パチュリー様が出かけたので、私は図書館にひとりきりになった。パチュリー様がどこに出かけたのかというと、神社で、神社というのは博麗神社だ。
パチュリー様は私を召喚した魔女で、まだ100歳ほどなのに、とても優秀な魔法使いだ。いつも紫色のしましまの、ネグリジェみたいな薄手の服を着ていて、本ばかり読んでいるからか体が弱く、喘息持ちで、常に眠たそうな目をしている。
紅魔館、というのがこの館の名前だ。私たちの図書館は、紅魔館に隣接して建築されていて、紅魔館の当主がレミリアお嬢様だ。パチュリー様はレミリア様の友人で、紅魔館にとっては客人の立場になる。
私はコーヒーを飲む。
パチュリー様が向かった博麗神社には、博麗の巫女がいて、この博麗の巫女が、幻想郷のなかでいっとう大事な人間だ。何でも、幻想郷を外の世界と分断する、大結界の管理をしているらしい。
私にはくわしいことはよくわからない。
博麗神社の巫女は、博麗霊夢という名前だ。博麗霊夢は、レミリアお嬢様が以前に異変を起こした際に、紅魔館に乗り込んできて、この図書館にも来て、めちゃくちゃにしていった、乱暴者のかたわれだ。博麗の巫女は、大結界の管理のほかに、異変を起こした妖怪を退治する役目ももっているのだ。その時に来たのは、博麗の巫女だけではなくて、霧雨魔理沙という人間の、見習い魔法使いもいっしょにやってきた。この霧雨魔理沙が、乱暴者のもうひとりで、そして今げんざい、パチュリー様がご執心な女の子だ。
うまく、書けているだろうか。
私はコーヒーを飲む。
頭に浮かんだことを、こうして書き綴っていくのは、面白いけれど、なんだかうまくいかなくて、もどかしい。ぜんぶのことを書こうとすると、とてもたくさんになってしまうし、そのくせどれだけ書いても、じゅうぶんにはならない。書けば書くほど、書かなくてはならないことが出てくるようだし、書かなくていいことも多いのだと教わったけれども、その書かなくていいことがどの部分なのか、私にはよくわからない。
パチュリー様はよく、こんなことをすらすらやっているな。
ここはパチュリー様の図書館だ。パチュリー様の本を、本棚から引き出して、パチュリー様の手元に持っていったり、パチュリー様が読み終わった本を、もとあったところにもとの通りに、もしくは、もっとわかりやすいように整理してしまうのが、私の仕事だ。司書と呼ばれる仕事だそうだけど、その名前のほどは(書を司る、なんて、すごく大変だ)、私はえらそうではない。
私は小悪魔とだけ呼ばれている。これは種族名のように思えるが、他の、私固有の名前というのがないので、それは私が、どうしても大悪魔とは思えないからという理由で、パチュリー様がそう呼んでいるから、他のみんなも、そう呼ぶようになったのだ。でも、きっと私にはほんとうの、いい名前があるのだと思う。もちろん、かっこよくって、かわゆい名前であるだろう。
といっても、私はただの小悪魔で、じっさいのところじゅうぶんだ。いい名前は、パチュリー様だけが知っていれば、それでいいと思う。
私には悪魔らしく、蝙蝠の形の羽根が生えていて、これは背中についているもののほかに、頭の横にもついている。頭の横のものは、ぱたぱた動かすことができるけど、あまり役に立たない。背中のものは、飛ぶときに使う。ほんとうは、羽根がなくても飛べるのだけど、でもそうすると、バランスが悪くなってしまう気がする。
私は人型をしていて、女性の体つきをしている。服を脱ぐと、胸が膨らんでいるし、腰もくびれていて、ミルク壺(※)がついている。服を着ていても、私はまちがいなく女性に見える。
女性だからなのかは、わからないけれど、私は服を脱ぐと変な気持ちになる。小悪魔だからなのかもしれない。
私はコーヒーを飲む。
コーヒーは、いつもはまったく飲まない。パチュリー様が紅茶ばかり好むから、ふだんは出番がないのだ。別にそうしろと、命令されているわけではないけれど、主人に合わせるべきだと思うし、また二種類の飲みものを用意するのが面倒くさいこともあって、私もふだんは紅茶ばかりを飲んでいる。だからコーヒーを飲むのは、パチュリー様がいなくて、私がひとりきりになったときだけだ。
パチュリー様がいないと、私はすることがない。とても暇だ。
パチュリー様がいても、図書館はいつも静かだけど、パチュリー様がいないと、その静かさが二倍になったように感じる。
私はコーヒーを飲む。
コーヒーは、エスプレッソと呼ばれているもので、これはエスプレッソマシーンとか、なにかよくわからないが、かっこいい名前の、専門の機械を使って、深煎りの微細に挽いたコーヒー豆をカップ型の金属フィルターに詰めて、9気圧の圧力と約90℃の湯温で20から25秒の抽出時間で約1オンス(30ml)のコーヒーを抽出する。
とても苦いので、ふつうのコーヒーカップの半分ほどの大きさの器を使う。そのため、デミタス(demiは半分、tasseはカップの意)とも呼ばれる。
今の部分は、本から書き写した。こうすることで、記述が正確になるだろう。パチュリー様も、よくやっていることだ。
ふだんコーヒーを飲まないのに、どうしてエスプレッソの準備がされているかというと、魔法の森にある、香霖堂という雑貨店から、お嬢様が買ってきたからだ。使い方がわからなかったので、パチュリー様に調べさせた。でも、最初に何杯か飲んだだけで、お嬢様もパチュリー様も、すぐにエスプレッソに飽きてしまった。だから今、コーヒーを飲むのは、私だけだ。
