「……あ、失敗した」
呟いたと同時に、動かない大図書館ことパチュリー・ノーレッジは、しまった、と思った。
薄暗い地下図書室には三人の息遣いがある。
一人はもちろんパチュリー。
日夜、魔法の研究の為にこの空間に閉じこもり、グリモワールやマジックアイテムを製作し続けていた。
紅魔館の主人と同じく、日光に滅多に当たらないものだから、色白なのは仕方がない。
もう一人は小悪魔。
未だ真名が与えられていない弱小悪魔で、今はパチュリーに使役されている。
ときどき主人を裏切り、いたずらを仕掛けたりするが、普段は真面目に本の整理に追われている。
そして、部外者たる最後の一人。
霧雨魔理沙。
魔法使い然とした、魔法使いらしい普通の魔法使いで、その実、ただの人間。
そんな赤の他人である魔理沙がいたからこそ、パチュリーは呟いてしまった事を後悔した。
「え、なになに、何を失敗したんだ?」
予想通り、魔理沙はニヤニヤとしながら読んでいた本に栞は挟まず机に置くと、そのままパチュリーが作業していた机に近づく。
「もう、なんでもないから。あっちで漫画でも読んでなさい」
「えぇ~。邪険にすんなよマイベストフレンド。どこをどう失敗したのか、お姉さんに言ってみなさい」
「なにがお姉さんよ。私の方が遥かに年上なんだから」
ぺいぺいと手を振るが、魔理沙はパチュリーの肩に手をまわしてニヤニヤと離れない。
失敗というものは魔法使いにとって珍しい事ではない。
試行錯誤とトライ&エラーの末に新しい魔法は完成する。
一発で成功するなど奇跡の類に他ならず、大抵は失敗やエラーから方法や理論を改めて成功への道しるべにするものだ。
とは言っても、その失敗なんてものは他人には見せたくない。
魔理沙の数倍は生きており、魔理沙の数倍は失敗しているパチュリーとしても、失敗は失敗で恥ずかしいものだった。
ミスするのは当たり前なのだが、わざわざそれを他人に見せる必要などどこにもない。
完成品だけ見せれば満足だし、成功までの経緯も話す必要がない。
そういう理由から、魔法使い同士であっても他人の失敗は中々に見れるものではなかった。
「同じ魔法使い同士、仲良くしようぜ」
「嫌よ。そもそも系統が全然違うじゃない、このキノコ魔法使い」
「む、それはマイナー魔法使いへの差別発言だぜ。取り消せ取り消せ、そして失敗を公表しろよぅ」
魔理沙はパチュリーの頬に自分の頬を付け、むにむにと顔を動かしまくる。
「やめ、やめなさいったら! あぁ~もう、分かったから離れなさい!」
「おっと、ようやくお姉さんに話す気になったか。愛い奴め」
「だから私の方が年上だってば。ふぅ……もういいわ……」
パチュリーは呆れた様にため息をひとつ。
そんな友人を見て、魔理沙は慌てる様に離れた。
「あぁ、ごめんごめん。調子に乗りすぎたぜ。だから嫌いにならないで」
「あなたの事なんか、とっくに大嫌いよ」
おっとそうだったぜ、と魔理沙は笑う。
「それで、何を作ってたんだ?」
パチュリーの机の上にはカラフルな液体が入った試験管が揃っていた。
赤や青といった分かりやすい原色の液体から、深緑や黄土色という中間色まであり、それらがズラリと並んでいる。
パッと見た感じでは魔法ではなく科学の実験にも思えた。
「味覚を変更する薬を作ってたのよ」
「味覚?」
「そう、味覚」
パチュリーは舌をペロンと出す。
意外と短いらしく、可愛らしい。
「いあうあんええんおういえおおうんあ?」
「舌を出したまま喋らないで」
