帰りたい…
彼女が帰る術をなくし、この地に取り残されてから一体どれ程の時が過ぎたのだろうか
山の頂で一人 天を眺めて過ごす日々
帰ることを諦め、この地で残りの生を過ごす覚悟を決めようとした。だけどもう少し、もうちょっとだけ自分に力があれば…
帰る事ができるかもしれない…
希望は時に残酷だ。諦めて別の生き方を探す事も出来ず
彼女はまた、今日も山の頂で一人、帰るべき天を想って 空を眺める…
第一章 『或る酷く暑い日のはじまり』
「……暑いぜ」
「……暑いわね
6月、例年であれば梅雨だというのに今年は全く雨が降らない。ばかりか真夏のような猛暑が連日続いている。
「……何とかしろ」
「……あんたがしなさいよ」
ここ博麗神社でも手水の水は干上がり、境内の木々も弱り、もちろんその主もへたっていた。
いつものようにいつもの如く黒い魔法使いが入り浸っていたが、両者ともにこの暑さではお互いの軽口にも切れがない。
魔理沙はスカートを、霊夢は袴の裾をたくし上げ、部屋の真ん中に置かれた水を張ったタライに両足を突っ込んでいる。
中々扇情的な光景だが、二人のダレた表情が魅力を半分、いや8分の1くらいにしていた。
この暑いのに蝉共は非常に元気だ。みんみんわしゃわしゃと喧しい事この上ない。
「何でこんなに暑いんだ! まだ6月だぜ」
「……太陽が増えてんじゃないの?」
蝉の鳴き声は一層強まる。暑さと相まって、もはや殺人的だ。この暑さと喧しさでは妖怪すら死にそうだ。
幻想郷にも梅雨は来る。毎年、6月の中旬から7月の初めまで。夏に向けての英気を養うため、空も 森も 湖も
もちろん人も 妖怪も 存分に水気を蓄えるのだ。しかるに今年は雨が全く降らない。いくら空梅雨といえどもう少し
降ってもよさそうなものだが、ここ一月ばかり雨どころか雲さえない。空はいつでも突き抜けるような青空が広がって
いる。
「なぁ…冗談抜きで何かおかしくないか?」
魔理沙はちょっと神妙な顔で霊夢に尋ねる。
「いくら空梅雨と言っても、ここしばらく雲ひとつ見た事ない。このままじゃ干乾びて悟りを開いてしまうぜ」
即身成仏と木乃伊(ミイラ)は違うものだが。
「そうねぇ…」
霊夢もやっと顔を上げ、ちらりと境内を眺める。
「確かにおかしいわね。何となくだけど妖気を感じるし」
「やっぱり 妖怪の仕業か?」
「……たぶん、ね」
魔理沙の目が、獲物を見つけた猫のように輝く。ただの異常気象ならどうしようもない。しかし妖怪の仕業なら話は
別だ。倒すべき敵を見つけた時の魔理沙はいつだって嬉しそうだ。明快な目標、明快な敵、魔理沙ははっきりしたもの
を好む。曖昧模糊なのは気に入らない。目標を見つけたなら やる事はただ一つ。考える前に突っ走る、だ。
「よし、いくぜ! 霊夢!」
魔理沙は拳を握って立ち上がる! 水を張ったタライの中でスカートをかぼちゃにしていたので、今一つ決まらない。
「私、パス」
霊夢は相変わらず両足をタライに突っ込んで寝転がったまま、身体を起こそうともしなかった。
「あー? 何でだよ。妖怪の仕業なんだろ? なら、いつもみたいに出番じゃないか」
「暑いもん」
霊夢の声は素っ気ない。魔理沙はしばらく霊夢に向かって罵詈雑言を並べていたが、霊夢の方は糠に釘、暖簾に
腕押し、蛙の面に小便(下品)である。
『もういい! 私一人で解決してやるぜ!』 と魔理沙が飛び出していくのは時間の問題であろう。
(ま、この程度の妖気なら、魔理沙一人でも十分でしょ)
霊夢は魔理沙の声を聞き流しながら考えていた……
「もういい! 私一人で解決してやるぜ!」
と、飛び出したはいいが、魔理沙は困っていた。何処に行けばいいか皆目検討が付かなかったのである。
「こういう時はどうするか……怪しいヤツから片付ける。残ったヤツが犯人だ。これだな」
そう言って、魔理沙は愛用の箒に跨り飛び出す!
「と、いうわけだ。さぁ 白状しろ」
「いきなりやってきて、何を言ってるのよ」
紅魔館のメイド長は呆れたように呟いた。
「だいたい 何が『と、いうわけだ』よ。何も説明してないじゃない」
「とりあえず 一番怪しいヤツはここのお姫さんだからな。さぁ いい加減 雨を降らせて貰おうか」
魔理沙は箒を片手に胸を張って宣言する。
「あぁ、確かにここ最近雨が降らないわね。でもお嬢様は何もやってないわよ。……多分」
メイド長はちょっと自信なさげに答える。
「吸血鬼ってあれだろ? 雨だと外を歩けないらしいじゃないか。私の恋色の脳細胞が告げている。犯人はお前だ!」
と、ビシッとメイド長を指差す!
「いや、私は吸血鬼でもなければ犯人でもないけれど……お嬢様でもないわよ? だいたい雨よりも、この日差しの方
がお嬢様には辛いわ。今だって地下室の一番奥にベッドを運んで寝てるし」
「え……吸血鬼って棺桶で寝るんじゃないのか?」
「突っ込むところはそこじゃない」
「むぅー 違うのか……一番怪しいヤツだと思ったんだが」
「残念ね。ここしばらくの暑さでお嬢様も参っているわ。悪巧みする元気もないようね」
魔理沙は首を捻って考える。確かにこの日差しは吸血鬼には辛いだろうし、地下で寝てるのも本当だろう。
だが 怪しい出来事のうち5割まではここの主人の仕業なのだから、あながち外れた推理でもない。
何しろ確率1/2だ。
「そうだ。パチュリーが何かしたんじゃ…」
「あの方が『本を読む』以外に何かすると思う?」 「思わない」
即答だった。確かに彼女ならば、『本を読む』以外 何一つ自分から行動する事はないだろう。
魔理沙が初めて彼女にあった時、読書の邪魔だからと攻撃してきた。しかし、それはあくまでも『読書の邪魔』だからである。
館への侵入者、館の主を脅かす者 だからではなく、読書の邪魔をする者を排除しようとしただけなのだ。
その後、魔理沙は何度か図書館に忍び込み魔本を無断拝借してきたが、たとえ侵入した魔理沙に気付いても本から顔を
上げようともしない。無視ではなく関心がないのだ。
全く『世界』に関心を示さず、そのくせ『世界』について書かれた本を読む。まるで本の中にしか『世界』が存在しないかのように……
そんな在り方は魔理沙にとって認め難いものだった。『魔法使い』である魔理沙と『賢者』であるパチュリー、本来であれば
『魔法使い』も『賢者』も『真理』を求めるものだ。だが魔理沙は『真理』を何処にでも転がっているありふれたモノと捉え、
パチュリーは『真理』以外、何も求めていない。ただ本を読む事で知識を集積、編纂、圧縮し、また新たな知識を得る。
実験も実践も全て思考の中だけで行い、そうして得た知識はただ己の脳内にのみ残され、他に何も残さない。
『真理』を得ることで何かを求めるのではない、『真理』に辿り着くこと、それのみが目的なのだ。
そんなことを……あの昏い図書館、閉じられた密室の中で100年も続けている彼女。
その在り方が……魔理沙にはとても理解できなかった……
昏い部屋の中で一人 本を読む少女。その姿を想像し、そしてそれが事実である事も確かで、それ以外にある筈もなく……
そう思うと、魔理沙は気分が沈む。本来 『魔法使い』である自分もそうでなければならない。だが『真理』に価値を見出せない
魔理沙は、それを誇り、同時に恥じてもいた。
そんな迷いを呼び起こすパチュリー=ノーレッジという存在は苦手だった…
