※以下の注意事項があります。
・霖之助さんがフラクラしません。
・霖之助さんが結構強いです。
・EX美鈴的な要素を含んでいるので割と美鈴を持ち上げています。
・種々の個人的解釈が多々含まれています。
これらに了承してお読みください。
湖のほとりにある紅き洋館、紅魔館の中庭にて、1組の男女が向かい合っている。
それは寄り添うというような甘々しいものではなく、互いに探り合うような視線を交わしながら半身の構えで木刀を垂らすように構えていた。
片や銀髪に眼鏡が特徴的な理知的な雰囲気を漂わす男、森近霖之助。片や桃色の長髪に中華服が麗しい女性の紅美鈴である。
両者は互いの間合いからギリギリ届かないぐらいのところで動かず、相手の出方を伺っているようだった。
時間が緩やかに流れるような緊迫感の中、じりと霖之助が半歩にも満たない程度間合いを詰める。
美鈴はそれにも動じず、ただ霖之助の視線だけをじっと見据えていた。
不意に、霖之助が縮地のように距離を詰め、空気を裂くような突きを放った。
首元のやや下を狙って放たれたそれが命中したと思われた刹那、美鈴の身体は幻のように掻き消え、霖之助は戦慄した。
体勢を整え直す間もなく霖之助の死角から顎の下へと木刀がぴたりと吸い付くように動き、彼は諦めと共に嘆息しながら木刀から手を離した。
「参った。ふぅ、まだまだ美鈴には敵わないな」
その言葉を聞くと同時に美鈴も刀を下ろし、諸手を挙げた霖之助に対して優しく微笑んだ。
「わたしの方が経験も場数も違うんですから。でも、霖之助さんもかなり成長してますよ。
わたしの制空圏を少しでも侵して来るとは思いませんでしたよ、ちょっとだけ冷や冷やしちゃいました」
「そんな涼しげな顔で言われても困るけど」
「あら、もっと驚いて見せたほうがよかったですか?」
「……君は意地悪だな」
「店主さんみたいな天邪鬼さんにはこれぐらいがちょうどいいんですよ。それじゃ、お昼にしましょうか」
美鈴はタッパーからサンドイッチを取り出すと霖之助を手招きし、門の日陰へと座り込んだ。
招かれた霖之助も追って隣に座ると、サンドイッチを受け取って一口齧る。
「うん、うまい」
「でしょう?私が気をいっぱい入れて作ってますからね」
ふふん、とその豊満な胸を張りながら自慢げに微笑む美鈴。
その言い方はどうなんだろうかと苦笑しながら霖之助は次々とサンドイッチを口に入れていく。
本来霖之助は食事を必要としない身だが、理屈はともかく美味いものを食べることは人生に彩りを与える。いわば酒と似たようなものである。
「紅魔館は大火力を出せないから中華には不向きなんですよねぇ。霖之助さんにも食べさせてあげたいんですけれども」
「パチュリー辺りが手伝えば出来そうなものだけど、駄目なのかい?」
「火力の安定供給はどうしても大変ですからね。パチュリーさんも『疲れるから嫌』って言ってやりたがらないんですよ」
「ふむ。その辺りは商売の切り口になりそうだが……ああすまない、これはこっちの話だな」
「ツテがあるんですか?」
「その手の術式付加(エンチャント)は僕も心得があるからね。美鈴だったら気を活力の炎に変換するとかいいかもしれないな。最近流れ着いてきた人に鈍器として使えそうな漫画雑誌にそんな能力があったよ」
「それは興味深い話ですねぇ。漫画もお嬢様が喜びそうです」
「なんにせよ、一度美鈴の本気の料理ってのを味わってみたいものだよ。さぞかし美味しいことだろう」
霖之助にとっては何の気なしの一言であったが、美鈴はかあっと顔を赤らめた。
「そ、そんな事言われると照れちゃいます」
「そうかい?ま、目処がつくまではなかなか難儀だろうけどね。それに金もかかる」
あいつらがツケを払ってくれないものかな、と霖之助は真顔でぼやくのを尻目に、美鈴は平静を装いながら話題を変えた。
「それより、霖之助さんが突然わたしに手合わせを願いたいなんて言って来た時は驚きましたよ。もう3ヶ月以上前でしたっけ」
「もうそんなに経つのか。未だに君には一本すら取れていないけどな。真剣でやったら僕は100回は死んでいるよ」
「それでも諦めずに挑んでくる霖之助さんも本当に凄い人だと思いますけどね。わたしも本当に……」