「味覚なんて変更してどうするんだ? というか何の役に立つんだ、そんな薬」
それが立つのよ、とパチュリーがため息交じりで苦笑する。
「私の数少ない友人の一人、レミリア・スカーレットさんの依頼よ」
「レミリアが?」
「そう、レミィが」
パチュリーは一番手前にあった試験管を手に取る。
液体の色は薄いピンクで、ケミカルな粉末ジュースを思わせる色だった。
「ウチのメイドが紅茶に色々といれて実験するみたいで。それの対策で、何を飲んでも甘く感じる薬を作ってパチェ衛門~。って泣き付かれたのよ」
「よくそんなの引き受けたな」
「暇つぶしよ。魔理沙が来てる時に、本来の魔法製作なんてする訳がないじゃない」
「だよな~」
うんうん、と魔理沙も頷いた。
魔法を製作する過程など、秘術中の秘術であり、おいそれと他人に見せて良い訳がない。
特にパチュリーは属性魔法の使い手であり、その基本は全ての魔法に応用できる。
そんな場所に魔理沙が入り浸って良いのは単純にレベルの違いが開きすぎているからだった。
魔理沙のレベルでは理解できないグリモワールだらけで、実質、読まれたとしても問題はなにもない。
問題があるとすれば、外なる神々の情報を得てしまって狂ってしまうぐらいだろう。
「それで、その薬をどう失敗したんだ?」
「う~ん……ねぇ、魔理沙。飲んでみない?」
「は?」
パチュリーは魔理沙に試験管を近づける。
どうやらパチュリーが持っているピンクの液体が、失敗した魔法薬らしい。
「待て待て待て。失敗したものなんか飲める訳がないだろう」
「いつも毒キノコ食べてるじゃない。だいじょうぶ、あなたなら出来るわ」
「何が出来るんだよ。嫌だぜ、飲みたくねえよ」
「副作用なんか無いから。効果も今日一日だけよ。別にあなたには何の影響もないから」
ぐいぐいとパチュリーは試験管を近づけた。
魔理沙はそんなパチュリーの手を持ち、ぶんぶん、と首を振り続ける。
そんな押し問答の後、埒があかないと判断したパチュリーは小悪魔を呼んだ。
「はいはい、どうしました?」
「ちょっと魔理沙を羽交い絞めしなさい」
パチュリーの言葉を聞き、小悪魔の目が輝く。
もともと悪魔なだけに、こういう命令は喜んで施行する小悪魔だった。
という訳で、小悪魔は素早く魔理沙の後ろに回りこむと脇の下から腕をまわしてガッシリと身体を固定させる。
「うわ、こら、小悪魔!」
抗議の声をあげども、小悪魔は楽しそうな嬉しそうな、うへへ~、という不気味な声をあげるばかり。
振りほどこうと暴れるが、意外や意外に小悪魔の力は強く、外せそうになかった。
「ぱらのーまるあくてぃびてぃ~」
訳の分からない言葉を呟きながらご機嫌な小悪魔。
そんな小悪魔と同じく、ふひひ、とパチュリーは笑う。
「諦めなさい魔理沙。ここは紅魔館、メイドから吸血鬼までよりどりみどりの館よ。赤色だけど。さぁ、ぐぐっと飲んでしまいなさい」
パチュリーが暴れる魔理沙の足を掴み、持ち上げた。
試験管はまるで空中に固定されているかの様にパチュリーの傍に浮いている。
どうやら魔法で浮かせている様で、落ちる様子など微塵もなかった。
「うがー、なんだそのパワー!? どこが紫もやしなんだよ!」
「魔力を物理力に変換するなど簡単な事でしょう。ささ、口を開けなさい」
魔理沙はぶんぶんぶんと首を振って口を閉じた。
意地でも開けないつもりらしい。
「あら、強情なのね。仕方ないわね、まったく」
と、パチュリーは魔理沙の足から手を離して彼女の鼻を掴む。
