屋敷から出て来た私は、ふと自分の顔が俯いていることに気付く。
あ、結構傷ついてるな自分。そう思ったので、気持ちを切り替えるつもりで大きく伸びをした。硬くなっていた筋が解されて、少しだけ気が紛れる。
ありがたいことに、今日は退屈な門番をする必要がない。太陽が妖怪の山にかかるまでは、メイドの妖精たちがやってくれることになっていた。
こういう日に、門の外で延々訪問者を待つのは辛い。殆どやることがないので、色々と考えてしまう。そういう意味では、落ち込むのも今日で良かったといえるかもしれない。ちょっと苦しい気もするけど、そう思った方がお得だ。
門番をしない日は沢山のことが出来る。例えば館の敷地内で造園や緑化を行うのも、私の大事な仕事だ。私は屋敷の裏手に回り、待機小屋の方へ足を向けた。
この前レミリア様が、ベランダにも緑が欲しいと仰っていた。まずはそれの準備からかかろう。午後のお茶をベランダで飲む時、欄干の下でひっそりとスミレが咲いているのを見たら、きっと微笑みを浮かべて下さるだろう。テーブルの中央にベンケイソウの小鉢が置かれていたら、その柔らかな葉っぱのふくらみに魅了されること請け合いだ。
そう考えると段々楽しい気分になって来た。やっぱり植物に思いをはせると、少し気持ちが安らぐ。門番なんて仕事のせいで決闘ばかりの日々だが、やっぱりそういう気持ちもあるのだ。
まずは余っている植木鉢の確保だ。花は花畑から何株か移して、それだけじゃ寂しいから里の花屋さんにも後で連絡をいれよう。出来れば観葉植物の類いも手に入れたい。
あれこれと考えている内に小屋に着いた。軽い休憩か物置に使うだけの場所なので、かなり小さくて見た目も簡素だ。普通自分しか利用しないのだが、今日は何故か小屋の脇に、メイド服の女性がしゃがみ込んでいる。咲夜さんだ。
彼女は、どこか呆然としたようすだった。顔は全くの無表情なのだが、どうも落ち込んでいるように見える。
「こんにちは咲夜さん、どうかしましたか?」
何か用事でもあるのかな、と思ってそばに寄ったが、そんな私に咲夜さんは一瞥もくれない。目はただ一点、小屋の隣を陣取る大型のプランターを見ていた。
こういういものは普通、形は長方形であることが多いのだが、このプランターは綺麗なS字型の曲線を描いている。
個人的には中々面白い一品だと思う。是非紅魔館の苑地で使ってみたいのだが、安易に設置したら無駄に場所をとる形なので、とりあえずの置き場としてここで使っていた。
プランターの中で咲いているのはムスカリだ。どちらかというと背の低い花で、小さな青い花をたくさん咲かせるのだ。あまり手入れされなくても、元気よく育ってくれるので気にいっている。どうやらこの花が咲夜さんの眼差しを受けている対象らしい。
ちょっと失礼だが、彼女が花に興味を持つのは正直意外だった。仕事中でも笑顔を絶やさないくせに、あまり心の内を見せないのが私の知る咲夜さんだから。
しかし今の彼女の様子は呆れるくらい明白。要するに何かの理由でめげていて、花に癒しを求めているというところだ。
私は、自分自身さっき落ち込むようなことがあっただけに、何だか親近感を覚えてしまった。足音を立てずに隣へ行き、咲夜さんと同じようにしゃがみ込んでプランターを眺める。
昨夜さんはようやく私に振り向いた。
「元気に咲いているでしょう、このムスカリ。もともと幻想郷にはない種の花なんですが、外来人を介して最近出回ってきたんです」
私がそう教えると、咲夜さんはへぇと呟いた。そして顔の向きをムスカリの花になおし、それっきり口を閉じた。
私は暫く無言で反応を待ち、それでも喋り返してくれない咲夜さんに、今度は大きく口をゆがめて笑みを見せる。
笑顔の圧力は、大抵の人に対話を強いる効果があるのだ。
表情を変えぬまま忍耐強く待っていると、咲夜さんはどこか茫漠とした口調で呟いた
「ムスカリ、っていう名前なんだ」
自分ではない、遠くにいる何かに向かって喋っているような、不思議な言葉だった。
私の笑顔が効いた訳ではないのかな、と一瞬思ったが、それについて考えるより先に口を出すことにした。
「はい! 何だか不思議名前ですよね。外国の名前なんですけど、ちょっと馴染みのあるテイストを含んでいるというか」
私は、とりあえず何でも話そうと思った。経験上、無理矢理でも人と会話していると、嫌な気持ちは忘れて行くものだと知っていたからだ。
幸い、咲夜さんにそれほど煩がるようすはなかった。ただ時々ムスカリに手を伸ばし、小さな花々を指で撫でる。