迷うのは嫌いだ。全力で走ることができなくなるから……飛び出した霧雨の家を思い出すから……
魔理沙は、ほんの少しだけ、目を伏せて呟く。
「……アイツ、何で 此処にいるのかな」 「本があるからでしょ」
……これもまた
……即答だった。
「じゃあ、お前も心当たりはなし、か。振り出しに戻ったな」
「お役に立てず申し訳ないわね。で、これからどうするの?」
「二番目に怪しいヤツのところへ行く」
「私にとっては あっちの方が怪しいけどね…」
メイド長は肩を竦める。
「ところで、気になってたんだが」
「何かしら?」
「お前、暑くないのか?」
魔理沙は黒ずくめの格好をしている上に、この炎天下を飛んできた事もあって汗だくであった。今も玄関の軒下とは
いえ汗が頬を伝っていく。帽子を団扇代りに使うのも止むなしだ。
しかし、目の前のメイド長は汗一つかかず、襟元も緩めず、背筋を伸ばして凛と立っている。
「紅魔館のメイド長たる この十六夜 咲夜。お客様の前で見苦しい姿を見せる事などできませんわ」
咲夜は左足を半歩後ろに引き、スカートの端を両手で摘み、微笑みを浮かべ優雅に礼をする。
さすが『完璧で瀟洒なメイド』 その名に恥じぬ振る舞いである。
「じゃ いくぜ。次の心当たりにな」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「……お前が他人の心配なんて珍しいな。というか初めてだ」
「あら、失礼ね。死出へ旅立つ者を労うくらいの優しさはあるわよ」
「……死出の旅、ね。確かにその通りだぜ」
魔理沙は帽子で目元を隠しながら笑う。箒に跨り宙に浮く。
「じゃ いってみるか。死後の世界へ!」
魔理沙は箒に魔力を込めると一気に飛び上がる。目指すは冥界。亡霊の姫が司る地へ……
「そういえば、門番が門のところで即身成仏になってたぜ」
「あとでお供えしておきましょう」
やっぱり この館には悪魔しかいない。
~間幕~
帰れるかもしれない…
今までは力を使う事を怖れていた。だがこの力を使うことで、逆にもっと力を集めることができるかもしれない
そうすれば……また、天に帰ることができる……またみんなに会える
頭上には陽の光も通さぬ厚い雲、滝のように流れる雨が容赦なく彼女を叩く。だが、今の彼女にとっては、その痛みすらも心地よい
滝のような雨が長い黒髪を打つ……雨に打たれる度に黒髪に艶が戻っていく
そうしてまた彼女は 山の頂で一人 帰るべき天を想って 空を眺める……
……残された……右目だけで……
第二章 『閻魔』
「と、いうわけでやってきた。さぁ 白状しろ」
「? えと…何のことだ?」
魂魄 妖夢は、霧雨 魔理沙の問い掛けに首を捻る。
「惚けるな。ネタは上がってるんだ。自首すれば罪は軽いぞ?」
「自首って…自分の首を切るのか?」
会話が噛み合わない。わざとふざけている魔理沙と、真面目で素で惚けている妖夢。本当に噛み合わない。
「……まぁいい。説明してやろう。雨が降らなくて暑い。暑いから困る。だから雨が降らないようにしている奴を懲らしめる。
理に適っているだろ?」
「……いや、それで何で白玉楼に?」
「怪しいヤツ その2だからだ」
魔理沙は腰に手を当て、威張って答える。
妖夢はヤレヤレと首を振る。魔理沙が訳のわからない事を言うのは、まぁ いつもの事だ。しかし私の主人を捕まえて
怪しいヤツ その2とは何事だろう。
「うちのお嬢様がその1じゃないのか?」
自分の主人の事を良く解っている。中々できた従者である。
まぁ とりあえず中に入れ と、妖夢は魔理沙を案内する。
長い長い階段を登っていると、また汗が吹き出てくる。魔理沙はハンカチで汗を拭きながら、ふと横を見ると、妖夢は
汗一つかいていない。
「お前、暑くないのか?」半分幽霊だと汗もかかないのだろうか?
「いや 暑い。だが心頭滅却すれば火もまた涼し。この程度の暑さなどものの数ではない」
と、少し胸を張って答える。
「……そういえば お前の幽霊部品、今日はヤケにお前にくっついてるな」
「………いや そんなことはないぞ」
妖夢は目を合わさないまま答える。魔理沙は妖夢の額に浮かんだ汗を見逃さない。
「ちょっと その幽霊部品、触らせてみろ」「嫌」
即答である。怪しすぎる。
魔理沙は妖夢に飛び掛かる!
「いいから触らせろ! 減るもんじゃないだろっ!」 「嫌ー やーめーてー」
まるっきりセクハラ親父である。
「おぉ! 冷たいぜ」
魔理沙は妖夢の半身をぺたぺた、なでなで触りながら歓声を上げる。妖夢は涙を流しながら うぅ お嫁にいけない…
なんて嘆いている……哀れだ……
「しかし、幽霊にこんな使い方があるなんて知らなかったぜ。また賢くなった」
魔理沙は妖夢の半身に頬擦りしながらご満悦だ。
「それも私なんだから、あまり抱きつかないでくれ。くすぐったい」
妖夢はちょっぴり顔を赤らめて答える。そんな言葉に魔理沙が耳を貸す筈もない。より一層抱きしめて、あろうことか
ちゅーまでしている。
妖夢がげんなりとした時、やっと階段を昇りきり、白玉楼が見えてきた……
「あら、いらっしゃい。今日は一人? 珍しいわね」
白玉楼の主人、西行寺 幽々子が微笑みを浮かべて迎えてくれる。
その優しげな微笑みからは、『彼女が冥界の主』、死へ誘う能力を持った亡霊の姫である事が想像できない。
「今日は一人だぜ。霊夢は部屋でぐーたらしてる。しかし……良い身分だな」
幽々子は、幽霊たちを並べてソファー代わりに腰掛けている。背もたれも肘置きも幽霊である。本来ふわふわふらふら
している幽霊たちをきちんと並べさせているのは、さすが冥界の主と言ったところか。
幽霊は冷たく柔らかい。適度な弾力がありソファーとしては最高級の一品であろう。
「あなたも座る?」
幽々子はにこやかに勧める。
「やめとく。罰が当りそうだ」
魔理沙は首を振って遠慮し、適当に畳の上に胡座をかく。
「それで……今日は一体何の用かしら?」
「毎日、暑くて困ってる。雨が降らないようにしてるヤツを懲らしめにきた。お前が犯人か?」
「犯人だったら自分で言うわけないじゃない」
幽々子は涼しげな笑みを浮かべたままだ。 ま、そりゃそーだ と言って 魔理沙は腕を組む。
「確かにお前らが犯人って感じじゃないんだよなぁ。雨を集めて独占してるのかと思ったが、お前らには幽霊っていう
冷房機器があるしな」
幽霊は冷房機器じゃないという妖夢の抗議を無視して言葉を続ける。
「よーするに『動機』がないってことだ。それともあるのか?」
さて、どうかしらね と微笑みながら幽々子は答える。
「でも まぁ 今回の件は私は無関係よ。妖夢は知らないけど」
私だって無関係ですよ と妖夢が再び抗議する。右に左に忙しい。
「何か心当たりはないか? 例えば、宇宙人が雨雲を食べているとか、宇宙人が雨を集めて何かしているとか、宇宙人
が太陽を増やしたとか」
「次の容疑者は宇宙人なのね」
おぉ と魔理沙は答える。
「私の勘じゃ、あいつらって感じでもないんだがな。まぁ月からの迎えを追い返すために月を隠すような大げさな事を
するやつらだ。風呂に水張るために雨雲集めてても不思議じゃあ、ない」
「心当りはないけれど、行ってみたら? 『当って砕けた』が貴方の信条でしょう?」
砕けたら終わるぜ、と魔理沙は苦笑を浮かべる。
「ま、行ってみるか。邪魔したな」