コーヒーは紅茶とちがって、葉っぱからではなく豆から作る。色は黒く、豆の茶色を焼いて焦がした残骸の色だ。きれいな泥水みたいでもある。それで、とても苦い。
苦いのが好きだ。
私はコーヒーを飲む。今日はこれで、もう四杯目のコーヒーだ。
朝からコーヒーしか飲んでいないので、胃が痛くなっている。
ものすごく熱くいれたものを飲む。すると、とても香りの好い焼死体みたいになる。いれてすぐにひとくちすすって、舌を火傷する。猫舌なのだ。
火傷するのが好きだ。
◆
エスプレッソにミルクを入れると、それはエスプレッソからカフェラテになる。
熱くて苦いだけじゃない、まるで地獄のような何かに変わる。
私はそう考えている。
ときどき飲むコーヒーは、やっぱり美味しい。
パチュリー様もときどきは飲めばいいのに。でも、別に飲まなくてもいいかな。
◆
パチュリー様が帰ってくるまで、あとずいぶんかかる。お酒を飲んでくるので、明日になるかもしれない。
パチュリー様はお酒はあまり飲まない。体が弱いわりには、けっこう飲めるほうだが、飲み過ぎると頭がはっきりしなくなるので、ふだんは意図的に遠ざけているそうだ。
パチュリー様がいないと、私はさびしい。でも、その反面、気楽な気持ちもする。暇だけれど、どこどなくうきうきした気持ちもする。
だから、コーヒーをいれて飲んだ。でも、それも四杯目ともなると、胃が痛くなってくる。
パチュリー様はほとんど外出しない。図書館に閉じこもっていて、魔女だから食事も睡眠もほんとうは必要が無いし、地上階に上がるのはお茶の時間だけ。今日のようなことは、とてもめずらしいのだ。
だから、いつもはここは、私とパチュリー様の、ふたりっきりなのだ。ときどき、レミリアお嬢様が来ることはあるけれど、毎日ではない。妹様が来ることもあるが、毎日ではない。メイド長や、門番さんが来ることもあるけど、毎日ではない。毎日ここにいるのは、私とパチュリー様だけだから、やっぱり私たちは、ふたりっきりだ。
図書館の壁はとても厚く、扉はとても大きくて、重い。扉を閉めると、外側の音がちっとも聞こえなくなる。だから図書館の中は、私がぱたぱた、羽根を使って飛ぶ音と、パチュリー様が本の頁をめくる音、それから紅茶を啜る音と、それくらいしかしない。
一日の間に、二言か三言、パチュリー様と会話をする。あまりたくさん話はしない。「あれを」「それはそこ」「しまっといて」そのくらいだ。私ははい、と返事して言うことをきく。魔法をかけられたみたいに、ぜんぶきちっとそのとおりにするのだ。
私の仕事は時計と関係なく、とてもとても長く続く。魔女にとって睡眠はただの気晴らしなので、パチュリー様がいつ眠るのか、見当がつかないからだ。パチュリー様が眠るときだけ、私も眠る。パチュリー様が目を覚ますと、私も自然に起きて、また同じ仕事がはじまる。
太陽も月も、ここでは暦の上にしかない。同じ日々の繰り返しで、その繰り返しに慣れきっているから、たまにパチュリー様がいないと、どうしていいか、ちょっと戸惑ってしまう。
パチュリー様が出かけるときに、私は何をしていたら良いでしょうか、と訊いたところ、「自由にしてていいわよ」と言われた。
自由。聞きなれない言葉だったので、はあ、と言ったきりもにょもにょしていたら、せっかくだから、自分の思ったことを、なんでもそのとおりにしてみなさいな、と付けくわえて言われた。
自由は大事だぜ。
横から、霧雨魔理沙がそう言った。霧雨魔理沙が、パチュリー様を神社に誘って、そして、連れだして行ったのだ。
なるほど、霧雨魔理沙はいつでも、自分の望んだことをそのとおりにしているふうだ。だから、とても自由なのにちがいない。
でも、私にはよくわからない。自分の望んだことを、そのとおりにすることが、そんなに大事なことだろうか。
私にしてみれば、せいぜい、コーヒーを飲み過ぎて、胃が痛くなるくらいのことだ。
自由が大事だ、と考える霧雨魔理沙には、自由はとても大事なもので、けれど私のように、自由を使いこなせないものにとっては、自由は価値がないのだろうか。そうとも思うし、でもそれが役に立つかどうかにかかわらず、やっぱり自由は大事なんだ、というような気もする。
むにゃむにゃ。
昼寝でもしようか、と考えたけど、コーヒーばかり飲んでいるので眠くならない。
コーヒーには、カフェインが含まれている。というか、カフェインという名前自体がコーヒーから由来しているのだ。カフェインは、とても強力なアップ系ドラッグで、大脳皮質を中心に中枢神経系を興奮させ、脳幹網様体の賦活系を刺激することにより知覚を鋭敏にし、精神機能を後進させる。それで、眠気・疲労感が除去される。脳血管を収縮させて、脳血液量を減少させもする。アンフェタミンやコカインもだいたい同じ作用がある。
ようするに、眠気と疲れがとれる、覚醒剤の一種だ。この部分も書き写した。
だから、コーヒーは実はいけない飲みものなんだけど、私は悪魔だから、飲んでもいいのだ。
泥水のような色をしているのが、私に似つかわしい。パチュリー様が使うインクと同じ色で、私の服とお揃いだ。
私は黒を基調とした、悪魔にしては、露出のすくない、きちっとした格好をしている。パチュリー様の趣味だ。
悪魔だから、とか、私だから、ということではなくって、きっと司書だから、こういう格好をしているのだと思う。
◆
着替えた。
上の文を書いてから、私はもしかすると、自分の格好に不満があるのかな、と考えて、では自分の思うとおりに、好きな格好をしてみよう、と思ったのだ。
