「「最初」」
「は、グー」
「からっ!」
神奈子が突き出したのは握りしめられた拳。つまりはグー。
私が突き出したのは、開かれた手のひら。つまりはパー。
「勝った勝った! やったー! ひははー!」
私は、パーの手のひらをそのまま使って喜ぶ。つまりは万歳。
神奈子も、グーの拳をそのまま使って怒った。つまりは拳骨。
ボカッ
「っ! 何すんのさ!」
上背のある彼女の振り降ろす右である。ましてや神。痛くないわけがない。
私の抗議に、神奈子が両手を腰に当てる。
「何すんのさ! はこっちの台詞。せこい真似するんじゃないの。あんた小学生なの? まったく」
「あ、見えちゃう? 氷精と遊んでても違和感ない、お年頃に見えちゃう? まいったなー、小学生に見えちゃうかー」
見えるからこそ、人里にいけばお菓子をもらえることもあるし、優しくしてもらえる。主に大きな信者達に。まったく小学生は最高だぜ!
頭を手で押さえ、得意げに苦笑してみせると、神奈子はこの場に出ていなかった札を切ってきた。
指が二本、私の視界に近づいてくる。
その形はチョキ。グーに負けるもパーには勝ちうる札。
視界を越えて、目に近づいてくる。
あ、これ目潰しだわ。
「あう……」
言葉にしたくない音を立ててジャストミート、
「おあ、おああああああっ」
から一瞬遅れて、もんどりうって倒れ込む。ゴロゴロと転がりながら、号泣した。
原因は大掃除だった。
幻想郷に来て初めての年末。信仰を集め始めているとはいえ、まだまだ人手は足りない。私と神奈子が手伝うしかない。年の瀬せまる冬の空気に手を擦りながら、虫干ししていた品を概ね元の位置に片付け、大掃除を終えようとしていたところで、大きめのビニール袋を発見した。膨らんだ形で想像はついていたが、中身は外の世界で買い置きしていたカップ麺である。うどんが三つ、そばが三つ。
頃は一二月。幻想郷でむかえる最初の年越し。幻想郷ではそうそう食べられないであろうカップ麺で、というのもそれはそれで乙なもんだ。
もっとも、年が明けるのをすすりながらなんてのんびりとは行かないだろうが、大晦日は天狗から手を借りられる。そばぐらいすする時間はできるだろう。
「神奈子ー。年越しなんだけどさ、これでどう?」
一つ取り出し、神奈子に見せる。
「あー、インスタント? それはそれでいいんじゃないか」
私の趣向を理解してくれたようで、神奈子が頷く。が、途端に眉をしかめる。
「諏訪子、これ、うどんじゃないか」
言われて見てみると、たしかにうどんである。適当につかんだので、一番上にあったうどんを手に持っていた。
「うどんだね」
「うどんだね、じゃないよ。年越しそばだよ、年越しそば。そばって言ってんだからそば食べるのが常識ってもんでしょう」
頭ごなしの言い方にカチンと来た。そこで意地を張った。
たぶん、というか、間違いなくそれがいけなかった。
そんなわけで今に至る。
「あんたね、私達は神様だ。参られて拝まれて、ありがたがられてこその存在だ。小学生に見られて嬉しいって話があるかい?」
「うらやましいんだ?」
「うらやましくない」
あ、うらやましいんだな。
「ほら、とっとと続けるよ」と、グーをかざす。
「そうそう『最初はグー』はだからね」
