紅魔館のメイド長、十六夜咲夜は働き者である。
冗談混じりに「1日に24時間働くメイド」などと称されることもある。
とは言っても、それはあくまで言葉のあやというか、若干の誇張を含んだ表現だ。
彼女は紅魔館唯一の人間であるため、体力的にはむしろ無茶が利かない方だと言ってよいだろう。
「時間を操る程度の能力」も、何のコストも無しに使い続けられる力ではない。
早い話が咲夜もある程度の休息はとっているということだ。
「……あら」
自室のベッドで上半身を起こした咲夜は、時計を見て眉根を寄せた。
寝坊したからではない。
逆に、予定よりも40分ほど早く目が覚めてしまったのだ。
寝直すには短い時間であるが、かと言ってただ呆けているには長い。
次の仕事は睡眠中のレミリアを起こしにいくことなので、特に面倒な準備も必要ない。
さて、この浮いた時間をどうしたものか。
コン、コン――
思案はすぐに妨げられた。
随分と遠慮がちなノックだ。
「咲夜さん、起きてます?いや寝ていらっしゃったら別にいいんですけども」
続けて、これまた遠慮がちな声が聞こえてくる。
緊急を要する事態が起きたわけではなさそうだが、敢えて意地悪をする理由もないので返事をしてやる。
「起きてるわ。何かあったの?」
「あ、起きてます?私です」
ベッドを降り、やや乱れた髪型を手で整えながらドアの方へと向かう。
鍵を開けてドアを開くと、そこには予想通りの人物が居た。
「美鈴なのは分かってるわよ。どうしたの?」
「いやぁ、そんな大した用があるわけじゃないんですけど」
てへへと頭を掻きながら部屋に入ってくる美鈴。
「入っていいと言ったかしら?」
「えぇー!?そこは私と咲夜さんの仲じゃないですか!」
「まぁ、いいけど」
別に嫌なわけではない。
最近忙しくて部屋が散らかり気味なのを見られるのが気になるだけだ。
もっとも、それでも咲夜以外の目から見ればきっちり整理整頓されているように見えるのだが。
2人は椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合う。
「で、何の用なの?」
「えっと。実は、咲夜さんが最近お疲れ気味だと聞きまして」
「誰に」
「メイドさん達に。というか、私もそう思ってましたし」
「……そう」
驚いた。
近頃は今までにも増して忙しいのは確かだが、疲れた姿は見せないようにと努めてきたつもりだった。
それを部下達に悟られていたとあっては、紅魔館のメイド長として恥じるべき事実だ。
「ごめんなさい、気を付けるわ。後でみんなにも謝っておかないと――」
「いやいやいや、違いますって!そういう話じゃないですって!」
美鈴はわたわたと手を振って咲夜の台詞を遮る。
「咲夜さんがもの凄く働いているのはみんな分かってますよ」
「そんなの言い訳にもならないわ。私がきちんとしないと示しがつかないもの」
「だーかーら。そうやって気張り過ぎてるから余計に疲れちゃうんですよ」
テーブル越しに身を乗り出す美鈴。
咲夜は逆に、その勢いに圧されるように身を引く。
「だったらどうしろって言うのよ」
「よくぞ訊いてくれました。
何を隠そう、私はそんな疲れた咲夜さんを癒しに来たのですよ!」
「……どうやって?」
「ずばり、マッサージです」
そう言って手をわきわきさせる美鈴に、咲夜は更に身を引いた。
目つきや手つきから色々と危険を感じたからだ。
「遠慮するわ」
「なんでですか」
「なんでも」
咲夜は肌の触れ合うようなスキンシップを軽くできるタイプではない。
そんな彼女にしてみれば、マッサージなどするのもされるのも殆ど経験が無い行為だ。
相手が気心の知れた美鈴であろうと、気恥ずかしさは大いに感じる。
「大丈夫ですって、私のマッサージはメイドさん達にも好評なんですよ」
「……」
「優しくしますから。ねっねっ」
「でも」