「……本当に?」
口からとんでもなく恥ずかしいことを出しそうになった美鈴は二の句を告げなくなり、霖之助も怪訝な表情で問うた。
「ほ、本当にいい運動になるってことですよ!」
「……そんなはっきりと言われるとちょっと傷つくな」
「い、いえ、その、す、すみません!」
「そんなに謝らないでもいいさ。美鈴から見れば僕が武力で劣るのは明白だし、それに付き合ってくれてる美鈴は本当に優しい」
「そ、それはありがとうございます。……けど、本当にすごい気配遮断ですよ。わたしでさえそこまで完全にはできませんし。視界に入ってるどころか目の前にいるのに見失いそうになるなんて」
「ああ……まあ、昔取った杵柄ってやつかな。僕は『絶』と勝手に呼んでいる。
僕の出自も関係してるのかもしれないけど」
「でも、わたしの制空圏に気取られずに入ってくるなんて未だかつて霖之助さんぐらいしかいませんよ。お嬢様は強引に押し入ってくるタイプですし」
やや顔を顰めて自嘲気味に微笑む霖之助に、美鈴は深くは追求しなかった。
霖之助も美鈴も武術家としては受けに回る”静”のタイプであるが、そのスタイルは全く異なる。
美鈴は典型的な誘い受けスタイルである。
自分のリーチを鑑みた攻撃範囲と相手のそれを読み取り、そこから互いの『制空圏』を知覚することで相手の挙動から数多の軌道を推測し、その全てに対応するように静かに、滑らかかつ華麗に捌くその姿は『究静極技』と謳われている。
対する霖之助は急襲型、というか一点突破を旨としている。
美鈴をして自分以上と言わしめる完全なる気配遮断を盾に相手の出方を封じ込め、相手の虚をついて直ちに勝負を決めるというのが霖之助の必勝パターンである。
この手の戦い方はネタバレしてしまうと途端に弱くなるのが常であるが、霖之助の場合は気配の消し方が完璧すぎて痕跡を残さないのでわかってても対応しにくく、そういう意味ではやや万能寄りなスタイルと言える。
ただし霖之助の身体能力自体はそこまで高くないため、ことその場の戦いにおいてのみは攻撃チャンスは一回のみと考えてよい。実際先の戦いでは霖之助が一発で決めきれなかったことがそのまま敗因となっている。
「どちらかといえばこんな試合というよりは暗殺向けの能力だと自分でも思うよ。こんな事では担い手としては嫌われて当然かもしれないな」
「まあまあ。わたしが霖之助さんを嫌うなんかありえませんよ?」
「いや、こっちの話さ。さて、食事も済んだことだし食休みでもしようか」
そう言うと霖之助は持ってきていた本を取り出して読み始めた。
美鈴も寄り添って一緒に見ていたが、元々文字を追うのが得意ではない美鈴は次第にうとうとし始め、ついには眠りに落ちてしまうのだった。
殺す。
気に入らない奴はねじ伏せる。強いも弱いも関係ない。死んでしまえ。
――やめて。
何が悪い?この世はすべからく弱肉強食。この世にはいくらでもくだらない命があふれている。多少減らしたところでどうなる。
――やめて!
どうして目をそらす?何故迷う?
全部、『お前がやってきたことじゃないか』。
「――わ、わたしはっ!」
「うおっ!」
反射的に飛び起きた目の前には、痩身の男性――霖之助がいた。
周りをぶんぶんと見返すに、ここはまだ中庭のようだ。
「随分うなされているようだったから、館内のベッドにでもと思って。勝手に抱き起こしてすまなかった」
「い、いえ!とんでもない!」
手をぶんぶん振って謝罪する美鈴。どうやら自分は彼にいわゆるお姫様だっこをされていたようで、思考が現実に追いつかない。
「門番の仕事もあるのに僕が付き合わせているのだから、疲労も溜まっているんだろう。少し横になった方がいいかもしれない」
本当にすまないという面持ちで頭を下げる霖之助。
ああ、どうしてこうもこの人は優しいんだろう。
「いいえ、もう大丈夫です。ところで、霖之助さん」
「なんだい?」
「……昔話に、付き合ってもらってもいいでしょうか」
「美鈴は、まだやっているの?」
「そのようです。彼の思惑は未だ知れませんが、別に美鈴を含めて特に危害を与える気は無いようなので放任していますが」
