博麗神社の裏に広がる森。
秋も深まり、それぞれが黄に紅にカラフルな装いを纏っている。
その一角、ひときわ高く聳える水楢の大樹の中に、いたずら好きな三人の妖精たちが今日も暢気に暮らしていた。
なにかと神社にちょっかいを出す彼女たちには博麗の巫女も頭を痛めている反面、なにをやっても致命的になることもないので放置されているというのが現状で。
幻想郷に於いては、結局はなにもなせないまま存在していることこそ妖精の役割とも云えるので、これは自然の摂理であろう。
いたずらを被る誰かさんはご愁傷様とはいって貰えないかもしれない。当人にとっては迷惑千万であるだろうけれど。
☆
「さあ朝だよ! おきろー! ルナ! スター!」
「……サニーが寝た後で月を見たのだから眠たいのよ。いいわよね十時間睡眠の妖精は」
「とかいいながら起きてたんじゃないの、ルナは。私なんてお月様が隠れた後で星を見ていたのよ。いいわよね三時間睡眠で足りる妖精は」
「これからは夜更かし禁止だー!」
「以前から少しだけ思っていたけど、太陽と月と星の妖精が一緒に暮らすって、なんだかとっても無理があると思う」
「うーん。たまには少し、わたしもそう思うかも」
「禁止ー!」
やたら元気なショートカットの茶髪がサニーミルク。
眠い目をこすっている巻き毛の金髪がルナチャイルド。
あくびをしながらベッドを降りる、流れ落ちるような黒髪がスターサファイア。
それぞれが光の要素に関わる妖精たち。
彼女たちにとって人間の暦は特段意味をなさないが、それにしても結構に長期間を三人組で暮らしている。それが不自然かどうかを考えること自体が不自然なぐらいには。
一人は元気よく、残りの二人は半分いやいや、朝の身支度を始める。
大木の中にミニチュアのような居を構え、人間を模した文化様式と時間サイクルで暮らしていること自体が、彼女たちの生活が安定している証左だ。
人間も妖怪も、もちろん妖精も、それなりに影響しあって生きているこの小さな世界――幻想郷において。
「いただきまーす!」
食卓についた三人が朝食を始める。ルナが毎日の日課どおり、届いていた新聞を開いた。気前のいいことに、天狗の新聞屋はこんな辺境の妖精にまで新聞を届けてくれるのだ。
「まあ、博麗神社のついでだろうけどね」
「部数争いの戦争ってまだやってるのかな」
「天狗もきっと暇なんだろうね」
「おおよそわたしたちもなんだけど……そういえばサニー。お料理で使うマッチが少なくなってきたの」
「そっか。ならまた神社から貰ってこないといけないね」
行儀悪く頬をつきながらスプーンをくわえるサニーと、朝露で淹れたお茶を飲むスター。
一方、ルナは結構な勢いで新聞を読んでいる。読めない漢字もけっこう少ないみたいで、ときおりコーヒーを啜りながら字面を追っていく。
こうしてみればなにやら賢さも窺えるルナではあるが、この三人で一番機転が利くのは実はサニーであったりする。一番子供っぽく見えるにも関わらず。
いたずらの内容を思いつくのが一番多いのも彼女。
挑戦する回数が増えれば当然ながら失敗する回数も増加するわけで、トラブルメーカーといっても差し支えないかもしれないけれど。
そして、因果応報よろしく訪れるイタズラの失敗をいつの間にかするりと抜けているのがスターで、直撃するのが何故かおおよそルナだったりする。
酷く理不尽な役回りである。
報われない月光の妖精がふと、小さな見出しに目を留めた。
「……あれ、『湖の氷精、画期的な技術を入手。燃える氷の秘密』だって。なんだろうねこれ」
「湖のって、たぶん、あいつだよね」
「ああ、あの暴れん坊の」
三人が三人とも、若干うんざりという顔をする。
話題に上がっている氷の妖精は、名前をチルノという。
おそらくは現在、幻想郷でもっとも有名な妖精だろう。
評判が良いというわけでもなく、その姿や立ち回りを想像するだけで失笑を催してしまうというレベルの話で、だが。
他方、頭の程度に反比例してその攻撃力は以外に高く、妖精が持ち合わせる能力を越境しかかっているという、なんとも厄介な存在でもある。
サニー達三妖精にしてみれば、人妖の間で(そのレベルの低さから)語りぐさとなっているかの「妖精大戦争」において、それなりに死力を尽くして闘った因縁の相手だった。
新聞によると、幻想郷に顕現している山の神々の気まぐれだろうか、最近、氷の妖精に「燃える氷」とやらの秘密が分け与えられたらしい。
氷を操る者が火をも司れば幻想郷全体の力関係に大きな影響を及ぼしかねないので、今後も注視が必要だろうと書かれていた。
但し、記事自体はそれほど大きなものではない。
「神様って、前になんだか、地獄の底に太陽を投げ込んだりしたっていってたわね。同じ神様かしら」
「でもあれは、お馬鹿なカラスが飲み込んでどうにもならなかったんじゃなかったかしら」
「温泉が湧いたとかいってなかったっけ」
妖精の行動範囲は基本的に狭いので、伝聞ばかりで話は具体的にならない。
それでも生活に特段の支障はないのだが。
妖精だし。
「炎といえば、前にあいつと大喧嘩した時に使ったわよねえ、炎の弾」
スターが人差し指を頬に当てて思い出すと、サニーがえっへんとばかりに笑った。
「あれはわたしの力だもんね! よく出来てたよねー」
「光の屈折を変えて燃えてるように見せてただけじゃないの。サニーのアイデアにしては結構まともだったけど」