でも、私は代わりの服なんて持ってなかった。毎日同じデザインの服を着ているのだ。だからどうしようか、と少し悩んで、けっきょくパチュリー様の服を着てみた。
紫色のしましまの、やわらかい薄手の布でできた、ゆったりしたワンピースだ。その上に、やっぱり紫色の、今度は少し色が薄いから、ピンクのようにも見えるローブをはおる。
ゆったりしているとはいえ、私のほうがパチュリー様より背が高いから、裾や袖はつんつるてんだ。手首や足首など、無防備に肌を見せている部分が増えたし、胸のあたりがぱっつんぱっつんで、体の線が出るようになったから、いつもよりも悪魔的になったかもしれない。
下着もパチュリー様のものを身につけた。黒だった。叱られるかな、と思ったけど、何でも好きにしなさい、と言ったのはパチュリー様なのだから、文句は言わせない。
パチュリー様の服を着ていると、露出が増えたので服を着ているのに脱いでいるような気分になったし、反面、裸の自分が、パチュリー様に抱かれているような、変な気分にもなった。
ふだんは、こういうことはしない。あたりまえだ。
そのまま図書館を一周してみた。はじめは歩いて、つづいて飛んで、壁づたいにひとまわりし、次に本棚の隙間を縫うようにうろちょろしてみた。疲れてしまった。
図書館はとても広い。毎日ここですごしているから、意識しなかったけども、そうとうな広さで、天井も私が思う存分に飛びまわれるほど高く、その天井のぎりぎりまである巨大な本棚にみっしりと本が詰め込まれている。
ご主人様は、ここにある本のすべてを読むのだろうか。優秀な魔女なので、読む速度はとても速いんだけど、それでも無理があるような気がする。
パチュリー様。
私がここに呼び出された時のことを思い出した。はじめもやっぱり、広くて、立派な図書館だなと思ったのだ。けれどそのうち、大きさを意識しなくなった。私の周りに、いつでもこの図書館はあって、それがあたりまえになっていたから、たまにこういう変わったことをすると、花火が打ち上がって夜空の色を変えていくみたいに、ぱあっと胸のうちに感覚がひろがるのだ。
パチュリー様。
この図書館はパチュリー様そのものなんだと思う。レミリア様がほっぽっておいたのを、パチュリー様が見つけて、100年の歳月をかけて徐々につくりあげていったのだ。もともと大量の蔵書がここにはあったという。埃をかぶっていたそれを整理しなおし、その上で、お定まりの分類には満足せず、パチュリー様自身の積極的な分類体系をつくりあげ、それにあわせて全体を加工していった。
ぐるりと首を回す。本しか目に入らない。膨大すぎて、ながめているだけでは正体がつかめないほど複雑で、ちょっとやそっとの気力では、はたらきかけることもままならない圧倒的な物量である。
パチュリー様は、この全体をいくつかの要素に分け、分析し、要素同士の関係を見分けて命名し、包装(パッケージ)するところまでやってのけた。稀代の魔女といえよう。
パチュリー様。
読むという行為は、世界を所有することなのよ。
パチュリー様はそう言っていた。
「文字」は、私たちに「権力」と「所有(私有財産)」をもたらした。それが領土や財産のカタログ作成を可能にしたからよ。
たとえば、南米の未開民族ナンビクワラ族の酋長に筆記用具をあたえると、彼は仲間たちの前で読み書きのしぐさを真似てみせる。そしてこの部族にも階級分化がはじまるありさまを、レヴィ=ストロースが報告している。
文字というシンボルは世界を掌握する、もっとも有効な形式なの。だから、このシンボルを操作することは世界の所有を意味する。いったん文字が発明されてしまうと、これの操作法を知らない文盲は世界の所有から排除されることになる。逆に言うと、このシンボルの操作を通して世界を共有するやり方が、私たちにはあたえられているのよ。
「読む」ことは世界を他者と共有すること。だから、どんな悪書でも、私は否定しないし、積極的に集めていきたい。
だからレミィ、お金ちょうだい。
パチュリー様はそう言っていた。本を買うにも、お金がかかるのだ。せちがらい。
とにかく、パチュリー様は本が大好きだ。文字通り四六時中なにか読んでいて、ベッドの中でも手放さない。食事も睡眠も、お嬢様とのおしゃべりも、紅茶もなにもかも、読書欲にはかなわないのだ。あれだけ愛されれば、本のほうでも本望だろう。
別にジョークを書く意図ではなかったが、期せずしてハイセンスなギャグになってしまった。
私はコーヒーを飲む。
私はいつも、パチュリー様が座っている席に座り、パチュリー様になったつもりで、パチュリー様の読みかけの本をひらき、つづきを読みはじめる。
◆
パチュリー様の読む本はむずかしい。私には、ちんぷんかんぷんだ。
だいたい、いくら小説の中だからって、ヒロインのお嬢様が男性にたいして「ど、どうぞ! どうぞごレイプください!」だの、「合格! 北野健児ごうかーく! 強姦棒キングここに誕生ぉー!」だの言うのは、やっぱり何かおかしいと思う。
今さらのようだけど、書名を確認すると、『ツンマゾ! ―ツンなお嬢様は、実はM』というタイトルで、フランス書院のえすかれ美少女文庫レーベルから発行されていた。
私は本を閉じる。いつもどおりの感覚で手を動かしたら、パチュリー様の服を着ているので、ローブの脹らんだ袖がコーヒーカップに引っかかって、倒してしまった。
大惨事になった。
