Coolier - 新生・東方創想話

夜が明けて行く

2011/12/25 09:24:56
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 この物語はアリスの心境の変化に合わせて三部構成に分かれております。
 長いですが、お楽しみ頂ければ幸いです。


 ***


「アリス、好きだ! 私と付き合ってくれ!」
「……はい?」

 ある日の朝。私が家の扉を開けたら目の前に知り合いが居て、いきなり告白をしてきた。
 お相手は近所に住んでいる魔法使いで、名前は霧雨魔理沙。
 私と幼馴染で、年下の、元気な……女の子だ。

 申し遅れたが、私の名前はアリス・マーガトロイド。
 ここ幻想郷の魔法の森に住んでいる、種族・魔法使いの人型妖怪だ。
 名前を見ても分かるように、当然私も女である。

「……えーっと、何かの罰ゲームか何か? そう言うのは、当事者の間だけでやって欲しいのだけど?」
「罰ゲームでも無ければ、冷やかしでも無いぜ。私、霧雨魔理沙は、アリス・マーガトロイドに対して好意を抱いている。
 それも友情などではなく、愛情を以てだ。アリス、私はお前の事が好きだ。私と付き合って欲しい!」
「……私、女なんだけど? あなたも女よね?」
「そうだな。それで?」
「正直な話、あなたの趣味に関して何かを言うつもりは無いの。
 そーゆー趣味の知識はあるし、理解は……まあ、適当に。でも、興味は無いの。
 恋愛ごっこなら他所を当たってくれる?」

 魔理沙がどう言うつもりなのかは知らないが、私に同性愛の趣味は無い。
 交流は深いがあまり親しくない相手でもあるし、適当にあしらうように冷たい言葉を選んで放つ。
 しかし、それで引き下がると思っていた魔理沙は肩を竦めるだけで、まだその場に留まっていた。

「やれやれ、予想通りの反応だな。そんな態度じゃあ、友達も恋人もできないぜ?」
「別にいらないもの。話はそれだけ? 何も無いんだったら、自分の研究に戻りたいんだけど。
 知ってるでしょう? 私が今とても大事な時期にあるって事を」

 私は人形を使った魔術を得意とした魔法使いだ。
 その技量を試す場として、私は人里で人形劇を定期的に開催している。
 しかし、次回開催予定の人形劇は今までの気楽な上演と違って特別な回になる予定なのだ。
 それを分かっているのかどうか。確認のために話題を振ってみると、魔理沙はあっさりと首を縦に振った。

「ああ、知ってるぜ。里のお偉いさん方が視察に来るんだろう?」
「そう。私が里で活動をするに当たって、信頼できる妖怪なのかどうか、それを視察されるってわけ。
 そして、その次の人形劇まで一ヶ月を切っているわ。だから私は忙しいの。分かるわね?」
「アリスにとって大事な時期だって事は承知しているつもりだ」
「私は里で色んな物を買っているし、時には商品を卸したりもしているわ。
 だから、里との取引が止まるのは少し困るの。お分かり?」
「それも重々承知しているよ。でも……」
「でももヘチマも無いの。そう言う訳だから、帰って頂戴」

 扉を閉じて中に戻ろうとすると、その扉をガッと掴まれて押し止められてしまった。
 反射的に上海人形が迎撃の槍を突き出すが、それを軽くかわした魔理沙は意に介さず言葉を続けて来る。

「何よ?」
「一つだけ聞かせて欲しい! アリスにとって私はどんな存在なのか、正直に答えて欲しいんだ!」
「んー……正直に言うなら『便利な隣人』かしらね。異変解決の時は稀に世話になるし、軽い面倒は押し付けされてもらっているわ。
 でも、それだけ。門前払いにしない程度に親しい友人ではあるけど、『親友』と言うほどでは無いわね」

 まあ、その評価も今回の事で急激に下方修正される事になるのだが、それを口に出さない代わりに溜め息を一つ付いて、答えてやった。
 朝一番から何とも面倒な事に巻き込まれたものだが、この質問に答えない限りこいつは引き下がらないだろう。
 見てみれば魔理沙の表情は異変解決の時のように真剣で、真っ直ぐにこちらを見据えてきている。
 『梃子でも動かない』とはこの事だろう。面倒臭い。

「……ふむ、意外と悪くないな。アリス、今のを受けて一つ提案がある」
「言ってみなさい」
「アリスが私の事をどう思っているかは分かった。
 でも、私がアリスの事を好きな気持ちは変わらないし、諦める気も無い。それは分かるだろう?」
「まぁね」
「だから……一ヶ月だ。私に対する返事を、一ヶ月後に遅らせて欲しい。ネガティブな返事も、ポジティブな返事も両方だ!」
「……ふぅん?」

 一ヶ月。つまり、人形劇の翌日辺りか。随分と短い期間だが、その間に私を心変わりさせる積もりなのか?
 だとしたら随分と安く見られたものだし、例え一ヶ月だろうと一年だろうと、私の返事が『NO』から変わることは無いだろう。
 しかし、これは悪くない条件かもしれない。

「別にいいわよ。その代わり、それが過ぎたらもうそんな寝惚けた事は言わないように。
 そして、もう二度と私の周囲をうろつかない事。これでいい?」
「ああ、それで構わない。約束するぜ」
「それと、私は私で忙しいの。あなたはどうやら暇みたいだけど、私の邪魔はしないとも約束して欲しいわ」
「分かった、アリスを困らせるような事はしない。ただまあ、友人として訪ねて来る範囲では許容してくれよな?」
「ある意味、もう迷惑はかけられているんだけど?」
「じゃあ、『これ以上』困らせるような事はしないに変更だ。それでいいだろう?」
「……まぁ、それくらいならいいけど……」
「じゃあ決まりだ。また来るからな!」

 そう言い放って、クルリとこちらに背を向けて箒に跨る。
 体は正面に向けたまま、顔だけで振り返った魔理沙はウインクを一つ、私に投げかけてきた。

「今日は宣言に来ただけだ。また明日、同じ時間に来るから茶の用意でもしておいてくれよ!」

 捨て台詞もそこそこに、箒に乗って急発進した魔理沙の後姿は、森の木々に隠れてすぐに見えなくなった。
 彼女が去ったことで漸く戻ってきた静寂にホッとしたのも束の間、約束の内容を思い返して頭が痛くなる。
 人形劇の準備のために時間は有効に使いたかったのだが、恐らく日のあるうちは魔理沙に時間を取られる事だろう。
 この時点でかなり迷惑なのだが、先延ばしにできる問題でもなさそうだ。作業は魔理沙が帰った後にやるしかない。

「うーん……面倒な事になったわね。面倒は嫌いなんだけどな。
 ま、そこまで焦ってもいないし、小娘の気紛れに付き合ってあげましょうか」


 ***


 むかしむかし、あるところに。
 一人の妖怪さんが住んでいました。

 妖怪さんは魔法使いで、暗い暗い魔法の森の奥に一人で住んでいます。
 訪れる人も殆ど無く、姉妹や母親とも別れての一人暮らしです。
 でも寂しくはありません。妖怪さんは、たくさんのお人形達と一緒に暮らしていたのです。
 お人形さん達は妖怪さんの家族で、妖怪さんも人形を操る魔法を得意としていました。


 ***


 翌日。宣言通りの朝一番に魔理沙がやって来た。
 手には小さなバスケットを携えていて、いつも通りの能天気な笑顔を私に向けて扉の前に立っていた。
 嬉しくて仕方ない、と言った風情だがしかし、私はそんな気分にはなれなかった。
 大盾を構えた上海人形を前面に出して、警戒を怠らないでおく。

「よっ! 遊びに来たぜ~」
「……いらっしゃい」
「おいおい、何を警戒しているんだよ。今日はいつも通り、普通に話をしに来ただけだぜ?」
「無いとは思うけど、実力行使に出ないとも限らないから。あなた、手が早そうだし」
「それは偏見だぜ。魔理沙さんは紳士だから、相手の嫌がる事はしないのさ」
「……パチュリーの事は? 図書館の被害、拡大してきたって聞いたわよ。あと霊夢にたかるのは違うの?」
「時には例外もある。ま、それは関係無い。中に入れてくれよ、土産が冷めちまう」

 手に持ったバスケットを掲げると、中から香ばしい焼き菓子の香りが漂ってきた。

「それは?」
「私の手作りお菓子だ。……と言いたい所だが、香霖に頼んで作って貰ったクッキーとマフィンだ。
 アリスは和菓子よりもこっちの方が好きだろう?」
「あの店主さん、本当に多芸なのね。ま、手土産もちゃんとあるなら最低限の歓迎はしてあげるわ。中に入りなさい」
「おう。今日は外の世界の魔道書を手に入れたから、それを使ってディベートでもしよう」
「いいわね。手加減しないわよ?」
「お手柔らかに頼むぜ」

 (少女討論中...)

「この分からず屋め!」
「何よ、頑固なのはそっちじゃない!」

 魔理沙とお茶会を始めて、小一時間後。
 私達は喧々諤々と口論を交わしていた。
 議論の内容は魔理沙が持ってきた魔術書の一文の解釈の問題だ。

「だから、分からない奴だな! ここの原文をよく読めよ! ちゃんと『Target Creature』ってなってるだろ!
 クリーチャーってのは生物全般の事なんだから、人形には効かないはずだ! 試せないけど!」
「分からないのはあなたの方よ! この場合のクリーチャーは、魔法的な効果の影響下にある"何か" の事よ。
 人形に効くか、効かないかは、私のコントロールに依存するわ! だから効くの! 試せないけど!」
「《恐怖》の魔法で人形や壁が被害を受けるのかよ!?」
「この魔法の影響力的には適正よ! この魔法は、負のオーラを纏ったアンデッドやデーモンしか完全には防げないのよ!」
「それともう一つ、魂を持たないゴーレムの類にも効かないだろう? つまりアリスの人形には効かないって寸法だ!」
「なに? 私の作った人形達に魂が篭ってないって?」
「いや、それとこれは話が別……ん? ところで、この魔法はレミリアとかには効くのか?
 あいつ、自称吸血鬼で悪魔だけど、死とか負の力って感じがしないし、赤いし」
「……はて、どうかしらね。試してみるわけにも行かないけど、赤っぽいわね。意外と効くかもしれないわ」
「まあ、やっぱり試すわけには行かないんだがな。負のオーラじゃなくても、それに近しい何かならこの魔法を弾くだろう」
「そういう意味では、幽々子には確定で効かないわね。妖夢はどうなのかしら……」
「命中率まで半人前だったりしてな。あと、霊夢にも効かないな。
 あいつはアンタッチャブルだし、そもそも結界で弾かれそうだ。
 ……あー、ちょっと休憩にしようか。議論しすぎて喉が痛い」
「いい意見ね、採用するわ。上海~ お茶~」
『シャンハーイ!』

 魔理沙が手土産代わりに持って来た魔道書は、中々に面白いものだった。
 中に書かれている魔法そのものは極々基本的なものばかりなのだが、
 どれもこれも私達の使う魔法とは別系統の代物なので、こうやって検証をする分にはとても良い代物だ。
 書かれている魔法が、攻撃的なラインナップに偏っているのはご愛嬌だろうか。

 朝一から始めた議論の筈だったのだが、ふと外を見てみると太陽が天頂を過ぎて傾き、そろそろ夕方にでもなろうかと言う時間になっていた。
 議論が余りにも楽しくて、ついつい時間を気にするのを忘れてしまっていたようだ。
 こういうのも、たまには悪くない。

「でも、安心したわ。魔理沙が変な事を言うから、今日は何をされるのかって冷や冷やしていたのよ」
「そーなのかー。ちなみに、どんな?」
「事ある毎にキザな台詞で私を口説こうとしたり、熱い視線を送り続けたり、最悪、押し倒されたり……とにかく、そんな非常識な事よ」
「はっはっは! 無い無い!」
「そうよね、無いわよね~ 嫌だわ、私ったら魔理沙の冗談を真に受けちゃって……」
「……アリス。ちょっとこっちを向け」
「ん?」

 二人してカラカラと笑っていると、不意に魔理沙の声色が変わる。
 それを不審に思う間もなく正面を向くと、先ほどまでの砕けた表情はどこかへ消えて、険しく真剣な表情を浮かべた魔理沙が居た。
 真っ直ぐに私の目を貫く眼光は、油断していた私の意気を飲み込むには十分な力を持っていて、
 そこから目を離すことができなくなってしまった。

「昨日言っただろう、必要以上の迷惑はかけないって。
 私は好きな相手にイタズラをして悦に浸るような子供でもないし、恋に狂うような恥知らずでもないつもりだ。今日の私は、迷惑だったか?」
「い、いいえ。楽しい時間だったわよ……」
「なら、一つだけ訂正して貰うぜ。私がお前の事を好きなのは、紛れもなく本当の事だ。
 だから、昨日の告白も断じて変な事じゃない。そこを撤回して貰う」

 テーブルから身を軽く身を乗り出して、私に圧力をかける魔理沙。
 異変をいくつも解決してきた実績は伊達ではなく、たったそれだけの動作なのに魔理沙の体が数倍は大きくなったような錯覚すら覚える。
 恫喝もされていないし、大声を出されたわけでもないのだが、それだけで私の中に残っていた軽い反骨心は潰えてしまった。

「……いいな?」
「え、ええ。分かったわ……」
「なら、いい」

 不意に圧力が消えて、魔理沙の顔が遠ざかって行く。
 いつの間やってきたのか、上海人形が淹れてくれたお茶を軽く飲み干した魔理沙は、帽子と箒を持って玄関へと歩いていった。
 慌ててそれを追いかけると、既に魔理沙は靴を履いて扉を開けていた。

