳を閉ざした。
宴も解散になり、さすがに心配になって様子を確かめに行くと、そこでは体のいたる所に歯形をつけた巫女さんと遭遇できた。歯形の他に損傷箇所がないところを見ると、今回は味見といったところか。
「見てるこっちの方が恥ずかしくなるぐらいの乱れっぷりだったぜ」
「フランまで来た時には二重結界を使わせてもらったけどね」
もっと早く使っていればここまでひどい姿にはならなかっただろうに、その辺りどういう風に考えているのかわからない。
結局、一番性質が悪く厄介な、スカーレット姉妹には効果はなかったが、拘束を解かれた霊夢は宴の間中屋敷を逃げ回っていた。
今は姉妹揃って、夢の中で霊夢との追いかけっこを続けているのかもしれない。
「そういえば、広間を出たところでパチュリーと子悪魔が伸びてたけど、何があったのかしらね?」
「宴のときに見ないと思ったら。ホントに何をしていたんだか」
「魔理沙は二人を呼びに行ってたんじゃなかったの?」
「私は時間に厳しいからな。途中で分かれたぜ」
霊夢は、ふーんと呟くと肩をすくめる。魔理沙が知らないというのなら、直接本人にでも聞かないと事情は分かりそうになかった。
初めから、そこまでして追求する気もない。
子悪魔が「スケッチブックだけは守った」と最期に言っていたが、それだけは不思議と気になった。
二人が広間で世間話をしていると、同じく広間に残っていた紅魔館の従者が話しかけてきた。
「霊夢さんに、魔理沙さん。そんなところに立っているぐらいなら、お掃除を手伝ってくださーい」
「まさか大妖精に命令される日が来るとは思わなかったぜ」
「あの子まだメイドしてるのね」
「掃除なんて客人にさせるようなことじゃないぜ」
「魔理沙はしないほうがいいんじゃない」
大妖精に聞こえないように文句を言いつつ、二人とも一応は手伝っておこうとモップを手に取る。特に魔理沙はそれが処世術だと知っていた。
そして二人が掃除を始めようとすると―――
―――ちゅどーん!!!
壁の一部が外からの激突音とともにいきなり崩れだした。もうもうと粉塵が広間を埋め尽くし視界を閉ざしていく。
「ごほ、ごほ。魔理沙が掃除するなんて言うから、こんなことになるのよ」
「ごほ。そうですよ。いくら掃除が苦手だからって、いきなり壁を破壊しないで下さい」
「むっ、失礼な。私はしないだけで、決して苦手じゃないぜ」
霊夢と大妖精の不満に、魔理沙は説得力のないことを言いながら憤慨した。魔理沙自身、壁を壊したことを否定しないのは、そういうことだってあるのかも、と思ってしまったからだ。
少しずつ視界が晴れてくると、次第に犯人の姿が明らかになってきた。
霊夢や魔理沙と比べると小柄な背丈で、頭には小さな帽子を乗せている。更に眼を惹くのは、普通の人間ならまず持ち得ないだろう、二つに分かれた尻尾と、帽子からはみ出した猫耳を装備している点だった。
「飛翔韋駄天で壊れたところの請求は、八日以内に博麗神社へ!」
「了解しました」
「いきなり何言ってんのよ。あんたも普通に了解してるんじゃない」
「どっちも私に謝れよ」
わけの分からないことを言いながら飛び込んできた凶兆の黒猫は、弾けんばかりの笑顔で懐から手紙を取り出した。それを霊夢と魔理沙、少し離れたところで美鈴と、今後の事を相談していた咲夜に手渡す。
「何、これ?」
突然、覚えのない物を渡された咲夜達は、困惑しながらも内容を確認する。橙はその様子をじっと眺めて三人の反応を待っていた。
『 虹色演奏会 特別招待状
本日正午より白玉楼にて、プリズムリバー三姉妹によるコンサートを
開催いたします。
コンサートの後にはささやかながら宴も準備しております。彼女達の
演奏を聞きながら楽しい一夜を過ごしてみませんか?
主催 西行寺 幽々子
協力 八雲 紫 』
……怪しい。
それが、手紙を渡された三人の第一感想だった。
「この怪しさ爆発な内容は何?」
一見まともに見えるこの招待状。だが最後まで読んでみれば、八雲紫という名の妖怪が登場しているではないか。しかも協力という形で、だ。こうなると、まともなことが書いてあればあるほど胡散臭くなってくる。今までだって彼女は、登場するたびに話しを紛糾させていった。
「見ての通りだよ」
橙の言葉を聞いて咲夜は手紙の内容をもう一度吟味した。
彼女は試されている。完全で瀟洒を自称するには、この招待状を見て正しい結論を導き出す必要があるはずだ。
そして彼女が全てを加味して辿りついた答えは、
「あの姉妹が演奏……弾幕ごっこという訳ね」
「ちゃんとコンサート開くって言ってたよ」
・・・・・・大きく外れていた。
「次から紛らわしいことは、書かないことね」
内心はともかく表向き、彼女は橙を注意した。
いっしょに手紙を見ていた美鈴の視線が、妙に痛い。
「皆が納得してくれたところで、白玉楼へ向けてしゅっぱーつ!」
橙は元気良く号令をかける。
始めは誰もがこの招待状を疑っていた。しかし、魔理沙の「行ってみれば分かるだろ」という言葉で、三人ともコンサートに行くことになった。
「あー、その前に橙に頼みがあるんだ」
そう言って魔理沙は橙を呼び止めた。その間に咲夜は、美鈴と大妖精を呼ぶと、自身がいない間の指示を出していく。
「美鈴は壁の修理と、フランドール様が起きたらお世話を」
「任せてください」
「大妖精はとりあえず彼女を起こしてあげて。その後はここの片付けをよろしく」
「了解です」
言いながら、咲夜は壁端で果てているチルノを指す。宴の間彼女が動いた様子はなく、終わった今も取り残されている。
「それじゃあ、今日一日頼んだわよ」
「「はい」」
二人の返事を確認した咲夜は、霊夢と魔理沙の元へ戻っていく。
「あれ? 橙は?」
「先に紫のところに帰ってもらったぜ」
「……また、何か企んでるようね」
「それは、後のお楽しみだ」
魔理沙は意地悪く笑うと、壊れた壁から外に飛び出していった。
咲夜は霊夢に視線で問いかけるが、肩をすくめて首を振るだけだ。
「面倒な事にならなければいいけど」
「もう充分なってると思うわよ」
二人は同時に溜息を吐くと、魔理沙を追いかけて外に飛び出していった。
三人は雲の上を飛んでいた。紅魔館を出てから何の障害も無く、順調に冥界を目指している。
「あっ!」
しかし、魔理沙は短く声を漏らすと、急に停止した。
すぐにそれに気付いた二人も一瞬送れて停止する。振り返りながら、霊夢がなんとなくだろうが的確に尋ねて来た。
「また寄り道?」
「そんな事はないぜ、いや、あるけど」
「怪しいわね。あなたはよく事態を引っ掻き回すから」
「橙に耳打ちしてた事と関係あるんじゃない?」
「それはきっぱり無関係だ。それと隙間妖怪と一緒にされるのは心外だぜ」
二人の追及を魔理沙は適当にはぐらかしていく。
「私だってお前達と別れるのは、実に見苦しいんだぜ」
「せめて心苦しいっていいなさいよ」
「まぁ、私に迷惑かけないならいいけど。……心配だわ」
