Coolier - 新生・東方創想話

Crazy Clown

2011/12/05 19:13:57
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注意

さとり×パルスィ
いつもの通りの酷い過去捏造 性格及び口調崩壊 独自能力解釈 独自設定 等々
他にモブキャラが数体刺身のつま程度に出てきます

過去作品は以下のリンクから
前々々々作【Contrainess Jealousy】
前々々作  【Coward Insensitive】
前々作    【Conceal Incomprehensible】
前作      【Cynical Monsters】

それでは ブラウザバックかスクロールバーダウンをどうぞ
















































風呂
そうだ、風呂に入りたい

この状況でそんな事を考えるのは些か場違いすぎやしないかと私の中で何かが囁くがそんな事は知った事では無い。
ともかく風呂に、熱い風呂に入りたい
まるであの時の激流の様に熱くて、冷たくて、全てを滅茶苦茶に壊してしまえるぐらいの液体に浸かりたい。

腕のある筈の箇所から激痛が走る
普通の妖怪だったら気絶してしまうだろう、私もなぜ倒れてしまわないか不思議なぐらいだ、いっその事倒れてしまえたならば幸せに違いないのに。
ひょいと見てみると案の定腕が無かった
しかしまあ、見事に切られたものだ、びゅるびゅると真っ赤な血を吹き出す断面をぼやっと眺めながら私が感じた事はまあ、その程度だった。
ああ、見慣れた血だ、真っ赤だ、青でも黄でも無く赤だ
切断されていない方の腕に握られた短剣をぎゅうと握りしめるとそこからも痛みが走った。
ああ、あちこちやられたものだ、どこもかしこもぐちゃぐちゃで汚れていない所などあったものでは無い。

向こうさんもそろそろ厳しい頃な筈なんだがなあ、痩せ我慢なのかそれとも本当に利いていないか分からないが動じた様子も無いのが不気味さを煽る。
前者だったら私が殺すか向こうが殺すかだろうが後者だったらどうだろうな、死ぬのかな

まあ、関係ないか
短剣を前に構えてすうっと引く、向こうも手に持っていた剣を構えた

さあ、休憩時間は終わりだ、殺ろうじゃないか
じりじりとにじり寄る、向こうからの距離も詰まって来る

ああ、風呂 入りてぇなぁ
激突の瞬間、私はそれぐらいしか考えなかった










□■□





どの道私がこうなってしまう事は決まりきった事なのに
どうしてそうなってしまうと心の中がぽっかりと空いてしまうのだろうか
どうしてこんなに涙が流れるのだろうか
どうしてこんなに寂しいのだろうか
どうなろうと覚悟はできていたはずなのに
どちらなのだろうか 生きたいのか 死にたいのか

どうでもいいけど





□■□












ぼぅっと霞んだ視線がまず辿り着いたのはいつも通りのなんの変哲も無い天井だった。
しかしいつ見ても変わり映えのしない天井だ、もうちょっと面白味は出せないのだろうか。
そんな事をふと考えてしまったがこの前さとりが家じゅう桃色に仕上げてしまった事を思い出したのでその考えは頭の中の『永久廃棄』の欄にぶち込んでおくことにする。
あれは酷かった、朝起きたら家の中が天井から床まで一面桃色になっていたのである、家具の内部、服、外壁、屋根も全て桃色と言う念の入れよう、そんな所に念を入れるよりもさっさと仕事をしろと言いたい、猛烈に言いたい。

下手人はすぐに捕まった、と言うよりも逃げも隠れもしないという堂々とした態度だったので正直捕まえたくはなった、でもあのまま放置していたら事態はますます悪い方向に動いていたのは間違い様も無い事なので大人しく捕まえてあげる事にした、正直そろそろ禿げるのではないかと深刻に考えてしまう程に面倒くさい。
馬鹿の名前は古明地さとりと言った、馬鹿の仲間の名前は古明地こいしと言った、馬鹿の仲間二号と三号はそれぞれ黒谷ヤマメ、キスメと言った
最後にそいつらは四人そろって地底戦隊! 橋姫弄リンジャー!と名乗った、背後で色とりどりの爆発が起こった、恐らくバ鴉だろう。
正直怒りたいと言うよりも泣きたくなった、恥も外聞も投げ捨ててわんわんと泣いてしまえたらどれだけいいだろうとこの時ほど思った事は無いだろう。
だがこいつらの目の前で泣くなぞ醜態にも程がある、末代までの恥となってしまうだろう、私が末代だが。
深呼吸ついでに近くの岩を殴った、岩は粉々に砕け散った、今まで馬鹿やってた奴らは皆青ざめていたと思う、ざまあ。
それから“ちょっと”怒ってあげると皆半泣きになりながら許しを乞い始めた、そりゃもう今が世紀末よと言わんばかりに。
私はただ「お前の頭蓋骨を五寸釘で叩き割って中身啜るぞ」とか「寝ている時に枕元に立って一晩中壁一面に藁人形打ちつけまくるぞ」とか言っただけなのにあんなにびくびくするとは。
そんなこんなで懲らしめた事もあった、翌日から懲りずにまたやって来たが。

しかし色々な事があったものだ、勇儀が酔っぱらって家を全開全階全壊にしたことがあった、こいしが家の中身と言う中身を訳の分からない装飾品で埋め尽くした時があった、ヤマメの糸をキスメが家の上から盛大にぶちまけた事があった、バ鴉の流れ弾が家のあったはずの所にでっかいクレーターを作成した時があった、思い出すと当然のように悪い記憶ばかりが思い当たるのはなぜだろうか、私はさっぱり分からない。

まあ、ともかく色々とあったものだ
とんでもなく爺臭い台詞だが今の私にはぴったりだろう
色々とあった、色々とやった、色々と残した
まあ、まだ時間はあるだろう、そう言えば今日は地霊殿でパーティーがあるとさとりが言っていた。

パーティーね、あのさとりが
最初その話を聞いた時は俄かには信じられなかったが、どうやら本当にやるらしい
地上と連絡を取ったと聞いた、今頃地上の宴会主要部隊が来ている頃かもしれない
ここでは無く、大きな明るい穴を通って
もう頭は痛まなかった、代わりに胸が僅かに疼いた

何と無しに鼻歌を歌いたくなった
もうやり方も忘れてしまったかと思ったが、高い旋律が部屋の中に流れる。
何と言う歌だろうか、私は忘れてしまった。
遠い遠い昔に聞いた気がする、いつかの地霊殿で耳にした気がする、即興の様な気もしてくる。
不思議と、悲しくなる歌だった


そう言えば、さとりは招待状をよこすとか言っていたがいつまで経っても来ない、もう当日だというのに招待状のしの字すら見えない。
あいつの事だから忘れると言うことは無いのであろうが、それにしても遅すぎる気がしてくる、正直タイムオーバーだ。
―――何か企んでいるか
直感がそう答えた
そうだ、この嫌な感覚はいつだってさとりが来るときにしていた。
決まってあいつは私が溜息をつきたくなるものを持って来るのだ、それに付き合う私も大概だが。
しょうがない、茶でも用意するか
よっこらと立ち上がり台所へと向かおうとする



どっごぉぉぉぉぉぉぉ…



すると背後で凄まじい破壊音
ほうら、来た やっぱり来た
次にやって来たのは猛烈な量の埃
堪らず咳をすると煙の奥からは連続してそれが聞こえた、馬鹿か、そうか馬鹿なのか

「あんたはいつも私の手間を増やすわね」
「げほっ、パルスィを弄ると楽しいですもん」
「言ってなさい、それで、招待状は?」
「あら、パルスィから招待状の催促が来るなんて、望みは料理でしょうか、それとも私?」
「馬鹿言うんじゃないわよ、来ないといらいらするだけ」
「律儀ですね」
「あんたがずぼらすぎるだけよ」
「言い返さないのが大人です」
「言い返せないだけだから子供よね」
「減らず口を」
「どっちが」

私はまず文句を言った
天井から降って来た古明地さとりは、相変らずの口調で言い返した
私はそれに突っ込みを返す
決められたパターンの中に構築されている、それ以上でもそれ以下でもない応対
私達の出会いがしらの挨拶はいつも、いつだってそんな感じだった



■□■



「それで、なぜあんたは天井から降って来たのかしら」
「いつもとは違うアプローチをかける事によってマンネリ解消」
「何がマンネリよ、あんたが飽きずにやっているのはただの破壊活動でしょうが」
「馬鹿言うんじゃありません、ぶっ壊す中にも美しさが「はいはいはい、よかったよかった」」

口喧嘩なぞ所詮は口論、ならば相手に声を出させなければ良い
さとりは自分の能力に頼っているがその分パワーに欠ける、そこを突けば言いくるめるのは容易い。

「…………負けました」
「これって勝負なのかしら」
「今の所5戦2負け1勝ち2分けですね」
「いつ数えたのかしら、いつから数え始めたのかしら」

私は勝負を申し込んだ記憶は無いのだが
だがさとりはそんなこと知った事では無いと言う様に押し切った
家の中を乱舞していた埃がそろそろ落ち着いて来る
さとりは顔面まで茶色く煤けている、堪らず笑い転げたくなるがそうするとせっかく落ち着いたのが台無しだ。

「さて、お茶でもしません?」
「お茶って…あんたこの家の現状を見てどう思うのよ」

辺り一面埃っぽい茶色で包まれている、恐らくは台所も全滅だろう
大体なぜ人の家をこうまでも簡単に破壊するのか、壁を突き破ったり天井をぶち抜いたり床を破壊したり、どうしてこいつらは普通の入り方ができないのか。

「いえ、いえ パルスィ、あなた家が欲しいとか言ってましたよね?」
「え?ああ、そうだけど」
「ですからここを破壊して新しい家をここに建てようかと」
「成程成程…って別に此処破壊しなくてもいいじゃない」
「趣味です」
「趣味か、よし目を瞑れ、歯ぁ食い縛れ」

さとりはひょいと後ろに後退し、ぽへっとした表情で笑った
いつもなら此処で一つの応酬があっても良い筈だが、まあさとりがそんな気分で無いのだろう、そっちの方が面倒事も無いし私は向こうが何かしない限り干渉しないのだからこれ以上良いことは無いだろう。
しかしこの家の惨状をどうするか、新しい家に住むにしてもそれが建つのには随分と時間がかかるだろう、それに――――

「ん?ああ、パルスィは新築ができるまで地霊殿に住むことになりますね」
「ああ、それでいいのね」
「仕事はやってもらいますが」

私が居ても居なくてもこいつは仕事をやらないだろう、押し付ける気かこいつ
まあ、住まわせてもらうのだからその代わりとして多少は手伝ってやっても良いだろう、さとりにも当然やらせるが。
しかし勝手に家をぶっ壊した挙句住まいを決めて仕事を押し付けると言うのはいかさか不平等な気がする、まあこっちはあくまで橋姫、向こうは仮にも、例え実態は閻魔に尻叩かれるさぼり魔と言えど、地底の一部権限を握っている妖怪なのである、仕方ないと言えば仕方ない。
そう言えば、今まですっかり忘れていたがこいつは地霊殿の主だった、旧都や地上、彼岸にも繋がりのあると言う所からふまえると影響が利く範囲が一番広いのは意外にもさとりかもしれない、こいしは無意識だから影響と言ってもピンきりだろう。

