宇佐見蓮子が一番、最初にラブレターをもらって思ったことはメリーにばれたら、どうしようということだった。
――――大学のゼミに出席すると帰り際に同じゼミ生の男子から、あとで読んで欲しいと手紙を渡された。
ルーズリーフを折り畳んだだけのそれを私は特に意識せずに受け取った。
私はその場で手紙を読まずにメリーの待つ学生食堂に向かい、いつものように約束の時間に遅れてメリーに怒られる。本当にいつも通りだった。
学食に着くと私はお気に入りのBランチを頼んだ。メリーは、優柔不断なので食堂に来るといつもメニューをあーでもないこーでもないと悩んでいるので、席を確保するのは私の役目になってしまっている。一度、メリーに先に席を確保して置いたらと言ったことがあるが、この席取りは私の遅刻に対する罰らしい。まったく、私が遅刻をしなかったらメリーがどうするのだろう。
今日は、思いの外に席を早めに確保できたので、まだ、トレイを持って並んでいるメリーを待っている間にゼミの男子から渡された手紙を読んだ。
――――突然こんな手紙を渡してごめんなさい。話したいことがあります。今日の午後5時に***公園で待っています。
田中 ***
最初は、時計を確認してあと4時間後だなと呑気に考えていた。思考が軽く痲痺していたのだろう。
次に話の内容を考えた。今は、特にゼミで実験やテストが在るわけではないし何のようだろう? そういえばこの人とは、そんなに喋ったことがないなぁとか考えていた。
そして、なんで公園なんかに呼び出すかな。あんな、噴水しか無いような場所にはカップルぐらいしか居ないから、学校で話せば・・・と思考が展開して行くとこの手紙がどういう物なのかを恋愛方面に関しては奥手な私は初めて思い至ったわけである。
――――現在、私は不慣れなこの状況に軽く思考がパニックに陥っていた。
メリーがこの席に着くまでのあと数分。
その間になんとかこの手紙を処理してしまいたい。メリーには何故か知られたくない。
落ち着かない思考の中、何故か私は手紙をもう一度、折り目に合せて丁寧に畳み直していた。
「おまたせ。今日も席の確保、ご苦労様」
「ひゃあっうっっ!?!?」
私は素っ頓狂な声を上げて反射的にランチが乗ったトレイの下に折り畳んだ手紙を隠した。
「ど、どうしたのよ蓮子?」
「えっ!? いや、ほら、い威嚇?」
本当にどうした宇佐見蓮子と自分で自分が心配になってくる。年頃の女が咄嗟の言い訳で威嚇はないだろう。
「威嚇って・・・。あれ? 蓮子、顔が赤いけど風邪?」
メリーが心配そうに顔を覗き込んでくる。メリーの青い瞳と日本人離れした整った顔が近付く。
「だっ、大丈夫よ!」
体を思いっきり反らしながら私はメリーから逃げた。今、このまま見詰めあっていると余計なことを口走ってしまいそうである。
メリーは訝しみながら、私の前の席に座った。
「・・・へんな蓮子」
私は聞こえない振りをしてメリーから顔を背けた。何故か後ろめたい気持ちが胸に渦巻いていた。
「ところで、さっきトレイの下に何を隠したの?」
「ぶふっうぅぅ!!!!」
千切りキャベツが喉を経由して鼻から出そうになる。涙目でメリーを睨む。
「なっ!? な、なにを言っているのかしらっ?」
「いや、あんなリアクションされたらツッコミ待ちとしか思えないわよ」
メリーが呆れた様子でこちらを見る。
「・・・別になんでもないわよ」
「ふーん」
あっ、拗ねた。メリーの『ふーん』が出た時は要注意だ。人が気付いてほしくないことや隠していることにメリーが興味を持った時はいつも、コレが出る。
