Coolier - 新生・東方創想話

森の赤 ~ Post Elementaler

2011/12/12 21:06:57
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 霖雨の森の中を、パステルピンクのてるてる坊主が歩いてくる。
 灰色の雨滴にも黒々とした地面にも色褪せることなく。
 長い雨合羽。
 揃いの長靴。
 油を塗って防水加工した、大きめの肩掛け鞄。
 ぬかるみに足を取られないように、ゆっくりとしっかりと。
 憮然とした表情。眉間の間にはくっきりと縦じわが寄っている。



「むー」



 パチュリー・ノーレッジだった。


 年に数回出掛けると天変地異の類に並び称される彼女が、何を好き好んで濡れ鼠になっているのかといえば。
 この泥沼のような道の先にある、とんがり屋根の魔法店の主に本を返してもらうためであった。
 彼女は今朝よりこのかた書き物に従事していたのだが、なんとも不甲斐ないことに、どうしても思い出せない事項が浮き上がってしまった。
 時にままならぬ思惟の代わりに、いつでも届く知識として存在するのが彼女の支配する図書館である。
 ところが、調べてみればあるべき処にあるべき本がない。
 他の大抵のことにはファジイに反応するパチュリーであったが、こと読みたい時に読みたいものが手元にないというのは、耐え難い苦痛だった。
 蔵書はほぼ無尽蔵なのにもかかわらず、ごく低確率で選択すべき本とほぼ無許可で長期貸出している本とが合致してしまった――しかも外は雨。
 このように酷く不幸な日である。
 それでも、決めてしまえば一日とて我慢ならない。
 蔵書についてだけは意固地な魔女であった。


 使役している使い魔に取ってこさせる手もあったけれど、自分の願いが無理筋であるというのもまた、冷静に自覚していた。更に、あのにっくき黒白魔法使いがすんなり返してくれると考えれば、首を傾げざるをえないし。
 いったん実力行使ともなれば、自分でなければ取り返すこともままなるまい。
 空から降りれば早いのだが、魔法の森は悪意を以て人も家も覆い隠してしまう。
 よって歩く。
 水分に満ちた大気を吸い込みながら、か細く消えぬ道を辿りながら。
 パチュリーは森の奥へ、その奥へ。


 ふと、視る。
 魔女は足を止める。


 道を外れたその先の、
 両手を広げた樹々に隠されるようにして、
 円筒形のポストが一人立っている。


 パチュリーは視界を広げるべく外套のフードを取る。
 トレードマークたるふわふわの帽子はなく、縮れていない紫の髪が雨に晒される。
 呼吸を整えるように小さく息をすると、小さく白く丸まって消える。


 真っ赤なポストは木々の影に抗することもなくただそこに屹立する。
 投函口についた庇から雫を滴らせていて。
 横に据え付けられている、回収時間を記した表には、10時と14時30分の予定が丁寧な楷書で書きこまれている。。
 その刻限を守って郵便局員が回収に来ることはもう、ない。
 森の樹陰は彼を空から覆い隠して闇へと引きずり込もうと必死だ。
 手紙を葉書を投函されることもなく虚ろに口を開けたまま。
 赤錆が浮いてあちらこちらと古めかしい、そのポスト。


 ――ただ、それは、ただ赤くて。


 ――まるでこの世界にただ一つの赤だと示すように、赤くて。


 灰色の森に孤立する紫髪の少女は、なんだか。
 立ち去りがたい――


 ――――――――。



「……こんな日に珍客とはな。雨でも振りそうだ」
「もう嫌というほど降っているのだけれど」
「しかし本の回収業までやっているとは思わなかった。料金次第では今後も長期契約してやってもいいんだが」
「レンタルもその代金も無期限延滞するような顧客と契約する業者は居ないわ」
「違いない」
「さっさと出しなさい。さっさと帰ってさっさと読むのだから」
「待ってくれよ。さすがにそのずぶ濡れでつれなく追い返すのは忍びないし、丁度お茶の時間にしようと思っていたところだ。大人しく返却にも応じる。タオルを出すからそこに座っているといい」
「邪険な扱いね。取り立て屋の全てを悪にするのは良くないわ」
「権利の対等は難しいな、いろいろと」


「ひとつ聞きたいのだけど」
「なんだ?」
「戸口の前にある郵便受けはどうしたの?」
「ん? ……ああ、あれか。前に香霖のところで目にしたんだ。聞いたら手紙を受けるものだって聞いたんだが、残念ながら今のところ幻想郷にそういう公共サァビスはないからな。面白い慣習だとは思うし、オブジェとしても良い感じだったので買ってきたんだ」
「ツケでかしら」
「ツケだぜ。お前、今日は冴えてるな」
「………………」
「まあその後、新聞屋が朝刊を投げ込んでいったりするようになったから、おおよそ役には立ってるな」
「そう」



