「いやー、姐さんの作ったドリフはおいしかったわー!」
「一輪、これはドリアです」
賑やかな会話の飛び交う命蓮寺の台所。
命蓮寺の夕食時はいつも通り終わり、全員が協力して後片付けをしているとき。
泡立つ食器に手を突っ込んでいる村紗に、コソコソと話しかけたのはぬえだった。
「……ムラサ」
「ん。なに?」
「いやその、ちょっと……片付け終わったらさ、私の部屋まで来てくれない?」
妙にそわそわしているぬえに、村紗は小さく首を傾げる。
しかし、地獄にいた頃からの友人であるぬえの頼みだ。そう無下にする訳にもいかない。
「ええ、いいけど」
「ありがとう。じゃあ後で」
そそくさと踵を返すぬえ。
相変わらずその挙動に疑問を抱きつつも、まずは片付けを終わらせよう――と村紗は流し台へ向き直る。
◇
10分ほど経って、村紗はぬえの部屋の前へ訪れていた。
障子の前で小さく声をかけようとして、それより先にすうと障子が開く。
ぬえだ。障子に映った影で気付いたのだろう。
「ムラサ。早かったね」
「そう? 普通じゃないの」
「まあいいや。入って」
ぬえに招かれ、村紗は「おじゃまします」と部屋に入る。
置かれたちゃぶ台を見れば、その横には私の分まで座布団が敷かれていた。異例の好待遇である。
「取りあえず座ってよ」
「……なんか企んでるの?」
「なんでよ」
「あんたがこんなに親切だなんてそうとしか考えられないわ」
「酷い言われようね……別に何もないよ。ただ、相談があるだけ」
呟くように言ったぬえの顔が少しだけ赤らんでいることに村紗は気付く。
意外と真面目な話なのかもしれない――と、彼女も座布団に座り直した。
「まあいいよ。話してみな」
「……うん。その――マミゾウのこと、なんだけどさ」
「マミゾウさんの?」
コクリと頷く。村紗は黙って、視線だけで続きを催促する。
「でまあ……うん。マミゾウってさ、妖怪の切り札ってことで呼ばれたじゃん?」
「呼ばれたっつかぬえが呼んだんじゃないの」
「ん、まあそう。それなんだけど、嘘なんだよね」
「は?」
素っ頓狂な声をあげたのは言うまでも無く村紗だ。
ぬえはポリポリと頭を掻きながら、小さく笑ってその続きを話す。
「あはは……実はさあ――」
◇
ぬえの話は中々長引いた。村紗も思わず欠伸が出るレベルであったので、ある程度要約するとこうだ。
まず、マミゾウが妖怪の切り札として幻想郷へ呼ばれたというのは――嘘らしい。
「その……あれよ。尸解仙? だか聖人? だかなんだか知らないけど、そいつらが出てきて妖怪のピンチみたいになったじゃない」
「ていうか今もそうだけどね」
「それで、正直に言うんだけどさ……あ、こんなこと言えるのムラサだけだから――」
「秘密にするよ。絶対」
「……ありがとう。それで正直さ、ラッキーって思ったんだよね」
そこからゆっくりと、ぬえは村紗に秘密を話していった。
まず、妖怪の切り札としてマミゾウを呼んだ――というのは口実だったということ。
「別に、マミゾウを呼べれば何でも良かったんだけどね。『命蓮寺が爆発したから金貸せ』とか」
「私がマミゾウさんだったらぬえをぶん殴りに幻想郷まで来るわね」
「例えばの話だって」
「でも、じゃあなんでマミゾウさんを呼んだの。他に呼んだ理由があるってこと?」
「そ、それは……ふへへ」
ここからしばらくが割愛ゾーン。ニヤニヤしながら語り続けるぬえの顔がそれなりに放送禁止レベルだったことを村紗は覚えている。
ただそんな中で話の根幹をまとめ上げることを村紗は忘れなかった。
ぬえのマシンガントークが一段落ついたところで、彼女は結構真顔で言い放つ。
「つまり、マミゾウさんのことが好きってことでしょ?」
ぬえの顔が世紀末みたいになった。
「なんということを……!」
「いやそういうノリはいいから。好きなんでしょマミゾウさんのこと」
「ちょっ……ちょちょちょちょちょちょ待てっ! なんでそういう方向に話が進んでるの!?」
「え、そういう話じゃないの?」
