Coolier - 新生・東方創想話

夢際 Last Girl

2011/12/25 21:14:07
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※オリジナル設定が非常に多いです、俺設定です。ご注意下さい。











 甲高い音が部屋に鳴り響く、その発生源は紅魔館の一角に居候しているパチュリー・ノーレッジという魔女が、外の世界の目覚まし時計を模して作った品であった。

「んあ…あー…」

 そこは紅魔館の一室であった。物の少ない部屋である。ベッドと本棚、箪笥といった家具があるばかりで、趣味の類の品は部屋中見渡しても見つからない。

「あー…」

 ぺしんと目覚まし時計を時計を叩く。

「八時…あー…」

 この情けない声の持ち主の名前は十六夜咲夜、完全で瀟洒な従者は意外にも朝に弱かった。




 咲夜の起床時刻は『主人であるレミリア・スカーレットより三時間早く起きる』を目標に決められる。全ては主人の朝の支度を滞りなく進める為の配慮である。使用人の長として掃除や朝食の支度、その他諸々の指示を出し監督するのは中々に時間のかかる作業であった。

 『完全で瀟洒な従者』を自称する咲夜であったが、ここ暫くと言うものの目標通りに起きる事が辛くなっていた。つい数年前までは起床が辛いというような事は無かった。ひょんな事から生活リズムに変化が生じたためである。

 朝にはめっぽう弱い咲夜も、瀟洒とは言えない目覚めの後、シャワーを浴びてかろうじで動ける程度には目を覚ましていた。

 髪を乾かしメイド服に袖を通す。決して派手にならぬよう、かといって人前に立ち恥ずかしくない程度に化粧を施し部屋を出た。こうして咲夜の一日が始まる。朝食は取らない、朝方の体調では胃が受け付けないためだ。

「おはようございます」
「おはよう」

 廊下を歩けば妖精メイドが挨拶をしてくる。挨拶などしたくも無い心地の咲夜であるが、彼女のメイド長という肩書きがそれを許さず、あくまで毅然とした澄ました顔で挨拶を返す。

 そんなやり取りを何度か繰り返し、咲夜は門前へと足を進める。途中挨拶した妖精メイドの中には人間の咲夜などよりよっぽど古参のものもいた。そんなベテランの目から見れば咲夜の澄まし顔が取り繕ったものであるとわかってしまうらしく、苦笑いを浮かべているものも居たが、頭が回りきっていない咲夜は気付かぬ様子であった。
 



「相変わらず朝から元気ね。ほんとに妖怪?」

 門前で修行であるのか健康法であるのか判断のつけ難い、太極拳の様な体操をしていた人影に咲夜は声をかけた。

「あ、咲夜さん。おはようございます!」
「おはよう」

 体操を中断してこちらを振り向くものの名は紅美鈴という。彼女は妖怪とは思えぬ元気さと人当たりの良さで挨拶をしてきた。朝からそのテンションは見てるだけで胸焼けがしそうだと咲夜は感じた。

「立派な妖怪ですよ。シフト的に長いこと朝型生活ですからね、慣れたもんですよ」

 美鈴は主に太陽が昇っている間門の前に立っている。というのも吸血鬼である館の主が本調子ではない昼間だけ侵入者を防げばそれで良い為である。客としてやってくるのなら兎も角、ヴァンパイアハンター気取りがレミリアの首を狙うならば、わざわざ吸血鬼の時間である夜にやって来るはずが無い。その上、門番である美鈴と主であるレミリアとでは圧倒的にレミリアの方が力が強い。そのため夜間であれば門前で食い止めようが食い止めまいが結果は変わらないのである。

「それに咲夜さんがおかしいんですよ、普通に考えれば。人間なんて元々日の出てる時間に活動するもんじゃないですか。何で私より朝に弱いんですか」
「わかってるわよ…」

 咲夜としても、今更美鈴に説教をされるとは思ってもみなかったが、まさに言うとおりであるし自覚もある。だがどうにもならない事はどうにもならないのだ。

「いっそ寝てる間も時間止めれるようにしたらどうです?」
「簡単に言わないでよ、そんなこと出来たら苦労しないわよ」
「そんなこと言って、自分の成長止めてるって言ってたじゃないですか。寝てる間もずっと」
「自分の体の時間弄るのと世界の時間弄るのを一緒にしないでよ、よっぽど難しいんだから」

 常時肉体の細胞の老化を極限まで遅くするという荒技な美容法を行っている咲夜であった。

「まぁいいわ、今日も一日頑張りなさい。魔理沙が来たら、適当に付き合ってから通しなさい。何だかんだでパチュリー様も魔理沙が来るのは楽しみでしょうから。あと昼寝はしないように」

 兎にも角にも、いつまでも油を売っている訳にも行かず。咲夜は去り際に一言小言を言って、館内に戻っていった。

「ははは…」

 美鈴は咲夜の背中を眺めながら、苦笑いをして誤魔化した。




 レミリア・スカーレットの朝は、咲夜のノックにより目覚める所から始まる。寝顔を使用人に見られることを嫌い、レミリアが部屋に入る許可を下すまでは、咲夜といえど室内に入ることは基本的に許されていない。

 その日も咲夜はレミリアの寝室のドアをノックした。

「入りなさい」

 咲夜が十秒程ノックした頃、部屋の中からとてもではないが先程まで寝ていたとは思えない威圧感を持った声が響く。

「失礼いたします」

 咲夜は一礼しつつ部屋の中に入った、この時間になればすっかり頭も冴え失礼な振る舞いをすることなどない。咲夜が頭を上げればベッドの上で体を起しこちらを見ているレミリアがいる。

「紅茶を」
「かしこまりました」

 咲夜は命令のままに紅茶の準備をする、毎朝お決まりの光景であった。そして毎朝咲夜はこう思うのである、何故自分の主人は吸血鬼であるのにこんなに昼間から元気なのだろうと。

「ありがとう」

 紅茶を差し出した咲夜に、レミリアは軽く礼を言った。咲夜もその言葉に、一礼することで答える。

「今日のご予定は?」

 レミリアがベッドに腰掛けたまま、一口目の紅茶を飲み込んだのを見計らい、咲夜は尋ねた。

 これも、自分がメイド長となった頃であればありえなかった質問だなと咲夜は思った。

「本当は霊夢のところへ行こうと思ってたんだけど、流石に一人で行くのはどうかと思うし、かといって美鈴を連れて行ったらフランが駄々をこねた時収めるのがパチェだけになってしまうじゃない?」

 レミリアは枕元の棚にカップを置くと、話し始めた。おやっ、と咲夜は思った。普段博麗神社へ行く時に供として連れて行くのは咲夜である。どういう意味か問おうにもレミリアの口はなおも動き続ける。

「パチェを連れてくなんて問題外でしょ?パチェなら兎も角、美鈴一人でフランをどうにか出来るはずが無いわ。だから特に予定は無いわ、今日は一日大人しくしているつもりよ」

 ここで咲夜の名前が挙がらなかったことを質問するのは簡単である。しかし、レミリアがあえてそこに触れず、更にニヤニヤと笑っている以上、何らかの意図があるはずである。ちょっとした謎解きとして自分で気付けということなのであろうと、咲夜は解釈した。

 咲夜は一瞬だけ考える素振りを見せてから、自信有りげに目を細めて言った。

「つまり、お嬢様に予定は無く、私には予定があると言うことでしょうか?」
「流石ね、その通りよ咲夜、そういう察しのいい所好きよ」
「ありがとうございます」

 そう言うレミリアは満足気な表情こそしているものの、咲夜が望んだ答えを導いた事に対する驚きのようなものは見られなかった。

「それで、いったいどのような予定が入るのでしょうか?」
「おつかいよ、行き先はそうね、当ててみる?」

 レミリアは膝の上に肘を置き、頬杖をつきながら問いかけた。

 咲夜は、レミリアがこういった余興を求めているのであれば出来うる限りは応えたいと思っている。主の暇を紛らわす事も従者としての務めであると思っているからだ。そのため、この謎解きにも見事答え、レミリアの興を満たしたいと考えた。

 現在の紅魔館が対外的に咲夜を『おつかい』に出すところとなると、最も可能性が高いのが人里である。種族的に人間である咲夜は、その実力ゆえに里人から一歩置いた場所から見られるものの、他の種族のものが訪れるよりはいくらか円滑に交渉を進めることが出来るためである。

「ヒントを頂けますか?」
「物によるわね、言ってみなさい」
「そのおつかいは、私一人で行くのでしょうか?」

 人里以外の場所、たとえば白玉楼であったり永遠亭となると咲夜一人で赴く機会は少ない。訪問理由の重要性が高まるほどに咲夜が一人で行く機会は少なくなるためである。レミリアが自ら赴き咲夜がそれについて行くことはあっても一人で行くことはないはずである、そのための質問であった。

「いい質問ね、それくらいなら答えてあげる。今日はあなた一人で行ってもらうわ」
「なるほど…」

 レミリアの答えを聞くと、咲夜は視線を少し落とし、情報の整理を始めた。

 そうなると人里の可能性が最も高いと咲夜は考えた。だが余りにも意外性のない答えである。このような事をレミリアが問題として提示するであろうかと、長くレミリアの側に仕えた咲夜は思った。しかし、人里でないとなると、選択肢が広がり過ぎる。あまり重要ではない要件で白玉楼に行くといった可能性が出てくると、当てることなど不可能だ。レミリアが態々問題として出して、しかも咲夜が推理から答える事が可能な勢力、そして咲夜一人で赴かなくてはならない場所。

 地底であろうか、ふと咲夜は考えた。少し前に異変が起こり、それ以来地上との交流が再開されたと聞いている。それであればレミリア自身が直接赴かない事には説明が付く。如何にレミリアが強力な妖怪と言えど、流石に自分達にどのような感情を抱いているのか解らない相手に、大将自ら乗り込むような真似はしない。

「地底…地霊殿ですか?」
「あら、まさか当てるなんてね。素晴らしいわ」
「いえ、ただ先日地上と地底の交流が復活したと聞いたもので」

 レミリアの表情から今度こそ賞賛の色を見て取れた咲夜であったが、素直な賞賛に晒されると一歩引いてしまうのは悪い癖であると反省した。

「当てられちゃったけど、あなたには地霊殿に行ってきて欲しいの。目的は単に挨拶よ、本当はこういう新勢力との顔合わせみたいな仕事はパチェみたいな腹黒いのが適任なんだけど、今回は色々あるから」
「色々、ですか?」
「心を読むらしいのよ。向こうの、古明地さとりだったっけ。まぁ、そいつが心を読めるっていうもんだから、いくら頭の切れる腹黒い奴送っても、意味ないっていうか、逆効果っていうか」

 はぁ、と一つため息をついてから、レミリアはベッドの上で足を組み直した。彼女が真面目な話をする時は足を組む癖があり、それを知っていた咲夜は気を引き締めた。

「まぁ、所詮挨拶よ。心が読めようが知ったこっちゃないわ、挨拶して何が悪いくらいの気持ちで行きなさい。まぁ、挨拶、と言うよりは顔見せかしらね。実は地上には紅魔館っていうのがあるんですよー、的な?それで、地底に対して我々は友好的ですよーって、それとなくアピールするのが一つ。あとは地底の連中が地上に、もっと言えば紅魔館にね、一体どんな感情を持っているか、あなたの感想程度の物で良いから探ってきて頂戴。あぁ、あまり気を張らなくてもいいわ、所詮挨拶よ」

 人差し指を立てながら説明するレミリアに、咲夜は疑問点を質問をする。気を張るなとは言うが、咲夜がこのような仕事をすることは滅多に無い、念には念をと思ったのである。

「わかりました。向こうから質問を受けた場合はどのように答えましょうか?」
「基本的にはケンカにならなさそうな方向に持って行くようにして頂戴。そりゃ手袋投げつけられたり、門前払いされたりしたらその限りじゃないけど。それに何度も言うようにこれは単なる挨拶だもの、向こうもそう突っ込んだ質問はしてこないはずよ、お茶でも飲んで雑談してきなさい」

 本当に重要度の低い、名を覚えてもらう程度の会談なのだなと咲夜は納得した。

「ではもう一つ。地霊殿の主は心を読むとの事ですが、そこに対して何かしら気をつけるべき点などはありますか?」

 その質問を聞くとレミリアはこれ見よがしに顔を顰めた。

「それに関しては特別なアドバイスは出来ないわ。出来るだけ無心で、なんて言ったところで無理だもの。少しでも心を読まれることに不快感を感じれば当然相手に気取られるわ。まぁ、その辺に関しては向こうも慣れたもんでしょうから、逆に気を楽に行きなさい。ただ下手な腹芸は無意味どころか逆効果だから、おべっか使うよりは本心で語った方がいいかもしれないわね。だからさっきから気楽に気楽にって言ってたのよ」

 これを受け咲夜は困った顔を浮かべた。心を読む相手と会話などしたことが無いため当然である。何らかの対処法があればまだしも、それすら無いとなると顔見せ程度とはいえ面倒この上ない。ボロが出ない内に、できるだけ早く帰ってくるのがベストだろうと、咲夜は結論付けた。

