Coolier - 新生・東方創想話

やらないか

2011/11/25 23:49:14
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「……ふぇ?」

 その言葉を聞いた途端、私は思わず気の抜けた返事をしてしまいました。
 鼻を優しくくすぐっていた紅茶の香りも一瞬忘れて、ぽかんと口が半開きになります。
 するとそんな私を見かねたのか、魔理沙さんが繰り返しました。

「だからさ、やらないか?」

 どうやら幻聴の類ではなかったようです。
 しかも彼女はさも壮大なことを言い終えたという態度で、にんまりと笑います。
 ですが当然のこと、私にはさっぱり理解できません。あまりに脈絡がなさすぎです。
 そんな時に、膝上で丸くなっていた温かいモノがむくりと頭を起こして、

「にゃあ」

 と一声鳴いたのです。
 二股の尻尾をお腹の方に隠し、くわぁ~と欠伸をしながら、寝ぼけ眼で見上げてきます。
 お燐です。猫です。ああ可愛らしい、あなたのその表情だけで心がふわふわしてもわもわして、挙句の果てにはぴくぴくしてしまいますよ。あえて言葉にするなら「ら、らめぇ~! 撫でるの我慢できなくなっちゃうぅ~!」でしょうか。
 だけど私は、感情に任せて撫で回すような素人ではありません。
 黒くて艶やかな毛並みを首から腰にかけて、ゆっくりと撫で下げます。日ごろからブラッシングとお手入れは欠かさないので、手触りは抜群です。欲を言えば、もう少し積極的にお風呂に入ってもらいたいのですけどね。
 するとお燐は気持ちよさげに喉を鳴らし、再び目を閉じました。
 私には分かりました。この子はまた眠るつもりなのだと。

 何故分かったのかといいますと、心を読んだからです。
 言葉にならない想念、言葉になっている思考、煩雑として定まらない心象。
 私の能力はそれらを読み取り、表層に浮かんだ心を目や耳ではなく、同じく『心』で受け取るのです。
 言語化されていないそれを言葉で、浮かんだ情景を映像で、さらには知識の有無までも調べることができます。
 だからお燐の心も、それらを組み合わせて知ったのです。えへん。
 この子は『まだ寝足りないなぁ~』と思っています。起きているならば整理整頓されているはずの意識が、徐々に滲んだ絵画の如くぼやけていきました。これは要するに、再び眠りに付こうとしている証拠なのです。

 さすが私。他人からは忌み嫌われようとも、便利で手放せない能力です。
 これがあれば相手がどれほど腹の底を見せなくとも、あっという間に丸裸に……

「あっ」

 ――と、ここまで考えて思い出しました。
 そうでした。私は心を読むさとり妖怪、古明地さとりだったのです。




 そろそろ地上では木枯らしが吹き始めた頃でしょうか。
 最近はとんと涼しくなり、もはや夏の気配すら思い出せなくなってしまいました。
 あれだけミンミンミンミンと口喧しく鳴いていたセミはどこへ行ったのでしょうか。
 まるで生き物の体内にいるかのような猛烈なまでの熱波は、浴びているだけで焦げ付きそうなほどの直射日光は、いくら水を飲んでもそのまま汗になって流れ出るような夏は、いつしか過ぎ去っていました。
 そして近頃、もっとも気温が安定していた秋も別れの挨拶を告げてきます。
 一週間もすれば地底にも雪が積もり、夏に匹敵するほどに辛い季節が来るのでしょう。

 まあぶっちゃけ、地霊殿に引きこもっているので関係ないんですけど。

 ですがそんな私にも、外の季節を感じられる時があるのです。
 それが目の前でのんびりとお茶を飲む地上の魔法使い――霧雨魔理沙と共にすごす時間です。
 私のペットが起こした異変が原因で出会ったのですが、話してみると意外と波長が合って、今ではそれなりの頻度で交流する仲となりました。お茶をしながら語り合い、たまにボードゲームをするなど、実に他愛もないものばかりです。
 ときどき四季折々の食べ物をおすそ分けしてもらったりと色々と懇意にさせてもらっているので、すごく感謝してます。葡萄や栗、脂が乗った鮮魚……思い出すだけでよだれが出てきました。

「こほん」

 それはともかく。
 そんな感じで今日も訪問してくださった魔理沙さんに、いつものように紅茶を振舞ったのですが。
 席に着くなり彼女から、先ほどの不可解な台詞を頂いた次第であります。
 つまり「やらないか」と。
 それが何を意味するか理解の外だったのですが、私はようやく思い立ったのです。
 自分の能力で明らかにしてしまえば、すぐに分かることじゃないかって。

 ですが、一応礼儀ということもあります。
 私はさも申し訳ないといわんばかりに眉尻を下げ、懇願するように聞きます。

「魔理沙さん、心を読んでも構いませんか?」

 すると彼女は意外そうな顔で、逆に聞き返してきました。

「なんだ、まだ読んでなかったのか。さっさとしてくれよ。説明できないじゃないか」
「はぁ……そうですか」

 そんな心遣いも一蹴されてしまいました。
 ですがまあ、嬉しくはあります。この能力のおかげで他者から嫌われている身としては、彼女のような存在はとても好ましいです。
 では遠慮なく、と前置きしてから、左胸にある第三の眼をしかと見開きました。



「――ああ」

 そして、心奪われました。


 それは一見、弾幕ごっこのようでした。
 大きく真っ白な火の玉がひとつ、墨で塗りつぶしたかのような夜空に舞い上がります。
 ヒュルルルルという鳴き声が耳を通過したかと思うと、次の瞬間には激しい轟音が鼓膜を揺さぶりました。
 ドーン! お腹の奥にずしんと響くような、大きな音です。
 それにあわせて火の玉が爆発し、無数の火球が四方八方へと散らばっていきます。
 鮮やかな色合いの炎が飛び散る様は、まるで純白に身を包んだ花弁のよう。長く尾を引いた火花が、余計にそう連想させます。
 放射状に広がった火球はさらなく炸裂を生み、細かな火の粉が、漆黒の闇に溶けるように消えました。
 時間にして五秒も保たなかったでしょう。唐突に始まり、あっけなく終了しました。
 ですがその輝きは一瞬で網膜に焼き付いて、暗夜を取り戻した空を再度見上げてみると、まだ『それ』が残っているような気がしました。ドキドキします。本当に無意味に、理由もなく興奮していました。

 これが彼女の過去であると理解していながらも、まるで私が今まさに体験したような圧倒感。
 私は半ば無意識で、これの名称を彼女の心から引っ張りあげました。

 花火、というらしいです。

 ……誤解をしてもらいたくないのですが。
 私とて花火の存在自体は知っていました。実際、過去に何度か見たこともあります。
 といってもそのときは山奥に隠れ暮らしていたので、遠目から眺める程度でしたけど。
 真夜中に小さく輝くそれは、やはり美しいものがありました。
 ただ他者とのかかわりを避けていたため、花火という名称や用途などを知らなかっただけです。
 彼女は数ヶ月前に人間の里でこれを見たらしいです。そして、今日私にこれを披露する意図は――

「――なるほど。それを、ここでやりたいのですか」

 つまり魔理沙さんは、地底で花火をやらないかと誘いに来たのでした。
 するとご名答といわんばかりに破顔して、ぐぐっと拳を握り締めながら力説します。

「里でやったあれ、すごかったんだぜ! だってのに、お前来なかったじゃんか」
「そりゃあ、お誘いは嬉しかったですけど。私には……ちょっとハードルが高いというか」

 仮にも私は地上を追われた身。
 やはり急を要する事態でも起きない限り、地上どころか地霊殿からすらも出たくないのです。
 たしかに勿体無かったかな、とは後日思いましたが。

「駄目だ、駄目駄目だぜさとり。ようは経験だよ、何事もな」
「経験云々の話ではないんですけどねぇ……。でもそれは大体夏にかけての行事だと思うのですが、どうしてまたこんな中途半端な時期にしたんですか?」
「……それは、まあ、あれなんだが」

 魔理沙さんは苦笑しながら言葉を濁します。
 煮え切らない彼女に読心を試みますと『満足いく花火が出来上がるまで、こんなに時間がかかるとは思わなかったんだよな』という心の声が返ってきました。どうやら花火を見て自分も作ってみようと考えて研究していたらしいのですが、色彩や破裂の具合などが納得のいくレベルになかなか達せず、先日ようやく完成したのだとか。
 ……弾幕ごっこみたいに自分を表現するものならともかく、『誰か』に綺麗だって言わせたいから頑張ったんですって。

 私はこみあがる喜悦を抑えきれず、つい忍び笑いを漏らしてしまいました。

「ふふ、うふふふふ」
「な、なんだよぅ。笑ってないでなんか言えよぅ」

 今の心情を読まれたことを理解したのでしょう。
 魔理沙さんの頬が羞恥によって赤く染まっていきます。どんどん紅潮して、いつか貰ったリンゴのようです。
 ああ可愛らしい。駆け寄って抱きしめてあげたいですけど、しかし膝の上にはお燐がいるのです。よもやこの子を跳ね除けるわけにもいかないので、仕方なくお燐のふさふさした顎下を小さく撫でます。お燐はぴんと耳を立てて、しかし快楽には抗えずに低い呻き声を出しました。どこか警戒した様子ですが、あまり気にせず魔理沙さんとの会話に勤しみます。

「いえいえ。私は幸せ者だなと思っただけでして」
「う、うるさい! 別にお前だけのためじゃないぜ! 地底で腐ってる奴らにだな!」
「そーですかー」
「ああもう! ……とにかくだな、地底でやっていいものか聞きたいんだが」
「なるほど。でも通すべき許可は、私ではなく星熊勇儀たちにするべきではないかと」

 一応この私、古明地さとりは地底の代表者と呼称されてます。
 これは私自身が鬼をも上回る実力者ということではなく、あくまでも閻魔様から怨霊の管理と地底の妖怪を抑える役割を受けたが故の立場であって、実質的な支配をしているのは星熊勇儀のような鬼たちなんです。
 なので話を通すならば、そちらの方面の方々がいいのでしょうが……

「あいつらが、この騒ぎに反対すると思うか?」
「いえまったく。ですがまあ、念のためにどういった構成になるのか教えてもらえますか?」

 地底世界が崩壊するほどの火薬を使用されても困りますので。
 すると魔理沙さんは紅茶のカップを傾けながら、自らのこめかみを指先で軽く叩きました。
 勝手に読め、ということらしいですが……もう少し会話を楽しんでもいいと思うんですけどね。
 私が恨みがましく睨みつけると、魔理沙さんは肩をすくめて言いました。

「悪いが、上手く説明できる気がしないんだ。お前の読心ほどにはな」
「そうだとしても、私はもっと魔理沙さんと相互的な交流をしたいんですけど。心を読むのは一方通行ですよ」
「そりゃ失敬。じゃあ、心の中で説明してやろう」

 この言葉を皮切りに、魔理沙さんから膨大な量の思念を受信します。
 ――実際に用いる花火は、魔法製が六割に火薬製が四割。弾幕ごっこで使用しているモノも多少流用する。現時点では総数百五十発を予定、今後増減する可能性あり。開催予定日時は検討中。開催場所はできれば夜中の地上、しかし地上を出たがらない妖怪(私のことですね、わかります)を考慮して、地底の旧都上空が濃厚。しかし火事の危険性があるので要相談。あと手伝いの人員確保を要請する。人型で慎重な性格の妖怪を希望……などなど。

 私はため息を吐きながらもそれらを吟味し、知りうる地底の状況と照らし合わせて考えました。
 ……情報を整理した限りで言えることは、開催は不可能ではないということでしょうか。
 ですが星熊勇儀はともかく、閻魔様の説得に時間がかかりそうですね。あの御方は頭が固いですから。

「ああ、あとこいつを見てくれ。これをどう思う?」
「え~と……これは」

 ……棒、でしょうか。
 両手で抱きついてもなお余りあるほどに太い円形状のモノで、その長さ――いえ、高さですかね――はちょっと測りかねます。天を突くほどといえば大げさでしょうが、少なくとも傍に建てられている神社よりも高いですね。博麗神社ではなさそうです。あそこよりも遥かに立派ですし、それに立地的な観点からも違和感を覚えます。
 用途がまったく分からないです。花火に関係するものなのでしょうか?