あわてて拭こうとしたが、拭くような布が手元にない。自分の服であれば、袖を使ってでも拭いてしまうところだが、パチュリー様の服を汚したらさらに叱られるだろう。しかたなく、私はテーブルに顔を近づけて、こぼれたコーヒーに唇をつけ、そのまま啜った。
わりときれいになった。大部分を啜ってしまったあとは、舌を出して、ぴちゃ、ぺちゃと舐めとった。
よし、と思ったところで、一歩離れてテーブルを眺めてみると、コーヒーはなくなったようだが、私の唾液でぬるぬる汚れていた。やっぱり、拭いたほうが良いだろう。
私は歩いて調理場へ向かい、ふきんをとってきた。戻ってくるあいだ、この図書館はすべてが、パチュリー様のものなのだから、すると私は、パチュリー様の体に口をつけ、舌を這わせたようなものだ、というふうなことを考えた。
テーブルを拭き、先ほどまで座っていた椅子に座った。これもパチュリー様の椅子だ。
私はパチュリー様の服を着ている。なんだかいたたまれなくなって、すぐに脱ごうとした。
だけど、そのとき思ったことがあって、それで手を止めてしまったことがあって、それは、そもそも私自身が、パチュリー様の所有物なんじゃないかということだった。
本も本棚も、服も、テーブルも、テーブルの上に散らばっている実験器具も、コーヒーカップも、この図書館のすべてがパチュリー様のものだ。私もそうだ。私は図書館に所属していて、好きなことをしろ、と言われても、ここから出ていくことなんて、考えもつかない。
私がテーブルに口づけしたように、テーブルも私に口づけしたのだ。
私がコーヒーを飲むとき、パチュリー様が私の口を吸っている。
あ。
◆
上の文の半分くらいは、あとから書き足したものです。これから書くことも、すべてが終わってから、冷えた頭で書いていると思ってください。
けれど、書いているうちに、また何だか、変な気分になってきました。
つまりは、こういうことです。
◆
テーブルとコーヒーと、口づけとパチュリー様のことを考えた瞬間に、私の体はカァーっと熱くなってしまって、何がなんだかわからなくなってしまった。すると、ミルク壺(※)から、ミルク(※)が溢れでてきた。
あっ、と思ったけど止められなかった。洪水のようだった。体の奥から、ワーッと溢れ出して、下着がびしゃびしゃになって、椅子まで滲みてしまった。生きた心地がしなかった。
私はびっくりして立ち上がって、そうすると、うめき声が出てしまったので、もっとびっくりした。足がもつれて、派手な音を立てて、床にひっくり返ってしまった。
仰向けになって、私は荒い息をついた。なんだかとても恥ずかしかった。そのうちに、何もかもがおっくうになって、私は静かに目を閉じた。自分の体の上に浮かんでいる、私自身の姿が見えた。しばらくそのまま見上げていた。やがて私はゆっくりと自分の体に近づき、再びひとつに重なりはじめた。
静かで、何の衝撃もなかった。私はふんわり着地してはずみ、はずんでまた着地した。私は自分の胸に、腰に、頭に重なりあい、最後にミルク壺(※)にぴったりとおさまった。とつぜん、何もかもがしっくりとなじんだ。すみずみまでが温かくなって、みずみずしくなった。私はまだ目を閉じたまま、たったいま私になったばかりの部分を、指で自然に探り当て、へりをなでた。はじめに小さなふるえが起こった。それは、やめないで、と言っているようだった。ふるえはだんだん大きくなって、繰り返し繰り返し、私は裂けていった。
◆
パチュリー様。
このあと、私は少し、意識を失っていました。目を覚ますとき、また、うめき声が出てしまいました。
あまり定かではないですが、たぶん、上のことをしている間にも、ずいぶんたくさん、声を出していたと思います。
それで、私は考えたんです。
私のうんと奥深い場所に、私の知らない言葉をしゃべる秘密の場所がある。うめき声はその言葉です。
それは、パチュリー様と関係していることはたしかなんですけど、といって、パチュリー様とほんとうに口づけをすることとは、なんだか趣がちがうようにも思います。
自由は大事だぜ。と、霧雨魔理沙は言っていました。なるほど、私にとって自由が上のようなことを指すなら、それはとても大事なことです。私の中心にある、私そのもののようなものです。
私はパチュリー様の飲まないコーヒーが好きです。それも、苦くて、地獄のように熱いものが。口に入れたときに、舌を火傷してしまうのが、いいんです。
コーヒーに、私のミルク(※)を入れると、エスプレッソはカフェラテ(※)になります。これは、すごい発見です。そしてこれは、魔法なんかではないのです。パチュリー様は知っていましたか?
そういう点も含めて、私は考えました。
たぶん、私にとってあのうめき声は、決して失ってはいけないもので、それはたぶん、欲しいものがすぐには手に入らない状態、何かを、おあずけ、されているような状態と関係があるんです。そうしてその言葉こそ、私にとってほんものの言葉なんだと思います。
どうお考えでしょうか。(小悪魔)
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読みました。はじめて文章を書いたにしては、上手だと思います。
いくつか、直接的にすぎるような単語があったので、別の言葉を当てはめておきました。※印でチェックしてあります。いちおう、私たちの間柄でも、慎みというものを考えるのは、無駄ではないと思います。次からは気をつけてみてください。
あと、その羽ペンはあなたにあげます。
また書いてね。(パチュリー)
P.S.
