「親友、頼みがある」
「断る」
仙界に佇む我らの神霊廟。現在は太子様を中心とした私達の住居となっている。
私の(一応)主である物部布都は、私の願いを聞きもせずに一蹴してくれた。よし、殺ってやんよ。
「内容を聞きもせずに断るとはどういう了見だ」
「お主が我を親友と呼ぶ時は大抵ロクな事ではないじゃろうが」
そうだった気もする。
生前から布都に物を頼む時はそうしていたと思う。
当時は勝手に気を良くして頼みを聞いてくれたのだが、今となっては警戒する事も覚えたようだな。
「まあいい、とにかく頼みがある」
「だから断ると言っておろう。
……ま、まあ、素直に『お願いします、ご主人様』とかいうならば考えなくもないが……」
照れくさそうにそんな事を言う布都。ああ気味が悪い。
「ご主人様、屠自古のお願い聞いてください☆」
「すまぬ我が悪かった。想像以上に不気味だったからやめてくれ」
自分で言わせた上に、なんて言い草だこいつは。まあそう言わせるためにやったんだが。
「話を聞かないともっと不気味に言ってやるぞ?」
「判った、判ったから。ほら、なんじゃ。言うてみろ」
ちょろいな。それじゃお言葉に甘えて……。
「足が欲しい」
風の無いはずの仙界に流れる冷たい風。何故か固まる布都。
そんなにおかしな事を訊いたかな……。
「と、屠自古……? お主はいつからそんな趣味を……」
顔を青ざめ、肩を震わしている。
ああ、なるほど。そういう事か。相変わらずの勘違いっぷりだ。
此処はもうちょっとからかってみようか。
「だから、君の足を掻っ捌いて私にくれと頼んだんだ。いいだろう?」
「よくないわ! 笑顔でとんでもない事を頼むんじゃない!!」
「駄目か? 片足だけでも構わんぞ」
「駄目に決まっとるじゃろうが!! 幾ら尸解仙と言えども失くした足は再生せぬのじゃぞ!!」
「じゃあ腕でも移植しておけ」
「冗談だな!? 冗談だと言ってくれ!!」
「ああ、冗談だ」
キッパリとそう言ったところで、布都はがくりと崩れ落ちた。
「屠自古……結局お主は何が言いたいのじゃ……」
「いや、足が欲しいと言うのは本当だ。自分の足で立って歩きたい」
言葉の零距離ドッジボールを一方的に押し付けて、漸く本題に入る事が出来た。
まあ、布都を弄るのは楽しいから別にいいのだが。寧ろちょっと物足りない
「……お主には以前、亡霊として生きるように命じたと思うが?」
「尸解仙の術に失敗して中途半端に復活してしまったと言う話ならこの間聞いた」
「そんな事は言うとらん!! お主は蘇我で我は物部じゃから……」
「私が死んだ時にボロボロに泣きながら焦って術式を組んでいたのは誰だったかな」
「なっ!! 何故お主がその事を知っておるのじゃ!! あの時は確かに死んでおったはずじゃろう!!」
本当にそうだったんだ。適当に言ったのに。
「まあ、私は別にこの身体が気に入ってないわけじゃないから別にいいんだ。寧ろ人間だった時よりも心地いい」
「だったら何ゆえ、今更になってそんな事を? この1400年間、一度もそんな事は言わなかったじゃろう」
ああ、確かに一度も言わなかったな。
眠っている君に今のような事を頼むほど私は愚かじゃない。
「亡霊と言うのは、こうやって人に触れる事も出来る。普通の幽霊ではそうはいかない」
「ああ、そう……って、何処を触っておるのじゃ!!」
「うむ、相変わらす薄っぺらい」
「喧しいわこの乳亡霊が!」
なんだその新しい貶し文句は。
「とにかく、物に触れるというのに自分で立って歩けないというのが、なんだか妙にもどかしくてな。
朝起きて床から出るために、足を使うんじゃなくて身体を浮かすというのも嫌な気分だぞ?」
「うう……すまぬ……」
「そう思うなら、今すぐ私に足をくれ」
「あ、いや、その……」
やっと本題に入れたというのに、布都は明後日の方向を見ながら何かを言いよどむ。
