目標:質問者がより少ない質問回数で問題に対する答えを求める
問題:私が一番好きな人は誰でしょう?
ルール1:質問者は問題を出す者に対して原則的にどのような質問でもすることができるが、ルール2及びルール3に反することはできない。
ルール2:質問者は複数の質問を一つにまとめることはできない。
(例:「あなたの好きな人の翼の有無と瞳の色を答えてください」という質問は2つの質問としてカウントされる)
ルール3:あなたが好きな人は誰ですかという質問をすることはできない。
ルール4:問題を出す者は嘘をつけない。
ルール5:問題を出す者は質問者の質問に対して必ず答える。
ルール6:質問に対する答えがわからない場合はわからないと答える。
ルール7:酒はのんでものまれるな。
1
「はぁ」
魔理沙はため息をついた。
肩にかかる体重をいっそう重く感じる。
アリスが酔いつぶれたのである。
年の暮れのことであった。
べつにアリスが酔いつぶれたこと自体はたいしたことではない。
宴会が多くなる年の瀬のこと。
誰かが酔いつぶれてそのまま神社に泊まるなんてことも一度や二度ではない。
魔理沙にしたって、酔っ払って朝気づいたら自分の家にいつのまにか戻っていて、アリスに連れ帰ってもらったと後で聞いたことがあるのだ。
家が近いから合理的な相互扶助といったところだろう。
それはよい。
それはよいのだが……。
気になるのは、アリスが妙にそわそわとしていたことだ。
ずいぶんと忙しく視線をきょろきょろさせて、花でも摘みにいきたいのかと思っていたのだが、そういうわけではなく、何かを言いかけてはまた口を閉じて、頬には酒のせいかわからないが朱がさしていた。
久しぶりの大宴会。入れ替わり立ちかわり人妖問わず訪れていたから、出席者の数はこれまでで一番多かったかもしれない。
魔理沙にとっては既知の仲であってもアリスにとっては初めて顔を合わすやつもいて、だから緊張したのだろうか。
いや――
そうじゃない。
魔理沙は直感としてわかってしまったのだ。
アリスは『誰か』を気にかけていたのではないだろうか。
もっと言えば恋する乙女状態だったのだ。
それは魔理沙の少女らしいきわめて正解率の高い直感であったが、その誰かが誰なのかまではわからない。
――まあアリスが誰に恋してようが関係ないんだがな。
とはいうものの。
だったらそいつに連れ帰ってもらえばいい話で、こうして肩をかしてアリスの家までいっしょに帰る自分が⑨みたいに感じる。
世界で一番くだらないことをしているような気分。
だからため息が自然と漏れるのだ。
足でドンドンと扉をたたいた。すると中から人形がでてきて扉をあけてくれた。
やれやれと思いつつ中に入る。
「むうぅ」
アリスはいまだ起きる気配がない。
魔理沙だって酔っ払ってないわけではないので、このままアリスの家に泊まってやろうかと思った。
ほとんどはいじわるな気分で。
ほんのちょっぴりはなんとなくの悔しさみたいなものから。
さらに微妙に寂しさもブレンドされて。
ともかく家に入るとランプをつける。
淡い光に照らされて部屋の中は思ったよりも明るくなる。魔力の光。アリスらしい都会派の暮らしといったところか。
「おい。アリス。水飲むか」
「ん……、ぉねーがい」
「しゃきっとしろよ」
いつもクールなアリスがこうやって、溶けたプリンみたいに気合が入ってない様子だと調子が狂う。
「オシボリー」
特に命令らしい命令もなく、冷たいおしぼりを手にした上海がやってきた。
なんて気が利く人形なのだろうと思いつつ手にとる。
アリスのほうには蓬莱が同じく冷たいおしぼりをベチャっとアリスの顔に投下してた。
――窒息するぞ、それ。
しかし、アリスはウンウン唸りながらもおしぼりを額のあたりに持っていく。
人形のミスをミスにさせない気概というやつだろうか。
酔いつぶれていてもアリスはアリス。さすがは人形遣いである。
魔理沙も上海が持ってきてくれたおしぼりで顔を拭く。寒い季節なのでできれば暖かいほうがよかったが、よっぱらってカッカしてる顔には冷たいおしぼりも気持ちいい。
水を飲めばだいぶん頭もすっきりしてきた。
晴れないのは気分だけ。
