「ねえ、文?」
「はい、なんですか? チルノさん」
「あのね、お祭りって、神様のための物なんでしょ?」
「ええ、そうですね。基本的には五穀豊穣を神に願うものがほとんどですね」
「で、さ。神社って、神様のいるとこでしょ?」
「ええ、神様の社(やしろ)ですからね」
「じゃあさ―――」
夏、盆にも近い頃―――
突き抜けるのではないかと思える程の青い空に巨大な入道雲が立っている。
既に昼も回り、時刻としてはもう暫くすれば夕方となる訳だが、夏の陽は長い。
未だ空に健在しているお天道様はジリジリと地面を焼付け、幻想郷は猛暑の名に恥じぬほどの高い気温を記録していた。
ここは幻想郷の端にある、博麗神社。
木々に囲まれマイナスイオンは多量に摂取が可能であり、一見すると涼し気な気配があるが、現実とは常に非情である。
境内の石畳は太陽によって既にフライパンほどに熱され、履物を履かずに歩けば即座に死亡フラグが立つ。
風も全く吹くことが無く、縁側の軒下に吊るされている風鈴は太陽が登ってから既に10時間近く経つが一度たりともその高音を響かせていない。
むしむしとする空気に覆われ、聞こえるものと言えばシャワシャワシャワ―――という蝉達の大合唱。
それすらも夏の暑さにやられてか、どことなく元気がなさそうだからご愁傷さまである。
何年も土の中に篭もり、満を持して地上へと出てきた途端この暑さに出迎えられ、それでも鳴き続けるというのだから健気というより他は無い。
そんな蝉達の気持ちを考えつつ、博麗霊夢は日陰になっている縁側に腰を降ろしながら、鳴ることが無い風鈴をぼんやりと眺めていた。
足はだらしなく投げ出され、柱を背中に預けるその姿は、清楚なイメージが強い巫女の姿からは掛け離れているかもしれない。
だけどしょうがない、と霊夢は思っている。
誰だって暑ければだれる。
ましてや猛暑としか表現しようがないほどの夏だ。
そんな夏に、元から人里の人間が訪れる事が稀な神社に誰かが来る筈もない。
ならば別に巫女らしくしている必要もないじゃないか、と。
毎年毎年、この季節になれば思う事ではあるが、とにかく馬鹿みたいに夏は暑い。
魔理沙はどうやら自力で涼しくなる方法を得たらしいが、何となく腹が立つので陰陽宝玉を今度打ち込んでやろうと思っている。
少しでも涼しい気持ちになれれば、と風鈴を吊るすだけ吊るしてみたが、見事に期待を裏切ってくれたそれに哀れみの言葉の一つでも送ってやろうか。
「音が鳴るから風鈴なのか、風鈴だから音が鳴るのか……」
「霊夢さん……どうしました、いきなり哲学的ですね」
「とりあえずこいつは今、風鈴としての存在意義が欠片もないって事よ」
やれやれ、と肩を竦めて声をかけられた方へ顔を向ける。
同じように縁側に腰を下ろして苦笑いを浮かべている少女。
頭には変な紅い帽子のような物を乗っけ、普段通りの白いシャツに黒いスカート。
楓の形をした団扇をパタパタと動かしているのは天狗、射命丸文。
「そんざいいぎ?何それ?」
「意味が無いって事よ」
「? ふーん」
そして、視界の外から掛けられた声に、僅かに視線を落とす。
一見すれば子供としか思えぬ幼さで、青い髪を揺らしながら首を傾げるその姿。
氷精チルノ。
しかし、その頭にはトレードマークとも言うべき青いリボンは無い。
珍しく纏められていない髪は、知らぬ間に少し伸びたようで背中にかかるほどの長さだった。
そして服装もまた、いつもの青いワンピースではなく―――
「ところで今更だけど、チルノのそれ、どうしたの?」
「? どれ?」
「いや、その浴衣よ、浴衣」
それ、とチルノを―――正確には、その服装を指さし尋ねる。