汚れた下着はちゃんと元に戻しておくように。
パチュリー様は私を召喚した魔女で、まだ100歳ほどなのに、とても優秀な魔法使いだ。いつも紫色のしましまの、ネグリジェみたいな薄手の服を着ていて、本ばかり読んでいるからか体が弱く、喘息持ちで、常に眠たそうな目をしている。
紅魔館、というのがこの館の名前だ。私たちの図書館は、紅魔館に隣接して建築されていて、紅魔館の当主がレミリアお嬢様だ。パチュリー様はレミリア様の友人で、紅魔館にとっては客人の立場になる。
私はコーヒーを飲む。
パチュリー様が向かった博麗神社には、博麗の巫女がいて、この博麗の巫女が、幻想郷のなかでいっとう大事な人間だ。何でも、幻想郷を外の世界と分断する、大結界の管理をしているらしい。
私にはくわしいことはよくわからない。
博麗神社の巫女は、博麗霊夢という名前だ。博麗霊夢は、レミリアお嬢様が以前に異変を起こした際に、紅魔館に乗り込んできて、この図書館にも来て、めちゃくちゃにしていった、乱暴者のかたわれだ。博麗の巫女は、大結界の管理のほかに、異変を起こした妖怪を退治する役目ももっているのだ。その時に来たのは、博麗の巫女だけではなくて、霧雨魔理沙という人間の、見習い魔法使いもいっしょにやってきた。この霧雨魔理沙が、乱暴者のもうひとりで、そして今げんざい、パチュリー様がご執心な女の子だ。
うまく、書けているだろうか。
私はコーヒーを飲む。
頭に浮かんだことを、こうして書き綴っていくのは、面白いけれど、なんだかうまくいかなくて、もどかしい。ぜんぶのことを書こうとすると、とてもたくさんになってしまうし、そのくせどれだけ書いても、じゅうぶんにはならない。書けば書くほど、書かなくてはならないことが出てくるようだし、書かなくていいことも多いのだと教わったけれども、その書かなくていいことがどの部分なのか、私にはよくわからない。
パチュリー様はよく、こんなことをすらすらやっているな。
ここはパチュリー様の図書館だ。パチュリー様の本を、本棚から引き出して、パチュリー様の手元に持っていったり、パチュリー様が読み終わった本を、もとあったところにもとの通りに、もしくは、もっとわかりやすいように整理してしまうのが、私の仕事だ。司書と呼ばれる仕事だそうだけど、その名前のほどは(書を司る、なんて、すごく大変だ)、私はえらそうではない。
私は小悪魔とだけ呼ばれている。これは種族名のように思えるが、他の、私固有の名前というのがないので、それは私が、どうしても大悪魔とは思えないからという理由で、パチュリー様がそう呼んでいるから、他のみんなも、そう呼ぶようになったのだ。でも、きっと私にはほんとうの、いい名前があるのだと思う。もちろん、かっこよくって、かわゆい名前であるだろう。
といっても、私はただの小悪魔で、じっさいのところじゅうぶんだ。いい名前は、パチュリー様だけが知っていれば、それでいいと思う。
私には悪魔らしく、蝙蝠の形の羽根が生えていて、これは背中についているもののほかに、頭の横にもついている。頭の横のものは、ぱたぱた動かすことができるけど、あまり役に立たない。背中のものは、飛ぶときに使う。ほんとうは、羽根がなくても飛べるのだけど、でもそうすると、バランスが悪くなってしまう気がする。
私は人型をしていて、女性の体つきをしている。服を脱ぐと、胸が膨らんでいるし、腰もくびれていて、ミルク壺(※)がついている。服を着ていても、私はまちがいなく女性に見える。
女性だからなのかは、わからないけれど、私は服を脱ぐと変な気持ちになる。小悪魔だからなのかもしれない。
私はコーヒーを飲む。
コーヒーは、いつもはまったく飲まない。パチュリー様が紅茶ばかり好むから、ふだんは出番がないのだ。別にそうしろと、命令されているわけではないけれど、主人に合わせるべきだと思うし、また二種類の飲みものを用意するのが面倒くさいこともあって、私もふだんは紅茶ばかりを飲んでいる。だからコーヒーを飲むのは、パチュリー様がいなくて、私がひとりきりになったときだけだ。
パチュリー様がいないと、私はすることがない。とても暇だ。
パチュリー様がいても、図書館はいつも静かだけど、パチュリー様がいないと、その静かさが二倍になったように感じる。
私はコーヒーを飲む。
コーヒーは、エスプレッソと呼ばれているもので、これはエスプレッソマシーンとか、なにかよくわからないが、かっこいい名前の、専門の機械を使って、深煎りの微細に挽いたコーヒー豆をカップ型の金属フィルターに詰めて、9気圧の圧力と約90℃の湯温で20から25秒の抽出時間で約1オンス(30ml)のコーヒーを抽出する。
とても苦いので、ふつうのコーヒーカップの半分ほどの大きさの器を使う。そのため、デミタス(demiは半分、tasseはカップの意)とも呼ばれる。
今の部分は、本から書き写した。こうすることで、記述が正確になるだろう。パチュリー様も、よくやっていることだ。
ふだんコーヒーを飲まないのに、どうしてエスプレッソの準備がされているかというと、魔法の森にある、香霖堂という雑貨店から、お嬢様が買ってきたからだ。使い方がわからなかったので、パチュリー様に調べさせた。でも、最初に何杯か飲んだだけで、お嬢様もパチュリー様も、すぐにエスプレッソに飽きてしまった。だから今、コーヒーを飲むのは、私だけだ。
コーヒーは紅茶とちがって、葉っぱからではなく豆から作る。色は黒く、豆の茶色を焼いて焦がした残骸の色だ。きれいな泥水みたいでもある。それで、とても苦い。