なかなか首を縦に振らない咲夜に、美鈴は別の方向からの説得を試みる。
「じゃあ、疲れを溜めこんだまま働き続けるんですか?」
「それは……」
「それってお嬢様のためにならないんじゃないですかねぇ」
「お嬢様のため」というフレーズが効いたらしい。
数秒の沈黙の後、咲夜は「分かったわ」と席を立った。
「でも、30分だけよ。仕事があるんだから」
「分かってますって。それじゃあほら、早速ベッドに」
貴重な咲夜の赤面シーンに内心歓喜しつつも、美鈴はなんとか真面目な表情をキープする。
邪な気持ちが一切無いとは言わないが、これも紅魔館のため仕事だと自分に言い聞かせる。
決して「恥じらう咲夜さんの体を触り放題!」などと思ってはいない。
「ほら、いつでもいいわよ」
普段のメイド服と違って、この部屋着ならばいちいち脱いだり着替えたりする必要はないだろう。
咲夜はベッドに俯せになり、やるんだったら早くと促す。
「では、失礼します」
美鈴は俯せになった彼女の腰のあたりに跨る。
「肩からいきますね」
「えぇ」
両手でほっそりとした肩を掴み、指先に軽く力を入れる。
「うわっ」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないですよ、なんですかこの肩。ガッチガチじゃないですか」
並の肩こりではない。
どれだけ疲労を無視して働き続けていたのだろうか。
「10代の人間の女の子で四十肩とか笑えませんよ。もうちょっと休憩とりましょうね」
言いながら、指の力を強める。
これはきつめに指圧してやらないといけないようだ。
「ちょっと、痛いのだけど……」
「我慢して下さい。痛いのは最初だけですから」
この肩の硬さだけで、いかに日常的に無理をしていたかが分かる。
昔からそうだ。
周りがどんなに心配していても、レミリアの為ならどこまででも体を張ってしまうのだ。
おこがましくも、美鈴は思わず主に嫉妬してしまう。
「なるべく力抜いて下さいね」
「っ……ふぅっ……」
咲夜の凝り固まった肩に、ぐっと指先が食い込む。
体と気持ちの緊張がほぐれてくると、なるほど、確かに痛気持ちいい。
妖精メイドたちが賞賛するのも納得だ。
考えてみれば、美鈴は武術家。整体の心得があっても不思議はない。
「どうですか?」
「悪くはないわね……んんっ…」
「こんなに凝ってる人、今まで見たことないですよ。時間いっぱい徹底的にやりますからね」
美鈴は首の付け根のあたりを親指で押さえ、揺さぶるようにしてマッサージする。
指先にかかる銀髪が少しくすぐったかった。
続いて背中。
咲夜の呼吸に合わせて、手のひら全体を使ってほぐす。
ついでに軽く骨の歪みも矯正していく。
「凝るってのはですね、ただ筋肉が固くなって動かしにくいねって話じゃないんですよ」
「そうなの?」
「血行が悪くなれば栄養だって循環しなくなるし、老廃物だって溜まっちゃいますよ」
話しながらも手は止まらない。
跨る位置を太腿のあたりに変えて、次は腰だ。
触ってみたところ、どうやらここは肩と同じぐらいに手ごわそうだ。
「これは肘入れましょう、肘」
「肘?」
咲夜の腰に両肘を置くと、美鈴はグリグリと抉りこむように刺激する。
細い腰。
腰だけではなく、肩も首も脚も、どこもかしこも華奢だ。
外見を自由にコントロールできるような妖怪ならともかく、咲夜は人間だ。
今だって、美鈴がちょっと力加減を間違えれば壊れてしまう。
そんな生物が紅魔館のメイド長を務めているのだ。
肉体的にも精神的にもハードに決まっている。
「んぅっ……美鈴、きついっ…!」
「我慢して下さい。これも咲夜さんのため、ひいてはお嬢様のためですよ」
「…っ……分かってるわよ…」
反射的に抵抗しかけても、やはり「お嬢様のため」と聞けば大人しくなってしまう。
美鈴にとってはそれが面白くもあるのだが、同時にほんの少し胸が痛んだ。
