時は四月一日。幻想郷にも春妖精の到来と共に本格的に春が訪れた。冥界にある白玉楼や幻想郷最東端に位置する博麗神社では桜が咲き誇り、まるでこの世の物とは思えないような煌びやかさを纏っていた。かと思えば春眠暁を覚えずと言った具合に三途の川の船頭はこれ見よがしに木の船と自らの船を漕ぎ、上司から大目玉を食らっていた。
そして、ここ命蓮寺も御花見に託けて多くの参拝客を取り入れようと奮闘している真っ最中であった。雲山と一輪の手品の見世物や村紗の作るカレーの評判は上々で数々のリピーターを生み出し、命蓮寺は非常に潤い、賑わっていた。
そんな賑やかな命蓮寺の御花見大作戦が一段落した四月の一日の事だった…………
※※※※※
「……天気がいいですねー」
毘沙門天の使いの少女、寅丸星は寺の縁側に腰を下ろしお茶を飲みながら、境内に咲き誇る桜をうっとりと眺めていた。冥界の御屋敷には敵わないが此処命蓮寺の桜もとても優美で美しい。星はそう自負していた。
そんな美麗な桜を肴に玉露を啜りながら星は全く別の事を考えていた。
「今日は特にやる事もありませんし、暇です」
暇を持て余し、そのままゴロゴロと縁側を転がる星。その間抜けな姿は虎というより年寄りの家に飼われている老猫のようだ。
「んにゃーーーーどーしましょーー」
いよいよ縁側を転がるスピードが残像を生み出す程度の早さになった頃、星は今日が何の日か思い出した。
──今日は四月一日。確か噂によると一年に一度しかない嘘を付いてもいい日ではなかったでしょうか?
そう、エイプリルフールという名の。
ただ、嘘を付くといってもどんな嘘を付けばいいのか具体的な案が出てこない。いざ、意識して嘘をつくとなるとこれがなかなか難しいものである。
星は腕を組み頭を捻ってどんな嘘を付けば面白いだろうか必死に思案した。
そして、一つの案を搾り出した。
──そうだ! 宝塔を無くしてしまったとナズに嘘を付きましょう。きっとナズの事ですから目を真ん丸にして『それは本当かい御主人!? こうしちゃいられない!』などと言い血眼になって幻想郷中を探し回る事でしょう……それを想像したら……ウフフ。
別段星が宝塔を無くす事は珍しくないし、それによってナズーリンが取り乱す事もないのだが、本人は全く気が付いていなかった。と、いうより星は自分が宝塔をしょっちゅう無くしているという事実にさえ気が付いていないのだ。
──そうと決まれば善は急げです! ナズーリンを探しましょう!!
他人に嘘を付くのだから善という事ではないのだが、そんな些細な事など気にするはずも無く星は勢い良く立ち上がり講堂を走り回った。
※※※※※
さて、ナズーリンは一体どこに居るのでしょうか? 今日は特に仕事を押し付けているわけではないので、出かけている可能性は低いと思われます。
私は最初にナズーリンの自室を訪れる事にした。仕事が無い日のナズーリンは大抵部屋に篭って自身の飼っているネズミの世話をしているか本を読んでいるか趣味でダウジングをしている事が多い。昨日御花見の準備でヘトヘトになっているだろうからどこかへ出掛けている可能性は皆無だろう。
ナズーリンの部屋の前に付き、まず私はノックをした。
「は~い。どなたですか?」
どうやら居るようです。
「私です。今入ってもよろしいでしょうか?」
「御主人か。別に構いませんよ」
ナズーリンの了承を得たので私は素直に戸を引いた。中ではナズーリンがイスに腰掛け、本を読んでいる所だった。
「読書中でしたか、邪魔をして申し訳ないです」
「いえいえ。で、何か御用ですか? 今日は特に仕事はないとの事でしたが……」
「あーそれがですね……実は……少し言い辛いのですが……」
私はわざとらしく視線を逸らし、尋常では無い空気を醸し出した。いいぞ私。上手くいっています。
「はー……何か困った事でもあったのですか?」
ナズーリンは首を斜めにして私の眼を見つめてきた。ちょ。可愛過ぎます。やめてください。
「はい。実は……頼れるのはナズくらいしか居ないものですから……」
「私が御主人の役に立てるのなら何でもしますよ。それで、一体何があったんですか?」
嬉しい事を言ってくれるじゃないですか。もう今すぐにでもナズーリンを抱きしめて自室に連れて行きたい衝動に駆られたが、この煩悩は自分の膝の肉を思い切り抓る事によって回避した。ナズーリンを自室に連れ込むのは後日の楽しみとして取っておく事にしよう。
さて、前置きはこれくらいでいいでしょう。あんまり長引かせてナズーリンの機嫌を損ねてしまっては逆効果です。私は一回息を大きく吸い込み心を決めた。
「実は……ゴメンナサイ! 宝塔を無くしてしまいました!!」
………………
言った瞬間に思わず眼を瞑ってしまったためナズーリンの最初の反応を見ることは出来なかった。数秒後目を開けた私の目の前に居るナズーリンの顔は言葉で言い表すには何と言えばいいか分からない複雑な表情をしていた。
何ていうか……口をポカンと開けて驚いているように見ることも出来るのだが、目が驚いていないというか。私が想像していた目を真ん丸にしてこっちを見ているという図にはほど遠いものがある。極端な事を言うと目を細目をこちらを見下しているようにも見えるのは私の自意識過剰だろうか?
しばらくナズーリンはその顔のまま動かなかったが、やがてフッと息を吐き机に肘を突いていつもの世の中を斜に構えたような顔に戻った。こういう顔もナズの魅力ではあるのだが。
「何を言い出すと思えば、そんな事ですか。全くバカバカしい」
何がバカバカしいんですか? 宝塔が無くなったんですよ。一大事じゃないですか! 自分は嘘を付いているという事も忘れてそう詰め寄ろうと思った瞬間、ナズーリンは予想だにしなかった事を言い放った。
「御主人が無くした宝塔なら私がちゃんと見つけていつもの場所に置いてありますよ。全く御主人もそそっかしいんだから」
私は一瞬ナズーリンが何を言っているのか分からなかった。
無くした宝塔は私がちゃんと見つけた? 何を仰っているんですか? だって宝塔は無くなってないんですよ。今日はエイプリルフールだから私が嘘を付いているだけで宝塔はちゃんといつもの所に保管してあります。それなら分かります。
でも、先程ナズーリンの言った『私がちゃんと見つけて』というのは何でしょうか?
私は心臓の鼓動が少しばかり速度をあげたのを感じた。心なしか息も苦しい。
私は自分の気が付かないところで宝塔を無くしてしまったのだろうか? いつの間にか宝塔を落とし気が付かないまま時が過ぎそれを偶然ナズーリンが拾ってくれた。
考えれば恐ろしい事だ。今回はたまたまナズーリンが拾ってくれたからいいものの、いつもそうとは限らない。また以前のように幻想郷を走り回り、他人に迷惑をかけてしまう事だって有り得る。いや、既にナズーリンには迷惑をかけっぱなしである。
私はただの阿呆だ。これでは本当に毘沙門天の使いとして失格だ。
私が自己嫌悪に堕ちかけたその時、一つの事実に気が付いた。
そうだ。今日はエイプリルフールじゃないですか。何も嘘を付いていいのは私だけじゃありません。
つまりナズも嘘を付いている!!
私は体中に力が漲って来る様な気がしてきた。心なしか心臓も平常運転に戻っている。
そうですよ、簡単なことじゃないですか。ナズも私の嘘に乗っかってくれているのです。全く可愛いやつですねー。やっぱりこの小芝居が終わったら抱きしめる事にします。絶対に抱きしめます。
ナズが乗り気なら私も頑張らなくてはいけません。私は自分が出来る限りの努力で【宝塔を無くした可愛そうな寅丸ちゃん】を演じる事に徹した。
「そんなはずはありません。つい二時間程前に持ち出してしまってそこで無くしてしまいました……」
「私が見つけたのは一時間前ですよ」
ぐっ……そう来ましたか……
「ああーそういえばそうでした。一時間前にも宝塔を持ち出す機会があったのです」
「一時間前は縁側で昼寝をしていたじゃないですか」
……言い逃れ出来ませんね……
…………ん?
