徹夜をして、ゴリアテ人形に食事の咀嚼機能、消化機能、排泄機能をつけたアリスは落ち込んでいた。
頭がおかしくなっていたのだろうか。身の丈3メートルのゴリアテ人形が、ハンバーグやお菓子を口に入れて(あと野苺とか)、もきゅもきゅとよく噛んで飲み込む姿は大変にかわいらしいものだったが、うんうんするのはよけいだった。
大きなゴリアテ人形から大きなうんこが出てくるのはさながら噴火した活火山から溶岩が出てくるような光景で、ちょっぴりドキドキはするものの、かわいいという概念の範疇からは外れている気がする。
しかし作ってしまったのはしかたがないので、ここはひとつ、自分以外の誰かに見てもらって判断を仰ぐことにした。
「で、何で私なのかしら」
「霊夢は面倒がって引き受けてくれなそうだし、魔理沙やパチュリーだと、面白がって分解しちゃいそうでしょ。その点あなたなら、瀟洒な瞳で冷静にゴリアテのうんこを見つめてくれると思うのよ」
「あのねえ……」
咲夜はため息をついた。頭がおかしいのではないだろうか。
その昔、『真珠夫人』というメロドラマがあって、妻が夫の浮気(精神的な)に嫉妬するあまり、多少おかしくなってしまって、たわしをコロッケと言い張って夜の食卓に出したことがある。そのときの夫の台詞が「お前、頭がおかしいんじゃないか?」だった。
だいたいそれと同じくらいには、この目の前の人形製作者は、頭がおかしいのではないかと思った。
「アリス。よく聞いて。これは私が外の世界で宝塚の男役を演じていたときのことなんだけど……」
「初耳なんだけど、それ」
「あの頃は大変だったわ……」
咲夜は過去を話しだした。男役として、「十六夜 咲夜」というヅカネームで舞台に立っていた毎日。クールでビューティーな美貌だったので、ファンがたくさんついて、ファンレターやプレゼントをたくさんもらった。熱心なファンは追っかけとして、舞台がはねたあとの出待ちをしたり、稽古場や楽屋に入るときに写真を撮りに来たりした。宝塚ファンはしきたりがきびしい集団なので、あまりファンキーな行為をするものはいなかったが、それでもときどきは暴走する乙女が出るもので、咲夜は一度、トイレの音を盗聴されたことがある。
「私の咲夜様はうんうんなんかしない! 百歩譲ってするとしても、こんなブリブリーッて音なんか立てない! なんて言って泣き喚かれてねえ。心底困ったわ」
「成る程」
「だから、何をとち狂ったのか知らないけど、人形にうんうん機能なんかつけないものよ。私だってできればいらないんだもの。わかったら家に帰って、キャストオフ機能をつけるなどの魔改造を繰り返しなさい」
「レミリアの許可はとってるんだけど」
「ファック!」
咲夜は嘆いた。おおかたお嬢様のことだから、これもまた運命のひとつ、とかいってあまり話を聞かずにOKしたのだろう。主が適当でわがままだと、従者は苦労する。この前も、「カバと戦いたいからアフリカに行く」など言って屋敷のみんなを困らせた。
頭をかかえて苦悩しているうちに、アリスはさっさと帰ってしまった。とりあえずひと月くらい、様子を見ていて、とのことだった。ゴリアテ人形を見ると、大きな体を縮こませるようにして、ちょこんとソファーに座っていた。もちろん、ソファーはゴリアテの体には小さすぎるので、おしりのほんのちょっとの部分をわずかに乗せているだけで、けっこう無理があった。しかたなく、咲夜は時を止めて、美鈴に会いに行った。美鈴は寝ていた。ナイフで起こして、大きな椅子を作るように命じた。ゴリアテのいる応接間に帰る途中、あのサイズのものの使えるトイレは紅魔館にないな、と気づいて、それも発注しに美鈴のところへ戻るとチルノと遊んでいたのでもう一度ナイフを刺した。
◆
