吐く息は白く、刺すような寒気が冬の到来を感じさせる。人里は幽かな活気と歓喜で溢れ、煌びやかな電飾の光が瞬き降りしきる雪を穏やかに照らしている。
幻想郷に聖夜がやってきた。私は自室の窓際からそれを確認する。今宵このとき人は日々のしがらみや枷から解き放たれ顔も知らない聖人の誕生を祝う。
それでいい。私は幻想郷の人間のそういう都合のよさを気に入っていた。
私は紅い正装に身を包み、白き大袋を担ぎ不敵に笑う。つまるところ今夜の主役は私だった。聖なる夜に颯爽と闇を駆け人々に夢と希望を運ぶ紅きプレゼンター。要するにサンタである。私は一夜限りの奉仕人だった。
サンタといえば、その走狗たる下僕が必要だった。四速歩行で空を駆り主を導くレインディア。それを配下に加えることで私の準備は漸く完成する。私は都合よさげな部下を調達すべく頼もしい従者の下へ向かう。断りもなくドアを開け颯爽と登場した私の全身を見たパジャマにどてらといったラフな格好の従者は、暫く閉口した後何事もなかったように問うてきた。
「何用ですか」
「見て分からんか。サンタだよ」
「サタンの間違いでは」
「違いない。サタン兼サンタだ」
「恐怖と絶望でも配達するんですか」
「まさか。私が届けるのはささやかな幸福とファンタスティックドリームだ」
「慈善事業ですか」
「ああ。サンタだからね」
そこで私はほれと衣装を渡す。茶色の羽毛でできたもこもこが咲夜の視線に晒される。
「お前には私と共に戦場を駆けてもらう。それはユニフォームだ」
「この球体は、」
「鼻に付けろ。いざというときには弾幕が出るようになっている」
「……ツノ、気合入ってますね」
「かっこいいだろう」
ツノのディティールは凝ったつもりなので同意を求めたのだがなかなか返事が来ないのでどうしたのかと見てみると、完全に固まってしまっている。お気に召さなかっただろうか?
「一つ、お伺いしたいのですが」
「うん?」
「これは、お嬢様自ら?」
そう言って私が渡した衣装を掲げる咲夜。私はそれに肯きをもって答える。「嬉しいか」
その問いかけに咲夜は、私にしか分からないくらいほんの僅かに口元を緩め、「……はい」と静かに笑んだ。
鼻をつまんで空を仰ぐ。私は不意打ちに滅法弱かった。
/
夢と幸福を届けるといっても何も幻想郷を東奔西走縦横無尽に駆けずり回って豆まきみたいにポンポンバラ撒くわけじゃない。これは紅魔館オンリースペシャル身内イベントだ。私の袋は咲夜のポケットみたいにたくさん入るわけじゃないし何でも出るわけじゃない。やってみるのもそれはそれで愉快そうだが何より予算とガッツが足りない。たぶん私も途中で飽きるだろうし咲夜もバテる。ひょっとすれば死んでしまうかもしれない。流石にそれは困るし、それだけはなんとしてでも回避せねばなるまい。
一騎当千のウマを従えた私は天下無双。気分は三国を馳せ匹夫を駆逐する軍神。咲夜を四つん這いにさせ荒々しく騎乗し毅然と胸を張りいざ出陣。あいやーと奇声を上げ、手綱なり何なりを引っ張ろうと思ったがなかったのでとりあえず景気よく尻を叩いてみたはいいが「あぅっ!」と悩ましい声が出るだけで進みやしない。あとなんかツノが脇腹と眉間に刺さって痛い。私は凝りすぎてツノの分岐を増やしすぎたことを今更ながらに後悔した。お馬さんごっこはあとでやることにしよう。
仕方なく咲夜を起こし二足歩行に進化させてから連れてゆくことにした。もはやレインディアもへったくれもないが気にしない。私は気分を味わいたいだけなのだ。
先ほど聖夜と言ったが訂正させて欲しい。正しくはイブという言葉がつく。ところで、聖夜の前日はなんと言ったらいいのか。前聖夜?ビフォアクリスマス?どっちでもいいが語感がいい方ができればいい。咲夜やフランドールのような、口にするだけで小気味いい、ひとつの芸術作品のような響きの単語がいい。私の卓越した言語創作センスは他に類を見ない才能だと自負している。従者に妹にスペルカード。あらゆるものに私の才能は遺憾なく発揮されてきた。そのひとつひとつの名前たちを私は気に入っているし誇りに思っている。名は体を表す。名前こそその“もの”の本質を表しているのだ。