「その……お主は亡霊じゃから、元々の肉体が残っておらぬのは知っておるな?」
「知らん。今初めて聞いたぞ」
「そうなんじゃ。それでまあ、亡霊と言うのは即ち、魂のような存在なわけで……。
……その、元々足が無いのじゃから、我がどうしようと、お主の足を元に戻す事が……」
「この間我らを復活させた刀の少女の主は、亡霊だが足があるそうだぞ?」
「うっ……そ、それは……その……」
だんだんと布都の言葉に力がなくなってくる。ああ、もうこの段階でどういう事なのかは理解出来たよ。
「布都」
「な、なんじゃ……?」
「単にやり方を知らないだけなんだな?」
「あう……そ、そうとも言うな……」
「……役立たずが」
「うわああぁぁぁぁぁぁ!!!! そう言われるのが嫌だったから言いたくなかったんじゃああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
泣きながらそんな事を喚き始めた。子供かこいつは。
「まあ、なんとなくそんな気はしていた。
蘇我と物部がどうこうと言う理由で人間として生き返らなかったのは納得出来たとしても、足を再生させなかった理由にはならないからな」
しかもいざこざ云々という話すら、今となっては眉唾ものときたもんだ。
「ううっ……」
「だが、君に出来ないとなると……」
私は尸解仙ではないし、それなりに道教の術の事は学んでいるとはいえ、その知識も太子様や布都ほどではない。
そもそも私も方法が判らないからこうして聞いているのだ。
大人しく、刀の少女の主を頼るべきなのだろうか。しかし、そのためだけに冥界に赴くというのも……。
「話は聞かせてもらったわ!」
「ひゃわあぁ!?」
突然の第三者の大声に、布都が驚嘆の声を上げる。私も少し驚いた。
「せ、青娥!! 突然壁から部屋に入ってくるなといつも言っておるじゃろう!!」
布都が怒鳴りつける目線の向こうには、我らに道教の事を教えた邪仙、霍青娥の上半身が壁から生えていた。
青娥は壁をすり抜ける能力を持っているため、こうしてよく部屋に不法侵入してくる。まったく、面倒な能力だ。
「あら、布都様。本日はお日柄もよくて」
「全然反省の色が見えぬな……」
「いえ、これでも大変反省しておりますわ。次回からはなるべく大声は避けるよう心掛けます」
「そういう事を言っておるんじゃない! 壁から出て来る時はせめて一声掛けんか!」
それでいいのか。
「そう致しますわ、役立たずの布都様」
「ごふっ!!」
血を吐いて倒れた。まあすぐに復活するだろう。
「それよりも屠自古様。足が欲しいのでしたら、良い方法がありますわよ?」
「……一応聞いておこう」
先に宣言しておくとしよう。青娥が提案するのは絶対にマトモな方法じゃないと。
「貴女もキョンシーになればいいのです。
私の術を以てすれば、死体をキョンシーとして再生させる事くらい容易い事。今なら芳香とペアルックのおまけ付きですわ」
「うん、予想と寸分違わなかったよ。却下」
「なっ! 何故!? あんな可愛い子と一緒になれるというのに!」
本当にこいつの死体愛好家っぷりはどうにかならないのか。
……まあ、親心を擽られると言う意味での可愛いと言う事なら、判らなくはないが……。
「まず第一に、私は別に生き返りたいわけじゃない。昔の身体などどうだっていいんだ。
第二に、君の言いなりになるのは御免だ。キョンシー的な意味でも。
第三に、私がキョンシーになったら神霊廟から常識人がいなくなる。以上だ」
「常識人なら此処にいるじゃありませんか」
「死体愛好家の変態が何をぬかすか」
「失敬な。死体が好きなのではありません。芳香が可愛すぎるのがいけないのです」
真面目な顔でそう返答してきやがった。
しかも変態である方は否定しないのか。いやまあ、否定されても困るが。
「主ー。何処へ行ったー。何故か壁を通り抜けられないぞー」
