遠くのほうでヒヨドリがピィピィ鳴く声がする。
僕以外は誰もいない静かな店の中で独り、僕はその右手に持った物を口にひょいとくわえた。
そのまま大きく息を吸い込んで肺の中を満たし、くわえた物を口から外してゆっくりと息を吐き出す。
すると僕の口から、目で見える程はっきりとした白色の煙がゆらりと飛び出て空気中を漂った。
頭の中に何ともいえない快感が走り抜け、僕はそれに浸りながら満足気にふわふわ浮かぶ煙を見やった。
今現在、世間でいうところの煙管という奴を楽しんでいる。
僕はタバコを嗜む種類の男だ。
最初にそれを口にしたのは確か、霧雨の親父さんの所で修行をしていた頃だったと記憶している。まだ魔理沙は生まれていなかった。
親父さんに勧められて初めて吸ったあの時は、煙がむせるわ目に染みるわでこんなものは二度と御免だと思ったものだ。
その旨を親父さんに伝えるも、そりゃお前の吸い方が下手くそなだけだ、と一笑に付された。
それがなんだか悔しくて、我慢してあれこれと吸い方を研究している間にすっかりと虜になってしまったのだ。
おかげで今では人並みにタバコを嗜好品として楽しむ事が出来るようになっている。
魔理沙が生まれてからは魔理沙の前では絶対に吸うなとキツく釘を刺されているので現在もそれに従っているが。
タバコというのは人間の体には結構な毒なようで、ガンなどの重大な病を誘発するという。
親父さんも魔理沙が生まれてからは禁煙しているそうだ。そんな毒に娘を晒したくないというのは親として当然の心理だろう。
そして人間と妖怪のハーフである僕はというと、僕はタバコの持つ毒に強かったりする。
元々僕は人間と妖怪両方の病にかかりにくい。人間が吸うタバコ程度の毒などは僕の体にあまり影響を及ぼさないのだ。
というよりも、妖怪に人間用のタバコは弱すぎて楽しめないという所か。
風の噂で妖怪御用達の強い品種もあるというのを聞いた。少し興味はあるが、僕は手を出す事はしない。
半分妖怪の血が入った僕ではあるが、半分人間の血が入っている僕でもあるので、人間用で充分なのだ。
タバコを楽しみつつ、タバコの毒を心配する必要もない。こういうとき、僕は半妖である自分の身上をちょっぴり幸せに思ったりする。
幸福な気分に身を置きつつも僕は刻んだタバコの葉が入った煙管をくわえて煙を吸引する。
僕がタバコを吸うのは決まって独りの時だけだ。
魔理沙だけでなく、霊夢やその他の人々をわざわざタバコの毒に晒す危険を犯すこともあるまい。
吸い込んだ煙を吐き出す。この地面から数センチ足が浮いたような感覚。まさに至福だ。
煙管を手にしたままぼんやりとしていると、突然耳元に声が響いた。
「あらあら、だめじゃない。こんなワルいものを吸ってちゃ」
僕は瞬間にビクリと肩をふるわせた。体を半分捻って後ろを振り返る。だが、そこには誰もいなかった。
体を正面に戻し、ふと僕はあることに気づいた。いつのまにか、さっきまで手にしていた煙管がこつ然と姿を消している。
さっき僕の耳に届いたあの声。無くなった煙管。そして、なんとなく漂うこの不吉な感覚。僕は良く知っていた。
僕は目の前の虚空に向かって言葉を発した。
「…紫、店に入る時は玄関から通ってくれと何度も言ったはずだが」
「そうだったかしらね」
僕の眼前の空間が音もなく切り開かれ、声の主が上半身だけ姿を現した。
八雲紫、幻想郷を管理する大妖怪である。彼女は自らが開いたスキマに寄りかかるようにして半身を乗り出していた。
手には先ほどまで僕が吸っていた煙管を持っている。やはりというかなんというか、犯人はコイツだったか。
それにしても、いったい突然なんの用だろう。
「なにか用かい」
「妖怪だけに?」
「ええい、うるさい」
「うふふ」
いきなり言葉をいなされた。どうにも彼女を相手にする時は調子が狂う。
苦々しい表情の僕とは対照的に紫は目を細めて微笑んでいた。何を考えているのだろう。
僕はズレた歯車を戻すように慎重に注意を払いながら再び口を開いた。
「それを返してくれるかな」
「何の事かしら?」
「その手に持った僕の煙管だよ。まだ吸いかけなんだ、返してくれ」
「あら、イヤよ。そんなことしたくないわ」
なんだって?