「その、本当にメリーには関係ないことなのよ。だから、気にしないで頂戴」
「別に気にしてはいないわよ」
自分で関係が無いと言いながら、メリーの口から気にしていないと言われると少し胸が苦しくなる。
「まぁ、いつか気が向いた時に教えてくれればいいわ」
やっぱり、喋らせる気なんだな。私は、ちょっとだけ憂鬱な気持ちになる。
「で、今日の放課後はどうする? 駅前で待ち合わせにする? 私はまだ、講義があるから大学にいるけど蓮子は今日はもう、終わりでしょ?」
まずい。そうだった。今日は、冬休みにメリーと旅行に行くために色々と回る約束をしていた。
「メリーは講義、何時ぐらいに終わるの?」
「あとは5限だけだから、4時には終わるわ」
手紙に書いてあった時間は午後5時。メリーの講義が終わり駅前で待ち合わせになれば、5時ぐらいが妥当だろう。だが、その時間はダメだ。
「えーと、じゃあ、7時ぐらいに駅前とか?」
「なんで、そんなに遅い時間なのよ? お店とかすぐに閉まっちゃうじゃない」
メリーが不機嫌な目でこちらを睨んでくる。仕方無いじゃない。告白される側がどれくらい時間が掛かるかなんて予測できないから多めに余裕を見るしかないわよ。
頭の中で告白されると考えた瞬間に背中がむず痒くなった。
浮気をするってこんな感じなのだろうかと考えて、いや、そもそも恋人は誰だよと―――
「蓮子?」
一瞬、頭が真っ白になる。今、何を考えた? 現実でメリーが私の名前を呼ぶ前まで、頭の中でもメリーの顔を思い浮かべていて、それが私の名前を優しく呼びかけてくれて、現実でもメリーが顔を近付けて来て・・・
「ちょっ!? えっ? メ、メリィ?」
腰砕けで顔を近付けてくる少女の名前を呼ぶと額と額が重なる。メリーの整った顔が視界を埋める。
「別に熱は無いようね」
「な、ないわよ。当たり前でしょう」声が上擦ってしまう。
落ち着かない気持ちを隠す様に残っている食事を急いで平らげていく。メリーはいつもの様にマイペースにゆっくりと食べているので、必然と私だけが先に食べ終わってしまう。
「相変わらず、忙しないわね。もう少し、食事を楽しんだら? それとも、何か急ぐ用事でもあるのかしら?」
「用事なんて別にないわよ」
「ふーん。じゃあ、今日はなんで7時に待ち合わせにするの?」
声は落ち着いているがメリーの目は何かを探るようにこちらを見詰めてくる。多分、ここで誤魔化すとメリーは不機嫌になるなと私の感は告げていた。
けど、正直に話せればいいのだが何故か私にはそれができない。
「ごめん。ちょっと、別の人と会う用事があるの。私のミスで予定が重なっちゃった」
「そう、大事な用事なの?」
「・・・うん。多分、そうだと思う」
全てを話せなくても心が少しだけ軽くなった気がした。私達、秘封倶楽部は秘密の共有を約束した仲なのだからメリーに隠し事を続けるのは私の心には毒なのだ。
メリーは考える素振りを見せたあとにため息を吐いた。
「じゃあ、仕方ないわね。別の日にする?」
「大丈夫。それにメリーとの約束のが先約なんだから」
メリーはそれ以上、文句も質問もして来なかった。私はメリーの寛容の広さに感謝した。
メリーは食事を終えたが、しばらくこのまま食堂で時間を潰すと言ったので、私は一人で先に食堂を出ることにした。あのまま、メリーと一緒に居ると気が弛んでつい口が滑ってしまいそうになる。
食堂を出ると頬を叩いて気合を入れる。メリーと喋っている内にいつの間にか気分も落ち着いていて気構えもできていた。
「よし。行こう」
今日は、誰もその言葉に返してくれる人は居なかったが、少しも寂しくはなかった。
――――無い。