「帰るの?」
「ああ。よくよく考えたら、そろそろ晩飯の準備をしないと。議論の続きはまた明日な」
「……そう、分かったわ」
「ふふ、そんな寂しそうな顔をするなよ。それとも、晩飯をご馳走してくれるのか?」
「そんな顔はしてないでしょう。晩御飯は自分の家で食べなさい」
「ああ、そのつもりさ。それじゃあまた明日な。愛してるぜアリス!」

 パタンと扉が閉じて魔理沙の姿が見えなくなる。
 すると現金なもので、小生意気な後輩にやり込められてしまったと言う実感がジワジワと湧いてきて、ダンダンと怒りが込み上げて来た。
 腹立ち紛れにガチャリと大きな音を出して扉を施錠した私は、適当な人形を抱いたままベッドへと倒れこんで枕を強く叩いた。

「……ああもう、悔しいわね! 何で私はあそこで……!」

 私の拳を柔らかく受け止めた枕は、小さな埃を撒き散らしつつも何も話さない。
 胸に抱えた人形も、あいつが残していった茶器も、シンと静まり返った部屋もそうだ。
 我ながら理不尽だとは思うが、そんな僅かな魔理沙の痕跡が無性に癇に障った。

「ああもう! ああもう! 次に似たような事があったら、逆に飲み込んでやるわ! 魔理沙なんて大っ嫌い!」


 ***


 そんなある日の夜、事件が起こります。
 その日は満月で、魔の力が最も大きくなる日でした。
 魔法使いの妖怪さんも、もちろん例外ではありません。
 満月を待って色々やろうと、日頃から準備をしてきたのです。


 ***


 言葉の通り、魔理沙は翌日からも私の家を訪れ続けた。
 初日こそ会話の糸口として魔道書を持参していた魔理沙だったが、
 次の日からは来たからと言って別に大した事をするわけではなく、
 私の出す紅茶とお菓子を嗜みながら静かに読書に耽っているのみだった。

「ちょっと。うちをカフェ代わりに使うのは止めてくれないかしら?」
「いいじゃないか、アリスと一緒に居たいんだよ。それとも初日みたいに喧々諤々とした方がお好みかな?」
「そんなわけないでしょう。私はただ、私の生活圏に他人がいるのが嫌いな性質なのよ」
「私も基本そうだが、アリスなら構わないと思ってもいるよ」
「私は構うのよ!」
「アリスだって忙しいんだろう? これは最低限の譲歩のつもりなんだがな。
 ま、私はここで本を読んでいるから、アリスも好きにすごしてくれよ」
「ここは私の家だって言っているでしょう! ……もう!」

 結論。無視するに限る。
 馬耳東風と言葉を受け流す魔理沙に業を煮やした私は、言葉の通りに好きにすごす事に決めた。
 流石に盗癖のある魔理沙を一人残すのは嫌なため、私は書斎からノートを持ってきて彼女を見張りながら作業をする事にした。

 時計の立てる硬質な音と、魔理沙が本のページを捲る音と、私の筆の音だけが居間を支配して、流れるように時が過ぎて行った。
 途中で魔理沙が騒ぎ出すかと思っていたのだが、本を読む彼女は普段の様子からは想像もつかないほどに静かで、
 こちらの事など眼中に無いかのように、熱心に目の前の本に集中していた。
 手元に置かれたメモへと何かを書き込み、本を読むのを中断して考察を練ったり数式を組み上げたりと、
 こうやって机に向かっている姿は魔法使いとして様になっているように見えた。

 互いに無言のまま数時間が経過した頃。
 私が新しい紅茶を淹れるために人形を台所へ飛ばしていると、こちらに興味を持ったらしい魔理沙が話しかけてきた。

「アリス、それは劇の台本か?」
「ええ、そうよ。見ないでね」
「別に覗きはしないけどさ。劇までもう時間も無いんだろう? 間に合うのか?」
「何とか間に合わせるつもりだけど、正直難しいわね。一応『桃太郎』と『シンデレラ』の定番2つを押さえて準備しているんだけど、どうもピンと来ないのよ」
「ふーん……確かに、最近作ってる人形も素体ばっかりだしな。まだ服もできていないのか」

 魔理沙が視線をやった先には、ここしばらく作り続けていた人形達が置いてある。
 それらは基本的なパペットドールで、まだ男女の見分けもつかないような素体の状態だ。
 後は造形を決めて仕上げるだけなのだが、劇の内容がまだ決まらないため、その造形も決まらないのだ。

「服はまあ、色々と作り置きがあるから融通は利くんだけどね。何と言うか、閃きが欲しい所ではあるわね」
「閃きか。閃光なら出せるんだが……」
「それを出したら叩き出すからね」
「ジョークだよ、ジョーク。真に受けるなって……よし。アリス、紅魔館に行こうぜ」
「……は?」
「だから、紅魔館だよ紅魔館。パチュリーのいる図書館さ」
「それは分かるわよ。宴会とか異変解決とかで一緒をした仲だしね。でも、どうして紅魔館なの?」
「アリスはあんまり知らないかもしれないけど、あの図書館には魔術書以外の一般書も置いてあるんだ。
 例えばグリム童話とか、日本神話とか、外の世界の絵本とかさ。それを見に行こうぜ」
「……なるほど、それは確かに参考になるかもしれないわね」
「アウトプットを増やすには、インプットを増やさないとな。どうだ?」
「悪くない提案ね。行きましょうか」
「よし来た! 紹介は任せてくれよ」
「むしろ、あなたと一緒に居ない方が平和的に図書館を利用できそうなものだけどね。
 もしもパチュリーの機嫌が悪かったら、とりあえず生贄に捧げるからそのつもりでね」
「おお、こわいこわい」

 ひょいと肩を竦めて、魔理沙は一足先に出て行った。
 私も手荷物と手土産を準備してからそれを追いかけると、
 既に箒に乗っていた魔理沙が箒の後ろを示していた。
 乗れ、と言う事なのだろうか。馬鹿を言うな。

「アリス、乗れよ。そっちの方がよっぽど早い」
「自分で飛ぶからいらないわよ。ほら、行った行った」

 魔理沙の背中を半ば蹴り出すようにして発進させると、私も空へと飛び上がった。
 太陽を見てみると、既に天頂を大きく過ぎて傾いている。
 これは確かに、急がないといけないのかもしれない。
 フライトの進路を紅魔館に向けた私達は、特に会話も無く走り出した。


 ***


 しかし、夜になって空を見上げた妖怪さんはとても驚きました。
 なんと、夜空一杯に真ん丸のお顔を晒しているはずのお月様が、欠けているではありませんか!

 日付を何度確認しても、目をこすってもそれは変わりません。
 満月の夜なのに、満月が昇らなかったのです。
 妖怪さんはとても驚きました。


 ***


「お邪魔するぜー」
「お邪魔しまーす」
「邪魔するなら帰ってねー」
「はーい……って違う! 遊びに来たぜパチュリー!」
「はいはい、図書館ではお静かに。アリスもいらっしゃい」

 紅魔館に到着した私達は、そのままの足でパチュリーのいる図書館へと向かった。
 何故かフリーパス状態の表門を通り、妖精メイド達のイタズラを適当に掻い潜った先にある図書館への扉を開けると、
 いつもの場所にいつものようにパチュリーが鎮座していた。
 最初のうちはやや警戒するように目を細めていたパチュリーだったが、手土産のクッキーを渡すと警戒を解いてくれたように見える。
 意外と食いしん坊なのかもしれない。まあ、実はあんまり人の事は言えないんだけどね。

「甘い物はいいわね。糖分が足りないと、脳の働きが活性化しないもの。それで、今日は何の用なのかしら?」
「本を読みに来たんだ。絵本や物語のコーナーってどこだっけ?」
「んー? ……ああ、そう言う事ね。これについて行きなさい」

 パチュリーがひょいと指を振ると、その指先から小さな光の球が飛び出した。

「その子が道案内をしてくれるわ。使い終わったら握り潰してくれれば消えるから、適当に処分しておいてね」
「ん、分かった。それじゃあ行こうぜアリス」
「はいはい……!?」

 光球を追いかけて奥へと歩を進めると、背後から背中に突き刺さる鋭い視線と意識を感じた。
 すわ、早起きした吸血鬼姉妹に見つかったか! と慌てた私は素早く背後を振り返ったが、
 そこには再び本に目を落としているパチュリーがいるだけで、特に変わった様子は無かった。
 まさか彼女が、とも思ったのだが、そこまで鋭い視線を向けられる動機が思い当たらない。

「……?」
「どうしたんだアリス? 鳩が豆鉄砲を食べたような顔をして」
「その鳩はがガッちゃんか何か? ……何でもないわ、気のせいみたい」
「そうか? それならいいんだが」

 再びパチュリーの方に背中を向けて歩き出すが、同じ視線を感じる事は無かった。
 その後、魔理沙に案内された先の本棚から数冊の絵本や童話集をピックアップした私は、
 パチュリーの許可を得てそれを持ち帰り、人形劇のヒントにする事ができた。

 帰りの道でも魔理沙が箒に乗らないかと聞いてきたが、もちろん断ったことを追記しておく。


 ***


 満月が昇らないなんて、朝が来ても太陽が昇らないくらい大変な事です。
 早く何とかしないと、もっともっと大変な事になるかもしれません。
 これは異変に違いないと考えた妖怪さんは、急いで調査に乗り出しました。


 ***


「……そろそろ、魔理沙が来る時間ね。はぁやれやれ、このまま来ないでくれると嬉しいんだけど……」

 魔理沙は毎日同じ時間にやって来る。
 それが分かっている私は、作り終わった人形に魔法をかける作業を止めて、道具と人形を奥の工房へと放り込んだ。
 これらの作業は、魔理沙に見せるわけには行かない。

「もう、これは魔理沙が来る前に終わらせたかったのに……。でも見せるわけにも行かないし、仕方ないか」

 見せられない作業は幾つもある。
 例えば作った人形に魔法の糸を通して操作できるようにする処置だったり、水や火に対する耐性を与える賦与魔術だったり、
 人形事に細かく違う稼動域の調整だったり、人形の着替えだったりだ。
 着替えはさておき、人形の操作に関するアレコレは私の魔法の中でも秘中の秘。絶対に見せるわけには行かない。
 つまり、魔理沙が来ている間はできない作業と言うわけだ。

 魔術道具の片づけが終わり、簡単な掃除が終わった正にその瞬間。まるで見計らったかのように呼び鈴が鳴った。

『ピンポーン』

「ああ、来たのね。全くもう……。いらっしゃい」
「おう、いらっしゃったぜ。中に入ってもいいかな?」
「入るな、と言っても勝手に上がりこむんでしょう? ほら、入りなさい。そしてなるべく静かにしていなさいね」
「はいはいっと」

 中に入った魔理沙は、ここ一週間でお決まりになったいつもの位置に帽子をかけて、
 勝手に洗面所で手洗いうがいを済ませ、初日から変わらない定位置へと腰を降ろした。
 この図々しい態度にまた一つ溜め息を漏らす。
 諦めた私は、魔理沙の向かいに座ってノートを広げてペンを手に取った。

「アリス、まだ台本はできていないのか?」
「……ええ、そうよ。悪い?」
「良いとか悪いとかじゃなくてだな。その……本当の本当に間に合うのか?」
「かなり難しいのは確かね。服の仕上げや舞台装置の製作とかも考えると、本当にギリギリ。
 でも、これが無いと何もかも手に付かないし……」
「お手上げって事か。まあ、あんまり調子が良くなさそうだしな。ちゃんと寝てるか?」

 心配そうにこちらを覗き込んで来る魔理沙に、妙にイラッとさせられる。
 誰のせいで作業が進んでいないと思っているのだろうか。

「何か私に手伝える事があれば、何でも言ってくれよな。可能な限り手を貸すからさ」
「ふーん。やけに殊勝じゃない」
「そりゃあ、好きな相手の役に立ちたいと思うのは自然な事だろう? 人形作りは手伝えないけど、他の事なら何でもするぜ」
「何でも、ねぇ……。言うは易し、行うは難しね」

 実の所、魔理沙に手伝ってもらう事は何も無い。
 それどころか、彼女のせいで大幅な予定の遅れが出ているとすら感じられるのだ。

 そう、魔理沙が来るようになった辺りからどうも調子がおかしい。
 不調になった時期と魔理沙が来るようになった時期が大体合致するのだ。

 作業は思ったように進まないし、普段ならすんなりと決まる劇の台本も事実上空白の状態だ。
 人形劇に限らなくても、日単位で手のかかる実験ができないし、先ほどまで行っていたような手間のかかる魔術賦与も邪魔をされている。
 劇の台本だって、一人でじっくり考える時間が取れないのが痛い。

 これは、約束違反と言えるのではないだろうか?
 そう考えると、先の言葉も私の邪魔をする皮肉の一種にしか聞こえなくなってきた。
 剣呑な表情を隠す事無く、私は目の前で間抜けな真剣面をしている魔理沙に毒を投げかけた。

「魔理沙はいいわよね。私と違って暇があって」
「ん?」
「時間の浪費は楽しいかしら? 私は貴重な時間を盗まれてとても不愉快な思いをしているわ。
 あなた、言ったわよね。私に迷惑はかけないって」
「……何が言いたいんだ?」
「分からない? 分からないならはっきりと言ってあげるわ。私にとって、あなたは邪魔者なの。
 そこにいるだけで私の時間を浪費させる無為な存在なの。分かる?」
「……」