「ナズーリン、何で私が一時間前に昼寝をしていたことを知っているんですか?」
「えっ!? それはその……」
「知ってるはずないですよね。だってナズは私の無くした宝塔を探してたんですからね?」
「え、あ、あーうー……」
おーおーナズの顔が真っ赤になってます。目も泳ぎに泳ぎまくってますね。ちゃんと下拵えをしないでその場の付け焼刃的な嘘を付くからすぐにボロが出てしまうのですよ。ちゃんと私みたいに地のしっかりとした嘘を付かないと。
「嘘は良くないですよ。ナズーリン。ナズにどういう意図があってそのような嘘を付いたか私には分りかねますが常に正直で、善を尽くす事こそが極楽浄土への一番の近道ではないのでしょうか?」
まぁ、私は現在進行形で嘘を付いてますが、今日はエイプリルフールなのでそれもOK!
と、私がありがたい説法を説いていたらナズーリンの顔がますます赤くなった。それに加えて口もへの字に曲がっている。これは感情が恥じらいから怒りへと変わった顔だ。私は厭な予感がした。
「だったら、宝塔が置いてある部屋に行って確かめましょう! ちゃんと宝塔は所定の位置に置いてあるはずですから」
どうやらナズはムキになってしまったようだ。読みかけの本をバタンと閉めてぷりぷりと顔を上気させながら私の横を通り過ぎ、戸の前まで来てしまった。
「行きますよ御主人!!」
そう言ってナズーリンは廊下へと消えてしまった。
正直めんどくさい事になった。私は頭を抱えてナズーリンの後を付いて行った。
宝塔が保管してある部屋は大広間と聖の部屋の間の小部屋だ。ここならあまり目立たないし、聖の部屋からも近いという事で物置だった場所を改造して神棚を造り宝塔を奉ろうということになったのである。
私とナズーリンは部屋の前まで来ていた。入り口には何重にも南京錠がかかっている。ここを開けられる鍵を持っているものは限られている。誰でも開けられるわけではない。
「じゃあ開けますよ。宝塔は絶対ありますから! 私がちゃんと見つけてきたんですから!」
この場に来てもナズーリンは相変わらず主張を変えない。余程悔しいのだろうか。と、いうかあるに決まってるじゃないですか。誰も持出してないのですから。
鍵を開けるナズーリンの手も心なしか焦っているように見えた。時々舌打ちのような乾いた音が静かな講堂に響くのが怖い。
私がそろそろ呆れてきた頃最後の鍵が外れてナズーリンが戸を開けた…………
※※※※※
今日は特に仕事が無いと言われていたので自室で本を読んでいる最中、誰かが戸をノックする音がした。
「は~い。どなたですか?」
「私です。今入ってもよろしいでしょうか?」
返事をすると丁寧な言葉遣いをした綺麗な声が返ってきた。ああ、御主人か。
「御主人か。別に構いませんよ」
そういうとおずおずと御主人が私の部屋に入ってきた。何やら少し落ち着きが無いように感じる。
「読書中でしたか、邪魔をして申し訳ないです」
「いえいえ。で、何か御用ですか? 今日は特に仕事はないとの事でしたが……」
「あーそれがですね……実は……言い辛いのですが……」
やはり今日の御主人は少し様子がおかしい。そわそわとして挙動が落ち着かないし目も泳いでいる。まぁ、そんな御主人も保護欲を刺激され、見ていて可愛らしい。そそられる。
「はー……何か困った事でもあったのですか?」
私が首を傾げながらそう聞くと御主人は私の顔を見つめたまま固まってしまった。猫のように大きく見開かれた瞳には過多と思える程の涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。ちょ。マジで可愛過ぎます御主人。襲いますよコラ。
「はい。実は……頼れるのはナズくらいしか居ないものですから……」
嬉しい事を言ってくれますね。私は今すぐにでも戸を施錠して御主人に襲い掛かりたい衝動に襲われたが、自分の左足を自らの右足で踏む事によって誤魔化すことにした。
「私が御主人の役に立てれるのなら何でもしますよ。それで、一体何があったんですか?」
さて、御主人はどんな事を私にしてほしいのだろう。あんな事だろうか? こんなことだろうか? などとあらぬ妄想を膨らませていると、御主人はとんでもない事を言い放った。
「実は……ゴメンナサイ! 宝塔を無くしてしまいました!!」
…………
ほんの数瞬固まってしまったがすぐに次の感情が私の奥底から湧き出してきた。
またか。
御主人が宝塔を無くすのは何度目であろうか。確か五回目くらいまでは数えていたのだが、もう数えるのも億劫になってしまった。それからも何度か無くしたはずだから軽く十回を越しているのではないか? はっきりとは覚えてないが。
御主人が宝塔を無くすのはコーラを飲んだらゲップが出るくらい確実であり、それを見つけることも朝起きたら顔を洗うくらい生活に染み付いてしまったので特段焦る事でもない。また読書に戻ろうとした時に、私の頭にある考えが過ぎった。
今日は四月一日、人間の里へ買い物へ行った時に道行く若者が口々に言っていたが……今日は巷でいう嘘を付いても咎められない日、エイプリルフールではないだろうか?
もしかして御主人は嘘を付いている?
それを立証する証拠もないし、確証も無いが直感的にそんな気がしてきた。これでも御主人とは随分長い事生活を共にしてきている。熟年夫婦ではないが、何となく肌で分かる事も少なく無いと自負している。
そっかそうだな。だったら私も嘘を付いて対抗してみようじゃないか。目には目を歯には歯をだ。
しかし、今から嘘を考えても大して面白い事も浮かびそうも無い。私は大して無い頭を巡らせた。
そうだ。御主人の嘘に乗っかってみよう。一番楽だし確実な方法だといえるだろう。と、いうわけで私は御主人の付いたであろう宝塔を無くしたという嘘に乗っかる事にした。
「何を言い出すと思えば、そんな事ですか。全くバカバカしい」
机に肘を立て少し斜に構えたような雰囲気を醸し出す。これできっと御主人はバカにされていると思っているはずだ。
私の思った通り少し御主人の表情が変わったように感じた。きっと宝塔をそんな事扱いされて少し頭に来たのだろう、うん、可愛い。
たが、あんまり逆上させてしまったら逆効果だ。大した時間は確保できなかったが私が考えた渾身の嘘を御主人にぶつけた。
「御主人が無くした宝塔なら私がちゃんと見つけていつもの場所に置いてありますよ。全く御主人もそそっかしいんだから」
ほら、これでどうだ! まさか御主人も私が嘘に乗っかってくるとは思ってなかったでしょう。自分では隠し切れているつもりでしょうが、鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をしてますよ。
さぁ、どう出ますか? 私は御主人が次にどう切り返してくるか期待に胸を膨らませながら待った。
すると、御主人は唇を噛んで俯いたまま動かなくなった。かと思うと急に顔をあげて太陽のような顔を見せた。コロコロと表情の変わるまるで猫のような人だ。
「そんなはずはありません。つい二時間程前に持ち出してしまってそこで無くしてしまいました……」
有りがちな返答ですね。とりあえず嘘を重ねておきますか。
「私が見つけたのは一時間前ですよ」
どうでしょうか。
「ああーそういえばそうでした。一時間前にも宝塔を持ち出す機会があったのです」
苦しい嘘を重ねてきましたね。私は一時間前に御主人が何をしていたか知っているんですよ。たまたま部屋から見えましたからね。
「一時間前は縁側で昼寝をしていたじゃないですか」
涎をだらだら流しながらアホ面かまして寝ていたではありませんか。あの時の御主人の顔は実にかわい……滑稽でしたよ。山の向こうの鴉天狗を呼び寄せて写真に収めたいとさえ思いましたよ。
私の顔は勝利の余韻に浸っただらしない顔をしていたと思うが、その直後違和感が襲ってきた。
ん? 何だこの違和感は?……
先程私が言った事で辻褄が合わない事があったのだろうか。
えっと、私は御主人が二時間前に無くした宝塔を一時間前に見つけたということになっているのだけど、それに対して御主人は一時間前にも持出したという嘘を付いた。でも、それは嘘で何故なら御主人は一時間前は昼寝をしていてその姿を私は肉眼で確認している。
でもってことはどこかで綻びが────
「ナズーリン、何故私が一時間前に昼寝をしていたことを知っているんですか?」
私がうんうんと唸っている最中、御主人は真相に気が付いたようだ。そうだ、私は一時間前に宝塔を見つけたことになっているんじゃないか! だから御主人が縁側で昼寝をしていた事なんて知っているはずが無い!!