と偉そうに語ってみたが実際私は結構適当に名前を付けていたりする。見た感じだったり印象だったり閃きだったり。まあ暇つぶしにメイド妖精に与えた名前などはだいたいその時読んでいたラノベか伝奇モノの小説から引用することが多かったりするのだが。
そんなわけで適当に名前が決まった。前クリ。決め手は語感だった。因みに“まえくり”ではなく“ぜんくり”。「全クリ」とかけて喜ばしい感じと達成感を付与させてみたのだが、どうだろうか。咲夜に聞いてみたところ、小首を傾げられて「いいんじゃないでしょうか」となんとも曖昧な答えを頂いた。ついでに傾げた際にツノの刺突も頂戴して頭皮をずぶずぶ貫通して血が吹き出た。やっぱりディティールに凝りすぎたかもしれない。
/
この大図書館というのは冬だろうが夏だろうが変わらず静謐で、ぴんとした緊張感のある湧水のような空気を湛えている。それはこの広大な空間の所為でも屹立する膨大な魔導の書架の所為でもなく、ただひとり、堆積する本の山の中心で黙々と頁を捲る菫色の魔女の所為なのだろうと思う。まあそれも、前クリの私には関係のないことだ。
「メリークリスマス、パチェ」
「ぷっ」
「え?」
いきなり吹き出されたかと思ったら次の瞬間には腹を抱えて机に突っ伏して苦しそうに笑いをこらえている。何かおかしなことでもあっただろうか。
「あっはっはっは! く、ふはははは……、げほ!げほ!」
「大丈夫ですかパチュリー様」
「ごほごほ! ふふ……、あははは!」
笑いすぎて陸に打ち上げられた魚のような醜態を晒すパチェを見かねてかB-5の本棚を整理していた小悪魔が小走りでやってきてすかさず主の背中を撫でさする。「さくっ、それ……ふははは!」という辛うじて聞き取れた声から察するに咲夜の格好がツボだったのだろう。トナカイの着ぐるみというファンシーな格好に対して佇まいがまるで平生と同じものだから可笑しかったのかもしれない。まあ、確かに、これは。
「くふふふふ……、ははははっ!」
「ぷふっ……、あっはっはげっほげっほ!」
「もう、お二人とも。咲夜さんがかわいそうじゃないですか……くすくす」
私もついに抑えられなくなり、パチェがぶちまけ、仲裁に入った小悪魔までこらえられなくなってとうとう収拾がつかなくなる。
話題の本人はというと、自分の手の負えないほどに混沌化する場に居心地の悪そうな顔をしてひとり鼻を掻いた。するとちゅんっという音を立てて星型の弾幕が射出されて顔面崩壊気味のパチェの鼻っ面に直撃する。私たちの腹筋はもう限界だった。
パチェには腹痛薬とジャンルバラバラの本を十冊ほどプレゼントしておいた。あいつもお堅い魔導書ばかりじゃなくていろいろな分野の本を読んで世界を開拓してはどうかという親友なりの配慮だ。八割方ラノベだった気もするが、まあ方向性は違えど開拓には繋がるだろう。多分。小悪魔には図書の整理で肩が凝っているだろうということで咲夜の肩たたき券十回分をプレゼント。少なすぎと思われるかもしれないが実際咲夜の肩マッサージは昇天してしまいそうなほど気持ちがいい。私も以前やってもらったことがある。端的に感想を表すならば“ほぼ逝きかけた”。そういう意味では咲夜の指は殺人的だ。指的死的マッサージ。そんな極上の指圧を無償で受けられるんだから、これ以上のものはないだろう。当の咲夜はというと、むすっとした顔をして完全に拗ねてしまっていた。よしよしと撫でてあやしてやりたいところだが悪いね咲夜。今の私はお前に触れてやることさえ出来ないんだ。
/
天上のシャーベットが降り積もり、軽く幹を蹴っただけで全身がすっぽり埋葬されそうな木々の葉を見やり背を震わせつつ、私と咲夜は降りしきる粉雪の中へ身を投じた。降るのはゆっくりなくせに着実に積もっていくので、せっかくの紅き礼装が真っ白な雪団子に変わるのにはそう時間はかからなかった。横に目をやると爪先から頭の天辺までもこもこあったか着ぐるみ素材で武装したトナカイが悠然とした態度で歩いている。シュルレアリスムの極致だ。私はまた吹きそうになるのをこらえて、くしゃみを放つ。
「っくしゃ」
