▽
大いなる者たちよ。わが姫君よ。そして姫につどう騎士たちよ。
遥かなる世界の話をしよう。
ここではないどこか。連れなる世界。まばゆい白銀の世界の話を。
我が勇気と知恵の物語を。
恐れるな!
恐れてはならぬ!
恐怖は忌まわしき感情である。侮蔑と汚辱にまみれるくらいならば我輩は死を選ぶだろう。
だが騎士は黄金に輝く意志と薔薇の匂いを放つ使命を帯びている。
おいそれと死ぬつもりはない。
聖域へと帰還するまで我輩は必ず生き抜く。我輩を誘惑し操ろうとたくらむ邪悪なる者たちを駆逐し、姫君の白磁の手に口づけるのだ。
定められた運命と預言は我が勝利を告げている。
この手に栄光を!
約束された勝利を!
我が名、オルレアンに賭けて誓おう。
▽
そこは――
石づくりの部屋で本来冷たいはずなのだが、柔らかな絹のような暖かさに包まれていた。
げに忌まわしきは魔術よ。
姫君の放つ聖なる術法と比べ、なんと自然を犯し歪める邪法か。
激しい怒りを覚えたが、牢番には上背があった。
首をキリンのように伸ばさねば全身を捉えることのできぬほどの巨躯。
いにしえの巨人族のようだ。
加えるに――
我輩は囚われた際に剣を奪われている。
文字通りの意味で死ぬ気で向かっていけば一人は倒せよう。
しかし、部屋にはもうひとり牢番がおり扉を塞いでいる。
我輩の神速をもってしてもふたりを一息のうちに打ち倒すのは適うまい
釣り目をした牢番が我輩の対面に座っている。
我輩は鉄の塊のような机の上に立ち、牢番を睨み返した。
牢番は生命を感じさせない銀の眼差しをしており、頭蓋の奥から我輩の恐怖を引きずり出そうとしている。
我輩は真なる意味で虜囚であった。
剣は無く、あらゆる魔法を跳ね返す盾もない。
牢番は石のように冷たく我輩を見つめていた。
睨むではなし。特に拘束はされていない。だがマグカップのように重い眼差しは我輩の体躯を押さえつけていた。
その視線は忌まわしき魔術。
その言葉は忌まわしき魔法。
我輩の魂を殺そうとしているのだ。
牢番の手のひらには豚の供物があった。
我輩の体躯とさして変わらぬ肉の塊が陶磁器のうつわの上に並べられている。
生命など塵芥と変わらぬと言わんばかりの機械的で等間隔の並べ方。
切り刻まれた肉の塊。
断面からはぶよぶよとした脂が見えている。
殺されたばかりなのだろうか。円筒形の器に入った豚の屍体はまるで火山の煙のように靄を発していた。
牢番は冷笑する。
喜びと邪悪の入り混じる瞳が我輩の心を見透かそうとしている。
騎士よ、恐怖を感じたか?
屈服する準備はできているか?
牢番は豚の贄物を我輩の前にちらつかせ、そして不快きわまる声色で言った。
「愚かなる騎士よ。そなたの運命はもはや尽きた。運命の姫君に見初められ騎士としての生涯をささげたはずのそなたは――」わずかに言葉を選び「守るべきものも失い、騎士としての本懐も失い、ただの生ける骸と成り果てるのみ。剣もなく魔力もない。帰るべき場所も失った。そなたになにができようか」
「我輩には使命がある。けして錆びつかぬ黄金の使命があるのだ!」
「使命……。使命か。そなたは心得違いをしている。そなたの使命は聖域へと帰還することなのだろう? しかし、弱小なるかな聖オルレアン騎士団。もはや残されたのはそなただけではないか。他の者たちはひとり残らずそなたが暗き淵に堕ちるをただ呆然と見つめるばかりだったと聞く。もはや帰るべき場所など残されていないのだ」
「最後のひとりになろうとも我が騎士団は永遠に不滅だ。なぜなら我が騎士団は金や役職によるものではなく精神の連帯だからである。たとえ肉としての滅びを迎えようとも魂は死なぬ。ゆえに我が騎士団もまた死なぬ」
「ならばそれでもよい。しかし、そなたはこれからどうするというのだ。忠誠を誓うべき者もなく、騎士としてのそなたはもはや死んだに等しい。あるいは農奴どもにまじって少ない賄いを得て暮らしていくというのか。そなたはまだ若い……。ただ誓えばよいのだ。我が月の姫君に。誓いの口づけをすればよい。我が姫は優しきお方。そなたの信仰も包みこみ慰撫してくれよう」
「それが魔女の誘惑でないと誰がいえる?」
「岩のように硬い意志よ。だがそなたの頑固さは必ずや報いを生むぞ。このまま虜囚として生きながらに死んでいくというのか。肉として生き、しかし精神はこの暗い部屋の中で埋葬されるのが良いというのだな?」
「我輩を自由にしろ!」
「できぬ相談というものだ。そなたが黄金の意志を瞳に宿しているのは知っている。だが、そなたの使命も意志ももはや意味のあるものではない。精神の輝きはしかるべき時と場所によってその光度を増すのだ。この暗き都ではそぐわぬ。生命なき静謐の世界にそなたはただの異物でしかないのだよ」
「異なことを言う。その異物を騎士にしようというのか。断じて汝らの騎士にはならぬ」
「先にも言ったではないか。聞いてなかったのか。そなたはもはや騎士として死んでいるのだ。ならば既に生命なきわれらの同族よ」
「妖魔の類か。結局貴様らの要求に従った先には、死後の暮らしが待っているだけではないか」
「勘違いしないでもらおう。そなたの死はわれらがもたらしたものではない。死人ならば死人らしく生きよと言っている」
「フン。死人らしく生きよ、か。妖魔らしい矛盾した言葉だ。おおかた貴様らの主君も貧困と汚物にまみれ毎夜あえぎ声をあげておるのだろう! 我輩の剣を早く返すがいい」
「そなたが姫を害する可能性があるのでな。騎士ならばわかるであろう。姫君は雛鳥のように保護されるべき存在よ」
「虫けらめ!」
我輩は再び牢番を睨みつける。
わずかな間があいて、牢番はようやく口を開いた。
「しかし姫はそなたの言葉を聞いても怒らぬだろう。しばらく待っているがよい」
▼
おっす、俺門番っす。月の姫様たる綿月家の門番やらせてもらってるっす。
時々こうして不審者の取調べとかもやってるっす。
綿月家は月では高官すぎて敵なんておらず、超楽い仕事だと思ってきてみたのはいいけど、これって地味にきつい仕事なんすよね。
門番の仕事はずっと立ちっぱなしだし、最初の数日は膝が笑ったもんすよ。先輩からは膝かくかくするのは5センチまでならOKとか言われて、いや意味わかんないっす屈伸したいっすって泣いて頼んだんすけど無理でした。あときょろきょろするのも禁止っす。門番は家の顔みたいなもんすからね。きょろきょろしてたら締まりがつかないんでしょうよ。
しかし、困ったっすね。
あ、なにがっていうと、門の前をフラフラと飛んでいた不審者というか人形なんすけど、人形だけに言葉が通じない通じない。
何を言っているのかさっぱりわかんないんす。
まあ俺、人間っすし、人形の言葉なんてわかるはずもないんすけど。
一応不審者というか不審物?にあたるわけで調べないわけにはいかないんすよね。
うちの姫様――武闘派のよっちゃんはともかくとして、おっとりとよちゃんがいるわけっす。
豊姫様ってほら、なんつーか何もないところでころんで骨折しそうじゃないっすか?
ああいう守ってあげたいオーラがかわいいなーとか思ってるんすけど、もちろん言ったらよっちゃんに殺されるんで言わないっすよ。
で、ともかくおもに豊姫様のために不審物を排除するのが俺ら門番の仕事なわけっす。
「で、もう一度話をまとめるけど、どういう経緯でここに来たっすか?」
「アリスマカイカエルー。オルレアンツイテクー。ミンナツイテクー」
「それでどうしたっすか?」
「アナミタイノ パックリ。ゴックン。オルレアンオチター」
俺っちなりに要約すれば、どうやらこの人形の名前はオルレアンとかいう名前らしいっす。
それで魔界とかいうところに、アリスって人と帰ろうとしたんだけど、自分だけは次元の狭間みたいなところに落ちて、気づいたらここにいた、と。
すごく作り話っぽいっすが、こんな精密な人形が生きているように動いているなんて月ではありえないことなんすよね。
月は穢れのない世界っすから、例えば人形に他の生命の残滓が宿るということはありえないんす。
とすると、この人形は月の外からやってきたと考えるほかないんすけど。
そういうことってあるんすかねー。
ていうか、かわいそうだけど、このオルレアンちゃんもう帰るところないんすね。
魔界とかいうのがどこなのかさっぱり聞いたことないっすし、同じ世界なのかすらわからないっすから。
実をいうと俺、わりとかわいいもの好きなんすよ。
オルレアンちゃんはなんつーか西洋騎士みたいな身なりしてて、髪は金髪でウェーブがかってて、肩ぐらいまでの長さがあるっす。戦闘少女系っつーかワルキューレみたいな感じを思い浮かべてもらえれば幸いっす。かわいさとりりしさが半々という感じのアンバランスさがたまんないっすね。今も取り調べ机の上に立ってこっちを上目遣いで見てるわけで、なんだか変な趣味に目覚めそうな勢いっす。
でもこんだけかわいいとやっぱり姫様がペットにしたいというかマイ人形にしたいっていいだすかもしれないっす。オルレアンちゃんが不審物であることは今でも変わりないっすから仕事上難しいかもしれないっすね。不審物っすからね。
オルレアンちゃん、月に居場所あるっすかね……。
帰る場所もなく、ここに居場所もないとなったら、人形のように生きていくしかないっす。
不憫っすね。
だったら、いっそのこと姫様のお人形さんとして生きていくほうがオルレアンちゃんにとってもいいかもしれないっす。
「あ、カツ丼食うすか」
これ一応合成タンパク質の作り物で、豚っぽい見た目と味なんすけど、当然生き物じゃないっす。
月では殺生はご法度っすからね。当然っす。
「クエネーヨ」
「まあサイズ的に無理だとは思っていたっす。でもオルレアンちゃんこれからどうするっすか。帰る場所もなくて、仲間のお人形ともはぐれちゃったんしょ? あとアリスさんとも」
「シンデネーシ。カエリテーシ。ゲロウノブンザイデ ナマ イッテンジャネーヨ」
オルレアンちゃんわりとお口が悪いほうみたいっす。
下郎って。
まあその通りなんすが。
「帰りたいって気持ちはわからなくもないっすよ。でも現実問題としてそれは無理って話っすよ。だいたいこれからどうするんすか。オルレアンちゃんまるで生きてるみたいな人形さんだけど、動力源とかあるんでしょ。人間みたいに働いて誰かからエネパックもらって生きていくんすか? それよりかは人形としての本分を発揮して誰かのお人形さんとして生きていくほうがいいっす。幸いにして俺っちの姫様は優しいっすから、オルレアンちゃんのこともきっと気に入ると思うっすよ」
「ユウワクイクナイ。アリスイイ!」
「小石みたいな頑固さっすね。でもこのままじゃオルレアンちゃん不審物のままっすよ。それでいいんすか。人形として誰かに愛されて生きていくほうが絶対幸せだと思うんすけど。この部屋にぽつんと置いておかれるのがいいっていうんすか」
「ダシテー」
「だからそれは無理なんすよ。オルレアンちゃんが人畜無害な愛され人形なのはわかってるっすが、ここは月の都っすからね。オルレアンちゃんみたいな人形がひとりでに生命のごとき振る舞いをするのはかなりマズイっす。周りから浮きまくりっす」
「ウキマクリ? アイサレマクリ?」
「そうっすよ。オルレアンちゃんの持ち主さんとはもう会えない可能性が高いんすから。月のお人形さんとして生きる道を探るべきっす」
「オツキミスルヨー? ペットジャネーノ」
「いや人形っすよ。月の世界で一番愛されるペットみたいなお人形さんになる素質があるっす」
「ペットジャネーシ。ツキノ ヒメサマ シラネーシ。ケン カエシテ プリーズ」
「剣は返せないっす。一応危険物にあたるっすからね。刃物は禁止っすよ」
「ムシキング!」
ぷんすかと怒っているようっす。
確かにお人形さんの初期装備を奪うのはあまりいいことじゃないっすよね。
怒るのも無理ないっすけど、こっちも仕事なんでしかたないっす。
良心が痛むっす。
「オルレアンちゃん口悪いっすけど、たぶん姫様なら大丈夫っす。呼んでくるからしばらく待つっすよ」
▽
我輩はパンデモニウムに潜む魔女の顔を拝んでやろうと思い、牢番がやつらの姫君を連れてくるのを待った。
うまく隙をつけばやつらの姫君を盾にして自由を手にすることができるやもしれぬ。
しばらく待っていると、重々しい鉄の扉が開かれた。
「ほう」
我輩は妖魔の姫君を目に入れた。
確かに美しい姫君ではあった。
たとえ邪悪なる者たちの姫とはいえど、姫は姫であるということなのだろう。
だが誓いを立てる気にはならぬ。
たとえ言葉にできるほどの拷問に呻吟することになろうとも、我が魂を屈服させることなどできはせぬ。
「鷹よ」妖魔の姫君は低く声を上げた。「そなたは鷹なのでしょう。その精神は雄々しく飛翔し空を駆け巡る。なれば私の城に留まらせることはできはしまい」
「しかり。話がわかるでないか妖魔の姫よ。汝が我が剣を返し我輩を解放するというのなら、我輩の誇りを傷つけたことを許そう」
「しかし騎士よ。類まれなる勇壮の者よ。ここは騎士の国ではございません。騎士は生きてはいけないのです」
「我輩は必ずや聖域へと帰還するだろう。魔性の森を抜け、黒き魔女から姫君をお助けせねばならぬのだ」
「やはりあなたは鷹なのですね。しかし、その鷹はもはや翼をもがれたも同然。どうやって国へ帰るというのですか」
「冒険しよう。我輩には身を守る剣がある。誰にも侵すことのできぬ誇りがある。なにより変わらぬ我が姫への忠誠があるのだ」
「私の騎士になってはくださらぬのですか?」
「もとよりそのつもりはない。そなたは邪悪なる妖魔の国の中であって小指の爪ほどの明るき月であろうが、しかし我が姫君は七色に光る虹なのだ」
「たった一言で良いのです。私に忠誠を誓ってくだされば、剣をお返しいたしましょう。一振りのうちに森を消失させる呪法を、時空を操る大魔法を授けましょう。そなたの生涯を勝利に彩ることができるのですよ」
「たった一言だと! 我輩の忠誠を愚弄するというのか。騎士は二君に仕えたりはせぬ」
「そうではないのです。そなたの忠義を少しも傷つけるつもりはございません。そなたの主君は既に生き別れてしまったというではないですか。なればそなたは主君を失ったも同然。そなたはもはや主君なき騎士なのです」
「たとえ主君を失ったとしても」我輩は怒号を発する。「我が忠誠まで滅ぼすことはできぬ」
「では虜囚として暮らしていくというのですか」
ほの暗い瞳が我輩の心を探ろうとしている。
怒りで肌の表面があわだつ。
「我輩を自由にせよ!」
「忠誠を誓ってくださらねば自由にすることは適いません」
「妖魔め! 我が生涯と血潮を賭けた忠誠を、富や名誉で得られると思っているのか! 忠誠とはおのずから生ずるものであり、すなわち我輩の自由から生まれるものだ。我輩は次の瞬間には汝を打ち倒してもよいのだし、次の瞬間には地に寝転がってもよい。すべて我が自由に端を発するのであるから、汝から与えられる自由などどこにもないのだ」
「まことに黄金の精神を持つ者よ。無敵の騎士よ。そなたの魂を束縛することはたとえ天地神明に匹敵するものとて不可能でしょう。しかしながらそなたの騎士としての倫理はどうなのです。そなたが我が領域を侵犯した者であることはまぎれもない事実。それに対して購うこともなくのうのうと生きていくのが騎士としての本分に適うと思うのですか」
筋道だった話ぶりに憎悪の念が沸いた。
確かに我輩は意図することなく妖魔の国を侵犯したことになるやもしれぬ。
その国の法においては我輩は裁かれる身。
「ゆえに」我輩は重く口を開く。「虜囚になっておる」
「私はそなたを虜囚として扱いたくはないのです。騎士よ」
妖魔の姫君の視線は我輩を英姿として仰いでいた。
その言葉にはよどみがなく、嘘とは思われない。
だが――。
それでも騎士が主君を捨てることはありえぬ!