試験管がふわりと口元にスタンバイした。
「失神する前に覚悟を決めてしまいなさいな」
「んー! んー!」
「嫌なの? いっその事、口移しで飲ませてあげましょうか?」
「んんんんん!!!???」
「え? ファーストキス? 乙女チックなのね。それじゃぁ、大人しく薬を飲むか、ファーストキスを奪われながら薬を飲むか、どっちか選びなさい」
「どっちも嫌だ、あむ!?」
叫ぶ魔理沙の口に試験管が捻じ込まれた。
喉を直接液体が流れていく感覚に、思わず魔理沙はごっくんと飲み込んでしまう。
しかし、全部は飲めず、げほげほと咳き込んで残りを吐き出した。
「げほっ。うえ~、飲んじゃった~」
「別に泣きそうになるものじゃないわよ。安心しなさい」
「だって~。ていうか、失敗作だろ? 私はどうなるんだ?」
「甘くなるだけよ」
パチュリーの説明に魔理沙は、ほえ? と、ハテナマークを頭に浮かべた。
「味覚を甘くする薬を、間違えて身体が甘くなる薬に成ってしまっただけ。つまり、今の魔理沙は甘いのよ」
「……それだけ?」
「えぇ」
なんだそれだけか、と魔理沙は深く安堵のため息を吐いた。
小悪魔に羽交い絞めにされたままなので、座る事は出来ないが、彼女にもたれる様にして身体を弛緩させる。
「もっとヤバい薬かと思ったぜ、どれどれ……」
魔理沙は右手の人差し指を口に含んでみる。
程よい甘さが舌に伝わり、おぉ、と感嘆の声をあげた。
「確かに甘いぜ。しかも美味しい」
「え、美味しいの?」
おう、と魔理沙は頷く。
味の良し悪しまでは考えていなかったらしい。
まさか美味しいとは思いもよらなかったらしくパチュリーは、ちょっと舐めさせて、と魔理沙に頼んだ。
「いいぜ、ほら」
魔理沙は左手の人差し指を差し出す。
さすがにさっき自分で舐めた右手を差し出すには抵抗があった。
パチュリーは魔理沙の左手を掴むと、おずおずと口元へと近づけていく。
口をあけて、舌を出す。
ペロ、と指を舐めた。
「あ、ほんとだ。美味しいわ」
へ~、と頷きながらパチュリーは再び指をくわえる。
魔理沙は指先に仄かな温かみと歯の固さを感じた。
「お、おい、パチュリー?」
魔理沙の静止もきかず、パチュリーは魔理沙の指に舌を這わせる。
指にヌルリとした感触。
それと同時に唾液に濡れていく感覚に魔理沙は表情を歪めた。
そんな魔理沙にはおかまいなしにパチュリーは指をねぶっていく。
時々、子猫の様に指をあまがみしたり、口から出し入れしたりして、まるでアイスキャンディーの様に魔理沙の指を舐めまわした。
ぴちゅ、とか、くちゅ、などのおよそ図書館には似つかわしくない水っぽい音が地下に響いた。
「パチュリー、もういいだろ? 指がふやけちまうぜ、おーい」
「ん……もうちょっと」
しょうがねーな、と魔理沙は呟く。
そんなパチュリーの様子が気になったのか、魔理沙を羽交い絞めし続けている小悪魔は、ペロリと魔理沙の首筋を舐めた。
「ひゃう!?」
「あ、ほんとだ、美味しいですね」
「おいおい、小悪魔。人を舐める前には一言断りを入れるべきだろう」
「そうですね。でも私、悪魔ですから」
と言って、小悪魔は魔理沙の首筋を舐め上げる。
襟の中を潜る様にしえから、首の裏へと舌が這わされていく。
そのまま頬までいき、ついでとばかりに耳をハムハムとあまがみしていった。
「ちょちょちょ、待って待って。待ってください小悪魔さん!」
「はむあむ、ぺろぺろ、ほむほむ。何ですか、甘くて美味しい魔理沙さん」