自分が「私のため」などと言っても何の効果も無いだろうから。
「はーい、脚いきますよ」
美鈴は跨る位置を更に下にずらして、太腿の筋肉を伸ばしにかかる。
同性として憧れを抱かざるをえない美脚だ。
こうして合意の上で触れるチャンスが訪れるとは思いもしなかった。
ちなみに美鈴の引き締まった脚にも数多くのファンがいるだが、彼女自身はそれを知るよしもない。
「咲夜さん、本当にいい脚してますよねぇ…」
「セクハラするなら終わりにするけど」
「褒めてるのにー」
セクハラだなんてとんでもない。
むしろ、そういった欲求を苦労して押しとどめて作業に専念しているというのに。
太腿からふくらはぎ、くるぶし、足首、足の裏まで丁寧に指圧していく。
「はい、おしまいです」
ぴったり30分。
かなり急ぎ足ではあったが、なんとか時間内に全身のマッサージを終えることができた。
「ふむ……」
立ち上がって軽く体を動かす咲夜。
「どうですか?」
「体が温かい気がするわね」
「血行が良くなってる証拠ですよ」
悪くない。
なんとなく頭もすっきりしたように感じられる。
「これで仕事も捗るかしら」
「もちろんですとも。お嬢様も喜びますよ!」
「そう?」
微笑む咲夜。
その反応は美鈴が望んだものであったが、またもや胸の奥がほんのり痛んだ。
この笑顔は、自分へのものではない。
あくまで「レミリアの役に立てる」という喜びから生まれた笑顔だ。
そんな詮ない考えが浮かんでしまう。
「美鈴?」
「あ……はいっ?」
「なんだか変な顔をしていたわよ」
「えっ、あ、そうでした?あはははっ」
珍しく咲夜の体にべたべたと触れることができて興奮しているからだろうか。
美鈴は、贅沢というか我侭というか、そんな状態になっているのを自覚する。
自分から主の話を振っておいて、なのに勝手に落ち込んで、これでは馬鹿そのものだ。
「あ。もうお仕事の時間でしたね、長居しちゃってすいません」
「え?そんなことないわよ、今日は悪かったわね」
「いえいえ、お邪魔しました。それじゃあお仕事頑張って下さい!」
「えぇ。貴方もね」
「はいっ!」
美鈴は元気よく返事すると、意識して軽い足取りで咲夜の部屋を後にした。
そして後ろ手にドアを閉めると、深いため息をつく。
「今日の私、ちょっと変だな」
とても楽しかったのに、どうにも満たされなかった。
既に自分の休憩時間も残り僅かだ。
もやもやした気持ちまま、彼女はとぼとぼと門へ向かう。
館から出て沈みかけた夕日に照らされると、なんだか妙に情けない気持ちになった。
◆ ◆ ◆
翌日の昼下がり、美鈴はいつも通り門番の仕事に従事していた。
既に気持ちの整理はしたはずなのだが、それでも若干引きずってしまっているようだ。
眠いのに眠れない。
「あら。今日は起きてるのね」
振り返ると、そこには左手に水筒、右手に小さなバスケットを提げた咲夜の姿があった。
「そんないつもいつも寝てませんってば」
「たまに寝てる時点でおかしいのよ。ほら」
「はい?」
ずいっとバスケットを差し出された。
受け取ってみると、その蓋越しに甘い香りがする。
「昨日のお礼よ。お蔭様で体が軽くなったもの」
「えっ、これ、私に?」
「もし寝てたら、私が食べちゃおうと思っていたけどね」
「今開けていいですか?」
「もちろん」
思いがけないプレゼントだ。
蓋を開けると、そこには黄金色に輝く焼き菓子があった。
「アップルパイですか?」
「えぇ。出来立てだから、まだちょっと温かいかも」
「わぁ……」
目を輝かせる美鈴を見て、咲夜はくすっと笑う。
「貴方、そんなにアップルパイ好きだったかしら」
「だ、だって咲夜さんが私のために作ってくれたんですよね?私のために!」
「そうよ?」
「だから嬉しいんですよっ!」
言ってから「しまった」と思った。
勢い余って何を言っているんだ、自分は。
一瞬にして顔が熱くなる。