アリスが誰を好きなのかわからないという、その一点だけだった。
「でもそんなことで……」
アリスが誰を好きとか嫌いとかそんなことで泰然自若な自分が揺らぐはずがないと思っている。
でもなんだか落ち着かないこの気分はいったいどこから発生しているのだろう。
わからない。
胸のあたりに手をあてて聞いてもわからない。
乙女はハートで考えるものだが、人間は頭で考えるもの。職業魔女らしくここはこめかみに手をあててくるくるまわしてみる。
「んー、やっぱりわからん」
あ、でも。
そうか。
そうかもしれない。
何がというと、わからないからこそわかりたいと思っているに違いないのだ。
魔理沙はアリスが誰を好きなのか知らない。
この知らないという事情――人間にとってはすこぶる気持ちのわるい状態じゃないだろうか。加えて魔女というのは知の求道者でもある。不知という白地図を踏破したいと考える者が多いのが魔女。
であれば、知らないことが我慢ならないというのは当然のことだ。
魔理沙は一人納得し、腕を組んでうんうん頷く。
これは腑に落ちた。
そうかそうかそういうことか。
私はべつにアリスのことなんかどうでもいいのだが、アリスが誰かを好いているらしいという未知の事柄に対して『好奇心』(そう好奇心というところがミソだ)を抱いたのであって、その好奇心を満足させるための帰結として、今の現状に対して、すなわちアリスが誰を好きなのかわからないということに対して不満を抱いているのだ。
魔理沙はほっと一息ついて、今度は上海に毛布をもってこさせる。
「アリスはベッドで寝るだろうから、私はソファで寝るか」
自分の心のもやもやに一応の理由がついて、魔理沙は安心した。
けれど不満が解消されたわけではないので、隙あらばその不満を解消してやろうと思う。
それにしてもアリスが好きなやつっていったい誰なのだろう。
いやその疑問も私が勝手に思ってるだけで、本来アリスがやったことといえば飲み会の席でやたらとソワソワしていたことだが。
もしかして早いとこ帰りたかっただけなのかもしれないし、恋心と限定するのは早計かもしれない。
けれど、恋にきわめて近い成分が瞳の奥にあったような気がするのだ。
長いつきあいなので、それくらいはわかる。わかると思いたい。
「でも、どっちにしろアリスが起きない限りわかんないしなー」
「なにがよ」
「って、うわあ。お、起きたのかよ」
「ん。起きたわよ」
少しだけ目がすわったアリスがそこにはいた。
普段の理知的な顔つきとは程遠い、なんだか精神的に不安定なご様子。
「さっさと寝たほうがいいんじゃないか。今日はおまえにしては珍しく、たらふく飲んだだろ」
「魔理沙が朝から宴会に誘ったせいじゃないの」
「私はいいんだよ。宴会とかただ酒とかには慣れてるからな」
「あっそ」
アリスはいつもの優雅さとはほど遠い粗野なしぐさで水を飲み干す。
ごくごくぐびりぐびり。
擬音にすればそんな感じで、アリスには自分を装うだけの余裕のようなものが無いようだ。
べつにそんな姿を見るのがいやなわけではない。
何度かアリスの家にはお邪魔したことはあるし、そこでのアリスは外用の顔とは少しだけ違っていた。その延長と思えば、普段見れない顔が見れたようで、むしろお得感がある。
「で?」
「でってなんだ?」
「私が起きない限りわかんないことって何よ」
「べつにたいしたことじゃないんだがな……」
「たいしたことじゃないなら今聞いたっていいじゃない。何よ」
酔っ払いの絡み方だ。
アリスの酔い方はべつに絡み酒というわけではないのだが、これも魔女の本質というやつで、やっぱりわからないことが生じるとその未知のエリアを埋めたくなるものらしい。
今、その未知を生じさせたのはほかならぬ魔理沙なのだし、そのことに一抹の責任めいたものを感じなくもない。
だから魔理沙は意を決して言うことにした。
「あ、あのさ……」
「ん?」
「おまえさ。宴会のとき妙にきょろきょろしてただろ」
「え? そ、そうかしら」
なんだか妙に動揺している。
アリスらしからぬ反応だ。酒で酔っていつもの調子がでないことを加味しても、アリスのフォーマットな部分からだいぶはずれているように見える。
――やっぱり恋、か?
