【三妖精】
あ!?
最初の思考はまさにそんな感じ。
なんてこと!
まさかこんなことが起こるなんて。
火曜のサスペンスドラマよりも驚きの展開ってやつだわ。
まさか。
まさか!?
――妖精が命を狙われるなんて!
たかだか一発かそこらでピチューンしちゃう一山いくらの妖精が狙われるなんてありえない。
でも、そのありえないことが起こっている。
「ねえ。サニー。ルナ。歩きながら黙って聞いて。談笑しているふうを装うのよ」
いきなりのシリアスな雰囲気に、ふたりはやっぱり怪訝そうな顔をしていた。
事は緊急を要する。それにふたりがいきなりあわてふためいたら、"奴"に気づかれるおそれがある。それだけは避けなければならない。
わたしは三妖精のなかでもとりわけ頭がよく、策謀に秀でたすごい子。
いやはや、妖精は名前に縛られる存在だけに、私がスターであることもまた宿命なのかもしれない。
スター、恐ろしい子とか言われちゃうかも。
ともあれ、友達のサニーミルクとルナチャイルドがいくらチルノ並に頭がアレであっても、やっぱりお友達として庇護しなければならない。
わたしたちは三人一組。いつもいっしょ。ふたりがどう思っているかは知らないけれど、妖精は群れてなんぼの生き物だ。
それに、ぶっちゃけひとりだと逃げ切れる自信ないし、いざとなったらルナをおとりにして逃げよう。
頭の中で素敵なプランを立てつつ、顔はキリッとまじめな表情。
私は小さな声でそっと言った。
「尾行されているみたい」
「なん……」「だと……」
ふたりはほぼ同時に声をだし、いきなりきょろきょろと周りを見渡し始める。
「だめ。そんなふうに周りを見たら、相手に気づかれる」
「でもいきなりそんなこと言われても困るんだけど。気のせいかもしれないし」
と、サニーは言った。
「甘い。甘すぎるわ。私の能力を言ってみなさいよ」
「えーっと……、動く物の気配を探る程度の能力だっけ」
「そう。だからあとは言わなくてもわかるでしょ」
「でもねぇ」今度はルナのほうだ。「ここは生命力の強い森の中なわけで、そんなところだからこそ命の化身たる私たち妖精もよく散歩するわけでしょ。動いているものなんてたくさんいるんじゃないかしら」
「動いているものはたくさんいるわ。でもずっと私たちを追っているのはたった一人よ。それぐらいわかる」
「でも偶然かもしれないし」
サニーは能天気な顔で言う。しかし、それは掘りたての焼き芋よりも甘い認識であるといわざるをえない。
私は演技っぽく盛大にため息をついた。
「偶然なんかじゃないのよ」
「追われてることなんてした覚えないんだけど」
「甘い」
「え?」
「甘すぎるのよ。サニーもルナも。"奴"は気配が無かったのよ。動いているのはわかるのにそこだけぽっかりと穴が開いてるみたいに気配だけが無いの。これがどんなに異常なことかわかるかしら」
「え、でもだって……ねえ?」
ふたりは顔を見合わせて狼狽している。たしかにふたりが言うように追われている理由は謎だ。しかし、追われている理由が問題なのではなく、いま現に追われていることに目を向けるべきなのよ。ふたりはそれをわかっていない。
私は努めて冷然と、それでいてニヒルな口調で"事実"を告げることにする。
「悲しいけど、これって戦争なのよね……」
「戦争?」ルナがびくびくしながら言った。「またまたご冗談を」
「冗談じゃないの。だいたい考えてもみなさいな。普段殺しても死なない私たちをどうして追う必要があるの?」
「えー。追われてるの前提?」
「追われてるの前提よ。まだ距離的には遠いけど、なんだか少しずつスピードをあげているみたい。あまり時間はないわ」
「んー」
追われているという実感がないのか、ふたりとも悠長に考えている。
