「……と、いうことです。前の騒動では迷惑をかけてしまったし、君にもいい経験になるでしょう」
「おー? 私はこれからどこに連れていかれるんだー?」
「……芳香。今日は墓は守らなくていいわ。ちょっとお出かけしましょうね?」
「そーぉかー。でも、墓は誰が守るんだ?」
「我がやろう。……というか、こいつにやらせる」
「墓守り? やってやんよー!」
「なら大丈夫そうですね。では、行きましょうか。……豊聡耳様、またどこかで会うことがあったら……」
「おー」
◆◆◆博麗タイクーンと重篤患者◆◆◆
夜、秋風が吹き始めた博麗神社。
その境内には枯れ葉がくるくると舞い、ここの神社の主、博麗霊夢の頭を悩ませる。
掃除をする分はいいのだ。掃除をするのは。
だが、まだまだ木には茶こけた葉がたくさんくっついている。
いっそのこと、葉っぱごとちぎってまとめてたき火にした方があったかいしお得ではないか――。
そんな物騒なことを考えながら、畳部屋で緑茶を飲んでいた霊夢は気配を感じ、ふっと鳥居を見る。
そして、一つだけため息をついた。人間以外の来客だったからだ。
「なんであんたがいるのよ」
「うーおー。あの時の借りを返しに来たんだぞ」
「少なくともあんたに貸した担保はないわ。というか、そんなにお金ないし」
現れたのは、少なくとも神社には似つかわしくないキョンシーこと、宮古芳香である。
芳香はこつん、こつんと石畳で軽快な音を鳴らしながら、今にも鳥居を潜ろうとしていた。
とりあえずそのまま入れるのも巫女としてはどうかと思ったので、結界でしっかと止めておく。
ぴょん、ぴょん、ごつん。
「あれ? 入れないよ?」
「入らせるわけないでしょ。妖怪を許可無しに入れるわけにはいかないわ」
「……それでは、こうやって入ってきたらどうします?」
「!?」
どこからともなく声が聞こえたかと思えば、石畳からずるんと誰かが出てくる。
一瞬驚きに目を開く霊夢だが、その見知った姿を見るとため息はさらに増していく。
一方の芳香は目を輝かせつつ、結界に頬ずりしながら言った。
「おー! 青娥だけ結界に入れてるぞ。ずーるいー!」
「うふふ。これくらいの結界なら造作もないことですよ、芳香。あなたは暫く待っていなさい?」
「分かったー」
現れた邪仙、霍青娥が一つ命令をすると、芳香はぴたりと動きを止めた。
それもそのはず、芳香は彼女の使役を受けているのだ。本人は全く気にしていないが、意思ある傀儡のようなものである。
一歩も動かなくなった芳香を確認すると、青娥は霊夢のいる方を向く。
「さて、霊夢さん。私のお願いを聞いてぎゃー!?」
そして、すました顔面に陰陽玉がクリーンヒットしたのだった。
球を受け綺麗に宙を舞う青娥。幻想郷では自然なことである。
「ひ、ひどいじゃないですか! しかも顔面だなんて、あなた一体どういう神経してるんですか!?」
「どういう神経してるのはあんたの方よ! しかも何気にその登場方法、結構心臓に悪い!」
「そうですね、確かに毎回石畳からではやりすぎでした。今度から押入からにした方がいいでしょうかぎゃふん!」
「とっととここから出ていけー!」
「セーフ、顔面セーフですから! というか私の話を聞いてくださらない!?」
二人が境内で地味な争いを続けている中、芳香はこっくりこっくり眠たそうに眺めていた。
本来まだ起きる時間ではないため、直轄外の時間ではとにかく眠いらしい。
そんなまどろむ彼女の帽子の上には、羽休めに来た雀が一匹ちゅんちゅん鳴いているのだった。
「よ、用件、言ってもよろしいでしょうか」
「あんたも存外にタフねえ。まあいいわ、話してみなさい」
暫くの間、霊夢による一方的弾幕ごっこが起きていたが、どうやら決着がついたようだ。
どうやら霊夢が根負けしたらしい。邪仙の一念は、あの博麗の巫女をも押し通したのである。
そもそも霊夢としては全く話を聞こうとしていなかったのだが、小休止のついでに聞くことにした。
「そうですね。まずは私と芳香の生い立ちからいくとしましょ、ああ待ってください霊夢さん静かに針を研がないでほしいのですけど!?」
「新参には厳しく、古参にも厳しく、自分に甘い。これが博麗のルールよ」
「まあ何て素敵なルールでしょう!? ……今日は、豊聡耳様から言伝があって来たんですよ」
「お里の耳? ああ、あいつか」
霊夢は豊聡耳と聞くと、ややうんざりといった顔をした。
青娥の言う豊聡耳様とは、つい最近復活し速くも人々の注目を集めているという豊聡耳神子のことである。
前に何度か世話をすることになったが、確かにいいやつではある。
いいやつでは、あるのだが。
問題は誠意ではなく金額という信念を持つ霊夢にとっては、今でもちょくちょく貢ぎ物がくるこの状況にうんざりしていた。
律儀過ぎである。
「折角だし、あんたがこの大量の陶磁器引き取ってくれない?」
「いえ、それは豊聡耳様が霊夢さんにあげたものですから。いらないと言うなら、そこらへんの地面に埋めるか人里にでも売っ払ってください」
「……あんたも大概外道ね」
「邪仙なめんな、とだけ言っておきます」
うふふ、とどこか色気のある笑顔を見せる青娥。
仙人といえば今はいないが、この神社にも仙人っぽいやつがいる。
その仙人はやれ礼儀が、やれ巫女としての自覚がとかなり口うるさく、簡単に言うと神社版閻魔様みたいなものだが、実際近くにいると会話のネタに事欠かない存在である。
霊夢はぼんやりそう思っていた。
「さて、改めてとよしゃとみみ」
「噛んだわね」
「……こほん。豊聡耳様の言伝を一言」
青娥は咳払いをしつつ、ゆったりとした言葉を紡いでいく。
霊夢は今まで培ってきた直感により、一種の悪寒を感じていた。
やばい、これは面倒なことになるなと。
「ストップ」
「はい、なんでしょう?」
「帰れ」
「えっ」
「えっ。じゃなくて帰ってもらっていいかしら。私これから神社周辺の妖怪絶滅祈願のお守り作んなきゃいけないから」
「邪気に溢れてらっしゃる!? というか霊夢さん絶対それする気ないでしょう?」
「今ならやる気に満ち溢れてるから大丈夫」
「そんなにっこりとした笑顔はやめてください!? お願いします、どうか、どうかお慈悲を! 霊夢さんに断られたら私、路頭で野蛮な方に襲われてしまいますー!」
さすがの青娥も流れを汲み取ったのか、ひしと霊夢にしがみ付いてくる。
しかし、霊夢はそれを無情にも一蹴。人妖の追い返しはもう慣れっこなのだ。
「ええいうっとおしい! 第一あんたには鳥居で待ってるキョンシーがいるじゃない!」
「はっ。青娥を泣かせたら許さないぞー!」
「ああ芳香、私は大丈夫ですから。見てください霊夢さん、あそこにおなかを空かせてるかわいいかわいい芳香がいるんですよ!? あなたには人の心というものがあるんですか!?」
「うん。いっぺんぴちゅってみる?」
その夜。神社から八方鬼縛陣による強力な光が発せられたのだった。
めでたしめでたし。
「ということはなく、私は一度ぴちゅることでお赦しを得たのです」
「得てないわよ。後誰に話してるのよ」
先程の霊夢怒りの一撃により、神社は半壊した。だがそんなことはどうでもいい。
芳香も相当体力があったが、この従者してこの主ありである。青娥も並大抵では倒れない根性を持っていたのだ。
このままではスペルカードが無駄に浪費してしまうので、説教がてら話を聞くことにしたのである。
神社の仙人こと茨華仙の説教を毎日ちくわ耳で聞いている甲斐があったと、霊夢はちょっとだけあの仙人に感謝するのであった。
なお、感謝するからといって態度を改めるつもりはない。
霊夢を言葉で説き伏せるなど、広大な空に浮かんだルーミアを捕まえるようなものである。華仙は、最初から負けが確定している出来レースのような絶望の戦いに身を投じているのだ。
頑張れ華仙。負けるな華仙。ウルトラマジックハンドで霊夢をくすぐり倒すその日まで。
まあそれはともかく。
「で、路頭に迷うって、一体何したのよ」
「ええ……」
さすがに反省したのだろうか、現在地べたに正座中の青娥は大分しょげてしまっている。安物の羽衣がくんにゃり地面に横たわっていた。
そういえばこの邪仙、何しにこの神社まで来たのだろうか。
「こうして押し掛けて、本当に不躾な頼みだと思いますが……」
「ええ。いること自体不躾な気がするけどそれはいいわ」
「ひ、ひどいです! その。……この神社にしばらく住まわせてくれませんか……?」
「……」
「……」
笑顔で対峙する、人間と邪仙。
何と意外な光景であろうか。
幻想郷の格付けランクにおいてウサギとカメの寝ないウサギくらいぶっちぎりの差をつけて頂点に君臨する霊夢を、笑顔にさせたのだから。
青娥は妖怪では殆ど成し遂げたことのない快挙を達成したのである。やったね。凄いね。
だが、問題が一つだけあった。
霊夢が笑顔でありながら、おでこにくっきりと青筋が浮かんでいることである。
「……は?」
「り、理由はちゃんとあるんです! それに神社でのお仕事はお手伝いしますし、お料理とか洗濯とか靴を温めたりしますから!」
「靴は温めんでいい。問題は理由よ、面接なら理由は必ず聞くことらしいし」
「ええ。かいつまんで言いますと、豊聡耳様にしばらくお暇をいただいたのです」
なるほど、そういうクチか。新参故にアテがなく、これ以上泊まるところがないということだろう。
霊夢はあごに手をあて、熟考するふりをすることにした。
果たして既に妖怪神社と言われている博麗神社に、今更ながら妖怪二人を住まわせていいのか。
青娥はうるうると目を潤ませているが、霊夢には効果がない。博麗のルールは厳しいのだ。
霊夢はちょっとだけ考え抜いた結果、適当な一つの結論にたどり着くことに成功した。
「そうね。結局私に利益があるかどうかよ」
そう、この世は利益。金は天下の回り物。得して損なかれ。
例えWIN-WINでもいい、とにかく自分に何かしらの得があればいい。それが霊夢の考えた結論である。
しかも、神社家計はお茶代も含め火の車。青娥と芳香は少なくともそんな中に無防備で飛び込んでいくのだ。
どういうことになるかは、果たして分かっているのだろうか。
「芳香をぎゅって出来ますよ」
「おー?」
どうやら分かってないらしい。霊夢の日常は毎日がベリーハードである。
「いつの間にか結界に入っちゃってるし……何? そいつを抱きしめるとお金とか出てくるの?」
「あんまり強すぎると臓物が」
「よしこの話題はやめよう! あんた、本気で私の利益がそれだけって言うの?」
巫女袖をぶんぶん振り回しながら、霊夢は呻くように訊ねる。
神子は毎回貢ぎ物をくれる分優しかった。だが、その分こっちは相当肝が据わっているのだ。
せめてお酒の一つや二つくらい持ってくるかと思っていたのだ。肝だけに。
しかもその代わりに出すのが芳香である。それは酒でも食べ物でもなく、食べれないし金にならないキョンシー。
霊夢は内心激怒した。この能天気ご一行を生かしてはおけぬと霊夢は考えた。
片方はもう死んでることはもはや問題外である。
「かわいいじゃないですか! 泊めてくれたあかつきには、芳香のスリーサイズから今まで腕が折れた回数、なんでも教えて差し上げましょう!」
「しかし私の心には届かなかった。まあ、あんたの性癖は分かったけど、やっぱり二人分の食事を養う蓄えもないわけで」
「せ、性癖だなんて。霊夢さん、えろえろですね」
「」
霊夢、二回目のぷっつんであった。
「……それで、熱い針責めを耐えきった私は、どうにか了承を得ることが出来たのでした」
「神社の軒下だけどね」
そこには、およよと泣きつつ封魔針を一本ずつ抜いていく青娥の姿が!