「舐めるの待って! なんかゾクゾクするから!」
羽交い絞めにされて、左手をパチュリーに舐められ、首筋と耳を小悪魔に舐められている。
そんな訳の分からない状況になって、魔理沙はうがーと叫び、暴れ始めた。
小悪魔は舐めるのに夢中になっていたらしく、羽交い絞めから逃れると、素早く箒の元に走り、浮かび上がる。
「ま、また来るぜー!」
そう捨て台詞を吐くように二人に告げると、猛スピードで地下図書室から文字通り飛び出していった。
「あぁ、いっちゃった……」
「パチュリー様、薬はもうないんですか?」
「無いわ……また作ろうかしら……」
「私、欲しいです」
残された魔法使いと悪魔は、魔理沙の甘さを想像してか、ほう、と悩ましげなため息を吐いたのだった。
~☆~
「……と、いう訳なんだ」
魔理沙は一通りの説明をしてから、ほへ~、とテーブルに頬杖を付いた。
左手の人差し指は未だにふやけた感じがして、ゴシゴシとスカートで拭う。
もちろん、気のせいなので感触は消えやしない。
パチュリーが指をくわえている様子を思い出し、魔理沙は大きくため息を吐いた。
「相変わらず変な事ばっかりやってるのね」
そんな魔理沙にアリス・マーガトロイドはキッチンから声をかける。
パチュリーも元から逃げ出した魔理沙はそのままアリスの家へとやって来た。
あのまま帰って家でゆっくりしていればいいのだが、誰かに話を聞いてもらいたくなり、同じ魔法使いの友人としてアリスの家にやって来た。
アリスは現在、紅茶の準備中であり、こればっかりは人形に任せられない。
延焼しては大変だ。
「私は変じゃないぜ。変なのはパチュリーだろう」
「属性魔法使いもキノコ魔法使いも、どっちも変よ。魔法は遠隔操作に限るわ」
「アリスの魔法がスタンダートだったら、魔法使いの全員がニッチ魔法使いになっちまうぜ」
と、色々と魔法使い談議に花を咲かせていると、アリスがカップに紅茶を注いで持ってくる。
テーブルに置くと、ふわりと香りが漂い、魔理沙の顔が少しだけ明るくなった。
「お。いただきま~す」
「あ、ちょっと待って。砂糖がまだ入ってないわよ」
魔理沙は手をヒラヒラと振りながら、ふぅふぅと荒熱を取る。
とりあえず、一刻も早く紅茶の味を楽しみたいらしい。
「ふぅふぅ……ん。あれ、ちゃんと甘いぜ」
「え、うそ?」
アリスはキッチンから角砂糖が入った瓶を持ってくる。
しかし、瓶の中身はたったの一個の角砂糖が入っているだけだった。
「まだ砂糖いれてないわよ?」
「でも甘いぜ。ほら」
魔理沙が差し出すカップを受け取り、アリスも一口飲む。
「あれ、本当だ。甘い……こっちは」
アリスは自分のカップに注がれた紅茶を飲む。
「こっちは甘くないわ……どういう事かしら……」
う~ん、とアリスは腕を組んで考える。
魔理沙も同じ様に、う~ん、と言いながら紅茶を飲んだ。
「あ、分かった。唾液かしら、もしかして」
「分かったのか憶測なのかは微妙な言い回しだな、それ」
「ちょっと唾液舐めさせてよ」
「おまえは謎の彼女Xか!? 嫌だよ、そんなの」
「キスしてって言ってる訳じゃないんだから~。お願い、私の知的好奇心を埋めると思って」
アリスは両手を合わせて懇願する。
テーブルの上にいた上海人形が土下座した。
都会派な西洋魔法使いの癖に、意外にも和風なお願いの仕方だった。
「う~……分かったよ。どこに入れればいいんだ?」
「あは。このカップにお願い」
アリスは満面の笑みで自分の紅茶が入ったカップを差し出す。