僕は片眉を上げてやや強く紫を見つめ返した。紫はゆらりと煙管を持った手を動かして続ける。
「こういうのは健康に悪いのよ。貴方も良く知っているでしょう?」
「知ってるとも。それがどうした」
「だから、ダメなのよ。これは没収させてもらうわ。じゃあね」
「な、おい、ちょっと……!」
予想外の言葉に焦り、慌てて腰を浮かせて手を伸ばしたがもはや手遅れ。
紫とともに僕の煙管はスキマの中に吸い込まれ、さっとスキマは閉じた。
手を伸ばした間抜けな状態で固まった僕だけが取り残され、店の中には再び静寂が舞い降りる。
僕は憮然とした表情でストンと椅子に腰を戻した。まったくなんだというんだ。
僕はその日一日、なんだか落ち着かない心持ちで過ごした。
明くる日僕が無縁塚に行くと、ちょうど良かったというべきか、古びたパイプを発見した。
少し見劣りはするが、昨日紫に奪われてしまった煙管の代用になるだろう。
僕はそれを拾い上げて丁寧に懐にしまうと足早に家路を急いだ。
家に帰り着き、早速刻んだタバコの葉をそれに入れて火をつける。
あの恍惚とした感覚が蘇って来た。僕はしばらくの間それに酔いしれる。
そのあとお茶を一服しようと思い、パイプを机の上に置いて席を立ち、台所の方へ向かった。
薬缶に水を入れ、火にかけて湯を湧かす。沸騰するまでの間もう一回吸おうと思い、店へ戻って机の上のパイプに手を伸ばした。
しかし、手は届かなかった。ぎょっとして目を向けると、なんと空中から手が生えて僕の差し出した腕を掴んで留めていた!
僕が驚きに目を見開いていると、僕の手首辺りを掴んでいたその手はパッと僕から手を離し、指を一本立てて細かく左右に振った。
それから件のパイプをひったくるように掴んでそのまま空中へと姿を消していってしまったのである。
僕はしばらく何も言葉を発する事が出来ず、火にかけた薬缶の悲鳴で我に帰った。
また、彼女の仕業だ。そうとしか思えなかった。
それからは似たような事が度々続いた。
僕はタバコを吸いたいから、どうにかして煙管やらパイプやらを調達して来る。
そしてそれを使ってタバコを吸うのだが、それも結局は紫に取られてしまうのだ。
ある時は姿を見せて何事か言い、ある時は何も言わずに意味深に微笑んで姿を消す。
彼女の行動の真意がどうしても掴めず、僕は思い悩んだ。彼女の目的は一体なんなのだろうか。
対する僕も、こうなるとなんだか意地でも紫にタバコを取られずゆっくりと吸いたいという気になってくる。
なんというか、人間の心理という物はえてしてそういうものだと思う。僕は半妖だけど。
そんな具合で、今日も僕はタバコを吸う為に色々と手段を模索して外を出歩いていた。
そしてふらりと立ち寄った人里で、僕はこれはというものを発見したのである。
これだ。これならば心置きなくタバコを楽しめる。僕はすぐさま購入し、足取りも軽く帰宅の途についた。
「懲りないのね、貴方も」
果たして僕が家に着いた数刻後、紫はやって来た。例のごとくスキマを通って上半身だけ。
だが僕は今回はいきなりタバコを取られるような事はなかった。
否、それはもはや出来ないと言った方が正しいだろうか。僕は口をもぐもぐさせながら紫に応じた。
「君も大概だけどね」
僕は口の中の物をじっくりと噛み締めながら味わっていた。独特の香りが鼻に抜けてゆく。
僕が人里で見つけたもの。それは噛みタバコであった。
元来、歴史上で一番古いタイプタバコはこの噛みタバコなのだそうだ。これなら紫に取られる心配もない。
何しろタバコは僕の口の中に入ってしまっているのだから。
「私の親切心が貴方に分からないのが悲しいわ」
「ふぅむ、あまり君が親切だったようには感じなかったがね」
「タバコは健康に悪いって何度言ったら分かるのかしら。せっかくやめさせようとしてるのに」
「大きなお世話という奴だよ。それに僕には人間のタバコの毒なんて効かないんだ」