元気という言葉からは途方もなく遠くなってしまったが、どうにか寝床が確保出来たことには安堵しているようだ。
お前それでいいのかと出かかる言葉を飲み込みつつ、霊夢はどっかりと縁側に座り込んだ。
既にぬるくなった茶器を手にとり、彼女もようやく一息つくことが出来たのである。
「じゃあ、ひとまず上がりなさい。後、芳香だっけ?あんたも上がっていいわよ」
「ええ。とりあえずこれで、芳香を命令出来るようにしておきましたから」
ふわりと少し浮き上がり、畳の間に上がり込んでいく青娥。
それに対し芳香は両足を揃えて立ったままである。これは、青娥の命令ではなく霊夢の命令によって動くようになったからだ。
青娥は断腸の思いで、条件として芳香の命令権を一時的に渡したのである。これが、先程から悩みの種だった霊夢の「利益」として扱われるのだ。
これ以上話という名の制裁をしても埒が開かなくなってきたため、霊夢がまたしても折れた形となったのである。
そういうわけで、確認のためと簡単な命令をすることにしたのだ。
「おー。と言いたいとこだが、どうやって上がればいいんだ?」
「……ああ、あんた体がしけた煎餅だっけ。とりあえずこの段差くらい乗り越えて見せなさい」
「んむ、ん、てーい」
ぴょん、ごつん。
「こーろんだー」
第一の命令、失敗のお知らせ。
霊夢は立ち上がると、瞬間的に鴉天狗を遙かに凌駕する驚異的な速度でお払い棒を手に握りしめる。みしっと棒の悲鳴があがった。
それに反射的に反応した青娥は、即座に背後から霊夢の神聖な両脇に手を挟み込み、しっかりと羽交い締めた。
この間〇.六秒である。
「青娥どいて! あいつぶっ殺せない!」
「お、おちち落ち着いてください霊夢さん! あの子死んでますから! 後確かに命令していいとはいいましたが、誰も勝手に破壊していいとは言ってませんー!」
じたばた暴れる霊夢ではあるが、所詮は人間の力。
動けないことが分かると、割とあっさり抵抗を諦めてしまった。
青娥としては霊夢の行動が読めなくなるので、暴れられるより恐ろしく感じた。追い込まれた霊夢は何をしでかすのか分からない。
「よ……芳香?ほら、頑張って立ってみてください? というか出来なかったら私が殺されるから立って!?」
「そんなこと言ったってー。こうなってしまったらちょっと無理じゃないかな」
「ふん!」
「あ、だ、ダメ! 霊夢さん動いちゃダメです! ここは堪えてください!」
「……四十秒あげるから、立たせてやりなさい」
「は、はい!」
霊夢はお払い棒を床に置くと、攻撃する意志がないことを伝える。
その瞬間、檻に閉じこめられていた猫が飛び出すかのように青娥が駆けていった。彼女自身も、邪仙になって初めての全力疾走だったという。
「芳香っ、大丈夫ですか?」
「足がやられたかも。地面にやられただなんて、なさけないー……」
「いいえ芳香、あなたはよく挑戦しました。ですが、あの巫女の命令は半分くらい受けて、無理そうなら無理だってちゃんと言わないといけませんよ」
「聞こえてるわよ」
霊夢の呟きは、秋風に流され消えた。風情の欠片もない光景である。
「ん……まだ折れてはいないみたいです。これなら取り替えなくていいでしょう」
「そーぅかー! 良かった、また青娥に迷惑かけちゃうところだったよ」
「確かに取り替え用の部品は全て置いてきました。ですから、あまり無茶をしてはいけませんよ、芳香」
「うん。私もな、青娥に五体満足でぎうーってされたいから、元気な方がいいな」
「芳香ー!」
「うあー」
ぎゅーっと抱き合う二人。とはいっても、芳香が動けない分青娥が手を回す必要があるので、やや一方的なものである。
しかし、それでも二人は幸せそうだった。これが彼女達なりの抱きしめ方なのだ。形式に囚われてはいけない。
霊夢はそんなラブロマンスを呆れ顔で見つつ、冷たくなったお茶を飲み直す。彼女も空気を読むことは出来るのだ。
「はいはい、ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「……まあ。私も極力、芳香に無理をさせないようにするわ」
「ど、どういう風の吹き回しでしょう」
「ほら芳香、えっと。正座は無理そうだし、こうやって座布団しいて横になればいいんじゃない?」
「おー、こうすれば汚れないし大丈夫だな。ありがとー、えっと誰だっけ」
「霊夢よ」
「でーぶ?」
「れ、い、む」
「れーむか。うんれーむ、霊夢、覚えたぞ」
覚えてたらいいけど、と加えつつ、霊夢は芳香の世話をし始める。
それを見ていた青娥は、驚きよりむしろ興味を感じた。
元々強い者に惹かれる癖はあるが、霊夢はまた特別。規格外に強い上にちょっと暴力的だが、こうした優しさも垣間見ることが出来る。
そんな表裏のない魅力的な彼女に、青娥は主の神子と同じ空気を感じ取っていた。
こうして、三人の奇妙な生活が始まったのだった。
◆
「うーわー! 風が、風が舞って葉っぱがー!」
「いかがなものでしょう、うちの芳香は」
「んー。まあ、悪くはないわね」
二人が神社に居候を始めて、三日が経った。
霊夢と青娥は畳の部屋で、外にいる芳香の奮闘をぼんやり眺めていた。
時間にして現在夜二十三時、キョンシーにとって、これからが活動時間である。
「働く時間は七時間から八時間。寝ている間も勝手に仕事をして朝になったら地中に潜る、私の素晴らしいキョンシーですよ」
「怪しいセールスみたいな言い方ね。まあ、大体その通りなんだけど」
因みに今芳香は掃除をしているが、風という自然の摂理と必死に戦っている最中である。恐らく勝ち目は薄い。
どうやって掃除をするのか、という声もあるかもしれないが、首に箒をかければそれなりには掃除出来る。
そしてある程度残った葉を霊夢が簡単に掃除するという形である。少なくとも貢献はしているようだ。
「問題はやや燃費が大きいのよねぇ。酒飲みよりかは幾分かましだけど、やっぱり量が多いわ」
「何しろ動き方があれですから。後、体の器官が全部働いてるわけではないのです」
「あー! 葉っぱかむばーっく!」
外では変わらずつむじ風が悪戯をしているようで、芳香も中々掃除を進めることが出来ないらしい。
これ以上動かすのもあれなので、霊夢は命令を出すことにした。大体の命令はきちんと聞いてくれるようになり、手間もそんなにかからなくなった。
「よしか、もういい! もどれ!」
「おー。むぐー、あんまりお仕事出来なかった。ごめんなさいー」
「気に病まなくてもいいわ。第一すぐにやれってわけでもなかったし、やらないやつらに比べればましよ」
「そうですよ。芳香は何してもかわいいんですし、いるだけでも私達の心のオアシスになっているのです」
「それはあんただけだし、大仰ね」
すりすりと芳香に頬ずりをする青娥。霊夢が近くにいてもお構いなしである。
しかし、その顔はどこか哀愁を帯びているように見える。離れたくないと言ってるような、そんなほの暗さ。
霊夢はまるで興味がないような言い方で、素っ気なく詮索を始めた。
「随分芳香を買ってるのね」
「ええ、それはもう私の大事な子ですから」
「そうだー、そして私も青娥のことは好きだぞ」
「ほら、ご覧の通り」
なでなでと芳香を撫でる。壊れ物を扱うような、優しい手つき。
それこそ我が子を愛でているような、母親のような目をしていた。
霊夢はそれに、小さな寒気を覚えた。死人を愛すというのはおかしいはずだが、それに慣れ始めている気がしたからだ。
博麗神社に飼われている地底の猫、お燐も似たようなならいがある。妖怪にも色々いるのは確かではあるが。
そこに強い引っかかりを覚えた霊夢は、敢えて聞いてみることにした。
この邪仙、まだ何かを隠しているのではないか。
「そういえば、あんたは神子からの使いで来たのよね」
「ええ、そうですよ」
「……どうして、神子の話をしないのかしら」
部屋の中に冷たい風が吹く。普段からこんなすきま風が部屋まで吹いていただろうか。
霊夢は畳を指でいじりながら、注意深く青娥を観察する。
見ると、素人目にも分かるくらい不安そうに芳香を強く抱きしめている。
余り強くすると臓物がオープンするんじゃないのかという危機はさておき、素人目でも余程離れたくないように見えた。
そんな思惑を知らずに抱かれた芳香は、そういえばという顔で呟いた。
「私、何しに来たんだっけ?」
「芳香、私の命令に答えられるなら教えてほしいわ。青娥は神子に何を命じられたのか」
「むう。確かに何か言われた気がするけど、あれ、これ言ってもいいのかな?」
「……いえ、私から話しましょう」
重たい空気を遮るように、青娥は苦しげに言葉を紡いだ。
その表情は、やはりどこか浮かない。
「ただ、あんまり怒らないでくださいね?」
「回答次第によるわね。まあ話してみなさい、最後まで聞いてあげるから」
「その言葉、信じていいんですね?」
「勿論」
霊夢は大きく頷き、机に肘を乗せる。丸腰であると証明してみせたのだ。
それを見た青娥はおずおずと無防備な彼女の後ろを見たりしたが、どうやら納得したらしくぽつぽつと話し始めた。
これまで来訪の理由すら分からなかったが、今白日の下に晒されるのだ。
「つまり、私が芳香大好きすぎて追い出されちゃったのです」
「うん。……ん?」
「でも、しょうがないですよね。芳香はこんなにもかわいいんですもの。霊夢さんにも分かって貰えると思います」
「おい」
「豊聡耳様はもう少し自立をとは言いますが、そんなこと出来るわけありません。確かに豊聡耳様はお強いですし、尊敬もしています。ですが、私もたまには反発だってしますよ」
「待て」
「そう、一人立ち出来るまで帰って来れないらしいんですが、私は何があっても離れません。だって芳香は私の全財産以上に大切なんですもの。今こうして肌身離さないのだって、私だって許す限りこうしていたいくらいなんです。なんなら今からもっと肌をくっつけあっても」
