にとりは、猛烈な頭痛と共に眼を覚ました。
「あつつつつ…う~…」
額をおさえながら体を起こす。頭がずきずきして、顔をしかめた。
そしてしかめっ面のまま辺りを見回して、違和感に気付く。
「あれ、ここどこだ?見覚えはあるんだけど…」
ずきずき痛む、まだ覚めたばっかりの頭を懸命に回す。
自分が目覚めたこの場所は、自分の家の中では無い。見覚えは確かにあるが、覚醒しきっていない頭では思い出せない。
あれこれ考えている内に、体がぶるぶると震えてきた。
「それにしても寒いなあ…って、ええ!?」
自分の姿を見て慌てて再び布団の中にもぐりこむ。
そして、驚きのあまりすっかり覚めた思考で状況確認を急いだ。
「なんで!?なんでわたし、服着てないの!?」
寒かったのは、冬だったからとも言えるのだが、やはりこれが原因。一糸纏わぬ姿で布団から出れば、寒いのは当然だった。
しかし今のにとりにとって、それは大した問題ではない。
「落ち着け…落ち着けわたし…落ち着いて昨日のことを思い出すんだ…」
どうにかして、この状況へと至った過程を思い出さなければならない。
まるで自己暗示のように、落ち着けと連呼しながら記憶をたどる。
昨日はいつも通りに朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて、朝ごはんを食べて、昼ごはんも忘れて機械いじりをして、そして夕方からは…
「夕方からは、文やはたてや椛たちと一緒に雛の家で忘年会を…そうだ!」
ようやく思い出した。
昨日の夜は、五人で集まって雛の家で忘年会。ご馳走を食べ、お酒を飲んで盛り上がったのだ。
「そうだそうだ、ここは雛の家のベッドだった!」
分かってしまえば何でもない。ここは雛の家の寝室。
何度も泊まったことがあるのにすぐに思い出せないなんて、と自分を叱る。
「それにしても、何でわたし雛の家のベッドで寝てたんだろう?」
ここが雛の家と分かっても、どうして自分がここにいるのかは思い出せない。
どうやら昨晩は相当酔っ払っていたらしく、記憶があいまいである。
「もしかして酔いつぶれてそのまま泊めてもらったのかなぁ?だったら雛に迷惑かけちゃったな…」
あとできちんと謝ろう。そう思いつつ、最後の疑問にとりかかる。
一番重要なこと、何故自分は服を着ていないのか。
「…うーん駄目だ、全然思い出せないや」
二日酔いでまだ少し痛む頭をどれだけ捻ってみても、これだけはどうしても思い出せない。
ひょっとして酔った勢いで裸踊りでもやってしまったのだろうか、だったらかなり恥ずかしい。
そんなことを考えていたら、突然何者かがにとりの体にすり寄ってきた。
「ひゅい!?」
驚いて声をあげる。
すり寄ってきた何者かから、確かな温もりを感じた。それに耳を澄ますと、すぅすぅと寝息のような微かな音。
間違いなく、布団の中には自分以外の誰かがいる。
「だ、誰…………っ!!?!?」
恐る恐る布団をめくり、そしてにとりは絶句した。
自分にすり寄ってきた何者か。
それは
「ひ、雛…」
見まごう筈がない、美しい緑の長髪に愛くるしい顔。
まさしくこの家の主、厄神鍵山雛であった。
そしてにとりがさらに驚いたのは、まだ眠る雛のその格好。
「ひ…雛…どうして服、着てないの…?」
その言葉とともに、にとりの顔からサーッと血の気が引き、体はがくがくと震えた。
冬の寒さとはまた違う原因で、全身に寒気が走る。
「ま、まさか、そんなこと…えへへ…そんなこと、ないよね…あはは…」
引き攣った笑顔で、一人つぶやく。
朝起きると、同じベッドの中で一糸纏わぬにとりと雛。
そんな状況から想像される昨晩の出来事。その想像が、にとりの頭の中の全てを支配していた。
「う、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だっ!」
酔った勢いで、色んな意味で「やってしまった」なんて認めたくない。
両手で頭を押さえながら、首をぶんぶんと横に振る。冷や汗が止まらない。
「ん、ううん…にとり…?」
「ひゅい!?」