咲夜はというと、彼女もまた頬を赤らめていた。
「へぇ……照れるわね」
「無しで!今のは無かったことに!」
「嬉しくないのね?」
「いや、嬉しいのは確かですけども!」
咲夜は真っ赤な顔でテンパる美鈴に近づき、バスケットの中からパイを一切れ取り出す。
そして、それを美鈴の口元へと近づけていく。
「ほら」
「へっ?」
「鈍いわね。『あーん』ってやつよ」
「ぅえぇぇえっ!?」
なんだ、この夢に見たような展開は。
ひょっとしたら本当に夢なんじゃないだろうか。
「私だけ照れされられているんじゃ癪だもの。ほら、早く」
もう覚悟を決めるしかない。
夢だったら夢だったで、覚める前に堪能してやる。
美鈴は覚悟を決めて、目の前のアップルパイにかぶりついた。
「どう?」
「……おいひいでふ」
幸い夢ではなかったようで、林檎の甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。
気づけば胸のつかえも眠気も吹き飛んでいて、自分の単純さを思い知らされる。
もぐもぐと咀嚼している間に、咲夜が水筒の中身をカップに注いでくれていた。
「はい」
「どうも」
カップで湯気を立てているのはストレートのダージリン・ティーらしく、一口啜ると華やかな香りが鼻に抜けていった。
「咲夜さん」
「なに?」
「私、今すっごく幸せです」
「私も悪い気分ではないわね」
笑われるかと思ったが、意外や満更でもない返事が帰ってきた。
「じゃあ、もう1回『あーん』して下さいよ」
「調子に乗らないの」
「ダメなんですか?」
「仕方ないわね……ほら、あーん」
咲夜さん。お嬢様。
咲夜さんはお嬢様の専属メイドさんですけども。
今だけは、私の……私だけのメイドさんってことでいいですよね?
―おしまい―
冗談混じりに「1日に24時間働くメイド」などと称されることもある。
とは言っても、それはあくまで言葉のあやというか、若干の誇張を含んだ表現だ。
彼女は紅魔館唯一の人間であるため、体力的にはむしろ無茶が利かない方だと言ってよいだろう。
「時間を操る程度の能力」も、何のコストも無しに使い続けられる力ではない。
早い話が咲夜もある程度の休息はとっているということだ。
「……あら」
自室のベッドで上半身を起こした咲夜は、時計を見て眉根を寄せた。
寝坊したからではない。
逆に、予定よりも40分ほど早く目が覚めてしまったのだ。
寝直すには短い時間であるが、かと言ってただ呆けているには長い。
次の仕事は睡眠中のレミリアを起こしにいくことなので、特に面倒な準備も必要ない。
さて、この浮いた時間をどうしたものか。
コン、コン――
思案はすぐに妨げられた。
随分と遠慮がちなノックだ。
「咲夜さん、起きてます?いや寝ていらっしゃったら別にいいんですけども」
続けて、これまた遠慮がちな声が聞こえてくる。
緊急を要する事態が起きたわけではなさそうだが、敢えて意地悪をする理由もないので返事をしてやる。
「起きてるわ。何かあったの?」
「あ、起きてます?私です」
ベッドを降り、やや乱れた髪型を手で整えながらドアの方へと向かう。
鍵を開けてドアを開くと、そこには予想通りの人物が居た。
「美鈴なのは分かってるわよ。どうしたの?」
「いやぁ、そんな大した用があるわけじゃないんですけど」
てへへと頭を掻きながら部屋に入ってくる美鈴。
「入っていいと言ったかしら?」
「えぇー!?そこは私と咲夜さんの仲じゃないですか!」
「まぁ、いいけど」
別に嫌なわけではない。
最近忙しくて部屋が散らかり気味なのを見られるのが気になるだけだ。
もっとも、それでも咲夜以外の目から見ればきっちり整理整頓されているように見えるのだが。
2人は椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合う。
「で、何の用なの?」
