槍が降っても、という言葉がある。
慣用句の一種であり、辞書的に言うのなら「火が降っても槍が降っても」が正しいらしい。
これは「どんな困難があっても、必ず」という意味だと認知され、世間で広く使用されている。
全くバカバカしい話だ。変にねじれた使い方をするのも大概にしてほしい。
そんな意味で使っていたらその言葉自体が成り立たないという事になぜ誰も気がつかないのだろう。
いったん冷静に考えてみれば分かる事だ。そもそも火も槍も空から降ってくるはずなどないではないか。
「雨が降っても雪が降っても」だというのならまだわかる。何かを為そうとしたときに悪天候だったらやる気が下がるであろう。
だが火も槍も天から降り注ぎはしない。なにがどうしたって、槍は降らないのだ。降るわけがない。
100%あり得ない事態を「必ず」と言う言葉の例えとして使っていいものだろうか、僕は常々疑問に思っていた。
言葉というものは移り変わる性質を持つ。思うにこの言葉は、時の流れと共に使われる意味がだんだん変化していったのではなかろうか。
元々なにか別の意味があり、それが間違った使われ方をされるにつれてその間違った意味が正しいものとして認知されてしまったのだ。
そこで僕は、槍が降ってもという言葉の失われてしまった真の意味を考えてみた。
色々と考えを巡らせた結果、この慣用句は「滅多に起きない事の例え」という意味だと僕は捉えた。
「槍が降っても、明日の試合に勝てるはずがない」といった具合。「天地がひっくり返っても」と似た感じである。
何をやったってもうダメだ。諦めろよ。試合終了だ。そういう意味だと僕は考え、そういう意味として使っていた。
僕は物事を深く考えることが好きだし、それによって導かれた結論が正しいと信じていたからだ。
僕は「槍が降っても」が誤った用法で使われているのを耳にする度、内心で鼻で笑っていたりもしていたのだ。
しかし今回ばかりは、僕の考えは間違いだったと訂正せざるを得ない事態になってしまった。
外を歩いていたら空から一本の槍が降って来て僕の隣に直撃した。
何を言ってるのか分からないと思うが僕も何が起きたのか分からない。
その日、僕はいつものように無縁塚に向かって歩みを進めていた。
もちろん目的は無縁仏を弔った際に得られる報酬であるところの道具達である。
リヤカーを曵きつつ、今日はどんな未知の道具が落ちているだろうと考え、胸を躍らせていた。
カナカナとヒグラシの鳴き声が遠くから聞こえて来る。もうそろそろ夏も終わり、秋の気配が次第に深まってゆくだろう。
僕が今通っている道にも彼岸花が所々にポンポンと咲き始めている。周りの木々達も段々と秋色のファッションへ様変わりを始めたようだ。
これから冷えて来るだろうから、冬に備えて暖房器具が落ちていると助かるかもなと思いつつえっちらおっちらリヤカーを引っ張る。
目的の地点まであと半分くらいかというところまで来た時、僕の傍を何かが掠めた。
いや、何が起きたかというのは分からなかったのだが、チッと言う音が右の耳元で鳴ったので多分そうだろうと思う。
同時に僕のすぐ近くでなにかズドンという音がしたのを耳で捉え、僕は反射的にその場にピタリと立ち止まった。
数秒程、僕は足に根っこが生えたように身動き一つしなかった。動けなかったという方が正しいだろうか。
それからようやく目と首を少しだけ動かして何が起きたかを確認する。
ちらりと横目を流した僕が目にしたモノは、土煙をもうもうと上げながら地面にそびえ立つ一本の槍であった。
僕は目をぱちくりとさせ、驚く程冷静に僕の横から数十センチも開けない位置に突き刺さったそれをまじまじと見やる。
そして今自分を掠めたのがその槍だという事にハッと気づいた瞬間、突然に冷や汗が全身からぶわっと吹き出てきた。
もしかしたら、今の僕は危機一髪だったのか?
リヤカーから手を離して流れ出る汗を拭う。と、右の頬に触れた瞬間にきりりとした痛みが僕の顔に走った。
手を戻して見てみると、汗がなにやらうっすらと朱に染まっている。もう一回触れてみた。やはり痛い。どうやら今のにやられたようだ。
もし僕がもう少しズレた位置を歩いていたら。あるいはその槍が落ちた位置がもう少しズレていたら。僕は一体どうなっていたかわからない。
何故槍が突然落ちて来たのかはともかくとして、まず僕を包んだものは自らの生死に関する安心と恐怖であった。
僕は大きく息を吐き出してもう一度汗を拭い、その槍を用心深く観察した。
よほど勢いよく落ちて来たのか、槍の頭はほぼ地中で埋もれている。恐ろしいほどのスピードだったようだ。
魔理沙とどっちが早かったかな、とくだらないことを考えつつ辺りを見回し、空を見上げた。
ひょっとすると、ぼくを狙った刺客が放った物だろうか?鵜の目鷹の目で下手人を捜したが、辺りにそれらしき人物はいなかった。
まあ遠くから投げられたようだし、僕の近くに犯人が居るという事はあり得ないかな。
槍を投げた犯人を捜す事を諦め、僕の興味はこの槍に移り変わっていた。とりあえず引っこ抜いてみようか。
そう思って槍に両の手をかける。すると僕の能力が発動し、この槍の名称と用途が頭の中にきらりと閃いた。
名称:毘沙門天の槍
用途:攻撃
かけた手に力をこめ、ずぽっと地面から引き抜く。思ったより簡単に抜けたので少し拍子抜けだ。
埋もれていた槍の穂先は土にまみれながらも、日光を受けて反射し燦然と輝いていた。
僕はその光をぼんやりと眺め、そして思い出したようにぽつりと呟いた。
「槍、降って来たなぁ…」
その日はそれで帰る事にしてしまった。
なんだか無縁塚に行く気分ではなくなってしまったし、この槍もこれはこれで収穫だと思ったからだ。
その槍にもう一歩のところで命を脅かされた事はともかくとして、持ち主不明の道具が道端にある以上回収しないわけにはいかない。
拾える物は僕の物。僕の物は僕の物。それが香霖堂店主たる僕のスタンスである。
僕は槍を無造作にリヤカーに放り投げ、元来た道を引き返し始めた。道中、これ以上槍が降って来ないか気を付けながら。
「…と、まあこのような顛末があってこの槍はこの店に行き着いたというわけだよ」
「あうぅ、そうだったんですか…」
僕が話を終えると、カウンターの前で話を聞いていた女性はしゅんと項垂れた。
金と黒が入り交じった髪色の頭にちょこんと乗っかった花のような飾り物がそれにあわせてゆらりと揺らぐ。
申し訳なさそうにうつむく彼女を前にして僕は言葉を続けた。
「それで?君はこの槍をどうしたいのかな」
「ええっと、その槍は多分私のだから、出来れば返してほしいな~なんて…」
「ほう?僕の命を脅かしたこの槍がねぇ」
「それはその、わざとじゃなくて…」
「それはそうかもしれない。だが事実として僕は危ないところだった。そんな槍をポイッと返すわけにはいかないなぁ」
「うううう…」
ちょうど十分ほど前の話だ。
僕がいつものようにカウンターの奥にある椅子に腰掛けて読書をしていると玄関がコンコンと叩かれる音がした。
僕が声を上げて入店を促してやると扉が遠慮がちに開いてお客がちょこんと顔を覗かせた。
好きに見ていくよう声を掛けて僕は読書に戻り、寅柄の衣服を纏ったその客がおずおずと店の中に入って来た。
そのお客こそ、今僕の目の前で頭を抱えて困った様にうなり声を上げている少女だった。
店に来た彼女は中にある商品をキョロキョロと見回し、なにやら腕組みをして考え込んでいた。
それから僕に近づいて来ていくつかの質問をしてきた。以下はその時の彼女と僕の会話である。
「あの~…」
「なにかお探しですか?」
「その、ここってなんなんですか?」
「見ての通りです。拾い物を売っているただの道具屋ですけど」
「拾い物…もしかして槍とかはありませんか?」
「槍ですか?」
「はい、槍です」
「槍ですか…そうですねえ、そういえば前に一本だけ入荷しましたね」
「あるんですね!?槍を拾ったんですね!?」
ここで彼女は嬉しそうに顔をほころばせ、先ほどよりも勢い込んで言葉を続けた。
あまりの勢いに僕は驚いて少々仰け反り、それから冷静になるよう彼女に促した。
いつも魔理沙にそう注意しているからだろうか、期せずして商売用の敬語が取れてしまったのは気にせず続ける。