青い髪に合わせたのか、ぼかし染めされた藍色の生地には赤と青の朝顔が咲き、赤地の浴衣帯で纏められたそれは普段のチルノとは似つかわしくない落ち着いた趣きの浴衣である。
勿論履物も下駄だが、履きなれてないそれは縁側の上がり口に置かれている沓脱石に既に脱がれている。
しかし、縁側に座って素足をぷらぷらと揺らしていたチルノは、よくぞ聞いてくれた、と途端に笑顔になった。
「えへへっ!文に買って貰ったんだ!」
「……あ、そう」
「あれ?霊夢さん反応薄くないですか?もっと感動して良いんですよ?」
「何に感動すればいいのよ、一体……」
「ふふふ、実はこれ、ある伝手で入手したものででしてね……私が買ったのは下駄だけなのですよっ!」
「……で?」
「いや、ですから私ほどの敏腕記者になると人との繋がりというものがですね―――?」
「はいはい凄い凄い」
「酷ッ?!」
「ねぇ、れーむ!あたい、似合ってる?似合ってる?!」
「ええ、似合ってる似合ってる」
騒がしい二人からの言葉を適当にあしらいながら、何でこいつら此処に来たんだろう、と霊夢の疑問が心に湧いた。
それはつい先ほどのこと。
天狗と妖精という幻想郷でも有名な珍バカップルの二人組が何故か夏の日差しの中、態々やって来た。
手に入れた浴衣の自慢をしに来ただけだとしても、こんな幻想郷の端にある神社に普通なら来ないだろう。
元々来るもの拒まず去るもの追わずが霊夢の対人関係におけるスタンスだった。
時には淡白とも思えるその姿勢の所為もあり、神社が人里から離れているという地理的要因を合わさって人の友達と呼べる存在は、霊夢にはいない。
ただ、それは博麗の巫女としての宿命であり己自身のものぐさ故だから、別にそれを不幸だとか寂しいとか思った事は無かった。
一方で、そんな淡白な付き合い方は気が楽との事で霊夢が神社を継いでから、やたらと妖怪が訪れるようになったりもしたが、そもそも妖怪と人とは違う生き物だ。
良く顔を合わせる相手もいるが、それは友達とかいった生ぬるい関係でない事は互いに自覚している。
なぜなら、博麗の巫女は妖怪退治と異変解決が生業であり義務である。
異変解決の為ならば、その前に立ちはだかる者は誰であれ容赦せず、現実に今この目の前にいる二人を何度も叩き伏せた事だってある。
いわば、異変の敵対者。
だから、こんな茶飲み友達のような感覚でフラッとやってきて会話をするほど、特段この妖精と天狗の二人から好かれている、とは思えない。
(まぁ、文はともかく、どうせチルノはそんな事全部忘れてるんだけど……)
妖精の記憶というものは脆いもの。
チルノは妖精であり物覚えもそれほど良い方では無いし、確認した事などありはしないが、かつて異変解決の為にどれだけ酷い目にあったか等忘れている筈だ。
似合ってる、の言葉に嬉しそうにキャッキャと喜ぶ妖精を見ながら、はぁ、と溜息一つ。
でなければ、こんなに無邪気に喜んだりしないだろう―――
「ねぇ、文!れーむ似合ってるって!」
「ええ、もう!チルノさん似合い過ぎてて、多くの人の目に触れる夏祭りに行くのを躊躇うくらい似合ってますよ!」
「ああ、そういえば今日は人里の夏祭りだったわね……」
「うん、そうだよ!これから文と一緒に行くんだっ!」
「ふふふ……こんなに可愛いチルノさんを独り占めして済みませんね、霊夢さん」
「イチャつくなら余所でやれ」
面倒くせぇ。
心に正直な感想を抱きながら、シッシッ、と二人を追い払うように手を振る。
「それより、一体あんたらは結局何しに博麗神社(ここ)に来たのよ」
「―――ああ、そうそう。チルノさんが聞きたい事があるんだそうですよ?」
「……チルノが?」
ジト目で、今思い出しましたと言わんばかりにポンッと手を叩く仕草をした文を睨んでいたが、不審げにチルノへと視線を移す。