彼らの青い花弁は、自分自身を包み込むような形で、一見すると木の実のようでもある。どうやらスズランなどと同じく大きく開かない花らしい。この姿が、彼らの身の丈に合った満開なのだ。
咲夜さんはそのことを知ってか知らずか、自分の気持ちを塗りつけるように、花を優しく撫でていた。
暫く一心に話しかけていると、やがて咲夜さんはちょっと困ったように微笑みかけてくれた。さっきまでの渇いたような雰囲気はなく、それでいていつもよりちょっぴりだけ自然な感じのする、素敵な笑顔だった。
気持ちが解れたんだろう、そう分かって嬉しくなった。同時に貴重な顔を見れて心が弾んだ。
自分の努力がこの笑顔を作った、そう考えるのは流石におこがましいかもしれない。しかし、嬉しいものは嬉しいのだ。自分の気持ちを偽ることは出来ない。
「この花、とても可愛いけどレミリア様はお好きじゃなさそうね。ここにしか植えないのも分かる気がする」
突然レミリア様の名前が上がった。一瞬、胸の奥に冷たいものが当たる気配がした。それが何なのか私は気付いたけど、気付かなかったことにしておく。
この咲夜さんを言葉は非常に的を射たものだったので、私は大きく頷いた。
「そうなんです。本当は門から良く見えるところに植えるつもりだったんですけど、レミリア様は低い花では映えないと……」
我らがちっちゃなご主人様は『美しさにおいても見るものを圧倒させることが大事』と仰って背の高いチューリップを一面に植えたのだ。
確かにこれなら、来訪する人はまず最初にチューリップ畑を目にするだろう。しかしこの手の花は手入れが面倒なもの。特に頭ばかり重たいせいで、雨風が続くと茎が曲がってしまうのが問題だった。一株一株が支え合うように花畑の密度を高くすると、何とか耐えてくれたが、今度は光がちゃんと当たらなくなって参ってしまう。この問題は今も、造園を担う私を苦しめる大きなものの一つだった。
このことを丁寧かつちょっとした毒を交えながら咲夜さんに話すと、彼女は意外にも同意の頷きを返してくれた。
「レミリア様は、あまり従者の言い分を聞いて下さらないわね。主人の立場を明確にするためにも、そういうこともある程度は必要なんでしょうけど」
口調はやや大人しめに聞こえるが、瀟洒なメイドとしての咲夜さんしか知らない私にとっては、十分異常なことだ。ちょっとでもこの人が主人を責めるなんて、正直信じ難い。
戸惑い、言葉を返すのにまごついていると、咲夜さんは小さくため息を吐く。自分の困惑を見透かされたのかと思ってしまったが、どうやら当人は気持ちの切り替えのつもりで行ったことらしい。
咲夜さんはそのまま言う。
「私も、最初は庭園のチュ-リップを見に行こうと思ってたの。けどあれって、レミリア様そっくりなのね」
私は首をかしげた。咲夜さんはそれに構わず、一人で勝手に頷く。
「すくっと背が高くて、花も大きくて、けどそのせいで葉が追い付いてないところ。つぼみの内は可愛らしくて、けど開花すると雰囲気ががらりと変わるところもそっくり。あれじゃ駄目ね、どうしても意識しちゃう。……ま、そのおかげでこの可愛い花に出会えたんだけどね」
ほとんど意味は分からなかったけど、最後だけは理解した。何てことないような、寧ろそっけないぐらいの調子で言われたから、逆に胸が躍る気分だった。このムスカリは待機小屋の傍らにおいただけに特別手をかけて育てたから、やっぱりよろこんで貰えると嬉しい。
しかしそれにしても、と思う。さっきの咲夜さんの言動から考えれば、彼女が落ち込む理由はレミリア様にあるようだ。
客観的に見て、咲夜さんとレミリア様の関係には特別なものがあった。どこか超然的な、完成された組合せのような気がしていた。
私はというと、どちらともそんな関係を築けていない。だから時々、両方に嫉妬した。
しかし今の様子を見ていると、まるで彼女達が自分と同じ高さまで堕ちて来たようなイメージを感じる。不思議な気分だった。
「初めてだったの」
「え?」
「失望した、って言われるの」
下唇を噛んで、自分を戒めた。
遠巻きに見ていた私が感じる超然さを、中心にいた咲夜さん自身も感じていたなら、その言葉はとても重くのしかかっただろう。
ふと気付けば、咲夜さんは私の方を向いていた。
彼女の眼はどこか、縋るようでもあって、私は正直背筋が凍った。
「えっと、花にもイメージってありますもんね。レミリア様がチューリップだとしたら、他の人はどんな花なんでしょう?」
何か言わなければ、そう思って焦りながら口を開く。口を開いてから、自分を恥じた。色んなものから目をそらして、私は大変な愚か者だ。
咲夜さんは少しの間沈黙していたけど、やがて私の薄っぺらさを受け入れてくれた。