「…少し落ち着くと良い。あるにはあるよ。確かにこの前拾ったかな」
「そうですか。すみませんけど、それ見せてもらっても良いですか?」
「ああ、いいよ。少し待っていたまえ」
僕は店の奥に行ってこの前拾った槍を持って来てやった。
僕のすぐ傍に落ちて来て僕の薄皮一枚を掠めていった不届きな槍である。
それを彼女に見せてやると彼女は安心した様にため息をついた。
「ああ、良かった…見つかりましたぁ…」
「ふうん?この槍は君のなのかい」
「はい、そうです。前に無くしちゃってどうしようかと…」
「君、名前はなんというのかな」
「え?あ、えと、寅丸星と言います」
「ふうん、そうかい。ひょっとすると君は、僕がこの槍によってどんな目にあったのか知らないんじゃあるまいね」
「ええ!?な、なにかありました!?」
「あったとも。危うく命を落とすところだった」
ここで僕は僕の身に起こった事件を余すとこなく目の前のお客に聞かせてやった。
少しばかり誇張して表現した部分もあるが、これくらいなら罰もあたるまい。命の危険は本当だったし。
いかに僕が危ないところだったかを主張すると彼女はおろおろとして僕に平身低頭謝り始めた。
この反応を見るに、どうやら僕の傍に槍が降って来たのは故意ではなく偶然だったようだ。
どのような経緯で槍を吹っ飛ばしたのかは分からないが、ひとまず僕に対する殺意というものはなさそうで安心した。
しかし偶然で脅かされる僕の命というのもどうなんだろう。意外と吹けば飛ぶほどに命というものは不安定なものなのかも知れないな。
と、まあこのような会話が繰り広げられた後、時間軸は先ほどの時点へと戻るわけである。
そもそもだね、と僕は彼女に言葉を放る。
それに反応して頭を抱えていた寅丸星は両手を頭から離して僕を見つめた。
「この槍が君のモノだっていう証拠でもあるのかい?」
「ええっ?しょ、証拠ですか?」
「そうだよ。ここはお店なんだ。もし君が持ち主を騙っている可能性がある以上、僕は譲るわけにはいかないよ」
「でもでも、確かにその槍は私が使っていた奴で」
「だから、証拠がないじゃないか。何の証拠も無しに持ち主を名乗って商品を持ち逃げされたら困るんだよ。分かるだろう?」
「それはそうですけど……あっ!私の槍は毘沙門天の槍って言ってそこらの槍とは違うんですよ!これでどうです?」
「……で、これがその毘沙門天の槍だっていう証拠は?」
「ふぬぬ…」
星はまた頭を抱えてしまった。頭の花飾りが心無しかしおれてしまったようになっている。無論本物の花ではないのだろうが。
それにしても、毘沙門天の槍か。僕はこの槍を拾った時に頭の中に流れ込んで来た道具のイメージを思い返す。
名称が毘沙門天の槍、用途は攻撃…というものだったな。どうやらこの槍は本当に彼女の持ち物であるらしい。
だが、僕がこれを毘沙門天の槍だと知っているという事を彼女は知らない。これは相当に有利なポイントだ。
この娘には悪いけど、僕も商売人の端くれだ。この大きな商売のチャンスを生かさない手はない。
商売の基本。それはこちらの持つアドバンテージを最大限に活用して会話のイニシアチブを取ることだ。
この際だから使える要素は全て利用してやろう。さて、ここからもっと僕のペースに彼女を引き込むには、と。
「まあまあ、そんな顔をするなよ。僕もそうがめつい男じゃない。なにも槍を君に返さないというわけじゃないよ」
「本当ですか!?」
「ああ、本当だ。しかしそれにはちょいとした条件があるんだけどね」
僕はそう言いながら来客用の椅子を持ち出し彼女に座るよう促した。
お茶を二人分淹れ、一つは手元に残してもう一つを素直に席に着いた彼女の前にトンと置く。
いただきます、と言ってそろりそろりとお茶を口につけながら星はこちらをちらちら伺っている。
どうやら僕の言った条件とやらが気になっているようだ。僕もカウンターの中の席に座り、お茶を一口啜ってから口を開く。
「一つ、君が槍をなくした時の状況を説明する事。二つ、どうにかしてこの槍が自分の物だと証明する事。
この二つが出来れば、君をこの槍の持ち主だと認めようじゃないか。この際この槍が僕を脅かした事は不問にしてやろう」
「おお、ありがとうございますー」
「礼を言ってる場合じゃないだろうに。とにかく、これらが僕の出す条件だ。これでもだいぶ譲歩しているよ」
「う~ん、一つ目はともかくとして、二つ目はどうしたらいいのかなぁ…?」
譲歩していると僕は言うが、そんなことはない。むしろひどいものである。僕が本当に善人だったらすぐにでも槍を彼女に渡すだろう。
しかし目の前の少女は何の疑いも持たずに僕の条件を飲み込んだようだ。端正な顔立ちの割に結構単純な娘なのかもしれない。
星は腕組みをして考え込み、やがて腕を解くととりあえずと前置きしてから一つ目の話をし始めた。
その話によると、彼女は命蓮寺という寺で毘沙門天の代理として働き、暮らしているらしい。
数日ほど前、境内で槍の武芸の稽古に励んでいると寺に一緒に住んでる仲間達が寄って来て彼女を褒めてくれた。
曰く、カッコいいだの強そうだのなんだの。
ありがとうと礼を言って稽古を続けていると、仲間の一人が「ご主人は槍投げの訓練とかはやらないのかい?」と言って来た。
手を止めて少し考える。槍投げ。そう言えば武道の型の訓練はしていたけどそういうことはやったことがないな。
試しに境内の端っこに走ってから勢いよく槍をぶん投げてみた。しかしそのような修行はしていなかったので槍はへろへろと近くに落ちてしまった。
それを拾い上げてから、やっぱりダメでした、と笑うと別の仲間が声を掛けて来た。
「姐さんに肉体強化の魔法を掛けてもらったらもっと飛ぶかもしれないわね」
それを聞いたまた別の仲間が建物の中に入っていき、中にいたお寺で一番偉い人、というか、みんなのまとめ役を呼んで来た。
姐さんと呼ばれたその人は魔法を使う程度の能力を持っており、肉体強化などはお茶の子さいさいなものなのだそうだ。
彼女は皆の話を聞くと快く承諾してくれ、星に肉体強化の魔法をかけてくれた。
この時点でノリノリであった星は、魔法の力によって力が漲ってきたので意気揚々と先ほど槍を投げた地点に戻り、槍を思いっきり投げた。
しかし如何せん魔法が効きすぎたようだ。
腕力が強化された星が放った彗星のごとき一撃は皆が予想したよりもはるか遠くに飛び、空の彼方へ消えていってしまった。
しばらくぽかんとそれを見送る一同。ややあって魔法を掛けた「姐さん」が慌てて星に謝って来た。
どうやら強化の加減を間違えてしまったらしい、との事だった。星はそれを聞きつつまだ空の向こうを見つめていた。
その後、星は彼女の部下に頼んで飛んでいってしまった槍を探しにいかせた。
その部下の能力は探し物を探し当てる程度の能力で、こう言う時にこそ真価を発揮する。
彼女は星の頼みを聞き入れてふわりと浮き上がって空へ飛び立っていった。彼女に任せておけば安心である。
果たして数日の後、彼女は探し物を見事探し当てて戻ってきた。しかしその手に星の槍はなく、代わりに彼女手製の地図があった。
どうしたのかと聞くと、彼女は「とりあえずここに行くと良い。探し物が見つかるよ」と言って地図を渡してさっさと自室へ引き上げてしまった。
その時の部下の顔は今までみたことがない、なんというか苦虫を奥歯ですりつぶしたような顔をしていたらしい。
星は部下のおかしな様子に首を傾げつつも渡された地図を眺め、その場所に行ってみる事にした。
どうにかこうにか地図の示す場所にたどり着き、その建物の扉を叩くと…中から入るよう促す声が聞こえた。
そして中に入った彼女が見た物は、所狭しと並ぶ商品達とその奥で椅子に座って本を読みふけっている僕の姿だったという事である。
「…と、このような感じですね」
「ふうん、なるほどなるほど」
僕は星の話を聞き終えると天井を見上げて思案を巡らせた。
探し物を探し当てる程度の能力か…。試しに一つ訊いてみる。
「その部下の名…ひょっとするとナズーリンかな?」
「あれ?知ってるんですか?」
「まあね。一度この店に来た事がある。どうやら誰かさんがなくした宝塔を探していたようでね」
「あぅ」