たとえ幾万の距離が離れていようと我が魂は姫君とともにある。生死も関係ない。
「では客将としてではどうでしょう?」
妖魔の姫君は慎み深く言った。
憐れに思ったのだとすれば、すぐに否と答えただろう。
しかし、妖魔の姫君は我輩を軽んじているわけではなく、騎士としての生き方を殺そうとしてはいないらしい。
我輩はまなじりを決する。
我輩も剛直であるばかりでは、かえって騎士としての誇りを傷つけてしまう。
客将になれというのならばいたしかたあるまい。
「剣を返してもらおうか」
「今は無理です。しかし代わりの剣を用意させましょう。それでいかがです」
「やむをえまい」
▼
いやぁ。
前々から思ってたんすけど、とよちゃんめっちゃかわいいっす。
普段俺みたいな雑魚がお目通りすることすら適わない存在っすからね。
よっちゃんも案外優しいところがあるんでオルレアンちゃん見たらおそらく愛でるとは思うんすけど、やっぱりとろっとした豊姫様のほうがお人形さん遊び似合ってるっす。
で、俺の話を聞くや否や、電光石火というんすかね、めっちゃ速いスピードで取り調べ室までご足労願ったっす。
豊姫様はオルレアンちゃんを見るや、きゃっと小さく黄色い叫び声をあげていたっす。
案の定気に入ってもらえたっす。よかったっす。
それで豊姫様には取り調べ室の無骨な椅子ではなくフカフカなクッション椅子に座ってもらって、机に肘をついてオルレアンちゃんに視線を合わせてる状態。
とても絵になるっす。
まるでファンタジーの世界に迷いこんだ気分っす。
俺っちはこの世界の住人としては明らかに異物っすから黙って部屋のすみにいることにするっす。
「フニュ」
オルレアンちゃんの第一声はそんな感じだったっす。
驚いてる……んすかね?
まあ確かにうちの姫様はそんじょそこらとはレベルの違う超美少女っすから驚くのも無理ないっす。
なんだか神々しささえ感じるレベルっすからね。
姫様のほうはもうなんだか少女っぽさを全開にして、そわそわそわそわオルレアンちゃんを抱っこしたくてたまらないって感じだったっす。
で、一言め。
「小鳥さんみたい」
っすよ。
かわいすぎでしょ、その表現。
「お人形さんは小鳥さんみたいね。きっとパタパタとかわいらしく飛びまわって、どこかに行ってしまいそう」
「オルレアン デッカイコトリ。ケンカエシテ! オルレアン オコラナイ!」
「ここは月の都なのよ。だからお人形さんは私に愛でられるべきだと思うの」
「オルレアン カエル。マルマルモリモリ。マリサキライ。アリスチュッチュ」
「やっぱり小鳥さんみたい。でも持ち主がいないお人形って怪我した小鳥さんみたいでちょっと痛々しいわ。ねえあなたはどうやって帰るつもりなの?」
「ボウケンジャー。ゴウカイジャー。アリススキ」
「私のお人形さんにはなってくれないの?」
「バカジャネーノ。ツキジャネーシ。アリス、ニジイロピカピカ」
「ああ、オルレアンちゃんが私のお人形さんになるって言ってくれたら、素粒子レベルで分解する装備とか時間操作系のモジュールつけるんだけどなぁ」
楽しそうに物騒な話をする豊姫さま。
かわいいけど、実は黒いという噂もあるっす。
真実はわからないっす。
ただの冗談……すよね?
「オルレアン。アリスノデスシオスシ」
「でもオルレアンちゃんは、ご主人様とはぐれちゃって迷子状態なんでしょう」
「アリスノデスシオスシ!」
「誰のものでもない置物として暮らしていくの?」
「ダシテー、エッチー」
「私のお人形さんになればどこにだってつれてってあげるのに」
「サノバビッチ! オルレアン アリスノ ニンギョウ ダシ! オルレアン ストライクフリーダム!」
「本当かわいらしいお人形さん。この子、生まれたての子猫ちゃんみたいに好奇心いっぱいね。きっとどこにだって行こうとするわ。でもね。オルレアンちゃん。そもそもお人形さんっていうのは人の手の中に収まることが仕事じゃないの。お人形としての本分を忘れちゃってもいいの?」
「オルレアン カンキーン!」
「監禁? 換金かしら。どちらにしてもそんなことしたくないわ」
ああ、豊姫様、わずか数分で篭絡されてるっす。
オルレアンちゃんのあまりのかわいさにすでにめろめろ状態みたいっすよ。
今も視線が熱っぽくてうるるんとしてしまってるっす。
俺、ちょっとだけ羨ましいと感じてしまったっすよ。
「アリスさんからの借り物というのではどうかしら?」
「ケン カエシテクレタラ イイヨー」
「うーん。さすがに刃物は危なくてもたせられないわね。代わりになるものを渡すからそれでいいかしら」
「シカタネーナ」
▽
妖魔の姫君からは白銀に輝く一振りの剣を下賜された。
我輩は武器を選ばぬ。
ゆえに武器に心を動かされたりはせぬのだが、透き通るような剣芭にはさすがの我輩もわずかに心が揺れ動いた。
それほどに美しい剣であった。
その輝きが眼底に突き刺さってくるようで痛かったが、誠実な騎士とはいかように振舞うべきか。
意にせず剣から目をはずし考える。
我が姫君からいただいた剣を捨て、今ここにある白銀の剣を取るのが正しいのか。
我輩の心には泥の沼地のような迷いがあった。
身体にまとわりついてくる小鬼どものような迷いだ。
だが――、客将とはいえ妖魔の姫君を仰ぎみると決めた以上、この剣をとらぬわけにはいくまい。
白銀の剣は邪悪な国の中にあって白い月のような輝きを秘めていた。
膂力をこめて握ると、手に吸いついてくるような感覚がある。
我輩のことを認めてくれたか?
「これは約束された勝利の剣」姫君ははっきりとした声音で言った。「エクスカリバーです」
「さぞ名のある剣なのだろう? いいのか我輩のような無頼の者に渡してしまって」
「そなたのような勇壮の者に使われるのなら剣も本望でしょう。騎士は騎士であるように、剣は剣であるように、それぞれ本分を果たしてこそだと思いませんか」
「いかにも。しかし妖魔どもの城にあって姫君を魔の者から守る騎士の使命が果たせるとは思えぬ」
「妖魔も一枚岩ではございませんよ」
姫君はゆがんだ笑いを浮かべた。
ふむ。混沌からいずるのが妖魔であるならば、そもそも合一など望むべくもないのだろう。
ならば騎士としての本分――
か弱き乙女を守るという使命を果たせるのやもしれぬ。
我輩の目の前にいる姫君がか弱き存在であるかは知らぬが。
「盾のほうは問題ないのでお返しします」
「うむ。だが妖魔とはいえずいぶんと無用心ではないか。我輩が身を翻し汝を人質にとればいかがした?」
「そのようなお方ではないとわかっておりますゆえに」
「よかろう。汝の信頼にこたえぬほど我輩は無粋ではない。そも騎士とは誠実を旨とするものゆえに信頼には義をもってこたえようではないか」
▼
豊姫様からはオルレアンちゃんの剣を返すように言われたんすけど、やっぱ刃物なんでNGっすって伝えたら思いっきりブスーってされちゃったっす。
そんな顔されても困るんすよね。俺っちも仕事なんすから。
それで何か代わりを用意しようということになって、急遽作り上げたのが発砲スチロールの剣ってわけっす。
オルレアンちゃんのサイズに合わせるのに苦労したんすよ。
3Dマニピュレーターを使って精密に削り上げた一品で、俺っちにこんな才能があったなんて今の今まで知らなかったっすよ。
豊姫様は発砲スチロールの剣をうけとって、騎士と王の盟約の儀式をまねて、オルレアンちゃんの肩口に発砲スチロールの剣を押し当てていたっす。
何事も形が大事ってやつなのかもしれないっすね。
オルレアンちゃんのほうもなにやらおすまし顔で、まんざらでもないようっす。
「これは約束された勝利の剣」ノリノリな豊姫様っす「エクスカリパーです」
あ、微妙に――。
微妙になにかをはずしているような。
具体的に言えば、濁点と半濁点の違いというか。
それ物凄く大事なところじゃないっすかね。
まあいいんすけど。
どっちにしろ発砲スチロールの剣ですし。
「オルレアン モラッテ オケ?」
「もちろんよ。オルレアンちゃんちっちゃくてかわいらしいから、真っ白い剣が映えるわ。やっぱりナイトのコスプレしてるから刀とかよりも剣よね」
「イカニモ。タコニモ。ココ、キケーンイパーイ。ヒメサマモキケーン?」
「あら私も危険なの?」
思わず豊姫様は含み笑いをこぼしてたっす。
どうやらオルレアンちゃんの印象では月の都は危険がいっぱいってことになってるみたいっすね。
まあ無理もないっす。
オルレアンちゃんにとっては、今日ここに来たばかりなわけっすし。
未知のエリアってやつなんでしょうしね。
「はい。オルレアンちゃん盾装備して」
盾のほうは刃物に比べたら殺傷能力無いので返してもいいってことになったっす。
「ブヨージン。チュッチュスルヨー」
「ちゅっちゅしちゃうんだ?」
「オルレアン シナイシ。オルレアン シュクジョ デスシオスシ!」
淑女っていうか、どっちかというと小動物な系統なんすけどね。
ともあれオルレアンちゃんもちょっとはこっちの雰囲気になれてきたのか。
ツッコミに切れがでてきたような気がするっす。
会話もうまい具合に伝わってるようですしね。
で、問題はこのあとっすかねえ。
とりあえずは豊姫様のもとで暮らすとしても、人形の生き方というかメンテナンス的なことはどうやってすればいいのだろうとか、いろいろと考えることはあるような気がするっす。
さすがにカツ丼をがつがつ食わせるわけにもいかないっすからねえ。
「ちょっとそこの人」
「ん」
って俺っすか。
いきなりのことでびびったっす。
まさか豊姫様御自らお声をかけてくださるとは。
恐縮を通り越して恐怖すら覚える……。
「緊張してるのですか」
「え、いやなんでもないっす……いえなんでもありません」
「そう? まあいいわ。オルレアンちゃんのことなんだけど早くおうちに帰してあげたいの」
「ハッ!」敬礼するっす。「わたくしもそのように考えておりました」
「うん。当然よね。こんなかわいらしいお人形さんをなくしてしまったら、きっと持ち主さんも悲しんでるに違いないわ」
「そのように思うであります!」
「それでさっきオルレアンちゃんの言葉のなかに気になるのがあったんだけど」
「なんでしょうか!」
「マリサキライって言葉よ」
「ハッ。わたくしはよく意味がわかりませんでした!」
「私は心あたりがあったわ。少し前に地上の人間がここに来たことあるでしょう?」
「ハッ。あったように思うであります!」
「その中の一員が魔理沙って名前だったの」
「つまり、ここにいる人形は地上から来たというのでありますか!?」
「そうね。その可能性は高いわ」
「しかし、魔界というのは……」
「魔界というのは三千大千世界の別称、つまり異世界のことを魔界と総称するの。例えば異世界出身者からしてみれば自分の出身世界のことを異世界というのは変でしょう。だから便宜上魔界と呼ぶこともあるそうよ。言ってる意味わかる?」
「ハッ。よくわかりませんでした」
「つまりは、あらゆる世界に通じている地上なら行き来も可能かもしれない場所、それが魔界」
「地上と連絡をとれば、人形の持ち主が判明する可能性があるということでしょうか?」
「そのとおり。今から地上と連絡をとります。場合によっては空間を繋げるのであなたの上司にはそのように伝えておきなさい」
「ハッ。かしこまりました」
豊姫様が下郎の分際な俺っちに声をかけてくださったのは、穢れ満載の地上とつなげるから警備の者に連絡するためってことなんすかね。
いやそれだけではないような気がするっす。
そもそもそれならなんで扉のところにいる俺っちの同僚に声をかけないのかってのが謎になるっす。
そいつのほうが扉に近いということは警備主任とも早く連絡がとれるわけで、そんなことは姫様ほどの知恵があればすぐにでもわかるはずっす。
ははっ。
なるほどっす。
俺っちがオルレアンちゃんのことを気にかけているって知って声をかけてくださったんですかね。
さすが俺っちの姫様っすよ。
▽
「ついてくるがいい」
牢番はゆるりと動き出した。
どうやら妖魔の姫君はなにやら政治的な用向きがあるらしい。
我輩はもとより武勇にしか興味がないが、悪漢がどこでその薄汚い手を伸ばしてくるか知れぬ。
騎士とは可憐なる乙女を守護してこその騎士だ。
我輩が魂を賭けてお仕えするのは、たったひとりであるが、今は何の因果か妖魔の姫君を守護すると誓った。
誓いはいかなるときも厳粛である。
厳粛であるがゆえに、誓いは誓いであれる。
なれば、我輩は妖魔の姫君の御身を守護せねばならぬ。
いかなる怪物とも恐れず立ち向かっていかねばならぬ。
それが騎士たる所以。
いや、あるいは騎士たる帰結。
牢番と姫君は二、三なにやら言葉を交わし、それから地下の薄暗い階段を下りていった。
魔女の巻き毛のような螺旋の階段を降り、暗き底へと向かっていく。
風が鳴った。竜の咆哮のようであった。
「どこへ向かっておる」
「地下の祭壇です」
「何をする気だ? 怪物でも召喚しようというのか」
「騎士よ。そなたの運命を明らかにするのです」
「運命を? 我輩の運命はたったひとりしかおらぬ」
「存じております」
「なに!? どういうことだ。我輩を客将にするのではなかったのか」
「そなたが望むのならば客将ではなく私の騎士として共に歩んでいきたいのです」
「なぜそこまで? 我輩とおぬしは今日会ったばかりではないか」
「おお、偉大なる騎士よ。そなたは美しい。その引き締まった体躯と黄金に輝く精神を見て、私はあなたが忠誠を誓った主のことを羨ましく思ったのです」
「ならばなぜ運命を見せようとする?」
「そなたの御手にゆだねるため。そなたが望むのならば主のもとにお返ししよう。もしも運命が見えたのならば」
「見えるとも! 我輩と姫君は鉄よりも硬い絆で結ばれているのだ」
「鉄よりも?」
「無論。鉄よりも鋼よりも硬い。この世界における最強の魔法とは信念よ」
妖魔の姫君は月の光のように柔らかく微笑み、それから無言のまま再び歩みを進めた。
やがて地の底につくと、木でできた扉があった。牢番が開けると石膏でぬりかためられた部屋がある。
天井のあたりはステンドグラスのようなものからカラフルな光が漏れ出でて、部屋の中を縦横無尽に照らしていた。