ルナの指摘もサニーのそれなりな自尊心を寸分たりとも傷つけないようだ。
「本当に火がついちゃったら火事になっちゃうし別にいいでしょ。それに、あいつはあーんなハッタリでも慌てちゃって、凍らせることも出来なかったんだよね」
「まあ、アレだし。バカだし」
「バカだからね」
「だよねー」
ひとしきり笑ったあと、ルナが不安そうに眉を顰めた。
「でも、もし本当に炎が使えるようになってたらどうする? こっちに攻めてきたりするかもしれないわよ? バカだから」
「うーん、それは困るなぁ」
「わたし熱いの嫌い。ひなたぼっこは嫌いじゃないけど」
「スターじゃなくても、火事が好きな森の妖精はいないわ……」
ルナが読み終わった新聞を折りたたむと、サニーが食べかけのパンをもぐもぐと頬張って、腕を大きく挙げた。
「よーし、んじゃ、今日はあいつの様子を見に行こうか。もし仮にほんとうにすごいことなら、邪魔してやろうよ。いたずらされる前に先手必勝で」
「それはいい考えね」とスターが手を合わせる。
こういう時、まず否定的な意見をいうのがルナの癖だ。
「でも、危ないのに近づかないのも賢さなんだけど」
「だから危なくない間に危なくなくすればいいんじゃん」
どこまでも脳天気なサニーの言葉に、結局のところルナは反論することはできない。
いつものことだが。
「……ま、それもそうかしら」
「じゃ決まり。湖の敵陣へしゅっぱーつ」
「おー!」
三人は立ち上がった。
妖精は基本的に計画性がない。
それが自然の成り行きであり、それ自体が万物の正しき流転を示している。
☆
霧の湖のほとりに、チルノの仮住まいがある。
湖水を凍らせて作ったブロックを積み上げた、ドームのような小屋だ。
件の妖精は在宅中らしく、時折顔を出して周囲を伺ったと思ったらまた引っ込んだり、我が家の周囲をくるくると走りまわったり。なんだかかなりの挙動不審さだった。
少し離れた場所には、焚き火の跡が残っている。
氷の精にはまったく不必要なものだと思われるが……。
「なにやってんだろ、あれ」
「ああ、ついに脳が。春でもないのに」
「妖精って脳あるの?」
そこから離れた林の中、低い潅木の影に三人は隠れていた。
周囲の木々は紅葉も後半に差し掛かって半分ぐらい葉を落としていたが、背の小さな彼女たちが隠れるのには支障なかった。
妖精の御多分にもれず大した能力のない三人組だったが、三人でいればそれぞれの力を補完して誰にも気配を悟られずにいることができる。
いたずらの失敗はともかく、仕掛けまではスムーズに成功するのはこのためであった。
「……予想通り、光の三妖精さんたちが動きましたね!」
「「「え」」」
と、思ったら矢先に見つかっていた。
「あ、貴女は」
立ち上がったサニーが思わず指をさしてしまう、その先。
右手には大楓の扇、左手には取材メモ。
妖怪の山に数多く存在する天狗たちの中でも、多分人間や他の妖怪には指折りに有名な天狗の新聞記者。
「はいはーい、清く正しく射命丸です。幻想郷に於ける発行部数No.1、毎度おなじみ『文々。新聞』をご贔屓にして頂いてありがとうございます」
「そっちが勝手に投げ入れてるだけだけどね」
サニーのつっこみを射命丸文は聞き流した。
「それよりもサニー! ちゃんと姿を消しててよ! なんでいきなり見つかってるのよ!」
「ルナこそ、音を消すの忘れてたんでしょ!」
「ちゃんとやってるわよ」
「まあまあ、本当にあいつにみつかっちゃうわ」
「スターだって、妖怪が来たなら来たって、どうして言ってくれないのよ。気づいてたんでしょ?」
「いや、気づいた瞬間にここに着いてたし」
「いいわけするな!」
天狗といえば、地上でも空中でもお構いなしの韋駄天ぶりで有名である。スターを責めるのはすこし酷な話だった。
三人がめいめい言い合いを始めそうになったので、天狗は肩を竦めている。
「はいはい、別に私は妖精が見えていようが見えていまいが、別にどちらでもいいですのでね。じゃあ、これから喋ることは独り言です。そういうことにしましょう。あなた達があの妖精に見つからないようにね」
「!」
当初の目的を忘れかけていた妖精たちだが、さすがに妖怪の言葉の意味を悟ったようだ。
「「「しーっ!」」」
顔を見合わせ、唇に人差し指を当てる三人。
文はそれを面白そうに見下ろして、一つ咳払いをした。
「では、わたしも樹の影に隠れて氷精が出てくるのを待ちましょうか。再確認したいところですし」
言葉通り、天狗は自分たちの背後で樗の大樹に姿をひそめた。
三人はターゲットと背後の妖怪、二つの存在への緊張感で唾を飲み込んだりしている。
ほどなくして。
チルノが家から出てきた。やはり周囲を窺うようにしている。例の燃え尽きた焚き火の方をなにやら我慢するような表情で凝視して、それから。
ふところから、一つの氷玉を取り出した。
占い師がじぃっと眺めるような真剣さで、その珠を覗いたり、手の上で転がしたり、頭上に投げてはキャッチしたりしている。
「ん……? もしかしてあれが『燃える氷』なの?」
「ここからじゃ普通の氷にしか見えないわね。きれいに丸まっているけれど」
妖精たちの疑問に、文の声が答える。
「あやややや。まさかもうあれだけしか残ってないのですか。やはり妖精、我慢が足りませんね」
「どういうこと?」
スターが小首を傾げる。
