外を見ると、街灯の光が空から舞い降りてくる雪を煌々と照らしていた。
確か今年はまだ雪が降っていなかったはずなので、恐らく今日が初雪だろう。
折しも今日はクリスマスイブ。
確か京都出身の友達が言うには、そもそも京都の地ではあまり雪は降らないとのことだ。
どうやら天の神様はロマンチシズムの女神に味方したらしい。
あるいは、ロマンスに洒落込んだ若者達に、だろうか。
まったく、殊勝なものである。
神様はいつだって多数派に味方して、少数派はいつだって片隅にへと追いやられていく。
20年近く生きて初めてのホワイトクリスマスだっていうのに、これは一体どういう事なのだろう。
自分の巡り合わせの悪さにほとほと嫌気がさす。
「いらっしゃいませー」
ドアの開くチャイム音を聞いて反射的に決まり文句が口から出る。
10代最後のクリスマスイブの夜、私はコンビニでバイトをしていた。
聞こえは悪いかもしれないが、私は良い大学に在籍していると思う。
日本が誇る最高学府だ。
だからこそその大学生活は、大学近くのちょっとおしゃれなマンションで学問に励み、まぁ空いた時間に家庭教師でもやっていれば、学生にしては裕福な感じでいけるだろうと信じていた。
ところが実際はどうだろう。
千人単位で学生を抱える大学の周囲となれば競争も熾烈であり、家賃だけでもべらぼうな金額だった。
おまけに上方の地では総じて敷金や礼金が高い。
それに加えて更新料や水道光熱費だのを考えてみれば、とてもじゃないが私には難しいだろう。
というか両親に止められた。
まあ、一人娘を東京の地から遠く京都にまで出すだけで大出費なのだから、当然な事なのかもしれない。
だがもし両親が全面的な支援体制を取ってくれていたならば恐らく可能であったと思われる。
そう考えるとただただ悔しい思いである。
東京の人とはかくも冷たいものなのか。
閑話休題、そういう訳で私は妥協に妥協を重ねて、大学から北に自転車で20分走った所の住宅街のど真ん中で四畳半のアパートを借りることとなった。
それでも築3年しか経ってないために、割と高い家賃を払う羽目になっている。
結果、毎月の仕送りのほとんどが家賃や水道光熱費に消えて行ってしまい、私は空いた時間の隙間を縫うようにしてバイトに明け暮れなければならなくなった。
おまけに、月旅行のための資金も稼がないといけないし。
さてバイトであるが、これもまた非常に厳しい問題を抱えていた。
京都の地と言えば歴史と浪漫の街であるが、それと同時に大規模な学生街でもある。
私が在籍している国立大学に加え、数多くのマンモス私立大学がそこかしこに建てられている。
おまけにその半分くらいは、私の大学よりも中心部の方にあったりする。
御陰様でそういった私立大学の学生がバイトの求人を根こそぎ持って行き、私たちの元には僅かばかりの求人情報しか残らないのだ。
その上移動手段は徒歩かバスに限られるので、条件に合う働き口はぐぐっと減る。
当時は確か、両手で数えれば御の字とか、そんな感じだったと思う。
こうなると高校時代に「都会で良い大学にいれば、家庭教師で時給3,000円は固い」と豪語していた塾の先生の言葉が途端に嘘っぽく思えてしまう。
そういう待遇の良いバイトは激しい競争の末に、非常に口惜しいことではあるが、自分よりも優秀な学生が取って行くことになるのだ。
そういう訳で結果として私が選んだバイト先は、自分の家から更に北に行った所にあるコンビニだった。
ここだと他の大学生の競争からも逃れているせいか、割とすんなり就くことができた。
深夜勤だったから給料もそれなりに良いし、上手くやれば雑誌だって読み放題だ。
おまけに店長夫妻がとても良い人で、売れ残ったパンや弁当は、その場で食べ切ることが条件ではあるが、無料で貰えていた。
今日の夕ご飯に至っては、「クリスマスプレゼントだよ」と言って800円ぐらいする高級な弁当を頂いた。
およそ学食三食分のお値段を誇るお弁当。
私は「ありがとうございます」と言って美味しく食べたのだが、何だか妙に虚しくなった。