耳に入るは聖譚曲。
見ると、白き耳を持つ者たちがクリーム色をしたソファに座り、一心不乱に聖歌をうたっている。
全部で十数人はいるだろうか。
おそらくは巫女か何かの類だろう。
着ているものも見慣れないものであったが、一様に同じ服を着ている。妖魔の国の巫女装束といったところか。
であれば、ここはなにかの儀式の場ということになりそうだ。
運命を見通すにはちょうどよい。
我輩は胆に力をこめた。
「レイセンはいますか」
姫君は透き通るような声をあげる。
その声に応ずるように、ひとりの巫女が立ち上がった。
「おお麗しの姫君よ。ここにいらっしゃるとは珍しい。一体何用でございますか」
「そこもとに頼みたいことがあるのです。ここにおわす騎士は虹の姫君に仕えるお方である。ゆえに聖域への帰還を願っておるのです。そなたの力を用いて聖域との交信を試みてはくださいませんか」
「おお聖域か。懐かしい」
巫女はなめらかな白き耳をひとなでする。
どうやら、かの者は一度聖域へと至ったことがあるらしい。
妖魔でありながら聖域に侵入するとは尋常ならざることであるが、巫女であれば可能であるということなのだろうか。
無論、我輩もまた聖域を守護する騎士の身でありながら妖魔の国にいる。
そうであるなら、両者は我輩が思っているよりもずっと近しい場所にあるのやもしれぬ。
「では、早速交信を開始しましょう」
巫女は涼やかに言った。
▼
「オルレアンちゃん。ついてくるっすよ」
どこに向かってるかというと、迷子のオルレアンちゃんのために持ち主探しってやつっす。
うちの兎は同じ兎どうしならどんなに離れていても謎の波長によって交信することができるんで、近くにいる兎をつかって交信しようとしてるんっしょ。
まあ、実をいえば豊姫様の能力を使えば、一発で地上と月をつなぐこともできたりするんすけど、さすがにそれをやっちゃうと地上の穢れが月に侵入してくる可能性もあるわけで最終手段ってわけっす。
そのまえにやるべきなのは確認っすね。
オルレアンちゃんが本当に地上と縁があるのか先に確認してから、それからどうやって送迎するか、あるいは地上の持ち主さんに来てもらうかかんがえるのがいいってわけっす。
それにしても、うちの兎どもときたら一人残らず怠惰で困ったもんすよ。
おおよそ兎で勤勉なやつなんて珍しいんすけど、月では争いごともなく完全な実戦経験不足。
人間よりも輪をかけてだらけきっていて、今もどこかで暇をもてあましてるに違いないっす。
で――。
いま訓練場に兎が一匹残らずいなかったんで、どこにいるかというと、最近できたある施設にいるに決まってるっす。
その施設。さすがに他の場所の迷惑にならないのように地下に作られたんすけどね。
地下一階の十畳ぐらいのスペースに、その部屋はあるっす。
「ドコイクノー?」
オルレアンちゃんがちょっと不安そうな顔をしてるっす。
まあこんな薄暗いところにいたら不安になるのもしかたないっところっすよね。
豊姫様はオルレアンちゃんを腕に抱きながら、優しく言い聞かせてるっす。
まるで子猫を抱いてる少女状態ってやつっすかね。
「地下の施設よ」
「ナニスルノ? エッチ?」
「オルレアンちゃんの大好きなご主人様を見極めようと思ってね」
「ゴシュジンサマ。アリスダシ!」
「それはさっき聞いたわ」
「オルレアン。カリモノ ナ ハズダシ」
「できればオルレアンちゃんのちゃんとした持ち主になりたいな」
「エッチー。キョウ アッタ バカリダシ」
「あなたみたいにかわいらしくてかっこいいお人形さんなら大歓迎よ。あなたの持ち主のことが羨ましいって思ったの」
「オルレアンノ ゴシュジンサマ ヒトリデスシ」
「オルレアンちゃんには自分の意思で決めてほしいのよ。持ち主さんとオルレアンちゃんが望んでるんならちゃんと返すから安心して」
「オルレアン ガッチガチヤゾ」
「硬い絆っていいたいのかしら」
「オルレアン チョウ ガッチガチ」
豊姫様は母性マックスな微笑みを浮かべてたっす。
まあオルレアンちゃんが帰りたいというのならこっちも全力を尽くすだけっすよ。
施設に到着っす。
時間にしては一分もかかってないっす。
地下とはいってもそんなに深くはなく、せいぜい音が響かない程度でよかったっすからね。
そもそも防音も完璧なんだからどこでもよかったすが。
要はカラオケっす。
扉を開けると、そこはミラーボールのチカチカとした光が舞っていて、兎たちが楽しく流行りの歌を合唱してたっす。
あんたら仕事忘れてなにしてるんすか。
「レイセンいますか?」
豊姫様の姿に兎たちはちょっとビビり気味。
仕事してないのがバレてまずいと思ってるんすかね。
そんなシンと静まりかえった部屋で、レイセンと呼ばれた兎が立ち上がったっす。
人懐こそうな顔で、豊姫様のもとにかけよってくるレイセン。
それで開口一言。
「と、豊姫様。これは違うんです。ちょっとみんなにオケいこうって誘われて……。仕事ならちゃんとします! 何をすればいいんですか」
「レイセンに頼みたいことがあるの。あなた地上に行ったことあるでしょう。だから連絡もとりやすいんじゃないかと思って」
「地上ですか。懐かしいですね」
レイセンと呼ばれた兎は白くて長い耳をひとなで。
なにやら過去の記憶を呼び覚ましてるみたいっす。
実際、兎なら誰でもよかったとは思うんすけど、豊姫様ってなんか地上のことが好きなんすかねぇ。
そういえば地上から来た巫女さんともすぐに仲良くなってたっすけど、それとかかわりがあるとか。
月面戦争とかいってもほのぼのしただけっすから、わからないでもないっすけど。
「では早速コンタクト開始しますね」
レイセンの無邪気な声を聞くと、そういう気がしてくるっすね。
▽
「おお我が同胞よ。今日はお聞きしたいことがあるのです」
巫女は怪しげな魔術を使い、瞳の色をどんよりと曇らせていた。
それはまるで墓場にむらがる死霊どものように、生命なき暗いひずみが瞳に宿ったようである。
恐れはせぬが、おぞましくはあった。
本来であれば唾棄すべき魔術である。
しかしながら、その本意が我輩に運命を見せるためであるというのならば我輩はこの恥辱を甘んじてうけなければならぬ。
「そこもとにいる巫女よ。同時通訳するのです。聖域にいる同胞の会話をそのまま口に出しなさい」
姫君の命により、座っていた巫女のひとりがつつしみのない鳥のように一息に立ち上がる。
そしてわずかな時間が空き、すぐにかの者も瞳をにごらせた。
「おお、妖魔の国の同胞ではないか。どうしたのだ?」
「我が国は類まれなる騎士様を囲っているのです。騎士の名はオルレアン。ご存知か」
「聞いたことがない。そもそも我々はそなたたちとは袂を分かった身。このように会話をするのも政治的にまずい」
「問題ありません。我が姫君が容認なさっています」
「こちらに問題があるというのだ。汝らがこちらに攻め寄せてこないとも限らないではないか」
「我が姫君は争いを好みませぬ」
「その言葉が信用できるとは思えぬが」
「いまは我々の確執など問題ではないのです。騎士様を聖域へと帰還させるのが我が姫の意志」
「地を炎で焼き尽くす魔性の兵器ではないのか」
「姫殿下がもしも地上を滅ぼすことをお決めになれば、わざわざ会話をする必要などない。都にいながらにして、愛らしくそして小さなボタンひとつですべてを滅ぼすことがおできになる」
「脅迫するというのか」
「そのつもりはありません。私達は騎士様の運命が見えるのか知りたいだけです」
「オルレアンなど知らぬ」
「では虹の姫君は?」
「なに? 虹の姫君!」
「ご存知なのですね」
「かの者は魔の森に身をやつし、身分卑しい者と変わらぬ生活を送っていると聞く。幾人かの騎士を従えてな。私が知っていることはそれだけだ」
「十分です。ありがとうございました」
「よい。私もまだそなたたちのことを恐れているのだ。妖魔の妖しき術を。生命なき白き世界を」
「生命とは穢れ。生命とは罪。互いに相容れぬのなら恐れる必要もないでしょう」
「まことに。これからもそうであって欲しいものだ」
会話は途切れた。
妖魔の姫君はまつげを伏せ、我輩を熱く見つめていた。
「どうやらそなたの運命の人が見つかったようですね。こんなにも早く見つかるとは……」
「鉄よりも硬い絆があるといっただろう」
「答えは変わらぬのですか。ここから去ってしまうというのですね?」
「無論。だがここを去るまでは汝の客将である。その責はまっとうしよう」
「そなたに口づけをしてもよろしいですか」
「かまわぬ」
熱い抱擁とともに、姫君の唇が我輩に押し当てられた。
妖魔らしい蛮族じみた行為であったが、その想いは我ら聖域を守護する者と変わらぬ。
仏頂面で真正面を見つめ、我輩はこれからのことを考える。
一刻も早く我が姫君のもとへ駆けつけなければ。
我輩は窓辺へ立ちそのまま我輩に想いを寄せているらしい姫君のほうへと振り向いた。
「いつごろ帰れそうなのだ」
「いますぐにでも」
「それはまことか」
「まことです。騎士よ」
「すまぬ。感謝している」
「騎士よ。そなたの想いに重なることができるのなら、それは私の喜びでもあるのです」
「汝はまことに我が剣で護るに足る者よ」
▼
「あーテステス。そっちにいる鈴仙さん。聞こえてたら返事ください」
レイセンって名前の兎、どうやら二匹いるみたいっすね。
さながらこっちの兎はレイセンニ号ってところっすか。
兎たちの通信は摩訶不思議というかなんというか。
光よりも速いスピードでつながるところが妙な感じっす。
おそらくは縮退とかなんとかいう概念を用いた概念通信なんでしょうけど、下郎な俺っちには想像の外ってやつっすよ。
あ、それから豊姫様がすぐにレイセンとは違う一匹を指名してたっす。
どうやら同時通訳させるつもりみたいっすね。
「ん。月の兎? いきなりどうしたの?」
「実はこっちでお人形さんを囲ってるんです。オルレアンっていう名前みたいなんですけどご存知ないですか」
「知らないわね。ていうか、こっちは一応追われる身なんだし、そんなに簡単に連絡されると困るんだけど」
「あ、大丈夫です。こちらの姫様が許可なさってますので」
「そっちがよくてもこっちがよくないのよ。あんたらがこっちに攻めてこないとも限らないでしょ」
「豊姫様は優しいもん。私のことなでなでしてくれるし」
「信用できないって言ってんの」
「姫様はお人形さんを持ち主さんのところに返したいだけですって」
「あやしいわね。だいたいその人形って爆弾か何かじゃないでしょうね」
「むかー。だいたい姫様が地上を滅ぼすんだったら、そっちにいちいち連絡する必要ないじゃないですか。ボタンひとつで綺麗さっぱりなんですし」
「ほらそうやって脅迫してる」
「そんなつもりはありませんってば。お人形さんの持ち主が誰なのか知りたいだけです」
「オルレアンなんて知らないわよ」
「じゃあアリスって名前は?」
「アリス? ああ……そういうこと」
「ご存知なのですか?」
「魔法の森に住んでる魔法使いで、都会派(笑)な生活を送っているらしいわよ。なんか人形劇とかもしてるみたいだし。そいつのことなんじゃない? 知ってることはそれだけだけど」
「十分です。ありがとうございました」
「いいのよ。まあちょっとさ。月って私にとってはまだトラウマなのよね。戦争兵器とか。生命のない世界とか」
「生命は穢れですし罪ですから、月は地上には手をだしませんよ。安心してください」
「ま、それならいいんだけどね」
てな感じで会話は途切れたっす。
どうやらいろいろと確執があるようっすね。
一般ピープルであるところの俺っちには関係がないことっすけど。
それよりもどうやら持ち主が地上にいるらしいとわかって、豊姫様はすごく残念そうにしてたっす。
持ち主を見つけたいとは思っていたものの、やはり自分だけのお人形さんにしたかったんすかねぇ。
「あーあ。オルレアンちゃんの持ち主さん見つかったみたい。こんなに早く見つかるなんて」
「ガッチガチー」
「もう一度聞くけど、オルレアンちゃん私のお人形になる気ない? やっぱり帰りたい?」
「カエルヨー。ソレマデカリモノー」
「ちゅーしていい?」
「イイケド ホッペナ?」
ああ豊姫様、無防備すぎるっすよ。
オルレアンちゃんにベーゼの嵐。
なんといううらやまけしからん。
けれど対象が人形だけにただの愛くるしい少女の姿があるだけともいえるっす。
いやー眼福眼福。
これはこれで眺めるだけでも癒されるっすよ。
「イツゴロー?」
「今すぐにでも帰れるわよ」
「ホントニ?」
「本当よ。かわいらしいお人形さん」
「カンシャ ダシ」
「オルレアンちゃんが幸せならそれでいいの」
「オマモリスルヨー」
▽
巫女たちがオラトリオを口ずさむ。
その声に連なるようにして、何人もの兵隊たちが足並みをそろえていた。
さながらどこかへと進軍するかのようだ。
我輩は自らの真価をずいぶんと承知しているし、場合によってはひとりで聖域へと帰還してもよい。いつかは剣を返してもらわねばなるまいが、今ひとたびは我輩にほれているらしい妖魔の姫君に預けておき、いつかの約束として残しておいてもよいかもしれぬ。
しかれども――
それはあまり好ましい妄想とはいえぬだろう。
我が姫君は寛容を絵に描いたようなお方ゆえ、我輩が姫君に賜った剣を忘れてきても、おそらく何も言うまい。
だがそうであるという確信があるがゆえに、我輩は我が剣を捨て置くわけにはいかぬ。
いかに白銀の剣が美しく、また勝利を約束するものであろうとも。
またいずれかの剣を選ばねばならぬというのなら、我輩は一時も迷わず、姫にいただいた剣を選ばねばならぬ。
銘もなく、無名の剣。
だが我輩の魂と信念のこもった一振りである。
いわば我が半身。
捨てることなどできはせぬ。
黄金に輝く門と銀の城壁を越えて、我輩は妖魔の姫君とともに城の外へといたる。
そこはいくつもの細長い尖塔が連なって森のようになっていた。
やがて姫君が扇のようなものを、ツイと振るった。
すると、まさに何もない虚無の空間が秘密の花園のように優しく開かれて、我輩の眼前へと出現した。