「よし、青娥ぶっ倒す!」
深夜。
先日騒動があった博麗神社から、再び空に向かって強烈な光がさしたという。
幸い深夜だったため、二次被害はたまたま上空を飛んでいた夜雀の羽がちょっと焼ける程度で済んだらしい。
夜雀も夜雀で、今日はさすがに何も無いだろうとたまたま上を通ってしまったという。
何とも不幸な事件であった。あなかしこ。
「そして私は強力な制裁を受け、今芳香と離ればなれにされそうなのでした。およよよ……」
「神子もあれね、中々めんどくさいやつってことは分かったわ」
そして光が差した後の神社では、今まさに青娥が追い出されそうになっていた。
霊夢は淡々と印を組む中、少しだけ神子のことを恨んだ。つまり青娥を何とかしろと遠回しに頼まれたのである。
しかも、お礼は既に戴いてしまった。神社に大量に送られていた陶磁器がそのお礼なのだ。
なんという先見の明だろうかと霊夢は感心こそしたが、むしろ狡い気がするのは何故だろうか。はした金にもならないしだろうし。
とにかく、必死に抵抗する青娥を追い出しにかかっているのである。さすがに今回ばかりは霊夢も本気で取りかかっているようだ。
「は、話し合いの時間を求めます!」
「却下しまーす」
「そう仰らずに! 今やめてくれたら毎日深夜寝ている時壁抜けで背中をつーってするくらいで許してあげますから!」
「やめろ! 地味にやられたら困る嫌がらせはやめろ! ああもう、あんた邪仙というか完全に疫病神じゃない!」
「は、ま、まさか私は芳香愛撫病の患者……!? いや元からかわいいじゃないですか! 何言ってるんですか!」
「一度、疫病神を辞書で調べてみたらどうかしら……?」
霊夢の記憶の中の疫病神とは、一応悪性の伝染病を流行らせる神と記憶している。
だが、そんなことはいい。このままでは自分もいつか芳香愛撫病、略して芳香病に伝染するか分からないのだ。
天才にして努力型の神子が白旗を上げてしまうのなら、何もしない天才の霊夢にはとても面倒を見きれるはずもなく。
となれば、実力行使でどうこうするしかない。腕力はパワー、幻想郷で一番分かりやすい方法である。
「せーがー……」
「やめて芳香、その呼び方だと何か負けちゃう気がするから!」
「何の話よ。そうだ、芳香に青娥をやっつけろーって言ったらどうなるのかしら」
「かもーん、芳香ー!」
「……うん、やめとこう」
四重八重に作られた結界にじわじわ追い出されつつも、手を目一杯に広げる青娥。目がラブリーハートに満たされている。
それを見た霊夢は、自分が明らかに愚かしい選択をしようとしていたのだと背筋と心が恐怖した。
越えちゃいけないラインもあるのだ。
「ええい、はよ出ていけ! 何か前戦ったときよりしぶとくなってるじゃないの!」
「わ、私を倒しても、第二第三の芳香病患者が生まれてくるだけなのよ……!」
「かーえれー!」
「あーれー」
しかし、いくら頑張っても強固なヒエラルキーは覆せないのだった。
検討空しく弾き出された青娥は、勢いよく空を滑り、瞬く綺麗な星へとなっていった。
最強の断罪符こと、異変解決(異変かどうかは霊夢が勝手に決めていい)は、例え一度負けようが博麗の巫女が勝つまでやる。不正は無かったのだ。
激闘に暫く肩で息をしていた霊夢ではあったが、軽く服を払い、部屋の中へと戻っていく。
今はただ眠いだけなのだ。眠くて眠くて死んだように眠りたいだけなのだ。
青娥達のことは、また明日考えることにしよう。
「ふう。どっと疲れた……」
「青娥、大丈夫かなー」
「ああいう輩は、またすぐに平然な顔して帰ってくるものなのよ。じゃあ、寝るとしましょうか」
「……うん」
霊夢は心なしか元気が無くなった気がする芳香の手をひき、寝床へと向かうのだった。
◆
「……あ、そういえば芳香は地中で寝るんだっけか」
布団を引きつつ、霊夢は青娥が言っていたことをふと思い出した。
芳香が墓にいた時は、地中で寝ているということである。布団で寝かせても大丈夫なんだろうか。心地よすぎて天国に逝ってしまわないだろうか。
宴会を行う際、色々な人妖がこの布団に入って一夜を過ごしたわけだが、今回は過去に例の無いケースである。芳香が最初の判例となるのだ。
「布団って、青娥が言ってた。私にはまだ早いって言ってたけど」
「何が早いかはさておき、あんたはどこでも寝れるように出来てるのかしら」
「出来るよ。立って寝れるし、倒れて寝ることも出来る便利な体に生まれました。死んでるけど」
「なら大丈夫そうか」
少なくとも天国には逝かないらしいので、霊夢は安心して布団の中に潜っていく。
それを見ていた芳香は、こきっと小気味良い音を立てつつ首を傾げている。
恐らく、布団がどういうものか忘れてしまったのだろう。霊夢は布団から顔を出しつつ、正しい知識を教えることにした。
「芳香? これは布団って言って、布を袋状に縫って、そこに綿とか羽毛を詰めて使うものの総称なのよ」
「う、う? つまり、えーと?」
「……ごめん、ちょっとからかっただけよ。まあ大体の人間とかはこの中に入って寝るわけなの。分かった?」
「バカにしないでいただきたい。知ってるぞそのくらいー」
「なら何で説明させたのよ」
「おー?」
ぺちと芳香のももを叩いてみる。固いかと思えば、思った程ではなかった。
とはいえ、知っているのなら話がはやい。霊夢はそうなのねと一声かけると、くるりと枕に頭を預けた。後はそのまま眠るだけだ。
まだ芳香に命令をしていないが、勝手にしてくれるならまあいいだろう。自動委任でも不自由な分それほど大事には至らないはずだ。
「ところで、私はどうすればいいんだー?」
「自動で働くんじゃなかったのかしら」
しかし、そんな便利な機能は付いていないらしい。あの邪仙、今度会ったらしばいておこう。
シーツをぎゅうっと握り締めながら、霊夢はそう固く誓うのだった。
「うーん。いざどうすればと言われても困るわね。やることはやったし、ましてや朝食の準備とか出来るわけないだろうし……」
「私の料理か? 中華と見せかけて実は何も作れない! いや、そもそも料理ってなんだっけ」
「そうよねー。じゃあ、もういいわ。あんたも休みなさい」
「そっか、分かったー」
これで、芳香は適当なところに潜るのだろう。後は夜までずっと放置すれば勝手に起きてくる。
なんというペット扱いだろうと内心思いつつも、霊夢は安心して布団に身を預けることが出来たのだった。
そう、なるはずだったのだが。
「……」
「……」
「なあ、れーむ」
「何? おやすみのキスでもしてほしいのかしら?」
「う? ううん、私も入ってみたいなーって」
「……布団に?」
「ん」
あんまり動かない首を縦に動かす芳香。その間も習性だろうか、ぴょこたんぴょこたんと小さくはねている。
床がぎしぎし鳴っているが、決して変な意味ではない。ただの床のきしみである。
とはいえ、布団に入ってみたいという芳香からの初要求。今まで命令をしていた分、向こうから何かをしたいと言ってくるのは初めてである。
霊夢はそのどこか微笑ましい願い事を、叶えてあげてもいいかなと思えた。
先程までいた青娥が色々アウトローすぎたせいで、芳香が凄くいい子に見えたのである。
それならばと霊夢は布団内のスペースを作り、芳香を傷つけないようそっと横にする。おぅー? と言われたが気にせず芳香ごと布団にくるみ込んだ。
芳香は突然のことに頭の処理が遅れていたようだが、事態が分かると目を輝かせ始めた。分かりやすい子である。
「おー! 布団、これが布団なのか!」
「子供じゃないんだから。布団の中で騒がないの」
「青娥の言っていた、小さな大人の空間ってこういうとこだったんだな! やだ、動かない心臓もどきどきしちゃいそう」
「なーに言ってるんだか」
呆れ口調ではあるが、霊夢の口元は笑みにこぼれていた。布団だけではしゃいでいるところが、またかわいらしい。
青娥が何を吹き込んでいたかはもう放っておいて、大人になれたんだなーと感慨深そうに頷く芳香の頭を、そっと撫でてみる。
思ったより質が良く、見た目よりさらさらの髪。青娥の手入れが念入りに行われていたのだろう。
霊夢がちょっと嫉妬心を交えつつ撫でていると、いつの間にか芳香が上目遣いにこちらを見ていることに気づく。
青娥と違い全くの無自覚な分、撫でている霊夢の方が少し緊張してしまった。
「私が頭を撫でるのは、そんなにおかしいかしら」
「どうして撫でてるんだ?」
「あんたの主人と似たようなものね」
「そういうものなのか? よくわからんー」
「分からなくったっていいのよ」
言いながらさらに何回か撫で、最後に軽くぽんぽんとして芳香への触れあいを終わらせる。
ちょっとびっくりしたのか、きゅっと目を瞑るところもまた良し。
そう思ったところで、きりよく霊夢に眠気が来た。
「さ、いい時間だし私は寝るとするわ」
「あ……そうか。うん、おやすみなさい」
「ええ、おやすみ」
「ゆりかごからー墓までー」
意味深な芳香の言葉は聞かなかったことにして、霊夢はごろんと仰向けになり、そのまま目を閉じた。
そのまま何事もなければ、直に朝になっていることだろう。彼女は羨ましいことに寝付きがいい方なのだ。
しかし目を閉じる寸前、少し頭に引っかかることがあった。
最後に見た芳香の目が、どこか寂しそうだったような。
その目がどういうことを意味するか考える前に、霊夢は浅い眠りについてしまったのだった。
夜も更け、かわたれ時が近づいて来る時間。
霊夢はいつもと同じように安眠を続けていたのだが、不意に目が醒めたのだ。誰にだって良くあることである。
今回は神社内で初めて泊まる芳香がいる分、多少眠気が薄れたのだろうか。そう思いながら、そういえばと芳香の方を見る。
そして、妙なことに気づいた。
「……あれ?」
寝る前から感じてはいたが、起きた今でも芳香の視線を感じるのだ。