「わかってるよ」
「負けても、練習とか、実は三本勝負とかもなしね」
「へいへい。じゃあ、『最初は」
「あ、待って。人差し指と親指を立ててグーとチョキとパー全部なんてのもなしだからね」
「小学生か」
「小学生でしょ」
根に持ってる。やっぱりうらやましいんだ。うらやましがってりゃいいのに、わざわざ持ち出して絡んでくるあたり、まったく蛇みたいな女だよ。
「今度こそいい?」
「いいよ、じゃあ」
「「最初はグー」」
両の拳を突き出し、開戦の火蓋を切る。
「「ジャンケン」」
小細工はいらない。一瞬のひらめきに賭けるだけだ。
「「 ポン」」
私はチョキ。
神奈子はパー。
「いやー、まいったまいった。あいこの一つや二つあるのが勝負の愛敬だってのに、あっさり一発で勝っちゃった。これも神徳かね」
勝ち誇っていると、パーのまま地面に手を突きかがみ込んでいる。
そんなにそばが食べたかったか。単に私は、最初に手にしたのがうどんで、それに意地を張っただけでもある。
だが、残念。勝負は勝負で、年越しはうどんだ。恥辱にまみれた神奈子を後目に、出汁がよく染みたお揚げをチューチューやるのだ。早苗には行儀が悪いと叱られるかもしれないが、なに構うまい。そのときはそのときに任せる。後で怒られるのを気にして神様なんてできるか。
「騒々しいですよ、神奈子様、諏訪子様」
あれ、今怒られた。
いつのまにやら早苗が来ている。
「外まで聞こえてますよ。いったい何を争ってたんです?」
「いや、その年越しの話をしててね」
「年越し、ですか?」怪訝そうに早苗が首を傾げる。
「うん。蔵からそばとうどんが三つずつ見つかったんだ。それで、どっちを食べるかって話になってね。あ、心配しなくていいよ。私が勝った。年越しはうどんだよ、うどん」
「年越しはそばって昔から決まってるんだ」
おや、悪あがきする程度の元気はあったか。
「昔って言ったって、せいぜい江戸時代かそこいらでしょ? 最近だよそんなの、最近」
何年存在してるんだ、私たちは。
「それ言ったら、年越しそば自体しなくていいじゃなか」
「バカだね、伝統は守らないと」
「気にしないのか守るのかどっちなのよ?」
「驚いたね、ますますバカだ。気にせず守るんだよ。大筋を守りつつ、細部を遊ぶ。そうして伝統は続いていくんだ。四角四面キチッキチッとやってたら、息が詰まっちゃうよ。続かない。大体、そんな細かくやるなら、そばはインスタントでいいのか? ざるか盛りか、あるいは年越しとはいえ冬だ、温かくかけなのか。天麩羅はのせていいのか、お揚げはのせていいのか、薬味は葱か、出汁はなんだ。ここまでキチッキチッとやればそれはそれで価値は出てくるだろうさ」
「そんな無茶な」
「だろう? だからこういうのは適当でいいんだよ。状況に合わせてそれなりにやる」
「いい加減な」
「そう、いいこと言った。良い加減なんだよ大事なのは」
「うーむ……」
お、デマカセでも畳み込んでみるもんだ。考え始めた。よし、もう一押しと言葉を探していると、早苗がおずおずと割って入ってきた。
「あの、年越しのそばの話ですよね?」
「うん、そうだよ。年越しうどん」
「それなら、もうカップラーメンに決めてますよ」
らぁ……めん……?