しかし、こいつがそんな強い権限を持つなぞあの時は思いもしなかったからこの世は実に何があるか分からない物だ。
事実は小説よりも奇なりと言うが非常に的を射た答えだと思う、その中には少なからずこいつの努力がある事は間違いないが。
私が妖怪となったのも、地底に落ちて来たのも、さとりと思いもしなかった交流が生まれたのも、全てそれ以前には予想もつかなかった事だ。

「まあ、家の中がこんな惨状ですし、そうですね…橋にでも出ましょうか」
「……あんたにしては随分と積極的じゃない」
「そうですか?」

間違いなく、さとりはいつもよりも機嫌が良い
普通ならばこういった場合暫く私をからかった挙句手を引っ張ってでも連れてゆくだろう
まあ、その在り余る元気を別の方向に使わなければ私としても万々歳だが
台所に行くと奇跡的に茶を淹れる道具は無事だった、と言うよりも台所は無事で埃の魔の手から逃れた様だ。
ちょっと待ってなさい、今淹れるからと声をかけるとでは待ってましょうとやけに素直に返ってくる、ここまでとんとん拍子だと不気味だ、普段やっていることがやっている事だけに信用が置けないというか何と言うか。

椅子に座って湯が沸くまでじぃっと待っている事にする
台所には一つ窓が設置されていてそこから採光がてら外の様子を見る事が出来る
見る事が出来ると言ってもここから見る事が出来るのは何の面白味も無い景色だが
だけれども、この時間は好きだ、何も考えなくても良い
ぼうっと旧都がある方に目を向けると僅かに光が霞んでいるように見えた
ああ、あそこでは今まさに誰かが暮らしているのだ、当たり前の事だが
そんな事をぼうっとしながら考える時間と言うのは幸せだった。

何も考えなくても良い 何も知らなくても良い
何も傷つかなくても良い 何も動かなくても良い

つまり幸せとはそういう事だ、結局鈍感になってしまえば幸せだ
何かを知ってしまうから不幸になる、傷ついて、迷って、結局は訳が分からなくなる
考えなければそれでいい、目を背ければ万事解決、知ろうとしなければなんでもいい
今までそうして生きてきた、今まではそうして生きてきた

「パルスィー、まだですか?」
「ちょっと待ちなさいよ、堪えられない犬なのかしら、あんたは」

では、これからは?
これからはどうして生きようか
分からない 考えられない

ぴゅうぴゅうと薬缶が鳴った、筒から蒸気が噴き出してくる
火傷しそうな程の熱を持つ湯を急須に入れて、しばらく待ったらお盆に乗せた湯呑に注ぎ、片手で持ってさとりの元へ向かう

どうしようか
私はこれから何を考えて生きていこうか
少しは理解しようとしても良いかもしれない
少しは思い出しても良いかもしれない
少しは歩み寄っても良いかもしれない
どうせ全ては遅すぎる、蝸牛でも呆れかえる程に遅すぎる

「待ちくたびれましたよ」
「あんた片方持ちなさい、一人じゃ辛いのよ」
「じゃ、頼みました」
「ちょ、逃げんじゃないわよ!」

さとりはいつもの様に責任放棄して橋の上に行ってしまう
それを私が怒鳴りながら追いかける
このやり取りを飽きずに続けてもう何十年たっただろうか
覚えていない 覚えたくも無い
どうせこの碌でなしの事だ、ちゃっかり覚えているかもしれない
そうしたならばがっかりするのだろう、こいつのおもりになってからもうそんなに立つのかと。

欠伸とため息を同時にするように大きく口を開けてから、右手で盆を掴んで持って行く。
手間と言っても上にある橋までひとっ飛びだ、そんなに時間もかからないし手間もない、それでも任せっぱなしにされると言うのは癪に障るものである。
なにせ自分がほんの少しと言えど労力を出している時に片一方はのうのうとしているのである、これに妬ましさを感じずに何を妬むと言うのだ。

「妬ましい、ですか」

言われてしまった、どうしてこいつはこう人が言いたい事を先回りするのだろう、アイデンティティの崩壊を引き起こしてもおかしくは無いと言うのに。
あ、美味しい
そう言いながらさとりは茶を啜って、自分の持ってきた菓子を頬張る
私もさとりから強奪して食べる、美味しい、これはお燐の作った物か

「いえ、私ですが」

驚くべき答えが返ってくる
怠け者のこいつが料理できるとは知らなかった

「お燐に料理教えたのも私ですがね」
「へぇ、あいつが覚えてたわけじゃないんだ」

確かにさとりが料理をしている所を見たことが無い
これはクッキーと言うものだろうか、サクサクと食べるとほのかな甘みが口の中に広がる、茶が進む
黙々と咀嚼しながら、そういえばさとりが料理をしている時にはどんな服をしているのだろうか考える。
なにせ私はさとりの料理している図というのを知らないのである、それ程想像の伸びしろがある。
割烹着かもしれないしエプロンかもしれない、私服のままかもしれないが以外にも几帳面なさとりの事だ、それはないだろう
もしかしてメイド服を着ているのだろうか、想像すると笑いが込み上げてくる
さとりは不機嫌そうな瞳でこちらを見ていた、口は何も言わないが目の中で光がゆらゆらと揺れている

暗闇の中で反射しきらめく三つの瞳は、なぜだかは知らないが引きつけられる、なぜだかその瞳に取り込まれてしまうような気がした。
強制的に目を背けて口の中の物を租借する、魅入られて堪るものかと思いながら。
しかしこのクッキーは美味しい、料理が上手いと言っても長くやっていないと手は鈍るものだろう、ひょっとすると火焔猫と交代で作っているのかもしれない。
今度地霊殿に行ったときは作ってもらうとしようか、一度こいつの料理は食べてみたい、不味かったら思いっきりからかってやっても良い。

「性格悪いですね」
「どちらがよ」

答えは帰ってこなかった
どちらも
さとりはそう言いかけている様な気がした

「それに、パルスィはこれから地霊殿に来るのですから食べる機会はあるでしょう」
「それもそうね、楽しみにしておくわ」
「どういった意味でしょう」
「さあ、どうだかね」

それっきり、会話は途切れてしまった
後にはただいつもの様に吹き荒んで通る風の音だけが通り抜けた。



◇◆◇



地霊殿に滞在することになるのなら取って来たい物がある
パルスィはそう言って私が叩き潰したかつて詰所と呼ばれていた所に荷物を取りに行ってしまった。
元々狭かった詰所だ、そんなに入る物も無いだろう、彼女が手放さないでおいている物も少ないだろうし。

地底の妖怪と言うのは持ち物が少ない
と、言うのも彼らと言うのはその場凌ぎの暮らししかしないからだ
その場しのぎと言うと聞こえは悪いが要するに「今日生きられればそれで良い、明日の事は明日考えればいい」と言う考えとなる。
そんな考えを持った者達が果たして必要の無い物をごてごてと持っているだろうか、否。
彼らが持っている物と言えば自らの体、その日の服、仕事、ちょっと余裕のあるものは小さな家と僅かな貯金、その程度だ、そんな物で生きていける。
そんな場所において例外的にごてごてと必要ない物を持ち、明日の事、先の事を考えて生きている妖怪がいる、


私だ
私は全てを捨てきれない
私は全てを忘れられない

もしも私が全てを捨てて生きられたのだとしたら、私とパルスィは出会わなかっただろう
私はあの書斎で執務に励んでいて、お互いのテリトリーを侵さずに暮らしていただろう。
それができないと言う事は、つまり私が弱いと言う事だ。
弱いから求めてしまう、弱いから捨てられない、弱いから忘れられない
私は地底の中で一番弱い、自分でもそう自覚を持って生きていた、いつだって忘れられなかった。
私はパルスィが羨ましい、彼女は誰よりも強い
彼女は何もかもを受け入れる、傷を負おうと罪を負おうと全てを受け入れ、全てを捨てられる
誰よりも達観していた、いかなることが起ころうと彼女は自分の視線で見ていなかった
まるで自分自身を何処か遠くから眺めている様な、そんな印象を受ける。

彼女は捨てる
私は覚える

それだけの関係だった、ずっと前から私とパルスィはそうして付き合ってきた。
これからもそうなのだろう、ずっと変わらないままなのだろう。
それでいい、臆病な私にはそれで良い

それで十分だ






ぼうっと橋を隅から隅まで眺めていると一か所不自然な点を見つけた
それは橋の基部に近い場所に貼られた札 随分と古びている
表面の文字はかすれて読めないが文様は何とか認識できた
書庫で得た知識を総動員する、あの文様に似た物をどこかで見たことがある
はて、どこだったろうか、うんうん考えているとパルスィが用意を終えた様でこちらに歩いてきた

『ま、用意って言っても武器ぐらいしか無いけど』

そんな物騒な物を持って何をするつもりなのでしょうか、心配です。

「んじゃ、いっちょ行きましょか」
「丁度地霊殿ではパーティーの準備が本格的になってきましてね」
「うぇっ、それって地上の奴らが居るって事じゃん」
「駄目ですか?って地上との交流パーティーなんですから当然居ますよそれぐらい」
「そうだけどさぁ、そうだけどさぁ」

パルスィは何も言わないが心の中ではしっかりと『地上の奴らって苦手なのよね、遠慮ないっていうか何と言うか友好的過ぎて鬱陶しいったらありゃしない、その積極性が妬ましいわ』とか言っていた。
確かに私も『心を読む?そんな事知らんわ』とか『寧ろ読んでください!』とか考えられながら近寄られると引いてしまう、なぜ心を読まれることを恐れないのか端只疑問だ。
それでも私は進もう、ここで地上と地底の友好関係を築きたいところだ、ここで引いてしまえば元も子もない。

パルスィはさっさと旧都の方に歩いて行った、私はそれを追いかけた

びょうと肌寒い風が吹き抜けた



■□■



旧都の火はいつでも点いている、喧嘩の火、宴会の火、いつ何が起こってもおかしくない混沌の坩堝と評される事もある程だ。
つい先ほども酒に酔った二人が喧嘩と称した相撲を始めて観衆がやいのやいの言いながら賭け事をしているのを目撃したばかりである。
やいのやいの掛け金が胴元に流れ込んでくる様を見る事や「あっちの方が二の腕が太い」だの「それにしてもすごい接戦だ」だの批評や「今度は私が手合わせ願いたいものだ」と意気込むのを聞くのは面白かった。
ちなみにさとりは二人の心の中を呼んでどちらが勝つか確信した様だ、後々聞いたところ「右の方の…ほら呂布と言いましたか、あれは賄賂が利きますね、左の方は関羽と言いましたか、あれは頭が良い、きっと酒をおごるか何かして場を治めるでしょう」とか言っていた、そう言う事は聞いていないのだが。