耳が覆われ、聴覚をほぼ遮断しているに等しい状態にも拘らず耳ざとく私のくしゃみを聞きとがめた咲夜がこちらに歩み寄ろうとし、途中で止まる。二人を分かつ双角。こんなにも近いのに、手をとり暖をとることもできない。運命とはかくも残酷なものなのか。私は己の境遇と設計ミスを嘆いた。敏捷性と機能性に欠けるが、あれはあれであったかそうだ。
私と同じ境遇に立たされている者がどうやら他にもいるようで、へくしゅ!という豪快なくしゃみが聞こえてきた。高速で足踏みを繰り返しながら両腕を四方八方にぶんぶんと振り回し、奇声を上げながら意味不明な動きを続けている。気になったので声を掛けようと一歩踏み出そうとしたところで向こうが気づき、逆に声を掛けられた。
「うおおおおおおお嬢様!!こんにちはああああああ!!!」
「精が出るね。それは創作ダンスかい?」
「体温を維持するためのおお!乾布摩擦でありますシュッシュ!」
「そうか。ご苦労様」
シャドーボクシングを乾布摩擦と言い張る門番を決して追及したりはせずに、私は担いでいた大袋をがさがさと漁り目当ての物を探す。が、ない。何故だ。
奥の方まで手を突っ込んでまさぐるがやっぱりない。どこかで落としたか、入れ忘れてしまったのかもしれない。レミリア大ピンチ。
「なあ咲夜――ってあれ」
呼べばいつもそこにいる頼もしい従者の姿がない。まるで最初からそこに居なかったかのように、忽然と姿を消してしまっている。散々にからかわれた挙句雪の降り積もる外に出されて、とうとう愛想を尽かされてしまったのかもしれない。従者に見捨てられ、寒空の下訳の分からん奇声を上げ続ける門番の前でぽつり立ち尽くす。虚しい。サンタというか悲惨だ。
ここで諦めるわけにはいかない。私には夢と幸福とファンタスティックなんだっけ、とりあえずそれを届ける義務があるのだ。
喪いなら探す、無いなら作る。何故なら私はサンタ。年一限定で働く世界一の慈善事業家なのだ。
そうと決まればさあやるぞと踵を返したところでそういえば奇声が止んだなと気づく。流石にバテたかと振り向くと生意気なことにそいつはバテているわけでも疲れ果てて気を失っているわけでもなかった。ただただ、首元を包む小さな幸福に頬を緩め、幸せそうな顔で笑っているだけだ。いつの間にか、そいつの首にはあったかそうな毛編みのマフラーが巻かれていた。
私はまだ見捨てられていなかったことに安堵する。やはりサンタは、家来が居なければ駄目なのだ。
最初美鈴に渡そうと思っていた漫画を間違えてラノベに混入させてパチェに渡してしまったのだと気づいたのは後々になってからのことだった。ある日廊下を歩いていてばったり遭遇したときいきなり熱に浮かされたような顔で「漫画を描こうと思うの」と肩を掴んできたので私はその勢いに引き、いや押されて「ど、どうぞどうぞ」と賛同してしまったのだった。
私が手違いで混入させてしまった漫画のうちのひとつがパチェの内に渦巻く情念に火を点してしまったのかもしれない。私が思い描いていた目論見とは外れたが結果的にはよかったのかもしれない。新しい世界を開拓するのはいいことだ。存分に溺れるといい。
後にパチェは漫画家として大成しベストセラーを叩き出す作品を続々と執筆し名うての大物作家として成功するのだが、それはまた別のお話である。
にしても、文章ならともかく絵を描く分野にパチェが転向するとは思わなかった。まだ小悪魔を題材にした官能小説とか書いてるのだろうか。今度聞いてみよう。
/
サンタのプレゼントは皆に等しく平等に与えられるがサンタが与えるプレゼントが等しく平等とは限らない。殊に近しい者、特に私の妹となってはその傾向は顕著だった。私は私の身の丈よりも大きい白袋からそれを取り出す。が、取り出そうとしても出ない。みちみちみちみちと厭な音を立てて「ギブギブ!」と悲鳴を訴えているかのようだ。よくある話だが、どうやって入れたんだろうね私は。仕方が無いので咲夜に反対側を持ってもらってせーので引っ張る。ここで焦ってはいけない。万一プレゼントが破損したら話にならないのだ。慎重に慎重に、ゆっくりと力を入れながらそれを引き抜いていく。ぬっ。頭が出た。よし、このまま全部一気に貰い受ける――――!