本当、妖精ってのは緊迫感がないんだから。
あ、私は別腹ね。妖精だけど、スターなわけですし。
「追われている理由はわからないけどね」
「なんだぁ。スターもわかんないの? じゃあ、やっぱり偶然――」
ルナはほっとしたみたい。
でもそんなルナの安心も、私の次の一言で氷ついた。
「例えば誘拐とか」
「誘拐してどうすんのよ」
「妖精はペドいわ」
「ぺ……ペド?」
「要するにお子様ボディってことね。実は魔理沙さんに聞いたことがあるんだけど、世の中にはお子様ボディに発情しちゃう殿方もいるとか――」
「じゃあ、今わたしたちを追っている"奴"は私たちに、は、はは、発情してる!?」
ルナびびりすぎ。
サニーも汗をたらりと流している。
まあ、無理もないか。
私もその可能性に気づいたときにはゾッとした。
背中に冷たい汗が流れ落ちるのを止められなかった。
でも、殺しても死なない妖精をわざわざ追いかけるなんて、それぐらいしか考えられない。
いや――、本当はもっと悪い理由があるのかもしれない。思いつかないだけで想像を越えた妖精の『使用方法』なんてものがあるのかも……。
いずれにしろ、弾幕を一発二発撃つだけでピチュり、下手すると普通の人間にも楽にやられる私たちを、わざわざ追いかけるなんて、よっぽど酔狂な理由があるのはまちがいない。
妖精なんて本当どこにでもポップする雑魚キャラなんだし。
「で、でもただの遊びなんじゃないかな。ほら、尾行ごっことか」とルナ。
「確かに遊びの可能性もあるかもしれない。でも、私の能力は動くものの気配を探るわけで、その気配がやたらと大きいの」
「どれくらい?」
「これくらい?」
サニーが手のひらでサッカーボールぐらいの空間を作り出す。
まったくこれだから。
「これくらいよ!」
私は腕を広げて"奴"の巨大さをアピールした。
いや、これは別にアピールでもなんでもなく、ありのままを伝えただけ。腕が痛くなるくらい伸ばしたけれど、本当はこれの十倍か百倍ぐらいの大きさかもしれない。
「えーっとそれって、つまり私たちを追ってるのは妖怪ってことなの?」
「たぶんそう。だから問題なの。相手が遊びでも軽く腕を振っただけでピチュっちゃうかもしれないでしょ。それに遊びで拷問されるかもしれない」
サニーとルナはふたり仲良く震えだした。
私もまた身のうちに湧き上がる恐れをぬぐいきれない。
足がガクガク震えている。
大丈夫。大丈夫。私たち三人ならなんとかなる。いざとなったらドンくさいルナもいる。
ああでもこの子、時間稼ぎできるのかしら。それが不安だったりするわけで。
「ともかく、私たちは今、現状認識を共有できたと考えるわ」
「そうね。スターがいてくれなきゃ、いつのまにか捉えられてたかもしれないわけだし、今から考えるべきは――」サニーが視線を送り、
「どうやって逃走すべきか」ルナが後をついだ。
まさにそのとおり。
どうやって逃げるか。
問題はこの一点に尽きることになる。
わたしも含めて誰も"奴"と戦おうなんて思っていない。
妖精なんてはっきり言えばそこらの人間にも負けちゃう程度の存在。
ましてや相手が妖怪ならばほとんど百パーセントの確率で負けてしまう。
弾幕ごっこを申しこんで受け入れてもらえれば、可能性もちょっとはあるかもしれないけれど、妖精のことなんて妖怪の賢者もどうでもいいと思っているに違いなく、相手が強行手段に出てきた場合、私たちに止める手段はない。
まあ、なんというか……妖精なんて本当キノコみたいにばんばん生えてくるものだから、人間を殺してはいけないというルールは存在するが、妖精を殺してはいけないというルールは少なくとも明文化されてはいなかったように思う。
なんというか、使い捨てカイロの末路的な?