「わかりました、直ぐに出発いたしましょうか?」
「そうね、それがいいわ」

 気を取り直して咲夜が聞けば、レミリアもまた普段通りの表情へと切り替え答えた。






 旧地獄への道程は予想以上に順調なものであった。博麗神社裏手にある地底への大洞窟、ここを抜ければ旧地獄へと降り立つことが出来る。あまりにも巨大な縦穴は洞窟らしくじめじめと陰鬱な空気と暗闇に支配された空間であったが、道なりに申し訳程度とはいえ明かりを灯しているようで、道に迷うことも無く進むことが出来た。また、地底の住人達は嫌われ者の集まりであると聞いていたが、その実、その気性は穏やかなものであるのか、地上の人間である咲夜を遠巻きに珍しげに眺める事はあっても襲い掛かってくるようなことはなく、旧地獄までに一度の戦闘も生じる事は無かった。戦闘を見越して、それなりの装備を整えてきた咲夜にとっては肩透かしを受けた気分であった。

 旧地獄へと入った咲夜の目に、まず飛び込んできたものは、壮観な街並みと妖怪で賑わう大通りであった。地上の人里よりよっぽど活気があり、発展していると咲夜は思った。
 事実、その街並みは日の射さぬ地底であるというのに、明るく炎の光に照らされ、それは人里の夜より数段明るいものであった。それはまるで祭りの夜のようであり、咲夜は一度見物に来るのもいいかもしれないと思った。

 地底に栄えた街並みはかなり広大なものであった。抑えているとはいえ、飛んでいる咲夜はそれなりの速度である、その咲夜を持ってして、暗く見通しが悪いことも手伝ってか、十分以上飛行しても地霊殿と思しきものは見当たらなかった。

 これほどの広さの街を持つ妖怪の集団が地上に攻め入れば確かに面倒だ、と咲夜は考えた。同時に自らの『おつかい』が想像以上に重要な意味を持っているのではと考え、緊張は増すばかりであった。

 そうこうしている内に、街外れの郊外と言っても構わない様な場所に、一際大きな屋敷が見えてきた。そこは不思議と存在感が薄く、雑然とした地底の中でぽっかりと空いた空白のような場所であった。

 咲夜にそれが地霊殿であるという確証があったわけではないが、十中八九これに違いないという予感があった。仮に違ったとしても、そこの住人に地霊殿の場所を聞こうと考え、取り敢えず行ってみようと決めた。

 咲夜がその建物に近づいてみれば、建物の全貌が見えてきた。ステンドグラスをあしらった、左右正対称の洋館である。その敷地は紅魔館のそれに匹敵するか、あるいは上回るであろうと想像できた。紅魔館の内部は咲夜の能力で空間を弄り、拡大しているため、そういう意味では紅魔館ほどの広さは無いのであろうが、それでも十分大きな屋敷であると言える。

 ふと正門に目をやると門番と思しき数名のやたらと血色の悪い妖精がこちらを指差していた。咲夜は彼女達の前へと降り立ち一礼した。

「どちら様でしょうか、地上の方とお見受けしますが、地霊殿へ何かご用件でも?」

 紅魔館の妖精メイドよりもよっぽど教育の行き届いた門番達を見て、咲夜は思わず情け無い声を出しそうになりながらも、平静を心がけ用件を告げた。

「はい、地上の吸血鬼であるレミリア・スカーレットの使いの者でございます。この度は地底と地上の交流が再開されたと聞きまして、我が主が是非一刻も早く挨拶をしたいという事でして。主も多忙なものですから、失礼とは知りながらもまずは私を向かわせ、交流の第一歩としたいと思われまして、急ではありますが伺わせて頂きました」

 恐らく紅魔館の妖精の半分は、こんな言葉遣いをしたら意味すら理解できないだろうなと考えながら、咲夜は口を動かした。

 すると門番の妖精達は、少し小声で相談した後「暫くお待ち下さい、主にお伺いを立てて来ます」と言ってから、一人が館の中へと姿を消した。

 しかし本当に良く出来た妖精だなと、咲夜は関心した。血色の悪い妖精に見えるが実は全く別の種族、例えば小人か何かであろうかと考えた。

「失礼ですが、貴女方の種族は妖精なのでしょうか…?」

 相当にぶしつけな質問であったが、普段妖精メイドの纏め役をしている咲夜にはあまりにも不思議な光景だった。無言で突っ立っているのもどうかと思った事も手伝い、つい聞いてしまった。

 門番は、特に気にした様子もなく答えた。

「あ、はい、私どもは妖精の一種に違いありません。でもそうですね、恐らく地上の大半の妖精とは随分と種族的な特徴が違うかもしれません」
「と、言いますと?」

 まさか妖精とこんな敬語で語り合う日が来るとは思っていなかった咲夜であったが、ここは地底であり地上の常識など通用しないのだと自分に言い聞かせた。

「あ、はい、我々はゾンビフェアリーという種族でして」
「ぞ、ゾンビだったんですか?」

 吸血鬼に仕えているだけあって、そういったホラーへの耐性には自信のあった咲夜であったが、あまりに予想外の答えに思わず聞き返してしまった。

「あ、いえ、妖精のゾンビというわけではないんですよ。ただ名称がゾンビフェアリーというだけで」

 そういわれれば、妖精には死という概念が薄いために、生ける屍であるゾンビになるのは難しいはずであると、咲夜も思い直した。

「妖精はそもそも何かしらの現象から生じるのですが、我々の場合は死であるとかネガティブな現象から発生した妖精なので、基本的に他の妖精よりもテンションが低かったり、好奇心が少なかったりと、まぁ、何かとダウナーな気質でして」

 咲夜はダウナーだと優秀になるのだろうかと疑問に思いながらも相槌を打つ。

「なるほど、でしたら地底にはゾンビフェアリー以外の妖精はいないのですか?」
「あ、いえ、普通の妖精もいますよ。ゾンビフェアリーはお燐様。あ、いえ、地霊殿の方なんですけど、その方の部下くらいですね」

 そこで地霊殿の門が開き、先の妖精が姿を現した。

「さとり様がお会いになるそうです、どうぞこちらへ」
「では、失礼します」

 咲夜は地霊殿へと足を踏み入れた。





 地霊殿のエントランスは広くはあるものの、紅魔館の様に空間を歪めていない分常識的な範囲の大きさであった。エントランスの床は赤と黒の市松模様のタイルが敷き詰められており、窓という窓にはめ込まれたガラスは全てステンドグラスであった。それは何とは無く見るものの不安感を助長するような光景であった。

「こちらです」

 門番妖精に先導され、咲夜は正面の扉の奥へと進んだ。扉の先は正面と左右に廊下が伸びる形になっており、各道の壁には扉が並んでいた。

 門番妖精は右の廊下を進み、咲夜もそれについて行った。

エントランスへの扉から数えて三つ目の扉で門番妖精は足を止めた。

「こちらの部屋で地霊殿の主、古明地さとり様がお待ちです、どうぞお入り下さい」

 そう言うと、門番妖精は扉を開き脇に退いた。いよいよ心を読む妖怪との対面かと思うと咲夜の緊張も増すが、あくまで平常心を心がけようと、深呼吸をひとつしてから室内へと足を動かした。

「失礼いたします」
「どうぞ、お掛けになって下さい」

 咲夜が頭を下げつつ入室すれば、想像していたよりも優しげな声が響いた。

 地霊殿の主は女性だと聞いていたが、このように穏やかな声を持つとは想像していなかったため、少し肩透かしを受けた気持ちの咲夜であった。

 咲夜が顔を上げれば、おとなしそうな、優しげな顔立ちをした少女がテーブルを挟んで向こう側の、質素ではあるが落ち着いた雰囲気の椅子に腰掛けていた。

「あら、どのような女傑を想像していたのかしら、期待させてしまったのにごめんなさいね」

 さとりは、上品に笑いながら皮肉とも判別しがたい言葉を漏らす。咲夜はそう言えば相手は心が読めるのだったと慌てた。忘れていた訳ではないが、それまでであったことが無い人種であるために対処法がわからなかったのである。もちろん対処法などは元々無く、ましてや第一印象などと言うものを心に浮かべないということは不可能である。

 咲夜は「申し訳ありません!」と慌てて頭を下げた。事実咲夜の心中は謝罪の気持ちで一杯であり、またさとりに不快な思いをさせてしまったかという怯えも混ざっていた。

 しかし、そもそもさとりとしては、咲夜が緊張しているのを察して口にした冗談であったため、逆に悪いことをしたと反省していた。

「いえいえ、お気になさらず。むしろ褒め言葉に近い印象だったと思っていますから」
「そう言って頂ければ幸いです」

 そう言い再び頭を上げた咲夜であったが、これは最後まで相手を怒らせずに済むだろうかという不安に襲われ、そういえばこの思考も読まれているのだろうと思い、頭を抱えたくなった。

「ふふ、兎も角ようこそ地霊殿へ、当主の古明地さとりと申します、ささ、どうぞそちらへお掛けになってください」
「あ、これはご丁寧に。私は紅魔館の末席に加えさせて頂いている十六夜咲夜と申します。それでは失礼いたします」

 さとりの正面の椅子に着席するよう促された咲夜は、今の一連の流れを水に流すという意味だと受け取り、言われるがまま椅子に腰掛けた。

「この地霊殿にお客さんが来るのは珍しいんですよ、つい半月程前にも地上の巫女さんや魔法使いさんが訪れまして、こんな短期間で三人もお客さんが来るなんて前代未聞ですもの」
「そうなのですか」

 当然さとりの能力ゆえの事である。嫌われ者の巣窟である地底にあって、その地底のものからすらも嫌われたのがさとりの能力である。あの強力な鬼すらも街中で会えば世間話程度はするが、好んで地霊殿に訪れることは無かった。

 咲夜は出来る限り無感情に、脊髄反射で答えるよう気を使った。今の話題の原因にもすぐさま気付いたが、意識せぬよう心がけた。

「そうなのですよ、例えば、十六夜さんは紅魔館に身を置いていらっしゃるそうですが、このような形で地底を訪れるお客さんが増えるのでしょうかね」

 この話題はまだ続くのかと、咲夜は内心頭を抱えた、こうなった以上彼女自ら話題の方向を変えねばならないと決心を決め、表情を引き締め口を開いた。

「そうですね、今回私が訪れたのは、文字通り言う必要は無いのかもしれませんが、親睦を深めるためです。私自身、本日初めて地底の街並みというものを見学させていただきましたが、素晴らしいものでした。隠しても無駄だと思いますから言ってしまいますが、このような力のある勢力とは、万一にも事を構えたくないと考えるものは多いと思います。そのため今回のわたしのように、この地霊殿を訪れるものも多いのではないかと」

 この予想は恐らく事実になるであろうと咲夜は思った。例えば紅魔館が単独で地底とケンカできるかといえば、咲夜には全く自信が無い。地底対地上という形になれば、負けはありえないだろうが、それでも大きな被害を被るだろうと確信していた。

「なるほど、地上と地底の親睦ですか。私個人としては大いに歓迎しますよ」

 咲夜の言葉を受けさとりは語り始めた。

「基本的に私自身が、サトリという種族柄ゆえか荒事には向きませんので、あくまで私個人の思想としては平和主義ですから。地底に住まう妖怪の中には、地上を追われたものも多いので、『何を今更』と感じるものも居るかもしれませんが、そこは責任を持ってどうにかして見せましょう」

 明らかに咲夜の思考を呼んだ上での回答のようであったが、咲夜もそこはとやかく言わないつもりであった。そんなこと以上に、今日の目標をほぼ達成出来たと言っても過言ではない成果に、咲夜は心中安堵のため息をついた。

「まぁ、ただ、鬼のようにただ単純に戦うのが好き、というものも居ますから。そういった方達が個人的に地上の強い妖怪を求めて、なんて事があるかもしれません。そちらは正直手に余る部分がありますけど」
「そういった連中は地上にもおりますので、案外似たもの同士仲良くやってくれるかも知れませんよ」
「だといいのですが」

 そう言い二人は苦笑しあった。

「それでは、早速この朗報を主人に報告しようと思いますので、これでお暇させて頂きます」
「あぁ、お待ち下さい」

 席を立とうとした咲夜を引き止めるように、さとりは声をかけた。

「地底に訪れたばかりでお疲れでしょうし、もしよろしければ今暫しゆっくりとお茶でも飲んでいってください。当然、急ぎの要件などがあるのでしたら話しは別ですが」

 これを聞き咲夜は不覚にも返答に窮した。彼女に急ぎの用などは無い。確かに、紅魔館の運営という意味では咲夜が早く戻ることに越したことは無い、だがそれは決して誘いを蹴ってまですることではない。

 だが、咲夜としては、折角ここまで上手くこなしてきたのである。これ以上留まって、さとりを怒らせるような事があれば目も当てられない。

 しかしこういった思考も読まれていると咲夜が気付いた時、最良の選択肢は一つしか無いことにも気付いた。

「あぁ、申し訳ありません、気を使わせてしまいましたね」

 済まなそうなさとりの声を聞き、咲夜は「あっ、いえ…」と口を開こうとした。しかしそれを遮るようにさとりは話を続けた。

「地霊殿の外の方、特に地上の方とお話出来る機会というのは本当に少なくて、私も少々浮かれていたようです。もちろんこの先の歓談に付き合ってくださるとしても、相手は地霊殿の主としての私ではなく、一妖怪である古明地さとりです。万が一、この先何があろうとも外交的な部分に支障をきたすことは無いと断言します」