「おらっ 袋の中身 だせ!」
すぽっ。呼びかけに応えるようにそれが袋から引き抜け、勢い余って背中から壁にドーンとぶつかる。ごはっと出そうになる血をなんとか飲み込む。プレゼントひとつでも命がけである。何にせよプレゼントが無傷でよかったよかった。
ぱらぱらと降る天井のコンクリの砂と咲夜の制止の声を振り払い、改めて手の中に、というか腕の中にあるものを確認する。
バカみたいなサイズのクマのぬいぐるみ。大きさで愛情を表現しようと思っているあたり私も大概バカだ。2mはあるんじゃないだろうか。穢れ無き純白の羽毛を輝かせたそれが、私の前に鎮座ましましていた。フランドールは昔から数多いる動物の中でクマが好きだった。他の動物に比べて抱いて寝る際に丁度良い形状だったのだろう。よく一緒になって寝ている姿を目撃したものだ。
このバカみたいにでかいぬいぐるみを見せて驚く姿を見てみたかったのだが、フランドールはすうすうと寝息を立てて就寝中だった。少しがっかりしつつ本来サンタとはこうあるべきなのかもしれないなとふと思った。
くつしたがあればそこに入れたし無ければこちらで用意しようかと思ったのだが如何せん入らない。仕方が無いので咲夜の部屋からくつしたを持ってこさせ、空間操作で無理やり詰め込ませてそれを枕元に置いておいた。何か盛大に間違っている気もするがたぶん気のせいだろう。大好きなクマのぬいぐるみだけでなくくつしたまで貰えるのだから喜ばれこそすれ咎められることは無いだろう。私も咲夜のくつした欲しい。
「メリークリスマス、フランドール」
起こしてしまわないように、囁くように呟いた。
ベッドが幽かに軋んだように思えたのは、気のせいだったかもしれない。
/
プレゼント配りもようやく終わりを告げ、真綿のような雪がひっそりと降り積もるのを見届けながら私は得も云われぬ達成感に陶酔していた。ミッションコンプリート。前クリの全クリである。
傍らで真剣な面持ちでトナカイメットを脱いでいる咲夜に笑いかける。
「楽しかったな」
「ええ」
短い言葉だがその表情には確かな喜びと輝きが見てとれた。咲夜もまたある種の達成感に陶酔しているのだ。
私は夢や希望、ファンタスティックドリームとやらを届けられただろうか?
少なくとも、形はどうあれ幸福は届けられたように思う。パチェも小悪魔も美鈴も、フランドールは分からないが皆幸せそうな顔をしていた。ならそれでいいじゃないか。あの笑顔が見れただけでも、サンタなんてやった甲斐が十分にあったというものだ。
今回の功労者である咲夜はあれほど涼しげな顔をしながら実は相当暑かったらしく頬や首筋を垂れる汗をタオルで拭っていた。
こいつには大いに助けられた。だからこそ、申し訳ない思いでいっぱいだった。
「ごめん。プレゼント用意できなくて」
「いいんですよ。楽しかったですし」
「……そっか」
「それに、私も貰いましたし。プレゼント」
そう言って誇らしそうな顔で着ぐるみをアピールする咲夜。どうやら気にいったらしい。私としてはプレゼントのつもりではなかったので、少し複雑な思いなのだが。今回は渡せなかったから、プレゼントはまた次回に持ち越しだ。
「また来年やろうか」
「いいですね。今度はどんな催しにしましょうか」
「とりあえず咲夜にはサンタコスを着てもらう。話はそれからだ」
「サンタ二人になるじゃないですか」
「私がトナカイやるからいいの。咲夜運搬したいの」
それがやりたいだけじゃないですかと尚も不満を垂れる咲夜の声を聞き流しながら、都合良く眠ることにした。あーあー聞こえない。やるったらやるのだ。私がトナカイなら咲夜がバテることもないだろうし、今度は外に出てみるのもいいかもしれない。実に楽しみだ。目指すは幻想郷一周。今度は派手にやらかそうではないか。
もこもこの膝に包まれながら早くも来年の計画を弄していると思いのほか寝心地が良くてだんだんと眠くなってきた。意識を失うのも時間の問題だろう。
私は朝起きたときのフランドールの反応や本を読み終わった後のパチェや極上マッサージを受けた後の小悪魔を想像する。願わくば、このひっそりと降り積もる雪のように、皆に等しく希望と幸福があらんことを。