ぼうっとしていても地底の喧騒と言うのは頭の中に飛び込んでくるようだ、あまりの騒ぎに頭がずきずきと痛む。
ここらは私が普段行く市場とは別ルートとなっている、ついでに言ってしまうとこの辺りは年柄年中煩い旧都の中でも特に年柄年中煩い通りとなっている。
何故かと言うとこの辺りには非常に酒場が密集しているのだ、通称「酒屋街道」その理由としてここが旧都で一番古い通りだと言うのがあげられる。

地上から追われ、ここを開拓しに来た鬼がまず作ったのが酒場だった、確かに酒と言うのは陽気になり作業効率も上がるのだろう、鬼にとって酒は水と同じなので流し込まなければやっていけないと言う寸法なのは分かる、それでもやはり鬼と言うのは理解し辛い、普通は作戦本部なりなんなりを建てるべきではないのだろうか。
ともかくここはその流れを濃厚に汲んでいる、旧都が今の様に発展してもここには古株たちにとってなじみの場所と、なじみの酒、そしてなじみの店主となじみの常連が居るという寸法だ。
だがそれがこの喧騒を生む、なじみの場所はやはりなじみの酒を流し込みやすくなる、そして隣には長い仲の酒場の友人、前には親しみのあるマスターだ、これが何を作り上げるか

「おい酒だ!はよう酒こっちによこさんかい!」
「親父ぃーっ!俺もだ!こいつの奢りだ!」
「ちぃっと待て!おらぁそんな事一言も言ってねぇぞ!?」
「あぁ!?んじゃあ腕相撲で勝負だ!負けた方が今日の酒代払えよ?」
「おうとも、手前の黒星をひとぉつ増やしたるわぁ!」
「やれ!」「いよっ!待ってました!」「おい、どっちに賭ける」「おらぁ徳次郎だ」「んだぁ!?寛太朗が勝つに決まってんだろうよ」「いんや、徳の方が強い、おらぁあいつに勝ったことが無いわ」「手前が弱ぇえだけだろうよ」「あんだぁ!?やっか?」「おうともおうとも、乗ってやらあ!」「いやーこっちも賭けが始まるぞ!はよぉ金賭けんかい賭けんかい」「銀5!与助!」「銀10!下次郎!」「金1!徳次郎!」

……とまぁこんな具合なのである

さとりはどこから取り出したのか分からないけど耳栓をしていた、私の分は恐らく無いだろうから我慢するしかない、そもそも自分の分は用意しておきながらなぜ私の分は無いのか。
喧嘩の声や宴会で酔っ払った妖怪の叫び声、笑い声、それに負けじと張り上げられる酒場の呼び声、注文の声にガチャガチャドンドンと鳴り響く、正直言ってしまうと辺り構わず弾幕をぶっ放って大人しくさせたいぐらい鬱陶しい。
なぜそんな鬱陶しいにも程がある通りを私達が歩いているのかと言うと、今現在私達がよく通る道は通称「宿屋街道」と呼ばれていて読んで字の通り宿場が多い、故に静かなのだが。
そういう事なので地霊殿の宴会の際に地上からの観光客の混雑が予想される、なのでその用意に追われていて、しかも客がたくさん来るという理由でどうやらそこが色々と改装されるようなのだ。
故に終日通行禁止、他の街道は皆遠回りとなるので最短距離のこの酒場街道を通っている訳だ、正直選択を間違えたと思う、遠回りでも良いからもっと別な道を通ればよかった。
そう言えば沢山の者の心を読むと言うのは混乱しやしないかと思う、すると「いえ、限定して読むことはできますよ」と隣から声が聞こえてくる、ずいぶん大きい声を出したようだが生憎この喧騒の中ではそれでもまだ小さく聞こえてしまう程だ。
もしかしたら随分と繰り返して言っていたのかもしれない、だったら申し訳な…くは無いな。

しかしこのままだと普通の会話にも支障が出るだろう、速いとこ此処を出て静かな場所に行かなくてはならないだろう、もしも急に重要な会話をされたとしてそれを聞きのがしたら困る、非常に困る。
ちょっと別の場所に行きましょう、そう言おうとしてさとりの方を振り向いた私はさとりが何かを言っている事に気が付く、どうやら重要な話の様で顔を真っ赤にして叫んでいる。

「…………は……………………………ですが………………………………すか」
「うん?何言ってるのよ」
「パルスィは……は………なのですが………………して…………………すか」
「もうちょいはっきりと」
「パルスィは噂では酒乱と言う事なのですがもしかして飲むと脱ぐんですか?」

即座に対応頭蓋に一撃
こいつはまともな事を期待したら駄目だというのをすっかり忘れていた、迂闊だったな。
諦めた私はさとりを静かな方へズルズルと運んで行った、途中さとりが「私を静かな場所に連れて行ってどうするつもりですか、変態、野獣、むっつりすけべ」とかぬかすからまた一発やっておいたが、本当に面倒くさいと思う、付き合ってやっている私も大概だが。



■□■



しばらく歩いてようやく静かな通りへと入った、耳がガンガンする、しばらくまともに声が聞けないだろう。
しかしあんなところ平然と居続ける事が出来る常連はよくもまあ鼓膜が破れないものだ、流石は酒飲みだと変な感心をする、隣に居たさとりは耳栓をしていたので平然としていた、妬ましい。
辺りを見回すと静かな住宅が整然と並んでいる、とてもあの馬鹿騒ぎの通りの隣にあるとは信じられない。
そう言えば私は旧都に来た回数は結構数あれど、こうしていつもと違う所に来た回数はとても少ない、つまりどういう事かと言うと私はここがどこか分からないのである。
地霊殿の方向に進んでいるのかそれとも別の目的があるのかすらも分からない、もう少し旧都について調べてもよかったかと反省した。

「……紛い呪い師の偏窟」
「うん?」
「ここの名前ですよ、紛い呪い師の偏窟」

紛い呪い師
呼ぶのには呂律がややこしい名前だがそれはつまり、そう言う事だろう
地上で相手にされなかった占い師もどきが集まる、名前だけ見ればそう言う事だ。
だがさとりは首を数回横に振った

「いえ、彼らはまごうこと無く“本物の”魔術師ですよ」
「じゃ、なんでそんな紛らわしいにも程がある名前を使ってるのかしら」

ざく ざく

この通りは足場が石畳では無く、かといって踏み固められた地面でも無く、なぜか砂だ
なぜ砂かは私には分からない、嫌がらせではないだろうか、その所為で私の下駄に砂が入って気色悪いったら仕方がない。
さとりの靴はきちんと密閉された靴なので砂は入らないだろう、ああ砂地でも歩ける靴が妬ましい。

「…何なら交換しましょうか」
「やめとくわ、小さそう」
「え?パルスィと私の足の大きさはほぼ一緒ですよ?」
「なぜ分かる、なぜ知っている」
「あ」
「理由を5秒以内に原稿用紙3枚にまとめられる用量で答えなさい、遅れたりしたらここでジャーマンスープレックス決めるわよ」
「間違って履いてしまったんです、この間」

むう、追求し辛いことを突いてくる
まあ相手がさとりなので諦めた方が早いだろう、これ以上の追及は止しておくものとする。
それにしてもこの街道名の由来は何なのだろうか。

「ああ、それはですね、地上にいた間あまりにも呪いやら占いやらなんやらが当たったりすると周りの“きちんとした偽物”は悔しがるわけですよ」
「ほう」
「羨んだ時人は何と言いますかね」
「妬ましい」
「正解です、それでですねそういった“偽物”は口裏揃えて“本物”を指さしてこういう訳です」



こいつは偽物だ



「…成程、それで“紛い物”呪い師ね」

人の嫉妬心は恐ろしい、この私が言うのだから間違いない
嫉妬と言うものの厄介な所はあらゆる感情のオプションとしてついてくるところだろう
苦しいから苦しく無い奴が妬ましい
痛いから痛く無い奴が妬ましい
悲しいから悲しく無い奴が妬ましい
あいつは色々持ってて羨ましいから妬ましい
自分はこんな凄い事をした、だけど先人が居なければここまで届かなかった、妬ましい
嬉しいけど他の奴はもっと喜んでいる、妬ましい

妬んで妬んで、羨ましがって欲しがって手に入れようとして
手に入る訳無いのに手を伸ばして傷ついて
どうしようもなく傷ついて、そうして今の私が居る
緑色の波に飲み込まれて、私は此処に流れ着いた

果たしてそれは私にとって正しい事だったのだろうか
不意にそう思う時がある
もう私はあの時何があったのかを明確に思い出す事は出来ない
だけどある時不意に疑問に思って頭から離れない事がある
あの時妬ましさの方向性を少し変えてやれば私は首を掻き切っていた
それが私の首か、それともあいつの首か、それともあれの首か、それが一つか二つか三つかは分からない。
だが、あの時私が誰かを殺めてしまえばそれで終わりだった筈だ、それですべてが悲劇的な結末を迎え、幕は閉じたきり、それっきり開かない。
それが正しい幕の引き方だったのだろう
だが私はそうしなかった、何をとち狂ったのかは分からないが台本に書いて無かったことをしてしまった。
その結果として私が今ここで歩いている
これは何の悪夢だろうか 何の罰だろうか
不意にどうしようもなく胸が苦しくなって、泣いてしまいたい時がある
私はちっとも苦しくないのだ、罰されるべき悪人なのは私なのに

あれは死んだ、それも死んだ 皆が皆死に絶えて その死屍累々の上で私がただ狂った様にけらけらと笑っている
それなのに、なぜ私は今ここで生きているのだろうかと

「関係ありませんよ」

さとりがはっきりと言い切った

「皆死んだ、パルスィは生きている、結局の所重要なのはそれだけじゃありませんか?他に何か重要な所でもありますか?」
「…勝手にモノローグに入ってきておいて言う言葉の様には思えないのだけど、どうかしら、素敵なお節介さん?」
「いいえ、でもどうしても我慢できなかったので」

ざく ざく

さとりは再び砂を踏みしめる

「私は地上に居る間沢山の者に害をなしました、脅しました、術をかけました、騙しました、殺した者さえいます」

さとりはこちらを振り向かない
ただ前に向かって歩いている

「それでも、私は後悔した事がありません、なぜなら私は勝ってきたからです。戦いに勝って、勝って、ここにいます」
「………そう」
「パルスィが悲しもうと怒ろうと関係ありません、パルスィ、あなたは――――」


それでも、それが如何なる道であろうと分かっていてもそれを選んだのでしょうから


どうだろうか
果たしてあの時の私はそんな事が分かっていたのだろうか
あの時、激流濁流のただ中に居た私の胸にはただの復讐しかなかった
妬ましい 羨ましい 恨めしい
そんなつまらない事しか頭になかった気がする
それでも、確かに私は勝った
殺しに殺した、ただひたすらに殺して、衝動のおもむくままに殺して、殺しに飽いたら暇潰しにまた殺した
そうして私が殺されるまでそれは続いた

