「メリー、私は今日から探偵になるわ」
週明けにメリーが蓮子の家に行くと、蓮子はいつもの服の上に格子模様のインバネスコートを着こみ、ふだんの中折れ帽の代わりに鳥打帽をかぶっていて、口にはパイプをくわえてカッコつけていた。
室内なのに。
「魔王ダンテ?」
「永井豪先生の初期の傑作ね。後の『デビルマン』につながる神と悪魔の逆転を描いた記念碑的作品だわ。ダンテのシルエットは、『凄ノ王』にも似てるしね。じゃなくて」
「天帝?」
「あれは、弾幕のほうが避けてるんじゃないかしら……でもなくって」
むう、と頬を膨らますのが風船みたいで可愛かった。指先でつんつんつついたあと、はいはい探偵ね、なんでまた、とこたえてやる。
「土曜の夜、私は自分の才能に気づいたのよ」
「コナン君見たの?」
「九州でも、同じ時間にやってたわよ。さあ、それでは事件を持ち込みなさい。なんでも解決してあげるわ」
蓮子は自信たっぷりにのたまい、そのあとぱちりとウインクして「ワトソン君」と言う。
困ってしまった。蓮子がこうなると、子どもみたいなもので、飽きるまで付き合ってあげないと治らない。
メリーは頭の中をひっかき回して、とりあえず本日起こった事件をあげていった。
「今日、岡崎教授の講義が休講だったけど、理由は?」
「苺の食べ過ぎと、助手とのレズセックスのやり過ぎね。他には?」
「キリンって何で首が長いの?」
「それは知らないけど、キリンの交尾は9割が雄同士で行われるらしいわよ。ものすごい同性愛集団ね。次」
「私は今日のお昼、学食で何を食べたでしょう」
「玉子丼にたっぷりのとうがらし、つけあわせてあったかいおそばにメンチカツのトッピング」
驚いた。
メリーはあわてて口の周りを拭い、襟元などをチェックした。食べかすとかがついていたのかと思ったが、とくにそんなことはなかった。はて、どうしてわかったんだろう。ほんとうに不思議だった。
「どうしてわかったの」
「フフフ……」
「ねえ、教えてよ。気になるわ」
「私、すごい?」
「すごい、すごい。ぴったり当たった。メンチカツまで当たるなんて」
「ああ、メンチカツは、半分ほど食べたあとで物足りなくなって追加したのよね。学食のおばちゃん笑ってたみたい」
「エスパー!?」
「ちがうわよ」
蓮子はにやりと笑って、
「この世には不思議なものなど何もないのよ。発見した情報をひとつひとつ吟味し、偏見を働かせず、最も蓋然性の高い可能性を選択していって、不可能ごとを除いていけば……最後に残るのは、しごく単純なひとつの事実のみ。
人生という無色の糸かせには、殺人という緋色の糸が分かちがたく混じりこんでいる。私たちの任務は、それを解きほぐし、分離し、端から端まで一インチも残すことなく白日のものにさらけだすことなのよ」
「いや、殺人関係ないし」
「メリィィィィィェァー! アー! アー!」
蓮子がとつぜん飛びついて、メリーを押し倒した。メリーはびっくりしてしまった。
「何よ。とうとつに」
「げぇっぷ」
「うわ、酒くせ」
酔っているようだ。
アルコールが頭に回ってスパークし、何か未知の扉を開いた結果、超人的な推理力が発揮されたのだろうか?