一体何を聞かれるのやら、と首を傾げると、あのね、とチルノが体を乗り出してきた。
「れーむの神社じゃ何でお祭りしないの?」
「……は?お祭り?博麗神社で?」
「元々お祭りは神を祭るものなのに、何で博麗神社ではやらないのか?というのが気になったみたいですよ?」
文から改めて解説が入ると、そう!とチルノがコクコクと頷く。
そんな首振り人形のようなチルノを見て、ああ、なるほど……と霊夢は頷きつつも眉を顰める。
言われる言葉は最もだが―――
「めんどくさいわ」
一言でぶった斬る。
すると、えー……と揃って不満げな声を上げる二人組。
「きっと儲かりますよ?」
「というか、無理よ」
「れーむ、なんで?お祭り楽しいよ?」
「こんな辺鄙な場所にある神社でお祭りやったって人が来ないもの」
「自分でそれ言っちゃいますか……」
「へんぴ?」
「まぁ、そういう訳よ。それに、もしここで夏祭りなんかやったら妖怪どもの巣窟になるわ」
「いいじゃないですか。ドキッ!妖怪だらけの夏祭り、ポロリもあるよ!的な!」
「文、ポロリって何?首?」
「チルノ……あんた素でなにげに怖いこと言うの止しなさい」
「?」
実際に下手なメンツが集まれば首の一つや二つはポロリと逝ってしまうのが幻想郷に住まう妖怪達の実力だ。
そんな血なまぐさい夏祭りなど、ごめん被りたい。
「そんなどうでも良いことより、チルノ。もっと冷気強く出来ないの?」
「どうでも良くないー!それに、あたいだって暑いんだから、これが精一杯だよっ!」
「あ、そう……案外使えないわね」
チルノは氷の妖精であり、意識しなければ基本的に冷気はダダ漏れだ。
だが流石に自然の権化も真夏の空気には勝てず、僅かに周囲の空気を冷やすだけで精一杯のようだった。
ぶー、と頬を膨らませるチルノとそれを見て悶える文。
そんな両者を、はいはい、と適当にあしらうと、更にチルノの不機嫌メーターは上昇していき―――
「ふんだ、いいもんいいもんッ!」
「ふふふ……ほら、チルノさん。そろそろ夏祭りに行きますから、髪を結っちゃいましょう?」
「あ、うんッ!」
完全にむくれる直前。
文が言葉を掛けながらその頭を撫でると途端に笑顔に戻るチルノを見て、はぁー……と深い溜息を吐き出す。
結局イチャつくのか、こいつら。
「じゃあ、簪を貸して下さい」
「うん、はいっ!」
「………え?」
その言葉を聞き、ふと直ぐ隣のチルノへ改めて視線を遣ると、今まで気付かなかったが浴衣の帯に一本の簪が差し込まれていた。
それを抜き取って、文へと手渡せばチルノは早々に背中を向ける。
楽しそうに文がチルノの髪を弄る中、霊夢は、思わずその簪を注視した。
微かに変色した真鍮は多少年季は入っている事を思わせるが、5枚の花蓋が別方向へと伸び、中央に独特な形をした花弁を精巧に模している。
その明らかに職人が丹精込めて作ったと分かるそれは―――
「―――随分高そうなものじゃない」
「文に貰ったんだ!」
「ええ、あげました」
「そりゃまた……随分と豪儀なこと」
それまで与えたのかと思えば、やれやれ、と嘆息してバカップルを見守る。
もし自分が手際よくチルノの髪を結っている天狗の立場なら、そこまで出来ないだろう、と。
「と、出来ましたよ?」
「本当?!ちゃんと結えてる??」
髪束に簪を差し込めば何とか固定され、青い髪に咲く一輪の花。
それを自らの目で見ようとしてか、必死に首を左へ右へと動かすチルノを見て思わず苦笑が溢れる。
頭の後ろにある物なんて、普通に考えれば見れる筈もない。
「本当、チルノって馬鹿よね」
「な、なんでさっ!あたいはバカじゃないっ!!」
「はいはい……居間に鏡あるから、見たいなら使っていいわよ」