部屋の戸の向こうから当のゾンビの声が聞こえた。
「ああっ!! ごめんね芳香!! 私とした事が!!」
そしてその声を聞くや否や、瞬時に部屋を飛び出す青娥。
「まったく! どうしてこんな可愛い子と同じキョンシーになれるという素晴らしさが判らないのですか!」
かと思ったら、すぐに芳香と一緒に戻って来た。戻って来なくて良かったのに。
いっその事厄介払いしてしまうか。以前から一度言ってみたい事があったし。
「青娥、つかぬ事を訊ねるが」
「なんでしょうか?」
「キョンシーに噛まれたら、一時的とはいえキョンシーになるのだったな?」
「ええ。時間には個人差がありますが、妖怪だろうと人間だろうと」
「じゃあ、自分で芳香に噛んでもらえば、一時的に君もキョンシーになれるんじゃないか?」
私がそう言うと、青娥は目を丸くする。
やっぱり、一度もそんな話を聞かなかったから、そのような事は考えた事もなかったみたいだな。
「芳香!! 今すぐ私を噛んで!!」
「へっ? 主? 急にどうしたのだ?」
「いいから!! 思いっきりガブッといきなさい!!」
「あ、主……目が怖いぞ……。
……それに……主を噛むなんて……私には出来ないぞ……」
「ああもうっ! 照れてる芳香も可愛いわ!! そんな顔しながら噛まれたりしたら私はもう……っ!!」
「外でやれ」
二人まとめて外に放り出しておいた。
……ああもう、こういう時の突っ込みは蹴り飛ばすのが相場だろう。投げ飛ばすなど、どれだけ様になってないんだ。
「布都、そんなところでしょげてないで早く足をくれ」
「我はどうせ役立たずじゃ……放っておいてくれ……」
まるでこの世の終わりでも見ているかのような絶望的な顔をしている。
おかしいな、なにか変な事を言ったかな。カッコ棒読み。
「そうか、放っておいて欲しいならば私は散歩にでも行ってくる」
「お主には血も涙もないのか!」
「ああ、ない」
亡霊だからな。涙はともかく、血なんか流れていてたまるか。
「あのな、布都」
「……なんじゃ」
「散歩というのは、本来足を使って行うものなのだぞ?
この姿で散歩なんてしていたら、ただの迷い亡霊だろうが」
「頼むから傷口に塩を練りこむような事は言わんでくれ」
「事実だろうが。とにかく、私も少し頭を冷やしてくる」
それだけ言って、私は部屋を出た。
「まったく……」
溜め息を吐きながら、私は自分の足を見下ろす。
……世間一般で言うような幽霊と同じように、今の私には足がない。足の代わりに、尻尾のようなものがそこにはある。
千四百年前、私がまだ生きていた頃には、まさかこんな姿になるだなんて、思ってもいなかった。
昔は、自分の足で立っている事には何の疑問もなかった。それはそうだ、それが当たり前だったのだから。
だが今となっては、自分が亡霊であると言う事が判っていても、自分の足で歩けない事が何処か寂しい。
滅びる事がないこの身体を、私は気に入っている。それでも……。
「……私らしくもないな」
縁側を移動しながら、そんな事を呟いた。
あまり細かい事を気にするような性格ではなかったはずなのだがな。
足がない、という事が当たり前となり、足があった、という事に異常を感じるようになったこの千四百年の時間は、少々長すぎたのかな……。
「どうしたのですか? 屠自古」
何時の間にか俯いていた私は、その声に気付いてはっと顔を上げる。
「太子様」
「君がそんな顔をしているだなんて、珍しいですね」
この神霊廟の、そして我らの主である太子様。
“人”というものを見る事に優れた太子様にとっても、どうやら今の私の姿は珍しいようだった。
「失礼ですね。私にだって悩みの一つや二つありますよ」
「ああ、申し訳ありません。生前から、君の気落ちする姿など見た事がなかったものですから」
まあ、それはそうかもしれませんけど。