虚無の歪みは漆黒に彩られ、中は雷光のごとき光が闇の中に燦然と輝き切り裂いている。さながら嵐のように険しい道のりを思わせた。
「ここをくぐるのか」
「はい。騎士よ」
「危険はないのか」
「そなたにとって、危険などあろうはずもございません」
そのひそやかな笑いは、我輩の勇気を試しているようでもあり、我輩の力を見定めたいという気持ちなのやもしれぬ。
乙女とは騎士の力量を測りたいものなのだ。
「よかろう」我輩は声を張り上げる。「たとえ嵐の中を疾駆する狂気であろうとも、騎士には使命のために為すべき時がある」
我輩は身を低くして黒き門をくぐった。
▼
豊姫様が素粒子分解の素敵な扇子を振るうと、そこには巨大な穴がぱっくりと開けたっす。
見てみると得体の知れない黒い色で覆われていて底が知れないっす、
時折電流みたいなバチバチっとした光が穴の中で爆ぜていたりするんすが大丈夫なんすかね。
おそらくは亜空穴。
空間の序列というかそういうものを圧縮することで跳躍するための装置なんでしょうけど、高等すぎて意味不明っす。
「ココ クグルノ?」
オルレアンちゃんめっちゃ不安顔。
でもそんな顔もぷりちー。
「うんそうよ。お人形さん」
「キケーン」
「大丈夫よ。お人形さんに危険はないようにしているわ」
ああ、豊姫様。
その母性マックスな笑みは反則。
「イイヨー」オルレアンちゃんは声をあげた。「オルレアン クジケナイ オニンギョウサン ダシ」
オルレアンちゃんはまったく躊躇せずに穴をくぐったっす。
豊姫様も軽くジャンプして穴の中に入ってしまい、俺っちも護衛として慌てて後を追ったっす。
まあ豊姫様は武闘派ではないとはいえ、時間を停めた膜というかステイシス・シールドで周りを覆ってるんで、そこらの妖怪には傷ひとつつけらないんすけどね。
▽
恐れるなオルレアンよ。
身を切るような雷光の空間である。
周りは悲鳴とも耳鳴りともつかぬ稲妻の轟音がとどろいていたが、我輩は目を凝らし前だけを見つめた。
ただ前へと進み続けた。
突然、景色が変わった。
もわりとした空気に我輩は身を硬くする。
身をつつむは不快の空気。
しかし精神は天頂のように高揚している。
まぎれもない。
我輩が元いた場所。
魔性の森である。あたりには穢れた妖魔どもの気配に満ち、鳥やら虫やら植物やらも我輩たちに敵意を持っているかのようだ。
なぜと思う向きもあるかもしれぬ。
だが、我が姫君こそはこの世の穢れを一心に引き受け浄化する存在だった。
したがって、姫君のおわす聖域こそは最も穢れた場所でなければならぬ。
泥沼に咲く蓮の花のように、我姫がおわす聖域と魔性の森は咫尺の間。ムササビがひと飛びするほどの距離しかない。
「ついたようですね」
「しかし汝らがついてくる必要はなかったのでは?」
「騎士よ。あなたの意志を見届けさせていただくためにともに歩む必要があったのです」
「妖魔といえど姫君であれば、他国の騎士に想いを寄せるべきではない」
「想いは誰にも止められません。姫であっても人であれば誰かに懸想することもございます。それがたまたま勇壮の者であることも、他国の姫君にすでに忠誠をささげている騎士であることもまたありえる話なのです」
「我輩を騎士として認めてくれたのは、我が姫君とそなただけだ。その恩義は忘れはせぬ。だが――」
「それ以上はご寛恕ください。騎士よ。自らの想いに縛られる愚かな姫君と心の中で笑い、どうか言葉にすることだけは」
我輩は沈黙せざるをえなかった。
どのような魔法であろうと無効化してしまう伝説の盾も、乙女の涙の前には無力。
我輩はどのような困難な状況であろうとも必ず打ち勝つことを旨とする。
ゆえになんとか言葉をつむごうとしたのであるが、しかしその瞬間はついぞ訪れなかった。
怪物の登場である。
騎士である我輩にとってはおあつらえ向きな試練である。
そいつは巨大な植物であった。
いくつもの白い触手が木立の間から伸び、本体はどこにあるか検討もつかぬ。
我輩は妖魔の姫君を下がらせ、白銀の剣エクスカリバーを抜き放った。
▼
「ついたようね」
「オルレアン ヒトリデ デキルモン」
「んー。でもオルレアンちゃんが私のお人形さんになってくれる可能性もまだ残されてるわけだしね」
「ヒトサマ ノ オニンギョウサン ダシ」
「オルレアンちゃんが好きって気持ちは変わらないわ。たまたま人様の持ち物だったってだけでしょう」
「セッソウ ネーナ」
「ごめんねオルレアンちゃん。わたし悪い女だったわ。でもしょうがないじゃない。オルレアンちゃんかわいすぎるんだもの。しくしく」
あー、なんてあからさまな嘘泣き。
でもかわいいから許されるっす。
そっからは怒涛の展開だったっすよ。
いきなり妙なキノコが俺っち達を襲ってきたっす。襲ってきたというかもしかして単なる防衛本能なのかもしれないっすが。
サイズは大きめの傘くらいっすかね。
人間から見ても十分巨大なサイズっすが、オルレアンちゃんにとってはとんでもなく馬鹿でかいサイズに見えたかもしれないっす。
そのキノコから放射状に数メートルに渡って触手のようなものが伸びてるっす。このキノコが今の十倍のサイズだったら薄い本が厚くなるのかもしれないっすが、さすがにちょっとでかい傘程度のサイズじゃあ、俺っち達にはなにもできないっす。まあ仮に十倍サイズでもステイシスシールドで完全防御、分子破壊銃で瞬殺っすけどね。
予想外だったのはひとつだけ。
一番に反応してたのは、一応の戦闘訓練を受けてる俺っちではなく、愛玩用人形のオルレアンちゃんだったってことっす。
正直ちょっとへこんだっすよ。
▽
怪物は際限なく膨らんでいき、もはや我輩はその全貌を二つの目で捉えることすらできぬ。
我輩は触手の一本の上を駆け、やつの本体を断ち切らんとする。
触手をいくら切っても意味はあるまいと判断してのことだ。中途、幾本かの触手が我輩の狙いに気づいたのか、その凶悪で汚らわしい肉の塊をさしむけてきた。我輩は剣の腹の部分でそれらを受け流し、返す刀で袈裟懸けに切る。
浅い。
足場が不安定なせいか腰が入っていなかった。
今は優先順位の低い事柄であると判断して、すぐに前を向いた。
ようやくこの鈍感な怪物も身の危険に気づいたのか、地面代わりに走っていた触手がぶよぶよと震えて我輩を振り落とそうとする。
しかし無駄なこと。
我輩は水切りの要領で触手との接地面積を減らし、軽く触れるように跳躍しているのだ。
疾風迅雷。
我輩は自らの膂力が作り出したスピードを加減することができず、そのまま本体を切りつけることを選ぶ。
なるほど奴の本体は巨大なドーム状のぶよぶよとした塊であり、腐った蛙のようなおぞましい臭いを周囲に撒き散らしつつ、我輩が来るのをあらんかぎりの触手で迎え撃とうとしている。
無論、すべての触手を避けるのは愚か。
すべての触手を切り落とすのも難しい。
となれば――
我が神速をもって、怪物の懐に飛びこみ一撃のもとに打ち倒すしかあるまい。
幸いにして怪物にはたいした知恵がない。
降りかかるイカの足のような触手も闇雲に我輩を狙うだけで戦略というものが感じられぬ。
我輩は雄々しく叫び、我こそはここにありと主張する。愚かなる触手どもは我輩へと鎌首をもたげ、一斉にとびかかった。
それこそが罠よ。
我輩は瞬時に跳躍し、ドーム状の本体に向かって剣をつきたて――
折れた。
馬鹿な。
あの白銀の剣がこうもやすやすと折れるとは。
剣を過信した結果か。あるいは――我輩の。
思考している暇などありはしない。
その一瞬の硬直は戦闘にあってはまぎれもなく死を呼ぶ時間である。
次の瞬間、思考が停止していた我輩は横腹を触手に打ちのめされ、空高く放り出される。
自分の身体が空中に踊っている間にも、いくつもの触手が次の攻撃に備え、既に準備を終えている。
我輩は荒々しく空中を泳ぎ、なにか手がないか探す。
牢番程度の実力ではこの怪物には適うまい。せめて妖魔の姫君をお守りせねばならぬ。
差し向けられた恩情に答えるために。
なにより我輩が騎士であるがゆえに。
「騎士よ。剣を!」
彼方から妖魔の姫君の声が聞こえた。
突風に煽られたときのようにぐるぐると周る視界の中。
我輩はついに失われし愛剣のまばゆき光を見つける。
おおそれこそは我が姫君に与えられし名も無き剣よ。
我輩は苦もなく空中で剣を受け取ると、そのまま落下の勢いを利用して今度こそ怪物の本体へと剣をつきたてた。
怪物は最後のあがきとばかりに、緑色をした液体を撒き散らしている。
我輩は剣をひねり、さらに深く押し入れる。
まさしく狂乱と痴態の様相である。騎士である本分も忘れ、我輩は一心に剣を突き刺し、再び突き刺し、再び突き刺し、怪物の醜い表層はどこまでも広がる地平のようであり、本体であるのは確信しているとはいえ、我輩の剣ではいったいいつまでこうしておればよいのかわからぬほどだ。
そしてついに怪物の動きが弱々しいものになり、我輩は剣を引き抜く。
緑色をしたおぞましいぬめりに我輩の剣は輝きを失っていたが、荒々しい狂気とほてった身体にあってはその程度のことは小さきことであった。
なにより姫君の顔が近くにあり、我輩は騎士としての本分をまっとうできたという満足感があった。
「あのような怪物をおひとりで倒してしまわれるとは」
「我輩のことを恐れたかな。妖魔の姫君よ」
「いいえ。まさかそのようなことがあるはずもございません」
「だが汝には悪いことをした」
「剣のことですか?」
「うむ。我輩が妙な具合に力を入れてしまったのだろう」
「私は前に述べたはずです。剣は剣としての本分を果たしてこそだと。あの怪物を牽制するために白銀に輝くあの剣は役に立ったのです。それでかの剣の使命は果たされたのだと思います」
「汝がそういうのであればもはや謝罪はすまい」
▼
いやー。オルレアンちゃんわりと強いっすね。
あの化け物キノコ相手に一歩も引かずに、しかも弾幕とか使うこともなく近接攻撃でしとめるなんて半端ないっす。
パねぇっす。
さすがに発砲スチロールのエクスカリパーが折れちゃったのはしょうがないっすけどね。
豊姫様も驚いていて、なんだか自分のことのように嬉しくなって舞い上がってたっすよ。
身の丈の数十倍もある化け物をかわいらしいお人形さんが打ち倒すってだけでも快挙なのに、その動機が『オマモリー』することにあるんだから、嬉しくなって当然っすよね。
ああそうそう。
あのあとっすけど、豊姫様がオルレアンちゃん抱きかかえながら、こっそりまだ息があるっぽい化けキノコをお御足でグリグリしてたような気がするっすけど、気にしないことにするっす。
グボァァァとか、なんか嫌な音を立ててるけど気にしないことにするっすよ……。
▽
とうとう我が聖域へとたどり着いた。
「騎士よ……。お待ちしておりました」
おお、光り輝く宮殿の前には騎士である我輩を待つ姫君の姿がある。
その金糸のような黄金の髪も今はよもぎのように乱れ、アクアマリンの瞳には朝露のような涙のあとがあった。
待っていてくれたのだ。
我輩は肺のあたりがいっぱいになり、今すぐにでも駆け出したくなる。
しかし、我輩の足を止めるものはすぐそばにあった。
妖魔の姫君の存在である。
かの者は夜に怯える幼き者のように、我輩が去ることに怯えている。
か弱き乙女を護るのが騎士の役目であるのならば、その使命を全うせずに我が姫君のもとへ帰るのが騎士としての本分に適うのか。
我輩は忠義と恩情とに挟まれ身動きが取れず、大理石で作られた彫像のように固まるしかなかった。
「騎士よ。帰るべき時が来たのですね」
妖魔の姫君は涙を浮かべ、しかしそれを頬に流すことは断固として拒否していた。
その行為の気高さは言葉で形容できるものではない。
我輩は言葉少なに、
「すまぬ」
と言った。
「よいのです。騎士よ。定められた運命に従い、剣が鞘に納まるように元に戻るだけ。しかしそなたの髪の毛一本ほどにでも私のことを覚えていてくだされば」
「忘れまい。我輩の魂にそなたの名前を刻みこもう。名を教えてもらっても?」
「騎士よ。そなたが望むのならば」
我輩は月の姫君の名を受け取り、後ろを振り向かずに駆ける。
さらば月の姫君よ。
さらば。
▼
三分間ってところっすかね。
月の都と空間を繋げれば、まあどこだろうとピクニック気分でこれるわけっす。
まあ政治的な理由でおいそれと行けないことにはなってるんすけどね。
そんなわけで、オルレアンちゃんの実家に到着。
家の前ではうちの姫様と負けず劣らずの超美少女がマジ泣きしながら待ってったす。
あれがアリスさんっすかねえ。
まああの様子だとオルレアンちゃんはまちがいなく愛され人形だったみたいっすし、このまま返すというのが一番丸く収まる方法っす。
本当に残念っすけど、それがオルレアンちゃんのためですしね。
半ばあきらめモードな姫様と俺っちだったんすけど、ちょっと予想外だったのはオルレアンちゃんが途中で立ち止まっておろおろしてたことっす。
あー、これって。
こっちのこともちょっとは気にかけてくれてるってことっすかね。
なんだか抱きしめたくなってくる愛らしさじゃないっすか。
豊姫様もついつい涙腺にきちゃったのか。マジ泣き寸前ですし、いつものトロっとした表情はどこにいったんすか。
「オルレアンちゃん。ついに帰るときがきたのよ」
「ゴメンネ?」
「いいのよ。オルレアンちゃんは持ち主のもとに戻るだけだからね。でもちょっとでもオルレアンちゃんが私のことを覚えててくれるとうれしいな」
「ナマエ キイテネーシ」
「豊姫よ」
オルレアンちゃんはスッと豊姫様のほっぺのあたりに飛んでいって、なんとまあかるーく触れるようなキスをしたっす。
激しく羨ましいっす。この場合どっちが羨ましいかは難しい問題っすが。
「トヨヒメ。バイバイ」
とまあ、そんなわけで究極ラブリー人形オルレアンちゃんは元の持ち主さんのところに帰っていったっす。
豊姫様が時々発作のようにオルレアンちゃんに会いたくなって、すさまじい勢いで亜空穴に飛びこんでいくのはまた別のお話。
お土産はカツ丼。
大いなる者たちよ。わが姫君よ。そして姫につどう騎士たちよ。
遥かなる世界の話をしよう。
ここではないどこか。連れなる世界。まばゆい白銀の世界の話を。
我が勇気と知恵の物語を。
恐れるな!