「すごく……大きいですね」
「ふっふっふ。これは秘密兵器だぜ。知り合いの軍神に頼んで作ってもらったんだ」
「ああ、あのはた迷惑な神様ですか」

 お空に力を与えた山の神、八坂神奈子。
 彼女からもらった御柱の中心をくりぬいて、花火の玉を空高く打ち上げる予定だそうです。
 仮にも八坂神の象徴ともいえる御柱を加工するとは神罰が下ってもおかしくない暴挙だと思いますが、当の本人は特に気にした様子もなく承諾してくれたみたいですね。さすが神様、懐が広いです。
 ともかく、その協力のおかげで大きくて重い玉を上空まで上げることが可能になったらしいです。
 地底でやるなら天井に激突しないように考慮しなければならないのですが、打ち上げ花火の具体的な高さはまだ決まっていないそうです。まあ、これは開催が確定してからの話ですね。

「というわけで、だ。やってもいいか?」

 瞳を輝かせて問うてくる魔理沙さん。
 悪くないとは思いますが、この計画には無視できないほどの穴がちらほら見受けられます。
 彼女一人に任せるには危ないですね。ここは私も一緒に考えて案を詰める他ないようです。
 そして詳細を記した計画書を作成して実行可能だと訴えれば、閻魔様も検討してくれるでしょう。
 でもここ応接間では少しやり辛いので、場所を変えますか。

「分かりました。では、ひとまず執務室へ……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 その瞬間でした。
 膝の上にあった温もりが、するりと手をすり抜けていきました。
 ああ、お燐が降りたのかしら――と判断ついたときには、ぽんっと軽い音が応接間に響きました。
 そちらを見やると、そこにはすでに一人の女性が立っていました。
 色鮮やかな真紅の髪を両脇で三つ編みにし、その頭頂には黒い耳がピンと起立していて。
 黒を基調とした服を身に纏い、そのお尻からは可愛らしい二尾がふらりと不安げに揺れていますね。
 何を見間違えることがありましょうか。私の可愛いペット、お燐ですよ。

「あら、どうしたの? お燐」
「あー……いえ、その……」

 しかしお燐は呼び止めたにも関わらず、ごもごもと言葉にならない言葉を口にします。
 そしてその視線はちらちらとさりげなく――ですが明確な意思を持って、魔理沙さんへと向けられていました。
 意外と空気に敏感な魔理沙さんは、それだけで理解したようです。

「私は先に行ってるぜ。まあ、済んだら来てくれ」

 そう言って、返事を待たずに退室しました。
 ばたんと扉の閉まる音が厳かに響き、私はお燐と二人きりになります。

「それで、なにか話があるのかしら」
「…………」

 ですがお燐は表情を暗くしたまま、眉間に皺を寄せて口を閉ざしています。
 それを見る限り、少なくとも良い話ではなさそうです。いえ、話すべきか否かを悩んでいるのでしょうか。
 なんとも判断し難い状況に苛立ったのか――第三の眼が勝手に目蓋を開いていきます。
 途端、お燐の表情が強張りました。それを見て、私はすぐに第三の眼を手で覆って読心を止めます。
 お燐はほっと胸を撫で下ろしましたが、しかしやはり言葉にする勇気が出ないのか、黙したまま語りません。

 ……やはり言いにくいことなのでしょう。
 ならば主人たる私が先陣を切り、彼女の口が自然に開くようにしなければなりませんね。

「ねぇ、お燐」
「……はい。さとり様」
「お空が暴走しかけた、あのときの異変を覚えているかしら」
「え……?」
「私が全てを知ったのは、全部がおわってからだったわ。お空が地上の神々に唆されていたことも知らなかったし、ましてやそのことであなたが悩んでいることすら気づかなかった」
「……はい」
「もちろん、あなたたちが起こした異変の責任は私にあるわ。あなたたちは私のペットですもの。たとえどんなことであれ、主である私がしっかりとしていれば防げたでしょうし」
「さとり様、あれは素直に相談できなかったあたいが悪かったのであって!」

 お燐は顔を上げて、悲痛そうに声を張り上げました。
 私はそんな彼女に歩み寄って、自分よりも頭ひとつ分大きいお燐の体を抱きしめてあげます。
 できるだけ優しく。できるだけ、愛おしさが伝わるようにと念じながら。

「――大丈夫だから。何があっても、あなたたちを見捨てたりはしない」
「さとり様……」
「だから話して? あなたがしょぼくれた顔してたら、この薄暗い地霊殿はもっと明るさを失うわ」

 ……どうやら、伝わってくれたようです。
 抱きかかえたお燐の体から緊張が抜けていき、徐々に弛緩していきます。
 そのまま私の方に寄りかかると思いきや、しかしお燐は足を踏ん張って堪えました。
 そして目の端から少量の涙を零しながらも、毅然と微笑んだのです。

「……っ」

 その淡くも揺るぎない笑みに、私もたまらず涙ぐみなりそうになりました。
 強くなったわね――そう、褒めてあげたかった。でもきっとお燐は、それを望んでいないのでしょう。
 今すべきは頭を撫でてやることじゃない。この子が伝えたいことを真摯に聞いてあげること。

 私は溢れ出しそうになる感情を押しとどめ、しっかりと頷きます。
 するとお燐は自ら数歩ほど距離を開きました。
 そして頬を少し朱に染めて、その双眸に強い意志を輝かせながら――





「……さとり様。猥談は、是非とも二人きりのときにしてください!」





 なんだかとっても不思議なことを、言いました。
 私は私で、お燐が言ったことをまったく理解できず、ただ無為に口を開閉させて……

「……はぇ?」

 なんとか、そんな言葉を捻り出しました。
 猥談ってなに? そんなこと一言だって口走ってはないし、いたって普通の会話だったじゃない。そりゃ猥談だって好きだけど、それでも今回は真面目一辺倒にやってきたはずなのに。
 予想だにしなかった苦情に私の頭はぐるぐると回転しだし、まともに思考が働かなくなっていきます。
 なおも眼差しを強めるお燐の視線が痛いです。ああもう、なんだか穴があれば入りたい。

 ……いえ、落ち着くのよ古明地さとり。猛烈に落ち着きなさい。

 ふぅ、と深く呼吸をします。
 早鐘を打つような鼓動に制止を呼びかけ、目を閉じて緩々と動揺を静めていきます。
 お燐はといえば、そんな私をただじっと見つめるだけでした。
 先ほどまでの責めるような瞳は鳴りを潜め、今はまるで詫びるような目つきとなっています。
 そのことから、少なくとも嫌われたわけではなさそうです。
 しかしやはり、猥談というのはどういうことなんでしょうか。今日一日の記憶を引っ張り出しても、やはりそのような覚えはありません。となると知らぬ間にセクハラしてしまったのでしょうか。

(……仕方ないわね)

 私は、左胸にある第三の眼をそっと撫でました。
 これは心を読みますよ、という親しい者にしか通じないサインです。現在のように信頼できる人物だけしかいないときは、あまり読心しないのです。やはり理解しているとはいえ、いつも見通されるのはストレスになりますから。
 そしてその意味が分かるお燐の顔が、途端に若干引きつりました。
 でも私はそれを無視して問いかけます。語る言葉は、より素直な心を映し出すのです。

「お燐、聞いてもいいかしら。いいえ聞かせてちょうだい」
「は、はい」
「私はもしかして、あなたにセクハラ発言をしていたのかしら」
「え?」

 お燐はきょとんとした表情を浮かべました。
 見開いた第三の眼から、彼女の心が流れ込んできます。……『何をいまさら』ですか。どうやらお燐の勘違いではなく、本当に気づかない間に酷いことを言ってしまったみたいですね。自覚なき意地悪というのは、自覚したそれよりも遥かにたちが悪いというのに。
 思わぬ失態から私は椅子から腰を上げ、深々と頭を下げました。

「ごめんなさい、お燐。知らない間とはいえ、あなたを不愉快にさせてしまって」
「いえ、いいんですさとり様! 別にものすごく傷ついたわけでもないし、ただちょっと、ああいう相談は本人たちしかいない場所でやってもらいたいなーって思っただけですから! ええ、否定はしませんとも!」
「そう……あら?」

 不意に、脳裏をおかしなものが過ぎりました。
 壁も窓も薄ぼやけた廊下。その端には、何故かベンチが鎮座しています。
 ――そこはおおよそ色というものが欠落していて、画用紙に落書きされた絵だといわれれば納得しそうなほど、現実味を失った場所でした。これは明確なイメージによって積み上げられていないことが原因です。
 どうやらこれはお燐の心象風景のようですね。強い思念に当てられると、しばしば映像が心に広がることがあります。
 そして私は映画を観るような気軽さで、彼女の心に意識を向けました。

 人っ子一人いない空虚な廊下。
 屋内にもかかわらずベンチが置いてあって、色彩がないこともあいまってか、現実から乖離した夢世界のようです。
 そんな異空間に、いつの間にかふたつの人影が出現しました。
 まずひとり目は私、古明地さとり。お燐の中が映し出した私は、不確かな床を踏みながら佇んでいます。
 そしてふたり目は魔理沙さんで――何故か青いつなぎを着て、ベンチの真ん中に腰を下ろしていました。
 一体ここで何が起きるのか。『現実の私』が疑問に抱きながら観察していると、すぐに動きがありました。
 ベンチに座っていた魔理沙さんが静かに立ち上がったのです。
 そしてにんまりと人懐っこい笑みを浮かべると、唐突に言いました。

『やらないか』

 はて、何を求められているのでしょうと首をかしげる『現実の私』に対して。
 お燐の心にある私は表情を輝かせて、嬉々と答えました。

『ウホッ! いい魔法使い……』

 まるで意味が分からないです。
 ちなみに『現実の私』は、お燐の心にある私と魔理沙さんに干渉はできません。言うなれば、お燐が作り出した紙芝居を読み聞かされているような立場なのですから、それは当然のことでしょう。