 そこまで言われれば、咲夜も流石に断ることは出来なかった。

「そうおっしゃるのでしたらもう暫くお邪魔させて頂きます」

 そう言い咲夜は椅子に深く座りなおしてからティーカップに手を伸ばした。



 ティーカップから口を離し、咲夜は口を開いた。

「しかし、私などと話をしても、それほど面白い時間にはならないかもしれませんよ?」

 その言葉のトーンは先程までより幾分砕けた、冗談めかしたものであった。さとりがこれから望む会話とは堅苦しいものでは無いだろうという咲夜の配慮によるものである。

「いえいえ」

 さとりは両手を振りながら答えた。その仕草はいかにも少女といった風情があった。咲夜はこれが地霊殿の主という仮面を脱いださとりなのかと感じ、その表情を緩めた。

「こう言ってしまっては失礼かもしれませんが、外の方と話すという事自体が私にとっては大きなイベントなのです」

 暗に会話の相手は咲夜でなくても構わないと言っているような内容であるが、咲夜は特に気にしなかった。咲夜に心を読む力が無くとも、さとりが心から会話という行動を望んでいるという事を理解できた。

すると、一瞬の間を空け、さとりは口を開こうとし、顔を顰めながら口を閉じた。

「どうしました?」
「い、いえ、紅茶が冷めてしまったなと思い、淹れ直させましょう」

 そう言い、さとりは扉に向けて声をあげる。確かに紅茶の温度は下がっていたが、咲夜の基準から見ればわざわざ淹れ直す程のものでもなかった。露骨な話題転換であったが、咲夜はわざわざ尋ねようとはしなかった。

 扉を開け、トレイを持って現れたのは猫の妖怪と思しき赤髪の少女であった。失礼しますと一言告げ、手際良く紅茶を淹れ直す。

「あぁ、調度良いわ、十六夜さん、この子は火焔猫燐といって、私のペットです」
「火焔猫燐といいます、本職のメイドさんから見たら拙いと思いますけど、簡便してくださいね」
「これはご丁寧に、それにしても、ペット…ですか?」

 お辞儀をしながら自己紹介をする妖怪をペットというさとりに、咲夜は違和感を感じた。人型の妖怪にペットという表現はあまり耳にするものではない。

「いえ!その、お燐は元々私のペットの猫で、長く生きている内に人型を取るようになった経緯があるので、それに今でも特に仕事が無ければ猫の姿でいますしね」
「そ、そうでしたか、申し訳ありません、ペットという言葉があまり聞き慣れないものでしたので」

 咲夜の心の声を見たさとりは、慌てて訂正に入る。他人の悪意などには慣れたさとりであったが、このようなことで人格を疑われては堪らない。

「あはは、確かにペットって響きは、なんていうかアレですもんね。妙に背徳的な感じもしますし」
「お燐!」

 叱るような声をあげるさとりの声に笑いながら謝りつつ、お燐は部屋から出て行った。その光景を見た咲夜の表情は自然と微笑みを浮かべていた。

「お恥ずかしい所を」
「いえいえ、最初はペットなんて聞いて少し驚きましたが、言葉の表現が違うだけで、仲の良い主従なのだなと納得いたしました」

 少し顔を赤めたさとりに、咲夜は言葉を返す。

「そう思っていただければ嬉しいです」

 顔色を取り繕いながら言うさとりを見て、咲夜はやはりこの人は素直な善人なのだなと思った。

「ふふ、むしろ安心しました。実際に地底にやって来るまでは、実は恐怖のようなものもあったのですよ。地底は凶悪な能力の妖怪で溢れていると聞きましたし、ましてや地霊殿の主は心を読むサトリ、一体どのような荒んだ世界が広がっているのだろうと。あっ誤解しないで下さい。実際にこの目で見た今では当然思っていません、ですが地底に下りてくるまでの私は本当に失礼な話ですがそう思っていたのです」

 咲夜はそこまで言って、紅茶をすすった。そしてティーカップをテーブルに置くと、目を細め、言葉を続けた。

「ここは、地上の大半の場所よりもよっぽど穏やかな時が流れているのかもしれませんね。地底の方々は少し強力な力を持った普通の方々なのでしょう、特別に恐れる必要なんてありはしないのかもしれませんね」

 咲夜が語る最中、既に嬉しそうな顔をしていたさとりは、咲夜の言葉を最後まで聞いてから口を開いた。

「そう言って頂けると嬉しい…いえ、救われます」



 その後も暫く語り合った二人であったが、咲夜はそろそろ出発しなくては夕食の準備に間に合わないと考え、さとりにそう告げた。

「随分とお引止めして申し訳ありませんでした」

 見送りのためにエントランスまで来たさとりは軽く腰を曲げながらながら言った。

「いえ、私もついつい時間を忘れ、楽しい時間を過ごさせて頂きました、それでは失礼いたしました」

 咲夜はそれより少し深くお辞儀をし、さとりに背を向け地霊殿の扉を潜った。

「あの…」

 さとりは飛び立とうとした咲夜を呼び止める様に声を掛けた。口に出してすぐに、そんな自分に奇妙な情けなさを感じ、さとりは少し顔を顰めた。

「はい?」と振り向きながら問う咲夜にその表情を悟られぬよう、さとりは表情を繕い言った。

「いえ、是非また遊びに来てください」

 さとりの言葉はその文面だけではただの社交辞令であると取れた。しかし、咲夜がさとりの頬に赤らみを見て取った時、初めはその意図を読みきれず困惑した。だがしかしと、地霊殿への来客は少ないということを咲夜が思い出したとき、その言葉がさとりの本心からの願いなのではという考えに至った。一度そう考えればその取り繕った表情が、咲夜にはとても可愛らしいものに見え、自然とその顔には微笑みが浮かんだ。

「はい、もちろんまたお邪魔させて頂きます」

 この言葉もまた、社交辞令と取られてもおかしくない文面である。しかし、咲夜の心を読めるさとりにとっては、その言葉が嘘偽りの無い真実であると理解できた。さとりの表情はその真実に少しの驚きを浮かべた。それを確認した咲夜は再び踵を返し、今度こそ大地を蹴り飛び立った。






 咲夜が紅魔館に戻ったのは夕方頃であった。手近な妖精にレミリアの所在を聞いた咲夜は、すぐさまレミリアが居るというレミリアの自室へと足を運んだ。

「失礼します」
「入りなさい」

 部屋の中にはパチュリーの姿もあり、二人は一つのテーブルに座り本を読んでいた。美鈴の持ち物であろうか、十冊ほど積みあがった漫画を読んでいたレミリアは入ってきたものが咲夜であると確認すると漫画を閉じた。

「どうだったかしら?」
「はい、地霊殿は我々紅魔館、もっと言えば地上との友好に前向きな考えを示し、地底の妖怪達をその方向で纏めて行くつもりだとのことです」
「あら、良かったわ。ゴネた様子とかは無かったの?」
「地霊殿の古明地さとりは平和主義的な思想を持っているようで、少なくとも今日話した内容を聞いた段階では全面的な賛成を示しておりました」

 ふーん、と頷いたレミリアは未だ本に目を落とすパチュリーに、頬杖をつきながら視線を移した。

「パチェはどう思う?」
「そうね」

 本から視線を離さずパチュリーは答える。

「まぁ、信用できるんじゃないかしらね」
「どうしてかしら?」
「迫害されて地底にこもって、能力のおかげで地底でも疎まれて、それでも気性の荒い妖怪連中を押さえつけてまで今まで大人しくしていて…今更地上にどうこうしようって気は無いと思うわ。やるならとっくにやってるわよ」
「だからこそ、という事はないのかしら?だからこそ今、油断させて攻めるとか」

 レミリアの言葉を聞き、パチュリーは本にしおりを挟み、気だるげな様子で言った。

「それこそ無いわ、考えて御覧なさい今と昔、どっちの方が地底を意識してた?地上が地底に対して油断してたなんて筒抜けよきっと」

 そもそも、と付け加え、パチュリーは更に話を続ける。

「地底がいくら戦力を持っていても、幾らなんでも地上とドンパチやって勝てるはずが無いのよ。数の利もこっちにあるし、八雲紫をはじめとして風見幽香だなんだと強力な妖怪にも事欠かないわ。だからあの女は絶対に地上と事を構えたりはしない。万一とんでもない奇跡が起きて、地底が勝った所で待っているのは幻想郷の消滅よ、地上のトップが八雲紫である限りね」

 そこまで話すと、パチュリーは再び手元の本を開き、それに集中し始めた。

「ふーん、なるほどね。ちなみに咲夜、あなたの意見を聞かせてちょうだい。個人的な感想程度で構わないわ、古明地さとりは信用できるかしら。いえ、好きだ嫌いだ程度でも構わないわ」

 話を振られた咲夜は、数秒目を閉じ考えてから口を開いた。

「信用、出来ると思います。あくまで、あくまで個人的な感想程度に受け取って下さい。古明地さとりは常に温和な物腰で、初対面でその能力に恐れを抱いていた私の緊張を冗談で解してくれるほどに淑女でした。個人的な友誼を結びたいと思うほどに好印象な方でした」

 レミリアが「あら、ビックリするほど好意的な意見ね」と言った時、本に目を落としていたパチュリーが訝しげな目を咲夜に向け、割り込む様に口を開いた。

「個人的な友誼?あの性悪と?」

 信じられぬ言葉を聞いたと言わんばかりのパチュリーに、「はい?」と咲夜が問い返す。

 それを無視するようにパチュリーはこめかみに指を当て視線を伏せた。それでいてその視線は手元にある本の文字を追っているようにも見えず、口はその場の誰かに向けてというわけでもなく動いていた。

 そんな様子のパチュリーを眺め、困り果てた様子の咲夜が助け舟を求めてレミリアの方を向いたときである。「ねぇ」と、パチュリーは先程と寸分変わらぬ姿勢のまま口を開いた。

「あなたは、あの女、いえ、ごめんなさいね。古明地さとりとマトモに会話が出来たの?」
「と、申しますと?」
「あぁ、そう、出来たのね」

 質問の意味がわからないと言いたげな咲夜を見て、パチュリーは納得をした。その様子を見て咲夜はますます混乱するばかりであった。

「あの、申し訳ありません、どういった意味だったのでしょうか?」
「ん?そうね、私と、っていうか魔理沙とね、同じ経験をしたのなら、今の言葉の意味がわかるはずだから。口が裂けても個人的な友誼なんて言えないわ」

 だから納得したのだと、パチュリーは言った。

「私たちが古明地さとり、あぁもう、面倒臭いわね。あの女と出会ったとき、あの女はこちらの言葉を待たずに心を読んで、それに答えてくるの。例えばあの女を見て、『誰だこいつ?』と思ったら、あなたは誰ですか?って声に出して聞く前に自己紹介を始めるのよ」
「な、なるほど」
「しかも、これは後から聞いた話なんだけども、誰に対しても基本的にはそういう態度を取っているらしいわ。だから不思議だったのよ」

 確かにそれでは避けられてしまうだろうな、と咲夜は思った。

「思い返せば確かに、何度かこちらが話し始める前に口を挟もうとした気配はありましたが、抑えているようでした。やはり、地上勢力からの使者だったからでは?」
「うーん、そうなのかしらね…でも鬼に対してすらそういう態度らしいし…」

 咲夜が、再び思考にふけり始めたパチュリーをどうしたものかと思っていると、それまで黙って二人を眺めていたレミリアがニヤニヤと笑いながら口を開いた。

「気になるの?」
「え、それは、まぁ…」

 重要な使者だからという理由だけであれば、それは寂しい話であるかもしれないと、この時咲夜は考えていた。何故自分が古明地さとりという妖怪にここまで入れ込んでいるのかという疑問は、咲夜には浮かばなかった。

「じゃあ知恵を貸してあげましょう」
「知恵と仰いますと?」
「簡単よ、もう一回地霊殿まで行けば良いのよ。今度は使者としてではなく、個人的に知人に会いに来たって形で」

 人差し指を立てながら説明するレミリアに、咲夜は珍しくレミリアに対し渋い顔をした。

「しかし、それで普通の会話が出来たとしても、未だ使者として扱っているだけかもしれないのでは?」
「その時はその時よ、直接聞いちゃいなさい。そう言えば知り合いがこんなこと言ってたんですけど、どうして普通に話してくれるんですか?ってね」
「はぁ、なるほど」

 咲夜にとってそれはあまり良い案とは思えなかったが、元々機会があれば再び訪れたいと思っており、その機会の見極めが難しいと思っていたため渡りに船でもあった。相手に厚かましいと思われないタイミングの見極めというのは自分には不可能であろうと、咲夜は考えていたた。それ故、これを大義名分に地底を再訪しようと心に決めた。

「では、次の休日にでも再び地底へと潜ってまいります」






 咲夜が初めて地底を訪れた日から十日が過ぎていた。この日、咲夜は地霊殿まで足を運ぼうと決心していた。

 咲夜の休日は週に一度である。つまりもっと早く再訪の機会はあったものの、前回の訪問からあまり時間を置かないのも迷惑であろうと考え、今日まで予定を先延ばしてきたのである。

 今回の地底訪問に関して、咲夜が最も困ったのは服装である。咲夜のクローゼットの中には、同じデザインのメイド服が何着も入っている反面、私服の類の服装は少なかった。

 別にメイド服で訪れても問題は無いのだが、今回は紅魔館の使者としてではなく十六夜咲夜個人として扱ってもらう事が咲夜の目的であった。そのため、メイド服という選択肢は避けたかった。

 しかし、そのほかに咲夜の所有する服となると、美鈴がどこからか持ってきたやたらにポップな、あまりにカジュアルすぎる服が数点か、冠婚葬祭用のパンツスーツしかなかった。