「そ、そんな訳……い、いや違う訳じゃないけど」
慌てたぬえの顔は耳まで真っ赤になっていた。分かり易い奴だなあと村紗は小さく笑う。
そして――そこから彼女のサディスティック的な一面が開花するまでにそう時間はかからなかった。
彼女の小さな笑いは、人を弄るときのニヤニヤへ変わっていく。
「えー? なにぃー? 私よく分からないわー?」
「なんでムラサさんいきなりキャラ変わったんですか」
「そんなことないYO! それともぉ、ぬえはマミゾウっちのこと嫌いなわけぇ?」
「マミゾウっちて……じゃなくて! き、嫌いだなんて一言もっ」
「じゃあ好きなんでしょぉー?」
「す、好きというか嫌いというか、その間というかそのなんというか――……
――――――――
――――
――
煮え切らないぬえを弄り倒すのは中々面白かったが、でもすぐに飽きましたと村紗談。
夜は遅くなり、あまり話している時間も無い。さっさと話の根幹に入ろうと彼女は試みる。
「まあいいわ……で、ぬえはどうするの?」
「ど……どうするって」
「マミゾウさんのこと好きなんでしょ? ああはいはい……『好きなのか嫌いなのかよく分からないけどどちらかといえば好き寄り』だっけ」
「まあそんなところなんだけど……まあ、なんというかね。私としては、もうちょっとマミゾウと親密になりたい訳ね」
友達以上恋人未満という言葉を村紗は思い浮かべる。
それをそのまま言葉にすると、ぬえは目を輝かせて「まさにそんな感じっ」と答えた。
「でもさあ。そうなりたいなら、ぬえ自身が何か行動を起こさなきゃ駄目だと思うのよ」
「うぐ」
「指咥えたまま待ってたって、進展なんて何一つする筈ないわ」
「いやいや……私にだって一応考えはあったんだよ?」
「……へえ?」
それはどんな考えかと村紗が問うと、今回は特にどもる様子も無く説明を始めた。
「まあ簡単に説明すると……マミゾウにいきなり命蓮寺へ来られたって困るでしょ? ぶっちゃけ」
「まあ……そうだったんじゃないかな」
ぬえの言葉通り幻想郷の内情に詳しくないマミゾウが訪れたことは、霊夢や魔理沙など人間達といらぬ争いを生む結果となった。
この失態、表向きは『ぬえが聖への恩返しをしたいがための余計なお世話』となっている。
しかしぬえは「そうじゃないのよ」と微笑した。
「マミゾウを幻想郷へ呼ぶ理由はまあ何でも良かったよ。でも、命蓮寺からマミゾウに対する待遇は悪くないといけなかった」
「それは……つまり、わざと迷惑がかかるような呼び方をしたってこと? 命蓮寺の心象を悪くするために」
「うん」
「でもどうして」
「そりゃあ……」
少し言葉に詰まる。しかしすぐに言葉を繋げた。
「……マミゾウが命蓮寺のみんなと仲良くなったら、私と話す機会が無くなっちゃうでしょ?」
「いや、別に無くなりはしないでしょ」
「う……でも。マミゾウがぼっちになれば、必然的に元から仲の良かった私としか話さなくなるでしょ? そうすれば私とマミゾウ2人きりのランデブー……ふへへへへ」
こうしてぬえは再びボキャ貧と化した。割愛ゾーンその2。
数分後、ぬえの前に座ってたのは呆れた表情の村紗。
「何かこう、ぬえが結構策士で……その、ドン引きしたわ」
「なんでよ!」
「でも、結構うまくいきそうな計画なのに……どうして失敗したの?」
その言葉を聞いたぬえは、口を半開きにたいそう微妙な表情になった。
その顔を見た村紗は、更にぬえの性格まで考えて――大方の事情を理解する。
「……普通にマミゾウさんがみんなと打ち解けちゃって作戦大失敗萎えぽよってことね」
「うぎぎ……なんでアイツはあんなにコミュ力持ってるのよ……!」
多分ぬえが自分と同じ基準で考えたのが悪かったんだろうな、と村紗は思った。
「で。マミゾウさんがみんなと打ち解けてしまった今、ぬえはどうするつもりなの」
「うん……だから、それを相談しようと思ってムラサを呼んだ――」
「おうい。ぬえはおるかや?」