「そう。まあ、気の済むようにやらせてあげればいいんじゃない。あの子もいい暇つぶしが出来て楽しいでしょ。……うん、いい蒸らし具合ね」
「……ありがとうございます」
紅魔館の主人とそのメイド長が、その暗き広間でかの店主の奇異な行動について紅茶のカップを傾けながら談じていた。
「気になるのかしら?」
「……ええ、まあ。お嬢様はお気になさらないのですか?」
「あなたほどにはね」
「随分と信頼しているんですね」
「あら、嫉妬かしら?私についてか、それとも……ああ、そんなに冷たい顔しないで。
思えば、あの子には随分と退屈な思いをさせてきたから。あの子以上の門番なんてこの幻想郷でも数えるほどもいないでしょうね」
「……」
「あの子も昔はやんちゃだったのよ。私が言えた義理じゃないけれど」
レミリアはそこで言葉を一度切り、紅茶をたしなみつつ咲夜の反応を伺っているようだった。
「博麗の大結界ができる前の話です。わたしは、若いころ――といっても2,30年ぐらいですが――自分から溢れ出る気を抑えることができず、その力を試したい衝動に駆られてあらゆる相手を敵にして屠ってきました。それこそ、人妖も、老若男女もお構いなしで、戦う意思さえあれば皆殺しにしてきましたね。それをなんとも思わなかったのがかつてのわたしでした。
そんな折、この館、すなわち紅魔館に強大な吸血鬼がいるという話を耳にしたんです」
「それが、レミリア・スカーレット……か」
「はい。お嬢様はわたしの鼻っ柱を粉々に粉砕してくれました。わたしは立っているのもやっとなのにお嬢様は余裕綽々で、次に意識が戻った時にはわたしはベッドに寝かされていました。
一思いに殺せと思っていた矢先に言われたのが『私の部下にならない?』という言葉でした」
「あの頃の美鈴は負けたことなんかありませんって顔で、『お前がレミリアか。手合わせ願いたい』ってとっても悪い笑顔で言ってたわね。
あの頃のあの子は今からは想像つかないでしょうけど、本能のままに破壊し尽くす純粋な”動”タイプだったわ。型も美しさもあったもんじゃない、ただ溢れ出す気の力に任せた暴力的な動きだったわね。
最近美鈴に借りて読んだ漫画にあったブロッコリーだかなんだかって名前だったかしら?まさにそんな感じだったわ。
けど、純粋な力・速さの勝負で私が当時の美鈴に遅れを取るはずはなかったし、実際私は彼女を圧倒していた。
多分あの子はそれ以後の記憶がないから私にボコボコにされたとしか思ってないでしょうがね」
「……違うのですか?」
「簡単に言えば『暴走』したのよ。あの子の力の源泉がどこにあるか存じてるでしょう?」
「『龍』……ですか」
「ええ。あの子は倒れる間際に途轍もない力の躍動を帯びて襲い掛かってきた。正直、あの当時ですら圧倒されたわ。
長持ちしないで倒れてくれたから助かったけど、はっきり言って震えが止まらなかったわね」
レミリアがここまで忌憚の無い賛辞を述べるのは霊夢に対して以来かもしれない。
咲夜はその言葉に複雑な気持ちになった。
「その時思ったのよ、『この子は殺すには勿体無い』ってね」
「……危うく殺されかかったのに、ですか?」
「それ以上に可能性を感じたから、ってのが大きいわね。主というのは度量の広さが問われるのよ」
ふふん、と笑いながら紅茶を再度口に含む。
こういう子供っぽいところがあるのもレミリアの度量と言うべきなのか。
「そういった経緯を経て私はあれを部下に加えたのよ。今の門番、花畑の管理の他に家事全般もやらせてたわね。当時はあなたもパチュリーもいなかったから」
「君が料理とかをこなせるのはそういう事情があったからなのか」
「はい。もちろん初めはなんでわたしがこんなことを……って常々思ってましたね。
でも逆らっても勝ち目はないし、渋々花に水をやっていました。そんな時、あの人がやってきたんです」
「あの人?」
「ええ。風見幽香――かのフラワーマスターです。
肌で感じる圧倒的な妖力にわたしは竦みあがっていました。けど、あの人は言ったんです。
『今のあなた如きと相手しても面白くないわよ。それより、今のあなたのやり方では花が泣いてるわ。
花は自分勝手では振り向かない。花の気持ちを理解できるようになりなさい。