たまたま起きているのならともかく、従順な彼女のことだ。もしかしたら自分が起きるまでずっと見ていたのかもしれない。
まさか寝るのも指定しないといけないのかと内心呆れつつ、霊夢は芳香がいる隣の方を向く。
しかし、芳香の様子は寝る前とは全く違っていた。
「う、うぅー……」
今まで喜怒楽しか無かった芳香が、悲しそうにこちらを見ていたのだ。
青娥のいるところでは見せなかった顔なだけに、霊夢は大いに驚いてしまう。
それをあくまで表情に出ないよう、寝起きの彼女は努めて自然な態度をとることにした。
「ど、どうしたのよ。布団がそんなに心地よかったの?」
「違う、違うよー……」
泣きそうな顔で首を小さく振る芳香を見て、霊夢は今までに無い感情を感じた。
彼女は自由に動けず、一人では出来ることに制限がかかる。
身動きも取れず、涙も自分で拭うことが出来ないのだ。
そんな芳香を放っておくわけにはいかないので、霊夢は少しでも落ち着かせようと丁寧に頭を撫でる。
霊夢が他人を撫でることはそうそうないが、前例はこの三日間で嫌という程見ていたので、今回はそれを真似ることにした。
「あ……」
「ほら、あんたの好きなご主人の撫で方よ。見よう見真似だけど」
「ん、んー……」
「こういう時、どういうことを言えばいいのかしらね。考えたこともないけれど」
そう付け加えながら、霊夢はそっと抱きとめてみる。
関節の固さとはまた違う、ふわりとした感触。肌も思ったより柔らかい方らしい。
後はもう少し体温があればいいのだが、死人なので血は通っていない。贅沢は言ってはいけないのである。
霊夢の胸元に押しこまれる形となった芳香は、さらに顔をふにゃふにゃにしていく。今にも泣いてしまいそうだ。
「せいが、せいが~……」
「何だかんだだけど、あんたもご主人様が大好きね」
「……ぅー」
「聞いてないみたいね。ま、胸は好きなだけ借りなさい。後でちゃんと返してよね」
胸元でぐずる芳香を、霊夢はそのままにしておく。
思えば何も言わなかったとはいえ、結界で主人をぶっ飛ばしてしまうのは流石にやりすぎだったか。
霊夢の支配下に入っていたのは確かだが、やはり大元の主人は青娥なのである。
そう考えると、霊夢の中にも申し訳なさが出てくる。お詫びと言ってはなんだが、もう少し胸元に抱き寄せてやることにした。
芳香の固くひんやりとした右腕が首の下を通るが、それも体勢上仕方ないことなのだ。
さて、遮る腕がなくなると、自然と二人の距離が詰まることになる。
お札で隠れて見えていなかったが、芳香は思っていたより端正な顔をしていることが分かった。
「うーん。ひょっとして、意外と死ぬ前はちやほやされてたのかしら」
そんな顔立ちが良い芳香が、こうしてくすんくすんと鼻をすすっている。
そう考えると、青娥の惚れ込みも大分納得が行く。命令に忠実で愛嬌もあり、かつどんなことをしても文句も言わない。
征服心が強い青娥の好みそうな話ではある。最も芳香は、完全に彼女の好みで仕立てあげられているのあろう。
そして、博麗の巫女に征服という言葉は無縁であった。立場上独占という旨味を知らなかったのだ。
そう。霊夢の中で首をもたげ始めていた、未体験の感情。
それが、独占欲と征服欲である。
「ほら、そろそろ泣きやみなさい。青娥を結界で吹き飛ばしてしまったことは謝るから」
「別に私は怒ってはいないんだ、でも……」
「でも?」
「ほら、れーむが今主人なんだし、なー」
歯切れ悪く言葉を繋ぐ芳香。目も泳いでおり、視線を霊夢から逸らすばかり。
やはり心のどこかに青娥がいるのだろう。本人としてはそっぽを向いているつもりだろうが、顔が近くて照れているようにしか見えない。
そんな彼女を、独占している。霊夢はその事実に言いようもない昂りを感じていた。
青娥が我が子のように大切にしていた芳香である。他人の大事なものに手をかけることの無かった霊夢に、この状況は都合が良すぎたのだ。
「……そうね」
「んむ。れーむの手はどこか優しいから、私は好きだぞ」
「そういうものかしら? ま、主人がいなくて寂しそうにしてるやつを見たら構ってやりたくなるわよ」
「……」
もう少しだけ、触れ合っていたい。
この子をモノにしたい。
青娥という主人を忘れさせるくらいに、もっと構ってやりたい。
一度流れた欲は、瞬く間に霊夢の小さな理性という堤防を越えようとした。
しかし、すんでのところで食い止められた欲からは、白く濁った濁流が今にも蹂躙せんと渦巻かせている。
堤防はさらに軋みをあげ、いつ決壊してもおかしくはない状態になっていた。通常より早く目覚めた霊夢は、現在正確な判断力が鈍っている。
さらに最悪なことに、理性開門も時間の問題というこのデンジャラスな状態で、芳香が弱い声で呟いてしまった。
「……にゃんにゃん……」
その瞬間、霊夢の理性は大爆発してしまった。
堤防意味なしである。
◆
数日後。
「じゃじゃーん! お姉さん、餌おくれ!」
「はい餌」
「さすがお姉さん! いつもはあたいを一蹴して嫌という程おなかをもにもにされるのにってええええええええええ!?」
昼下がりの博麗神社で、二人の人妖が縁側に腰掛けていた。
一人は勿論霊夢だが、もう一人は芳香や青娥ではない。火車にして神社に飼われている猫、お燐である。
彼女はたまに神社に現れては、こうして神社で餌を要求したりひなたぼっこをしたりしている。気まぐれな猫らしく、性格は底抜けに明るい。
そんなお燐が素っ頓狂な声を出してしまったので、霊夢はうるさそうに耳を塞いでいた。
「な、何で餌くれるのさ! 明日は神社に火の粉が降るの!? 幻想郷終わっちゃうの!?」
「別に餌無くてもいいなら、私が食べるけど」
「これ猫用だよね!? まあいいや、お姉さんがくれるならありがたくいただくよ。にゃもにゃも」
お燐は小皿に盛られた餌、きゃっとふうどという物を食べながら、どこか疑問に思っていた。
何故ならこのお姉さん、餌をやること自体稀なのである。
大抵は自分でとってこいやら、世の中は自給自足が最強なのよと持論を説くやら、梃子でも動きたくないという意志がひしひしと伝わってくるほどだった。
しかし、今日は出会った瞬間餌を置いてきたのだ。なんというタイミングの良さ。朝街角でパンをくわえた女の子に衝突するくらい用意が良すぎる。
勿論その後偶然クラスメートであるということが判明し、あの時の時間泥棒猫! と言われもない濡れ衣を着せられるのだ。この場合お燐がヒロインである。
まあそれはともかく。
「美味しいの? それ」
「人間には分からない特別な美味しさ、ヴェルタースにゃーん」
「何とも難しい世界ね」
軽口を叩きながら、お燐は霊夢をじっと眺める。
顔や口調は普段と何ら変わらないのだが、膝の上で重ねられた手に小さな変化を見た。
左右お互いの指が絡み、時々つんつんと指の腹を撫でている。これはいわゆる「いじいじ」というものだ。
つまり、こうして貢ぐのは何か訳があるのだ、とお燐は考える。猫は猫なりの考え方があり、彼女は特に賢い方なのである。
「お姉さん、今日は一段と綺麗だねえ」
「いきなり何を言うのかしら、この猫は」
「いやあ、何か肌がいつもよりぷるぷるしてるからさ。何かいいことがあったのかなって」
「……む、お見通しか」
「あたいを舐めちゃいけないよ、お姉さん♪」
てへぺろをするお燐を恨めしそうに見ながら、まあ図星なんだけどとあっさり認める霊夢。
霊夢は、隠すのは自分の性に合わないと考えている。今までが今までだったので、隠す必要が無かったのだ。
今更素っ気ない態度をとるのも意味が無くなってしまったので、霊夢は座り直しつつお燐に尋ねる。
「……そうね。あんたは死体集めが仕事なんだっけ」
「まーね。仕事ではあるけど、あたい自身も死体が好きだしお姉さんが止めようとしても無駄だよ」
「別にそういうことじゃないのよ。ただ、ね」
「うん」
「その、ね?」
お燐はそこに、霊夢の変化を確かに見た。
いじいじはさらに増し、表情にもどこか照れが見られる。少なくともお燐は、今まで霊夢のこんな様子を見た記憶がない。
一体何を言うのか。まさか告白されるんじゃないだろうな。
お燐の顔が勘違いで紅潮する中、霊夢はたっぷり時間をかけつつ、惚けたように言うのだった。
「私、好きな死体出来ちゃった……」
「おー? 私はこれからどこに連れていかれるんだー?」
「……芳香。今日は墓は守らなくていいわ。ちょっとお出かけしましょうね?」
「そーぉかー。でも、墓は誰が守るんだ?」
「我がやろう。……というか、こいつにやらせる」
「墓守り? やってやんよー!」
「なら大丈夫そうですね。では、行きましょうか。……豊聡耳様、またどこかで会うことがあったら……」
「おー」
◆◆◆博麗タイクーンと重篤患者◆◆◆
夜、秋風が吹き始めた博麗神社。
その境内には枯れ葉がくるくると舞い、ここの神社の主、博麗霊夢の頭を悩ませる。
掃除をする分はいいのだ。掃除をするのは。
だが、まだまだ木には茶こけた葉がたくさんくっついている。
いっそのこと、葉っぱごとちぎってまとめてたき火にした方があったかいしお得ではないか――。
そんな物騒なことを考えながら、畳部屋で緑茶を飲んでいた霊夢は気配を感じ、ふっと鳥居を見る。
そして、一つだけため息をついた。人間以外の来客だったからだ。
「なんであんたがいるのよ」
「うーおー。あの時の借りを返しに来たんだぞ」
「少なくともあんたに貸した担保はないわ。というか、そんなにお金ないし」
現れたのは、少なくとも神社には似つかわしくないキョンシーこと、宮古芳香である。
芳香はこつん、こつんと石畳で軽快な音を鳴らしながら、今にも鳥居を潜ろうとしていた。
とりあえずそのまま入れるのも巫女としてはどうかと思ったので、結界でしっかと止めておく。
ぴょん、ぴょん、ごつん。
「あれ? 入れないよ?」
「入らせるわけないでしょ。妖怪を許可無しに入れるわけにはいかないわ」
