「太子様! 私は布都の部下をやめます! あいつに使われるのには、もう耐えられません!」
居間でのんきにお茶をすすっていた太子様に、私はびしっと指さし宣言する。
いきり立つ私を前に神子様は、一口お茶を飲むと落ち着いた口調で言う。
「人を指さすのは行儀悪いですよ、屠自古」
「あ、すいません」
「それで、どうして部下をやめると?」
「そう、それです!」
太子様の前なのに、思わず机をたたいてしまうくらいに、私は布都に対して苛立っていた。日頃の不平不満やらを思い切りまくし立てる。
「あいつはですね、一人だと朝も起きれないんですよ! だから私を目覚まし代わりにして毎朝起こしてくれだのなんだの言って! しかも、未だに一人だと髪を結えないし梳くのも下手くそだしそれも全部に私にやらせるんですよ! いつまで貴族の気分なんですかって話ですよ! それに、破滅的にお人好しでよく青娥さんに騙されて、揚げ句に私に泣きついてくるんです! 可愛いです! 青娥さんはへらへら笑うだけでまともに取り合う気がないしこっちのことも考えて欲しいんです!」
「それはそれは」
一気にしゃべって息を切らす私に、太子様はお茶を差し出してくれた。
ぬるいそれを一息で飲み干し、勢いよく机に置く。
話を聞き終えた太子様は穏やかな笑みを浮かべて、一言。
「それは大変ですね」
と、まったく大変だと思っていない調子で言う。
「……太子様。本当にそう思っていますか」
「もちろんですよ。屠自古は苦労していますね」
そんなにこにこして言われてもまったく信じられないのですが。
「けれど、屠自古がそう思うなら布都に直接言えばいいのではないですか?」
疑いの視線をあっさりと受け流し、太子様は誂うように言う。
どこか青娥さんに似た、意地悪な笑顔だった。
「……止めないんですか?」
和を貴しとする太子様ならば、『原因を解決して仲良くしなさい』と言うと思ったのだが。
予想外の返答に戸惑う私に、太子様は意地悪な笑顔浮かべたまま続ける。
「おや、私にはあなた達の関係を縛る権利などないのですが? それとも止めて欲しかったですか?」
「そ、そんなことはありません! 今すぐに離婚届……じゃなくて離縁状、でもなくて……! そう三行半を叩きつけてやります!」
「……あーそうですか。がんばってくださいね」
力強くそう宣言すると、太子様は生暖かい言葉を掛けてくれた。
なんだかいつもより疲れている気がするが、何かあったのだろうか、と考えて思い当たることがあった。
この間、『青娥さんと芳香さんがめんどくさい』とか言っていた。目の前でいちゃつかれるのが苦痛なんだとか。
確かに人目を気にせずにべたべたされるのはつらそうだ。青娥さんは言って治るようなタイプでもないし。
「太子様も大変かもしれませんが頑張ってください。私がいます」
同情は好かないかも知れないが、それでも言わずにはいられなかった。
太子様には健やかな生を送って欲しいのだ。
「いや、屠自古が……」
「では、布都のところに行ってきます。失礼します」
頭を下げ、私は居間を後にする。
背中越しに何か言われたような気がしたが、気のせいだったかも知れない。
「はぁ……」
騒ぐだけ騒いで消えてしまった屠自古を見送った神子は、重い溜息を吐く。
「これで何度目でしょうか」
そして、苦笑と呆れと、倦怠感を混ぜた言葉を呟く。
「どうして私の周りには面倒な人が多いんでしょう……」
庭先でじゃれあう青娥と芳香を眺めながら、もう一度溜息を付いた。
◇
「布都! いるか!」
返事を待たずに私は彼女の部屋の戸を開け放つ。
先手必勝。一言『部下を辞める』というだけでいいのだ。もしかしたらショックのあまり泣き出すかも知れない。
しかし、そんなものはどうだっていい。言った瞬間から彼女とは他人になるのだから。