魔理沙は受け取って、んべ~、と舌をだし、口を開けたまましばらく待つ。
徐々に唾液が舌を伝わり、ぽたり、とカップに落ちた。
「ん……これでいいか? まったく……何とも言えない気分だぜ」
「魔法使いが好奇心旺盛だって事、あなたも知ってるでしょ」
好き好んで毒キノコを食べている魔理沙に反論の余地は無い。
魔理沙が複雑な表情を浮かべている中、アリスは紅茶を一口飲む。
驚いた様な、不思議に思った様な、そんな表情を浮かばせてから魔理沙の顔を見た。
「ど、どうした?」
「美味しい。凄く美味しいわ、これ!」
アリスは魔理沙にもカップを差し出す。
魔理沙は一口飲むが、それは自分のカップに注がれた紅茶と何も変わらない気がした。
確かに甘くはある。
だが、それ以上に声をあげる程に美味しいかと聞かれれば、首を傾げるしかない。
「ん~、好みなのかしら……ちょっと指も舐めさせて」
「お前もかよ……ちょっとだけだぜ」
魔理沙は左手の人差し指をアリスに向けた。
アリスは躊躇なく、パクリと加えると一舐めしてからちゅぽんと口から引き抜く。
「ん、この甘さだわ。上品な甘さというのかしらね。自己主張しない感じなんだけど、確かな甘さがあって……そう、癖になる甘さね」
「そうかぁ?」
魔理沙は再び自分でも舐めてみる。
やはり、甘いけど大した事はない。
「でも、唾液と指とじゃ甘さの感じが違うわね。ちょっと色々舐めさせて」
そういうとアリスは遠慮なしに魔理沙に近づいて顔をガシリと掴んだ。
「お、おいおい、なんだ、どうした!?」
怯える魔理沙の頬に遠慮なくアリスは舌を這わせる。
頬、おでこ、耳、首筋とぎゃーぎゃー騒ぐ魔理沙をよそにアリスはテイスティングを楽しんでいった。
「あうあうあうあう」
「ん……指よりも顔の方が美味しいわ。ちょっと言ってみてよ、僕のお顔をお舐めって」
「私に自己犠牲の精神はないぜ。もう顔がべちょべちょじゃないか……も~……」
魔理沙は軽くへこむが、アリスはこの程度で終わらせる気が無いらしい。
今度はしゃがみ込むと魔理沙のブーツを引き抜き、靴下まで脱がそうとしてくる。
「おい、それはヤバいぜアリス。具体的に言うと衛生的にヤバい。そしてお前の目がヤバい」
「いやでも、一度は合法的に舐めてみたいじゃない」
「お前はいつからマゾヒズム溢れる魔法使いになったんだよ……」
「私はサディズム溢れる都会派だわ」
嘘付け、と魔理沙が叫ぶがアリスは聞く耳を失ってしまったらしい。
上海人形がバケツを運んできて、アリスは強引に魔理沙の足をそこに沈める。
引き上げた足を布で丁寧に拭いていくと、アリスはおずおずと舌を出しながら魔理沙の足へと顔を近づけた。
こうなっては、下手に暴れるとアリスの顔面を蹴ってしまいそうなので、魔理沙も大人しくするしかない。
「勘弁してほしいぜ……」
何か背徳感あふれる映像が見えて、魔理沙は目を閉じる事にした。
アリスは両手で魔理沙の足を掴むと、その甲に口付けする様に舌をつけた。
ゾクリ、と魔理沙の背中が跳ねる。
足の甲を舐め上げてから、舌を徐々に指の方へと下げていく。
親指から小指までを丁寧に舐め上げていくアリス。
それをヒクヒクしながら耐える魔理沙。
「ん、美味しい。ほんと、おいしいわ魔理沙」
「ひっ、く。私はくすぐったいのと訳の分からなさで限界だ。もういいだろ」
まだまだよ、とアリスが言った瞬間にゾクリと魔理沙の背中が震えた。
アリスは指と指の間にまで舌を這わせてきた。