「信じてくれよぅ」
魔理沙はいきなり可愛い声でお願いしだした。それを聞いて、もう、どうでもよくなったのか、二人は思いのほかあっさりと引き下がってくれる。
魔理沙は心の中でガッツポーズをとりながら、進路を変える。よくよく考えてみると、霊夢や咲夜と別れる必要はなかった気がした。だが、話してる様子からして二人が付き合ってくれるとは思えないし、大した用があるわけでもない。
彼女の向かう先、そこには自分の庭ともいえる広大な魔法の森があった。
―――いつかの春とは違い、既に桜の花が舞い散り始めていた。その中を三人の人間は、微かな不安を胸に駆けていく―――
* * * * *
水辺に腰を下ろして、水面を蹴ってみた。水は、ぴちゃり、と跳ねて波紋を広げていく。
……退屈だった。
私は昨日、赤い屋敷の宴に参加していた。不慮の事故で宴の時に意識はなかったけど、皆いっしょにいてくれた。皆が近くにいるだけで、私は幸せになれた。
―――目を覚ましたのは宴が終わった後だった。広間には私の他に二人しか残っていない。先に帰ったり、出かけたりしたらしい。
私も帰ろうと思って、何故かメイド服の、大妖精に声をかけた。だけど彼女は「まだ帰れないの」と言って、私に謝ってくれる。彼女が悪いわけじゃないから、謝る必要はないと思った。だって、私が我侭を言っただけ。だから、私は「気にしないで」と言って、一人で帰ってきた。
私は、宴の時起きていられなかった事に不満があるわけじゃないの。
私が嫌なのはその後。皆がいなくなってしまうその瞬間……胸が張り裂けるんじゃないかと思うほど寂しくなる。心にぽっかり穴が開いてしまうようでとても怖い。
私はいつも心の中で叫んでいた。『行かないで』『まだ終わりじゃないよね』と。
でも、そんな我侭は誰にも届かない。私をひとり残してどこかへ行ってしまう。
あんなに楽しかったのに何でこんなに苦しいの? 私が悪い子だから? 悪戯ばっかりしてるから?
「誰か……教えてよ」
「…………何をかな?」
それは独り言のつもりだったのに、受け取ってくれる人がいた―――
* * * * *
私は、リビングで頬杖をつきながら魔術書を読んでいた。文字の羅列を目だけで追って、端まできたらページを捲る。
朝から繰り返してきた単純作業。しかし実際は、頭の中に少しも入ってきていないのだから、読書とは言えないのかもしれない。
私は軽く息をはいて、頭を振る。どうも今日は朝から調子が出ない。
別にいつもと変わったところなどない。
唯一違うところがあるとすれば、家全体がとても静かなことぐらいだろう。普段なら多くの人形達が家事をしたり、遊んだりしている。
でも今日だけは、一番のお気に入りの人形一体だけに家事を任せていた。
そうすることに、特にこれと言った理由があるわけではない。ただ、なんとなく、そんな気分なのだ。今日を騒がしくされたら私はきっと怒るだろう。意味もなく人形達を怒鳴りつけてしまう。そんな確信があった。
私はなんとなくページをめくり続けていた。
するといつのまにか、誰かがスカートの端を引っ張っている。驚いて足元を見ると、そこには家事をしているはずの上海人形がいた。
私は、彼女がこんな近くに来てやっと気付くほど、単純作業に夢中になっていたらしい。
―――つい自嘲的に笑ってしまった。それからスカートを掴んだままの上海に、どうしたの、と首を傾げて問いかける。
「…………」
彼女は何も言わない。スカートを摘まんだまま、じっと私を見上げている。
彼女が人形だからといって話せないわけではない。普段なら積極的に話すし、人形達の中でも中心的な立場にあったはずだ。
そんな彼女の気持ちが、直接私に伝わってくる。
始めに、
『今できる家事は終わったよ』と。
…………そこまで言うと、上海はまた黙ってしまう。適切な言葉が見つからず、必死に探しているみたいだ。
そして、私に届いた気持ちは酷く曖昧なモノだった。
『なんだかよく分からなくって、不安で、落ちつかない』
―――嗚呼……やはりこの子も感じていたのだ。幻想郷を覆う、複雑に入り混じった感情の流れを。
私は上海を抱きかかえてあげると、頭を撫でながら、
『大丈夫よ』
と口に出さずに教えてあげた。
上海はなんだかよく分からない、と言っていた。でも私には、この感情の流れをもう少しはっきりと感じられる。その中には、喜び、怒り、哀しみ、そして楽しかった瞬間があった。
「上海、少し出かけましょう」
今度は声に出して言った。上海は、私の意図が分からなかったのか、きょとんとしている。それから、私を見ながらためらいがちに頷いてくれた。
私たちは家を出て空に飛び立った。上海はどこに行くのかも聞かずに、胸に抱かれている。余程居心地がいいのだろう。
いつもなら元気に動き回っているような子だ。ここまで落ち着いてじっとしているのは珍しい。私は、自分の中でこんなに大人しくしている上海を見たら、思わず微笑んでしまった。
「おーい!」
小さな幸せをかみ締めていると、聞き覚えのある声が空に響いた。
無視をしてどこかに行こうかと思ったが、どうせ追いかけてくるのだろう。ここで待っていれば向こうの方から来てくれるのだ。無駄に体力を使うのも馬鹿らしい。
「よ、奇遇だな」
「そうかしら……何かよう?」
いつもの調子でどこからか飛んできた魔理沙に、冷たく答えてやる。こちらには、用などないのだ。大したことでないなら早く開放して欲しい。
「連れないぜ。まぁ、いいか。せっかくだからアリスも誘おうと思ってな」
そう言って、魔理沙は一枚の紙切れを帽子の中から取り出した。
何故そんな所にしまっていたのか激しく気になったが、とりあえず、紙を受け取って簡単に流し読みする。と言ってもそんなに長々と書いてあるわけでもない。
内容は招待状のようだった。
「……ふーん、そういうことか」
「それじゃ、行こうぜ」
「残念ながら、私たちはパスするわ」
勝手に話しを進めようとする魔理沙に私は待ったをかける。手紙を見て大体の事情は分かった。おそらくこの演奏会に私が行っても面白いと思うことはない。
それなら当初の目的地に向かった方がいくらか有意義だろう。
「こんな演奏会なんて退屈なだけよ」
「そうか? あの姉妹の演奏なら結構楽しめると思うぜ」
「それは認めてあげるわ。でも他に行く所があるから」
「それなら仕方ないか……そいつはどうするんだ?」
私が諦めたかな、と思った次の瞬間、あろうことか魔理沙は上海にまで話しを振ってきた。まさか話しを振られるとは思っていなかった上海もびっくりしている。
……一応上海に尋ねる辺り、魔理沙も彼女を認めているのだろう。でも、私が抱いている時に聞かなくてもいいのに。
私は、おろおろしている上海に目線だけで、どうする? と聞いてみた。答えは分かっていたけど、魔理沙が聞いたのに、私が上海を無視するようなことはできない。