スカートのポケットを弄るが無い。
鞄を開けて、中身を全て一度、外に出してみるが無い。
ノートや教科書の間に挟まっていないかも確認するが無い。
何度も確認するが、やっぱり、無い。
「あああああああああああ!!!!!!」
公園で私は一人、絶叫した。近くに居た高校生のカップルが驚いてこちらを見たあと、ヒソヒソと喋ってどこかへと消えていく。
そんなに広くはないが、××市で唯一の噴水がある公園には私だけが残された。
私はメリーと食堂で別れたあと、約束の時間よりも早くに着くことを承知で指定された公園を訪れていた。
相手がいつ来るかは分からないが、なるべく早くに用件を終えてメリーの待つ駅前に行こうと思ったのだ。
どこにも寄り道をせずに真っ直ぐに公園に着くと指定された時間よりも1時間も早くに着いてしまった。
一応、念のために指定された時間の確認をしようと鞄を探るが手紙が見つからない。洋服のポケットや帽子の裏も捜すがどこにも見当たらない。
ここまでの移動中に手紙を落とすようなことはしていないし、立ち寄ってもいなかった。そうすると最後に取り出した食堂に忘れて来たという意外に考えが浮かばなかった。
思い返しても、トレイの下に隠した手紙を鞄やポケットに入れた記憶は皆無だ。
そして、メリーはそのまま席に残っていた。
私はベンチの上で体育座りをして膝に顔を埋めた。噴水が水を噴上げる音だけが辺りに空しく鳴り響く。
メリーに電話をして手紙を忘れたか聞こうか・・・駄目だ、聞けない。
そもそも、メリーは手紙を気付いたのだろうか? 運良くトレイの下にくっついていて、席から離れた位置で落ちたということはないだろうか。そうすれば、色気の無いルーズリーフに書かれた、ただのメモにしか見えない筈だ。
――――無理だ。そんなに都合良くは無いだろう。
なんで、忘れてしまったんだろう。あの手紙を貰った時は不覚にも、ときめいてしまったし、なんでもない紙切れが凄く貴重な物に見えていたのに・・・。
メリーもメリーだ。手紙を隠していたのを指摘したのだから、私が手紙を忘れていることには気付いたはずだ。なのに教えてくれないなんて、あんまりだ。
あの食堂でのメリーとのやり取りに私は、友情を感じていた。メリーと一緒に居る時間は心地好く、代りの利かない大切なものだと再認識していたのにそれさえも裏切られた気分だ。
いつのまにかメリーに対する八つ当たりが心に渦巻いていく。そして、メリーの悪口を思い浮かべる度に心の片隅では不安が脹らんでいく。
メリーは引き留めてはくれなかった。手紙を無くした罪悪感が薄まるくらいに私はその事実に怯えてしまう。
もしも、私が今日ここで返事をOKしたら、メリーとの秘封倶楽部の活動はどうなるのだろう?
私の左手に握っているメリーの手が別の誰かに変わるのだろうか? それとも、右手に握る相手が増えて部員数が3人になる?
――――どれも、不自然な気がした。
でも、秘封倶楽部の変化、私の気持ちの移り変わりをメリーは素直に受け入れるのだろう。
そんな気がした。
メリーは私よりも社交的ではないが、変化を受け入れないという性格ではない。それにメリーは嫌々ながらも、いつも私の意見を尊重してくれている。
我の強い私といても、流されるでもなく、拒むわけでもなく受け入れてくれる。
そういう関係を私達を築いてきた。その関係を私は壊したくはないし、誰かに壊されるのは御免だった。
空を見上げると一番星が輝いていた。
【16時27分32秒】
私の星を見ただけで今の時間がわかる瞳が約束の時間に近付いていることを教えてくれる。
今頃、メリーは何をしているのだろうか?