やはり今日だけは、勤務を入れるんじゃなかったと思う。
他の同僚が揃いも揃って彼氏だの彼女だのがいるからって、遠慮すべきじゃなかった。
あるいは無理を言って店長に押し付けるべきだったのかもしれない。
ああ、10代最後のクリスマスイブの夜だというのに、私は一体何をしているんだろう。
来る客はどいつもこいつもカップル、カップル、カップル。
まったくもって面白くない。
カップルなんか四条河原町の適当な料理店で、クリスマスディナーとやらを満喫していればいいのよ。
あるいはもうちょっと北に行けばグルメシティとやらがあるというのだから、そっちに行けばいいのに。
それがどうしてこんな京都も北の、地下鉄の駅からも離れたような所にいるのだろうか。
まぁこっちもそれを期待して、クリスマスフェアなんていうのをやっているんだろうけどさ。
私はぼんやりと店内を見渡してみる。
数組のカップル客がそれぞれ同じ物をかごの中に放り込んでいく。
ケーキ、おつまみ、時々パック入りのサラダ、ところによりお酒、漏れなくゴム製品。
そして誰もが同じようにホットスナックのチキンを求めてくる。
私は思わず溜め息を吐いてしまう。
この日のために店長は大量の鶏肉を納入していた。
「クリスマスだからね、きっとみんな買って行くから」
この辺りのスーパーは需要と供給のラインを実によく見極めている。
どういう事かと言うと、つまり盆正月やクリスマスには総菜のコーナーの商品を軒並み値上げしてくるのだ。
まぁ、上手いと思うよ、本当に。
今年の正月、メリーと二人、正月だというのに実家に帰らなかった者同士でささやかな宅飲みをした際に、私はその需要と供給の関係というものをまざまざと思い知らされることになった。
具体的には唐揚げが100g300円だった。
あの足元の見方は決して許されないと今でも思っている。
ちなみに唐揚げはやむを得ず購入することにし、メリーと頂くことにした。
道中で冷えたのでレンジで温めなおした唐揚げは、ちょっぴり涙の味がした。
話がずれたが、そういう訳でこの辺りのスーパーでクリスマスに合わせて総菜の値上げ商戦が行われているだろう。
そこで登場する救世主が、街の至る所で目に留まるコンビニである。
いつも通りに安定した値段と質のチキンをお客様に提供できるのだ。
まったく、店長の慧眼には恐れ入るばかりである。
そのために今日は何度も何度も鶏肉を温めることとなった。
そろそろ鶏の幽霊とかに憑かれそうな気がしないでもない。
憑くならせめて、街を往くカップル共にしてほしいものなのだが。
それにしても、クリスマスイブの夜にバイトをしている己の姿というのは、何とも侘しくなるものがある。
まぁ押し付けられたようなものだから、仕方ないんだけどさ。
どうせ明日の朝からまた大学があるから、思い切ってどこかに行く訳にもいかなかったし。
それにしたって、何だか物悲しい。
この国は八百万の神々が住まう国だ。
正月は神社に参詣し、葬式にはお坊さんを呼んで、そしてクリスマスは盛大に祝う。
だから今日はおめでたい日であるはずなのだ。
そうだというのに、どうしてこんな気分にならなくてはいけないんだ。
ああ、イエス様、私の姿が見えますでしょうか。
私はこんな誰もが歌い踊る日だと言うのに甲斐甲斐しく働いている苦学生です。
もしも私を哀れに思し召すなら、どうか私に幸福という物を授けて頂けませんか。
具体的には諭吉様や聖徳太子様とか、般若様のお湯とか、量子力学の単位とか。
そんな事をぼんやりと思いながら雪で濡れた床をモップで拭いていると、ドアの開く音とお客が入った事を知らせるチャイムの音が鳴った。
「いらっしゃいませー」
入口の方に目を遣ると、またカップル客だった。
見た所高校生だろうか。
差し詰め『高校最後のクリスマスに~』とか『付き合って初めてのクリスマス~』とか言った所だろうか。
けたたましい笑い声を上げながら買い物かごに商品を入れていく。
スナック菓子、1.5Lのペットボトル飲料、それから……栄養ドリンク?
ええい、ちょっと待て、それに歯ブラシに、あのゴム製品?