魔理沙は脳内がなんだかグツグツと煮立ってくるような感覚がした。
べつに憎悪とか怒りが湧いたわけではない。
ただ予期していたはずの事態が実際に到来したことに対する軽いパニック状態。
視線を下に落とし、床の染みを数えてみる。
一個もねーし。
というわけで、魔理沙は再びアリスに視線をあわせた。
「で、名探偵の魔理沙様は気づいたわけだ。これはアリス嬢は誰かさんに恋してるってな」
「こここここ、恋だなんて。そんなこと」
「ごまかしたって無駄だぜ。アリスのことはずっと、みてる……からな」
最後は消音モードになる魔理沙。
なんだか言ってて悲しい。
だってアリスは魔理沙を見ていなかったのだ。
きょろきょろとする視線は絶えず誰かを探しているかのようであり――、隣にいる魔理沙のことは一顧だにしなかった。
だからアリスの恋の対象は魔理沙ではない。
「誰なんだよ?」
ずきんずきんとなぜか痛むハートを気にしながら、魔理沙はアリスに質問した。
「恋なんてしてないわよ」
「でもそれにしてはやたらと周りを気にしてたよな。誰を探してたんだ? あるいは……どこかのエロ親父みたいにそいつのことを視線に入れたいのだが、気にしているのを悟られるのが嫌で、ちらりちらりと見ては視線をはずしてたとか、そんな感じなのか」
「もう、勝手に言ってなさい」
「なんだよ。怒ることないだろ」
「べつに怒ってないわよ。頭がぼんやりしてるのに魔理沙の声が煩わしかっただけ」
「なんだよ……」魔理沙は呟く。「そんなに迷惑だったかよ」
おろおろしているのは上海だ。
ふたりの間をふらふらと行き交い、この冷たい空間をどうにかしようとしている。
やがて上海はアリスの膝に落ち着いた。
アリスはフゥと大きなため息をつき、蓬莱にもういっぱい水を持ってこさせる。
「じゃあ私は帰るからな」
魔理沙は耐えられなかった。
これ以上、アリスと顔をあわせていると余計なことを言ってしまいそうで。
だから逃げようとしたのだ。
「待ちなさいよ」
「なんだ?」
「外はもう暗いわ。今日は泊まっていきなさい」
アリスは言い、それから蓬莱が持ってきた水を受け取る。
今度はそれなりに優雅にちびちびと飲み干した。
それでようやく落ち着いたらしく、アリスはいまだ酒で瞳がうるんでいるものの、精神はずいぶんとはっきりしてきたようだった。
「べつに家まで近いし、たいしたことじゃないだろ。アリスは片思いの相手を想うのに忙しいはずだしな」
「だからべつに恋じゃないって言ってるでしょ」
「どうだか。おまえが誰かに想いを馳せてたのは確かなんだ。いまさら私に隠そうとしなくてもいいだろ!」
その程度の仲だったのか、と言いたい。
魔理沙はアリスのことを少なくとも友達であると思っていた。
他の有象無象の妖怪にも面白がられる魔理沙であるが、アリスとの関係は他の誰とも違う特別なものだったのだ。
そこに亀裂が入った。
魔理沙は自分のハートに亀裂が入ったように感じた。
「はぁ……。言ってもわかってはもらえなさそうね。――上海、紙を。蓬莱、ペンを」
アリスの言葉に反応して、人形たちはすぐに紙とペンを持ってきた。
なにがしたいのかわからず、魔理沙はムスっとした表情のままアリスのやろうとしていることを観察する。
アリスはさらさらと紙の上になにやら書いていた。
魔術の類は感じないし、どうやらただの文字らしい。
「なんだよそれ」
三行半を想像し、魔理沙はついに口を開いてしまう。
もし絶交とか言われたら――
心の奥がヒュっと冷たくなった。
顔も青い。
呑みすぎたせいじゃないはずだ。
「黙ってなさい。少しは考えること。それが魔法使いの本質でしょう」
「ちぇ」
さっきまで酔いつぶれて前後不覚に陥っていたくせに、もう回復している。
妖怪らしい頑丈さを不公平に感じる魔理沙だった。
2
アリスは魔理沙に紙を見せた。
両手で端を持ち、掲げるように見せている。
「私が一番好きな人は誰でしょう?」
そこに書かれた文字を見て、意味を認識し、魔理沙は軽く戦慄すら覚える。
いったいどこからそういう魔女めいた思考がでてくるんだろう。
「ゲームでもしようっていうのか」
「そうよ。魔法使いらしく思考をフル回転させて知的なゲームを楽しみましょう。くだらない子どもじみた罵詈雑言よりよっぽど建設的でしょ」
「そんな程度のことなのかよ」
「私が恋してる、だったかしら。違うといってもどうせ魔理沙は聞く気ないでしょ。だったら最初からルールを提案したほうがいい。このゲームのマスターは私」