上海は予想外の展開にちょっと戸惑っているようだった。だけど、何を聞かれているか理解した上海は、私の手の中から抜け出した。そして魔理沙の方を向いて一度ペコリとお辞儀をする。その後はまた、私の手の中に戻ってきた。
私は少し安心する。
「やれやれ、嫌われちまったな」
「安心しなさい。今日だけはきっと、そんなんじゃないから」
「それじゃあな」
「ええ、さようなら」
魔理沙は別れを告げると、さっさと冥界の方へと飛び去っていった。現れるのも唐突ならいなくなるのも唐突だ。
でも彼女のおかげで、今日、何が起きているのか大体理解できた。
(こっちの用が済んだら、行ってもいいかもね。その頃にはきっと演奏会も終わっている)
私は心の中で感謝をしつつ飛行を再開した。
目的地が見えてきた頃、私は上海に語りかける。
『私の故郷に行くのは始めてよね?』
『うん』
『そこには私を生んでくれた人もいるのよ』
『アリスの、お母さん?』
『そうなるのかもね……あなたには、おばあさんになるのかしら?』
私と上海は故郷の話しをつつ、魔界へと入っていった。
* * * * *
今年もいつも通りに春が来ました。いえ、春の訪れは例年に比べれば少し早いぐらいかもしれません。それでも、このぐらいの早さなら異常とは言えないでしょう。
普通に考えたら、異常な春の訪れなんてありませんよね。でも一度だけ、すごくおかしな春があったんですよ。
その年も、私は冬が明ける時期に目を覚ましました。そして毎年しているように、幻想郷に春を伝えようと飛び出します。ところが外はまだすごく寒いんです。
私は初め、今年は遅めの春なのかと思いました。だってまだ春になってすぐなんです。きっと、まだまだ寒い日もあるんだろうと思いました。その時はちょっと残念だなぁ、ぐらいにしか感じていません。
だから私は、早く春を伝えたくてまだ寒い幻想郷で探しました。きっとどこかにある春を信じて。きっとどこかで、私を待ってる人がいると信じて。
私は毎日毎日探しました。雪の日もあります。吹雪に合う日もあります。でも、きっとどこかに春はあるんだと信じ続けました。
四月の半ばになると、私は愕然としました。地上のどこを探しても春が見つからないのです。そして、まだ冬だとばかりに雪が振り出しました。
一体春はどこに行ってしまったのでしょうか? 気温だって全然上がらず冬のように寒いのです。いえ、事実まだ冬なんです。
春を見つけられないまま五月になってしまいました。その頃になると私の白い羽は、悲しみで黒ずんでいます。
私は地上を探すことを諦めて、空を探すことにしました。
私は雲の上を最後の希望だとばかりに探しました。ここで見つけられなければ、春はもうどこにもないのです。
私はゆっくりと丁寧に探してゆきます。すると、私の体を一陣の風が撫でていきました。
間違いありません! それは温かくて気持ちのいい、春風だったのです。しばらくすると、今度は春風に運ばれてきたのか桜の花びらまで舞い始めました。私はついに春を見つけることが出来たのです。
いてもたってもいられなくなった私は、全力で春のある方向へと飛んでいきました。そこではなんと、同じように春を探していた人と出会うことが出来たのです。
私たちは思いっきり春を伝え合いました。でも悲しいことに、長旅の疲労から私はすぐに倒れてしまいます。
しばらく気絶していた私は、その後に何が起こったのかは良く知りません。
地上で目覚めた私は、周囲の変化に大変驚きました。草は芽吹き、桜は満開! もうどこにも冬なんてありません。
私は幻想郷に春を伝えることができると思い、嬉しさでいっぱいになりました。
あの時は、春を伝える喜びが何よりも勝っていました。でも落ち着いて考えるととても不思議なのです。雲の上で春を見つけたと思ったら、私と同じように春を探している人と春を伝え合い、それが終わると辺りは春に包まれています。
いったい雲の上で出会った人は誰なんでしょう。何となく覚えているのは紅白の服を着た女の子ということです。そして彼女がとても強い春度の持ち主だと言うことです。
私は今、彼女と始めて出会った雲の上に来ています。もう一度会って、彼女の春を感じたいのです。
遠くから誰かの話し声が聞こえて来ました。それは次第に私の方へと近づいてきています。
一つは女の子の声でした。
ナイフのような、鋭い声をしていました。
それは幼い自分を捨てる為の声でした。強い自分を得る為に、全てを拒絶する為の声でした。
しかし、それは彼女の本質ではありません。今の彼女は温もりを求めています。温もりを、与えています。時間という概念を越えた場所で、お互いに癒し癒されていくのでしょう。
もう一つの声も女の子のモノでした。
春のような温かい声でした。夏のような激しい声でした。
秋のように哀しい声でした。冬のように厳しい声でした。
その声音は太陽の輝き、真実と……月の光、幻を私に見せてくれました。
彼女は全てを受け入れています。世界を知り、世界を理解しています。
それは何よりも純粋で、汚すことさえ出来ない在り方であり、想いなのです。
私は彼女に惹かれていることを知ると、私が探していたのも彼女だということが分かりました。
私は宙を駆け、声の主を迎えに行きました。彼女の世界に入るスペースがなかったとしても、側にいるだけで幸せになれるのです。僅かに近づくだけで、心の中に春が溢れる事さえ、感じられました。
私は出会った時と同じ紅白の服を着た少女に、抱きつきました。
もう一人の、青い服に白いエプロンを着けた少女は、私たちの交わりを見て微笑んでいます。それから紅白の少女と一言二言話すと、先にどこかへ行ってしまいました。
最初こそ紅白の少女は驚いていましたが、次第に落ち着いてきたようです。彼女は私が側にいることを許してくれました。
すると、私は彼女の想いを感じることができした。おそらく彼女にも、私の幸せに満ちた想いが伝わっているのでしょう。だって私たちの気持ちは、今は手を伸ばせば届くほど近くにあるのですから。
私は紅白の少女に抱きついたまま、彼女の行く先へとついて行くことにしました。
* * * * *
私は今、白玉楼の入り口に立っていた。
この階段の下で、客人が来たら中へ案内するように言われている。客人は皆、白玉楼の中をよく知っているのだから、私がここで待つ必要はない。だが招待しておいて出迎えもなしでは、いささか無粋だろう。
とはいえ、ここで唯黙って待っているだけでは時間がもったいないので、今までの自分を少し見つめなおしてみる。
幼い頃、私には祖父がいた。祖父は同時に師匠でもあった。剣の師であり、生き方の師でもあった。
私は今でも師匠の教えを守り、日々を半分ほど生きている。お嬢様の警護をしながら、庭師として白玉楼を管理する。そして、空いた時間を見つけては剣の鍛錬を欠かさなかった。
それは師匠が姿を消してからも、一日も忘れることなく続けている。
しかし、私は今の生活に疑問を持ち始めていた。