星は恥ずかしそうに俯いた。その様子を眺めながら僕は当時を思い出す。
ネズミ妖怪のナズーリンは何ヶ月か前にここを訪れていた。彼女の上司が無くした宝塔を探して来たらしい。
どうしてそんな物がここにあると分かる、と訊くと、私の能力がそう言っている、と返して来てくれた。
僕が拾って店に置いていた宝塔を彼女の能力が探し当てたという事だった。
そのとき僕は宝塔を彼女に譲ったのだが、そういえば彼女の足元を見て割ととんでもない値段をふっかけた記憶があるな。
彼女も退っ引きならない事情があったのか、渋々ながらもそれを受け入れてお金を払い、ご親切にどうもと強烈な皮肉を僕に投げつけて来た。
その言葉に僕が今後ともご贔屓にと返すと、彼女は苦い表情をして扉から出ていった。それが事の顛末である。
なるほど、この目の前にいる娘があのとき言っていたナズーリンの上司だったようだ。
しかし、わざわざ槍の場所を見つけておいて自分で入手しようとしなかったのは何故だろう。
僕の相手は二度とごめんだ、ということだろうか。失礼な事だな。僕は正直に商売人として生きているだけなのに。
というか、話を聞く限りこの寅丸星という娘はなにも悪くないんじゃないだろうか。
「まあいい。君が槍を無くしたときの状況は分かったよ」
「はい」
「それに君の部下の能力も僕は良く知っている。どうやらこの槍が寅丸星の失せ物だという可能性は高そうだ」
「じゃあ、私にその槍を返してくれるんですね!?」
僕の台詞に星が嬉しそうに食いついた。しかしそうは問屋がおろさない。そう単純に話がすすむものか。
僕は大げさに首を振って言葉を返す。
「馬鹿を言っちゃあいけないよ。まだ君にこいつを渡す事は出来ない」
「ええっ!?で、でもナズーリンの能力は確かですよ!?」
「そう。彼女の能力はここを示した。寅丸星が落とした槍がここにあるとね。だけど、だ」
僕は一旦言葉を切って彼女を見つめる。彼女は膝の上に置いている両手を握りしめてごくりと喉を鳴らした。
「言ったろう。この槍が君のものだと証明しろ、とね。この槍は寅丸星のものだ。それは間違いないだろう。
だけど、君自身が本物の寅丸星だって証拠がない。もしかしたら、君は寅丸星を騙った偽物かもしれないじゃないか」
「そ、そんな。私は私ですよぅ」
「だから証拠がないだろう?それが証明できなかったら、この槍は渡せないなぁ」
「ふぬぬぬ…」
別に本当に彼女の正体を怪しんでいるわけではない。だがこうして話を進めた方がより僕の方に状況が有利だ。
我ながらひどいものである。誰かに悪徳商人だと訴えられても文句は言えないな。
しかし恨んでくれるなよ。こっちだって真剣に商売の話をしているのだから。
頭を抱えること三度目となった星はうんうんと唸っていたが、やがてガバッと顔を上げて叫んだ。
「私が!」
「うん?」
「私が一番その槍をうまく使えるんです!一番、一番うまく使えるんです!それが証拠です!」
「…どういうことかな?」
「その槍は私が毘沙門天様から賜った槍。それをなくしたとなったら毘沙門天様に顔向けが出来ません。
私はそれをもう何百年と使ってますし、私の手にそれはそれはとっても馴染んでいます。
この幻想郷に私よりうまくその槍を使える妖怪は居ません。それを貴方に教えてあげます!これでどうですか!?」
やけくそになったのか、何故か自信満々に彼女はそう宣言した。
僕は腕を組み、あくまで冷静に彼女の言った事について考える。
証明方法としては少し物足りないが、それでも充分と言えるような妙な説得力が彼女にはあった。
そういえば僕も結構長い事生きているが、槍使いという人間や妖怪は見た事が無いな。二刀流の半人前剣士や鎌を持つ死神なら見た事があるけど。
そこまでいうからには、彼女は槍さばきにはよっぽどの自信があるという事だろう。
というか、どうして僕はこんなに槍の事について意地を張っているのだろうか。僕ははたと考え込む。
特にそこまでしてこの槍を手元に置いておきたいというつもりはないし…。何が僕をそうさせているのかな。
例の槍が僕を脅かした事は不問にしてやるとは言ったものの、もしかしたらまだ心のどこかに恨む気持ちが残っていたのかもしれない。
横目で彼女をちらりと観察する。自信ありげな言葉と裏腹に、なんだか顔を赤くしてじんわりと涙目だ。それほどにこの槍は大切なものなのだろう。
いかん。なんだか罪悪感が鎌首をもたげて来たぞ。これ以上いったら彼女はいよいよ泣き出してしまうかもしれない。
そうなったら僕の良心がストレスでマッハだ。いい加減この辺で打ち止めにしておいたほうがよさそうだ。
「…そうだな。じゃあ君が上手くこの槍を使いこなせたら、この槍は君のものだと認めようじゃないか」
「それでいいんですね!?もう意地悪しませんね!?」
「怒らないでくれよ。こっちも商売だからね。まあ今はそれで手を打とう」
「ああ、よかったぁ…」
彼女は涙目をやめてほっとしたようにため息をついた。その様子に僕もほんのちょっぴり安堵する。
僕はそんな心の内情をおくびにも出さず、安心するのはまだ早いと言って椅子から立ち上がった。
「早速、君の槍の腕前というものを見せてもらわなくちゃあ」
「はい、はい。あ、そういえばお名前まだ…」
「僕か?僕は森近霖之助だ。覚えておくと便利だよ」
「霖之助さんですね。それじゃあ霖之助さん、私の槍をもって付いて来てください」
「どこかにいくのかい?」
「ええ、まあ。あ、あとなにか物を入れるカゴのようなのも一緒に」
彼女はそう言って椅子から立ち上がるとずんずんと扉の方に向かっていった。そして扉を開け放って外へと飛び出る。
僕は首を傾げながらも途中から壁に立てかけておいた槍と手頃な大きさのカゴをつかんで彼女の元へと向かった。
果たして、一体彼女はどのようなことを僕に見せてくれるというのだろうか。カゴは何に使うのだろうか。
もはやこうなると好奇心が僕の頭の大部分を占めてしまい、他のことはどうでもよくなってしまっていたのだった。
少しばかり歩いた後、星の後ろにくっついて歩みを進めていた僕は霧の湖にほど近いところにある川に来ていた。
川を覗いてみて見ると、川魚が気持ち良さそうに泳ぎ回っている。
水のせせらぎが辺りに響き渡り、遠くで鳥の鳴き声がしていた。なんだかのどかな雰囲気だ。
こんなところで一体どうするというのだろう。僕がキョロキョロと見回していると、彼女が僕に向かって手を差し出した。
「じゃあ、私の槍を貸してください」
一瞬持ち逃げされるかと渡すのを躊躇したが、思い直して彼女に槍を渡してやった。
これまで見て来た彼女の人柄を見るに、彼女はそういうことをするような人物とは到底思えなかったからだ。
僕の手から槍を受け取った星は靴と靴下を脱ぐとざぶざぶと川の中へ入っていった。
そして何故か槍の柄を前に出し、穂先を後ろに向けるような逆さまの状態に構えてその姿勢で固まり、川縁にいる僕に声を掛けてきた。
「よーく、見ててくださいね?」
何をするのか、と僕が声を掛けようとした一瞬、彼女の腕と槍がぶれたような気がした。それと一緒にポチャンと水の撥ねる音がする。
しかし目を瞬かせてみて見ると彼女は相変わらず逆さまに槍を構えた状態で止まっていた。水面にも変化は無い。
僕が眉をひそめて彼女を見つめる。なんだ?なにもしてないじゃないか。
と、足下でぴちっと水が跳ねて僕のすねの辺りに水がかかった。何かと思って下を見て、僕はぽかんと口を開けてしまった。
「……あ?」
思わず間抜けな声が出てしまったのを許してほしい。
下に目を向けた僕が見たもの。僕の足下では魚が元気よくビチビチと飛び跳ねていたのだ。魚は跳ね回り、辺りに水をまき散らしていた。
僕はしばらくその魚を見つめ、はっと彼女を見つめた。彼女は僕の反応に気を良くしたのか、にっこりと笑いかけて来た。
「もういちどいきますよ?」
花が咲いたような笑顔をそのままにまた彼女の腕がぶれた。同時にポチャンと水の音がして僕の足下でぴちっと水が跳ねる。
まさかとおもって足下を見ると、水をまき散らす生き物が二匹に増えていた。
僕はようやく彼女が何をしたか分かった。彼女は槍の柄だけを使って魚を川からはね飛ばし…いや、すくいあげているのだ!