 ざぁと波が引くように舞台が切り替わります。
 明るさの足りない狭い室内。その中央には大きなベッドがひとつだけ置かれていました。それだけが鮮明に映し出されていて、周りの壁はガラスのように半透明です。小物が一切ないのは強くイメージできていないか、もしくはこの劇場に必要ないということでしょう。
 お燐の心にある私は、ぽすんとベッドに腰を下ろすと、目の前に立った魔理沙さんを見上げます。
 そして魔理沙さんが朗らかに微笑みながら言いました。

『いいのかい、ホイホイついてきて。私はノーマルでも構わず食っちまう女だぜ』

 なにその殺し文句。ぜんぜん萌えないんですけど。

『……いいです。私は魔理沙さんみたいな人、好きですから』

 これっぽっちも良くないんですが。というか、私の性癖を捏造しないでちょうだい。
 しかし『現実の私』の抗議も虚しく、二人は現実ではありえないほどに艶かしく頬を赤らめます。
 ……もしかして、お燐にはこんな風に見ていたのでしょうか。
 過去の立ち振る舞いが不安になって慌てて思い出そうとしますが、目の前で繰り広げられる惨状からも目が離せません。

 そして彼女らが一言二言会話したと思ったときでした。
 お燐の心の魔理沙さんは、おもむろにつなぎのチャックを真下に引き下ろすと――

『こいつを見てくれ。これをどう思う?』

『現実の私』は、思わず目を剥きました。
 なんと、魔理沙さんの……その……こ、股間の辺りに……あります。
 え~とあの、なんというか……………………アレが。

 無論、女性である魔理沙さんにそんなモノが生えているはずがありません。
 それはたしかです。なにせこの前、一緒にお風呂に入って直接……げふんげふん。
 しかしあれが本物なのかを確かめる前に――あちらの私が、恍惚とした表情で呟きました。

『すごく……大きいです』

 私の顔でそれは止めてください。
 たとえ実際に魔理沙さんの裸体を眼前にしようとも、これほど下卑た眼差しは向けませんでした。
 ……たぶん。

『嬉しいこといってくれるじゃないの。じゃあ、とことん喜ばせてやるからな』

 そう言うと、魔理沙さんは手早く衣類を脱ぎ捨てて――


「にゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「え、ええ!?」

 突然響き渡った甲高い叫び声に、私はびくりと体を竦ませます。
 すると心のうちに広がっていた心象風景は靄のように消え、私の意識は応接間へと戻ってきました。
 どうやら驚いた拍子に、第三の眼による読心を中断してしまったようです。
 その原因であるお燐は、それはもう頭から湯気が出ているのではないかというほどに顔を真っ赤に染めて、己を恥じるように俯いていました。頭頂にある猫耳もへたりと倒れ、二つの尻尾も丸まっています。
 そして瞳を潤ませながら、彼女は静々と問うてきました。

「……見ましたか?」

 嘘を告げてどうにかなる状況ではないですね。

「ええ。その……魔理沙さんの股間に男性のアレが」
「うわあああああぁぁぁぁ! さとり様、忘れてくださいぃ!」

 下手すれば土下座でもしかねないほどの勢いで、お燐が泣き咽びながら忘却を嘆願してきます。
 縋り付いてくる彼女を慰めながら、先ほど魔理沙さんとしていた会話を思い出していました。
 そしてお燐の心から読み取った『ある本』の存在。
 ふたつは奇妙な類似点によって結ばれていて、ようやくお燐が告げた『猥談』の全容を理解しました。

「……お燐。そういうことだったのね」
「うう……ぐすん」

 ――結論としては、お燐の勘違いでした。
 ですがすべてお燐が悪いわけではなく、やはり原因は私と魔理沙さんにもあったのです。
 私が読心した内容を口にする理由は、相手の動揺を誘ったり会話を円滑に進めるためでした。目の前で『あなたの心を読んでいますよ』と意思表明をすることで、心の奥底に隠された情報を引き出すのです。
 思えばここ最近は、地霊殿から一歩たりとも外へ出ていませんでした。
 おかげで安らぎ温かなお家の中、信頼できるペットたちとだけ接していました。
 そのせいでしょう。いつの間にか読心内容を口にせず、ある程度すっ飛ばした会話になっていたのです。
 以心伝心といえば聞こえは良いのですが、傍からすれば意味不明な会話だったのでしょう。
 そして今日行われた魔理沙さんとの語らいの言葉が、不幸にもお燐の中にあった『ある知識』と合致してしまい、今回の悲劇が引き起こしてしまったのでした。

 加えてさっきの心象風景は――いわば事故でした。
 お燐は先ほど「否定はしない」と口にした途端、ほとんど無意識に『主人と友人がそのシチュエーションで行為に及ぶ』という想像を、過去にただ一度だけ犯した過ちを思い出してしまったのです。
 消し去りたい記憶ほど、ふとした時に浮上してくる。それが心を持った者の業なのでしょうか。

「一応言っておくけど、『灼熱地獄に身を投げよう』なんて思っても実行はしないように。家族が溶岩に入っただなんて報告を受けても、悲しみこそすれ喜ぶことはないんだから」
「……すいません」
「謝られることはなんてひとつもないわ。そもそも私が面倒がって心の声を言わなくなったのが起因なんだし」
「でも、やっぱり気持ち悪いですよね? 主人のあんな姿を想像するペットなんて……」
「諸手を挙げて賛成するわけじゃないけど……まあ、私のいないところでなら好きなようにしなさい。あなたの心はあなたのもの、謝罪すべきなのは、それを無粋にも読み取った私の方よ」

 私はハンカチを取り出して、お燐の目元を拭いてあげます。
 そして私は努めて笑顔を浮かべ、心から告げました。

「私はあなたの笑顔が大好きよ、お燐」
「……さとり様」

 それで気が楽になったのでしょう。お燐は深く息を吐くと、ようやく笑顔を見せてくれました。
 心もまた、鬱屈とした感情が徐々に払われていくのを、第三の眼が感知しました。
 そしてこの話題を断ち切るために、ぱん、と手を打ち鳴らしました。

「この話はおしまい! さあ、これから忙しくなるわよ!」

 執務室では魔理沙さんが首を長くして待っていることでしょう。
 でもどうせだから、お燐にも一枚噛んでもらいましょうか。やっぱり綺麗なものはみんなで観賞したいですから。

「お燐、新しい紅茶を執務室に持ってきてくれるかしら。そこで改めて、あなたにも聞かせてあげるわ。きっと、すごく楽しいことになるわよ。お空も他のみんなも交えて、大きなお祭り騒ぎにね」
「はい、楽しみにしています! では、また後ほど!」

 本当に、私の頬まで緩んできそうなほど良い笑顔を浮かべますね。
 そんな顔を見ていると、私は――

「ちょっと待って、お燐」

 私は部屋を出て行こうとするお燐を呼び止めました。
 お燐は振り返り、小首をかしげて立ち止まります。

「どうしたんですか、さとり様?」
「聞き忘れてたことがあったの。いいかしら」

 そう言って、私はお燐の傍に近づきます。
 まったく警戒していないのでしょう、お燐は素直に頷いて耳を寄せてきました。
 私はごく自然に彼女の両腕を掴んで、しっかりとした口調で問いました。

「――あなたって、同性愛に興味があるのかしら」
「ぶふぇええ!?」

 乙女にあるまじき声が、私の耳を直撃しました。
 この純粋なる驚愕は同時に心も発されていて、言心一致というべきものでしょう。
 ああ――心地よい。

「先ほどのアレは、どうやら本来男性同士のまぐわいを描いた本ね? なかなか興味深いわ。私も女だから、少なからず男性の体には興味があるの。ねえ、私にも教えてくれないかしら。――あれは、どうなってるの?」
「あああうあうああうあうあう……」
「ああ、もちろんお燐を軽蔑する気はないわ。性への興味は誰にだって来るものだし、特殊な環境下に限定されず、同性に対して情欲や好意を抱く者は古来より存在していたの。自分を卑下することはないわ。たしかに非生産的でしょうけど、子孫を残すという種の本能を愛情が凌駕したということでもあるわ。たとえ生来の性癖だろうと恥じることはないわよ」
「うなぁ……」

 お燐はこれ以上のぼせようがないほどに赤面しています。
 この程度の話よりも、あなたが所持している本の内容のほうがよほど過激でしょうに。
 ……それにしても、なんて可愛らしい。恥らう清き乙女は、とても弄りがいがあります。
 剥き出しの感情というのは、人をこれほどまでに愛くるしくするものなのです。

「ところでお燐はどんな体位が好きかしら。後ろから? そうね、やっぱり女の子としては蹂躙とまではいかないけど征服されたいって気持ちがあるものね。まあ、あなたの場合は化け猫っていう種族が大いに関係しているでしょうけど。私はやっぱり前から抱かれたいわ。相手と密着していた方が興奮するだろうし、何より温かそうだもの。他人の体温ってどうしてあれほど安心するのかしらね。お燐はどう思う?」
「~~~~~~~~~~~~っ!」
「『経験がないから分からない』ね。うん、それはそうよね。視覚的に興奮する体位が実際の行為で興奮するかは別問題と聞いたことがあるわ。……なんなら試してみる? ふふっ、別に構わないわよ。私も本番に備えて練習しておきたいから。ほら、脱いで。それとも脱ぐよりも脱がされるほうが好き? なら、あなたの口から教えて。優しく愛撫されながら脱がされたいか、それとも剥ぎ取られるように脱がされたいか。ほらほら、心の中で叫んでないで。
 その可愛らしいお口で、ご主人様に、おねだりしなさいっ」
「……うっ」

 あ、きれた。

「うわあああああぁぁぁぁぁぁん! さとり様の、セクハラご主人ー!」

 とうとうお燐は私の両手を引き剥がし、滂沱と涙を流しながら走り去っていきました。
 化け猫の腕力を余すことなく発揮されて開かれた扉は、その一瞬にて大破してゴミと化してしまいました。
 ですが、それに何の不都合がありましょうか。
 我が地霊殿には大工仕事を生業とするペットがいますし、最後の手段として鬼に頼むこともできます。
 そんな無粋な心配よりも、今はただ胸一杯に広がったお燐の感情を丹念に咀嚼し、味わいます。

「ああ――本当に可愛いわ」

 しばし胸を押さえて堪能した後。
 ようやく私は、魔理沙さんの待つ執務室へと足を向けました。
 たくさん喋ったので少々喉が渇いてしまいましたが、それはあちらで解決するでしょう。
 ……大丈夫ですよ。第三の眼を見開かなくても、私には分かります。
 きっと顔は合わせてはくれないでしょうが、その手に優しさが詰まった紅茶を持って、きっとお燐は執務室に来てくれるはずですから。