 どうしたものかと悩んだものの、流石にカジュアルすぎる服は失礼と結論付け、スーツのスラックスに、ワイシャツ、何処から見つけてきたのかやけに派手な色のネクタイを付け、着崩して着て行くことにした。

 メイド服以外に袖を通す機会が極端に少ない咲夜は、少しセンスがズレていた。

 咲夜はそんな姿で地底の街並みを眺めながら飛翔し、たどり着いた地霊殿は相変わらず気配が薄い空間であった。

「あ、これは、先日の」
「十六夜咲夜と申します、先日はどうも」

 門番のゾンビフェアリーは咲夜の顔を覚えていたらしく、地上に降り立った咲夜に声を掛けてきた。

「本日のご用件は?」
「古明地さとりさんに取り次いで頂けますか?今日はプライベートに訪れただけですので、お忙しいようでしたら決してお気になさらず、とも付け加えて下さい」

 それを聞くと、門番は妙な顔をしてから、「プライベート、ですか?」と聞いてきた。

「はい、えっと、やはりお忙しいのでしょうか?」
「あ、いえ、すぐに」

 門番はそういうと、別のゾンビフェアリーに視線で、『行け』と合図した。

「先ほどは申し訳ありません。普通のお客さんですら珍しいのに、プライベートな用件で訪れたなんて方は、それなりに長く勤めておりますが初めてだったもので」
「いえ、お気になさらず」

 それもそうだろうと、咲夜も感じた。仮に紅霧異変以前に業者でもなんでもない人間が、個人的にレミリアを尋ねてきたとしたら咲夜でも驚くだろう。ましてや地霊殿ともなるとより一層であろう。

 咲夜がそんなことを考えていると、扉が開いた。咲夜は前回訪れたときよりも随分と早いなと不思議がり、そして、扉から出てきた顔を見て驚いた。

「まさか本当に、それもこんなに早く遊びに来てくれるとは思いませんでした。歓迎しますよ」
「い、いえ、ご迷惑かとも思いましたが」

 仮にも地底のまとめ役だろうに、咲夜の出迎えのために門前まで出てきたさとりに、咲夜は妙な罪悪感すら感じた。いいのだろうか、という疑問を口に出せないまま咲夜はさとりの顔を眺めた。

 すると、さとりはさとりで、咲夜の心を読み気を使ったのか、恥らうような微笑を浮かべて言った。

「迷惑なんてとんでもない。普段は地霊殿の主として、正直重圧を感じていますから。今日はせっかく個人的な知人として遊びに来て下さったのですから、立場を忘れて、年甲斐も無くはしゃいでしまいます」

 咲夜の胸の内には、こうまで良く接してくれるのだから、やはり使者云々は関係無いのではないだろうか、という思いが生まれていた。どちらにしろ、この件は玄関先で立ち話するような事でもないだろうと結論付けた。例え、今この瞬間、その思考が相手に筒抜けであったとしてもである。

「どうぞ、遠慮せず中にお入り下さい」
「それでは、失礼します」

 さとりは思考を読んでいることへの肯定であるかのように、タイミング良く中へと案内する。そして咲夜も、その事には触れようともせず、さとりの後を追った。



 相変わらず目に優しくない内装だなと感じながら、咲夜はステンドグラスからの光に照らされた市松模様のタイルを眺める。室内に入ればごく普通の彩色であるのに、何故廊下などはこのように統一しているのかが不思議であった。

『ちなみにどうしてなんです?』

 咲夜は心の中で問いかけた。これは、咲夜にとって一つのチャレンジでもあった。例え、返答が来ようがそれで何かが変わるわけではないが、咲夜にとってはある程度の覚悟を伴う問いであった。

「内装ですか?父の趣味でしょう。地霊殿自体私が幼い頃に両親が建てたものですので、聞いた話ですが。なんでも、母と散々揉めた挙句、個室に関しては普通の装飾でという折衷案がまとまったらしいですよ」
「そうだったのですか。紅魔館も人のことを言えない、奇抜なつくりですから。一面真っ赤で窓は殆どありません。力の強い存在とはそういうものなのですかね」

 歩みを止めず、背を向けながら事も無げに答えたさとりに、咲夜は極力平静を装いながら返した。なるほど、確かにこれは奇妙な感覚だと咲夜は思った。

 そして同時に、まるで文化の通じない異国に居るような、違和感ともいえる感慨を抱きながらも、決してそのことに対し不快感を持ってはいない自分に気付いた。

何故そこに不快感が無いのか、それは咲夜自身にもわからなかった。



「どうぞ、お入り下さい」

 咲夜は先日さとりと会った部屋へと案内された。好きに座って言いと告げられた咲夜は、先日と同じ席に腰掛けた。

「飲み物を持って来ますね、コーヒーで良いですか?あ、それともやっぱり紅茶のほうが良いのかしら?」
「あ、すみません気を使わせてしまって、コーヒーで構いません」

 さとりが部屋から出て行った後も、咲夜は館の主にコーヒーを持ってこさせても良いものだろうかと悩んだが、こういった持て成すという行為も楽しみの一つなのだろうと自分を納得させた。

 暫くして、トレイにコーヒーと砂糖、ミルクを載せてさとりは戻ってきた。

「ありがとうございます」

 咲夜はコーヒーの香りを嗅いでから、口をつける。それは苦味と酸味、そして甘みがバランスよく味わえる大した一品であった。

「あら、おいしい」

 コーヒーに詳しいわけではないが、個人の趣味のレベルとしては相当なものであろうと咲夜は感じた。

「ふふ、中々のものでしょう」

 そう、嬉しそうに話すさとりも、カップに口をつける。

「これは負けていられませんね、機会があれば私も紅茶を披露したいところです」
「それではどちらがホストだかわかりませんね」

 そういって二人は笑いあった。その空間が、やはり咲夜には居心地が良かった。咲夜もさとりも話し上手なわけでも、冗談が上手いわけでも無かったが、その穏やかな空気が咲夜には心地よかった。

 暫く二人で、近況などを話した。ペットの鴉にお使いを頼んでまともに帰ってきた事が無いだとか、主人の友人の実験で館の一角が崩れただとか。それらは他愛のない話しであったが、互いに楽しく語り合っていた。

 そうこうしている間に、咲夜の中で今回地霊殿を訪れた目的に対しての不安は薄れていた。今なら自然に聞くことが出来ると、咲夜は思った。

「そう言えば」
「はい」

 これから言おうとしている言葉は、さとりには言葉に出すまでも無く、それこそ門前で一目見た瞬間から伝わっているのだろう、そう咲夜は思った。それでもあくまで咲夜から問いかけるまで、待っていてくれた事に咲夜は感謝した。

「紅魔館にはパチュリー・ノーレッジ様という魔法使いがいて、先日の異変の際に間接的にとはいえ、面識があるそうですが、古明地さんは覚えていらっしゃいますか?」
「モノクロな魔法使いさんと、念話だったかしら?ともかく遠くからお話ししていた方ですよね」
「はい、そのパチュリー様が仰るには。古明地さんはなんと言うか、人の話を耳で聞くことはせず、先手を打って心から読み取った言葉に返答すると聞きました」
「なるほど」

 さとりは目を閉じ苦笑した。しかしその第三の目は閉じられることはなくしっかりと咲夜を見据えていた。

「そこで…」

 途端、さとりの顔からは表情が消え、無表情に語り始めた。

「『私と話す時は、私の口から言葉を聞くまで待っていてくれるみたいだが、それは紅魔館の使者だからなのか?』ですか。結論から言いますと違います。こんな感じではなくですね」
「…はい」

 咲夜には、さとりがここで実践してくるとは考えていなかっただけに、少しの動揺があった。

「もう一度言いますが、それは関係ありません。知っての通り、私は鬼に対しても。失礼、十六夜さんの心を読んだ情報です。妖怪としての格も、単純な武力でも圧倒的に格上な、鬼に対しても先ほどのような形でお話ししています。あなたが十六夜さんだから、所謂普通の会話の形式を取っています」
「それは何故でしょうか」
「聞きたいのですか?」
「是非」

 ことこの場に至って、思わず表情に緊張の色が混ざる咲夜に対し、さとりは無表情を貫いていた。

「お友達になりたいと思ったからです、他の誰でもない十六夜さんと」
「友達ですか?古明地さんが私と?」

 前回会った時は頻繁に顔を赤らめていたさとりである。このような、照れ臭い言葉を口にするのに無表情でいられるのは、今日自分を一目見た瞬間から覚悟していたからなのだろうかと、咲夜は心中疑問に思った。しかしそれに対しての返答は無かった。咲夜にはそれが、あくまで自分と話す時は『普通』の会話をするというポリシー故なのか、それとも照れ臭いからなのかの判別は出来なかった。

「詳しくは、今はまだお伝えできません。ずるいとは思いますが、それを打ち明けるには、未だ私の心の整理が付いてはいません。ただ驕りではないのであれば、私はサトリという種族の特性上、その人の人となりを本人以上に知ることが出来ると思っています。その人の、自分の知らない自分すらも理解できる、それがサトリだという信念があります。十六夜さんとならば、きっといい関係を築ける、いや、この人を逃せば次に縁のある人と出会えるのは何時になるかわからないという」

 ここでさとりは言葉を区切った。その無表情には変化が現れ、眉間には小さな皺が刻まれた。

「醜い、本当に醜い打算ゆえにです」

 このときのさとりの心中はどういったものであったのか、サトリではない咲夜にはわかる筈は無かった。

 数秒の時が空いた。

「私はこの空間が好きです」

 咲夜は静かに話し始めた。

「私の心が安らぐ空間であると思っています。肩肘を張ることなく過ごせる時間だと思っています。そしてもし、お互いにそう思っているのであれば、それはもう、友達なのではないでしょうか」
「しかし」

 その言葉を受け、さとりもまた眉間の皺を深くしながらもポツリ、ポツリと口を開く。

「しかし、やはり私はずるいです。私が告白している間、私は全身の血が冷たくなり体の芯が冷え込むような恐怖と、視界が狭まり普段気にならない時計の音すら耳に付くような緊張を感じていました。しかし、話し終えた時には、十六夜さんの言葉を待つまでも無く安堵の気持ちに包まれていました。醜いなと、自覚しました」

 暗に自分は心を読める嫌われ者なのだというさとりに、咲夜は微笑みかけた。

「いいじゃないですか、それでも私の言葉を待ってくれた『さとり』さんが、私は好きです」

 さとりは、その言葉を聞いた時、驚いた表情をした。それは、咲夜が初めて見るさとりの本当の驚き表情であった。

「言葉とは、いいものですね。心の中ではずっと『さとり』と呼ばれていましたから、口に出されるまでわかりませんでした。こんなことは久しぶりです、予測していた台詞とは違う台詞が聞けるなんて。口に出す呼び方が変わるだけでこんなに嬉しいなんて」

 そしてさとりはやっと表情を崩した。

「お友達になりましょう、『咲夜』さん」






 それから二月ほどの時が経った。その間、咲夜は休日の度にとは言わないが、かなりの頻度でさとりのもとを訪れた。

 四度、五度と地霊殿へと通っているうちに、二人の絆はより深い物となっていった。咲夜もたまに見かける地霊殿のペット達、特に火焔猫燐や霊烏路空等とは親しくなり、お燐お空と呼ぶようになっていた。

 そしてその日もまた、咲夜は休日を利用してさとりに会う為地底へとやってきていた。

「そういえば、第三の目ってゴミが入ったりしたらやっぱり痛いんですか?」
「あぁ、痛いですよ。」

 さとりが煎れたコーヒーを片手に二人は雑談に興じる。二人が会うときは、大体一回毎に、今日はさとりの淹れたコーヒー、今日は咲夜の淹れた紅茶をといった具合にローテーションを回して楽しんでいた。

「見えてるものが違うだけで、基本的には普通の目と一緒ですから。だから目を擦ったり、寝起きとか、そういう時は視界がぼやけると言うか、心が読みにくいですね」
「読みやすい読みにくいなんてあるんですか?」

 さとりの返答は咲夜には予想外のものだった。

「えぇ、なんというか、表面的な大雑把な思考というか感情というか、とにかく正確な情報じゃないんですよ。例えばババ抜きで、一番右がジョーカーだ!と強く念じられるとそれしか読めないって感じですかね。普段はそれが嘘だってところまでわかりますけど。説明しにくいですね」
「そういうものなんですか?それはちょっと、というかかなり興味あります」

 以外に強い興味を示した咲夜にさとりは苦笑した。

「じゃあそうですね、他にも例を挙げてみましょうか。例えば目の前の人がその時幸福感を抱いていたとします。その理由は、長年連れ添ったお嫁さんとの間に中々子供が出来なかったけど、先日等々子宝に恵まれたというものです。これが、ぼやけた視界ではとにかく『幸せだ!』ということしか伝わって来ないで、理由まではわかりません」

 中々説明するのは難しいですね、とさとりは付け加え少し困った顔をした。その様子を見て咲夜は笑いながら言った。

「いえいえ、よくわかりました。さとりさんとギャンブルをする時は寝込みを襲います」
「よしてくださいよ。普段この目に頼りきってる分、勝負勘は酷いものですから」
 そう言い二人で笑いあった。



 その後も数時間ほど他愛のない話しをした頃、咲夜はそろそろお暇するとさとりに告げ、席を立った。

 門へと向かう廊下を二人で並んで歩いている時である。ふと、ほんの数メートルほど先に一人の少女が無表情に立っていることに二人は気付いた。

 咲夜はその少女を不信に思った。つい先程まで、そこに人の気配は無かったのである。流石にそこまで近づかなければ気配に気付けないほど、自分は耄碌していないはずだと考え、ならばこの少女の力であろうと察した。、