立ちあがる魔理沙に ちょっと待って と幽々子は声を掛ける。
「妖夢を連れて行きなさい」
えー! と妖夢が三度抗議の声を上げるが、もちろん幽々子は耳を貸さない。
「……お前、やっぱ何か知ってるだろ?」
幽々子は そんなこと ないわよーとか言って、懐から取り出した扇で口元を隠す。嘘吐きの顔だ。
「まぁ、慌てずに。お茶でも飲んでいきなさいな。妖夢 お茶の用意を。お茶菓子は豆大福ね」
妖夢は溜息を付きながら、お茶の準備をするために台所へ向かう。
魔理沙は、溜息をついて再び腰を落ち付ける。
「………」
魔理沙と幽々子の間に沈黙が流れる。幽々子は変わらずにこにことしているが、魔理沙は何だか落ち付かない。
「……やっと……二人きりになれたわね…」
幽々子は悩ましげな吐息を吐いて呟く。
ぶっと吹き出して魔理沙が仰け反る。幽々子は立ちあがり魔理沙の前に来ると、屈み込んで魔理沙の頬にそっと
手を添える。
「ちょっ! ちょっと待て! 何してんだ お前!」
「……ずっと、二人きりになりたかった…いつも貴方は誰かと一緒で……羨ましかったわ」
幽々子は潤んだ瞳で魔理沙を見つめると、熱い吐息を魔理沙の耳元に吹きかける。
魔理沙の身体がびくりと震える。魔理沙は観念したかのように瞳を閉じ……
「何か 私に聞きたいことがあるんじゃない?」
瞳を開くと 意地悪そうな笑みを浮かべた幽々子の顔があった。
「ったく! からかうんじゃない!」
魔理沙は耳まで真っ赤になってそっぽを向く。ごめんなさいね~と全然、反省してなさそうな声で幽々子が謝る。
「まぁ 気を取り直して……何か、私と二人っきりの時に聞きたいことがあるんじゃない?」
「? 今回の犯人のことか」
違う違うと幽々子は首を振って言う……
「貴方が 『私』に 聞きたいことよ」
今までの のほほんとした表情から変わらず……ただ 空気だけが変わった……
「あるんじゃない? 貴方が『冥界の主』たる私に 聞きたいことが」
「………」
「いつもいつも、白玉楼に来るたびに…貴方の目は何かを探していた……気付いていないとでも思ってた?」
魔理沙は言葉を失う。確かに、魔理沙には聞きたい事があった。探していたものがあった。だが これは他の誰にも
知られたくない事……白玉楼に来るたびに、いつも、さりげなく探していたもの……
「……ここに、私の母さんはいるのか?」
白玉楼には死んだ後の魂たちが集う。幅二百由旬もあると言われる白玉楼の庭には、たくさんの魂たちが思い思いに
漂っている……もしかしたら……と思いながら、正面切って問うのは魔理沙のプライドが許さなかった事……
今ならば…私一人だ…目の前にいるのは…人だとか、妖だとか、幽霊とかじゃない…人の生前の行いを全て見通す
閻魔だ……閻魔に嘘は通じない。ならば、虚勢を張っても仕方がない。
「……わからない。ここの魂たちは 浮世の愁いは全て現世に置いてきたものたち…純粋で無垢なるもの…
それに、魂たちは輪廻する。或る日、或る時、成仏し、また新たな生を得るか、消えていく…その先は私にも…
わからない…」
永き時を、この白玉楼で過ごしてきた亡霊の姫は、一体幾つの魂を看取ってきたのだろう。いつもいつも此処に
取り残されてきた彼女は…少しだけ…寂しげな笑みを浮かべた…
「私はさ、母さんの顔をあんまり憶えてないんだ…私がまだ小さい時に死んだから」
魔理沙は顔を伏せ、膝の上の自分の手だけを見ながら、独り言のように呟く。
「だから、会いたいってのは本当だけど……自分でもよくわからない。でも、一言聞いておきたかったんだ」
なぁ 愚痴を言ってもいいか? 魔理沙の問いに、幽々子は優しく応じる。
「私の家は代々続く魔法使いで、一応 名門ってヤツだった……」
霧雨家は代々続く魔法使いの名門である。魔法使いの目的は『真理』の探求。ただそれのみを求め続けた一族。
幼い頃から魔法使いとして修行を積んできた魔理沙だったが、母が亡くなった時も変らず『真理』の探究を続けよう
とする父に反発した。
『真理』なんて有るか無いかも解らないもの、そんなものを求めて何になる。母を亡くしたばかりの子供にはまるで
理解できなかった。
「……もちろん、今でも理解できないけどな」
魔理沙は消え入りそうな声で呟く。
「でも、あの図書館の根暗とか見てるとさ、思う時があるんだよ……私は、本当にこのままで良いのかって。
父さんやパチュリーのように、ただ一つの事を求めて、他のもの全てを切り捨てる……そんな生き方を見てると、
自分が、酷く 怠け者な気がして、な…」
幽々子は口を挟まない。魔理沙の独白を ただじっと聞いている。
「今の生活は好きだよ。変だけど気のいいヤツらと毎日毎日、馬鹿騒ぎ。毎日はしゃいで、毎日ふざけて、笑いあって
…そんな『今』の『此処』が大好きだ……だけど……」
言葉が途切れる。そこから続かない。魔理沙は自分の手を見つめたまま 沈黙する……
「『真理』って何でしょうね?」
幽々子が優しく問いかける。
「因果の流れ? 世界を表す一行の公式? 絶対に普遍なるもの? 永遠? ひょっとして神さま? でも……
それが何だっていうのかしらね……そんなものを知らなくても、朝に生まれ 昼に生き 夜に死ぬ…世界はそれの
繰り返しよ。いつだって、ね」
魔理沙は顔を上げ 目の前の存在を見る。
「これだって『真理』の一つ。『真理』なんて何処にでも転がっているもの。貴方はそれを知っていた筈よ。違う?」
魔理沙は黙って頷く。そうだ、私は知っていた。『真理』なんてその程度のものだと……
「人が『真理』を求めるのは、ただそれを『知りたい』から。ただの欲求よ。それを求める事を否定する事は誰にもできない。
…そして、貴方が求めた生き方を否定する事も、誰にもできない……貴方は貴方のままである事を選んだのでしょう?
誰に恥じることもないわ」
魔理沙の目に力が戻る。いつもの自信に溢れた目に。
「そうだ。私は私のままで、私のやり方で、私にとっての『真理』を探すと決めたんだった……思い出したよ」
母に聞いてみたかった。自分はこのままで良いのかと。母が愛した父のような生き方を私に望んでいるのではないかと…
だが、あの日、あの僅かばかりのマジックアイテムを持って霧雨の家を飛び出した日に、決めたのだ。
自分の生き方は 自分で決めると。
魔理沙は顔を上げ、幽々子を見つめる。 幽々子は優しく微笑んで、魔理沙を見つめる。
ありがとう、な どういたしまして
二人とも口には出さなかった……
出す必要もなかった…
「……何 二人して見つめ合ってるんですか?」
お盆にお茶と豆大福を持って妖夢が現れる。魔理沙はわたわたと幽々子から離れる。幽々子は あら、妖夢ったら
妬いてるの? なんてからかい、妖夢は真っ赤になってそんなことありませんと声を上げ、魔理沙はそうだぜ 今のは
にらめっこしてただけだぜと言い訳し……
魔理沙は思う。あぁ この騒がしい生活が、自分が選んだ道なのだと……
「いってらっしゃい。またおいでなさいな。待ってるわ」
見送りに外まで出てきた幽々子に、苦笑を浮かべて魔理沙は答える。
「今度は誰かといっしょに、な。 弱音を吐くのは……あれが、最後だ」
魔理沙は箒に跨る。箒に魔力を込めると周囲に風が巻き起こる。
「さて、そろそろいくぜ。憑いてこい!妖夢!」
お化けみたいにゆーな! との妖夢の反論をまたまた無視して、空に飛び出す!