「気落ちしている、って程でもないんですけどね」
「とにかく、どうしたのですか? 私で良ければ力になりますよ?」
人の欲を聞く事のできる太子様にしてはおかしな発言だ、とはいつも思う。
だけど、太子様はこちらの断りもなしに心を覗いてくるような真似は基本的にはしない。
人の心を無闇に覗く事は、好ましい事ではないからだそうだ。まあ、当然と言えば当然な気もする。
博麗の巫女達が来た時はちょっとした例外だ。あいつらは太子様復活の鍵の一つだったのだから。
「実は……」
とりあえず、足の事を話してみる。
「なるほど、自分の足で……」
「はい、今更どうでもよいものだと、思ってはいたのですが……」
「いえ、気持ちはなんとなく判りますよ。
君は確かに亡霊ですが、この世に未練があるというわけではなく、布都の術によって亡霊となっているだけ。
心は人間のままなわけですから、心と身体とに差異が出てしまうのは仕方ない事だと思います」
流石太子様、よく判ってくださる。
「しかし、申し訳ありませんが私も足を復元するような術は知りません」
「……ですよねぇ」
溜め息が漏れた。
布都にあんな事を言ったものの、実を言うと青娥が割り込んできた辺りから、たぶんそんな術はないんだろうな、と勘付いていた。
単純な仙術の知識だけで言うならば、布都や太子様よりも青娥の方が上だ。
その青娥が、そんな類の術を提示出来なかったのだ。ならば、布都も太子様もそんな術は知らない、そもそもそんな術はないと見るのが妥当だろう。
まあ、青娥ならば知っててあえて黙っていた、と言う可能性も否定出来なくはないが……。
「やれやれ、なんで歩く事に懐かしさなんて覚えてしまったんだか」
ああもう、自分を殴りたい。
「仕方ありませんよ。君は千四百年もの間、ずっと歩く事が出来ていないのですから。
布都も意地を張ってないで、人間として蘇らせてあげればよかったのに……」
いえ、その事の真実は先ほど知ったのでもういいです。布都の為に黙っておいてあげよう。
「……そう言えば」
うん?
「そもそも、どうして君には足がないのでしょうか」
……………。
太子様が何を言っているのかが一瞬判らなかった。
しかし、言われてみると確かに、どうして私には足がないのだろう。
刀の少女……妖夢の主である亡霊には足がある事は既に知っている。
だが、同じ亡霊であるはずなのに、なぜ妖夢の主には足があって、私には足がないのだろう。
考えてみれば、非常におかしな話だった。
私は布都の力で蘇った、特殊な亡霊ではあるが、そこのところがなにか関係しているのだろうか。
「そうです、青娥なら何か知っているのではないでしょうか?
青娥はあれでかなりの知識を持っていますし、人の死についても詳しいですから」
「ああ、すみません太子様。その案は現在使用できません」
「えっ、何故です?」
あー、うん、多分今はキョンシーになってるんじゃないでしょうか。
芳香を造った青娥ならば、確かに人の死には詳しく、私に足がない原因も判るかもしれない。
ああもう、こんな事ならば厄介払いなどせずにもう少し突っ込んで話をしておけばよかった。
「あら、お呼びですか豊聡耳様」
「はわっ!?」
そんな事を考えていたら、突然青娥が床から生えてきた。
今は会話不能だろうと考えていただけに、太子様の前だというのに変な声を出してしまった。
「せ、青娥、どうしてそんなところに?」
「芳香がなかなか噛み付いてくれないものですから」
芳香が噛み付いてくれないからってなんで地面に潜るんだよ。
と言うか、そんな事が出来たのか君は。確かに見方を変えれば、地面も壁だろうが。
「ちょうど良かったです、青娥。君に聞きたい事が」
動じてませんね太子様。流石です。
「聞いておりましたわ。屠自古様の足がない理由ですよね?」
「ええ、なにか判りませんか?」
「簡単な事ですわ」
おや?