「えっと。実は、咲夜さんが最近お疲れ気味だと聞きまして」
「誰に」
「メイドさん達に。というか、私もそう思ってましたし」
「……そう」
驚いた。
近頃は今までにも増して忙しいのは確かだが、疲れた姿は見せないようにと努めてきたつもりだった。
それを部下達に悟られていたとあっては、紅魔館のメイド長として恥じるべき事実だ。
「ごめんなさい、気を付けるわ。後でみんなにも謝っておかないと――」
「いやいやいや、違いますって!そういう話じゃないですって!」
美鈴はわたわたと手を振って咲夜の台詞を遮る。
「咲夜さんがもの凄く働いているのはみんな分かってますよ」
「そんなの言い訳にもならないわ。私がきちんとしないと示しがつかないもの」
「だーかーら。そうやって気張り過ぎてるから余計に疲れちゃうんですよ」
テーブル越しに身を乗り出す美鈴。
咲夜は逆に、その勢いに圧されるように身を引く。
「だったらどうしろって言うのよ」
「よくぞ訊いてくれました。
何を隠そう、私はそんな疲れた咲夜さんを癒しに来たのですよ!」
「……どうやって?」
「ずばり、マッサージです」
そう言って手をわきわきさせる美鈴に、咲夜は更に身を引いた。
目つきや手つきから色々と危険を感じたからだ。
「遠慮するわ」
「なんでですか」
「なんでも」
咲夜は肌の触れ合うようなスキンシップを軽くできるタイプではない。
そんな彼女にしてみれば、マッサージなどするのもされるのも殆ど経験が無い行為だ。
相手が気心の知れた美鈴であろうと、気恥ずかしさは大いに感じる。
「大丈夫ですって、私のマッサージはメイドさん達にも好評なんですよ」
「……」
「優しくしますから。ねっねっ」
「でも」
なかなか首を縦に振らない咲夜に、美鈴は別の方向からの説得を試みる。
「じゃあ、疲れを溜めこんだまま働き続けるんですか?」
「それは……」
「それってお嬢様のためにならないんじゃないですかねぇ」
「お嬢様のため」というフレーズが効いたらしい。
数秒の沈黙の後、咲夜は「分かったわ」と席を立った。
「でも、30分だけよ。仕事があるんだから」
「分かってますって。それじゃあほら、早速ベッドに」
貴重な咲夜の赤面シーンに内心歓喜しつつも、美鈴はなんとか真面目な表情をキープする。
邪な気持ちが一切無いとは言わないが、これも紅魔館のため仕事だと自分に言い聞かせる。
決して「恥じらう咲夜さんの体を触り放題!」などと思ってはいない。
「ほら、いつでもいいわよ」
普段のメイド服と違って、この部屋着ならばいちいち脱いだり着替えたりする必要はないだろう。
咲夜はベッドに俯せになり、やるんだったら早くと促す。
「では、失礼します」
美鈴は俯せになった彼女の腰のあたりに跨る。
「肩からいきますね」
「えぇ」
両手でほっそりとした肩を掴み、指先に軽く力を入れる。
「うわっ」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないですよ、なんですかこの肩。ガッチガチじゃないですか」
並の肩こりではない。
どれだけ疲労を無視して働き続けていたのだろうか。
「10代の人間の女の子で四十肩とか笑えませんよ。もうちょっと休憩とりましょうね」
言いながら、指の力を強める。
これはきつめに指圧してやらないといけないようだ。
「ちょっと、痛いのだけど……」
「我慢して下さい。痛いのは最初だけですから」
この肩の硬さだけで、いかに日常的に無理をしていたかが分かる。
昔からそうだ。
周りがどんなに心配していても、レミリアの為ならどこまででも体を張ってしまうのだ。
おこがましくも、美鈴は思わず主に嫉妬してしまう。
「なるべく力抜いて下さいね」
「っ……ふぅっ……」
咲夜の凝り固まった肩に、ぐっと指先が食い込む。
体と気持ちの緊張がほぐれてくると、なるほど、確かに痛気持ちいい。