「実際はあの氷の中に隠された物が『燃える氷』で間違いないのですが。取材によるとあれは、結構扱いが難しいみたいなんですよね。なんでも水が氷になるより更に低い温度でないと安定的に保存できない……つまり、放って置くと空気と水になってしまうんです。雪だるまを昼間に置きっぱなしにすると溶けてしまうでしょう? それと似ています。だからああして、常に触って凍らしていないといけないのです」
「どちらにしろ、わたしたちじゃ使えそうにない代物なのね」とルナが考える。
「もしかして、あいつ、自分じゃ作れないのかな?」
「作り方は教えてもらったみたいですよ。『無数の命』と『大きな力』が必要ということでしたが」
「なんだかとんちみたい」
「あの娘の頭で考えられる話じゃないわね」
腕組みをしていたサニーが、あ、と何かをひらめいた。
「……もしかしてあいつは神様からテストみたいな感じで結構な量の『燃える氷』を貰ったけど、氷が燃えるのが面白くて少しずつ燃やしちゃったんじゃないの? で、もうあれだけしか残ってないんじゃ」
新聞屋がクスリと笑う声が聞こえた。
「同じ妖精でも頭の出来には若干の差があるようですね。……その通りです。近くにあの子が嫌いな焚き火があるでしょう。燃える氷単体では自然発火させられないから、いやいやながらしばらくは維持していたみたいですね」
今もチルノが何かを耐えているような感じなのはそのせいなのか。
「まさに『豚に真珠』ね」
「豚には似てないんじゃない」
「豚に似ている妖精には遭ったことないわよ」
「そんなのいるわけないじゃん!」
「……ま、そこまで分かるならもうヒントはいりませんね。では」
「「「うわわわわわっ」」」
ザン、と何かを掻き分けるような音がして、周囲に突風が吹き荒れた。
圧力に押し出されるように三人が林から転がり出る。盛大に枯葉を舞い上げながら。
「あーもう何するんだよ! これだから妖怪は乱暴なんだ」
「巫女のほうが乱暴な気もするけど」
「ていうか、もういないし」
突然のことに三人は慌てていたので身を隠すのも忘れていて。
青いリボンの氷精が大声で指をさす。
「あー。おまえらー!」
「あ、見つかっちゃった」
「………………えっと。誰だったっけ」
三妖精が再びすっ転ぶ。
「……人間の顔は忘れても、妖精の顔ぐらいは覚えてなさいよね」
「別に誰だっていいんだ。何しにきたんだよ」
「ふっふっふ。神様からもらった『燃える氷』の秘密を分けてもらいにきたよ!」
サニーが腰に手を当てて胸を張る。
チルノは慌てて氷玉をポケットにしまった。
「や、やっぱりこれが目的かー。絶対わたさないからな!」
「ちょっとサニー、そんな真正面からいっても駄目でしょ。危ないわ」
「いいからいいから、ここはわたしに任せておいてよ」
ルナの心配にサニーは片目をつぶって答える。
それからチルノに向き直り、じりっとにじり寄る。
チルノが一歩後ずさる。
「これは神様があたしにくれたものだぞ。もうカエルをいじめないって約束するかわりにくれたんだ。あたしんだぞ」
口にこそしなかったが、三人ともが同時に思った。
神様は絶対に、チルノが約束を守るとは思っていないだろうと。
「……うんうん。それはよかったね。じゃぁそのすごい力を見せてよ。みせるだけならいいでしょ」
「ダメだ。すごい力はあたしだけのだから」
「うーん、残念だな」
呼びかけながら、日光の妖精は小声で星の妖精を呼んだ。
「……スター。さっきからポケットの中でカラカラ鳴ってるの、マッチ箱でしょ」
「あら、よく解ったわね。食事の支度したあと入れっぱなしだったの」
「そのへんの枯葉集めて火をつけてみてよ」
「山火事になっちゃわない?」
「だからならないように、ね。ほら、ルナも一緒に」
ルナとスターは一瞬顔を見合わせたが、合点がいったのか燃えるものをかき集めはじめた。
水辺から近かったものの、乾燥した秋の大気によって枯れ木も枯葉も燃えやすく軽くなっている。
「なにするつもりだ!」
「見せてくれないなら攻撃するよ。炎を歪めて、そっちの家を溶かしちゃうんだから」
「脅しても無駄だぞ。お前ら弱っちい妖精なんかコテンパンにしてやる!」
「三対一だよ。負けるもんか」
「……前に一回負かしたことある気がするけど」
「それは多分気のせい」
両者が睨み合っている間に煙が上がり始めた。チロチロと赤い炎が可燃物を舐めては灰色の無機質に変えていく。
三妖精は焚き火を挟んでチルノに相対した。
「ほーら。こてんぱんにするんでしょ。さっさとやってごらんよ」
「むむむむむむむ」
顔が真っ赤になっていくチルノ。
得意げなサニーと、その袖を引いて心配そうなルナ、なんだか楽しそうに笑っているスター。
対照的な両者の表情であった。
「ほら、神様からもらった力ならわたしたちなんて一撃でしょ。やってみてよ!」
「むあー! もう怒った! どうなってもしらないからな!」
氷精のごくごく少ない忍耐力が果てた。
ポケットから例の氷玉を取り出して放り投げる。
「それっ、散開!」
妖精たちはそれぞれ別方向に飛んで逃げる。
氷玉は誰にも当たることなく、ゆるい放物線を描いて飛び――ちょうど焚き火の中に落ちてしまった。
一瞬の後。
焚き火の鈍い紅ではない、透明度の高いスカイブルーの炎が見えた。
「「「「おおー!」」」」
四人の妖精は自然界では珍しい色の炎を目の当たりにして驚きを隠さない。
チルノなど何度も見ているはずなのに、やはり拳を固めて見守っている。