私は思わず立ちくらみを覚えた。
高校生、高校生が。
いやまぁ、別に中学生から致している人が沢山いる御時世ですし、いわんや高校生をや。
別におかしな事は何も無い。
おかしくはないんだけどさ、なんだろう、この妙なやるせなさは。
ふと、自分の高校時代とやらを思い返してみる。
色も華も無い高校生だった。
朝起きて学校に行き、学校が終わったら塾に行き、家に帰って寝る。そんな毎日をぐるぐると過ごしていた。
クリスマスイブもまた普段通り学校に行き、それが終わったら塾に行っていたような気がする。
家に帰ったらもう夕食を済ませた家族の横で簡単なご飯とケーキを食べたぐらいだ。
バラ色の青春時代などどこにも無かった。
しかし、だからと言って他の皆がそうであるとは限らない。
彼らは残り少ない青春時代を謳歌しようと闇雲になって誰かととっつこうひっつこうとしていた。
きっと彼らは化学で言うところイオンのような存在だったのだろう。
一人でいるのが不安定で、だからこそ互いに手を取り合える誰かを求めていた。
だが、忘れてはならない。
不安定というのはすなわち、理性を失っているだけに過ぎないのだ。
理性を失って発情した獣達が、青春の謳歌という大義名分をひっさげて己の欲望を満たしているだけなのだ。
私は負けたのではない。
ただ一人、理性的な人間であり続けたのだ。
けれども、「好きな男子? 別にいないけど」と宣言してしまったがばっかりに、クラスの女子達からコイバナの除け者にされてしまったという事態には、生まれて初めて久し振りにほんのちょっとだけ心が折れそうになった。
もしかしたらほんのちょびっとぐらいは泣いたかもしれない。
そんな事を考えていると、件の高校生カップルがレジに商品を持って来た。
それらをレジに通していると、不意に彼氏が「あとチキンを4つお願いします」と言った。
ああ、チキンね。にしても4つか。
まぁ2人で2ずつ食べればいいもんね、うん、どこもおかしくは無い。
どこか呆然としながら私は粛々と作業をこなしていた。
「2,450円になります」
レジを操作しながらふと彼女の方を見てみると、私の方を見て憐れむような仕草を見せた気がした。
私はカチンと来た。
何なのだろうか、この目は。
あるいは表情や仕草は。
これはいわゆる『人をバカにしている態度』とか言うヤツではないのだろうか?
何様のつもりなのだろうか。
そりゃ私は店員で、貴女様はお客様、神様だよ。
けど、なんだその態度は?
そんなに彼氏が出来て嬉しいのか?
良い年して化粧もあまりせずにバイトに励むハタチも間近の女の姿が可哀想なのか?
自分がそんなに可愛いと思っているのか?
所詮男はみんな自分の味方だと思っているのだろう?
どうせ男の価値がそのまま自分の価値だとも思っているのだろう?
どうしてそういう男女関係が人間の価値を決めるのか!?
セックスが人間の価値を決めているとでも言うのか!?
ええ、どうなんだ!?
「ありがとうございましたー」
カップル客を見送りながら、私は精一杯の呪詛を送り続けていた。
……何やっているんだろうね、私は。
あー、そうさ、私は生まれてこの方彼氏なんかできた事が無い女さ。
「彼氏が欲しい」という心理には至らないけれども、どこか寂寥感のような感情が身体を蝕もうとしていた。
一人は、ちょっぴり寂しい。
ふと、メリーに電話をしてみよう、と思った。
ちょうど休み時間になるし、ちょうどいいタイミングだ。
もしかしたら今日はメリーもバイトだったかもしれないが、恐らくもう家にいるだろう。
これでもし男とつるんでいたりでもしたら、サークル内で異端審問会を実行せねばならない。
そんな事を考えながら私は奥の事務員さんに許可を貰って、メリーに電話をかけた。
「もしもし?」
「あ、メリー? 私私」
「一体どうしたのよ、こんな遅くに。今何時だと思ってるの?」
「えーと、ちょっと今室内だから時間は分からないかな」
「なに馬鹿な事言ってるの。こっちはもう横になっていたというのに」
ふああというメリーのあくびが聞こえてくる。
もしかすると、もう眠ってしまっていた所を起こしてしまったのかもしれない。
「いや、さ。それにしても寝るの早いね?」
「……今日はどこかの誰かさんがバイトなんか入れるものだから、私は今日留学生会館の方に行って来たのよ。それでちょっと、疲れているの」
せっかくこっちは準備していたというのになー、という声が聞こえてくる。
しまった、そういえばそうだったんだ。
うっかり店長の『時給200円アップ』に釣られてバイトを入れたせいで、私はメリーとの飲み会を蹴ったんだった。