いつの間にかさとりはこちらをじいっと見据えていた
睨みつけているかのようなその形相に思わずたじろぐ

「私の知っているパルスィは、どうあっても後悔なんてしない図太いにも程がある妖怪だと思っていましたが」
「それはどっちの話よ」

確かにさとりの言う通りかもしれない
少しばかりアンニュイになり過ぎたのだ、そうかもしれない
再び地霊殿に向かってザクザクと音を出して歩きはじめる、ザクザク ザクザク

勝者か
さとりは幾らの敵を屠って来たのだろう
幾らの敵を騙して、傷ついて来たのだろう
そうまでして得られる物は何なのだろう
安寧の場所か 家族か それとも地位か
答えはさとりを見ても答えてくれそうになかった


私はなぜ今頃人間だった頃の事を思い出したのだろうか
その答えは幾らさとりを見ても思い浮かばなかった



◇◆◇



パルスィを先に行かせておいてよかった
今、心からそう感じる

『おやおや、あんなところにまた覚妖怪がいるぞ』
『酔狂なものだ、何を好き好んで儂ら老いぼれの所に来るのか』
『まあ、あの妖怪は見ていると面白い、放っておくとしようかね』

くすくす          くすくす

ああ、だからここは苦手なのだ
パルスィが静かな所に行きたいと願っていたからここらで一番静かな場所に着たのだが、やはり

『あれまあ、こっちを睨んでいるよ』
『おお、怖い怖い』
『心の中を見られちゃうよう』

ここに住む妖怪は皆私を恐れない
それどころか興味深いという風に私を好奇心むき出しで見てくるのだ
初めてここに来たときは『覚妖怪の眼は大層良い呪い道具になるに違いない』とか考えている者が居て背筋に震えが走ったものだ。
恐れられることには慣れている、寧ろ恐れてくれた方がこちらとしても御し易い
だがこういった目で見られると駄目だ、慣れていないというのもあるし第一こういった奴らには何を言ってもやっても無駄なのだ。

溜息を一つ その間にも風が吹くような笑い声が聞こえた

『それにしても、あれと一緒に居る奴はこれまた面白い』

誰かがそう考えると同時に同じことを考えている者が続出する

『そうそう、あれは興味深い』
『橋姫と言ったか』
『綺麗な眼だねい、取っておきたくなってしまうよぅ』

気色の悪い事を考える奴も居る、こいつらは他者の心とリンクでもしているのだろうか。
それとも同じ穴の奴らと言うのは皆同じことを考える物なのだろうか。
それにしても、パルスィが興味深いとはいったいなぜなのだろう。

『死体が歩いている様なものだよ』
『あれは死んでいる』
『死んでいなくちゃあだめだね』
『墓地から黄泉がえりでもしたのか』

パルスィが死体?死んでいる?
一体どういう事だ、近くにある家に入ろうとすると心の声は途絶えてしまった。
魔法障壁でも使ったのか、家には当然のように鍵がかかっている、無理に開けようとすれば消し炭になるかもしれない。
仕方が無い、諦めてパルスィを追いかけるとしよう


気味の悪い通りに背を向けて地霊殿に走り出す
“あれは、死すべき者だ”最後に聞こえたその声が、心の中にまるで棘の様に刺さっていた。











■□■



「よお」

果てしなく具合が悪いというのにそんな元気そうな声を出せる奴が妬ましいもんだから私は顔をあげる。
まるでこちらの事など見ていないような笑い顔を浮かべているのはやはり、大きな影だった。
私は何も言わない、それだけの体力は私にはもう残されていないし第一こいつは来るなと言われても来るのだ、妖力なり労力なりの無駄だろう

「返事ぐらいしたらどうだい」
「……こんにちは」
「おいおい、私が聞きたいのはそんなくそつまらない事じゃないって分かっているだろうに」

溜息の一つでも吐きたい気分だ
こいつはしつこい、誰よりもしつこい
鬱陶しく付きまとわられるよりもここで折れる方が良い、私の中の理論がそう結論を叩き出す、簡潔で合理的さに沿った完璧な解答。
その答えが私の望むものでなかろうと、私はそれに従う

「なによ」

出来るだけ不機嫌そうな声を出しても、やはりこいつはいつもの様ににこにことしている。
なぜか子ども扱いされた気がしていらいらが溜まる。


橋はいつもの様に静寂さを保っている
どこまでも静かで、どこまでも冷たい雰囲気の中こいつだけが笑っている、酷い景観妨害だ
そもそもこいつがまともな事を考えていた時があったのだろうか、記憶の中を幾ら遡ってみてもそんな記憶は影も形も姿を見せないのだ、それは私がおかしいのかこいつがおかしいのかどちらかと言う事だろう、十中八九おかしいのはこいつなのだが、と言うよりもこいつ以外には居ないのだが。

別に、来なくてもよかった
来たところでこの状況が変わるわけでもないし、改善される訳でも無い
でも私はそんな事は言わない、そんな事を言える訳が無い

怖いから
誰かに拒絶されるのが

もう二度とされたくないから
信じた誰かに裏切られるのが

そんな事、言える訳が無いのだが
鬼にとって嘘と言うのは最も忌むべきものだというのを昔聞いたことがある
元々人間だった私にはなぜ嘘がそんなにも嫌われるか分からない、なぜ嘘をついてはいけないのかも当然わからない。


なぜなら私は元々人間で、今になってもまだ人間だからだ。



「それで、どんなもんさ」
「だから頗る悪いって言ってるでしょうに」
「そんな事は聞いていない」

急に勇儀は態度を硬質化し、詰め寄って来る
ずいと顔を近づけられると角が危ないのだが、そう茶化そうと口を開くも声が出ない。
威圧感の塊だった、流石は四天王の一角と言った所か、普段はふざけていてもこういう所はきっちり筋を通そうとしてくる、全くもって厄介極まりない。
爛々と光を湛える瞳、自らが発する妖気で風も無いのに揺蕩う美しい金糸、どこを取ってもこいつは大妖怪の内に数えられるだけの逸物だ。
全くもって妬ましい、力では無く、自分を通そうとできるその心が。
虚空に向かって白い息を吐く、ここらの空気は通年通して冷え切っているのでいつの息も白いのだ、そもそも地底に通年なんて概念が通用するかもわからないのだが。

「この調子よ」
「……そうか」

どさり

そんな音がすると同時に勇儀は私の横に座りこんだ
私は何を思うことなく上を見上げる
勇儀もそれに同調して上を見上げる
幾ら見上げた所でそこにはただただ暗い黒が垂れ流されているのみだ
昔から変わらず 私が此処に落ちてきた時と変わらず 勇儀が降りてきた時と変わらず
ただそこに黒は黙って存在しているのだ

「いつか」

勇儀が思い出すかのように紡いだ

「この黒に光が射す日が来るのだろうかね」
「あんたはそれを防ぐために居るんでしょ?」
「……ま、そうだがね」

白い溜息が吐かれた
まるで雪のように真っ白な息を吐く勇儀の身にはいつもの薄着のみが被さっていて、それがひどく滑稽に思える。
勇儀は今寒がっているのだろうか、それとも平常と同じなのだろうか、私には心を読めないので分からない。
そう言えば心を読むというのは一体いかなることなのだろうか、前に酷い迫害を受けている覚妖怪が居ると聞いたことがあるが一回お目にかかりたいものだ。



心を読まれる事を恐れることは無い
私の心はいつだってすっからかんなのだから



■□■



私達が地霊殿に着いた時。そこは上や下への大騒ぎだった
地上の人間やらなんやらが大量に入ってきて鬼と宴会をすでに繰り広げている所為もあるだろう、というよりもう飲んでるのか。
天狗や河童の中には鬼と楽しそうに飲んだくれている奴も居るから驚きだ、あからさまに警戒している奴も居る、その対応の違いだけで古株か新入りかすぐに分かる。
中にはすでに酔っぱらって鬼の頭をばしばし叩いている奴も居るから驚きだ、少し昔ならば考えられない事だ。
これが世代の違いと言うものだろう、新しい世代は不便を知らず、恐怖を知らず、苦痛を知らず、差別を知らない。
果たしてそれが良い事なのだろうか
不便を知らない者は便利の裏に犠牲がある事を知らない
恐怖や苦痛知らない者は恐怖を過剰に恐れ、排除しようとする
差別を知らない者は平然とした顔で差別を行う
無知とはそう言う事だ、知らないし知ろうとしない事はそう言う事だ
そのかつての犠牲者が、今ここの主になっているかと思うと笑いが込み上げてくる、もっともこいつがそういった事を苦難に思っていたかどうかは非常に謎だが。
平然と私の横を歩きながら周りに指示を出すさとりの胸に張り付く第三の眼は一体何を見ているのだろうか。
フィルタリングをかけられるとか言っていたから案外何も見ていないのかもしれないが。

「にゃーん」

火焔猫率いる火車部隊が食事やら荷物やらを次々に運んでいく様は爽快だった
まるで一つの奔流の様に統率のとれた動きをするものだ、よく訓練されている。
あれの指導はさとりがしたのだろうかと考えると即座に「いえ、お燐です」と返って来る、聞く手間が省けるのでさとりの能力は役立つ。

「しかし、読心能力をそんな風に扱うのは珍しいですよね」
「ふーん…地上の奴らとかは関係なさそうに振る舞いそうな気がするけど」
「確かに関係ないは思っていましたが便利とまでは思っていませんでしたよ」
「でも、やっぱり便利じゃない?」
「まあ、便利な部分もあるんですけどね」

それで十分だろうが
それ以上何を望むというのか、贅沢者め
心の中で問い詰めるとすみませんと聞こえた気がした
まあ、私はさとりでは無いのでさとりが本当に心の中で言ったのかどうかは分からないが。

心を読める
人の心を読むというのは一体どんな気分なのだろうか
心の声が吹き出しとなって見えるのだろうか、それとも実際の声となって見えるのだろうか、もしそうだったとしたらさぞかし目や耳に悪いに違いない。




■□■




「宴会が始まるまではまだ時間はありますし、どこかで休憩しましょうか」

どうやら現場の仕事は全てペット任せにするらしい、仕事を任せられる奴が居るのが妬ましい、仕事を任せるに値する者が近くにいるのが妬ましい、仕事を与えられるに値する信頼を得る者が妬ましい、そんな事を妬んでいたら「パルスィも仕事に参加します?」とか言われたので丁重に断っておくことにする。
さて、どこで休憩しようか
考えるまでも無く私達の足はいつもの食堂に向かった
昔から行く場所に困った時はこの食堂に居る気がする、なにせここは色々と便利なのだ。
腹が減った時の為の食材がある、調理器具がある、寒い時の為の暖房がある、なぜかは知らないが本棚やソファ、それに机がある、机は背が高いのが一つ、低いのが一つだ。

この部屋が完全に休憩所として機能してしまっているのには少し訳がある。
例えばさとりが閻魔に尻叩かれながら仕事を終わらせたとき、例えば私がさとりに地霊殿に連行された時、例えば地上からの賓客が来るとき、決まって集まるのは不思議とこの部屋となる。
理由は知らない、そもそも賓客を招くにこの部屋はあまりにも家庭臭が漂い過ぎている気がしないでもないがさとりは譲らないのだ。
思うにここが一番快適な空間だからではないだろうかと踏んでいる、話し合いにおいて場の空気と言うのは重要だ、自分にあった空気は時に酒以上に弁舌を滑らかにするものだ、さとりの事だからそこまで計算づくと考えても過言は無いだろう。