 あれから、一ヶ月ほど経ちました。
 冬はすぐそこまで来ています。地底は四季の移り変わりに疎いのですが、冬はその中で最も到来を予測しやすいです。なんといっても、雪が降りますから。天井からの土ぼこりと塵が混じった、灰色がかった雪が。
 基本的に一年を通して気温が上下しにくい地下ですが、やはり雪が降れば寒くはなります。
 ましてや地霊殿は、常に熱風を送り込んでくる灼熱地獄が真下にあります。だからそこから出ると、余計に寒さが骨身に染みます。コートにマフラー、それに手袋は欠かせません。
 さて、とうとう今日は花火大会の日です。お天気は良く、雪雲もありません。

 久方ぶりに訪れた旧都は、大いに賑わっていました。
 中央を縦横分断する街道にはずらりと露店が並んでおり、そこら中に二階建ての家屋を優に超える高さのやぐらが立てられていて、その周りを楽しそうに踊りながら回る妖怪たちが目に付きます。
 そしてそこらかしこで鬼や地底の妖怪たちが酒盛りをしていて、高揚した空気にも酔ったかのように、顔を真っ赤にして大声で語り合っていました。そんな財布の口が緩くなった彼らを相手取って、商人たちも商売に励んでいます。
 このお祭り騒ぎをどこかで聞きつけたのでしょうか、見覚えのない種族の妖怪たちが楽しそうに街道を闊歩しています。こっそり心を読んでみますと、やはり地上の妖怪でした。ここ地底は地上の妖怪が来てはならない場所だというのに。
 でもそれは鬼と地上の事情であって、私には関係がありません。何より、今はオフなのです。せっかく閻魔様にお願いして休みを頂いたのですから、それを有効活用しない手はないですね。
 というわけで彼らから視線を外し、私は再び歩き出しました。

「それにしても……」

 旧都の街道のど真ん中を歩くなんて、いつ以来でしょうか。
 しかも今回はお燐やお空といったペットを連れないで、まさしく一人きりです。
 私に不満を持ち、恐れるあまりに危害を加えようとする輩がいないとも限りません。さとり妖怪は読心によって敵意を察知することはできますが、残念なことに腕力その他は普通の妖怪に劣るのです。
 なのでそういった事態を避けるために、普段は力のあるペットを連れているのですが……まあ、大丈夫でしょう。
 事実、時折私の姿を認めた者は等しく恐怖を抱きながらも、しかしそれだけでした。
 此度の花火大会が、古明地家と地獄を統括する是非曲直庁、そして彼らの代表である鬼が共同開催したものだということが、その抑止力となっているのかもしれません。

 発起人である魔理沙さんは、単に花火を打ち上げたいと思ってただけでした。
 ですがその許可を星熊勇儀と四季映姫・ヤマザナドゥに求めると、事態は予想の斜め上に突き抜けました。
 勇儀は即賛成して自らの参加を求め、閻魔様も意外なことに計画書を一読しただけであっさりと許諾したのです。
 それだけでなく、鬼たちはやぐら組みや花火の設置などの力仕事を率先して引き受け、なんと閻魔様は是非曲直庁より予算を引き出してくれました。おかげで地霊殿の負担がかなり減ったので大感謝です。
 こうして事は次第に大きくなっていき、人間と鬼と彼岸の面々が一丸となって花火大会を成功させようと努力する姿を見て、地底の妖怪たちは『ここで面倒を起こしては、どこかの組織に潰されかねない』と思ったようです。

 そういうわけで。
 如何な無法揃いの地底の妖怪とはいえ、閻魔と鬼の両方を敵に回すほどの剛の者はいないようです。
 なので地底一の嫌われ者である私が現在の旧都を歩いていようと、ほとんど危険はありません。
 ただし今のように大勢の人がいる中では、第三の眼は勝手に思考を読み取ってしまいます。
 負担といえば負担ですが、まあ慣れたものです。
 それに今は旧都の外に用事があるので、むしろ気に留める必要もありません。
 飛んでいけば時間はずいぶん短縮されますけど、それほど急いでいるわけでもないのでいいでしょう。
 この騒がしいお祭りの薫りに、少しでも長く浸っていたいですから。

 そんなことを思っていた矢先でした。


 くぅ。


「……あら」

 思わずお腹を押さえ、赤面してしまいます。
 慌てて周囲を見回しましたが、幸いなことに、お腹の音を聞きとがめた者はいませんでした。
 それはそうですよね。これほどの喧騒ですもの、聞こえるはずがありません。
 でもお腹が空いたことは事実です。せっかくですので、手土産代わりに食べ物でも買っていきましょうか。

 そして私は、すぐ傍にあった露店にふらりと立ち寄りました。
 芳ばしい香りが鼻をくすぐってきます。どうやら野菜と肉を、太めの麺に絡めて一緒に炒めた料理――焼きそば、というらしいですね。ソースの匂いがとても食欲をそそり、ごくりと唾を飲み込んでしまいます。
 店の主人は「いらっしゃい」と言いかけて私を見ると、途端に表情が固まりました。
 最近は珍しくなってきた反応です。心を読まれることを恐れるあまり、知られたくない事柄を次々に思い出してしまっています。これこそさとり妖怪の思う壺なのですが、優しい私は笑顔でそれを聞かなかったことにしてあげました。

「今心に浮かべたことをばらされたくなければ、半額にしなさい」
「おおおおおい!? いきなり何言ってんだ、あんたぁ!?」
「なにって、さとり妖怪流の交渉術ですけど」
「そりゃ脅迫っつうやつだろうがおい! ちくしょう、勘弁してください!」

 店主は涙を流しながら、巧みにコテを操って焼きそばを作っていきます。
 きっとその涙の塩気が味の決め手になること請け合いですね。
 瞬く間に焼きそばが出来上がり、さらに持ち歩きしやすいパックに詰めてもらいました。
 ……実際のところ、彼が思い出した事柄なんて大した秘密に思えないのですが、他人にはそういうものなんでしょう。
 それを存分に利用させてもらっている身分ですけど。

「さとり、また貴方は罪を重ねているのですか」

 お金を払って焼きそばを受け取っていたときに、背後から声をかけられました。
 振り向くと、閻魔様が渋い顔で立っていました。その隣には彼女の直属の部下である、たしか小野塚小町という名前の死神もいます。心を読んでいなくても、彼女からは強い緊張が伝わってきます。どうやら怖い上司と一緒で気が気でないようです。

「誰が怖い上司ですって?」
「さとり妖怪でもないくせに心を読まないでください、閻魔様」
「……自覚はありますよ。でも、優しすぎたら閻魔なんて仕事はできないと思いませんか?」
「思いません!」

 威勢よく会話に参加してきた小町さんが口早にまくしたてます。

「四季さまはとっても優しいお方なのですから、それをもっと前面に押し出すべきです! 貴方が優しくなる分、幸せになれる魂がたくさんおります! さあ、もっと四季さまの慈悲の心を皆に見せ付けてあげましょう!」
「小町……」

 閻魔様が珍しく、感動に瞳を潤ませていました。
 よほど他人に褒められたことがないのか、あるいは耐性がないのか。
 それにしても小町さん。とっても良い台詞ですが、根底にあるのが保身でなければ完璧でしたね。
 しかし百戦錬磨の四季映姫・ヤマザナドゥにそのような甘言が通じるはずがないのです。

「ところで、さとり。小町がどういった魂胆で言っているのか教えてください」
「わかりました。その方はもっとサボりた……」
「あ、あたいあれが食べたいなー! ちょっと買ってきます!」

 瞬間移動したかと疑うほどの速さで、小町さんが走り去ってしまいました。
 閻魔様はため息をついて肩を落とします。さすが、部下の謀を完全に見破っていたようですね。

「小町は良い子なんですけど、もう少し情熱を持って仕事に取り掛かってくれればいいのですが」
「彼女なりの情熱なんですよ、あれが」
「もっと悪いじゃない」
「優しいんですよ。話を聞くということの大切さを知っています」
「たしかに、小町が連れてくる魂はどこか安らいだ面持ちですけど。それよりもまず、職務に殉ずるべきだと思いませんか?」
「その両立が出来ないのが、彼女の欠点じゃないでしょうか」

 まったくね、と閻魔様は困ったように額に手をやりました。
 閻魔様には気の毒ですが、私のペットはみんなとても純情で可愛い子達です。
 仕事もよくやってくれていますし、こんな私に懐いてくれています。本当に感謝ですね。

「あ、閻魔様。そういえば聞きたいことがあるのですが」
「なんでしょう」

 閻魔様も良い香りに惹かれたのか、焼きそばを注文していました。
 店主はもうがくがくぶるぶると震えながら調理しています。しかしこれほどの畏怖を抱いていても、コテの扱いに些かの翳りもないとは、なんと老練な料理人なのでしょう。半額の強要は少し可哀想だったかもしれません。撤回しませんけど。

「どうして、花火大会を許可してくださったんですか? しかも是非曲直庁から予算まで分捕ってくださるとは、正直なところ意外でした。貴方はこういった娯楽に否定的だと思っていましたよ」
「分捕るとはいただけない表現ですね。私は――」
「『娯楽を嫌っているわけではない』ですか。たしかに、悦楽そのものが罪であるというわけではありませんよね。『罪に至らぬ快楽は、むしろ率先して行われるべき』? なるほど。そういうことですか」
「……さとり。貴方は」
「『人の話を聞かな過ぎる』。自覚はしていますよ、私なりにね。けれどもつい先日、ペットから苦情が来まして。読んだ心は口にしないとあらぬ誤解を呼ぶようです。ですので、最近はせっせと読心に励んでいます」
「その」
「『発想は誤りである。貴方が積むべき善行は、他人との会話に努めること』とは、なかなか手厳しい。そもそも私とて会話を軽んじているわけではありません。ただこうして読心してからの方が、何かと優位に……」

 などと得意げに話していますと、ふいに閻魔様の心の声が止みました。
 立ち去ったのでしょうか? いえ、違います。声こそありませんが、穏やかではない感情が伝わってきます。
 そう、周囲の空間に溢れんばかりの怒気が――

「喝!」
「あいたぁ!?」

 額に突如激痛が走りました!
 なんと、閻魔様がいつの間にか取り出した悔悟の棒で、私の額を殴打してきたのです!
 しかも一度きりではなく、幾度となく振りかぶって叩いてきました!