師匠の教えの中には、切れば分かるというものがある。私はその言葉を信じ様々なものを切ってきた。初めは何も疑わずに切っていた。だが最近では、本当にそれで理解できているのか分からないのだ。何か大きな間違いをおかしているような気がする……。
何が正しいのか分からなくなった私は、幽々子様にどうすればいいのか相談していた。
「そうね……あなたはもう少し自分のことを知った方がいいわ」
幽々子様はそう言って、少し悪戯めいた笑みを浮かべていた。
どういう意味なのだろうか? 私は私ではないのだろうか。ならば自分を知るとはどうすればできることなのか。
私は必死に考えた。すると今までの私の生活が頭の中を駆け巡る。これが、走馬灯というやつだろうか。
多少驚いたが、私はその中で答えを見つけることが出来た。それは気付いてしまえばとても簡単なこと。近くにありすぎて、ゆえに見えなくなっていたのだ。
長い思考の中から真理を見付けた私は、目を開き、剣をすらりと抜いて正眼に構える。毎日欠かさず手入れをしてきた楼観剣は、陽の光を反射して美しい輝きを放つ。一振りで幽霊十匹分の殺傷力があるこの剣なら、速やかに目標を達成できるだろう。
「ハァ、ハァ」
相手と向き合っただけで呼吸が乱れる。それは、師匠に近づけるための興奮からか。それとも相手を熟知しているがための恐怖からか。
「はああぁぁー!」
私は気合の掛け声と共に踏み込む。相手は動かない。
踏み込んだ勢いと共に渾身の一撃を振り下ろす。
―――とった!
思った瞬間、金属のぶつかり合う甲高い悲鳴が辺りに響いた。私の一撃は後少しのところで目標に届いていない。
「なっ!」
私は驚愕の呻きを漏らすと、慌てて距離をとる。そして横からナイフで、楼観剣を防いだ犯人を確認する。
「何故止めたのですか?」
もう少しという所で止められた私は、その犯人に向かって鋭く言い放つ。いつものメイド服を着たナイフの主、咲夜さんは困ったような顔をしつつ答えた。
「普通止めるわよ。今のは」
「何故ですか? 後少しで、私は新しい境地にたどり着けたのに!」
あろうことか咲夜さんは、私の霊体をかばう様に立ち位置を変えていく。訳が分からない。何でこの人はこんな事をするんだ。自分がどれほどの過ちを犯しているのか、まるで分かっていない。
「どいてください!」
「そんな事したら、あなたはまた自分に切りかかるでしょ?」
「当然じゃないですか。」
その上こんな当たり前のことまで聞いてくる。一体咲夜さんに何が起こったのだ。あのいつも冷静な人とは思えないほどの変わりように、私は驚いた。
そうだ! 今の彼女は冷静ではない。自分殺しという、ごくありふれた瞬間を目にしてしまったが為に、落ち着いてモノが見えなくしまったのだ。
だからと言って、私に咲夜さんをどうにかできるだけの力量はないのだが。
「どいてあげてもいいけど、せめて訳ぐらい話しなさいよ。それで私が納得出来れば、もう何も言わないわ」
「くっ、分かりました。話しましょう」
「何で、悔しがるの?」
私の気持ちなど全然分かっていない咲夜さんに、少しでも落ち着いてもらおうと、私は事の顛末を話した。そうすればきっと、咲夜さんは冷静さを取り戻して自分の行いを悔いてくれる。
……
…………
………………
「あなた騙されてる。いえ、正確にはちょっと違うけど」
話しを聞き終わった咲夜さんは、いきなりそんな事を口走った。
駄目だ。落ち着くどころか症状は更に悪化している。
「咲夜さんは、私の師を、幽々子様を愚弄するのですか!」
「どっちかと言われれば、あなたの考え方ね」
「それは、こっちのセリフです」
咲夜さんは私の言葉に一瞬、ムッとした表情になると今度は攻撃的な目線で私を見据えた。私もここで怯む訳にはいかず、睨み返す。
「参考までに聞くけど、あなた今私の事どう思ってる?」
「……この女一体何を言ってんだ。頭がどうかしてるぜ。こんなんでメイド長が務まるんなら、私にだって余裕でこなせるな」
「……そう」
咲夜さんが一言呟いた瞬間、辺りに殺気が吹き荒れ始めた。それは私が今まで放っていたものと絡み合い、風となってお互いを打ちつける。
咲夜さんは目を細めると、それ以外の表情を消した。今までは興奮していたように見えるが、彼女は戦う時までそれを持ち込まない。
私は彼女の変化に戦いは避けられないものだと知った。白楼剣を抜き、油断なく咲夜さんを観察する。
現在、彼女の得物は楼観剣を受け止めたナイフだけだ。しかし彼女は空間を操り武器の調達ができる。実質彼女の武器のストックは無限と考えた方がいいだろう。
更に厄介なのは、時間を止める能力だ。空間を操る力の真髄とも言えるこの能力には、抗う術など皆無に等しい。
ならば彼女に能力を使われる前に仕留めるほかない。勝負は一瞬。
「一応聞いておくけど、やめるのなら今のうちよ」
「なら、そこをどいてくだ―――」
「―――おやすみ」
私が言い終える前に、咲夜さんは私の後ろをとっていた。それに気付いた瞬間、体が勝手に動く。
私は振り返るひまも惜しんで、前に飛び込んでいた。すると今までいた位置を一瞬送れて殺気が通り過ぎる。
「あら? よく避けられたわね。分からないまま終わりにしてあげようと思ったのに」
「ハァ、ハァ」
私は素早く立ち上がり、振り返る。
……
…………
………………
私は咲夜さんとの闘いの中で、自分の過ちに気付いていた。
急速に意識が遠くなっていく。
「幽々子様、申し、わけ、ありま、せん」
薄れゆく意識の中で、私はそれだけを言った。
* * * * *
「……はぁ」
私は大きく溜息を吐くと、少し離れた所で桜を鑑賞している妖怪を見つめた。
妖怪の名前は八雲紫。幻想郷が出来る前から生きているという、古参の妖怪だ。私の友人ながら、何を考えているのか実によく分からない。今だって私が彼女を見ていることに気付くと、私に向かって手を振っている。
彼女は八雲藍という、式神を持っている。更にその式神が橙という式神まで持っているのだから不思議だ。今は二人ともここ……今日の宴の会場にはいない。しばらく前に白玉楼を探検したいと言って、姿を消した。
庭師の妖夢は、客人を迎えに行っているからここにはいない。
つまりここにいるのは、私と紫。そして宴の発端となった、プリズムリバー姉妹がいるだけなのだ。
発端となったのはプリズムリバー姉妹なのだが、紫さえいなければ今日の宴はなかったはずだ。別に宴が嫌いな訳じゃないのだが、今回ばかりは乗り気がしなかった。
「……ふぅ」
溜息は止まりそうもない。悩みの主な原因となった紫はと言えば、桜を見飽きたのか何やら考え事をしていた。
すると彼女は、何もない地面に丁度人一人が入れるぐらいの隙間を作り出した。それが出来ると今度はその隙間の上、自分の身長よりやや高い位置にも、地面に作ったものと同じぐらいの隙間を作る。
二つの隙間を作った彼女は、その成果を見て満足そうに頷いている。彼女は一体何をするのだろう?