妖精メイドたちが賞賛するのも納得だ。
考えてみれば、美鈴は武術家。整体の心得があっても不思議はない。
「どうですか?」
「悪くはないわね……んんっ…」
「こんなに凝ってる人、今まで見たことないですよ。時間いっぱい徹底的にやりますからね」
美鈴は首の付け根のあたりを親指で押さえ、揺さぶるようにしてマッサージする。
指先にかかる銀髪が少しくすぐったかった。
続いて背中。
咲夜の呼吸に合わせて、手のひら全体を使ってほぐす。
ついでに軽く骨の歪みも矯正していく。
「凝るってのはですね、ただ筋肉が固くなって動かしにくいねって話じゃないんですよ」
「そうなの?」
「血行が悪くなれば栄養だって循環しなくなるし、老廃物だって溜まっちゃいますよ」
話しながらも手は止まらない。
跨る位置を太腿のあたりに変えて、次は腰だ。
触ってみたところ、どうやらここは肩と同じぐらいに手ごわそうだ。
「これは肘入れましょう、肘」
「肘?」
咲夜の腰に両肘を置くと、美鈴はグリグリと抉りこむように刺激する。
細い腰。
腰だけではなく、肩も首も脚も、どこもかしこも華奢だ。
外見を自由にコントロールできるような妖怪ならともかく、咲夜は人間だ。
今だって、美鈴がちょっと力加減を間違えれば壊れてしまう。
そんな生物が紅魔館のメイド長を務めているのだ。
肉体的にも精神的にもハードに決まっている。
「んぅっ……美鈴、きついっ…!」
「我慢して下さい。これも咲夜さんのため、ひいてはお嬢様のためですよ」
「…っ……分かってるわよ…」
反射的に抵抗しかけても、やはり「お嬢様のため」と聞けば大人しくなってしまう。
美鈴にとってはそれが面白くもあるのだが、同時にほんの少し胸が痛んだ。
自分が「私のため」などと言っても何の効果も無いだろうから。
「はーい、脚いきますよ」
美鈴は跨る位置を更に下にずらして、太腿の筋肉を伸ばしにかかる。
同性として憧れを抱かざるをえない美脚だ。
こうして合意の上で触れるチャンスが訪れるとは思いもしなかった。
ちなみに美鈴の引き締まった脚にも数多くのファンがいるだが、彼女自身はそれを知るよしもない。
「咲夜さん、本当にいい脚してますよねぇ…」
「セクハラするなら終わりにするけど」
「褒めてるのにー」
セクハラだなんてとんでもない。
むしろ、そういった欲求を苦労して押しとどめて作業に専念しているというのに。
太腿からふくらはぎ、くるぶし、足首、足の裏まで丁寧に指圧していく。
「はい、おしまいです」
ぴったり30分。
かなり急ぎ足ではあったが、なんとか時間内に全身のマッサージを終えることができた。
「ふむ……」
立ち上がって軽く体を動かす咲夜。
「どうですか?」
「体が温かい気がするわね」
「血行が良くなってる証拠ですよ」
悪くない。
なんとなく頭もすっきりしたように感じられる。
「これで仕事も捗るかしら」
「もちろんですとも。お嬢様も喜びますよ!」
「そう?」
微笑む咲夜。
その反応は美鈴が望んだものであったが、またもや胸の奥がほんのり痛んだ。
この笑顔は、自分へのものではない。
あくまで「レミリアの役に立てる」という喜びから生まれた笑顔だ。
そんな詮ない考えが浮かんでしまう。
「美鈴?」
「あ……はいっ?」
「なんだか変な顔をしていたわよ」
「えっ、あ、そうでした?あはははっ」
珍しく咲夜の体にべたべたと触れることができて興奮しているからだろうか。
美鈴は、贅沢というか我侭というか、そんな状態になっているのを自覚する。
自分から主の話を振っておいて、なのに勝手に落ち込んで、これでは馬鹿そのものだ。
「あ。もうお仕事の時間でしたね、長居しちゃってすいません」
「え?そんなことないわよ、今日は悪かったわね」
「いえいえ、お邪魔しました。それじゃあお仕事頑張って下さい!」
「えぇ。貴方もね」
「はいっ!」
美鈴は元気よく返事すると、意識して軽い足取りで咲夜の部屋を後にした。