苦いのが好きだ。
私はコーヒーを飲む。今日はこれで、もう四杯目のコーヒーだ。
朝からコーヒーしか飲んでいないので、胃が痛くなっている。
ものすごく熱くいれたものを飲む。すると、とても香りの好い焼死体みたいになる。いれてすぐにひとくちすすって、舌を火傷する。猫舌なのだ。
火傷するのが好きだ。
◆
エスプレッソにミルクを入れると、それはエスプレッソからカフェラテになる。
熱くて苦いだけじゃない、まるで地獄のような何かに変わる。
私はそう考えている。
ときどき飲むコーヒーは、やっぱり美味しい。
パチュリー様もときどきは飲めばいいのに。でも、別に飲まなくてもいいかな。
◆
パチュリー様が帰ってくるまで、あとずいぶんかかる。お酒を飲んでくるので、明日になるかもしれない。
パチュリー様はお酒はあまり飲まない。体が弱いわりには、けっこう飲めるほうだが、飲み過ぎると頭がはっきりしなくなるので、ふだんは意図的に遠ざけているそうだ。
パチュリー様がいないと、私はさびしい。でも、その反面、気楽な気持ちもする。暇だけれど、どこどなくうきうきした気持ちもする。
だから、コーヒーをいれて飲んだ。でも、それも四杯目ともなると、胃が痛くなってくる。
パチュリー様はほとんど外出しない。図書館に閉じこもっていて、魔女だから食事も睡眠もほんとうは必要が無いし、地上階に上がるのはお茶の時間だけ。今日のようなことは、とてもめずらしいのだ。
だから、いつもはここは、私とパチュリー様の、ふたりっきりなのだ。ときどき、レミリアお嬢様が来ることはあるけれど、毎日ではない。妹様が来ることもあるが、毎日ではない。メイド長や、門番さんが来ることもあるけど、毎日ではない。毎日ここにいるのは、私とパチュリー様だけだから、やっぱり私たちは、ふたりっきりだ。
図書館の壁はとても厚く、扉はとても大きくて、重い。扉を閉めると、外側の音がちっとも聞こえなくなる。だから図書館の中は、私がぱたぱた、羽根を使って飛ぶ音と、パチュリー様が本の頁をめくる音、それから紅茶を啜る音と、それくらいしかしない。
一日の間に、二言か三言、パチュリー様と会話をする。あまりたくさん話はしない。「あれを」「それはそこ」「しまっといて」そのくらいだ。私ははい、と返事して言うことをきく。魔法をかけられたみたいに、ぜんぶきちっとそのとおりにするのだ。
私の仕事は時計と関係なく、とてもとても長く続く。魔女にとって睡眠はただの気晴らしなので、パチュリー様がいつ眠るのか、見当がつかないからだ。パチュリー様が眠るときだけ、私も眠る。パチュリー様が目を覚ますと、私も自然に起きて、また同じ仕事がはじまる。
太陽も月も、ここでは暦の上にしかない。同じ日々の繰り返しで、その繰り返しに慣れきっているから、たまにパチュリー様がいないと、どうしていいか、ちょっと戸惑ってしまう。
パチュリー様が出かけるときに、私は何をしていたら良いでしょうか、と訊いたところ、「自由にしてていいわよ」と言われた。
自由。聞きなれない言葉だったので、はあ、と言ったきりもにょもにょしていたら、せっかくだから、自分の思ったことを、なんでもそのとおりにしてみなさいな、と付けくわえて言われた。
自由は大事だぜ。
横から、霧雨魔理沙がそう言った。霧雨魔理沙が、パチュリー様を神社に誘って、そして、連れだして行ったのだ。
なるほど、霧雨魔理沙はいつでも、自分の望んだことをそのとおりにしているふうだ。だから、とても自由なのにちがいない。
でも、私にはよくわからない。自分の望んだことを、そのとおりにすることが、そんなに大事なことだろうか。
私にしてみれば、せいぜい、コーヒーを飲み過ぎて、胃が痛くなるくらいのことだ。
自由が大事だ、と考える霧雨魔理沙には、自由はとても大事なもので、けれど私のように、自由を使いこなせないものにとっては、自由は価値がないのだろうか。そうとも思うし、でもそれが役に立つかどうかにかかわらず、やっぱり自由は大事なんだ、というような気もする。
むにゃむにゃ。
昼寝でもしようか、と考えたけど、コーヒーばかり飲んでいるので眠くならない。
コーヒーには、カフェインが含まれている。というか、カフェインという名前自体がコーヒーから由来しているのだ。カフェインは、とても強力なアップ系ドラッグで、大脳皮質を中心に中枢神経系を興奮させ、脳幹網様体の賦活系を刺激することにより知覚を鋭敏にし、精神機能を後進させる。それで、眠気・疲労感が除去される。脳血管を収縮させて、脳血液量を減少させもする。アンフェタミンやコカインもだいたい同じ作用がある。
ようするに、眠気と疲れがとれる、覚醒剤の一種だ。この部分も書き写した。
だから、コーヒーは実はいけない飲みものなんだけど、私は悪魔だから、飲んでもいいのだ。
泥水のような色をしているのが、私に似つかわしい。パチュリー様が使うインクと同じ色で、私の服とお揃いだ。
私は黒を基調とした、悪魔にしては、露出のすくない、きちっとした格好をしている。パチュリー様の趣味だ。
悪魔だから、とか、私だから、ということではなくって、きっと司書だから、こういう格好をしているのだと思う。
◆
着替えた。
上の文を書いてから、私はもしかすると、自分の格好に不満があるのかな、と考えて、では自分の思うとおりに、好きな格好をしてみよう、と思ったのだ。
でも、私は代わりの服なんて持ってなかった。毎日同じデザインの服を着ているのだ。だからどうしようか、と少し悩んで、けっきょくパチュリー様の服を着てみた。