ほどなく燃える氷が燃え尽きると、通常通りの焚き火の色が戻った。
「……なんかすごかったね。見に来たかいがあった」
「空の色の炎なんて初めて見たよ」
「暖炉の火とどっちが早くお湯を沸かせるのかしら」
「どうだ、すごいだろー」
「うん、すごいすごい」
自然と感想を言い合っていた妖精たちは、ふと我に返った。
「あ」
チルノが肩をわなわなと震わせ始める。
「最後のいっこ……投げちゃった……」
数秒だけ沈黙が流れ、そのあとで訪問者たちの爆笑が響いた。
高々と天をつく杉の大樹のてっぺんで事の成り行きを見守っていた射命丸文は、メモを取る手を止めていた。
これはもう記事にはなりそうもない、と判断したからだ。
「最初から望み薄ではあったけれど」
そもそも。
今回の件を新聞に載せるべきか、文本人も結構迷った経緯がある。
何故ならば、おそらく誰も反応しないだろうと容易に読めていたからだ。
彼女が魔女の図書館等々で調査したところによると、あの「燃える氷」はいわゆる沼気の固形化物質らしく。
幻想郷を載せて海に浮かぶ蓬莱の島々、その周辺海域の海底深くに豊富に埋蔵されるエネルギー資源であるといわれている。
薪や石炭や石油を燃やすよりもずっと効率がよく、しかも空気を汚しにくいということで採掘が期待されていた時代もあったが、前述のとおり扱いが非常に難しいため、記録に残っている時代の技術ではうまく採掘できていなかったということらしい。
「まあ、一気に山と海とを繋いで取り換える程度の巨大な力があれば、取り出すのも簡単でしょうが……」
現在の幻想郷には該当する人物は見当たらないし、その事業を引き受ける者もまたいないだろう。
それに、である。
「燃える氷」とやらの正体がどのようなものであろうとも、それは今の幻想郷において過剰な存在であるのは間違いない。
燃やすもの、燃やすべきものも、燃やすべきでないもの。
幻想郷にはどれも既に揃っているからだ。敢えて必要とする程には、誰しも困窮していない。
消費それ自体が是とされ価値となる文化は幻想郷にはまだ、ない。
「これもまた、神々の、ええとなんだっけ、観測気球なんでしょうけどね」
我々の反応すらも織り込み済みなのだろう。
新聞屋はひとりごちる。
しかし……あの神々が降ってから、外側との情報の行き来がやたらスムーズになった気がする。今回の情報も以前より入手しやすくなったから理解できたようなもので。
外界に興味はなくても耳に飛び込むようでは、幻想の選択をしているはずの博麗大結界の機能にも若干の疑問点がつく。
相変わらず変化のない博麗の巫女は別としても、妖怪の賢者などは内心穏やかでないだろうなと文は忖度する。
それはまあ、それとして。
今は天狗としての本分以上の興味はない。
幻想郷は今のままでまだまだ面白い。自分にも干渉の余地があるし。
彼女は依然としてそう考えている。
「さて……では戻りますか。明日の原稿を仕上げませんとね」
おそらくこの事件が紙面を賑わせることはもうないだろうけども。
眼下をちらりと一瞥してから、幻想郷でもっとも強力な一族に連なる娘は虚空を蹴る。
轟音と共に風が去ったその後で、森の木々は身震いするように大きく揺れ、無数の葉を落としていった。その分だけ冬が近づいてくる。
☆
「……あー、面白かった!」
「最初からだいたい想像ついてたけど、今回も大笑いでおわっちゃったわ」
「燃える氷はちょっともったいなかったけど。綺麗だったし」
「大丈夫大丈夫、あんなのだったらわたしだって出来るよ」
サニーは懐から取り出した布をするすると広げた。
中には朱い墨汁で「氷」と書いてあり、下の方には波の模様まで入れてある。
夏になると海辺のかき氷屋の軒先に吊るされるアレである。
「あ、それはわたしが拾った奴じゃない」
ルナがびっくりする。彼女は先天的かつ無意識的な珍品コレクターでもあったりするのだ。
「これに火をつければ、わたしにだって『燃える氷』作れるもんね」
「ま、意味的にはさして変わらないよねー」とスターもにっこり。
「火は付けないでね、もったいないから」
ルナは申し訳程度の抗議をするが本心ではなく。
顔を向け合った三人は、悔しそうなチルノの顔を思い出して再度、笑いが止まらない。
遂には腹を抱えて転がりまわる始末。
「お・ま・え・ら~~!」
そんな三人の周囲に、先端が凶悪に尖った氷柱が何本も突き刺さる。
慌ててその方向を向くと、散々馬鹿にされたチルノが猛スピードで飛来する。
いうなればまさに今、彼女は――憤怒の蒼い怒りに燃える氷の精、であった。
「わわわっ、追ってきたっ」
「鳥頭のくせに」
「しつれいな! って、鳥頭ってどういう意味だー!」
「意味知らないのに失礼も何もないじゃない」
「ぜったいばかにしてるだろー!」
「そういうのはさすがに分かるのね……って、スターどこ? もう逃げてるじゃない!」
「ちょっと待ってサニーあっ」
「あ、ルナがまたこけた」
「お前ら待てー! 逃げるなー!」
☆
こうして妖精同士の遺恨を懸けた再戦が始まった、のだが。
規模も小さかった上に内容も猫のじゃれあいに等しく。
当然ながら天狗も取材に来なかったため、人妖の話題の遡上に上ることはなかった。
よって――
後にこの戦いが第二次妖精大戦争と呼ばれたかどうかは、定かでない。
秋も深まり、それぞれが黄に紅にカラフルな装いを纏っている。