「いいぜ。やったろうじゃんか」
魔理沙はソファから腰を浮かし、アリスが座っているテーブルの対になる場所に座った。
紙はアリスと魔理沙のちょうど真ん中の距離に置かれている。
魔理沙は紙をつぶさに見る。
「一応、ルールを説明させてもらうわね」
アリスはどことなく楽しそうである。
その余裕のある表情がなぜか憎らしい。こっちにはほとんど余裕なんかないってのに。
「このゲームには二つの立場が存在する。まず問いを出す者。その名の通り問いを出す。この場合の問いは『私が一番好きな人は誰でしょう』というもの。疑義をはさむ余地のない唯一の問いと捉えてもらってかまわないわ。世界にはあらゆる問いがたゆたっているけれど、このゲームにおける問いはただひとつのものよ」
魔理沙はゆっくりとうなずく。
アリスが涼しい色をした瞳の奥で何を考えているのか探ろうとする。
訝しいのは自明のことをわざわざゆったりとしたペースで説明することだが、アリスらしい完ぺき主義が表にあらわれただけとも考えられる。
そもそも思考のゲームはそのゲーム自体に重大な矛盾を孕んでいることが多く、もしかすると魔理沙を混乱させようとしているのかもしれない。
ともかく、アリスの説明は続いた。
「私と魔理沙はそれぞれ先に述べた二つの立場を選択する。覚えているわよね。問題を出す者か質問する者かを選ぶわけ。今回魔理沙は質問をする者ってとこかしら」
「ああそうだな。それで?」
「このゲームはいわばターン制よ。より少ないターンで問いに対する答えを得られれば勝ち。魔理沙の私に対する勝利条件は私の想定する答え以上のものを提出できるかどうかってことね」
「それで勝ったら何をくれるんだ」
「魔理沙が知りたがってた事についての答え」
「ふうん。嘘はつかないんだな。このルールではゲーム的には嘘はつかないが勝利条件達成後のことについてまでは書いてないからな」
「そこまで野暮じゃないわよ。あなたが勝ったらきちんと答えてあげるわ」
アリスはコツリと指先でテーブルをたたき、心外だという顔つきをした。
確かにアリスは嘘をつくような性格ではない。
べつに冗談を言わないというわけではないのだが、基本的に信頼関係にかかわることは丁寧に処理していくタイプ。
たとえ心安き間柄であろうと、相手が魔理沙であろうとも、そういうところは変わらない。
そこらは霊夢と通じるところがある。
人間関係の対処の仕方が共通規格によっているというか、ともかく誰だから接し方が変わるということがないのだ。
そして霊夢との違いは、霊夢はすべてが基本的にどうでもいいのだが、アリスの場合は一線を引いて原則的には人が良い。
嘘はつかないと宣言した以上は、嘘はつかないだろう。
この点に関しては魔理沙は納得した。
問題はゲームのほうだ。
そんなに複雑なゲームではない。このゲームは思考力というよりは発想力が求められているのだろう。魔理沙の発想力がアリスのそれを上回れば勝ち。そうでなければ負け。
これは魔女として負けられない戦いだ。
「人間様の発想力を舐めてもらったら困るぜ」
「せいぜいがんばりなさい」
「ところで質問をひとついいか」
「どうぞ」
「このゲームで問いの答えになる奴は、当然おまえが知ってるやつってことでいいんだろうが、そうなると私が知らないでおまえだけが知ってるってパターンもありうるわけだよな」
「それはないわね。だいたいあなたみたいに異変に首をつっこみまくりな人間なんていないわよ」
「つまりおまえ引きこもりなんだな」
「うっさいわね。ともかく今回の答えについて言えば、あの宴会場に来てたやつらでいいわよ。名前知らない子もいたけど、そいつらも含めてね。『好きな人』とは書いてるけど当然人間以外も含むわよ。妖怪も妖精も神も天人も魔女も……要するに種族とかは関係ないわ」
年々規模が大きくなっていく博麗神社の宴会である。
そこにいたやつらは魔理沙でさえ把握できなかった。
入れ替わり立ち替わり顔を出していたのもあるが、だいたいほとんど全員いたんじゃないか。
名前知ってるやつはだいたい来てたし、なぜか魔界のやつらも来てたみたいだし、魅魔様だけは来なかったけど。
そのなかには魔理沙が名前を知らない妖精たちもいたし、アリスの言い方だと、例えば本当の名前を知らない小悪魔や大妖精なんかも答えに含まれているということになる。