私は、どうすればいいのだろう。
月は雲に隠れて見えていない。
これでは、月を見ただけで今居る場所がわかる瞳も宝の持ち腐れである。
「どうしようかしらね」
自分の立ち位置が定まらないまま、約束の時間だけは正確に私を捉えて進んでいた。
***
メリーは走りながら腕時計で時間を確認しようとしたが、既にファッション感覚で買ったアナログ時計の文字盤は、夜の闇に融け込んで見辛く、大体の時間しかわからなかった。
こんな時に普段ならば、いつも傍に居る蓮子に聞けば、何よりも精確に教えてくれるから腕時計なんて飾りでしかない。
しかし、今頃蓮子は指定された公園で一人で待っているだろう。きっと彼女のことだから、なんだかんだと理由を付けて肌寒くなってきた初冬に捨てられた子犬のように律儀に待っているのが想像できた。
そう、思うと自然と足が速くなる。運動不足の体には辛いが心が急くのだ。
「もう、一発ぐらい殴って置けばよかった」
蓮子が食堂に忘れたは手紙は既にメリーの手の中でくしゃくしゃになっていた。蓮子はこれをどんな気持ちで受け取ったのだろうかと考えると胸が痛む。
たぶん、彼女のことだから無駄に照れたりしていたに違いない。現に今日の蓮子は浮ついていて、いつも以上に落ち着きがなかった。
息が上がり、足が痛い。少しだけ、走るペースを落とした。そんな姿を前から向かってくる男が不思議そうに見ていたので、私はイライラとした目でにらみ返すと慌てて男は目を逸らした。
今は、世界中の全ての男に対して腹立っていた。
怯えた様に横を通り過ぎた男を見ると少しだけ、溜飲が下がっていく。大きく深呼吸をすると走るペースを上げた。
***
最後に星を見たの時には17時36分だった。約束の時間から既に30分以上も過ぎていた。今、夜空は雲に覆われていて星も月も見えない。携帯で時間を確認すればいいのだろうが、もしかしたらメリーから着信が来るかも知れないと考えて、約束の時間の10分前に電源を落としてしまった。電源を何回か入れようとしたがその度に思い直しては止めていた。
メリーとの待ち合わせで、こんなにも遅刻していたらその日は全部奢りになるだろう。いつもなら、私は待たせる側であったからもしかたら、これはその罰なのかもしれない。
「すっぽかされたかな・・・」
揶揄われただけなのだろうか? そういえば、ルーズリーフを折っただけというのも味気ない気がする。もしも、私ならもう少しは見栄えの良い物を選ぶだろう。
公園をぐるりと見渡す。もしかしたら、揶揄っている奴等がいるかもしれない。外灯、入口、噴水、花壇、ゴミ箱にトイレと視線を移動させるが人は誰一人いない。いつの間にか、公園には私だけになっていた。
一人きりとわかった瞬間に涙ぐみそうになる。目を一度、閉じてそのまま上を見上げる。目をゆっくりと開いていく。相変わらずの曇り空で何も見えない。それがまた、不安と悲傷感を煽る。
――――何か別のことを考えよう。
「メリーとの待ち合わせ…」
正確な時間は分からないが多分、そろそろ駅前に向かい始めないと間に合わないだろう。
正直、今の精神状態ではあまり会いたくはないが今日は、彼女を待たせる気にはどうしてもならなかった。
気後れはするが、約束をキャンセルしてくれるように頼もう。一日、寝て笑い話にはできないかもしれないが今の精神状態よりはマシな筈だ。
そう考えて私は携帯を取り出す。電源の切れた液晶画面に私の顔がぼんやりと映っていた。
いつものように話せるだろうか。笑みの形を作ろうとするがどこか固い気がする。
暗い気持ちを押し込めるように深呼吸をして息を整えると電源を入れた。液晶画面に映るメニュー画面には着信があったことを告げるアイコンが浮かんでいた。
メリーからだと履歴を開くまでもなく確信ができた。
ほんの少しだけ、救われた気持ちになる。さっきまで、どこか違う世界に迷い込んでいたような孤独感がほんの少しだけ、救われた気持ちになった。