「……それでは、こうやって入ってきたらどうします?」
「!?」
どこからともなく声が聞こえたかと思えば、石畳からずるんと誰かが出てくる。
一瞬驚きに目を開く霊夢だが、その見知った姿を見るとため息はさらに増していく。
一方の芳香は目を輝かせつつ、結界に頬ずりしながら言った。
「おー! 青娥だけ結界に入れてるぞ。ずーるいー!」
「うふふ。これくらいの結界なら造作もないことですよ、芳香。あなたは暫く待っていなさい?」
「分かったー」
現れた邪仙、霍青娥が一つ命令をすると、芳香はぴたりと動きを止めた。
それもそのはず、芳香は彼女の使役を受けているのだ。本人は全く気にしていないが、意思ある傀儡のようなものである。
一歩も動かなくなった芳香を確認すると、青娥は霊夢のいる方を向く。
「さて、霊夢さん。私のお願いを聞いてぎゃー!?」
そして、すました顔面に陰陽玉がクリーンヒットしたのだった。
球を受け綺麗に宙を舞う青娥。幻想郷では自然なことである。
「ひ、ひどいじゃないですか! しかも顔面だなんて、あなた一体どういう神経してるんですか!?」
「どういう神経してるのはあんたの方よ! しかも何気にその登場方法、結構心臓に悪い!」
「そうですね、確かに毎回石畳からではやりすぎでした。今度から押入からにした方がいいでしょうかぎゃふん!」
「とっととここから出ていけー!」
「セーフ、顔面セーフですから! というか私の話を聞いてくださらない!?」
二人が境内で地味な争いを続けている中、芳香はこっくりこっくり眠たそうに眺めていた。
本来まだ起きる時間ではないため、直轄外の時間ではとにかく眠いらしい。
そんなまどろむ彼女の帽子の上には、羽休めに来た雀が一匹ちゅんちゅん鳴いているのだった。
「よ、用件、言ってもよろしいでしょうか」
「あんたも存外にタフねえ。まあいいわ、話してみなさい」
暫くの間、霊夢による一方的弾幕ごっこが起きていたが、どうやら決着がついたようだ。
どうやら霊夢が根負けしたらしい。邪仙の一念は、あの博麗の巫女をも押し通したのである。
そもそも霊夢としては全く話を聞こうとしていなかったのだが、小休止のついでに聞くことにした。
「そうですね。まずは私と芳香の生い立ちからいくとしましょ、ああ待ってください霊夢さん静かに針を研がないでほしいのですけど!?」
「新参には厳しく、古参にも厳しく、自分に甘い。これが博麗のルールよ」
「まあ何て素敵なルールでしょう!? ……今日は、豊聡耳様から言伝があって来たんですよ」
「お里の耳? ああ、あいつか」
霊夢は豊聡耳と聞くと、ややうんざりといった顔をした。
青娥の言う豊聡耳様とは、つい最近復活し速くも人々の注目を集めているという豊聡耳神子のことである。
前に何度か世話をすることになったが、確かにいいやつではある。
いいやつでは、あるのだが。
問題は誠意ではなく金額という信念を持つ霊夢にとっては、今でもちょくちょく貢ぎ物がくるこの状況にうんざりしていた。
律儀過ぎである。
「折角だし、あんたがこの大量の陶磁器引き取ってくれない?」
「いえ、それは豊聡耳様が霊夢さんにあげたものですから。いらないと言うなら、そこらへんの地面に埋めるか人里にでも売っ払ってください」
「……あんたも大概外道ね」
「邪仙なめんな、とだけ言っておきます」
うふふ、とどこか色気のある笑顔を見せる青娥。
仙人といえば今はいないが、この神社にも仙人っぽいやつがいる。
その仙人はやれ礼儀が、やれ巫女としての自覚がとかなり口うるさく、簡単に言うと神社版閻魔様みたいなものだが、実際近くにいると会話のネタに事欠かない存在である。
霊夢はぼんやりそう思っていた。
「さて、改めてとよしゃとみみ」
「噛んだわね」
「……こほん。豊聡耳様の言伝を一言」
青娥は咳払いをしつつ、ゆったりとした言葉を紡いでいく。
霊夢は今まで培ってきた直感により、一種の悪寒を感じていた。
やばい、これは面倒なことになるなと。
「ストップ」
「はい、なんでしょう?」
「帰れ」
「えっ」
「えっ。じゃなくて帰ってもらっていいかしら。私これから神社周辺の妖怪絶滅祈願のお守り作んなきゃいけないから」
「邪気に溢れてらっしゃる!? というか霊夢さん絶対それする気ないでしょう?」
「今ならやる気に満ち溢れてるから大丈夫」
「そんなにっこりとした笑顔はやめてください!? お願いします、どうか、どうかお慈悲を! 霊夢さんに断られたら私、路頭で野蛮な方に襲われてしまいますー!」
さすがの青娥も流れを汲み取ったのか、ひしと霊夢にしがみ付いてくる。
しかし、霊夢はそれを無情にも一蹴。人妖の追い返しはもう慣れっこなのだ。
「ええいうっとおしい! 第一あんたには鳥居で待ってるキョンシーがいるじゃない!」
「はっ。青娥を泣かせたら許さないぞー!」
「ああ芳香、私は大丈夫ですから。見てください霊夢さん、あそこにおなかを空かせてるかわいいかわいい芳香がいるんですよ!? あなたには人の心というものがあるんですか!?」
「うん。いっぺんぴちゅってみる?」
その夜。神社から八方鬼縛陣による強力な光が発せられたのだった。
めでたしめでたし。
「ということはなく、私は一度ぴちゅることでお赦しを得たのです」
「得てないわよ。後誰に話してるのよ」
先程の霊夢怒りの一撃により、神社は半壊した。だがそんなことはどうでもいい。
芳香も相当体力があったが、この従者してこの主ありである。青娥も並大抵では倒れない根性を持っていたのだ。
このままではスペルカードが無駄に浪費してしまうので、説教がてら話を聞くことにしたのである。
神社の仙人こと茨華仙の説教を毎日ちくわ耳で聞いている甲斐があったと、霊夢はちょっとだけあの仙人に感謝するのであった。
なお、感謝するからといって態度を改めるつもりはない。
霊夢を言葉で説き伏せるなど、広大な空に浮かんだルーミアを捕まえるようなものである。華仙は、最初から負けが確定している出来レースのような絶望の戦いに身を投じているのだ。
頑張れ華仙。負けるな華仙。ウルトラマジックハンドで霊夢をくすぐり倒すその日まで。
まあそれはともかく。
「で、路頭に迷うって、一体何したのよ」
「ええ……」
さすがに反省したのだろうか、現在地べたに正座中の青娥は大分しょげてしまっている。安物の羽衣がくんにゃり地面に横たわっていた。
そういえばこの邪仙、何しにこの神社まで来たのだろうか。
「こうして押し掛けて、本当に不躾な頼みだと思いますが……」
「ええ。いること自体不躾な気がするけどそれはいいわ」
「ひ、ひどいです! その。……この神社にしばらく住まわせてくれませんか……?」
「……」
「……」
笑顔で対峙する、人間と邪仙。
何と意外な光景であろうか。
幻想郷の格付けランクにおいてウサギとカメの寝ないウサギくらいぶっちぎりの差をつけて頂点に君臨する霊夢を、笑顔にさせたのだから。
青娥は妖怪では殆ど成し遂げたことのない快挙を達成したのである。やったね。凄いね。
だが、問題が一つだけあった。
霊夢が笑顔でありながら、おでこにくっきりと青筋が浮かんでいることである。
「……は?」
「り、理由はちゃんとあるんです! それに神社でのお仕事はお手伝いしますし、お料理とか洗濯とか靴を温めたりしますから!」
「靴は温めんでいい。問題は理由よ、面接なら理由は必ず聞くことらしいし」
「ええ。かいつまんで言いますと、豊聡耳様にしばらくお暇をいただいたのです」
なるほど、そういうクチか。新参故にアテがなく、これ以上泊まるところがないということだろう。
霊夢はあごに手をあて、熟考するふりをすることにした。
果たして既に妖怪神社と言われている博麗神社に、今更ながら妖怪二人を住まわせていいのか。
青娥はうるうると目を潤ませているが、霊夢には効果がない。博麗のルールは厳しいのだ。
霊夢はちょっとだけ考え抜いた結果、適当な一つの結論にたどり着くことに成功した。
「そうね。結局私に利益があるかどうかよ」
そう、この世は利益。金は天下の回り物。得して損なかれ。
例えWIN-WINでもいい、とにかく自分に何かしらの得があればいい。それが霊夢の考えた結論である。
しかも、神社家計はお茶代も含め火の車。青娥と芳香は少なくともそんな中に無防備で飛び込んでいくのだ。
どういうことになるかは、果たして分かっているのだろうか。
「芳香をぎゅって出来ますよ」
「おー?」
どうやら分かってないらしい。霊夢の日常は毎日がベリーハードである。
「いつの間にか結界に入っちゃってるし……何? そいつを抱きしめるとお金とか出てくるの?」
「あんまり強すぎると臓物が」
「よしこの話題はやめよう! あんた、本気で私の利益がそれだけって言うの?」
巫女袖をぶんぶん振り回しながら、霊夢は呻くように訊ねる。
神子は毎回貢ぎ物をくれる分優しかった。だが、その分こっちは相当肝が据わっているのだ。
せめてお酒の一つや二つくらい持ってくるかと思っていたのだ。肝だけに。
しかもその代わりに出すのが芳香である。それは酒でも食べ物でもなく、食べれないし金にならないキョンシー。
霊夢は内心激怒した。この能天気ご一行を生かしてはおけぬと霊夢は考えた。
片方はもう死んでることはもはや問題外である。
「かわいいじゃないですか! 泊めてくれたあかつきには、芳香のスリーサイズから今まで腕が折れた回数、なんでも教えて差し上げましょう!」
「しかし私の心には届かなかった。まあ、あんたの性癖は分かったけど、やっぱり二人分の食事を養う蓄えもないわけで」
「せ、性癖だなんて。霊夢さん、えろえろですね」
「」
霊夢、二回目のぷっつんであった。
「……それで、熱い針責めを耐えきった私は、どうにか了承を得ることが出来たのでした」
「神社の軒下だけどね」
そこには、およよと泣きつつ封魔針を一本ずつ抜いていく青娥の姿が!