「うえへへへへ」
「ちょ、――もう!」
乳やら尻やらを触ってきたので、メリーは蓮子をブン投げて体から離した。
スマートさに欠ける。
「あいたたたたた」
「落ち着いてよ。何かあったの」
蓮子は神妙になった。
おかしいと思ったのだ。急に探偵なんて言い出すし、今時どこで買ったかわからない、インバネスコートなんて着てるし、今日は大学を休むし――旅行帰りに、まっすぐ私に会いに来ないし。
メリーはそう考えて、蓮子に話を促した。ぽつりぽつりと、蓮子は話しだした。
「先週、私は岡崎教授にくっついて、学会を見てきたのよ」
「知ってる」
蓮子は頭がいい。
入学して早々に、あの天才教授から優秀さを認められ、助手の助手、という立場で研究室への出入りを許された。最近では、余裕があれば教授が出向くさまざまなところに同行することもある。
蓮子によると、あの天才は蓮子を100人足してもかなわないくらいすごくて、その助手もまた50人ぶんくらいはあるらしい。優秀とはいえ、大学に入りたての蓮子が役に立つことなど、実際にはほとんどないそうだ。だからもしかすると、教授は蓮子の目の秘密に気づいていて、それが目的でそばにおいているのかもしれない。
ありそうなことだ。メリーもその意見に、半分くらいは賛成だった。しかしまた別の心配もあって――岡崎教授は学内でも著名なガチレズで、助手の北白川ちゆり(15歳)とただれた関係を築いている、生粋の性犯罪者である。合意の上とはいえ、訴えられたら条例的に負ける立場だ。あだ名は「インモラル先生」。
今のところ、助手のロリっ子以外に手を出してはいないが、聞くところによると、自分がそうだからかやはり頭がよく、そしてちょっとボーイッシュな女の子が好みだという。
蓮子に目をつけたのは、優秀な頭脳のためか、特殊能力を持つ目のためか、はたまた――もしものときのために、蓮子はスタンガンを常備していた。改造して高出力にしてあるもので、これならたぶん、あのペドレズ大百科も打ち倒せるにちがいない。
とにかく、先週中蓮子は、教授と助手さんとともに九州で行われる学会に出かけていた。そこで何かがあったらしい。
「教授は何でもやるけど、専門は比較物理学。で、今回は何年もかけて準備した、渾身の学説を披露してきたのよ」
「ふんふん」
「その名も『非統一魔法世界論』。ファンタジックな名前でしょ?」
「教えて」
これまでもときどき、蓮子から教わっていたから、その理論の基本的なところはなんとなくだがすでに飲み込んでいた。専攻がちがうとはいえ、メリーもそれなりに優秀なのだ。
けれど今日は、たぶん、いちから聞いてあげたほうが良いと思った。
蓮子の部屋の台所を使って、メリーは紅茶を淹れ、話を聞く姿勢にはいった。そうしているうちに蓮子の酔いも、いくぶんか醒めたようだった。蓮子は学説のそもそものはじまりから、あっとおどろくような仮説が導き出される結論まで、過不足なく、たとえ話もまじえて簡潔にわかりやすく説明した。
ようするに、この世界には統一原理(電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力の4つの力を統一して扱う理論)では説明できない力が存在している。緻密な考察とじゅうぶんに繰り返した実験から、教授はそう結論付けた。
ではその説明できない力とは何か。
すなわち、魔力である。
可能な限りのあらゆるデータをそろえ、仮説にたいする反論を予想し、できうるすべての準備をととのえた。その上で発表したのだ。
「大爆笑されたわ」
苦々しい顔で、蓮子はつぶやく。
まあ、予想はできたことだ。下を向いて、上目遣いで紅茶を飲みながら、メリーは質問した。
「どんな笑いだったの」
「プーックスクス、とか、うひゃひゃ、うひゃひゃ、うっひゃっひゃー、とか、うへへっ、うへっほ、うっへほー、マハリク・マハリタ・ヤンバラヤーン」