「・・・でも、一件だけか」
4~5件は着信があるかと思ったが留守電も残されたはおらず、ちょっとだけ肩透かし食らった気になる。
メリーは手紙を拾ったのだろうかと疑問が浮かんでくる。
手紙を読んでおらず、何か別の用事で掛けてきたのかどうか、一件の着信だけだと判断に悩むところだ。
着信履歴には17:16と標示されている。
いつもの癖で空を見上げるが星は見えていない。仕方なく携帯で時刻を確認すると18:37となっていた。この公園に来てから既に2時間ちかく居たらしい。
今から、駅に向かっても15分ぐらいの遅刻になるだろう。何時もの私ならそれぐらいの遅れは誤差の範囲としているが今日は、その15分が酷く長い時間に感じてしまう。
たぶん、今から電話しても時間を厳守する彼女のことだから、既に駅の近くにはいることだろう。無駄足を踏ませてしまうことになるのは心苦しいが、電話を掛けて約束をキャンセルにしてもらうために悴んだ指でメリーの番号を呼び出す。
もう、一度だけ公園を見渡すが誰も居ない。
なんと言って断ろうか・・・。良い案が浮かばない。メリーには別件の用事が先にあるとは言ったが、用事が長引くから断るというのは嫌だ。
携帯を握り締めたままで逡巡していると、携帯が震えた。どくんと胸が高鳴る。
【マエリベリー・ハーン】
着信標示に書かれたメリーの名前。
「えぇ・・・あっ」言葉にならない呟きが口から洩れる。それしか、できなかった。指は通話ボタンを押そうとしたが動かない。
――10秒――20秒―――ピッ、『只今、電話に・・・』
留守番電話に切り替わる。ピーという発信音のあとに無音が続く。メッセージを残さずに切れたのかと思ったが、携帯に表示されている通話時間は正確に時を刻んでいた。
大きく息を吸い込むと私は、恐る恐る携帯を耳に当てた。通話ボタンは押していない。
耳を澄ますと微かに荒い息遣いが聞こえてきた。携帯を口元から遠ざけているようで音が小さいようだ。
『出なさいよ。聞いているんでしょう?』
慌てて携帯を耳から離した。悪戯が見付かった子供のように思わず体が縮こまる。
どうしよう、メリーは既に怒っている雰囲気を出している。何で、怒っているんだろうか? 電話にでないから? 手紙を黙っていたせい? このままだと遅刻をしそうなのがばれた?
頭の中で自問自答がくり返されるが理由がはっきりとしない。
携帯を握り締めながらメリーからの次の言葉を待ってみるが声はしない。
一人で悩んでいるとなんだか、だんだんとイライラしてきた。今日の私は本当に他人に振り回されて私らしくないのだ。
髪を掻き毟ると私はやけ気味に通話ボタンを押す。
「もしも『遅ぉぉぉぉぉいっ!』
私の怒りはメリーの怒声によって掻き消された。耳の奥がきーんとする。
だから、気付くのが遅れてしまった。
「電話に出れるんなら、早くでなさいよ!!」
携帯からではなく、後ろからメリーの声がする。公園の入口とは逆側だ。慌ててベンチから立ち上がり、振り向くとメリーが私に向かって何かを振り下ろす瞬間だった。
***
目の前で蓮子が右手で鼻を押さえながら、呆然と私を見ていた。
深呼吸をして息を落ち着けながら手に持っていた携帯の通話をオフにする。
「メ、メリー? どうしてここに?」
「そこの手紙に書いてあったから来たのよ」
蓮子の足元に転がっている紙屑を指差しながら、答えると蓮子はそれを拾い上げた。
「やっぱり、メリーが拾っていたのね」
「えぇ。本当に間抜けな落とし物よ。凄く不愉快だわ」
どういう意味と訪ねるような視線を蓮子は向けてきた。
私はその視線から、逃れるように自分の服装に目を向ける。ショートカットをするために公園の入口からではなく、フェンスをよじ登り花壇を突っ切って来たので薄紫のロングスカートが所々、汚れていた。ハンカチを取り出して汚れを拭っていると蓮子は苛ついたように私の名前をもう一度呼んだ。