どうにか誤魔化さなくては、私は必死に言葉を紡ぎ出そうとしたが上手く言葉が出てこない。
「えっ!? それはその……」
「知ってるはずないですよね。だってナズは私の無くした宝塔を探してたんですからね?」
ニコニコというよりはニヤニヤと表現した方が適切であろう下品な笑いを浮かべながら御主人は私に顔を近付けて来た。吐息が荒い。近い近いって。
「え、あ、あーうー……」
駄目だ。言葉が出て来ない。どこかの神のような曖昧な生返事だけを繰り返していると、御主人はニヤニヤとした顔をピタリとやめてまるで賢者のように穏やかな顔になった。
「嘘は良くないですよ。ナズーリン。ナズにどういう意図があってそのような嘘を付いたか私には分りかねますが常に正直で、善を尽くす事こそが極楽浄土への一番の近道ではないのでしょうか?」
うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
何ですかその如何にも私がアナタに説法を説いてあげましょうみたいなしたり顔は!? 最初に嘘を振って来たのはアナタですよね? 何でそんな顔が出来るんですかぁぁぁぁぁぁ!!
私は正直にいってかなり頭に来た。これはどうしても御主人の嘘を暴いてギャフンと言わせてやりたかった。気が付いたら次の言葉を発していた。
「だったら、宝塔が置いてある部屋に行って確かめましょう! ちゃんと宝塔は所定の位置に置いてあるはずですから」
そうです。ちゃんと私が御主人の無くした宝塔を見つけていつもの場所に置いておいたのですから。御主人が嘘を付いている証明をあそこで示してやりますよ!!
ん? そもそも御主人は嘘を付いてたんだっけ? 宝塔を無くしたのは嘘なんだっけ? ていうか私は嘘に乗っかったって事でいいのか?? 嘘の嘘は本当? マイナスとマイナスをかけるとプラスになるように嘘にも四則計算が適用されるのか??
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁもう頭がグチャグチャになってきました! とりあえず行けば分かります。
「行きますよ御主人!!」
そう言って私は御主人を置いて廊下へ出て行った。
正直面倒くさい事になった。私は頭を抱えてながら歩を進めた。
宝塔が保管してある部屋は大広間と聖の部屋の間の小部屋だ。ここならあまり目立たないし、聖の部屋からも近いという事で物置だった場所を改造して神棚を造り宝塔を奉ろうということになったのである。
私と御主人は部屋の前まで来ていた。入り口には何重にも南京錠がかかっている。ここを開けられる鍵を持っているものは限られている。誰でも開けられるわけではない。
「じゃあ開けますよ。宝塔は絶対ありますから! 私がちゃんと見つけてきたんですから!」
この場に来ても私の頭は相変わらず瞬間湯沸し器のようにカッカしていた。余程悔しかったのだろう。と、いうかあるに決まってるじゃないか。御主人が嘘を付いているのは明白なんだから。
鍵を開ける私の手は心なしか焦っているようだ。時々舌打をしなければ心が落ち着かなかった。
私がなかなか鍵が開かずそろそろ堪忍袋の緒が切れそうな頃最後の鍵が外れて一気に戸を開けた…………
※※※※※
ナズーリンと星は戸が開いた瞬間まず自分の目を疑った。
「これは……どういうことでしょうか……」
「わ、私に聞かれても……わ、分かりかねます……」
物置を改造して造った小さな部屋には簡素な神棚だけがポツンと鎮座しており、そこに宝塔がある……
はずだった。
本来あるはずの宝塔が綺麗さっぱり無くなっていた。
気まずい沈黙が訪れる。しばらく宝塔があった筈の空間を見つめていた二人だったが、やがて星が口を開いた。
「ちょ、ちょっとナズ、嘘はやめてください。どこにも宝塔は無いじゃないですか。やっぱり私は宝塔を無くしてたんですね……」
「ご、御主人、宝塔を無くしておいて偉ぶるのはやめてください。それに今日がエイプリルフールで御主人が宝塔を無くしたっていうのは嘘って事くらい私は知ってたんですからね」
「そ、それを言うなら私だってナズが私の嘘に乗っかって宝塔は既に見つけてあるなんて嘘を付いている事も知っているんですからね」
「御主人!!」
急に声を荒げるナズーリン。一瞬何事かとビックリした星だが、ナズーリンのその目を見て何かを感じ取った。
「私は決して怒っている訳ではありません。では、私が何を言いたいのか、そして私達がこれから何をするのか何をすべきなのか……言わなくても分かりますね?」
「……えぇ」
二人は互いに目配せをすると小部屋の鍵を協力して閉め、一緒に同じ方向へと走り出した。無駄な言葉を交わさなくてもお互いに言いたいことは伝わる。そして何をすべきなのかも分かる。
宝塔を持出した犯人を見つけ出し、きちんとあるべき場所へ返す。それが二人の使命。
今の二人に冗談や浮ついた気持ちは一切存在していなかった。
※※※
まず、二人は命蓮寺に居る面々にいくつか聞いてみる事にした。
最初にちょうど居間に居た封獣ぬえと村沙水蜜に事情聴取をする。
「宝塔? 見てないな。また無くしたのか?」
「私も知らないよー」
それだけ聞くと二人は一言二言ぬえと村沙に御礼を言って次の場所へと急いだ。
次に二人が聞いたのは庭で桜を眺めていた聖白蓮と雲居一輪だ。二人は地面に茣蓙を引いて緑茶を啜り桜を眺めている最中だった。
「私は存じ上げませんわ。昨日まであったはずですけれど……一輪さんは何か知ってます?」
話を振られた一輪は首を横に振った。
「いえ、私も分かりません。あの宝塔には出来るだけ触らないようにしているので…………そう。どうやら雲山も何も知らないようです」
一輪の後ろで大きな雲が首を横に振った。その表情からは力になれなかった事への悲しさが伝わってくる。
「って事は命蓮寺の誰も知らないって事か……」
ナズーリンは顎に手を当てて空を仰いだ。雲一つ無い正に御花見日和の天気だ。
「やはり外部から盗まれたとみて間違い無さそうですね」
星がそういうとナズーリンが静かに頷いた。そして一輪と聖の顔を交互に見てから
「ちょっと私と御主人は出かけてきます。夕飯までには帰ってくると思うので」
と言いそそくさと青々とした空へと向かって飛び去ってしまった。
「では私も。失礼します」
星もそう言うと先に晴天へ向けて姿を消してしまったナズーリンの後を追って行ってしまった。
「は~い行ってらっしゃ~~い。気をつけて下さいね~~」
聖は穏やかな微笑を浮かべ空に向けてヒラヒラと手を振った。その動作からは上品な気品が感じ取れる。
「あ~~お昼ご飯はいいのですか~? そろそろお昼になりま……フフフ。もうあんなに小さくなってしまっては聞こえませんね」
自前の僧侶服の袖を口に当て静かに微笑む聖。その飄々とした態度に一輪は溜息をついた。
「はぁー。いいんですか? また星が宝塔を無くしてしまったのですよ。これで一体何回目になるんだか……聖の生命への影響もゼロじゃないんですよ?」
一輪が少々神経質にそう言うと聖は微笑んだ表情を少し崩し、一輪を諭すような表情になった。
「宝塔が無くなったからって私はすぐ死ぬわけではありません。それにですね……」
また空に向かって微笑んだ。
「ナズーリンと星です。きっとまたいつものように宝塔を見つけて取り戻してくれるでしょう」
そういうものですかねーと言って一輪は湯飲みのお茶を一飲みした。よく見ると桜の花びらが一枚浮いていた。
時間はそろそろ正午になろうとしてした。
※※※※※
時は過ぎ、そろそろ夕刻になろうとしていた。沈み欠けの夕陽が幻想郷中を橙色に染める。数々の人間や妖怪が家路を急ぎ、種の違う人間や妖怪が活発になり始める摩訶不思議な時間。
そこにとぼとぼと何やら弱弱しい足取りで家路へ歩を進める二人組が居た。
「……結局見つかりませんでしたね、宝塔……」
「……ええ……」
あれからナズーリンと星の二人は幻想郷を駆け回った。ナズーリンが得意のダウジングを駆使したり、星が自らの持つ人徳を活用し里の人々や森に住む妖怪などに聞き込みをしたりして宝塔の在り処を探し続けた。
しかし結果はこの通りだ。
これ以上暗くなってしまうとナズーリンのダウジング能力が著しく低下してしまう。夜間用のダウジングマシンも無い事は無いがそれでも昼間とは得られる利益が格段に違う。それに加えて夜は好戦的な妖怪が多く蔓延っている。夕飯までには帰ると言った手前、どの道一度出直す必要があるだろう。
「……私のせいです。私が宝塔が無くなったなんて嘘を付いたのできっとバチが当たったんです」