障子の向こう側から声が聞こえてきたのは、そんな時だ。
その声に心臓が爆発しそうになったのはぬえ。目玉が飛び出そうなくらい瞳を見開いて、思考は完全に停止する。
そんなぬえを尻目に、村紗は何のためらいも無く、障子の先へ言葉をかけた。
「マミゾウさんね。どうぞ入って」
「ん? その声はムラサ君……じゃな?」
「ええ、ムラサ船長ですとも」
村紗の言葉を受け「それでは遠慮なく」と、マミゾウこと二ッ岩マミゾウが入室した。
ぬえの頭の中では色々と思考がこんがらがって、見開いた目のまま村紗とマミゾウを交互にガン見する。
しかし彼女自身、こんな調子ではいけないと思ったか。
「え、えと……こ! こんばんは、マミゾぶっ!」
勇気を出して、夜の挨拶をして。
噛んだ。
「……な、なんじゃ? ま……マミゾ部?」
「噛んだんだよ言わせんな恥ずかしいっ!」
割とマジギレのぬえ。村紗もこの不器用さには苦笑しかない。
理不尽にキレられたマミゾウといえば、こちらも苦笑いを浮かべてぬえに言葉をかける。
「わしとぬえの仲なんじゃから、今更礼儀正しく『こんばんは』なんて言うこと無いにのう」
「うぐぎ」
この狸も中々デリカシーの無い狸だなあ、とか村紗は思う。
「まあそれはともかくじゃ。ちょいとぬえに頼みがあっての」
マミゾウにとってはどうでもいいであろう会話は早々に打ち切り、彼女はぬえを見ながらくいと眼鏡を持ち上げた。
お互いに顔を見合わせて、それから首を傾げるぬえと村紗。
「頼み?」
「うむ。今日は聖くんの食事当番じゃったが、明日はぬえが当番じゃろう?」
「まあ、うん。そうだけど」
「久々に佐渡のものも食べたくなってのう。とはいえぬし以外の者に頼むのも少し気が引けてな……いやわしが当番の日に自分で作ればいい話ではあるんじゃが」
「あーはいはい、いいよ。明日は佐渡っぽい料理にすればいいのね」
「おお。すまんなぬえ」
変に意識さえしなければ、やはり懇意にし合っている友人同士、自然な会話になるものである。
しかし村紗はといえば、何故ぬえがこんなチャンスを棒に振ろうとしているのか全く理解できなかった。
そのまま会話が終わり、マミゾウが帰ってしまいそうな勢いになったところで、いよいよ村紗に我慢の限界が訪れる。
「――それなら、明日2人で買い物に行って来ればいいじゃない?」
村紗の発した言葉に、ぬえはポカンと表情の動きを止める。
ああもうこの鵺は本当に好機殺しだ――と口元をピクピクさせながら村紗は続けた。
「マミゾウさんの食べたいものを作るなら、ぬえと一緒に買い物に行った方がいいでしょう? そういうこと」
「なるほど、それはいいかもしれん。わしもまだ幻想郷は詳しくないに」
「え……え、えええ?」
1人目を回しながら、話の流れに着いていけない様子のぬえ。
村紗がはあと溜め息をついて――同時に、マミゾウがぬえに声をかける。
「買い物がてら人里の案内をしてもらえれば嬉しいんじゃが……どうかの?」
その言葉でようやく、ぬえの視点はマミゾウに集中して。
「う……うん」
たいへん小さな声量で、しかし承諾の返事をしたのであった。
◇
翌朝、9時ちょうどの時刻。
玄関ではぬえ、そして村紗の2人がマミゾウの準備完了を待機していた。
「という訳で、ぬえ。いよいよ来たわ……千載一遇のチャンスよ」
「ち、チャンスって……ただ買い物行くだけじゃないの」
「甘いわ……これは立派なでえとよ」
「で……でえとですと……!」
お互い妙なテンションになっている中、特にテンションの高い村紗は自らのポケットを右手で漁る。
その中から折りたたまれた紙を取り出すと、そのままぬえの手を取って握らせる。
「……? なにこれ」
「秘密のカンペよ。会話に困ったり何すればいいか分からなくなったら見なさい」
「む……ムラサ……」
ぬえの目尻に雫が浮かぶ。ああ、なんと良い友を私は持ったのでしょう――
それからすぐに、玄関へマミゾウが現れた。いつも通りのラフなスタイルに、ぬえもいつも通りの服装で来て良かったと思う。