「ふむ。例えば名も無き妖精メイドというのも答えになりうるわけか」
「ええそうね。その場合は個体名は不要ということにするわ。目に入った妖精メイドのことをたまたま気に入るということもありうるかもしれないもの」
「じゃあ例えば、動物や物はどうなんだ」
「動物や物もカテゴリーとして他と区別できれば答えになりうるということにするわ」
「たとえば私が飼ってるツチノコとか、アリスの人形も答えになりうるってことか」
「そういうことね」
「これはずいぶんと多いな」
「それぐらい多くなければあなたの発想力を試すことはできないでしょう」
「まあ、そうかもしれんが……」
逆に言えば、アリスはあのわずかな時間で魔理沙を越える発想をなしえたということである。
さすがアリス、私の三歩先を行く……おっとこれは何かがよくない。
ともかく、魔理沙は心構えを新たにし、もう一度ゲームのルールを考えることにした。
3
このゲームの目標は『より少ない質問回数』を達成することだ。
つまり、魔理沙がアリスの好きな人の名を知ることではない。
そしてアリスと魔理沙はお互いの発想力を競うわけで、思考力や論理力はあまり関係がない。
おそらく答えは0か1ということになるだろう。
そうでなければアリスが問いを提示することはないだろうからだ。
たとえば、3回や4回の質問で決定できるとしても、それはあまりにも普通すぎて魔女的思考とはかけ離れている。
ゆえに0か1。
しかし0はありうるのか。
魔理沙はアリスが好きなやつが誰なのか知らない。もしも事前に知っているなら、その答えは0でもいいかもしれないが、しかし知らないものは知らないのだ。だからこそこのゲームに乗ったのだし。
だから答えは1。
魔女でなくてもわかる道理で、答えは1しかありえない。
この結論から逆流するように、質問を導けばいい。
一回の質問で答えを知りうるにはどうすればよいか。
魔理沙は自前の金髪をもしゃもしゃとかきまわし、思考する。
アリスは先ほどから椅子を横にして、人形用の何かを編んでいる。信じられないほど細かい作業に思わず目を奪われる。
ああ、こいつにとっては私の懊悩なんてどうでもいいんだな。
なんて思うと、気持ちのいいものではないが、しかし深夜だというのに眠らずにいるのはひとえに魔理沙の答えを待っているからに他ならない。
怒ることもできず、ただ悶々とする気持ち。
魔理沙はもう一度考える。
質問回数が一回というのは間違いないはずだ。
だが、どうやって一回ですべての答えを網羅できる?
例えば、所属を尋ねても、その所属内の誰であるかはわからないし、羽の有無なんて幻想郷では区別する要素にならない。瞳の色だって被ってるやつはいる。
決めうちするのはどうか。
たとえばアリスの好きなやつといえば、だいたいは人形って答えれば嘘にはならない。だったら人形にまつわる質問をすれば、前提と合わせて一回で答えが出るっていうのはどうだろう。
あなたが好きな人の頭文字はと聞いて「し」ですと答えれば、四季映姫も本当はありえるところだろうが、アリスが好きなやつっていえば人形しかないのだろうから――答えは上海人形だと限定される、とか。
だめだ。
それだとわざわざ答えをあれだけ多様にした意味がわからない。
アリスは言った。
宴会に来てた奴全員を答えに含めると。
それをおまえが好きなのは人形に決まってると決めつけてかかるのは間違いだ。思考狭窄。思いこみ。先入観どころの話じゃない。
じゃあ、他にどういう方法があるのか。
個人識別に有用なのは名前であるが、その名前を聞いてはいけない。ルール3に反するからだ。
つまりは名前に代わるものが必要だということにならないか?
そこまで考えて、魔理沙はピンと来た。
そういやあいつらを識別する情報が名前以外にもある。
――能力だ。
能力というのはよくわからないが、おそらく魂とか存在様式とかにかかわるもので、アイデンティティがそのまま発露した結果である。ゆえに能力が被ることは無いといってよく、能力さえ聞けば、あああいつのことだなとわかるのが、ここ幻想郷。スキマといえば紫のことだなんて、そこらの妖精でも知ってる事柄だ。
でも、そんな簡単でいいのか?
魔理沙はアリスの横顔を見つめる。
たった数秒かそこらの間に構築された問題だ。
その程度の問題だったとも考えられるが――。
あ、でも待てよ。
よく考えれば、ツチノコとか妖精メイドでもいいんだよな。あいつらの能力ってなんだ?