「そう、ね。例えば、フランドール様はどうかしら?」
「フランドール様……えーっと、やっぱり黄色い花が良いですよね」
「髪の色に振り回されてない? 私は桃色がいいと思うわ。ロマンチストだから」
想像もしていなかった言葉が飛び出したので、私は少々不思議に思った。
「ロマンチスト?」
「そう思わない? 外に出たがったり、姉のお客さんに関心を持ったりするは、きっと自分の知らない世界に心躍っているからよ」
「背伸びしがちってことですかね? それなら高さも低い方がそれっぽいですね」
「そうね、それでいて花は大きく開くものだと素敵じゃない?」
「なら岩団扇なんかがそれっぽいかも知れませんね」
岩団扇か、咲夜さんは小さく呟き、やがて満足そうに頷いた。
ちょっとへこんでいた私も、段々これはいけるなと思えてきた。咲夜さんにとってこの遊びは、結構楽しいものらしい。
私は思い切って、一気にその話を押していくことにした。
「他の人も考えましょう! 最近よく来るあの魔法使いはどうですか?」
「魔理沙ね、彼女は髪と同じ黄色い花でいいと思うわ。あとグランドカバーになるようなものが良いと思うの」
グランドカバーというのは、庭園を作る時地表を覆い隠す植物のことだ。なるほど、地面を塗り潰す、というイメージが何となく彼女らしい。
「つまり匍匐性のある花ですね。それならキジムシロが良いんじゃないでしょうか。花に比べて葉が大きいのもそれっぽい気がします」
「それ、魔理沙が聞いたら怒るわよ?」
小さく、しかし声をあげながら咲夜さんは笑ってくれた。
全く、と私は小さくため息を吐く。今日という日で、咲夜さんのイメージは随分変わってしまた。彼女に対して憧れめいたものを感じていた自分としては、少々幻滅もあったが、しかし、これはやっぱり良かったことなんだろう。自分の中で彼女は高みの存在ではなくなったが、これからは、彼女のことをもっと好きになるような気がする。
「なら、パチュリー様はどんな花が良いかしら?」
今度は咲夜さんから話題を振ってくれた。一瞬嬉しくなったが、パチュリー様だということを考えて、ちょっと複雑な気持ちになった。
「えっと……はは、どんな花でしょうね」
どうしても、あの方について考えることが出来ないので、仕方なくごまかすような答えになった。流石に、咲夜さんも違和感を覚えたようで、問うように目を向けて来た。
それでも、何も答えられずにいると、不意に咲夜さんは、投げ出すように地べたにお尻をついた。そのまま体育座りのような姿勢になる。 何もひかずにそんなことをしたので、私は慌ててハンカチを取り出した。しかし咲夜さんはそれを差し出す私に首を振る。
「もう座っちゃったし。ずっとしゃがんでると疲れるじゃない?」
そう言うので仕方なくハンカチをしまい、何となく自分も座り込む。さっきまでずっとしゃがみ姿勢だったので、重さから開放された足に微かな痺れが走った。
座り込むと、見下ろした位置にあったムスカリが、今度は目と同じ高さのところで咲いている。時折風が吹き、右へ左へと揺れている姿がなんとも可愛らしい。
「私がレミリア様にお叱りを受けたのも、パチュリー様のことなの」
しばらく沈黙が続いた後、不意に咲夜さんが告白する。
「少し前に、レミリア様から本を預かってくるよう言われたの。魔法の森の雑貨店みたいなところ」
「魔法の森に店なんてあったんですね、魔理沙の魔法店ぐらいだと」
「ええ。それでその本のがパチュリー様に差し上げるものだったらしいんだけど、持ち帰った後に、ね……」
なにやら意味ありげに言葉を濁し、深いため息吐いた。先を促すのも咲夜さんに悪いし、話題を変えるのも不自然なので、結局生ぬるい空気の中まごつくことしか出来なかった。
咲夜さん自身はその雰囲気を気にした様子はなく、それでもやがて躊躇いながら言葉を紡ぐ。
「やっぱり、妖精に任せたのが悪かったのかな……。自分たちもお手伝いしたいって言うから、本を渡して館の掃除に戻ったの。そしたらレミリア様が『主人直々の命を無視して掃除とはなにごとか』って」
「えっ、それじゃあ本は届かなかったんですか、レミリア様のところに」
咲夜さんは疲れた表情で頷いた。
「勿論説明したんだけど、レミリア様はお怒りを静めてくださらなくて。他の者に責任を擦り付けるなんて失望した、って」
元からかなり沈んでいた声のトーンが、失望のくだりで更に低くなった。相当こたえたのだろう、同情するばかりだ。
しかし、咲夜さんの気持ちに共感する思いがある中で、同時に何かひっかかりを感じている心もあった。本?