下手に服装で気合を入れて「なんだコイツ」的展開になるのは誰もが恐れることだ。
「おお、ぬえ。待たせたのう」
「ん。あんまり待ってないけどね」
「それから……ええと。ムラサ君も一緒に買い物へ行くのかや?」
「いいえ、私は玄関で大根の皮を剥いていたただの村人Aだから気にしないで」
「……何言ってるのか分かるかの、ぬえ?」
「神の言葉はいつでも分からないものだからね」
最早マミゾウの頭の上にはクエスチョンマークが7個くらい浮いてそうだったが、ぬえと村紗にはどうでもいいことだ。
「いってらっしゃーい」という村紗の声を背に、ぬえとマミゾウは颯爽と賑やかな人里へ繰り出していくのだった。
◇
という軽快な滑り出しは早々に頓挫する。
「無理」
彼女のプライドがあっさりと陥落するまでにそう時間はかからなかった。
呟くぬえはとても爽やかな笑顔を浮かべている。俗に言うオワタの笑顔である。
「ん、何か言うたかぬえ?」
「え、ええっ!? なに!?」
「いや訊いたのはわしなんじゃが……」
完全にぬえはテンパっていた。命蓮寺を出てからこの人里に着くまで、彼女はマミゾウとまともな会話を殆どしていない。
マミゾウはそんなこと気にしていない様子だが、村紗から『でえと』とまで言われた手前、延々と続く沈黙が大変痛々しい。
――ああ、もう……なんで私はいつもみたく話せないかな……
心で思っても現実に実を結ばないのは人間と同じだ。たとえ話を切り出したところで、それはすぐ尻つぼみとなってしまうだろう。
「ぬえ」
「……え、は、はへ!?」
「なんじゃその声は」
「な、なななんでも……コホン。んん、何でも無い」
それにしても、少々取り乱しすぎた――と彼女は反省する。
――そうだ……こんな時こそアレがあるではないか。
ぬえはズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。綺麗に畳まれた紙切れがその手に触れる。
少々早いかとは思ったが、こうなっては背に腹は変えられない。こそこそと、彼女は『秘密のカンペ』をポケットから取り出した。
「いやのう、この人里というのは午前中でも賑わってるんじゃなあと思うての」
「ま、まあそりゃあ、腐っても人間の里だからねえ……」
マミゾウの他愛ない話を何とか受け流しながら、バレないよう細心の注意を払い自らの右手を盗み見る。
折りたたまれた紙をゆっくりと開けば――見えた。村紗がぬえのピンチを想い、それを救済するため作り上げてくれた『秘密のカンペ』、その内容が。
マミゾウの目も気にしつつ、出来る限りぬえは意識をカンペへ集中させる。
カサリと小さく音がして、同時にぬえが書き出しを読み取った。
『その1! マミゾウさんをホテルに連れ込む( ・´ー・`)』
「でえええきるかああああああ――――――ッッ!!」
「なに!!?」
両こぶしを固く握ったぬえの絶叫にマミゾウ及び人里の人間達がギョッとした。
「今までそれが出来ないから悩んでたんだようんこが大体その顔はなんだ煽ってんのかこら殺すぞおらああああ――――――ッッ!」
「お、落ち着けぬえッ! 一体どんなムカつく面を見せられたのかは知らんが取りあえずTPOという言葉を100回強唱えて落ち着くんじゃ!」
荒ぶったぬえをマミゾウが抑えるまで約数分。
お互い疲れ切った様子で荒い息をしながら、石のベンチに諸手をつく。
人間から怪しい目で見られる中――先に口を開いたのはぬえだった。
「ご……ごめんねマミゾウ……不意にその、ええと……金閣寺のことを思い出して」
「ぬしは金閣寺にどれだけの恨みを持っとるんじゃ……」
色々とあるのよ、と聞こえないくらいの声でぬえは独りごちる。
その後落ち着いたところで、彼女は先程握り潰しぐしゃぐしゃのカンペを改めて見る。
『冗談よてへぺろ☆』の記述を見つけて思わず八つ裂きにしようと思ったが何とか堪えた。
『真・その1! 美味しい物を食べに行く!