そうすれば、あなたはもっと強くなれる』って――って、霖之助さん?」
「ああ、いや……なんでもない。話を続けてくれ」
「そうして、満面に咲く花たちを見届けたとき、わたしは思ったんです。
どんなに弱弱しく見えても、花だって負けないように枯れないように生きようとしてるって。
その時、命なんて安いものだと思ってたわたしの中で何かが弾けました。
それからわたしは武術を学ぶようになったんです。ただ壊すだけじゃない、命を守るための力として」
「それはお嬢様の差し金だったんですか?」
「ご明察。もったいぶった言い方をすれば、あの子に花を育てさせることは必ずプラスになると踏んだからだわね。案外幽香も乗り気でいてくれて助かったわ」
「それで彼女はあそこまで武術を体得した、と」
「ほとんどは蔵書とかを基にした独力でね。あの子は自分を低く見がちだから気づいていないかもしれないけど、今のあの子は多分私より強いわよ。冗談でもなんでもなしにね。
潜在能力まで含めるなら霊夢に迫るかもしれないわ」
「まさかそこまでは……」
「でも実際あの異変の時彼女はほとんど疲れてもいなかったでしょ?あれは彼女なりの諌言だったのかも知れないわね」
「……」
あの異変とはもちろんレミリアが引き起こしたあれのことだ。
自分の不明を思い出す咲夜にはいささか苦々しい思い出であるが。
「それで。あなたはいいの?このままじゃとられちゃうわよ」
「何のことでしょう……と言っても、お見通しでしょうね」
「当たり前よ。あなたの主を誰だと思っているの」
「……別に、構いませんわ。確かに彼を見ていると胸が苦しくなるときもありますが……彼の気持ちがどこにあっても、私は私ですから」
「咲夜がそう思うならそれはそれでいいんだけど……ふぅ。まったく罪作りな男ね」
(……無理しちゃって)
いつの間にか継ぎ足された紅茶を啜りながら、レミリアは自分の能力の不十分さを静かに嘆いた。
「それでさっき君がうなされていたのは、その過去に対する負い目を僕が思い出させてしまった故……か」
「それは……」
否定はできなかった。意識を研ぎ澄まして戦うのなんて数十年はなかったから。
それが楽しくて、自身のかつての戦闘衝動が夢の中で潜在的に顕現してしまったのだろうか。
「……すまなかった。辛い事を思い出させてしまったようで」
「い、いえ!ですから、それはその、大丈夫です!
だから、霖之助さんが気の済む限り……いえ、できればこれからずっと試合って頂きたいんです!
わたしは、霖之助さんと手合わせをすることが本当に楽しくて、その……ううっ……!」
「……ありがとう。だから、泣かないでくれ」
初めは完全な興味本位だった。
天地を繋ぐ雨の掛け橋「虹」、「龍蛇・八岐大蛇」から出づる剣……彼女にはあの剣を扱いうる資質があるのではないか。あるいは、それを彼女と手合わせすることで何かを見出せないか。
我ながらこじつけがましいことはよくわかっていたし、成果が出なければとっとと切り上げるつもりでいた。
……だが、それ以上に彼女が魅力的だったのだ。
誰にでも優しく朗らかで、何にでも献身的に打ち込み、戦う時は凛と舞う如く。
でも芯は強く、誰かの前では決して泣かない子。
僕は、そんな彼女を――
「……ああ、そうだ」
ぼろぼろと泣きじゃくる美鈴の腰をそっと抱き寄せ、そっと呟いた。
「僕は、君に……美鈴に心奪われていたんだな」
「霖之助さん……」
「君は誰よりも強く、そして優しい。僕は……君が好きなんだ」
霖之助は美鈴の顎をくいと持ち上げ、美鈴はそれに応じるように目を閉じた。
この日この瞬間、2つだった光と影が1つに優しく重なった。
――しばらくたったあくる日。
香霖堂に、普段は考えられない来客が訪れた。
「おじゃまします!」
「いらっしゃいませ、香霖堂にようこそ……って、美鈴!?」
「1ヶ月に一度だけお暇をいただけることになったんですよ。お嬢様は本当に勘が鋭いお方で。
あと、行く時にこれを渡せって」
美鈴が手渡してきたのは便箋だった。差出人は言うまでもない。
『うちの大事な門番たちを骨抜きにしたんだからきちんと責任は取ってもらうわよ。
とりあえず月一回は館にやってくること』
(……門番”たち”?)