恐れてはならぬ!
恐怖は忌まわしき感情である。侮蔑と汚辱にまみれるくらいならば我輩は死を選ぶだろう。
だが騎士は黄金に輝く意志と薔薇の匂いを放つ使命を帯びている。
おいそれと死ぬつもりはない。
聖域へと帰還するまで我輩は必ず生き抜く。我輩を誘惑し操ろうとたくらむ邪悪なる者たちを駆逐し、姫君の白磁の手に口づけるのだ。
定められた運命と預言は我が勝利を告げている。
この手に栄光を!
約束された勝利を!
我が名、オルレアンに賭けて誓おう。
▽
そこは――
石づくりの部屋で本来冷たいはずなのだが、柔らかな絹のような暖かさに包まれていた。
げに忌まわしきは魔術よ。
姫君の放つ聖なる術法と比べ、なんと自然を犯し歪める邪法か。
激しい怒りを覚えたが、牢番には上背があった。
首をキリンのように伸ばさねば全身を捉えることのできぬほどの巨躯。
いにしえの巨人族のようだ。
加えるに――
我輩は囚われた際に剣を奪われている。
文字通りの意味で死ぬ気で向かっていけば一人は倒せよう。
しかし、部屋にはもうひとり牢番がおり扉を塞いでいる。
我輩の神速をもってしてもふたりを一息のうちに打ち倒すのは適うまい
釣り目をした牢番が我輩の対面に座っている。
我輩は鉄の塊のような机の上に立ち、牢番を睨み返した。
牢番は生命を感じさせない銀の眼差しをしており、頭蓋の奥から我輩の恐怖を引きずり出そうとしている。
我輩は真なる意味で虜囚であった。
剣は無く、あらゆる魔法を跳ね返す盾もない。
牢番は石のように冷たく我輩を見つめていた。
睨むではなし。特に拘束はされていない。だがマグカップのように重い眼差しは我輩の体躯を押さえつけていた。
その視線は忌まわしき魔術。
その言葉は忌まわしき魔法。
我輩の魂を殺そうとしているのだ。
牢番の手のひらには豚の供物があった。
我輩の体躯とさして変わらぬ肉の塊が陶磁器のうつわの上に並べられている。
生命など塵芥と変わらぬと言わんばかりの機械的で等間隔の並べ方。
切り刻まれた肉の塊。
断面からはぶよぶよとした脂が見えている。
殺されたばかりなのだろうか。円筒形の器に入った豚の屍体はまるで火山の煙のように靄を発していた。
牢番は冷笑する。
喜びと邪悪の入り混じる瞳が我輩の心を見透かそうとしている。
騎士よ、恐怖を感じたか?
屈服する準備はできているか?
牢番は豚の贄物を我輩の前にちらつかせ、そして不快きわまる声色で言った。
「愚かなる騎士よ。そなたの運命はもはや尽きた。運命の姫君に見初められ騎士としての生涯をささげたはずのそなたは――」わずかに言葉を選び「守るべきものも失い、騎士としての本懐も失い、ただの生ける骸と成り果てるのみ。剣もなく魔力もない。帰るべき場所も失った。そなたになにができようか」
「我輩には使命がある。けして錆びつかぬ黄金の使命があるのだ!」
「使命……。使命か。そなたは心得違いをしている。そなたの使命は聖域へと帰還することなのだろう? しかし、弱小なるかな聖オルレアン騎士団。もはや残されたのはそなただけではないか。他の者たちはひとり残らずそなたが暗き淵に堕ちるをただ呆然と見つめるばかりだったと聞く。もはや帰るべき場所など残されていないのだ」
「最後のひとりになろうとも我が騎士団は永遠に不滅だ。なぜなら我が騎士団は金や役職によるものではなく精神の連帯だからである。たとえ肉としての滅びを迎えようとも魂は死なぬ。ゆえに我が騎士団もまた死なぬ」
「ならばそれでもよい。しかし、そなたはこれからどうするというのだ。忠誠を誓うべき者もなく、騎士としてのそなたはもはや死んだに等しい。あるいは農奴どもにまじって少ない賄いを得て暮らしていくというのか。そなたはまだ若い……。ただ誓えばよいのだ。我が月の姫君に。誓いの口づけをすればよい。我が姫は優しきお方。そなたの信仰も包みこみ慰撫してくれよう」
「それが魔女の誘惑でないと誰がいえる?」
「岩のように硬い意志よ。だがそなたの頑固さは必ずや報いを生むぞ。このまま虜囚として生きながらに死んでいくというのか。肉として生き、しかし精神はこの暗い部屋の中で埋葬されるのが良いというのだな?」
「我輩を自由にしろ!」
「できぬ相談というものだ。そなたが黄金の意志を瞳に宿しているのは知っている。だが、そなたの使命も意志ももはや意味のあるものではない。精神の輝きはしかるべき時と場所によってその光度を増すのだ。この暗き都ではそぐわぬ。生命なき静謐の世界にそなたはただの異物でしかないのだよ」
「異なことを言う。その異物を騎士にしようというのか。断じて汝らの騎士にはならぬ」
「先にも言ったではないか。聞いてなかったのか。そなたはもはや騎士として死んでいるのだ。ならば既に生命なきわれらの同族よ」
「妖魔の類か。結局貴様らの要求に従った先には、死後の暮らしが待っているだけではないか」
「勘違いしないでもらおう。そなたの死はわれらがもたらしたものではない。死人ならば死人らしく生きよと言っている」
「フン。死人らしく生きよ、か。妖魔らしい矛盾した言葉だ。おおかた貴様らの主君も貧困と汚物にまみれ毎夜あえぎ声をあげておるのだろう! 我輩の剣を早く返すがいい」
「そなたが姫を害する可能性があるのでな。騎士ならばわかるであろう。姫君は雛鳥のように保護されるべき存在よ」
「虫けらめ!」
我輩は再び牢番を睨みつける。
わずかな間があいて、牢番はようやく口を開いた。
「しかし姫はそなたの言葉を聞いても怒らぬだろう。しばらく待っているがよい」
▼
おっす、俺門番っす。月の姫様たる綿月家の門番やらせてもらってるっす。
時々こうして不審者の取調べとかもやってるっす。
綿月家は月では高官すぎて敵なんておらず、超楽い仕事だと思ってきてみたのはいいけど、これって地味にきつい仕事なんすよね。
門番の仕事はずっと立ちっぱなしだし、最初の数日は膝が笑ったもんすよ。先輩からは膝かくかくするのは5センチまでならOKとか言われて、いや意味わかんないっす屈伸したいっすって泣いて頼んだんすけど無理でした。あときょろきょろするのも禁止っす。門番は家の顔みたいなもんすからね。きょろきょろしてたら締まりがつかないんでしょうよ。
しかし、困ったっすね。
あ、なにがっていうと、門の前をフラフラと飛んでいた不審者というか人形なんすけど、人形だけに言葉が通じない通じない。
何を言っているのかさっぱりわかんないんす。
まあ俺、人間っすし、人形の言葉なんてわかるはずもないんすけど。
一応不審者というか不審物?にあたるわけで調べないわけにはいかないんすよね。
うちの姫様――武闘派のよっちゃんはともかくとして、おっとりとよちゃんがいるわけっす。
豊姫様ってほら、なんつーか何もないところでころんで骨折しそうじゃないっすか?
ああいう守ってあげたいオーラがかわいいなーとか思ってるんすけど、もちろん言ったらよっちゃんに殺されるんで言わないっすよ。
で、ともかくおもに豊姫様のために不審物を排除するのが俺ら門番の仕事なわけっす。
「で、もう一度話をまとめるけど、どういう経緯でここに来たっすか?」
「アリスマカイカエルー。オルレアンツイテクー。ミンナツイテクー」
「それでどうしたっすか?」
「アナミタイノ パックリ。ゴックン。オルレアンオチター」
俺っちなりに要約すれば、どうやらこの人形の名前はオルレアンとかいう名前らしいっす。
それで魔界とかいうところに、アリスって人と帰ろうとしたんだけど、自分だけは次元の狭間みたいなところに落ちて、気づいたらここにいた、と。
すごく作り話っぽいっすが、こんな精密な人形が生きているように動いているなんて月ではありえないことなんすよね。
月は穢れのない世界っすから、例えば人形に他の生命の残滓が宿るということはありえないんす。
とすると、この人形は月の外からやってきたと考えるほかないんすけど。
そういうことってあるんすかねー。
ていうか、かわいそうだけど、このオルレアンちゃんもう帰るところないんすね。
魔界とかいうのがどこなのかさっぱり聞いたことないっすし、同じ世界なのかすらわからないっすから。
実をいうと俺、わりとかわいいもの好きなんすよ。
オルレアンちゃんはなんつーか西洋騎士みたいな身なりしてて、髪は金髪でウェーブがかってて、肩ぐらいまでの長さがあるっす。戦闘少女系っつーかワルキューレみたいな感じを思い浮かべてもらえれば幸いっす。かわいさとりりしさが半々という感じのアンバランスさがたまんないっすね。今も取り調べ机の上に立ってこっちを上目遣いで見てるわけで、なんだか変な趣味に目覚めそうな勢いっす。
でもこんだけかわいいとやっぱり姫様がペットにしたいというかマイ人形にしたいっていいだすかもしれないっす。オルレアンちゃんが不審物であることは今でも変わりないっすから仕事上難しいかもしれないっすね。不審物っすからね。
オルレアンちゃん、月に居場所あるっすかね……。
帰る場所もなく、ここに居場所もないとなったら、人形のように生きていくしかないっす。
不憫っすね。
だったら、いっそのこと姫様のお人形さんとして生きていくほうがオルレアンちゃんにとってもいいかもしれないっす。
「あ、カツ丼食うすか」
これ一応合成タンパク質の作り物で、豚っぽい見た目と味なんすけど、当然生き物じゃないっす。
月では殺生はご法度っすからね。当然っす。
「クエネーヨ」
「まあサイズ的に無理だとは思っていたっす。でもオルレアンちゃんこれからどうするっすか。帰る場所もなくて、仲間のお人形ともはぐれちゃったんしょ? あとアリスさんとも」
「シンデネーシ。カエリテーシ。ゲロウノブンザイデ ナマ イッテンジャネーヨ」
オルレアンちゃんわりとお口が悪いほうみたいっす。
下郎って。
まあその通りなんすが。
「帰りたいって気持ちはわからなくもないっすよ。でも現実問題としてそれは無理って話っすよ。だいたいこれからどうするんすか。オルレアンちゃんまるで生きてるみたいな人形さんだけど、動力源とかあるんでしょ。人間みたいに働いて誰かからエネパックもらって生きていくんすか? それよりかは人形としての本分を発揮して誰かのお人形さんとして生きていくほうがいいっす。幸いにして俺っちの姫様は優しいっすから、オルレアンちゃんのこともきっと気に入ると思うっすよ」
「ユウワクイクナイ。アリスイイ!」
「小石みたいな頑固さっすね。でもこのままじゃオルレアンちゃん不審物のままっすよ。それでいいんすか。人形として誰かに愛されて生きていくほうが絶対幸せだと思うんすけど。この部屋にぽつんと置いておかれるのがいいっていうんすか」
「ダシテー」
「だからそれは無理なんすよ。オルレアンちゃんが人畜無害な愛され人形なのはわかってるっすが、ここは月の都っすからね。オルレアンちゃんみたいな人形がひとりでに生命のごとき振る舞いをするのはかなりマズイっす。周りから浮きまくりっす」
「ウキマクリ? アイサレマクリ?」
「そうっすよ。オルレアンちゃんの持ち主さんとはもう会えない可能性が高いんすから。月のお人形さんとして生きる道を探るべきっす」
「オツキミスルヨー? ペットジャネーノ」
「いや人形っすよ。月の世界で一番愛されるペットみたいなお人形さんになる素質があるっす」
「ペットジャネーシ。ツキノ ヒメサマ シラネーシ。ケン カエシテ プリーズ」
「剣は返せないっす。一応危険物にあたるっすからね。刃物は禁止っすよ」
「ムシキング!」
ぷんすかと怒っているようっす。
確かにお人形さんの初期装備を奪うのはあまりいいことじゃないっすよね。
怒るのも無理ないっすけど、こっちも仕事なんでしかたないっす。
良心が痛むっす。
「オルレアンちゃん口悪いっすけど、たぶん姫様なら大丈夫っす。呼んでくるからしばらく待つっすよ」
▽
我輩はパンデモニウムに潜む魔女の顔を拝んでやろうと思い、牢番がやつらの姫君を連れてくるのを待った。
うまく隙をつけばやつらの姫君を盾にして自由を手にすることができるやもしれぬ。
しばらく待っていると、重々しい鉄の扉が開かれた。
「ほう」
我輩は妖魔の姫君を目に入れた。
確かに美しい姫君ではあった。
たとえ邪悪なる者たちの姫とはいえど、姫は姫であるということなのだろう。
だが誓いを立てる気にはならぬ。
たとえ言葉にできるほどの拷問に呻吟することになろうとも、我が魂を屈服させることなどできはせぬ。
「鷹よ」妖魔の姫君は低く声を上げた。「そなたは鷹なのでしょう。その精神は雄々しく飛翔し空を駆け巡る。なれば私の城に留まらせることはできはしまい」
「しかり。話がわかるでないか妖魔の姫よ。汝が我が剣を返し我輩を解放するというのなら、我輩の誇りを傷つけたことを許そう」
「しかし騎士よ。類まれなる勇壮の者よ。ここは騎士の国ではございません。騎士は生きてはいけないのです」
「我輩は必ずや聖域へと帰還するだろう。魔性の森を抜け、黒き魔女から姫君をお助けせねばならぬのだ」
「やはりあなたは鷹なのですね。しかし、その鷹はもはや翼をもがれたも同然。どうやって国へ帰るというのですか」
「冒険しよう。我輩には身を守る剣がある。誰にも侵すことのできぬ誇りがある。なにより変わらぬ我が姫への忠誠があるのだ」
「私の騎士になってはくださらぬのですか?」
「もとよりそのつもりはない。そなたは邪悪なる妖魔の国の中であって小指の爪ほどの明るき月であろうが、しかし我が姫君は七色に光る虹なのだ」
「たった一言で良いのです。私に忠誠を誓ってくだされば、剣をお返しいたしましょう。一振りのうちに森を消失させる呪法を、時空を操る大魔法を授けましょう。そなたの生涯を勝利に彩ることができるのですよ」
「たった一言だと! 我輩の忠誠を愚弄するというのか。騎士は二君に仕えたりはせぬ」
「そうではないのです。そなたの忠義を少しも傷つけるつもりはございません。そなたの主君は既に生き別れてしまったというではないですか。なればそなたは主君を失ったも同然。そなたはもはや主君なき騎士なのです」
「たとえ主君を失ったとしても」我輩は怒号を発する。「我が忠誠まで滅ぼすことはできぬ」
「では虜囚として暮らしていくというのですか」
ほの暗い瞳が我輩の心を探ろうとしている。
怒りで肌の表面があわだつ。
「我輩を自由にせよ!」
「忠誠を誓ってくださらねば自由にすることは適いません」
「妖魔め! 我が生涯と血潮を賭けた忠誠を、富や名誉で得られると思っているのか! 忠誠とはおのずから生ずるものであり、すなわち我輩の自由から生まれるものだ。我輩は次の瞬間には汝を打ち倒してもよいのだし、次の瞬間には地に寝転がってもよい。すべて我が自由に端を発するのであるから、汝から与えられる自由などどこにもないのだ」
「まことに黄金の精神を持つ者よ。無敵の騎士よ。そなたの魂を束縛することはたとえ天地神明に匹敵するものとて不可能でしょう。しかしながらそなたの騎士としての倫理はどうなのです。そなたが我が領域を侵犯した者であることはまぎれもない事実。それに対して購うこともなくのうのうと生きていくのが騎士としての本分に適うと思うのですか」
筋道だった話ぶりに憎悪の念が沸いた。
確かに我輩は意図することなく妖魔の国を侵犯したことになるやもしれぬ。
その国の法においては我輩は裁かれる身。
「ゆえに」我輩は重く口を開く。「虜囚になっておる」
「私はそなたを虜囚として扱いたくはないのです。騎士よ」
妖魔の姫君の視線は我輩を英姿として仰いでいた。
その言葉にはよどみがなく、嘘とは思われない。
だが――。
それでも騎士が主君を捨てることはありえぬ!