でえとの基本と言えばやっぱり外食ナノーネ!
マミゾウさんの好きなものは私よりぬえの方が詳しいでしょう?
では検討を祈るっ! アデュー!』
仕切り直し。流し読みした内容は今の通りである。
最早村紗のキャラが分からなくなってきたぬえだったが、計画的には問題なさそうだった。
鉄板ともいえる食事の誘いは、彼女もやりやすいなと頷く。
「……ふう。ま、まあともかく……折角人里に来た訳だし、何か食べに行かない?」
「な、何か妙に唐突じゃな……」
「き、気にしたら負けよっ」
まあいいがのう――とマミゾウは返事をする。
取りあえず、一旦ぬえは一息ついた。少しずつ落ち着きも戻ってきた様子だ。
「で、どこへ食べに行くんじゃ?」
「そうだねえ。じゃあ、昔からマミゾウの好きだった――」
……。
「……ぬえ?」
「え、ああ、ごめん。えっと、マミゾウの好きだった――」
好きだった――好きだった……好きだった?
またもや緊急事態発生――ぬえの思考が完全に硬直する。
再びマミゾウから声をかけられ意識を取り戻した時、彼女の額には冷や汗が垂れ始めていた。
――ま、マミゾウの好きな食べ物って、何ですか……?
自分でも予想外の展開であった。まさか、親友とまで思ってきた相手の好きな食べ物を――知らないとは。
ぬえに正念場が訪れる。いつしか冷や汗は脂汗に変わっていた。
怪訝な表情のマミゾウを見れば、もう回答までの時間が少ないことも明らかである。
「ぬ、ぬえ」
「だ、大丈夫よ! 金縛りにはあってないわ!」
「訊いてない」
「だ、だから……その、マミゾウの好きなものは、えっと……」
タイムアップだと、ぬえは思う。
――もうこうなったら、あてずっぽうに全てを賭けるッ!
「マミゾウの好きな食べ物は――――」
「……ふじつぼ?」
◇
「いやあ、ぬえ……まさかぬし、わしの好きなものを知っているとはのう」
「あっ、あっはははは、あああ当たり前でしょー!」
どこの神様の……いや仏様の気まぐれかは知らないが、ぬえに奇跡が起きた。
このマミゾウという化け狸、佐渡にいた頃は高級珍味をよく取り寄せ食べていたとか。人間、もとい妖怪もよく分からないものである。
「とはいえ、流石にふじつぼを扱ってる店はどこにもないみたいだのう」
「いやーあっはっはー当たり前だろ」
「ん?」
「なんでもありやせん!」
そういう訳で、ふじつぼをお茶のお供にするという意味不明な計画は白紙になる。
2人は黙って適当な茶屋に入り、適当な団子とお茶を頼むことにしたのだった。
「まあ午前中から海産物を食べるのもおかしな話だしのう。こんな程度で十分じゃ」
「ま、そうね。団子おいしいし」
何だかんだ妥当なところで落ち着いた訳だが、ぬえは少々この『秘密のカンペ』の信頼度を疑い始めていた。
村紗がわざわざ作ってくれたものを疑うのは心苦しいが、しかしこのカンペを見始めてからどうにもドタバタ続きである。
――とはいえ、私が勝手に自爆した節もあるしなあ……
小さく首を振って、ぬえは思い直す。どうせ私1人では何もできないし……もう少しこのカンペに頼っても良いかもしれない――
「ふう、うまかったうまかった」
「そ、そうね……」
お互い団子を食べ終えたところで、ぬえはテーブルの下に隠したカンペを覗く。
書かれていた計画その2はこうだ。
『その2! 人里で人気の芸を見に行く!