紫色のしましまの、やわらかい薄手の布でできた、ゆったりしたワンピースだ。その上に、やっぱり紫色の、今度は少し色が薄いから、ピンクのようにも見えるローブをはおる。
ゆったりしているとはいえ、私のほうがパチュリー様より背が高いから、裾や袖はつんつるてんだ。手首や足首など、無防備に肌を見せている部分が増えたし、胸のあたりがぱっつんぱっつんで、体の線が出るようになったから、いつもよりも悪魔的になったかもしれない。
下着もパチュリー様のものを身につけた。黒だった。叱られるかな、と思ったけど、何でも好きにしなさい、と言ったのはパチュリー様なのだから、文句は言わせない。
パチュリー様の服を着ていると、露出が増えたので服を着ているのに脱いでいるような気分になったし、反面、裸の自分が、パチュリー様に抱かれているような、変な気分にもなった。
ふだんは、こういうことはしない。あたりまえだ。
そのまま図書館を一周してみた。はじめは歩いて、つづいて飛んで、壁づたいにひとまわりし、次に本棚の隙間を縫うようにうろちょろしてみた。疲れてしまった。
図書館はとても広い。毎日ここですごしているから、意識しなかったけども、そうとうな広さで、天井も私が思う存分に飛びまわれるほど高く、その天井のぎりぎりまである巨大な本棚にみっしりと本が詰め込まれている。
ご主人様は、ここにある本のすべてを読むのだろうか。優秀な魔女なので、読む速度はとても速いんだけど、それでも無理があるような気がする。
パチュリー様。
私がここに呼び出された時のことを思い出した。はじめもやっぱり、広くて、立派な図書館だなと思ったのだ。けれどそのうち、大きさを意識しなくなった。私の周りに、いつでもこの図書館はあって、それがあたりまえになっていたから、たまにこういう変わったことをすると、花火が打ち上がって夜空の色を変えていくみたいに、ぱあっと胸のうちに感覚がひろがるのだ。
パチュリー様。
この図書館はパチュリー様そのものなんだと思う。レミリア様がほっぽっておいたのを、パチュリー様が見つけて、100年の歳月をかけて徐々につくりあげていったのだ。もともと大量の蔵書がここにはあったという。埃をかぶっていたそれを整理しなおし、その上で、お定まりの分類には満足せず、パチュリー様自身の積極的な分類体系をつくりあげ、それにあわせて全体を加工していった。
ぐるりと首を回す。本しか目に入らない。膨大すぎて、ながめているだけでは正体がつかめないほど複雑で、ちょっとやそっとの気力では、はたらきかけることもままならない圧倒的な物量である。
パチュリー様は、この全体をいくつかの要素に分け、分析し、要素同士の関係を見分けて命名し、包装(パッケージ)するところまでやってのけた。稀代の魔女といえよう。
パチュリー様。
読むという行為は、世界を所有することなのよ。
パチュリー様はそう言っていた。
「文字」は、私たちに「権力」と「所有(私有財産)」をもたらした。それが領土や財産のカタログ作成を可能にしたからよ。
たとえば、南米の未開民族ナンビクワラ族の酋長に筆記用具をあたえると、彼は仲間たちの前で読み書きのしぐさを真似てみせる。そしてこの部族にも階級分化がはじまるありさまを、レヴィ=ストロースが報告している。
文字というシンボルは世界を掌握する、もっとも有効な形式なの。だから、このシンボルを操作することは世界の所有を意味する。いったん文字が発明されてしまうと、これの操作法を知らない文盲は世界の所有から排除されることになる。逆に言うと、このシンボルの操作を通して世界を共有するやり方が、私たちにはあたえられているのよ。
「読む」ことは世界を他者と共有すること。だから、どんな悪書でも、私は否定しないし、積極的に集めていきたい。
だからレミィ、お金ちょうだい。
パチュリー様はそう言っていた。本を買うにも、お金がかかるのだ。せちがらい。
とにかく、パチュリー様は本が大好きだ。文字通り四六時中なにか読んでいて、ベッドの中でも手放さない。食事も睡眠も、お嬢様とのおしゃべりも、紅茶もなにもかも、読書欲にはかなわないのだ。あれだけ愛されれば、本のほうでも本望だろう。
別にジョークを書く意図ではなかったが、期せずしてハイセンスなギャグになってしまった。
私はコーヒーを飲む。
私はいつも、パチュリー様が座っている席に座り、パチュリー様になったつもりで、パチュリー様の読みかけの本をひらき、つづきを読みはじめる。
◆
パチュリー様の読む本はむずかしい。私には、ちんぷんかんぷんだ。
だいたい、いくら小説の中だからって、ヒロインのお嬢様が男性にたいして「ど、どうぞ! どうぞごレイプください!」だの、「合格! 北野健児ごうかーく! 強姦棒キングここに誕生ぉー!」だの言うのは、やっぱり何かおかしいと思う。
今さらのようだけど、書名を確認すると、『ツンマゾ! ―ツンなお嬢様は、実はM』というタイトルで、フランス書院のえすかれ美少女文庫レーベルから発行されていた。
私は本を閉じる。いつもどおりの感覚で手を動かしたら、パチュリー様の服を着ているので、ローブの脹らんだ袖がコーヒーカップに引っかかって、倒してしまった。
大惨事になった。
あわてて拭こうとしたが、拭くような布が手元にない。自分の服であれば、袖を使ってでも拭いてしまうところだが、パチュリー様の服を汚したらさらに叱られるだろう。しかたなく、私はテーブルに顔を近づけて、こぼれたコーヒーに唇をつけ、そのまま啜った。