「あっ!」
彼女はいきなり下の隙間に飛び込んでいた。
何が起こったのか理解できない私は、その隙間をしばらく観察していた。すると、今度は上の隙間から紫が降ってくる。そして重力に逆らうことなく下の隙間へ。
また上から降ってくるのかと思い待っていると、やはり上から出てきた、何故か逆さで。
そしてまた下へ。
次はどうなって出てくるのか気になった私はじっと待っていた。紫が出てくる。今回は上下が逆転しているということはなかった。その代わり、彼女の服がゴスロリ系の服から、大陸の導師が着るようなものに変わっている。
それ以外の変化はなくまた下へ。
……やっぱり紫が何を考えているのかは分かりそうにない。だからあの時彼女が言った言葉にも驚くことはなかった。そう、私は驚いたのではなく困っていた。
「どうかお願いできないでしょうか?」
「そんな事言われてもねぇ」
もう何回も繰り返してきた問いに、私は渋い顔をする。
白玉楼の客室で、私はルナサ・プリズムリバーと話し合っていた。話し合うといっても、相手がいきなり押しかけて来て、私に頼み込んでいるだけだ。
それも私に出来ることなら聞いてやってもいい。だがルナサの頼みは、私の能力の外にある事で叶えることは出来そうにない。
そう言っているのだが、妙に頑固で粘る。いつも責任感が強い方だと感じていたがここまでとは思っていなかった。
「お願いします。妹の命日に、レイラと合わせて下さい」
「あら、それは楽しそうじゃない」
私がどうやって断ろうか必死に考えていると、突然後ろから声が聞こえてくる。
……出た。
いつもの事なので驚くことはなかったが、私は頭を抱えたくなった。このタイミングで現れるということは、隙間妖怪はルナサのお願いを聞いてやりたいらしい。他人事だと思って。
当のルナサは突然姿を表した不法侵入者に酷く驚いていた。
「ねぇ、幽々子。この子のお願い聞いてあげましょうよ」
「他人事だと思って、無茶言わないでよね」
後ろで体を半分だけ隙間から出している紫は、さらりととんでもない事を言う。こいつは私の能力を知っていながら、出来ないことを押し付けてくる。
そこを紫の登場の衝撃から立ち直ったルナサも詰め寄ってくる。
「是非、お願いします」
「ほら、こんなに頼んでるんだから、意地悪しないで手伝ってやりなさいよ」
「あのねぇ、私の能力は戯れに死に誘う程度のモノ。死霊をどうこうするなんてできないの」
もう、何度してきたか分からない答えを返してやる。流石にうんざりしてきた。
「それじゃあ、妹さんの命日にここであなた達の演奏会を開くって形でいいわね」
「はい、それなら大丈夫です」
「何勝手に話しを進めてるのよ。無理なものは無理ですからね」
私は二人にきっぱりと言い放つ。そうでもしないと本当にここで演奏会を開かれてしまう。
「もう話しはついたから帰ってもいいわよ」
「はい、ありがとうございました」
「ちょっ、ちょっと。話しはまだ……」
呼び止める暇もなく、ルナサは軽い足取りで出て行ってしまう。
甘かった。二人とも始めから私のことなど気にしていなかった。
紫は分かるとして、ルナサまでこんな強硬な手段を使ってくるとは予想していなかった。
「どうするのかしら? アナタのことだから……」
私は始めて紫の方を振り向いて、文句を言おうとしたが途中で、ん~、と悩んだ。
「アナタのことだから……何も考えていないわよね」
私は溜息混じりに呟いた。それを聞いた紫はさも心外だとばかりに反論してくる。
「そんなことないわよ。幽々子、何事も挑戦よ。私も応援してるわ」
「紫。そんなに白玉楼の住人になりたかったのなら、もっと早くに言ってくれれば良かったのに」
私は笑顔を作り、部屋中に蝶弾をばらまいた。
つい先日の事を思い出すと、頭が痛くなってくる。どうしてこんなことになってしまったのか、不思議でしょうがなかった。
いやいや、原因ははっきりしているのだが、今更それを本人に追求しても何も出てこない。
「ちょっと、これどうすればいいのかしら?」
急に声をかけられ相手の方に向き直る。そこには妖夢を背負った、咲夜がいた。
「その辺に寝かせといてあげればいいわよ」
「あー重かった。半人前の癖に体重は一人前なんだから」
彼女は本当にその辺の地面に妖夢を降ろすと、私を軽く睨み付けてきた。
あら? 私なんかしたかな?
「この子単純なんだから、あんまり迂闊な事吹き込まない方がいいわよ」
それで、私はピンと来た。多分妖夢が私に相談してきた時の事を言っているのだろう。
冗談半分で助言してあげたのだが、もしかして……
「やっちゃったの?」
私は恐る恐る聞いてみた。
「今回は未遂だけどね。でもかなり目が逝ってたわ」
あらあら、まさか本当に自分を切ろうとするとは。かなり煮詰まってたんだなぁ。
それにしたって、そんなそのままな解答を導き出すとは恐ろしい子ね。
「とりあえず、お礼を言っておくわね」
「それは、今日の宴でチャラにしてあげるわ」
うっ、やっぱり最後はそこに辿りついてしまうのか。嫌だなぁ。
「はぁ、とりあえずどっかその辺で待ってて。まだ時間はあるし」
私は咲夜にそれだけを言うと、ついつい紫の方へと視線が行ってしまった。
紫はまだ、あの永久運動を続けていた。
いつのまにかその中には、橙と藍まで入っている。
そんなにあれが楽しいのだろうか? ちょっと興味が沸いてきてしまった。
―――あれっ?