 そこまで言う必要は無い。
 理性ではそう考えていても、溜まりに溜まった鬱憤は止まる所を知らなかった。

「魔理沙ちゃんは頭がいいから、それくらい分かるでしょう? 仮に分からなくても、もうどっちでもいいわ。
 私の邪魔をしないと言う契約違反よ、即刻出て行きなさい! 私を作業に集中させなさい!」
「……それは悪かったよ。でも、私にできる事は何も無いのか?」

 食い下がる魔理沙。
 その目はここまで散々に言われたにも関わらず光を失わず、むしろ逆に気合いが入ったかのように爛々と輝いていた。
 しかし、それは私の苛立ちを煽るだけで、ヒステリックになった私は更にきつい言葉を探して投げつける。

「そうね。私の事が好きなら、何かやってみせたら? 私に閃きを与えてくれるような事とか、貴重な魔道書を持ってくるとか、とにかく色々あるでしょう?
 それを持ってきたら、少しは考えてあげる。分かった?」
「おい、何を言って……」
「できないでしょう? できないわよね? それなら、さっさと出て行きなさい! これ以上私の邪魔をするなら、殺すわよ?」
「……」

 戦闘用の人形をポップさせて、魔理沙の鼻先を掠めるように一撃を放つ。
 それに反応した魔理沙は即座に椅子を蹴倒しながら立ち上がり、大きくバックステップをして私と人形から距離を取った。

「今のは警告よ。次は鼻じゃなくて首を狙うわ」
「……随分とカリカリしてるじゃないか。一体どうしたって言うんだ?」
「分かっているのなら、分かるでしょう? それで、返事は?」

 しばらく睨み合った末。
 折れたのは魔理沙だった。

「……何か、持って来ればいいんだな?」
「ええそうよ。そうしたら、貴方への態度も少しは考えてあげる。いいわね?」
「分かった。期待して待っていろよ?」
「あなたが何も成さずに帰って来る事を期待するわ。さようなら!」

『バタン!』

 私の怒りを引き受けた扉が乱暴な音を立てて閉まると、ようやく辺りは静かになった。
 しばらくは扉の前で興奮覚めやらぬと顔を赤くしていた私だったが、
 時間が経って冷静になると、少しばかりの後悔が押し寄せて来た。

「……一応の顔馴染みに、今のは無かったかな……。
 ちょっと、作業が思ったように進まなくてイライラし過ぎているのかもしれないわね。
 でも、それもこれも魔理沙の自業自得だわ。私が気にする事では無いでしょう」

 一先ず落ち着かないと始まらない。
 私は上海に命じてキッチンから紅茶を取ってこさせると、少し早めの昼食を取り一息ついた。
 まだ微妙なしこりは消えないが、所詮はどうでも良い事だと頭の隅に追いやった。

「ま、今度会ったら少し言い過ぎたって謝ればいいわよね。
 そんな事より、邪魔者がいなくなって清々したわけだし、ちゃっちゃと台本を仕上げちゃいますか!」

 結論から言えば、その機会が訪れる事は二度と無かった。
 次に動きがあったのはそれから更に三日後で、スランプに陥っていた私が頭を抱えて台本と格闘している時だった。


 ***


「むー……。うぐぐ……。あぁー……ダメだわ、何にもネタが出て来ない。
 一体どんな劇にすればいいのよぉ……。」

 魔理沙を追い出してから、三日後。
 私は白紙のノートを前に頭を抱えて唸り声をあげていた。

 机に備え付けられたゴミ箱は没にして破り捨てたノートのページでいっぱいになっており、既にゴミ箱の役目を果たせないでいる。
 平常の魔法研究も同じような感じにグダグダとしていて、今の状態で薬品をいじったり魔法陣を書いたりは絶対にしたくない。
 精密な作業を必要とする人形にかける魔術賦与など、とんでもない事だ。やってはならない。
 畢竟、台本に集中せざるを得ないのだが、ネタどころか方向性すら決まらない有り様だった。
 人形劇までは残り半月と少々しかないため、そろそろ本格的に何とかしたいのだが……。

「人形劇のメイン客層は子供達だから、子供受けする話にしたいのよね。それは確実、紅魔館で手に入れた大事なヒントよ。
 でもそれだと、どうしても演出が地味になるから、視察に来る大人達を楽しませるにはちょっとインパクトが足りないし……。
 ああもう、結局堂々巡りだわ。どうにかしてこの思考から抜け出さないと」

 魔理沙が来なくなってから、ずっとこの調子だ。
 頭を働かそうとしても、気分転換をしても、考えないようにしても、何をやっても上手くいかない。
 どうやら、思ったように作業が進まなかったのは魔理沙のせいではなく、単純に私がスランプに陥っていたせいだったらしい。
 自分一人で自分の状態を直視してみると、それがハッキリと自覚できてしまった。
 そのスランプをどうにかしようともがくのだが、そのもがきが更に悪い方向に進んでしまい、スランプの悪化を招く。最悪の悪循環だった。

 そうすると私はこの無自覚の苛立ちを魔理沙にぶつけてしまった事になる。
 その事実が、私の精神をチクチクと蝕んでいた。

「気分転換に神社でも行こうかしら。あわよくば、魔理沙に謝罪もできるかもしれないわ。
 でも、あんな事を言った手前一体どんな顔で会えば……」

『ピンポーン♪』

「ん? お客さん? はいはい、どちら様ですか?」
「ようアリス。私だぜ」

 呼び鈴の応じて扉を開けると、そこには大きな荷物を抱えた魔理沙が立っていた。
 思わぬタイミングで会いたくない相手に会った私は、戸惑いのあまり言葉を失ってしまった。
 しかし、魔理沙はそんな私を無視して深々と頭を下げた。

「アリス、すまなかった!」
「え?」
「あれから反省したんだよ。あの時の私は、口先ばっかりでアリスの気持ちを考えていなかった。
 迷惑をかけていないだなんて、とんだお笑い草だよな」
「……あ」

 違う。謝るべきなのは私の方だ。
 その言葉を発するよりも早く、魔理沙の言葉は続いて行く。

「自分の都合ばっかりを押し付けてしまったよな。あんなに怒られるのも、当たり前だぜ」
「いや、それは、私も言い過ぎだったし……」
「だから、汚名返上のためにも色々持ってきたんだ。どうか受け取って欲しい!」
「……分かったわ。これは何?」
「外の世界の服装大百科事典だ」
「!」

 慌てて中を確認すると、一抱えもあるような大きな本が姿を表した。
 表紙には確かに『服装大百科事典』と書かれており、中を見てみると大量の服のイラストとその作り方等が掲載されていた。
 中には私も知らないような技法が平然と書かれているような箇所もあり、眺めているだけで一日が終わりかねない素晴らしい本だった。

「こ、これは凄いわ……! どうしたのよ、こんなレア物!」
「まあ、色々あってな。でも土産はまだあるぜ」
「え?」
「むしろ、こっちがメインかな? これだ」

 魔理沙が懐から取り出したのは、一冊の手帳だった。
 外の世界の物らしいのだがそれ以上の特徴は無く、大きさは手の平に収まる程度で、素材も普通の紙と合成皮でできたありきたりなものだ。
 しかし、手記にも関わらず私の家にあるどんな魔道書よりも洗練された雰囲気を醸し出す、何とも不思議な手帳だった。
 受け取って中を見てみると、一人の天才が通り過ぎた道が書かれていた。私よりも、ずっとずっと高位の魔法使いの品だろう。

「何これ……。下手をしたら、禁呪レベルの内容が平然と書かれてるじゃない。場所が場所ならこれだけで封印指定を受けるわよ……」
「それは……何だったかな。青……じゃなくて蒼……いや橙……チェン? チェェェェェン?
 うん、確か、チェン何とかって言う魔法使いの書いた手記だそうだ。
 私にはさっぱり分からないんだけど、アリスなら役立ててくれると信じているぜ」
「蒼? チェン? ……いや、まさか……。でも、これも凄いわ」
「一番の目玉はその二つだけど、他にも色々持ってきたんだ。これで許して貰えるかな?」
「も、もちろんよ! むしろ、これじゃあ私が貰いすぎだわ! 何かお返しをしたいんだけど、何かないかしら?」
「いやぁ、別にいいぜ。私にとっては、こうやってアリスと話ができている事そのものが報酬なんだからな」
「そう言うわけにも行かないわよ。ね、何でもいいから言ってみなさいって!」

 お礼を言うとか報酬を出すとか、そんなチャチな話ではない。
 ハッキリ言って、私はこの二冊の本に対して十分な対価を用意することができない。
 私が神綺様から頂いたグリモワールならば対価としては申し分無いかもしれないが、これは私の専用魔術書だ。
 価値が釣り合ったとしても、需要と供給の観点では全く釣り合わない。
 仮に体を要求されたとしたら、果たして断れるかどうか。私にとっては、それくらい魅力的なアイテムなのだ。

「……何でもいいのか?」
「ええ。多少無茶な事でも聞いてあげるわ」
「そうか。それじゃあ……私の新しい帽子を作って欲しいな」
「帽子? あれ、そう言えば帽子はどうしたの?」

 今の今まで全く気がつかなかったが、魔理沙はいつも身につけているトレードマークのトンガリ魔女帽子を被っていなかった。
 それを不審に思い聞き返すと、恥ずかしそうに頭をかきつつ、『無くした』とだけ答えてくれた。

「だから、新しいのが欲しくてな。人形劇が終わった後でいいから、帽子の製作を頼めるかな?」
「それだけでいいの? 対価として足りるとは思えないけど、うちにある魔道書を全部あげてもいいのよ?」
「いいのいいの。その代わり、バッチリ私に合う帽子を作ってくれよな!」
「……分かったわ。その依頼、引き受けさせてもらうわ」
「よし! それと……」
「ん?」
「約束だったよな。役に立つ物を持って来たら、態度を考えてくれるって。
 アリスの中で、私の株は今どんな感じだ?」
「……私の負けよ。どうぞ、好きなだけ家でゆっくりして行くといいわ」

 現金な女だと笑うなら笑えばいい。
 だけど、私の中で魔理沙の評価が劇的に上昇したのは確かなのだ。
 それこそ、

「アリス」
「ん?」
「愛してるぜ」
「……はいはい」

 こんな言葉ですら、拒否できずに流せるようになるくらいには、だ。


 ***


 しかし、調査をしようとして妖怪さんは困ってしまいました。
 もしもこれが異変なら、解決するのは人間の役目。妖怪さんの役目ではありません。
 しかも、この異変は人間には殆ど何の影響も無いのです。
 博麗の巫女様が動いてくれるとは思えませんでしたし、自分から頼みに行くのは筋違いです。
 妖怪さんは頭を抱えました。


 ***


「なぁアリス。これは何だ?」
「ん? ああ、それはデッサンノートよ。見てもいいわよ」
「お、マジか。どれどれ」

 魔理沙の扱いが厄介者から賓客に大昇格してから、また数日。
 私が部屋の掃除をしていると、今日も魔理沙がやって来た。
 片付けを手伝ってくれると言うので居間の掃き掃除を頼んだのだが、そこで魔理沙が見つけたのは私のデッサンノートだった。
 これは家のあちこちに備えつけてあるもので、服飾や人形の構想が浮かんだ時に、すぐその場でメモを取れるようにとしてあるものだ。
 要するに落書き帳なのだが、これがまた重宝するのだ。

「へぇ~……やっぱり、アリスは手先が器用だな。これだけで食っていけるぞ、このノート」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわよ」
「世辞なものかよ! これ、香霖や親父が見たら涎を垂らすんじゃなかろうかな……ほー、おー、すげー……」

 すっかり掃除の手を止めて、デッサンノートに釘付けになる魔理沙。
 そう言えば、魔理沙の生家は里にある大きな道具屋だったか。
 一度覗いてみた事があるが、家具と一緒にインテリアとしての絵画も置いてあったような気がする。
 となれば、そこで目利きを仕込まれているのかもしれない。

「うーん……よし、決めた。アリス、明日は暇か?」
「暇……まあ、暇ね。どうしたの?」
「明日はピクニックに行こうぜ。神社の近くに、とってもいい絶景ポイントがあるんだ。私しか知らない、隠れた名所だぜ」
「へぇ、面白そうね。でもそれはいいけど、それとこれとはどんな関係があるの?」
「ふふふ、明日になってからのお楽しみだぜ。じゃあ、私はその準備をしたいから、掃除が終わったら帰るぜ」
「あら、掃除はして行ってくれるのね」
「……作業が進まない時って、部屋が片付くよな。付き合うよ」
「……分かる? ありがとう」

 それから明けて翌日。
 私の家の前に集合した私達は、目的地にお昼時に着くように調整をしつつ、ゆっくりと歩き出した。

「現地までは歩いて行く。飛んで行くのは風情が無いし、ちゃんと自分の足で歩いてこそのピクニックだからな」
「それは構わないんだけど……あなた、それは何?」
「現地に着いてのお楽しみだぜ」

 私の荷物はいつも持ち歩いているグリモワールとお弁当入りのバスケットだけなのだが、魔理沙は背中に大きな背負子を担いでいた。
 背負子の中身はいくつもの木製の棒のようなものと、小さな行李と、お弁当が入っていると思しきバスケットで、何に使うものだかサッパリ分からない。
 トレードマークの箒もそっちにくくりつけられていて、両手が完全に空いている状態だ。
 腰には大きな鉈を佩いていて、靴もいつもの革靴ではなく頑丈なブーツだった。