「会話とは、心通わぬ者と相互に言葉を交わす、交流のひとつである!」
「痛い、痛い、痛いですよ!」
「その努力を蔑ろにしていて、あまつさえ下手な言い訳など、まったくもって度し難い!」
「わかった、わかったからそれはやめてぇ!」

 悲鳴を上げながら懇願して、ようやく閻魔様は悔悟の棒を懐に収めてくれました。
 そして荒くなった息を落ち着かせ、すっきりとした表情で頷きます。

「よろしい。善行の第一歩とは、己の行いを省みることより始まります。わかってくれて、本当に嬉しい」

 ……酷い御方ですね。
 私の手が塞がっているのをいいことに、執拗に額を狙い打つとは、地獄の鬼も真っ青な所業です。
 ああ痛い。目の端から涙が零れそうです。だって女の子だもの。

「ああ、あと先ほどの質問ですが」
「……なんでしたっけ? 今ので記憶が曖昧になってしまいました」
「娯楽云々の話ですよ。そも、愉悦は害悪にあらず。魂を汚す浅ましさを自らが律せず放置する様こそ、罪が罪たる所以なのです。そう、たとえば貴方がこの店主から無理やり商品を値切ったこととか」

 閻魔様の鋭い眼差しが、私と店主を行き来します。
 その店主はまるで神さまでも見たかのように、顔を輝かせながら焼きそばを閻魔様に差し出しました。
 どうやら私の脅迫を彼女が戒めてくれると思っているようです。
 ですが閻魔様はそんな彼の希望を打ち砕くかのように、焼きそばを受け取ってから言いました。

「ところで、貴方にも罪があるようですね? 浄玻璃の鏡が映し出していますよ」
「えええええ!?」
「場所代を工面するために博打と飲み比べに浸るとは、これぞまさしく罪なる愉悦に他ならぬ! いいですか、この焼きそばは実に素晴らしい一品でありながらも、作り手である貴方が欲望に穢れきっては……」
「う、うおあああああああああ! もう勘弁してくれー!」

 哀れな店主の悲鳴を背に、私はその場を離れました。
 あのままだと閻魔様の説教が私にも飛び火するのは明白でしたので、素早く戦略的撤退です。
 でもあれは相当可哀想だったので、心の中で祈っておきましょう。南無。



 それからは特に寄り道もせず、目的地にたどり着きました。
 喧騒が遠くに聞こえますね。それもそのはず、ここはすでに旧都の郊外。
 建築物はひとつもなく、起伏の激しい岩肌が視界一面に広がっています。
 それでも普段なら他者とのかかわりを避ける地底の妖怪がちらほらといるものですが、今日に限っては、彼らも旧都に集まっているようですね。たとえ望んで独りでいようと、妖怪は基本的に祭りが大好きなのです。
 もちろん例外はいるでしょうが、そんな者たちもすでに退去してもらっています。
 何せここが、花火の打ち上げ場所なのですから。

 旧地獄は、地獄のスリム化のために切り離された場所です。
 灼熱地獄跡の上に建てた地霊殿を中心に、旧都を土台に鬼たちが巨大な都市を築き上げました。
 しかしながら広大な地底世界の全てに手を入れることは鬼の力をもってしても叶わず、まだ半分ほどの土地が地肌を剥きだしにして、今も荒涼とした風を生んでいます。
 そして調査の結果、この一帯が花火を打ち上げるのに最適だと判明しました。
 飛び火する建築物はほとんどなく、天井の高さも十分にある。無事に旧都の面々からの許可も頂いて、今現在は手伝いの名乗りを上げてくれた地底の妖怪と鬼たちが、打ち上げ花火の準備に取り掛かっています。

 私など気にも留めずに作業に没頭する皆を尻目に、ある人々を捜し求めて歩きます。
 そしてすぐに発見すると、私はのんびりと声をかけました。

「みんな、お疲れ様」

 するとその場にいた『彼女たち』が揃って目を輝かせて、私の元に駆け寄ってきました。

「さとり様~」
「さとり様、私たちがんばってますよ」
「さとりさまさとりさまさとりさまー!」
「はいはい、みんな元気ねぇ」

 体をこすり付けてくる子、激しく尻尾を振る子、嬉しそうに鼻を鳴らす子……集まってくるみんなに労いの言葉をかけ、さらに愛情表現として優しく撫でてあげます。
 彼女たちは地霊殿に住むペットです。ちょうど暇していた子たちに魔理沙さんの手伝いをお願いしてみたところ、快く頷いてくれました。なので、少々ながらお小遣いを渡しています。無駄遣いはしないようにね。
 そして私が彼女たちにもみくちゃにされていると、全身を煤と土で汚した魔理沙さんがやってきました。

「おう、さとり。残ってた仕事はおわったのか」
「ええ。魔理沙さんの方は順調ですか?」
「九分九厘は終了したかな。あとは最後の調整だけだから、もう人手は必要ないぜ。お前ら、ありがとな」

 魔理沙さんはにかっと笑い、お手伝いの子たちにお礼を言います。
 すると彼女らは表情を明るくして、口々に「了解です~」「屋台行こうよ!」「なに食べる?」「おいしいもの!」などと喚きたてながら、この場を走り去っていきました。どうやらすでに興味は旧都のお祭りに移っていたようです。
 その早い変わり身に、私と魔理沙さんは思わず顔を見合わせて苦笑しました。

「やっぱりか。祭りのほうが気になって、どうも集中しきれてなかったみたいだな」
「申し訳ないです。本当は、まだ少し作業が残っていたんでしょう? 私も手伝わせてください」
「いやいや、さとりには十分助けてもらったぜ。あとはこっちでやるさ」
「でも……」

 と、私がなおも食い下がろうとしたときでした。

「あ、さとり様。どうされたんですか?」

 振り向くと、大量の砂を載せた猫車を押すお燐がいました。
 花火を設置するために邪魔な岩石を削って生じた廃棄物を捨てる役目を担っているようです。

「みんなの様子を確認しに来たのよ。お燐はちゃんとやってたかしら?」
「当然ですよ。まあ、ゾンビフェアリーたちは早々に抜けてしまいましたがね」
「好奇心旺盛な妖精たちですもの、それは仕方ないわね。……でもね、私が心配してるのはそういうことじゃないの」
「え? なんですか?」

 くりくりと目を真ん丸に見開いて真意を問うてくるお燐。
 そんな彼女の耳元で、私はそっと囁きました。

「あなたが隠れて『一人遊び』でもしてるんじゃないかって」
「なっ!?」
「さすがに公衆の面前ではしないでしょうけど、実は途中でムラムラして……」
「してませんよっ! もう、そういうのはやめてくださいって言ってるじゃないですか!」
「ふふふ、冗談よ冗談」

 顔を真っ赤にして否定するお燐は、本当に可愛いわ。
 地霊殿には人型になれるペットが少なからずいるけど、お燐ほど反応が良い子はいないもの。
 なんかこう……可愛い子が羞恥で悶える姿って、とても萌えるわよね!
 お燐から伝わってくる感情に胸を膨らませていると、魔理沙さんが怪訝そうに聞いてきました。

「いったい何の話をしてるんだ?」

 ああ、魔理沙さんのそんな表情が見たいのだけれどねぇ……。

「お燐に、今日はどんな『一人遊び』をしてたか質問していたんですよ」
「平然と嘘をつかないでください!」
「ふぅん、一人遊びってトランプタワーとか?」

 はぁ、と私は深いため息をつきました。
 そうなのです。いま私がもっとも弄りたい相手は、性的な知識が非常に乏しいのです。
 でもここで諦めては、セクハラご主人の名が泣きます。
 なのでそんな彼女にはもっと直接的な表現でなければならないですね。

「いえ、自慰のことですよ」
「ちょっとあんた何言ってんのご主人様ぁ!?」
「じい……」

 魔理沙さんは至極真面目な表情で腕を組み、『じい』について思考を巡らせています。
 しかしながら彼女の思考には、やはり自分の性器を慰めるという発想はありません。
 弄れないのは非常に残念なことこの上ないですが、考えようによっては、それはそれで素敵な未来を幻視できますね。そう、他ならぬ私が手取り足取りじっくりと性について教え込み、真っ白な彼女の知識を私色に染め上げるとか。……じゅるり。

「大体ですねぇ!」

 と、お燐が声高々と言いました。
 頭上にある耳をピンと立てて、尻尾の毛も心なしか逆立っています。
 そう、これくらい可愛い反応をしてくれるのが理想ですね。

「自慰とか性交とか、そういう単語は卑猥かつ下品ですからやめてほしいと何回も頼んでいるじゃないですか! 普通に犯罪ですよ、誤解のしようもない変態行為です! しかも発言だけじゃなくて、時折人の胸をわし掴みして『揉めば大きくなるわよ』とか物理的セクハラまで……!」
「ねえねえ、お燐」
「何ですか! いま大事な話を――」
「みんなが聞いてるわよ」
「……え?」

 ようやく周囲の視線に気づいたようで、お燐は石のように固まりました。
 作業をしていた鬼と妖怪たちは手を止め、ひそひそと内緒話をしています。
 その内容は心を読むまでもありません。お燐が大声で暴露した『卑猥なお話』のことですね。

「……すごいな。あんなことを堂々と言っちゃってるぞ。さとり妖怪のペットだったか?」
「そうだ、地底広しといえど、お燐ちゃんほどの淑女はそういないだろう」
「ああ。さすがは地獄のむっつり少女、お燐ちゃんだぜ」
「お燐ちゃんマジむっつり」
「うううぅぅぅ~~~~……」

 噴火まで――さん、にい、いち。

「うわあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! もうこんなところ、出て行ってやるー!」
「打ち上げの時間までには戻ってらっしゃいね~」

 お燐は手にしていた猫車を放り捨てると、涙を流しながら脱兎の如く走り去っていきました。
 私の言葉を聞き届けたかは分かりませんが、まあたぶん大丈夫でしょう。

「……なあ、結局何の話だったんだ」
「こちらの話ですよ。さっさと準備をおわらせて、お祭りに参加しましょう。ああでも焼きそばを買ってきたので、一緒に食べませんか?」
「お、そりゃいいな。ご相伴に預からせてもらうぜ」

 こうして私と魔理沙さんは、しばし食事をしながら楽しく語らったのでした。








 旧都の熱気は否応なく高ぶり、人々の興奮は最高潮に達していました。
 今日の目玉である花火を絶好の位置で観賞するべく、街道のみならず家屋の屋根にまで妖怪たちがひしめいています。彼らは酒を片手に、これより始まるであろう最高の肴を今か今かと待ちわびていました。
 そしてそんな妖怪たちを掻き分けて、私はとある屋敷に入りました。
 屋敷の主人が強張った愛想笑いで出迎えてきて、足早に案内してくれます。――ここは星熊勇儀が懇意にしている酒屋で、今回彼女は事前に部屋を借り受けたようです。花火が上がる地点までに一切の遮蔽物がなく、屋内での観賞を望むならここ以上の場所はないだろうと、勇儀は胸を張って自慢していました。……大きい。
 そして数分ほど趣のある廊下を歩いて、手で指し示された部屋に入ると、そこには見知った顔がいました。

「いよ、さとり! よく来たなぁ!」

 豪快に手を振って出迎えてくれたのは、星熊勇儀です。
 彼女はすでに精悍な顔を真っ赤にしていました。その周囲には二桁を超える空の酒瓶が転がっていて、食前酒とでもいわんばかりに早々に呷っていたことは想像に難くありません。
 さらに、そんな勇儀から少し離れるようにして、また同じように酒を嗜む妖怪が三人ほど。