「と、そういうわけなのでよろしくおねがいしますね」
やけにニコニコしながら話してくる美鈴。どうやら手紙の内容自体は聞き及んでいるらしい。
今霖之助が気になった部分を知っているかは謎だが。
(……まあいいや、深く考えても詮無い事か)
霖之助は、時期が来たと思いながら愛しい恋人に言った。
「美鈴。ちょっと君に見て欲しいものがあるんだ」
・霖之助さんがフラクラしません。
・霖之助さんが結構強いです。
・EX美鈴的な要素を含んでいるので割と美鈴を持ち上げています。
・種々の個人的解釈が多々含まれています。
これらに了承してお読みください。
湖のほとりにある紅き洋館、紅魔館の中庭にて、1組の男女が向かい合っている。
それは寄り添うというような甘々しいものではなく、互いに探り合うような視線を交わしながら半身の構えで木刀を垂らすように構えていた。
片や銀髪に眼鏡が特徴的な理知的な雰囲気を漂わす男、森近霖之助。片や桃色の長髪に中華服が麗しい女性の紅美鈴である。
両者は互いの間合いからギリギリ届かないぐらいのところで動かず、相手の出方を伺っているようだった。
時間が緩やかに流れるような緊迫感の中、じりと霖之助が半歩にも満たない程度間合いを詰める。
美鈴はそれにも動じず、ただ霖之助の視線だけをじっと見据えていた。
不意に、霖之助が縮地のように距離を詰め、空気を裂くような突きを放った。
首元のやや下を狙って放たれたそれが命中したと思われた刹那、美鈴の身体は幻のように掻き消え、霖之助は戦慄した。
体勢を整え直す間もなく霖之助の死角から顎の下へと木刀がぴたりと吸い付くように動き、彼は諦めと共に嘆息しながら木刀から手を離した。
「参った。ふぅ、まだまだ美鈴には敵わないな」
その言葉を聞くと同時に美鈴も刀を下ろし、諸手を挙げた霖之助に対して優しく微笑んだ。
「わたしの方が経験も場数も違うんですから。でも、霖之助さんもかなり成長してますよ。
わたしの制空圏を少しでも侵して来るとは思いませんでしたよ、ちょっとだけ冷や冷やしちゃいました」
「そんな涼しげな顔で言われても困るけど」
「あら、もっと驚いて見せたほうがよかったですか?」
「……君は意地悪だな」
「店主さんみたいな天邪鬼さんにはこれぐらいがちょうどいいんですよ。それじゃ、お昼にしましょうか」
美鈴はタッパーからサンドイッチを取り出すと霖之助を手招きし、門の日陰へと座り込んだ。
招かれた霖之助も追って隣に座ると、サンドイッチを受け取って一口齧る。
「うん、うまい」
「でしょう?私が気をいっぱい入れて作ってますからね」
ふふん、とその豊満な胸を張りながら自慢げに微笑む美鈴。
その言い方はどうなんだろうかと苦笑しながら霖之助は次々とサンドイッチを口に入れていく。
本来霖之助は食事を必要としない身だが、理屈はともかく美味いものを食べることは人生に彩りを与える。いわば酒と似たようなものである。
「紅魔館は大火力を出せないから中華には不向きなんですよねぇ。霖之助さんにも食べさせてあげたいんですけれども」
「パチュリー辺りが手伝えば出来そうなものだけど、駄目なのかい?」
「火力の安定供給はどうしても大変ですからね。パチュリーさんも『疲れるから嫌』って言ってやりたがらないんですよ」
「ふむ。その辺りは商売の切り口になりそうだが……ああすまない、これはこっちの話だな」
「ツテがあるんですか?」
「その手の術式付加(エンチャント)は僕も心得があるからね。美鈴だったら気を活力の炎に変換するとかいいかもしれないな。最近流れ着いてきた人に鈍器として使えそうな漫画雑誌にそんな能力があったよ」
「それは興味深い話ですねぇ。漫画もお嬢様が喜びそうです」
「なんにせよ、一度美鈴の本気の料理ってのを味わってみたいものだよ。さぞかし美味しいことだろう」
霖之助にとっては何の気なしの一言であったが、美鈴はかあっと顔を赤らめた。
「そ、そんな事言われると照れちゃいます」
「そうかい?ま、目処がつくまではなかなか難儀だろうけどね。それに金もかかる」
あいつらがツケを払ってくれないものかな、と霖之助は真顔でぼやくのを尻目に、美鈴は平静を装いながら話題を変えた。
「それより、霖之助さんが突然わたしに手合わせを願いたいなんて言って来た時は驚きましたよ。もう3ヶ月以上前でしたっけ」
「もうそんなに経つのか。未だに君には一本すら取れていないけどな。真剣でやったら僕は100回は死んでいるよ」