しかし、その結果ダンベルやどこからどう見てもがらくたにしか見えない物、剥製の一部やどう目を細めても放射能注意のマークが燦然と輝く缶が隅に転がる異空間が形成されたと聞いては笑っていられない。
大抵の危険物は火焔猫やバ鴉が処理するがいつか手遅れになる日が来るのではないかと思っている。
さとりによると一部以外意味不明な持込みの犯人はこいしとの事だが、本人を玄関で確認しないと立ち入り禁止にした方がよくないか、この分だと地霊殿内のどこか、置いた本人も知らない所に危険物が平然と置かれていても何の不思議も無いぞ。

幸いにして今日はちらと見る限りでは小奇麗で妙な物やどう見ても危なそうな物は無いようだ、ひとまず安心する。
私がふかふかのソファに座るとさとりは私の向かい側に座った、すぐに茶が運ばれてくる、今日は紅茶の様だ、良い香りが食堂に広がる。
香りの良い緋色の液体に茶菓子のスコーン、そしてこの時期にはありがたい暖炉、フカフカのソファ
極楽だ
さとりが呆れたような表情で見ているが気にしない、全く気にしない、これで緩みきった表情をせずにいつするというのだろうか、この世の極楽だ。

「パルスィ、あくまでメインは今日のパーティーですからね?」
「わーってるわーってる…わーってるって」
「…本当でしょうか」

失礼な、本当に決まっているではないか
しかしこのまま暖炉に当たっていれたらどんなに良いだろうとは考える、いかん、出たくなくなってきた。

「そうだ、そうこうしている内にパルスィの写真を撮らないと」
「なにをするか」

危ない所だった、私の目の前には一眼レフを構えたさとりの姿が、本当に撮るつもりだったのか、油断も隙も無い奴め。

「いや、パルスィのあの緩んだ顔は貴重だったので」
「危なかったわ」
「可愛いと思いますけど、いつもあんな顔をしていると良いですよ」
「私のキャラ崩壊が激しくなるから止めておくわ、」
「作っていたんですか」

しまった



■□■



主催者として食堂から先に出て行ったさとりによるとパーティーまであと数分らしい
このまま行かなくても良いかな、どうせ私が行っても行かなくても同じような事だし
ああ、でも行かなくちゃ後で面倒くさいかな

パチパチと暖炉は眩しい音と光を吐き出している
じいっと見つめているとなんだか眠くなってくる
ふぁぁと一つ大欠伸、周りに誰も居ないし気兼ねは無い。

私が初めてここに来たのは一体何十年前だっただろうか
あの頃はさとりが今ほど暴走していなかったし、周りの奴らの目が厳しかった気がする
まあ、私は変になれなれしくされるよりもそちらの方が数倍良かったわけだが。

思えばここに世話になった経験は数えきれないほどあった
さとりと談笑したり。さとりと文句の言い合いをしたり、さとりの無理難題に付き合ったり。
文句も言ったし嫌になる時もあった、それでもなんだかんだ言って私はさとりと付き合ってきた。
なぜだろうか、私はよく分からないし知ろうとも思わない。
知る必要はないし踏み入ろうとも思わない、そう思っていた。

暖炉の熱で頭の中が沸いているのかもしれない、いや、きっとその所為だ
私は後悔していた
踏み込まない事を後悔していた
知ろうとしない事を後悔していた
分かろうとしない事を後悔していた
きっとこれは、私で熱に浮かされているからに違いない

溜息を吐いた
長い溜息だった

とんとんとこちらに誰かが近づいてくる足音が聞こえてくる、恐らくはさとりだろう。
私は快適な暖炉の傍から立ち上がって、身を切るように冷たい冷気に当たりに行く事にした。



■□■



「さて皆様、今宵は地霊殿主催の宴会に参加していただき誠にありがとうございま…『御託は良いからさっさと飲ませろ』?ちょっと私の体面と言うものも考えて下さいよ、ええ、まあ皆さん大変なご足労されたと思いますが『ビール!ブランデー!日本酒!ウォッカ!』?残念ながらあなたに出す物はリアゴールドしかありませんよ、ともかくこの宴会は地上と地底の交流を深めるために発案されたものであり『あんたの思い付きじゃないの?』ですって?楽しめればそれで良いとは思いませんかね『さとりんペロペロ』?何言ってるんですか貴方は『罵ってくれ』?馬鹿ですか貴方は、セクハラするようなら出て行ってもらえます?『はよう料理をださんかい』?そんなに飢えてるんですか貴方は、頭の中が食べ物の事でいっぱいじゃないですか、ともかく楽しんでいって下さいね」

さとりはあまりにも横槍が入り過ぎる為か最後の方はもうやけっぱちだった、周りの奴らは挨拶前に相当量酒がまわっているらしく皆へべれけだ、少しは自重した方が良いと思う、このままでは誰かが壁を壊し始めるだろう。
すでにどこかでシューとかすれるような音と共に爆発音が聞こえた、本当に自重しろ。

さとりは他の権力者との挨拶に行ってしまったようだし、あまり気は乗らないがちょっと回ってみるとしようか、流石に紅茶だけでは腹が減って仕方が無いのだ。
ぼちぼち歩いていると地上の者も地底の者も入り混じって場は混沌としていた。

咽返るような酒気
暑苦しくなるような活気
妬ましいなぁ

宴会に来たのなんてのは本当に久々なもので、余計に妬ましく感じる、何が妬ましいのかはよく分からないがとりあえず妬んでおこう。
確か勇儀とかキスメが居た地点まで行ってみると案の定ヤマメがいつの間にか建設していたステージの上で津軽節歌ってるしその下には勇儀が潰したと思われる死体がごろごろ転がっていた、軽い地獄絵図だ。

煩さ過ぎて疲れたのでホールの片隅の薄暗い部分に在った椅子に座りこむ。
薄暗い所からパーティーホールをぼぉっと眺めるとやはり、パーティーと言うよりも宴会と言った風だった。
まあ、鬼が居る時点でまともな集会は期待できそうにないが。

しかしよく見てみるとやはり、鬼に絡んでいる者の中には地上の連中もちらほらと見えた、人間だったりどう見ても新米の天狗だったり、中には神経質な事に定評のある河童の姿もある。
皆鬼の恐ろしさを忘れている、地底に住む者が如何なる者なのかを忘れている。
あからさまに避けている者となれなれしく近寄る者の差が激しい。

今はまだ地上に住む者は地底を恐れるだろう
だがこの様子から考えるに、じきにその量は少なくなる
今は多数派を占めていてもしだいに少なくなり、半分になり、やがては居なくなるだろう
この様子がそれを露骨に表している
そうして、いつか地上と地底の境界は無くなるだろう

「これがあんたの狙いかしら」
「さあ、どうでしょう?」

私の後ろには、やはりと言うべきか薄気味悪い笑みを浮かべたさとりが居た
恐らく仕事が終わってひと段落ついたからこっちに来たのだろうが、それにしても趣味の悪い出現方法だ。

「いやね、気付かれなかったらパルスィの首筋か耳にふぅっと息を吹きかける予定だったんですがね」
「そんなことしたらジャーマンするわよ、投げっぱなしジャーマン」

冗談じゃない、人が折角くつろいでいたら首筋に生暖かい息とかどんだけSAN値を削るつもりだこいつは。
さとりは黙ってきょろきょろと辺りを見回した後虚空に向かってパチンと指を鳴らした
正直 似合わない

「失礼な事を、ああ、テーブルと机、それに紅茶と焼き菓子を二階に用意してください」
「畏まりました」

全く、こういう時だけ無駄に主の様な事をする

「まあ、こういう事に憧れたりもするもんですよ」
「そうですかい」

こっちからすればどうしたいも何もあったものでは無いが。

「それよりもですね、これから一緒にお茶会でもしませんか?」
「今は宴会中じゃないの?」
「パーティーと言ってくださいな、まあ、この分だと私が居なくとも十分そうですし」
「地上の権力者と話すんじゃなかったのかしら」
「あ~…その件ですがね…」

ぽりぽりと頭を書いて困ったような表情をした、こんな表情は珍しい

「いえ、八雲は来る予定だったんですがね、今朝方式の九尾が来て、八雲藍と名乗っていましたが」
「九尾!まあ、凄い曲者を式にしてるわね」
「流石と言った所でしょうか、その話によると『紫様は現在急用ができて今日は来られないんです』と、その後すぐに隙間に引きずり込まれていましたが」

成程、さとりが苦笑するのも納得する話だ、マイペースを貫ける奴が妬ましい。

「まあ、そんな事があったので、暇なんですよね、今日の所は」

やりにくいなぁ
だから、付き合って下さいと苦笑しながら微笑むさとりを見ながら、私はそう感じた
何がやりにくいって、今日のさとりの様子はいつもと違う気がする
いつもならば言い返せるのに今日は何だか言い返す気分では無い、自分が原因なのかもしれないが。
まあ、私も宴会に参加するより静かに紅茶を飲んでいたい気分だし。

了承するとさとりはこちらですと階段に向かって歩き出した
やっぱり、やりにくいなぁ そんな事をぼうっと考えながら私は目の前の背中を追った。



■□■



もしかして  もしかしたら  もしかすると



■□■



2階は中々快適なスペースとなっていた
バルコニーに繋がっているので適度に涼しい風が送られてきて宴会の熱を冷ます、豪華な装飾が施された厳かな空間。
宴会の乱痴気騒ぎと隣り合ってもまだ落ち着いた雰囲気を演出していた。

その空間の片隅に、小さな、しかしこの豪奢な空間の中に置いても違和感のない素朴だが凝った意匠が施されたテーブルと、椅子が二つ、どちらにも表面にも脇にも薔薇と刺々しい蔦が絡みついたような意匠が施されている、正直趣味が良いとはあまり言えない。

「いいんですよ、偶の機会ですしこれぐらいしないと」
「まさかこの為に造らせたのかしら」
「気まぐれですよ」

はぁ
この意匠の凝り具合からすると相当値は張っただろう、それを気まぐれで作らせることができるとは。

「妬ましい?」
「人の台詞を取らないでくれるかしら」
「それはそれは、すみませんでした」

どうぞ
先導されたので先に椅子に座る、掛け心地は十分だ
ぽすんとさとりが私の真向かいに座った
紅茶はまだ出てこない

「すぐに紅茶は出さないものですよ」
「準備不足は礼儀違反じゃない?」
「パルスィの場合食い気の方が勝って会話してくれない気がしますから」
「いけないかしら」
「いえ、しかし折角のお茶会なので」
「下は宴会だけどね」
「パーティーを銘打っていますが…やはりどう見ても宴会ですよね」

確かに、私達の眼下で繰り広げられているのはどこからどう見ても宴会でしかない。
さとりはきしっと微かな音と共に背もたれに寄りかかって眼を瞑る。
主は目を閉じていても第三の目は相変わらず開いていて、どこかを眺めていた
見ているのは私だろうか、それとも下の連中だろうか