その一角、ひときわ高く聳える水楢の大樹の中に、いたずら好きな三人の妖精たちが今日も暢気に暮らしていた。
なにかと神社にちょっかいを出す彼女たちには博麗の巫女も頭を痛めている反面、なにをやっても致命的になることもないので放置されているというのが現状で。
幻想郷に於いては、結局はなにもなせないまま存在していることこそ妖精の役割とも云えるので、これは自然の摂理であろう。
いたずらを被る誰かさんはご愁傷様とはいって貰えないかもしれない。当人にとっては迷惑千万であるだろうけれど。
☆
「さあ朝だよ! おきろー! ルナ! スター!」
「……サニーが寝た後で月を見たのだから眠たいのよ。いいわよね十時間睡眠の妖精は」
「とかいいながら起きてたんじゃないの、ルナは。私なんてお月様が隠れた後で星を見ていたのよ。いいわよね三時間睡眠で足りる妖精は」
「これからは夜更かし禁止だー!」
「以前から少しだけ思っていたけど、太陽と月と星の妖精が一緒に暮らすって、なんだかとっても無理があると思う」
「うーん。たまには少し、わたしもそう思うかも」
「禁止ー!」
やたら元気なショートカットの茶髪がサニーミルク。
眠い目をこすっている巻き毛の金髪がルナチャイルド。
あくびをしながらベッドを降りる、流れ落ちるような黒髪がスターサファイア。
それぞれが光の要素に関わる妖精たち。
彼女たちにとって人間の暦は特段意味をなさないが、それにしても結構に長期間を三人組で暮らしている。それが不自然かどうかを考えること自体が不自然なぐらいには。
一人は元気よく、残りの二人は半分いやいや、朝の身支度を始める。
大木の中にミニチュアのような居を構え、人間を模した文化様式と時間サイクルで暮らしていること自体が、彼女たちの生活が安定している証左だ。
人間も妖怪も、もちろん妖精も、それなりに影響しあって生きているこの小さな世界――幻想郷において。
「いただきまーす!」
食卓についた三人が朝食を始める。ルナが毎日の日課どおり、届いていた新聞を開いた。気前のいいことに、天狗の新聞屋はこんな辺境の妖精にまで新聞を届けてくれるのだ。
「まあ、博麗神社のついでだろうけどね」
「部数争いの戦争ってまだやってるのかな」
「天狗もきっと暇なんだろうね」
「おおよそわたしたちもなんだけど……そういえばサニー。お料理で使うマッチが少なくなってきたの」
「そっか。ならまた神社から貰ってこないといけないね」
行儀悪く頬をつきながらスプーンをくわえるサニーと、朝露で淹れたお茶を飲むスター。
一方、ルナは結構な勢いで新聞を読んでいる。読めない漢字もけっこう少ないみたいで、ときおりコーヒーを啜りながら字面を追っていく。
こうしてみればなにやら賢さも窺えるルナではあるが、この三人で一番機転が利くのは実はサニーであったりする。一番子供っぽく見えるにも関わらず。
いたずらの内容を思いつくのが一番多いのも彼女。
挑戦する回数が増えれば当然ながら失敗する回数も増加するわけで、トラブルメーカーといっても差し支えないかもしれないけれど。
そして、因果応報よろしく訪れるイタズラの失敗をいつの間にかするりと抜けているのがスターで、直撃するのが何故かおおよそルナだったりする。
酷く理不尽な役回りである。
報われない月光の妖精がふと、小さな見出しに目を留めた。
「……あれ、『湖の氷精、画期的な技術を入手。燃える氷の秘密』だって。なんだろうねこれ」
「湖のって、たぶん、あいつだよね」
「ああ、あの暴れん坊の」
三人が三人とも、若干うんざりという顔をする。
話題に上がっている氷の妖精は、名前をチルノという。
おそらくは現在、幻想郷でもっとも有名な妖精だろう。
評判が良いというわけでもなく、その姿や立ち回りを想像するだけで失笑を催してしまうというレベルの話で、だが。
他方、頭の程度に反比例してその攻撃力は以外に高く、妖精が持ち合わせる能力を越境しかかっているという、なんとも厄介な存在でもある。
サニー達三妖精にしてみれば、人妖の間で(そのレベルの低さから)語りぐさとなっているかの「妖精大戦争」において、それなりに死力を尽くして闘った因縁の相手だった。
新聞によると、幻想郷に顕現している山の神々の気まぐれだろうか、最近、氷の妖精に「燃える氷」とやらの秘密が分け与えられたらしい。
氷を操る者が火をも司れば幻想郷全体の力関係に大きな影響を及ぼしかねないので、今後も注視が必要だろうと書かれていた。
但し、記事自体はそれほど大きなものではない。
「神様って、前になんだか、地獄の底に太陽を投げ込んだりしたっていってたわね。同じ神様かしら」
「でもあれは、お馬鹿なカラスが飲み込んでどうにもならなかったんじゃなかったかしら」
「温泉が湧いたとかいってなかったっけ」
妖精の行動範囲は基本的に狭いので、伝聞ばかりで話は具体的にならない。
それでも生活に特段の支障はないのだが。
妖精だし。
「炎といえば、前にあいつと大喧嘩した時に使ったわよねえ、炎の弾」
スターが人差し指を頬に当てて思い出すと、サニーがえっへんとばかりに笑った。
「あれはわたしの力だもんね! よく出来てたよねー」
「光の屈折を変えて燃えてるように見せてただけじゃないの。サニーのアイデアにしては結構まともだったけど」
ルナの指摘もサニーのそれなりな自尊心を寸分たりとも傷つけないようだ。