いくらなんでもそれはやりすぎだ、と魔理沙は思ったが、一心不乱に舐め続けるアリスの姿を見て言葉を失う。
なんだか分からないが、とにかくヤバい。
「おい、アリス!」
叫ぶがアリスは返事をしない。
魔理沙は強引にアリスの肩を押した。
油断していたのか、アリスはコロンと後ろ側へと転ぶ。
「きゃっ」
そんな可愛らしい悲鳴も魔理沙は構っている暇はない。
バケツに足を突っ込んでアリスの唾液と舌の感触を水で流す。
そのまま靴下とブーツを持って箒を取ると、素早くアリスの家の入り口を開けた。
「ま、また来るぜ」
「ちょ、ちょっと魔理沙!」
アリスの制止も聞かず、魔理沙は文字通りアリスの家から飛び出した。
「……あぁ、いっちゃった」
ほう、とアリスは名残惜しそうにため息を吐いた。
そして、テーブルの上に残された紅茶を見て、艶やかな笑みを浮かべるのだった。
~☆~
カランコロン、とドアベルが来客を告げる。
少し薄暗い店内は、窓からの光だけで暗闇になるのを避けているのだが、日向と日陰のコントラストをより強いものにしていた。
ドアをあけた事による少しの風で、埃が多少は舞い上がる。
そんな事を気にもとめず、魔理沙は肩で息を整えた。
「いらっしゃい、香霖堂へようこそ」
そんな魔理沙に勘定台から女性の声が届く。
誰だ、と魔理沙が顔をあげると、そこには永遠亭のお姫様が頬杖をついたまま緩い笑顔を浮かべているのが見えた。
「ぜぇぜぇ……輝夜じゃないか。なにやってるんだ?」
「見ての通り、看板娘よ」
と、輝夜は立ち上がる。
そして髪をかきあげ、うっふ~ん、と腰をくねらせた。
いつもの豪奢な着物に、無骨な香霖堂と刺繍された前掛けのアンバランスさは、従僕といえども殺意を抱いたかもしれない。
つまり、とても勿体無い事になっていた。
「看板娘ねぇ。アルバイトでもしてるのか?」
「似た様なものよ。ただの夫婦ごっこ」
「輝夜が亭主で、香霖が女房って訳か。相変わらず倒錯してるなぁ」
魔理沙の言葉に輝夜はおかしそうにケラケラと笑うだけだった。
案外、当たっているのかもしれない。
「それで、息を切らせてどうしたの? 辻斬りにでもあった?」
半人半霊には会っていないぜ、と前置きしてから魔理沙は今までの経緯を説明する。
輝夜は滑降の暇つぶしと、魔理沙の話を興味深く聞いていった。
「と、いう訳なんだ。どいつもこいつも甘い物が好き過ぎるだろ」
「う~ん……ちょっと違うわね、それ」
輝夜は目を細めて魔理沙をジっと見る。
なんだなんだ、と思わず後ずさりする魔理沙。
「甘くなってしまう魔法ってだけではなさそうよ。なんというのかしらね、今の魔理沙からは気品みたいなものが漂っているわ。現代語でいうと、かりすま……かしら」
「もしかして、テンプテーションか!」
輝夜に言われて魔理沙は納得する。
パチュリーや小悪魔、アリスの態度は確かにおかしいものがあった。
ただの甘い物好きにしては行き過ぎている感じだし、よくよく考えてみれば、そんなに人を舐め回すはずがない。
せいぜい妖怪『アカナメ』くらいのものだろう。
あの妖怪だって、人間を直接舐めたりしないというのに。
「あぁ、だんだん分かってきたぜ。本来作ろうとした『甘く感じる薬』に、『甘い物を好きになる』効果を加えようとしたんだろうな。それが常時発動してしまって、私に向かうテンプテーションに変化してしまったのか」
「今なら傾国の美女にだって成れるわよ。八雲紫のところに行ってごらんなさい。式神にしてもらえるわ」