「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー、とかは?」
「それはなかった」
「ふーん」
「何よ、気がないわねえ。メリーは悔しくないの?」
「だって、そんなものだと思ってたから」
「そりゃ私だってね」
そもそものはじめから、完璧に理解してもらえて、スタンディング・オベーションで迎えられるなんて思ってなかったけどさ。
それにしてもあれはないわよ。
蓮子はそう言う。
「人前じゃ、冷静なふりしてたけどね。教授、ホテルに帰ってからは酷かったわよ。浴びるようにワインを飲んで、シャンパンを飲んで、焼酎を飲んで、ウイスキーを飲んでたわ」
「飲んでばっかりね」
「苺も食べてたわ」
「何よ。教授に同情して、それで蓮子も腹を立ててるわけ?」
「そうじゃないけどさ」
蓮子はなんだか、煮え切らない感じだ。あれじゃ、教授がかわいそう、とか、下を向いてぶつぶつ言っている。
メリーと目を合わせない。
あ、だめだ、とメリーは思った。腹が立ってきて、がまんできなくなってしまった。
「何さ」
メリーは強い声を出すと、手近にあった、黒いものをつかんで蓮子に投げつけた。蓮子はわあっ、と叫んでそれを受け止めた。いつも蓮子がかぶっている、中折れ帽だった。他にも投げられるものがないかと、メリーはあたりを探した。何冊か本が見つかった。それも投げつけた。身を縮めて、蓮子は頭をかばう。蓮子の手に当たった本が床に落ちて、硬い表紙を上にして広がった。書名をたしかめると、岡崎教授が書いた本だった。
メリーはそれを見ると、とてもうっとおしい気分になった。それで落ち着いた、というよりは何もする気がなくなって、ものを投げるのはやめて、すると蓮子にたいして怒っていた気持ちもなくなってしまって、残ったのは正体不明のさみしい気持ちだけだった。
泣きそうになってしまう。
「メリー、ごめん」
蓮子が謝る。
「先週いなかったから、私は寂しかったのに。帰ってきても教授の話ばっかりで」
「ごめん」
「最近、秘封倶楽部の活動をしてないじゃない。蓮子は優秀だから、忙しいのはわかるわ。でも私にもかまってよ」
「ごめん、そうする」
「あんまり私をほっとくと、浮気してやるんだから」
「それはダメ」
蓮子はメリーを抱き寄せて、明日からまたずっといっしょだからね、と優しく耳打ちした。
シャーロック・ホームズごっこに付き合ってあげようとしたり、おとなしく蓮子の話を聞いてやろうとしたりとがんばったんだけど、やっぱりだめで、良妻を気取るには、私は十年早いんだわ、とメリーは思った。
◆
次の朝、目を覚ますとベッドのそばの窓の外でスズメがちゅんちゅん鳴いていた。少女漫画みたいだ、とメリーは思った。
横で蓮子が寝ている。寝物語に、蓮子はまた学会の話をした。爪を立ててやろうかと考えたが、これはメリーの話だからよく聞いて、と蓮子は言う。
「教授がバカにされたから、怒ったんじゃないのよ。いえ、それも、たしかにあるけど。痛っ!
ちがうの。もっと聞いて。
私とメリーの目。私たちは特別製の目を持っている。私はこの目のことを知りたいと思って、超統一物理学を専攻したの。自分でもわけのわからない力を知るためには、あらゆる力をまとめて扱える学問を修めるのが、近道だと思ったのよ。
でも、教授の理論に触れて、必ずしもそうじゃないってわかった。私たちにはまだまだ未知の、もうひとつのエネルギーがある。それはきっと、私のものより――メリー、あなたの目の力に近いように、私には思える。
あなたはその目で境界を見ることができる。それは別の世界への入り口になっていると、あなたはそう言った。夢の中で実際にその世界へ行って、妖怪かなんかに追いかけられたこともある――ああ、話を思い出すだけで、うらやましくなってきた! ああ!