 所用を果たしたパチュリーはやはり空に飛び立つこともなく。
 来た道を戻っていく。
 ぬかるんだ道に残っている筈の、往路の自分の足跡が、暗さと水で判別できない。
 別角度から見た森の内側は、容易には同じ場所だと思えない。
 それでも魔女は迷うことなくペースを変えずに、てくてく、てくてく。


 やがて、再び森の赤に出会う。
 時間が進み森は更に薄暗くなっていたけれど、ポストの赤はいまだ鮮烈だった。
 足を止めたパチュリーは眺めている。
 被ったままのフードから雨滴が一定のリズムで落ちていく。
 周囲の沢に広がる波紋が、予め決められたパターンを繰り返しているかのようだ。
 定められた永遠のように。本のページを捲るかのように。
 読み手のパチュリーは凝ったかのように微動だにせず。
 ただ眺めている。


 どれほどそうしてしただろうか。
 ふと彼女は思い立って、道を別方向に選んだ。
 遠回りになるのを承知で、雨の不快感を全身で受け止めながら。
 長い時間を掛けて森外れの道具屋へ赴き、郵便受けを購入した。ツケで。


 そして――


       ☆


 風邪を引き、数日間寝込んだ。
 筋肉痛のおまけつきで。


       ☆


 その日、長雨は止んだばかりだった。
 空は青空には程遠く、大陸のような雲が世界を旅していく。
 天から時折降りてくるヤコブの梯子は地上にまで届くこともなく。
 地のあちこちに残った水溜りは天を映して羨むばかり。
 救済は遥か、遠く儚い。



「あれパチュリー様、病明けなのにお出かけですか? 
「……答える義務はあるのかしら」
「先日も雨の中出ていくのを止めなかったといって怒られたんですよ」
「実力でも止められないけどね」
「だから言葉でお願いしているんですが」
「鳴らない門番や銀の猫いらずがもう少し仕事をしてくれたら、私が冷たい雨の中を外出する必要もなかったんだけれど」
「ぐうの音も出ませんね」
「それに大丈夫。ちょっと森まで散歩なだけ」
「ああそうですか……それなら、ってええ?」



 屋敷の門番が目を剥いた。
 紫髪の魔女は、いつもの帽子を目深に被り、小さな歩幅でてくてくと森に向かって歩いて行く。
 言葉通り、空に向かって飛び上がることもなく、自分の足で一歩一歩、森に向かって。
 服は平時通りだったが、靴はぬかるみを考慮してか、紫とピンクの長靴を履いている。
 門番にはそれがなんだか、幻のような光景のように思えた。


 魔法の森の中は鬱然としていて、雨が降っていても降らなくても、太陽光を地表に殆ど届かせない。
 幾人もの悪意が手を広げ合って覆い被さって、行く手を遮ろうとしている。
 こんなところに住む人間も妖怪も普通でないと、普通でないパチュリーは思う。
 そういう異形の世界の中に、例の赤は変わらず赤だった。
 孤独なポスト。
 薄明著しく狭苦しい空間なのに、ポストの周辺だけスポットライトのような光が差していて、己の錆びた躰を主張していた
 その演出は自らの意志か。
 それとも森が戯れに弄んでいるだけだろうか。
 刻々と形を変える樹々によって、やがて闇に飲み込まれてしまうだろうに、
 その赤色はとても鮮烈だ。
 雨の日のあの光景と同じように。
 価値を減じることなく。


 パチュリーはポストの横に立つ。
 そっと触れる。
 冷め切った鋳鉄の感触。
 錆で浮いたペンキを撫でるとぱらりと剥げて落ちた、指についた。
 いずれこのまま色を失う筈の、人間の道具。
 かつて人々の言葉と気持ちを飲み込んでは吐き出してきた、
 遠距離を繋ぐ魔法の道でもあった、
 そのポスト。


 パチュリーは寄り添う。
 何故これは、ここに現出したのだろう。
 古びて使われなくなって捨てられたのか、或いは外の世界で郵便制度自体が終わってしまったのだろうか。
 いずれにしても、
 樹々に飲まれるか、瘴気を吸って妖怪になるか、
 ここで私以外の誰にも知られず錆びていくか。
 鉄屑が意味を失って消え行く定めは変わらない。


 では、何故?
 ……自分がここまで惹かれているその理由がが分からないまま、魔女はあり続ける。
 雨の日に感じたのと同様に立ち去りがたく思う。
 背を向ければ後ろ髪をひかれる。
 寝台の上で姿を思えば指の先が気になる。
 多分これから、ここに来るたびにそう思うだろう。
 そんな予感がある。
 気持ちの残滓が後を引く。
 懐かしいような、初めて感じるような心持ち。
 既視感。