たとえ幾万の距離が離れていようと我が魂は姫君とともにある。生死も関係ない。
「では客将としてではどうでしょう?」
妖魔の姫君は慎み深く言った。
憐れに思ったのだとすれば、すぐに否と答えただろう。
しかし、妖魔の姫君は我輩を軽んじているわけではなく、騎士としての生き方を殺そうとしてはいないらしい。
我輩はまなじりを決する。
我輩も剛直であるばかりでは、かえって騎士としての誇りを傷つけてしまう。
客将になれというのならばいたしかたあるまい。
「剣を返してもらおうか」
「今は無理です。しかし代わりの剣を用意させましょう。それでいかがです」
「やむをえまい」
▼
いやぁ。
前々から思ってたんすけど、とよちゃんめっちゃかわいいっす。
普段俺みたいな雑魚がお目通りすることすら適わない存在っすからね。
よっちゃんも案外優しいところがあるんでオルレアンちゃん見たらおそらく愛でるとは思うんすけど、やっぱりとろっとした豊姫様のほうがお人形さん遊び似合ってるっす。
で、俺の話を聞くや否や、電光石火というんすかね、めっちゃ速いスピードで取り調べ室までご足労願ったっす。
豊姫様はオルレアンちゃんを見るや、きゃっと小さく黄色い叫び声をあげていたっす。
案の定気に入ってもらえたっす。よかったっす。
それで豊姫様には取り調べ室の無骨な椅子ではなくフカフカなクッション椅子に座ってもらって、机に肘をついてオルレアンちゃんに視線を合わせてる状態。
とても絵になるっす。
まるでファンタジーの世界に迷いこんだ気分っす。
俺っちはこの世界の住人としては明らかに異物っすから黙って部屋のすみにいることにするっす。
「フニュ」
オルレアンちゃんの第一声はそんな感じだったっす。
驚いてる……んすかね?
まあ確かにうちの姫様はそんじょそこらとはレベルの違う超美少女っすから驚くのも無理ないっす。
なんだか神々しささえ感じるレベルっすからね。
姫様のほうはもうなんだか少女っぽさを全開にして、そわそわそわそわオルレアンちゃんを抱っこしたくてたまらないって感じだったっす。
で、一言め。
「小鳥さんみたい」
っすよ。
かわいすぎでしょ、その表現。
「お人形さんは小鳥さんみたいね。きっとパタパタとかわいらしく飛びまわって、どこかに行ってしまいそう」
「オルレアン デッカイコトリ。ケンカエシテ! オルレアン オコラナイ!」
「ここは月の都なのよ。だからお人形さんは私に愛でられるべきだと思うの」
「オルレアン カエル。マルマルモリモリ。マリサキライ。アリスチュッチュ」
「やっぱり小鳥さんみたい。でも持ち主がいないお人形って怪我した小鳥さんみたいでちょっと痛々しいわ。ねえあなたはどうやって帰るつもりなの?」
「ボウケンジャー。ゴウカイジャー。アリススキ」
「私のお人形さんにはなってくれないの?」
「バカジャネーノ。ツキジャネーシ。アリス、ニジイロピカピカ」
「ああ、オルレアンちゃんが私のお人形さんになるって言ってくれたら、素粒子レベルで分解する装備とか時間操作系のモジュールつけるんだけどなぁ」
楽しそうに物騒な話をする豊姫さま。
かわいいけど、実は黒いという噂もあるっす。
真実はわからないっす。
ただの冗談……すよね?
「オルレアン。アリスノデスシオスシ」
「でもオルレアンちゃんは、ご主人様とはぐれちゃって迷子状態なんでしょう」
「アリスノデスシオスシ!」
「誰のものでもない置物として暮らしていくの?」
「ダシテー、エッチー」
「私のお人形さんになればどこにだってつれてってあげるのに」
「サノバビッチ! オルレアン アリスノ ニンギョウ ダシ! オルレアン ストライクフリーダム!」
「本当かわいらしいお人形さん。この子、生まれたての子猫ちゃんみたいに好奇心いっぱいね。きっとどこにだって行こうとするわ。でもね。オルレアンちゃん。そもそもお人形さんっていうのは人の手の中に収まることが仕事じゃないの。お人形としての本分を忘れちゃってもいいの?」
「オルレアン カンキーン!」
「監禁? 換金かしら。どちらにしてもそんなことしたくないわ」
ああ、豊姫様、わずか数分で篭絡されてるっす。
オルレアンちゃんのあまりのかわいさにすでにめろめろ状態みたいっすよ。
今も視線が熱っぽくてうるるんとしてしまってるっす。
俺、ちょっとだけ羨ましいと感じてしまったっすよ。
「アリスさんからの借り物というのではどうかしら?」
「ケン カエシテクレタラ イイヨー」
「うーん。さすがに刃物は危なくてもたせられないわね。代わりになるものを渡すからそれでいいかしら」
「シカタネーナ」
▽
妖魔の姫君からは白銀に輝く一振りの剣を下賜された。
我輩は武器を選ばぬ。
ゆえに武器に心を動かされたりはせぬのだが、透き通るような剣芭にはさすがの我輩もわずかに心が揺れ動いた。
それほどに美しい剣であった。
その輝きが眼底に突き刺さってくるようで痛かったが、誠実な騎士とはいかように振舞うべきか。
意にせず剣から目をはずし考える。
我が姫君からいただいた剣を捨て、今ここにある白銀の剣を取るのが正しいのか。
我輩の心には泥の沼地のような迷いがあった。
身体にまとわりついてくる小鬼どものような迷いだ。
だが――、客将とはいえ妖魔の姫君を仰ぎみると決めた以上、この剣をとらぬわけにはいくまい。
白銀の剣は邪悪な国の中にあって白い月のような輝きを秘めていた。
膂力をこめて握ると、手に吸いついてくるような感覚がある。
我輩のことを認めてくれたか?
「これは約束された勝利の剣」姫君ははっきりとした声音で言った。「エクスカリバーです」
「さぞ名のある剣なのだろう? いいのか我輩のような無頼の者に渡してしまって」
「そなたのような勇壮の者に使われるのなら剣も本望でしょう。騎士は騎士であるように、剣は剣であるように、それぞれ本分を果たしてこそだと思いませんか」
「いかにも。しかし妖魔どもの城にあって姫君を魔の者から守る騎士の使命が果たせるとは思えぬ」
「妖魔も一枚岩ではございませんよ」
姫君はゆがんだ笑いを浮かべた。
ふむ。混沌からいずるのが妖魔であるならば、そもそも合一など望むべくもないのだろう。
ならば騎士としての本分――
か弱き乙女を守るという使命を果たせるのやもしれぬ。
我輩の目の前にいる姫君がか弱き存在であるかは知らぬが。
「盾のほうは問題ないのでお返しします」
「うむ。だが妖魔とはいえずいぶんと無用心ではないか。我輩が身を翻し汝を人質にとればいかがした?」
「そのようなお方ではないとわかっておりますゆえに」
「よかろう。汝の信頼にこたえぬほど我輩は無粋ではない。そも騎士とは誠実を旨とするものゆえに信頼には義をもってこたえようではないか」
▼
豊姫様からはオルレアンちゃんの剣を返すように言われたんすけど、やっぱ刃物なんでNGっすって伝えたら思いっきりブスーってされちゃったっす。
そんな顔されても困るんすよね。俺っちも仕事なんすから。
それで何か代わりを用意しようということになって、急遽作り上げたのが発砲スチロールの剣ってわけっす。
オルレアンちゃんのサイズに合わせるのに苦労したんすよ。
3Dマニピュレーターを使って精密に削り上げた一品で、俺っちにこんな才能があったなんて今の今まで知らなかったっすよ。
豊姫様は発砲スチロールの剣をうけとって、騎士と王の盟約の儀式をまねて、オルレアンちゃんの肩口に発砲スチロールの剣を押し当てていたっす。
何事も形が大事ってやつなのかもしれないっすね。
オルレアンちゃんのほうもなにやらおすまし顔で、まんざらでもないようっす。
「これは約束された勝利の剣」ノリノリな豊姫様っす「エクスカリパーです」
あ、微妙に――。
微妙になにかをはずしているような。
具体的に言えば、濁点と半濁点の違いというか。
それ物凄く大事なところじゃないっすかね。
まあいいんすけど。
どっちにしろ発砲スチロールの剣ですし。
「オルレアン モラッテ オケ?」
「もちろんよ。オルレアンちゃんちっちゃくてかわいらしいから、真っ白い剣が映えるわ。やっぱりナイトのコスプレしてるから刀とかよりも剣よね」
「イカニモ。タコニモ。ココ、キケーンイパーイ。ヒメサマモキケーン?」
「あら私も危険なの?」
思わず豊姫様は含み笑いをこぼしてたっす。
どうやらオルレアンちゃんの印象では月の都は危険がいっぱいってことになってるみたいっすね。
まあ無理もないっす。
オルレアンちゃんにとっては、今日ここに来たばかりなわけっすし。
未知のエリアってやつなんでしょうしね。
「はい。オルレアンちゃん盾装備して」
盾のほうは刃物に比べたら殺傷能力無いので返してもいいってことになったっす。
「ブヨージン。チュッチュスルヨー」
「ちゅっちゅしちゃうんだ?」
「オルレアン シナイシ。オルレアン シュクジョ デスシオスシ!」
淑女っていうか、どっちかというと小動物な系統なんすけどね。
ともあれオルレアンちゃんもちょっとはこっちの雰囲気になれてきたのか。
ツッコミに切れがでてきたような気がするっす。
会話もうまい具合に伝わってるようですしね。
で、問題はこのあとっすかねえ。
とりあえずは豊姫様のもとで暮らすとしても、人形の生き方というかメンテナンス的なことはどうやってすればいいのだろうとか、いろいろと考えることはあるような気がするっす。
さすがにカツ丼をがつがつ食わせるわけにもいかないっすからねえ。
「ちょっとそこの人」
「ん」
って俺っすか。
いきなりのことでびびったっす。
まさか豊姫様御自らお声をかけてくださるとは。
恐縮を通り越して恐怖すら覚える……。
「緊張してるのですか」
「え、いやなんでもないっす……いえなんでもありません」
「そう? まあいいわ。オルレアンちゃんのことなんだけど早くおうちに帰してあげたいの」
「ハッ!」敬礼するっす。「わたくしもそのように考えておりました」
「うん。当然よね。こんなかわいらしいお人形さんをなくしてしまったら、きっと持ち主さんも悲しんでるに違いないわ」
「そのように思うであります!」
「それでさっきオルレアンちゃんの言葉のなかに気になるのがあったんだけど」
「なんでしょうか!」
「マリサキライって言葉よ」
「ハッ。わたくしはよく意味がわかりませんでした!」
「私は心あたりがあったわ。少し前に地上の人間がここに来たことあるでしょう?」
「ハッ。あったように思うであります!」
「その中の一員が魔理沙って名前だったの」
「つまり、ここにいる人形は地上から来たというのでありますか!?」
「そうね。その可能性は高いわ」
「しかし、魔界というのは……」
「魔界というのは三千大千世界の別称、つまり異世界のことを魔界と総称するの。例えば異世界出身者からしてみれば自分の出身世界のことを異世界というのは変でしょう。だから便宜上魔界と呼ぶこともあるそうよ。言ってる意味わかる?」
「ハッ。よくわかりませんでした」
「つまりは、あらゆる世界に通じている地上なら行き来も可能かもしれない場所、それが魔界」
「地上と連絡をとれば、人形の持ち主が判明する可能性があるということでしょうか?」
「そのとおり。今から地上と連絡をとります。場合によっては空間を繋げるのであなたの上司にはそのように伝えておきなさい」
「ハッ。かしこまりました」
豊姫様が下郎の分際な俺っちに声をかけてくださったのは、穢れ満載の地上とつなげるから警備の者に連絡するためってことなんすかね。
いやそれだけではないような気がするっす。
そもそもそれならなんで扉のところにいる俺っちの同僚に声をかけないのかってのが謎になるっす。
そいつのほうが扉に近いということは警備主任とも早く連絡がとれるわけで、そんなことは姫様ほどの知恵があればすぐにでもわかるはずっす。
ははっ。
なるほどっす。
俺っちがオルレアンちゃんのことを気にかけているって知って声をかけてくださったんですかね。
さすが俺っちの姫様っすよ。
▽
「ついてくるがいい」
牢番はゆるりと動き出した。
どうやら妖魔の姫君はなにやら政治的な用向きがあるらしい。
我輩はもとより武勇にしか興味がないが、悪漢がどこでその薄汚い手を伸ばしてくるか知れぬ。
騎士とは可憐なる乙女を守護してこその騎士だ。
我輩が魂を賭けてお仕えするのは、たったひとりであるが、今は何の因果か妖魔の姫君を守護すると誓った。
誓いはいかなるときも厳粛である。
厳粛であるがゆえに、誓いは誓いであれる。
なれば、我輩は妖魔の姫君の御身を守護せねばならぬ。
いかなる怪物とも恐れず立ち向かっていかねばならぬ。
それが騎士たる所以。
いや、あるいは騎士たる帰結。
牢番と姫君は二、三なにやら言葉を交わし、それから地下の薄暗い階段を下りていった。
魔女の巻き毛のような螺旋の階段を降り、暗き底へと向かっていく。
風が鳴った。竜の咆哮のようであった。
「どこへ向かっておる」
「地下の祭壇です」
「何をする気だ? 怪物でも召喚しようというのか」
「騎士よ。そなたの運命を明らかにするのです」
「運命を? 我輩の運命はたったひとりしかおらぬ」
「存じております」
「なに!? どういうことだ。我輩を客将にするのではなかったのか」
「そなたが望むのならば客将ではなく私の騎士として共に歩んでいきたいのです」
「なぜそこまで? 我輩とおぬしは今日会ったばかりではないか」
「おお、偉大なる騎士よ。そなたは美しい。その引き締まった体躯と黄金に輝く精神を見て、私はあなたが忠誠を誓った主のことを羨ましく思ったのです」
「ならばなぜ運命を見せようとする?」
「そなたの御手にゆだねるため。そなたが望むのならば主のもとにお返ししよう。もしも運命が見えたのならば」
「見えるとも! 我輩と姫君は鉄よりも硬い絆で結ばれているのだ」
「鉄よりも?」
「無論。鉄よりも鋼よりも硬い。この世界における最強の魔法とは信念よ」
妖魔の姫君は月の光のように柔らかく微笑み、それから無言のまま再び歩みを進めた。
やがて地の底につくと、木でできた扉があった。牢番が開けると石膏でぬりかためられた部屋がある。
天井のあたりはステンドグラスのようなものからカラフルな光が漏れ出でて、部屋の中を縦横無尽に照らしていた。
耳に入るは聖譚曲。