泳いでいる魚を傷つける事無く正確に柄だけで捉え、しかも僕の目で追いきれないような超高速でそれをやってのけたらしい。
そんなばかな、と言おうと思ったが上手く言えずに飲み込んでしまった。驚きだけが僕を支配していた。
と、星が僕の方に手を振ったのでまた僕は彼女に目を向けた。彼女は三たび逆さまに槍を構える。
「セイッ、ヤァッ!!」
今度は僕の目にもなんとか見えた。
彼女は同じ様に槍の柄で魚を今度は上空に救い上げると、槍の向きをくるりと持ち替えて気合いとともに踏み込んで突き出した。
少しばかりその姿勢で固まり、ややあって星が僕の方に槍の穂先を向けて来た。
僕がそれに目を向けると、果たしてそこには空中で見事にその身を貫かれた哀れな魚の姿があった。
「……驚いたな」
「どうです?私の腕前もなかなかでしょう?」
僕の漏らした言葉に星がふふーんという感じに胸を張った。なかなかもなにも。達人級じゃないのか、これは。
残像のごとく素早い槍捌きといい、泳ぎ回る魚を正確にすくう技術といい、空中で落ちてゆく獲物を捕らえる技術といい。
水で光が屈折しているため、泳ぐ魚の正確な居場所を知る事すら僕には難しいだろうと思う。
未だに目の前で起きた事態が信じられない僕がそこにいた。全てが驚きに満ちている。
それからも彼女は二回、三回と腕を動かした。その度に魚が僕の足下に面白いように落ちてくる。
他にも二匹同時に川を泳ぐ魚を槍で突いたりと色々とスゴい事をやってのけ、僕はそれを半ば呆れたような面持ちで見ていた。
結局十匹程魚を捕ってから星はざぶざぶと僕のところへ戻って来た。
「さ、持って来たカゴに魚をいれちゃいましょう」
「あ、ああ…」
いつもこうしているのか、慣れた様に魚をポイポイとカゴにぶち込む星に僕は狐をつままれたような声をだして従った。
しかし、自分が一番うまくこの槍を使えるってか…。色々と言いたい事はあるが、あまりの驚きにもう何も言う気がなくなっていた。
どうやら完全に僕の敗北だったようだ。この槍は彼女の物だ。それを認めざるを得なかった。
日が西の方へ傾く頃。僕の家には魚料理に舌鼓を打つ僕と星の姿があった。
「なんだかすみません。ごちそうになっちゃって」
「何を言うんだ。これは全部材料費はタダだよ。それにこの魚は君が取ったものじゃないか」
「そうですけど、まさか料理を作ってくれるなんて」
「気にしないでくれ。これは僕からのほんのお詫びとお礼の気持ちだ」
星が見せてくれた達人技に僕はすっかり気を良くしてしまい、彼女に腕をよりをかけた魚料理を振る舞ってやった。
今まで彼女に意地悪な事を言い続けたお詫びというものもあるのだが、それよりも良いモノがみせてもらった礼がしたかった。
あんなに槍の事についてああだこうだ言っていたのが、もうどうでもよくなってしまったほどだ。
「なんとも素晴らしい槍さばきだった。確かにあの槍は君のものだったようだ。認めるよ」
「私は最初からそう言ってたじゃないですか」
「ごめんごめん。そういうことをきちんと疑わないとこの商売やっていけないものでね」
「それにしたって、あなたはしつこすぎます!あと意地悪です!ぷんすか!」
「だから、この魚料理で僕を許してやってくれると嬉しいんだけどね」
「うーん、確かにこの料理は美味しいですけどぉ」
口では文句を言いつつも星の顔は緩みっぱなしだ。もしかすると、魚が好物なのだろうか?
喜んでぱくぱく食べ進める星を見るとこちらとしてもなんだか嬉しいようなすがすがしい気分だった。
結局、あれだけあった魚料理は二人でぺろりと綺麗に平らげてしまった。
調理に使わず残った魚は僕にくれるというのでお言葉に甘えてありがたくとっておく。
「おいしい料理、ごちそうさまでしたー」
「お粗末様。口に合ったんなら良かったよ」
「それはもう。霖之助さんって料理がお上手なんですね」
「褒めても何も出やしないよ」
ニヤケそうになる口元をなんとか抑えてぶっきらぼうにそう告げる。
やはりいくつになっても他人に褒められるのは嬉しいものだ。
「出来ればもっと食べたかったですけど、もうお腹が一杯で」
「またあの槍捌きで魚を取るのを見せてくれたんならまた作ってやろう」
「えっ?本当ですか?」
「ああ、本当だとも」
「そうですか。むむむ、ちょっと考えちゃいますね」
「何がむむむだ」
「う~ん、ま、まあ霖之助さんの料理は美味しかったですし?機会があったらまたご覧に入れてもいいですかね」
そういう星の口からは涎がこぼれそうになっている。よほど僕の料理が気に入ったのだろうか。
星は涎を拭ってから店の傍らに立てかけてあった槍をつかむと僕に元気よく挨拶した。
「それじゃ霖之助さん!さようなら!」
「おおっと、待った!!」
僕に別れの言葉を告げてから扉の方へ向かった星を僕は大げさに声を張り上げて呼び止めた。
きょとんとしてこちらを振り返る星に僕はつかつかと歩み寄る。
このまま素直に君を帰すと僕が思うと思うてか。
「君はなにか大事な事を忘れているようだね」
そう言って僕はさりげなく星から槍を奪い取る。
星が「ああっ」とか言って槍に手を伸ばすが僕も槍を持った手を遠くに伸ばしてそれを防ぐ。
「な、なんですか?返してくださいよ。忘れてるって何をですか?」
「おやおや、思い出してほしいね。僕が君に出した条件の事を」
「え?えっと、槍をなくしたときの事を説明するのと、この槍が私のだって証明する事ですよね?」
「そうだとも。その条件がなんのための条件だったか、君はもう忘れてしまったのかね?」
「ええっ!?や、槍を返してくれるための条件じゃないんですか!?」
これだ。すっかりこの娘は勘違いをしている。
槍が手元にかえって来たと喜んでいたが、そうやって喜ぶにはまだ早いぞ、寅丸星。
僕はうろたえる星に真実を告げてやった。
「違うな。僕がその槍の持ち主が君だと認めるための条件だと言ったんだよ」
「それってつまり槍を返してくれるってことじゃないんですか?」
「何を言うんだい。誰がこの槍をタダで君に譲ると言ったんだね?」
「ええええっ!?なんですかそれっ!?」
「ここは香霖堂。店主である僕が拾ったものを店頭に並べて売るお店だ。確かにこの槍は君のものだったのかもしれない。
が、だ。僕は既にこの槍を拾い、この槍は僕のものになっているというわけだ。拾った道具は売る。それが僕の商売の基本原理でね。
つまり、この槍はとっくの昔にこの店の商品となっているんだよ。この意味がわかるかな」
そう言って僕は眼鏡の奥にある双眸を不敵に光らせ、ニヤリニヤリと口元をゆがめる。
その僕の様子に星は混乱した様子であわあわとし始めた。
「お、お金取るんですかッ!?」
「無論、そうだとも。それともなにか?君はお店の商品をタダで持っていけると、そう思っていたのかな?」
「だ、だってこの槍は私のだって認めてくれたじゃないですか!」
「それがどうしたというんだね。言っとくが、君の部下のナズーリンだって宝塔の代金を支払った上で持っていったんだよ?」
「い、意地悪!意地悪です!霖之助さんはとっても意地悪ですっ!」
「なんとでもいいたまえ。さて、この毘沙門天の槍に目をつけるとはお目が高い。この槍はここでしか入手出来ない一点ものでね。
他の場所で滅多にお目にかかれるような代物じゃないよ?もちろんお値段もそれなりだがねぇ」
「ふぬぬぬぬ…」
売れると踏んだ時は、思いっきり売る。これも商売の基本の一つである。
僕は槍を持ってカウンターの奥の席に座り、その基本を踏まえたうえで改めて交渉を始めた。
相手はもちろん、目の前で四たび頭を両手で抱えることとなってしまった寅丸星である。
星はまたしても妙な唸り声を上げて困り果てた顔になっていた。僕はそんな彼女を前にしてペラペラと言葉を巧みに操り話を進めていく。
夕日の色が窓から店の中に染み込んできた。僕はその色を浴びながら、商売をしているという事に対する充足感を味わっていた。
その後、どうやら星は僕の良くまわる舌が繰り出す話に頭がパンクしてしまったようだ。
錯乱して先ほどよりも一層涙目となった彼女は「うなー!」と叫んで僕の脇腹に鋭いグーパンチをかまし、僕は奇妙な声を上げて床に倒れ伏した。