元気という言葉からは途方もなく遠くなってしまったが、どうにか寝床が確保出来たことには安堵しているようだ。
お前それでいいのかと出かかる言葉を飲み込みつつ、霊夢はどっかりと縁側に座り込んだ。
既にぬるくなった茶器を手にとり、彼女もようやく一息つくことが出来たのである。
「じゃあ、ひとまず上がりなさい。後、芳香だっけ?あんたも上がっていいわよ」
「ええ。とりあえずこれで、芳香を命令出来るようにしておきましたから」
ふわりと少し浮き上がり、畳の間に上がり込んでいく青娥。
それに対し芳香は両足を揃えて立ったままである。これは、青娥の命令ではなく霊夢の命令によって動くようになったからだ。
青娥は断腸の思いで、条件として芳香の命令権を一時的に渡したのである。これが、先程から悩みの種だった霊夢の「利益」として扱われるのだ。
これ以上話という名の制裁をしても埒が開かなくなってきたため、霊夢がまたしても折れた形となったのである。
そういうわけで、確認のためと簡単な命令をすることにしたのだ。
「おー。と言いたいとこだが、どうやって上がればいいんだ?」
「……ああ、あんた体がしけた煎餅だっけ。とりあえずこの段差くらい乗り越えて見せなさい」
「んむ、ん、てーい」
ぴょん、ごつん。
「こーろんだー」
第一の命令、失敗のお知らせ。
霊夢は立ち上がると、瞬間的に鴉天狗を遙かに凌駕する驚異的な速度でお払い棒を手に握りしめる。みしっと棒の悲鳴があがった。
それに反射的に反応した青娥は、即座に背後から霊夢の神聖な両脇に手を挟み込み、しっかりと羽交い締めた。
この間〇.六秒である。
「青娥どいて! あいつぶっ殺せない!」
「お、おちち落ち着いてください霊夢さん! あの子死んでますから! 後確かに命令していいとはいいましたが、誰も勝手に破壊していいとは言ってませんー!」
じたばた暴れる霊夢ではあるが、所詮は人間の力。
動けないことが分かると、割とあっさり抵抗を諦めてしまった。
青娥としては霊夢の行動が読めなくなるので、暴れられるより恐ろしく感じた。追い込まれた霊夢は何をしでかすのか分からない。
「よ……芳香?ほら、頑張って立ってみてください? というか出来なかったら私が殺されるから立って!?」
「そんなこと言ったってー。こうなってしまったらちょっと無理じゃないかな」
「ふん!」
「あ、だ、ダメ! 霊夢さん動いちゃダメです! ここは堪えてください!」
「……四十秒あげるから、立たせてやりなさい」
「は、はい!」
霊夢はお払い棒を床に置くと、攻撃する意志がないことを伝える。
その瞬間、檻に閉じこめられていた猫が飛び出すかのように青娥が駆けていった。彼女自身も、邪仙になって初めての全力疾走だったという。
「芳香っ、大丈夫ですか?」
「足がやられたかも。地面にやられただなんて、なさけないー……」
「いいえ芳香、あなたはよく挑戦しました。ですが、あの巫女の命令は半分くらい受けて、無理そうなら無理だってちゃんと言わないといけませんよ」
「聞こえてるわよ」
霊夢の呟きは、秋風に流され消えた。風情の欠片もない光景である。
「ん……まだ折れてはいないみたいです。これなら取り替えなくていいでしょう」
「そーぅかー! 良かった、また青娥に迷惑かけちゃうところだったよ」
「確かに取り替え用の部品は全て置いてきました。ですから、あまり無茶をしてはいけませんよ、芳香」
「うん。私もな、青娥に五体満足でぎうーってされたいから、元気な方がいいな」
「芳香ー!」
「うあー」
ぎゅーっと抱き合う二人。とはいっても、芳香が動けない分青娥が手を回す必要があるので、やや一方的なものである。
しかし、それでも二人は幸せそうだった。これが彼女達なりの抱きしめ方なのだ。形式に囚われてはいけない。
霊夢はそんなラブロマンスを呆れ顔で見つつ、冷たくなったお茶を飲み直す。彼女も空気を読むことは出来るのだ。
「はいはい、ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
「……まあ。私も極力、芳香に無理をさせないようにするわ」
「ど、どういう風の吹き回しでしょう」
「ほら芳香、えっと。正座は無理そうだし、こうやって座布団しいて横になればいいんじゃない?」
「おー、こうすれば汚れないし大丈夫だな。ありがとー、えっと誰だっけ」
「霊夢よ」
「でーぶ?」
「れ、い、む」
「れーむか。うんれーむ、霊夢、覚えたぞ」
覚えてたらいいけど、と加えつつ、霊夢は芳香の世話をし始める。
それを見ていた青娥は、驚きよりむしろ興味を感じた。
元々強い者に惹かれる癖はあるが、霊夢はまた特別。規格外に強い上にちょっと暴力的だが、こうした優しさも垣間見ることが出来る。
そんな表裏のない魅力的な彼女に、青娥は主の神子と同じ空気を感じ取っていた。
こうして、三人の奇妙な生活が始まったのだった。
◆
「うーわー! 風が、風が舞って葉っぱがー!」
「いかがなものでしょう、うちの芳香は」
「んー。まあ、悪くはないわね」
二人が神社に居候を始めて、三日が経った。
霊夢と青娥は畳の部屋で、外にいる芳香の奮闘をぼんやり眺めていた。
時間にして現在夜二十三時、キョンシーにとって、これからが活動時間である。
「働く時間は七時間から八時間。寝ている間も勝手に仕事をして朝になったら地中に潜る、私の素晴らしいキョンシーですよ」
「怪しいセールスみたいな言い方ね。まあ、大体その通りなんだけど」
因みに今芳香は掃除をしているが、風という自然の摂理と必死に戦っている最中である。恐らく勝ち目は薄い。
どうやって掃除をするのか、という声もあるかもしれないが、首に箒をかければそれなりには掃除出来る。
そしてある程度残った葉を霊夢が簡単に掃除するという形である。少なくとも貢献はしているようだ。
「問題はやや燃費が大きいのよねぇ。酒飲みよりかは幾分かましだけど、やっぱり量が多いわ」
「何しろ動き方があれですから。後、体の器官が全部働いてるわけではないのです」
「あー! 葉っぱかむばーっく!」
外では変わらずつむじ風が悪戯をしているようで、芳香も中々掃除を進めることが出来ないらしい。
これ以上動かすのもあれなので、霊夢は命令を出すことにした。大体の命令はきちんと聞いてくれるようになり、手間もそんなにかからなくなった。
「よしか、もういい! もどれ!」
「おー。むぐー、あんまりお仕事出来なかった。ごめんなさいー」
「気に病まなくてもいいわ。第一すぐにやれってわけでもなかったし、やらないやつらに比べればましよ」
「そうですよ。芳香は何してもかわいいんですし、いるだけでも私達の心のオアシスになっているのです」
「それはあんただけだし、大仰ね」
すりすりと芳香に頬ずりをする青娥。霊夢が近くにいてもお構いなしである。
しかし、その顔はどこか哀愁を帯びているように見える。離れたくないと言ってるような、そんなほの暗さ。
霊夢はまるで興味がないような言い方で、素っ気なく詮索を始めた。
「随分芳香を買ってるのね」
「ええ、それはもう私の大事な子ですから」
「そうだー、そして私も青娥のことは好きだぞ」
「ほら、ご覧の通り」
なでなでと芳香を撫でる。壊れ物を扱うような、優しい手つき。
それこそ我が子を愛でているような、母親のような目をしていた。
霊夢はそれに、小さな寒気を覚えた。死人を愛すというのはおかしいはずだが、それに慣れ始めている気がしたからだ。
博麗神社に飼われている地底の猫、お燐も似たようなならいがある。妖怪にも色々いるのは確かではあるが。
そこに強い引っかかりを覚えた霊夢は、敢えて聞いてみることにした。
この邪仙、まだ何かを隠しているのではないか。
「そういえば、あんたは神子からの使いで来たのよね」
「ええ、そうですよ」
「……どうして、神子の話をしないのかしら」
部屋の中に冷たい風が吹く。普段からこんなすきま風が部屋まで吹いていただろうか。
霊夢は畳を指でいじりながら、注意深く青娥を観察する。
見ると、素人目にも分かるくらい不安そうに芳香を強く抱きしめている。
余り強くすると臓物がオープンするんじゃないのかという危機はさておき、素人目でも余程離れたくないように見えた。
そんな思惑を知らずに抱かれた芳香は、そういえばという顔で呟いた。
「私、何しに来たんだっけ?」
「芳香、私の命令に答えられるなら教えてほしいわ。青娥は神子に何を命じられたのか」
「むう。確かに何か言われた気がするけど、あれ、これ言ってもいいのかな?」
「……いえ、私から話しましょう」
重たい空気を遮るように、青娥は苦しげに言葉を紡いだ。
その表情は、やはりどこか浮かない。
「ただ、あんまり怒らないでくださいね?」
「回答次第によるわね。まあ話してみなさい、最後まで聞いてあげるから」
「その言葉、信じていいんですね?」
「勿論」
霊夢は大きく頷き、机に肘を乗せる。丸腰であると証明してみせたのだ。
それを見た青娥はおずおずと無防備な彼女の後ろを見たりしたが、どうやら納得したらしくぽつぽつと話し始めた。
これまで来訪の理由すら分からなかったが、今白日の下に晒されるのだ。
「つまり、私が芳香大好きすぎて追い出されちゃったのです」
「うん。……ん?」
「でも、しょうがないですよね。芳香はこんなにもかわいいんですもの。霊夢さんにも分かって貰えると思います」
「おい」