「――メリー、クリスマス」
紅魔館とその住人に、幸あれ。
幻想郷に聖夜がやってきた。私は自室の窓際からそれを確認する。今宵このとき人は日々のしがらみや枷から解き放たれ顔も知らない聖人の誕生を祝う。
それでいい。私は幻想郷の人間のそういう都合のよさを気に入っていた。
私は紅い正装に身を包み、白き大袋を担ぎ不敵に笑う。つまるところ今夜の主役は私だった。聖なる夜に颯爽と闇を駆け人々に夢と希望を運ぶ紅きプレゼンター。要するにサンタである。私は一夜限りの奉仕人だった。
サンタといえば、その走狗たる下僕が必要だった。四速歩行で空を駆り主を導くレインディア。それを配下に加えることで私の準備は漸く完成する。私は都合よさげな部下を調達すべく頼もしい従者の下へ向かう。断りもなくドアを開け颯爽と登場した私の全身を見たパジャマにどてらといったラフな格好の従者は、暫く閉口した後何事もなかったように問うてきた。
「何用ですか」
「見て分からんか。サンタだよ」
「サタンの間違いでは」
「違いない。サタン兼サンタだ」
「恐怖と絶望でも配達するんですか」
「まさか。私が届けるのはささやかな幸福とファンタスティックドリームだ」
「慈善事業ですか」
「ああ。サンタだからね」
そこで私はほれと衣装を渡す。茶色の羽毛でできたもこもこが咲夜の視線に晒される。
「お前には私と共に戦場を駆けてもらう。それはユニフォームだ」
「この球体は、」
「鼻に付けろ。いざというときには弾幕が出るようになっている」
「……ツノ、気合入ってますね」
「かっこいいだろう」
ツノのディティールは凝ったつもりなので同意を求めたのだがなかなか返事が来ないのでどうしたのかと見てみると、完全に固まってしまっている。お気に召さなかっただろうか?
「一つ、お伺いしたいのですが」
「うん?」
「これは、お嬢様自ら?」
そう言って私が渡した衣装を掲げる咲夜。私はそれに肯きをもって答える。「嬉しいか」
その問いかけに咲夜は、私にしか分からないくらいほんの僅かに口元を緩め、「……はい」と静かに笑んだ。
鼻をつまんで空を仰ぐ。私は不意打ちに滅法弱かった。
/
夢と幸福を届けるといっても何も幻想郷を東奔西走縦横無尽に駆けずり回って豆まきみたいにポンポンバラ撒くわけじゃない。これは紅魔館オンリースペシャル身内イベントだ。私の袋は咲夜のポケットみたいにたくさん入るわけじゃないし何でも出るわけじゃない。やってみるのもそれはそれで愉快そうだが何より予算とガッツが足りない。たぶん私も途中で飽きるだろうし咲夜もバテる。ひょっとすれば死んでしまうかもしれない。流石にそれは困るし、それだけはなんとしてでも回避せねばなるまい。
一騎当千のウマを従えた私は天下無双。気分は三国を馳せ匹夫を駆逐する軍神。咲夜を四つん這いにさせ荒々しく騎乗し毅然と胸を張りいざ出陣。あいやーと奇声を上げ、手綱なり何なりを引っ張ろうと思ったがなかったのでとりあえず景気よく尻を叩いてみたはいいが「あぅっ!」と悩ましい声が出るだけで進みやしない。あとなんかツノが脇腹と眉間に刺さって痛い。私は凝りすぎてツノの分岐を増やしすぎたことを今更ながらに後悔した。お馬さんごっこはあとでやることにしよう。
仕方なく咲夜を起こし二足歩行に進化させてから連れてゆくことにした。もはやレインディアもへったくれもないが気にしない。私は気分を味わいたいだけなのだ。
先ほど聖夜と言ったが訂正させて欲しい。正しくはイブという言葉がつく。ところで、聖夜の前日はなんと言ったらいいのか。前聖夜?ビフォアクリスマス?どっちでもいいが語感がいい方ができればいい。咲夜やフランドールのような、口にするだけで小気味いい、ひとつの芸術作品のような響きの単語がいい。私の卓越した言語創作センスは他に類を見ない才能だと自負している。従者に妹にスペルカード。あらゆるものに私の才能は遺憾なく発揮されてきた。そのひとつひとつの名前たちを私は気に入っているし誇りに思っている。名は体を表す。名前こそその“もの”の本質を表しているのだ。