最近現れた謎のコメディアンが人里で大人気とか!
コメディアンのライバルとしてその技術を盗むと共に、
マミゾウさんとの距離を接近させなされ!』
いちいち突っ込むのも面倒くさいので、こっちである程度汲み取ろうとぬえは思った。
「じゃあ団子も食べ終わったし……もっと人里の真ん中の方へ行かない?」
「ん。いいのう」
「私、面白い芸をする人間を知ってるんだよね」
「ほお? わしは笑いには厳しいぞい?」
◇
人里の中心部へ2人が辿り着いた頃には、すでに人だかりの生まれているエリアがあった。
2人も人だかりの後ろに陣取り、その先にあるステージへ目を向ける。『コントの新生、モヌンベ=フォートライブ!!』なる垂れ幕がそこにはかかっていた。
お互い聞いた事の無い名前らしく、首を傾げる。
「モヌンベ=フォートとは変わった名前じゃのう」
「なんかどっかの国を征服してそうな感じだよね」
聞いたことこそなかったが、ぬえもマミゾウもその顔には期待の色が浮かんでいる。
おかしな名前なんてコメディアンには当たり前であるし、何よりこれだけの人だかりがその期待を後押ししていた。
『さあ皆さんお待たせ致しましたー! いよいよモヌンベ=フォートさんのご登場でーす!』
司会の男性の声に会場は更に盛り上がる。
「楽しみじゃのう?」とマミゾウも口にする中で――いよいよステージ裏から、モヌンベ=フォートが登場した。
「ふふ……我が登場を祝福する者よ、何者ぞっ!」
登場したコメディアンは、ぬえと予想とは違い――女性だった。
その顔に浮かべるのは、清々しいまでのどや顔。まるでどや顔をする為だけに生まれてきたかのような、天性のどや顔だ。
烏帽子を被った銀色の髪をポニーテールに纏め、白い装束が綺麗な髪に映える。
コメディアンというよりも美少女であるその姿にぬえは目を奪われ――
「ってただの物部布都じゃねえかあああ――――――――ッッ!!」
「うぎゃー! ぬえがまた壊れたああ!!」
耳をつんざくぬえの絶叫に、またもマミゾウと観衆が度肝を抜かれる。
マミゾウが何とかそれを制しようとするが、これだけの大声ではモヌンベ=フォートの耳にも必然と入ることとなり、その彼女もまた度肝を抜かれることとなった。
「んな……ななな!? お主はあのヤクザ寺の怪しい妖怪っ!?」
「うっせー! お前こそ何でこんな街中でコメディアンやってんのよモヌンベ=フォートじゃねえよバーカ!」
「ばっ……ばばばば馬鹿と言ったな貴様!? うぐぐ、聞き捨てならぬ……」
ステージ上の布都と下のぬえの目線に火花が散る。
対立軸である2つの宗派の信仰者がばったり出くわしたのだから無理はないのだが――困ったのはぬえの連れであるマミゾウだ。
「ま……まあ取りあえず落ち着けぬえ。お主とモヌンベにどんな因縁があるかはともかく、モヌンベの芸を見に来た客がたくさんおるんじゃからの」
「む……ぐう。それもそうね」
マミゾウになだめられ、ようやくぬえは引き下がる。
布都も何か言いたそうな顔をしていたが、やはりマミゾウの話を聞いていたのだろう。
コメディアンたる者、ファンサービスが第一である。
『で、では改めて、モヌンベ=フォートさんの登場でーす!』
見事な司会のフォローに、布都も「んん」と喉を整える。
そして同時に布都は両手を上げ、慣れた営業スマイルで、こう叫んだ。
「はいどーもー! ラーメンつけ麺、ぼく布都麺オッケ――――――ッッ!! 仙界のイケメン――ならぬ布都メンことこのモヌンベ=フォートの――……」
面白かった。
◇
「いやあ、笑ったのう……あのモヌンベ=フォートとやら、ただ者ではないぞ……?」
「マミゾウ……あんたはおかしい」
面白かった、というのは主にマミゾウの主観であるのだが。