一週間経った。ゴリアテ人形は体のサイズに比例するようにして、実によく食べた。レミリアやフランドールが、面白がってどんどん食べさせるのもある。ハンバーグにカレー、パスタにステーキ、和食で言えば納豆やアジ、アスパラガスやきゅうりやはくさいのアボガド&たらこ添えなんかも好き嫌いせずにいっぱい食べた。大きな手に合う箸やフォークを使って(これは持参してきた)、ふつうの人並みサイズの料理を次々とたいらげていく姿はとてもかわいらしかった。食べ終わったあとに、ナプキンで口の周りを拭くのも、しつけの良さをうかがわせる実に上品な所作で、これは感動した吸血鬼姉妹がまねて同じようにやりはじめたので、咲夜は教育上の感謝の念をいだいた。
ただ、食べるのと同じくらいたくさん出した。小さいほうは、えっ何これ水芸の一種? と思うくらい勢いよく大量に噴出するし、大きいほうはセントヘレンズ山の大噴火と見まがうばかりであるので、美鈴の作ったどすこいサイズのトイレが間に合わなければ、悲惨なことになっていただろう。
律儀にゴリアテのうんうんする姿を見つめながら、咲夜は考えた。
人形がうんこをする意味とはなんだろう。食べ物からでなくても、エネルギーは摂取できるはずだから、必要のない無駄な機能である。しかし実際にゴリアテはうんうんをする。ときどき出が悪いときがあるようで、そんなときは乏しいパターンの中からそれっぽい真剣な表情を選んで、うーんとうなったりもする。見ていると、なんだか妙な気分になってくる。
「ねえ。あなたは、うんこしたい?」
返事はない。ゴリアテ人形はしゃべれないのだ。ただ咲夜を見つめ返して、きょとんとした表情をしているように見える。
「しゃべる機能をつけるほうがどう考えても先だと思うけど……まあ、あのいかれた人形遣いに、そんなことを望んでも埒があかない。あなた、食べるのは好きそうね。私も好きよ。でも、うんうんは、あまり好きじゃないのよねえ」
すとんすとんとした排便が毎朝あればどんなにこの世は明るいだろう……と考えながら咲夜はゴリアテに話しかけつづけた。ゴリアテはやっぱり、何を言われているかわからない、といった顔で咲夜を見つめている。パンツをおろして、便座に座ったままの格好なので、はたから見ればかなりの変態的なシチュエーションに見えた。
瀟洒な自分がこんなことをやってていいんだろうか。ふとそういう疑問が頭をかすめて、咲夜は落ち込みかけたが、しかしそんなことでどうにかなるほどデリケートな精神構造をしているわけでもなかった。幻想郷に来てから、このような異常事態には不本意ながら慣れてしまっていて、実はだんだんファイティングスピリットが湧いてきているほどだった。
「ちゃんと拭くのよ」
と声をかけてから、咲夜はレミリアとフランドールの下着の洗濯に戻った。
次の日から、ゴリアテのうんこは出なくなってしまった。
◆
食事は以前と同じくたくさん食べる。でもうんうんをしないものだから、ゴリアテの腹はだんだん膨れてきて、妊婦さんのようになってしまった。
どんな素材でできているのだろう、とお腹を触ってみると、硬いのにやっぱり柔らかい、という独特な感触で、パチュリーが「賢者の石に似ている……もしくはメタルスライムのような……」と感嘆するほどだった。洋服のサイズが合わなくなってしまって、これは大ざっぱな美鈴に任せるわけにはいかないので、咲夜が手ずから縫い直してあげた。
「困ったわねえ。長い便秘ねえ」
もう、二週間も出ていなかった。咲夜がこういう状態になると、腹が痛くなり、肌の調子が悪くなり、かなりの不快感がずっとつきまとう。ゴリアテはというと、肌荒れこそないものの、やっぱり辛そうにしていた。起き抜けにたくさん水を飲ませてみたり、温野菜をとらせてみたり、運動不足解消のため美鈴と手合わせをさせてみたり(たまに勝った)、マッサージやストレッチを試してみたりと、いろいろなことをやったがやはり出なかった。アリスを呼ぼうかと考え、魔法の森に使いを差し向けたが、留守にしているようで連絡が取れなかった。ゴリアテは今日も、どすこい便座にこしかけ、うんうん唸っている。
「うんうんが出ないと、辛いのよね」
「そりゃあもう」
「私は経験がないけど、咲夜はしょっちゅうだもんね」
ゴリアテのトイレは中庭にある。屋敷の中に作るにはサイズが大きすぎたので、屋外に設置するしかなかったのだ。咲夜のさしかける日傘の下で、レミリアはしゃがみこみ、膝に肘をついて顔をささえながら、ゴリアテをじっと見ていた。