「ッ本当?!ありがとう、れーむ!!」
途端に嬉しそうに笑顔を浮かべ、縁側から立ち上がるとトタトタッ!と軽い足音を立てて居間へと走っていく後ろ姿。
それを見送りながら、呆れの混じった感嘆の思いで、ポツリと呟いた。
「正直驚いてるわ……」
「ん?何がですか?」
「もう何年か経つけどね……あんたがチルノの恋人でいる事に、よ」
その場に取り残された文に思ったままの事を告げると、そうですか?と不思議そうに首を傾げられた。
「天狗だから、ですか?」
「あんたねぇ……チルノだから、に決まってるじゃない。それに、昔あんたがチルノとの関係でぐだぐだ悩んでた時は面倒半分で腹括れって言った気がするけど、カミングアウトして天狗の社会じゃ結局あれやこれや言われてるんでしょ?」
「まぁ―――否定はしません」
「妖精を恋人にした変人天狗ってね。馬鹿みたいにプライドが高いから天狗って好きになれないのよね」
「ははは……返す言葉もありませんね」
まさに苦笑、という感じで笑う文を横目で見て、霊夢は軽く肩を竦めた。
天狗は高位の妖怪であり、妖精は下位の存在だ。
面子を重んじる多くの天狗にとって、妖精が恋人など考えられない物なのだろう。
「……それで?」
「え?それで、とは?」
「ちゃんと聞いた事なかったけど、なんでまた妖精と付き合おうなんて思ったの?」
「好きだから、という以上に理由は必要ですかね?」
「―――そう。まぁ、あんたがそれでいいなら構わないけど」
当然のように言い切られれば、最早返す言葉は無い。
それに、そもそも自分が気にするような事でもないのだ。
ふぅ、と一息吐いて、霊夢は空を見上げてみた。
僅かだが空の青さが翳りを見せ始めており、そろそろ人里のお祭りも本腰を入れて開始準備に入っている頃合だろう。
「ちなみに霊夢さんは行かないんですか?お祭り」
「めんどうだわ。賑やかなのは嫌いじゃないけど、人混みは余り好きじゃないもの」
「やれやれ……折角、年に一度のお祭りだというのに。霊夢さんは年をとって落ち着いたというか老けましたよねー」
「余計なお世話よ。人間は妖怪や妖精と違うスピードで生きてるのよ」
いつまで経っても若い―――というか、変化の無い天狗をジト目で見遣る。
妖怪にとって数年は一瞬であろうが、人間にとっての数年は体や心を成長させるには十分すぎる。
元から面倒くさがりな性質ではあったが、最近は更にそれが悪化の一途を辿っている事は、霊夢自身、十分自覚済みだった。
いつかこの圧倒的年上の天狗を見て「若いって良いわねー」なんて思う日が来るのだろうか……。
そんな有り得そうな未来を考えていると、再びトタトタッ!と軽い足音が廊下に響き―――
「あーやッ!すっごい綺麗に出来てたよ、ありがとうっ!」
「お、とと……ふふふ、そうでしょうそうでしょう。なんといってもちゃんと練習しましたからね!」
「んで、またこうなるのか……」
助走をつけて背後から文へと抱きついたチルノを見て、げんなり、と霊夢は呟いた。
大人しくしてれば会話ぐらいしたって別に構わないが、目の前でこんな事をやられ続けられると最早公害だ。
「“いつか”じゃなくてもう十分若いわよね、あんたら」
「お?どうしました霊夢さん、いきなりそんな年寄り染みた事言い出して」
「なんでもないわよ……つか、結局なんであんたらウチに来たのよ。山の神社だってお祭りしてないんだし、そっちに行って聞けばよかったでしょ」
そうだ、と霊夢は思う。
博霊神社は、どちらかといえば人里に近い。
恐らくチルノは文の家で浴衣を着た筈だし、それならばそのまま守矢に行った方が早いはずだ。
ただ単に冷やかしにきただけだったらどうしてくれようか?