「完全に森歩き仕様だけど、大丈夫なの? 途中でへばっても困るわよ」
「なぁに、アリスとは鍛え方が違うぜ。平気平気。さあ、出発だ!」

 意気揚々と森の中へと歩を進める魔理沙は、自信たっぷりに胸を叩くと率先して先を歩き出した。
 やはり魔理沙は森歩きに慣れているらしく、ゴツい鉈を片手に迷わず先に進む後ろ姿はとても頼もしかった。
 それを見て安心した私も、それに続いて歩き出し、久し振りの散歩を堪能する事にした。
 いつもは飛んでショートカットする森の中を歩くのは中々に新鮮で、道中での会話も弾み、思ったよりもずっと楽しいピクニックだ。

「それでな。霊夢の膝の上は今、戦国猫時代を迎えているってわけだ」
「霊夢自身も猫みたいな所があるし、もうにゃんこ祭りね」
「そうそう。前から住み着いていた野良猫と、遊びに来る橙と、猫になった陰陽玉の黒猫三匹が霊夢の膝の上を虎視眈々と狙っているんだ。
 それでもバランスは取れてたんだが、最近はそこにお燐も加わったから、三者のバランスが揺らいだってわけさ」
「見事に黒猫ばっかりね。霊夢の膝の上って、そんなに気持ちいいのかしら?」
「何度か膝枕された事はあるが……あれはヤバいな。時間があっと言う間に消え失せる。時間を操れるのは咲夜と輝夜の専売特許じゃないってわけだ」

 話の内容は他愛も無い雑談ばかりだが、あまり外との交流を持たない私にとっては貴重な情報源だ。
 下らない内容でも、知り合いが馬鹿をやったり平和に過ごしている話は面白いものだ。
 魔理沙の話題のチョイスも、私のツボを抑えている。

「そうなの?」
「徹夜明けなんかで行くと、気が付くと一日が終わってるなんて事もあるからな。
 霊夢でそんななんだから、アリスに膝枕をして貰ったらさぞかし気持ちいいんだろうな~」
「しないわよ。私正座苦手だし」
「ちぇ、ケチだなアリスは……っと、そろそろ森を抜けるな。注意しろよ」
「なんで?」
「この時間だと、多分……」
「あー! 魔理沙発見! あたいと勝負しろ!」

 噂をすれば影、と言うのだろうか。
 森を抜けて霧の湖に出た瞬間、私達はそこを縄張りとする氷の妖精・チルノに出くわしてしまった。
 両腕を組んでドヤ顔でこちらを見下ろすチルノは、やる気満々だった。

「……チルノがハッスルしている頃合いなんだ」
「なるほど。じゃあ避けて行けば良かったのに」
「一応、目的があってな。おーいチルノ、とりあえず降りてこーい。話があるんだ」
「なーにー?」

 案外アッサリと上空から降りてくるチルノ。
 直前まで弾幕ごっこと息巻いていたとは思えないような気紛れっぷりは、やはり妖精だからだろうか。

「私達はピクニックの最中だから、弾幕ごっこは遠慮しておきたいんだ。変わりにこれをやるよ」
「あ、飴ちゃん!」

 魔理沙は懐から飴を取り出すと、それをチルノに見せびらかすようにヒラヒラと手を動かした。
 チルノはそれを取ろうと必死に手を伸ばすが、子供くらいの身長しか無いチルノでは、魔理沙の胸元までのジャンプが精一杯だ。

「飴ちゃん頂戴よ!」
「はい、どうぞ。美味いか?」
「美味しい!」
「よしよし。まだ少しあるから、友達と一緒に食べて来たらどうだ?」
「え、いいの? やった、あたいったらラッキーね!」
「ただし、このお代わりの飴はタダじゃああげられない。氷が欲しいんだが、作ってくれるか?」
「そんなの昼飯後よ。えいっ!」

 チルノが気合いを入れると、私たちの身長を超えるほど巨大な氷がデデンと現れた。
 それに満足したらしい魔理沙が、チルノに礼を言った後に飴をチルノに渡すと、
 チルノはご満悦の様子でフラフラと湖の方へと消えていってしまった。
 それを見送って視線を元に戻すと、魔理沙が氷を削り出して布に包んでいるところだった。

「餌付け?」
「餌付けだな。妖精との弾幕ごっこを回避したい時は、この手に限るぜ」
「手慣れているのね」
「まあ、神社と紅魔館に続く道だからな……よし、これだけあれば平気だろう。これで目的地に到着したら、アイスティーと洒落込もうぜ」
「それはいいわね! そう言う事なら氷は私が持つわよ」
「助かるぜ。それじゃあ、再度出発!」

 霧の湖を出て、妖怪の山を遠景に眺めながら神社へと向かう道を歩く。
 森の中からは分からなかったが、今日は雲も風も少なく、穏やかな日差しが幻想郷を照らす絶好のピクニック日和だった。
 ゆっくりと進む魔理沙のペースに合わせて歩けば、自然といつもとは違う世界が見渡せた。

 ピクニックを始めてから、一時間くらいが経っただろうか。
 博麗神社に向かう道を少しずれて小高い丘に登ると、梢の向こうに一本の大木が生えていた。
 その周囲だけ木々が少なく、まるで天然の展望台のようになっていた。

「到着だ! さあアリス、後ろを振り返ってみろよ」
「後ろ? ……わぁ、凄い!」

 展望台と思ったのは、間違いではなかった!
 魔理沙の言う通りに後ろを振り返ってみると、目の前には幻想郷があった。

 まず最初に目に入るのが、道中にも見えていた妖怪の山だ。
 青い空を背景に、大きく雄大にその姿を主張しているその様子は、伝説に聞く不死の山を彷彿とさせてくれる。
 天気が良いため、その天辺にある守矢神社までも見えるような気がしてくるが、
 残念ながら私の視力では、巨大なはずの御柱が小さく小さく山に刺さっている様子しか見えなかった。

 反対側には、こちらは炊事の煙を上げる紅魔館が見えた。
 その門の前では小さな人影がチマチマと何か動いている。
 魔理沙に聞いてみると、門番が太極拳で体操をしている時間帯だから恐らくそれだろう、との事だった。
 昼寝ばかりしているわけじゃないのね。

 更に正面に目を凝らすと、遠く遠くに茶色い色をした何かが密集している地域があった。
 多分、あれは人里の茅葺き屋根だろう。そんな遠くまで見えるのかと驚くと同時に、今度の人形劇に向けて意気を新たにする事ができた。

 その横には、これまた自己主張の激しい迷いの竹林群が見える。
 その竹林に隠れて太陽の畑は見えないのが少し残念ではあるが、
 森の萌黄色とはまた少し違った一面に広がる鋭い緑色は、静かに佇むしなやかな竹らしさを感じさせてくれる。

 後ろを振り返れば、すぐそこには博麗神社があった。
 飛べばものの数十秒、歩いても数分程度で辿り着く事ができるほど近くに見えて、
 普段通っている道を軽く逸れただけでこんな場所があるのかと改めて驚かされる。
 残念ながら鳥居は人里から反対側に備え付けられているため見えないが、その代わり霊夢が暮らしている母屋が見えた。
 今度の宴会では、この場所を休憩所代わりに使うのも悪くないかもしれない。

 どっちを向いても、慣れ親しんだ幻想郷の違う一面が切り取って見えるような気がした。
 魔理沙が言うだけはあって、私はその光景をすっかり気に入ってしまった。

「今まで歩いて来た道が全部見渡せるのね。わざわざ歩いたのはこのため?」
「もちろんだぜ。ただ飛んで来ただけじゃあ、この光景は見られないからな」
「そうね……。あ、見て! 湖の横で何か光ってる! あれってさっきの氷じゃない?」
「どれどれ……おー、本当だ! もう溶けて無くなってるかと思ってたのに、さすがはチルノの作った氷だな」
「そうねぇ。私もあんな魔法が使えたら便利かしら?」
「課題が増えたな。ま、私は氷の魔法を使えるから関係無いけどなー」
「あなたのは弾幕ごっこ用でしょ。パワーばっかりで日常生活には使えないじゃない。
 さ、お弁当にしましょう。魔理沙の分も作って来たのよ」
「おや、奇遇だな。私もアリスの分を作って来たんだ。一緒に食べようぜ」
「いいわね。アイスティーも飲みましょう。お砂糖は多めでいいわね?」
「アリスに任せるよ」

 水筒に入れて持ってきた紅茶に氷を入れて軽くかき混ぜれば、即席のアイスティーの出来上がりだ。
 それを一口飲めば、ここまで歩いてくる間にかいた汗も吹き飛ぶくらいの爽やかさが口の中に広がった。
 そんな小休止の後、二人で分担してレジャーシートを広げると、お待ちかねのお弁当タイムだ。

「魔理沙は何を作って来たの? 私はサンドイッチよ」
「私はオニギリだ。やっぱり、ピクニックと言えばこの二つは外せないよな」
「そうね。……でも、二人分を合わせたら結構な量になるわね。食べきれるかしら?」
「食べてみれば分かるって。食べる前に手は洗えよ」
「もちろん。それじゃあ、頂きます!」
「頂きます!」

 お互いにペコリと頭を下げて、まずは自分で作ったサンドイッチに口をつける。

 美味しい!
 いつもと同じように作ったはずのサンドイッチが、いつもとは全く違う味に感じられた。
 綺麗な景色と、軽い運動と、澄んだ自然の空気と、楽しい会話は、空腹感と相まって最高の調味料となって私を満たしてくれた。
 気が付けば、多すぎるほどにあったお弁当も全部ペロリと平らげられてしまい、食後の一服をする頃には満腹感で身動きが取れないほどだった。

「いやー、食べた食べた。お腹いっぱいだぜー」
「本当にねー。あぁ、はしたない事をしちゃったけど幸せだわ。これだから食事の習慣は無くせないのよね」
「そうだな。さて……」

 レジャーシートの上でゆっくりとしていた魔理沙は、
 やおら立ち上がると担いで来ていた荷物を取り出して荷解きを始めた。
 風呂敷の中から姿を現したのは、私にも見覚えのあるものだった。
 木組みの枠に大きな画用紙を貼り付けたそれは、たまに私も使用する絵を描くために必須のアイテムだ。

「それは……キャンバス? そんな物をどうしたの?」
「どうしたもこうしたも、キャンバスは絵を描くためのものだろう? ほら、絵の具と道具もちゃんと持ってきたぜ。
 服を汚さないためのエプロンと、クズパンもある。ピクニック改め、スケッチ大会と洒落込もうぜ」
「あら、いいじゃない。確かにこの景色は絵に描きたくなるわね」
「だろう? いい刺激になる事請け合いだぜ!」
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 魔理沙から道具一式を借りた私は、適当な場所に台と椅子を設置して、キャンバスに向き直った。
 目の前の光景を、どんな風に絵にしてやろうか?
 それを思うと、私の中にある芸術家としての心が刺激されて、胸がワクワクとしてくる。
 やはり、自分の手で何かを作るのは楽しいものだ。……ん?

「……あ、そっか」
「ん?」
「いえ、何でも無いわ。ありがとうね魔理沙」
「……いやぁ、大した事はしてないさ。それじゃ、私も絵を描くかな」
「あら、魔理沙にも絵心があるの?」
「バカにするな、それくらいはある。……でも、見せないからな」
「はいはい」

 そう言って私から少し距離を取った魔理沙は、私の横側面に陣取って絵を描き始めた。
 こうしてはいられない。私も絵を描かなければ。
 ポカポカと優しい日差しと、爽やかに頬を撫でる風を受けて、私はとても穏やかな気持ちで筆を動かし始めた。

(「いいわね、こういうのも」)

 最近はやれ人形劇だ、やれ研究だ、やれ書き物だと、あくせくし過ぎていたような気がする。
 それこそ、ただただ無心のまま、目の前の光景をキャンバスに書き記して行くのがこんなに楽しい事だとだと忘れてしまうくらいに。
 もちろん、ただ書き記すと言っても見たそのままを描くのではない。
 一度自分の目と心を通して、感じた様子をキャンバスに練り込むのだ。これが楽しい。

 これは人形作りも服のデッサンにも通じる同じ事で、描いているうちにどんどんと楽しくなって筆が独りでに進んで行くのだ。
 チラリと魔理沙の方を見てみると、そちらもリラックスした様子で迷う事無く筆を動かしていた。
 ピンと背筋を伸ばした姿勢は堂に入っており、どうやら絵の嗜みがあるのは本当のようだ。
 あれなら、手助けは必要無いだろう。

 ゆったりと静かに、穏やかに時間だけが過ぎて行く。
 その静けさが破られたのは、日が天頂を過ぎて大きく傾き、絵もある程度形になり始めた頃だった。
 今まで凪いでいた風が、小さくつむじをまいて膨れ上がったかと思うと、私の頭上から声が降ってきた。

「あやややや。こんな場所で誰かと思えば、魔法使いのお二人さんではありませんか。ごきげんよう」
「あら、文じゃない。ごきげんよう」
「ういっす」
「あや、うーん……これは、お邪魔虫をになってしまいましたかね。すみません、気が利かなくて」
「そんな気を使うような仲では無いわよ。それより、あなたこそ何でここに?」
「ここは私のお気に入りの場所でしてね。神社に行く前にはここに寄って、身嗜みを整えてから行くんですよ。ほら、ここのうろに鏡が置いてあるでしょう?」

 私達がお昼を食べた木の天辺近くから、一枚の鏡を取り出す文。
 そんな所に光り物を隠しているとは、さすがカラスと言ったところだろうか。

「おや、本当だ。私だけの秘密の場所のつもりだったんだが、全然違ったなぁ」
「それは私だって同じですよ。ビックリしました。……この場所は、この三人だけの秘密と言う事でお願いしますよ」
「おう、構わないぜ。幻想郷は逃げないし減らないからな」
「ですです。……おや、絵画ですか。アリスさん、ちょっと見せて頂いても?」
「ええ、どうぞ。もうほぼ完成なの」
「ほうほう、それは楽しみ……」