「そんな事言わないで下さいよ!」
思わず弱音を吐いてしまう星。目線を左下に落としているのでナズーリンの方から星の顔は見えないが少し泣いている様にも見えた。
「御主人は別に悪くないじゃないですか! 自分だって御主人の嘘に乗っかってしまったので私にも非はあります」
「ナズは何も悪くありませんよ。全て私の責任です」
「そういうのはズルいです」
「ズルいも何も私が嘘を付いたから──」
じゃないですか。と星が言おうとするとナズーリンが急に前へ躍り出て行く手を遮った。
「もうやめましょう! 堂々巡りじゃないですか。これじゃ私の為にも御主人の為にもなりません。明日また探しましょう。御花見の準備もありますが、事情を話せばみんな分かってくれますよ! それに」
ナズーリンは上目遣いで星の顔を見つめた。星の顔が少し紅潮する。
「それに、私は御主人の悲しむ顔なんて見たくありません」
「ナズ……」
星は少々赤くなった目をこすって、そして笑顔になった。
「嬉しい事言ってくれるじゃないですか……そうですね、聖も一輪も……みんなみんないい人ばかりです。ちゃんと真摯に向き合って訳を話しましょう」
星の笑顔につられてナズーリンの顔も綻ぶ。
「話は私が付けておきます。ナズは夜間用のダウジングを用意しておいて下さい」
「はい……え? この後も探すんですかぁ?」
星の唐突な提案にナズーリンは目を丸くした。それを受けて星は手を腰に当て凛々しい表情を浮かべる。
「当たり前じゃないですか。あれはとても大事な物です。以前のようにもしも誰かに取られてしまったら一大事です。一刻も早く取り返さなくてはいけません」
「……分かりましたよぉ! 今日はとことん御主人に付いていきます。もうどうにでもなれっていうんだ!!」
そういうナズーリンだったが、その顔はどことなく嬉しそうな表情をしていた。
「そろそろ命蓮寺に着きます。今日の夕飯はなんでしょうかね?」
「また御主人は~食い意地だけは誰にも負けませんね~」
「それでも、あの冥界のお嬢様だけには勝てませんよ」
「フフ……確かにそうですね」
そんな他愛も無い話を続け、二人は命蓮寺の境内へと入っていった。
※※※
ナズーリンと星は戸が開いた瞬間まず自分の目を疑った。
「これは……どういうことでしょうか……」
「わ、私に聞かれても……わ、分かりかねます……」
物置を改造して造った小さな小部屋には簡素な神棚だけがポツンと鎮座しており、いつもはそこに宝塔があるはずなのに今日は無い……
はずだった。
先程まで無くしたと思っていたはずの宝塔がきちんと所定の位置においてあったのである。
「…………お昼の時には無かったですよね?」
「はい、無かったです。綺麗さっぱり消えてました」
「じゃあこれは一体どういうことでしょうか?」
「さぁ、私に聞かれましても……」
「…………」
「…………」
数瞬の沈黙。
そして二人は脱兎の如く走り出した。目指すは居間。この時間なら大抵夕食を待って各々が居間に集合しているだろう時間だ。
「一輪!!」
「ひっ!? 何ですか!」
二人が幻想郷最速を自負する射命丸より速いスピードで廊下を駆け抜け居間へ特攻すると一輪がボーッとしながら夕食を待っている所だった。ユニゾンで声をかけると冥界へ飛んでいた意識がこちらへ戻ってきたのかビクっと体を撓らせた。
「宝塔が元に戻ってるんです! 何か心当たりはありませんか!?」
「ほんの些細な事でも構いません!」
「ふふ二人ともおおお落ち着いてください! 私は何も知りませんよ! ですよね!? 雲山?」
二人がバッと勢い良く雲山の方へ振り向くと雲山は静かに頷いた。
「一輪は何も知らないと……」
「では、次は村沙とぬえにも事情聴取を……」
「あらあら御二人とも帰ったんですね。お帰りなさい」
二人が居間を抜け村沙の部屋へ超特急で行こうとした瞬間暖簾の奥から聖が顔を出した。
「あ、ただいまです」
二人は軽く会釈をする。そしてナズーリンが聖に先程一輪にしたのと同様の質問をぶつける。
「まぁ! 見つかって良かったじゃないですか!」
両手を口元で合わせる聖。
「聖は何も知らないのですか?」
星がそう言うと聖は人差し指を顎に当てて思案した。こういう仕草はいちいち古臭い気がすると星は常々感じていた。
「私は何も」
短くそう言い放ちまたいつもの笑顔に戻った。
「きっと星のいつもの行いが良いからでしょう。御天道様はいつも見られておるのですよ。細かい事はいいじゃないですか」
「ですが……」
「そろそろ夕食が出来上がります。その話は夕食後、皆さんが集まった時にでもしませんか? きっと素敵な御話会が開けると思います。一日中動き回ってお腹も空いたでしょう? 今日の夕食は星の好きな虹鱒の塩焼きですよ。ちょうど旬のお魚ですし、脂も乗ってて──」
「それは本当ですか聖!! こうしちゃいられません……ナズ!! 皿を並べるのを手伝ってください!! ほら、一輪もぼさっとしてないで手伝ってください!!」
虹鱒という単語を聞いた瞬間に星の頭は空腹も手伝ってそれで一杯になってしまった。呆れ顔の一輪やナズーリンも渋々ながら手伝う事にした。こうなってしまっては誰も星を止める事出来ないからである。
──御主人ェ……でも、一体誰が宝塔を拾ってくれたのだろうか……
数分後、村沙とぬえも部屋に集まり、いつものように夕食となった。
ナズーリンは夕食の後それとなく話題にあげるつもりだったが、食事の最中にその事をすっかり忘れてしまい疲れのせいもあってそのまま寝てしまった。
真相は闇の中へと沈んでいった……
※※※※※
その日の深夜の事である。春と云えども陽が落ちるにつれて辺りの気温はみるみるうちに下がり今は少々肌寒くなっていた。
そんな心地好い寒さの中、何者かが宝塔が奉ってある小部屋の前に酒を持ってきた。戸を開け縁側に腰を下ろす。月の光が講堂へ容赦なく差し込んできた。
ここからだと桜が良く見える。この人物は夜桜を楽しむためにここに来たのである。
とくとくと徳利からお猪口へ酒を注ぎ一気に流し込む。喉が焼けるような何ともいえぬ快感が襲いかかってくる。
「くっーやっぱり最初の一杯が美味いよねー」
酒と一緒に持ってきたスルメ烏賊を齧る。山の鬼にもらったこの日本酒と烏賊との相性は抜群だった。
謎の人物は縁側に足を投げ出しブラブラとさせながら独り言をブツブツと呟き始めた。
「ナズも星もエイプリルフールっていうのを分かってないよねーエイプリルフールっていうのはさぁ」
部屋の中に風で舞った桜の花弁が一枚優雅な所作で入り込んで来た。それを見てニコッと微笑む謎の人物。
「午前中に、それもたった一つだけしか嘘を付いちゃいけないっていう決まりがあるんだよね。二人とも最後の方は嘘で嘘を塗り固めてたよねー私はちゃんとそれは守ったよ……」
続いて烏賊の上に桜の花弁が落ちてきた。その桜の花弁ごと烏賊に齧り付く。
「『宝塔の居場所を知ってますか?』って聞かれたから『私も知らないよー』としか答えてないしね! 私のエイプリルフールの嘘はこれだけ。他に質問されたらヤバかったけど」
今度はお猪口の上に花弁が落ちてきた。勿論花弁ごと呑み干す。
「まぁ」
謎の人物は被っていた帽子をヒョイと放り投げた。そのまま受け取る事もせず廊下に倒れ込む。
「本当は他人を幸せにしなきゃいけないっていう決まりもあるんだけどね……そこんところ大丈夫だったかな」
物憂げに天井を見上げる。一瞬物悲しい顔をしたが、すぐに天真爛漫な表情に戻り、立ち上がった。
「まぁ、二人の信頼を深めた事でしょう! よくやった私!! 偉いぞ~えっへん!!」
そう言ってセーラー服の胸を張る謎の人物。お猪口に新たにお酒を注いでまた一気に呑み干した。
「私だって他人と信頼関係築きたいやい!! 出来たらぬえとがいいかなー。えへへへ」
屈託なく笑う謎の少女は放り投げた帽子を指で弄び始めた。とはいえ目線はしっかりと月明かりに照らされた夜桜へと向いていた。
「明日からまた参拝客で忙しくなるなー。今日はエイプリルフールって事で聖様は休みをくれたけど」
少女は徳利に残っていた酒をそのまま徳利ごと呑み干した。そしてプハーという声と共に酒臭い息を吐いた。
「もしかしてあの人の事だから全部知ってたのかな? ちょっとリスクを伴うやり方だけど嘘でも人を幸せにすることって出来るんだね!!」
そう言うと少女は空になった徳利と烏賊を手に取り戸を閉めた。そして誰にも聞こえないような小声でこう呟いた。
”HAPPY APRIL FOOL!!”