僕は勝ち誇ったように言い放った。
紫はそんな様子の僕に呆れたのか、顔に手を当ててやれやれと言った調子でため息を吐き出した。
「わざわざ慣れない種類のを使ってまで、どうしてもタバコを吸いたいのね。貴方って人は」
「そうだよ。タバコが吸いたいからわざわざこんなことをしている。最終手段という奴さ」
そこで一拍区切ってから僕は続ける。
「それに、君がそこまで僕の健康面に執着するのかが僕には理解出来ないね」
紫は何も言わなかった。ただ僕を見つめているだけだ。彼女が何も言って来ないので、僕はタバコを噛む事に専念する事にした。
人里に噛みタバコがあるなんて思わなかったが、無事入手出来たのは大きな収穫だった。
今回ばかりは紫も諦めてそのまま帰ってくれるだろう。そして紫にタバコを取られるのもこれっきりというわけだ。
これで心置きなくタバコが楽しめるというもの。僕は心の中に広がる喜びをタバコと一緒に噛み締めていた。
と、黙っていた紫がゆっくりと口を開いた。
「…仕方ないわね」
「帰ってくれるのかな?」
「まさか、よ。そんなわけないじゃないの」
じゃあなんだ、と僕が言おうとする前に紫が動いた。
するりとスキマから抜け出し、すとんと店内に舞い降りた紫はそのまま僕の方へ歩み寄って来た。
不審に思った僕が腰を浮かせかけた一瞬、紫がいきなり僕の首に両手を回してきて僕はドキリと心臓を跳ねさせた。
「貴方がそこまでするのなら、私だって最終手段……使っちゃうわ」
互いの吐息がかかる程、異常なまでに近付いた紫の顔が艶美に微笑む。
僕はあまりの事に体を強張らせ、ただ紫の瞳を見つめていた。ともすれば吸い込まれそうな瞳。綺麗だ。
僕の思考は状況についてゆけず、明後日の方へ飛んでガラにもない事を考えていた。
「困るのよ、早死にされると」
紫はそれだけ言って、僕を引き寄せるようにして僕の唇に口付けた。柔らかい。僕はなんとも阿呆な事を考える。
刹那に紫の舌が僕の口内に侵入して来て、僕の口の中にあった噛みタバコを絡み取っていった。
僕はその間、目を見開いて硬直している事しか出来なかった。
正確な時間にするとほんの一瞬だったのだろうが、僕にはその一瞬が何分にも何十分にも感じられた。
やがて紫は僕から唇を離し、そのまま二歩程後ずさってちょこんとスカートの裾をつまんでお辞儀をした。
僕は惚けたほうに自分の唇に手をやり、目の前の少女の顔をぼんやりと見つめた。
「いくらあなたが半妖でも、タバコの毒は確実に蓄積されていくわ。あまり調子に乗ってると今にホントに死んじゃうわよ?」
紫はそう言っていつものように優雅に微笑むと、スキマを開いてその中に吸い込まれていった。
開いた時と同様にスキマが音もなく閉じ、店の中にはまたしても僕だけがぽつんと取り残された。
持っていかれた噛みタバコの味の代わりに、口の中に甘酸っぱいような感じが残って僕は長い事唇を触っていた。
そしてかなり後になってから、そうか、とだけ呟いた。
なにがそうかなのか。呟いた僕でさえも分からなかった。
それきり、僕はタバコを吸わなくなった。
嫌いになったわけではない。タバコを吸おうと思ってそれを手にする事もある。
ただ、いざ吸おうとするとなぜだかあの短くて長かった一瞬のことを思い出してしまう。
そして妙に気恥ずかしくなって、結局吸わないでやめてしまうのだ。
ただ、あの時口にしていた噛みタバコ。今もだいぶ数が残っているコイツだけは、どうしたことか無性に口にしたくなる時がある。
単にタバコの味わいを求めているのか、それとももっと別の何かが欲しいのか。
未だに、僕は答えを見つけ出せないでいる。
僕以外は誰もいない静かな店の中で独り、僕はその右手に持った物を口にひょいとくわえた。
そのまま大きく息を吸い込んで肺の中を満たし、くわえた物を口から外してゆっくりと息を吐き出す。