 私の絵を覗き込んだ文は、目を見開いて固まってしまった。
 私としては、何の変哲も無い風景画を描いたつもりだったのだが……。

「うわ、これ凄いわ……。スケッチの繊細さや技巧もそうだけど、この色使いが素敵だわ。これ売れるわよ……」
「おーい文、素が出てるぜー」

 魔理沙の茶々にも反応せず、ブツブツと何事かを呟いていた文だったが、
 何かを決めたのかガバッと顔を上げて私の手をガシッと掴むと、深々と頭を垂れて興奮した声をあげた。

「アリスさん!」
「は、はい?」
「この絵を譲って頂けませんでしょうか! 是非とも居間に飾りたく思います!」
「え?」
「譲って頂くのがダメでしたら、売って頂くのでも何でも構いません! どうかお願いします!」
「え? えぇ? いや、その……」
「はいはい、落ち着いて落ち着いて。文も一回離れろよ」
「……あ! これは失礼を……」

 泡を食った私と、興奮した文の間に何故か不機嫌そうな様子の魔理沙が割って入り、取りなしてくれた。
 それで我に返った文は、私の手を離して謝罪の言葉を口にした。
 魔理沙のお陰で文は引き下がったのだが、しかし、その魔理沙は不機嫌なままだった。

「この絵を気に入ってくれたのはいいんだけど、どうしてそんなに?」
「さっきも申しましたように、ここは私のお気に入りの場所でして。特に、この場所から見える空が好きなんですよ」
「天狗らしい理由ね」
「もちろん、それだけではありませんよ。アリスさんの絵は、自然の捉え方や、空や森に使われている淡い色彩が……何とも言えず優しいのです。
 まるで書いた人の人柄が滲み出るような……言葉で飾るのが陳腐に感じるような、素敵な絵に感じられました。
 お恥ずかしい限りですが、写真ではこのような味は出せません。それに一目惚れしてしまいまして」
「何だか、こそばゆいわね……でも、ごめんなさいね。これは今日の記念だから、売る事はできないわ」
「うーん、そうですか……いや、残念至極。しかしすみませんでした、急に卑しいお願いをしてしまいまして……」
「いいのよ。嬉しかったし」
「……ところで文。もう行かなくていいのか?」
「もうちょっと大丈夫ですよ。ところで、魔理沙さんはどんな絵を……」
「あ、こら! 勝手に見るな!」
「そんなケチ臭い事は言わずに、いいじゃありませんか。どれどれ……あやや、これは」

 魔理沙の絵を覗き込んだ文は、笑顔のまましばらく硬直したかと思うと、急に真面目な顔をして自分の手をじっと見つめた後、魔理沙に目線を戻した。
 しばらく視線を交わして何かを話していた二人だったが、深々と頭を下げた文は何事も無かったかのように会話を続けた。

「……何だよ?」
「いえ、何でもありませんよ。意外と絵が達者なんだなと感心しただけです。まあ、風景画としては0点ですけど……」
「売らないからな」
「例えお金を積まれたとしても、これを引き取るわけには行きませんよ。それでは、私はこれで失礼しますね」
「あら、もうちょっといいんじゃなかったの?」
「私の気分は風任せ。クルクルと回り続けて一所には留まらないんですよ。あ、写真を一枚よろしいですか?」
「ああ、いいぜ」
「ええ、いいわよ」
「それでは二人とも、この景色を背にしてなるべく近寄って下さい……もうちょっと寄って……はい、1+1は?」
「「に!」」

 お決まりの文句の後、パシャリとシャッターが下ろされる。
 文はそのまま私達に背を向けて、神社の方へと飛び去って行った。
 その文を見送っていた私だったが、悪い予感がして振り向くと、
 いつの間にか魔理沙は機嫌を損ねてそっぽを向いていた。何故だ。

「私達も帰ろうぜ。そろそろ日が沈み始める」
「え、ええ……」

 言われてみれば太陽は随分と傾いていて、小さく月も出ていた。
 もう帰る時間だ。

「そうね。帰りましょう」
「帰りは飛んで帰ろう。今日は楽しかったな」
「ええ。……ねぇ魔理沙」
「あん?」
「何を怒っているの? 自分の絵を0点って言われてカチンと来た?」
「何でもないぜ」
「私も、魔理沙の絵を見てみたいなぁ」
「ヤダ。絶対に見せない。見たら絶対笑うだろう」
「笑わないわよ(笑)」
「ほら、笑ったじゃないか! もう頼まれても絶対に見せてやらないぜ!」
「どうしても?」
「どうしても!」
「こんなに頼んでも?」
「絶対に見せない! こうやって時間を稼いでる間に魔法の糸を張り巡らせたり、上海を背後に回らせてもダメなものはダメ!」
「……ちぇ、バレたか」
「帰るぞ!」
「あ、待ってよ!」

 素早く撤収準備を終えた魔理沙は、もたもたとしている私を尻目に空へと飛び上がっていた。
 それを慌てて追いかけて、改めて謝罪をする。
 しかし、魔理沙はプイッと明後日を向いたまま不機嫌なオーラを隠そうともしなかった。

「ごめんってば。ほんのジョークだったのよ。許して?」
「……してくれたら」
「え? 何? 聞こえないわよ」
「キスしてくれたら、許してやる」
「……え?」

 魔理沙が何を言っているのか理解した瞬間、私はビックリして上空に停止してしまった。
 夕日を受けて陰る魔理沙の表情はこちらからは伺えず、どんな顔をしているのかすら分からない。
 私も、どんな顔をすればいいのか分からない。

「き、キスってそんな……確かに、魔理沙の気持ちは聞いたけど、そんな……」
「……ぷっ」
「な……?」
「うわははははははは! これくらいで慌てるなよ! くっくっく……!」

 魔理沙は箒に跨ったまま、器用に空中でお腹を抱えて笑い転げていた。

「あ、騙したわね! よくもこの!」
「ははは……って、弾幕を撃つな! 痛い痛い、当たってるって!」
「当ててんのよ! まったくもう……」
「あー、怖い。ほら」
「ん?」

 肩で息をする私に、魔理沙が手を差し伸べる。
 私はその手を取って体勢を整えると、改めてフライトの進路を森に取った。

「許すも何も無いぜ。私は怒っていたわけじゃないからな。ところで、何かヒントは掴めたか?」
「ええ、バッチリよ。必ず良い劇に仕立ててみせるわ!」
「よし、その意気だ! 楽しみにしてるからな!」

 私に喝を入れるように、私の手を取っている魔理沙の手が強く握り締められる。
 それを握り返す事で自分のやる気を示した私は、魔理沙と別れて自宅への帰路へついた。

 題材は決まった。
 後は仕上げるだけだ!


 ***


 考えているうちに、妖怪さんはもう一人の人間の事を思い出しました。
 その人間さんは妖怪さんの近所に住んでいる人間の魔法使いで、妖怪さんとは顔見知りの間柄でした。
 しかも、その人間さんは幾つもの異変を解決に導いて来た、歴戦の魔法使いです。
 助力を頼むには、丁度いい相手に思えました。

 妖怪さんは人間さんの家へと向かいました。


 ***


「私達を、劇に?」
「ええ。お願いできないかしら?」

 魔理沙から閃きを貰った私は、早速行動を開始した。
 まず最初に私が訪れたのは、今回の劇の要になる永遠亭だ。
 今私が話しているのは、その永遠亭で開業医を営んでいる『蓬莱のお医者さん』こと、八意永琳先生だ。

「詳しく話を聞かせてもらえる?」
「私は人里で人形劇を開いているのだけど、今度の劇で例の異変の事を題材にしようと思ったのよ。
 それで、線引きを聞いておこうかなと思って」
「あぁ、なるほど。そこら辺の匙加減は姫様に聞いた方が良さそうね。鈴仙?」
「はい。姫様を呼んで参りますね」

 永琳が奥の部屋に声をかけると、どうやらそこで作業をしていたらしい鈴仙が返事を返して、トテトテと更に奥へと歩いて行く音がした。
 もののついでと、私が定期的に購入している胡蝶蘭と言う薬について話していると、この永遠亭の主、蓬莱山輝夜が診察室に入ってきた。
 彼女は永琳が勧めた椅子に座ると、ニコニコ楽しそうな笑顔で話を切り出した。

「いらっしゃい、ミス・マーガトロイド。話の概要はイナバから聞いたわよ」
「お邪魔しています。それで、如何でしょうか?」
「私達の素性とか、異変の目的辺りは適当にぼかして貰えるかしら。
 私達は別に隠す気は無いんだけど、求聞史記では『人間』って扱いになっているから、それ準拠でね。
 永琳のお客さんの入りにも関係しそうだし。ね?」
「まあ、人間は人間のお医者さんにかかりたいのが人情でしょうからね。私は気にしませんけど」
「まあ、私達から出す条件はそれくらい……あ、そうだ!」

 話をまとめようとした輝夜が、手をパンと叩いて目を輝かせた。
 まるで童女のような振る舞いだが、中々どうして。よく似合っている。
 この魅力も、できる事なら人形に反映させたいところだ。

「まだ条件があるわ。いい?」
「はい、何でしょう?」
「一つ。私達も当日は劇を見に行くから、特等席を用意しておいて欲しいわ。
 二つ。劇の内容は知らないけど、弾幕ごっこの部分もある程度再現する事。オッケィ?」
「分かりました。善処します」
「ところで、劇で使う人形が見たいんだけど、今持ってるかしら?」
「ああはい、ありますよ。どうぞ」

 バッグの中にある人形に魔力を通して、中から自分でジッパーを開けさせて外に出てくるように仕向ける。
 一番最初に飛び出したのは、元気いっぱいのてゐ人形だ。そしてそれを追いかけるように鈴仙人形がピョンと跳ね上がる。
 その二体は、驚いている輝夜や永琳の周囲をクルクルと旋回してから、机の上に着地した。
 次にバッグの中から出て来たのは、弓を持った永琳人形と、永琳人形に手を引かれて淑やかに登場した輝夜人形だ。
 こちらも観客の頭上をクルリと一周した後に、鈴仙人形達の待つ机へと降り立った。
 我ながら、かなりの力作と自負している。
 反応も上々で、永琳の視線は元気に動き回る人形達に釘付けだし、輝夜はさっき以上に目を輝かせて従者にもたれかかっていた。

「永琳、永琳、凄いわ! こんなに小さな人形が、あんなにピョンピョン跳ね回って!」
「か、可愛い……」
「お師匠様、お顔がだらしなく蕩けてますよ」
「仕方ないわよ。永琳ったら、こう見えて可愛いものが大好きなんだから」

 たまに人形劇を見に来てくれる鈴仙はそこまで驚いてはいないようだが、それでも自分の人形を手に持って満足そうな表情を見せてくれている。
 プレゼンテーションは成功したようだ。

 私が魔理沙から貰った閃きとは、『劇の内容を自分も楽しめなければ意味がない』と言う一点だ。
 これは遊びなんだから、難しい顔をして案をひねり出すよりも、自分の思うがままに物語を作り上げた方が良い物ができるに違いないのだ。
 要するに、いくら特別な観客が来るからと言っても、肩肘を張る必要は無いのだ。
 『楽しんだ者勝ち』は、幻想郷の基本理念の筈なのだから。

「条件その三! 劇が終わったらこの人形達を貰ってもいいかしら? この診察室に飾りたいわ!」
「もちろんですよ。元々そのつもりでしたから」
「じゃあ、契約成立! 当日を楽しみにしているわね」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼しますね」
「私も楽しみにしているわ。……あ、そうだ」
「はい?」

 ペコリと頭を下げて診察室を退室する直前に、永琳が何かを思い出したように私を引き止めた。

「あなた、確かあの黒白魔法使いと知り合いだったわね。何か聞いてる?」
「伝言ですか? いいえ、何も聞いていませんけど」
「そう。それなら、『用意はできた』と伝えて貰えるかしら?」
「分かりました」

 何の事かは分からないが、永琳は優秀な薬剤師だ。
 魔理沙はその彼女の腕を見込んで、何らかの依頼を出していたのだろう。
 その伝言を受け取った私は、改めて頭を下げてから診察室の外に出て、そのまま出口へと向かった。

「おーい、アリスー」
「ん? あら、魔理沙?」

 診察室に続く廊下を抜けて、待合室を通り過ぎようとした私に、横合いから声がかかる。
 噂をすれば影と言う事だろうか。そちらを見てみると、応接室の中にいる魔理沙と目があった。
 私の雰囲気から交渉の結果を察したのだろう。
 魔理沙はこちらににっこりと笑顔を向けると、直ぐにこちらにやって来てくれた。

「あら、いつ間に来たの?」
「つい今しがただ。で、どうだった?」
「バッチリ許可を貰えたわ。そっちは?」
「私の方もバッチリさ。河童連中に頼んでみたら、目を輝かせてokを出してくれたよ。
 舞台装置は、当日までに仕上がるだろう」
「わざわざありがとうね。助かったわ」
「おう。どうやら方向性が決まった感じだな。今の気分はどうだ?」
「ふふ、最高よ! 後は人形を仕上げて、小道具を作るだけね。
 ああでも、もちろん語りの練習もしないといけないし、人形に合った服も作らないといけないわね。
 時間も殆ど無いって言うのに、やらないといけない事が多すぎて目が回りそうだわ!」
「そんな事を言って、顔がにやけているぞ?」
「当たり前じゃない。観客に喜んで欲しいのは確かだから、工夫を凝らさないといけないじゃない。
 その工夫を凝らすのが楽しいのよ!」
「あれだな。TRPGで遊ぶ時のGMの心境だ。あれは堪らないものがあるな」
「そのTRPGは分からないけど、そう言う事ね……あ、そうだ。
 永琳から伝言よ。『用意はできた』ですって」
「ほぅ……それは良かった」
「待合室にいるんだったら、伝言の意味も無かったわね。永琳に会っていくなら私も待ってるけど?」
「いや、また後日でいいさ。お互いに急ぎの用事じゃない」
「そう。……と、これ以上こんな所で話すのも悪いわね。外に出ましょうか」
「おー」

 私のテンションが思ったよりも高いため、これ以上ここで話していると迷惑になってしまう。
 外に向かって歩きながら、また会話を続ける。

「しかし、異変を人形劇でか。思い切った事を考えたな」
「幻想郷の住人が一番身近に感じる物語と言ったら、やっぱりこれかなって思ったのよ。
 当然魔理沙も出演予定だけど、いいかしら?」
「もちろん大丈夫だ。たっぷりと格好良く描写してくれよ?」
「えー、どうしようかしら。だってあの時の魔理沙ったら、高速飛行に拘って前に前に出るばっかりだったじゃない。
 危なっかしくて、見ていられなかったわよ」
「アリスに良い所を見せようと必死だったんだよ。分かってくれよ、私の乙女心をさ?」
「はいはい。ところで、これから里でお買い物に行くんだけど、一緒にどう?」
「お、いいな。昼飯がまだだから、ついでに何か食べようぜ」
「採用。何食べる?」
「そうだなぁ。私のお勧めとしては……っと、話すより先に出発しようぜ」
「そうね。現地で見ながら考えましょう」
「よーし、出発!」

 (少女移動中...)