太子様の質問に、いともあっさりとそう返答する青娥。自信満々な表情をしているあたり、本当に判っている様子だ。
流石に仙人として、またネクロマンサーとしての知識だけは頼り甲斐があるな。ちょっと簡単すぎるが。
「屠自古様、あなたにとって亡霊とは、足がある存在ですか?」
「ん、まあ、基本的にはないものだと思っているが、今は亡霊にも足がある事を知っているしな」
まとめるなら、どっち付かずといったところか。
「豊聡耳様は?」
「私は足がないと思っていましたね。生前から、霊の類はそういうものだと……」
難しい顔をする太子様。
私は亡霊繋がりとして冥界の姫の事を知っているが、太子様は彼女の事をあまりよく知らないのだろう。
まあ、冥界は太子様のような不死の仙人には無縁の場所。妖夢の事は知っているが、その主人にまでは興味がないのかもしれない。
「つまりは、そういう事でございますわ」
いや、どういう事だよ。判るように説明しろ。
「今この神霊廟で、亡霊にも足がある事を知っているのは屠自古様だけだと言う事です」
なるほど、判らん。
「屠自古様は、布都様の術によって、今この場に亡霊として存在しているわけです。
しかし、当然ながら屠自古様には肉体がありません。では、その姿は一体誰がどうやって作ったものなのでしょうか?」
うん? 誰がこの姿を作っているか?
今まで深く考えた事もなかったが、私が布都の術によって亡霊として生きている事を考えると……。
「……布都のイメージ?」
「ご明察」
そう結論付けるのに、大した推理は必要としなかった。
私は私の意志でこの姿を保っているわけじゃない。そうだったら、とっくに自分の意思で足を元通りに出来ているからだ。
となれば、私のこの姿を作ったのは、私を亡霊として蘇らせた布都以外には考えられない。
ああ、なるほど。これでやっと、さっきの質問の意図が判った。
「つまり、布都様の中で亡霊と言う存在が、豊聡耳様と同じく『足がないもの』として定着しているからです。
生前の屠自古様の姿、そして亡霊というイメージが合わさった結果が、今の屠自古様のその姿なのでございますわ」
私の代わりに説明をありがとう。
思えば飛鳥の時代でも、亡霊と言うのは基本的に足がないものだと教えられていた気がする。
私ですら、冥界の姫の事を知るまでは、亡霊には足がないと思っていたのだ。
千四百年間眠りに就き、そして太子様と同じく死ぬ事のない布都なら、今でも亡霊には足がないと思っていても全然おかしな話じゃない。
私の亡霊、というイメージにより私の姿が作られているのならば、そりゃあ足がなくなるのも道理というものだ。
「じゃあ、布都の亡霊に対するイメージを矯正させられれば……」
「ところが、そうもいかないのです」
えっ?
