「恋人の距離?」
思わず、聞き返した。
「そう。多くの本ではべたべたしてるのに、極稀に恋人同士なのに寄り添わない物語が紛れ込んでる」
明らかに魔導書ではないとわかる本のページをぱらぱらと捲りながらパチュリーは答える。
重厚感の無い、ぺらぺらの表紙。確か、文庫本……とかいう類だったか。
表紙にはかわいらしい絵柄で描かれた、おそらくは恋人たちだろう人物が二人。
はっきり言ってこの魔女には似合わない本だった。
「残念ながら分析した本はなかったわ」
「でしょうね」
あったらお目にかかりたい――とまでは思わないが、読んではみたい。
魔法使いは妙なものを好むのだから。
なんとはなしにテーブルに山と積まれた本を見る。
幾度か目にした魔導書の中に恋愛小説と思しき装丁の本が散見された。
「あなたは知らないかしら、アリス」
唐突に問いを投げ渡される。
向けられるのは硝子越しの視線。
テーブルの向かいに座る彼女は私を見ていた。
「え? なんで私?」
問えば彼女はかちゃりとブリッジを指で押し上げ答えを紡ぐ。
「あなた、人形劇をやっているのでしょう? 恋物語も――」
一拍置いて、彼女は深く息を吐く。
「――やってるんじゃないかしら」
重苦しい呼吸。また、体調を崩しているのか。
今日訪ねてきたのも彼女の具合がよろしくないと聞いたからだった。
いつも通り本を読んでいたから、敢えて口には出さなかったが……
「……お芝居と現実は違うわ。私にはわからない」
「そう」
大して落胆した様子も見せずに彼女は再び本に視線を落とす。
「あなたが書いた恋愛劇の脚本、興味があったのだけど」
そう言われても――私の劇の多くは子供向けだ。
恋愛なんて物語の添え物でしかない。悪い魔物に捕えられたお姫様を助け出す英雄譚。
そんな、結末よりも過程を楽しむ物語ばかり。恋愛は主題になりえなかった。
「あなたの疑問に対する答えは持ち合わせていないわ」
彼女の見舞いが目的であり、こうして会話に付き合っているのはその惰性であるように。
「それにしても」
パチュリーの持つ本に目を向ける。
「意外ね。あなたは恋愛小説なんて読むタイプには見えなかったけど」
文字通り無数の本がある図書館。書棚の一つ一つがニ階よりも高く、横幅は下手な川よりもある。
私の家や博麗神社くらいだったら、この地下図書館に入っちゃうんじゃないかしら?
まあ、何より驚異なのは――そんな広大な図書館の書棚は、殆ど本で埋められているということだ。
これなら恋愛小説の100や200あってもおかしくはないとわかっていても、彼女がそれを読むとは思えなかった。司書をやらされているという赤毛の悪魔だったら容易に想像も出来るのだけど。
あの子、悪魔とは思えないほど純情だし。「かわいそうなぞう」を読んで号泣する悪魔なんてあの子くらいよね――いや、レミリアもなんか泣きそうな気がする。あれ、悪魔ってそういうものだっけ。
「読書は経験であり知識でもある。目についたら読みくらいするわ」
「集めてるんじゃないの?」
「最近外からの流入が激しくて。ものすごいスピードで忘れられてるんじゃないかしら」
ため息交じりの言葉に、本意ではないという色が乗る。
しかし、それにしては話題を逸らさない。
「恋愛が?」
茶化してみても、
「小説が」
戻される。
……今一彼女の狙いがわからない。
答えを持たないと告げた以上それを掘り下げるなんて無駄な真似はしない筈なのに。
まさか、恋愛小説を語り合いたいなんてことは……ないだろうし。
それこそそういうタイプには見えない、だ。
恋心すらも利用して魔法にするのが似合ってる、というのは偏見だろうか。