一体、私は何を考えているのだろうか
ふと疑問に思う時がある
どうにも自分が何を考えているのか分からなくなる時がある
例えば、さとりについて考えようとしている時
そんな時には決まって頭の中がノイズがかったかのようにぼけて、よく考えられなくなる。
自分の事がよく分からなくなるのはそんな時だ
さとりが自分の事を第三の目で見たらいったいどんな光景が見れるのだろう、そんな事を考えて頭を振る
どうもこうもない、自分の事は自分が一番分かっている筈だろう。

◆◇◆

パルスィの瞳は嫉妬の緑だ
目を瞑ってもなお強烈に瞼の裏に焼きつく様な緑
私がその質問をしてしまったのはそんな緑を見ていたからかもしれない

「パルスィって、裏切った夫をどうしたんですか?」

聞いて、後悔した
いくら何も気にしないパルスィと言えど聞いて良い事といけない事ぐらいあるだろうに
だがパルスィは意外にも穏やかな顔でうーんと考え込んでいた。

「殺したわ」

何ともないかと言う風に、当然の帰結だと言わんばかりに
パルスィは殺したと言った
それは責められる事では無い、パルスィはその結果として此処に居る
しかし、随分平然と言うものだ、何も思い入れが無いかという風に

「別に、何も思い入れなんかないわよ」
「しかし、好きだった人でしょう?」

そう聞くとパルスィは困ったような表情を浮かべて肩を竦めた

「好きだったわよ?多分ね」

だったら、なぜだろうか
さてね、パルスィは溜息にも似た息を吐いて背もたれに寄り掛かる

風が、またバルコニーから吹き込んできた
パルスィのくすんだ金糸がフワフワと揺れて、それを鬱陶しいかのように払っている
この風の中に地上からの風は含まれているのだろうか
ここ数十年吹き込んだ事の無い風が吹き込んでいるのだろうか

「さとり様、紅茶と焼き菓子があがりました」
「ご苦労様です」

そうこうしているうちに準備が完成した様だ、中々良いタイミングなので頬がほころぶ

「あ、やっと来た?」
「焼き立てを召し上がれ」

小麦色のクッキーと香り高いダージリンの紅茶、クッキーの生地に茶葉を混ぜるのは私の趣味だ。
クッキーは少しかじるとカリッと良い音が出た、私の教育の賜物だろう、そしてこの紅茶には少し『仕込み』をしてある。
『仕込み』の内容を思い出してまた笑みが零れる、用心深いパルスィでもこの雰囲気とクッキーの香り、そして空腹には勝てないに違いない。

ふふふ…楽しみです









■□■











「あはははははは! さとりが二重に見えるあはははははは!古明地二重あはははははははh」

…どうしてこうなったんでしょう
私はパルスィが酒に弱いという噂を聞きつけたので紅茶に無色無臭の酒を混ぜさせただけなのですが。
ここまでの暴走具合を見せるとは露とも知りませんでしたよ、現にいま彼女がしゃべりくってるのはただの柱ですし、傷つくのでばしばし叩かないで欲しいのですが。

顔をやや紅潮させながら朗らかに笑うパルスィなんて見たことありませんでしたが、これは大変貴重ですね。本人が見たら即黒歴史ものには間違いありませんが、かわいそうですが写真を一枚ぱしゃり。
パルスィはどうやらはしゃぎ疲れた様で机に戻って突っ伏しています、机の上の物を片付けさせておいて本当に良かった、ぶっ倒れる時確認しないんですもん。

机に突っ伏したきりそのまま起き上がる様子を見せないので横顔を堪能しようと横から回ると案の定目を瞑って寝ていた。
しかし、黙っていれば美人とはよくいったものだ
ゆったりとした吐息に合わせて強調される膨らみとかが若干妬ましくはあるがよく見ると性格とは裏腹に理想の女性らしい体つき、金の髪はくすんでこそいるものの手入れが行き届いているらしくふわふわとしている、パルスィにきらきらした物は似合わないのでこれ位の彩度が丁度良いのかもしれない。
そしてこうやって寝ている姿から見ると恐ろしい嫉妬の妖怪だとは誰も気が付かないだろう。


しかし

滑らかな頬を一つ 撫ぜる
むず痒いかのように表情が歪んだ

パルスィの本質は 内面にあるのだ
私ですら踏み入れる事の出来ない内面にパルスィが居る
いつからかは分からないが、そう感じるようになった
絶対的な壁、そこに守られているパルスィの本質
あの時に垣間見えた物 人間である事を切り捨ててまで彼女が得た物
その強さに その心に惹かれた


不意にパルスィの目がぱちりと開いた
緑の水晶を通してパルスィの視線と私の視線が交差する
仕掛けがばれたか、一瞬冷や汗が出るがパルスィはぼうっと熱に浮かされたような表情をしたまま動かない。

「大丈夫ですか…」

もしかして、気持ち悪いのだろうか
急に酒なんて飲ませるんじゃなかった、後悔しながらパルスィに伸ばした手を不意にがしっと掴まれた
え、そう思う暇も無くパルスィは立ち上がる 無論その右手に私の右手を掴んだまま


たん らりら たん

立ち上がったパルスィに急に強い力で引き寄せられる
急に口ずさまれるのは私もパルスィも知らない即興のリズム
同時にパルスィの右手に強く握られる感覚がした

らりら らん らん たん

口笛の様な 詩の様なリズムと同時にパルスィは動き始める
まずは右足 次に左足
足元もおぼつかない拙いダンス

たり らん たりら

顔が、顔が近い
観客が居ない事が幸せだったと考えるのは果たして現実逃避なのだろうか
腕を振りほどこうにも結構強い力で握られているし、それに逃げるのも何だか惜しい気がする
ならば共に踊るのが興と言うものだろう 丁度下では宴の盛り上がりが最高潮に達している所だ

私もパルスィの手を握り返し、足を合わせる
即興のリズムを先取りしてパルスィを先導してやる

たりら らりら たりら

観客の居ないダンスホールで私と橋姫は踊り続ける
静かに 寄り添って
これは何の道化だろうか 誰が操っているのだろうか
願わくば、この糸を手繰った先が同じ場所に行きつくように
そう考えてしまう私も酔ってしまったのだろうか


きっと酔ってしまっているに違いないのだ
だって緑の目越しに見ても私の頬はこんなにも紅いのだから



■□■



好きです
愛しています
ですから、さようなら
どうしようもなくなる前に
思いが溢れてしまう前に
さようなら、誰かさん
去りゆく背中に向かって声をかけた
さようなら
さようなら
私の知らない誰かさん



■□■



宴は私の号令と共に幕を閉じる
とは言ったものの鬼や地上の者達はまだ飲む気満々らしい、鬼はともかくして地上の妖怪があそこまで酒に強いとは思わなかった
中には人間すら居る、あれは本当に人間なのだろうかとすら思える程の飲みっぷりだった。
パルスィがあの後本当に寝てしまったのでそのまま放っておく事にして、私はペット達に指令を出すべく会場に急いでいた。

「『これじゃあ、パーティーと言うよりもただの宴会じゃない?』」

誰かの声がホールに響く
振り返るが誰も居ない、右にも左にも誰も居ない

『「くくく、頭がお留守だよ?」』

心の声と空気の波が同時に聞こえてきた時には、私は頭上を見上げていた
私の頭上遥か数メートル地点に、紅い悪魔が居た。
レミリア・スカーレット
噂なら聞いている、と言うよりも先程宴会の席で噂になっているのを聞いてだけなのだが。
弾幕ごっこが制定されて以来初めて異変を起こした張本人にして現在の幻想郷で有数の武力を持つ武装兵団を下に置く危険因子と言っていたか。
最も紅白の巫女に退治されてから吸血鬼の住みやすい環境にするとかいった野望はあっさり諦めたらしいが。
それでも彼女は吸血鬼だ、ミディアン、ノスフェラトゥ、ヴァンパイア、ノウ・ライフ・キング、彼女の場合はクイーンだが。
あの薄暗い書庫で今まで目を通してきた文献の中で吸血鬼と言うのは夜族の中でも一際異彩を放つ妖怪だった。
圧倒的な武力、強大な野心、類い稀なる回復力、稀代の指導力
そういった類の物を全て兼ね備えるのが吸血鬼だと言われる事を知っている、実物を見たのはこれが初めてだが。

今にして思えば、文献など見る必要が無かった
圧倒的だ、一目見ただけでも分かる
これには、私は敵わない、敵対しようとすら感じない
しかし、そんな吸血鬼が何故私の所に来た?

「身構えなくてもいいんじゃないかしら、お客様よ?」
「これはすみません、しかしそちらの目的が不明な物で」
「ふーん…」

紅い悪魔は暫く空中に顎を撫でながら滞空した後、パチパチと手を叩いた
エントランスにただただ乾いた手拍子が響き渡る、私にはその音がひどく不気味な亡者の行進のように聞こえた。

「素晴らしい、まず目標が如何なるものかを確認、相手が格上と認識し次第警戒、尚且つ次の一手を打てるように思考回路を変更。流石地底の住人だ、生温い地上の奴らとは対応が違う、考えうる上で最も“正しい”判断だ」
「…地底の住人ですから」

軽口をたたく吸血鬼と警戒心剥き出しの覚妖怪
傍から見ればひどく滑稽な光景に見えるだろう
だが今はそれどころでは無い、私は今現在威圧感に耐えるので精一杯なのだ。
えげつない、実にえげつない事をする
冷や汗がたらりと垂れた

「理論や体面を重視せずに感覚と生存本能によって動く合理的な判断ができる事は素晴らしい、だがね…」

ひゅうという音がして、その数瞬後に風が吹き込んできた
疾風怒濤の様に吹いてくる風に思わず目を瞑る、髪が勢いよくぶつかってくる風にいい様に弄ばれているのが分かる。
ようやく風が収まって私がうっすらと目を開けると、目の前には吸血鬼が居た。

「私は今ゲストだよ?ホストが身構えちゃあ、駄目じゃないか」

ぎらりと
吸血鬼は微笑んだ
そう言えば、笑顔は他者を威圧する意味があるとどこかで見た気がする。
今の私はまさにそれを体感している最中だ、目の前の吸血鬼に。
紅い目は見られたものを硬直させる、まるでバジリスクではないか、もしくはメデューサか、どれにしても同じ事だが。
今の私は他の者から見たらいったいどのような表情を浮かべているのだろうか、焦っているのだろうか、泣き出しそうなのだろうか、それとも何とも形容しがたい表情をしているのだろうか。
体が動かない、月も出ていないというのに この吸血鬼は強すぎる。