「おお屠自古。ちょうど今呼びに行こうと思っていたのだ」
布都は突然の来訪者に驚いたようだったが、すぐに能天気な笑顔を見せる。
……笑顔は可愛いんだ。無駄に自信に満ち溢れている所を除けば。だけど、今私が絶交を突きつければきっと彼女は泣くだろう。それは、私になんだか良くないものを残す。うん、それに一方的すぎる。ここは気を見計らってから切りだそう。
「屠自古? どうかしたのか?」
「別に、なんでもない」
急に黙った私を不思議そうに見つめる布都に、適当に返す。
「私に何か用があったの? また髪を梳いてくれって?」
「いや、違う。山の上の神からすいーつをもらったので一緒にどうかと思ってな」
そう言って指さしたテーブルには、茶碗蒸しのようなものと金属匙が2つ用意されていた。
「山の上の神って……あの緑の?」
「そうだ。人里で布教活動中に『皆さんでどうぞ』と渡されたのだ。なんとも殊勝な心がけではないか」
自分の手柄というわけでもないのに実に偉そうに応える布都。
それより気になるのだけど、
「太子様や青娥さんの分はどうしたのさ。一人で全部食べる気?」
「むう、心外だな。我はそこまで分別のつかない子どもではない」
「昔、人の饅頭を盗み食いしたのは何処の誰だったかな」
「ぐっ! そ、それは今関係ないであろう!」
顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに怒鳴る布都は見かけよりもさらに幼く見えた。
あ、可愛いかもっていけないいけない。私は部下を辞めるのだ。こんなところで心揺らぐわけにいかない。
「ま、まあそれはともかく。太子様には献上したの?」
咳払いをして思考と話を戻す。布都も若干頬を赤くしたまま応える。
「うむ、既に献上済みだ」
「じゃあ、なんで私にはすぐにくれなかったのさ」
言ってから、少し後悔する。これでは子どもが拗ねているみたいではないか。
そんな私に気がついているのかいないのか、布都は嬉しそうな笑顔で言う。
「別に意地悪する気があったわけではない。屠自古と一緒に食べたかったのだ」
「……ふぅん」
またこいつはなんてことを言うのか。
「……怒っているのか屠自古?」
心配そうに私の顔を覗き込もうとする布都。私は慌てて顔を背ける。
空気読め馬鹿ばーか。
「別になんでもないよ」
「いや、顔があか」
「なんでもないよ! ほら、早く食べよう!」
「……? まあ、それもそうだな。ありがたくいただくとしよう」
おかしなやつだ、という呟きを聞きつつ私は乱暴に席に着く。
ったく、すいーつに免じて食べ終わるまでは部下を続けてやる。感謝しろ。
◇
一夜明けて朝である。私は眠い目をこすりながら布都の部屋に向かっていた。
いつもならばどうしようもなく朝に弱い布都を起こすために早起きしているのだけど、今日は違う。
昨日はすいーつに誤魔化されて離縁状……じゃなくて三行半でもなくて……とにかく、決別の意思を伝えることが出来なかった。
いやだってすいーつ(笑)とか馬鹿にしてたけどすごい美味しいんだもの。甘味なんて数えられる程度しか知らない私達には天地がひっくり返ったどころではない。
舌鼓を打つのに夢中になっているうちに時間は過ぎて、目的を達成していないことに気がついたのは布団に入った時だった。
だが、今日の朝で終わりにする。扉を前に意思を固めた私はふんっと気合を入れて戸を開く。
部屋には意外な――異常といってもいい――ものが待ち受けていた。
「あ、と、屠自古。おはよう、今日も早いな」
私が起こしに来るまで絶対に眠り続ける彼女が、私より先に挨拶をしたのだ。
まだ起きたばかりというように布団に下半身を潜らせたままだったが、それでも異常といってもいい光景だった。