「しかしその魔道書も一体どこに消えたんでしょうかね……」
「あら、別に魔道書じゃないわよ?」
突然、全身から汗が流れ出るのを感じた。嫌な予感がする。
「外の本なの。例の雑貨店は、外の世界のものばかり売ってるところだから」
「……咲夜さん、貴女が本を渡した妖精って三人組じゃなかったですか?」
「……? ええ、よくわかったわね」静かに言う咲夜さんは、しかし、今の言動で私がこのことに関わっているのを知ってしまったらしい。問うような表情で見つめてくる。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて立ち上がり、勢いよく頭を下げた。
「ちょっと待って、いきなり謝られても困るわ」
咲夜さんは戸惑いの滲んだ声色でそう言った。私は上半身を折り曲げた姿勢のまま、意を決して白状する。
「その妖精、うちで雇ってるメイドじゃないんです。門番をしていた時、メイド服を着てみたいって寄ってくるから貸したら、彼女達そのまま持って行っちゃって……」
その妖精たちは館中で悪戯をするので、何とか見つけて自分で懲らしめた。その後メイド服や本を含めた盗品をあるべき場所に返したが、パチュリー様だけは『一歩間違えれば本がどうなっていたかしれない』と烈火の如くお怒りになられて、私はそれが理由で憂鬱だったのだ。
「本自体は無事ですので、既にレミリア様にも連絡が行ってると思います。咲夜さんにまで迷惑をかけてしまって、本っ当に申し訳ありません」
館自体非常に広いため、情報の伝達が甘かったのだと思う。しかしこれは酷い失態だ。慰めるつもりだったのに、原因が自分にあったら世話がない。
咲夜さんの雷を恐れて顔を上がられずにいると、目の前で小さく失笑する気配があった。
「何だ、そんなことだったの」
その口調がえらく気楽なものだったので、私は視線だけを上に向ける。咲夜さんは、何か肩の荷が下りたような明るい顔をしていた。
「青ざめて言うもんだから、もしかして美鈴が本を紛失したのかと……もう、馬鹿みたい」
そう言って手で顔を上げるよう合図するので、それに従った。しかし私には、彼女が笑う理由なんて全く分からず、ただ呆けた表情のしてしまう。
「あの……許してくれるんですか?」
「許すも何もないわ。本を盗んだのは妖精たち、それ以前にメイドじゃないって見抜けなかった私の落ち度よ。制服を貸してしまった貴女には勿論落ち度があるけど、その後妖精たちがやったことまで背負せられないわ」
咲夜さんは丁寧な口調で、理路整然とした言葉を紡ぐ。そしてふとムスカリに目を向けて「慰めてもらったしね」と小さくつぶやいた。
「それは……」
「私ね、美鈴はムスカリみたいだなって思ったの。低い背で、小さな花で、けど身の丈に合わないほど、たくさん花を咲かせる。何よりもその懸命さに慰められるような気がしたから。……けどちょっと違うわよね。今は別の植物も思い浮かんでる」
咲夜さんはそこで言葉を切り、ちょっと意地悪な笑みを浮かべて言った。
「美鈴はね、ヘクソカズラなの。今回みたいにごたごたを撒き散らすから」
「そ、そんなぁ。背負うことないって言ってくれたじゃないですか」
私が力なくそういうと、咲夜さんは笑みを更に強くした。
「当たり前なんだけど、みんな色々な面があるのよね。良い面、悪い面みたいな簡単なものじゃなくて、もっとたくさんの顔がある。それなのに花の外見に人を当てはめようなんて、おかしいわよね。怒られて、落ち込んで、その人は嫌なところばかり見てるのも、きっとおかしいことだわ」
それを言うなら、私も今日、色々な咲夜さんを見ましたよ。そう心中で呟いた。
今の咲夜さんはさっぱりした表情をしている。自分の意図せぬところで、いつの間にか納得して、気持ちを持ち直したようだ。
差し出した手が空を切った、という感じはあるが、まぁそれでもいいと思う。そんなところも咲夜さんの一面だから。
私は、貴方の迷いがなくなればそれでいいのです。
ふと見ると、プランターの中で咲いているムスカリが、同意するように笑った気がした。
あ、結構傷ついてるな自分。そう思ったので、気持ちを切り替えるつもりで大きく伸びをした。硬くなっていた筋が解されて、少しだけ気が紛れる。
ありがたいことに、今日は退屈な門番をする必要がない。太陽が妖怪の山にかかるまでは、メイドの妖精たちがやってくれることになっていた。