やはり意地悪は程々にしておくべきだ。あわあわと謝ってくる星の言葉を聞きながらそう心に誓った。
慣用句の一種であり、辞書的に言うのなら「火が降っても槍が降っても」が正しいらしい。
これは「どんな困難があっても、必ず」という意味だと認知され、世間で広く使用されている。
全くバカバカしい話だ。変にねじれた使い方をするのも大概にしてほしい。
そんな意味で使っていたらその言葉自体が成り立たないという事になぜ誰も気がつかないのだろう。
いったん冷静に考えてみれば分かる事だ。そもそも火も槍も空から降ってくるはずなどないではないか。
「雨が降っても雪が降っても」だというのならまだわかる。何かを為そうとしたときに悪天候だったらやる気が下がるであろう。
だが火も槍も天から降り注ぎはしない。なにがどうしたって、槍は降らないのだ。降るわけがない。
100%あり得ない事態を「必ず」と言う言葉の例えとして使っていいものだろうか、僕は常々疑問に思っていた。
言葉というものは移り変わる性質を持つ。思うにこの言葉は、時の流れと共に使われる意味がだんだん変化していったのではなかろうか。
元々なにか別の意味があり、それが間違った使われ方をされるにつれてその間違った意味が正しいものとして認知されてしまったのだ。
そこで僕は、槍が降ってもという言葉の失われてしまった真の意味を考えてみた。
色々と考えを巡らせた結果、この慣用句は「滅多に起きない事の例え」という意味だと僕は捉えた。
「槍が降っても、明日の試合に勝てるはずがない」といった具合。「天地がひっくり返っても」と似た感じである。
何をやったってもうダメだ。諦めろよ。試合終了だ。そういう意味だと僕は考え、そういう意味として使っていた。
僕は物事を深く考えることが好きだし、それによって導かれた結論が正しいと信じていたからだ。
僕は「槍が降っても」が誤った用法で使われているのを耳にする度、内心で鼻で笑っていたりもしていたのだ。
しかし今回ばかりは、僕の考えは間違いだったと訂正せざるを得ない事態になってしまった。
外を歩いていたら空から一本の槍が降って来て僕の隣に直撃した。
何を言ってるのか分からないと思うが僕も何が起きたのか分からない。
その日、僕はいつものように無縁塚に向かって歩みを進めていた。
もちろん目的は無縁仏を弔った際に得られる報酬であるところの道具達である。
リヤカーを曵きつつ、今日はどんな未知の道具が落ちているだろうと考え、胸を躍らせていた。
カナカナとヒグラシの鳴き声が遠くから聞こえて来る。もうそろそろ夏も終わり、秋の気配が次第に深まってゆくだろう。
僕が今通っている道にも彼岸花が所々にポンポンと咲き始めている。周りの木々達も段々と秋色のファッションへ様変わりを始めたようだ。
これから冷えて来るだろうから、冬に備えて暖房器具が落ちていると助かるかもなと思いつつえっちらおっちらリヤカーを引っ張る。
目的の地点まであと半分くらいかというところまで来た時、僕の傍を何かが掠めた。
いや、何が起きたかというのは分からなかったのだが、チッと言う音が右の耳元で鳴ったので多分そうだろうと思う。
同時に僕のすぐ近くでなにかズドンという音がしたのを耳で捉え、僕は反射的にその場にピタリと立ち止まった。
数秒程、僕は足に根っこが生えたように身動き一つしなかった。動けなかったという方が正しいだろうか。
それからようやく目と首を少しだけ動かして何が起きたかを確認する。
ちらりと横目を流した僕が目にしたモノは、土煙をもうもうと上げながら地面にそびえ立つ一本の槍であった。
僕は目をぱちくりとさせ、驚く程冷静に僕の横から数十センチも開けない位置に突き刺さったそれをまじまじと見やる。
そして今自分を掠めたのがその槍だという事にハッと気づいた瞬間、突然に冷や汗が全身からぶわっと吹き出てきた。
もしかしたら、今の僕は危機一髪だったのか?
リヤカーから手を離して流れ出る汗を拭う。と、右の頬に触れた瞬間にきりりとした痛みが僕の顔に走った。
手を戻して見てみると、汗がなにやらうっすらと朱に染まっている。もう一回触れてみた。やはり痛い。どうやら今のにやられたようだ。
もし僕がもう少しズレた位置を歩いていたら。あるいはその槍が落ちた位置がもう少しズレていたら。僕は一体どうなっていたかわからない。
何故槍が突然落ちて来たのかはともかくとして、まず僕を包んだものは自らの生死に関する安心と恐怖であった。
僕は大きく息を吐き出してもう一度汗を拭い、その槍を用心深く観察した。
よほど勢いよく落ちて来たのか、槍の頭はほぼ地中で埋もれている。恐ろしいほどのスピードだったようだ。
魔理沙とどっちが早かったかな、とくだらないことを考えつつ辺りを見回し、空を見上げた。
ひょっとすると、ぼくを狙った刺客が放った物だろうか?鵜の目鷹の目で下手人を捜したが、辺りにそれらしき人物はいなかった。
まあ遠くから投げられたようだし、僕の近くに犯人が居るという事はあり得ないかな。
槍を投げた犯人を捜す事を諦め、僕の興味はこの槍に移り変わっていた。とりあえず引っこ抜いてみようか。
そう思って槍に両の手をかける。すると僕の能力が発動し、この槍の名称と用途が頭の中にきらりと閃いた。
名称:毘沙門天の槍
用途:攻撃
かけた手に力をこめ、ずぽっと地面から引き抜く。思ったより簡単に抜けたので少し拍子抜けだ。
埋もれていた槍の穂先は土にまみれながらも、日光を受けて反射し燦然と輝いていた。
僕はその光をぼんやりと眺め、そして思い出したようにぽつりと呟いた。
「槍、降って来たなぁ…」
その日はそれで帰る事にしてしまった。
なんだか無縁塚に行く気分ではなくなってしまったし、この槍もこれはこれで収穫だと思ったからだ。
その槍にもう一歩のところで命を脅かされた事はともかくとして、持ち主不明の道具が道端にある以上回収しないわけにはいかない。
拾える物は僕の物。僕の物は僕の物。それが香霖堂店主たる僕のスタンスである。
僕は槍を無造作にリヤカーに放り投げ、元来た道を引き返し始めた。道中、これ以上槍が降って来ないか気を付けながら。
「…と、まあこのような顛末があってこの槍はこの店に行き着いたというわけだよ」
「あうぅ、そうだったんですか…」
僕が話を終えると、カウンターの前で話を聞いていた女性はしゅんと項垂れた。
金と黒が入り交じった髪色の頭にちょこんと乗っかった花のような飾り物がそれにあわせてゆらりと揺らぐ。
申し訳なさそうにうつむく彼女を前にして僕は言葉を続けた。
「それで?君はこの槍をどうしたいのかな」
「ええっと、その槍は多分私のだから、出来れば返してほしいな~なんて…」
「ほう?僕の命を脅かしたこの槍がねぇ」
「それはその、わざとじゃなくて…」
「それはそうかもしれない。だが事実として僕は危ないところだった。そんな槍をポイッと返すわけにはいかないなぁ」
「うううう…」
ちょうど十分ほど前の話だ。
僕がいつものようにカウンターの奥にある椅子に腰掛けて読書をしていると玄関がコンコンと叩かれる音がした。
僕が声を上げて入店を促してやると扉が遠慮がちに開いてお客がちょこんと顔を覗かせた。
好きに見ていくよう声を掛けて僕は読書に戻り、寅柄の衣服を纏ったその客がおずおずと店の中に入って来た。
そのお客こそ、今僕の目の前で頭を抱えて困った様にうなり声を上げている少女だった。
店に来た彼女は中にある商品をキョロキョロと見回し、なにやら腕組みをして考え込んでいた。
それから僕に近づいて来ていくつかの質問をしてきた。以下はその時の彼女と僕の会話である。
「あの~…」
「なにかお探しですか?」
「その、ここってなんなんですか?」
「見ての通りです。拾い物を売っているただの道具屋ですけど」
「拾い物…もしかして槍とかはありませんか?」
「槍ですか?」
「はい、槍です」
「槍ですか…そうですねえ、そういえば前に一本だけ入荷しましたね」
「あるんですね!?槍を拾ったんですね!?」
ここで彼女は嬉しそうに顔をほころばせ、先ほどよりも勢い込んで言葉を続けた。
あまりの勢いに僕は驚いて少々仰け反り、それから冷静になるよう彼女に促した。
いつも魔理沙にそう注意しているからだろうか、期せずして商売用の敬語が取れてしまったのは気にせず続ける。