勢いでこの場まで来てしまったが、蓮子にここまでの経緯を話すのは嫌だ。多分、蓮子は多少なりとも私のせいで傷付くことになる。
それもこれもあの男がいけないのだ。そう思うと本当に腹立たしい。
「田中君だっけ? 来ないわよ。私が来るなって彼に言ったわ」
「・・・どういうこと? メリーは田中君に会ったの?」
蓮子は自分のスカートの裾を握り締めながら尋ね返してくる姿が私の胸を切なくさせる。
適当な言い訳をして無理矢理に話を終わらせたかったが、蓮子は許さないだろう。私の好きな彼女はそういう性格だ。一度、目を閉じて短く息を吐く。
「えぇ、会った。私も彼に呼び出されてたのよ」
「えっ!?」
驚いた顔で蓮子はこちらを見る。私は蓮子に近付くと蓮子の手から手紙を掴み、顔の前に
広げた。
「これはね。田中君が蓮子を私から離すために書いた手紙だったのよ。食堂でこの手紙を読んだ時には驚いたわ。私も今日、呼び出されていたからね。しかも、蓮子と私が約束をするずっと前に」
私は、そこで言葉を止めて足元に落ちている手紙を拾い上げて破いていく。蓮子は一瞬、手を伸ばしかけたが止めることはしなかった。
「つまり、彼の目的は私だったのよ」
私はそこまで言うとベンチにどかりと腰を降ろした。思ったよりも勢いがついてしまい痛い。顰めっ面をしている私に蓮子が説明しろという顔をしているが、私は自分で考えろという意味でお手上げのジェスチャーをする。
蓮子なら、此処まで言えば分かるはずだ。私の口から説明するのは恥ずかしいし、イライラするので勘弁して欲しい。
蓮子は私の隣に座ると腕を組み考え始めた。しばらく、蓮子が難しい顔で考えている姿を私は、横目で見ていた。初冬とはいえ、蓮子の格好では寒かった筈だ。やっぱり、もう一発ぐらい彼を殴っておくべきだったと後悔した。
「答え合わせをしてもいい?」
「えぇ。一回で正解したら、今日の遅刻は許してあげる」
「遅刻って何よ? 今日はしてないでしょう」
「あの時間で、ここに居たら遅刻は確定でしょう」
「メリーだってこっちに来たんだからノーカンよ」
蓮子の抗議をわざとらしく聞こえない振りをすると彼女は私の太股を軽く抓った。
「いたッ! ちょっと急に何するのよ」
「・・・ちゃんと話を聞きなさいよ」
いつものお調子者の蓮子と違い、しおらしい素振りを見せるので不覚にもドキっとしてしまう。
私はこくこくと首を縦に動かすが、蓮子は納得できないらしくこちらの内心を見透かそうと、じっーと睨んでくる。その姿が猫のようで思わず喉を撫でたくなる気持ちを必死で抑えた。
「ようするに田中はメリーのことが好きで、告白する時に邪魔な私をメリーから遠ざけようとしたってことでしょう?」
「そういうことになるわね」
いつもの様に蓮子は唐突に核心に触れてくる。まだ、少し焦ってしまう時があるが出会った頃に比べれば随分と慣れたものである。
「因みにメリーは田中君に告白されるのは何回目なのかしら?」
「あら、そこまでわかったの?」
「ヒントが多すぎて答えを言っているようなものじゃない。メリーは出題するのが下手なのよ。今日、私と会う約束を最初は17時にしようとしていたでしょう。ということは、講義が終わってすぐに移動しないと私との約束には間に合わないのだから、メリーは田中君に呼び出されていたけど行く気はなかった。メリーなら、普通は私との約束を優先するよりも彼との約束を守るでしょう。でも、今回は約束を反故する気でいた。じゃあ、なんでメリーはそうしようとしたのか。これは推察だけどメリーの中では既に決着が付いているからだと思ったのよ。つまり、メリーは一度、答えを出している。ちがう?」
「その前に質問。なんで、私が蓮子よりも彼との約束を優先すると思うの?」
蓮子は、無駄な問いだというように顔を顰めた。