そうか能力がないやつらは『能力がない』というカテゴリーで一致しているわけだ。たとえば私が『あなたの好きなやつの能力はなんですか』と聞いても、ルールにしたがってアリスは『わからない』と答える。そうすると、そいつらのうちの誰なのか決定することができない。
これではダメだ。
あぶねぇ……。
これは巧妙な罠だ。
わかりやすい見える地雷ってやつだ。
魔理沙は手のひらのなかにじんわりと汗がにじんでくるのを感じた。
いつのまにやら家の中は暖房が効いていて暖かい。眠たくなってくるような暖かさだ。
「なぁアリス」
「ん。そろそろ答える?」
「そうじゃなくてだな。この暖房、魔力を喰いまくりだったりしないか」
「確かに最近は節魔中だからあまりつけないわね」
「もっと温度下げていいんじゃないか」
「風邪ひくわよ。寝る前には消すから今はべつにかまわないわ」
「ふうん……」
風邪を引くのはおそらく人間の魔理沙だけで、アリスのほうはカテゴリー妖怪だし、パチュリーのように柔ではない。
つまりこの暖房の意味はほとんどアリスが魔理沙に気を利かせた結果だ。
魔理沙は再び髪の毛をもしゃもしゃする。
まったくどうしてこんなことになったんだか。
アリスは酔っ払っていた時期を除けばあっというまに自分を取り戻して、通常運転に戻っている。
揺らぎがなく、泰然としているのは本当はアリスのほうだ。
こいつは余裕の部分が人よりも多いのだ。
「なんか飲みたい」
ブスっとした表情で魔理沙は口をひらいた。
ただアリスに思いっきり迷惑をかけたい、そんな気分で放った言葉である。
アリスはしかたないわねとつぶやいて、「何が飲みたいの?」
「酒だ。酒もってこい」
「ルール7に反するからダメ。今日は胃に優しいのにしておきなさい」
「じゃあ、あったかいミルクでいい」
「はいはい」
アリスは人形たちを上手に操り、ポットを魔理沙の前にもってこさせる。
いつのまにか中は湯気たちのぼるミルクで満たされていて、目の前にはカップが置かれていた。
人形たちは五人一組の体制で、ポットからカップへとミルクを注いで元いた人形棚へと帰っていった。
これをアリスは顔色ひとつ変えずにやるのだから恐ろしい。
「さてと、そろそろ答えを考えるかぁ……」
魔理沙は気安い声をあげて、しかし脳内では猛烈に思考していた。
4
「考えれば考えるほど不思議ね」
あれからどれくらい経ったか、急にアリスがそんなことを言い出した。
「なにがだ?」
「問いというもの。それ自体よ」
「?」
「古代から問いというものはそれ自体に矛盾を孕んでいたの」
「矛盾?」
「問題は解き方がまったくわからなければそれ自体もはや問題として成立しない。逆に解き方がわかるのであればそれもまた問題として成立しない」
「まあ確かにな」
「問題というのは微妙なラインに立っているからこそ成り立つものなの。わかるかわからないか。そんな曖昧で量子的な関係だからこそ成立するのよ」
「私はそうは思わんけどな。何かについて解答がでたらその解答から次の疑問が生まれるのが人間ってもんだ。問題は無数に生まれていくから、曖昧だからこそ成立するなんてものじゃない。混ざる前の渦巻くコーヒーみたいに、時間的な経過とともに刻一刻と変化していく運動そのものが問題ってやつだと思うぜ」
「魔理沙にしてはよく考えてるじゃない」
「私にしてはってなんだよ」
「その調子でこの問題の答えも早いとこ出してちょうだい。そろそろ眠たくなってきちゃった」
「ふん。心配しなくてもすぐにぐっすりさせてやる」
アリスは本当に眠たそうにしていた。
人前ではあまり無防備なところを見せないアリスだが、魔理沙の前ではこんなにも無防備だ。
まったくなんてやつだ。
私がこんなにも苦労してるってのに。
答えはいまだにわからない。
でも、こうなったら破れかぶれだ。
「おいアリス」
「ん……ようやく答えがでたのかしら。さすがにタイムオーバーにしようかと思ってたところよ」
「ああ、わかったよ。答えはこれだ!」
魔理沙が示したのは、顔のあたりに掲げられた人差し指一本。
つまりは、『一』という数字。
アリスは不敵に微笑み、続きを促す。
「どういう意味か教えていただけるかしら」
「簡単なことだぜ。アリスの提示したルールでは……、そう特にルール3では、あなたが好きな人は誰ですかという質問はできないってなってたよな」
「ええ、なってたわね。もしかしてあなたの想い人は誰ですかとか微妙にアレンジする気? それはダメよ」