じっと見ていたら、微妙に不自然なことに気が付いた。どうも橙の出てくる割合が高い気がする。
更に観察を続けていくと、一定のパターンがあるらしい事が分かった。
ええと……橙、橙、藍、紫、橙、藍、橙……
どうやらこれで一周のようだ。
これには何か意味があるのだろうか? もしかしたら今の私の不安を解消させるようなヒントが隠されているのかもしれない。
「うーん」
しばらく考えてみたが、それらしい事は何もなさそうだ。残念だった。
すると今度は違うことに興味がわいてきた。気になることは即実験。
私は気絶している妖夢の足を掴んでずるずると引っ張っていく。
ポイッ。
そしてしばらく観察。
ええと……橙、妖夢、橙、藍、紫、妖夢、橙、藍、妖夢、橙……
妖夢が増えた分、一周するのに時間がかかるようになったらしい。
どうやら妖夢は、藍以上、橙以下の割合で姿を見せていた。
何を意味しているのかはさっぱりだが、隙間の新しい機能を発見した歴史的瞬間だった。
* * * * *
楽しい隙間遊びにも飽きて、幽々子もどこかへ行ってしまったので、私はこの遊びを止めることにした。
とりあえず、下の隙間だけを消す。その後上の隙間から、藍、妖夢、橙と降って来たのを確認して、上の隙間も消しておく。
三人は順番通りに積み重なっていた。一応年功序列になるようにしたが、一番下になった藍が二人の落下の衝撃に堪えきれず伸びてしまった。鍛え方が足りてないわねぇ。
「紫様。楽しかったね」
「そうね。意外な使い道があったものね」
この、素敵な隙間機能を日常生活に活かせないものか。
例えば……藍が私を起こす時にこれを使ってみるのはいいかもしれない。隙間の中に私以外の日常雑貨―――薬缶とか、たらいとかの金物―――を多数入れておく。そして藍が上手く私の所で止められないと、止めた雑貨が上から降ってくる。私の所で止められれば念願の私を起こす権利が手に入るのだ。
待てよ、それならば……やはり藍が起こすときに、この隙間機能を三組ほど用意しておくのはどうだろう。中にはいろいろな服を着た私を多数入れておく。それを藍に止めさせ、三つ揃った服でその日一日を過ごす。これならば一日を過ごす服も決まり、なお且つ楽しくて一石二鳥。問題は、藍が失敗したときの罰がないというところね。それさえクリアーすれば、すぐにでも実戦投入できるわ。
私がこれからの隙間使用法について考えを廻らしていると、橙が話しかけてきた。
「紫様、どうしたの?」
「ん? 橙も大きくなったら私を起こしてね」
「うん、明日からだっていいよ」
「今はまだ藍の役目よ。お仕事取っちゃ可哀想でしょ」
「そっか、じゃあ大きくなったら起こすね」
「ええ、楽しみにしてるわ」
今の橙に、罰を与えるのはちょっと心が引けた。でも、橙も成長して一人前になったら藍と共に起こしてもらおう。
なかなか私を起こせず、二人でおろおろしてる姿は想像しただけで萌える。
嗚呼、未来は薔薇色。
「橙、早く一人前になろうね」
「うん!」
決めた。
もう橙のことは藍一人に任せておけない。これからは私も積極的に橙の面倒を見てやろう。一日も早くこの子を一人前にしなくては。
いっそ橙の境界を弄ってすぐにでも一人前にしてしまおうか。
駄目よ、紫! そんなことはきっと赦されない。幻想郷が赦しても、藍が赦してくれそうにない。
藍の橙に対する執念はすごい。ある意味異常ともいえる。
はっ! もしかしたら橙が中々一人前になれないのは藍のせいじゃないかしら。藍は橙の未熟なところを見て、喜んでいるような節があった気がしないでもない。
なら、私の明るい未来、最大の敵は八雲藍。
式という身分でありながら、主に逆らうとは。今度その辺の関係をはっきりさせてあげるわ。
「?」
橙は私の未来設計を考えて悶絶している姿を、頭にはてなを乗せて見つめている。
く~、普段は何気なく見ている姿が、今はたまらなく萌えてしまう。
藍! あなたには負けないわ。
私は伸びている藍を睨みながら決意した。
もうすぐ演奏会も始まるという時に、残りの客が姿を表した。
おやっ? なんか余分なのも約一名ついて来てる。
「いらっしゃい。なんだか珍しいものを装備してるわね」
「紫も興味があるのなら、貸してあげるわよ。そのまま返さなくていいから」
「今年は綺麗な羽をしてるわ」
「ああ、冥界の入り口で合った時から見てたが、余程霊夢のことが好きみたいだぜ」
霊夢は背中に春を伝えるもの、リリーを背負っていた。今日の演奏会には丁度いい土産かもしれない。
何の土産もない魔理沙は霊夢を冷やかしている。まぁ、二人の様子を見れば、そうしたくなる気持ちはよく分かる。
しかし、私も大人だ。ここは、霊夢の苦労を労ってやるのが大人の対応というものだろう。
「丁度いいじゃない。ここで式挙げちゃいなさいよ」
ああん、私って自分に正直。嘘をつけない素直な自分が、好き。
だって、あんなに私を睨んでる霊夢の視線さえ心地よく感じることが出来るんだもの。
これでしばらくは、霊夢をこのネタでからかうことが出来るわ。
「とりあえず、もうすぐ式が始まるからその辺で待ってるといいわ。今日はなんだか一段と桜が綺麗に見える」
「それじゃ、式が始まるまで休んでようぜ。確かに二人を祝福してるようだぜ」
「…………」
霊夢は無言で私と魔理沙を睨んできた。何を言っても墓穴にしかならないことを知っているみたいだけど。私にはその表情だけで充分楽しい。
リリーはと言えば、終始笑顔で霊夢に張り付いている。やっぱりこの子は春が来たことを伝えてくれるのね。
霊夢と魔理沙は、リリーの事で盛り上がりながら、奥へと入っていこうとした。
私の傍らを通るときにリリーの頭を優しく撫でてやる。
「がんばりなさい」
「何だって」
私はリリーだけに聞こえるように言ったつもりだったのだが、霊夢がそれに反応していた。もちろん聞こえてもいいぐらいのつもりだった。むしろ心の一番深いところでは、聞こえろ、と思っていたかもしれない。
私の意図した意味と、霊夢がとった意味はどうせ違うのだろう。だから私は霊夢に合わせてやった。
「ふふふ、恐い恐い」
そう言って、私は幽々子の元へ行く事にした。
もうじき演奏会が始まる。
「そこのお嬢さん、浮かない顔してどうしたの?」
「おかしな妖怪に無理を押し付けられてしまったの」
あらあら、まだ落ち込んでる。そろそろ腹をくくってもいいでしょうに。
「紫。本当に何も考えはないの?」
「それは、あなた次第じゃないかしら」
何だか私まで溜息をつきたくなってきた。
「ほら、始まるわよ。騙されたと思って行ってきなさい」
「はいはい。行ってきますわ」