「少々小難しい説明になりますが、屠自古様の今の人格は、当然ですが生前のあなた様のものです」
言われるまでもない。
いやまあ、仮にこの人格を布都が造っていたとしても、それは私には判らないだろうが。
……布都がそういう奴ではないと信じよう。こう思っている時点で、この人格は元の私のものなのだろうが。
「ですが、元々の肉体にその人格が宿っているわけではなく、布都様によって作られた霊体に乗り移っているわけなのです。
そして亡霊と言う存在は、一つの形として確立しているが為に、物理的な作用を及ぼす事が出来る、即ち物に触れる事が出来るのです。
言うなれば、今の屠自古様の霊体は、一つの身体としてこの世に存在しているのです。
布都様によって作られた霊体に、布都様の術によって魂を移した存在。それが屠自古様なのです。流石に尸解仙の術の応用なだけあって、魂を転移させるところはそっくりですわね」
応用ではなく失敗らしいがな。
「すまん、何が言いたいのかサッパリ判らん。簡単にまとめてくれ」
「屠自古様はフランケンシュタインだと言う事ですわ」
判ったような、判らんような。とりあえず、もう少しマトモな表現はなかったのか。
「つまり、屠自古は足がない人間だと言う事ですか?」
「判りやすく言うならそうですわ」
太子様の言葉で、漸く私の中でも話が纏まった。
もっと簡単に纏められたじゃないか……いや、青娥にそんな事を言ってもしょうがないか……。
とにかく、私の身体は“形作られた霊体”という事なのだろう。
亡霊というのは、物に触れる事が出来る。それは即ち、霊体が物理的な物として存在しているという事。
詳しい理屈は判らないが、亡霊はこの世に強い執着を残しているが故に、生前と同じように物に触れる事が出来るらしい。
私は布都の術によって蘇った亡霊だが、何かしらの思いがあってこの世に留まり、布都もあいつなりの意図があって私をこの世に留めている。
本質的なところには、私も通常の亡霊も大差はない。
おかしな表現かもしれないが、亡霊にはちゃんと身体があるのだ。
結論付けるなら、この姿は既に『蘇我屠自古』の身体として形作られているという事だ。
……って、それはつまり……。
「……どうやっても、私は足を取り戻せないという事なんじゃないか……?」
「そういった術が存在しない以上、そうなりますわね」
いともあっさりと、他人事のようにそう返答してきた青娥。まあ他人事だけどさ……。
今の私の姿がちゃんと形作られているものであるとすると、一見変形するのが簡単そうな足っぽい何かも、この形である事が定まっているという事になる。
形が定まっているのならば、それを変形するのは並大抵の事じゃない。この霊体も、立派な個体なのだから。
太子様の表現はちょっと極端だったが、的は射ている。私は、足がない人間なのだ。
「はぁ……」
そう思ったところで、無駄な疲労感と喪失感が一気に襲ってきた。
生前のように自分の足で歩くなど、夢のまた夢だったという事か……。
それはまあ、一度は死んだ私がこうして、壊れる事のない身体で太子様のお傍に仕える事が出来るのだから、それだけでももう充分過ぎるのかもしれない。
だが、亡霊であろうとも私は人間なのだ。
この神霊廟に住む中で、私だけが皆と同じように歩く事が出来ないなんて……。
……まるで私だけ、置いてけぼりにされてしまったかのような……。
「屠自古」
「えっ? わ、ちょ! 太子様!?」
頭を抱えていたところ、急に太子様に手を引っ張られた。
突然の事に何の抵抗も出来ず、そんな私を太子様はなすがままにして……。
「霊体な分、君は軽いですね」
そのまま私は、太子様に負んぶされていた。
「た、太子様……?」
「しっかり掴まっていてくださいよ。君の足では上手く支えられませんから」
そのまま、太子様はゆっくりと歩き始める。
太子様に背負われているというのは、何処か気恥ずかしくも嬉しいのだが、なんだって急にこんな……。
「……どうです? 少しは自分の足で歩けている感じになりませんか?」
えっ……?
そう言われてみて、私はしばし目線を前に向けてみる。
軽く上下する視界、それと共にほんの少しずつ前進する風景。
いつもいつも浮いているが故に、こんな風に視界が上下するという感覚は、確かに久々かもしれない。
勿論、足が大地を踏む感覚がないから、自分で歩いている、というには程遠いかもしれないけれど……。
「君の足を元通りにする術は判りませんが、君の足になってあげる事は出来ます。
こんな事でも良ければ、いつでも言ってください。君のためなら、何処までも歩いてあげますから」
……ああもう、本当にこの人は何を考えているんだか。
こんな事したって、ちょっとだけいつもと違う移動の仕方をしているだけじゃないですか。
自分の足で歩いているだなんて、とても言えない。あなただって、それは判っているでしょう?