とりあえず天狗の額に悪霊退治用の御札くらい叩きつけてやるか。
ごそごそと袖の中に隠し持っている御札を探る。
すると、えー……とチルノが不満そうに声を上げた。
「山はやだよ。あたい、すわこと仲悪いもん」
「そりゃあんたがカエル凍らすからでしょうが」
まったくこの子は、と霊夢は溜息を吐くが、何が気に入らないのかチルノは、ぶー、と頬を膨らませる。
「もう凍らせてないもん!あいつがあたいのこと、気に入らないだけだもん!だからあたいもあいつのこと嫌いっ!」
なんだか頬を突っつきたくなるわね……。
膨れたチルノの頬を見ていると湧き上がるそんな欲求。
しかし、あらそう、と霊夢は呟き肩を落した。
結局、そんな訳の分からん言い分で大切なお茶の時間がぶち壊されてしまったのだ。
溜息だって吐きたい。
それに、守矢に行かなかった理由がそれならば、博麗(こちら)に来る理由にはなりはしない。
妖精は基本的に悪戯好きだ。
それはチルノとて例外ではなく、異変時に対峙した程ではないにしろ、霊夢もいたずらを仕掛けてきたチルノを何度と無くボッコボコにしており、つい先日も箒が氷漬けにされて思いっきり拳骨をくらわせてやった。
いくらなんでも、そういった最近の事はチルノだって覚えているはずだ。
「チルノさんもカエルを虐めるのは良くない、って思えるようになったんですよねー?」
「うん、そうだよ!なのにすわこはあたいが他のいたずらしようとしても口うるさいから大嫌いっ!」
「そりゃあんたが悪戯しようとするからでしょうが。それに、じゃあ私はどうなのよ?」
たぶん諏訪子以上にチルノをボコッてきたという自負がある。
だから、あきれ顔でそう尋ねたのだが、チルノは何も分かっていないのかきょとん、と首を傾げて無垢な瞳で見つめ返してきた。
突然向けられた子供特有の無垢な瞳に、ドキリ、と霊夢の心が思わず跳ねたが―――
―――いや、うん大丈夫。私は文みたいにロリコンではないわ。
心を叱咤すれば、それを打ち消すように鴉天狗をちらり、と盗み見た。
「……霊夢さん。何か失礼なこと考えていませんか?」
「あら、気のせいよ?文」
なんとも微妙そうな表情を浮かべる文を敢えて無視し、だから、とチルノに語りかける。
「私も散々あんたの事負かしてきたでしょう?諏訪子と変わらないのに、なんで私のところに来たのよ?」
え、とチルノが不思議そうに目を丸くした。
分かりやすく説明したつもりだったけど伝わらなかったらしい様子に思わず呆れる。
やっぱり今度河童にチルノ翻訳機でも作ってもらおうか……いや、無駄か。
どうしたものかしらね、と頬をぽりぽりと指で掻いていると、だって……とチルノが呟き
「れーむは友達じゃん」
「……え?」
何を今更言ってるんだ、という風に返された言葉に、思わず目を丸くした。
そのまま数秒間ほど思考が停止したが、はっ、と小さく息を吐き出すと自嘲的な笑みを浮かべた。
ったく、これだから妖精は―――
好きなことを好きなときに好きなだけする。
そんな本来自由奔放で何者にもしばられない妖精の性質を思い出せば、はぁ、と深い溜息が出た。
「何であんたみたいな妖精と私が友達なのよ」
「え、ええ?!れーむ嬉しくないの?!あたいだよ!あたいが友達なんだよ?!」