「それでも諦めずに挑んでくる霖之助さんも本当に凄い人だと思いますけどね。わたしも本当に……」
「……本当に?」
口からとんでもなく恥ずかしいことを出しそうになった美鈴は二の句を告げなくなり、霖之助も怪訝な表情で問うた。
「ほ、本当にいい運動になるってことですよ!」
「……そんなはっきりと言われるとちょっと傷つくな」
「い、いえ、その、す、すみません!」
「そんなに謝らないでもいいさ。美鈴から見れば僕が武力で劣るのは明白だし、それに付き合ってくれてる美鈴は本当に優しい」
「そ、それはありがとうございます。……けど、本当にすごい気配遮断ですよ。わたしでさえそこまで完全にはできませんし。視界に入ってるどころか目の前にいるのに見失いそうになるなんて」
「ああ……まあ、昔取った杵柄ってやつかな。僕は『絶』と勝手に呼んでいる。
僕の出自も関係してるのかもしれないけど」
「でも、わたしの制空圏に気取られずに入ってくるなんて未だかつて霖之助さんぐらいしかいませんよ。お嬢様は強引に押し入ってくるタイプですし」
やや顔を顰めて自嘲気味に微笑む霖之助に、美鈴は深くは追求しなかった。
霖之助も美鈴も武術家としては受けに回る”静”のタイプであるが、そのスタイルは全く異なる。
美鈴は典型的な誘い受けスタイルである。
自分のリーチを鑑みた攻撃範囲と相手のそれを読み取り、そこから互いの『制空圏』を知覚することで相手の挙動から数多の軌道を推測し、その全てに対応するように静かに、滑らかかつ華麗に捌くその姿は『究静極技』と謳われている。
対する霖之助は急襲型、というか一点突破を旨としている。
美鈴をして自分以上と言わしめる完全なる気配遮断を盾に相手の出方を封じ込め、相手の虚をついて直ちに勝負を決めるというのが霖之助の必勝パターンである。
この手の戦い方はネタバレしてしまうと途端に弱くなるのが常であるが、霖之助の場合は気配の消し方が完璧すぎて痕跡を残さないのでわかってても対応しにくく、そういう意味ではやや万能寄りなスタイルと言える。
ただし霖之助の身体能力自体はそこまで高くないため、ことその場の戦いにおいてのみは攻撃チャンスは一回のみと考えてよい。実際先の戦いでは霖之助が一発で決めきれなかったことがそのまま敗因となっている。
「どちらかといえばこんな試合というよりは暗殺向けの能力だと自分でも思うよ。こんな事では担い手としては嫌われて当然かもしれないな」
「まあまあ。わたしが霖之助さんを嫌うなんかありえませんよ?」
「いや、こっちの話さ。さて、食事も済んだことだし食休みでもしようか」
そう言うと霖之助は持ってきていた本を取り出して読み始めた。
美鈴も寄り添って一緒に見ていたが、元々文字を追うのが得意ではない美鈴は次第にうとうとし始め、ついには眠りに落ちてしまうのだった。
殺す。
気に入らない奴はねじ伏せる。強いも弱いも関係ない。死んでしまえ。
――やめて。
何が悪い?この世はすべからく弱肉強食。この世にはいくらでもくだらない命があふれている。多少減らしたところでどうなる。
――やめて!
どうして目をそらす?何故迷う?
全部、『お前がやってきたことじゃないか』。
「――わ、わたしはっ!」
「うおっ!」
反射的に飛び起きた目の前には、痩身の男性――霖之助がいた。
周りをぶんぶんと見返すに、ここはまだ中庭のようだ。
「随分うなされているようだったから、館内のベッドにでもと思って。勝手に抱き起こしてすまなかった」
「い、いえ!とんでもない!」
手をぶんぶん振って謝罪する美鈴。どうやら自分は彼にいわゆるお姫様だっこをされていたようで、思考が現実に追いつかない。
「門番の仕事もあるのに僕が付き合わせているのだから、疲労も溜まっているんだろう。少し横になった方がいいかもしれない」
本当にすまないという面持ちで頭を下げる霖之助。
ああ、どうしてこうもこの人は優しいんだろう。
「いいえ、もう大丈夫です。ところで、霖之助さん」
「なんだい?」
「……昔話に、付き合ってもらってもいいでしょうか」
「美鈴は、まだやっているの?」
「そのようです。彼の思惑は未だ知れませんが、別に美鈴を含めて特に危害を与える気は無いようなので放任していますが」
「そう。まあ、気の済むようにやらせてあげればいいんじゃない。あの子もいい暇つぶしが出来て楽しいでしょ。……うん、いい蒸らし具合ね」
「……ありがとうございます」