そんなことをしていたら、隣の雛が少し寒そうに身をこごめながら目を覚ました。
目と目が合う。
「おはよう、にとり」
「お、おはよー…」
寝ぼけ眼のまま、にこりと笑って挨拶をする雛に、にとりはただただ引き攣った顔で返す。
「あ、あのさ、雛」
「にとり…」
「わわわ!?」
話をしようとするにとりにはお構いなしに、雛は艶やかな声を出しながらすり寄った。
雛の頭はにとりの胸に預けられ、にとりは思わずたじろぐ。
「ひ、雛…」
「ふふふ」
わなわなと震えるにとりの声を聞きながら、雛は意味深な笑い方をする。
そんな雛の態度が、余計ににとりの心をかき乱す。
しかしこのままではいけないと、にとりは意を決して話を切り出した。
「ね、ねえ雛。き、昨日のことなんだけどさ…な、何があったか、憶えてる?」
「………」
もしかしたら、もしかしたら何も無かったのかもしれない。
そんな淡い希望を抱きながら、にとりは雛の返事を待つ。
だが、待てど暮らせど雛は一向に口を開こうとしない。
「ねえ雛ってば…わあ!?」
「に~と~り~」
痺れを切らして声をかけたにとりを、雛は思い切り抱きしめ、そして実に楽しそうに名前を呼んだ。
雛の顔はにとりの目の前。にっこり笑顔で口を開いた。
「もちろん憶えてるわよ。責任、取ってね」
にとりの体は石のように硬くなり、ピシッと割れる音が聞こえた気がした。
―――ガバァ!
「わあああああ!?」
「きゃあ!?」
勢いよく起き上がると、場所はさっきまでと同じベッドの上。ここは雛の家の寝室だ。
しかし、忙しく首を振って確認してみると、さっきまでとは色々と状況が違う。
「ひ、雛…服着てる…」
「な、何言ってるのよ、あたりまえじゃない」
一糸纏わず、力強くにとりに抱きついていた筈の雛は、今ではいつもの赤いドレスに大きなリボンを着ている。にとり自身も、軽装ながらも服を着ている。
そもそも雛はにとり抱きついてなどおらず、ベッドの横に立って心配そうににとりの顔を見ている。
「大丈夫?何だかうなされていたみたいだけど、悪い夢でも見たの?」
「ゆ、夢…?」
夢。さっきまでのことは夢だった。そう思えたことが、にとりの心を少し安らがせた。
しかし、安堵と同時に疑問も出てくる。果たして、どこまでが夢だったのだろうか。
「ねえ雛、昨日の夜って何してたっけ?」
「何したって、忘れちゃったの?みんなで集まって忘年会をしたじゃない。それで貴女が酔いつぶれちゃって、家に泊まったのよ」
「あ、あはは。そうだよね。大丈夫、ちゃんと憶えてるよ」
いつの間に眠ってしまったのかは定かでないが、おいしいきゅうりを肴にお酒を飲んで、みんなで騒いだことはしっかりと憶えている。
つまり夢だったのは、色々な意味で「やってしまった」ということだけ。
「よ、良かったぁ…」
ほっと胸をなでおろすにとりに、雛は何が良かったのかがさっぱり分からず怪訝そうな顔をした。
「にとり、やっぱり悪い夢でも見てたの?汗もびっしょりよ?」
「わ、悪い夢と言うかなんというか、まあ冷や汗ものではあったね」
「ふーん、どんな夢だったの?」
「あ、いや、実ははっきりとしたことは憶えてなくてさ!冷や汗ものだったことくらいしか憶えてないんだ!」
にとりはあたふたしながらごまかした。
無論、夢の中身はしっかりと憶えている。でも言えない。言えるわけがない。
雛との関係が深まったという意味では、悪い夢ではなかったのかもしれない。しかし内容が色々とひどい。特に酔った勢いというあたりが。
そんなこと、口が裂けても絶対に言えない。
「ふふふ、まあ夢なんてそんなものよね」
「そ、そうだよね。あはは…」
目が覚めたらどんな夢だったかあやふやになると雛も納得したようで、笑みをこぼした。
一方、何とかごまかすこともできて、にとりはまた胸をなでおろす。
しかしながら雛は笑っていた顔をいきなり真顔にして、にとりの方を見た。
「ねえにとり、話は変わるのだけど」
「ん、なあに?」
「昨日の責任は、ちゃんと取ってね」
「…………へ?」
三秒程度だったろうか、にとりの思考回路が完全に止まったのは。そのたった三秒も、にとりにとってはすごく長いものに感じられた。