訳がわからないよ、と一気にまくし立てるチルノ。
噛み付かんばかりの勢いでズイッと乗り出してきた小さな体を、ひらひらと手を振って適当にあしらった。
「嬉しいわけないでしょ?まったく」
「むー……っ!れーむのばかっ!」
知らないもん!と言い捨ててチルノが縁側から飛び下りるが―――
「あ、チルノさん、そこは―――」
「って、あつっ!?あつっ!!?」
下駄が揃えられていた沓脱石もまた、太陽で十分熱されていたようで。
着地した途端、チルノは石の上でピョンピョンと跳ねながら慌てて下駄を足に引っ掛けている。
それを見て、遅かったですねー……と少し可笑しそうに文が呟いた。
「っ!はかったな、れーむ!」
「……ばーか。私は何もしてないわよ」
「馬鹿って言うなー!!」
と。
一つ叫ぶと、カコカコと下駄で音を立てながら神社の出入口である鳥居に向かって走り出すチルノ。
段々と遠ざかる小さな背中を、何処か浮ついた心のまま霊夢は見詰めていた。
予期せぬ言葉に一瞬止まるかと思った心臓が未だにドクドクと脈打っている。
まさか、チルノからそんな言葉を受ける事になるなんて―――
「―――霊夢さん?」
飛び出していったチルノの後を追おうと立ち上がり、夏の日差しに身を晒した文が振り返ると、瞳に柔らかな光を宿し尋ねてきた。
「チルノさんに、お礼を言わなくていいんですか?」
「……あんたもなかなか残酷なこと言ってくれるじゃない、文」
「ふふふ……そうですか?ああいうことを普通に出来るから、私はチルノさんが大好きなんですよ」
「ただ単に何も考えてないだけでしょ、バカバカしい」
思わず顔を顰めて、そんな暴言のような言葉を吐き捨てた。
その言葉を素直に受け取る事を邪魔しているのは、己の心の狭さ故なのかもしれない。
けれども、分かるでしょうに、と軽く文を睨みつけると、やれやれ、と言わんばかりに軽く肩を竦められた。
そんな天狗の仕草を苦々しく思いながら、確かに、と霊夢は思った。
確かに、チルノはそうなのだ。
何処までも子供っぽく、無駄に真っ直ぐ過ぎる。
時には、馬鹿としか思えぬほど―――
「あーやー!もう、早く行こうよ、お祭り!!れーむなんてほっといてさっ!」
「はいはい、ただいま参りますよ~」
すでに石段のすぐ側の鳥居まで遠ざかったチルノの声。
その声に連れられるように、文の背中が境内の外へと通じる場所へとゆっくりと移動していく。
その遠ざかる背中を見詰めながら、はぁ、と深い溜息を吐いた。
(本当に。自分勝手なんだから―――)
勝手に友達と言ったり、勝手に放っておこうとしたり。
やれやれと思いながら投げ出していた足を揃え、ゆっくりと立ち上がると途端に一瞬目の前が暗くなる。
今まで座り込んでいた所為か、立ち眩みを起こしたと分かれば慌てて柱を片手で掴んだ。
「ったく……幾らなんでも老けるにはまだ早いでしょ」
苦笑を浮かべ、一言愚痴を零せば、柱を掴んでいるのとは反対の手を、少しでも届けと口に添え―――
「チルノっ!」
蝉の鳴き声以外は静寂の境内に、思った以上にその声は響いた。
文が歩を止め、僅かに振り返り目を細めて視線を寄越してくるのが分かる。
(あんたはどうでもいいでしょうに……!)