「…少し落ち着くと良い。あるにはあるよ。確かにこの前拾ったかな」
「そうですか。すみませんけど、それ見せてもらっても良いですか?」
「ああ、いいよ。少し待っていたまえ」
僕は店の奥に行ってこの前拾った槍を持って来てやった。
僕のすぐ傍に落ちて来て僕の薄皮一枚を掠めていった不届きな槍である。
それを彼女に見せてやると彼女は安心した様にため息をついた。
「ああ、良かった…見つかりましたぁ…」
「ふうん?この槍は君のなのかい」
「はい、そうです。前に無くしちゃってどうしようかと…」
「君、名前はなんというのかな」
「え?あ、えと、寅丸星と言います」
「ふうん、そうかい。ひょっとすると君は、僕がこの槍によってどんな目にあったのか知らないんじゃあるまいね」
「ええ!?な、なにかありました!?」
「あったとも。危うく命を落とすところだった」
ここで僕は僕の身に起こった事件を余すとこなく目の前のお客に聞かせてやった。
少しばかり誇張して表現した部分もあるが、これくらいなら罰もあたるまい。命の危険は本当だったし。
いかに僕が危ないところだったかを主張すると彼女はおろおろとして僕に平身低頭謝り始めた。
この反応を見るに、どうやら僕の傍に槍が降って来たのは故意ではなく偶然だったようだ。
どのような経緯で槍を吹っ飛ばしたのかは分からないが、ひとまず僕に対する殺意というものはなさそうで安心した。
しかし偶然で脅かされる僕の命というのもどうなんだろう。意外と吹けば飛ぶほどに命というものは不安定なものなのかも知れないな。
と、まあこのような会話が繰り広げられた後、時間軸は先ほどの時点へと戻るわけである。
そもそもだね、と僕は彼女に言葉を放る。
それに反応して頭を抱えていた寅丸星は両手を頭から離して僕を見つめた。
「この槍が君のモノだっていう証拠でもあるのかい?」
「ええっ?しょ、証拠ですか?」
「そうだよ。ここはお店なんだ。もし君が持ち主を騙っている可能性がある以上、僕は譲るわけにはいかないよ」
「でもでも、確かにその槍は私が使っていた奴で」
「だから、証拠がないじゃないか。何の証拠も無しに持ち主を名乗って商品を持ち逃げされたら困るんだよ。分かるだろう?」
「それはそうですけど……あっ!私の槍は毘沙門天の槍って言ってそこらの槍とは違うんですよ!これでどうです?」
「……で、これがその毘沙門天の槍だっていう証拠は?」
「ふぬぬ…」
星はまた頭を抱えてしまった。頭の花飾りが心無しかしおれてしまったようになっている。無論本物の花ではないのだろうが。
それにしても、毘沙門天の槍か。僕はこの槍を拾った時に頭の中に流れ込んで来た道具のイメージを思い返す。
名称が毘沙門天の槍、用途は攻撃…というものだったな。どうやらこの槍は本当に彼女の持ち物であるらしい。
だが、僕がこれを毘沙門天の槍だと知っているという事を彼女は知らない。これは相当に有利なポイントだ。
この娘には悪いけど、僕も商売人の端くれだ。この大きな商売のチャンスを生かさない手はない。
商売の基本。それはこちらの持つアドバンテージを最大限に活用して会話のイニシアチブを取ることだ。
この際だから使える要素は全て利用してやろう。さて、ここからもっと僕のペースに彼女を引き込むには、と。
「まあまあ、そんな顔をするなよ。僕もそうがめつい男じゃない。なにも槍を君に返さないというわけじゃないよ」
「本当ですか!?」
「ああ、本当だ。しかしそれにはちょいとした条件があるんだけどね」
僕はそう言いながら来客用の椅子を持ち出し彼女に座るよう促した。
お茶を二人分淹れ、一つは手元に残してもう一つを素直に席に着いた彼女の前にトンと置く。
いただきます、と言ってそろりそろりとお茶を口につけながら星はこちらをちらちら伺っている。
どうやら僕の言った条件とやらが気になっているようだ。僕もカウンターの中の席に座り、お茶を一口啜ってから口を開く。
「一つ、君が槍をなくした時の状況を説明する事。二つ、どうにかしてこの槍が自分の物だと証明する事。
この二つが出来れば、君をこの槍の持ち主だと認めようじゃないか。この際この槍が僕を脅かした事は不問にしてやろう」
「おお、ありがとうございますー」
「礼を言ってる場合じゃないだろうに。とにかく、これらが僕の出す条件だ。これでもだいぶ譲歩しているよ」
「う~ん、一つ目はともかくとして、二つ目はどうしたらいいのかなぁ…?」
譲歩していると僕は言うが、そんなことはない。むしろひどいものである。僕が本当に善人だったらすぐにでも槍を彼女に渡すだろう。
しかし目の前の少女は何の疑いも持たずに僕の条件を飲み込んだようだ。端正な顔立ちの割に結構単純な娘なのかもしれない。
星は腕組みをして考え込み、やがて腕を解くととりあえずと前置きしてから一つ目の話をし始めた。
その話によると、彼女は命蓮寺という寺で毘沙門天の代理として働き、暮らしているらしい。
数日ほど前、境内で槍の武芸の稽古に励んでいると寺に一緒に住んでる仲間達が寄って来て彼女を褒めてくれた。
曰く、カッコいいだの強そうだのなんだの。
ありがとうと礼を言って稽古を続けていると、仲間の一人が「ご主人は槍投げの訓練とかはやらないのかい?」と言って来た。
手を止めて少し考える。槍投げ。そう言えば武道の型の訓練はしていたけどそういうことはやったことがないな。
試しに境内の端っこに走ってから勢いよく槍をぶん投げてみた。しかしそのような修行はしていなかったので槍はへろへろと近くに落ちてしまった。
それを拾い上げてから、やっぱりダメでした、と笑うと別の仲間が声を掛けて来た。
「姐さんに肉体強化の魔法を掛けてもらったらもっと飛ぶかもしれないわね」
それを聞いたまた別の仲間が建物の中に入っていき、中にいたお寺で一番偉い人、というか、みんなのまとめ役を呼んで来た。
姐さんと呼ばれたその人は魔法を使う程度の能力を持っており、肉体強化などはお茶の子さいさいなものなのだそうだ。
彼女は皆の話を聞くと快く承諾してくれ、星に肉体強化の魔法をかけてくれた。
この時点でノリノリであった星は、魔法の力によって力が漲ってきたので意気揚々と先ほど槍を投げた地点に戻り、槍を思いっきり投げた。
しかし如何せん魔法が効きすぎたようだ。
腕力が強化された星が放った彗星のごとき一撃は皆が予想したよりもはるか遠くに飛び、空の彼方へ消えていってしまった。
しばらくぽかんとそれを見送る一同。ややあって魔法を掛けた「姐さん」が慌てて星に謝って来た。
どうやら強化の加減を間違えてしまったらしい、との事だった。星はそれを聞きつつまだ空の向こうを見つめていた。
その後、星は彼女の部下に頼んで飛んでいってしまった槍を探しにいかせた。
その部下の能力は探し物を探し当てる程度の能力で、こう言う時にこそ真価を発揮する。
彼女は星の頼みを聞き入れてふわりと浮き上がって空へ飛び立っていった。彼女に任せておけば安心である。
果たして数日の後、彼女は探し物を見事探し当てて戻ってきた。しかしその手に星の槍はなく、代わりに彼女手製の地図があった。
どうしたのかと聞くと、彼女は「とりあえずここに行くと良い。探し物が見つかるよ」と言って地図を渡してさっさと自室へ引き上げてしまった。
その時の部下の顔は今までみたことがない、なんというか苦虫を奥歯ですりつぶしたような顔をしていたらしい。
星は部下のおかしな様子に首を傾げつつも渡された地図を眺め、その場所に行ってみる事にした。
どうにかこうにか地図の示す場所にたどり着き、その建物の扉を叩くと…中から入るよう促す声が聞こえた。
そして中に入った彼女が見た物は、所狭しと並ぶ商品達とその奥で椅子に座って本を読みふけっている僕の姿だったという事である。
「…と、このような感じですね」
「ふうん、なるほどなるほど」
僕は星の話を聞き終えると天井を見上げて思案を巡らせた。
探し物を探し当てる程度の能力か…。試しに一つ訊いてみる。
「その部下の名…ひょっとするとナズーリンかな?」
「あれ?知ってるんですか?」
「まあね。一度この店に来た事がある。どうやら誰かさんがなくした宝塔を探していたようでね」