いけない、今日は電話すべきじゃなかったか。
「それで、一体何の用?」
「えーと、その、今私バイト先なんだけどさ、暇ならちょっと出てこない?」
「……何しに?」
「何って……、ほら、クリスマスじゃん?」
「カレンダー的にはね」
「それで、ちょっと寂しくなっちゃったからさー……。……来ない?」
「いやいや、蓮子。私今まで寝てた上に、もう終電が終わっちゃってる時間よ?」
メリーの言葉を聞いて、携帯電話から耳を離してウィンドウを見てみる。
時刻は、日が変わる三十分前を指していた。
「自転車でそっちまで行ったら、多分一時間ぐらいかかるんだけど……」
「いいわ、メリー。忘れて」
「え、なに? どうしたの?」
「ごめん。悪かったわ」
それじゃあまた大学でと残して、私は一方的に電話を切った。
はあ、電話なんてしなきゃよかった。
メリーには悪い事をしたし、寂しさが増すだけだった。
大人しく、一人で仕事に励もう。
休憩室を出ながら、私は気合を入れなおした。
午前様が近づいてくると、カップル達の姿は見えなくなった。
大方彼氏の家とかホテルとかでしけこんでいるのだろう。
代わりにいつものお客さん――土方のおじさんや近所に住むお兄さん――がちらほら顔を見せ始めた。
入れ替わり立ち替わり現れては、クリスマスなんて関係無いねという顔で買い物を済ませていく。
私にとってはいつもの風景が、目の前に広がっていた。
二時、三時となると、今度は人の姿がめっきりいなくなる。
そんな中で私は慣れた手つきで店内の音楽を勝手に変更する。
寂しいけれども、どこか激しくて温かい曲。
ボン・ジョヴィの"Only Lonely"が店の中を支配した。
店の外を見るとまだ雪が降っているけれども、店の中は思い切り明るくて暖かで、いつもの孤独が広がっていた。
なんだかんだで、この時間は嫌いではなかったりする。
四時、五時、六時。
睡魔をカフェイン飲料で撃退しながら、たまに来るお客さんの相手をする。
そして七時前、そろそろ上がって大学に向かう準備を始めていた頃、この朝最初の客が来た。
背後からドアの開くチャイム音と、外の冷たい空気が流れ込む。
「いらっしゃいませー」
いつものやる気のない決まり文句を言いながら振り返ると、メリーが立っていた。
襟を立てた紺色のトレンチコートに、寒さでほっぺたを赤くして。
そして右手には、綺麗に包装された包みがあった。
「メリークリスマス」
メリーは微笑みながらそれを私に手渡す。
今日はクリスマスだ。
「メリークリスマス、メリー」
何だか冷たい洒落を言ってるような気がして、私も思わず微笑み返す。
月も星もまだ出ている中、外はもう雪が止んでいて、僅かに積もった雪を朝日が解かそうとしていた。
メリークリスマス!!!
最後の「メリークリスマス、メリー」がすっきりした読後感に繋がってると思いました。
むなしいぜ・・・
でも俺には蓮メリがあればそれでいいです(^q^)
彼女達に祝福を。
薬局でしか見かけないから…
確かにカップルを妬ましくは思わないけど何かむなしい…更に疑心暗鬼になってしまう
ある意味リアリティのある大学生を表した蓮子でありますが、作者もあとがきで書かれてますように蓮子らしさよりも、一般の彼氏がいない理系女子大学生の印象が強すぎて東方らしさ?が感じられなかったのは少し残念でした。
文章自体は読者を引き込み感情移入させやすい読んでて面白い作品でした。
できたら次回は出番が少なかったメリーも入れて秘封倶楽部で書いてください
どうしてくれるのです……どうしてくれるのです!
コンビニバイトしてたこともあって、感情移入しながら読めました。
生活感のある描写が良かったです……が、ちとそういう説明的な描写が多すぎる気もします。ことこんな感じの掌編程度の長さの作品なら、そこまで詳しく舞台設定を語ることもないかな。それがストーリーにほとんど影響がないならなおさら。
メリークリスマス!
とても読みやすくて面白かった
まぁ蓮子にはメリーがいる。それで良いじゃないですか!
いや、苦しんでるのはどっちかというと蓮子だったか(
メリークリスマス!!
それはそうと、
>>--土方のおじさんや近所に住むお兄さん--
ここのマイナスを二つ連ねているところ、ダッシュふたつに変えたほうが宜しいかと。
プレゼント用意してる辺り最初から二人で過ごす気だったんですねw
それとも太陽の塔とかですかね。どっちも面白いですよね。読んでて悲しくなるところが。
しかしむさ苦しい男子大学生が蓮子にかわるだけで、こうも綺麗な風景に変わるってのは驚きです。
うだうだ悩む感じが良かったです。