―――では、正々堂々と殺させていただきます

頭蓋の奥で何かが蠢いた
同時に袖から何かが手の内に滑り込む感覚
目の前の紅が僅かにたじろぐ

「―――――何だ」

妙な感覚がした
自分自身を上から眺めている様な、そんな感じだ
先程と比べて自分が妙に冷静になっている事に気が付いた

「―――――何だ、これは」

ずい
目蓋を細めると豪奢な服と青い髪の間に隠れていた首筋が見える
十分だ、あれだけあれば十分すぎる
あれだけあれば私はこいつを―――――

どうする
どうするんだ


とぽぽぽぽぽぽぽ

不意に紅茶をカップに注ぐ音がした
音のする方に視線をあげてみると目の前のレミリアの上に白磁でできたカップが置かれている、それを抑える手は無く、代わりに上からポットが緋色の液体をそこに注ぎ込んでいる。
不思議な事にカップはレミリアの頭に吸い付いたように落ちないし、ポットから注がれる液体は寸分たりともずれずにカップに注がれている、まさに神業だ、ただし傍から見ると非常に滑稽だが。

注いでいるのはレミリアの傍らに滞空するメイド服の人間だった
美しい人間だ、彫りの深く、すっきり通っているが決して自己主張することない目鼻立ち、背はすらりと伸び、しゃんと立っている、服の着こなしも完璧だ、皺一つなく、ぴしっとしている。
どこからどう見ても美人、年によっては美少女で通るような容姿を持つ人間が主人のポット、ただしその主人の頭の上にポッドを置いてだが、そこに何食わぬ顔をしてティーを注ぐ姿はシュール以外の何物でもなかった。

「…v何をしているのかしら、咲夜」
「カップにティーを注いでいるのです」
「分かるけど、何でカップが私の頭の上に乗っているのかしら」
「曲芸の練習ですよ、お嬢様」
「だーかーらー!」

もうレミリアから威圧感はすっかり消えてしまっていた、先程とはえらい違いだ。
頭蓋がちりちりとする感覚も気が付けば無くなっていた
なんだったのだろうか、あれは
ただ、酷く懐かしい感覚だった

「お嬢様、ホストに喧嘩を吹っ掛けるゲストがどこに居ますか」
「うー…うぐぐぐぐ…」

恐らくは、確実に吸血鬼の従者であるあの人間は只者では無いのだろう
と、言うよりも吸血鬼の従者が務まる人間なぞ聞いたことが無い。

『全くもって世話が焼けるわ』
『ま、それぐらいでなければお嬢様っぽくないけど』
『危なかったわね、ぎりぎりセーフ』
呆れ、慈愛、安堵、安堵?何の事だろう
レミリアはくぁーっと大きく欠伸をした、もう完全に先程までの面影はない。

「ま、あんたに会えたから良いわ」
「…会う為だけにあんな脅迫まがいの事をしたんですか」

そんな訳無いじゃない
そう言ってレミリアはひらひらと手を振る
私にはどう見ても脅迫しに来たようにしか見えなかったのだが、気のせいなのだろうか。

「うーん…言おうと思っていた事があるんだけどねー、今は興が乗らないわね、後にしなさい」
「用があると言ったのはそっちなのに、よくもまあ引き延ばせるもので」
「仕方ないじゃない、やっとこさ調子が出て来たと思ったら横槍が入るんだもの、月が出無いのは辛いわね」
「お嬢様、明らかにやり過ぎです」
「でもさあ…でもさあ!」
「明日の朝食を葱にしますよ」
「葱!?葱だけ!?」
「温情でライムだけつけてあげましょう」

成程、あの不気味さは興が乗って来たと言う事だったのか、だがしかし興が乗るたびにあたり構わず喧嘩を吹っ掛けるのだとしたら迷惑以外何者でも無いだろう、吸血鬼と言うのは元々我儘だがそれに付いてゆく者の気が知れない。
そもそも興が乗る必要があるのだろうか。

「まー注意と言うか警告みたいなもんだからさ、ありがたく聞いといた方が良いと思うよー、そんな訳でこの宴会の片付け終わったらまた来るわ」

いつ興が乗るか分からなかったのに今度来る事が分かるのか
幼い吸血鬼は上に向かって手をあげていた
その先には月が昇っているかもしれない、今地上の月は円いのだろうか、それとも闇に隠れているのだろうか。
暫く月なんてものは見ていないな、地底に当然のごとく月なんてないのだから。



■□■


その後は何事も無く片づけをしているお燐を見つける事が出来た

「あ、さとり様じゃないですか」
「じゃないですかとは失礼ですね、後でお仕置きです」
「殺生なぁ!?」

なんやかんや言っているお燐は後回しにしておいて、私は辺りを見回す
どうやらうるさい酔っぱらいやらなんやらは地霊殿の外に追い出して中を早い所片付けてしまおうという魂胆らしい、良い判断です。
そもそも酔っぱらいなんて酒さえあればどこでも宴会を開くし中に入れておくと散々汚されるものだ、パーティーが二次会と言う名の宴会になったらもう追い出してしまった方が良いだろう。
きょろきょろと辺りを見回してもパルスィの姿は無い、まさかあのまま外の乱痴気騒ぎに参加したのか?
先程の様子から見てそうなってしまってもおかしくない、おかしくないのだがやはり私には到底想像がつかない。
エントランスホールの掃除は粗方終わったようで皆散り散りに次の作業場へと移って行く、お燐が居てくれれば良かったのだが生憎姿を見せないのである程度新入りのペットに聞いてみる事にした。
新入りに聞く理由は簡単だ、お燐のような古参のペットはしっかり仕事をしてくれるし新入りの面倒を見たりしてくれるがその所為で他の所まで気が回らない、新入り、それもある程度ここに慣れてきた新入りならば気が散って周りの事をよく見ているものだ。
お燐に悪いが私はこういう場合こういったペットを重宝している。
話を聞いたところ外の方に行ってはいない様だ、酔いが回っているのか知らないが頭を抱えてそこら辺を歩いていたという。

そう言う事であれば、恐らくパルスィは今屋上に居るのだろう
たかたかと屋上まで直通の階段を上がって行く
パルスィは先程の事を覚えているだろうか、覚えていたらからかっても良いだろう、顔を真っ赤にしてくれれば面白いがパルスィはそういった所にかけては変に冷静な所があるし、無理だろう。
覚えていなかったらどうしようか、教えてあげようか。

地霊殿は外から分かる通り、縦にも横にも広大な敷地を持っている、故に階段や廊下といった物も全て一般的な建物とは一回りも二回りも違う、つまりどういう事かと言うと、歩くのが大変億劫なのだ。
この屋上に繋がる直通螺旋階段などはエントランスから伸びている、段数は五百は悠にあるだろう、しかもペットの落下防止の為に周りを鉄柵で囲っている、飛んで行く事もできない、無理に飛ぼうとするとどこかにぶつかりかねない。
ぜえぜえ言いながら階段を歩く私の姿はさぞかし滑稽に見えるに違いない、こんにゃろ、こんにゃろ、これが終わったら上まで直で繋がる穴をぶち開けてやる、一瞬お燐の顔が頭に浮かんだがすぐさま掻き消した。



■□■



屋上に繋がる扉を開けると、やはり彼女はそこに居た
手摺にもたれ掛かって静かに風に揺られている、癖のあるくすんだ金髪が波に揺られていた。
そうっと近づいて隣に立つ、パルスィからは薄く酒の匂いがした。

『酒を飲んだの、いつぶりかしら』
「声を出さないんですか?」
『分かるでしょ、今声は出したくないの』
パルスィの横顔はぶすっとしていた
どこか不遜そうな顔、多分私が酒を盛ったという事だけは理解しているらしい
輝いているとは言わないまでも美しい緑を湛える瞳
薄く整った唇
ふわふわとした髪
先程のメイドも綺麗だったが、やはりパルスィの方が良い
変に飾らないのが良い、ぶっきらぼうなのがいい
これだけ顔がよかったのならば嫉妬するまでも無いだろうが、いつもそう思っている。

暫く私達は隣り合って、じぃっと遠くに見える旧都の灯を眺めていた。
いつだってあそこは賑やかだ、物があって、妖怪が居る
見る者は皆楽しそうだ、皆が皆楽しそうだ

ある時、その笑顔を見て吐きそうになった
気持ち悪くなって、どうしようもなくなって、我慢して帰ってトイレに駆け込んだ
私には聞こえる、あくまでそう見えるだけなのだと
笑っていなければやっていけない物が居る、笑いたく無い者も居る、他者の笑顔を不快に思うものが居る、あの占い師たちの様に引きこもっているのはおおよそそういった類だ。
苦渋に喘ぐものが居る、もはや行き着くところまで行き着いてしまった者がいる、そういった物は表に出てこないだけだ、彼らは皆旧都のどこか、薄暗い路地裏に潜み、蠢いている。

私には分かる、私には聞こえる、なぜならば私は覚妖怪だから、心を読んでしまうから。
私は心を読むことにある程度のフィルタリングをかける事が出来る、だがそれをしたことは一度も無い。

こいしは、私の妹にして同じ覚妖怪だったこいしは目を閉ざした。
こいしは読心能力に耐えきれずに潰れてしまった
だからかもしれない、私が覚能力を使う事を止めないのは
覚妖怪でいたいのかもしれない、無論それはそう易々と変えられる訳は無いのだが。
恐怖、その時私が覚妖怪ですらなくなってしまう事への恐怖かもしれない、今の安穏を失う事を恐れているのかもしれない。
あるいは、逆か
私は覚妖怪でいたいのかもしれない、私は覚妖怪であって、他の何者でも無い事を証明したいのかもしれない。

相変らずパルスィは風に揺られていた
その緑色の光の奥には何があるのだろうか
旧都の灯か、彼女が護る橋か、それとも地上か
暗い暗い闇の中に、緑の眼が二つ光っている

その光があまりにも薄かったからだろうか
その眼があまりにも哀しみを湛えていたからだろうか
その光景が、私には何故かひどく儚く見えた

ふぅっと風を乱してパルスィが向き直った

振り返るパルスィ、それだけはよく見た光景だった
だが、なんだろう
この不安は、この違和感は
頭のどこかで警告音が鳴った
おかしい、どこかがおかしい

じぃっとパルスィはこちらを見つめた
私は困惑しつつも、何とかパルスィを繋ぎ止めようと心を読む
繋ぎ止める?いったいどこに?何の為に?
分からない、だが私の中の誰かが言っているのだ
パルスィを繋ぎ止めないと、儚い彼女を繋ぎ止めてしまわないといけない
でなければ彼女はどこかに行ってしまうだろうと、私はふいに確信した。

『さとり』

声が、僅かに聞こえた

『古明地さとり』

そう言えば、彼女が心の中で私を呼んだのはこれが初めてではないか。
なんで今? どうして?
疑問が次々に溢れ出してくる、頭の鍋から溢れ出す疑問の濁流に耐える事で精一杯だ

『ありがとう』

もう少し
もう少しでこの違和感に辿り着くというのに
なぜ彼女は感謝しているのだろう

『そして』

ああ、止めて
それ以上の言葉を言わないで
何が言霊となって出るかは分からないというのに、私の中で何かがそこから先を聞く事を拒否する
頭が揺れる感覚がした
足元がぐらつく感覚がした
さっきまであれほど偉そうに吹聴していた誇りを地面に叩きつけそうになった。
そうまでしても、聞きたくなかったというのに