早苗が面妖なことを言い出した。神奈子を見れば、彼女も同じ表情である。
「「ない、それはないから」」
出た言葉も同じだった。
「えっ、どうしてですか?」
どうしてもこうしてもないもんだ。
「だって、年越しだよ。日本の年越しそばだよ。ラーメンでしょ? そばじゃないじゃん」
「ええ、そばですよ。中華そば。うどんより、そばな分、年越しにふさわしいです」
「日本じゃないじゃん」
「インスタントラーメンは日本の国民食ですよ」
「国民食って言っても、イメージってもんがあるだろう。ラーメンは基本中国だ」
「大体、日本日本とは言いますが、国際社会の現代です。日本だ中国だなんていいじゃないですか」
「何も、日本の片田舎の閉鎖された空間で何が国際社会の現代よ」
「その閉鎖空間に横文字妖怪が何匹いると思ってるんですか。赤い洋館で魔女と吸血鬼がメイドの淹れた紅茶をすすってるんですよ?」
「その魔女と吸血鬼とメイドだって、年越しはそばをたぐるらしいじゃないか。守るべき伝統はあるんだよ」
「気にするなって言ったり、守れって言ったり、諏訪子様は何を主張したいんですか」
「決まってるじゃないか」
単に後に引けなくなっただけだよ、
「おうどんが食べたいだけだよ」
とはさすがに言えない。
「じゃあ、今日のお昼はおうどんですね。ここに三つちょうどありますし、ちょうどいい」
袋からうどんを取り出そうとする早苗の腕をつかむ。
「年越しの話をしてるんだよ。今日のお昼の話をしてるんじゃない」
「じゃあ、今日のお昼は何を食べます?」
「な、何って。それ、いつも早苗が決めてるじゃない」
「そうですね、いつも何を食べるかは私が決めて、私が作ってます。じゃあ、年越しを私が決めても不都合はないでしょう?」
「今日のお昼と年越しを一緒にしないの。大体、早苗は何でそこまでラーメンにこだわるんだい」
「好きですから、ラーメン」
あら、ストレート。
「好きってそんな理由かい」
「諏訪子様だってそんな理由だったじゃないですか」
うん、こっちも弱点がむき出しだった。本当は、もっとあんな理由だけど。
こちらの痛いところを突いて、更に勢い込むかと思いきや、早苗の表情が切なげなものにに変わる。
「それに、悲しいじゃないですかインスタントラーメンって……」
悲しい? インスタントラーメンが?
「企画会議を重ねて重ねて、ようやく新商品として棚に並んだかと思えば、下から次々に突き上げを食らって、あっという間に棚から消えてしまう。その儚さについ神奈子様達を重ねてしまっていたんです……」
「え、いや、私達そんなサイクル短くないよ。割とロングセラーだよ?」
その例えはさすがに傷つくし、神奈子のフォローもなんかおかしい。
聞く耳持たず、早苗の独演は続く。
「世の中は、そんなラーメンを本当に味わい尽くしたのでしょうか? 十分な機会を持って判断してあげたんでしょうか? いいえ、そうじゃないはずです。そうでしょう? 神奈子様、諏訪子様」
「えーと、毎回食卓に上るラーメンが違ったのってそういうこと?」
「ええ。力及ばずながらも、せめて救ってあげられないかって」
ここで言葉を切って顔を伏せる。
「そんな儚いインスタントラーメンこそ、幻想郷での初めての年越しにふさわしいんじゃないか? 私はそう思うんです」
声が少しかすれてる。
インスタントラーメンってここまで重たいものだったっけ?
「ちょっと待って」
神奈子が割ってはいる。
「そもそもインスタントラーメンはどこにあるの? 蔵には見あたらなかったし、台所にもないよね?」
そうそれだ。早苗がどんな重たいものをインスタントラーメンに被せようが、ないものは食べられまい。
「ああ、間違えがないように、私の部屋に取り置きしてあります」
無駄に隙がない。
「ちなみに、どんなラーメンなの?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに早苗がうなずいた。
「梅干し風カレーラーメンです。あ、梅干しに国民食のカレーで、和の心マシマシですよ」
「これって年越しにふさわしいですよね」思わぬ偶然と言わんばかりに喜ぶ早苗。
どんな企画会議を重ねたんだ、それ。
「さて、神奈子様、諏訪子様」
私達の顔を交互に見ると、早苗の口調が優しげなものに変わる。
「インスタントで年越しをするのはおそらくこれが最後でしょう。つまり、外の世界の匂いをまとった年越しは最後です。この厳しい幻想郷で、私達は信仰を集めなくてはいけません。その為には足並みをそろえて一致団結しないといけません」