と偉そうに語ってみたが実際私は結構適当に名前を付けていたりする。見た感じだったり印象だったり閃きだったり。まあ暇つぶしにメイド妖精に与えた名前などはだいたいその時読んでいたラノベか伝奇モノの小説から引用することが多かったりするのだが。
そんなわけで適当に名前が決まった。前クリ。決め手は語感だった。因みに“まえくり”ではなく“ぜんくり”。「全クリ」とかけて喜ばしい感じと達成感を付与させてみたのだが、どうだろうか。咲夜に聞いてみたところ、小首を傾げられて「いいんじゃないでしょうか」となんとも曖昧な答えを頂いた。ついでに傾げた際にツノの刺突も頂戴して頭皮をずぶずぶ貫通して血が吹き出た。やっぱりディティールに凝りすぎたかもしれない。
/
この大図書館というのは冬だろうが夏だろうが変わらず静謐で、ぴんとした緊張感のある湧水のような空気を湛えている。それはこの広大な空間の所為でも屹立する膨大な魔導の書架の所為でもなく、ただひとり、堆積する本の山の中心で黙々と頁を捲る菫色の魔女の所為なのだろうと思う。まあそれも、前クリの私には関係のないことだ。
「メリークリスマス、パチェ」
「ぷっ」
「え?」
いきなり吹き出されたかと思ったら次の瞬間には腹を抱えて机に突っ伏して苦しそうに笑いをこらえている。何かおかしなことでもあっただろうか。
「あっはっはっは! く、ふはははは……、げほ!げほ!」
「大丈夫ですかパチュリー様」
「ごほごほ! ふふ……、あははは!」
笑いすぎて陸に打ち上げられた魚のような醜態を晒すパチェを見かねてかB-5の本棚を整理していた小悪魔が小走りでやってきてすかさず主の背中を撫でさする。「さくっ、それ……ふははは!」という辛うじて聞き取れた声から察するに咲夜の格好がツボだったのだろう。トナカイの着ぐるみというファンシーな格好に対して佇まいがまるで平生と同じものだから可笑しかったのかもしれない。まあ、確かに、これは。
「くふふふふ……、ははははっ!」
「ぷふっ……、あっはっはげっほげっほ!」
「もう、お二人とも。咲夜さんがかわいそうじゃないですか……くすくす」
私もついに抑えられなくなり、パチェがぶちまけ、仲裁に入った小悪魔までこらえられなくなってとうとう収拾がつかなくなる。
話題の本人はというと、自分の手の負えないほどに混沌化する場に居心地の悪そうな顔をしてひとり鼻を掻いた。するとちゅんっという音を立てて星型の弾幕が射出されて顔面崩壊気味のパチェの鼻っ面に直撃する。私たちの腹筋はもう限界だった。
パチェには腹痛薬とジャンルバラバラの本を十冊ほどプレゼントしておいた。あいつもお堅い魔導書ばかりじゃなくていろいろな分野の本を読んで世界を開拓してはどうかという親友なりの配慮だ。八割方ラノベだった気もするが、まあ方向性は違えど開拓には繋がるだろう。多分。小悪魔には図書の整理で肩が凝っているだろうということで咲夜の肩たたき券十回分をプレゼント。少なすぎと思われるかもしれないが実際咲夜の肩マッサージは昇天してしまいそうなほど気持ちがいい。私も以前やってもらったことがある。端的に感想を表すならば“ほぼ逝きかけた”。そういう意味では咲夜の指は殺人的だ。指的死的マッサージ。そんな極上の指圧を無償で受けられるんだから、これ以上のものはないだろう。当の咲夜はというと、むすっとした顔をして完全に拗ねてしまっていた。よしよしと撫でてあやしてやりたいところだが悪いね咲夜。今の私はお前に触れてやることさえ出来ないんだ。
/
天上のシャーベットが降り積もり、軽く幹を蹴っただけで全身がすっぽり埋葬されそうな木々の葉を見やり背を震わせつつ、私と咲夜は降りしきる粉雪の中へ身を投じた。降るのはゆっくりなくせに着実に積もっていくので、せっかくの紅き礼装が真っ白な雪団子に変わるのにはそう時間はかからなかった。横に目をやると爪先から頭の天辺までもこもこあったか着ぐるみ素材で武装したトナカイが悠然とした態度で歩いている。シュルレアリスムの極致だ。私はまた吹きそうになるのをこらえて、くしゃみを放つ。
「っくしゃ」
