爽やかと言うには少し肌寒い空気の中、いつもの見回りを終えた私は自分の主人へと報告へ向かった。
なんだかんだいって私は、ご主人に報告するこの時間が好きだ。
理由は……その、なんだ。彼女が忙しくて、なかなか二人で話す機会がないからなんだけど。
寺に戻るとご主人の姿が一番最初に飛び込んできた。
今日も何が楽しいのか分からないけれどにこにこと嬉しそうな顔をしている。
「ご主……」
「星、ちょっといいですか?」
「あ、はい、なんでしょう?」
声をかけようとしたら、反対側からやってきた聖の声に遮られてしまった。
ご主人は、ごめんなさい、ちょっと待ってて下さいね、と私に言い残し、聖のところに駆け足で寄っていく。
その様子はまるで忠犬が呼ばれて自分の主人のところに行くように見えた。
何やら聖がご主人に頼みごとをしているようで、私は暫く様子を見ていたがそのまま聖に連れられてどこかへ行ってしまった。
報告しようにもする相手がいなくてはここにいても仕方ない。他にやることもないので見回りに行くことにした。
聖が封印から解放されてからずっとこんな感じだ。
誰が悪いというわけでもないが、……なんだか、おもしろくない。胸中で思わずぼやいてしまう。
(ご主人の馬鹿……)
☆ ☆ ☆
軽く近くの見回りをしてすぐ戻るつもりが、川のほとりで「私はこのままでもいいのだろうか……」
なんてたそがれているうちに、気付けば日が沈みかけていた。
(もうこんな時間か……)
最近こういうことが多い。
ふぅ、と思わずため息が出る。
私も、頭では分かっているのだ。
危険な輩はいれど、命まで取ろうなどという風潮でもないこの時代に、本当は見回りなんて不要なのだ。
だから余計に手持ちぶさたになる。
それに引き換え、ご主人は色々と忙しそうだ。
実際、聖が戻ってきてから明らかに彼女の仕事は増えている。
そんな忙しい聖に、私の、本当は必要ない見回りのことをいちいち報告するのは、私のわがままだ。
見回りを止めてもいいのですよ、と言われないのをいいことに私はずっと続けていたが、
正直、自分が負担になっているであろうということは気づいていた。
今日、何度目か分からないため息をつく。
(暇だとろくなことを考えないな……)
何も言っていないので皆に心配をかけてしまうから、いつまでも戻らない訳にもいかない。
私は地面に張り付いたように重たく感じる腰を無理やり上げて、寺に戻ることにした。
寺はいつものように私を優しく迎えてくれた。
声をかけてくる村紗たちに軽く挨拶を返しながら、目的の場所へ向かう。
賑やかな喧騒、生活音が聞こえるから、それだけでとても温かく感じる。
この寺も、本当に変わったなと思う。もちろん、いい意味で、だ。
でも、私はまだ慣れられないでいた。
私はずっとご主人とここに二人でいたから、帰ってくるたびに違和感を感じてしまう。
こんなにも温かく迎えてくれる人たちがいるのに、素直に喜べない自分の性格が嫌になる。
そんなことを考えているうちに、目的の場所についた。
少し離れた場所にあるご主人の部屋だ。ここだと、寺の喧騒もどこか遠くに聞こえる。
ここに来ると、私はいつも祭りの騒ぎを遠くから聞いている時のような気分になる。
頭を振って憂鬱な気持ちを切り替える。
無駄に心配をかける訳にはいかない。
☆ ☆ ☆
後ろめたさがあったため、そっと扉を開けて中の様子を伺う。
ご主人はいつものように瞑想をしていた。
声がかけづらい雰囲気だったので部屋の中に入り、気づいて貰えるのを待つことにする。
ご主人が目を閉じていると柔らかい雰囲気が薄れる分、
中性的な部分が強調されるので思わずドキッとしてしまう。
その顔をじっと見つめていると何だか物悲しいような、切ないような気分になってくる。
やがてご主人はゆっくりと目を開けると
「お帰りなさい、ナズーリン」
と言った。
私は居心地の悪さを感じながら、勝手に居なくなったことについて謝る。
「あ……その、なんだ、すまない……」
「ごめんなさいね、ナズーリン。待ってて下さいと言ったのに、そのまま聖と一緒に出かけてしまって」
先に謝られてしまった。
にっこりと微笑むご主人。
笑顔が眩しい。
所在なげにそわそわしていると、何を勘違いしたのか、
「ナズーリン? ……大丈夫ですか?」
と聞いてきた。
別に何でもない、という意味合いのことをもごもごと口の中で答える。
ご主人は心底安心した顔で、
「ああ、良かった。風邪でも引いたのかと心配しました。ナズーリン、見回りもいいですけど……ちゃんと身体、大事にしてくださいね?