「本当に火がついちゃったら火事になっちゃうし別にいいでしょ。それに、あいつはあーんなハッタリでも慌てちゃって、凍らせることも出来なかったんだよね」
「まあ、アレだし。バカだし」
「バカだからね」
「だよねー」
ひとしきり笑ったあと、ルナが不安そうに眉を顰めた。
「でも、もし本当に炎が使えるようになってたらどうする? こっちに攻めてきたりするかもしれないわよ? バカだから」
「うーん、それは困るなぁ」
「わたし熱いの嫌い。ひなたぼっこは嫌いじゃないけど」
「スターじゃなくても、火事が好きな森の妖精はいないわ……」
ルナが読み終わった新聞を折りたたむと、サニーが食べかけのパンをもぐもぐと頬張って、腕を大きく挙げた。
「よーし、んじゃ、今日はあいつの様子を見に行こうか。もし仮にほんとうにすごいことなら、邪魔してやろうよ。いたずらされる前に先手必勝で」
「それはいい考えね」とスターが手を合わせる。
こういう時、まず否定的な意見をいうのがルナの癖だ。
「でも、危ないのに近づかないのも賢さなんだけど」
「だから危なくない間に危なくなくすればいいんじゃん」
どこまでも脳天気なサニーの言葉に、結局のところルナは反論することはできない。
いつものことだが。
「……ま、それもそうかしら」
「じゃ決まり。湖の敵陣へしゅっぱーつ」
「おー!」
三人は立ち上がった。
妖精は基本的に計画性がない。
それが自然の成り行きであり、それ自体が万物の正しき流転を示している。
☆
霧の湖のほとりに、チルノの仮住まいがある。
湖水を凍らせて作ったブロックを積み上げた、ドームのような小屋だ。
件の妖精は在宅中らしく、時折顔を出して周囲を伺ったと思ったらまた引っ込んだり、我が家の周囲をくるくると走りまわったり。なんだかかなりの挙動不審さだった。
少し離れた場所には、焚き火の跡が残っている。
氷の精にはまったく不必要なものだと思われるが……。
「なにやってんだろ、あれ」
「ああ、ついに脳が。春でもないのに」
「妖精って脳あるの?」
そこから離れた林の中、低い潅木の影に三人は隠れていた。
周囲の木々は紅葉も後半に差し掛かって半分ぐらい葉を落としていたが、背の小さな彼女たちが隠れるのには支障なかった。
妖精の御多分にもれず大した能力のない三人組だったが、三人でいればそれぞれの力を補完して誰にも気配を悟られずにいることができる。
いたずらの失敗はともかく、仕掛けまではスムーズに成功するのはこのためであった。
「……予想通り、光の三妖精さんたちが動きましたね!」
「「「え」」」
と、思ったら矢先に見つかっていた。
「あ、貴女は」
立ち上がったサニーが思わず指をさしてしまう、その先。
右手には大楓の扇、左手には取材メモ。
妖怪の山に数多く存在する天狗たちの中でも、多分人間や他の妖怪には指折りに有名な天狗の新聞記者。
「はいはーい、清く正しく射命丸です。幻想郷に於ける発行部数No.1、毎度おなじみ『文々。新聞』をご贔屓にして頂いてありがとうございます」
「そっちが勝手に投げ入れてるだけだけどね」
サニーのつっこみを射命丸文は聞き流した。
「それよりもサニー! ちゃんと姿を消しててよ! なんでいきなり見つかってるのよ!」
「ルナこそ、音を消すの忘れてたんでしょ!」
「ちゃんとやってるわよ」
「まあまあ、本当にあいつにみつかっちゃうわ」
「スターだって、妖怪が来たなら来たって、どうして言ってくれないのよ。気づいてたんでしょ?」
「いや、気づいた瞬間にここに着いてたし」
「いいわけするな!」
天狗といえば、地上でも空中でもお構いなしの韋駄天ぶりで有名である。スターを責めるのはすこし酷な話だった。
三人がめいめい言い合いを始めそうになったので、天狗は肩を竦めている。
「はいはい、別に私は妖精が見えていようが見えていまいが、別にどちらでもいいですのでね。じゃあ、これから喋ることは独り言です。そういうことにしましょう。あなた達があの妖精に見つからないようにね」
「!」
当初の目的を忘れかけていた妖精たちだが、さすがに妖怪の言葉の意味を悟ったようだ。
「「「しーっ!」」」
顔を見合わせ、唇に人差し指を当てる三人。
文はそれを面白そうに見下ろして、一つ咳払いをした。
「では、わたしも樹の影に隠れて氷精が出てくるのを待ちましょうか。再確認したいところですし」
言葉通り、天狗は自分たちの背後で樗の大樹に姿をひそめた。
三人はターゲットと背後の妖怪、二つの存在への緊張感で唾を飲み込んだりしている。
ほどなくして。
チルノが家から出てきた。やはり周囲を窺うようにしている。例の燃え尽きた焚き火の方をなにやら我慢するような表情で凝視して、それから。
ふところから、一つの氷玉を取り出した。
占い師がじぃっと眺めるような真剣さで、その珠を覗いたり、手の上で転がしたり、頭上に投げてはキャッチしたりしている。
「ん……? もしかしてあれが『燃える氷』なの?」
「ここからじゃ普通の氷にしか見えないわね。きれいに丸まっているけれど」
妖精たちの疑問に、文の声が答える。
「あやややや。まさかもうあれだけしか残ってないのですか。やはり妖精、我慢が足りませんね」
「どういうこと?」
スターが小首を傾げる。