そして後ろ手にドアを閉めると、深いため息をつく。
「今日の私、ちょっと変だな」
とても楽しかったのに、どうにも満たされなかった。
既に自分の休憩時間も残り僅かだ。
もやもやした気持ちまま、彼女はとぼとぼと門へ向かう。
館から出て沈みかけた夕日に照らされると、なんだか妙に情けない気持ちになった。
◆ ◆ ◆
翌日の昼下がり、美鈴はいつも通り門番の仕事に従事していた。
既に気持ちの整理はしたはずなのだが、それでも若干引きずってしまっているようだ。
眠いのに眠れない。
「あら。今日は起きてるのね」
振り返ると、そこには左手に水筒、右手に小さなバスケットを提げた咲夜の姿があった。
「そんないつもいつも寝てませんってば」
「たまに寝てる時点でおかしいのよ。ほら」
「はい?」
ずいっとバスケットを差し出された。
受け取ってみると、その蓋越しに甘い香りがする。
「昨日のお礼よ。お蔭様で体が軽くなったもの」
「えっ、これ、私に?」
「もし寝てたら、私が食べちゃおうと思っていたけどね」
「今開けていいですか?」
「もちろん」
思いがけないプレゼントだ。
蓋を開けると、そこには黄金色に輝く焼き菓子があった。
「アップルパイですか?」
「えぇ。出来立てだから、まだちょっと温かいかも」
「わぁ……」
目を輝かせる美鈴を見て、咲夜はくすっと笑う。
「貴方、そんなにアップルパイ好きだったかしら」
「だ、だって咲夜さんが私のために作ってくれたんですよね?私のために!」
「そうよ?」
「だから嬉しいんですよっ!」
言ってから「しまった」と思った。
勢い余って何を言っているんだ、自分は。
一瞬にして顔が熱くなる。
咲夜はというと、彼女もまた頬を赤らめていた。
「へぇ……照れるわね」
「無しで!今のは無かったことに!」
「嬉しくないのね?」
「いや、嬉しいのは確かですけども!」
咲夜は真っ赤な顔でテンパる美鈴に近づき、バスケットの中からパイを一切れ取り出す。
そして、それを美鈴の口元へと近づけていく。
「ほら」
「へっ?」
「鈍いわね。『あーん』ってやつよ」
「ぅえぇぇえっ!?」
なんだ、この夢に見たような展開は。
ひょっとしたら本当に夢なんじゃないだろうか。
「私だけ照れされられているんじゃ癪だもの。ほら、早く」
もう覚悟を決めるしかない。
夢だったら夢だったで、覚める前に堪能してやる。
美鈴は覚悟を決めて、目の前のアップルパイにかぶりついた。
「どう?」
「……おいひいでふ」
幸い夢ではなかったようで、林檎の甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。
気づけば胸のつかえも眠気も吹き飛んでいて、自分の単純さを思い知らされる。
もぐもぐと咀嚼している間に、咲夜が水筒の中身をカップに注いでくれていた。
「はい」
「どうも」
カップで湯気を立てているのはストレートのダージリン・ティーらしく、一口啜ると華やかな香りが鼻に抜けていった。
「咲夜さん」
「なに?」
「私、今すっごく幸せです」
「私も悪い気分ではないわね」
笑われるかと思ったが、意外や満更でもない返事が帰ってきた。
「じゃあ、もう1回『あーん』して下さいよ」
「調子に乗らないの」
「ダメなんですか?」
「仕方ないわね……ほら、あーん」
咲夜さん。お嬢様。
咲夜さんはお嬢様の専属メイドさんですけども。
今だけは、私の……私だけのメイドさんってことでいいですよね?
私も美鈴のマッサージで癒されたい…
甘いよグレイトだよ次も期待してるよ。
美鈴に頑張れと声援を贈りたくなる。
良かったです。
読んでいて自然にニヤけてきました。素晴らしい!!!
マッサージの心得がある者として咲夜さんの身体がどんなにこっていたのか気になりまs(殺人ドール
次回作も楽しみに待ってます~(`・ω・´)ゞ