『さようなら』

私は聞いてしまった
今までの日常の崩壊音を
関係が軋んで崩れる音を
枠組みが崩壊していく音を

疑問よりも先に手が伸びた
伸ばされた腕は、純白の手袋に遮られる

「お嬢様がお呼びです」

なんで
なんで今?
逃げようにも手をがっしりと掴まれて到底解けそうも無い
そうしている間にパルスィは橋の方に向けて飛んで行ってしまった
きらりと何かが僅かな光に反射する

ぽたん
なにかが屋上の冷たい床に落ちて砕ける音が聞こえた気がした

ああ そうか
違和感の正体はこれなのか
私は不意に了解した


パルスィの緑が輝いていたのは
きらきらと輝いているように見えたのは
彼女がただただ静かに泣いていたからなのだ。



■□■



人間のメイドに連れられてきたホールにはやはり、当たり前のように吸血鬼が鎮座していた。

「随分といいタイミングで呼びつける物ですね」
「ふふふ、良い時間だよ、まさに千載一遇の好機だ」

睨みつけても全く動じる様子も無く飄々とした態度を取るあたりは流石と言った所か。
こうしている間にもパルスィがどこかに行ってしまう気がして、私は苛立ちを募らせる。
レミリアの方を向くと、こちらを咎める様な目で見られた。

「おいおい、勘違いしているようだけど私は邪魔しに来たんじゃないぞ、助けに来たんだ」
「助けに来た?」
「咲夜、居るだろう」

咲夜?ああ、あのメイドの事か
レミリアがそう呼ぶのを聞いた事がある

「くくく、あれが面白い能力を持っていてな、時間を操作できるのよ」
「そいつはまあ、随分と凄い能力のようで」
「だろう?紅茶がすぐ欲しい時に重宝しているよ」

一体何が目的なのだろうか
露骨にそう考えているのが表情に出たからだろう、レミリアはまあ、待てってとこちらを制止する。

「私も、すこうしだけ時を操作できるのよ」
「……時を?」
「賽が振られた後から振られる前に戻す事が出来るかもしれない」

くすくす
吸血鬼は優雅にほほ笑む
背景に月があったのだとしたら、それはそれは幻惑的な光景なのだろう。

「いい事を教えてやろう、古明地さとり」

吸血鬼はいつの間にか淹れられていた紅茶をくいと一回啜った
嚥下された液体が吸血鬼の小さな喉を通って行く

「妖怪には二種類居る、『縛られる奴』と『そうでない奴』だ、前者が何に縛られるかはその妖怪次第、“立場””場所””状況”そして…」

ぴしっ
レミリアは指をこちらに付きつけた
それが止めだった

「“役割”」

その瞬間、不意に私は全てを了解した
或いは、最初から分かっていたのかもしれない、分かろうとしなかっただけかもしれない
立ちくらみに似たふらつきが起きる、目の前の物、何もかもがぐらぐらと揺れてゆく
現実を受け入れたくない そうであってはならない しかし―――

「私を視ろ、私を見ろ、古明地さとり」

吸血鬼はそれを許さない
胸倉を掴まれる 紅い光が私を刺す
そうだ、いつだって吸血鬼と言うのはそうなのだ、傲慢で、自分勝手、いつも自分が中心にいなければ気が済まない
放っておいてくれと突き放そうとする、しかし私では吸血鬼には到底敵うことは無い。

「あれは何だ、橋姫だ、何の為に生き、何が為に生き延びる?」

そうだ、彼女は復讐者だ
いかなる障害があろうとも、いかなる苦境に陥ろうとも自らを裏切るものを許さないのが彼女では無かったのか
彼女はただその為に生きていた、その為だけに生き延びた

では今は?
今は何の為に存在する?
復讐を終えた彼女を何がそこに縛りつける?

「そうだ、全てはそうだ、彼女はそうなるべきだった、そうでなくてはならなかった」

ぎらり
目の前の化け物がそんな表現が正しいのだろうと思える笑みを浮かべた
底知れない悍ましさを感じる、だが逃げ切れない
私は何からも逃げられない、何からも逃げ切れない

「分かったか、私は教えたぞ、時を巻き戻してやったぞ」
「……対価は?」
「対価?」
「悪魔は対価を求めるものでしょう?」

レミリアはしばらくぽかんとしていたが不意に大声をあげて笑い始めた
正直さっきの威圧感たっぷりのレミリアを見ているとあまりの落差に驚く

「ああ、そうだったな、私は対価を求めにゃならんのか」
「………まあ、本によりますと」
「ふぅん…じゃ、こうしよう」

ひたりと耳に吸血鬼の口が当たる感覚がした
思わず血を抜き取られてゆくのを想像してしまい身震いする

「―――――――――ってのはどうだい?」
「……随分と無茶な契約ですね」
「悪魔ってそう言うものよ、諦めなさいな」

ああ、こいつは悪魔だ
私は今更ながらそう確信した


◆◇◆


「で、お前はどう思うよ」
「あら、気付いていたのかしら」
「元々気付かせるつもりだったんだろう、あいつ気付いて無かったぞ」
「迂闊ねぇ」
「動転してたんだろ、地底の妖怪らしくない」

にゅるりと隙間から紫が出て来た
あの妖怪は恐らく、いや恐らくでなくとも橋の方だろう、なにせあれは橋姫なのだ
ぼうっとレミリアは考える

「ま、私には終わり方までは分からんからな」
「貴方の運命操作が及ばない者がいるなんてね」
「及ばないんじゃない、及ぼせないんだ」

レミリアは指の腹を表にし、ゆらゆらと揺らす
紫はそこに団栗頭の弥次郎兵衛を垣間見た

「今の運命は、こうだ」
「『不安定』って事?」
「それは限りなく正解に近いが間違いだ、『限りなく不安定』だね」
「違いが分からないわ」
「そうかね?簡潔に説明しちゃうと『不安定』は多少の干渉ができる、でも『限りなく不安定』は駄目、部外者がちょっとでも弄るともうバランスを崩しちゃって落ちるのみになる、まあこの場合は元々落ちてたんだけど」
「だから間接的にしか教えられないのね」
「そゆこと」
「でも、なんであなたはお節介な事をしたのかしら」

さあね
レミリアはそう言うと紅茶をまた啜った
紫にはその答えだけで十分だったしレミリアもそれ以上言う気は無い様だった。
つまり、それは二人の間の会話が終わった事を意味し、また次の場面へのシフトとなる。

「本当に運命を掻き混ぜているのは、もしかすると―――」

ぼそっと誰かが呟いた












□■□



橋は静かだった
思わず寒気が走る程に静かだった
橋はいつもの様にそこにあり、彼女はやはり、いつもの様にそこに居た
いや、其処に居るしかないのだ
其処に居る他彼女には自らを守る術を持っていないのだから。

弱かった
どうしようもなく弱々しく 愚かだった



「やっぱり、来たわね」

私も

「まあ、気が付くのが遅すぎましたけど」

あなたも


ひょうと寒々しい風が橋の上に吹く
パルスィはただ黙ってそこに立っていた
私はそこに立っている他無かった

パルスィは煙管を吸っていた、煙が虚空へ溶けてゆく
彼女がそれを口に咥えるのを見るのは何年ぶりになるのだろうか
十何年 何十年 とにかく私はその仕草に言いようのしれない懐かしさと、寂寥を覚える。

「まあ、気が付いたところで何もできないわよ」

ぼうっと、まるで独り呟くように声が放たれる
パルスィの声は虚ろだった、心はそれ以上にがらんどうだった

「そうでしょうか」
「そうよ」

ほんの僅かな期待さえも許さない
僅かな甘えも、情けも、同情も、猶予も許さない
それが正しい、それだけが正しい
だけれど
だけれども

「少しは待ってくれてもいいじゃないですか」

せめて振り返って欲しかった
私の事を見て欲しかった
一緒に居て欲しかった
それすらも許されないと言うのか

「待てないわよ」

ふっと白煙を寂しげに吐き出したパルスィの横顔は、私には殊更寂しそうに見えた
一人で戦っていたのだろう、それを気付かなかったのは、気付けなかったのは他ならぬ私なのだ

「待てないわよ…」

寂しげなリフレイン
歌の終章の余韻を醸し出す最後のデクレッシェンド

終わらないでと駆け出したい
もう少し歌ってと縋りつきたい
でも、舞台にはもう誰も居ない




パルスィのくすんだ金の髪の毛がある

艶めかしい首筋がそこに繋がっている

いつもどうやってあの出力を出すのか疑問に思える程華奢な左肩がある

そして細い二の腕を伝って、肘がある





そこでパルスィは掻き消えていた

透明になって 消えてしまっていた











残りはどこへ行ってしまったのだろうか
これから彼女はどうなってしまうのだろうか

分からない
理解できない
理解したくない























変わらないものもあれば、変わるものもある
止まってくれとどんなに願っても川は流れ続ける様に













.
次回 最終回となります




(2011/12/16 コメント返信)

>>奇声を発する程度の能力さん
ようやっと最終回となります
なぜこんなにも長く続いてしまったかは分かりません

>>4さん
楽しみにして頂けると作者冥利に尽きます

>>6さん
はい、次が最後です

>>7さん
次回は戦闘シーンを入れたいですが…上手く書けるかどうか
誤字修正しました、御報告ありがとうございます

>>12さん
ああ、楽しみにして頂けましたか 非常に嬉しいです

>>14さん
期待には答えねばなりますまい

>>16さん
普通には終わらせませんよ
楽しみにして頂けると作者はやる気を出します、主に鞭的な意味で

>>17さん
誤字修正しました、御報告ありがとうございます

>>19さん
ありがとうございます
最初から終点は決まっているものの、上手く繋げるのは難しいです

>>21さん
誤字修正しました、御報告ありがとうございます
次回をお待ちください
芒野探険隊
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コメント



0.700簡易評価
3.90奇声を発する程度の能力削除
次回で漸く最終回ですか…
どんな結末になるか楽しみです
4.100名前が無い程度の能力削除
うおぉなんか大変なことになってますな
次回楽しみにしております
6.100名前が正体不明である程度の能力削除
次で最後か!
7.100名前が無い程度の能力削除
ヤバそうな雰囲気がビンビン伝わってきますね。
最終回、楽しみです。

一つだけ。『ありだとう』になってます。
12.100名前が無い程度の能力削除
あー、楽しみにしてたこのシリーズももうお仕舞いか・・・
14.100名前が無い程度の能力削除
期待
16.80名前が無い程度の能力削除
ようやっと二人の関係が前進したと思ったらこの展開・・・
さー次回の「面白いもの」が俄然楽しみになってきましたよ
17.無評価名前が無い程度の能力削除
誤字報告
>近くにある家の入ろうとすると

家に、では。
19.90名前が無い程度の能力削除
前作からずっと読んでいる者です。
こうなるよなとは想像していたものの、それでもなお目が離せない。
最終回も期待しております。
21.70名前が無い程度の能力削除
誤字>レミアリア

さて…どうなる?