目指すは『永遠』 月の民が住まう亭。
「まぁ あの二人なら大丈夫でしょ。近距離タイプ、遠距離タイプとバランスも良いし……それに……いざとなったら
あの子が助けに行くでしょうしね」
幽々子は、一つ欠伸をする。
「さて、二度寝でもしましょうか。 うるさい庭師のいない間に……」
~幕間~
遥か昔 遠い異国で 人と魔の戦いがあった。
人を統べる『神帝』 魔物を統べる『魔獣』
両者の戦いは激しく、人も神も魔物も、数え切れぬほど多くの命が散っていった。
その戦の最中、魔獣が人の軍勢を一気に押し流そうと大洪水を起こす。
大河が瀑布となり、人々をその激流に飲み込もうとした その時、
一人の水を統べる力を持った天女が、その大洪水を鎮め人々を救う。
魔獣に対抗するために全ての力を使い果たした天女は、地に伏し眠りについた。
…天女が眠りから覚めた時、周りには誰も居なかった。
仲間も…敵も… ただ……抜けるような青空だけが広がっていた。
そして気付く 自分の力が殆ど残っていない事に
天に帰る術を 無くしてしまった事に
彼女は嘆く 天に向かって……
そして 各地を彷徨う……ある時は女神と奉られ……ある時は化け物と罵られた…
永い永い時が過ぎ、この地に辿り着いた時には、彼女は身も心もすでに磨耗しきっていた
山の頂で一人 滝のような雨にその身を晒し 彼女は願う
もうすぐだ……
もう少しで…
私は 天に 帰る
第三章 『月(ルナティック)』
「お、見えてきた」
魔理沙は箒に跨って飛ぶ。箒の先から魔力が零れて尾を引く。まるで彗星のようだ。
「はぁ…何で私が…」
妖夢は腰と背中にそれぞれ刀を差して、その身一つで軽やかに空を飛ぶ。まるで燕のようだ。
二人が永く続いた竹林を抜けると、そこには『永遠亭』が建っていた。日本家屋の平屋造りでありながら
永く入り組んだ板張りの廊下は人を惑す。
平坦に見せ掛けて複雑怪奇。ここの主の心を表した亭と言えるだろう。
「さて、こいつらが犯人かな?」
期待に満ちた声で魔理沙は言う。先程、白玉楼を出た時は少し複雑そうな表情をしていたが、今ではもう
いつもの魔理沙に戻っている。
対して妖夢は元気がない。幽々子の命令でもあり、犯人探しに協力する事になったのだが、永遠亭が
近づくにつれ、元気が無くなっていった…
「どうした? 顔色が悪いぜ」
魔理沙が、妖夢の顔を覗き込む。
「……なぁ 申し訳ないんだけど…私はここで待ってても良いか?」
「何で?」
「……その…ここの廊下って、変な造りだろ…上かと思えば下、右かと思えば左、方向感覚がおかしく
なるっていうか…」
顔を赤らめ もじもじしながら 消え入りそうな声でぼそりと呟く。
「……酔うんだよ…」 お子様か お前は
「あー それなら良いものがあるぜ」
そう言って、魔理沙はポケットをゴソゴソと漁る。
「お、あった! じゃーん! 霧雨印の酔い止めくすり~」
変なフレーズで怪しげな薬を取り出す。
嫌な感じだ…茶色の瓶は市販の物を流用したと思われるので問題ないが、問題はその中身。薬の色が
毒々しいショッキングピンク。おまけに何だか物凄い臭いがする。手製のラベルには魔理沙の似顔絵が
描いてあるのが凶悪だ……
「これ……効くのか?」
妖夢は恐る恐る一粒だけ摘み出し、光に透かしてみたり、臭いを嗅いだりしてる。
「おぅ! 私の自家製だから間違いないぜ。何しろ一粒飲めば 意識はスッキリハッキリ。酔いなんか一発
で吹っ飛ぶぜ。おまけに3日くらい寝なくても平気な身体と幻覚のオマケつき。どーだ スゴいだろ」
「飲めるかっ! んなモン!」 摘み取った一粒を全力で魔理沙に投げつける!
なにすんだコノヤロー! こっちのセリフだコノヤロー! と、ドタバタ騒いでいると…
「あー そこの面白劇団の二人。人の家の前で騒がない」
と、声を掛けられた。
魔理沙と妖夢が振り向くと そこには…
『永遠亭の薬師』『月の頭脳』 八意 永琳が立っていた。
「まぁ 立ち話も何だし…お上がりなさい」
永琳に誘われ、亭内を歩く。やはり板張りの永く続く廊下を右に左に曲がっていると、平衡感覚がおかしく
なる。魔理沙がふと横を見ると妖夢の顔色が青から白に変わっている…
「兎共はどうした? 姿が見えないが…」
魔理沙は周りを見渡しながら永琳に問う。人どころか兎の子一匹気配がない。
「…暑くてね。皆へばってるわ」
そういう永琳も暑そうだ。これは外れだったか? と魔理沙が考えていると、永琳が一つの部屋の前で
立ち止まる。
「姫さま。お客さまですよ」
と、永琳が声を掛けると…
「どうぞ。お入り下さいな」
障子越しに、鈴のような涼やかな声が返ってきた。
障子を開けると、そこは純和風の造りで十二畳くらいの部屋だった。部屋の中には僅かに風があり涼しい。
部屋の真ん中に卓袱台が置かれており、そこには……
『蓬莱の月の姫』 蓬莱山 輝夜が座っていた。
座ると床まで届く長い黒髪、涼しげで品のある表情、鈴の転がるような声…
平安の世に5人の貴族から求愛を受けたのも頷ける話であった。
「いらっしゃい。ちょうど退屈していたの。心から歓迎するわ」
「あー この状況見れば聞くまでもないんだが、一応聞いておこう。雨を降らせないようにしてるのはお前か?」
ん? と頬に手を当て小首を傾げる姿が愛らしい。同性の魔理沙ですらドキリとさせる。
「知らないわねぇ。最近、雨が降らないし暑い日が続くけど…あまり気にしなかったわ」
気にしろよ と魔理沙が心の中で突っ込む。
「永琳。あなた知ってる?」
輝夜は、酔い潰れた妖夢を介抱している永琳に声を掛ける。
「そうですね。はっきりと確かめたわけではありませんが…」
「知ってるのか!?」
やっと初めて手に入れた手掛かりだ。魔理沙は勢い込んで永琳に問う。
「ここから西に向かったところに山があるんだけど、そちらから怪しげな妖気? いや、どちらかと言えば私達
に近い……そんな気を感じるわね」
「西の山か…よし 行くぜ! 妖夢!」
「も、もうちょっと休ませて……」
妖夢は立ち上がる事もできないようだ。
「本当に感受性豊かな子ねぇ。侵入者避けの呪はもう外しているし、鈴仙が番をしていない今は、普通の
廊下と変わらないのに」
ころころと可笑しそうに輝夜は笑う。笑う姿すら雅だ。
「まぁ ゆっくりしていきなさいな。さっきも言ったように退屈していたのよ。私」
妖夢がこれではしばらく動けそうにない。魔理沙はやれやれと首を振る。
「解った。お呼ばれするぜ」
うれしいわ と笑って、輝夜は自らお茶を入れる。
「永琳も飲むでしょう?」
「えぇ 頂きますわ」
魔理沙はふと疑問に思う。こういう場合、永琳か、他の誰かを呼んでお茶を入れさせるのではないか?
魔理沙の疑問が顔に出たのだろう。輝夜はころころ笑って説明する。
「私はね……退屈が嫌いなの。自分の手が塞がっているならともかく、他人に何かをさせて自分はぼーっ
と待っているなんて勿体無いでしょう? 他のところは知らないけれど、私はこのやり方を貫くわ」
立派である。何処ぞの吸血鬼や幽霊にも見習って欲しいものだ。
輝夜の淹れてくれたお茶は美味しかった。
穏やかな時間が流れる。部屋の中には相変わらず涼しげな風が吹いており、暑さを忘れる事ができた。
「そういや、来る時 竹林を抜けてきたけど、妹紅居なかったな。どっかでまた死んでたりしてな」
魔理沙は場を和ませるために軽口を叩く。
「えぇ 昨日殺したわ」
輝夜は先程までと何ら変わる事のない涼やかな顔で、鈴を転がすような声で……何でもない事のように
言った…
魔理沙の笑いが引きつる。
「え、何で…」
「退屈だから」
魔理沙は声を失う。
「今回は特に念入りに殺したわ。四肢を千切り、心臓を抉り、脳をすり潰した…さすがの不死でも復活に
3日は掛かるでしょう……自分では気付かなかったけど、どうも暑さで苛付いていたようね」