その何処か人の心を見透かしたような天狗の視線には若干腹立った。
先程スタンバイさせておいた御札を投げつけてやろうかと一瞬考えたが、いくらなんでもそれは大人気ないし、今重要なのはそっちじゃない。
文から視線を逸らし、改めて目を細めて鳥居の側で待つチルノを見詰める。
神社の静寂を突き破っただけあって、チルノにも先の声は十分届いたようで、何か用?と言わんばかりにきょとん、と見返してきていた。
すぅ―――
一度、大きく息を吸い込み、叫ぶように告げた。
「―――ありがとうッ」
伝えられなかった言葉を。
慣れない事をしているという自覚はある。
ただ、勝手に頬が熱くなるのは夏の日差しのせいだ。
チルノは、最初何を言われたのか分からなかったようで目を丸めていたが、すぐにえへへ!と人懐っこい笑みを浮かべた。
「わたあめお土産に買ってくるね!れーむっ!!」
「杏飴が良いわッ!!」
境内の端と端での会話のやりとり。
お互い、怒鳴るような精一杯の声を張り上げて、いつしか霊夢も自然と笑みを浮かべていた。
だがしかし。
分かったー!と手を振るチルノに対し、丁度二人の真ん中にいた文はちょっとちょっと!と待ったをかける。
「いやいや霊夢さん?!どさくさに紛れて何お土産のリクエストしてるんですか?!」
「あら、私は文ではなくチルノにリクエストしたんだけど?」
境内のど真ん中で立ち往生し、文が慌てたように声を荒らげる。
「それって結局、私がお金出すって分かってますか?!」
「うるさいわよ、ロリコン。どうせチルノにせがまれたら買うくせに」
「言ってることに否定は出来ないけど敢えて口に出すなんて最低だ、あんた!?」
口うるさく喚く鴉をふふん、と鼻で笑い飛ばせば、さっさと行けと、しっしっ、と手を振る。
やられっ放しは性に合わない。
どうにも年長者らしく全てを悟ったような態度の天狗に、多少なりともやり返す事が出来れば正に溜飲が下がる思いだった。
「さっきの仕返しよ。そんなことよりロリコン?恋人がお待ちかねのようだけど?」
「あーやーっ?」
「っく!ええい、この借りはいつか必ず返しますからね!」
「借りたなら現金で返してもいいのよ?」
返すかバカヤロー?!と言い捨ててチルノの元へわたわたと足早に歩いていく文を見る。
何だかんだで、あれは尻に敷かれるタイプなんだろう。
「文、おそーい」
「すみません、ちょっとあの脇巫女と一悶着がありまして―――」
「それよりロリコンって何?文ロリコンなのー?」
「忘れましょう!今すぐその単語を!早急に!!」
「ロリコンを?なんでー?ねえねえ、ロリコンって何?ロリコンー」
「ああああああああああ、そんな連呼しないで?!」
ぎゃいぎゃいと騒がしく言い合いながら、バカップルの姿が石段の向こう側へと消えるのを待って、ふぅ、と一つ息をついた。
「………」
途端に、先ほどまでの喧騒が掻き消え、再び蝉達が命を削って上げる大合唱だけが神社を包んでいる。
風の音も無く、改めて意識して聞いてみると、耳が痛い程の蝉時雨だ。
トンッ、と柱に体重をあずけ、なんともなしに天を見上げる。
そこには、夕暮れの気配を感じさせるものの、どこまでも青い夏の空が広がっていた。
「私は嬉しかった……のかしらね」
誰へ伝えるでもなく。
目を閉じながら小さく呟けば、きっとそうなんだろうな、と心の何処かで確信した。
あの天真爛漫な妖精の一言が、嬉しかったのだと。
「―――ああ、らしくない。大声出して喉も乾いたし、お茶にしましょ」
そうだ、それがいい。
自分に言い聞かせるように声を出せば、その先程の思いを振り捨てるように首を左右に振って霊夢は台所へと向かう。
確かこの前紫が置いていったお茶っ葉があるはずだ。
「あやはロリコンなの?!そうじゃないの?!」
「もう許して下さいよぉぉぉ~………!」
風に乗って届く叫びに、霊夢は知らずに楽しそうに笑みを浮かべる。
お茶受けは、何が良いだろうか。
そんな事を考えつつ。
ゆっくりと居間へと続く廊下を歩きながら、ポツリ呟いた。
「……騒がしいバカップル共が」
次来た時はお茶ぐらい出してやろう。
遠くの声を届けた生ぬるい夏風が軒下を吹き抜け、今日初めて風鈴が、ちりん、と小さく鳴った。
とても素晴らしかったです!
》首の一つや二つはポロリと逝ってしまう
豊久「ガタッ」
夏が舞台なのも良いですが、時期的に次はクリスマスが良いなと提案してみたり
茶請けは甘々なバカップルで決まりですよ。
最後には素直になれる霊夢も素敵です
>チルノの浴衣姿
大変よく伝わって参りました。似合いそうだなあ。