「支配するんじゃないのかよ」
魔理沙のツッコミは無視して、輝夜は何やら妙に身体をくねらせる。
「妲己ちゃんよ~ん♪」
あとで八雲藍に物理的に地獄に落とされるかもしれない。
それでも死なないのが恐ろしい。
「何やってんだ、お姫様……まぁいいや。今日はもう家に閉じこもってるぜ」
「えぇ~、もう帰ってしまうの? ちょっとは私の退屈を紛らわしてよ」
「そうは言っても危ないだろう。もし香霖が来たら……」
そう言って、魔理沙はキョロキョロと辺りを見渡す。
この店の本来の店主、森近霖之助が来ては大変だ。
同性に舐められるのであれば、まだマシなのだが、霖之助に指を舐められるところを想像して、魔理沙は背中を震わせた。
小さい頃からお世話になっているとはいえ、それはやはり、何とも厳しい。
「大丈夫よ。あの朴念仁に、そのてんぷてーしょん? ってのが効くとも思えないわ。一緒にお風呂に入っても眉毛一つ動かさないわよ」
「え、なにお前ら、一緒に風呂に入ってるの?」
「物の例えよ。冗談で誘ってみたら鼻で笑われたわ」
何を思い出したのか、輝夜は怒りをぶつける様に頭をガシガシと掻き毟った。
綺麗な黒髪がザンバラになるが、すぐに元に戻る。
不老不死は便利だなぁ、と妙に感心する魔理沙だった。
「まぁ、そういう訳だから安心しなさいな。そこでしょ、あなたの指定席」
そう言って輝夜は魔理沙がいつも座ってる壷を示す。
「え、あ、あぁ……なんで私を引きとめ様とするんだ? もしかして、すでに……」
「私が誘惑に負けるとでも? これでもお姫様なのよ。他人の色香や呪術めいた誘惑に負ける程、愚かな精神ではないわ。私の敵は退屈よ。この世から退屈という存在を消してくれるなら私は命を差し出したって構わないわ」
死なないけどね、と輝夜は付け足す。
そんな輝夜を見て、まぁ大丈夫か、と魔理沙はいつもの指定席に腰をかけた。
「ふぅ……ようやく落ち着けたぜ」
「あなたにとっては『いい薬』になったんじゃない?」
「それじゃぁ私がおてんば恋娘みたいじゃないか」
「否定できるの?」
魔理沙は肩をすくめた。
否定する気はないらしい。
「ん~、でも、全身が甘いとなると『桃娘』を思い出すわね」
「たおにゃん? なんだそれ?」
「生まれた時から桃ばっかり食べさせられた少女で、身体からは桃の香りがするそうよ。汗とかも甘いらしいわ」
「へ~、天界に居そうだな。そんな奴」
「性奴隷だけどね」
「せ、え?」
魔理沙の顔が一瞬にして赤くなったので、輝夜はケラケラと笑う。
まぁ、そんな風ににぎやかにしていたからだろう、店主がのっそりと店へとやって来た。
手や顔には少々の汚れ。
どうやら工房で何かを作っているらしい。
「お客さんかい……なんだ魔理沙か」
と、霖之助がため息を吐くより早く魔理沙がずざざざざっと店の端まで下がった。
輝夜に朴念仁とまで言われているが、魔理沙の不安は解消できていなかったらしい。
「よよよよ、よう、香霖。なに作ってたんだ?」
「ただのマジックアイテムなんだが……僕の手や顔はそんなに汚いかい? そんなに離れなくてもいいじゃないか」
霖之助は自分の手を見る。
確かに汚れているし、この手では客人にお茶すら出せない。
さすがに汚れた湯飲みを魔理沙に出す訳にもいかないだろう。
「いやいや、香霖は大丈夫だぜ。問題は私だから、気にしなくてもいいぜ」
「今の魔理沙は性奴隷にも似た存在なのよ」
輝夜が余計な事をいうので、魔理沙が訳の分からない叫び声をあげる。