知識の魔女パチュリー・ノーレッジ。相変わらず彼女の思考は読み切れない。
「でも、あなたもわからないというのは」
かちゃり。
硬質な音に視線を向ければ、彼女は眼鏡を外してこちらを見ていた。
「都合がいいわね」
うん? 何に対しての言葉だろう。
彼女は私から目を逸らさない。
「ねえアリス・マーガトロイド。七色の魔法使い。あなたは疑問を疑問のままにしておけるかしら?」
「なにを」
「それを、魔法使いのプライドが許すのかしら」
パチュリーの口の端がつり上がる。
どこか仮面染みた、陰鬱な空気を孕んだ笑み。
――なるほど。ぎしりと椅子の背もたれに身を預ける。
「卑怯ね、パチュリー」
私はもう魔女の腹の中、というわけか。
――問題を提示され、それに答えられなかった。疑問は疑問のまま残ってしまう。
そんなこと認められるわけがない。どんなにくだらない疑問だろうと魔法使いは知識に貪欲なのだ。
真理に至る梯子さえ掛けずに逃げ出すなど許容できない。挑まずにいられない。
私も彼女も例外ではない――知識の魔女ともなればそれはさらに強いのだろう。
こんな搦め手で、私を巻き込むことを辞さないほどに。
「……で、共同研究ということになるのかしら?」
「あら、協力してくれるの?」
「単独で研究してもいずれ答えに辿り着けるでしょうけど、非効率的だわ」
「そうよね、魔法使いはそういう人種なのだし」
狙いを遂げた魔女は満足げに笑う。
癪に障るけれど、負けたのだから文句も言えない。
それでも彼女が言うところのプライドが治まらないのか、悪態は出てしまう。
「魔女っていうのは暇人なのね」
意地悪く訊くと。
「忙しいわよ。自分の趣味に」
意地悪い笑みで返された。
――さて、状況を整理しよう。
私、魔法使いアリス・マーガトロイドは魔女パチュリー・ノーレッジに引き込まれた。
最早逃げられない。逃げられないのなら立ち向かうしかない。疑問を打倒するしかない。
そして私が立ち向かう疑問は恋人の距離。それが一定ではない理由。
方程式を解き明かせということではないだろう――どこぞの式神じゃあるまいし。
問題があるとするならば、彼女が私の出す答えに満足するかどうか。
魔女らしく――捻くれているのだ、彼女は。
……正直に言えば、彼女の疑問なんて語り合うよりも一人で考えた方が効率がいいと思うのだけど。
「ただし、条件があるわ」
それでも、譲れない一線はある。
「条件?」
「長くは付き合わないから」
怪訝そうな目を向けられる。その視線を真っ直ぐに受け止めた。
暇潰しだか単なる興味だか知らないが、長話に付き合える体調とは思えない。
人間をやめた魔法使いは体の調子を無視して目的に没頭することが多い。パチュリーなんて、その典型と言ってもいいだろう。このまま放っておけば一人で無茶をするのは目に見えている。
ならばある程度満足するまで付き合って、限がよさそうならそこで休ませねば。
この百年を生きる魔女に私の拙い策がどこまで通じるかわからないけれど、それも友の務めだろう。
性格が悪いとはいえ、この有能な友を失いたくはない。
「制限時間付き……ね。まあいいわ、協力を得られるのならそれくらい呑みましょう」
「時間が惜しいわ。まずは要点を――」
「いえ、共同とは言ったけど……あなたが言ったけど、ちょっと形式を変えましょう」
「?」
変える? 今更何を……
「質疑応答。私が問いかけるからあなたは答えて」
「何なの? よくわからないんだけど……質問はもう用意出来てるの?」
「出来てるわ」
私が訪ねてくる随分前から研究を続けていた、ということだろうか?