 どうすればいいんだろう。
 私は、どうすれば納得するのだろう。
 逡巡。


 ――そのようにして。
 魔女は日が暮れるまでえんえんとポストを眺め続け。


       ☆


 風邪と筋肉痛をぶり返させ、おまけに持病の喘息まで発症させて、再び数日間寝込んだ。


       ☆


 魔女の一連の奇行に対する、紅魔館に於ける対策会議は以下のとおりである。



「……というわけで、なんとかしてもらいたいんだが。見知った行き倒れが毎日のように近所で繰り返されるのは、なんだか御免被りたい」
「一人でぽつんとなんて、パチェにとても似合っているじゃないの」
「それはそうですけどね。お嬢様だってパチュリー様が風邪を引くと楽しいわけではないでしょう?」
「楽しくないわけでもないのよ?」
「悪魔とその悪魔メイドは言うことが違うな」
「運命だからね」
「意匠が気に入ったとかなんでしょうかね? それとも、パチュリー様が郵便に特段の思い出があるとか」
「郵便とやらが便利そうなのは聞いて解ったけれど、ないものねだりは大人気ないと思うんだが」
「まああんたは欲しいものは実力で取ってくるものね。傍迷惑なことに」
「実力主義を他人に押し付けたつもりはないけどな」
「でも実力で排除されないと諦めないんでしょう?」
「当たり前だ」
「……確かに、買ってきた郵便受けを眼前にしたパチェが溜息をつき続けるのを観察する、なんてややこしい見世物は、一日で飽きてしまったけれど」
「私が見立てるにあれで風邪よりも厄介な病だよ。はしかみたいなアレだ」
「変わったアレだこと」
「アレの形は千差万別だからな。専門家が言うんだ、間違いはない。……話は戻るが、ここは適切な対処療法をお願いしたいところだ」
「お嬢様、悪魔の館に一人は魔女が居ないと、なんだか格好がつきませんわ」
「……まあそうね。だったらこれを機に郵便制度を整えて牛耳るのも面白いかもしれないわね。情報を制するものが幻想郷を制するのよ」
「大抵の妖怪は自分で往き来したほうが早いし、妖怪ポストオフィスなんて人間は使わないと思いますが……あと、他人様の郵便物を覗き見するのが郵便制度ではありませんよ、お嬢様。基本的には」
「吸血鬼郵便だからその辺は大丈夫よ。夜の郵便局」
「なんだか如何わしいな」
「それに、件のポストだってうちに似合いそうじゃない? 色的に。役に立たない門番の代わりに立たせておくのも悪くない」
「あら、それはなんだか名案ですわ」
「私も賛成したいところだが、人が不幸になるところを積極的に支持するわけにはいかんな」
「人じゃなくてアレも一応妖怪だけど」
「なら支持する」



       ☆


 地平線まで広がるかのような夢幻の無限の図書館の、その片隅で。
 パチュリーが今日も机に向かっている。
 便箋にさらさらと羽根ペンを滑らせている。インク壺にペン先を浸す。繰り返す。
 時折手を止め、何かを考え、うっすらと微笑みながら。
 机の隅に準備された便箋には、まだ宛名が書かれていない。


 ――――――――。


「パチュリー様、またお出かけですか。お体に障りますよ」
「大丈夫よ。ちょっと森まで、散歩だから」
「そうですか。気をつけてくださいね」
「あんたは自分の職業についてもう少し考えたほうがいいわよ」


 いつも暇そうな門番の笑顔に見送られて。
 いつぞや買ってきた郵便受けをしつらえた館の門を超えて。
 空は快晴、楕円形の雲がコッペパンのようにちぎれ飛ぶ。
 心地よい風が山から吹き降りてくる。


 魔女は歩いていく。
 紫の髪を大きくなびかせて。
 脇に抱えた魔導書に茶色の封書を挟んで。


 いつもの道を。
 森の赤への、その道を。

 
こんばんわ。

先日、自宅近くの郵便ポストが知らぬ間に撤去されていました。
日本のどこかには、郵便ポストを使ったことがない子供とかがもういるのかもしれませんね。
よくよく考えてみれば、手書きの手紙が何処にでも届くなんて幻想みたいなものだったのかもしれなかったり。
そうでもなかったり。

では、また。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
風城一希
http://teamlink.sakura.ne.jp
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コメント



0.780簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
最近全く郵便ポスト使ってないことに気が付いた…
新しい視点で読んでて面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
そういえば最近郵便ポストをあまり見なくなりました。
読了して、こういった作品が読みたかったんだなとしみじみ。
面白かったです。楽しませていただきました。
3.100名前が無い程度の能力削除
確かにポスト見ないし使わないなー
メールで十分だからかな?
6.100名前が無い程度の能力削除
いかにも幻想郷的なお話ですね。外出した後でぶっ倒れるのはパチュリー的で
魔女は何故、赤い彼に心惹かれたのか想像が広がります
12.100名前が無い程度の能力削除
雰囲気ものは大好物なんだ。
13.70名前が無い程度の能力削除
つまらなくは無いけど分かりにくい
15.100名前が正体不明である程度の能力削除
ポストもいつか、幻想になるのかな…
16.80桜田ぴよこ削除
てくてく歩く大図書館。
21.80名前が無い程度の能力削除
にしても、店主はツケを回収する気あるんだろうか