少女は勝利の美酒に酔いながら自室へと姿を消した。
そして、ここ命蓮寺も御花見に託けて多くの参拝客を取り入れようと奮闘している真っ最中であった。雲山と一輪の手品の見世物や村紗の作るカレーの評判は上々で数々のリピーターを生み出し、命蓮寺は非常に潤い、賑わっていた。
そんな賑やかな命蓮寺の御花見大作戦が一段落した四月の一日の事だった…………
※※※※※
「……天気がいいですねー」
毘沙門天の使いの少女、寅丸星は寺の縁側に腰を下ろしお茶を飲みながら、境内に咲き誇る桜をうっとりと眺めていた。冥界の御屋敷には敵わないが此処命蓮寺の桜もとても優美で美しい。星はそう自負していた。
そんな美麗な桜を肴に玉露を啜りながら星は全く別の事を考えていた。
「今日は特にやる事もありませんし、暇です」
暇を持て余し、そのままゴロゴロと縁側を転がる星。その間抜けな姿は虎というより年寄りの家に飼われている老猫のようだ。
「んにゃーーーーどーしましょーー」
いよいよ縁側を転がるスピードが残像を生み出す程度の早さになった頃、星は今日が何の日か思い出した。
──今日は四月一日。確か噂によると一年に一度しかない嘘を付いてもいい日ではなかったでしょうか?
そう、エイプリルフールという名の。
ただ、嘘を付くといってもどんな嘘を付けばいいのか具体的な案が出てこない。いざ、意識して嘘をつくとなるとこれがなかなか難しいものである。
星は腕を組み頭を捻ってどんな嘘を付けば面白いだろうか必死に思案した。
そして、一つの案を搾り出した。
──そうだ! 宝塔を無くしてしまったとナズに嘘を付きましょう。きっとナズの事ですから目を真ん丸にして『それは本当かい御主人!? こうしちゃいられない!』などと言い血眼になって幻想郷中を探し回る事でしょう……それを想像したら……ウフフ。
別段星が宝塔を無くす事は珍しくないし、それによってナズーリンが取り乱す事もないのだが、本人は全く気が付いていなかった。と、いうより星は自分が宝塔をしょっちゅう無くしているという事実にさえ気が付いていないのだ。
──そうと決まれば善は急げです! ナズーリンを探しましょう!!
他人に嘘を付くのだから善という事ではないのだが、そんな些細な事など気にするはずも無く星は勢い良く立ち上がり講堂を走り回った。
※※※※※
さて、ナズーリンは一体どこに居るのでしょうか? 今日は特に仕事を押し付けているわけではないので、出かけている可能性は低いと思われます。
私は最初にナズーリンの自室を訪れる事にした。仕事が無い日のナズーリンは大抵部屋に篭って自身の飼っているネズミの世話をしているか本を読んでいるか趣味でダウジングをしている事が多い。昨日御花見の準備でヘトヘトになっているだろうからどこかへ出掛けている可能性は皆無だろう。
ナズーリンの部屋の前に付き、まず私はノックをした。
「は~い。どなたですか?」
どうやら居るようです。
「私です。今入ってもよろしいでしょうか?」
「御主人か。別に構いませんよ」
ナズーリンの了承を得たので私は素直に戸を引いた。中ではナズーリンがイスに腰掛け、本を読んでいる所だった。
「読書中でしたか、邪魔をして申し訳ないです」
「いえいえ。で、何か御用ですか? 今日は特に仕事はないとの事でしたが……」
「あーそれがですね……実は……少し言い辛いのですが……」
私はわざとらしく視線を逸らし、尋常では無い空気を醸し出した。いいぞ私。上手くいっています。
「はー……何か困った事でもあったのですか?」
ナズーリンは首を斜めにして私の眼を見つめてきた。ちょ。可愛過ぎます。やめてください。
「はい。実は……頼れるのはナズくらいしか居ないものですから……」
「私が御主人の役に立てるのなら何でもしますよ。それで、一体何があったんですか?」
嬉しい事を言ってくれるじゃないですか。もう今すぐにでもナズーリンを抱きしめて自室に連れて行きたい衝動に駆られたが、この煩悩は自分の膝の肉を思い切り抓る事によって回避した。ナズーリンを自室に連れ込むのは後日の楽しみとして取っておく事にしよう。
さて、前置きはこれくらいでいいでしょう。あんまり長引かせてナズーリンの機嫌を損ねてしまっては逆効果です。私は一回息を大きく吸い込み心を決めた。
「実は……ゴメンナサイ! 宝塔を無くしてしまいました!!」
………………
言った瞬間に思わず眼を瞑ってしまったためナズーリンの最初の反応を見ることは出来なかった。数秒後目を開けた私の目の前に居るナズーリンの顔は言葉で言い表すには何と言えばいいか分からない複雑な表情をしていた。
何ていうか……口をポカンと開けて驚いているように見ることも出来るのだが、目が驚いていないというか。私が想像していた目を真ん丸にしてこっちを見ているという図にはほど遠いものがある。極端な事を言うと目を細目をこちらを見下しているようにも見えるのは私の自意識過剰だろうか?
しばらくナズーリンはその顔のまま動かなかったが、やがてフッと息を吐き机に肘を突いていつもの世の中を斜に構えたような顔に戻った。こういう顔もナズの魅力ではあるのだが。
「何を言い出すと思えば、そんな事ですか。全くバカバカしい」
何がバカバカしいんですか? 宝塔が無くなったんですよ。一大事じゃないですか! 自分は嘘を付いているという事も忘れてそう詰め寄ろうと思った瞬間、ナズーリンは予想だにしなかった事を言い放った。
「御主人が無くした宝塔なら私がちゃんと見つけていつもの場所に置いてありますよ。全く御主人もそそっかしいんだから」
私は一瞬ナズーリンが何を言っているのか分からなかった。
無くした宝塔は私がちゃんと見つけた? 何を仰っているんですか? だって宝塔は無くなってないんですよ。今日はエイプリルフールだから私が嘘を付いているだけで宝塔はちゃんといつもの所に保管してあります。それなら分かります。
でも、先程ナズーリンの言った『私がちゃんと見つけて』というのは何でしょうか?
私は心臓の鼓動が少しばかり速度をあげたのを感じた。心なしか息も苦しい。
私は自分の気が付かないところで宝塔を無くしてしまったのだろうか? いつの間にか宝塔を落とし気が付かないまま時が過ぎそれを偶然ナズーリンが拾ってくれた。
考えれば恐ろしい事だ。今回はたまたまナズーリンが拾ってくれたからいいものの、いつもそうとは限らない。また以前のように幻想郷を走り回り、他人に迷惑をかけてしまう事だって有り得る。いや、既にナズーリンには迷惑をかけっぱなしである。
私はただの阿呆だ。これでは本当に毘沙門天の使いとして失格だ。
私が自己嫌悪に堕ちかけたその時、一つの事実に気が付いた。
そうだ。今日はエイプリルフールじゃないですか。何も嘘を付いていいのは私だけじゃありません。
つまりナズも嘘を付いている!!
私は体中に力が漲って来る様な気がしてきた。心なしか心臓も平常運転に戻っている。
そうですよ、簡単なことじゃないですか。ナズも私の嘘に乗っかってくれているのです。全く可愛いやつですねー。やっぱりこの小芝居が終わったら抱きしめる事にします。絶対に抱きしめます。
ナズが乗り気なら私も頑張らなくてはいけません。私は自分が出来る限りの努力で【宝塔を無くした可愛そうな寅丸ちゃん】を演じる事に徹した。
「そんなはずはありません。つい二時間程前に持ち出してしまってそこで無くしてしまいました……」
「私が見つけたのは一時間前ですよ」
ぐっ……そう来ましたか……
「ああーそういえばそうでした。一時間前にも宝塔を持ち出す機会があったのです」
「一時間前は縁側で昼寝をしていたじゃないですか」
……言い逃れ出来ませんね……
…………ん?
「ナズーリン、何で私が一時間前に昼寝をしていたことを知っているんですか?」
「えっ!? それはその……」
「知ってるはずないですよね。だってナズは私の無くした宝塔を探してたんですからね?」
「え、あ、あーうー……」
おーおーナズの顔が真っ赤になってます。目も泳ぎに泳ぎまくってますね。ちゃんと下拵えをしないでその場の付け焼刃的な嘘を付くからすぐにボロが出てしまうのですよ。ちゃんと私みたいに地のしっかりとした嘘を付かないと。
「嘘は良くないですよ。ナズーリン。ナズにどういう意図があってそのような嘘を付いたか私には分りかねますが常に正直で、善を尽くす事こそが極楽浄土への一番の近道ではないのでしょうか?」
まぁ、私は現在進行形で嘘を付いてますが、今日はエイプリルフールなのでそれもOK!