「豊聡耳様はもう少し自立をとは言いますが、そんなこと出来るわけありません。確かに豊聡耳様はお強いですし、尊敬もしています。ですが、私もたまには反発だってしますよ」
「待て」
「そう、一人立ち出来るまで帰って来れないらしいんですが、私は何があっても離れません。だって芳香は私の全財産以上に大切なんですもの。今こうして肌身離さないのだって、私だって許す限りこうしていたいくらいなんです。なんなら今からもっと肌をくっつけあっても」
「よし、青娥ぶっ倒す!」
深夜。
先日騒動があった博麗神社から、再び空に向かって強烈な光がさしたという。
幸い深夜だったため、二次被害はたまたま上空を飛んでいた夜雀の羽がちょっと焼ける程度で済んだらしい。
夜雀も夜雀で、今日はさすがに何も無いだろうとたまたま上を通ってしまったという。
何とも不幸な事件であった。あなかしこ。
「そして私は強力な制裁を受け、今芳香と離ればなれにされそうなのでした。およよよ……」
「神子もあれね、中々めんどくさいやつってことは分かったわ」
そして光が差した後の神社では、今まさに青娥が追い出されそうになっていた。
霊夢は淡々と印を組む中、少しだけ神子のことを恨んだ。つまり青娥を何とかしろと遠回しに頼まれたのである。
しかも、お礼は既に戴いてしまった。神社に大量に送られていた陶磁器がそのお礼なのだ。
なんという先見の明だろうかと霊夢は感心こそしたが、むしろ狡い気がするのは何故だろうか。はした金にもならないしだろうし。
とにかく、必死に抵抗する青娥を追い出しにかかっているのである。さすがに今回ばかりは霊夢も本気で取りかかっているようだ。
「は、話し合いの時間を求めます!」
「却下しまーす」
「そう仰らずに! 今やめてくれたら毎日深夜寝ている時壁抜けで背中をつーってするくらいで許してあげますから!」
「やめろ! 地味にやられたら困る嫌がらせはやめろ! ああもう、あんた邪仙というか完全に疫病神じゃない!」
「は、ま、まさか私は芳香愛撫病の患者……!? いや元からかわいいじゃないですか! 何言ってるんですか!」
「一度、疫病神を辞書で調べてみたらどうかしら……?」
霊夢の記憶の中の疫病神とは、一応悪性の伝染病を流行らせる神と記憶している。
だが、そんなことはいい。このままでは自分もいつか芳香愛撫病、略して芳香病に伝染するか分からないのだ。
天才にして努力型の神子が白旗を上げてしまうのなら、何もしない天才の霊夢にはとても面倒を見きれるはずもなく。
となれば、実力行使でどうこうするしかない。腕力はパワー、幻想郷で一番分かりやすい方法である。
「せーがー……」
「やめて芳香、その呼び方だと何か負けちゃう気がするから!」
「何の話よ。そうだ、芳香に青娥をやっつけろーって言ったらどうなるのかしら」
「かもーん、芳香ー!」
「……うん、やめとこう」
四重八重に作られた結界にじわじわ追い出されつつも、手を目一杯に広げる青娥。目がラブリーハートに満たされている。
それを見た霊夢は、自分が明らかに愚かしい選択をしようとしていたのだと背筋と心が恐怖した。
越えちゃいけないラインもあるのだ。
「ええい、はよ出ていけ! 何か前戦ったときよりしぶとくなってるじゃないの!」
「わ、私を倒しても、第二第三の芳香病患者が生まれてくるだけなのよ……!」
「かーえれー!」
「あーれー」
しかし、いくら頑張っても強固なヒエラルキーは覆せないのだった。
検討空しく弾き出された青娥は、勢いよく空を滑り、瞬く綺麗な星へとなっていった。
最強の断罪符こと、異変解決(異変かどうかは霊夢が勝手に決めていい)は、例え一度負けようが博麗の巫女が勝つまでやる。不正は無かったのだ。
激闘に暫く肩で息をしていた霊夢ではあったが、軽く服を払い、部屋の中へと戻っていく。
今はただ眠いだけなのだ。眠くて眠くて死んだように眠りたいだけなのだ。
青娥達のことは、また明日考えることにしよう。
「ふう。どっと疲れた……」
「青娥、大丈夫かなー」
「ああいう輩は、またすぐに平然な顔して帰ってくるものなのよ。じゃあ、寝るとしましょうか」
「……うん」
霊夢は心なしか元気が無くなった気がする芳香の手をひき、寝床へと向かうのだった。
◆
「……あ、そういえば芳香は地中で寝るんだっけか」
布団を引きつつ、霊夢は青娥が言っていたことをふと思い出した。
芳香が墓にいた時は、地中で寝ているということである。布団で寝かせても大丈夫なんだろうか。心地よすぎて天国に逝ってしまわないだろうか。
宴会を行う際、色々な人妖がこの布団に入って一夜を過ごしたわけだが、今回は過去に例の無いケースである。芳香が最初の判例となるのだ。
「布団って、青娥が言ってた。私にはまだ早いって言ってたけど」
「何が早いかはさておき、あんたはどこでも寝れるように出来てるのかしら」
「出来るよ。立って寝れるし、倒れて寝ることも出来る便利な体に生まれました。死んでるけど」
「なら大丈夫そうか」
少なくとも天国には逝かないらしいので、霊夢は安心して布団の中に潜っていく。
それを見ていた芳香は、こきっと小気味良い音を立てつつ首を傾げている。
恐らく、布団がどういうものか忘れてしまったのだろう。霊夢は布団から顔を出しつつ、正しい知識を教えることにした。
「芳香? これは布団って言って、布を袋状に縫って、そこに綿とか羽毛を詰めて使うものの総称なのよ」
「う、う? つまり、えーと?」
「……ごめん、ちょっとからかっただけよ。まあ大体の人間とかはこの中に入って寝るわけなの。分かった?」
「バカにしないでいただきたい。知ってるぞそのくらいー」
「なら何で説明させたのよ」
「おー?」
ぺちと芳香のももを叩いてみる。固いかと思えば、思った程ではなかった。
とはいえ、知っているのなら話がはやい。霊夢はそうなのねと一声かけると、くるりと枕に頭を預けた。後はそのまま眠るだけだ。
まだ芳香に命令をしていないが、勝手にしてくれるならまあいいだろう。自動委任でも不自由な分それほど大事には至らないはずだ。
「ところで、私はどうすればいいんだー?」
「自動で働くんじゃなかったのかしら」
しかし、そんな便利な機能は付いていないらしい。あの邪仙、今度会ったらしばいておこう。
シーツをぎゅうっと握り締めながら、霊夢はそう固く誓うのだった。
「うーん。いざどうすればと言われても困るわね。やることはやったし、ましてや朝食の準備とか出来るわけないだろうし……」
「私の料理か? 中華と見せかけて実は何も作れない! いや、そもそも料理ってなんだっけ」
「そうよねー。じゃあ、もういいわ。あんたも休みなさい」
「そっか、分かったー」
これで、芳香は適当なところに潜るのだろう。後は夜までずっと放置すれば勝手に起きてくる。
なんというペット扱いだろうと内心思いつつも、霊夢は安心して布団に身を預けることが出来たのだった。
そう、なるはずだったのだが。
「……」
「……」
「なあ、れーむ」
「何? おやすみのキスでもしてほしいのかしら?」
「う? ううん、私も入ってみたいなーって」
「……布団に?」
「ん」
あんまり動かない首を縦に動かす芳香。その間も習性だろうか、ぴょこたんぴょこたんと小さくはねている。
床がぎしぎし鳴っているが、決して変な意味ではない。ただの床のきしみである。
とはいえ、布団に入ってみたいという芳香からの初要求。今まで命令をしていた分、向こうから何かをしたいと言ってくるのは初めてである。
霊夢はそのどこか微笑ましい願い事を、叶えてあげてもいいかなと思えた。
先程までいた青娥が色々アウトローすぎたせいで、芳香が凄くいい子に見えたのである。
それならばと霊夢は布団内のスペースを作り、芳香を傷つけないようそっと横にする。おぅー? と言われたが気にせず芳香ごと布団にくるみ込んだ。
芳香は突然のことに頭の処理が遅れていたようだが、事態が分かると目を輝かせ始めた。分かりやすい子である。
「おー! 布団、これが布団なのか!」
「子供じゃないんだから。布団の中で騒がないの」
「青娥の言っていた、小さな大人の空間ってこういうとこだったんだな! やだ、動かない心臓もどきどきしちゃいそう」
「なーに言ってるんだか」
呆れ口調ではあるが、霊夢の口元は笑みにこぼれていた。布団だけではしゃいでいるところが、またかわいらしい。
青娥が何を吹き込んでいたかはもう放っておいて、大人になれたんだなーと感慨深そうに頷く芳香の頭を、そっと撫でてみる。
思ったより質が良く、見た目よりさらさらの髪。青娥の手入れが念入りに行われていたのだろう。
霊夢がちょっと嫉妬心を交えつつ撫でていると、いつの間にか芳香が上目遣いにこちらを見ていることに気づく。
青娥と違い全くの無自覚な分、撫でている霊夢の方が少し緊張してしまった。
「私が頭を撫でるのは、そんなにおかしいかしら」
「どうして撫でてるんだ?」
「あんたの主人と似たようなものね」
「そういうものなのか? よくわからんー」
「分からなくったっていいのよ」
言いながらさらに何回か撫で、最後に軽くぽんぽんとして芳香への触れあいを終わらせる。
ちょっとびっくりしたのか、きゅっと目を瞑るところもまた良し。
そう思ったところで、きりよく霊夢に眠気が来た。
「さ、いい時間だし私は寝るとするわ」
「あ……そうか。うん、おやすみなさい」
「ええ、おやすみ」
「ゆりかごからー墓までー」
意味深な芳香の言葉は聞かなかったことにして、霊夢はごろんと仰向けになり、そのまま目を閉じた。