こういう日に、門の外で延々訪問者を待つのは辛い。殆どやることがないので、色々と考えてしまう。そういう意味では、落ち込むのも今日で良かったといえるかもしれない。ちょっと苦しい気もするけど、そう思った方がお得だ。
門番をしない日は沢山のことが出来る。例えば館の敷地内で造園や緑化を行うのも、私の大事な仕事だ。私は屋敷の裏手に回り、待機小屋の方へ足を向けた。
この前レミリア様が、ベランダにも緑が欲しいと仰っていた。まずはそれの準備からかかろう。午後のお茶をベランダで飲む時、欄干の下でひっそりとスミレが咲いているのを見たら、きっと微笑みを浮かべて下さるだろう。テーブルの中央にベンケイソウの小鉢が置かれていたら、その柔らかな葉っぱのふくらみに魅了されること請け合いだ。
そう考えると段々楽しい気分になって来た。やっぱり植物に思いをはせると、少し気持ちが安らぐ。門番なんて仕事のせいで決闘ばかりの日々だが、やっぱりそういう気持ちもあるのだ。
まずは余っている植木鉢の確保だ。花は花畑から何株か移して、それだけじゃ寂しいから里の花屋さんにも後で連絡をいれよう。出来れば観葉植物の類いも手に入れたい。
あれこれと考えている内に小屋に着いた。軽い休憩か物置に使うだけの場所なので、かなり小さくて見た目も簡素だ。普通自分しか利用しないのだが、今日は何故か小屋の脇に、メイド服の女性がしゃがみ込んでいる。咲夜さんだ。
彼女は、どこか呆然としたようすだった。顔は全くの無表情なのだが、どうも落ち込んでいるように見える。
「こんにちは咲夜さん、どうかしましたか?」
何か用事でもあるのかな、と思ってそばに寄ったが、そんな私に咲夜さんは一瞥もくれない。目はただ一点、小屋の隣を陣取る大型のプランターを見ていた。
こういういものは普通、形は長方形であることが多いのだが、このプランターは綺麗なS字型の曲線を描いている。
個人的には中々面白い一品だと思う。是非紅魔館の苑地で使ってみたいのだが、安易に設置したら無駄に場所をとる形なので、とりあえずの置き場としてここで使っていた。
プランターの中で咲いているのはムスカリだ。どちらかというと背の低い花で、小さな青い花をたくさん咲かせるのだ。あまり手入れされなくても、元気よく育ってくれるので気にいっている。どうやらこの花が咲夜さんの眼差しを受けている対象らしい。
ちょっと失礼だが、彼女が花に興味を持つのは正直意外だった。仕事中でも笑顔を絶やさないくせに、あまり心の内を見せないのが私の知る咲夜さんだから。
しかし今の彼女の様子は呆れるくらい明白。要するに何かの理由でめげていて、花に癒しを求めているというところだ。
私は、自分自身さっき落ち込むようなことがあっただけに、何だか親近感を覚えてしまった。足音を立てずに隣へ行き、咲夜さんと同じようにしゃがみ込んでプランターを眺める。
昨夜さんはようやく私に振り向いた。
「元気に咲いているでしょう、このムスカリ。もともと幻想郷にはない種の花なんですが、外来人を介して最近出回ってきたんです」
私がそう教えると、咲夜さんはへぇと呟いた。そして顔の向きをムスカリの花になおし、それっきり口を閉じた。
私は暫く無言で反応を待ち、それでも喋り返してくれない咲夜さんに、今度は大きく口をゆがめて笑みを見せる。
笑顔の圧力は、大抵の人に対話を強いる効果があるのだ。
表情を変えぬまま忍耐強く待っていると、咲夜さんはどこか茫漠とした口調で呟いた
「ムスカリ、っていう名前なんだ」
自分ではない、遠くにいる何かに向かって喋っているような、不思議な言葉だった。
私の笑顔が効いた訳ではないのかな、と一瞬思ったが、それについて考えるより先に口を出すことにした。
「はい! 何だか不思議名前ですよね。外国の名前なんですけど、ちょっと馴染みのあるテイストを含んでいるというか」
私は、とりあえず何でも話そうと思った。経験上、無理矢理でも人と会話していると、嫌な気持ちは忘れて行くものだと知っていたからだ。
幸い、咲夜さんにそれほど煩がるようすはなかった。ただ時々ムスカリに手を伸ばし、小さな花々を指で撫でる。
彼らの青い花弁は、自分自身を包み込むような形で、一見すると木の実のようでもある。どうやらスズランなどと同じく大きく開かない花らしい。この姿が、彼らの身の丈に合った満開なのだ。
咲夜さんはそのことを知ってか知らずか、自分の気持ちを塗りつけるように、花を優しく撫でていた。