耳が覆われ、聴覚をほぼ遮断しているに等しい状態にも拘らず耳ざとく私のくしゃみを聞きとがめた咲夜がこちらに歩み寄ろうとし、途中で止まる。二人を分かつ双角。こんなにも近いのに、手をとり暖をとることもできない。運命とはかくも残酷なものなのか。私は己の境遇と設計ミスを嘆いた。敏捷性と機能性に欠けるが、あれはあれであったかそうだ。
私と同じ境遇に立たされている者がどうやら他にもいるようで、へくしゅ!という豪快なくしゃみが聞こえてきた。高速で足踏みを繰り返しながら両腕を四方八方にぶんぶんと振り回し、奇声を上げながら意味不明な動きを続けている。気になったので声を掛けようと一歩踏み出そうとしたところで向こうが気づき、逆に声を掛けられた。
「うおおおおおおお嬢様!!こんにちはああああああ!!!」
「精が出るね。それは創作ダンスかい?」
「体温を維持するためのおお!乾布摩擦でありますシュッシュ!」
「そうか。ご苦労様」
シャドーボクシングを乾布摩擦と言い張る門番を決して追及したりはせずに、私は担いでいた大袋をがさがさと漁り目当ての物を探す。が、ない。何故だ。
奥の方まで手を突っ込んでまさぐるがやっぱりない。どこかで落としたか、入れ忘れてしまったのかもしれない。レミリア大ピンチ。
「なあ咲夜――ってあれ」
呼べばいつもそこにいる頼もしい従者の姿がない。まるで最初からそこに居なかったかのように、忽然と姿を消してしまっている。散々にからかわれた挙句雪の降り積もる外に出されて、とうとう愛想を尽かされてしまったのかもしれない。従者に見捨てられ、寒空の下訳の分からん奇声を上げ続ける門番の前でぽつり立ち尽くす。虚しい。サンタというか悲惨だ。
ここで諦めるわけにはいかない。私には夢と幸福とファンタスティックなんだっけ、とりあえずそれを届ける義務があるのだ。
喪いなら探す、無いなら作る。何故なら私はサンタ。年一限定で働く世界一の慈善事業家なのだ。
そうと決まればさあやるぞと踵を返したところでそういえば奇声が止んだなと気づく。流石にバテたかと振り向くと生意気なことにそいつはバテているわけでも疲れ果てて気を失っているわけでもなかった。ただただ、首元を包む小さな幸福に頬を緩め、幸せそうな顔で笑っているだけだ。いつの間にか、そいつの首にはあったかそうな毛編みのマフラーが巻かれていた。
私はまだ見捨てられていなかったことに安堵する。やはりサンタは、家来が居なければ駄目なのだ。
最初美鈴に渡そうと思っていた漫画を間違えてラノベに混入させてパチェに渡してしまったのだと気づいたのは後々になってからのことだった。ある日廊下を歩いていてばったり遭遇したときいきなり熱に浮かされたような顔で「漫画を描こうと思うの」と肩を掴んできたので私はその勢いに引き、いや押されて「ど、どうぞどうぞ」と賛同してしまったのだった。
私が手違いで混入させてしまった漫画のうちのひとつがパチェの内に渦巻く情念に火を点してしまったのかもしれない。私が思い描いていた目論見とは外れたが結果的にはよかったのかもしれない。新しい世界を開拓するのはいいことだ。存分に溺れるといい。
後にパチェは漫画家として大成しベストセラーを叩き出す作品を続々と執筆し名うての大物作家として成功するのだが、それはまた別のお話である。
にしても、文章ならともかく絵を描く分野にパチェが転向するとは思わなかった。まだ小悪魔を題材にした官能小説とか書いてるのだろうか。今度聞いてみよう。
/
サンタのプレゼントは皆に等しく平等に与えられるがサンタが与えるプレゼントが等しく平等とは限らない。殊に近しい者、特に私の妹となってはその傾向は顕著だった。私は私の身の丈よりも大きい白袋からそれを取り出す。が、取り出そうとしても出ない。みちみちみちみちと厭な音を立てて「ギブギブ!」と悲鳴を訴えているかのようだ。よくある話だが、どうやって入れたんだろうね私は。仕方が無いので咲夜に反対側を持ってもらってせーので引っ張る。ここで焦ってはいけない。万一プレゼントが破損したら話にならないのだ。慎重に慎重に、ゆっくりと力を入れながらそれを引き抜いていく。ぬっ。頭が出た。よし、このまま全部一気に貰い受ける――――!