「飛んで逃げるのは難しいわね」サニーが常識的な発言をする。
「え、どして?」対するルナはわかっていなかったらしい。
「飛んで逃げたら、遮蔽がないことになるわ。相手が鈍重だったらいいけど、おおかた力を持っているほうがスピードも速いわけだし、後ろから追撃をかけられたら」
ピチューン。
想像したら恐ろしくなったらしく、ルナはガクガクとあごを震わせていた。
「やぶの中をこっそり抜けるのはどうかしら?」
サニーの発案。
悪くは無いと思う。
森を抜けて家に帰ればとりあえず少しは安心できる。
家の近くには霊夢さんもいるし、もしかしたら助けてくれるかもしれない。
おそらくは神社の近くで騒ぐな的な意味合いだろうけど。
「やっぱり森を抜けてしまったらさえぎるものがなくなってしまう。結果は同じになりそうね」
「わたしたちの能力を使っても?」
ルナが復活した。
言っている意味はわかる。
ルナとサニーの能力は組み合わせればステルス性抜群。
なにしろ音と姿を消せるわけだし、並の妖怪でも気づかれないと思う。
けど、あくまで並の妖怪には――。
正直なところ気配を察知されたりはするし、いままでそこにいたのがパッと消えたらさすがに警戒されてしまう。
姿を消すのはいいとしても、音を消すのは対象指定しているわけではなく、かなりおおざっぱな範囲指定。その範囲内に私たちがいるということがバレるという危険がある。
そうなると森を抜けたところで待ち伏せされてしまう可能性が高い。
「ふたりの能力は使うけど、このまま直進して森を抜けるのはまずいわ」
「まわりこまれちゃうかもしれないしね」とサニー。
「ばらばらに逃げたら?」とルナ。
わたしはにっこり笑って、ルナの肩に手を置いた。
リストラ宣告するときの気分ってこんな感じかしら。
「ここで素敵なご提案をしてくれたルナチャイルドさんに質問です。もしもばらばらに逃げた場合。気配を探れる私と、姿を消せるサニーと、音を消すことしかできないルナでは、誰が一番捕まる可能性が高いでしょう?」
「あばばッ!」
「現実的に考えても三人でいっしょに行動するほうが逃げ切れる可能性は高いと思うわ」
「三人で行動して、命がけのかくれんぼでもする?」
再びサニーの発案。
いちおう三人のなかではリーダーみたいなこともしているので、その発案は理にかなっている。
ただ、足りない。
かくれんぼの意味するところは、おそらくこの場にじっとして、相手をやりすごすってことだろうけれど、それだと相手が近づいてくるのをただ待つばかりとなる。
正直なところ怖かった。
「基本行動としては悪くないわね。でもかくれんぼよりも鬼ごっこのほうがよくないかしら」私はサニーの提案につけくわえることにした。「幸いなことにこの森は散歩するのに適した道が円状になっているわ」
そこらに転がっているぼうっきれをつかって、楕円を描く。
「この道の上なら、すばやく行動できるわ。だからふたりの能力で気配を絶って、相手の後背を突くというのはどうかしら」
「え、それって危険じゃない?」
ルナが若干なみだ目だった。
「気配を絶ったら、たぶん相手は焦るはずよ。それでおそらく気配を絶った場所に急行するはず。そのあとはどうなるのかわからないけど、待ち伏せをされていたら非常に厄介。だから私の能力を使って、相手とつかず離れずの位置を保つの。後背をつくっていうのはそういう意味ね」
「確かに移動して距離を保ったほうが安全かもしれないわね」
「じゃあ、そういうわけで今から"奴"を尾行するわよ。音を消す範囲は極小でお願いね」
「わかった」
【封獣ぬえ】
はッ!?
なんてこったい。
この私が――
平安の時代から生きてきた大妖怪たる私が簡単に背後をとられるなんて。
いや、そうじゃない。
そんな安っぽいせりふじゃ私の驚愕を表すことなんてできやしない。
能力である。
私のような大妖怪はだいたい固有の能力を持っており、その能力が自己の存在意義にかかっている。
私の場合は
――正体を判らなくする程度の能力
である。
つまり相手に自分のことを悟らせない、認識させないという非常にステルス性の高い能力である。
ごまかしというなかれ。
人間はよくわからないものに対して恐怖を抱く。
その恐怖心は妖怪にとって栄養なのだ。
それなのに!