見ると、白き耳を持つ者たちがクリーム色をしたソファに座り、一心不乱に聖歌をうたっている。
全部で十数人はいるだろうか。
おそらくは巫女か何かの類だろう。
着ているものも見慣れないものであったが、一様に同じ服を着ている。妖魔の国の巫女装束といったところか。
であれば、ここはなにかの儀式の場ということになりそうだ。
運命を見通すにはちょうどよい。
我輩は胆に力をこめた。
「レイセンはいますか」
姫君は透き通るような声をあげる。
その声に応ずるように、ひとりの巫女が立ち上がった。
「おお麗しの姫君よ。ここにいらっしゃるとは珍しい。一体何用でございますか」
「そこもとに頼みたいことがあるのです。ここにおわす騎士は虹の姫君に仕えるお方である。ゆえに聖域への帰還を願っておるのです。そなたの力を用いて聖域との交信を試みてはくださいませんか」
「おお聖域か。懐かしい」
巫女はなめらかな白き耳をひとなでする。
どうやら、かの者は一度聖域へと至ったことがあるらしい。
妖魔でありながら聖域に侵入するとは尋常ならざることであるが、巫女であれば可能であるということなのだろうか。
無論、我輩もまた聖域を守護する騎士の身でありながら妖魔の国にいる。
そうであるなら、両者は我輩が思っているよりもずっと近しい場所にあるのやもしれぬ。
「では、早速交信を開始しましょう」
巫女は涼やかに言った。
▼
「オルレアンちゃん。ついてくるっすよ」
どこに向かってるかというと、迷子のオルレアンちゃんのために持ち主探しってやつっす。
うちの兎は同じ兎どうしならどんなに離れていても謎の波長によって交信することができるんで、近くにいる兎をつかって交信しようとしてるんっしょ。
まあ、実をいえば豊姫様の能力を使えば、一発で地上と月をつなぐこともできたりするんすけど、さすがにそれをやっちゃうと地上の穢れが月に侵入してくる可能性もあるわけで最終手段ってわけっす。
そのまえにやるべきなのは確認っすね。
オルレアンちゃんが本当に地上と縁があるのか先に確認してから、それからどうやって送迎するか、あるいは地上の持ち主さんに来てもらうかかんがえるのがいいってわけっす。
それにしても、うちの兎どもときたら一人残らず怠惰で困ったもんすよ。
おおよそ兎で勤勉なやつなんて珍しいんすけど、月では争いごともなく完全な実戦経験不足。
人間よりも輪をかけてだらけきっていて、今もどこかで暇をもてあましてるに違いないっす。
で――。
いま訓練場に兎が一匹残らずいなかったんで、どこにいるかというと、最近できたある施設にいるに決まってるっす。
その施設。さすがに他の場所の迷惑にならないのように地下に作られたんすけどね。
地下一階の十畳ぐらいのスペースに、その部屋はあるっす。
「ドコイクノー?」
オルレアンちゃんがちょっと不安そうな顔をしてるっす。
まあこんな薄暗いところにいたら不安になるのもしかたないっところっすよね。
豊姫様はオルレアンちゃんを腕に抱きながら、優しく言い聞かせてるっす。
まるで子猫を抱いてる少女状態ってやつっすかね。
「地下の施設よ」
「ナニスルノ? エッチ?」
「オルレアンちゃんの大好きなご主人様を見極めようと思ってね」
「ゴシュジンサマ。アリスダシ!」
「それはさっき聞いたわ」
「オルレアン。カリモノ ナ ハズダシ」
「できればオルレアンちゃんのちゃんとした持ち主になりたいな」
「エッチー。キョウ アッタ バカリダシ」
「あなたみたいにかわいらしくてかっこいいお人形さんなら大歓迎よ。あなたの持ち主のことが羨ましいって思ったの」
「オルレアンノ ゴシュジンサマ ヒトリデスシ」
「オルレアンちゃんには自分の意思で決めてほしいのよ。持ち主さんとオルレアンちゃんが望んでるんならちゃんと返すから安心して」
「オルレアン ガッチガチヤゾ」
「硬い絆っていいたいのかしら」
「オルレアン チョウ ガッチガチ」
豊姫様は母性マックスな微笑みを浮かべてたっす。
まあオルレアンちゃんが帰りたいというのならこっちも全力を尽くすだけっすよ。
施設に到着っす。
時間にしては一分もかかってないっす。
地下とはいってもそんなに深くはなく、せいぜい音が響かない程度でよかったっすからね。
そもそも防音も完璧なんだからどこでもよかったすが。
要はカラオケっす。
扉を開けると、そこはミラーボールのチカチカとした光が舞っていて、兎たちが楽しく流行りの歌を合唱してたっす。
あんたら仕事忘れてなにしてるんすか。
「レイセンいますか?」
豊姫様の姿に兎たちはちょっとビビり気味。
仕事してないのがバレてまずいと思ってるんすかね。
そんなシンと静まりかえった部屋で、レイセンと呼ばれた兎が立ち上がったっす。
人懐こそうな顔で、豊姫様のもとにかけよってくるレイセン。
それで開口一言。
「と、豊姫様。これは違うんです。ちょっとみんなにオケいこうって誘われて……。仕事ならちゃんとします! 何をすればいいんですか」
「レイセンに頼みたいことがあるの。あなた地上に行ったことあるでしょう。だから連絡もとりやすいんじゃないかと思って」
「地上ですか。懐かしいですね」
レイセンと呼ばれた兎は白くて長い耳をひとなで。
なにやら過去の記憶を呼び覚ましてるみたいっす。
実際、兎なら誰でもよかったとは思うんすけど、豊姫様ってなんか地上のことが好きなんすかねぇ。
そういえば地上から来た巫女さんともすぐに仲良くなってたっすけど、それとかかわりがあるとか。
月面戦争とかいってもほのぼのしただけっすから、わからないでもないっすけど。
「では早速コンタクト開始しますね」
レイセンの無邪気な声を聞くと、そういう気がしてくるっすね。
▽
「おお我が同胞よ。今日はお聞きしたいことがあるのです」
巫女は怪しげな魔術を使い、瞳の色をどんよりと曇らせていた。
それはまるで墓場にむらがる死霊どものように、生命なき暗いひずみが瞳に宿ったようである。
恐れはせぬが、おぞましくはあった。
本来であれば唾棄すべき魔術である。
しかしながら、その本意が我輩に運命を見せるためであるというのならば我輩はこの恥辱を甘んじてうけなければならぬ。
「そこもとにいる巫女よ。同時通訳するのです。聖域にいる同胞の会話をそのまま口に出しなさい」
姫君の命により、座っていた巫女のひとりがつつしみのない鳥のように一息に立ち上がる。
そしてわずかな時間が空き、すぐにかの者も瞳をにごらせた。
「おお、妖魔の国の同胞ではないか。どうしたのだ?」
「我が国は類まれなる騎士様を囲っているのです。騎士の名はオルレアン。ご存知か」
「聞いたことがない。そもそも我々はそなたたちとは袂を分かった身。このように会話をするのも政治的にまずい」
「問題ありません。我が姫君が容認なさっています」
「こちらに問題があるというのだ。汝らがこちらに攻め寄せてこないとも限らないではないか」
「我が姫君は争いを好みませぬ」
「その言葉が信用できるとは思えぬが」
「いまは我々の確執など問題ではないのです。騎士様を聖域へと帰還させるのが我が姫の意志」
「地を炎で焼き尽くす魔性の兵器ではないのか」
「姫殿下がもしも地上を滅ぼすことをお決めになれば、わざわざ会話をする必要などない。都にいながらにして、愛らしくそして小さなボタンひとつですべてを滅ぼすことがおできになる」
「脅迫するというのか」
「そのつもりはありません。私達は騎士様の運命が見えるのか知りたいだけです」
「オルレアンなど知らぬ」
「では虹の姫君は?」
「なに? 虹の姫君!」
「ご存知なのですね」
「かの者は魔の森に身をやつし、身分卑しい者と変わらぬ生活を送っていると聞く。幾人かの騎士を従えてな。私が知っていることはそれだけだ」
「十分です。ありがとうございました」
「よい。私もまだそなたたちのことを恐れているのだ。妖魔の妖しき術を。生命なき白き世界を」
「生命とは穢れ。生命とは罪。互いに相容れぬのなら恐れる必要もないでしょう」
「まことに。これからもそうであって欲しいものだ」
会話は途切れた。
妖魔の姫君はまつげを伏せ、我輩を熱く見つめていた。
「どうやらそなたの運命の人が見つかったようですね。こんなにも早く見つかるとは……」
「鉄よりも硬い絆があるといっただろう」
「答えは変わらぬのですか。ここから去ってしまうというのですね?」
「無論。だがここを去るまでは汝の客将である。その責はまっとうしよう」
「そなたに口づけをしてもよろしいですか」
「かまわぬ」
熱い抱擁とともに、姫君の唇が我輩に押し当てられた。
妖魔らしい蛮族じみた行為であったが、その想いは我ら聖域を守護する者と変わらぬ。
仏頂面で真正面を見つめ、我輩はこれからのことを考える。
一刻も早く我が姫君のもとへ駆けつけなければ。
我輩は窓辺へ立ちそのまま我輩に想いを寄せているらしい姫君のほうへと振り向いた。
「いつごろ帰れそうなのだ」
「いますぐにでも」
「それはまことか」
「まことです。騎士よ」
「すまぬ。感謝している」
「騎士よ。そなたの想いに重なることができるのなら、それは私の喜びでもあるのです」
「汝はまことに我が剣で護るに足る者よ」
▼
「あーテステス。そっちにいる鈴仙さん。聞こえてたら返事ください」
レイセンって名前の兎、どうやら二匹いるみたいっすね。
さながらこっちの兎はレイセンニ号ってところっすか。
兎たちの通信は摩訶不思議というかなんというか。
光よりも速いスピードでつながるところが妙な感じっす。
おそらくは縮退とかなんとかいう概念を用いた概念通信なんでしょうけど、下郎な俺っちには想像の外ってやつっすよ。
あ、それから豊姫様がすぐにレイセンとは違う一匹を指名してたっす。
どうやら同時通訳させるつもりみたいっすね。
「ん。月の兎? いきなりどうしたの?」
「実はこっちでお人形さんを囲ってるんです。オルレアンっていう名前みたいなんですけどご存知ないですか」
「知らないわね。ていうか、こっちは一応追われる身なんだし、そんなに簡単に連絡されると困るんだけど」
「あ、大丈夫です。こちらの姫様が許可なさってますので」
「そっちがよくてもこっちがよくないのよ。あんたらがこっちに攻めてこないとも限らないでしょ」
「豊姫様は優しいもん。私のことなでなでしてくれるし」
「信用できないって言ってんの」
「姫様はお人形さんを持ち主さんのところに返したいだけですって」
「あやしいわね。だいたいその人形って爆弾か何かじゃないでしょうね」
「むかー。だいたい姫様が地上を滅ぼすんだったら、そっちにいちいち連絡する必要ないじゃないですか。ボタンひとつで綺麗さっぱりなんですし」
「ほらそうやって脅迫してる」
「そんなつもりはありませんってば。お人形さんの持ち主が誰なのか知りたいだけです」
「オルレアンなんて知らないわよ」
「じゃあアリスって名前は?」
「アリス? ああ……そういうこと」
「ご存知なのですか?」
「魔法の森に住んでる魔法使いで、都会派(笑)な生活を送っているらしいわよ。なんか人形劇とかもしてるみたいだし。そいつのことなんじゃない? 知ってることはそれだけだけど」
「十分です。ありがとうございました」
「いいのよ。まあちょっとさ。月って私にとってはまだトラウマなのよね。戦争兵器とか。生命のない世界とか」
「生命は穢れですし罪ですから、月は地上には手をだしませんよ。安心してください」
「ま、それならいいんだけどね」
てな感じで会話は途切れたっす。
どうやらいろいろと確執があるようっすね。
一般ピープルであるところの俺っちには関係がないことっすけど。
それよりもどうやら持ち主が地上にいるらしいとわかって、豊姫様はすごく残念そうにしてたっす。
持ち主を見つけたいとは思っていたものの、やはり自分だけのお人形さんにしたかったんすかねぇ。
「あーあ。オルレアンちゃんの持ち主さん見つかったみたい。こんなに早く見つかるなんて」
「ガッチガチー」
「もう一度聞くけど、オルレアンちゃん私のお人形になる気ない? やっぱり帰りたい?」
「カエルヨー。ソレマデカリモノー」
「ちゅーしていい?」
「イイケド ホッペナ?」
ああ豊姫様、無防備すぎるっすよ。
オルレアンちゃんにベーゼの嵐。
なんといううらやまけしからん。
けれど対象が人形だけにただの愛くるしい少女の姿があるだけともいえるっす。
いやー眼福眼福。
これはこれで眺めるだけでも癒されるっすよ。
「イツゴロー?」
「今すぐにでも帰れるわよ」
「ホントニ?」
「本当よ。かわいらしいお人形さん」
「カンシャ ダシ」
「オルレアンちゃんが幸せならそれでいいの」
「オマモリスルヨー」
▽
巫女たちがオラトリオを口ずさむ。
その声に連なるようにして、何人もの兵隊たちが足並みをそろえていた。
さながらどこかへと進軍するかのようだ。
我輩は自らの真価をずいぶんと承知しているし、場合によってはひとりで聖域へと帰還してもよい。いつかは剣を返してもらわねばなるまいが、今ひとたびは我輩にほれているらしい妖魔の姫君に預けておき、いつかの約束として残しておいてもよいかもしれぬ。
しかれども――
それはあまり好ましい妄想とはいえぬだろう。
我が姫君は寛容を絵に描いたようなお方ゆえ、我輩が姫君に賜った剣を忘れてきても、おそらく何も言うまい。
だがそうであるという確信があるがゆえに、我輩は我が剣を捨て置くわけにはいかぬ。
いかに白銀の剣が美しく、また勝利を約束するものであろうとも。
またいずれかの剣を選ばねばならぬというのなら、我輩は一時も迷わず、姫にいただいた剣を選ばねばならぬ。
銘もなく、無名の剣。
だが我輩の魂と信念のこもった一振りである。
いわば我が半身。
捨てることなどできはせぬ。
黄金に輝く門と銀の城壁を越えて、我輩は妖魔の姫君とともに城の外へといたる。
そこはいくつもの細長い尖塔が連なって森のようになっていた。
やがて姫君が扇のようなものを、ツイと振るった。
すると、まさに何もない虚無の空間が秘密の花園のように優しく開かれて、我輩の眼前へと出現した。
虚無の歪みは漆黒に彩られ、中は雷光のごとき光が闇の中に燦然と輝き切り裂いている。さながら嵐のように険しい道のりを思わせた。
「ここをくぐるのか」
「はい。騎士よ」
「危険はないのか」