「あぅ」
星は恥ずかしそうに俯いた。その様子を眺めながら僕は当時を思い出す。
ネズミ妖怪のナズーリンは何ヶ月か前にここを訪れていた。彼女の上司が無くした宝塔を探して来たらしい。
どうしてそんな物がここにあると分かる、と訊くと、私の能力がそう言っている、と返して来てくれた。
僕が拾って店に置いていた宝塔を彼女の能力が探し当てたという事だった。
そのとき僕は宝塔を彼女に譲ったのだが、そういえば彼女の足元を見て割ととんでもない値段をふっかけた記憶があるな。
彼女も退っ引きならない事情があったのか、渋々ながらもそれを受け入れてお金を払い、ご親切にどうもと強烈な皮肉を僕に投げつけて来た。
その言葉に僕が今後ともご贔屓にと返すと、彼女は苦い表情をして扉から出ていった。それが事の顛末である。
なるほど、この目の前にいる娘があのとき言っていたナズーリンの上司だったようだ。
しかし、わざわざ槍の場所を見つけておいて自分で入手しようとしなかったのは何故だろう。
僕の相手は二度とごめんだ、ということだろうか。失礼な事だな。僕は正直に商売人として生きているだけなのに。
というか、話を聞く限りこの寅丸星という娘はなにも悪くないんじゃないだろうか。
「まあいい。君が槍を無くしたときの状況は分かったよ」
「はい」
「それに君の部下の能力も僕は良く知っている。どうやらこの槍が寅丸星の失せ物だという可能性は高そうだ」
「じゃあ、私にその槍を返してくれるんですね!?」
僕の台詞に星が嬉しそうに食いついた。しかしそうは問屋がおろさない。そう単純に話がすすむものか。
僕は大げさに首を振って言葉を返す。
「馬鹿を言っちゃあいけないよ。まだ君にこいつを渡す事は出来ない」
「ええっ!?で、でもナズーリンの能力は確かですよ!?」
「そう。彼女の能力はここを示した。寅丸星が落とした槍がここにあるとね。だけど、だ」
僕は一旦言葉を切って彼女を見つめる。彼女は膝の上に置いている両手を握りしめてごくりと喉を鳴らした。
「言ったろう。この槍が君のものだと証明しろ、とね。この槍は寅丸星のものだ。それは間違いないだろう。
だけど、君自身が本物の寅丸星だって証拠がない。もしかしたら、君は寅丸星を騙った偽物かもしれないじゃないか」
「そ、そんな。私は私ですよぅ」
「だから証拠がないだろう?それが証明できなかったら、この槍は渡せないなぁ」
「ふぬぬぬ…」
別に本当に彼女の正体を怪しんでいるわけではない。だがこうして話を進めた方がより僕の方に状況が有利だ。
我ながらひどいものである。誰かに悪徳商人だと訴えられても文句は言えないな。
しかし恨んでくれるなよ。こっちだって真剣に商売の話をしているのだから。
頭を抱えること三度目となった星はうんうんと唸っていたが、やがてガバッと顔を上げて叫んだ。
「私が!」
「うん?」
「私が一番その槍をうまく使えるんです!一番、一番うまく使えるんです!それが証拠です!」
「…どういうことかな?」
「その槍は私が毘沙門天様から賜った槍。それをなくしたとなったら毘沙門天様に顔向けが出来ません。
私はそれをもう何百年と使ってますし、私の手にそれはそれはとっても馴染んでいます。
この幻想郷に私よりうまくその槍を使える妖怪は居ません。それを貴方に教えてあげます!これでどうですか!?」
やけくそになったのか、何故か自信満々に彼女はそう宣言した。
僕は腕を組み、あくまで冷静に彼女の言った事について考える。
証明方法としては少し物足りないが、それでも充分と言えるような妙な説得力が彼女にはあった。
そういえば僕も結構長い事生きているが、槍使いという人間や妖怪は見た事が無いな。二刀流の半人前剣士や鎌を持つ死神なら見た事があるけど。
そこまでいうからには、彼女は槍さばきにはよっぽどの自信があるという事だろう。
というか、どうして僕はこんなに槍の事について意地を張っているのだろうか。僕ははたと考え込む。
特にそこまでしてこの槍を手元に置いておきたいというつもりはないし…。何が僕をそうさせているのかな。
例の槍が僕を脅かした事は不問にしてやるとは言ったものの、もしかしたらまだ心のどこかに恨む気持ちが残っていたのかもしれない。
横目で彼女をちらりと観察する。自信ありげな言葉と裏腹に、なんだか顔を赤くしてじんわりと涙目だ。それほどにこの槍は大切なものなのだろう。
いかん。なんだか罪悪感が鎌首をもたげて来たぞ。これ以上いったら彼女はいよいよ泣き出してしまうかもしれない。
そうなったら僕の良心がストレスでマッハだ。いい加減この辺で打ち止めにしておいたほうがよさそうだ。
「…そうだな。じゃあ君が上手くこの槍を使いこなせたら、この槍は君のものだと認めようじゃないか」
「それでいいんですね!?もう意地悪しませんね!?」
「怒らないでくれよ。こっちも商売だからね。まあ今はそれで手を打とう」
「ああ、よかったぁ…」
彼女は涙目をやめてほっとしたようにため息をついた。その様子に僕もほんのちょっぴり安堵する。
僕はそんな心の内情をおくびにも出さず、安心するのはまだ早いと言って椅子から立ち上がった。
「早速、君の槍の腕前というものを見せてもらわなくちゃあ」
「はい、はい。あ、そういえばお名前まだ…」
「僕か?僕は森近霖之助だ。覚えておくと便利だよ」
「霖之助さんですね。それじゃあ霖之助さん、私の槍をもって付いて来てください」
「どこかにいくのかい?」
「ええ、まあ。あ、あとなにか物を入れるカゴのようなのも一緒に」
彼女はそう言って椅子から立ち上がるとずんずんと扉の方に向かっていった。そして扉を開け放って外へと飛び出る。
僕は首を傾げながらも途中から壁に立てかけておいた槍と手頃な大きさのカゴをつかんで彼女の元へと向かった。
果たして、一体彼女はどのようなことを僕に見せてくれるというのだろうか。カゴは何に使うのだろうか。
もはやこうなると好奇心が僕の頭の大部分を占めてしまい、他のことはどうでもよくなってしまっていたのだった。
少しばかり歩いた後、星の後ろにくっついて歩みを進めていた僕は霧の湖にほど近いところにある川に来ていた。
川を覗いてみて見ると、川魚が気持ち良さそうに泳ぎ回っている。
水のせせらぎが辺りに響き渡り、遠くで鳥の鳴き声がしていた。なんだかのどかな雰囲気だ。
こんなところで一体どうするというのだろう。僕がキョロキョロと見回していると、彼女が僕に向かって手を差し出した。
「じゃあ、私の槍を貸してください」
一瞬持ち逃げされるかと渡すのを躊躇したが、思い直して彼女に槍を渡してやった。
これまで見て来た彼女の人柄を見るに、彼女はそういうことをするような人物とは到底思えなかったからだ。
僕の手から槍を受け取った星は靴と靴下を脱ぐとざぶざぶと川の中へ入っていった。
そして何故か槍の柄を前に出し、穂先を後ろに向けるような逆さまの状態に構えてその姿勢で固まり、川縁にいる僕に声を掛けてきた。
「よーく、見ててくださいね?」
何をするのか、と僕が声を掛けようとした一瞬、彼女の腕と槍がぶれたような気がした。それと一緒にポチャンと水の撥ねる音がする。
しかし目を瞬かせてみて見ると彼女は相変わらず逆さまに槍を構えた状態で止まっていた。水面にも変化は無い。
僕が眉をひそめて彼女を見つめる。なんだ?なにもしてないじゃないか。
と、足下でぴちっと水が跳ねて僕のすねの辺りに水がかかった。何かと思って下を見て、僕はぽかんと口を開けてしまった。
「……あ?」
思わず間抜けな声が出てしまったのを許してほしい。
下に目を向けた僕が見たもの。僕の足下では魚が元気よくビチビチと飛び跳ねていたのだ。魚は跳ね回り、辺りに水をまき散らしていた。
僕はしばらくその魚を見つめ、はっと彼女を見つめた。彼女は僕の反応に気を良くしたのか、にっこりと笑いかけて来た。
「もういちどいきますよ?」
花が咲いたような笑顔をそのままにまた彼女の腕がぶれた。同時にポチャンと水の音がして僕の足下でぴちっと水が跳ねる。
まさかとおもって足下を見ると、水をまき散らす生き物が二匹に増えていた。
僕はようやく彼女が何をしたか分かった。彼女は槍の柄だけを使って魚を川からはね飛ばし…いや、すくいあげているのだ!