まるで、最後の詰め、のような印象を受ける。それならそれに越したことは無いのだけど……
まあ、いいか。さっさと終わらせて、彼女を休ませよう。荒い呼吸は――治ってないのだし。
「……始めて」
「それじゃ第一問。あなたは恋人の傍に居続けたいかしら?」
遠慮なく質問は始まった。
さて、この問いは……
「そうね――いえ、居続けたくはないわね」
「第二問。それは何故?」
「距離を置きたいから。端的に言えば、クールダウンの時間が欲しいの」
恋人。好きになった人。その傍に居られるというのは幸せなことだろう。
だけどずっと一緒だなんて息が詰まってしまう。幸せなだけでは人は生きられない。
「第三問。その時、恋人があなたを求めてきたら?」
「突き放すでしょうね。過度な干渉は嫌よ」
「第四問。それは愛情が尽きたということ?」
矢継ぎ早に質問が繰り出される。これじゃ考えるのも難しい。
「いいえ……そうじゃなくて、疲れるから」
「第五問。疲れるって?」
「ちょっと速度緩めてよ」
「時間が惜しいんでしょう?」
パチュリーはにやにや笑っていた。ほんっとに性格悪いわねこの魔女。
いいじゃない、ならやってやるわよ。魔法使いアリス・マーガトロイドを嘗めないでよね。
ええと、質問は……疲れる、理由……
「好きでい続けるのって……疲れるのよ。走りっぱなしみたいなものだもの。休みたくなる時だってあるわ。歩きたい時だって、ある」
「第六問。休まなければ好きでいられない?」
「ええ、そうね。そういうことが出来る人もいるでしょうけど、私は違う。四六時中好きでい続けるなんて無理。魔法使いを辞める気はないし、研究だってしたいもの」
「……第七問。あなたから恋人を求めることはある?」
「ある――と思うわ。だって、好きなんでしょう? だったら私から傍に行くこともある」
「第八問。それ、勝手じゃない?」
「それ質問? ……まあ、勝手だとは思うわよ。相手の求めには応じないで、こちらからは求めるなんて。でもそんなものじゃない? お互いに聖人君子じゃないんだから、どうしたって勝手な部分は出てくるわよ。そこらへんに折り合いつけて、バランスをとって初めて恋人って言えるんじゃないかしら」
答え終えて身構えるも、質問は飛んでこない。
見れば彼女は視線を宙に投げ出し、考え込んでいるようだった。
八問で終わり――いえ、八問目は適当だったし、実質七問で終わりか。
なにかしらね、七曜の魔女とかけているのかしら。
さて、これで魔女様は納得いったのかしらね。納得してくれたら助かるのだけど。
「――――これがアリスの恋愛観、なのね」
呟き。
「そう……ね」
考える間もなく答え続けたのだから、そういうことになるのかしら。
「アリスは」
本が掲げられる。
それは彼女がずっと読んでいた、恋愛小説だった。
「べたべたしないで距離を置く。私が疑問を感じたタイプだったのね」
ふむ? 自覚は無かったけれど、そうなると私自身が彼女の疑問であり答えだったのか。
意外な形に落ち着いたものだわ――って、あら? 結局答えは出てない……のかしら?
私が答え……になるらしいけれど、彼女はあの質疑応答で答えに至れたのか。
これでは彼女を休ませるなんて出来はしない。限がいいとも言えない状態では……
「よくわかった」
パチュリーは――満足げに微笑んでいた。
満足した……? あの疑問に答えが出たと?
恋人の距離なんて、個々人で異なるだろうものに?
納得いく答えなんて、自分の距離感くらいしか出ないと思っていたのに。
「そう。好き合うからこそ距離をとるのね」
……? それは、私の理屈だ。彼女が求めた総括的な答えではないと思うのだけど。
「お互いに好き合い続けるためにね」
相槌を打つ。まだ、答えはわからない。
「誰しもが強いわけではないから」
「休める時が欲しいから」
「だから時には突き放しもする」
「自分が自分であるために」
「勝手ね」
「勝手よ」
「猫のように?」
「猫のように」
笑う声。
パチュリーは悪戯っぽく笑っている。
「あなたの猫度は合格点」
また妙なことを言う――――あれ?
呼吸、荒れてない? 落ちついたのかしら。
それならそれでいいんだけど……なんだろう、この腑に落ちない感じ。
「うん、概ね理解したわ」
「答えが出たの? だったら教えて欲しいんだけど」
「うん? 答え? それなら猫よ」
猫?