と、私がありがたい説法を説いていたらナズーリンの顔がますます赤くなった。それに加えて口もへの字に曲がっている。これは感情が恥じらいから怒りへと変わった顔だ。私は厭な予感がした。
「だったら、宝塔が置いてある部屋に行って確かめましょう! ちゃんと宝塔は所定の位置に置いてあるはずですから」
どうやらナズはムキになってしまったようだ。読みかけの本をバタンと閉めてぷりぷりと顔を上気させながら私の横を通り過ぎ、戸の前まで来てしまった。
「行きますよ御主人!!」
そう言ってナズーリンは廊下へと消えてしまった。
正直めんどくさい事になった。私は頭を抱えてナズーリンの後を付いて行った。
宝塔が保管してある部屋は大広間と聖の部屋の間の小部屋だ。ここならあまり目立たないし、聖の部屋からも近いという事で物置だった場所を改造して神棚を造り宝塔を奉ろうということになったのである。
私とナズーリンは部屋の前まで来ていた。入り口には何重にも南京錠がかかっている。ここを開けられる鍵を持っているものは限られている。誰でも開けられるわけではない。
「じゃあ開けますよ。宝塔は絶対ありますから! 私がちゃんと見つけてきたんですから!」
この場に来てもナズーリンは相変わらず主張を変えない。余程悔しいのだろうか。と、いうかあるに決まってるじゃないですか。誰も持出してないのですから。
鍵を開けるナズーリンの手も心なしか焦っているように見えた。時々舌打ちのような乾いた音が静かな講堂に響くのが怖い。
私がそろそろ呆れてきた頃最後の鍵が外れてナズーリンが戸を開けた…………
※※※※※
今日は特に仕事が無いと言われていたので自室で本を読んでいる最中、誰かが戸をノックする音がした。
「は~い。どなたですか?」
「私です。今入ってもよろしいでしょうか?」
返事をすると丁寧な言葉遣いをした綺麗な声が返ってきた。ああ、御主人か。
「御主人か。別に構いませんよ」
そういうとおずおずと御主人が私の部屋に入ってきた。何やら少し落ち着きが無いように感じる。
「読書中でしたか、邪魔をして申し訳ないです」
「いえいえ。で、何か御用ですか? 今日は特に仕事はないとの事でしたが……」
「あーそれがですね……実は……言い辛いのですが……」
やはり今日の御主人は少し様子がおかしい。そわそわとして挙動が落ち着かないし目も泳いでいる。まぁ、そんな御主人も保護欲を刺激され、見ていて可愛らしい。そそられる。
「はー……何か困った事でもあったのですか?」
私が首を傾げながらそう聞くと御主人は私の顔を見つめたまま固まってしまった。猫のように大きく見開かれた瞳には過多と思える程の涙が溜まり、今にも零れ落ちそうだった。ちょ。マジで可愛過ぎます御主人。襲いますよコラ。
「はい。実は……頼れるのはナズくらいしか居ないものですから……」
嬉しい事を言ってくれますね。私は今すぐにでも戸を施錠して御主人に襲い掛かりたい衝動に襲われたが、自分の左足を自らの右足で踏む事によって誤魔化すことにした。
「私が御主人の役に立てれるのなら何でもしますよ。それで、一体何があったんですか?」
さて、御主人はどんな事を私にしてほしいのだろう。あんな事だろうか? こんなことだろうか? などとあらぬ妄想を膨らませていると、御主人はとんでもない事を言い放った。
「実は……ゴメンナサイ! 宝塔を無くしてしまいました!!」
…………
ほんの数瞬固まってしまったがすぐに次の感情が私の奥底から湧き出してきた。
またか。
御主人が宝塔を無くすのは何度目であろうか。確か五回目くらいまでは数えていたのだが、もう数えるのも億劫になってしまった。それからも何度か無くしたはずだから軽く十回を越しているのではないか? はっきりとは覚えてないが。
御主人が宝塔を無くすのはコーラを飲んだらゲップが出るくらい確実であり、それを見つけることも朝起きたら顔を洗うくらい生活に染み付いてしまったので特段焦る事でもない。また読書に戻ろうとした時に、私の頭にある考えが過ぎった。
今日は四月一日、人間の里へ買い物へ行った時に道行く若者が口々に言っていたが……今日は巷でいう嘘を付いても咎められない日、エイプリルフールではないだろうか?
もしかして御主人は嘘を付いている?
それを立証する証拠もないし、確証も無いが直感的にそんな気がしてきた。これでも御主人とは随分長い事生活を共にしてきている。熟年夫婦ではないが、何となく肌で分かる事も少なく無いと自負している。
そっかそうだな。だったら私も嘘を付いて対抗してみようじゃないか。目には目を歯には歯をだ。
しかし、今から嘘を考えても大して面白い事も浮かびそうも無い。私は大して無い頭を巡らせた。
そうだ。御主人の嘘に乗っかってみよう。一番楽だし確実な方法だといえるだろう。と、いうわけで私は御主人の付いたであろう宝塔を無くしたという嘘に乗っかる事にした。
「何を言い出すと思えば、そんな事ですか。全くバカバカしい」
机に肘を立て少し斜に構えたような雰囲気を醸し出す。これできっと御主人はバカにされていると思っているはずだ。
私の思った通り少し御主人の表情が変わったように感じた。きっと宝塔をそんな事扱いされて少し頭に来たのだろう、うん、可愛い。
たが、あんまり逆上させてしまったら逆効果だ。大した時間は確保できなかったが私が考えた渾身の嘘を御主人にぶつけた。
「御主人が無くした宝塔なら私がちゃんと見つけていつもの場所に置いてありますよ。全く御主人もそそっかしいんだから」
ほら、これでどうだ! まさか御主人も私が嘘に乗っかってくるとは思ってなかったでしょう。自分では隠し切れているつもりでしょうが、鳩が豆鉄砲を食らったような間抜けな顔をしてますよ。
さぁ、どう出ますか? 私は御主人が次にどう切り返してくるか期待に胸を膨らませながら待った。
すると、御主人は唇を噛んで俯いたまま動かなくなった。かと思うと急に顔をあげて太陽のような顔を見せた。コロコロと表情の変わるまるで猫のような人だ。
「そんなはずはありません。つい二時間程前に持ち出してしまってそこで無くしてしまいました……」
有りがちな返答ですね。とりあえず嘘を重ねておきますか。
「私が見つけたのは一時間前ですよ」
どうでしょうか。
「ああーそういえばそうでした。一時間前にも宝塔を持ち出す機会があったのです」
苦しい嘘を重ねてきましたね。私は一時間前に御主人が何をしていたか知っているんですよ。たまたま部屋から見えましたからね。
「一時間前は縁側で昼寝をしていたじゃないですか」
涎をだらだら流しながらアホ面かまして寝ていたではありませんか。あの時の御主人の顔は実にかわい……滑稽でしたよ。山の向こうの鴉天狗を呼び寄せて写真に収めたいとさえ思いましたよ。
私の顔は勝利の余韻に浸っただらしない顔をしていたと思うが、その直後違和感が襲ってきた。
ん? 何だこの違和感は?……
先程私が言った事で辻褄が合わない事があったのだろうか。
えっと、私は御主人が二時間前に無くした宝塔を一時間前に見つけたということになっているのだけど、それに対して御主人は一時間前にも持出したという嘘を付いた。でも、それは嘘で何故なら御主人は一時間前は昼寝をしていてその姿を私は肉眼で確認している。
でもってことはどこかで綻びが────
「ナズーリン、何故私が一時間前に昼寝をしていたことを知っているんですか?」
私がうんうんと唸っている最中、御主人は真相に気が付いたようだ。そうだ、私は一時間前に宝塔を見つけたことになっているんじゃないか! だから御主人が縁側で昼寝をしていた事なんて知っているはずが無い!!
どうにか誤魔化さなくては、私は必死に言葉を紡ぎ出そうとしたが上手く言葉が出てこない。
「えっ!? それはその……」
「知ってるはずないですよね。だってナズは私の無くした宝塔を探してたんですからね?」
ニコニコというよりはニヤニヤと表現した方が適切であろう下品な笑いを浮かべながら御主人は私に顔を近付けて来た。吐息が荒い。近い近いって。
「え、あ、あーうー……」
駄目だ。言葉が出て来ない。どこかの神のような曖昧な生返事だけを繰り返していると、御主人はニヤニヤとした顔をピタリとやめてまるで賢者のように穏やかな顔になった。
「嘘は良くないですよ。ナズーリン。ナズにどういう意図があってそのような嘘を付いたか私には分りかねますが常に正直で、善を尽くす事こそが極楽浄土への一番の近道ではないのでしょうか?」
うぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
何ですかその如何にも私がアナタに説法を説いてあげましょうみたいなしたり顔は!? 最初に嘘を振って来たのはアナタですよね? 何でそんな顔が出来るんですかぁぁぁぁぁぁ!!