正体不明を操る程度の能力を持つ私が正体不明の存在に心を脅かされるなんて……。
怒りももちろんあった。
しかしそれ以上にゾクリとした。
気づいたのも奇跡だった。
なにしろ"奴"は姿も音もなく私の背後にしのびよっており、しかもその気配さえも冬の陽光のように弱々しく、かすかに感じ取れるものでしかなかったからだ。
まるで妖精のような薄っぺらさ。
言うまでも無いが偽装だろう。
だいたい妖精にしては少しはできるやつクラスのようであるし、ちょうど三人分くらいはありそうに思える。
おおかた妖精のように見せかけようとしたが、あふれる気配をそこまでコントロールすることはできなかったとかそんな理由だろう。
私の場合はそんなポカはしない。
なにしろ正体不明は、相手にどんな程度の能力か悟られては、その根源的理由を失うことになるからだ。
しかしこれはどうしたものか。
聖の説法がやたら長くて適当に逃げ出してきたのはいいものの、そろそろ帰ろうかと思った矢先のこの出来事。
はっきり言って私にとっては不意打ちもいいところだし、相手がなぜ私を追うのかわからないのも不愉快だ。
追われる理由なんて無い――とはいえないけれど。
それでも私が今までやってきたことは他愛ないいたずらレベルで、それも多くの場合は正体を隠してのもの。
千年前のあのときから慎重にやってきたのだから、いまさら退治される理由はないと思うんだけど……。
けれど、"奴"が追いかけてきている。
それも少しずつスピードをあげて、まるで私に追いつこうとしているかのようだ。
考えてみれば、私は今も自分の能力を使って、気配を曖昧にしていたというのに、そいつが追ってきているということは、少なくとも私の能力が通じていない可能性が高い。
いや、もしかすると相手は私の正体が曖昧にしかわからないからこそ追ってきているのかもしれない。
あなどるのは危険だが、過大評価する必要もないだろう。
敵を知り己を知れば百戦百勝するというのが人間の理らしいが、相手のことがわからない場合は百勝とはいえない。確か勝ったり負けたりするんだったか。だったら私としては相手のことを知るべきじゃないだろうか。
基本方針としてはやはり様子見するのが一番。
能力を全開にして、正体不明の度合いを高め、うまい具合に円状になっているこの森の道を利用して相手の後背を突くというのがよいだろう。
うん、そうしよう。
【古明地こいし】
え?
ちょっと待って。
うそ。
うそでしょ。
ヤダぁー。
というのが私の表層意識だった。
普段は無意識で行動する私も、さすがの緊急事態に有意識の発動を抑え切れなかったらしい。
普段は三人称で思考しているのに、今は一人称なのもその証拠。
具体例をあげれば、『こいし散策中』とでもいうような思考をしているのに、いまは『わたしが散策している』というような思考をしてしまっている。
うひゃあ。
わたし尾行されちゃってるよ。
もしかするとストーカーさんなのかしら。
よくわかんないけど、いたいけな少女をつけねらって、えっちっちーなことをしたがるストーカーさんがお外にはたくさんいるから気をつけなさいって、お姉ちゃんに言われたことがある。
もしかしてそれ?
わかんないなー。
正直なところ、他人の気持ちなんてわかんないから、ストーカーさんがどうしてストーカーをするのかなんて、幻想郷がひっくりかえってもわかるはずがなかった。
プロファイル的なことはできるのよ?