すると僕の口から、目で見える程はっきりとした白色の煙がゆらりと飛び出て空気中を漂った。
頭の中に何ともいえない快感が走り抜け、僕はそれに浸りながら満足気にふわふわ浮かぶ煙を見やった。
今現在、世間でいうところの煙管という奴を楽しんでいる。
僕はタバコを嗜む種類の男だ。
最初にそれを口にしたのは確か、霧雨の親父さんの所で修行をしていた頃だったと記憶している。まだ魔理沙は生まれていなかった。
親父さんに勧められて初めて吸ったあの時は、煙がむせるわ目に染みるわでこんなものは二度と御免だと思ったものだ。
その旨を親父さんに伝えるも、そりゃお前の吸い方が下手くそなだけだ、と一笑に付された。
それがなんだか悔しくて、我慢してあれこれと吸い方を研究している間にすっかりと虜になってしまったのだ。
おかげで今では人並みにタバコを嗜好品として楽しむ事が出来るようになっている。
魔理沙が生まれてからは魔理沙の前では絶対に吸うなとキツく釘を刺されているので現在もそれに従っているが。
タバコというのは人間の体には結構な毒なようで、ガンなどの重大な病を誘発するという。
親父さんも魔理沙が生まれてからは禁煙しているそうだ。そんな毒に娘を晒したくないというのは親として当然の心理だろう。
そして人間と妖怪のハーフである僕はというと、僕はタバコの持つ毒に強かったりする。
元々僕は人間と妖怪両方の病にかかりにくい。人間が吸うタバコ程度の毒などは僕の体にあまり影響を及ぼさないのだ。
というよりも、妖怪に人間用のタバコは弱すぎて楽しめないという所か。
風の噂で妖怪御用達の強い品種もあるというのを聞いた。少し興味はあるが、僕は手を出す事はしない。
半分妖怪の血が入った僕ではあるが、半分人間の血が入っている僕でもあるので、人間用で充分なのだ。
タバコを楽しみつつ、タバコの毒を心配する必要もない。こういうとき、僕は半妖である自分の身上をちょっぴり幸せに思ったりする。
幸福な気分に身を置きつつも僕は刻んだタバコの葉が入った煙管をくわえて煙を吸引する。
僕がタバコを吸うのは決まって独りの時だけだ。
魔理沙だけでなく、霊夢やその他の人々をわざわざタバコの毒に晒す危険を犯すこともあるまい。
吸い込んだ煙を吐き出す。この地面から数センチ足が浮いたような感覚。まさに至福だ。
煙管を手にしたままぼんやりとしていると、突然耳元に声が響いた。
「あらあら、だめじゃない。こんなワルいものを吸ってちゃ」
僕は瞬間にビクリと肩をふるわせた。体を半分捻って後ろを振り返る。だが、そこには誰もいなかった。
体を正面に戻し、ふと僕はあることに気づいた。いつのまにか、さっきまで手にしていた煙管がこつ然と姿を消している。
さっき僕の耳に届いたあの声。無くなった煙管。そして、なんとなく漂うこの不吉な感覚。僕は良く知っていた。
僕は目の前の虚空に向かって言葉を発した。
「…紫、店に入る時は玄関から通ってくれと何度も言ったはずだが」
「そうだったかしらね」
僕の眼前の空間が音もなく切り開かれ、声の主が上半身だけ姿を現した。
八雲紫、幻想郷を管理する大妖怪である。彼女は自らが開いたスキマに寄りかかるようにして半身を乗り出していた。
手には先ほどまで僕が吸っていた煙管を持っている。やはりというかなんというか、犯人はコイツだったか。
それにしても、いったい突然なんの用だろう。
「なにか用かい」
「妖怪だけに?」
「ええい、うるさい」
「うふふ」
いきなり言葉をいなされた。どうにも彼女を相手にする時は調子が狂う。
苦々しい表情の僕とは対照的に紫は目を細めて微笑んでいた。何を考えているのだろう。
僕はズレた歯車を戻すように慎重に注意を払いながら再び口を開いた。
「それを返してくれるかな」
「何の事かしら?」
「その手に持った僕の煙管だよ。まだ吸いかけなんだ、返してくれ」
「あら、イヤよ。そんなことしたくないわ」
なんだって?