だけど……別にいいか。
だって、太子様が私のために、私を背負って歩いてくださるんだから。
私が愛する太子様が、私のためだけに……。
「太子様……」
ぎゅっ、と太子様にしがみ付き、その背にこの身を預ける。
ああ、温かい。何処までも優しい太子様の御心が、熱を感じないはずのこの霊体に温もりを与えてくれる。
なんだかもう、一生歩けなくてもいいや、と思ってしまった。
だって歩けなければ、こうして太子様にわがままを言う事が出来るんだから。
太子様に一番近いところで、一緒に“歩く”事が出来るのだから……。
ありがとうございます、太子様……。
* * * * * *
そして、それから三日後のこと……。
「うーん、今日もいい日になりそうだ」
神霊廟の縁側に腰掛け、異空間そのものとしか表現出来ない仙界の空を見上げる。
3日前まで、あれほど足の事で悩んでいたのが嘘のように、私の心は晴れやかだった。
無論、心の何処かには未だに、自分の足で歩きたいという願望はある。
だがそれ以上に、あれから毎日のように太子様に負んぶしてもらえるのが……。
ああ、今日は何十分負んぶしてもらおうかな~。
「何不気味に笑っておるのじゃ……」
……ああもう、空気の読めない奴だ。
「布都、何の用……って、大丈夫か?」
一言二言文句を言おうと思ったが、布都の姿を見て、その予定を取り止める。
今にも死にそうな目つきで、足も何処かふらついている。そして目の下には隈が出来ていた。
「なに、たかだか3日間寝ておらんだけじゃ……」
いやいや、いくら尸解仙だからってそれは……。
……どうなんだろう。まあ、普通の仙人も睡眠は取るらしいから、やはり寝不足になると今の布都のようになるのだろうか。
まあ、今はそんな事はどうでもいいか。
「なんだって3日も寝てないんだ。少しは鏡で自分の姿を見てみろ」
此処のところ、食事中もロクに話さず手早に済ませ、部屋に篭りっきりだと思ったら……。
「そんなことより屠自古」
おい、折角人が心配してやってるのに話をブチ折るな。
「足はどうなったんじゃ。まだ解決出来ておらんのか?」
ん、ああ、その事か。今言ったとおりロクに話もする機会がなかったから、まだ事の顛末を知らないんだな。
「ああ、もういいんだ。
青娥曰く、私の足はもう元に戻せないらしい。そういった術も存在しないみたいだしな」
詳しく語る必要もないと思ったので、それだけ教えておく。
特に太子様に毎日わがままを聞いていただいているなんて事を知られたら、面倒な事になりそうだし。
「……もういいのか?」
少々、悲しげな表情を浮かべる布都。
なんだなんだ、判らん奴だな。ひょっとして、私が自分の足で歩く事を諦めての発言だと思ったのだろうか。
まあ、私の足がない事に多少なりとも責任を感じていたみたいだからな。
「歩きたくない、といえば嘘になるさ。
だが、方法がなくては仕方があるまい。いつかそんな術が出来る事を、気長に待つさ」
そう返答しておいた。多分この言い方が、一番布都に心配を掛けないだろうと思ったから。
「ふん、方法がないとは、嘗められたものじゃな」
えっ?
布都、何を言って……。
パチンッ!