「そして到着! 腹減ったぜ!」
「ああ、ここに来るといつも迷うのよねぇ……」

 里に入った私と魔理沙は、まずは腹拵えと決めて食事処の並ぶ繁華街へとやって来ていた。
 里で唯一にして最大の繁華街は、決して少なくない里の人間のお腹を一手に引き受けている。
 それだけあって、活気や品揃えはかなりのものだ。
 私の実家がある街と比べても、全く遜色が無い。

「魔界の首都が小さいのか、幻想郷が桁外れなのか、これでも外界と比べれば井蛙なのか……。
 食をテーマにした事は無いけど、悪くないのかもしれないわね」
「ん? どうしたんだ?」
「何でも無いわよ。ただ、あなたと一緒だと飽きないなって思ったのよ」
「お、おお……そうか」
「ええ。で、どうするの? 何かお勧めがあったんでしょう?」
「……」
「魔理沙?」

 返事が無い事を不審に思って魔理沙の方を見てみると、魔理沙は上を向いて何事かを考えているようだった。
 私も釣られて上を見上げてみるが、鳥が数匹飛んでいる意外は取り立てて何があるわけでもなく、ただ青空があるだけだった。

「魔理沙ってば。どうしたの?」
「……ああ、すまない。少しな。えっと、私のお勧めだったな。アリスはクレープは好きか?」

 クレープ。そのフレーズを聞いた瞬間、私の中の食いしん坊が頭をもたげるのを感じた。
 はっきり言おう。私はクレープが大好物なのだ。
 しかし、ここで盛大に反応しては会話のイニシアチブを明け渡してしまうだろう。
 私は聞き返したいのをグッと堪えて、平然と答えを返す事にした。

「え、え↑ぇ↓ 好きだけど?」

 失敗した。死にたい。

「隠さなくていいぜ。アリスの好物なんて魔理沙さんにはすっかりお見通しさ。
 最近、外来人のパティシエがクレープ屋をオープンさせてな。
 是非ともアリスと一緒にと思ってたんだが……チラッ」

 わざとらしく、擬音を口に出してこちらに流し目を送ってくる魔理沙。地味にウザイ。
 いつもは大きな帽子の影に隠れて見え辛いそんな細かな顔芸も、今日はよく見える。
 やっぱり、早く帽子を作ってあげないといけないかもしれない。

「むー……分かったわよ、降参。クレープは是非とも食べたいわ。だから行きましょう」
「そう来ないとな。結構ボリュームのある店だから、昼飯はそれで大丈夫だろう」
「それはいいわね。美味しいの?」
「やや値は張るが、旬の果物と生クリームをたっぷりと使うのが特徴の、乙女の天敵野郎だ。
 でも、それだけじゃない。養鶏場から卵を直接仕入れてるらしくって、
 新鮮な卵から作られる濃厚な味わいの薄皮生地が口の中でふんわりとほぐれて……」
「行きましょう。今すぐ行きましょう!」
「あ、おい……焦らし過ぎたかな。アリス待てってば!」
「待たないわ。クレープが私を呼んでいるのよ!」
「分かった、分かったから落ち着いてくれって。そっちは逆方向だぜ」
「……早く案内しなさい」
「ほいほい。さぁ私について来い!」

 魔理沙に案内されて到着したクレープ屋は、私の予想を良い意味で裏切る素敵なお店だった。
 そこは幻想郷には珍しい、洋風の洒落た感じのカフェで、店の中から通りが一望できるような作りになっていた。
 店内の飾り付けも雰囲気も、フリルのついたテーブルクロスや、鮮やかな赤色が可愛らしい呼び鈴など、細かな道具も実に私好みで良い感じだ。
 これで味が良かったら、これから贔屓の店にしたい。楽しみだ。

「クレープ屋って言うから屋台かと思っていたけど、普通にカフェなのね。洒落てるわ」
「だろう? アリスはこういうのが好きだと思ってな」
「良い判断ね。褒めてつかわす」
「へへー、ありがたき幸せ。じゃ、注文して席につこうぜ」
「うん」

 しばしメニューと睨めっこを堪能する。
 私はプレーンなクレープが好きなのだが、目の前のメニューにはふんだんに
 カラー写真が使われていて、商品の魅力がそこから零れ出てくるようだ。
 しかも追加料金でトッピングまで変えられるとなれば、選択肢の幅は無限に広がって行く。誘惑も無限大だ。
 散々悩んだ末、私は桃のクレープを頼む事にした。
 決め手は、カウンターの向こう側に見えた桃の蜂蜜漬けだ。
 クレープと付け合わせの紅茶を受け取って席に戻ると、まだクレープに手をつけずに待っている魔理沙がいた。

「先に食べてて良かったのに」
「いやいや、そう言う訳にもな。しかし、長い葛藤だったな。
 あんまり遅いから『全部下さい!』とか言い出さないかと心配したぜ」
「……!」
「やめろ。私が悪かった。私が悪かったから、その『その手があったか!』みたいな閃き顔はやめてくれ」
「……冗談よ。それじゃあ、頂きます!」
「頂きます!」

 手は塞がっているため、心の中で手を合わせてクレープにかぶりつく!

「ん~♪ 美味しい~♪」

 そのもふっとした生地が予想外の驚きを私にもたらしてくれた。
 予想していたよりも、ずっと柔らかい!
 まるで上質の絹布を口にくわえたかのようなフワフワとした食感だ。
 それなのに、私の手の中にあるクレープは形を崩す事無くしっかりと直立している。

 先ほども言った通り、クレープは私の大好物でもあるためたまに作る事もあるのだが、
 火加減や素材の配分を少し間違えただけでベシャッと汚らしくなったり、
 堅すぎて食感が台無しになったりとデリケートな食べ物なのだ。

 それがどうだ! このクレープは、私が苦心して作った失敗作などとは比べるのもおこがましいほどに美味しいのだ。
 甘い生地と、甘い甘い生クリームと、甘い甘い甘い蜂蜜漬けの桃が口の中で強く主張しあい、私の甘味欲を満たしにかかってくる。
 ……などと陳腐な言葉で飾ってしまったが、そんな理屈などどうでもいい。
 とにかくこのクレープは美味い。これに尽きる。

 幸せを噛み締めながらもぐもぐしていると、ふと、視線を感じたのでそちらに目をやると、
 自分のクレープに手もつけずボンヤリとしている魔理沙と目が合った。

「どうしたの? 食べないの?」
「あ、あぁ……うん、食べる。食べるぜ」

 言われてやっとクレープを食べ始めた魔理沙だったが、その食べるスピードはとても遅く、心ここに在らずと言った風情だ。
 視線は私の方向に向けられたまま、ボンヤリとしている。

「どうしたのよ。私の顔になにかついてる?」
「いや、何でもない。ただ、アリスは可愛いなぁと思って」
「何よもう。仕方ないでしょ、クレープ好きなんだから」
「いや、そうじゃなくて……まあ、いいや。ところで、ここの店は中々だろう?」
「うん、気に入ったわ。里に来る楽しみがまた一つ増えたわね。今度は別の商品を試してみないと」
「そうかそうか。ところで、何を頼んだんだ?」
「私はオーソドックスにスライスビーチの入った生クリームクレープよ。
 桃は季節外れだから挑戦だったんだけど、逆に蜂蜜漬けで保存されていたから甘くて甘くて。こんなに甘い桃は初めて食べたわ」
「ほう、美味そうだな。確かに桃の香りがここまで漂ってくるぜ」
「オススメの逸品ね。で、魔理沙のは?」
「私のは、小豆と生クリームの和風クレープだよ。ほら、黒いあんこが沢山入ってるだろう?」
「……小豆? 和風? あ、よく見たら紅茶じゃなくて緑茶なのね」

 全く聞いた事の無い組み合わせだ。
 そもそも、生クリームと小豆と緑茶なんて合うのだろうか?
 魔理沙が和食好きなのはまぁ知っているが、それでもこの組み合わせは無しに思える。
 いや、無いだろう。

「……美味しいの?」
「美味いぜ。少し食べてみるか?」

 魔理沙がクレープをついっと差し出して私に勧めてくる。
 しかし、白く美しい生クリームの中に、空気を読まずデデンと鎮座する重量感タップリの黒い小豆は、私にとっては違和感を生むものでしかなかった。
 この小娘は、自分と同じ色合いの食べ物だから贔屓しているんじゃなかろうか?

「遠慮しておくわ……」
「おいおいアリス、試す前に避けるのか? それじゃあ魔法使い失格と言わざるを得ないな。
 新しいものがあったら、とりあえず試してみるのが新進気鋭の心持ちってもんだろう?」
「それはそれ、これはこれでしょう? 私には、その組み合わせに違和感しか感じないのよ」
「うーん……そうか。残念だ。でもまあ、味見くらいはしてみろよ。私を信じて騙されてみないか?」
「結局騙されるんじゃない。……でもまあ、確かに味見も無しでの否定は良くないか。軽く頂くわよ」
「ん。どうぞ」

 何故かとても緊張した面持ちの魔理沙が、私が食べ易いようにクレープを差し出してくれる。
 それを軽く啄んだ私は、口の中で小豆と生クリームをゆっくりと咀嚼した。
 でもそんなに良いものでも……美味しい!?

「どうだ?」
「……一口じゃあよく分からなかったわ。もう少しいい?」
「もちろん。ほーらほーら」

 今度は普通にかじり付いて、まとまった塊を口に入れる。
 ……うん、美味しい。

 小豆特有の濃厚な甘さを、それと比べて控えめに感じる生クリームが少しだけ相殺して、程よい感じに仕上がっている。
 私の手元にある桃のクレープが桃と生クリームが互いに自己主張をしあう波状攻撃とするなら、
 こっちは小豆と生クリームが互いを尊重しあうコンビネーション攻撃だ。
 双方ともに違った良さがあり、甲乙がつけ難い。美味しい。

「あ、あと一口だけ……」
「ダーメ。残りは私のだぜ。そんなに食べたければ、自分で頼みな~」
「むぅ~……魔理沙のケチっ」
「ケチで結構。あぁ、でも私は実利主義だから、何か対価を貰えるなら考えなくもないぜ?」
「対価?」
「うん。要するに、私にもアリスのクレープを味見させろって事だ!」
「ああ、悪かったわね。はい、どうぞ」

 私が桃クレープを魔理沙に差し出すと、魔理沙も私に小豆クレープを差し出してくれた。
 パクリ。二人でほぼ同時に互いのクレープを頬張ると、二人同時に笑顔になれた。

「これも美味いな。今度来た時は私も桃クレープを頼んでみるべきか?」
「小豆も悪くないわね。やっぱり、幻想郷は日本にあるんだから日本のスイーツも研究しないといけないかな?」
「試食には是非とも呼んでくれ。何なら、作り方を教えてもいいぜ?」
「あら、作り方を知っているのね。意外な所に先生がいたわ」
「ふふん、私は和食派だぜ。ああ、和食派と言えば、面白い話がある。聞きたいか?」
「聞いてから考えるわ」
「おう。最近、咲夜の奴が和食に凝り出したらしくってな。この前遊びに行ったら手製の羊羹を出されたんだ。でも、それがとんだ失敗作で……」

 ノンビリとおしゃべりをしていると、時間はあっと言う間に過ぎ去ってしまった。
 いつの間にかお茶とクレープも無くなっていたため、どちらからともなく席を立ち、勘定を済ませて外に出た。

「さて、どこから行く?」
「近くに馴染みの雑貨屋さんがあるから、そこから行きましょう。そこから里をグルリと一周よ」
「分かった。……あ、その前に、少しだけ待っていてくれ」
「ん? どうしたの?」
「私もちょっと用事があってな。直ぐに戻るよ」