僕は片眉を上げてやや強く紫を見つめ返した。紫はゆらりと煙管を持った手を動かして続ける。
「こういうのは健康に悪いのよ。貴方も良く知っているでしょう?」
「知ってるとも。それがどうした」
「だから、ダメなのよ。これは没収させてもらうわ。じゃあね」
「な、おい、ちょっと……!」
予想外の言葉に焦り、慌てて腰を浮かせて手を伸ばしたがもはや手遅れ。
紫とともに僕の煙管はスキマの中に吸い込まれ、さっとスキマは閉じた。
手を伸ばした間抜けな状態で固まった僕だけが取り残され、店の中には再び静寂が舞い降りる。
僕は憮然とした表情でストンと椅子に腰を戻した。まったくなんだというんだ。
僕はその日一日、なんだか落ち着かない心持ちで過ごした。
明くる日僕が無縁塚に行くと、ちょうど良かったというべきか、古びたパイプを発見した。
少し見劣りはするが、昨日紫に奪われてしまった煙管の代用になるだろう。
僕はそれを拾い上げて丁寧に懐にしまうと足早に家路を急いだ。
家に帰り着き、早速刻んだタバコの葉をそれに入れて火をつける。
あの恍惚とした感覚が蘇って来た。僕はしばらくの間それに酔いしれる。
そのあとお茶を一服しようと思い、パイプを机の上に置いて席を立ち、台所の方へ向かった。
薬缶に水を入れ、火にかけて湯を湧かす。沸騰するまでの間もう一回吸おうと思い、店へ戻って机の上のパイプに手を伸ばした。
しかし、手は届かなかった。ぎょっとして目を向けると、なんと空中から手が生えて僕の差し出した腕を掴んで留めていた!
僕が驚きに目を見開いていると、僕の手首辺りを掴んでいたその手はパッと僕から手を離し、指を一本立てて細かく左右に振った。
それから件のパイプをひったくるように掴んでそのまま空中へと姿を消していってしまったのである。
僕はしばらく何も言葉を発する事が出来ず、火にかけた薬缶の悲鳴で我に帰った。
また、彼女の仕業だ。そうとしか思えなかった。
それからは似たような事が度々続いた。
僕はタバコを吸いたいから、どうにかして煙管やらパイプやらを調達して来る。
そしてそれを使ってタバコを吸うのだが、それも結局は紫に取られてしまうのだ。
ある時は姿を見せて何事か言い、ある時は何も言わずに意味深に微笑んで姿を消す。
彼女の行動の真意がどうしても掴めず、僕は思い悩んだ。彼女の目的は一体なんなのだろうか。
対する僕も、こうなるとなんだか意地でも紫にタバコを取られずゆっくりと吸いたいという気になってくる。
なんというか、人間の心理という物はえてしてそういうものだと思う。僕は半妖だけど。
そんな具合で、今日も僕はタバコを吸う為に色々と手段を模索して外を出歩いていた。
そしてふらりと立ち寄った人里で、僕はこれはというものを発見したのである。
これだ。これならば心置きなくタバコを楽しめる。僕はすぐさま購入し、足取りも軽く帰宅の途についた。
「懲りないのね、貴方も」
果たして僕が家に着いた数刻後、紫はやって来た。例のごとくスキマを通って上半身だけ。
だが僕は今回はいきなりタバコを取られるような事はなかった。
否、それはもはや出来ないと言った方が正しいだろうか。僕は口をもぐもぐさせながら紫に応じた。
「君も大概だけどね」
僕は口の中の物をじっくりと噛み締めながら味わっていた。独特の香りが鼻に抜けてゆく。
僕が人里で見つけたもの。それは噛みタバコであった。
元来、歴史上で一番古いタイプタバコはこの噛みタバコなのだそうだ。これなら紫に取られる心配もない。
何しろタバコは僕の口の中に入ってしまっているのだから。
「私の親切心が貴方に分からないのが悲しいわ」
「ふぅむ、あまり君が親切だったようには感じなかったがね」
「タバコは健康に悪いって何度言ったら分かるのかしら。せっかくやめさせようとしてるのに」
「大きなお世話という奴だよ。それに僕には人間のタバコの毒なんて効かないんだ」
僕は勝ち誇ったように言い放った。
紫はそんな様子の僕に呆れたのか、顔に手を当ててやれやれと言った調子でため息を吐き出した。
「わざわざ慣れない種類のを使ってまで、どうしてもタバコを吸いたいのね。貴方って人は」
「そうだよ。タバコが吸いたいからわざわざこんなことをしている。最終手段という奴さ」
そこで一拍区切ってから僕は続ける。
「それに、君がそこまで僕の健康面に執着するのかが僕には理解出来ないね」
紫は何も言わなかった。ただ僕を見つめているだけだ。彼女が何も言って来ないので、僕はタバコを噛む事に専念する事にした。