わりときれいになった。大部分を啜ってしまったあとは、舌を出して、ぴちゃ、ぺちゃと舐めとった。
よし、と思ったところで、一歩離れてテーブルを眺めてみると、コーヒーはなくなったようだが、私の唾液でぬるぬる汚れていた。やっぱり、拭いたほうが良いだろう。
私は歩いて調理場へ向かい、ふきんをとってきた。戻ってくるあいだ、この図書館はすべてが、パチュリー様のものなのだから、すると私は、パチュリー様の体に口をつけ、舌を這わせたようなものだ、というふうなことを考えた。
テーブルを拭き、先ほどまで座っていた椅子に座った。これもパチュリー様の椅子だ。
私はパチュリー様の服を着ている。なんだかいたたまれなくなって、すぐに脱ごうとした。
だけど、そのとき思ったことがあって、それで手を止めてしまったことがあって、それは、そもそも私自身が、パチュリー様の所有物なんじゃないかということだった。
本も本棚も、服も、テーブルも、テーブルの上に散らばっている実験器具も、コーヒーカップも、この図書館のすべてがパチュリー様のものだ。私もそうだ。私は図書館に所属していて、好きなことをしろ、と言われても、ここから出ていくことなんて、考えもつかない。
私がテーブルに口づけしたように、テーブルも私に口づけしたのだ。
私がコーヒーを飲むとき、パチュリー様が私の口を吸っている。
あ。
◆
上の文の半分くらいは、あとから書き足したものです。これから書くことも、すべてが終わってから、冷えた頭で書いていると思ってください。
けれど、書いているうちに、また何だか、変な気分になってきました。
つまりは、こういうことです。
◆
テーブルとコーヒーと、口づけとパチュリー様のことを考えた瞬間に、私の体はカァーっと熱くなってしまって、何がなんだかわからなくなってしまった。すると、ミルク壺(※)から、ミルク(※)が溢れでてきた。
あっ、と思ったけど止められなかった。洪水のようだった。体の奥から、ワーッと溢れ出して、下着がびしゃびしゃになって、椅子まで滲みてしまった。生きた心地がしなかった。
私はびっくりして立ち上がって、そうすると、うめき声が出てしまったので、もっとびっくりした。足がもつれて、派手な音を立てて、床にひっくり返ってしまった。
仰向けになって、私は荒い息をついた。なんだかとても恥ずかしかった。そのうちに、何もかもがおっくうになって、私は静かに目を閉じた。自分の体の上に浮かんでいる、私自身の姿が見えた。しばらくそのまま見上げていた。やがて私はゆっくりと自分の体に近づき、再びひとつに重なりはじめた。
静かで、何の衝撃もなかった。私はふんわり着地してはずみ、はずんでまた着地した。私は自分の胸に、腰に、頭に重なりあい、最後にミルク壺(※)にぴったりとおさまった。とつぜん、何もかもがしっくりとなじんだ。すみずみまでが温かくなって、みずみずしくなった。私はまだ目を閉じたまま、たったいま私になったばかりの部分を、指で自然に探り当て、へりをなでた。はじめに小さなふるえが起こった。それは、やめないで、と言っているようだった。ふるえはだんだん大きくなって、繰り返し繰り返し、私は裂けていった。
◆
パチュリー様。
このあと、私は少し、意識を失っていました。目を覚ますとき、また、うめき声が出てしまいました。
あまり定かではないですが、たぶん、上のことをしている間にも、ずいぶんたくさん、声を出していたと思います。
それで、私は考えたんです。
私のうんと奥深い場所に、私の知らない言葉をしゃべる秘密の場所がある。うめき声はその言葉です。
それは、パチュリー様と関係していることはたしかなんですけど、といって、パチュリー様とほんとうに口づけをすることとは、なんだか趣がちがうようにも思います。
自由は大事だぜ。と、霧雨魔理沙は言っていました。なるほど、私にとって自由が上のようなことを指すなら、それはとても大事なことです。私の中心にある、私そのもののようなものです。
私はパチュリー様の飲まないコーヒーが好きです。それも、苦くて、地獄のように熱いものが。口に入れたときに、舌を火傷してしまうのが、いいんです。
コーヒーに、私のミルク(※)を入れると、エスプレッソはカフェラテ(※)になります。これは、すごい発見です。そしてこれは、魔法なんかではないのです。パチュリー様は知っていましたか?
そういう点も含めて、私は考えました。
たぶん、私にとってあのうめき声は、決して失ってはいけないもので、それはたぶん、欲しいものがすぐには手に入らない状態、何かを、おあずけ、されているような状態と関係があるんです。そうしてその言葉こそ、私にとってほんものの言葉なんだと思います。
どうお考えでしょうか。(小悪魔)
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読みました。はじめて文章を書いたにしては、上手だと思います。
いくつか、直接的にすぎるような単語があったので、別の言葉を当てはめておきました。※印でチェックしてあります。いちおう、私たちの間柄でも、慎みというものを考えるのは、無駄ではないと思います。次からは気をつけてみてください。
あと、その羽ペンはあなたにあげます。
また書いてね。(パチュリー)
P.S.
汚れた下着はちゃんと元に戻しておくように。
あと、パッチェさんが読んでいる本がアウトです
相手の服を着ちゃうのってイイですよね。
エロかったっす
しかし、これで“微”なのか…深いなぁ…