幽々子は立ち上がり、ゆっくりとルナサたちの元へと歩いていった。その様子はふわふわとしていて大変幽霊らしい。
でもこんな時ぐらいは堂々としていて欲しいものね。せっかくこの場を用意してあげたんだから。
「幽々子。ちょっと待って」
私は表面上、仕方ないといった風を装って呼び止めた。
立ち止まる幽々子の背を追いかけて、少し早足で歩く。
「これは―――いらないわね」
「えっ?」
そう言って私は幽々子に手を伸ばす。何をされるか分かっていないようだ。
私は彼女がいつも着けている天冠を外した。
「それと、これも貸してあげる」
「……いいのかしら?」
「終わったらちゃんと返してもらうわよ」
それから、私はいつも愛用している扇を渡した。幽々子はそれを開いたり閉じたりしながら使い心地を確かめている。
やがて、彼女は納得したように頷いてくれた。その扇はいつも彼女が使っているものと、ほとんど同じ柄をしている。
幽々子は自分の扇も懐から取り出した。
「ありがとう。それじゃあ行ってくるわ」
そう言って、彼女は久しぶりの笑みを浮かべてくれる。
両手に持った扇と天冠を外した姿、そして今の笑みは、あの時と変わっていない。
……懐かしい
綺麗な髪をなびかせて、両手の扇は花びらを掬う。それはとても優雅で、私の中で最も鮮明に残された想い出。
「懐かしいですね」
私の隣には藍が立っていた。いつの間に起きたのか知らないが、彼女も私と同じ事を思い出しているのだろう。
「ええ。あの時のまま、変わりないわ」
「紫様も、少し若返られたように見えますよ」
私は藍の余りの言いように、苦笑を漏らしてしまった。まったく、この式はさらりとすごい事を言ってくれる。
でも、今回ばかりは悪い気はしない。
「そうかもね」
きっと、私と幽々子はこの瞬間から束の間、生前に戻っている。
* * * * *
私は始まりを待っていた。
地に脚をつけ、楽器も手の中にある。それは、二人の妹達も同様だ。
今日一日は騒霊としてではなく、人間として居ようと姉妹三人で約束している。だから私たちの能力は必要ない。
事前に演奏する曲は決めてある。それは私たちが生まれてきてから、始めて創りだした曲。姉妹四人で練習してきた曲。
騒霊の能力は使わない。でも、騒霊として生んでくれた事に感謝している私たちだから、選曲はすぐに決まった。
後は始まりの時を待つだけ。
幽々子様がこちらに歩いてきた。その姿はいつもと少し変わっている。
天冠をしておらず、扇も両手に一つずつ持っている。私が始めてみる格好だった。
だがその姿に、私は強い安心感を覚えた。
大丈夫。幽々子様に任せておけば全て上手くいく。私たちは私たちの出来る最高の演奏をすればいいだけだ。
私はメルランとリリカに目で合図を送り、一つの曲に私たちの想いを乗せる。
[幽霊楽団 ~ Phantom Ensemble]
幽々子様が舞い始める。
その舞は、今まで見てきたどんな舞よりも遙かに洗練されていた。それでいて、何よりも彼女に馴染んでいた。遠い昔から彼女は、それだけを練習してきたのかもしれない。
しかし、その舞は優しい心を持ったアナタには、少しだけ哀しいモノだった。
幽々子様の扇が、桜の花びらに触れ、掬っていく。その度に花びらは、幻の蝶となり、新たな花を咲かせる。
その幻想は、見惚れそうなほどに、ただただ美しかった。
その時私は、客席の方から一人の少女が歩み寄って来ていることに気付いた。その少女は夢をみているかのようで、でも足取りはしっかりとこちらに向かってきている。
白く綺麗な羽を持っている彼女は、リリーだった。
リリーは今までずっと、霊夢の後ろから抱きついていた。その表情はとても幸福そうで、私たちにもその幸せが伝わってくるようだった。
一体彼女は何をするのだろう。私は多少不安になりながら見守っていた。
えっ! リリーの羽が白光を放つ。
そして、彼女は私たちの前に来ると、初めて口を開いた。そこから紡ぎだされた言葉は……この曲の歌詞だった。
私は驚いた。歌詞を知るのは私たち以外にいないはずだ。他にいるとすれば、この曲の歌い手だったレイラぐらいだろう。
メルランとリリカも、私と同じで驚きを隠しきれていない。
それでもリリーは知るはずのない歌を、歌い続ける。
……!
しばらくすると、リリカの瞳からは涙が零れ落ちていった。
メルランの方を見ると、リリカと同じように頬を大粒の涙が流れている。
それじゃあ、私は……やはり泣いていた。
そしてリリーさえも、瞳には涙を溜めている。
私たちは気付いているのだ。
リリーの声が、私たちの記憶の中にあるレイラのモノと、全く変わらないという事に。
私はリリーに声をかけようかと思ったが、直ぐにそれは必要のない事だと知った。
だって、私は泣いているじゃないか。それはリリーの声が、懐かしかったからじゃない。その声に、レイラの想いがあるから……感じられるから、私は泣いているのだ。
だから、私たちに言葉はいらない。
私たちは楽器の音色に想いを乗せるだけでいい。それは、彼女の歌声の中に響くレイラの想いが、私たちに伝わっているように、きっと他のどんな方法をとるより正確に伝わっているのだから。
* * * * *
夢を、見ているのだろうか。私は飛んでもいないのに地面を見下ろしている。体も上手く動かせない。
でも、そこはとても綺麗な場所だった。見たこともない花が、道に沿って延々と咲き乱れている。それは、風が吹くと少しずつ花びらを散らしていく。その景色もまた、美しかった。
花びらが舞い散る中で、二人の妖怪が話している。
一人は、猫耳と二股の尻尾を持っていた。
もう一人は、何故か雨も降っていないのに傘を差している。
二人はとても仲が良いように見えた。
「ねぇ紫様。魔理沙から伝言だよ」
「ん? それは聞いておいた方がいいのかしら?」
「よく分からない。だから一応伝えておくね」
「何かしら?」
「あのね、―――――――――――――」
―――えっ!
その瞬間、私の意識は急速にどこかへ引き寄せられていった。
気が付いた所は、よく知っている場所だった。
私は湖から少し離れた所に立っている。私の記憶に間違いがなければ、この湖を渡って行けば紅い屋敷があるはずだ。
何故、こんな所に私はいるのだろう。それに周囲の景色も、私のよく知っているそれとは異なっている。一体何が起こっているのだ?
私は今の状況を把握するために、湖の周りを歩いてみることにした。それで何か分かるとは限らないが、ここでじっとしているよりはいくらかマシだろう。
……しばらく歩いていくと、湖に腰を下ろしている人影が見えた。私はとりあえず、その人に話しを聞こうと思い、歩みを速める。
あっ!