その後ぬえが観客から聞いた話では、最近現れた聖人とその一味が人間への奉仕とか何とかでああいう事をしているとか何とか。
何はともあれマミゾウにも観客にもモヌンベ=フォートは大好評。次回のステージもあんな感じになるのだろうな――とぬえは溜め息を落とす他無かった。
◇
それから2人は、ぬえ(の持つカンペ)が主導する計画に則って人里を巡り歩いた。
最初こそ意味不明な内容だったカンペもその後は堅実な構成になっており、固かったぬえの態度も、日が落ち始めた頃にはすっかり軟化していた。
「ふう……今日は一日中歩き回ってしまったわい」
「そうね。あと、買い物は済ませたし……日も暮れそう。もう帰る?」
「うむ。そうするとしよう」
2人が帰路につく。とはいえかなり遠くまで来ている以上、帰り道も長くなりそうだ。
そしてそれは、ぬえにとって好都合でもある。
「マミゾウ」
「ん?」
「私がいきなり幻想郷に呼んだこと……怒ってる?」
小さく問いかける。しかし軽い気分のまま、ぬえはその言葉を自然と口にすることができる。
一瞬ぬえの顔を見つめたマミゾウも、すぐに重苦しい空気ではないことを悟ったか、声をあげて笑いながら言葉を返した。
「怒っとると思うのか、ぬえは?」
「そりゃあ思うでしょ……いきなり無理を言って呼んだんだし、さ」
という台詞は、ぬえ自身嘘をついたな――と自覚している。
ぬえが本当に怒られるべきだと思っていることは、マミゾウが幻想郷で孤立するであろうという打算の下、彼女を佐渡から呼び寄せたことにある。
それを知っているのはぬえと村紗だけな以上、マミゾウが怒る訳は無い。
それでも、意味の無い質問だと分かっていても、ぬえはそれを訊かずにいられない。
「……怒る、のう。ほっほ」
「何で笑うの。怒ってないってこと?」
「いんや、怒っとるぞい」
笑顔のまま、マミゾウは答える。
ぬえは少しだけどきりと動悸を覚え――しかしすぐにあり得ないことだと思い直す。
そんな彼女の横でマミゾウは、不意に真剣な視線をぬえに向けて――ゆっくりと口を開く。
「ぬしが中々、わしを呼んでくれなかったことに怒っとるよ」
「――へ?」
「……冗談じゃ」
カラカラと、マミゾウは笑った。
しばらく固まっていたぬえも――テンポ遅れて一緒に笑う。
それでも彼女の刻む鼓動は、その表情とは裏腹に強く高鳴っていた。マミゾウがからかって発したその一言に、大きく揺さぶられていた。
「な、なに言ってんだか」
「ほほ、悪かったのう」
「あーあ、あんたは佐渡で金でも食べて中毒になってれば良かったのになー」
「16世紀に連れて行ってくれるなら食べてくるぞい?」
たわいも無い、下らない話をしながら、2人は長い帰り道を歩く。
――ぜんぜん、私は駄目だなあ……
自嘲気味に、そんなことをぬえは思った。それは、人の心なんて毛ほども知らないマミゾウの冗談にも、簡単に心を動かされる自分に。
そして――固くなる私を自然にほぐせるよう色々な仕掛けをしてくれたのであろう、地獄以来の友人にも。
結局、自分は他人にばかり助けられて生きている。自分の力だけで出来ることなんて山ほどあるんだと思っていたけど、知らぬうちに助けられていることも山ほどあるんだなあ、と。そう考える。
「……? ぬえ、いきなり止まって……どうかしたかの」
「……」
――でも、それでいいんだと。ぬえは思う。
1人でやらなければならないことだってある。でも――しばらくは、マミゾウと共に。
「ぬえ?」
「……あー、ごめんごめん。靴ひもほどけちゃってさ」
「そうかの」
今就いている帰り道よりも、遥かに長い道が続いているならば。
私自身の力で、勇気を持ってその言葉を言うのも――もう少し後で良いかな、と。封獣ぬえは思うのだった。
モヌンベwww