「実際はあの氷の中に隠された物が『燃える氷』で間違いないのですが。取材によるとあれは、結構扱いが難しいみたいなんですよね。なんでも水が氷になるより更に低い温度でないと安定的に保存できない……つまり、放って置くと空気と水になってしまうんです。雪だるまを昼間に置きっぱなしにすると溶けてしまうでしょう? それと似ています。だからああして、常に触って凍らしていないといけないのです」
「どちらにしろ、わたしたちじゃ使えそうにない代物なのね」とルナが考える。
「もしかして、あいつ、自分じゃ作れないのかな?」
「作り方は教えてもらったみたいですよ。『無数の命』と『大きな力』が必要ということでしたが」
「なんだかとんちみたい」
「あの娘の頭で考えられる話じゃないわね」
腕組みをしていたサニーが、あ、と何かをひらめいた。
「……もしかしてあいつは神様からテストみたいな感じで結構な量の『燃える氷』を貰ったけど、氷が燃えるのが面白くて少しずつ燃やしちゃったんじゃないの? で、もうあれだけしか残ってないんじゃ」
新聞屋がクスリと笑う声が聞こえた。
「同じ妖精でも頭の出来には若干の差があるようですね。……その通りです。近くにあの子が嫌いな焚き火があるでしょう。燃える氷単体では自然発火させられないから、いやいやながらしばらくは維持していたみたいですね」
今もチルノが何かを耐えているような感じなのはそのせいなのか。
「まさに『豚に真珠』ね」
「豚には似てないんじゃない」
「豚に似ている妖精には遭ったことないわよ」
「そんなのいるわけないじゃん!」
「……ま、そこまで分かるならもうヒントはいりませんね。では」
「「「うわわわわわっ」」」
ザン、と何かを掻き分けるような音がして、周囲に突風が吹き荒れた。
圧力に押し出されるように三人が林から転がり出る。盛大に枯葉を舞い上げながら。
「あーもう何するんだよ! これだから妖怪は乱暴なんだ」
「巫女のほうが乱暴な気もするけど」
「ていうか、もういないし」
突然のことに三人は慌てていたので身を隠すのも忘れていて。
青いリボンの氷精が大声で指をさす。
「あー。おまえらー!」
「あ、見つかっちゃった」
「………………えっと。誰だったっけ」
三妖精が再びすっ転ぶ。
「……人間の顔は忘れても、妖精の顔ぐらいは覚えてなさいよね」
「別に誰だっていいんだ。何しにきたんだよ」
「ふっふっふ。神様からもらった『燃える氷』の秘密を分けてもらいにきたよ!」
サニーが腰に手を当てて胸を張る。
チルノは慌てて氷玉をポケットにしまった。
「や、やっぱりこれが目的かー。絶対わたさないからな!」
「ちょっとサニー、そんな真正面からいっても駄目でしょ。危ないわ」
「いいからいいから、ここはわたしに任せておいてよ」
ルナの心配にサニーは片目をつぶって答える。
それからチルノに向き直り、じりっとにじり寄る。
チルノが一歩後ずさる。
「これは神様があたしにくれたものだぞ。もうカエルをいじめないって約束するかわりにくれたんだ。あたしんだぞ」
口にこそしなかったが、三人ともが同時に思った。
神様は絶対に、チルノが約束を守るとは思っていないだろうと。
「……うんうん。それはよかったね。じゃぁそのすごい力を見せてよ。みせるだけならいいでしょ」
「ダメだ。すごい力はあたしだけのだから」
「うーん、残念だな」
呼びかけながら、日光の妖精は小声で星の妖精を呼んだ。
「……スター。さっきからポケットの中でカラカラ鳴ってるの、マッチ箱でしょ」
「あら、よく解ったわね。食事の支度したあと入れっぱなしだったの」
「そのへんの枯葉集めて火をつけてみてよ」
「山火事になっちゃわない?」
「だからならないように、ね。ほら、ルナも一緒に」
ルナとスターは一瞬顔を見合わせたが、合点がいったのか燃えるものをかき集めはじめた。
水辺から近かったものの、乾燥した秋の大気によって枯れ木も枯葉も燃えやすく軽くなっている。
「なにするつもりだ!」
「見せてくれないなら攻撃するよ。炎を歪めて、そっちの家を溶かしちゃうんだから」
「脅しても無駄だぞ。お前ら弱っちい妖精なんかコテンパンにしてやる!」
「三対一だよ。負けるもんか」
「……前に一回負かしたことある気がするけど」
「それは多分気のせい」
両者が睨み合っている間に煙が上がり始めた。チロチロと赤い炎が可燃物を舐めては灰色の無機質に変えていく。
三妖精は焚き火を挟んでチルノに相対した。
「ほーら。こてんぱんにするんでしょ。さっさとやってごらんよ」
「むむむむむむむ」
顔が真っ赤になっていくチルノ。
得意げなサニーと、その袖を引いて心配そうなルナ、なんだか楽しそうに笑っているスター。
対照的な両者の表情であった。
「ほら、神様からもらった力ならわたしたちなんて一撃でしょ。やってみてよ!」
「むあー! もう怒った! どうなってもしらないからな!」
氷精のごくごく少ない忍耐力が果てた。
ポケットから例の氷玉を取り出して放り投げる。
「それっ、散開!」
妖精たちはそれぞれ別方向に飛んで逃げる。
氷玉は誰にも当たることなく、ゆるい放物線を描いて飛び――ちょうど焚き火の中に落ちてしまった。
一瞬の後。
焚き火の鈍い紅ではない、透明度の高いスカイブルーの炎が見えた。
「「「「おおー!」」」」
四人の妖精は自然界では珍しい色の炎を目の当たりにして驚きを隠さない。
チルノなど何度も見ているはずなのに、やはり拳を固めて見守っている。
ほどなく燃える氷が燃え尽きると、通常通りの焚き火の色が戻った。
「……なんかすごかったね。見に来たかいがあった」