「そういえば、咲夜は昔タカラジェンヌだったって聞いたけど、ほんと?」
「うっそっよね~ん」
「そうか。しかしさ、あんまり食べさせないほうがいいのかな」
「でも、食べるのは好きみたいで、止めても食べちゃんですよね」
「毎度毎度、これが最後の食事だーみたいに、ばくばくばくばく幸せそうに食べるわね。まるでどこかの亡霊みたいに。お腹ぽんぽんになってるのも、かわいくていいんだけど。辛そうなのは、可哀そうよねえ」
まさかお嬢様とともに巨大人形の排便シーンを観察できるとは……と、ひそかに興奮していた咲夜に、咲夜、とレミリアがふいに声をかけた。
「この人形には、自我があるの」
「さあ……咲夜にはわかりかねます」
「食べるのが好き、とか、うんこが出なくて辛い、とか、意識がないとわからないことじゃない。あいつ、もう、自律人形を作れてるんじゃないの」
「言われてみれば、そうですね」
うんこがつまって発見される自我というのもどうかと思うが、成る程考えてみれば、ゴリアテはアリスから離れて三週間になるのにきちんと自分なりに行動できていて、ご飯を食べたいときは食べたそうに咲夜の袖をひっぱるし、食器を扱って自分で料理を食べられるし、トイレに行きたいときは自分で行く。不調そうだし、不調の原因はふんづまりだと自分でわかっているようで、うんうんを出すようにうんうんがんばっている。他にも妖精メイドや、フランドールの遊び相手を積極的にこなすし、それで体が汚れれば、お風呂に入ったりもする。人間や妖怪並みとは言わないけれど、小さな子どもくらいの頭はそなえているんじゃないかと思われる。
でも、それで自律しているといえるのだろうか。
たとえば、ゴリアテはアリスの技術で、こういうときはこう、ああいうときはどう、と、さまざまな反応にたいする行動を、ものすごい密度で詰め込まれているだけかもしれない。だから一見、自分で考えて動いているように見えても、ほんとうは決められた行動しかとれない、ただの自動人形なのかもしれない。
お腹が空いたと信号が出れば、ご飯を食べようとする。つまってくれば出そうとする。好きとか嫌いとか、楽しいとか辛いとかだって、こちらからするとそう見えるというだけで、ほんとうにゴリアテ自身がそう感じているのか、わからない。刺激に対して自動的に反応しているだけの、やっぱりただの人形なのかもしれない。
でも、それは、と咲夜は考えた。自分たちだって同じではないだろうか。
メイド稼業も長くやっていると、たいていのことはことさら意識せず、自動的にできるようになる。掃除だって料理だって、何度もこなしていることを自動的にやっているだけで、いちいち考えて手を動かしたりはしない。お嬢様のパンツを洗うとき、いちまいくらいくすねてもばれないんじゃないかな、と葛藤するのも、毎日のことで、もはや日常業務のプログラムに組まれているくらいの勢いだ。
自分のことならば、まだ手がかりがある。咲夜は自分が自律しており、意思があって、物事を自分なりに判断できると思っている。でも、突き詰めていうと、自分のこと以外はほんとうにはわからない。
前にパチュリー様に聞いた話で、「中国語の部屋」というものがあった。
どんな話だったっけ。
たしか、英語しかわからない人が、ある部屋の中にいる。その部屋には中国語がわからなくても、与えられた文字を書いてあるとおりに置き換えると、完璧な中国語の受け答えができてしまうワンダフルな説明書があるとする。つまりこの部屋にいる人は、中国語がまったくわからないにもかかわらず、中国語の質問に中国語で受け答えができることになる。
受け答えができることがそのまま、その物事を理解していることの証明にはならないのだとするたとえで、つまり機能をそなえていることがそのまま知能や、心をあらわすものではないとする話だった。