数学的な統計と人間心理による推測はできるの。例えば、ストーカーさんがここの森の道っぽいところを通ってるのは、おそらくは目的と結果を最小の努力で達成しようとしているからだろうし、つまりは私をゲットする方法として道なき道を行くのと道を通るのでは、道を通るほうが楽なのだからそうしようとしているのだろう。そしてストーカーさんにとっては、道なき道を通って私に気づかれないようにするよりも、道を強引に通ってでも目的を達成できるという算段がついているってこと。
要はわたしよりもストーカーさんは強いのではないかしら。
気づいたのは、ほとんど偶然かな。
私の能力は無意識を操れるから、集団的無意識という普段アクセスできない領域に足を踏み入れることができるの。例えば、人間的な感覚で言えば視線に対する感受性がすごく強いというか、そんな感じ。もちろん視線っていっても実際に視られてるわけじゃないよ。ただ、こっちを必死になって追っているという焦燥の目。そんな圧迫感を無意識に感じ取るというか、伝えるのがちょっと難しい感覚なの。
けれど、視られるというのはあまり良い気持ちじゃなかった。
快・不快の感覚が微妙に壊れているわたしとしても、なんだかヤダーって思っちゃう程度には嫌なことらしい。
だって。
視線でねぶり倒されているみたいなんだもの。
いつもわたしは他人が無意識におこなう行動をこっそりと覗き視るのが好きだったの。逆に言えばわたしは石ころみたいな存在になるのが好きだったわけで、こういうふうに石ころに好奇心を向けられるのがあまり好きではないのかもしれない。
んー。
でも本当によくわからない。
道端に石ころが落ちていてその石ころを気にする人なんているのかしら。
いるかもしれない?
まさか、ね?
お姉ちゃんじゃあるまいし。
もしかしてストーカーさんってお姉ちゃんかしら。
でも違った。
気配を探ろうと思って積極的に無意識の能力を使ってみると、なんだか正体不明な謎の感覚。わたしと似ているけれど、違うところは気配自体を消してるわけではなくて、そこらじゅうにモザイクがかかったみたいになってるの。
いつも包み込まれるようなピンクっぽい気配なお姉ちゃんとはちがって、なんか、ダークネス!?って感じかしら。
邪悪とは違うんだけど、どことなく薄暗くて地底風味な気もしたり、とにかく不思議。
んー。でもどうしよう。
わたしはわたしのことがよくわからない。
だからわたしが追われる理由もわからない。
わたしは無意識状態になれば、相手にわたしがいることを悟らせないし、本当は気づくわけないんだけどなぁ。
でも追ってきてるのはまぎれもない事実だし。
だったらわたしの能力が効いてないってことも考えられる。
もちろん本気じゃなかったよ。
今なんて驚いているせいか、無意識状態とはいえないし、気配をゼロにする能力も減衰中。
これからどうすればいいのかなぁ。
他人から興味を向けられるなんて、本当に久しぶり。
やっぱり"関係"をこれ以上続けるのは嫌な気分。
最高の"関係"ってやっぱり無関係だと思うの。
だからストーカーさんとの関係をこれから少しずつでも薄めていくために、無意識状態に移行して距離をとったほうがいいんじゃないかしら。
幸いにしてこの森は道が円状になってるみたいだし、この道をぐるりと一回りすれば、ストーカーさんの後ろを取ることができる。
うん、そうしよう。
【三妖精】
「あ、また速くなったわ」
わたしはサニーとルナに向かって信号を送る。
ボディランゲージというか、そんなもの。
いま、私たちは周りの音を消しているから、声が伝わらない。
けれどそこは年季のせいか、はたまた妖精らしい以心伝心機能か、声が伝わらなくてもなんとなくわかったらしい。
ふたりとも焦ったような顔になっている。
わたしも恐れの感情を強くせざるをえない。"奴"が動いたみたい。しかもそのスピードはいままでよりもずっと速い。
これは私たちの存在に気づいたということなのかもしれない。
しかも、そいつは今までよりもずっと気配を消して、尾行能力を強めている。
わたしが能力を使って補足しないと、すぐにわからなくなりそうなくらいだ。
――これからどうする!?