しかし私は、それが誰かを確認出来る所まで来て、足を止めてしまった。いや、前に進まなくなってしまったのだ。
だって、そこにいるのは……チルノ、ちゃん。
そこで私はある程度今の状況が理解出来ていた。
理解してしまったからこそ、チルノちゃんに話しかけて良いかが分からなかった。
初めてチルノちゃんと合ったときから、私たちはすぐに友達になれた。彼女は初対面のときから物怖じもしないで話しかけてくる。最初はちょっとびっくりしたけど、それが彼女の良いところなのだとわかった。それに属性が近いこともあったのだろう、私たちが打ち解けるまでの時間なんてないようなものだった。
それからは、毎日チルノちゃんと過ごすようになった。彼女はいつも元気で、私もそんな姿を見てるだけで楽しかった。
でも、楽しい時間なんてあっという間に過ぎていく。
春が近づいてきている事を悟った私は、チルノちゃんに私の事を教えてあげた。
私は、冬しか幻想郷にいられないの、と。
その時の彼女は見ていられないほどに、とても痛々しかった。
私に抱きついて、泣きながら、何で? どうして? と、繰り返すのだ。
私は謝る事しか出来なくて、彼女が落ち着くまでずっと抱いてあげることしか出来なかった。
やがて春が来ると、私は消えてしまっていた。
次の冬、再び幻想郷に現れた私は、チルノちゃんとは合わないことにした。
私が近くにいても彼女を傷つけてしまうだけだろう。彼女の悲しむ姿をもう見たくなかった。
だから、私はチルノちゃんに合わないようにしていた。
でも、あの子は私を見つけてしまう。出会った頃と同じ、元気な声で私を呼ぶ。
その声を無視できなくて、私はその冬も彼女といっしょに過ごしてしまった。
また、冬の終わりが近づく。
私は自分が消える事を、彼女に伝えなければならなかった。
……それなのに、私はなかなか言い出せなかった。恐かった。また彼女は泣いてしまうんじゃないか。その時私はどんな言葉がかけられるのか。何を言えばいいのか分からない。
だから私は―――その結果チルノちゃんが更に悲しむ事を知っていながら―――何も言わずに日々を過ごしていた。
だけどある日、チルノちゃんの方から話しかけてきた。
―――また、いなくなっちゃうんでしょ?
私は今度も、ごめんね、と謝る事しか出来ない。その後に彼女が泣いてしまう事を知っていながら。
しかし彼女の返事は、私の予想外のモノだった。そして、その言葉は私をより深く傷つける。
―――謝らないで、レティが悪いわけじゃないんだから。
チルノちゃんは唇を噛みながら、小さく、でもはっきりと、私に聞こえるように言った。
彼女はまるで、自分が我侭だからいけないんだと言っているようだった。きっと口にこそ出さないが、彼女はそう思っている。
いても立ってもいられなくなった私は、彼女を抱きしめていた。
―――お願い、あなたが悪いわけじゃないの。だから……もう、そんな事言わないで。
私は悔しかった。
何でこんなに小さい子が、ここまで強くあろうとしなければいけないのか。
何で私はいつもこの子の側にいてやれないのか。
どうして私はこの子を救うことが出来ないのか。
悔しくて、悔しくて、でも何もしてやれなくて。私は彼女を精一杯優しく抱きしめることしか出来ないでいた。
今のチルノちゃんは、水面を蹴ってうつむいている。
でもそれは、唇を噛みながら自分を責めている時と同じだった。
―――寂しい。それは誰も悪くない。だから私が悪いんだ。
きっとあの子はそう思い込んでいる。
そんなあの子に私が声をかけてしまっていいものか。
いつ消えてしまうかも分からない私と会っても、それは仮初の慰めにしかならないのかもしれない。
そんな事をしたら、私の所為で余計にあの子の傷を抉ってしまう。
それならばいっそ、まだ気付いていないうちにどこかへ行ってしまった方が―――
ピチャン……
水の跳ねる音が辺りに響く。
それは、あの子が助けを求めているかのようで、いつまでも耳から離れない。
駄目だ。あんなにあの子が傷ついているのに、どうしてそれを無視できる。少なくとも私にはそんな事出来ない。
例え、それが仮初だったとしても、ほうって置けるはずがない。
だってあの子は、今この瞬間に助けを求め、それが来ないことで自分を責めているのだから。
私はゆっくりとチルノちゃんに近づいていく。ここまで来ても私の不安は消えてくれない。
チルノちゃんの後ろに立つと彼女の呟きが聞こえてきた。
「誰か……教えてよ」
「…………何をかな?」
私は出来る限り優しく返事をして……全ての不安を振り払いながら抱きしめた。
* * * * *
皆さんに届いたでしょうか?
今日は誕生を喜ぶ日。
生まれた命は悲しみも苦しみも経験して、幸せな世界を知っていくのです。
一つは、神に生み出された少女。
彼女もまた、命の輝きを知りました。そして、新たな命と共に母の元へと帰って行くのです。
一つは、季節の境界を越えた少女。
彼女は人間の良心と、妖怪の気紛れから、春という季節に再び生み出されました。
湖で気がついた彼女は、一人の氷精と再開します。その再開で、彼女は自分の存在を確かなものへと変えていきました。いつ、終わるか分からない奇跡の中で、自分の持てる全ての愛を、氷精に与え続けるのでしょう。
そして、心優しい妹に生み出された姉妹。
幼い頃に事故で両親を亡くした姉妹は、一番下の妹を家に残し、ばらばらになりました。一人家に残った妹は、姉と過ごした日々を忘れられなかったのです。
妹は自分の力を使い、三人の姉の騒霊を生み出すと、幻想郷へと招かれました。そこで妹は、姉に存在する意味を与えます。
騒霊として皆を幸せにしてあげてください。出来るならば、私が亡くなった後も姉さん達の演奏を私に届けてください。
彼女はそう言い残して、妹であり、三人の母親だった人生を降ろしました。
後に残された姉達は、妹の願い通りに演奏を続けました。
今日は約束を守る日。
皆に演奏を聞かせ続けた姉達が、一番聞かせたい人にそれを届けます。
その中には残された悲しみも、置いていかれた憎しみもあります。
でもそれは、四人で過ごす事が出来た喜びに比べれば、些細な物でした。三人の演奏には自分達の想いを、しっかりと感じる事が出来ました。
姉達の演奏に合わせて歌った妹は、その気持ちを受け止めています。
そして……妹は最後に「ごめんね」「ありがとう」と言いました。
皆さんに私の想いは伝わったでしょうか?
私の能力は春を伝える程度のものです。
それは私の気持ちを相手に届ける事。相手の気持ちを感じる事……想いの共有です。
きっと皆さんにも、私を通して少女達の想いを感じられるはずですよ。
<了>
それだけphantom ensenbleの方に心奪われたからかもしれませんが。
リリーが歌いだした時の三姉妹の想いが涙を誘うエエお話でした。