私は正直にいってかなり頭に来た。これはどうしても御主人の嘘を暴いてギャフンと言わせてやりたかった。気が付いたら次の言葉を発していた。
「だったら、宝塔が置いてある部屋に行って確かめましょう! ちゃんと宝塔は所定の位置に置いてあるはずですから」
そうです。ちゃんと私が御主人の無くした宝塔を見つけていつもの場所に置いておいたのですから。御主人が嘘を付いている証明をあそこで示してやりますよ!!
ん? そもそも御主人は嘘を付いてたんだっけ? 宝塔を無くしたのは嘘なんだっけ? ていうか私は嘘に乗っかったって事でいいのか?? 嘘の嘘は本当? マイナスとマイナスをかけるとプラスになるように嘘にも四則計算が適用されるのか??
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁもう頭がグチャグチャになってきました! とりあえず行けば分かります。
「行きますよ御主人!!」
そう言って私は御主人を置いて廊下へ出て行った。
正直面倒くさい事になった。私は頭を抱えてながら歩を進めた。
宝塔が保管してある部屋は大広間と聖の部屋の間の小部屋だ。ここならあまり目立たないし、聖の部屋からも近いという事で物置だった場所を改造して神棚を造り宝塔を奉ろうということになったのである。
私と御主人は部屋の前まで来ていた。入り口には何重にも南京錠がかかっている。ここを開けられる鍵を持っているものは限られている。誰でも開けられるわけではない。
「じゃあ開けますよ。宝塔は絶対ありますから! 私がちゃんと見つけてきたんですから!」
この場に来ても私の頭は相変わらず瞬間湯沸し器のようにカッカしていた。余程悔しかったのだろう。と、いうかあるに決まってるじゃないか。御主人が嘘を付いているのは明白なんだから。
鍵を開ける私の手は心なしか焦っているようだ。時々舌打をしなければ心が落ち着かなかった。
私がなかなか鍵が開かずそろそろ堪忍袋の緒が切れそうな頃最後の鍵が外れて一気に戸を開けた…………
※※※※※
ナズーリンと星は戸が開いた瞬間まず自分の目を疑った。
「これは……どういうことでしょうか……」
「わ、私に聞かれても……わ、分かりかねます……」
物置を改造して造った小さな部屋には簡素な神棚だけがポツンと鎮座しており、そこに宝塔がある……
はずだった。
本来あるはずの宝塔が綺麗さっぱり無くなっていた。
気まずい沈黙が訪れる。しばらく宝塔があった筈の空間を見つめていた二人だったが、やがて星が口を開いた。
「ちょ、ちょっとナズ、嘘はやめてください。どこにも宝塔は無いじゃないですか。やっぱり私は宝塔を無くしてたんですね……」
「ご、御主人、宝塔を無くしておいて偉ぶるのはやめてください。それに今日がエイプリルフールで御主人が宝塔を無くしたっていうのは嘘って事くらい私は知ってたんですからね」
「そ、それを言うなら私だってナズが私の嘘に乗っかって宝塔は既に見つけてあるなんて嘘を付いている事も知っているんですからね」
「御主人!!」
急に声を荒げるナズーリン。一瞬何事かとビックリした星だが、ナズーリンのその目を見て何かを感じ取った。
「私は決して怒っている訳ではありません。では、私が何を言いたいのか、そして私達がこれから何をするのか何をすべきなのか……言わなくても分かりますね?」
「……えぇ」
二人は互いに目配せをすると小部屋の鍵を協力して閉め、一緒に同じ方向へと走り出した。無駄な言葉を交わさなくてもお互いに言いたいことは伝わる。そして何をすべきなのかも分かる。
宝塔を持出した犯人を見つけ出し、きちんとあるべき場所へ返す。それが二人の使命。
今の二人に冗談や浮ついた気持ちは一切存在していなかった。
※※※
まず、二人は命蓮寺に居る面々にいくつか聞いてみる事にした。
最初にちょうど居間に居た封獣ぬえと村沙水蜜に事情聴取をする。
「宝塔? 見てないな。また無くしたのか?」
「私も知らないよー」
それだけ聞くと二人は一言二言ぬえと村沙に御礼を言って次の場所へと急いだ。
次に二人が聞いたのは庭で桜を眺めていた聖白蓮と雲居一輪だ。二人は地面に茣蓙を引いて緑茶を啜り桜を眺めている最中だった。
「私は存じ上げませんわ。昨日まであったはずですけれど……一輪さんは何か知ってます?」
話を振られた一輪は首を横に振った。
「いえ、私も分かりません。あの宝塔には出来るだけ触らないようにしているので…………そう。どうやら雲山も何も知らないようです」
一輪の後ろで大きな雲が首を横に振った。その表情からは力になれなかった事への悲しさが伝わってくる。
「って事は命蓮寺の誰も知らないって事か……」
ナズーリンは顎に手を当てて空を仰いだ。雲一つ無い正に御花見日和の天気だ。
「やはり外部から盗まれたとみて間違い無さそうですね」
星がそういうとナズーリンが静かに頷いた。そして一輪と聖の顔を交互に見てから
「ちょっと私と御主人は出かけてきます。夕飯までには帰ってくると思うので」
と言いそそくさと青々とした空へと向かって飛び去ってしまった。
「では私も。失礼します」
星もそう言うと先に晴天へ向けて姿を消してしまったナズーリンの後を追って行ってしまった。
「は~い行ってらっしゃ~~い。気をつけて下さいね~~」
聖は穏やかな微笑を浮かべ空に向けてヒラヒラと手を振った。その動作からは上品な気品が感じ取れる。
「あ~~お昼ご飯はいいのですか~? そろそろお昼になりま……フフフ。もうあんなに小さくなってしまっては聞こえませんね」
自前の僧侶服の袖を口に当て静かに微笑む聖。その飄々とした態度に一輪は溜息をついた。
「はぁー。いいんですか? また星が宝塔を無くしてしまったのですよ。これで一体何回目になるんだか……聖の生命への影響もゼロじゃないんですよ?」
一輪が少々神経質にそう言うと聖は微笑んだ表情を少し崩し、一輪を諭すような表情になった。
「宝塔が無くなったからって私はすぐ死ぬわけではありません。それにですね……」
また空に向かって微笑んだ。
「ナズーリンと星です。きっとまたいつものように宝塔を見つけて取り戻してくれるでしょう」
そういうものですかねーと言って一輪は湯飲みのお茶を一飲みした。よく見ると桜の花びらが一枚浮いていた。
時間はそろそろ正午になろうとしてした。
※※※※※
時は過ぎ、そろそろ夕刻になろうとしていた。沈み欠けの夕陽が幻想郷中を橙色に染める。数々の人間や妖怪が家路を急ぎ、種の違う人間や妖怪が活発になり始める摩訶不思議な時間。
そこにとぼとぼと何やら弱弱しい足取りで家路へ歩を進める二人組が居た。
「……結局見つかりませんでしたね、宝塔……」
「……ええ……」
あれからナズーリンと星の二人は幻想郷を駆け回った。ナズーリンが得意のダウジングを駆使したり、星が自らの持つ人徳を活用し里の人々や森に住む妖怪などに聞き込みをしたりして宝塔の在り処を探し続けた。
しかし結果はこの通りだ。
これ以上暗くなってしまうとナズーリンのダウジング能力が著しく低下してしまう。夜間用のダウジングマシンも無い事は無いがそれでも昼間とは得られる利益が格段に違う。それに加えて夜は好戦的な妖怪が多く蔓延っている。夕飯までには帰ると言った手前、どの道一度出直す必要があるだろう。
「……私のせいです。私が宝塔が無くなったなんて嘘を付いたのできっとバチが当たったんです」
「そんな事言わないで下さいよ!」
思わず弱音を吐いてしまう星。目線を左下に落としているのでナズーリンの方から星の顔は見えないが少し泣いている様にも見えた。
「御主人は別に悪くないじゃないですか! 自分だって御主人の嘘に乗っかってしまったので私にも非はあります」
「ナズは何も悪くありませんよ。全て私の責任です」
「そういうのはズルいです」
「ズルいも何も私が嘘を付いたから──」
じゃないですか。と星が言おうとするとナズーリンが急に前へ躍り出て行く手を遮った。