けれどこの話にはたしか、それは部屋と中の人を別のものとしているからそう見えるだけであって、中の人と中国語マニュアルを複合させたその部屋を全体として見ればそれは中国語を理解していないと証明されてはいないという反論があって……考えが散漫になって、よくわからなくなってしまった。
見かけ上、心があって、自律していると見えるものは、ほんとうにそうなのだろうか。ゴリアテについては、アリスに聞けばわかるのかもしれない。けれど自分自身や、もしかすると目の前のお嬢様についても……実はわかっていないのではないだろうか。もしかすると、とても複雑で、大変な配列構造だろうけど、実は私たちも、与えられた刺激にたいして一定の反応を返すだけの存在なのかもしれない。
お嬢様は運命が見えるという。どういう仕組みで、どういうふうに見えているのか、咲夜にはわからない。でもそれが、未来を見通すような能力で、自分や他人の成り行きが前もってすべて見えているのだとすれば――お付きのメイドが日夜少女のパンツに興奮しているのも知っているかもしれないし、ゴリアテがこうして、うんうんのためにうんうん唸るのも、ずっと前からわかっていたのかもしれない。そしてこのときに、咲夜がこういう考えに陥るだろうことも。
とすると、アリスの依頼を軽く了承したのにも、なにかの意図が――でもそれはずっと前から決められていた反応で――機械のような、人形のような――と、考え込んでいたところで、またレミリアが話しかけてきた。
「咲夜」
「はい」
「食べたあとに出ないうんこは、どこに行くの」
「お腹のなかです」
「じゃあさ」
レミリアは、悪戯っぽく笑った。
「目覚めたあとに、忘れてしまう夢はどこへ行くの?」
「え?」
「私は昨日、夢をみたよ。きっととても幸せな夢だった。たぶんフランドールが出てきた。パチェも、美鈴も、咲夜、お前もいたよ。たぶんね。忘れてしまって、思い出せないんだ。でも目覚めたあとも、ずっと幸せな気分が残っていて、だからとてもとてもいい夢を見たんだと思った。苦労して思い出そうとしたけど、だめだった。けれどそれで、私は今日、とても幸せな気分でいられるよ。咲夜は夢を見るの?」
「それは、見ます」
「どんな夢? 忘れてしまう夢は、ない? どんな夢を見ると、お前は幸福な気持ちになるの?」
咲夜は言葉に詰まってしまった。昨日どんな夢を見たのか、思い出せなかった。見なかったのかもしれない。
どんな夢を見ると、自分は気持ちが良くなるだろう。きっとお嬢様に一生お仕えする夢だ。美鈴ならどうなのだろう。門を守る夢だろうか。門を守りながら寝ているので、何を考えているんだか、どんな夢を見ているんだか、今度訊いてみるのもいいかもしれない。
パチュリー様は、夢の中でも本を読んでいるだろうか。小悪魔はどうなのだろう。もしかすると、パチュリー様とねちょいことをする夢を見ているかも。ほか、たとえば風見幽香なら、幻想郷をお花畑でいっぱいにする夢を見るだろう。霊夢はお茶を飲む夢。魔理沙は、霊夢に勝つ夢を見るかもしれないし、それとも全く別の、咲夜は知らない夢があるのかもしれない。
アリスは、自律人形を作る夢だろうか。まだ完成していないような口ぶりだし、するとゴリアテ人形は――ゴリアテ人形は、夢を見るのだろうか。
しゃがんだまま、左右の足の裏を地面に擦って動かして、レミリアはゴリアテに近寄った。
「ゴリアテ。ゴリアテ人形」
返事はなかった。
「もう一週間程でアリスが帰ってくるよ。お前を引き取りに来る。そのとき、お前のおなかがぽんぽこりんだったら、アリスはどう思うだろうね。
ゴリアテ。あのね。自分の運命を思い描いて、それを実現するような行動をしなさい。
お前が食いしんぼうなのは知っているよ。でも、目の前の誘惑に打ち勝つような、自分自身の物語を、お前は作りあげなくちゃいけない。アリスはお前にそれを望んでいるんだよ。
わかった?」
「……ゴリアテー」
おそろしく小さな、蚊の鳴くような声だったけど、ゴリアテ人形が突然しゃべったので、咲夜はびっくりしてしまった。