「こいし」
「お姉ちゃん、お友達も一緒なのね」

 こいしと呼ばれたその少女を見て、咲夜はこれが時たま話に出てくるさとりの妹かと理解した。

「妹さんですか?」
「えぇ、紹介します、妹のこいしです。ほら、こいし」
「どーも、こいしです」

 こいしはまるで気のない挨拶をしてジロジロと咲夜を見た。そのどうにも居心地の悪い視線に咲夜がどうしたものかと考えていると、さとりが口を挟んだ。

「こいし、お客様に失礼でしょ」
「はーい」

 そう言った矢先、こいしはその場から文字通り姿を消した。呆気にとられる咲夜にさとりが説明する。

「妹の能力です、その場にいるのに決して気付けない。そんな道端の小石のような状態に自分を置くことが出来る能力です」
「なるほど」

 それは怖いな、と咲夜は思った。この能力の前には、気を操る能力を持つ美鈴ですらその気配を察知出来ないのではと考えたからだ。

『紅魔館にとっては天敵かもしれない、お嬢様の命を狙われたら危険だ』

 そう考えて、ふと隣にさとりが居ることを思い出し、咲夜は頭を下げた。

「失礼しました」
「いえ、それもお仕事でしょうから」

 そう言ってさとりは歩を進めようと促した。

 再び歩き始めてから、さとりは口を開いた。

「妹が失礼な態度を取ってしまいましたが、どうか気を悪くしないでください。普段は放浪癖こそあるものの良い子なんですが」
「いえ、気にしていませんよ」

 咲夜の言葉は本心からのものである。姉と話す見知らぬ人間に過剰に警戒してしまったのだろうと判断していた。

「妹さんも心が読めるのですか?」
「いえ…」

 急にさとりの声のトーンは低くなった。これは地雷を踏んだかと、咲夜は自分の迂闊さを呪った。さとりと知り合って以来、所謂地雷を踏む事は少なかった為に油断していたのかもしれないと反省した。

 つい謝罪しようとした咲夜の言葉を遮るかのように、さとりは話し続けた。

「こいしは目を閉じてしまいました。あの子はサトリとして生きるには優しすぎた。でも、それはサトリとしては死んだようなものです。その果てが、あの、誰にも気付かれない能力です。あの能力を初めて見た時、震えました。そこまで自らの能力を恨んでいたのかと。嫌われる位なら誰にも相手にされぬ路傍の石になりたかったのかと。あの子が再び目を開けてくれるなら、どんなことだってしたいと思っています」

 ちらりと眺めたさとりの横顔は、咲夜がそれまでに見たことのない険しいものだった。

「もし私の命を差し出せば、神があの子に目を開く強さと勇気を与えてくれるのなら、私は喜んで命を差し出します」

 その後、門へと辿り着くまで二人の口が開くことはなかった。



「では、失礼します」
「えぇ、先程はすみません。空気を悪くしてしまいましたね。これに懲りず是非またいらしてください」
「もちろん」

 その時、さとりの表情にはある種の覚悟であるとか、あるいは緊張の色が見て取れた。そこまで気にしなくても、こんなの事で来なくなるはずが無いのにと、咲夜は苦笑いをした。





 それから一週間後、咲夜は再び地霊殿を訪れた。

 その日、何気ない気安さで地霊殿を訪れた咲夜であったが、さとりの顔を見た瞬間、咲夜は前回別れた時以上の覚悟と緊張を見て取り、これは何か事件でもあったかと妙な不安感に包まれた。

「お掛け下さい」

 椅子に腰掛け、ふと咲夜がテーブルを見ると、既にコーヒーが用意されていた。別段それに不自然なところはない。だが今まで一回毎に紅茶、コーヒーと飲みわけてきた二人にとって今日は『紅茶の日』であるはずであった。普段であれば特別疑問にすら思わなかっただろう。だが、さとりが纏うその雰囲気のせいもあり、そんな些細なことが妙に気になった。

「今日は紅茶ではないんですね」

 咲夜は軽く探りをいれてみた。咲夜の心を読めるさとりである。何気なく促せば、話せることであれば話してくれるだろうと考えての事であった。

「今日は真剣な話があるもので、咲夜さんに紅茶を淹れさせるのもどうかと思いまして」
「真剣な話、ですか」

 先日出会ったこいしに纏わる事であろうか、と咲夜は考えた。

「こいしは関係ありません。いえ、全く関係ないと言えば嘘になりますね、あの子も今日このことを打ち明けようと思った理由の一つです。ですが結局、いずれ話さねばならぬことではあったのです」

 咲夜の心を読んで発言したさとりに、咲夜は少し驚いた。普段意識して戒めていた行動を出来無い程に、今のさとりは緊張しているのだと気が付いたからである。

 すると、その心も読んだのであろう、顔を顰めさとりは謝罪した。

「申し訳ありません、気が急いてしまいました」
「いえいえ、お気になさらず」

 そう言い、咲夜はコーヒーに口をつけ、聞く準備は出来たぞとばかりに姿勢を正した。

「咲夜さんは以前、なぜ私が自分と仲良くなりたいと思ったのか。そう質問したことがありましたね」

 思わぬ切り口から始まった言葉に、咲夜は拍子抜けした気分であった。たしかにそういった類いの事を打ち明けるのは恥ずかしいだろうなと、苦笑まで出そうになったが、それは堪えた。

「えぇ、確かに聞いたことがあります。今日はとうとう打ち明けてくれるんですか?」
「そのつもりです。そしてこれは、私の卑屈さの告白です」

 そういえば、前回のさとりが自らの思考を語った時も自分を醜いと言っていたなと、咲夜は思い出した。少しさとりは自虐が過ぎるのかもしれないとも思った。

「単刀直入に言えば、咲夜さん、あなたは自らを極端に孤独だと感じています」

 その瞬間、咲夜の体はビクリと震えた。しかしそれは咲夜自身も何故震えたのか理解出来ないものであった。自分の体を不思議に思いつつも、さとりの発言が理解できず、咲夜は聞き返した。

「孤独、ですか?私が?」
「はい」

 まさか、と言ってから咲夜は口を開く。さとりは真剣に話しているのだからそれに応えようと、咲夜はその表情を締めなおした。

「私には紅魔館という家。従者ごときが家というのもおこがましいですが、私はそう思っています。私にはそんな家もあるし、仕えている主の事も心から尊敬しています。その妹様も少し気難しい方ではありますが、その分無邪気でとても可愛らしい方です。主のご友人の方も館にはいますが、その方も中々ユニークですし、従者にすぎない私にも色々気にかけてくれます。門番を務めている部下も幼い頃から良くしてくれて、決して悪い関係ではないと思います。」

 そこまで言うと、咲夜は一呼吸おいて、コーヒーを口に含んだ。

「流石に、私自身が恵まれた存在だというのは気づいています。私が孤独だというのなら、孤独ではない人というのを探すのは少々難しいかと」

「でも、誰にも心を開けない」

 ガシャンと、咲夜の手の中の、丁度テーブルに置こうとしていたカップが大きい音を立てた。それも、咲夜にはなぜそんなに力が入ってしまったのか理解できなかった。

「どういうことでしょう?」
「確かにあなたは良い方々に囲まれています。敬愛する主君であったり、母、あるいは姉代わりの門番さんでしたり。その他の、あなたの周りの方々もきっと良い人たちなのでしょう」

 そう言うと同時に、さとりの表情に変化はないものの、咲夜は自分を見つめる視線が強まった気がした。

「しかし、その主君には決して弱い部分を見せれない。それは心から尊敬しているから。失望されたくない、その一心で完璧を目指し続けている。門番さんも、幼い頃は甘えたり、依存したり出来たでしょう。でも今では貴女のほうが立場は上、決して部下に弱みは見せることはできない」

 いつの間にか、咲夜は無意識のうちに、居心地の悪そうな、落ち着きのない様子を仕草として表に出していた。その表情も強張ったものとなり、意図せずさとりを睨みつけるような表情となっていた。その姿を表情ひとつ変えず眺め、さとりは再び言った。

「貴女は誰にも心を開けない。それゆえ、無条件で心を開ける相手を渇望している。それゆえ、あなたは初めて私とあった時から、私の能力に忌避感が少なかった。あるいはこの女ならという希望が、この女になら無条件で依存できるのではないかと、心の最も深いところに少なからずあったから。それが私があなたに目をつけた理由です」

 その瞬間、咲夜は椅子から立ち上がった。それもまた咲夜にとっても無意識の行動であった。気がついたら体が動いていたと言っても良い。自らの行動に呆けた顔をした後、咲夜は早口で言った。

「えっ、あっ。す、すいません、今日はちょっと帰らせて頂きます」

 そう言い、足早に、逃げる様に去って行く咲夜の背中を、さとりは何も言わずに眺めた。



 咲夜が部屋を出てまもなく、さとりに向けて部屋の隅から声がかけられた。

「おねぇちゃん、よかったの?あんなこと言って」
「こいし、聞いていたのね」

 こいしの言葉だけ取ってみれば、姉を心配する妹と言った様子である。しかし、その実、こいしの表情にはニヤニヤとした笑いが張り付いていた。

「いいの?ねぇ、ふふ、良かったの?本当に?ははは、はは!せっかく出来たお友達だったんでしょ?」
「いいのよ」

 堪え切れないとばかりに、声まであげて笑うこいしに、さとりはただ静かに答える。

「いいの?なんで?ねぇ、強がっちゃダメだよ、ねぇ、お友達に嫌われちゃったんだよ?」
「わかるのよ、心が読めるっていうのは、こういう時に便利なのよ。卑怯だけどもね」

 さとりは咲夜から、忌避の感情を受け取っていなかった。咲夜が取り乱したのは思いもよらぬ自分自身に気付いてしまったためである。もちろん、咲夜に嫌われてはいないからと言って、今後も円滑な関係が築けるとは限らない。咲夜が逃げるように立ち去った事は事実である。嫌われていないという事に一縷の希望を持っているに過ぎない。そういう意味ではさとりの言葉には少しばかりの見栄や強がりが混ざっていた。

 さとりは咲夜の飲みかけのカップを片付けようと手に取った。

「信じらんない」

 その瞬間、さとりは勢い良くこいしに目を向けた。この時、こいしの心には狂気にも似た、それでいてもっと純粋な、愛情のようなものが混ざり合った、とても暗い感情がひしめき合っていた。

 さとりは、こいしの心に潜む狂気に以前から気がついていた。しかし、これはここ数百年で最も大きなこいしの感情の爆発であった。それも紛れも無い負の方向への感情である。さとりは怯えに近い感情すら覚えると同時に、ここまでの狂気をその身に潜ませていた事実に気が付くことが出来なかった、自分への怒りの様なものも芽生えていた。

「なんなわけ?」

 ぽつりと、こいしは声を出した。

「そんなくだんない目を持ってさぁ!そのくせ!?おててとおててを取り合って仲良しこよし!?ジョーダンじゃないわよ!なんなのよ!しかもなに?その余裕ぶった顔!なに?私たちはふかーく解り合ってますってとこ!?ざっけんじゃないわよ!」

 こいしの声は、次第に大きくなっていき、最後にはさとりの持つカップの中身が震える程であった。

 その小さな体にあの大音声は辛かったのか、こいしは肩で息をしている。さとりはそれを、ただ黙って見ていることしか出来なかった。完全に気圧されていた。

「じゃあ私は何のために…」

 先ほどとは打って変わって、今度は消え入るような声でこいしは呟いた。

 こいしはその先を言おうとはしなかったが、さとりには当然理解できた。いや、第三の目が無かろうとも理解できたに違いない。

 こいしは自らの能力を嫌い、その瞳を閉じた。その彼女が今のさとりを見ればそれは余りにも酷であろう。

「こいし」

 さとりがそう声をかけたのとまさに同時、こいしはギョッとするような目付きでさとりを見た。

 次の瞬間には、さとりの手の中にあったはずのカップは床に落ち割れていた。






 十六夜咲夜は孤独であった。この言葉を本当に孤独なものが聴けば、何を馬鹿なと笑うであろうし、自分は恵まれた存在であると咲夜自身も自覚をしていた。それでも、彼女の胸の奥底、自覚もできない所で常に満たされぬ部分があるのもまた事実であった。

 咲夜は歳が十を幾つも超えない年頃から、ただ一人の人間として紅魔館という人外魔境で過ごしてきた。彼女の青春は紅魔館と共にあったと言ってもいい。それを不幸だと思ったことは無い、むしろ誇りであると彼女は思っている。

 彼女が仕えるべき主レミリア・スカーレットは外見こそ幼い少女である。しかし、その精神は幼さも残るものの淑女と言うにふさわしい。まさに上に立つものとしてのお手本であると咲夜は考え、心酔している。吸血鬼でありながらも人間である咲夜をいたく気に入り可愛がってくれる度量にも感服している。なにより自分を拾ってくれたことへの感謝の大きさたるや凄まじく、半ば信仰に近い感情すら抱いている。これほど優れた主に仕えることが出来たということを、咲夜は自らの運命に感謝している。

 しかし、である。十六夜咲夜にとってレミリア・スカーレットはあくまでも主である。レミリアがそのような命令をするなどと咲夜は露ほども考えていないが、もしレミリアが死ねと命じれば咲夜は死ぬだろう。咲夜はそれほどの覚悟を持ってレミリアに仕えている。それは主従の信頼を示すものでもあるが、同時に主人と従者という関係に潜む壁を咲夜は感じ取ってしまっていた。