「もうやめましょう! 堂々巡りじゃないですか。これじゃ私の為にも御主人の為にもなりません。明日また探しましょう。御花見の準備もありますが、事情を話せばみんな分かってくれますよ! それに」
ナズーリンは上目遣いで星の顔を見つめた。星の顔が少し紅潮する。
「それに、私は御主人の悲しむ顔なんて見たくありません」
「ナズ……」
星は少々赤くなった目をこすって、そして笑顔になった。
「嬉しい事言ってくれるじゃないですか……そうですね、聖も一輪も……みんなみんないい人ばかりです。ちゃんと真摯に向き合って訳を話しましょう」
星の笑顔につられてナズーリンの顔も綻ぶ。
「話は私が付けておきます。ナズは夜間用のダウジングを用意しておいて下さい」
「はい……え? この後も探すんですかぁ?」
星の唐突な提案にナズーリンは目を丸くした。それを受けて星は手を腰に当て凛々しい表情を浮かべる。
「当たり前じゃないですか。あれはとても大事な物です。以前のようにもしも誰かに取られてしまったら一大事です。一刻も早く取り返さなくてはいけません」
「……分かりましたよぉ! 今日はとことん御主人に付いていきます。もうどうにでもなれっていうんだ!!」
そういうナズーリンだったが、その顔はどことなく嬉しそうな表情をしていた。
「そろそろ命蓮寺に着きます。今日の夕飯はなんでしょうかね?」
「また御主人は~食い意地だけは誰にも負けませんね~」
「それでも、あの冥界のお嬢様だけには勝てませんよ」
「フフ……確かにそうですね」
そんな他愛も無い話を続け、二人は命蓮寺の境内へと入っていった。
※※※
ナズーリンと星は戸が開いた瞬間まず自分の目を疑った。
「これは……どういうことでしょうか……」
「わ、私に聞かれても……わ、分かりかねます……」
物置を改造して造った小さな小部屋には簡素な神棚だけがポツンと鎮座しており、いつもはそこに宝塔があるはずなのに今日は無い……
はずだった。
先程まで無くしたと思っていたはずの宝塔がきちんと所定の位置においてあったのである。
「…………お昼の時には無かったですよね?」
「はい、無かったです。綺麗さっぱり消えてました」
「じゃあこれは一体どういうことでしょうか?」
「さぁ、私に聞かれましても……」
「…………」
「…………」
数瞬の沈黙。
そして二人は脱兎の如く走り出した。目指すは居間。この時間なら大抵夕食を待って各々が居間に集合しているだろう時間だ。
「一輪!!」
「ひっ!? 何ですか!」
二人が幻想郷最速を自負する射命丸より速いスピードで廊下を駆け抜け居間へ特攻すると一輪がボーッとしながら夕食を待っている所だった。ユニゾンで声をかけると冥界へ飛んでいた意識がこちらへ戻ってきたのかビクっと体を撓らせた。
「宝塔が元に戻ってるんです! 何か心当たりはありませんか!?」
「ほんの些細な事でも構いません!」
「ふふ二人ともおおお落ち着いてください! 私は何も知りませんよ! ですよね!? 雲山?」
二人がバッと勢い良く雲山の方へ振り向くと雲山は静かに頷いた。
「一輪は何も知らないと……」
「では、次は村沙とぬえにも事情聴取を……」
「あらあら御二人とも帰ったんですね。お帰りなさい」
二人が居間を抜け村沙の部屋へ超特急で行こうとした瞬間暖簾の奥から聖が顔を出した。
「あ、ただいまです」
二人は軽く会釈をする。そしてナズーリンが聖に先程一輪にしたのと同様の質問をぶつける。
「まぁ! 見つかって良かったじゃないですか!」
両手を口元で合わせる聖。
「聖は何も知らないのですか?」
星がそう言うと聖は人差し指を顎に当てて思案した。こういう仕草はいちいち古臭い気がすると星は常々感じていた。
「私は何も」
短くそう言い放ちまたいつもの笑顔に戻った。
「きっと星のいつもの行いが良いからでしょう。御天道様はいつも見られておるのですよ。細かい事はいいじゃないですか」
「ですが……」
「そろそろ夕食が出来上がります。その話は夕食後、皆さんが集まった時にでもしませんか? きっと素敵な御話会が開けると思います。一日中動き回ってお腹も空いたでしょう? 今日の夕食は星の好きな虹鱒の塩焼きですよ。ちょうど旬のお魚ですし、脂も乗ってて──」
「それは本当ですか聖!! こうしちゃいられません……ナズ!! 皿を並べるのを手伝ってください!! ほら、一輪もぼさっとしてないで手伝ってください!!」
虹鱒という単語を聞いた瞬間に星の頭は空腹も手伝ってそれで一杯になってしまった。呆れ顔の一輪やナズーリンも渋々ながら手伝う事にした。こうなってしまっては誰も星を止める事出来ないからである。
──御主人ェ……でも、一体誰が宝塔を拾ってくれたのだろうか……
数分後、村沙とぬえも部屋に集まり、いつものように夕食となった。
ナズーリンは夕食の後それとなく話題にあげるつもりだったが、食事の最中にその事をすっかり忘れてしまい疲れのせいもあってそのまま寝てしまった。
真相は闇の中へと沈んでいった……
※※※※※
その日の深夜の事である。春と云えども陽が落ちるにつれて辺りの気温はみるみるうちに下がり今は少々肌寒くなっていた。
そんな心地好い寒さの中、何者かが宝塔が奉ってある小部屋の前に酒を持ってきた。戸を開け縁側に腰を下ろす。月の光が講堂へ容赦なく差し込んできた。
ここからだと桜が良く見える。この人物は夜桜を楽しむためにここに来たのである。
とくとくと徳利からお猪口へ酒を注ぎ一気に流し込む。喉が焼けるような何ともいえぬ快感が襲いかかってくる。
「くっーやっぱり最初の一杯が美味いよねー」
酒と一緒に持ってきたスルメ烏賊を齧る。山の鬼にもらったこの日本酒と烏賊との相性は抜群だった。
謎の人物は縁側に足を投げ出しブラブラとさせながら独り言をブツブツと呟き始めた。
「ナズも星もエイプリルフールっていうのを分かってないよねーエイプリルフールっていうのはさぁ」
部屋の中に風で舞った桜の花弁が一枚優雅な所作で入り込んで来た。それを見てニコッと微笑む謎の人物。
「午前中に、それもたった一つだけしか嘘を付いちゃいけないっていう決まりがあるんだよね。二人とも最後の方は嘘で嘘を塗り固めてたよねー私はちゃんとそれは守ったよ……」
続いて烏賊の上に桜の花弁が落ちてきた。その桜の花弁ごと烏賊に齧り付く。
「『宝塔の居場所を知ってますか?』って聞かれたから『私も知らないよー』としか答えてないしね! 私のエイプリルフールの嘘はこれだけ。他に質問されたらヤバかったけど」
今度はお猪口の上に花弁が落ちてきた。勿論花弁ごと呑み干す。
「まぁ」
謎の人物は被っていた帽子をヒョイと放り投げた。そのまま受け取る事もせず廊下に倒れ込む。
「本当は他人を幸せにしなきゃいけないっていう決まりもあるんだけどね……そこんところ大丈夫だったかな」
物憂げに天井を見上げる。一瞬物悲しい顔をしたが、すぐに天真爛漫な表情に戻り、立ち上がった。
「まぁ、二人の信頼を深めた事でしょう! よくやった私!! 偉いぞ~えっへん!!」
そう言ってセーラー服の胸を張る謎の人物。お猪口に新たにお酒を注いでまた一気に呑み干した。
「私だって他人と信頼関係築きたいやい!! 出来たらぬえとがいいかなー。えへへへ」
屈託なく笑う謎の少女は放り投げた帽子を指で弄び始めた。とはいえ目線はしっかりと月明かりに照らされた夜桜へと向いていた。
「明日からまた参拝客で忙しくなるなー。今日はエイプリルフールって事で聖様は休みをくれたけど」
少女は徳利に残っていた酒をそのまま徳利ごと呑み干した。そしてプハーという声と共に酒臭い息を吐いた。
「もしかしてあの人の事だから全部知ってたのかな? ちょっとリスクを伴うやり方だけど嘘でも人を幸せにすることって出来るんだね!!」
そう言うと少女は空になった徳利と烏賊を手に取り戸を閉めた。そして誰にも聞こえないような小声でこう呟いた。
”HAPPY APRIL FOOL!!”
少女は勝利の美酒に酔いながら自室へと姿を消した。