次の日の朝、ゴリアテ人形は朝ごはんを食べなかった。そのあと猛然とトイレに駆け込んで、盛大に排便した。二週間溜まっていたものが一時に出たので、流れないんじゃないかとひやひやものだったが、しかしみんな安心した。ゴリアテはあいかわらず乏しいパターンの、けれどなんとなく、誇らしそうな、それにどことなく、恥ずかしそうに見える表情を作った。
◆
しかし、困ったことに、今度はゴリアテはちっともものを食べなくなってしまった。
咲夜は頭をかかえた。
今まで、一日の食事に象一頭分くらいの量を食べていたゴリアテが、ひいき目に見積もってもコアラ一匹分くらいしか口にしない。最初のうちは、まだ調子が悪いのかな、とほっぽっておいたが、何日もつづくとなると、心配になってしまう。水だけはたくさん飲むので、おしっこは出るが。
咲夜はまた、排尿しているゴリアテをまっすぐ見つめて話しかけた。
「ねえ。食べたって、必ず便秘になるわけじゃないのよ。あなたお食事好きでしょう。ちょうどいいくらいなら、食べたってぜんぜん平気なのよ」
ゴリアテはこたえない。水芸よろしいおしっこの音を響かせながら、咲夜を見つめかえしている。困ってしまった。
またレミリアお嬢様にお願いしようかな、とも少し考えたけど、前回お手をわずらわせてしまったのだから、そんなに頼るわけにはいかないという気持ちもあった。そうこうしているうちに、今度はパチュリーがやってきた。相談してみた。
ふだん図書館からまったく出てこないパチュリーも、ゴリアテが来てからは、三日に一度はこうして姿を見せるようになった。技術上の興味以外でも、ゴリアテを気に入っているのだ。
「そうねえ。しゃべらない相手とのコミュニケーションは難しいわね。ジェスチャーや表情だけでは、伝えたいことのすべてがわかるとは言えないし」
「実はそのことについて、以前にパチュリー様が仰っていたお話を思い出したのですが……」
「ああ。『中国語の部屋』の話ね。目の前にいる相手が、ほんとうに意識/知能/心を持って行動しているのか、実はわからない。それはもしかすると、そういうふうに見えるように振舞っているだけかもしれない、という……。まあ、恋人の愛情を疑う女の子みたいな疑問よね」
「まっ」
「あなたがほんとうに私を愛してくれているのか、わからない。証明してみせて! と言われても、言われたほうではどうしていいかわからない。実はこの問題にたいして、古来より数多くのおっさんが口をそろえて主張する解があります」
「それは、どのような」
「『××してみればわかる』」
「何を言い出すんですか。だいたい何ですか、その××って」
「伏せ字よ。大人なんだから、そのへんは察しなさい」
「(うんこはそのままなのに?)」
紙で拭いて、パンツを上げようとしているゴリアテにパチュリーは近づき、大きな手に自らのチョークみたいに白い手を乗せた。まさか本気で××する気ではなかろうな、と咲夜は少しおののいた。
「ねえゴリアテ。あなたが来てから、レミィは退屈が紛れたみたいだし、妹様はものを壊すひまがないほどはしゃいでるしで、感謝してるわ。今度は私があなたの役に立たねばね」
ゴリアテから手を離し、少し下がると、パチュリーは口の中でぶつぶつ呪文をつむぎはじめた。その後に手をかざすと、どすこいトイレの前面に、開きっぱなしの扉のあとを埋めるようにして大きな鏡があらわれた。
鏡には咲夜とパチュリーがうつっている。ゴリアテはその後ろに完全に隠れて、姿が見えなくなってしまった。何のつもりなんだろう? ゴリアテが、見られながら排泄をするのに、今さら恥ずかしくなったというのだろうか。でもそれなら、扉を閉めればいいだけではないだろうか。
「この鏡はマジックミラーになっている」
パチュリーが口を開いた。
「昔見た映画の話よ。あるひとりの中年男性が、逃げた妻を探している。妻はとある町の、風俗店で働いていて、男性はやっとのことでそのお店を見つけるの。そしてお客としてお店に入り、自分の妻を指名する。ええと……逆だったかも。お客としてたまたまそのお店に入ったら、妻が出てきたのかもしれない。どっちにしろ、困った話ね。
咲夜、あなたは、のぞき部屋、って知ってる?」
「まっ」