布都が右手を上げ、指を鳴らす。
そしてその指の音が、一瞬だけの余韻を残して消え去った後。
「えっ?」
急に、ぐらりと私の視界が揺らいで……。
「うわっ!」
いきなり浮遊状態が維持出来なくなった私は、そのまま床に尻餅をついた。
いたたたた、一体何が……。
「……えっ?」
「どうじゃ、もう我を役立たずなどとは言えんじゃろう」
視界に映ったとあるものを見て、私は驚愕する。
今の今まで、私には足がなかった。足の変わりに、別の何かがそこにあるだけのはずだった。
だというのに、今の私には足があるのだ。
尻餅をついたままながらも、足の裏に感じる床を踏んでいる感覚。
千四百年間、どれだけ願っても叶わなかった、私が生きていた時の足の感覚が……。
「ふ、布都、これは……!」
慌てて立ち上がる。足に力を入れて、床を強く踏みしめて。
立ち上がる際に、ちょっと勢いを付けすぎでバランスを崩した。流石に、千四百年ぶりだったからな。
「……別に、お主のためじゃないぞ。
ただ、二度と我を役立たずだと罵れんように、足を戻す術を組み上げただけじゃ」
そっぽを向きながら、そんな生意気な事を言う布都。
だが、布都のさっきまでの死にそうな目つきを考えると……。
……布都はこの三日間ずっと、私の足を元に戻すための術を作っていたのか?
飯も手早に、寝る時間を惜しまずに、今まで使った事もないような術を……。
足を元に戻すだなんて、それは人体の構造を変えるというレベルの話。そう簡単に、そんな術が完成するわけがないはずなのに……。
「それと、その術は未だ出来たばかりでな。恐らく30分ほどしか効果がないじゃろう。
改良はまた今後にするから、それまでに満足がいくように歩いておくんじゃぞ。ふあぁ……我はもう寝る……」
「あ、おい布都」
私の静止を聞かず、布都はひらひらと手を振って、危なっかしい足取りで自分の部屋へと戻っていってしまった。
無理やり引き止めても良かったのだが、あれだけ眠そうにしていたのだ。今は寝させてやるとしよう。
「……やれやれ、愚か者めが」
ふふっ、と鼻で笑う。だけど、布都の事で嘲笑しているわけじゃない。ただ単純に、嬉しかったからだ。
太子様も布都も、私の為に手を尽くしてくれた。
太子様は自分なりのアイデアで、布都も自分なりの新たな術で。
そうして私は、こうして再び自分の足で立つ事が出来た。
たった三十分。千四百年間歩けなかった事を考えると、ほんの僅かな時間だな。
だけどこれは、布都が不眠不休の努力の末に与えてくれた、とても重い三十分だ。
「ならば、気が済むまで歩かせてもらうぞ」
とっくに自分の部屋に戻ってしまっただろうが、見えなくなった布都の背中に、そう告げておく。
そして私は、千四百年ぶりに、自分の足で歩いてみた。
太子様の背では味わえなかった、地面を蹴るこの感触。ああ、本当に懐かしい……。
一歩一歩、ゆっくりと進む。時々、バランスを崩して倒れそうにもなった。
やはり歩くという基本的な行為も、千四百年とやっていなければ、忘れてしまうらしい。
それでも今、私は歩いている。
布都が与えてくれた僅かな時間で、出来る限り満足出来るように。
……これでもう、置いてけぼりにされなくて済むのかな。
たった一人尸解仙になれなかった私は、漸く太子様、布都、青娥と一緒に歩く事が出来るのだろうか。
太子様にも、布都にもこうしてわがままを聞いてもらって……。
……まったく、私はどれだけ幸せな亡霊なんだ……。
ありがとうございます、太子様。
そして……。
「ありがとう、布都……」
本人の前では絶対に言えないその言葉を、我が最高の親友に……。
そして後書きww
皆活き活きしててよかったです。
三十分だけ復活した屠自古ちゃんの足、きっと綺麗だろうなと思いました。
亡霊であることを強いられているなら仕方ないですが
布都……やはり天才か。
こんなに愛されてるなんて、幸せ者だなあ屠自古は。
あとがきは卑怯だと思います。最近集中線見ただけで噴くというのにまったくもう!
みんな生き生きしてて好きだわぁ 適度に毒があって言いたい事いいあってる感じが素敵
しかし貴方はあとがきがうまいですねw
あとがきなどなかった。
さわやかな屠自古さん、イイ!
そして、突然のAA