「そんなことは言わないぜ。私が指摘したいのは直接誰であるのかを聞くのはダメだってことだ。だったら間接的ならどうだ」
「なるほど……ね。だいたい言いたいことはわかったわ」
「そうだ。私は書けばいいんだ。紙にみんなの名前を書いて一覧表を作り、『この中で答えに当たる者は誰か』と聞けばいい。これなら私はアリスに直接好きな人の名前を尋ねてるわけじゃない。名前はそこにすでに書かれてあるんだからな」
アリスはしばらく瞳を伏せて考えていた。
魔理沙は汗をひとつ垂らす。
「答えは『一』か。目標に対する答えが『一』。理由はまあ私が納得したかっただけだから別にどうでもいいんだけど、なるほどそういう考え方もあるのね」
「どうだ参ったか」
しかし、魔理沙は内心焦っていた。
どうやらアリスの想定していた答えとは違うらしい。
つまりここでアリスが納得しなければ魔理沙の負けになるのかもしれない。
アリスの想定した答えを聞いて、魔理沙がショックをうければ負けだ。
二秒半の沈黙ののち、アリスは椅子を真正面に戻して魔理沙と視線をあわせた。
そして一言。
「あなたの負けよ。魔理沙」
5
「なにが負けなんだよ。答えは……つまり、より少ない質問回数ってのは一回に決まってるだろ。それ以上は不可能だ」
「ふふっ」
アリスは小さく笑った。
魔理沙はどこか奇妙な世界に迷いこんだかのような感覚を覚えた。
それほどにアリスの笑いは吸いこまれるような美しさを秘めていた。
いつもの少女らしい笑いとは違い、魔女の笑いだ。
自分の知的水準が他者を上回ったことに対する勝利の美酒。
そんな感覚なのかもしれない。
「答えは0回よ」
「なん……だと」
嘘だ。嘘だ。ありえない。
なぜならそれは原理的にありえないことだからだ。
だって、私は知らない。アリスが誰を好きなのかなんて知らない。
魔理沙は半べそをかきながら、テーブルを力いっぱい殴打する。
「納得できねぇ。説明を求める」
「当然。説明させてもらうわ」
アリス曰く。
「この問題の答えは、私が誰かを好きなのかという解答自体じゃないことはさすがに気づいているわね。そう……、目標を達成する方法論がこの問いの答え。要するに『より少ない質問回数』を達成することが答え。魔理沙はその答えとして『一』を提示した。なら私はそれより少ない『零』を提示することで魔理沙に勝つことになる。ここまではわかるわね」
「ああ……」
「さてここで問いに視線を移してみて。なんて書いてあるかしら」
「私が一番好きな人は誰でしょう」
「魔理沙はここで既に間違いを犯している。書かれてある文字は『私』であるのに、『私』=アリスと結論づけてしまった。前提からしてまちがってるのよ」
「意味がわからんぞ」
「ここで書かれてある『私』はべつに誰であってもよかったのよ。私でもかまわないし魔理沙でもかまわない。そういう不確定要素として『私』はあったの」
「……それで?」
なにがなんだかわからんが、ともかく全部聞こうと思った。
「同様に私と魔理沙の立場も流動的に決定されるわ。私は言ったはずよ。『私と魔理沙はそれぞれ先に述べた二つの立場を選択する』って。この言葉の意味に従えば、私は問いを出す者と質問する者を選択し、魔理沙もまた同様に選択する。普通なら、私が問いを出す者で魔理沙は質問をする者となりそうだけど、本当にそれだけなのかしら」
「え、それはズルいだろ!」
魔理沙もようやくアリスが何を言いたいのかわかった。
魔理沙は内心においてこう思っていた。
アリス → 問題を出す者
魔理沙 → 質問者
しかしアリスの言葉の意味は実際にはこうだった。
アリス →(問題を出す者・質問者)
魔理沙 →(問題を出す者・質問者)
「なんのことはない。ありきたりな言い方をすれば、自問自答。そう私は自分に問題を出す者として問いかけるの『私が一番好きな人は誰でしょう』。質問するまでもないわ。だって答えは心の中に既にあるのだから。よって質問回数は0回。これが答えよ」
6
魔理沙はがっくりと肩を落とす。
なるほどこれが魔女の思考ってやつか。
いつも病弱なパチュリーを見ているせいか、魔女ってやつがどこまでもひねくれていて、どこまでも人が悪いことを忘れていた。
それにしてもいままでまともに考えていた自分が馬鹿みたいだ。
こんなとんちめいた話にまじめにつきあってきたんだからな。
「ふふ。どう。これで納得いったかしら」
「いいや」魔理沙は顔をあげた。「その答えに異議ありだぜ」