「知ってるようね。お客の入る小部屋と女がいる部屋とはガラスで仕切られている。だから男は、妻に手を触れることができない。でも、とりあえず見ることはできる。そのガラスはある特殊なガラスになっていて、暗いほうから明るいほうを眺めることはできるのだけど、その逆に、明るいほうから暗いほうを見ることはできない。
ここにひとつの魔術、ひとつの幻術がある。
客になった男は暗い部屋にいて、明るい部屋にいる女を見ることができる。けれど女は決して客を見ることはできない。彼女の目に見えるのは、鏡になったガラスにうつる自分の姿だけ。
かつてふたりは夫婦だった。短い間だったかもしれない。ふたりは同じ家に住み、同じベッドで眠り、同じものを見て笑っていた。そしてふたりは別れ、ちがう町に住み、ちがう時間を過ごして、ちがうものを見て、ちがうことどもに涙したでしょう。
今、ふたりはほとんど同じ場所にいる。でも、彼には彼女が見えるけど、彼女には彼が見えない。彼には彼女が誰だか分かる。けれど彼女には彼が、ガラスの向こうにいるのが誰なのか、あるいは本当に誰かいるのかさえわからない。彼らは出会いようのない場所で、出会ってしまった。なのに、ふたりはたった今、まるで同じものを見ている――ガラス越しの/鏡に写った、ひとりの女の姿を。
悲しい話だと思うかしら。でもこれは、お話なんかじゃないのよ」
パチュリーが何を言っているのか、咲夜にはわかるような気がした。これはパチュリー様が見た映画の話。
映画のスクリーンに、彼女はうつっている。暗い部屋にいるのは、彼と、そして私たちだ。私たちはスクリーンにうつった彼女を見る。
こちらから見える彼女の姿に、たとえば私たちは、恋だってできるだろう。でも、彼女からは私たちが見えない。彼女は、こちら側に――『向こう』に――誰がいるのか、知ることができない。
そしてそれは、私たち自身のことでもある。
「というようなネタを思い出したから、なんとなく仕掛けてみたのだけど……ゴリアテ、聞こえる?」
こんこん、と、パチュリーは鏡をノックした。鏡にうつったパチュリーが本物に近寄って、お互いに叩き合っているように見えた。ゴリアテからはこちらが見えている。今までとは逆で、今度はこちらが見つめられる側なんだと思った――
でも、ほんとうにゴリアテが、この向こうにいるのだろうか? 私たちは明るい側にいるから、ゴリアテの姿が見えない。咲夜とパチュリーは、今この場所で、明るい部屋に入った、ふたりの女の子だった。暗いほうの部屋の中に誰がいるのか、あるいは誰もいないのか、ほんとうにはわからない。
私たちは常にこういうことをしている、と、咲夜は思った。ぱちぱちと明暗の入れ替わる、半透明の鏡に隔てられたふたつの小部屋の中で、お互いに立場を入れ替えながら、見つめたり、見つめられたり、話したり、耳をすませたりする――そして見つめられるとはこういうことなのかもしれない、と思った――視力を失い、盲目になること。
でも、今、声を出すことはできる。そして同時にはできないけど、声を出したあとに、耳をすますことも、咲夜にはできる。
「ゴリアテ、どうしてご飯食べないの? 何を気にしてるの?」
鏡越しに、声をかけた。そして待った。とても小さな声で、トイレの中から返事が聞こえた。
「……ダイエット」
悪いな、と思いながらも、咲夜とパチュリーは顔を見合わせて、笑ってしまった。
野苺と剣侠ロケットを思い出した
いや、人間の真似って事か
アリスは、そのまま可愛らしさをエネルギーに変換できる機能をつけるべきだった。
興味深い話だったんですが、なんとなくすっきりしない、話に綺麗にまとめきれてない印象が。つまり、そう残尿感が。
その様子がまざまざとまぶたに映し出されて、大変なことになったじゃないか!(腹筋も、僕の昨日の夕食も、今日の朝食も)
前回も今回も下ネタで、もう、許さない!!いつか思い知らせてあげる!
どうしたらこんな話が思いつくの
……中盤までの勢いで押し切るかと思いきや、最後で抽象的な話が続いて頭が冷静になってしまいました
すごく評価に困ります(いい意味で)