永琳は痛ましげに目を伏せる…
そうか…魔理沙は理解した。人であれ、月の民であれ……千年という時は永過ぎたのだ。
輝夜はすでに……
深く 静かに 壊れている…
輝夜は妹紅が憎いわけではあるまい。本当にその言葉通り 『退屈だから』 殺したのだ。
不老不死を求める者は多い。霧雨の家でもそういう研究をしていた事もある。だが この目の前の永遠を
見て、一体誰が永遠の命など望むだろう…
人はいずれ死ぬ……死ななければ……壊れるだけだ。
「…そろそろ お暇するぜ。邪魔したな」
「そう? 残念ね。また遊びにきてね」
「…あぁ また…来るよ」
おそらく…二度と訪れることは…ないだろう…
「ところで……コイツ、いつからこうしてんだ?」
魔理沙は部屋の隅のモノを指差す。そこには頬がこけ、虚ろな瞳で、機械のように単調に団扇で扇ぐ
鈴仙=優曇華院=イナバの姿があった……すでに魂が抜けかかっている。
「えーと いつからだっけ? 永琳?」
「姫さまが暑いと言われた日からだから……あぁ 丁度一ヶ月になりますね」
やはりこいつらには二度と関わるまい 魔理沙は固く心に誓った。
「さて、妖夢 いくぞ!」
「うぅー まだフラフラするー」
二人は飛び立つ。西の山へ、見捨てられた天女の待つ地へ。
~続く~
彼女が帰る術をなくし、この地に取り残されてから一体どれ程の時が過ぎたのだろうか
山の頂で一人 天を眺めて過ごす日々
帰ることを諦め、この地で残りの生を過ごす覚悟を決めようとした。だけどもう少し、もうちょっとだけ自分に力があれば…
帰る事ができるかもしれない…
希望は時に残酷だ。諦めて別の生き方を探す事も出来ず
彼女はまた、今日も山の頂で一人、帰るべき天を想って 空を眺める…
第一章 『或る酷く暑い日のはじまり』
「……暑いぜ」
「……暑いわね
6月、例年であれば梅雨だというのに今年は全く雨が降らない。ばかりか真夏のような猛暑が連日続いている。
「……何とかしろ」
「……あんたがしなさいよ」
ここ博麗神社でも手水の水は干上がり、境内の木々も弱り、もちろんその主もへたっていた。
いつものようにいつもの如く黒い魔法使いが入り浸っていたが、両者ともにこの暑さではお互いの軽口にも切れがない。
魔理沙はスカートを、霊夢は袴の裾をたくし上げ、部屋の真ん中に置かれた水を張ったタライに両足を突っ込んでいる。
中々扇情的な光景だが、二人のダレた表情が魅力を半分、いや8分の1くらいにしていた。
この暑いのに蝉共は非常に元気だ。みんみんわしゃわしゃと喧しい事この上ない。
「何でこんなに暑いんだ! まだ6月だぜ」
「……太陽が増えてんじゃないの?」
蝉の鳴き声は一層強まる。暑さと相まって、もはや殺人的だ。この暑さと喧しさでは妖怪すら死にそうだ。
幻想郷にも梅雨は来る。毎年、6月の中旬から7月の初めまで。夏に向けての英気を養うため、空も 森も 湖も
もちろん人も 妖怪も 存分に水気を蓄えるのだ。しかるに今年は雨が全く降らない。いくら空梅雨といえどもう少し
降ってもよさそうなものだが、ここ一月ばかり雨どころか雲さえない。空はいつでも突き抜けるような青空が広がって
いる。
「なぁ…冗談抜きで何かおかしくないか?」
魔理沙はちょっと神妙な顔で霊夢に尋ねる。
「いくら空梅雨と言っても、ここしばらく雲ひとつ見た事ない。このままじゃ干乾びて悟りを開いてしまうぜ」
即身成仏と木乃伊(ミイラ)は違うものだが。
「そうねぇ…」
霊夢もやっと顔を上げ、ちらりと境内を眺める。
「確かにおかしいわね。何となくだけど妖気を感じるし」
「やっぱり 妖怪の仕業か?」
「……たぶん、ね」
魔理沙の目が、獲物を見つけた猫のように輝く。ただの異常気象ならどうしようもない。しかし妖怪の仕業なら話は
別だ。倒すべき敵を見つけた時の魔理沙はいつだって嬉しそうだ。明快な目標、明快な敵、魔理沙ははっきりしたもの
を好む。曖昧模糊なのは気に入らない。目標を見つけたなら やる事はただ一つ。考える前に突っ走る、だ。
「よし、いくぜ! 霊夢!」
魔理沙は拳を握って立ち上がる! 水を張ったタライの中でスカートをかぼちゃにしていたので、今一つ決まらない。
「私、パス」
霊夢は相変わらず両足をタライに突っ込んで寝転がったまま、身体を起こそうともしなかった。
「あー? 何でだよ。妖怪の仕業なんだろ? なら、いつもみたいに出番じゃないか」
「暑いもん」
霊夢の声は素っ気ない。魔理沙はしばらく霊夢に向かって罵詈雑言を並べていたが、霊夢の方は糠に釘、暖簾に
腕押し、蛙の面に小便(下品)である。
『もういい! 私一人で解決してやるぜ!』 と魔理沙が飛び出していくのは時間の問題であろう。
(ま、この程度の妖気なら、魔理沙一人でも十分でしょ)
霊夢は魔理沙の声を聞き流しながら考えていた……
「もういい! 私一人で解決してやるぜ!」
と、飛び出したはいいが、魔理沙は困っていた。何処に行けばいいか皆目検討が付かなかったのである。
「こういう時はどうするか……怪しいヤツから片付ける。残ったヤツが犯人だ。これだな」
そう言って、魔理沙は愛用の箒に跨り飛び出す!
「と、いうわけだ。さぁ 白状しろ」
「いきなりやってきて、何を言ってるのよ」
紅魔館のメイド長は呆れたように呟いた。
「だいたい 何が『と、いうわけだ』よ。何も説明してないじゃない」
「とりあえず 一番怪しいヤツはここのお姫さんだからな。さぁ いい加減 雨を降らせて貰おうか」
魔理沙は箒を片手に胸を張って宣言する。
「あぁ、確かにここ最近雨が降らないわね。でもお嬢様は何もやってないわよ。……多分」
メイド長はちょっと自信なさげに答える。
「吸血鬼ってあれだろ? 雨だと外を歩けないらしいじゃないか。私の恋色の脳細胞が告げている。犯人はお前だ!」
と、ビシッとメイド長を指差す!
「いや、私は吸血鬼でもなければ犯人でもないけれど……お嬢様でもないわよ? だいたい雨よりも、この日差しの方
がお嬢様には辛いわ。今だって地下室の一番奥にベッドを運んで寝てるし」
「え……吸血鬼って棺桶で寝るんじゃないのか?」
「突っ込むところはそこじゃない」
「むぅー 違うのか……一番怪しいヤツだと思ったんだが」
「残念ね。ここしばらくの暑さでお嬢様も参っているわ。悪巧みする元気もないようね」
魔理沙は首を捻って考える。確かにこの日差しは吸血鬼には辛いだろうし、地下で寝てるのも本当だろう。
だが 怪しい出来事のうち5割まではここの主人の仕業なのだから、あながち外れた推理でもない。
何しろ確率1/2だ。
「そうだ。パチュリーが何かしたんじゃ…」
「あの方が『本を読む』以外に何かすると思う?」 「思わない」
即答だった。確かに彼女ならば、『本を読む』以外 何一つ自分から行動する事はないだろう。
魔理沙が初めて彼女にあった時、読書の邪魔だからと攻撃してきた。しかし、それはあくまでも『読書の邪魔』だからである。
館への侵入者、館の主を脅かす者 だからではなく、読書の邪魔をする者を排除しようとしただけなのだ。
その後、魔理沙は何度か図書館に忍び込み魔本を無断拝借してきたが、たとえ侵入した魔理沙に気付いても本から顔を
上げようともしない。無視ではなく関心がないのだ。
全く『世界』に関心を示さず、そのくせ『世界』について書かれた本を読む。まるで本の中にしか『世界』が存在しないかのように……
そんな在り方は魔理沙にとって認め難いものだった。『魔法使い』である魔理沙と『賢者』であるパチュリー、本来であれば
『魔法使い』も『賢者』も『真理』を求めるものだ。だが魔理沙は『真理』を何処にでも転がっているありふれたモノと捉え、
パチュリーは『真理』以外、何も求めていない。ただ本を読む事で知識を集積、編纂、圧縮し、また新たな知識を得る。