門番を務める紅美鈴は人当たりも良く面倒見のいい女性で、幼くして紅魔館を訪問した咲夜に対しては非常に良く接してくれた。咲夜にとっては姉や親と言っても過言ではない存在である。幼き日に、誰かに叱られた時は優しく慰めてくれ、逆に致命的なミスを犯しそうになればそれとなく正してくれた。幼くして紅魔館に勤める事となった十六夜咲夜にとって、紅美鈴は唯一の甘えられる存在であった。

 数年前に、咲夜はメイド長という役職になった。紅魔館には執事という存在がいないため、事実上咲夜がそれを務めているといってもいい。それは紅魔館の使用人全てを管理する役職という事である。つまり門番である美鈴を管理する身分となったということである。妖怪である自分の数十分の一しか生きていない、妹の様な存在の咲夜が上司となった事に、人のいい美鈴はなんら含みもなく祝福した。

 咲夜は完全で瀟洒な従者を自称している。それは完璧な存在である主人に恥じぬ従者でいようとする咲夜の決意表明のようなものであった。その決意は、姉の祝福に応えるためにも、姉に甘えるという行動を咲夜に許さなかった。

 フランドール・スカーレット、パチュリー・ノーレッジの二人も咲夜にとっては仕えるべきものに他ならない。パチュリーはレミリアの友人であり、それは主人と同格にいるという事である。フランドールはレミリアの妹であり、それは主人より一段下がるが、やはり仕えるべき存在以外の何者でもない。

 家族の居ない咲夜にとって家族といえるものは紅魔館の人々であるが、それはあまりにも歪な関係であると、咲夜の胸の内の満たされぬ部分が囁いていた。

 さて、そんな紅魔館で育った咲夜である、同年代の友人どころか人間の友人すらいない。ある日、そんな日々を崩す可能性がやってきたのは、咲夜がメイド長となって一年程たった頃であっただろうか。主人であるレミリアが紅の霧を生じさせたことに端を発する一連の異変がそれであった。

 この異変の解決に乗り出したものは博麗の巫女である博麗霊夢、魔法の森の魔法使い霧雨魔理沙の二名であった。

 はじめ、この二人が紅魔館へ乗り込んでくるとの報を受けた時は、敵意以外の感情を持てなかった咲夜であった。しかしスペルカードルールに基く決闘であったとはいえ主であるレミリアの敗北を見るにつけ、二人を眺める視線には期待の色が混ざるようになった。

 人として過ぎたる能力。咲夜は時間を操る能力を持っていた。この能力を持つ咲夜に対して萎縮を覚えない人間というのは極めて希少であり、その萎縮を覚えぬ程の力を持った人間が二人そろって現れたのである。ましてや彼女達は自分と同年代、同種族である。良い友人になれるかもしれない、咲夜がこの感想を抱くのは当然のことであったと言える。

 しかし、咲夜と同様に二人に興味を持ったものが居た。

 レミリアは霊夢にひどく興味を持った。何にそこまで興味を持ったのか、それはレミリアにもわからない。ただ、人の身でありながらあれ程の力を持つ霊夢は、レミリアの中で強烈な印象として残った。異変以降、レミリアは霊夢に執着した。自らの吸血鬼としての生活リズムを崩し、神社へと足繁く通うほどにである。

 フランドールは魔理沙に好意を示した。フランドールの破壊の能力を恐れなかった人間だからである。子供が蟻を戯れに潰すように、フランドールはその無垢な子供らしさゆえに能力を他者へと向け、恐れられた。周囲の恐怖を感じ取ったのであろう、フランドールはその腫れ物を触るような扱いに、ストレスを感じていた。そして、そのストレス故に更に破壊の能力を振り回した。それも魔理沙の影響か、最近では落ち着いている。

 パチュリーもまた、定期的に図書館の本を持っていかれるとボヤいてはいるものの魔理沙とは楽しく付き合っているらしい。

 咲夜は、自分の入り込む隙間を見つけることが出来なかった。

 先に挙げた紅魔館の面々、咲夜にとってはどれも仕えるべき存在である。その主達を差し置いて、自分が仲良くなるというのは咲夜にとってありえない事であった。何より主の友人という地位は間違いなく彼女と対等な物ではないのである。結果として咲夜は、霊夢や魔理沙との距離感を掴めずにいた。

 心を開ける相手が居ない。それは咲夜の心の中で、気にもならないほどの質量であったが、絶え間なく負荷を掛け続けるものとなっていた。






 地霊殿を飛び出した咲夜であったが、今すぐ紅魔館へと戻る気にもなれず、空を飛ぶこともせず、視線を落とし、ただ遅々と地底の出口に向け足を動かすことしか出来ずにいた。

 嫌われただろうか。

 道中、咲夜の心を幾度と無く巡った言葉である。

 自らの最も醜い部分といってもいい、そんな苦悩を他人に知られた。咲夜にとってそれは、耐え難い恥辱でもあったし、このような不完全な自分を求めるものなど居るのだろうかという疑問もあった。さとりの言葉を聞くまで、咲夜にそのような苦悩があるなど、咲夜自身を持ってして見抜けなかった。しかし、さとりの指摘によって、咲夜は自分がその苦悩を間違いなく持っていると、驚くほどあっさりと受け入れることが出来た。

 咲夜とさとりの初めての邂逅の時、既にさとりは咲夜の苦悩を読み取っていたと咲夜は考えた。このことから、さとりはこのような自分を否定せず、受け入れてくれるのだろうと考えた。

 だが、咲夜には、さとりの前に立つ覚悟が無かった。この日初めて、さとりの能力の真の意味に気付いたためである。それまで、恐らくは無意識のうちに考えないようにしていた。いや、都合よく解釈していた部分を、他ならぬさとりの手によって自覚へと追い込まれたのだ。

 文字通り心の奥深くまで覗かれたのだ、それに嫌悪を覚えるのは人間として当然の反応である。しかし咲夜の思考は、一般的な感性から少し外れたところにあった。

 咲夜が恐れたのは、心を読まれるという現象そのものではなく、それによってさとりに嫌われる事であった。

 完全を目指す咲夜とて生身の人間である。いくら表面を取り繕ったところで、生々しい生者の証がその根底にはある。

 嫉妬、自己顕示欲、性欲、独占欲、嘲り。

 そういった人の醜さも、咲夜の中には紛れも無く存在する。

 さとりと会うということは、そういった部分を曝け出すという事である。咲夜にとって、その事への忌避感が全く無かったかといえば嘘になるが、それ以上にさとりに失望される事を恐れた。

 完璧主義であるからこその、歪んだ思想であった。

 こうして、思考を巡らせば巡らす程、落ち込んでいく咲夜であったが、突然、そんな彼女に背後から声がかかった。

「おねぇさん!やっと見つけた!」
「お燐?」

 咲夜が振り向くとそこにいたのは息を切らしたさとりの愛猫、火焔猫燐であった。

 正直、咲夜は誰とも顔を合わせたくなかった。それでも、呼び止められた以上応じる他なかった。

「随分と急いでどうしたのよ」
「悠長なこと言ってる場合じゃないんだよ!」

 気だるげさを隠しもせぬ様子で問う咲夜に、お燐は焦りに満ちた剣幕で食ってかかる。

「ちょっと、落ち着きなさい。本当に何があったのよ」
「そ、そうだね」

 咲夜の言葉を受け、お燐は幾分声のトーンを下げた。それは落ち着いたというよりは、このままでは話が進まないと考えた故の行動であった。

「さとり様が拉致られた!」
「はぁ?」

 お燐の言葉は余りに端的なものであり、咲夜は全く事態が飲み込めずにいた。

「待ちなさいよ、意味が分からないわ」
「あたいだってわかんないよ!急にこいし様がさとり様を気絶させて灼熱地獄跡に連れてったんだ!」

 こいしと言えばさとりの妹である。咲夜は、犯人の名を聞いて大した問題ではないと感じていた。ただの姉妹喧嘩であろうと考えたのである。

「ただの姉妹喧嘩でしょう?部外者が割って入っても良い事なんてないんじゃない?」
「こいし様は!」

 咲夜の言葉を否定するような声音でお燐は叫んだ。

 そして一瞬ハッとしたような顔をしてから、お燐は少し顔を伏せ、消え入りそうな声で言った。

「こいし様は…こう言っちゃなんだけど、ちょいと、ホントにちょっとだけ、おかしい」

 お燐のその様子を見て、咲夜は眉根を寄せた。それはお燐の姿が、かつてのフランドールの事を考えている時の自分の姿に重なって見えたためである。

「ホントに、何をするかわかんないんだよ!こいし様がさとり様の事を愛してるのは間違い無いんだ。でも、だからこそ、だからこそ何をするかわかんないんだよ!」

 最早泣き出しそうな様子のお燐を見つめながら、咲夜は場違いだとは感じながらも、こいしという少女が本当にフランドールに似ていると感じていた。

「お願いだよ!あたいの力じゃどうにもなんないんだ!お空に任せたら力加減なんて出来るわけがない!おねぇさんしか頼れそうな奴がいないんだよ!」

 お燐の言葉は勢いこそあるものの、どこか哀願に近い弱々しさがあった。

 咲夜は、かつてのフランドールという狂人をよく知っている。そのため、現状が芳しいものではないと察していた。更に言えば、経験上、ここまで事態が進展してしまっては、当事者だけの力ではどうにもならない部分が出てきてしまうと言うことを知っていた。

 それでも、咲夜はさとりの前に立つことが恐ろしかった。

 それに拍車を掛けたのが、今この時、咲夜の心の中では、ほんの少しだけ『ここで駆けつければさとりは自分のことをより気に入ってくれるのではないだろうか』という思いが芽生えてしまったためである。

 余りにもあざとい思考だと、咲夜は自分自身に呆れ返った。咲夜は、仮にも友人であるさとりの不幸を利用しようとしたのである。とてもではないが、こんな思考はさとりに見せたくない。

「でも…」

 咲夜の口から出た言葉は文字にすればたったの二文字、しかしその言葉には明らかに否定の色を帯びたものだった。

「何言ってんのさ!?」
「私なんかが行った所で、いい展開なんて待ってないわ」

 お燐は咲夜が拒否するとは思っていなかったのだろう。信じられないといった表情を浮かべていた。

「私なんかが友達面してさとりさんを助けるなんて、荷が勝ちすぎるわ」

 そう言い、咲夜は心底悔しそうな顔をした。

 お燐は、咲夜のその言葉の、表情の意味が分からないと、ただ呆けたように立ち尽くした。

「私にさとりさんの友人を名乗る資格はないわ」

 呆けた様子のお燐であったが、その言葉を聞いた瞬間、その顔に怒りと侮蔑の色を貼りつけて叫んだ。

「何わけわかんないこと言ってんのさ!」
「お燐、あのね…」
「喋らないで!聞きたくない!」

 お燐は頭を振っては咲夜の言葉を遮った。それは、その言葉の通り、咲夜の言葉を一言足りとも聞きたくないという意思表示であった。

「あたいはさ、頭なんて大して良くないから、あんたとさとり様の関係に口を挟むなんて出来やしないさ!どれだけ高尚な考えがあるかなんてわかりゃしないさ!」

 お燐は唾を吐き散らす勢いで叫んだ。その勢いに、咲夜は黙ることしか出来なかった。

「それでもさ、あんたの言ってる事は気に入らない!死ぬほど気に入らない!友達の資格だなんだって、何の意味もない!一緒にいて楽しけりゃ、そいつの事が好きなら、それははもう友達じゃないのさ!それを無理やりインテリぶって、訳のわからない屁理屈捏ねて!さとり様があんたの事をどう想ってようが、好きならまとわりついてやればいいじゃないのさ!さとり様を馬鹿にしないで!好きだと思われて、それを無碍にするような人じゃない!」

 咲夜はその言葉に衝撃を受けていた。今更ながら、自分がなぜこんなにも足繁く地霊殿へと訪れていたのかを思い出したからである。

『単純じゃないか、さとりと二人でいる時間が好きだったからだ』

 その考えに至れば、それまで悩んでいたことが嘘のように、咲夜の心にかかった霞は晴れた。咲夜は、さとりに気に入られたくて、さとりと会っていたわけではない。自分が楽しいから、さとりと会っていたのだ。

 我ながら単純だなと、咲夜は場違いながらも、少し自分がおかしくなった。

 一度腹が決まったのならば、今取らなければならない行動というのは悩む程のものではなかった。咲夜はさとりの身に何かがあれば嫌だった。だから、咲夜はさとりを助ければいいのだ。それはさとりの為ではない、咲夜自身のための行動である。

「お燐」

 お燐は、一息にあれほど叫び続けた為か、顔を伏せ肩で息をしていた。しかし、咲夜の声を聞くと、キッとその顔を睨みつけた。

 咲夜はそんなお燐の視線を受け流し、言葉を続けた。

「さっさと場所を教えなさい、灼熱地獄だったっけ?何処かもわからない場所には行けないわ」

 お燐は咲夜の言葉を聞き、怒りに細められていた目を見開いた。

「い、行ってくれるのかい?」
「当たり前でしょう。さっきはごめんなさいね。我ながら、どうしようもなく頭の悪いことを口走ってしまったわ。さぁ、早く」

 そう言い咲夜は、その体を宙に浮かせた。

「い、いいさ!そう言ってくれるんなら、何だっていいさ!時間が惜しいから、飛びながら話すよ!」
「いいえ、あなたはお茶でも沸かして待ってればいいわ。場所だけ教えなさい、その方が早くつける」