「メリーは約束を被るようなことを簡単にはしないでしょう。そうする場合はきっと何か考えがあってするわ。今回は、私といることで彼と今は付き合う気はないってことを見せ付けたかったんじゃない?」
メリーは蓮子に向けてにっこりと笑った。
私の予想通りに蓮子は答えを導き出した。点数を付けるとしたら、90点の回答だ。
「合格よ。蓮子」
苦笑いを浮かべる彼女に私は補足を付け足していく。
「今回とは別に二回ほど彼に告白されたことがあるけど、その度に断っていたわ」
蓮子は口をあんぐり開けて、小さい声でうわぁと呟いた。
「意外と根性あるのね。少しだけど見直した」
「そうね。そこは、褒めても良いところね。で、今回は彼にデートに誘われていたのよ。私は断ったんだけど気が向いたら来てくれれば良いって、インディーズライヴのチケットを無理矢理に渡された。」
ポケットから、チケットを取り出して蓮子の目の前でヒラヒラさせると彼女はそれを掴んだ。
「ロック? というよりはメタルかな。メリーはこういうの聴いたっけ?」
「聴かない。多分、彼の趣味なんじゃない? 興味ないけど。つまり、彼は自己中なのよ」
「ふーん。まぁ、メリーとは合わなそうね。メリーも自己中だし」
「えっ?」
「ん?」
お互いがお互いにあんたには言われたくないと言う顔をしていた。
「まぁいいわ。私は、今日までそのことを忘れて慎ましく生活をしていたんだけど、彼は違ったみたいね。どういう訳か今日の蓮子との約束を知って工作を始めたのよ。それがこの手紙」
先程、イライラして破いた手紙を見せると蓮子は嫌な顔をした。すっかり、この短時間で嫌な物に変わったらしい。熱しやすく冷めやすいとは、蓮子も普段はさばさばしていても女なんだなぁとしみじみと感じる。
「完全に私は、とばっちりじゃない。メリーは何かお詫びに奢ってよ!」
「そのチケットをあげます。もうすぐ、ライヴ終わるけどね」
「いらないわよ! 私も聴かないもん」
完全にやさぐれてしまった。まぁ、今回は確かに蓮子は何も悪くなかった。かと言って私も悪くないので謝っても蓮子は変に物分かりがいいので、逆にさらに臍を曲げてしまいそうだ。
ぷりぷりと怒っている蓮子を横目で見ながら、私は長期戦を覚悟した。まぁ、蓮子が相手なら別に苦痛ではない。
「・・・なんで、相談しなかったのよ」
「えっ?」
「断ったのに、その後も言い寄られてたんでしょう。だったら、一言ぐらい相談してくれれば、こんなことには成らなかったんじゃない?」
「あっ・・・うん。そうね」
失念していた。私はこのことを蓮子に知られるのが嫌だったので最初から、自分で処理しようと考えていた。だから、この件が解決するまで相談ということを考えもしていなかった。
「メリーと私は2人きりの秘封倶楽部なのよ。何か遭ったら相談しなさい。絶対に力になるから」
さっきまで子供のような怒り方をしていたのにいつの間にか、全てを見透かすかのように蓮子は私を真っ直ぐに見詰めてくる。
こういう所が蓮子は狡いのだ。迷子にならない不思議な瞳を持つ彼女は、必ず私の心を捉えてしまう。
最初に告白された時に私は、少し不安だった。いつか、蓮子もこうやって誰かに告白されたりして、今までの関係が変わってしまうのではないかと思った。だから、私はそういった想像が現実になるのが怖くて子供のように蓮子からも自分からも隠したのだ。
「ごめんなさい。そうね。相談すれば良かったんだよね」
「そうよ」と蓮子は不機嫌そうに肯定してくる。その子供みたいな態度と真摯に見据える瞳に否応なく私の胸がときめいてしまう。
「ねぇ、蓮子。私も一つ質問してもいい?」
「いいわよ」
「もしも、彼が本当に蓮子に告白していたら、どうした?」
「断ったよ」
「どうして?」
「メリーといた方が楽しいから」そう答えると蓮子は悪戯がばれた子供のように笑った。