紅魔館の主人とそのメイド長が、その暗き広間でかの店主の奇異な行動について紅茶のカップを傾けながら談じていた。
「気になるのかしら?」
「……ええ、まあ。お嬢様はお気になさらないのですか?」
「あなたほどにはね」
「随分と信頼しているんですね」
「あら、嫉妬かしら?私についてか、それとも……ああ、そんなに冷たい顔しないで。
思えば、あの子には随分と退屈な思いをさせてきたから。あの子以上の門番なんてこの幻想郷でも数えるほどもいないでしょうね」
「……」
「あの子も昔はやんちゃだったのよ。私が言えた義理じゃないけれど」
レミリアはそこで言葉を一度切り、紅茶をたしなみつつ咲夜の反応を伺っているようだった。
「博麗の大結界ができる前の話です。わたしは、若いころ――といっても2,30年ぐらいですが――自分から溢れ出る気を抑えることができず、その力を試したい衝動に駆られてあらゆる相手を敵にして屠ってきました。それこそ、人妖も、老若男女もお構いなしで、戦う意思さえあれば皆殺しにしてきましたね。それをなんとも思わなかったのがかつてのわたしでした。
そんな折、この館、すなわち紅魔館に強大な吸血鬼がいるという話を耳にしたんです」
「それが、レミリア・スカーレット……か」
「はい。お嬢様はわたしの鼻っ柱を粉々に粉砕してくれました。わたしは立っているのもやっとなのにお嬢様は余裕綽々で、次に意識が戻った時にはわたしはベッドに寝かされていました。
一思いに殺せと思っていた矢先に言われたのが『私の部下にならない?』という言葉でした」
「あの頃の美鈴は負けたことなんかありませんって顔で、『お前がレミリアか。手合わせ願いたい』ってとっても悪い笑顔で言ってたわね。
あの頃のあの子は今からは想像つかないでしょうけど、本能のままに破壊し尽くす純粋な”動”タイプだったわ。型も美しさもあったもんじゃない、ただ溢れ出す気の力に任せた暴力的な動きだったわね。
最近美鈴に借りて読んだ漫画にあったブロッコリーだかなんだかって名前だったかしら?まさにそんな感じだったわ。
けど、純粋な力・速さの勝負で私が当時の美鈴に遅れを取るはずはなかったし、実際私は彼女を圧倒していた。
多分あの子はそれ以後の記憶がないから私にボコボコにされたとしか思ってないでしょうがね」
「……違うのですか?」
「簡単に言えば『暴走』したのよ。あの子の力の源泉がどこにあるか存じてるでしょう?」
「『龍』……ですか」
「ええ。あの子は倒れる間際に途轍もない力の躍動を帯びて襲い掛かってきた。正直、あの当時ですら圧倒されたわ。
長持ちしないで倒れてくれたから助かったけど、はっきり言って震えが止まらなかったわね」
レミリアがここまで忌憚の無い賛辞を述べるのは霊夢に対して以来かもしれない。
咲夜はその言葉に複雑な気持ちになった。
「その時思ったのよ、『この子は殺すには勿体無い』ってね」
「……危うく殺されかかったのに、ですか?」
「それ以上に可能性を感じたから、ってのが大きいわね。主というのは度量の広さが問われるのよ」
ふふん、と笑いながら紅茶を再度口に含む。
こういう子供っぽいところがあるのもレミリアの度量と言うべきなのか。
「そういった経緯を経て私はあれを部下に加えたのよ。今の門番、花畑の管理の他に家事全般もやらせてたわね。当時はあなたもパチュリーもいなかったから」
「君が料理とかをこなせるのはそういう事情があったからなのか」
「はい。もちろん初めはなんでわたしがこんなことを……って常々思ってましたね。
でも逆らっても勝ち目はないし、渋々花に水をやっていました。そんな時、あの人がやってきたんです」
「あの人?」
「ええ。風見幽香――かのフラワーマスターです。
肌で感じる圧倒的な妖力にわたしは竦みあがっていました。けど、あの人は言ったんです。
『今のあなた如きと相手しても面白くないわよ。それより、今のあなたのやり方では花が泣いてるわ。
花は自分勝手では振り向かない。花の気持ちを理解できるようになりなさい。
そうすれば、あなたはもっと強くなれる』って――って、霖之助さん?」
「ああ、いや……なんでもない。話を続けてくれ」
「そうして、満面に咲く花たちを見届けたとき、わたしは思ったんです。
どんなに弱弱しく見えても、花だって負けないように枯れないように生きようとしてるって。
その時、命なんて安いものだと思ってたわたしの中で何かが弾けました。