実験も実践も全て思考の中だけで行い、そうして得た知識はただ己の脳内にのみ残され、他に何も残さない。
『真理』を得ることで何かを求めるのではない、『真理』に辿り着くこと、それのみが目的なのだ。
そんなことを……あの昏い図書館、閉じられた密室の中で100年も続けている彼女。
その在り方が……魔理沙にはとても理解できなかった……
昏い部屋の中で一人 本を読む少女。その姿を想像し、そしてそれが事実である事も確かで、それ以外にある筈もなく……
そう思うと、魔理沙は気分が沈む。本来 『魔法使い』である自分もそうでなければならない。だが『真理』に価値を見出せない
魔理沙は、それを誇り、同時に恥じてもいた。
そんな迷いを呼び起こすパチュリー=ノーレッジという存在は苦手だった…
迷うのは嫌いだ。全力で走ることができなくなるから……飛び出した霧雨の家を思い出すから……
魔理沙は、ほんの少しだけ、目を伏せて呟く。
「……アイツ、何で 此処にいるのかな」 「本があるからでしょ」
……これもまた
……即答だった。
「じゃあ、お前も心当たりはなし、か。振り出しに戻ったな」
「お役に立てず申し訳ないわね。で、これからどうするの?」
「二番目に怪しいヤツのところへ行く」
「私にとっては あっちの方が怪しいけどね…」
メイド長は肩を竦める。
「ところで、気になってたんだが」
「何かしら?」
「お前、暑くないのか?」
魔理沙は黒ずくめの格好をしている上に、この炎天下を飛んできた事もあって汗だくであった。今も玄関の軒下とは
いえ汗が頬を伝っていく。帽子を団扇代りに使うのも止むなしだ。
しかし、目の前のメイド長は汗一つかかず、襟元も緩めず、背筋を伸ばして凛と立っている。
「紅魔館のメイド長たる この十六夜 咲夜。お客様の前で見苦しい姿を見せる事などできませんわ」
咲夜は左足を半歩後ろに引き、スカートの端を両手で摘み、微笑みを浮かべ優雅に礼をする。
さすが『完璧で瀟洒なメイド』 その名に恥じぬ振る舞いである。
「じゃ いくぜ。次の心当たりにな」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「……お前が他人の心配なんて珍しいな。というか初めてだ」
「あら、失礼ね。死出へ旅立つ者を労うくらいの優しさはあるわよ」
「……死出の旅、ね。確かにその通りだぜ」
魔理沙は帽子で目元を隠しながら笑う。箒に跨り宙に浮く。
「じゃ いってみるか。死後の世界へ!」
魔理沙は箒に魔力を込めると一気に飛び上がる。目指すは冥界。亡霊の姫が司る地へ……
「そういえば、門番が門のところで即身成仏になってたぜ」
「あとでお供えしておきましょう」
やっぱり この館には悪魔しかいない。
~間幕~
帰れるかもしれない…
今までは力を使う事を怖れていた。だがこの力を使うことで、逆にもっと力を集めることができるかもしれない
そうすれば……また、天に帰ることができる……またみんなに会える
頭上には陽の光も通さぬ厚い雲、滝のように流れる雨が容赦なく彼女を叩く。だが、今の彼女にとっては、その痛みすらも心地よい
滝のような雨が長い黒髪を打つ……雨に打たれる度に黒髪に艶が戻っていく
そうしてまた彼女は 山の頂で一人 帰るべき天を想って 空を眺める……
……残された……右目だけで……
第二章 『閻魔』
「と、いうわけでやってきた。さぁ 白状しろ」
「? えと…何のことだ?」
魂魄 妖夢は、霧雨 魔理沙の問い掛けに首を捻る。
「惚けるな。ネタは上がってるんだ。自首すれば罪は軽いぞ?」
「自首って…自分の首を切るのか?」
会話が噛み合わない。わざとふざけている魔理沙と、真面目で素で惚けている妖夢。本当に噛み合わない。
「……まぁいい。説明してやろう。雨が降らなくて暑い。暑いから困る。だから雨が降らないようにしている奴を懲らしめる。
理に適っているだろ?」
「……いや、それで何で白玉楼に?」
「怪しいヤツ その2だからだ」
魔理沙は腰に手を当て、威張って答える。
妖夢はヤレヤレと首を振る。魔理沙が訳のわからない事を言うのは、まぁ いつもの事だ。しかし私の主人を捕まえて
怪しいヤツ その2とは何事だろう。
「うちのお嬢様がその1じゃないのか?」
自分の主人の事を良く解っている。中々できた従者である。
まぁ とりあえず中に入れ と、妖夢は魔理沙を案内する。
長い長い階段を登っていると、また汗が吹き出てくる。魔理沙はハンカチで汗を拭きながら、ふと横を見ると、妖夢は
汗一つかいていない。
「お前、暑くないのか?」半分幽霊だと汗もかかないのだろうか?
「いや 暑い。だが心頭滅却すれば火もまた涼し。この程度の暑さなどものの数ではない」
と、少し胸を張って答える。
「……そういえば お前の幽霊部品、今日はヤケにお前にくっついてるな」
「………いや そんなことはないぞ」
妖夢は目を合わさないまま答える。魔理沙は妖夢の額に浮かんだ汗を見逃さない。
「ちょっと その幽霊部品、触らせてみろ」「嫌」
即答である。怪しすぎる。
魔理沙は妖夢に飛び掛かる!
「いいから触らせろ! 減るもんじゃないだろっ!」 「嫌ー やーめーてー」
まるっきりセクハラ親父である。
「おぉ! 冷たいぜ」
魔理沙は妖夢の半身をぺたぺた、なでなで触りながら歓声を上げる。妖夢は涙を流しながら うぅ お嫁にいけない…
なんて嘆いている……哀れだ……
「しかし、幽霊にこんな使い方があるなんて知らなかったぜ。また賢くなった」
魔理沙は妖夢の半身に頬擦りしながらご満悦だ。
「それも私なんだから、あまり抱きつかないでくれ。くすぐったい」
妖夢はちょっぴり顔を赤らめて答える。そんな言葉に魔理沙が耳を貸す筈もない。より一層抱きしめて、あろうことか
ちゅーまでしている。
妖夢がげんなりとした時、やっと階段を昇りきり、白玉楼が見えてきた……
「あら、いらっしゃい。今日は一人? 珍しいわね」
白玉楼の主人、西行寺 幽々子が微笑みを浮かべて迎えてくれる。
その優しげな微笑みからは、『彼女が冥界の主』、死へ誘う能力を持った亡霊の姫である事が想像できない。
「今日は一人だぜ。霊夢は部屋でぐーたらしてる。しかし……良い身分だな」
幽々子は、幽霊たちを並べてソファー代わりに腰掛けている。背もたれも肘置きも幽霊である。本来ふわふわふらふら
している幽霊たちをきちんと並べさせているのは、さすが冥界の主と言ったところか。
幽霊は冷たく柔らかい。適度な弾力がありソファーとしては最高級の一品であろう。
「あなたも座る?」
幽々子はにこやかに勧める。
「やめとく。罰が当りそうだ」
魔理沙は首を振って遠慮し、適当に畳の上に胡座をかく。
「それで……今日は一体何の用かしら?」
「毎日、暑くて困ってる。雨が降らないようにしてるヤツを懲らしめにきた。お前が犯人か?」
「犯人だったら自分で言うわけないじゃない」
幽々子は涼しげな笑みを浮かべたままだ。 ま、そりゃそーだ と言って 魔理沙は腕を組む。
「確かにお前らが犯人って感じじゃないんだよなぁ。雨を集めて独占してるのかと思ったが、お前らには幽霊っていう
冷房機器があるしな」
幽霊は冷房機器じゃないという妖夢の抗議を無視して言葉を続ける。
「よーするに『動機』がないってことだ。それともあるのか?」
さて、どうかしらね と微笑みながら幽々子は答える。
「でも まぁ 今回の件は私は無関係よ。妖夢は知らないけど」
私だって無関係ですよ と妖夢が再び抗議する。右に左に忙しい。
「何か心当たりはないか? 例えば、宇宙人が雨雲を食べているとか、宇宙人が雨を集めて何かしているとか、宇宙人
が太陽を増やしたとか」
「次の容疑者は宇宙人なのね」
おぉ と魔理沙は答える。