今、雛は何と言ったか。にとりの聞き間違いでなければ、責任をとるように言われたはずである。
夢の中の雛に言われたのと、同じ言葉。
「せ、責任…?」
上手く作動してくれない思考回路から、何とかして捻り出したにとりのか細い声。
それに対し、雛の口調は若干きつめだった。
「そう、責任よ。あんなことになったんだから当然よね?」
「せ、責任?…責任て、何の責任…?」
夢か現か、にとりにはさっぱり分からなかった。
さっきの夢は、実は現実だったのか。それとも、今この状況もまた夢の続きなのか。全く把握できない。
傍から見れば真っ白に見えるかもしれないにとりに、雛は言葉を続ける。
「あんなことしておいて、忘れちゃったの?」
「あ、あんなこと…?」
「にとりのせいで、ビショビショに濡れちゃったんだからね」
「び、ビショビショ…?」
雛の言葉の端々から伝わってくる情報が、にとりの心にグサグサと突き刺さる。
夢の続きか現実か、ともあれにとりは、やはり酔った勢いで「やってしまった」らしい。
気付けば、雛に向かって深々と頭を下げていた。
「ご、ごめんなさい!謝って済む問題じゃないけど、責任はちゃんと取ります!」
強い口調で、そう言い切った。
もうやってしまったことは仕方がないと、にとりは腹を括る。
どんな責任の取り方でも、必ず果たす心づもりだ。後には退けない。
そんなにとりの誠意を受け取ったのか、雛は、こくんと一度だけ頷いた。
「じゃあ、ついて来て」
「うん」
雛との関係は、遅かれ早かれこういう結末になっていたのかもしれない。ならば受け止めよう。
そんな想いを抱きつつ、にとりは上着を羽織って、雛に導かれるまま歩く。
そして、リビングまでたどり着いた。
「え、雛?これって一体…?」
「一体も何も、見たまんまよ」
リビングの様子に、にとりは言葉を失った。
一言で表せば、すごく汚い。
宴会が終わった後のようなゴミがあちこちに散らばり、しかも何故か床は水浸し。
「…どうしてこんなことになってるの?」
「どうしてって…まったく、にとりってばやっぱり憶えてないのね。原因はこれよ」
「それって…」
すっかり呆れ顔になりながら、雛は足元に落ちていたある物を拾い上げた。
それはカラクリ人形のような姿をしていて、しかも体中が傷だらけだった。
「貴女の作った宴会用の機械よ。えーっと、何て名前だっけ?」
「エンゲイ君ver1.50…」
昨日の忘年会の直前まで、にとりが食事も忘れて作っていた機械。
様々な芸を披露してくれる、宴会にはもってこいの人形だ。
そのエンゲイ君を持ったまま、雛は昨晩の出来事を回想し始めた。
「そうそうそんな名前ね。それで、このエンゲイ君が噴水芸を披露していた時に突然暴走したのよ。わたしたちがビショビショになりながら止めようとしてるのに、作った貴女は酔っ払って眠っちゃって、ホントに大変だったんだからね」
語尾の強まった雛の話を聞いて、全身の力が抜けるような感覚をにとりは感じた。
「あんなこと」、「ビショビショ」。確かにその通りである。しかしそれは、にとりの想像とは遥かに違うもの。
「あ、あはは…」
想像と違ってくれていた安堵と、想像とは違っていたやるせなさを同時に味わい、乾いた笑いをするにとり。
そんなにとりに、雛はいつの間にかモップとバケツを用意して手渡した。
「はい掃除道具。責任を取って、ちゃんときれいに片付けてね」
「は、は~い…」
こんな一夜の過ちは二度と犯さないよう、これからは正体が無くなるほどお酒を飲まないように気を付けよう。
掃除道具を受け取って、いそいそと掃除に励みながら、にとりはそう心に誓う。
ただ
「トホホ…同じ責任なら、夢の方がずっと良かったかも…」
「ん?何か言った?」
「な、何でもないよ!」
きっと決して忘れないであろうあの夢は絶対に墓場までもっていこう。
不思議そうな顔をする雛に赤い顔で答えながら、にとりは心の中でそのようにも誓っていた。
だがいずれ現実になる…!
現実です……!これが現実っ……!」
>5氏
私もこれ思い出したw
それでグッジョブ!!