「おらっ 袋の中身 だせ!」
すぽっ。呼びかけに応えるようにそれが袋から引き抜け、勢い余って背中から壁にドーンとぶつかる。ごはっと出そうになる血をなんとか飲み込む。プレゼントひとつでも命がけである。何にせよプレゼントが無傷でよかったよかった。
ぱらぱらと降る天井のコンクリの砂と咲夜の制止の声を振り払い、改めて手の中に、というか腕の中にあるものを確認する。
バカみたいなサイズのクマのぬいぐるみ。大きさで愛情を表現しようと思っているあたり私も大概バカだ。2mはあるんじゃないだろうか。穢れ無き純白の羽毛を輝かせたそれが、私の前に鎮座ましましていた。フランドールは昔から数多いる動物の中でクマが好きだった。他の動物に比べて抱いて寝る際に丁度良い形状だったのだろう。よく一緒になって寝ている姿を目撃したものだ。
このバカみたいにでかいぬいぐるみを見せて驚く姿を見てみたかったのだが、フランドールはすうすうと寝息を立てて就寝中だった。少しがっかりしつつ本来サンタとはこうあるべきなのかもしれないなとふと思った。
くつしたがあればそこに入れたし無ければこちらで用意しようかと思ったのだが如何せん入らない。仕方が無いので咲夜の部屋からくつしたを持ってこさせ、空間操作で無理やり詰め込ませてそれを枕元に置いておいた。何か盛大に間違っている気もするがたぶん気のせいだろう。大好きなクマのぬいぐるみだけでなくくつしたまで貰えるのだから喜ばれこそすれ咎められることは無いだろう。私も咲夜のくつした欲しい。
「メリークリスマス、フランドール」
起こしてしまわないように、囁くように呟いた。
ベッドが幽かに軋んだように思えたのは、気のせいだったかもしれない。
/
プレゼント配りもようやく終わりを告げ、真綿のような雪がひっそりと降り積もるのを見届けながら私は得も云われぬ達成感に陶酔していた。ミッションコンプリート。前クリの全クリである。
傍らで真剣な面持ちでトナカイメットを脱いでいる咲夜に笑いかける。
「楽しかったな」
「ええ」
短い言葉だがその表情には確かな喜びと輝きが見てとれた。咲夜もまたある種の達成感に陶酔しているのだ。
私は夢や希望、ファンタスティックドリームとやらを届けられただろうか?
少なくとも、形はどうあれ幸福は届けられたように思う。パチェも小悪魔も美鈴も、フランドールは分からないが皆幸せそうな顔をしていた。ならそれでいいじゃないか。あの笑顔が見れただけでも、サンタなんてやった甲斐が十分にあったというものだ。
今回の功労者である咲夜はあれほど涼しげな顔をしながら実は相当暑かったらしく頬や首筋を垂れる汗をタオルで拭っていた。
こいつには大いに助けられた。だからこそ、申し訳ない思いでいっぱいだった。
「ごめん。プレゼント用意できなくて」
「いいんですよ。楽しかったですし」
「……そっか」
「それに、私も貰いましたし。プレゼント」
そう言って誇らしそうな顔で着ぐるみをアピールする咲夜。どうやら気にいったらしい。私としてはプレゼントのつもりではなかったので、少し複雑な思いなのだが。今回は渡せなかったから、プレゼントはまた次回に持ち越しだ。
「また来年やろうか」
「いいですね。今度はどんな催しにしましょうか」
「とりあえず咲夜にはサンタコスを着てもらう。話はそれからだ」
「サンタ二人になるじゃないですか」
「私がトナカイやるからいいの。咲夜運搬したいの」
それがやりたいだけじゃないですかと尚も不満を垂れる咲夜の声を聞き流しながら、都合良く眠ることにした。あーあー聞こえない。やるったらやるのだ。私がトナカイなら咲夜がバテることもないだろうし、今度は外に出てみるのもいいかもしれない。実に楽しみだ。目指すは幻想郷一周。今度は派手にやらかそうではないか。
もこもこの膝に包まれながら早くも来年の計画を弄していると思いのほか寝心地が良くてだんだんと眠くなってきた。意識を失うのも時間の問題だろう。
私は朝起きたときのフランドールの反応や本を読み終わった後のパチェや極上マッサージを受けた後の小悪魔を想像する。願わくば、このひっそりと降り積もる雪のように、皆に等しく希望と幸福があらんことを。
「――メリー、クリスマス」
紅魔館とその住人に、幸あれ。
ピクッ
良い紅魔館のお話で時々入るボケや変態発言が面白かったです
幸せそうな紅魔館はよいものですね!レミリアには咲夜の靴下の用途を聞きたいところですがw