 咲夜は自信に満ちた笑みを浮かべ、ポケットの中の懐中時計を握りしめた。
 





 さとりはその肌に熱さを感じ、目を覚ました。目を開けば溶け出した岩石がドロドロと流れていく光景が、遙か下方に見えた。

「灼熱地獄?」

 元々さとりの声は誰に向けられた言葉でもなかった。こいしもまたその言葉に反応することはなかった。

 こいしはさとりを肩に担いで浮かんでいた。妖怪であるこいしにとって、小柄な女性を一人担ぎ上げる事など何ら苦ではなかった。

 さとりはこいしの目論見を探ろうと心を読もうとしたが、その余りにも乱雑な心を読み切る事は出来なかった。

「どうするつもりなの?」

 このような乱暴な手段を取られたにも関わらず、さとりは奇妙に落ち着いていた。縛めから抜けだそうともせず、ただ静かに尋ねた。

「どうしようね」

 こいしも、明確な目的があっての行為ではなかった。気がついたら体が動いていたのだ。その後、灼熱地獄に足を向けたことも、特に意味があったわけではない。ただ、流石にその場に留まるのはまずいと思っただけの事であった。

 その後は沈黙が続いた。その間、さとりは特に行動を起こす気は無かった。もしもこいしに殺されるのであれば、それはそれで仕方ないとすら思っていた。ただ、こいしの心を読む事だけは続けていた。少しでもその心中を理解できればとの思いであった。しかしさとりの第三の目に映るものは依然狂気のみであった。それは、さとりを気絶させた時には遠く及ばないものの、刻一刻と増大して居るようであった。こいしは、こうしてたださとりを抱えて浮かんでいる時も、ストレスを貯め続けていたのである。

「ねぇ、なんで黙ってるわけ?」

 不意に、こいしは口を開いた。

「別に、理由はないわ。あなたの心中はそれなりに理解しているつもりだもの。私があなたに何かを言うなんて、それは流石に出来ないわ」
「自分が悪いって自覚はあるんだ」
「悪いというより、やはり不用意だったとは思うわ。第三の目に頼りすぎていたとも思う。あなたが隠れている間は読めないもの、心をね。普通の姉妹ならあなたの心境なんて、きっとすぐに理解出来たはずよ。でも私は出来なかった。それでも」
「それでも、何よ」

 言葉を詰まらせたさとりに、こいしは怪訝そうに問いかけた。

「いえ、やはり悪いことだとは思ってないわ。出来れば、あなたにも同じ気持ちを知ってほしいとも思ってる」

 その言葉を聞いたこいしの心に、この時初めて怒りを上回る感情が満ちた。悲しみであった。しかし、さとりにはそれが嵐の前の静けさに過ぎないと直感的に理解することが出来た。

 さとりの小さな呻き声が響いた。さとりの太ももにはこいしの指が突き刺さっていた。

「マジさぁ。報われないって、こんなんじゃ」
「こいし」

 二人の声は互いに震えていた。その理由は二人にしかわからないものだった。重苦しい沈黙が流れた。



「これはまた、随分と修羅場じゃない」

 沈黙を打ち破ったのは突如こいしの前に現れた咲夜の声であった。

「あんた…」
「咲夜さんですか?」
「怪我までさせちゃって。お姉ちゃんが怒らないからって、おイタしちゃ駄目よ」

 二人の声を無視し、咲夜は何時になく饒舌に喋り続けた。こいしの体が遮り、さとりの瞳に咲夜の姿は映らなかった。しかし、咲夜の心に潜む暗い部分が随分と明るくなったように、さとりの第三の目には見えた。

「あんた、なんでこんなトコにいるのよ。ピーピー泣きながら逃げ帰ったんじゃなかったっけ?っていうか、何時の間に来たのよ」
「ほんとね、まだ時間も早いから地底見物とでも洒落込もうと思ったらこんなことになってるんだもの、ビックリしたわ」

 芝居がかった仕草で肩をすくめる咲夜に、こいしの苛立ちは増した。

「そんな強がりは良いから何時来たのかって聞いてるのよ!」

 そう言うやいなや、咲夜の姿がこいしの視界から消えた。

「こういった方法で、一瞬の内に」

 背後から聞こえた声にこいしが顔を向けると、そこには咲夜が立っていた。

「なによこれ」
「内緒ですわ」

 理解を超えた現象に、こいしはどこか冷めた感慨しか持てなかった。思いの外冷静なこいしの視線を受け、咲夜はいやらしく笑った。

「ただ一つ言える事は、あなたが瞬き一つ出来ないうちに、何だって出来たのよ。降参なさい。無駄だから。幻想郷中見渡しても、能力の強さで私に勝てる奴なんてそういないわ」

 露骨な挑発であったが、こいしには関係なかった。今の苛立ちをぶつける事が出来る相手が目の前に現れたのである。こいしは咲夜の態度を歓迎した。

「すごいじゃない!こんなビッグマウス初めて見るわ!怖い怖い…!」

 こいしはそう言うや否や咲夜目掛けて突進した。人間の速度では躱すこともままならないであろう速度であった。

 仕留めた、こいしはそう確信して笑った。

「けが人担いで動きまわるなんて、感心しないわよ」

 後ろから聞こえた声にこいしが慌てて振り向くと、そこには咲夜が浮かんでいた。いや、咲夜だけではない、確かに肩の上にいたはずのさとりが咲夜の腕の中に抱かれていた。

「な、なんで」

 こいしは驚愕に満ちた表情で、背後の咲夜を眺めた。咲夜の動きに全く気付く事が出来なかった。いや、背後を取られただけならまだいい。だが、肩に担いださとりを全く気付かせずに奪うとなると、それは異常である。

 こいしは一つ舌打ちをしてから、能力を発動させ自らの姿を消し去った。このままでは分が悪いと直感した為である。能力を発動させたこいしは、咲夜に密着しようと素早く動こうとした。

 動き出そうとした、まさにその瞬間である。こいしの周囲に夥しい数のナイフが突如出現した。

「ひっ!」

 死んだと、こいしは思った。全身の血が冷え込む思いだった。避けきれる筈の無い密度のナイフを前に、恐怖に目を閉じることすら出来なかった。

 しかし突如現れたナイフに勢いは無く、こいしの体を貫くこと無く重力に引かれ落ちていった。あまりの事に思わず能力を解除してしまったこいしは、落ちていくナイフをただ黙って見つめた。そして落下する大量のナイフは、現れた時と同じく一瞬で、手品の様に消え去った。

 呆けたように下方を眺めるこいしの耳に、咲夜の楽しげな笑い声が響き、はっと顔を上げた。

「驚かせちゃったかしら?ごめんなさいね」

 本当に楽しそうに笑う咲夜を眺めながら、こいしは、自らの能力が目の前の女には全く意味を成さないと悟った。

 この時、こいしの頭の中では、つい先程耳にした「自分が瞬きする間になんでも出来た」という咲夜の言葉が、やけに現実味を帯びたものとなり反響していた。

 たかが人間。こいしの中にこの思いは間違いなく存在した。所詮は弾幕ごっこというお遊びの中でしか勝利を拾うことの出来ない脆弱な存在であると。いざ血で血を洗う闘争の場に置かれれば、妖怪という圧倒的な力に蹂躙される存在でしか無いと。

 だがその思いはこの瞬間、こいしの中で粉々に崩れ去った。紛れも無くこいしは目の前の人間に恐怖していた。

「なんなのよマジで!何よ、何がしたいのよ!」

 こいしの顔に張り付いた恐慌の色を確認し、咲夜は笑みを深めた。

「お友達の妹さんですもの、殺してやろうなんて思っちゃいないわ」

 さとりの頭を撫でながら、咲夜はゾッとするような、妖艶さすら感じる目つきでこいしを睨み、口を開いた。

「ただ、あなたのそのプライド。妖怪としてのプライド、それを粉々にしてやろうかなって」

 咲夜はそう言うと、こいしに向けてさとり突き飛ばした。

 驚いて短い悲鳴あげたさとりを、こいしは反射的に受け止めた。そして今度は、肩に担ぐのではなく、盾にするようにさとりの腰に手を回し、その首筋に爪を当てた。

「動くなっ!」
「あらやだ、絵に描いたような犯人と人質の図ね」

 咲夜から見れば、明確に不利な条件が出来上がったはずであった。しかし、それでも咲夜は余裕が満ち溢れた微笑を浮かべ腕を組んで浮かんでいた。

 その時、こいしの目には映らなかったが、人質とされたさとりの目が驚愕に見開かれた。

「咲夜さん、あなた」
「私を信じてもらえるかしら?」
「勝手に喋るな!」

 こいしは、さとりが第三の目を使って咲夜との間に何らかの意思疎通をしたのだと気付いた。焦りと少しの疎外感から声を荒らげた。

「いいわよ、言葉なんて必要ないもの」
「喋るなって言ってんだ!」

 その時、咲夜の顔から微笑みが消えた。同時に、さとりは頭をこいしの爪と反対方向に首をかしげた。

 爪から逃げたかったのだろうか、こいしの脳裏にそんな思考がよぎった時である。目の前に、一瞬前にはさとりの頭があったはずの場所にナイフが出現した。

 こいしはとっさの事に声を上げることも出来なかった。反射的に無様に身を捩り、かろうじでナイフを頬に掠めさせるにとどめた。回避の折にさとりの身を解放してしまったが、気にする余裕も無かった。

「次行くわよ」

 こいしは背後から咲夜の声を聞いた。はっとそちらを向けば、先ほどと同じように目と鼻の先にナイフが出現した。

「ぎっ!」と悲鳴ともつかぬ短い掛け声と共に、こいしは再び身を捩った。今度のナイフはこいしの肩を掠めた。

「くそったれ…!」

 弄ばれているという悔しさもこいしの中にあった。しかし最も悔しいのは声をかけられなければ、かわせなかったと自覚できた事であった。罵倒は、そんな自分に向けてのものであった。

「どう?いい加減降参する気になった?」

 いつの間にか、今度はこいしの目の前に現れた咲夜が、腕を組みながら尋ねた。

「降参…?」

 こいしの耳には、その提案が実に魅惑的なものに聞こえた。今こいしが感じているものは、生まれて初めて感じる、命を弄ばれる恐怖である。ただ一言「降参した」というだけでこの恐怖から逃れることが出来る。こいしの心は大きく揺れた。

「私は…」
「ん?」

 こいしの心中では様々な思いが去来していた。

 人間に敗北する屈辱、妖怪としてのプライド、自ら起こした行動の呆気無い結末、歪んではいても決して間違ってはいないはずの自らの思想の否定。

 あらゆる思考、矜持が渦巻く心中。しかし目の前の現実は、それらを捨てても構わないと思ってしまうほどの恐怖である。

 しかし、それでもこいしは恐怖をねじ伏せ決断した。

「降参なんてしない!」

 胸のうちによぎる死以上の恐怖がこいしを突き動かした。

 自らの目を嫌悪し、目を閉じ、孤独に身を委ね生きてきた。その行為に意味がなかったと姉に突きつけられた形となり、このような暴挙まで犯した。その挙句命乞いをして生き延びる。それは、こいしにとってそれまでの自分を自ら否定する行為に思えた。ここで折れては全てを失うと思えた。

「ふぅん。じゃあもうちょっと遊んであげる」

 つまらなそうに咲夜は呟いた。次の瞬間、こいしの眼の前に現れるナイフ。こいしはかろうじで回避した。そして回避した先に現れるナイフ、それもまた何とか回避した。

『考えろ…!』

 こいしは、自らの本能の部分から這い寄って来る恐怖を無理やり抑えつけ思考した。この時、こいしは咲夜の能力に対して一つの仮説を立てていた。咲夜の能力とは瞬間移動であり、自らはおろか、物質すらも任意の場所へ移動させる事が出来る能力だと推測していた。

 それは、結論から言ってしまえば間違った答えである。しかし、こいしが直接目にした情報のみからはじき出された答えとしては、最も本質に近い答えでもあった。

『考えろ…!』

 思考の最中も降り注ぐナイフから、こいしは恥も外聞も捨て無様に逃げ続けた。

 何か打開策は無いのか、今までの戦闘に何かヒントは無かったか。こいしは必死で脳を回転させた。

 そして、こいしの頭脳は、ついに天啓とも言うべき一つの打開策にたどり着いた。脳裏に写るのは一つの光景であった。さとりを盾にした時の光景である。あの時、さとりはナイフが出現する直前に回避したのである。それは紛れも無く予め知っていなくては出来ない芸当である。

 こいしは気付いてしまった、第三の目を開きさえすればこの現状を打開できると。

 しかしそれは、こいしにとって一世一代の決断であるといっても差し支えない。今回の事件、その発端を最初の最初まで辿っていけばこいしが目を閉じた事にぶつかる。

「どうしたのよ、急に立ち尽くして、疲れちゃった?」

 咲夜の声が届かないほど、こいしは思考の海に深く沈んでいた。騒動の発端である瞳をこじ開けることで、騒動を終結させる。それはここで降参するのと同じ程に自らの否定に繋がるのではないだろうか。

「でも…」

 こいしは目の前の女の、ニヤついた表情が許せなかった。こいしが、このような行動に及んだ直接の原因たる女が許せなかった。そして、そんな女に弄ばれている自分が許せなかった。