「そなたにとって、危険などあろうはずもございません」
そのひそやかな笑いは、我輩の勇気を試しているようでもあり、我輩の力を見定めたいという気持ちなのやもしれぬ。
乙女とは騎士の力量を測りたいものなのだ。
「よかろう」我輩は声を張り上げる。「たとえ嵐の中を疾駆する狂気であろうとも、騎士には使命のために為すべき時がある」
我輩は身を低くして黒き門をくぐった。
▼
豊姫様が素粒子分解の素敵な扇子を振るうと、そこには巨大な穴がぱっくりと開けたっす。
見てみると得体の知れない黒い色で覆われていて底が知れないっす、
時折電流みたいなバチバチっとした光が穴の中で爆ぜていたりするんすが大丈夫なんすかね。
おそらくは亜空穴。
空間の序列というかそういうものを圧縮することで跳躍するための装置なんでしょうけど、高等すぎて意味不明っす。
「ココ クグルノ?」
オルレアンちゃんめっちゃ不安顔。
でもそんな顔もぷりちー。
「うんそうよ。お人形さん」
「キケーン」
「大丈夫よ。お人形さんに危険はないようにしているわ」
ああ、豊姫様。
その母性マックスな笑みは反則。
「イイヨー」オルレアンちゃんは声をあげた。「オルレアン クジケナイ オニンギョウサン ダシ」
オルレアンちゃんはまったく躊躇せずに穴をくぐったっす。
豊姫様も軽くジャンプして穴の中に入ってしまい、俺っちも護衛として慌てて後を追ったっす。
まあ豊姫様は武闘派ではないとはいえ、時間を停めた膜というかステイシス・シールドで周りを覆ってるんで、そこらの妖怪には傷ひとつつけらないんすけどね。
▽
恐れるなオルレアンよ。
身を切るような雷光の空間である。
周りは悲鳴とも耳鳴りともつかぬ稲妻の轟音がとどろいていたが、我輩は目を凝らし前だけを見つめた。
ただ前へと進み続けた。
突然、景色が変わった。
もわりとした空気に我輩は身を硬くする。
身をつつむは不快の空気。
しかし精神は天頂のように高揚している。
まぎれもない。
我輩が元いた場所。
魔性の森である。あたりには穢れた妖魔どもの気配に満ち、鳥やら虫やら植物やらも我輩たちに敵意を持っているかのようだ。
なぜと思う向きもあるかもしれぬ。
だが、我が姫君こそはこの世の穢れを一心に引き受け浄化する存在だった。
したがって、姫君のおわす聖域こそは最も穢れた場所でなければならぬ。
泥沼に咲く蓮の花のように、我姫がおわす聖域と魔性の森は咫尺の間。ムササビがひと飛びするほどの距離しかない。
「ついたようですね」
「しかし汝らがついてくる必要はなかったのでは?」
「騎士よ。あなたの意志を見届けさせていただくためにともに歩む必要があったのです」
「妖魔といえど姫君であれば、他国の騎士に想いを寄せるべきではない」
「想いは誰にも止められません。姫であっても人であれば誰かに懸想することもございます。それがたまたま勇壮の者であることも、他国の姫君にすでに忠誠をささげている騎士であることもまたありえる話なのです」
「我輩を騎士として認めてくれたのは、我が姫君とそなただけだ。その恩義は忘れはせぬ。だが――」
「それ以上はご寛恕ください。騎士よ。自らの想いに縛られる愚かな姫君と心の中で笑い、どうか言葉にすることだけは」
我輩は沈黙せざるをえなかった。
どのような魔法であろうと無効化してしまう伝説の盾も、乙女の涙の前には無力。
我輩はどのような困難な状況であろうとも必ず打ち勝つことを旨とする。
ゆえになんとか言葉をつむごうとしたのであるが、しかしその瞬間はついぞ訪れなかった。
怪物の登場である。
騎士である我輩にとってはおあつらえ向きな試練である。
そいつは巨大な植物であった。
いくつもの白い触手が木立の間から伸び、本体はどこにあるか検討もつかぬ。
我輩は妖魔の姫君を下がらせ、白銀の剣エクスカリバーを抜き放った。
▼
「ついたようね」
「オルレアン ヒトリデ デキルモン」
「んー。でもオルレアンちゃんが私のお人形さんになってくれる可能性もまだ残されてるわけだしね」
「ヒトサマ ノ オニンギョウサン ダシ」
「オルレアンちゃんが好きって気持ちは変わらないわ。たまたま人様の持ち物だったってだけでしょう」
「セッソウ ネーナ」
「ごめんねオルレアンちゃん。わたし悪い女だったわ。でもしょうがないじゃない。オルレアンちゃんかわいすぎるんだもの。しくしく」
あー、なんてあからさまな嘘泣き。
でもかわいいから許されるっす。
そっからは怒涛の展開だったっすよ。
いきなり妙なキノコが俺っち達を襲ってきたっす。襲ってきたというかもしかして単なる防衛本能なのかもしれないっすが。
サイズは大きめの傘くらいっすかね。
人間から見ても十分巨大なサイズっすが、オルレアンちゃんにとってはとんでもなく馬鹿でかいサイズに見えたかもしれないっす。
そのキノコから放射状に数メートルに渡って触手のようなものが伸びてるっす。このキノコが今の十倍のサイズだったら薄い本が厚くなるのかもしれないっすが、さすがにちょっとでかい傘程度のサイズじゃあ、俺っち達にはなにもできないっす。まあ仮に十倍サイズでもステイシスシールドで完全防御、分子破壊銃で瞬殺っすけどね。
予想外だったのはひとつだけ。
一番に反応してたのは、一応の戦闘訓練を受けてる俺っちではなく、愛玩用人形のオルレアンちゃんだったってことっす。
正直ちょっとへこんだっすよ。
▽
怪物は際限なく膨らんでいき、もはや我輩はその全貌を二つの目で捉えることすらできぬ。
我輩は触手の一本の上を駆け、やつの本体を断ち切らんとする。
触手をいくら切っても意味はあるまいと判断してのことだ。中途、幾本かの触手が我輩の狙いに気づいたのか、その凶悪で汚らわしい肉の塊をさしむけてきた。我輩は剣の腹の部分でそれらを受け流し、返す刀で袈裟懸けに切る。
浅い。
足場が不安定なせいか腰が入っていなかった。
今は優先順位の低い事柄であると判断して、すぐに前を向いた。
ようやくこの鈍感な怪物も身の危険に気づいたのか、地面代わりに走っていた触手がぶよぶよと震えて我輩を振り落とそうとする。
しかし無駄なこと。
我輩は水切りの要領で触手との接地面積を減らし、軽く触れるように跳躍しているのだ。
疾風迅雷。
我輩は自らの膂力が作り出したスピードを加減することができず、そのまま本体を切りつけることを選ぶ。
なるほど奴の本体は巨大なドーム状のぶよぶよとした塊であり、腐った蛙のようなおぞましい臭いを周囲に撒き散らしつつ、我輩が来るのをあらんかぎりの触手で迎え撃とうとしている。
無論、すべての触手を避けるのは愚か。
すべての触手を切り落とすのも難しい。
となれば――
我が神速をもって、怪物の懐に飛びこみ一撃のもとに打ち倒すしかあるまい。
幸いにして怪物にはたいした知恵がない。
降りかかるイカの足のような触手も闇雲に我輩を狙うだけで戦略というものが感じられぬ。
我輩は雄々しく叫び、我こそはここにありと主張する。愚かなる触手どもは我輩へと鎌首をもたげ、一斉にとびかかった。
それこそが罠よ。
我輩は瞬時に跳躍し、ドーム状の本体に向かって剣をつきたて――
折れた。
馬鹿な。
あの白銀の剣がこうもやすやすと折れるとは。
剣を過信した結果か。あるいは――我輩の。
思考している暇などありはしない。
その一瞬の硬直は戦闘にあってはまぎれもなく死を呼ぶ時間である。
次の瞬間、思考が停止していた我輩は横腹を触手に打ちのめされ、空高く放り出される。
自分の身体が空中に踊っている間にも、いくつもの触手が次の攻撃に備え、既に準備を終えている。
我輩は荒々しく空中を泳ぎ、なにか手がないか探す。
牢番程度の実力ではこの怪物には適うまい。せめて妖魔の姫君をお守りせねばならぬ。
差し向けられた恩情に答えるために。
なにより我輩が騎士であるがゆえに。
「騎士よ。剣を!」
彼方から妖魔の姫君の声が聞こえた。
突風に煽られたときのようにぐるぐると周る視界の中。
我輩はついに失われし愛剣のまばゆき光を見つける。
おおそれこそは我が姫君に与えられし名も無き剣よ。
我輩は苦もなく空中で剣を受け取ると、そのまま落下の勢いを利用して今度こそ怪物の本体へと剣をつきたてた。
怪物は最後のあがきとばかりに、緑色をした液体を撒き散らしている。
我輩は剣をひねり、さらに深く押し入れる。
まさしく狂乱と痴態の様相である。騎士である本分も忘れ、我輩は一心に剣を突き刺し、再び突き刺し、再び突き刺し、怪物の醜い表層はどこまでも広がる地平のようであり、本体であるのは確信しているとはいえ、我輩の剣ではいったいいつまでこうしておればよいのかわからぬほどだ。
そしてついに怪物の動きが弱々しいものになり、我輩は剣を引き抜く。
緑色をしたおぞましいぬめりに我輩の剣は輝きを失っていたが、荒々しい狂気とほてった身体にあってはその程度のことは小さきことであった。
なにより姫君の顔が近くにあり、我輩は騎士としての本分をまっとうできたという満足感があった。
「あのような怪物をおひとりで倒してしまわれるとは」
「我輩のことを恐れたかな。妖魔の姫君よ」
「いいえ。まさかそのようなことがあるはずもございません」
「だが汝には悪いことをした」
「剣のことですか?」
「うむ。我輩が妙な具合に力を入れてしまったのだろう」
「私は前に述べたはずです。剣は剣としての本分を果たしてこそだと。あの怪物を牽制するために白銀に輝くあの剣は役に立ったのです。それでかの剣の使命は果たされたのだと思います」
「汝がそういうのであればもはや謝罪はすまい」
▼
いやー。オルレアンちゃんわりと強いっすね。
あの化け物キノコ相手に一歩も引かずに、しかも弾幕とか使うこともなく近接攻撃でしとめるなんて半端ないっす。
パねぇっす。
さすがに発砲スチロールのエクスカリパーが折れちゃったのはしょうがないっすけどね。
豊姫様も驚いていて、なんだか自分のことのように嬉しくなって舞い上がってたっすよ。
身の丈の数十倍もある化け物をかわいらしいお人形さんが打ち倒すってだけでも快挙なのに、その動機が『オマモリー』することにあるんだから、嬉しくなって当然っすよね。
ああそうそう。
あのあとっすけど、豊姫様がオルレアンちゃん抱きかかえながら、こっそりまだ息があるっぽい化けキノコをお御足でグリグリしてたような気がするっすけど、気にしないことにするっす。
グボァァァとか、なんか嫌な音を立ててるけど気にしないことにするっすよ……。
▽
とうとう我が聖域へとたどり着いた。
「騎士よ……。お待ちしておりました」
おお、光り輝く宮殿の前には騎士である我輩を待つ姫君の姿がある。
その金糸のような黄金の髪も今はよもぎのように乱れ、アクアマリンの瞳には朝露のような涙のあとがあった。
待っていてくれたのだ。
我輩は肺のあたりがいっぱいになり、今すぐにでも駆け出したくなる。
しかし、我輩の足を止めるものはすぐそばにあった。
妖魔の姫君の存在である。
かの者は夜に怯える幼き者のように、我輩が去ることに怯えている。
か弱き乙女を護るのが騎士の役目であるのならば、その使命を全うせずに我が姫君のもとへ帰るのが騎士としての本分に適うのか。
我輩は忠義と恩情とに挟まれ身動きが取れず、大理石で作られた彫像のように固まるしかなかった。
「騎士よ。帰るべき時が来たのですね」
妖魔の姫君は涙を浮かべ、しかしそれを頬に流すことは断固として拒否していた。
その行為の気高さは言葉で形容できるものではない。
我輩は言葉少なに、
「すまぬ」
と言った。
「よいのです。騎士よ。定められた運命に従い、剣が鞘に納まるように元に戻るだけ。しかしそなたの髪の毛一本ほどにでも私のことを覚えていてくだされば」
「忘れまい。我輩の魂にそなたの名前を刻みこもう。名を教えてもらっても?」
「騎士よ。そなたが望むのならば」
我輩は月の姫君の名を受け取り、後ろを振り向かずに駆ける。
さらば月の姫君よ。
さらば。
▼
三分間ってところっすかね。
月の都と空間を繋げれば、まあどこだろうとピクニック気分でこれるわけっす。
まあ政治的な理由でおいそれと行けないことにはなってるんすけどね。
そんなわけで、オルレアンちゃんの実家に到着。
家の前ではうちの姫様と負けず劣らずの超美少女がマジ泣きしながら待ってったす。
あれがアリスさんっすかねえ。
まああの様子だとオルレアンちゃんはまちがいなく愛され人形だったみたいっすし、このまま返すというのが一番丸く収まる方法っす。
本当に残念っすけど、それがオルレアンちゃんのためですしね。
半ばあきらめモードな姫様と俺っちだったんすけど、ちょっと予想外だったのはオルレアンちゃんが途中で立ち止まっておろおろしてたことっす。
あー、これって。
こっちのこともちょっとは気にかけてくれてるってことっすかね。
なんだか抱きしめたくなってくる愛らしさじゃないっすか。
豊姫様もついつい涙腺にきちゃったのか。マジ泣き寸前ですし、いつものトロっとした表情はどこにいったんすか。
「オルレアンちゃん。ついに帰るときがきたのよ」
「ゴメンネ?」
「いいのよ。オルレアンちゃんは持ち主のもとに戻るだけだからね。でもちょっとでもオルレアンちゃんが私のことを覚えててくれるとうれしいな」
「ナマエ キイテネーシ」
「豊姫よ」
オルレアンちゃんはスッと豊姫様のほっぺのあたりに飛んでいって、なんとまあかるーく触れるようなキスをしたっす。
激しく羨ましいっす。この場合どっちが羨ましいかは難しい問題っすが。
「トヨヒメ。バイバイ」
とまあ、そんなわけで究極ラブリー人形オルレアンちゃんは元の持ち主さんのところに帰っていったっす。
豊姫様が時々発作のようにオルレアンちゃんに会いたくなって、すさまじい勢いで亜空穴に飛びこんでいくのはまた別のお話。
お土産はカツ丼。
あんたマジパネエっす。マジリスペクトっす。
門番がいいキャラしててよかったです
ところどころ出てくる「デスシオスシ」にやられたw
オマモリーの破壊力はねぇ
またこんなお話が読んでみたいです! お嬢様
最高でしたっす!門番さんいい味でてたっす! ムシキング! 超門番
面白かったです
オルレアンがかっこかわいくてもう。もう。
作者様は天才ですか?
デスシオスシのオルレアン。
いやぁ、なんだこれ。