といった視線をふたりに送った。
ふたりとも顔を見合わせていたが、
――いままでどおりやるしかないでしょ
との返信。
確かにそのとおりだ。
相手がどんなやつなのかわからないけれど、妖精より遥かに強いのはまちがいないのだし、そうなれば相手に気づかれないように一層私たちは気配を消して相手との距離を開けるしかない。
ただ、速度は上げないといけないだろう。
このままでは追いつかれてしまう。
無言のまま、私たちは駆け足になった。
【封獣ぬえ】
なん……だと。
私を追っている正体不明の速度があがった。
もしかすると私が相手の後背を突こうとしているのがバレたのか。
そんなわけはないと思うが、しかし正体不明の度合いを高めているようだ。
これは要するに私が相手の尾行に気づいたかもしれないと、"奴"が思った可能性がある。
しまった。
よく考えれば私が正体不明の度合いを高めたのは失敗だったかもしれない。
しかし、正体を明かした状態だと、相手は尾行を続けるだろうし、そうなれば私が尾行をし返すというのも不可能に近い。
やはり正体不明の能力は使わざるをえない。
相手の能力がわからない以上、目の前に対峙するのは危険だし、そんなのは馬鹿のやることだ。
私は千年以上生きてきた大妖怪。
相手がどんなやつかもわからないのに蛮勇に身を焦がすのは、馬鹿で愚かで⑨な妖精くらいなもので、少し知恵があるものなら一瞬の思考で到達できる。
このまま現状を維持しつつ、さらに一層正体不明の度合いを深め、速度を上げて相手の後背を突く。
それしかない!
【古明地こいし】
え、ちょ!?
なんだか正体不明なストーカーさんの速度があがった気がするよ。
こいしびっくり。
こんなふうに追われているなんて、まるで恋しているみたいだから。
けれど――
わたしはあまりそういうのには慣れていないの。
恋するのには恋焦がれているけれど、恋されるのには慣れていないというか。
言わば恋することは視線みたいなもので、わたしは視線を送るのは好きだけど、視線を送られるのは苦手なの。
だって覚り妖怪なんてサードアイが本体みたいなものなんだよ。
人間さんの場合も視覚が七割だか八割だかを全体の感覚のなかで占めているらしいけど、覚り妖怪の場合はもっともっともっともっとその割合が強いの。たとえわたしが瞳を閉じた覚り妖怪もどきであっても、その本質だけは変わらなかった。
視られるのは嫌だなぁ。
だって視られるってのは多分債務なんだよ。
勝手に取られていく利益みたいなもの。
わたしはわたし自身のことにさほど興味はないけれど、世間一般で言うところのかわいいと呼ばれる属性をいっぱい持ってるらしいし、ストーカーさんはわたしを見て、おそらくかなりの確率でかわいいと思ってしまうに違いないのだ。
てことは――?
かわいいを搾取するために行動しているといえないかしら。
ストーカーさんはたぶんわたしの姿を実際に瞳の中に収めるために、わたしのことを追っているって考えられないかしら。
やだぁ。
勝手にわたしをとらないで。
自分勝手で申し訳ございませんが、こいしは殺されるよりは殺すほうが好きなんです。
マグロはおいしいけれど、食べられるマグロ自身にとってはおいしくもなんともないと、どこかの書物に書いてあったけど、そんな感じだ。
なんとまあずいぶんと支離滅裂な思考だと自分でも思う。
正常に近い思考とは多くの矛盾を一種のスケールに無理やり押しこめることでなりたっている。
西瓜さんを四角い箱に閉じこめて成長させると四角い形の西瓜さんができるみたいだけど、それと似ていて、本当にいびつな形をしているの。そのいびつさがわたしにとってはすごく楽しくておもしろくて観察のしどころなんだけど、西瓜さん自身にとっては自分のかたちなんてどうでもいいよね?