「私の勘じゃ、あいつらって感じでもないんだがな。まぁ月からの迎えを追い返すために月を隠すような大げさな事を
するやつらだ。風呂に水張るために雨雲集めてても不思議じゃあ、ない」
「心当りはないけれど、行ってみたら? 『当って砕けた』が貴方の信条でしょう?」
砕けたら終わるぜ、と魔理沙は苦笑を浮かべる。
「ま、行ってみるか。邪魔したな」
立ちあがる魔理沙に ちょっと待って と幽々子は声を掛ける。
「妖夢を連れて行きなさい」
えー! と妖夢が三度抗議の声を上げるが、もちろん幽々子は耳を貸さない。
「……お前、やっぱ何か知ってるだろ?」
幽々子は そんなこと ないわよーとか言って、懐から取り出した扇で口元を隠す。嘘吐きの顔だ。
「まぁ、慌てずに。お茶でも飲んでいきなさいな。妖夢 お茶の用意を。お茶菓子は豆大福ね」
妖夢は溜息を付きながら、お茶の準備をするために台所へ向かう。
魔理沙は、溜息をついて再び腰を落ち付ける。
「………」
魔理沙と幽々子の間に沈黙が流れる。幽々子は変わらずにこにことしているが、魔理沙は何だか落ち付かない。
「……やっと……二人きりになれたわね…」
幽々子は悩ましげな吐息を吐いて呟く。
ぶっと吹き出して魔理沙が仰け反る。幽々子は立ちあがり魔理沙の前に来ると、屈み込んで魔理沙の頬にそっと
手を添える。
「ちょっ! ちょっと待て! 何してんだ お前!」
「……ずっと、二人きりになりたかった…いつも貴方は誰かと一緒で……羨ましかったわ」
幽々子は潤んだ瞳で魔理沙を見つめると、熱い吐息を魔理沙の耳元に吹きかける。
魔理沙の身体がびくりと震える。魔理沙は観念したかのように瞳を閉じ……
「何か 私に聞きたいことがあるんじゃない?」
瞳を開くと 意地悪そうな笑みを浮かべた幽々子の顔があった。
「ったく! からかうんじゃない!」
魔理沙は耳まで真っ赤になってそっぽを向く。ごめんなさいね~と全然、反省してなさそうな声で幽々子が謝る。
「まぁ 気を取り直して……何か、私と二人っきりの時に聞きたいことがあるんじゃない?」
「? 今回の犯人のことか」
違う違うと幽々子は首を振って言う……
「貴方が 『私』に 聞きたいことよ」
今までの のほほんとした表情から変わらず……ただ 空気だけが変わった……
「あるんじゃない? 貴方が『冥界の主』たる私に 聞きたいことが」
「………」
「いつもいつも、白玉楼に来るたびに…貴方の目は何かを探していた……気付いていないとでも思ってた?」
魔理沙は言葉を失う。確かに、魔理沙には聞きたい事があった。探していたものがあった。だが これは他の誰にも
知られたくない事……白玉楼に来るたびに、いつも、さりげなく探していたもの……
「……ここに、私の母さんはいるのか?」
白玉楼には死んだ後の魂たちが集う。幅二百由旬もあると言われる白玉楼の庭には、たくさんの魂たちが思い思いに
漂っている……もしかしたら……と思いながら、正面切って問うのは魔理沙のプライドが許さなかった事……
今ならば…私一人だ…目の前にいるのは…人だとか、妖だとか、幽霊とかじゃない…人の生前の行いを全て見通す
閻魔だ……閻魔に嘘は通じない。ならば、虚勢を張っても仕方がない。
「……わからない。ここの魂たちは 浮世の愁いは全て現世に置いてきたものたち…純粋で無垢なるもの…
それに、魂たちは輪廻する。或る日、或る時、成仏し、また新たな生を得るか、消えていく…その先は私にも…
わからない…」
永き時を、この白玉楼で過ごしてきた亡霊の姫は、一体幾つの魂を看取ってきたのだろう。いつもいつも此処に
取り残されてきた彼女は…少しだけ…寂しげな笑みを浮かべた…
「私はさ、母さんの顔をあんまり憶えてないんだ…私がまだ小さい時に死んだから」
魔理沙は顔を伏せ、膝の上の自分の手だけを見ながら、独り言のように呟く。
「だから、会いたいってのは本当だけど……自分でもよくわからない。でも、一言聞いておきたかったんだ」
なぁ 愚痴を言ってもいいか? 魔理沙の問いに、幽々子は優しく応じる。
「私の家は代々続く魔法使いで、一応 名門ってヤツだった……」
霧雨家は代々続く魔法使いの名門である。魔法使いの目的は『真理』の探求。ただそれのみを求め続けた一族。
幼い頃から魔法使いとして修行を積んできた魔理沙だったが、母が亡くなった時も変らず『真理』の探究を続けよう
とする父に反発した。
『真理』なんて有るか無いかも解らないもの、そんなものを求めて何になる。母を亡くしたばかりの子供にはまるで
理解できなかった。
「……もちろん、今でも理解できないけどな」
魔理沙は消え入りそうな声で呟く。
「でも、あの図書館の根暗とか見てるとさ、思う時があるんだよ……私は、本当にこのままで良いのかって。
父さんやパチュリーのように、ただ一つの事を求めて、他のもの全てを切り捨てる……そんな生き方を見てると、
自分が、酷く 怠け者な気がして、な…」
幽々子は口を挟まない。魔理沙の独白を ただじっと聞いている。
「今の生活は好きだよ。変だけど気のいいヤツらと毎日毎日、馬鹿騒ぎ。毎日はしゃいで、毎日ふざけて、笑いあって
…そんな『今』の『此処』が大好きだ……だけど……」
言葉が途切れる。そこから続かない。魔理沙は自分の手を見つめたまま 沈黙する……
「『真理』って何でしょうね?」
幽々子が優しく問いかける。
「因果の流れ? 世界を表す一行の公式? 絶対に普遍なるもの? 永遠? ひょっとして神さま? でも……
それが何だっていうのかしらね……そんなものを知らなくても、朝に生まれ 昼に生き 夜に死ぬ…世界はそれの
繰り返しよ。いつだって、ね」
魔理沙は顔を上げ 目の前の存在を見る。
「これだって『真理』の一つ。『真理』なんて何処にでも転がっているもの。貴方はそれを知っていた筈よ。違う?」
魔理沙は黙って頷く。そうだ、私は知っていた。『真理』なんてその程度のものだと……
「人が『真理』を求めるのは、ただそれを『知りたい』から。ただの欲求よ。それを求める事を否定する事は誰にもできない。
…そして、貴方が求めた生き方を否定する事も、誰にもできない……貴方は貴方のままである事を選んだのでしょう?
誰に恥じることもないわ」
魔理沙の目に力が戻る。いつもの自信に溢れた目に。
「そうだ。私は私のままで、私のやり方で、私にとっての『真理』を探すと決めたんだった……思い出したよ」
母に聞いてみたかった。自分はこのままで良いのかと。母が愛した父のような生き方を私に望んでいるのではないかと…
だが、あの日、あの僅かばかりのマジックアイテムを持って霧雨の家を飛び出した日に、決めたのだ。
自分の生き方は 自分で決めると。
魔理沙は顔を上げ、幽々子を見つめる。 幽々子は優しく微笑んで、魔理沙を見つめる。
ありがとう、な どういたしまして
二人とも口には出さなかった……
出す必要もなかった…
「……何 二人して見つめ合ってるんですか?」
お盆にお茶と豆大福を持って妖夢が現れる。魔理沙はわたわたと幽々子から離れる。幽々子は あら、妖夢ったら
妬いてるの? なんてからかい、妖夢は真っ赤になってそんなことありませんと声を上げ、魔理沙はそうだぜ 今のは
にらめっこしてただけだぜと言い訳し……
魔理沙は思う。あぁ この騒がしい生活が、自分が選んだ道なのだと……
「いってらっしゃい。またおいでなさいな。待ってるわ」
見送りに外まで出てきた幽々子に、苦笑を浮かべて魔理沙は答える。
「今度は誰かといっしょに、な。 弱音を吐くのは……あれが、最後だ」
魔理沙は箒に跨る。箒に魔力を込めると周囲に風が巻き起こる。
「さて、そろそろいくぜ。憑いてこい!妖夢!」
お化けみたいにゆーな! との妖夢の反論をまたまた無視して、空に飛び出す!