「じゃ、じゃぁ私はこの辺で帰るぜ。二人で仲良くやってくれ!」
そう言い残して、魔理沙は再びドアベルを鳴らして飛び出していった。
「あら、残念。せっかく魔理沙の“しし”が飲めると思ったのに……」
そう輝夜が呟いた後、霖之助が侮蔑を込めた表情で輝夜を見たのは仕方のない事だろう。
~☆~
翌日。
すっかり魔法の効果の解けた魔理沙はいつも通りの身支度を済ませ、博麗神社へと向かった。
「おはよう、霊夢」
霊夢はいつもの様に掃除をしており、いつもの様に空から舞い降りてくる魔理沙に、おはよう、と返事を送る。
「いやぁ、昨日は大変だったぜ」
「そうみたいね。全身が甘くなっちゃったんでしょ? 私にも舐めさせてよ」
「は?」
霊夢の言葉に、魔理沙は思わず自分の指を舐める。
すでに甘くは無く、何の味も感じられない。
魔法の効果はパチュリーの言った通りに、今朝の段階で切れているのは確かだった。
「な、なんで知ってるんだ?」
「鴉天狗が嬉しそうに言ってたわよ」
「それはツインテールの方か!?」
「いいえ、幻想郷最速の方」
おわったあぁ! と魔理沙は頭を抱えて叫んだ。
射命丸文がどこでどの様に情報を仕入れたかは知らないが、こうなってしまってはお終いだ。
すでに幻想郷中の人間妖怪妖精幽霊仙人魑魅魍魎が知っていてもおかしくはない。
しかも鴉天狗の仕業だ。
この話に尾鰭と背鰭が付いているのは間違いない。
「あ、いましたね」
と、ここで空からフワリと静かに女性が舞い降りてきた。
美しき緋の衣こと永江衣玖だった。
何やら少々慌てた感じで二人へと近づいていく。
「あら珍しい。龍宮の使いだわ」
暢気に霊夢が言うが、魔理沙としては気が気でなかった。
このタイミングで彼女が現れるという事は、何かしら悪い予感しか感じない。
「魔理沙、逃げなさい」
「に、逃げるって誰から? どこへ?」
「いえ、詳しくは分かりません。とりあえず、空気がそう伝えていますね。幻想郷中の意識があなたに向いています。敵意ではありませんが、良くない空気なのでこれは伝えなければならないと思い、伝えに来ました」
魔理沙の顔が青くなる。
すでにテンプテーションの効果がないので衣玖や霊夢みたいな者ならば普通に対応できるだろう。
だが、そんな人物ばかりの幻想郷ではない。
中には興味本位だけで魔理沙を捕獲する者がいてもおかしくはない。
「……たおにゃん」
魔理沙の頭の中に、昨日の輝夜の言葉が浮かび上がる。
そうなってしまうと、もう最悪の結末しか出てこなかった。
「うわああぁぁぁ!」
魔理沙は箒にまたがるとどこを目指す訳でもなく、飛び上がる。
「私はもう甘くないぜえぇぇぇ!?」
泣きながら叫ぶ姿は、ちょっぴり悲しみを含み、ほろ苦い姿を晒す魔法使いだった。
おしまい。
あれは確か、『何でも美味しくなる薬』をかぶってしまった豚の博士が、狼の友人に食われそうになり続ける話だった気がします。
最後はその狼が薬を被ってしまい、豚さんが狼を抱えて調理場を探す所でエンドだったかな。
魔理沙も(まだ)物理的に食べられなくて良かったね!
アリスに飲ませてやるんだ
小さい方だよね…?
にやにやしながら愉しい時間を過ごすことができました
足を舐めるアリスを想像して熱が上がりました。面白かったです。
この話にルーミアが絡んできたらと考えると……
アイスキャンディー!!
パチュリー「新しい薬よ~」
(中略)
魔理沙「舐めるなぁぁぁぁッッッ!!!!!」
魅魔「甘い、甘いぞぉぉぉぉッッッ!!!!!」