「空の色の炎なんて初めて見たよ」
「暖炉の火とどっちが早くお湯を沸かせるのかしら」
「どうだ、すごいだろー」
「うん、すごいすごい」
自然と感想を言い合っていた妖精たちは、ふと我に返った。
「あ」
チルノが肩をわなわなと震わせ始める。
「最後のいっこ……投げちゃった……」
数秒だけ沈黙が流れ、そのあとで訪問者たちの爆笑が響いた。
高々と天をつく杉の大樹のてっぺんで事の成り行きを見守っていた射命丸文は、メモを取る手を止めていた。
これはもう記事にはなりそうもない、と判断したからだ。
「最初から望み薄ではあったけれど」
そもそも。
今回の件を新聞に載せるべきか、文本人も結構迷った経緯がある。
何故ならば、おそらく誰も反応しないだろうと容易に読めていたからだ。
彼女が魔女の図書館等々で調査したところによると、あの「燃える氷」はいわゆる沼気の固形化物質らしく。
幻想郷を載せて海に浮かぶ蓬莱の島々、その周辺海域の海底深くに豊富に埋蔵されるエネルギー資源であるといわれている。
薪や石炭や石油を燃やすよりもずっと効率がよく、しかも空気を汚しにくいということで採掘が期待されていた時代もあったが、前述のとおり扱いが非常に難しいため、記録に残っている時代の技術ではうまく採掘できていなかったということらしい。
「まあ、一気に山と海とを繋いで取り換える程度の巨大な力があれば、取り出すのも簡単でしょうが……」
現在の幻想郷には該当する人物は見当たらないし、その事業を引き受ける者もまたいないだろう。
それに、である。
「燃える氷」とやらの正体がどのようなものであろうとも、それは今の幻想郷において過剰な存在であるのは間違いない。
燃やすもの、燃やすべきものも、燃やすべきでないもの。
幻想郷にはどれも既に揃っているからだ。敢えて必要とする程には、誰しも困窮していない。
消費それ自体が是とされ価値となる文化は幻想郷にはまだ、ない。
「これもまた、神々の、ええとなんだっけ、観測気球なんでしょうけどね」
我々の反応すらも織り込み済みなのだろう。
新聞屋はひとりごちる。
しかし……あの神々が降ってから、外側との情報の行き来がやたらスムーズになった気がする。今回の情報も以前より入手しやすくなったから理解できたようなもので。
外界に興味はなくても耳に飛び込むようでは、幻想の選択をしているはずの博麗大結界の機能にも若干の疑問点がつく。
相変わらず変化のない博麗の巫女は別としても、妖怪の賢者などは内心穏やかでないだろうなと文は忖度する。
それはまあ、それとして。
今は天狗としての本分以上の興味はない。
幻想郷は今のままでまだまだ面白い。自分にも干渉の余地があるし。
彼女は依然としてそう考えている。
「さて……では戻りますか。明日の原稿を仕上げませんとね」
おそらくこの事件が紙面を賑わせることはもうないだろうけども。
眼下をちらりと一瞥してから、幻想郷でもっとも強力な一族に連なる娘は虚空を蹴る。
轟音と共に風が去ったその後で、森の木々は身震いするように大きく揺れ、無数の葉を落としていった。その分だけ冬が近づいてくる。
☆
「……あー、面白かった!」
「最初からだいたい想像ついてたけど、今回も大笑いでおわっちゃったわ」
「燃える氷はちょっともったいなかったけど。綺麗だったし」
「大丈夫大丈夫、あんなのだったらわたしだって出来るよ」
サニーは懐から取り出した布をするすると広げた。
中には朱い墨汁で「氷」と書いてあり、下の方には波の模様まで入れてある。
夏になると海辺のかき氷屋の軒先に吊るされるアレである。
「あ、それはわたしが拾った奴じゃない」
ルナがびっくりする。彼女は先天的かつ無意識的な珍品コレクターでもあったりするのだ。
「これに火をつければ、わたしにだって『燃える氷』作れるもんね」
「ま、意味的にはさして変わらないよねー」とスターもにっこり。
「火は付けないでね、もったいないから」
ルナは申し訳程度の抗議をするが本心ではなく。
顔を向け合った三人は、悔しそうなチルノの顔を思い出して再度、笑いが止まらない。
遂には腹を抱えて転がりまわる始末。
「お・ま・え・ら~~!」
そんな三人の周囲に、先端が凶悪に尖った氷柱が何本も突き刺さる。
慌ててその方向を向くと、散々馬鹿にされたチルノが猛スピードで飛来する。
いうなればまさに今、彼女は――憤怒の蒼い怒りに燃える氷の精、であった。
「わわわっ、追ってきたっ」
「鳥頭のくせに」
「しつれいな! って、鳥頭ってどういう意味だー!」
「意味知らないのに失礼も何もないじゃない」
「ぜったいばかにしてるだろー!」
「そういうのはさすがに分かるのね……って、スターどこ? もう逃げてるじゃない!」
「ちょっと待ってサニーあっ」
「あ、ルナがまたこけた」
「お前ら待てー! 逃げるなー!」
☆
こうして妖精同士の遺恨を懸けた再戦が始まった、のだが。
規模も小さかった上に内容も猫のじゃれあいに等しく。
当然ながら天狗も取材に来なかったため、人妖の話題の遡上に上ることはなかった。
よって――
後にこの戦いが第二次妖精大戦争と呼ばれたかどうかは、定かでない。
生成は結構簡単だから、氷で囲んで一気に圧縮とかすれば、チルノにも生成できるかもしれない。
新説!
山の神様たちの目的が少々気になるところではありますが
話的にも三月精のほのぼの&ドタバタな感じが出ていて良かったです。