泳いでいる魚を傷つける事無く正確に柄だけで捉え、しかも僕の目で追いきれないような超高速でそれをやってのけたらしい。
そんなばかな、と言おうと思ったが上手く言えずに飲み込んでしまった。驚きだけが僕を支配していた。
と、星が僕の方に手を振ったのでまた僕は彼女に目を向けた。彼女は三たび逆さまに槍を構える。
「セイッ、ヤァッ!!」
今度は僕の目にもなんとか見えた。
彼女は同じ様に槍の柄で魚を今度は上空に救い上げると、槍の向きをくるりと持ち替えて気合いとともに踏み込んで突き出した。
少しばかりその姿勢で固まり、ややあって星が僕の方に槍の穂先を向けて来た。
僕がそれに目を向けると、果たしてそこには空中で見事にその身を貫かれた哀れな魚の姿があった。
「……驚いたな」
「どうです?私の腕前もなかなかでしょう?」
僕の漏らした言葉に星がふふーんという感じに胸を張った。なかなかもなにも。達人級じゃないのか、これは。
残像のごとく素早い槍捌きといい、泳ぎ回る魚を正確にすくう技術といい、空中で落ちてゆく獲物を捕らえる技術といい。
水で光が屈折しているため、泳ぐ魚の正確な居場所を知る事すら僕には難しいだろうと思う。
未だに目の前で起きた事態が信じられない僕がそこにいた。全てが驚きに満ちている。
それからも彼女は二回、三回と腕を動かした。その度に魚が僕の足下に面白いように落ちてくる。
他にも二匹同時に川を泳ぐ魚を槍で突いたりと色々とスゴい事をやってのけ、僕はそれを半ば呆れたような面持ちで見ていた。
結局十匹程魚を捕ってから星はざぶざぶと僕のところへ戻って来た。
「さ、持って来たカゴに魚をいれちゃいましょう」
「あ、ああ…」
いつもこうしているのか、慣れた様に魚をポイポイとカゴにぶち込む星に僕は狐をつままれたような声をだして従った。
しかし、自分が一番うまくこの槍を使えるってか…。色々と言いたい事はあるが、あまりの驚きにもう何も言う気がなくなっていた。
どうやら完全に僕の敗北だったようだ。この槍は彼女の物だ。それを認めざるを得なかった。
日が西の方へ傾く頃。僕の家には魚料理に舌鼓を打つ僕と星の姿があった。
「なんだかすみません。ごちそうになっちゃって」
「何を言うんだ。これは全部材料費はタダだよ。それにこの魚は君が取ったものじゃないか」
「そうですけど、まさか料理を作ってくれるなんて」
「気にしないでくれ。これは僕からのほんのお詫びとお礼の気持ちだ」
星が見せてくれた達人技に僕はすっかり気を良くしてしまい、彼女に腕をよりをかけた魚料理を振る舞ってやった。
今まで彼女に意地悪な事を言い続けたお詫びというものもあるのだが、それよりも良いモノがみせてもらった礼がしたかった。
あんなに槍の事についてああだこうだ言っていたのが、もうどうでもよくなってしまったほどだ。
「なんとも素晴らしい槍さばきだった。確かにあの槍は君のものだったようだ。認めるよ」
「私は最初からそう言ってたじゃないですか」
「ごめんごめん。そういうことをきちんと疑わないとこの商売やっていけないものでね」
「それにしたって、あなたはしつこすぎます!あと意地悪です!ぷんすか!」
「だから、この魚料理で僕を許してやってくれると嬉しいんだけどね」
「うーん、確かにこの料理は美味しいですけどぉ」
口では文句を言いつつも星の顔は緩みっぱなしだ。もしかすると、魚が好物なのだろうか?
喜んでぱくぱく食べ進める星を見るとこちらとしてもなんだか嬉しいようなすがすがしい気分だった。
結局、あれだけあった魚料理は二人でぺろりと綺麗に平らげてしまった。
調理に使わず残った魚は僕にくれるというのでお言葉に甘えてありがたくとっておく。
「おいしい料理、ごちそうさまでしたー」
「お粗末様。口に合ったんなら良かったよ」
「それはもう。霖之助さんって料理がお上手なんですね」
「褒めても何も出やしないよ」
ニヤケそうになる口元をなんとか抑えてぶっきらぼうにそう告げる。
やはりいくつになっても他人に褒められるのは嬉しいものだ。
「出来ればもっと食べたかったですけど、もうお腹が一杯で」
「またあの槍捌きで魚を取るのを見せてくれたんならまた作ってやろう」
「えっ?本当ですか?」
「ああ、本当だとも」
「そうですか。むむむ、ちょっと考えちゃいますね」
「何がむむむだ」
「う~ん、ま、まあ霖之助さんの料理は美味しかったですし?機会があったらまたご覧に入れてもいいですかね」
そういう星の口からは涎がこぼれそうになっている。よほど僕の料理が気に入ったのだろうか。
星は涎を拭ってから店の傍らに立てかけてあった槍をつかむと僕に元気よく挨拶した。
「それじゃ霖之助さん!さようなら!」
「おおっと、待った!!」
僕に別れの言葉を告げてから扉の方へ向かった星を僕は大げさに声を張り上げて呼び止めた。
きょとんとしてこちらを振り返る星に僕はつかつかと歩み寄る。
このまま素直に君を帰すと僕が思うと思うてか。
「君はなにか大事な事を忘れているようだね」
そう言って僕はさりげなく星から槍を奪い取る。
星が「ああっ」とか言って槍に手を伸ばすが僕も槍を持った手を遠くに伸ばしてそれを防ぐ。
「な、なんですか?返してくださいよ。忘れてるって何をですか?」
「おやおや、思い出してほしいね。僕が君に出した条件の事を」
「え?えっと、槍をなくしたときの事を説明するのと、この槍が私のだって証明する事ですよね?」
「そうだとも。その条件がなんのための条件だったか、君はもう忘れてしまったのかね?」
「ええっ!?や、槍を返してくれるための条件じゃないんですか!?」
これだ。すっかりこの娘は勘違いをしている。
槍が手元にかえって来たと喜んでいたが、そうやって喜ぶにはまだ早いぞ、寅丸星。
僕はうろたえる星に真実を告げてやった。
「違うな。僕がその槍の持ち主が君だと認めるための条件だと言ったんだよ」
「それってつまり槍を返してくれるってことじゃないんですか?」
「何を言うんだい。誰がこの槍をタダで君に譲ると言ったんだね?」
「ええええっ!?なんですかそれっ!?」
「ここは香霖堂。店主である僕が拾ったものを店頭に並べて売るお店だ。確かにこの槍は君のものだったのかもしれない。
が、だ。僕は既にこの槍を拾い、この槍は僕のものになっているというわけだ。拾った道具は売る。それが僕の商売の基本原理でね。
つまり、この槍はとっくの昔にこの店の商品となっているんだよ。この意味がわかるかな」
そう言って僕は眼鏡の奥にある双眸を不敵に光らせ、ニヤリニヤリと口元をゆがめる。
その僕の様子に星は混乱した様子であわあわとし始めた。
「お、お金取るんですかッ!?」
「無論、そうだとも。それともなにか?君はお店の商品をタダで持っていけると、そう思っていたのかな?」
「だ、だってこの槍は私のだって認めてくれたじゃないですか!」
「それがどうしたというんだね。言っとくが、君の部下のナズーリンだって宝塔の代金を支払った上で持っていったんだよ?」
「い、意地悪!意地悪です!霖之助さんはとっても意地悪ですっ!」
「なんとでもいいたまえ。さて、この毘沙門天の槍に目をつけるとはお目が高い。この槍はここでしか入手出来ない一点ものでね。
他の場所で滅多にお目にかかれるような代物じゃないよ?もちろんお値段もそれなりだがねぇ」
「ふぬぬぬぬ…」
売れると踏んだ時は、思いっきり売る。これも商売の基本の一つである。
僕は槍を持ってカウンターの奥の席に座り、その基本を踏まえたうえで改めて交渉を始めた。
相手はもちろん、目の前で四たび頭を両手で抱えることとなってしまった寅丸星である。
星はまたしても妙な唸り声を上げて困り果てた顔になっていた。僕はそんな彼女を前にしてペラペラと言葉を巧みに操り話を進めていく。
夕日の色が窓から店の中に染み込んできた。僕はその色を浴びながら、商売をしているという事に対する充足感を味わっていた。
その後、どうやら星は僕の良くまわる舌が繰り出す話に頭がパンクしてしまったようだ。
錯乱して先ほどよりも一層涙目となった彼女は「うなー!」と叫んで僕の脇腹に鋭いグーパンチをかまし、僕は奇妙な声を上げて床に倒れ伏した。
やはり意地悪は程々にしておくべきだ。あわあわと謝ってくる星の言葉を聞きながらそう心に誓った。
星ちゃん可愛いww
さらにギャグ成分高めな書き方だともっと面白かったかも。
ネタに走り過ぎてるだろw
これ来週のテストに出すぞー。
星ちゃんはどうしてこう愛らしいのか。
と言うのは野暮ですかいね、やっぱ。
で、このあと寺の関係者が二人もぼったくられたということで香霖堂にOHANASHIに来た姐さんとの
ひと悶着というか理想の発見というかそんな騒動があるわけですね。わかります。 ←長ぇよ
そうか、霖之助はブロンティストだったのか
困っちゃってる星ちゃんグッドwww