「あんたも呼ばれてたのかい。まあ、人数は少ないより多いほうがいいだろうさ」
「…………こんにちわぁ」

 土蜘蛛の黒谷ヤマメに、釣瓶落としのキスメですね。
 お二人は屋台めぐりをしている最中、偶然出会った勇儀と意気投合してついてきたらしいです。
 あまりお話をしたことはありませんが、心を読む限り、そう悪い妖怪ではなさそうです。
 そしてそんな彼女らからも一線を画するように、壁に背中を合わせて不機嫌そうに眉根を顰める者がひとり。

「あなたもいたのですね、パルスィ」
「……そこの強引な奴に連れてこられたのよ。まったく、厚かましくて妬ましいわ」

 橋姫の水橋パルスィ。
 普段は地上と地底を行き来できる洞穴、その境界に存在する橋に常駐している女性です。
 どうやら彼女はいつもの橋でゆっくりと花火の見物と洒落込もうとしていたときに、星熊勇儀に無理やり引っ張られてきたようです。宴会を好む鬼には独りで酒を楽しむといった思考がないのだと、心の中で愚痴を零しています。
 それを察したパルスィは、かすかに敵意を滲ませた視線を私に向けて、

「そうやって無粋に覗き込んで、あんたたちには遠慮ってものがまるでないのね」
「これは失敬。根が臆病者でしてね、ついつい危害を加えられないかと不安になって読んでしまうのですよ」
「妬ましいわね。こうも堂々と嘘を吐けるなんて、妬ましいにも程があるわ」

 そう言って、パルスィはぐいっとお猪口を傾けました。
 どうやら読心に対する抗議ではなく、単なる挨拶の一環だったみたいです。
 私も曖昧に頷いただけで返答し、彼女たちから等しく距離を置ける場所に腰を下ろしました。
 特に彼女らを避けようなんて考えはありません。ただの習慣です。
 するとすかさずヤマメさんがお酒を渡してくれました。その邪気のない笑顔は、病気を操る能力を有していることへの警戒感を忘れさせるほどです。なるほど、妖怪たちの人気者という話は嘘じゃなさそうですね。

 私もちびりと舐めるようにお酒を飲み、大きく開いた窓へ目を向けました。
 ごつごつとした岩肌が広がり、その表面を乾いた風が無造作に撫でています。長年にわたって整備されていないことが、荒廃とした景色に拍車をかけています。必要ないが故の放置ですが、これは少々物悲しいものがありますね。
 でもそのおかげで今回の祭りが成った背景を考えれば、きっと感謝すべきことなのでしょう。

 それにしても――勇儀と閻魔様がこの話に飛びついた理由が、なんとなく分かりました。
 旧都は繁華街であるため、騒ぎには事欠きません。年がら年中お酒を存分に呷り、気が向けば祭りもどきを開催して退屈を紛らわす。ですが妖怪は総じて長命であるので、人の入れ替わりはほとんど生じないのです。やりたい者が企画して他の者が唯々諾々と流されるままに参加する。故に毎回、代わり映えのない宴会にしかならない。
 真新しさも新鮮さもなく、変化という概念からも見捨てられた土地。
 だからこそ、ひとりの人間の思いつきという突風に誰もが喝采し、受け入れた。
 ただの花火じゃないか、と言うのは簡単です。ですがここ百年、いえ数百年は花火が打ち上げられたことはない。
 祭りといえば酒、屋台、食べ物。こういった固定観念に囚われて、それ以外を忘れていたのです。

 ……これは憂慮すべき事態でしょう。
 停滞とはすなわち崩壊への序章です。常に向上を促し発展していかなくては、どれほどの隆盛を誇ろうとも、いずれ国も人も妖怪も滅んでいく。昇る以上は降りることが許されないのが、世界の理です。
 幻想郷も人間を襲えなくなった妖怪たちが気力を失い、その状況を憂いた妖怪の賢者が博麗の巫女と共にスペルカードルールを提唱し広まらせることで、ようやく退廃の道から外れたのです。
 そう、地底もまた一昔前の幻想郷と同じく、人知れず滅びへと進んでいたのかもしれません。
 しかしそれはいらぬ心配だったようです。旧都を巡っていて、そう確信しました。

 妖怪は、等しく欲望に忠実である。

 本来なら禁じられているはずの、地上の妖怪が地底へと赴くこと。
 この場に、弾幕ごっこという新しい交流方法を学んだ者たちがいること。
 楽しいお祭りを壊さないためならば、他者への嫌悪をも凌駕するほどの意思を保てること。

 地上の妖怪は地底に入り込んではいけない決まりですけど、地底の妖怪が外に出てはいけないという決まりはありません。
 今回のことをきっかけに、地底の妖怪たちの目が外へと移っていけば。
 破裂しそうなほど膨らんだ興味を抱いて地上に降り立ち、その空気を胸いっぱいに吸い込んで帰ってくれば。
 ひとりの人間が地底に清涼な風をもたらしたのと同様に、彼らひとりひとりが風となる――。

 それはそれは、素敵なことではないでしょうか。

 そんなことを戯れに考えながら盃を乾かしていますと。
 薄暗い景色の向こう側から、何かが近づいてくるのが分かりました。
『彼女』はぴたりとこちらを見定めていて、私にはとても出せないようなスピードで向かってきます。
 そして舞い込んだ風の如く入室し、眩いばかりの笑顔で挨拶しました。

「よう。本当に特等席だな、ここは」
「来たな来たなぁ、盟友! お前のために無理言って占領したんだ、さあ飲もうぞ!」

 ひらりと魔理沙さんが箒から降りた途端、勇儀が駆け寄って飲みかけの一升瓶を押し付けました。
 彼女の酒臭さに苦笑しながらも、魔理沙さんはそれに直接口をつけて勢い良く呷ります。
 人間ながらも素晴らしい飲みっぷりに、勇儀が満足げに頷きました。

「食い物もたんとある! もちろん人肉は入ってないから、遠慮なく飲み食え!」
「ああ。その期待に負けない肴を用意したから、すぐに潰れるんじゃないぞ?」
「誰に物言ってる! 私は山の四天王が一人、星熊勇儀! 私を酔わせたければ、この百倍は持って来い!」

 がははは、とあまり品のない笑い声を上げながら、勇儀は再び飲酒へと戻りました。
 魔理沙さんもヤマメさんたちに会釈をして、ごく自然に私の隣に座ります。
 ぎりぎり肩が触れ合う距離。そんな些細なことに胸を高鳴らせながら、私は気になっていたことを質問しました。

「あの……お空たち、ちゃんと行きましたか?」
「おう。珍しいことに、約束の三十分前にはうきうきしながら来たぞ。もちろんゾンビフェアリーたちもな。まああいつらだけならちょいと……いや、ものすごく不安だったから結局私も残ろうと思ったんだけどな。打ち上げは点火するだけとはいえ、タイミングとか大事なところもあるし。でも、ぎりぎりで――」
「『お燐が到着したから任せてきた』ですか。よかった、あの子がいるなら安心です」

 安心してほっと息を吐きました。
 打ち上げは元々責任者である魔理沙さんが行う予定だったのですが、土壇場でお空が『わたしがやりたい!』と強く要望してきたのです。あの子は残念なことに物覚えが良くないので、少々心配でしたが……お燐が一緒なら大丈夫でしょう。
 お昼ごろに、ついついお燐を弄ってしまったのですっぽかされるかもと不安でしたが、本当によかった。

「あっ、そうだそうだ」

 と、魔理沙さんが思い出したかのように膝を叩きました。
 そして何故か表情を引き締めて私を見やると、

「さとり。私は、お前が嫌いだ」
「……え?」

 唐突な嫌い宣言に、私の思考は真っ白になりました。
 なんでしょうね嫌いって。嫌いってどういう意味だったか、私にはとんと分かりません理解できませんしたくもないです。そもそも嫌いの定義とは何なのでしょうか。好きの反対? でもそれは無関心だって誰かが言ってたような言ってなかったような、でもそれが真実なら嫌いの反対は嫌いなのかもしれません。そうすれば今回の嫌いは嫌いの反対ですから、実は嫌いだったりするとか……結局駄目じゃない。

「…………」

 ああ、世界が滲んで一寸先も見通せません。
 でもこの感情も当然といえば当然でしょう。だって私はさとり妖怪、誰からも好かれない恐怖の妖怪ですもの。人間はもとより、皆から忌み嫌われた妖怪からすらも恐れ怯まれる少女だから、人間の魔理沙さんから好かれるなんて夢のまた夢、いえ蒙昧なる妄想といえるでしょうそうでしょう。ああお母さんお父さん、さとりは弱い子でした。嫌われるのに慣れているだなんて意地を張って、でも結局寂しさには勝てなくてペットを飼い始めてしまって。挙句の果てに、言葉を繰れない動物からは好かれても人型になって言葉を得た動物から少し距離を置かれるとは、もはや運命にすら嫌われているといっても過言ではないのでしょう悲しいですぐすん。やっぱりこんな冷たい世界には耐えられない、今すぐお母さんたちに会いたいですそうしたいです。きっとこいしなら大丈夫、あの子は私よりもずっとずっと強い子だから、弾幕ごっこでだって今まで一度だって勝てないとか姉としての面目は丸つぶれとか気にしてませんよ。自殺は重罪らしいですからあなた方に会えるのは数千年先になるでしょうが、そのときは弱い私をぎゅっと抱きしめてくれたらとっても嬉しいなぁなんて、ですがもしもお母さんたちにすら嫌われていたとしたら私の居場所というより人生っていったいなんだったんだろうなと――

「さとり、さとりー!?」
「……はっ」
「大丈夫か!? 消しゴムで消されかかった鉛筆画みたいに存在が希薄になってたぞ!?」
「ええ、正気は保っています。ところで包丁か何かは持っていませんか? ああ、死んだら肉体なんて不要になるので、第三の眼は気色悪いオブジェにでもしてくれれば幸いです……」
「んな怖いこと言ってくれるな! お前が死んだら吃驚仰天幻想郷大奮発だよ!」
「嬉しい……最後にそんな優しいことを言ってもらえるなんて、最高の冥土の土産になりまし……た……」

 がくり。

「……さ、とり? さとり、さとりぃぃぃぃぃ!」

 魔理沙さんの泣き叫ぶ声を、ぼんやりとした心持で聞きながら。
 ――私は死んだ。







「……妬ましいわね。こんな小芝居に夢中になれるなんて、本当に妬ましいわ」
「いいんじゃないかしら。こんな日だもの、無礼講ってやつよ」
「……っ、良い話だなぁ」
「ははははは! あーっはっはっはっはっは! いいぞもっとやれー!」

 ――そんな無粋極まりない声を背景に、私は目を開けました。
 眼前に広がっていたのは、お酒が入ったことで若干涙腺が緩んだ魔理沙さんの顔でした。
 涙を零しているものの、その心はいたって平穏そのものです。
 少々名残惜しみながらも体を離し、彼女の隣に座りなおして問いました。

「それで、どうしてそんなことを?」

 聞いたのは当然、私を嫌いだと言った理由です。
 すると魔理沙さんはあっさりと答えました。

「ああ、お燐に頼まれたんだ。さとりに会ったら出来る限り心情を籠めて『嫌い』だって伝えてくれって。意味は分からんが、なんかあいつに怨まれるようなことでもしたのか?」
「なるほど。……仕返しのつもりなのね、お燐」