ごほん、とにかくね、メリーの目は私のなんかよりずっと、異世界を指向している。そして教授の理論は、その裏付けとなる。彼女の理論から組み立てられる結論は、もうひとつの力、魔力ね、魔力が支配的にふるまう異世界の存在を指し示しているの。
わかったよね。私が怒ったのは、教授の理論といっしょに、メリーの目もバカにされたみたいだったからよ。
その目。うすい藍色で、大きくて、ぼんやりしていて夢見がちで、でも嫉妬深くて怒りっぽい、そのお目目がね――私は大好きなのよ。
わかったら、顔を上げて。泣かなくたっていいじゃない。でも泣いてるのも好きよ。メリー」
思い出すと、顔が真っ赤になってしまった。ふだんは、気持ち悪いだの、うらやましくなんかなくなくなくないもん、ずるいわメリーだけ、あっお金ないからここおごってね、とか、金網ってカナアーミーって発音するとなんかコナミみたいに聞こえない? とかそういうことしか言わないのに、なんで時々とてつもなく恥ずかしいことを、しごく真面目に言うのか。
まあ、先週からずっと悪かった機嫌が直ったのはたしかなので、寝ているうちに朝ごはんでも作ってやろう、と思ってメリーはベッドを出た。蓮子の裸の背中に昨夜自分が立てた爪痕が生々しく残っていて、痛そうだったので、舌で舐めてあげた。ひゃあっ、と声を出して、蓮子は起きてしまった。
朝ごはんを作って、いっしょに食べた。旅行帰りだし、どうせ食べ物はないだろう、と思って昨日来る途中にメリーが買っておいたので、不自由はなかった。パンと野菜と卵と味噌汁だった。
けっきょく、昨日蓮子はほとんどの時間をひとりで飲んですごしたのだそうだ。だから味噌汁が飲みたい、とメリーに言い出して、メリーは憤怒の表情を作ったが、最終的にはわかめと長ねぎの味噌汁を手早く用意してあげた。
おわんを持ち上げ、ずずっとすする。意外とパンと合う。
食べながら、そういえば、とメリーが言った。
「そういえば、あのコートはどこで買ったの」
「ファッションセンターしまむらよ。何かね、銀髪で小さな可愛い女の子がいて、いろいろとアドバイスしてくれたわ」
「ふーん。あっ!」
思い出した。
「蓮子!」
「何よ。騒々しいわねえ」
「私のお昼ごはん」
「朝ごはん食べてるところじゃない。お昼の心配はお昼しましょうよ。おうどん食べたい」
「ちがうわよ。昨日、私が食べたお昼ごはんをぜんぶ当てたじゃない。メンチカツのトッピングまで。あれ、どういう推理なの? ほんとうに名探偵なの? 声優は高山みなみなの?」
「ああ、あれはね」
食べかけのトーストをお皿に置いて、蓮子は立ち上がり、メリーのバッグをもぞもぞとまさぐった。中から盗聴器を取り出して、メリーに見せた。
週明けにメリーが蓮子の家に行くと、蓮子はいつもの服の上に格子模様のインバネスコートを着こみ、ふだんの中折れ帽の代わりに鳥打帽をかぶっていて、口にはパイプをくわえてカッコつけていた。
室内なのに。
「魔王ダンテ?」
「永井豪先生の初期の傑作ね。後の『デビルマン』につながる神と悪魔の逆転を描いた記念碑的作品だわ。ダンテのシルエットは、『凄ノ王』にも似てるしね。じゃなくて」
「天帝?」
「あれは、弾幕のほうが避けてるんじゃないかしら……でもなくって」
むう、と頬を膨らますのが風船みたいで可愛かった。指先でつんつんつついたあと、はいはい探偵ね、なんでまた、とこたえてやる。
「土曜の夜、私は自分の才能に気づいたのよ」
「コナン君見たの?」
「九州でも、同じ時間にやってたわよ。さあ、それでは事件を持ち込みなさい。なんでも解決してあげるわ」
蓮子は自信たっぷりにのたまい、そのあとぱちりとウインクして「ワトソン君」と言う。
困ってしまった。蓮子がこうなると、子どもみたいなもので、飽きるまで付き合ってあげないと治らない。
メリーは頭の中をひっかき回して、とりあえず本日起こった事件をあげていった。
「今日、岡崎教授の講義が休講だったけど、理由は?」
「苺の食べ過ぎと、助手とのレズセックスのやり過ぎね。他には?」
「キリンって何で首が長いの?」
「それは知らないけど、キリンの交尾は9割が雄同士で行われるらしいわよ。ものすごい同性愛集団ね。次」
「私は今日のお昼、学食で何を食べたでしょう」
「玉子丼にたっぷりのとうがらし、つけあわせてあったかいおそばにメンチカツのトッピング」
驚いた。
メリーはあわてて口の周りを拭い、襟元などをチェックした。食べかすとかがついていたのかと思ったが、とくにそんなことはなかった。はて、どうしてわかったんだろう。ほんとうに不思議だった。
「どうしてわかったの」
「フフフ……」
「ねえ、教えてよ。気になるわ」
「私、すごい?」
「すごい、すごい。ぴったり当たった。メンチカツまで当たるなんて」
「ああ、メンチカツは、半分ほど食べたあとで物足りなくなって追加したのよね。学食のおばちゃん笑ってたみたい」
「エスパー!?」
「ちがうわよ」
蓮子はにやりと笑って、
「この世には不思議なものなど何もないのよ。発見した情報をひとつひとつ吟味し、偏見を働かせず、最も蓋然性の高い可能性を選択していって、不可能ごとを除いていけば……最後に残るのは、しごく単純なひとつの事実のみ。
人生という無色の糸かせには、殺人という緋色の糸が分かちがたく混じりこんでいる。私たちの任務は、それを解きほぐし、分離し、端から端まで一インチも残すことなく白日のものにさらけだすことなのよ」
「いや、殺人関係ないし」
「メリィィィィィェァー! アー! アー!」
蓮子がとつぜん飛びついて、メリーを押し倒した。メリーはびっくりしてしまった。
「何よ。とうとつに」
「げぇっぷ」
「うわ、酒くせ」
酔っているようだ。
アルコールが頭に回ってスパークし、何か未知の扉を開いた結果、超人的な推理力が発揮されたのだろうか?