ナズーリンはわたしの大切な部下なんですからね」
と言った。
その顔が、あまりにも無邪気に見えて、私は思わず
「部下として……だけなのかい?」
と聞いてしまった。
口に出した後、あ……しまった…と思ったが、もう手遅れだった。
ご主人は少し驚いたような顔をした後、にんまりと笑いながら、
「不満そうですね。なんて言えば良かったのでしょう?」
と言ってきた。
いつもと同じような笑顔に見えるが、目つきが完全に楽しんでいる。
「その、なんだ。今のはちょっと間違えただけなんだ。忘れてくれ」
ご主人の顔を直視できなくなり、顔をそらしながらそう言う。
言い訳にしても苦しいのは自分でも分かっている。
「……ふふ、困ってますね。そんなナズーリンも素敵ですよ」
恥ずかしさのあまり、思わず抗議する。
「神様の代行が人を笑うとかなってない、」
言葉の途中で胸元にぐい、と抱き寄せられた。突然のことに固まってしまう。
そのまま口を耳元に寄せて、
「ふふ……大好きですよ、ナズーリン」
と言われ、私はもうどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
弱々しく抗議の言葉を発するだけで精一杯だ。
「ご主人は、ずるい……」
「ふふ、ずるくてごめんなさい。ナズーリンはわたしと違って子供みたいに素直でかわいいですよ」
言葉が紡がれるたびに吐息がかかる。言葉の甘さと吐息の甘さに私は溺れそうになる。
身をよじって逃れようとするが、すっかり力が抜けてしまい押しのけることもできない。
「私の方が年上なんだぞ……」
小声で抗議する。説得力がないのは承知の上だ。
「ええ、知ってます」
また笑顔。
くぅぅ……絶対わかってやってる……!
「ナズーリンはわたしのこと、好き……ですか?」
耳元でまた囁かれる。私はもういろんな感情がごちゃ混ぜになってしまい、涙目になっていた。
「わかってる、くせに……、ご主人、は、いじわるだ……」
黙ってしまったら何か負けてしまう気がして、何とか言葉をひねり出そうとするが、
頭はもう既に沸騰していて意味のあることを言える状態じゃなかった。
そんな私の態度を見てご主人はますます嬉しそうな顔になった。
「ごめんなさいね、ナズーリンがあまりにもかわいいから、ついいじめたくなっちゃうんです」
「~~!!」
もう限界だった。
私にもご主人に言いたいことくらいいくらでもある。
私よりご主人の方がずっとずっと可愛いし綺麗だし優しいし格好いいし人気者だし慕われてるし頼りにされてるし性格もいいし、
それに私の方がご主人のことずっとずっと大好きだってこととか。
「早く教えて下さい。ナズーリンはわたしのこと好きですか?
わたしはもちろんナズーリンのこと、大好きですよ。大大大好きくらい好きです。そうですね……もう、食べたいちゃいくらいに」
そう言いながら、どうなんです? と繰り返してくるご主人にいい加減頭に来た私は、強引に彼女の腕の中から抜け出すと、
唇を彼女の口元へ……、
触れたかどうか分からないほどかすかな温もりを感じた後、素早く離れる。
一方的に攻められていることへのせめてもの逆襲のつもりだった。
自分で見ることはできないが、私の顔はもうきっと熟れきった林檎よりも赤いだろう。
わたしがこんなにも恥ずかしいのだから、ご主人はきっともう赤すぎて何なのか分からないくらい真っ赤にちがいない。
顔を見るのはとても恥ずかしかったが、そのことを確認するためにちらりと横目でご主人を見る。
だが、ご主人はきょとんとしたあと、
「あらあら……ごちそうさまでした」
と言った。
そういう彼女の顔は、今まで私が見たこともないほど幸せそうに見えた。
(ご主人は、……やっぱりずるい)
そんな嬉しそうな顔をされたら、もう何も言えないじゃないか。
でも私のことで嬉しそうな顔をしてくれることに対して嬉しく感じてしまうのだから、私も大概馬鹿だと思う。
いつの間にか心の中のもやもやが晴れていることに気づく。
もしかして私のこと気遣ってこんなことを……?
朗らかに笑いながら私の方を見ているご主人の顔からは、何を考えているか全く読み取れなかった。でも多分そうなのだろう。
「ご主人、その、なんだ……ありがとう」
小声でぼそぼそと聞こえないように礼を言う。
「なんです? ナズーリン」
「いや、何でもないよ」
聞こえなかったようで聞き返されたが、もう一度言うのは照れくさかったのでごまかす。
「そうですか? じゃあ、もう今日は遅いから戻って寝た方がいいですよ」
不思議そうな顔をされたが、特に追及はされなかった。
確かにもう夜も遅い。挨拶をして部屋を出ることにした。
「ありがとう、そうするよ。おやすみ、ご主人」
「ええ、おやすみなさい、ナズーリン。いつも御苦労さま」
部屋から出ると、寺はすっかり静かになっていた。
自室に戻りながら考える。
私は自分の居場所がないと思っていたが、居場所がなければ作ればいいんだ。
明日からはもう少し彼女たちに積極的に関わっていくことにしよう。
きっとこの状況にもすぐ慣れられるだろう。
それに、そう、何より私にはご主人がいるじゃないか。
それだけで私は満足だ。
END
ナズ星はナズーリンがいつも主導権を握ってるイメージが自分の中ではありますが、この二人のような関係もこれはこれでいいですね。