暫く一心に話しかけていると、やがて咲夜さんはちょっと困ったように微笑みかけてくれた。さっきまでの渇いたような雰囲気はなく、それでいていつもよりちょっぴりだけ自然な感じのする、素敵な笑顔だった。
気持ちが解れたんだろう、そう分かって嬉しくなった。同時に貴重な顔を見れて心が弾んだ。
自分の努力がこの笑顔を作った、そう考えるのは流石におこがましいかもしれない。しかし、嬉しいものは嬉しいのだ。自分の気持ちを偽ることは出来ない。
「この花、とても可愛いけどレミリア様はお好きじゃなさそうね。ここにしか植えないのも分かる気がする」
突然レミリア様の名前が上がった。一瞬、胸の奥に冷たいものが当たる気配がした。それが何なのか私は気付いたけど、気付かなかったことにしておく。
この咲夜さんを言葉は非常に的を射たものだったので、私は大きく頷いた。
「そうなんです。本当は門から良く見えるところに植えるつもりだったんですけど、レミリア様は低い花では映えないと……」
我らがちっちゃなご主人様は『美しさにおいても見るものを圧倒させることが大事』と仰って背の高いチューリップを一面に植えたのだ。
確かにこれなら、来訪する人はまず最初にチューリップ畑を目にするだろう。しかしこの手の花は手入れが面倒なもの。特に頭ばかり重たいせいで、雨風が続くと茎が曲がってしまうのが問題だった。一株一株が支え合うように花畑の密度を高くすると、何とか耐えてくれたが、今度は光がちゃんと当たらなくなって参ってしまう。この問題は今も、造園を担う私を苦しめる大きなものの一つだった。
このことを丁寧かつちょっとした毒を交えながら咲夜さんに話すと、彼女は意外にも同意の頷きを返してくれた。
「レミリア様は、あまり従者の言い分を聞いて下さらないわね。主人の立場を明確にするためにも、そういうこともある程度は必要なんでしょうけど」
口調はやや大人しめに聞こえるが、瀟洒なメイドとしての咲夜さんしか知らない私にとっては、十分異常なことだ。ちょっとでもこの人が主人を責めるなんて、正直信じ難い。
戸惑い、言葉を返すのにまごついていると、咲夜さんは小さくため息を吐く。自分の困惑を見透かされたのかと思ってしまったが、どうやら当人は気持ちの切り替えのつもりで行ったことらしい。
咲夜さんはそのまま言う。
「私も、最初は庭園のチュ-リップを見に行こうと思ってたの。けどあれって、レミリア様そっくりなのね」
私は首をかしげた。咲夜さんはそれに構わず、一人で勝手に頷く。
「すくっと背が高くて、花も大きくて、けどそのせいで葉が追い付いてないところ。つぼみの内は可愛らしくて、けど開花すると雰囲気ががらりと変わるところもそっくり。あれじゃ駄目ね、どうしても意識しちゃう。……ま、そのおかげでこの可愛い花に出会えたんだけどね」
ほとんど意味は分からなかったけど、最後だけは理解した。何てことないような、寧ろそっけないぐらいの調子で言われたから、逆に胸が躍る気分だった。このムスカリは待機小屋の傍らにおいただけに特別手をかけて育てたから、やっぱりよろこんで貰えると嬉しい。
しかしそれにしても、と思う。さっきの咲夜さんの言動から考えれば、彼女が落ち込む理由はレミリア様にあるようだ。
客観的に見て、咲夜さんとレミリア様の関係には特別なものがあった。どこか超然的な、完成された組合せのような気がしていた。
私はというと、どちらともそんな関係を築けていない。だから時々、両方に嫉妬した。
しかし今の様子を見ていると、まるで彼女達が自分と同じ高さまで堕ちて来たようなイメージを感じる。不思議な気分だった。
「初めてだったの」
「え?」
「失望した、って言われるの」
下唇を噛んで、自分を戒めた。
遠巻きに見ていた私が感じる超然さを、中心にいた咲夜さん自身も感じていたなら、その言葉はとても重くのしかかっただろう。
ふと気付けば、咲夜さんは私の方を向いていた。
彼女の眼はどこか、縋るようでもあって、私は正直背筋が凍った。
「えっと、花にもイメージってありますもんね。レミリア様がチューリップだとしたら、他の人はどんな花なんでしょう?」
何か言わなければ、そう思って焦りながら口を開く。口を開いてから、自分を恥じた。色んなものから目をそらして、私は大変な愚か者だ。
咲夜さんは少しの間沈黙していたけど、やがて私の薄っぺらさを受け入れてくれた。
「そう、ね。例えば、フランドール様はどうかしら?」
「フランドール様……えーっと、やっぱり黄色い花が良いですよね」