「うえへへへへ」
「ちょ、――もう!」
乳やら尻やらを触ってきたので、メリーは蓮子をブン投げて体から離した。
スマートさに欠ける。
「あいたたたたた」
「落ち着いてよ。何かあったの」
蓮子は神妙になった。
おかしいと思ったのだ。急に探偵なんて言い出すし、今時どこで買ったかわからない、インバネスコートなんて着てるし、今日は大学を休むし――旅行帰りに、まっすぐ私に会いに来ないし。
メリーはそう考えて、蓮子に話を促した。ぽつりぽつりと、蓮子は話しだした。
「先週、私は岡崎教授にくっついて、学会を見てきたのよ」
「知ってる」
蓮子は頭がいい。
入学して早々に、あの天才教授から優秀さを認められ、助手の助手、という立場で研究室への出入りを許された。最近では、余裕があれば教授が出向くさまざまなところに同行することもある。
蓮子によると、あの天才は蓮子を100人足してもかなわないくらいすごくて、その助手もまた50人ぶんくらいはあるらしい。優秀とはいえ、大学に入りたての蓮子が役に立つことなど、実際にはほとんどないそうだ。だからもしかすると、教授は蓮子の目の秘密に気づいていて、それが目的でそばにおいているのかもしれない。
ありそうなことだ。メリーもその意見に、半分くらいは賛成だった。しかしまた別の心配もあって――岡崎教授は学内でも著名なガチレズで、助手の北白川ちゆり(15歳)とただれた関係を築いている、生粋の性犯罪者である。合意の上とはいえ、訴えられたら条例的に負ける立場だ。あだ名は「インモラル先生」。
今のところ、助手のロリっ子以外に手を出してはいないが、聞くところによると、自分がそうだからかやはり頭がよく、そしてちょっとボーイッシュな女の子が好みだという。
蓮子に目をつけたのは、優秀な頭脳のためか、特殊能力を持つ目のためか、はたまた――もしものときのために、蓮子はスタンガンを常備していた。改造して高出力にしてあるもので、これならたぶん、あのペドレズ大百科も打ち倒せるにちがいない。
とにかく、先週中蓮子は、教授と助手さんとともに九州で行われる学会に出かけていた。そこで何かがあったらしい。
「教授は何でもやるけど、専門は比較物理学。で、今回は何年もかけて準備した、渾身の学説を披露してきたのよ」
「ふんふん」
「その名も『非統一魔法世界論』。ファンタジックな名前でしょ?」
「教えて」
これまでもときどき、蓮子から教わっていたから、その理論の基本的なところはなんとなくだがすでに飲み込んでいた。専攻がちがうとはいえ、メリーもそれなりに優秀なのだ。
けれど今日は、たぶん、いちから聞いてあげたほうが良いと思った。
蓮子の部屋の台所を使って、メリーは紅茶を淹れ、話を聞く姿勢にはいった。そうしているうちに蓮子の酔いも、いくぶんか醒めたようだった。蓮子は学説のそもそものはじまりから、あっとおどろくような仮説が導き出される結論まで、過不足なく、たとえ話もまじえて簡潔にわかりやすく説明した。
ようするに、この世界には統一原理(電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力の4つの力を統一して扱う理論)では説明できない力が存在している。緻密な考察とじゅうぶんに繰り返した実験から、教授はそう結論付けた。
ではその説明できない力とは何か。
すなわち、魔力である。