「……全然わからないわよ?」
「わからないように仕向けたもの」
悪戯っぽい笑みはますます深まる。
性格が悪くて、意地が悪くて、口も悪いとわかっているけど腹が立つ。
どこまで人を玩べば気が済むというのか、この魔女は。
「まわりくどいのは好きじゃないんだけど」
「なるほど、留意しておきましょう」
ぱちんと指が鳴らされる。
風の届かぬ図書館の中だというのに風が吹く。
何時の間にやら山と積まれた本も、テーブルさえも消えていた。
残されているのは椅子に座った私と彼女だけ。
「……咲夜の真似事?」
「お片付けの魔法よ」
やっぱり真似事じゃないと言う前に、椅子の軋む音がした。
彼女は立ちあがって、歩き出す。その動きに澱みは無く先程まで咳を交えていたとは思えぬ足取り。
目が細められる。パチュリーは笑って座ったままの私を見下ろしていた。
「束縛出来ないのは残念だけれど」
頬に魔女の小さな手が触れる。
冷たくて、細い指の感触。
唇に触れる――――――え?
「なるべくあなたの意思を尊重するということで」
間近で覗き込む紫色の瞳。
唇にかかる吐息。
前髪に触れる彼女の前髪。
「ちょ、ちょっと、待って」
ということでって、纏められても困る。
私、状況が把握できてなくて、えっと、どういうこと?
「こ、これどういう」
「まわりくどいのは好きじゃないんでしょう? だから直球で」
直球って、直球に過ぎる――けど、じゃあ、これはそういう意味で。
「あ――あの、私の意思とか、は」
「嫌だった? なら謝るけれど」
「あや、謝るってそんな」
頬が熱い。未だ間近にある彼女の顔が触れてしまいそう。
触れてしまったら気づかれる――いや、そうじゃなくて。
「ふふ、アリスって肌が白いから、赤面したらわかりやすいわ」
気づかれた――肌が白いのはあなたも――違う、私が言いたいのは。
パチュリーの具合はだいぶ良さそうで、あの疑問は、だから、違う。
咳込んでいたのは、あの罠は、茶番で――前座、だった。
ああ――――もう。
「――どこから、罠だったの?」
「始めから」
返す言葉もない。
手が込んでるなんてものじゃなかった。
そもそも私が来た理由からして、罠だった。
……普通、ここまでやる?
「はぁ……怒って帰るとか、思わなかったの?」
「束縛はしないけれど」
艶やかに――魔女は微笑む。
「逃がしもしないわ」
私の髪を撫でながら、私の顔から離れずに。
――さて、状況を整理しよう。
私、魔法使いアリス・マーガトロイドは魔女パチュリー・ノーレッジに捕まった。
最早逃げられない。逃げられないのなら立ち向かうしかない。立ち向かうしかないのに。
十重二十重の罠に雁字搦めで、抵抗する気力も失せていた。
まわりくどかったくせに。
それが嫌だと伝えたら直球。
こんな風に情に絆されるのも罠の内かもなんて、考えてしまうのに。
「私、独占欲が強いの」
ああ、私はなんて悪い魔女に捕まってしまったのだろう。
本当に、逃げられそうにないわ――――
【恋人まで何マイル?《alice in trapfield》...closed】
だがそれがいい
ちょうどパチュアリ分が不足してたんだ。
始めから滲み出るパチュリーのアリス愛に、にやにやしながら読んでいました。
面白かったです。パチュアリ万歳!
私好みのお話です。ありがとうございました。
goodだぜ
洗い呼吸は喘息のせいばかりではないぞってことですね、わかります
素敵じゃないですか
終盤にやけっぱなしでやばかったww
さて!読みふけますか!!
いや、イケガール過ぎるww
あくまでクールに自分の想いを伝えるための巧妙な罠に落としていくパチュリーさん。策士やなぁ・・・。
ここまでやるパチュリーに驚きを隠せないw そこまでやるか!
読みやすかった。もうなんも言えねぇw
直球でいいね
>「束縛はしないけれど」
> 艶やかに――魔女は微笑む。
>「逃がしもしないわ」
ここが非常に魔女っぽくてまさに艶やか。