 ペットからの思わぬ反撃に、私はつい忍び笑いを零してしまいます。
 よほど大勢の前で恥をかかされたことを腹に据えかねたでしょう。それでなんとか報復しようとしたのだけれど、お空との約束を無視するわけにもいかず、魔理沙さんを使ったというところかしら。
 ……上等じゃない。多分に効果抜群だったわよ、褒めてあげましょう。すごい。

「まあなんだ、すまんかった。やっぱ頼まれてもこういうことするのってよくないよな」
「いえ、別に構わない……わけでもありませんけど。今回は不問にしましょう」

 ただしお燐、あなたは駄目よ。

「うん、それでな。あっちは全部の準備が終わって、ようやく――」

 魔理沙さんがそう言いかけたとき。
 どん、と力強い響きが鼓膜を揺さぶりました。
 その場にいた皆が一斉に、弾かれたように窓の外へと眼差しを向けます。




 華やかな旧都を羨むように広がる暗闇の中。
 土色の空を彩らんと花咲かせたのは――純白の大輪でした。



「うわぁ……」

 思わず感嘆の呟きが零れました。
 日の昇らない地底ではありえないほどの光量が一瞬で解き放たれ、また刹那のうちに消えていきます。
 打ち上げの時点を見逃したため目視できたのは、白色の花弁を開いた瞬間だけ。
 二秒と空を飾らなかった花火は、だけど三つの目にしかと焼きついて、散っていく最中も消えることはありません。
 そして余韻に浸っている間にも、次の種が光芒を煌かせながら昇っていきます。
 どぉん、と腹の底に響き渡る爆音と共に、今度は青白い花火が地底の空を染め上げました。
 しかし今度はそれが完全に溶け散る前に、さらなる光球が二発打ちあがって――炸裂します。
 あとはもう数え切れません。パラパラと軽い音がしたかと思えば、今まで放射状だった花火が柳の木のように下へと降り注ぐようなものへと変わっていたり、十発以上が同時に破裂して異なる色彩の火花が幾層にも重なり――

「すごい、きれい……」

 もはやそんなありきたりな言葉しか浮かばず、ただ忘我としながら空を見つめるしかできませんでした。
 地底に移り住む前――山の中から眺めたそれよりも遥かに雄大で。
 魔理沙さんの心から読み取ったそれとは比べ物にならないほど圧倒的です。
 何かが琴線に触れたのでしょうか。手の甲で頬を拭ってみると、そこには確かな水滴が付着していました。

「本当は、ぜんぶ火薬で作りたかったんだけどな。それだけの時間も技術もなかったんだ」

 はたと横を見ると、魔理沙さんが少し悲しげな微笑みを湛えたまま、花火を見上げていました。
 独り言かと思いましたが、魔理沙さんは私に見られていることに気が付くと小さく苦笑し、まるで詫びるかのように目を伏せて続けます。

「茸から抽出した燃料を使ったから、半分以上は魔法なんだろうな。ごめん」
「謝罪には及びませんよ。だってそれだけ急いだのは『これほど綺麗なものを、早くさとりに見せてやりたかった』からでしょう? これが花火であれ『劣化した弾幕ごっこ』であれ、美しいものには変わりないですから」

 実際のところ、そんな裏事情はとっくに知っていました。
 だって開催までの時間を一緒にいたのですから、彼女が『花火は火薬のみにしたいけど予算も時間も足りない』と悩んでいたり、試作を完成させてみて『まるで弾幕ごっこの失敗作じゃないか』と再度計算と調合に苦心したりと、常時胃痛がするほど悩み抜いてこの日を迎えたことを、私はすべて知っています。
 そしてそれらを踏まえた上で、私はもとより地底の皆に喜んでもらおうと最善を尽くしたこともお見通しです。
 だから責める気は当然ありませんし、落胆することなどありえません。

「だから、そんなにしょげた顔しないで。あなたは笑っていたほうが素敵ですよ」
「……うん。ありがとう、さとり」

 ようやくいつもの笑顔を浮かべた魔理沙さんと、肩を並べて今なお咲き誇る花火を観賞します。
 そしてしばらくして――ぱたりと音が止みました。
 これでおわったのでしょうか。問うように魔理沙さんへ視線を向けると、彼女はにやりと口端を吊り上げて首を横に振りました。

「ここからはスペシャルサンクスってやつだぜ。なあ、みんな」
「おっしゃあ、これからか盟友!」
「おおお、待ってたよ~」
「……楽しみぃ」
「ふん、待たせすぎなのよ。その悠長さが妬ましいわ」

 ……どういうことでしょうか?
 彼女たちの態度からすればまだ隠し玉があるようですが――と、そう思ったときでした。
 ひとつの火の玉が高く高く、土天井にぶつかるのではというところまで昇っていきます。
 何が起きるのか読心する暇もなかった私はもちろん、承知しているはずの勇儀たちも固唾を呑んで見守ります。

 そして――その第一弾が、閃光を放って炸裂しました。

 旧都の一角をも飲み込みそうな大きさの花火が、満月を思わせるほどに見事な円形を描き、四方八方へと散ります。
 しかし先ほどまでのとは違い、その中心から赤く細かな棒状の炎がいくつも噴出していました。
 円状に広がった花の中からヤシの葉が飛び出たような、異なる種類の花火を混ぜた形となっています。

(……あら?)

 それを見て、私は違和感を覚えました。
 別にそれが綺麗じゃないとかそんなことではなく、ただ純粋に首を傾げてしまったのです。
 私の記憶違いでなければ、あれはたしか彼女の――

「……釣瓶『飛んで井の中』」

 ぼそりと、数メートルほど離れた場所にいたキスメさんが、小さく小さく笑いながら呟きました。
 その言葉で私は確信しました。そう、あの花火は彼女の『弾幕』に酷似していたのです。

 次の花火が上がります。
 これもまた一度大きく破裂しましたが、その衝撃で撒き散らされた小さな玉が次々に炎となって弾けます。
 それらは同時に四散するのではなく、微妙な時間差で火花を放ちました。
 筆で丸い一本線を書き流すように――赤い炎が何層にも重なった渦巻きを描きます。
 キスメさんの横でヤマメさんがお酒を一気に飲み干しながら、

「よし! 瘴符『フィルドミアズマ』だ!」

 照れたように縮こまっているキスメさんと、パンと手を合わせました。

 私は大体の事情を察して、三発目を見届けます。
 今度は低めの位置で炸裂した緑色の火の玉が、通過した空間に小さな花火を撒き散らしながら上昇していきます。
 そしてある地点で唐突に真横に逸れて、しばらくしない内に再び進路を変更しました。
 その動作は生物を連想させられます。花火という一瞬の存在を体躯とした、まるで空を這う蛇のよう。

「美しいわ、妬符『グリーンアイドモンスター』」

 白磁のような頬をほのかに赤らめて、パルスィが艶美な表情で称えます。
 あの橋姫が素直に褒めるなんて珍しいと思っている間にも、四発目が打ち上がりました。

「そらきた! 四天王奥義『三歩必殺』!」

 形を成す前から勇儀が大声で宣言し、そしてその通りに花火は広がりました。
 球体状の小さめの玉がひとつ目、それを包み込めるほどに大きい玉がふたつ目、そしてそれらを凌駕する大玉がみっつ目として爆発します。最初のほうで披露された花火と見た目はほとんど一緒ですが、明確な違いがありました。
 それは耳を聾するほどの爆音に、そして何より規模です。
 今までの花火と比べてもその大きさは、目測ではありますが二倍ほどは確実にありました。
 豪快さと派手さを何よりも好む鬼らしい花火だと、心底納得しました。

「実はな、手伝ってくれた奴らの弾幕も花火にしてみたんだ」

 まるで最高の悪戯が成功したかのような笑みを湛えながら、魔理沙さんがネタ晴らしをしました。

「かなり大変だったから、それなりに人数は限らせてもらったけどな」
「やはりそうでしたか。弾幕ごっことは違う、刹那の美しさが見事に現れていますね」

 そう言っている合間にも、花火は上がり続けます。
 連続で打ち上げられた花火が怒涛の勢いで炸裂し、その周囲をゾンビフェアリーたちが楽しそうに悠々と飛び回っていました。時折火の粉に接触したのか、弾幕を撒き散らして一回休みとなっています。

「これはお燐の……呪精『ゾンビフェアリー』かしら」
「そうみたいだな。好きなのを持って行かせたんだが、まあ使ってくれて何よりだ」

 こうして花火と妖精たちの共演が終わり、再び地底の空が暗闇を取り戻します。
 しかしそれを振り払うように、真っ赤に焼けた火の玉が天井へと駆け上りました。その数、見たところ数十はくだらないです。
 天井を破壊しないように配慮しているようで、それらは上昇するにつれて徐々に萎んでいきます。
 ですがその速度はまったく間に合っておらず、ずしんずしんと轟音を響かせながら天井を強打していました。
 この荒々しくて制御されていないかのような『弾幕』は――。

「……爆符『メガフレア』ですね」
「……ああ。あいつの分も作っといたんだが、お気に召さなかったのか力が有り余ってたのか……」
「すみません、あとできちんと叱っておきますんで」
「いや別にいいよ。あの程度じゃさすがに岩盤はぶち抜けないだろう?」
「それはそうですけど」
「っと、そろそろ最後の打ち上げだ。見逃してくれるなよ」

 お空の弾幕が止み、地底は過去に例がないほど静寂に包まれました。
 酒飲みたちの喧喧とした大音声も吸い込まれたかのように消え去り、皆が最後の瞬間を察して等しく沈黙します。
 私も意識を窓の外に集中させていると、ふと手が温かなものに包まれました。
 ちらりと目だけを下に向ければ私の右手に、魔理沙さんの左手が柔らかに重ねられていました。
 しかし魔理沙さんに自覚はないようで、その心中では身を裂くほどの緊張が唸りを上げているようでした。
 なので私は声をかけることもなく視線を戻し、けれども乗せられた手を軽く握って応えます。


 そして。
 呼吸ですら耳障りになるほどの静けさの中。
 とうとう最後の花火が、光の尾を引いて高々と舞い上がりました。





 放たれたのは、ただの一発。

 それは美しき珠を描いたわけではなく、技術を駆使して図形を完成させたわけでもない。

 有体に言えば雑多で未完成な代物だと、誰もが思った。

 だが暗闇に露と消えたそれを、誰一人として嘲笑に値するとは評さず。

 胸に湧き上がった深い満足感を抱いて、惜しみない拍手を製作者へと送った。





 ……地底が鳴動したかと思うほどの歓声と拍手が、旧都全体に満ちていました。
 もちろん私も痛くなるほどに手を叩きます。黒谷ヤマメもキスメも水橋パルスィも星熊勇儀も、そして他の妖怪たちも。時間にして三十分にも満たなかったですけど、彼女への称賛は止まるところを知りません。