「いや、私はいつも通りだけど……あんたはどうしたのさ」
「なんでもない。たまたま早く目が覚めたのだ」
「そんなわけないでしょう。あんたが朝一人で起きれるわけがないじゃない」
言ってから、布都の目が赤く腫れぼったくなっていることに気がついた。ならば、察しはつく。
こ の光景は異常ではあったが、初めてというわけではない。過去にも数回あったのだが、その原因は例外なく一つだった。
「……また、嫌な夢を見たの?」
私の問に、布都は気まずそうに頬を掻き応える。
「……屠自古は勘がいいのだな。それとも眼がいいのか」
「頭がいいのよ」
「ははっ、そうだったな」
冗談にも、布都は力なく笑うだけでいつもの脳天気さは影を潜めていた。
無言で私は彼女を抱きしめてやる。
そのまま時計の秒針が2回ほど回った時、ぽつりと布都は言葉を吐き出した。
「……封印から覚めたとき、周りには誰もいなかった。太子様も屠自古も青娥殿も。寂しくて悲しくて叫んでも誰も応えてくれなくて、それが余計に悲しかった。そういう夢をみたのだ」
布都はすがりつくように私の服をぎゅっと掴む。
尸解仙として復活するための眠りにつくことを太子様に伝えた次の朝、彼女は泣いて目を覚ました。
もし、尸解仙として復活することが出来なかったら。太子様や屠自古と別れることになったら。私はどうしたらいい?
涙と不安を吐き出す彼女を、私は黙ったまま抱きしめてやった。それくらいしか出来なかったのだ。
失敗する可能性は低い。しかし、零じゃない。『絶対にうまくいく』なんて無責任なことは言えなかった。
だけど、今は違う。私はここにいて、何処にも行く気はない。
「夢でよかったでしょ。私はちゃんとここにいる。太子様だっている」
さっきまで別れようと考えていた者が言うことではない?
違う。私が決別しようとしていたのは無邪気で脳天気で自信過剰なくせに泣き虫で――素敵な笑顔で笑う物部布都だ。
こんな苦しそうに捨てられた子犬のようにすがりつく奴ではない。
だから、私は何処にも行かない。私が決別するのは『物部布都』でなければ意味が無い。
「……そうだな。そうだった」
そう言ってやっと布都は笑顔を見せる。ぎこちなさは残っていたが、いつもの素敵な笑顔。
自然と私も笑っていた。やっと『物部布都』に戻って、決別を告げることが出来るからだろう。うん、そうに違いない。
「すまなかったな屠自古。余計な心配を掛けた」
「そうね、たまには私を労ってもいいくらいだと思うけど」
「ふむ。では、後で人里に出かけよう。うまい甘味屋を見つけたのだ」
「一人で食べようと思っていたんじゃないの?」
「違う、屠自古と出かけようと思って目星をつけていたのだ」
……ああ、そうかい。
「屠自古? 顔が赤いぞ?」
だから空気読めって言ってるだろこの馬鹿布都。
「なんでもないってば! ほら、朝ごはん作るの手伝いなさい!」
熱くなった頬を隠して、私は布都の手を取る。
半ば引きずられながらも、彼女がしっかりと握り返してくれた。
「って、屠自古! そんなに引っ張らなくて歩けるぞ!」
「いいからほらはやく!」
「何を怒っているのだ!?」
「怒ってない!」
仕方ない。明日までは部下を続けてやる。感謝しろ。
無性に緩む頬のまま、私たちは騒々しく台所に向かったのだった。
だがそれがいい!
神子様マジ苦労人
せっかくの能力をのろけ話を聞くためばかりに使ってそうな神子ちゃんがんばれ!
やっぱ布都は無邪気なのがいいよね
誰かこの気苦労の多い神子様を救ってあげて……
さあ、さっさと『部下を辞める』と言う作業に戻るんだ!
こうですか、わかりません><
ふとじこいいよいいよ!!
頑張って神子さま。
ツンデレすぎますww
そして神子様……頑張ってくだせえ
これからも末長く、部下をやめようとして下さいね!