 そう言って魔理沙は、クレープ屋の通りから少し入った所にある工房へと入って行った。
 中を覗き込んで見ると、そこは銀細工を取り扱っているお店のようで、大小様々な細工物が店頭に並んでいた。
 その奥に居た、ずんぐりむっくとした体型の男性と話をしていた魔理沙は、私の方に軽く手を振ってから奥へと消えて行った。
 しばらく商品を眺めて時間を潰していると、思ったよりも早く魔理沙が奥から出て来た。
 その手には小さな小箱が携えられていて、ホクホクと嬉しそうな顔を見せていた。

「お待たせ」
「お帰り。どうしたの?」
「注文していた品ができたって聞いたから、取りに来たのさ。
 ここの銀細工師は本当に腕がいいんだ。何せ店主がドワーフだからな」
「へぇ~ 確かに、置いてある商品も良い物ばっかりね」
「覚えておけば、使う事もあるだろうぜ。じゃ、行こうか」

 一歩前にいた魔理沙が、手を差し出してくる。
 私がその手を取ると、魔理沙は私の手をやや強く握って歩き始めた。

「クレープに時間を取り過ぎたからな。急がないと、店がしまっちまうぜ」
「そうね。でも子供じゃないんだから、そんなに引っ張らないでくれない?」
「アリスはマイペースにノンビリしてるから、これくらいで丁度いいんだよ。ほら、早く行こうぜ!」
「ああもう、だから引っ張らないでってば!」

 強く手を引かれて、やや体勢を崩しながらも魔理沙について行く。
 強引な先導だが、そんなに悪い気はしない。
 手を離そうかとも思ったけれど、強く握られた魔理沙の手はとても暖かくて、何となく別にいいか、と思わせてくれた。

「あ、そうだ。魔理沙、良かったら今晩はうちでご飯を食べて行かない?」
「ん? それは嬉しいけど、どうしたんだ?」
「帽子の採寸を取りたいのよ。本格的につくるのは人形劇の後になっちゃうけど、早い方がいいでしょ?」
「アリスに任せるさ。私が死ぬ前に渡してくれればそれでいいぜ」
「随分と気が長いのね。でも、そんなにはかからないから、楽しみにしていなさい!」


 ***

 妖怪さんが人間さんの元に辿り付くと、人間さんも丁度でかける所でした。
 人間さんは星と月の研究が専門なため、妖怪さんよりも早く気が付いて準備をしていたのです。

 しかし、人間さんの準備は不十分でした。
 他の異変と同じように自分の足で原因を探していては、先に夜が明けて月が隠れてしまうでしょう。
 それでは、唯一の手がかりが消えてしまいます!


 ***


 光陰は矢のように素早く過ぎ去り、一週間後。
 人事を尽くした私は、この日の大一番に準備万端の状態で臨んでいた。
 どうやらスランプは完全に脱したようで、今の私は絶好調の状態だ。
 人形の製作は素晴らしいまでの順調さで進み、台本を書く筆も関節に脂を塗ったかのように滑らかで、
 深夜のテンションを抜け出した後に見返しても満足できる出来映えだった。
 後は、披露するだけだ。だけなのだが……。

「何で、お客さんがこんなに沢山いるの……?」

 時間が近付くに従って、続々と人が集まって来た。
 普段は里の子供達や、その付き添いのお母さん方、休憩中の職人さんくらいしか観客のいない私の劇だが、今日ばかりは勝手が違う。
 人の入りは倍どころではない。
 視察が入るのに、いつもの茣蓙と屋台ではスペースが足りないだろうと、
 魔理沙が小さな舞台を借りてきてくれたのだが、それでも立ち見席まで埋まりそうな勢いだ。
 どうしてこうなった。

 私が控え室でウロウロと歩き回っていると、会場の準備を終わらせた魔理沙が入って来た。

「いやー、ビックリだぜ。アリスの知り合いに限定して話しただけなのに、こんなに来るなんてな」
「……あんたの仕業か! 誰に話したの?」
「とりあえずパチュリーと霊夢だな。その場にそれぞれレミリアと紫が居て、文が細かい日程を聞きに来たから話したぜ」
「ねぇ、わざとなの? わざとよね?」
「アリスの人脈を辿っただけだぜ。それだけでほら、こんなに人が集まったんだ」

 言われて見回してみると、確かに色んな人がいた。
 永遠亭ご一行様は既に到着しており、その横では場所取りをしている咲夜と妖夢が仲良く談笑をしている。
 常連客の子供達には特別に予約席を用意してあるのだが、その中にリグルやミスティアが混ざって遊んでいて、楽しそうに騒いでいる。
 人間用の席もいっぱいで、先頭にはちゃっかりと霊夢が陣取っており、慧音と数人の男性を相手に話をしていた。
 多分、霊夢と話しているのが里の偉い人だろう。

「……まあ、あの異変は関係者が多かったものね。解決者だけで四組八人もいたわけだし。でも、だからと言って……」
「いいじゃないか。みんなアリスの劇を楽しみに来てるんだよ。期待には応えないとな!」
「……ええ、そうね。もうこうなったら引けないものね。みんな、そろそろ行くわよ」

 とにかく、この大一番を潜り抜けないと人里での活動どころか幻想郷での生活もままならないかもしれない。
 もしも失敗したら、恥ずかしくて人前に出られずに死んでしまうだろう。
 私はジットリと嫌な汗をかいている手を握り締めて自分に気合いを入れ直すと、
 舞台の上へと立つためにすっくと立ち上がった……つもりだった。

「あ、あら……?」

 立ち上がった私は、異常なほどの重力を感じてそのままフラフラと椅子に座り直してしまった。
 まさか、こんなタイミングで体調不良か!? と慌てた私は、立ち上がろうと傍にあった机に手をかけて力を篭めるが、その手にも力が入らない。
 魔力の糸を操作して人形達に助けを求めようと動かすのだが、今度はその人形達まで動かない。
 耳元に早鐘のように響く何かがうるさいほどに鳴り響き、それが私の焦りを加速させる。
 軽くパニックに陥った私は、何とか立ち上がろうと足に力を入れ続けた。

「それじゃあダメだな。アリスは弾幕ごっこで遊ぶ時もそんな風に気合いを入れて挑んでいるのか?」
「……え?」

 魔理沙の言葉に前を向くと、目の前に魔理沙の手が差し出された。
 それに応じて手を差し出すと、グッと力を篭めて引っ張られて、立ち上がらされた。いや、立ち上がらせて貰えた。

「落ち着けよアリス。そんなに緊張する事は何も無いんだ。この日のためにきちんと準備をして来たんだろう?」
「私が、緊張している……?」
「そう、緊張しているんだ。自分の音と比べてみな」

 魔理沙は私の手を自身の胸元に持って行くと、心臓の上に押し付けて静かに目を閉じた。
 私もそれに習って目を閉じると、魔理沙の心臓の鼓動が手を介して私の耳に届く。
 とくん、とくんと規則的に聞こえてくる魔理沙の音は、自分がどれだけ早鐘のように心臓を動かしているのかを悟らせるには十分な力強さがあった。

「いつもの余裕が見えないぜ。都会派魔法使いさんは、全力を出さないのがモットーじゃなかったのか? 全力を出して負けたら後が無いのが嫌なんだろう?」
「……まさか、この大一番に本気を出すなって言いたいの?」
「違う。アリスは、どうやってスランプを抜け出したんだ?」
「……あっ」

 そうだった。私は、今回の大舞台を楽しむ事にしたんだった。
 スランプを抜け出したのも、台本が書けたのも、こうやって準備が間に合ったのも、みんなその心構えのお陰だ。
 それを本番前に忘れるなんて、私は緊張で頭と体が凝り固まっていたらしい。

 心構えを正して、ゆっくりと深呼吸をし、自覚したばかりの緊張とストレスをハッキリと直視する。
 たったそれだけの事なのに、世界が明瞭になったような気がした。
 舞台を見てみれば、そこには私が私のために作り出した最高の決戦場ができている。
 早くあそこに立って、準備した全てを披露したい! 私の心は、激しく震えた。

「アリス、お前なら大丈夫だ。この大一番、絶対に成功させて戻れよ!」
「ありがとう魔理沙。あなたには世話になりっぱなしだわ」
「いいって事よ。それよりアリス、聞いてくれ」
「何かしら?」
「明日の夜、答えを聞きに行く。予定を空けて待っていてくれ」
「……分かったわ」
「よし。それじゃ、後でな」

 魔理沙が私の手を離し、客席へと去って行く。
 それを見送った私は、会場に集まっている人妖に向けて開演の挨拶をするべく壇上に上がった。
 ザワザワとしたざわめきが少しずつ消えて行き、代わりに視線が私に集まってくる。
 それを確認して、私は軽く笑みを浮かべた。

「皆様こんにちは。本日は私、アリス・マーガトロイドの特別公演にお越し下さり誠にありがとうございます。
 どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」

 壇上から見ると、そこにいるみんなの顔が良く見えた。
 みんな期待に満ちた目をしてくれていて、会場の空気はとても温かく、そして鋭い。
 小規模なショーや、宴会での芸の披露とは全く異なる今までに体験した事の無い雰囲気は、私を再び気押すには十分なパワーがあった。
 しかし、グッと堪えて正面から受け止めてみれば、決して軽く無い高揚感が溢れて来る。

「本日のこの劇は、私が里で活動をするための試験でもあります。
 最初は、無難な演目を演じようと考えて、『桃太郎』や『シンデレラ』、一風変わった所では『弁慶と牛若丸』、『関羽千里行』辺りを想定しておりました。
 しかし、本日視察にいらしている方々が知りたいのは、そのような私では無いでしょう。そうですよね?」

 慧音や里の役員達が座っている辺りを見てみると、軽く頷いている人が居るのが見える。
 里は、幻想郷では唯一の人間の支配地域だ。
 その中で活動したがる妖怪に要求するのは、芸の上手下手ではない。
 私を信頼できるかどうか。その一点だ。
 信頼さえ得られれば、命蓮寺のように受け入れられるのだ。

「ですので、私も胸襟を開く事に致しました。本日の人形劇は、私が過去に体験した異変を題材にしているのです。
 皆様方の中にも、よくご存知の方がおられるのではないでしょうか? 巷では『永夜異変』と呼ばれる、夜が終わらない異変です。
 私は、その異変の首謀者でした」

 里の人が座る辺りの席が、少しだけざわつき始める。
 それを無視して、私は言葉を続ける。

「人間達にとって、あの異変は大した事の無い異変だったでしょう。
 先に発生した、紅霧異変の方がよほど危険だった筈です。
 しかし、私達妖怪にとってはとても危険な異変だったのです。それを今からお話しましょう。
 求聞史記には載らない、『異説・永夜異変』。お聞き下さい」

 ペコリと一礼をすると、開演を歓迎する大きな拍手がやって来た。
 その音の中心には、あの子がいる。
 私は心の中で、そちらに向けてもう一度頭を下げた。
 さぁ、開幕だ!


 ***


 そこで、妖怪さんは人間さんに一つの提案をしました。
 『月が逃げないように、魔法を使って夜を止めましょう。その間に原因を探すのです』と。

 かくして。
 夜を止めた二人の魔法使いは、偽者の月が照らす幻想郷の夜を駆け出しました。
 世に言う『永夜異変』の、始まり、始まり。


 ***


「……はぁ……」

 肺を大きく膨らませて、ゆっくりと息を吐く。
 たったそれだけの事なのに、私の体はまるで私のものでは無いかのように動きが鈍かった。

「疲れた……」

 周りには大小様々な贈り物や花束が入り乱れて置かれていて、足の踏み場も無いくらいで、机の上には淹れたまま放置されている紅茶がボンヤリと湯気を立てている。
 部屋全体に漂う気だるい雰囲気の中、私はソファーに移動して倒れ込んだ。

「疲れた……」

 人形劇は大成功だった。
 斬新な切り口と、斬新な題材と、斬新な表現技法を兼ね備えた私の人形劇は、人間・妖怪ともに大好評をもって受け入れられた。
 特に、今までは被害者として異変を眺めるしか無かった人間側の評判はとても良く、まるで子供のように目を輝かせている人もいたのだ。

「疲れたけど、楽しかったな。またやりたいわね」

 技量と工夫の限りを尽くして、全力で挑んだ一戦だった。
 その手応えを噛み締めながら、私は一つの約束を思い出していた。

『明日の夜、答えを聞きに行く。予定を空けて待っていてくれ』

 劇が始まる前に、魔理沙が言っていた言葉だ。
 人形劇の翌日。つまり、魔理沙が私に告白してから丁度一ヶ月目だ。
 私は、魔理沙との約束に従って保留していた返事を渡さなければならない。

「あれから、もう一ヶ月も過ぎてしまったのね。光陰矢の如しって、本当だわ。
 ……私、魔理沙にどんな返事を渡せばいいんだろう」

『コンコン』

 玄関の扉がノックされる、乾いた音が耳に届く。
 それに応じて扉を開くと、いつも通りの笑顔を浮かべた魔理沙がそこに居た。

「ようアリス。迎えに来たぜ」
「いらっしゃい。迎えに来たって、どこか行くの?」
「昨日は良いものを魅せて貰ったからな。私からの贈り物を、まだ渡していないだろう?」

 言われてみれば、部屋を埋め尽くす引き出物の中に魔理沙からの何かは入っていなかった。
 しかし、それを渡すと言う魔理沙は手に何も持っておらず、箒を片手に立っているだけだ。