そのまま何事もなければ、直に朝になっていることだろう。彼女は羨ましいことに寝付きがいい方なのだ。
しかし目を閉じる寸前、少し頭に引っかかることがあった。
最後に見た芳香の目が、どこか寂しそうだったような。
その目がどういうことを意味するか考える前に、霊夢は浅い眠りについてしまったのだった。
夜も更け、かわたれ時が近づいて来る時間。
霊夢はいつもと同じように安眠を続けていたのだが、不意に目が醒めたのだ。誰にだって良くあることである。
今回は神社内で初めて泊まる芳香がいる分、多少眠気が薄れたのだろうか。そう思いながら、そういえばと芳香の方を見る。
そして、妙なことに気づいた。
「……あれ?」
寝る前から感じてはいたが、起きた今でも芳香の視線を感じるのだ。
たまたま起きているのならともかく、従順な彼女のことだ。もしかしたら自分が起きるまでずっと見ていたのかもしれない。
まさか寝るのも指定しないといけないのかと内心呆れつつ、霊夢は芳香がいる隣の方を向く。
しかし、芳香の様子は寝る前とは全く違っていた。
「う、うぅー……」
今まで喜怒楽しか無かった芳香が、悲しそうにこちらを見ていたのだ。
青娥のいるところでは見せなかった顔なだけに、霊夢は大いに驚いてしまう。
それをあくまで表情に出ないよう、寝起きの彼女は努めて自然な態度をとることにした。
「ど、どうしたのよ。布団がそんなに心地よかったの?」
「違う、違うよー……」
泣きそうな顔で首を小さく振る芳香を見て、霊夢は今までに無い感情を感じた。
彼女は自由に動けず、一人では出来ることに制限がかかる。
身動きも取れず、涙も自分で拭うことが出来ないのだ。
そんな芳香を放っておくわけにはいかないので、霊夢は少しでも落ち着かせようと丁寧に頭を撫でる。
霊夢が他人を撫でることはそうそうないが、前例はこの三日間で嫌という程見ていたので、今回はそれを真似ることにした。
「あ……」
「ほら、あんたの好きなご主人の撫で方よ。見よう見真似だけど」
「ん、んー……」
「こういう時、どういうことを言えばいいのかしらね。考えたこともないけれど」
そう付け加えながら、霊夢はそっと抱きとめてみる。
関節の固さとはまた違う、ふわりとした感触。肌も思ったより柔らかい方らしい。
後はもう少し体温があればいいのだが、死人なので血は通っていない。贅沢は言ってはいけないのである。
霊夢の胸元に押しこまれる形となった芳香は、さらに顔をふにゃふにゃにしていく。今にも泣いてしまいそうだ。
「せいが、せいが~……」
「何だかんだだけど、あんたもご主人様が大好きね」
「……ぅー」
「聞いてないみたいね。ま、胸は好きなだけ借りなさい。後でちゃんと返してよね」
胸元でぐずる芳香を、霊夢はそのままにしておく。
思えば何も言わなかったとはいえ、結界で主人をぶっ飛ばしてしまうのは流石にやりすぎだったか。
霊夢の支配下に入っていたのは確かだが、やはり大元の主人は青娥なのである。
そう考えると、霊夢の中にも申し訳なさが出てくる。お詫びと言ってはなんだが、もう少し胸元に抱き寄せてやることにした。
芳香の固くひんやりとした右腕が首の下を通るが、それも体勢上仕方ないことなのだ。
さて、遮る腕がなくなると、自然と二人の距離が詰まることになる。
お札で隠れて見えていなかったが、芳香は思っていたより端正な顔をしていることが分かった。
「うーん。ひょっとして、意外と死ぬ前はちやほやされてたのかしら」
そんな顔立ちが良い芳香が、こうしてくすんくすんと鼻をすすっている。
そう考えると、青娥の惚れ込みも大分納得が行く。命令に忠実で愛嬌もあり、かつどんなことをしても文句も言わない。
征服心が強い青娥の好みそうな話ではある。最も芳香は、完全に彼女の好みで仕立てあげられているのあろう。
そして、博麗の巫女に征服という言葉は無縁であった。立場上独占という旨味を知らなかったのだ。
そう。霊夢の中で首をもたげ始めていた、未体験の感情。
それが、独占欲と征服欲である。
「ほら、そろそろ泣きやみなさい。青娥を結界で吹き飛ばしてしまったことは謝るから」
「別に私は怒ってはいないんだ、でも……」
「でも?」
「ほら、れーむが今主人なんだし、なー」
歯切れ悪く言葉を繋ぐ芳香。目も泳いでおり、視線を霊夢から逸らすばかり。
やはり心のどこかに青娥がいるのだろう。本人としてはそっぽを向いているつもりだろうが、顔が近くて照れているようにしか見えない。
そんな彼女を、独占している。霊夢はその事実に言いようもない昂りを感じていた。
青娥が我が子のように大切にしていた芳香である。他人の大事なものに手をかけることの無かった霊夢に、この状況は都合が良すぎたのだ。
「……そうね」
「んむ。れーむの手はどこか優しいから、私は好きだぞ」
「そういうものかしら? ま、主人がいなくて寂しそうにしてるやつを見たら構ってやりたくなるわよ」
「……」
もう少しだけ、触れ合っていたい。
この子をモノにしたい。
青娥という主人を忘れさせるくらいに、もっと構ってやりたい。
一度流れた欲は、瞬く間に霊夢の小さな理性という堤防を越えようとした。
しかし、すんでのところで食い止められた欲からは、白く濁った濁流が今にも蹂躙せんと渦巻かせている。
堤防はさらに軋みをあげ、いつ決壊してもおかしくはない状態になっていた。通常より早く目覚めた霊夢は、現在正確な判断力が鈍っている。
さらに最悪なことに、理性開門も時間の問題というこのデンジャラスな状態で、芳香が弱い声で呟いてしまった。
「……にゃんにゃん……」
その瞬間、霊夢の理性は大爆発してしまった。
堤防意味なしである。
◆
数日後。
「じゃじゃーん! お姉さん、餌おくれ!」
「はい餌」
「さすがお姉さん! いつもはあたいを一蹴して嫌という程おなかをもにもにされるのにってええええええええええ!?」
昼下がりの博麗神社で、二人の人妖が縁側に腰掛けていた。
一人は勿論霊夢だが、もう一人は芳香や青娥ではない。火車にして神社に飼われている猫、お燐である。
彼女はたまに神社に現れては、こうして神社で餌を要求したりひなたぼっこをしたりしている。気まぐれな猫らしく、性格は底抜けに明るい。
そんなお燐が素っ頓狂な声を出してしまったので、霊夢はうるさそうに耳を塞いでいた。
「な、何で餌くれるのさ! 明日は神社に火の粉が降るの!? 幻想郷終わっちゃうの!?」
「別に餌無くてもいいなら、私が食べるけど」
「これ猫用だよね!? まあいいや、お姉さんがくれるならありがたくいただくよ。にゃもにゃも」
お燐は小皿に盛られた餌、きゃっとふうどという物を食べながら、どこか疑問に思っていた。
何故ならこのお姉さん、餌をやること自体稀なのである。
大抵は自分でとってこいやら、世の中は自給自足が最強なのよと持論を説くやら、梃子でも動きたくないという意志がひしひしと伝わってくるほどだった。
しかし、今日は出会った瞬間餌を置いてきたのだ。なんというタイミングの良さ。朝街角でパンをくわえた女の子に衝突するくらい用意が良すぎる。
勿論その後偶然クラスメートであるということが判明し、あの時の時間泥棒猫! と言われもない濡れ衣を着せられるのだ。この場合お燐がヒロインである。
まあそれはともかく。
「美味しいの? それ」
「人間には分からない特別な美味しさ、ヴェルタースにゃーん」
「何とも難しい世界ね」
軽口を叩きながら、お燐は霊夢をじっと眺める。
顔や口調は普段と何ら変わらないのだが、膝の上で重ねられた手に小さな変化を見た。
左右お互いの指が絡み、時々つんつんと指の腹を撫でている。これはいわゆる「いじいじ」というものだ。
つまり、こうして貢ぐのは何か訳があるのだ、とお燐は考える。猫は猫なりの考え方があり、彼女は特に賢い方なのである。
「お姉さん、今日は一段と綺麗だねえ」
「いきなり何を言うのかしら、この猫は」
「いやあ、何か肌がいつもよりぷるぷるしてるからさ。何かいいことがあったのかなって」
「……む、お見通しか」
「あたいを舐めちゃいけないよ、お姉さん♪」
てへぺろをするお燐を恨めしそうに見ながら、まあ図星なんだけどとあっさり認める霊夢。
霊夢は、隠すのは自分の性に合わないと考えている。今までが今までだったので、隠す必要が無かったのだ。
今更素っ気ない態度をとるのも意味が無くなってしまったので、霊夢は座り直しつつお燐に尋ねる。
「……そうね。あんたは死体集めが仕事なんだっけ」
「まーね。仕事ではあるけど、あたい自身も死体が好きだしお姉さんが止めようとしても無駄だよ」
「別にそういうことじゃないのよ。ただ、ね」
「うん」
「その、ね?」
お燐はそこに、霊夢の変化を確かに見た。
いじいじはさらに増し、表情にもどこか照れが見られる。少なくともお燐は、今まで霊夢のこんな様子を見た記憶がない。
一体何を言うのか。まさか告白されるんじゃないだろうな。
お燐の顔が勘違いで紅潮する中、霊夢はたっぷり時間をかけつつ、惚けたように言うのだった。
「私、好きな死体出来ちゃった……」
そして後書きww
>「お粗末さまでした」
クッキー☆のフレーズを引用したな!訴訟も辞さない!
こういう青娥さんもいいな…
娘々は統合失調症の疑いが…ww
オチなんか捨ててかかって来いよ!
統失娘々はさっさと永遠亭
小ネタからノリからタップリ楽しませて頂きました。お代わりありません?
つか、青娥さんどんまいw