「そうかもしれないね」
「喧嘩せず仲良く食べて年を越しましょうよ……」
「早苗……」
「だからあきらめて、この梅干しカレーラーメンを食べて年越しをしましょう」
「もうひと味、何か加えようよ」
「えー。泣き落としってことで落とされてくれません?」
「自分で言うな。泣いてないし。とにかく、年越しはうどんを食べるからね」
「いいえ、ラーメンです」
「うどん」「ラーメン」「うどん」「ラーメン」
ああ、埒が開かない。
「そもそもラーメン一つじゃ、お腹が膨れないよ。五口、六口多めにたぐったら、後はスープだよ」
「年越しなんだから、別に膨れなくてもいいでしょう。それに、ボリュームで言うなら、うどんだって大差ないですよ」
「そんなことない。お揚げが私を満たしてくれる」
「いつも言おうと思ってたんですけど、あのチューチューやるのやめてくれません。行儀悪いですよ」
あ、やっぱり怒られた。
「それは今関係ないだろう」
「まあ、そうですけど。お揚げがいいなら、作ってあげますよ、お揚げ。お揚げとラーメンでいいですよね?」
「いやだ。おうどんに浮いてるお揚げだからいいんだもん。お揚げを支える太くて白いうどん、これがいいんじゃないか。大体、うどんとお揚げはワンセット。この黄金のコンビを崩そうなんてどうかしてるよ。そっちこそ、カレーと梅干しをうどんに入れればいいじゃないか」
「何バカなこと言ってるんです!」
「早苗が言ってたのはそういうことなんだよ! 私はおうどんとお揚げを裏切らない。おうどんとお揚げも私を裏切らない!」
「私は梅干しカレーラーメンを見捨てることなんてできません!」
「なら勝手にすればいいよ! 早苗は梅干しカレーラーメンを和の心だって食べればいいさ!」
「ええ、どうぞ諏訪子様も、年越しそばとしてうどんを召し上がってください!」
交渉は決裂した。なんてことだろう。ああ、悲劇だ。年越しそばに何を食べるか。その一点で私達はここまで争わなければならないのだ。意思を持つ存在は悲しい。意思を持てば好悪が生まれ、主張が生まれる。主張は必ずしも一致するとは限らず、一致しなければこうして戦うしかなく、共存することなど不可能なのだ。
何か引っかかるが、争いの後の傷の疼きに違いない。答えなんてない。そんなものは、円満な解決を求める弱い心が生んだ幻なのだ。
「ねえ、諏訪子、早苗、考えてみたらさ、」
何も言うな、神奈子。それはならぬ。そばを求めし、敗れし者よ。お前は望まぬうどんを食べなければならないのだ。悲しいがそれが意思と好悪と主張の先の勝敗が決めた運命だ。
「別々に好きなの食べればいいんじゃないかな、一緒に作るわけじゃないんだし。うどんでもそばでもラーメンでも」
「え?」
「あ!」
あれ、待って、そうか、いや、何? じゃあ、何のために……? え? え?
「いや、でも、別々に食べるのも、それはそれでどうかなあと」
早苗が言う。そういうことだ。あの戦いが無意味だなんて、そんな、バカなことが。
「じゃあ、同じ物を食べればいいんじゃないかな」
「同じ物ってどうやって?」
「だから、そばとうどんとラーメンを一つずつ作って、それを三人で分けあって食べてさ、小皿にでも分けて」
「あー、なるほど……でも、そうすると、今まで私達はどうして……」
言わないで、言わないで早苗。今までの時間が無意味だなんてそんな悲しいこと……。
「無意味なんかじゃないさ」
え?
神奈子が私と早苗に微笑む。
「無意味なんかじゃない。伝統を守りる、細部を遊ぶ、狭いのに色んな文化を持った幻想郷にふさわしい。そばとうどんとラーメンを食べることに意味付けができたじゃないか」
神奈子……。
見上げる彼女の顔は輝いてるように私には見えた。そうだ、そうなんだ
「それに、幻想郷の初めての年越しを、外の世界の象徴であるインスタントで迎える。このアイディアだけでも、おもしろいじゃないか」
無駄なことなんてなかったんだ。
今までの時間は無駄なんかじゃなかった。
そう確信した瞬間、私は笑っていた。神奈子も、早苗も笑っていた。
これからも、私達はぶつかりあうかもしれない。でも、そのたびに、最後はこうして笑っていられるだろう。
たぶん、きっと、世の中に無駄な事なんてないんだ。
後書きの方がみょうにツボ
「無駄な勝負だったなあ……」がいい味だし過ぎてる
ラーメンもうどんも好きだけど。