つまり、普通の人にとっての自分の心なんてそんなもの。
本当は無意識の思考のほうがずっと論理的。論理的というのは数学的ってことで、無矛盾。
だから、こいしの思考はいつだって矛盾なく存在しているし、数式のようにシンプルで綺麗。
ノイズがあるのは――
心という幻想が残留しているせいだ
かくして、こいしは無意識の度合いを高めつつ、ストーカーさんの背後を取ることに専心することにする。
速度は当然上げた。
ほとんど全力疾走に近い。
【三妖精】
ひえー。なんてことでしょう。
また"奴"がスピードをあげたみたい。しかも今度はすごいスピード。
気配は一層薄くまるで空気のようになっているのに、それがものすごい速度で移動しているというのは恐怖以外のなにものでもない。
いよいよ本気で私たちを追っているのかもしれない。
どうしよう。
いざとなったらルナにはいけにえ的な意味でがんばってもらうとしても、このままじゃ全滅は確実。
どうして姿も音も消しているのにバレてるんだろう。
わたしたち妖精の気配なんて妖怪にしてみれば微々たるもので、空気中の塵みたいにあるかないかわからないもの。
しかも、わたしたちは三人の協力体制で今のステルス機能を発揮しているわけで、三人の気配がないまぜになってキメラ的なものになっているはず。
この茫洋とした正体不明な気配がわかっちゃうなんて、相手は恐ろしい諜報機関の手先なんじゃないかしら。
「みんな全力で駆けるのよ! "機関"の魔の手が迫ってる」
わたしは絶叫する。
【封獣ぬえ】
ついに"奴"が全力疾走になった。
それなのに正体不明の度合いはより一層増し、私の能力に感応してますます"奴"の存在を明らかにする。
もしかすると、私の恐怖心を煽るのが目的なのかもしれない。
ちくしょう。
この私が――
挑発されているのか。
静まれ。わが右腕。
右腕に巻きついている蛇がうずく。
このまま引き返して"奴"と戦っちゃえよとささやいている。
だが、これは正体不明合戦なのではないかとも思うのだ。
相手のことは知らないが、少なくとも私にとってはそうだ。
なにしろ、正体不明にする能力を持つ私に、正体不明の力をぶつけてきたのだから。
妖怪というのは精神生命体であり、自分の力がレゾンデートルとなっているものも多い。要するに、私にとっての精神的なよりどころ。それが能力なのだ。
だとすれば、この勝負に負けるわけにはいかなかった。
精神的な敗北は妖怪にとっての死に近い。
だったら、私は正体不明の能力を全力全開にし、はたまた全力全開のスピードで疾駆するしかない。
ぬぇぇぇぇぇぇぇい!
【古明地こいし】
すごいスピード。
まるで命を賭けるようなスピードで背後からストーカーさんが近づいてきている。
気配はあいかわらず曖昧だけど、正体不明の塊がすごい勢いで迫ってきているから、周りの無意識の流れはみだれにみだれてなにがなんだかわからない状態。
一言でいって、とてもカオス。
こいしは既に全力疾走中だから、もはやあとは相手が疲れるまで根競べするしかない。
負けるつもりはない。
だって、こいしはいつだって山中を散策してきた元気っ娘なんだし、地霊殿に引きこもってるお姉ちゃんとは年季が違う。
わたしを信じるわたしを信じろ!
【三妖精】
走る走る走る。
【封獣ぬえ】
走る走る走る走る走る走る。
【古明地こいし】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【三妖精】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【封獣ぬえ】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【古明地こいし】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【三妖精】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【封獣ぬえ】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【古明地こいし】
走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る走る。
【霧雨魔理沙】
「なにやってんだあいつら」
魔法の森の散策コースを上空から俯瞰していると、奇妙な光景が映った。
ジョギングというかマラソンというか、あるいは命懸けのレースみたいに全力疾走している三組。
三妖精とぬえとこいしだ。
もうみんなヘロヘロ状態であるが、足を止める様子はない。
新手のダイエットかしらなどと思いつつ、邪魔したら悪いのでそっとその場を後にした。
こいしちゃんが無意識に三月精を追ってたんではないのか
一度まるきゅーさんの頭の中の幻想郷を見てみたい。自分には想像もつなかい幻想郷がある筈だから。
どうやって始まったのかも気になるけどどうやって終わらせるのかも気になるww
これが無限ループか……
よくルナチャ転ばなかったな
読者さまの中に、論理的に解明できる方はいらっしゃいませんか!?
スターにこのセリフを言わせたせいで、急に脳内でスターがごつく渋くなって台無しだよ!!
これじゃあ、スターが追ってから逃げるんじゃなくて、立ち向かって戦死しちゃうよ!!
あっ、ルナを盾にすればいいのか…
>静まれ。わが右腕。
スターとぬえが中二病っぽくなってて吹いたww
回りすぎて正体不明のバターにならないといいけど…
三者三様でだんだんテンパって来る感じがいいですねー。
テンパってるこいしちゃん可愛い
コメントにコメントになっちゃうけどバターになるオチ想像して笑ったw