「髪の色に振り回されてない? 私は桃色がいいと思うわ。ロマンチストだから」
想像もしていなかった言葉が飛び出したので、私は少々不思議に思った。
「ロマンチスト?」
「そう思わない? 外に出たがったり、姉のお客さんに関心を持ったりするは、きっと自分の知らない世界に心躍っているからよ」
「背伸びしがちってことですかね? それなら高さも低い方がそれっぽいですね」
「そうね、それでいて花は大きく開くものだと素敵じゃない?」
「なら岩団扇なんかがそれっぽいかも知れませんね」
岩団扇か、咲夜さんは小さく呟き、やがて満足そうに頷いた。
ちょっとへこんでいた私も、段々これはいけるなと思えてきた。咲夜さんにとってこの遊びは、結構楽しいものらしい。
私は思い切って、一気にその話を押していくことにした。
「他の人も考えましょう! 最近よく来るあの魔法使いはどうですか?」
「魔理沙ね、彼女は髪と同じ黄色い花でいいと思うわ。あとグランドカバーになるようなものが良いと思うの」
グランドカバーというのは、庭園を作る時地表を覆い隠す植物のことだ。なるほど、地面を塗り潰す、というイメージが何となく彼女らしい。
「つまり匍匐性のある花ですね。それならキジムシロが良いんじゃないでしょうか。花に比べて葉が大きいのもそれっぽい気がします」
「それ、魔理沙が聞いたら怒るわよ?」
小さく、しかし声をあげながら咲夜さんは笑ってくれた。
全く、と私は小さくため息を吐く。今日という日で、咲夜さんのイメージは随分変わってしまた。彼女に対して憧れめいたものを感じていた自分としては、少々幻滅もあったが、しかし、これはやっぱり良かったことなんだろう。自分の中で彼女は高みの存在ではなくなったが、これからは、彼女のことをもっと好きになるような気がする。
「なら、パチュリー様はどんな花が良いかしら?」
今度は咲夜さんから話題を振ってくれた。一瞬嬉しくなったが、パチュリー様だということを考えて、ちょっと複雑な気持ちになった。
「えっと……はは、どんな花でしょうね」
どうしても、あの方について考えることが出来ないので、仕方なくごまかすような答えになった。流石に、咲夜さんも違和感を覚えたようで、問うように目を向けて来た。
それでも、何も答えられずにいると、不意に咲夜さんは、投げ出すように地べたにお尻をついた。そのまま体育座りのような姿勢になる。 何もひかずにそんなことをしたので、私は慌ててハンカチを取り出した。しかし咲夜さんはそれを差し出す私に首を振る。
「もう座っちゃったし。ずっとしゃがんでると疲れるじゃない?」
そう言うので仕方なくハンカチをしまい、何となく自分も座り込む。さっきまでずっとしゃがみ姿勢だったので、重さから開放された足に微かな痺れが走った。
座り込むと、見下ろした位置にあったムスカリが、今度は目と同じ高さのところで咲いている。時折風が吹き、右へ左へと揺れている姿がなんとも可愛らしい。
「私がレミリア様にお叱りを受けたのも、パチュリー様のことなの」
しばらく沈黙が続いた後、不意に咲夜さんが告白する。
「少し前に、レミリア様から本を預かってくるよう言われたの。魔法の森の雑貨店みたいなところ」
「魔法の森に店なんてあったんですね、魔理沙の魔法店ぐらいだと」
「ええ。それでその本のがパチュリー様に差し上げるものだったらしいんだけど、持ち帰った後に、ね……」
なにやら意味ありげに言葉を濁し、深いため息吐いた。先を促すのも咲夜さんに悪いし、話題を変えるのも不自然なので、結局生ぬるい空気の中まごつくことしか出来なかった。
咲夜さん自身はその雰囲気を気にした様子はなく、それでもやがて躊躇いながら言葉を紡ぐ。
「やっぱり、妖精に任せたのが悪かったのかな……。自分たちもお手伝いしたいって言うから、本を渡して館の掃除に戻ったの。そしたらレミリア様が『主人直々の命を無視して掃除とはなにごとか』って」
「えっ、それじゃあ本は届かなかったんですか、レミリア様のところに」
咲夜さんは疲れた表情で頷いた。
「勿論説明したんだけど、レミリア様はお怒りを静めてくださらなくて。他の者に責任を擦り付けるなんて失望した、って」
元からかなり沈んでいた声のトーンが、失望のくだりで更に低くなった。相当こたえたのだろう、同情するばかりだ。
しかし、咲夜さんの気持ちに共感する思いがある中で、同時に何かひっかかりを感じている心もあった。本?