可能な限りのあらゆるデータをそろえ、仮説にたいする反論を予想し、できうるすべての準備をととのえた。その上で発表したのだ。
「大爆笑されたわ」
苦々しい顔で、蓮子はつぶやく。
まあ、予想はできたことだ。下を向いて、上目遣いで紅茶を飲みながら、メリーは質問した。
「どんな笑いだったの」
「プーックスクス、とか、うひゃひゃ、うひゃひゃ、うっひゃっひゃー、とか、うへへっ、うへっほ、うっへほー、マハリク・マハリタ・ヤンバラヤーン」
「マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー、とかは?」
「それはなかった」
「ふーん」
「何よ、気がないわねえ。メリーは悔しくないの?」
「だって、そんなものだと思ってたから」
「そりゃ私だってね」
そもそものはじめから、完璧に理解してもらえて、スタンディング・オベーションで迎えられるなんて思ってなかったけどさ。
それにしてもあれはないわよ。
蓮子はそう言う。
「人前じゃ、冷静なふりしてたけどね。教授、ホテルに帰ってからは酷かったわよ。浴びるようにワインを飲んで、シャンパンを飲んで、焼酎を飲んで、ウイスキーを飲んでたわ」
「飲んでばっかりね」
「苺も食べてたわ」
「何よ。教授に同情して、それで蓮子も腹を立ててるわけ?」
「そうじゃないけどさ」
蓮子はなんだか、煮え切らない感じだ。あれじゃ、教授がかわいそう、とか、下を向いてぶつぶつ言っている。
メリーと目を合わせない。
あ、だめだ、とメリーは思った。腹が立ってきて、がまんできなくなってしまった。
「何さ」
メリーは強い声を出すと、手近にあった、黒いものをつかんで蓮子に投げつけた。蓮子はわあっ、と叫んでそれを受け止めた。いつも蓮子がかぶっている、中折れ帽だった。他にも投げられるものがないかと、メリーはあたりを探した。何冊か本が見つかった。それも投げつけた。身を縮めて、蓮子は頭をかばう。蓮子の手に当たった本が床に落ちて、硬い表紙を上にして広がった。書名をたしかめると、岡崎教授が書いた本だった。
メリーはそれを見ると、とてもうっとおしい気分になった。それで落ち着いた、というよりは何もする気がなくなって、ものを投げるのはやめて、すると蓮子にたいして怒っていた気持ちもなくなってしまって、残ったのは正体不明のさみしい気持ちだけだった。
泣きそうになってしまう。
「メリー、ごめん」
蓮子が謝る。
「先週いなかったから、私は寂しかったのに。帰ってきても教授の話ばっかりで」
「ごめん」
「最近、秘封倶楽部の活動をしてないじゃない。蓮子は優秀だから、忙しいのはわかるわ。でも私にもかまってよ」
「ごめん、そうする」
「あんまり私をほっとくと、浮気してやるんだから」
「それはダメ」
蓮子はメリーを抱き寄せて、明日からまたずっといっしょだからね、と優しく耳打ちした。
シャーロック・ホームズごっこに付き合ってあげようとしたり、おとなしく蓮子の話を聞いてやろうとしたりとがんばったんだけど、やっぱりだめで、良妻を気取るには、私は十年早いんだわ、とメリーは思った。
◆
次の朝、目を覚ますとベッドのそばの窓の外でスズメがちゅんちゅん鳴いていた。少女漫画みたいだ、とメリーは思った。
横で蓮子が寝ている。寝物語に、蓮子はまた学会の話をした。爪を立ててやろうかと考えたが、これはメリーの話だからよく聞いて、と蓮子は言う。
「教授がバカにされたから、怒ったんじゃないのよ。いえ、それも、たしかにあるけど。痛っ!