駄目だ。私はしなだれかかるように蓮子の肩に額を当てた。
「メ、メリー?」
蓮子は反射的に私の肩を掴み顔を上げさせようとするが、身を固くしてそれを拒むと諦めた。
鏡を見なくとも、顔が気持ち悪いほどにやにやとしているのが分かる。
しばらく、そうしていると体が冷えたのか蓮子が大きなくしゃみをした。
ここは思い切って抱きしめるチャンスかと迷っていると蓮子が今度は力強く私の肩を掴み体を離された。
「あのさ、メリーにも、その、メリーの好きなタイプの男が告白してきたら、メリーはどうする?」
私の見間違いでなければ、蓮子は今日一番の真剣な顔をしていた。
今の私には蓮子が隣にいる以外の自分が考えられない。
「私も振ると思うわ」
そう答えると蓮子は満足したのか、えへへと照れた笑みを浮かべた。
その笑顔を見ていると私は胸が苦しくなる。蓮子は私が断る理由を聞かない。今の関係で彼女はきっと満足しているのだろう。だから、関係が壊れないと分かれば理由などは気にしない。それが少しだけ憎い。
「貴女に出会えて良かった。私にとってメリーは最好の友達よ」
彼女は自分で言ったことが恥ずかしいのか、急いで立ち上がると空を見上げた。先程まで、曇っていたが今は三日月と冬の星達が浮かんでいる。私はそれが凄く遠くに感じた。
「19時08分45秒・・・今からでも1、2店舗ぐらいは回れるかな?」
蓮子は手をこちらに差し出す。私は手を取ると蓮子は力強く握りかえして来た。
「ええ。そうね」
二人で手を握りながら公園をあとにする。
「蓮子」
「うん?」
「好きよ」
蓮子は頬を赤く染めると笑って喜ぶ。きっと私の真意とは違う解釈をしているのだろう。
この変わらない関係が嬉しく、少しだけ壊したい。欠けた月が印象的な夜だった。
~Fin~
【おまけ】
後日、ゼミで田中に会うと両頬が赤く腫れていた。
「宇佐見さん。騙してすまなかった」
次に会ったら、一発ぐらいは殴ってやろうかと思っていたが流石に殴る場所が無いというのは予想外だったので釈然としないまま、それを受け入れた。
「ハーンさんには、俺が謝ったことは言わないでくれ。宇佐見さんに二度と近付くなって言われているんだ」
「同情はしないけども随分と無茶な要求をされたわね。・・・なんで、そんなに怯えてるのよ。メリーになんて言われたの?」
田中は凄く苦い顔をしたあとに「私の蓮子に近付いたら殺すって言われたあとに殴られたよ」と腫れた頬を差しながら答えた。
「あー、その色々あると思うけど頑張れよ。俺もこれで吹っ切れたし、影ながら応援するよ」
勝手に応援宣言をすると田中は、誰かに見られては困るといった感じで周りを気にしながら、行ってしまった。
「・・・絶対に誤解している」
メリーがどういう風に言ったかは分からないが私とメリーはプラトニックな関係だ。
「まぁ、でも・・・」
メリーに変な虫が付かなくなるのなら、別に勘違いされたままでもいいかと考えてしまう。それに見る人が見れば健全な付合いに見えるはずだ。
「メリーと私がねぇ・・・」
一瞬だが超えてはいけない一線の想像をしてしまい、急いで打ち消す。『あり』か『なし』で言えば『なし』だが、嫌かどうかで言えば嫌では『ない』と思ってしまった自分がいる。
「メリーには、黙っておこう」
私は、今日もメリーの待つ食堂に向かう間にこの邪な考えが消えるように努めた。
つづく・・・のか?
田中の今後が気になるところ
騙した代償とは言え、田中が少し不憫だw
>迷子にならない不思議な瞳を持つ彼女は、必ず私の心を捉えてしまう
↑ここが好き
ごちそうさまです
誤字報告を
振り向くとメリーが私の向かって何かを振り下ろす瞬間だった。
私「に」向かって
残り10点分の補完もいつかお願いしますw
いや、むしろこれはご褒美だろうか…?
がんばれ田中、別のところで幸せになれ
メリーはなんていったんだろう…