「見事だったぞ、盟友! ここ百年の祭りで、文句なしの一番だ!」
「ええ! 正直な話、これほどとは思わなかったわ!」
「すご、かったぁ!」
「妬ましいわね。いえ本当に妬ましくて、妬ましいほどよ」
「ああ、ありがとう」

 魔理沙さんもはにかみながら照れたように返答します。
 ひとしきり感激の言葉を告げると、興奮冷めやらぬ様子で酒盛りへと移行していきました。
 そして皆の関心が料理と酒に変更されたところで……気づかれないよう、魔理沙さんは小さくため息をつきました。
 そんな彼女にそっと近づき、私は声を潜めて尋ねます。

「どうしてそんなに意気消沈としているんですか?」
「……いや、ごめん」
「そんなに『失敗した』ことがショックでしたか?」

 さりげなく核心を切り出すと、魔理沙さんは一瞬驚いた表情になって。
 しかし私には誤魔化しが通じないことを思い出してか、ゆっくりと首肯しました。

「本当はさ、最後の花火は『ある形』になる予定だったんだよ。たくさん計算して完璧だと思ったんだが、駄目だった。一応、茸の固形燃料を使用した試射じゃ成功したんだけどな。もう分かってるんだろ?」
「ええ。あれは本来『第三の眼』の形状となる予定だった」
「やっぱり、固形燃料と火薬じゃ微妙に違うんだな。他の花火は失敗してなかったけど、一番大事な一発をしくじるとは……やれやれ、私もまだまだ修行が足りないってことだな」

 ははは、と掠れた声で笑う魔理沙さん。
 ですが私は、そんな無理をした笑顔が見たいわけではないのです。
 だから確かな声色で、魔理沙さんに言いました。

「私は、最後の花火がもっとも美しいと感じましたよ。おそらく他の人たちも」
「ああ……お世辞でも嬉しいぜ」
「違います。本当に綺麗だったんです。それは旧都の皆が送った賛辞が証明しています」

 すると魔理沙さんは見捨てられた子犬のような眼差しで、私を見ました。

「……本当か? 元気付けようとして、慰めてるわけじゃないよな」
「もちろんです。たしかに最後の花火は形になっていませんでした。ですがその代わり、他のどれよりも『心』が篭もっていましたよ。妖怪は精神に依存する生物、そういったものにとても敏感なんです」
「……さとりはどうだ? お前は、あれで良かったか?」
「私は駄目だと思いますよ。とても心が篭もっていて素敵な花火ではありましたが、まだまだ未完成でしたから」

 そうだよなぁ、と魔理沙さんはがっくりと肩を落とします。
 私はそんな彼女を抱擁し、こちらの様子を気にも留めない勇儀たちの前で、その頬に口付けをしました。




「ですから――また、一緒に花火を見ましょうね」










 それからしばらくして。
 あの一夜のために溜まりに溜まった仕事をようやく片付け終え、私は久方ぶりに将棋に興じていました。
 相手はもちろん、遊びに来た魔理沙さん。
 今も彼女は私の目の前でうんうんと唸りながら、いかにも形勢不利な盤面を凝視しています。
 そして悩むこと数分。かちゃりと軽い音を立てて駒を握ると、勢いよく振り下ろしました。

「よし、これでどうだ!」
「残念ですが悪手といわざるをえませんね。はい、王手です」
「な、なんだってー!?」
「逃げ場はありません。なのでこれで詰み、十勝目です」
「うおおおおおおぉぉぉ! ちくしょう、お前強すぎだろー!」

 絶叫しながら頭を抱える魔理沙さん。
 髪を振り乱して悶える様はあんまり可愛くないですが、その絶望に満ちた心はとっても甘いです。
 ……別に、苛めるのが趣味というわけではないですよ?

「ところで魔理沙さん。約束は覚えていますよね?」
「むぅ……仕方ない。台本に沿った会話でいいんだな?」
「ええ。よろしくお願いします」
「よく分からんなぁ。まあ、負けたから従うけどさ」

 先ほど手渡した台本の中身を反芻する魔理沙さんを眺めていると、扉を叩く音がしました。
 どうぞ、と声をかけると入室してきたのはやっぱりあの子でした。
 鮮やかな赤毛の上にピンと耳を立てて、お尻からはふらりふらりと二尾を揺らしています。
 その手に熱々の紅茶を載せた盆を持ったお燐が、にこやかに微笑みながら歩み寄ってきました。

「お茶をお持ちしました、さとり様」
「ありがとうお燐。そこに置いておいてもらえるかしら」
「はいっ」

 元気な返事を貰って、私にも元気が溢れてくるような気がしますね。
 魔理沙さんも早々に紅茶とお茶菓子に手を伸ばして、美味しそうに小腹を満たしていました。
 そして私も紅茶に舌鼓を打ちながら、さりげなく言いました。

「ねえ、魔理沙さん」
「ん?」
「やらないか」

 ぶふっ、とお燐が噴き出しました。
 そして咎めるような眼差しを向けながらも――しかし、抗議の声は上げません。
 どうやら反応すれば私の思う壺だと思っているようですね。
 それは正解ですけど、しかしそれはすでに折込済みなのです。さとり妖怪を舐めてもらっては困ります。

「ん、いいぜ。じゃあ今日はどっちが先に攻める?」
「うええ!? ま、魔理沙!?」

 ほら、早くも崩れだした。

「そうですね。最近は私の方ばかりなので、たまには魔理沙さんから可愛がってください」
「了解した。じゃあさとりが先に風呂行ってくれ。それとも一緒に入るか?」
「あら、一戦交える前の予行練習というわけですか。それは楽しみです」
「ちょちょちょちょっと待ってください! というか、魔理沙!」
「あー?」

 紅茶を啜りながら、不思議そうな顔をする魔理沙さん。
 そんな彼女にお燐は唾を飛ばしかねないほどの勢いで、喚くように言いました。

「あんた、どういう意味で言ってるわけ!?」
「どういうって……」
「ふ、ふふん。分かってるのよ。どうせさとり様の策略でしょう? あたいは騙されないんだからね!」

 その警戒心も予想の範疇です。
 お燐の動揺を知る由もなく、魔理沙さんは無慈悲に告げました。

「なんだ、私とさとりが肌を合わせるのってそんなに変なことか?」
「肌を合わせる!? そそ、それってどんな感じに!?」
「お互いが気持ちよくなるために、全身を愛撫しあって……」
「ああやっぱりやめて! 身内の生々しい話なんて聞きたくない!」
「何をそんなに興奮してるのかは分からないけどさ。なんなら、お前も混ざるか?」
「混ざる!? さんぴーってこと!? その発想はなかったわ! でもあたい、そういうの初めてで……」

 ああ、良い具合にお燐の頭が掻き混ざっていますね。
 それにしても本当にお燐は可愛いです。だって今ではお燐くらいですもの、これほど私の発言に快く振り回されてくれるのは。他のペットたちは『あーはいはい、絶好調ですね』と呆れ半分の眼差しを向けてくるだけですから。
 お燐、あなたが私のペットで本当に良かったと思っているんですよ。
 
 どれだけ周りの人妖たちから迫害を受けようともあなたが、他のペットたちが、妹が、そして魔理沙さんがいてくれれば、私はこの辛くて汚くて美しい世界に絶望せず、これからも頑張り続けられます。
 さとり妖怪として生を受けたことに感謝する日が来ると、心から信じていますから。

 ええ、きっと明日は――今日よりも素敵な日となるでしょう。

「へぇ、お前マッサージし合ったことないのか。それなら教えてやるぞ」
「ま、まっさーじ? ……ちくしょう、よくも騙したな! 騙してくれたなぁぁぁぁ!」
「うおおっ? さとり、こいつ何に怒ってるんだ?」
「そうですね、お燐は誤った知識から勘違いをしてしまったようです。というわけで、この子の部屋にいってそれを確認してみましょう。お燐、あなたの秘蔵の薄い本は……本棚の裏とベッドの下、それとクローゼットの奥ね」
「やめてさとり様ぁ! どうか、あたいの恥部を暴くのだけは勘弁してぇ!」
「おう、なんだか愉しそうだな。私も同行してもいいか?」
「あんたはやめとけ! というか、あんたにはまったく必要のない情報だから!」
「いいですね、一緒に行きましょう。ふふふ、その無垢な心に淫らな性知識を刷り込むなんて……心躍るわ」
「ほらー!? さとり様、すっかり捕食者の顔になってるじゃないですかー! やだー!」


 それでも、今はとりあえず。
 愛くるしい家族と親愛なる友人を伴って、本日を謳歌するとしますか。
どうも、ごはんつぶです。
お燐可愛いよお燐なさとまりでした。楽しんでもらえれば何よりです。
本当は下ネタ短編の予定だったんですが、花火の話を詰めてったらこんな長くなっちゃいました。反省。
でも書きたいことを書いたので満足してます。最近はこれを忘れてました。
SとりとM理沙の薄い本を心から待ち望んでいるごはんつぶでした。

個人的な報告をひとつ。
今日で第一作目を投稿してから、丸一年が経ちました。
正直こんなに続くとは思ってもみませんでした。
ひとえに、評価やコメントを下さった皆様方のおかげです。本当にありがとうございます。
これからも精進してまいりますので、気が向いたらよろしくお願いします。
……さとまり、流行れ!


それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!


*追記
誤字修正しました。こいしちゃん……本当にすみません。
ごはんつぶ
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コメント



0.2050簡易評価
2.100奇声を発する程度の能力削除
とても楽しく、最後はドキドキしながら
読ませて貰いました
そして、一周年おめでとう御座います
3.100名前が無い程度の能力削除
さとりのキャラが凄く良かったです。
やっぱりさとりはSがいいですね。
5.100名前が無い程度の能力削除
Good
素晴らしい
8.100名前が無い程度の能力削除
すばらしい。とても面白かったです。ところで
や ら な い か
9.100名前が無い程度の能力削除
さんぴーはまだですか?(疑問)
11.100oblivion削除
さとりちゃん……こんなにたくましくなって……
(肉体的な意味ではない)
12.100名前が無い程度の能力削除
さとりさんの鬼未力全開
ドSでセクハラで鬼畜で純粋なかわいい天然キャラって新ジャンルだよな
14.100名前が正体不明である程度の能力削除
さとりさんいい仕事してますね!
22.80名前が無い程度の能力削除
×同様→○動揺

こいし…
26.100名前が無い程度の能力削除
さとりがいい性格してるなぁw
27.100名前が無い程度の能力削除
さとり様が魔理沙にじっくりねっとり性知識を刷り込む続編を希望します!
29.100名前が無い程度の能力削除
久しぶりにごはんつぶさんだぜ、ヒャホーイ!
32.100名前が無い程度の能力削除
タイトルに釣られて見に来たが、めっちゃ良作でしたなww
ちょっぴりくそみそと下ネタを交えてるところがもうww
33.100名前が無い程度の能力削除
セクハラするさとり様は最高だね。
39.100名前が無い程度の能力削除
なにこれひわい
44.90桜田ぴよこ削除
楽しませていただきました。
55.100名前が無い程度の能力削除
さとりん…w
すばらしかったです