目指すは『永遠』 月の民が住まう亭。
「まぁ あの二人なら大丈夫でしょ。近距離タイプ、遠距離タイプとバランスも良いし……それに……いざとなったら
あの子が助けに行くでしょうしね」
幽々子は、一つ欠伸をする。
「さて、二度寝でもしましょうか。 うるさい庭師のいない間に……」
~幕間~
遥か昔 遠い異国で 人と魔の戦いがあった。
人を統べる『神帝』 魔物を統べる『魔獣』
両者の戦いは激しく、人も神も魔物も、数え切れぬほど多くの命が散っていった。
その戦の最中、魔獣が人の軍勢を一気に押し流そうと大洪水を起こす。
大河が瀑布となり、人々をその激流に飲み込もうとした その時、
一人の水を統べる力を持った天女が、その大洪水を鎮め人々を救う。
魔獣に対抗するために全ての力を使い果たした天女は、地に伏し眠りについた。
…天女が眠りから覚めた時、周りには誰も居なかった。
仲間も…敵も… ただ……抜けるような青空だけが広がっていた。
そして気付く 自分の力が殆ど残っていない事に
天に帰る術を 無くしてしまった事に
彼女は嘆く 天に向かって……
そして 各地を彷徨う……ある時は女神と奉られ……ある時は化け物と罵られた…
永い永い時が過ぎ、この地に辿り着いた時には、彼女は身も心もすでに磨耗しきっていた
山の頂で一人 滝のような雨にその身を晒し 彼女は願う
もうすぐだ……
もう少しで…
私は 天に 帰る
第三章 『月(ルナティック)』
「お、見えてきた」
魔理沙は箒に跨って飛ぶ。箒の先から魔力が零れて尾を引く。まるで彗星のようだ。
「はぁ…何で私が…」
妖夢は腰と背中にそれぞれ刀を差して、その身一つで軽やかに空を飛ぶ。まるで燕のようだ。
二人が永く続いた竹林を抜けると、そこには『永遠亭』が建っていた。日本家屋の平屋造りでありながら
永く入り組んだ板張りの廊下は人を惑す。
平坦に見せ掛けて複雑怪奇。ここの主の心を表した亭と言えるだろう。
「さて、こいつらが犯人かな?」
期待に満ちた声で魔理沙は言う。先程、白玉楼を出た時は少し複雑そうな表情をしていたが、今ではもう
いつもの魔理沙に戻っている。
対して妖夢は元気がない。幽々子の命令でもあり、犯人探しに協力する事になったのだが、永遠亭が
近づくにつれ、元気が無くなっていった…
「どうした? 顔色が悪いぜ」
魔理沙が、妖夢の顔を覗き込む。
「……なぁ 申し訳ないんだけど…私はここで待ってても良いか?」
「何で?」
「……その…ここの廊下って、変な造りだろ…上かと思えば下、右かと思えば左、方向感覚がおかしく
なるっていうか…」
顔を赤らめ もじもじしながら 消え入りそうな声でぼそりと呟く。
「……酔うんだよ…」 お子様か お前は
「あー それなら良いものがあるぜ」
そう言って、魔理沙はポケットをゴソゴソと漁る。
「お、あった! じゃーん! 霧雨印の酔い止めくすり~」
変なフレーズで怪しげな薬を取り出す。
嫌な感じだ…茶色の瓶は市販の物を流用したと思われるので問題ないが、問題はその中身。薬の色が
毒々しいショッキングピンク。おまけに何だか物凄い臭いがする。手製のラベルには魔理沙の似顔絵が
描いてあるのが凶悪だ……
「これ……効くのか?」
妖夢は恐る恐る一粒だけ摘み出し、光に透かしてみたり、臭いを嗅いだりしてる。
「おぅ! 私の自家製だから間違いないぜ。何しろ一粒飲めば 意識はスッキリハッキリ。酔いなんか一発
で吹っ飛ぶぜ。おまけに3日くらい寝なくても平気な身体と幻覚のオマケつき。どーだ スゴいだろ」
「飲めるかっ! んなモン!」 摘み取った一粒を全力で魔理沙に投げつける!
なにすんだコノヤロー! こっちのセリフだコノヤロー! と、ドタバタ騒いでいると…
「あー そこの面白劇団の二人。人の家の前で騒がない」
と、声を掛けられた。
魔理沙と妖夢が振り向くと そこには…
『永遠亭の薬師』『月の頭脳』 八意 永琳が立っていた。
「まぁ 立ち話も何だし…お上がりなさい」
永琳に誘われ、亭内を歩く。やはり板張りの永く続く廊下を右に左に曲がっていると、平衡感覚がおかしく
なる。魔理沙がふと横を見ると妖夢の顔色が青から白に変わっている…
「兎共はどうした? 姿が見えないが…」
魔理沙は周りを見渡しながら永琳に問う。人どころか兎の子一匹気配がない。
「…暑くてね。皆へばってるわ」
そういう永琳も暑そうだ。これは外れだったか? と魔理沙が考えていると、永琳が一つの部屋の前で
立ち止まる。
「姫さま。お客さまですよ」
と、永琳が声を掛けると…
「どうぞ。お入り下さいな」
障子越しに、鈴のような涼やかな声が返ってきた。
障子を開けると、そこは純和風の造りで十二畳くらいの部屋だった。部屋の中には僅かに風があり涼しい。
部屋の真ん中に卓袱台が置かれており、そこには……
『蓬莱の月の姫』 蓬莱山 輝夜が座っていた。
座ると床まで届く長い黒髪、涼しげで品のある表情、鈴の転がるような声…
平安の世に5人の貴族から求愛を受けたのも頷ける話であった。
「いらっしゃい。ちょうど退屈していたの。心から歓迎するわ」
「あー この状況見れば聞くまでもないんだが、一応聞いておこう。雨を降らせないようにしてるのはお前か?」
ん? と頬に手を当て小首を傾げる姿が愛らしい。同性の魔理沙ですらドキリとさせる。
「知らないわねぇ。最近、雨が降らないし暑い日が続くけど…あまり気にしなかったわ」
気にしろよ と魔理沙が心の中で突っ込む。
「永琳。あなた知ってる?」
輝夜は、酔い潰れた妖夢を介抱している永琳に声を掛ける。
「そうですね。はっきりと確かめたわけではありませんが…」
「知ってるのか!?」
やっと初めて手に入れた手掛かりだ。魔理沙は勢い込んで永琳に問う。
「ここから西に向かったところに山があるんだけど、そちらから怪しげな妖気? いや、どちらかと言えば私達
に近い……そんな気を感じるわね」
「西の山か…よし 行くぜ! 妖夢!」
「も、もうちょっと休ませて……」
妖夢は立ち上がる事もできないようだ。
「本当に感受性豊かな子ねぇ。侵入者避けの呪はもう外しているし、鈴仙が番をしていない今は、普通の
廊下と変わらないのに」
ころころと可笑しそうに輝夜は笑う。笑う姿すら雅だ。
「まぁ ゆっくりしていきなさいな。さっきも言ったように退屈していたのよ。私」
妖夢がこれではしばらく動けそうにない。魔理沙はやれやれと首を振る。
「解った。お呼ばれするぜ」
うれしいわ と笑って、輝夜は自らお茶を入れる。
「永琳も飲むでしょう?」
「えぇ 頂きますわ」
魔理沙はふと疑問に思う。こういう場合、永琳か、他の誰かを呼んでお茶を入れさせるのではないか?
魔理沙の疑問が顔に出たのだろう。輝夜はころころ笑って説明する。
「私はね……退屈が嫌いなの。自分の手が塞がっているならともかく、他人に何かをさせて自分はぼーっ
と待っているなんて勿体無いでしょう? 他のところは知らないけれど、私はこのやり方を貫くわ」
立派である。何処ぞの吸血鬼や幽霊にも見習って欲しいものだ。
輝夜の淹れてくれたお茶は美味しかった。
穏やかな時間が流れる。部屋の中には相変わらず涼しげな風が吹いており、暑さを忘れる事ができた。
「そういや、来る時 竹林を抜けてきたけど、妹紅居なかったな。どっかでまた死んでたりしてな」
魔理沙は場を和ませるために軽口を叩く。
「えぇ 昨日殺したわ」
輝夜は先程までと何ら変わる事のない涼やかな顔で、鈴を転がすような声で……何でもない事のように
言った…
魔理沙の笑いが引きつる。
「え、何で…」
「退屈だから」
魔理沙は声を失う。
「今回は特に念入りに殺したわ。四肢を千切り、心臓を抉り、脳をすり潰した…さすがの不死でも復活に
3日は掛かるでしょう……自分では気付かなかったけど、どうも暑さで苛付いていたようね」
永琳は痛ましげに目を伏せる…
そうか…魔理沙は理解した。人であれ、月の民であれ……千年という時は永過ぎたのだ。
輝夜はすでに……
深く 静かに 壊れている…
輝夜は妹紅が憎いわけではあるまい。本当にその言葉通り 『退屈だから』 殺したのだ。
不老不死を求める者は多い。霧雨の家でもそういう研究をしていた事もある。だが この目の前の永遠を
見て、一体誰が永遠の命など望むだろう…
人はいずれ死ぬ……死ななければ……壊れるだけだ。
「…そろそろ お暇するぜ。邪魔したな」
「そう? 残念ね。また遊びにきてね」
「…あぁ また…来るよ」
おそらく…二度と訪れることは…ないだろう…
「ところで……コイツ、いつからこうしてんだ?」
魔理沙は部屋の隅のモノを指差す。そこには頬がこけ、虚ろな瞳で、機械のように単調に団扇で扇ぐ
鈴仙=優曇華院=イナバの姿があった……すでに魂が抜けかかっている。
「えーと いつからだっけ? 永琳?」
「姫さまが暑いと言われた日からだから……あぁ 丁度一ヶ月になりますね」
やはりこいつらには二度と関わるまい 魔理沙は固く心に誓った。
「さて、妖夢 いくぞ!」
「うぅー まだフラフラするー」
二人は飛び立つ。西の山へ、見捨てられた天女の待つ地へ。
~続く~