「あんたにだけは負けたくない!」

 こいしは第三の目を開いた。

 こいしの頬には涙が伝っていた。それはこうする他に道がなかった悔しさ、悲しさ、怒り。何より、自分が目を閉じてからの気の遠くなるような長い時間を、否定しまった苦しみ。全てがない混ぜになって現れた涙であった。

「何年、何十年、何百年閉じてたんだか知らないけど、今更目を開けた所でちゃんと見えるのかしらね」

 咲夜の言葉通り、こいしの第三の目は正確に思考を映してはくれなかった。目を擦った後のように、ぼやけた、思考の色とでもいうべき曖昧なものしかその瞳には映らなかった。

「十分よ!」
「じゃあ試してあげる」

 そう言って咲夜は姿を消した。こいしは咲夜の思考を事細やかに読むことは出来なかった。ただ咲夜が消える直前に、自らの背後への強烈な意思を感じることが出来た。

「十分だって言ってるでしょ!」

 こいしはそう叫び、勢い良く後ろを振り返った。

 目に写ったのはナイフなどではなく、さとりの姿であった。

「こいし…」
「な、なんで…」

 見開かれたこいしの瞳にさとりの姿が映ったのと同じように。こいしの第三の目もしっかりとさとりを映した。

 こいしの第三の目に飛び込んできたのは強烈な慈愛の色であった。そのぼやけた視界では事細やかな思考など読み取る事は出来なかった。いや、この場合はそれがより一層功を奏したのかもしれない。さとりのこいしへの想いが慈愛というたった一つの感情に集結し、こいしの第三の目に映されたのだ。この世にこれ以上の強烈な感情があるのだろうかと、こいしに思わせるほどの膨大な慈愛であった。

「あっ…」

 こいしは知らず、再び涙していた。それは先程のように負の感情によるものではなかった。

「こいしっ」

 さとりの第三の目には、こいしの心に渦巻いていた混沌とした負の感情が洗い流されていくのが、手に取るようにわかった。さとりはこいしを抱きしめた。

「ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさい!」
「いいの…いいのよ、あなたが気にすることなんて一つもないの!」

 さとりもまた、目尻に涙を浮かべていた。その表情は喜びに満ちていた。

「でも私、怪我だって、お姉ちゃんに怪我だってさせちゃった…」
「こんなのなんでもないわ、こいしがいてくれればそれでいいの」

 その光景を咲夜は少し離れた場所から眺めていた。絵に描いたような大団円の光景に、骨を折った甲斐があったと、満足気な表情であった。

「お姉ちゃんは私を許してくれるの?」
「何言ってるのよ、元々怒ってなんて無かったわ、許すも何も無いじゃない」

 さとりの腕の中でこいしは小さく震えた。

「でも駄目…」
「えっ?」
「私が私を許せない!」

 その時、さとりはこいしの心に不穏な物を見た。

「こいしっ!」
「ごめんなさい」

 その謝罪は何に対してのものだったのか。あえて言うのであれば、これまでの事、そしてこれからの事に対してのものであったのだろう。しかし、こいしにも何らかの意図があっての発言だった訳ではなかった。自然と口から零れた言葉がそれだったのだ。

 こいしは勢い良くさとりを突き飛ばした。そしてその勢いすらも利用し、遙か下方に蠢く灼熱に向け飛び出した。

「こいし、こいしっ!!」

 慌てて追いつこうとするさとりであったが、元々妖怪としては体力の少ないさとりである、怪我の消耗もあり差を縮める事は出来なかった。



「まったく、最後までワガママねあの娘」

 遠く離れて見ていた咲夜は、呆れたような顔をするだけで、慌てた様子もなく小さく呟いた。

「でも、させないわ」

 咲夜はポケットの中の懐中時計を強く握りしめた。

『咲夜の世界』

 咲夜を除く全てが動きを止めた。咲夜が纏う服すらも、咲夜によって動かされなければその場に固定され続ける。止まった時の世界では彼女以外は全て無力である。当然こいしの元に辿り着くことなど造作も無い事であった。

「よっと、あんだけ苦労したんだからハッピーエンドじゃなきゃダメよ、うん」

 動きを止めたこいしを横抱きに抱え、再び時間を動かし始めた。

「あ、あれ?」
「あなた、手間かけさせるわね、ホント」

 何が起きたか理解出来ないといった様子のこいしに、咲夜は苦笑しながら語りかける。

「瞬間移動じゃなかったんだ…」

 こいしは少し呆然としたように言った。咲夜はあえて返答しなかった、ぼやけた第三の目でも、肯定の意思くらいは読み取れるだろうと思ったからである。

「離してよ」
「ダメよ」
「自分が許せないの」

 こいしは自分自身へのものなのか、邪魔をした咲夜へのものなのか、怒りの表情を浮かべていた。こいしが一体何歳なのかわからないが、咲夜の目にはその頑なさが思春期の少女のように映り、微笑ましく思った。

「いいんじゃない?二人っきりの家族なんでしょ、あなた達。だったら、迷惑かけるのも姉孝行よ、きっと。うちのお嬢様方を見てるとそんな気がするわ」
「でもあんなに自分勝手にやって…」

 悔いたような表情をするこいしに、咲夜は笑いながら語りかけた。

「結構じゃない、自分勝手、大事よそれ、きっとね。本当はね、私だって本当は、あなた達のゴタゴタに首突っ込むつもりなんてなかったのよ。私はサトリじゃないから、あなたの苦しみとかもわからないしね、部外者がとやかく言ってもしょうがないと思ってたし。でもさとりさんが悲しむ顔は見たくなかったから、あなたの都合とか無視して首突っ込んだのよ、自分勝手にね」

 咲夜の言葉を聞いて、こいしはキョトンとした顔をしたかと思うと、小さく笑った。

「何よそれ、自分勝手ね」
「でしょう。もっと言えば、さとりさんが喜びそうだったからやったのよ、好感度ゲットしようと思って。あなたには迷惑かけたわね」

 とうとう耐え切れないと、こいしは声を上げて笑った。

「最悪ね」
「反省してるわ」
「反省しなくていいよ、あんたカッコイイもん」

 咲夜がふと背後を見ればさとりが息を切らせ近づいて来ていた。

「あなたさっきは怒られなかったみたいだけど、今度は怒られるわよ、こっぴどく」
「うん…」

 今度は怒られると言われ、それでもこいしは嬉しそうだった。その表情を見て、もう大丈夫だろうと咲夜はこいしを降ろした。そこにさとりの怒声が振りかかる。

「こいし!なんてことをしたの!」
「お姉ちゃん、ごめんなさい」

 延々と二度とするなと念を押し続けるさとりを、咲夜はこいしの背中越しに眺めていた。

 妹への説教も一段落ついたのか、さとりは咲夜に視線を移した。

「咲夜さん、今回は本当に、何とお礼を言っていいか」

 さとりは、深々と腰を曲げ礼を述べた。

「本当に、私に出来る範囲でならどんなお礼だってするつもりです」
「頭をあげてよ、さっきこいしちゃんにも言ったけど好きでやったことよ。それに友達を助けるのは当然でしょ」

 咲夜の言葉を受け入れ、さとりはやっと頭をあげた。さとりの目は赤みがかっていた。長年頭を悩ませていたこいしの第三の目に纏わる問題が思いがけず解消されたのだから、当然のことであった。しかし、その表情は喜びで一杯といった風情ではなく、少し歪んでいた。

「友達と、まだ私を友達といってくれますか。あなたの心の弱みに付け込んだ私を」
「いいじゃない、それだけ私を必要としてくれたんでしょう?光栄だわ」

 そう言って咲夜は背を向けた。今更、自らの異常なまでにハイなテンションと台詞に羞恥心を感じたからである。

「それに、私は、何?私は心が開けないとか何とか。じゃあ丁度いいじゃない、あなたの前じゃ言葉もいらないし」

 そこまで言って、咲夜は言葉を区切った。何も羞恥心に耐えながら口を動かし続ける事もないだろうと思ったという事もあったが、何よりこうしたほうが粋だろうと思った。

 体はそっぽを向けたままだったが、顔をさとりの方に向け、笑った。


―心を開くまでもなく、通じ合ってるでしょう?―
初投稿になります。そのため創想話様、及びネット小説界隈について無知な部分も多く、何かしら失礼があるかもしれませんがご容赦下さい。
私、あるいは友人が、再び創想話様のお世話になることもあるかもしれません、その時はよろしくお願いします。
ラム肉
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コメント



0.2250簡易評価
2.80物語を読む程度の能力削除
面白かったです。
しかし少々読みづらく...
もう少し行間をあけてみてはいかがでしょうか。
3.90名前が無い程度の能力削除
おお。これは素敵な咲夜さんと地霊殿。
細かい設定がきちんとしてる感じがして、良かったです。
5.100名前が無い程度の能力削除
後半のたたみかける感じがよかったです
6.100名前が無い程度の能力削除
珍しい組み合わせ。
面白かったです。
7.無評価ラム肉削除
コメントを頂きありがとうございます。
確かに読みにくいですね、書いてる時は縦書きだったので気になりませんでした。
取り敢えず機械的に一行ずつ開けて見ました、読みやすくなるかはわかりませんが、
前の方がまだ良かったかなと思えば戻せば良いだけですし、この形で置いておきます。
9.90奇声を発する程度の能力削除
あっという間に物語にのめり込んでいきました
とても面白かったです
12.100名前が無い程度の能力削除
とっても素敵なお話でした!
咲夜はいつかレミリア達に心を開けるのでしょうか
14.90慶悟削除
タイトルの元ネタって映画ピンポンでお馴染みのスーパーカーのYUMEGIWAlastboyかなっ?当たってたらうれしいなー
15.100名前が正体不明である程度の能力削除
おもしろかった!
19.100名前が無い程度の能力削除
細かい状況描写がされていてとてもすばらしい作品だと思います。
28.100名前が無い程度の能力削除
咲夜とさとりの二人がこんなにはまるとは。
29.80名前が無い程度の能力削除
どうして咲夜にさとり?と首を傾げそうになってなるほどと納得。

惜しむらくはこいしの口調の違和感と、この後を少し描写して欲しかった。言葉なくとも通じ合ってるでしょうがあえてそこは言語化してほしいぜ、読者的には。
30.100名前が無い程度の能力削除
人間に翻弄される妖怪こいしちゃんが見られる戦闘シーンに二重の意味で興奮した
34.90名前が無い程度の能力削除
面白かった。
次は紅魔館にお友達紹介ですね。楽しみ
37.80名前が無い程度の能力削除
 後書きからもわかるけれど、このSSは創想話や東方二次創作の"空気を読んでいない"かも。「初投稿です^^」に多い。
たいていは、その奇抜さがつまらないssと共に皿に乗っけられてくる。奇抜さは悪くないのに、それが一番わかりやすいから
「このssおもしろくないです」と言えば済むことを「この設定痛いw」だの「俺設定乙」とか言われるんだ。
 このssはおもしろかったです。珍しいキャラの組み合わせと、こいしちゃんに珍しい台詞や展開を組み合わせているところが、めずらしくて
刺激的でした。リアルな生活ではもちろん空気(笑)を読まなきゃいけない時がある。それが嫌でネットに来てる人も多いのに、彼らも実はネットで
空気(笑)を生み出して、読んでいるってところが皮肉ですねェ。仕方ないね。それがコミュニケーションだもの。
 いかん!?関係ない話に!とにかく、おもしろかったですよ。ラム肉はニュージーランドで食べたことしかないけど、おいしいですよね。
日本ではスーパーに売ってないので(多分あっても高いし)とんと会わずじまいですわ。
 この話はもっと続きがあってもよかったな。と少し空腹感を覚えたので100ではなく80です。
38.80名前が無い程度の能力削除
後日談?をもう少し欲しかった…
でも面白かったです
41.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです
序盤に冗長な感じが無ければより良かったかと思います

誤字っぽいの
咲夜は自身に満ちた笑みを浮かべ、ポケットの中の~
自信?
44.無評価ラム肉削除
コメント及び評価を頂きありがとうございます。
指摘のあったものも含め、とりあえず目に付いた誤字等の修正、
それと明らかにいらないだろうという部分を削除しました。
>元ネタはスーパーカー?
そうです、私の中ではこの文章の心のエンディングテーマです。
>後日談
この文章自体、蛇足の塊の様な物ですから、最後くらいビシっとスッパリ終わらせようと思い、
このような結末となりました。というか、最初からこの終わり方だけは決めて書きました。
需要に合ったものを作れなかったのは、紛れも無く私の技術の無さが招いた事です。
ただ、後日談があったとしても、結局ハッピーエンドになるはずです。
理由は私自身がハッピーエンド好きだからです。
48.100名前が無い程度の能力削除
んあ・・・あー・・・
100点・・・あー
52.100リペヤー削除
咲夜とさとりの絡みは中々新鮮でした。
最後の方が駆け足気味だったのが少し残念。
ですが、とても面白かったです。
個人的にこいしが咲夜さんに手玉に取られてる場面がナイス。
56.100朔盈削除
なかなかの咲夜と地霊殿。
とっても面白かったです。
久々にこういうストーリー読んだかも。
楽しませてもらいました。
57.100名前が無い程度の能力削除
こいしちゃんが目を開いてからの変化がちょっといきなりすぎるかな
もっといろいろ悶えてくれたら私としても悶えr
それでも100点 面白かったです
63.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
最後駆け足だったのが少し残念でしたが。
68.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。