「ふぅん。いまの話に気づかなかったのは魔理沙の過失じゃないの。どうあがいてもあなたの負けよ」
「いいやそんなことが言いたいんじゃない。アリスのさっきの話はそれはそれで納得だ」
魔理沙は暗い顔をしていたが、目だけはぎらぎら輝いていた。
こういうだましあいは人間様の得意分野。
魔法使いらしい思考能力ではなく、単に人の悪さを競うなら、魔理沙の右に出るものはいない。
だから魔理沙は言う。
「さっきの私が言った理由だけどな、あれは嘘だ」
「ん?」
「つまり一覧表を見せてうんぬんというのは、真っ赤な嘘。おまえの答えを聞きだすためのブラフってやつだぜ」
「それでも答えが一なら……」
「違うなアリス。それも違う。私が示したのはこれだ」
魔理沙は先ほどと同じように人差し指を一本掲げる。
アリスは意味がよくわからず、小首をかしげるばかりだ。
「わからないか。これが指し示しているのは『一』じゃない。マイナス一なんだよ」
「マイナス? なによそれ」
「いいかアリス。よく聞けよ」
ギリギリと引き絞るような声。
魔理沙から感じられる気迫は、引き絞られた弓のようだ。
「質問なんかする必要なかったんだ。最初から。アリスが言いたいことは誰かを好きってことは自分の内面の問題だから他人がどう思ってるかじゃないってことなんだろ。確かに私もそう思う。だから――言う」
「う、うん。なによ?」
「ここにいる霧雨魔理沙って魔法使いはな。アリスのことが……す、す、好きなんだぜ」
「は?」
「好きなんだぜ」
「ど、どういう意味かしら」
「ほら!」魔理沙はビシっと指差す。「それだ」
「ど、どういうことなのよ?」
さきほどからアリスは混乱を隠せていない。
魔理沙の怒涛の告白に精神的防壁は機能を失っており、目を白黒させている。べつに魔理沙が目の前にいるからというわけではなく――。
ともかく、魔理沙は指摘した。
それだと。
それこそが答えだと。
「あ、もしかして……」
アリスは呆然とする。聡いアリスのこと。この程度の力技すぐに見抜いたらしい。
魔理沙は自信たっぷりにうなずく。
「そういうことだ。質問者である私は質問をしたわけじゃない。ただアリスに向けて宣言しただけだ。それに対して問題を出したはずのお前は質問者に対して『逆に質問をしてしまった』ことになる。これはマイナス1と言ってもいいだろう」
「なんて力技。思考力とか論理力とかぶった切って、ただただパワーで押しまくっただけじゃないの」
「でも、それが私なんだ」
「好きっていうのも?」
アリスは小さな声で質問する。
魔理沙はこれに対してはコクリとうなずいただけ。
力技でなんとか押し切ったものの、さすがに冷静になってくると恥ずかしい。
「ともかく! 私の勝ちでいいよな」
「ふぅ……。し、しかたないわね。今回だけよ」
「やったぜ」
でも、ふと心に降りるのは冷たい水に浸されたような感覚だ。
魔理沙は覚悟していた。
アリスを好きといったことに嘘はなく、それが恋心か仲の良い友達としての言葉かともかくとして、真実の言葉だった。その言葉が引き出されたのはアリスの論理構造が、人のことを気にするより自分の心を気にしないといっているようだったからで、だから素直になれたのだ。
けれど――
アリスの心はどこにあるんだろう。
アリスの想い人は?
魔理沙ではないのはわかってる。
自分の心が定まっても、やっぱり寂しいことにはかわりない。
7
アリスは白い肌を紅く染めていた。
「べつに本当に恋とかそんなの関係ないのよ」
「えーとつまりね。なんというか、魔理沙が酔いつぶれそうだと思ったのよ」
「私のほうが酔いつぶれてた? まあそうなんだけど思考が暴走してるときって何考えてるかわからないじゃない。ぼーっとした頭でなんだか隣にいる魔理沙がいつもよりも弱ってるように見えたの。だからすぐ帰らせないといけないかなって思ったの」
「最初は霊夢か誰かに魔理沙といっしょに帰るって言おうとしたんだけど。霊夢はあいかわらず妖怪達に愛されまくりだったし、だったら話が通じそうなやつは誰かいないかと思って探してただけ」
「気になってるとか恋心とか、そ、そんなのあるわけないじゃない。ただ近所のよしみよ」
「答えが足りない? え、自分は自分の気持ちを言ったんだからちゃんと聞かせろって、そんなのいえないわよ。だって……だって……」
「暖房熱いわね。そろそろ切ろうかしら」
「あ」
堪能致しました。面白かったです!
だがそれがいい
心がぬくもった~
サイコーです。
甘々かつ面白かったです