それからわたしは武術を学ぶようになったんです。ただ壊すだけじゃない、命を守るための力として」
「それはお嬢様の差し金だったんですか?」
「ご明察。もったいぶった言い方をすれば、あの子に花を育てさせることは必ずプラスになると踏んだからだわね。案外幽香も乗り気でいてくれて助かったわ」
「それで彼女はあそこまで武術を体得した、と」
「ほとんどは蔵書とかを基にした独力でね。あの子は自分を低く見がちだから気づいていないかもしれないけど、今のあの子は多分私より強いわよ。冗談でもなんでもなしにね。
潜在能力まで含めるなら霊夢に迫るかもしれないわ」
「まさかそこまでは……」
「でも実際あの異変の時彼女はほとんど疲れてもいなかったでしょ?あれは彼女なりの諌言だったのかも知れないわね」
「……」
あの異変とはもちろんレミリアが引き起こしたあれのことだ。
自分の不明を思い出す咲夜にはいささか苦々しい思い出であるが。
「それで。あなたはいいの?このままじゃとられちゃうわよ」
「何のことでしょう……と言っても、お見通しでしょうね」
「当たり前よ。あなたの主を誰だと思っているの」
「……別に、構いませんわ。確かに彼を見ていると胸が苦しくなるときもありますが……彼の気持ちがどこにあっても、私は私ですから」
「咲夜がそう思うならそれはそれでいいんだけど……ふぅ。まったく罪作りな男ね」
(……無理しちゃって)
いつの間にか継ぎ足された紅茶を啜りながら、レミリアは自分の能力の不十分さを静かに嘆いた。
「それでさっき君がうなされていたのは、その過去に対する負い目を僕が思い出させてしまった故……か」
「それは……」
否定はできなかった。意識を研ぎ澄まして戦うのなんて数十年はなかったから。
それが楽しくて、自身のかつての戦闘衝動が夢の中で潜在的に顕現してしまったのだろうか。
「……すまなかった。辛い事を思い出させてしまったようで」
「い、いえ!ですから、それはその、大丈夫です!
だから、霖之助さんが気の済む限り……いえ、できればこれからずっと試合って頂きたいんです!
わたしは、霖之助さんと手合わせをすることが本当に楽しくて、その……ううっ……!」
「……ありがとう。だから、泣かないでくれ」
初めは完全な興味本位だった。
天地を繋ぐ雨の掛け橋「虹」、「龍蛇・八岐大蛇」から出づる剣……彼女にはあの剣を扱いうる資質があるのではないか。あるいは、それを彼女と手合わせすることで何かを見出せないか。
我ながらこじつけがましいことはよくわかっていたし、成果が出なければとっとと切り上げるつもりでいた。
……だが、それ以上に彼女が魅力的だったのだ。
誰にでも優しく朗らかで、何にでも献身的に打ち込み、戦う時は凛と舞う如く。
でも芯は強く、誰かの前では決して泣かない子。
僕は、そんな彼女を――
「……ああ、そうだ」
ぼろぼろと泣きじゃくる美鈴の腰をそっと抱き寄せ、そっと呟いた。
「僕は、君に……美鈴に心奪われていたんだな」
「霖之助さん……」
「君は誰よりも強く、そして優しい。僕は……君が好きなんだ」
霖之助は美鈴の顎をくいと持ち上げ、美鈴はそれに応じるように目を閉じた。
この日この瞬間、2つだった光と影が1つに優しく重なった。
――しばらくたったあくる日。
香霖堂に、普段は考えられない来客が訪れた。
「おじゃまします!」
「いらっしゃいませ、香霖堂にようこそ……って、美鈴!?」
「1ヶ月に一度だけお暇をいただけることになったんですよ。お嬢様は本当に勘が鋭いお方で。
あと、行く時にこれを渡せって」
美鈴が手渡してきたのは便箋だった。差出人は言うまでもない。
『うちの大事な門番たちを骨抜きにしたんだからきちんと責任は取ってもらうわよ。
とりあえず月一回は館にやってくること』
(……門番”たち”?)
「と、そういうわけなのでよろしくおねがいしますね」
やけにニコニコしながら話してくる美鈴。どうやら手紙の内容自体は聞き及んでいるらしい。
今霖之助が気になった部分を知っているかは謎だが。
(……まあいいや、深く考えても詮無い事か)
霖之助は、時期が来たと思いながら愛しい恋人に言った。
「美鈴。ちょっと君に見て欲しいものがあるんだ」
面白かったです。
紅魔館が幻想郷にやって来たのは20年くらい前だから、大結界前に紅魔館は存在してないです・・・
ゲェーッ!?なんたる勉強不足……
ご指摘ありがとうございます、今後の参考にいたします(´・ω・`)
まさか……