人里に噛みタバコがあるなんて思わなかったが、無事入手出来たのは大きな収穫だった。
今回ばかりは紫も諦めてそのまま帰ってくれるだろう。そして紫にタバコを取られるのもこれっきりというわけだ。
これで心置きなくタバコが楽しめるというもの。僕は心の中に広がる喜びをタバコと一緒に噛み締めていた。
と、黙っていた紫がゆっくりと口を開いた。
「…仕方ないわね」
「帰ってくれるのかな?」
「まさか、よ。そんなわけないじゃないの」
じゃあなんだ、と僕が言おうとする前に紫が動いた。
するりとスキマから抜け出し、すとんと店内に舞い降りた紫はそのまま僕の方へ歩み寄って来た。
不審に思った僕が腰を浮かせかけた一瞬、紫がいきなり僕の首に両手を回してきて僕はドキリと心臓を跳ねさせた。
「貴方がそこまでするのなら、私だって最終手段……使っちゃうわ」
互いの吐息がかかる程、異常なまでに近付いた紫の顔が艶美に微笑む。
僕はあまりの事に体を強張らせ、ただ紫の瞳を見つめていた。ともすれば吸い込まれそうな瞳。綺麗だ。
僕の思考は状況についてゆけず、明後日の方へ飛んでガラにもない事を考えていた。
「困るのよ、早死にされると」
紫はそれだけ言って、僕を引き寄せるようにして僕の唇に口付けた。柔らかい。僕はなんとも阿呆な事を考える。
刹那に紫の舌が僕の口内に侵入して来て、僕の口の中にあった噛みタバコを絡み取っていった。
僕はその間、目を見開いて硬直している事しか出来なかった。
正確な時間にするとほんの一瞬だったのだろうが、僕にはその一瞬が何分にも何十分にも感じられた。
やがて紫は僕から唇を離し、そのまま二歩程後ずさってちょこんとスカートの裾をつまんでお辞儀をした。
僕は惚けたほうに自分の唇に手をやり、目の前の少女の顔をぼんやりと見つめた。
「いくらあなたが半妖でも、タバコの毒は確実に蓄積されていくわ。あまり調子に乗ってると今にホントに死んじゃうわよ?」
紫はそう言っていつものように優雅に微笑むと、スキマを開いてその中に吸い込まれていった。
開いた時と同様にスキマが音もなく閉じ、店の中にはまたしても僕だけがぽつんと取り残された。
持っていかれた噛みタバコの味の代わりに、口の中に甘酸っぱいような感じが残って僕は長い事唇を触っていた。
そしてかなり後になってから、そうか、とだけ呟いた。
なにがそうかなのか。呟いた僕でさえも分からなかった。
それきり、僕はタバコを吸わなくなった。
嫌いになったわけではない。タバコを吸おうと思ってそれを手にする事もある。
ただ、いざ吸おうとするとなぜだかあの短くて長かった一瞬のことを思い出してしまう。
そして妙に気恥ずかしくなって、結局吸わないでやめてしまうのだ。
ただ、あの時口にしていた噛みタバコ。今もだいぶ数が残っているコイツだけは、どうしたことか無性に口にしたくなる時がある。
単にタバコの味わいを求めているのか、それとももっと別の何かが欲しいのか。
未だに、僕は答えを見つけ出せないでいる。
紫のこの行動は共感できないかな。心配してるってのは分かりますけど。
人前で吸わないというマナーを守ってるんだからさぁ……。
恋する少女であるが故の小さな我侭と言われればそれまでですが。
それでもしっかり東方香霖堂。いい雰囲気のお話でした。
しかし、紫さま……さすがにそいつはビッグなお世話だぜ……霖之助は水煙草も没収されたのだろうか。
あまーい
彼岸花の毒とかが効かないような霖之助さんなら煙草くらいは何ちゃないんじゃないかと思ったり……
だが待ってほしい、香霖堂版ゆかりんはちみっこくて愛らしいようj……少女
つまり子供じみた我がままさで(ry
霖之助さんはマナーを守るいい喫煙者ですなぁ
霊夢や魔理沙に悪影響を与えないようにとか可愛い!!
ああ、そういや狐やむじなは煙草が苦手なんだっけか
彼岸花の毒の影響を受けない霖之助だし。
でも紫様がアダルトな感じだから別にいいか
多分紫は家に帰った後顔真っ赤にして転げ回ってたりするんでしょうねw
甘ぇ…
あぁ煙草って時点であらかた読めていたのにそれでも面白いのが悔しいですw
別にやましい意味で言ったわけじゃないからね?
煙管って煙が管を通るあいだに毒素が管につくから、煙草とかよりも安全なんですよね。
まあだからと言って喫煙しないことに越したことはないんですが。
大人な恋愛って感じがするぜぇ……!