ちがうの。もっと聞いて。
私とメリーの目。私たちは特別製の目を持っている。私はこの目のことを知りたいと思って、超統一物理学を専攻したの。自分でもわけのわからない力を知るためには、あらゆる力をまとめて扱える学問を修めるのが、近道だと思ったのよ。
でも、教授の理論に触れて、必ずしもそうじゃないってわかった。私たちにはまだまだ未知の、もうひとつのエネルギーがある。それはきっと、私のものより――メリー、あなたの目の力に近いように、私には思える。
あなたはその目で境界を見ることができる。それは別の世界への入り口になっていると、あなたはそう言った。夢の中で実際にその世界へ行って、妖怪かなんかに追いかけられたこともある――ああ、話を思い出すだけで、うらやましくなってきた! ああ!
ごほん、とにかくね、メリーの目は私のなんかよりずっと、異世界を指向している。そして教授の理論は、その裏付けとなる。彼女の理論から組み立てられる結論は、もうひとつの力、魔力ね、魔力が支配的にふるまう異世界の存在を指し示しているの。
わかったよね。私が怒ったのは、教授の理論といっしょに、メリーの目もバカにされたみたいだったからよ。
その目。うすい藍色で、大きくて、ぼんやりしていて夢見がちで、でも嫉妬深くて怒りっぽい、そのお目目がね――私は大好きなのよ。
わかったら、顔を上げて。泣かなくたっていいじゃない。でも泣いてるのも好きよ。メリー」
思い出すと、顔が真っ赤になってしまった。ふだんは、気持ち悪いだの、うらやましくなんかなくなくなくないもん、ずるいわメリーだけ、あっお金ないからここおごってね、とか、金網ってカナアーミーって発音するとなんかコナミみたいに聞こえない? とかそういうことしか言わないのに、なんで時々とてつもなく恥ずかしいことを、しごく真面目に言うのか。
まあ、先週からずっと悪かった機嫌が直ったのはたしかなので、寝ているうちに朝ごはんでも作ってやろう、と思ってメリーはベッドを出た。蓮子の裸の背中に昨夜自分が立てた爪痕が生々しく残っていて、痛そうだったので、舌で舐めてあげた。ひゃあっ、と声を出して、蓮子は起きてしまった。
朝ごはんを作って、いっしょに食べた。旅行帰りだし、どうせ食べ物はないだろう、と思って昨日来る途中にメリーが買っておいたので、不自由はなかった。パンと野菜と卵と味噌汁だった。
けっきょく、昨日蓮子はほとんどの時間をひとりで飲んですごしたのだそうだ。だから味噌汁が飲みたい、とメリーに言い出して、メリーは憤怒の表情を作ったが、最終的にはわかめと長ねぎの味噌汁を手早く用意してあげた。
おわんを持ち上げ、ずずっとすする。意外とパンと合う。
食べながら、そういえば、とメリーが言った。
「そういえば、あのコートはどこで買ったの」
「ファッションセンターしまむらよ。何かね、銀髪で小さな可愛い女の子がいて、いろいろとアドバイスしてくれたわ」
「ふーん。あっ!」
思い出した。
「蓮子!」
「何よ。騒々しいわねえ」
「私のお昼ごはん」
「朝ごはん食べてるところじゃない。お昼の心配はお昼しましょうよ。おうどん食べたい」
「ちがうわよ。昨日、私が食べたお昼ごはんをぜんぶ当てたじゃない。メンチカツのトッピングまで。あれ、どういう推理なの? ほんとうに名探偵なの? 声優は高山みなみなの?」
「ああ、あれはね」
食べかけのトーストをお皿に置いて、蓮子は立ち上がり、メリーのバッグをもぞもぞとまさぐった。中から盗聴器を取り出して、メリーに見せた。
ひふうちゅっちゅ
秘封ちゅっちゅ
ちょっとパンチが薄かったのでこの点数で
メリーも同じ事してるんでしょ?
ゆかりん知ってるよ
しかし盗聴はあかんでぇ…
蓮メリかわいいよ蓮メリ
だがスパイスがちゅっと足りないようだ
あと教授の扱いもひでぇw
これが日常なんだろうなと思うとどこかもの悲しさを覚えますが、当人同士が満足ならいいことだ。
-10は次への期待分で。
とまれ、いい秘封ちゅっちゅでした。