「しかしその魔道書も一体どこに消えたんでしょうかね……」
「あら、別に魔道書じゃないわよ?」
突然、全身から汗が流れ出るのを感じた。嫌な予感がする。
「外の本なの。例の雑貨店は、外の世界のものばかり売ってるところだから」
「……咲夜さん、貴女が本を渡した妖精って三人組じゃなかったですか?」
「……? ええ、よくわかったわね」静かに言う咲夜さんは、しかし、今の言動で私がこのことに関わっているのを知ってしまったらしい。問うような表情で見つめてくる。
「ご、ごめんなさい!」
私は慌てて立ち上がり、勢いよく頭を下げた。
「ちょっと待って、いきなり謝られても困るわ」
咲夜さんは戸惑いの滲んだ声色でそう言った。私は上半身を折り曲げた姿勢のまま、意を決して白状する。
「その妖精、うちで雇ってるメイドじゃないんです。門番をしていた時、メイド服を着てみたいって寄ってくるから貸したら、彼女達そのまま持って行っちゃって……」
その妖精たちは館中で悪戯をするので、何とか見つけて自分で懲らしめた。その後メイド服や本を含めた盗品をあるべき場所に返したが、パチュリー様だけは『一歩間違えれば本がどうなっていたかしれない』と烈火の如くお怒りになられて、私はそれが理由で憂鬱だったのだ。
「本自体は無事ですので、既にレミリア様にも連絡が行ってると思います。咲夜さんにまで迷惑をかけてしまって、本っ当に申し訳ありません」
館自体非常に広いため、情報の伝達が甘かったのだと思う。しかしこれは酷い失態だ。慰めるつもりだったのに、原因が自分にあったら世話がない。
咲夜さんの雷を恐れて顔を上がられずにいると、目の前で小さく失笑する気配があった。
「何だ、そんなことだったの」
その口調がえらく気楽なものだったので、私は視線だけを上に向ける。咲夜さんは、何か肩の荷が下りたような明るい顔をしていた。
「青ざめて言うもんだから、もしかして美鈴が本を紛失したのかと……もう、馬鹿みたい」
そう言って手で顔を上げるよう合図するので、それに従った。しかし私には、彼女が笑う理由なんて全く分からず、ただ呆けた表情のしてしまう。
「あの……許してくれるんですか?」
「許すも何もないわ。本を盗んだのは妖精たち、それ以前にメイドじゃないって見抜けなかった私の落ち度よ。制服を貸してしまった貴女には勿論落ち度があるけど、その後妖精たちがやったことまで背負せられないわ」
咲夜さんは丁寧な口調で、理路整然とした言葉を紡ぐ。そしてふとムスカリに目を向けて「慰めてもらったしね」と小さくつぶやいた。
「それは……」
「私ね、美鈴はムスカリみたいだなって思ったの。低い背で、小さな花で、けど身の丈に合わないほど、たくさん花を咲かせる。何よりもその懸命さに慰められるような気がしたから。……けどちょっと違うわよね。今は別の植物も思い浮かんでる」
咲夜さんはそこで言葉を切り、ちょっと意地悪な笑みを浮かべて言った。
「美鈴はね、ヘクソカズラなの。今回みたいにごたごたを撒き散らすから」
「そ、そんなぁ。背負うことないって言ってくれたじゃないですか」
私が力なくそういうと、咲夜さんは笑みを更に強くした。
「当たり前なんだけど、みんな色々な面があるのよね。良い面、悪い面みたいな簡単なものじゃなくて、もっとたくさんの顔がある。それなのに花の外見に人を当てはめようなんて、おかしいわよね。怒られて、落ち込んで、その人は嫌なところばかり見てるのも、きっとおかしいことだわ」
それを言うなら、私も今日、色々な咲夜さんを見ましたよ。そう心中で呟いた。
今の咲夜さんはさっぱりした表情をしている。自分の意図せぬところで、いつの間にか納得して、気持ちを持ち直したようだ。
差し出した手が空を切った、という感じはあるが、まぁそれでもいいと思う。そんなところも咲夜さんの一面だから。
私は、貴方の迷いがなくなればそれでいいのです。
ふと見ると、プランターの中で咲いているムスカリが、同意するように笑った気がした。
咲夜
少し空白を入れた方が読みやすいかなと思いました
物語は良かったです
心が温まるよ。
もうちょっと余裕があればいいと思いました。