「見たところ何も持っていないみたいだけど、一体何をくれるのかしら?」
「ここでは渡せないような物さ。乗れよ、案内するぜ」

 箒に跨った魔理沙が、後部の空いたスペースを示して乗れと合図を送ってくる。
 素直に応じて箒に座ると、フワリと周囲に結界が張られると同時に箒は急上昇。
 私達は、あっと言う間に空の上へと飛び上がっていた。

「この結界は、風の抵抗を弱めるものかしら?」
「ああそうさ。これ無しだと早く飛べないし、髪や服もすぐにボサボサになるからな。快適だろう?」
「うん。思ったよりも揺れたりしないし、箒の乗り心地も悪く無いわ。もう少し早く体験しておいても良かったかもしれないわね」
「そうかそうか。じゃあ、飛ばすからしっかり捕まっていろよ?」
「ええ、分かったわ!」

 言われた通り、腕を魔理沙のお腹の辺りに回して強く捕まる。
 バランスを崩させてしまったのか、一度箒がガクンと大きく傾いでしまったが、すぐに何事も無かったように箒は発進し、夜空を一直線に飛んで行く。
 そのスピードは私の飛行速度よりもずっと早く、周囲の光景が私達の背中を押すように後ろへと流れて行った。
 そして到着したのは、魔法の森から少し離れた場所にある、小さな丘の上だった。

「到着。ここが目的地だ」
「ここが? 見た感じ、何も無いみたいだけど」
「まあな。私からのプレゼントは形のあるものじゃないから、これでいいんだ。ほら、アリスもこっちに来いよ」

 周囲を見回していた視線を魔理沙に戻すと、魔理沙は草むらに横たわっていた。
 伸びやかに『大』の字を描きながら、隣のスペースをポムポムと叩く魔理沙は、私がそこに横たわるのを期待しているようだ。

「悪いけど、服が汚れちゃうから普通に座るだけにするわよ。あなたも、髪や服がボサボサになっちゃうわよ?」
「心配無用だぜ。どうせアリスも寝転がるようになる……いや、そうして見せるさ」
「ふぅん?」
「まぁ、とりあえず座れよ。それくらいはいいだろう?」
「そうね。お邪魔するわ」

 逆らっても意味が無いため、素直に魔理沙の隣に腰をかける。
 しばらく無言のまま夜空を眺めていた私達だったが、口火を切ったのは魔理沙からだった。

「月が、綺麗だな」
「ええ、そうね。あの異変の時に見た月みたいに、とても綺麗」
「昨日はお疲れ様。人形劇、楽しかったぜ」
「楽しんで貰えて何よりだわ。それもこれも、あなたのお陰よ」
「いや、私は大した事はしていないさ。全部アリスの実力だよ」
「その実力を発揮させてくれたのがあなたじゃない。お礼の言葉も無いわ」
「気持ちだけで充分だよ。それだけで私は満たされる。
 それよりも、私からアリスへの最後の贈り物があるんだ。受け取ってくれるか?」
「ええ、もちろんよ」
「よし。そのまま、空を見ていてくれ」
「?」
「正真正銘、最後のアクションだからな。アリスの魅せてくれた人形劇に負けないくらい、飛びっきりの思い出を見せてやるぜ」

 懐から一枚のスペルカードを取り出す魔理沙。

「それは?」
「さとりに頼んで作って貰った特別製のスペルだ。アリスには、これから私の過去の記憶を見てもらう事になる」
「魔理沙の、思い出?」
「そうだ。まあ、見てろって」


 想起『星色流星群』


 スペルカードが発動して、辺りが魔理沙の魔力で満ち満ちると、その魔力に反応して薄ボンヤリとした人影が私達の前に現れた。
 その中の大きな人影は、確か森の近くにある骨董屋の主人で、横に二人の女の子を伴っている。
 片方は金髪で活発そうな感じの子で、もう片方は黒髪の大人しい……と言うか、小さい頃の魔理沙と霊夢だろう。

 小さな魔理沙は忙しなく辺りを見回していて、小さな霊夢は眠そうな瞳で店主さんにもたれかかっていた。

『こーりん、ここに何があるんだ?』
『お星様のお祭りだよ。言っただろう?』
『お祭りなのに何も無いの?』
『ばかね。お祭りって言うのはひゆよ、ひゆ。本当にお祭りがあるわけじゃないの』
『……ひゆって何?』
『え? ……ひゆはひゆよ。そう言うものなの。そうよね、りんのすけさん?』
『そうだね。でも、言葉の意味も分からずに勘で使うのは関心しないよ』
『うっ……』

 店主さんの大きな手が、二人の頭を優しく撫でる。
 それで落ち着いたらしい二人は、現実の私達の横に座り、夜空を見上げて天体観測を始めた。

「これが、魔理沙が私に見せたかった記憶?」
「いや、これは前座だ。入れるつもりは無かったんだが、勝手に入ってたみたいだな。すまないが、少し付き合ってくれ」
「もちろんいいわよ。でも……ふふ、魔理沙ったら、昔っから変わって無いのね」
「どう言う事だ?」
「この幻影の魔理沙ったら、あっちを向いたりこっちを向いたり忙しなくて、好奇心で一杯。今も変わらないわよね?」
「それは、今の私が子供っぽいって事か?」
「さぁ、どうでしょうね。少なくとも、私から見ればまだまだ子供よ」
「……ほんのちょっと前まで、ロリスだったくせに」
「実年齢はあなたよりよっぽど上ですもの。アリスお姉様って呼んでも良くてよ?」
「やめておくよ。柄じゃないさ」

 でも、変わっていないのは本当だ。
 視界一杯に広がる空を見上げる魔理沙は、店主さんの解説に合わせて体を大きく動かしながら星座を追いかけている。
 その横で、再び眠そうにしている霊夢とは全く対照的だ。
 そうやってしばらく店主さんの星座教室に耳を傾けていると、おもむろに店主さんが霊夢を揺り起こし、草むらに大の字で寝転がった。

『さて、そろそろかな。霊夢、起きなさい。空を見るんだ』
『ムニャムニャ……すてきなさーせんばこはあっちよ……』
『れーむおきろー!』
『グェッ!?』

 草のベッドを得て本格的に寝ようとした霊夢のお腹に、魔理沙のダイブボンバーが炸裂する。
 それで目を覚ました霊夢は、怒りの眼差しを魔理沙に向けて拳を握り締める。
 しかし、それが振るわれる事は無かった。

『二人とも、始まるよ。上を見てご覧』

 店主さんの誘導に従って、上を見上げる二人。
 現実の私達も、それに合わせて視線を上に向けた。


 ***


 最初に見えたのは、一筋の流れ星だった。
 天空の中心部、北極星の辺りから滑り落ちて来た流れ星が、一瞬の輝きを携えて夜空を横断して行った。

『これだけ?』
『今のは気の早い先駆け君さ。お祭りの始まりだよ』

 次に見えたのは、最初の流れ星を追いかけるように飛んで行く幾つもの流れ星。
 キラリキラリと瞬きながら、夜空に光のラインを引きながら通り過ぎて行く。
 それが幾つも重なって、まるで夜空に引かれた星の道のようだ。

『うわぁ……』
『凄いぜ……』

 そして、流星群がやって来た。
 先導した流れ星達の道を拡張するように、数十、数百もの膨大な数の流れ星がシャワーのように私達に降り注いでくる。
 圧倒的な光が、真昼のように私達を照らし出して、見慣れた筈の地上の景色ですら星の世界へと変えてしまったようだった。

 気が付いた時には、私は見上げるのを止めて草むらに横たわっていた。
 仰向けに寝転がって空を眼前に捉えると、まるで星達が私の中に飛び込んで来るような錯覚すら覚えてきて。
 流れ落ち続けるきらりきらきらとした光の塊たちは、この世のものとは思えないほど幻想的だった。

 それはきっと、幻影の二人も同じなのだろう。
 見なくても分かる。魔理沙も霊夢も、私と同じようにポカンと口を開けて降り注ぐ星空に魅入っているはずだから。

 不意に、私の手に何かが触れる。
 それを心のままに握り返すと、目の前の光景が更に輝きを増して、心を満たして行くような感覚を覚えた。

 それが魔理沙の手だと分かったのは、流星群が全て通り過ぎて、幻影達が消え去った後の事だった。
 お星様のお祭りの余韻に浸っていると、魔理沙がそっと立ち上がり、私の手を引いて立ち上がらせてくれた。

「どうだ? 元気出たか?」
「え?」
「私が迎えに行った時さ。お前と来たら、体中のエネルギーを使い果たしたみたいにボーッとしちゃってたじゃないか。
 だから、そんな燃え尽きたみたいになってるアリスさんに元気のプレゼントさ。どうだった?」

 言われて自分を振り返ってみると、確かに家を出るまで感じていたような倦怠感はどこかへ吹き飛んでしまっていた。
 代わりにあるのは、身から溢れんばかりの活力と、未だに色濃く残る達成感だった。
 無性に弾幕ごっこがしたい気分とは、こう言う時だ。

「うん。凄く良かったわ」
「そうか。じゃあ……これを受け取ってくれ」

 魔理沙が取り出したのは、人里で魔理沙が買っていたあの箱だった。
 期待していなかった、と言えば嘘になる。
 しかし、本当にこのタイミングで渡してくれるとは。

「私に?」
「ああ。開けて見てくれ」

 言われるままに箱を開けると、そこには小さなペンダントが収まっていた。
 それは星と月が組み合わさった銀細工のペンダントで、星の部分には小さな水晶がはめ込まれている。

「形の無いものだけじゃなくて、形のあるものもな。
 今日の記念に、私からアリスにプレゼントだ。
 これを見る度に、今日の事を思い出してくれると嬉しい」
「ありがとう。大切にするわ」
「かけてやるよ。もっと近付いてくれ」

 箱からペンダントを取り出した魔理沙は、私の首にそっと鎖を通し、身に付けてくれた。

「よく似合ってるぜ」
「そう……かもね。大丈夫かしら、負けてない?」
「ああ、とても綺麗だ。渡せて良かったよ」

 銀細工独特の、必要以上に自己主張をしない控えめな光は、私の服によく合っているように感じられた。
 予想以上に良い魔理沙のセンスに、少し驚いた。

「アリス」

 来た。
 私の名前を呼ぶ魔理沙の声が、一段と真剣さを増したのが分かった。
 ついに、決断の時が来たのだ。

「アリス。そろそろ日付が変わる。そうなる前に、答えを聞かせて欲しい。一ヶ月間ずっと遅らせてもらった、アリスからの返事だ」

 表情も、雰囲気も、目にこもった力も、全て真剣そのもの。
 はぐらかしなど、一切許されないだろう。
 私も、覚悟を決めなければならない。

「アリス。私はお前の事が好きだ。愛している。どうか、私と付き合って欲しい。返事を聞かせてくれ!」

 頭を下げず、どこまでも真っ直ぐに私を見据える魔理沙。
 背後に背負った星空が、まるで彼女の背中を押しているかのように瞬いていた。
 最高にロマンチックで、夢にまで見たような理想的なプロポーズシーンだ。

 それに対して、私は……

「ごめんなさい」

 深々と、頭を下げた。
星が広がる空~♪ 一人立ち止まって~♪
伝えられずにいる~♪ この思い見上げて~♪

本棚を掃除していたら『マリア様が見てる』を発掘してしまい、
とある曲を聴きながら読んでいたらこんな話が出来上がりました。
実の所、別所で書いた話のリメイクになってしまったようなも気もするのですが、
『気にするな!』と誰かが言っていたので気にしない事にしました。

前書きにも書きました通り、この物語はアリスの心情の変化に合わせて三段階に分かれています。
クールを気取ったアリスが右往左往する姿も合わせて楽しんで頂ければ幸いなのです。

次回、『星にねがいを』に続きます。
LOS-V
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コメント



0.1300点簡易評価
2.90点名前が無い程度の能力 削除
これは続きが気になる…早く読みたいです!
ってか序盤にMTGw
3.80点奇声を発する程度の能力 削除
今後どのような展開になるか楽しみです
4.100点名前が無い程度の能力 削除
………( ゚Д゚)
………(゚Д゚)
これは続きが気になるってレベルじゃねーぞ!
食い入るように読んでしまいました。ところどころ小ネタが聞いているのもグッドです。そしてイケメン魔理沙……イイ。早く続きをぉぉぉ
9.100点名前が無い程度の能力 削除
始めからもう既に好きだったり、同性間の恋愛に抵抗感がなかったりする話が多い中で、
こういう徐々に好きになっていくお話は大好物です。
魔理沙はすげ無く拒絶されてるのにタフで関心します。
あと、アリスが人形劇をする話を見るたびに、観てみたいなあと思いますが、
この話も観てみたくなりました。素敵なんでしょうね。
三部作ということで、すんなりとはいかず二転三転あるのでしょう。
続きが楽しみです。
12.100点名前が無い程度の能力 削除
続き期待してます
14.100点名前が正体不明である程度の能力 削除
ハッピーエンドを願ってる。
19.90点名前が無い程度の能力 削除
いい歌ですよね。続きが読みたいです。9さんが代わりに全部言ってくれているんだがドッペルか?
20.100点名前が無い程度の能力 削除
続きに超期待
22.100点名前が無い程度の能力 削除
続きに期待大です
29.100点名前が無い程度の能力 削除
面白い!
続きものだからといえばそうなのかもだけど、
ここで安易にアリスが承諾しなくて良かった。
まだ単なる友人だし。
続きが楽しみです。
40.100点名前が無い程度の能力 削除
面白いです。過程を丁寧に書いてるのでのめりこめました。続きが気になるので一気に読んでしまいそうです。
41.100点非現実世界に棲む者 削除
何かもう二人共充分可愛すぎます。
では早速続編へ。